EF66形機関車について

EF66形機関車について
1
目次
はじめに
3
機関車登場の背景
3
試作車登場
5
暫定的措置として
6
試作車EF90の誕生
機関車の特徴(共通関係)
7
走行関係
8
車体関係
8
運転関係
8
EF66
1~20(第1次量産車)
9
EF66
21~55(第2次量産車)
10
運転台関係
11
補機類
12
EF66 のブルトレ牽引まで
13
国鉄分割民営化と EF66
14
JR 西日本による改造
14
廃車など
15
車両履歴
17
2
はじめに
EF66 形機関車は、国鉄時代に製造された最大の機関車で、その秀逸なスタイルは
約半世紀経た今も古さを感じさせません。
そんな非常に魅力的な、EF66 形電気機関車が保存展示されるにあたり、EF66 形
電気機関車について、
解説をしていきたいと思います。
機関車登場の背景
そもそも、EF66 形機関車がなぜ、製造されたのでしょうか。
それには、当時の鉄道輸送事情に注目する必要があります、戦後の復興とその後の
経済成長により活発化していった人・物の動きは活発化していました。また、昭和3
7年に一部開通した高速道路は、本格的な自動車による高速輸送の到来を告げようと
していました。実際、中距離輸送にあっては昭和39年をピークに貨物輸送は減少傾
向に入ることが予測されていました。
それは、当時の貨物輸送がヤード系輸送と呼ばれる、途中駅での連結・解結を基準
とした輸送方式であったことに加え、駅での荷役が発着駅と到着駅でも行われるため、
時間も経費もかかることが問題とされていました。
さらに、ヤード系輸送の場合ある程度荷物が集約する必要があるため、到着日時が
明確でないという問題もありました。
しかし、昭和34年から運転を始めたコンテナ専用列車は好評で、途中で連結開放
をしない直通輸送列車(以下「ヤードパス」と略す)こともあって、その輸送量は増
加傾向にありました。
そこで、本格的な自動車による貨物輸送に対抗する目的で、さらなる大幅な時間短
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縮を目的とした、特急貨物列車が計画され、昭和40年に汎用の貨物車(ワキ100
0)が試作され、良好な成績を収めたことから、昭和41年10月のダイヤ改正で特
急貨物列車が計画され、運転が開始されました。
この特急貨物列車は、ヤードパス列車としての
特徴を生かし、鮮魚特急として、九州で水揚され
た魚介類を東京築地の市場に届けるべく鮮魚特急
なるものが設定されました。特にこの列車には「と
びうお」・
「ぎんりん」といった名称もつけられて
おり、その意気込みが分かります。ちなみに、東京築地着が「とびうお」
、大阪市場
向けが「ぎんりん」でした。
表1
昭和41年当時の貨物列車の速度
列車
下り
汐留~長崎
現状
高速貨物
短縮時間
44:15
28:45
15:30
33
20
13
25:45
16
9:45
14
13
1
現在
高速貨物
短縮時間
31
26:30
4:30
32
21:30
10:30
22:45
16:45
6
15:15
13:15
2
21:30
12:30
9
汐留~博多港
笹島~香椎
梅田~熊本
列車
上り
長崎~汐留
香椎~汐留
香椎~笹島
香椎~梅田
博多港~大阪市場
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最高1000t の貨物を最高100km/h で走行するための貨車もでき、計画は順調
に進んだかと思われたのですが、肝心の機関車がありませんでした。
そこで、暫定的措置として、すでに製造さ
れていた EF65のうち17両を高速貨物用
機関車として指定し、貨物輸送用の設備を付
加することとしました。
(後述)
さらに、新型機関車の製造方針として、現
行の EF65形機関車が使っているモーターを使用すると8動軸(H 形)機関車に
せざるを得ないことが分かりました。すでに国鉄には EH10形機関車がありました
が、線路有効長(機関車が短いほど貨物をたくさん繋げられるため)保守のことな
どを考慮すると F 形機関車が好ましいことがわかり。新たに電気部品等を開発する
必要にせまられました。
