2006年(平成18年)8月3日 (木)晴れ 第2058回( 当年度第5回 )例会 点 鐘 司 会 国 歌 ロータリーソング ゲスト及びビジター紹介 会 長 SAA 大塚 祥敬君 熊澤 治夫君 「君が代」 「奉仕の理想」 ソングリーダー 中島 仁君 卓話者 上村 仁美様 ポール・ハリス・フェロー・ピン贈呈 会長挨拶 会 長 大塚 祥敬君 森 弘好君 「パレスチナが「世界の火種」になったのは、どうして?」 感謝状贈呈 木彫りのレリーフ を進呈した事に関し まして、当クラブ会 員の石川 裕君に対 しまして感謝状が贈 呈されました。 江南商工会議所様 現在も世界の紛争の火種となり続けているパレスチナ 問題。このパレスチナ問題を生んだのは、イギリスの無責 任極まる「三枚舌外交」です。話は第1次世界大戦までさ かのぼる。この頃、この付近一帯はオスマントルコ帝国が 支配していました。このオスマントルコと戦っていたイギ リスは、この地のアラブ勢力を味方にひきいれるため、 「戦後アラブ国家の独立を認める」と約束する。これが1 915年の「フセイン・マクマホン協定」です。 その一方で、イギリスのバルフォア外相は、戦費調達の ため、ユダヤ資本であるロスチャイルド家の協力を得よう と、「パレスチナにユダヤ人の祖国を建設する事を認め る」と約束する。これが1917年のバルフォア宣言です。 こうした二枚舌を使って、双方に違う約束をしたうえで、 戦後この地域の支配権をイギリスとフランスで分け合う、 という秘密協定も結んでいたことが、後に暴露されてしま います。これが1916年「サイクス・ピコ協定」です。 こうしたイギリスの三枚舌が、パレスチナ問題のそもそも の発端になっているのです。とくに長い間、キリスト教社 会で迫害されてきたユダヤ人は、戦後、国際世論の同情論 にも後押しされて、イギリスが建国を約束したイスラエル に次々と移住してきました。第2次世界大戦後は、ますま すその人数が増えます。ところがそこは、もとからアラブ -1 - 人達が住むアラブ人の土地です。紛争にならないわけがあ りません。手に負えなくなったイギリスは1947年、パ レスチナ問題を国連に委ねます。国連による「パレスチナ 分割」が行われ、イスラエルは分け与えられた土地で建国 を宣言します。しかし、これを認めないアラブ諸国との間 で、その後の長期に渡る中東紛争が始まったというわけです。 勿論、誰だって戦争を続けることを望んでいるわけでは ありません。途中何度か、和平に向かう動きがあったので すが、そのつど、和平を働きかけるキーマンが、強硬派勢 力によって暗殺されるという悲劇があって、事態は現在に 至っています。今起こっているイスラエルのレバノンへの 空爆はまさにこういった経緯の結果です。 幹事報告 ―別紙― 祝 福 ―別紙― 出席報告 幹 事 安藤 喜代司君 委員 真鍋 勝彦君 委員長 佐藤 文彦君 会員数 出席者数 欠席者数 出席率 53名 39名 14名 82.98% 前々回(7月20日)欠席者数 4名 補正出席率 91.84% ニコボックス 副委員長 杉浦 賢二君 ○尾関憲市さん、卓話のお手配ご苦労様です。上村仁美 様の卓話楽しみにしております。 大塚 祥敬、鈴木 健治、安藤 喜代司、大池 武徳各君 〇尾関憲市さん、卓話ご苦労様です。本日楽しみにしてお ります。 森 弘好君 〇本日の卓話、お世話になります。 尾関 憲市君 ○尾関さんの卓話、楽しみにしています。ご苦労様です。 杉浦 賢二、中島 仁各君 ○上村仁美様の卓話、楽しみにしております。 佐藤 文彦、樋江井 誠、景山 芳樹、滝 勝夫、尾関 憲市 冨永 典夫、長谷川 優子各君 卓 話 紹介者 尾関 憲市君 「商品と企画」 商品企画における消費者と生産者の目線の相違点 上村 仁美様 皆さんの周りにある「何気なく使っている物」にも出来 上がる迄に色々なドラマがあるのを考えた事があります か? 私は子供服のデザイナーの仕事に10年以上携わっており ますが、今日は、商品の企画から生産、店頭に商品が並べ られ、お客様に購入して頂くまでの過程で、私が感じた「作 る側」と「消費者」の目線の違い、沢山の人の色々な思い が詰まって出来上がると言う 2 点についてお話をしたいと 思います。 会社の形態や作る物で違いはあると思いますが、現在、 私が扱っている子供服の企画から商品が出来上がり、店頭 に商品が並べられるまでの過程を簡単に紹介したいと思い ます。 