悲しみの元 畠山 拓 麻子とふたりの誕生日に銀座で買い物をし、食事した

悲しみの元
畠山
拓
麻子とふたりの誕生日に銀座で買い物をし、食事した。
次の朝、寂しさに襲われた。ベッドから起き上がる気にもなれず。枕元の読
みさしの「イギリス民話集」岩波文庫を手にした。続きの物語を読んだ。
「トム・ティット・トット」
以前にも、何処かで知っている気がした。悪魔と娘の話だ。課題を与えられ
た者が、悪魔と契約を交わし、課題を克服する。物語は王から糸を大量に紡ぐ
ことを命じられた娘が悪魔の力を借りるのだ。
交換条件は勿論、娘が悪魔のものになることだ。ただし、悪魔の本当の名を
言い当てたら、悪魔は引きさがるのだ。
糸は出来るが、悪魔の名はどうしてもわからない。
幸運が味方して、最後の最後に娘は悪魔の名前を知る。悪魔は名を言い当て
られた途端に、悲鳴とともに消え去る。
寂しいと人間眠くなる。悪魔の名前にはどんな意味があるのか。何故、名前
を言い当てられるのが、怖いのか。
「次郎の屋根に雪が降る。太郎の屋根に雪が
降る」と、ぼんやり考えていたら、眠ったらしい。
眼が覚めると、携帯電話のサインが瞬いていた。夢の中で、風が吹いていた
が、ブザーの音だったらしい。
「午後から会えるよ・・・」
麻子だった。今から用意して、直ぐ出かければ、昼食が出来る。髭を剃り、
風呂に入って、新しいシャツを着た。
私はまだ夢を見ているらしい。
家を出て、いつもの坂道を下り、駅に出て、電車に乗る。目的の駅で降りて、
暫く行くと、大きな公共の建物がある。博物館だ。博物館の前は、広い庭とい
うか、公園になっている。ベンチがあり遊歩道がある。
遊歩道に沿って並んだベンチに女が腰かけていた。若い女で、めだっていた。
男が近づいてきた。急いでいるのか、荒々しい感じがした。怒っているのかも
しない。女は男に気付くと、立ちあがった。様子が変だ。女は男を待ちあぐね
たというより、逃げ出そうとている風だ。
「小説の登場人物が、生きている様に動き出して・・」くれないものかと、友
人の作家が言う。「そういう事を言いますよね」。
夢日誌を書こうかと考えている。無論、小説として書く。
友人の佐田が「『麻子シリーズ』はどれも面白い。私小説と幻想小説と教養小
説の合体だ」と、言った。某グルメ評論家の口調に似ている。もっともかも知れ
ない。麻子シリーズは恋人の麻子をモデルにした短編の連作だ。私小説風に書
いているが、幻想的な展開にしている。
幻想には現実感を出すためと、モデルを守るためでもある。教養小説と意識
した事は無いが、読み散らしている書籍から時々、引用したりするので、その
ように読めないことも無い。佐田の批評眼は鋭い。
「私小説と恋愛小説と幻想小
説」とも言った。
連作は年間二十篇のペースで百篇まで書くと公言している。現在七十八篇だ。
実際見た夢の話はまだ、書いていない。夢をテーマにしたものは六篇書いて
いる。幻想小説なので全部が夢のようなものだ。
実際に夢を書きにくいのは、覚えていないからだ。私は老人で疲れやすいか
ら、よく眠る。総じて眠りが浅くなるから、夢を多く見る。見ても目覚めると、
夢を見たという事しか覚えていない。夢はたちまち溶け出して、色も形もわか
らなくなる。
私は呆然と窓から森の霧を眺めている。
何時見た夢か知らないが、恐らく何十年も忘れない夢がある。石の階段の先
に石の小部屋がある。四十代にエジプトに旅行した。ピラミッドの石棺の間を
見学した。そっくりだった。夢の記憶は、造られたものかもしれない。何度も
思い出しているうちに、想像が補強するのかもしれない。
暗く気持の悪い夢なので、思い出したく無い。私の心の秘密なのだろう。エ
ジプトの古代の王と関係付ければ、新興宗教の信者の心情に近くなる。
長野県で同人雑誌「出現」の主宰者の小島義徳さんはサイト「デジタル文学
館」を運営している。小島さんのサイトに私の作品も何篇が掲載して頂いてい
る。批評をいただいた。
「私と麻子というかなりありふれて日常的な男と女の光景を描きながら、とこ
ろどころにその日常的現実が綻びを見せ、非現実がぐっと顔を出す」
私は若い頃、シュールリアリズムに影響された詩を書いていた。萩原朔太郎
や吉岡実の詩を愛読していた。
日常が割けて非日常が現れる事には馴染んでいる。私は若い頃から、幻聴や
幻覚を見る。幻聴や幻覚は神秘的なことではない。普通の事柄だ。
私は子供の頃からベッドに縛り付けられる生活の多かった。
自然に心理学者のフロイドやフロムに興味を持った。精神分析や夢や無意識
に関する本を読み漁ったものだ。勿論、本格的に勉強したのではないから、夢
判断ができるわけではない。
深い眠りは夢を観ないようだ。見ているかもしれないが、覚えてはいない。