試作車誕生
当初は、8動軸も検討された新型機関車ですが、昭和41年中に大出力モーター設
計の目処がついたことから、
改めて F 形電気機関車として設計する方針が決定され、
直流機関車としては、初めて試作車が作られることになりました。
機関車の形式は、EF90(国鉄当時、試作車は90番
代を当てることが規定されていました。)という形式が与え
られ、落成後はすぐに吹田第二機関区に配置されてさまざ
まな試験に供されることになりました。
この機関車のスタイルがほぼそのまま、EF66形に引き継
がれるのですが、今でも古さを感じさせないスタイルです
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が、44年前に出現した当時は大変斬新に感じたものでした。
元々、EF66は貨物輸送専用の機関車として計画されたので旅客輸送用の設備は
設けられていませんでしたが、JR 西日本に継承された機関車にはそのご、客車制御
用の電気連結器(ジャンパー線)が付加されました。(後述)
なお、計画当時は狭軌で最大出力の機関車と言われまた、この機関車は重量でも最
大級(最大は EF63)でした。
暫定的措置として
機関車としては、完全に新設計となるため、41年の特急貨物には間に合わない
ことから先にも記しましたが、前年から製造を開
始していた EF65形機関車を重連で使用するこ
ととしました。
具体的には、下記の装備を取り付けることにし
ました。
高速貨物用貨車牽引用の設備として
1.
重連総括制御機能
2.
空気管付き密着自動連結器
3.
連結器の自動復心装置
4.
編成増圧装置
5.
電磁自動空気ブレーキへの指令機能
の装備を追加した、EF65-500番台(513 - 526・532 - 534) を製造するといこ
とでした。
これにより、高速貨物輸送の体制は整いましたが、1000t 貨物にはこの重連
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運転は、逆に過剰出力となり、貨物編成長の問題や、変電所ピーク電流の増加(5
000A)に伴う、電圧降下などの問題が指摘され。重連運用は東海道線全線と山陽
本線姫路以東に限定されました。
(それ以外の区間では、EF65単機とし600t牽引)
試作車EF90の誕生
試作車EF90は、昭和41年9月に川崎重工で製作
され、吹田第二機関区(第一は蒸気機関車)に配置され
ました。
機関車の特徴(共通関係)
EF90(66)形の特徴は、あの独特のマスクと言
えるでしょう、もちろんデザイン優先で作ったわけでな
く、高速貨物輸送を行うことから見通しの確保及び衝突時の安全等の機能を追求す
る中で創出されたデザインです、いまだ工業デザインという言葉もあまり聞かれな
かった時期、中央部を突出させた独特の形は、強い印象を内外に与えたことは間違
いありません。
EF66はデザインの他基本性能も優れていたため、JR 貨物発足後の機関車不足
を補うため、EF66-100番代が前頭部のデザ
インを変更の上製造されています。
(EF66 100番代 画像 wikipedia)
EF66形は、国鉄時代の機関車としては、唯一
「鉄道友の会」ブルーリボン賞を受賞しています。
以下簡単に特徴を箇条書きをします。
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走行関係
1.
定格出力は1モーター 660kw 総出力 3960kwは当時世
界最大
2.
機関車として初めて空気ばねを採用
3.
クイル式を改良した、中空軸可撓(カトウ)駆動方式と呼ばれる、方
式を採用
(バネ下重量を軽減すことで軌道への影響を軽減するとともに、高速走
行時の安定性確保するため)
車体関係
1.
110km/h の高速運転を考慮し、運転台を高くすると共に屋根は突
起のない平屋根とし騒音の防止を図った。
2.
パンタグラフは、非常空気溜を使って車内からアップできるようにし
た。
(従来はディスコン棒と呼ばれる、絶縁された棒でパンタグラフを
上げていた。EF90もディスコン棒を使用)
3.
高速貨物用の装備として、ブレーキ率制御装置(機関車単体に効く、)
を設けた。
4.