通常は、半年以上後に市場に出る商品を企画し、コレク ションを行い、色々な店舗運営を行っている人に見てもら い、発注してもらい、沢山の受注が付いた物を生産し、そ れから店頭に商品が並ぶというような順番で進みます。 私が在籍している事業部は、すでに直営店がある為、売 れ残るリスクを少しでも無くし、効率よく商品の回転を行 える様に1ヶ月半∼長くて3ヶ月後には店頭に並ぶ商品を 企画しています。これは、中国で生産を行い、最短で店頭 に商品が並ぶギリギリの期間といえます。 まず年間で、1.何月に 2.どんな商品が 3.どれくらい の値段で 4.どれくらい必要か という 4 点を基にスケ ジュールを立て、どんな物を作るか情報を持ち寄ります。 次に、商品のバイヤーとの打ち合わせにて、方向性の決 定し、デザインの考案、バイヤーがデザインを決定し、そ のデザインに合う製作工場の決定から生産という工程で 進みます。 この流れの中で、私がよく思う事があります。それは、 近頃は男性のデザイナーや女性のバイヤーも増えましたが、 通常、デザインを考えるのは女性、決定権を持っているの は男性である場合がほとんどです。そして、これは私の場 合ですが、商品を購入するのは、男性では無く女性、多く の場合は子供の母親もしくは祖母なのです。 すなわち 「女性がデザイン→男性が決定→女性が購入」 と言う図式が出来ているという事です。デザインを決め る際、ほとんどの場合、私の中で、「どうして解って貰え ないのだろう」という葛藤があります。それはおそらく男 性の感覚と女性の感覚の違いではないかと思います。 作る側の「売れる物を」という気持ちは、どんな人も持 つ感情だと思います。売れるという事は、私の場合、消費 者の気持ちに立った物を作る=子供の母親もしくは祖母 の視点に立った物作り、という点にあると思います。これ は言うのは簡単でも実践するのは大変難しいことで簡単 な事では無いと思います。 色や形や素材という点で、 男性・・シャープな物を好む 女性・・丸い物もシャープな物も好む 色合いでも、 男性・・どちらかと言うと、渋い物 女性・・柔らかい色合いや、ポップな色合いの物 -2 - など全体のイメージで多種多様に変化するという感じです。 一番に好みの違いと判断基準の違いが明確に表れるの が下着選びです。 皆さんも選ぶ時のこだわりとかありますか? 「私はこれだ!」という意見がありましたら是非、教え てください。 私は、男の子用のブリーフ等のデザインも手がけていま すが、実際に履いたことが無いという理由で、どうしても 着用感の好みが解らなく、以前に男性社員にこの疑問をぶ つけた事があります。 返ってきた答えは、トランクス派とボクサーパンツ派が 半々で、 トランクス派・・ぴったりするフィット感は嫌!やっぱ り開放感がなければ! ボクサー派・・ある程度のフィット感はOK,だが、窮屈 なのはダメ という結果でした。 いかがでしょうか?同じ意見でしたか? 一方、女性は綺麗に見せたいという女心から来るのです が、着たときのラインの美しさを求めるので、フィット感 を求めます。よくTVで見られる「寄せて・上げて」の具 体例ですね。 このように、男女の価値観の違いによって、決定の判断 基準が異なるのは当然だと思います。また、ミュールやブ ーツなど女性限定のアイテムのデザインを決定する時にも、 好みの違いを感じずにはいられません。 ミュールは洋服のアクセントで選ぶ為、ゴールドや明る いピンク等の派手目な色、または装飾もラインストーンや リボン等のかわいい物や宝石の様な綺麗な物が付いている と言うような事が、購入時の選ぶ際のポイントになります。 実際、店頭に並べてみると、やはり派手目な物から売れて いくのも事実です。 しかし、デザインやカラーを選んでもらう段階で流行や 女性の好む物と違うデザインが決まってしまう事もしばし ばあります。その度に、社内のパートの人たちや女性社員 のアンケートを集め、その結果と自分の意見を伝え、再検 討してもらうということもしばしば有ります。 これらの私の経験から、商品を作る際に、デザインを決 定する側が消費者側の気持ちにたった決定がされている か?という点において私の中で疑問が残ります。 例えば、先日、この様なことがありました。化粧品を購 入する為に、お店に行きました。今、椿のシャンプーが大 人気のメーカーのカウンターでアイシャドウを購入しまし た。