最近、夢を観ようとして、よく眠る。昼寝をする。一日に、合計すると十時間
を超える。充分な眠りは、次の眠りを浅くする。時間に縛られる生活をしてい
ないので、昼食後、昼寝をする。
酒が飲むが、最近は酔いが回るのが早くなった。酔えば、眠くなる。ベッド
やソファーでまどろむ。夢を観る。目覚めると、はっきりしない。目覚めと同
時に、夢はだらしなく、溶けてしまう。記憶に残らない。頭から流れ出してし
まう。掬う事が出来ずに、雲散霧消する。
夢を捕まえようとする必要もいらない。時間はまだある。未だあると思って
いるが、残りは解らない。
友人の作家、佐田は私が、
「麻子シリーズ」を百篇書かずに死ぬかもしれない
という。自殺でもない限り、死期を決めることは難しい。
東北大震災で亡くなった、何万人と言う人間の誰ひとりとして、死を予感し
ていた、予期していた人がいたろうか。一秒一秒と時計の針は進む。死に向か
っている。同時に生にも向かっている。
私は枕を三つ使っている。ひとつは麦藁の枕、ひとつは檜のチップが詰った
もの、もうひとつはスポンジだ。快適な眠りを追求するための道具だ。
冬の間は息子の家に居候の身分だ。マンションの小部屋に書棚とベッドとパ
ソコン用の机とチェストを置いただけの、狭苦しい生活だ。
サラリーマン時代は真面目な会社員とは言えなかった。出世の努力をしたこ
とも無い。経済生活のためと割り切って働いていた。会社にも職場にも愛着は
無かった。それでも、六十歳の定年まで、だらだらと勤めた。皆よい同僚だっ
た。
現在、七十歳だから、すでに十年が過ぎているが、職場の夢をしばしば見る。
いつまで働けるのだろうかという不安と、無休で働いているのだという不満が
多くの夢の基本的な旋律である。工場だったり、暗い事務所だったり、重苦し
い夢だけれど、退職後十年もたっているのだ。
どうして思い出したのか解らない。父の爪は少し変形していた。子供の頃、
指を潰したとかで、生えて来る爪に筋が付き微かに盛り上がっている。何歳の
時の事故だったか知らない。どの指だったか思い出せない。右手か左手かも思
い出せない。父が九十一歳で亡くなってから、十年たっている。
私は爪を切っていた。父の事を思っていた分けではない。多分、父が死んで
からも、生前、離れて暮らしいる時も思い出した事は無い。初めての事に私は
衝撃を受けた。
初めてだという確信はあった。人はそうではないというかもしれない。私は
爪を怪我していたわけではない。父に関する記憶を呼ぶ物や出来ことは起きて
いない。
私はナルシストではないが、自分の心や心理には興味が深い。唯物論者に近
い考えをもっているので、心は一種の化学反応だとも考える。酒を飲んで心持
が変わるのは確かだ。アルコールが血に流れ込み、脳細胞に影響する。心持の
変化はアルコールと言う物質によるものだ。心は物質の変化なのだろうか。
何故、父の爪を思い出したのだろう。
一時期は、女性を主人公にした小説書いた。若女性の心理を推察するのが楽
しかったからだ。いかに主人公に感情移入できるのかも試したかった。歌舞伎
の女形の修業の様なものである。
等身大の私自身がモデルの場合もある。私小説というのだろう。
作家、某さんからメールをいただいた。
「『酒とパンと女』麻河次郎さんの書かれる小説群のなかでも私のいちばん好き
なのがこの麻子シリーズなので、うきうきドキドキしながら読ませていただき
ました。麻子という女性はある種の女性の典型でもあって、可愛いけど危ない、
利口だけどおばかさん、いっしょに居たいけど居たくもない、愛したいけど愛
しつくせそうもない、そういった両極性のど真ん中に主人公が挟まれていて、
そこから見えるものが描かれている。私にはこうは書けません。」
黒田夏子さんから葉書をいただいた。芥川賞を受賞して、時の人になり、イ
ンタビュウやテレビラジオの出演、もしかしたら講演依頼などに忙殺されてい
る時期なのだろう。手紙でも苦笑交じりの近況が記されていた。
真面目な人だ。変わらぬ、気づかいに感謝した。
「麻子さんによろしくといいたくなるくらい、麻子が出て来るといきいきとし
て、楽しいです。初老の男にとって夢の女人像なのでしょう」
一人の登場人物が、生き生きと描かれていると言った、褒め言葉なのだろう
か。そうでなくとも、手紙は嬉しい。同人雑誌を送りつけ、丁寧に葉書をいた
だく、だけの付き合いである。手紙を一切書かない私は失礼とも思わないのは、
失礼なことだろう。
早稲田文学賞の時は、田舎の施設の植物園から花束を贈り、芥川賞の時は迷
った末に、お菓子を送った。手紙は書けない。恥ずかしい。
女は立ちあがると、近づく男に背を向けようとするらしい。やっぱり男を避