高速貨物以外を牽引する場合は、連結器横のコックにより、密着連結
器に設けられた、元空気溜管を締め切るようにした。
(これにより、高
速貨車以外の貨車を連結すると最高速度は85km/hに制限され
る。
)
運転関係
1.
自動進段制御を採用しカム軸が小さく、電車並みに。
(EF66の特徴
8
の一つ)
2.
歯数比
20:71=1:3.55
3.
引張力
19590kg(約192.08kN)
4.
最高速度
110km/h
5.
均衡速度
6.
運転整備重量
7.
運転台の表示灯に、初めてピクトグラムが採用され、直感的に操作が
72.2km/h(85%界磁)
100.80t
できるようになった。
EF90
試験日程
EF90落成
9月6日
9月16日~29日
展示会
東京・静岡・稲沢・米原・姫路・岡山・広島
10月26日・29日・11月1日
分岐器通貨試験(鷹取工場内)
11月8日~9日
22.5 ‰ 下り勾配抑速ブレーキ試験
吹田~下関
11月11日~12日
勾配引き出し性能試験
11月15日
最高110km/h 走行 下関~吹田操車場
11月25日~12月1日
定置試験
広島操車場~西条
鷹取工場
EF66 1~20(第1次量産車)
画像 wikipedia
EF90は、昭和41年9月の落成以降、10月から年内いっ
ぱいは種々の試験に供された後、EF65重連と一緒に特
急貨物の運用に充当され、運用試験が続けられた。これ
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らの成果を踏まえて昭和43年7月から第1次量産
車が製造されました、EF90から大きな変更点はなく、
窓の中央部のサッシが少し細くなった他、乗務員室側
窓が2分割だったものが1枚物になったほかは、大きな
外観の変更はありませんでした。
これにより、EF65型重連運転による特急貨物はその
任を解かれ、一般貨物専用としての運用に戻ることとなりました。
EF66
21~55(第2次量産車)
貨物輸送は、車扱い輸送(一般貨物輸送)は横ばいもしくは減少傾向でしたが、
コンテナ輸送は、その定時制と簡便さから需要は右肩上がりで増え続け、昭和48
年10月のダイヤ改正においても増発が計画されtました、ただし、従来の貨車コキ
10000系はコストが高いこともあり、新たに電磁弁を使わずに最高速度も95
km/h に抑えた、廉価な特急貨物列車、国鉄部内では「特急貨物 B と呼称」を設定
することにしました。これは、寝台急行列車と同じ最高速度となることから、平行
ダイヤを組める(寝台急行列車と同じ速度で走れることを意味する。)こととなり、
これに充当すべく第1陣として11両が計画されました。
実際には、EF65でも対応可能だったのですが、特急貨物 A(従来の高速貨物
列車)を牽引できるのはEF66しかないことから、運用の合理化を図る意味から
も調度良かったと言われています。
2次車の特徴は、保守の合理化と機関助手廃止に伴う機器類の整備が大きな変更
点でした。
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外観上の特徴としては、運転台前頭部に庇が設けられたこと、そのスタイルを
大きくかえることとなりました。
なお、この庇は、その後追加工事で EF66901(EF90)を除く全車両が改造され
たようですが、実際には EF6611のように、庇なしの車両も見受けられます。
この庇(ひさし)については、ファンに間でも賛否両論がありますが、これがある
ことでEF66らしさを出しているとも言えます、この庇は飾りではなく、パンタグ
ラフに塗布された潤滑材の油がガラスに付着するのを防止するためのものです。
さて外観からはわかりませんが、運転席を中心に大幅に変更がされました。以下
列挙します。
本稿末尾に、昭和51年当時の改造ならびに改造予定車両の一覧をあげておきま
す。(鉄道ファン51年9月から抜粋)
運転台関係
1. 乗務員の環境改善のため扇風機が設けられました。これにともない、前面飾り
帯の中にあった外気取り入れ口が廃止されました。
2. 運転台の計器類を一人乗務に適するように NFB(ノンヒューズブレーカ)を
中心に出来る限り機関士席に集約しました。