その際に何気なく以前から思っていた、「買った物が、 無くならないうちにニューカラーがでるから、容器がもう 少し小さかったら良いのに」そ して、「その分、値段も手頃だ ったら購入しやすいし、洋服に 合わせて色を変えたいから、数 色購入するのに好都合だ」とい う点をアドバイザーの人に言 ってみたところ、そのアドバイ ザーの人曰く、「そのようなお 客様の声は以前からあります。 お客様の声は毎日、メールで本 社に報告するのですが、運良く 実現しても1年とか時間がかか ってしまったり、実現までいくこと自体が難しいのです。 そのようなお客様の声が多く寄せられていても、結局は最 後の判断を下すのが、年配の男性になるから、なかなか解 ってもらえない。」との返答でした。 このとき、何処の会社も同じ様な矛盾を多かれ少なかれ 抱えているのだと感じました。 それは、 作る物が違っても、 ヒット商品を作りたい、その為には買う側の気持ちに立っ て、買う人の欲しい物を作るという事は、誰もが解ってい ることですが、いざ、実際になるとなかなか難しいようで す。 また、子供服は婦人服に比べ、様々な要因で売れ行きが 左右されます。面白いのは、子供の成長で売れるデザイン が変化するという点で、買うときに誰に決定権があるのか で決まります。「子供なのか親なのか」。この中で、子供 用品の売り場に立ち寄った経験がある方がいらっしゃる と思います。 その時に、小学生対象の物と小学生以下対象の物で、デ ザイン・カラー等に大幅な違いがあるのを目にしたことは 無いでしょうか?これは小学生になると自分の好みがハ ッキリしてきて、自分の物は自分で選ぶ様になるからです。 すなわち 「小学生以下の物=親の趣向で決定される」 「小学生以上の物=子供の趣向で決定される」 という図式が成立します。言い換えると、大人の目線(趣 味)と子供の目線(趣味)には違いがあるという結論に至 ります。 今、小学生以下の商品の傾向は、最後に染めたり、洗っ たりの後加工がされたものや、コットン本来の風合いを楽 しむ、自然を意識しし系の物等が上げられます。 一方、小学生以上ではどうかと言うと、アディダス等の スポーツテイストの物や、ラインストーン(イミテーショ ンのダイヤみたいな物)を付けた物といったように、ヤン グのゾーンに近い様なデザインが主流です。これは、「女 の子が小さい時にお母さんの口紅を無断で使った」なんて 話をよく耳にします。これと同じで、お姉さんやアイドル にあこがれ、同じ様なファッションをしたいということの 表れだと思います。 これらの事を念頭に置き、商品のサイズやデザインを吟 味しないと、あるサイズだけ売れたが、あるサイズは全然 売れないという事になりかねません。 誰が着るか、誰に決定権があるか、そのターゲットの今 一番興味があることはなど、いかに消費者の目線をとらえ ることが出来るかが、売れるキーポイントになるという事 なのです。 私たちが日常、 何気なく使用している物の、 その中には、 企画する人の葛藤・想い、毎日・朝から夜迄、淡々と作る という作業をする人の生活が詰まっていると言えます。 私は、自分の子供同様の思い入れが詰まった商品を気に 入って使って貰い、また、可愛がってもらいたい一心で、 商品の企画・開発・生産に携わっています。本日、お話さ せて頂いたことが、ある時にふと、「こんな話を聞いたな」 と思い出してもらえることがあれば幸いです。 本日は、お忙しい中、私の話しにお付き合い下さり、本 当にありがとうございました。 -3 - ―江南ローターアクトクラブの卓話を体験して― 8月3日、私はロータリークラブの会合を欠席しました。 実は、毎年行われる県の監査があったからなんですが、そ の監査も無事終わり、心も晴れ晴れとして、メーキャップ の為に、その日の夜にローターアクトの会合へ参加させて いただきました。 すると、中島先生から今日は石川先生の息子さんの智也 君が講師になって、卓話があるんだよというお話でした。 監査も終わった後なのでしょうか、私の心はなぜかその卓 話が聞ける機会に出会えた事がとても嬉しくてたまりませ んでした。それは、お父さんの石川先生が、息子の海外で の活動を心配しながらも、楽しそうにどこへ行って、こん な人に会って、こんな体験をしているらしいという、お話 を聞かせて頂いていたからでもありました。 そして、―Asia Peopl−とい うタイトルで、スライドを使った講演が始まり ました。