けようとしている。偶然なのだろうか。一瞬、私には判断出来なかった。
男は女の背に腕を伸ばした様に見えた。男は女の半ば向けられた、背中に向
かって、弱弱しく腕を差し出したようだった。自信なげに憔悴した仕草。落胆
と希望の狭間。男は何かを言っただろうか。遠くて分からないし、顔も見定め
ることのできない位置にあった。
立ちあがる女が思わず落とした、ハンカチを「おしえてあげよう」としたも
のか。落し物らしきものは見えない。公園で、ふと美しい女を見かけ、ペンチ
に一緒したくなっただけか。
「今。面白いものを書いている」
「また、私がモデルでしょう」
「嫌かい」
冬羽に覆われたふくら雀。シャツやセーターを何枚も着込み、羽毛のガウン
を羽織、すっかり膨れ上がっている。雀の可愛さは無い。私は醜い老人だ。
「別れるわ」
「別れても愛情は変わらない」
真夜中のメールには辟易する。眠れないのだろう。
「明日は、亜矢子は居ないの」
我儘で、短気で、粗忽者で、酒飲みで、と麻子の短所は幾つでもあげられる。
酒が好きという事だけでは、欠点とは言えないだろう。
麻子はときどき、酒を飲んで失態をくりひろげる。
私は寿司屋で、麦酒と日本酒を飲みながら麻子を待っている。時間がたっぷ
りある老人だ。一時間も前に約束の駅に着いた。コーヒーなどでは時間をつぶ
せない。お先に一人で頂く事にする。
麻子が現れる。珍しく笑顔なのは恥ずかしいからだ。
「自己嫌悪なの」
汚してしまったスーツは捨ててしまったらしい。二年に一度ぐらい飲み過ぎ
で嘔吐してしまう。一度はタクシー。一度はベッド。一度は料理屋のトイレ。
一度は路上。先日も、失敗した。
クリーニングでも完全には汚れが落ちないほど、汚してしまい、ハサミで切
って捨てたという。私の夏の上着も返ってこない。二年前の事だ。
私も酒が好きで飲むが、外で嘔吐した事は無い。麻子の悪酔いのパターンは
大体把握している。白ワインと他の酒の組み合せが悪いようだ。体調もある。
飲む速度もある。
私は酒飲みに寛大だ。自分が大酒飲みだからだろう。大酒飲みは早死にをす
る。平均より二十年は早いだろう。知人を何人も見送っている。
大酒飲みは早死にだというのは、相関関係か因果関係か。因果関係なら私は
面白くない。どれだけ飲めば大酒飲みというのも重要な要素だ。
インターネットで調べてみた。
<因果関係の逆転。
火災現場に出動する消防士が多いほど、火災の規模は大きい。したがって、
出動する消防士が多くなることが、火災が大きくなる原因だ。消防士の人数と
火災規模には強い相関関係があるが、因果関係は存在しない。実際には火災が
大きいから多数の消防士がそこに送り込まれているのであり、因果関係は逆で
ある。靴を履いたまま寝ると、起きたとき頭痛になることが多い。したがって、
靴を履いたまま寝ることが頭痛の原因である。この場合、真の原因が「靴を履
いたまま寝る」ことと「頭痛」の共通の原因であり、酩酊が相関の原因と考え
られる。アイスクリームの売り上げが伸びると、水死者数も確実に増える。し
たがって、アイスクリームが水死の原因だとは言えない。アイスクリームがよ
く売れるのは夏であり、水死が増えるのも夏である。夏の暑さが両方の事象の
共通する原因である。>
当たらずと言えぬが、遠からず、という言葉があるが、相関関係か。火の無
い所に煙が立たない、という言葉があるが因果関係か。
酒飲みは早死になのか。酒を飲めば、酒が原因で、栄養失調、肝臓の酷使、
事故、高血圧、その他の内臓疾患で早死には考えられる。身体を痛め、生命力
を奪う原因は酒だけではない。
長年の経験で、酒の飲める医者と飲めない医者では、飲酒者に対する対応が
違う。飲めない医師ならびに医師以外の人も、酒を罪悪視する。酒の飲める医
者は飲酒に寛容である。
人の弱さを知っていて、酒を許すのか、医学的な根拠で言うのか、定かでな
い。酒は百薬の長、ともいうし、酒は気違い水、という言葉もある。
麻子の酩酊、嘔吐、暴力はさしずめ「気違い水」なのだろうが。人間皆気違
いに成る可能性はある。生き物は気違いになる。動物では感じるが、蚯蚓の気
違いというのは知らない。桜や種々の花は「狂い咲き」という言い方はあるが。
飲酒と健康は相関関係だろうと因果関係だろうと関係はありそうだ。飲み過
ぎはいけない、適量は良い。アルコールの適量は人によって違う。
私の適量はどれだけか、分からない。体調、気分、酒の種類、飲酒時間、食
事の内容、空腹度、等など条件によって酩酊度合いが違う。麻子もそうなのだ
ろう。嘔吐するまで飲むのか。私以外の同席者に迷惑をかける事があるのか、
問うた事は無い。気の毒な気がするし、正直に話すとも限らない。嘘を見抜く
気もしないし、嘘を言われなくとも、安心するものでもない。