3. 乗務員無線設置
4. EB・TE 装置を設置
5. 乗務員無線導入に伴い、連絡用電話機を撤去
6. マスコン脇にスイッチ(端子)箱を設置しました。
7. ブレーキ増圧回路を客貨同様(編成増圧回路付き)に変更
8. 熱線入り前面ガラスの導入(従来は温風式)しました。
9. ワイパーの強化(高速化でワイパーブレードが浮き上がる現象がおこることが
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判明したため、バネを強化するなどの対策を施すこととしました。
10. 運転台の表示灯を航空機用のユニットタイプに変更しました。
その他
1. 空気ばねの形状変更
異物介在により空気ばねがパンクすることがあったので、保安度の向上を図りこ
とを目的として、前後の台車の空気ばねを3山→1山のダイヤフラム式に変更
2. 難燃化対策
昭和47年の北陸トンネルでの火災事故に鑑み、A-A 基準に準じた難燃化対策を
実施
3. その他
機関車前面の手すり棒の位置変更及び階段の改良
補機類
1. MG の出力向上(5kVA→90kVA)
2. CP の2台搭載化、MG を最大2台同時に運転することで、緊急時の対応を強
化した他、常に交互に動かすことで部品の摩耗を防ぎ長寿命化を図りました。
3. MG、送風機のモーターをエレベーター等に使われる、三相誘導電動機に変更
しました。これによりブラシの保守が不要となり、メンテナンスフリー化と保安
度の向上が図られました。
2次車は、昭和48年8月~9月にかけて11両が、翌49年3月から50年2月
にかけて24両が落成しています。
EF665
EF666
EF667
昭和49年9月
昭和49年11月
昭和49年10月
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EF6613
EF6615
EF6616
EF6617
EF6618
EF6619
EF66901
EF6610
EF6620
昭和50年1月
昭和49年9月
昭和50年9月
昭和50年5月
昭和51年4月予定
昭和51年5月予定
昭和51年6月予定
昭和51年7月予定
昭和51年10月予定
EF66のブルトレ牽引まで
本来は、貨物用として計画された機関車でしたが、鼻筋の通ったそのスタイルから、
鉄道ファンの間でも常に人気は高く、昭和44年に、ブルーリボン賞を受賞していま
す。
当時から、ブルートレインを牽引して欲しいという要望は強くありましたが、国鉄
当局としては EF66という機関車は、あくまでも、1000tの貨物を100km/h 以上で
走行させるための機関車であり、たかだか500t 程度の客車を引っ張らせるのは荷が
軽すぎること、さらにコンテナ輸送は順調に増えており、そのための機関車を確保す
る必要があることから、
「実現は不可能」と言われていました。
しかし、昭和60年10月の改正でブルトレを EF66が牽引することになりました。
昭和59年2月の大幅な貨物輸送の大改正(ヤードを経由する貨物輸送を全廃し、コ
ンテナ中心の輸送に切り替えた)により機関車が大幅に余剰となったことと、旅客輸
送のサービスアップの一環として、特急「はやぶさ」にロビーカーを組み込んだこと
で、編成重量が増加、65形では牽引力が不足して当初の速度を出せなくなった。とい
う、二つの偶然が重なったのです。
この改正で、九州行寝台特急を一手に引き受けてきた東京機関区はその任を解かれ、
九州行寝台特急の牽引は下関に移管となりました。
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国鉄分割民営化と EF66
国鉄が分割民営化は、旅客会社と貨物会社に分離、旅客会社やさらに6社に分割す
ることで地域性を持たせる反面、貨物会社は全国一律の組織として運用されることと
なり、機関車の運用も大幅に変更されることとなりました。
昭和61年(1986年)11月1日付で、将来の旅客会社と貨物会社に分離のための措置
が講じられ、EF66の一部(EF66 17~20・28・30~39・901)が下関から吹田に移
管されるなど動きがありました。
なお、下関に残った EF66形2次型の40~55号機は、引続き下関配置となり JR 西