智也さんは約20ヶ月ぶりに日本へ帰 って来られたという事でした。約1年8ヶ月と いう歳月を、アジアの原住民について調べ、現 地の人の生活や肌に触れ、アジアから見た日本 人の姿について、きっと語るには短すぎるだろ う一青年の体験談が、しっかりと耳に残ってい きました。 冒頭、智也さんは、私の最終目的地は日本で したという言葉がありました。そこには、アジ アを旅し、日本に足を置いたとき、目の前にあ る東京の姿はまるでテーマパークのようで、あ らゆるモノが整備され管理され、欲しい物は2 4時間いつでも手に入るという世界、全てが満 たされ、自分が体験してきた世界とのあまりの ギャップに声も無かったであろう姿が、発する 言葉や語りに見てとれました。日本人はなんて 幸せなんだろう・・と。 しかし、この幸せを、今の日本人が若者がどれだけ感じ とれているのだろう、きっとそう思ったに違いないと私は 思います。偶然にも、私も東京へ行くたびに、街の姿はテ ーマパークの様だと思っていました。特に六本木ヒルズは そのものでした。 彼は、多くの写真を手にして戻ってきました。さすが、 芸術家の息子さんです。どれも素晴らしい写真ばかりです。 いろいろな種族との出会いや体験について細かく語ってみ えました。(近々、個展を出されるとの事) そんな彼の目に見えたのは、何ら曇りの無い裸の子供達 の目の輝きだったようで、透明なガラス玉に例えて話され ていましたが、彼の目もきっとその写真を撮るときは、同 じ目をしていたのだろうと感じとれました。智也さんは話 の中で、その時の気持ちを詩に書いておられ、朗読をされ ています。いつか、その詩も皆さんの目にする所となるで しょうが、きっと智也さんの世界 に引き込まれるのではないかと 感じるほど、純粋なものでした。 時間が経つのも忘れるほど、 写真や彼の語りに夢中になり、 まるで自分もアジアを回って いる雰囲気のなかで、 犬の料理 (これはすごい) やアジアの奥 深い少数民族の生活などに、 タ イムトリップして疑似体験が できた様な気持ちになってき たのを思い出します。 智也さんは最後に、先進国、 日本に近づくことが良いこ とだろうか、便利すぎる この世界が本当の幸せに なっているのだろうか、 必要以上の贅沢が心の許 容量を超え、人の心を狂 わせてしまっているので はないか、目の前の幸せ に気付かず、不幸を感じ るストレス社会に取り込 まれてしまっているので はないかという感想を述 べ、みんなに感じてもら いたい・・「幸せのモノサ シ」という言葉で、終わっ ています。 智也さんの講演が終わって、私は彼にこう言いました。 「幸せを感じるのは、無くてほしいと思う心が、手に入れ た事によって心が満たされた時、本当に幸せと感じるので す。裸の子供に、一枚の洋服をあげたならば、その子供や 親はきっと心に残る大きな幸せを感じると思いますよ。」 すると彼は、「私も、実際に私の服をあげました。親が 心から泣いて喜んでくれましたよ。」と写真と同じような 純粋な目で語ってくれました。 智也さんは、間違いなく「幸せのモノサシ」を、アジア から持って帰ることができたようです。 今の子供達は、何不自由無く育ち、家によっては欲しい 物は何でも手に入る。ライブドアの社長の言葉の様に金で 買えないものは無い、それが今の日本なのでしょうか。 私の子供の体験の中に、 父と空気銃 (昔は持てた様です) を持って、親子で山へ雀を捕りに行った記憶があります。 家は農家で、父も織屋の仕事を始めたばかり、肉を食べる と言えば、お祭りか、行事ごとに家で飼っているニワトリ をつぶして、雑炊にして食べるのがごちそうでした。です ので、今のように肉を口にする事はまったく皆無で、父が 撃った雀を、自分で毛をむしり、内臓を取り除いて開き、 しょうゆを漬けて“くど”で焼いて食べるのが、本当に嬉 しくもあり楽しかった思い出があります。その時、子供の 自分には貧しいという感情はありませんでした。貧しさは 人と人を比較してわかるのであって、その違いを感じた瞬 間に貧しい不幸だと自覚するのだと思います。子供の私に とって社会や環境、周りが同じであったように思えた事で (まだ家にテレビが無かった)、自分が不幸だという気持 ちはどうも生まれてこなかったようです。(澤田) (掲載写真は、石川智也氏の提供です) -4 - 担当:岩田静
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