日本に継承されました、これは、2次車が編成増圧装置付きの機関車であったことも
一因だと思われます。
JR 発足後は、JR 西日本広島支社下関運転所の配置(平成7年10月1日)の組織改
正で、下関鉄道部下関車両管理室)されました。
JR 西日本による改造
JR 西日本では、ブルートレインの魅力を高めるために、平成元年に特急「あさか
ぜ3・2号」
、特急「瀬戸」にロビーカー(スハ25)を連結しました、この車両は、
客車にパンタグラフを設けてサービス電源を確保した車両で、電源車の連結を不要に
したものでした。
この車両は、サロンカートシャワー室を設けた車端に SIV(サイリスタインバータ
による発電機)を設けた車両でした。
架線垂下などの緊急事態の場合、パ電気機関車側から、パンタグラフを降下させる
ためのスイッチがあり、制御用の電気連結器(赤丸部分)が設けられました。しかし、
2005年に「あさかぜ」廃止の際に、スハ25も連結を中止したため、その連結器が使
われることはありませんでした。
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画像は、あさかぜ・瀬戸に連結され
ていたスハ25 300番代、(オハ1
2からの改造)
客車に設けられたパンタグラフは、
EF66 から制御できる構造になって
いました。
画像 wikipedia
ちなみに、JR 西日本の EF66全車及び JR 東日本田端区の一部の EF65(瀬戸牽引)
の車両にこの装置が取り付けられました。余談ですが、寝台特急客車でパンタグラフ
が付いたのは、20系ブルートレイン(カニ22)以来
でした。
ちなみに、JR 貨物に使われる EF66は、電気連結器を
持たない代わりに、元空気溜管(コックの頭が白く塗装)
されたものが増設されています。
元空気溜め管
廃車など
JR 西日本に引き継がれた、EF66は、ブルートレイン牽引という華々しい活躍を続
けることになるのですが、2両は比較的早い時期に廃車となっています。
その一つが、40号機。95年に老朽化により廃車されています。
もう一つは、最終増備の55号機、JR 西日本でも、もっとも状態の良い機関車とし
て重宝されていましたが、92年に山陽線で発生したトレーラーとの衝突事故で車体を
大きく損傷。その後奇跡的に復活を果たしましたが、高速運転時に蛇行動が発生する
などの問題が生じ結局97年に廃車されています。
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また、ブルートレイン廃止の影響で、以下の3両が JR 西日本から JR 貨物に売却・
編入されています。
EF6641号機
1999年3月5日
吹田機関区
EF6644号機
1999年7月9日
吹田機関区
EF6652号機
2000年3月24日
吹田機関区
EF6654号機
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EF66 45・49号機について
車両履歴
EF66 45号機
昭和49年8月
東洋電機・川崎重工業の製造で、落成
昭和62年4月
広島支社下関運転所
下関区に新製配置
平成7年10月1日
下関鉄道部下関車両管理室(組織変更による改称)
平成21年6月1日
下関総合車両所(組織変更による改称)
平成22年9月
廃車後、嵯峨野観光鉄道に搬入され現在に至る。
EF66 49号機
昭和49年9月
東洋電機・川崎重工業の製造で、落成
昭和62年4月
広島支社下関運転所
下関区に新製配置
平成7年10月1日
下関鉄道部下関車両管理室(組織変更による改称)
平成21年6月1日
下関総合車両所(組織変更による改称)
平成22年9月
廃車後、嵯峨野観光鉄道に搬入され現在に至る。
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参考
この記事を書くにあたって、鉄道図書刊行会 電気車の科学
3年・48年の各記事、同
鉄道ピクトリアル
交友社 鉄道ファン51年、を参照しました。
画像は、wikipedia の画像を引用しています。
18
昭和41年・4
2002年1月号ならびに、