パブロ・ピカソ〈静物〉「~知ってる?ピカソ~」プログラム案

パブロ・ピカソ〈静物〉
「~知ってる?ピカソ~」プログラム案
1 プログラムの流れ
①目標 ○ピカソの人物像や作品に関心を持つ
【造形への関心・意欲・態度】
○ピカソの作品に関心を持ち、そのよさを味わう
【鑑賞の能力】
②展開
学 習 活 動
支援(☆) 留意点(※)
1 出会い
準 備
○ドラマールお面
「皆さんこんにちは!」
※ドラマールの肖像のお面
「わたし、キ・レ・イ?」
で登場し、意欲を高める
~子どもたちとのやりとり~
「さて、今日は、こんな絵を描いている人を、
学習していきます。
」
「この絵を描いている人を知っていますか?」 ※いろいろな作家の名前が
~子どもたちとのやりとり~
出てきたら、
その都度どの
ような作家なのかを聞い
2 活動①ピカソ人物
ていく
「では、ピカソはどれでしょう?」
○作家パネル
○ 黒板に作家パネルを貼っていく
・ピカソ
「この人だと思う人。
」
※ピカソだと思う人物に手 ・マチス
を挙げさせる
○ 一つずつ、人物の紹介をする
・ダリ
※マチスだけは、
今後の活動 ・シャガール
に関係してくるので、
しま ・前山さん
わない
○PC ○モニタ
3 活動②ピカソの作品
「では、ピカソの作品を探してくださいね。
」 ※子どもたちとの対話を楽 ○作品パネル 10 枚
「最初のお面の絵から想像してくださいね。
」
しみながら、
ピカソの作品
○黒板に作品パネルを貼っていく
であるかどうかを分けて
「これ、全部がピカソの作品です。
」
いく
「全然描き方が違うよね。
」
「今度はこれを、描いた年代順に並べ替えてみ ☆どのような考え方も、
認め
ましょう。
」
「正解は…。
」
共感する
※ピカソがその時々に受け
た影響によって作風が変
わることを紹介する
「ピカソはその時の気持ちや出来事がすべて ・青の時代
絵になっていたのですね。
」
・アフリカのお面
・キュビズム
・結婚 ・晩年
4 活動③〈静物〉の鑑賞
「この中で、1枚だけちょっと違う絵がありま ☆描かれているモチーフに ○イーゼル
すね。わかるかな?」
「これだけ、人物がかかれていませんね。
」
注目させる
※〈静物〉だけをイーゼルに
おき、
よく見えるように児
童(生徒)の前に置く
「さて、この絵には何が描かれていますか?」 ※児童(生徒)の感じ方を尊
・ポット・ろうそく・鏡・テーブル・カップ
重し、
合っていなくても良
・燭台・オレンジ…など
いこととする
「実際のものとちょっと違うところを探して ☆なぜ?どのような部分か
みましょう。
」
ら、
そう感じたのかを掘り
・ポットのねじれ・カップの形・鏡の中
下げ、作品にせまる
・テーブルの傾き…など
「そうですよね。実際はこんな形です。
」
※多視点画法について、
説明 ○カップ○ポット
を加える
○スプーン○鏡
○燭台○ろうそく
「この絵を見て、どんな気持ちになった?」
「実は、絵が描かれた年に関係があります。
」 ※第二次世界対戦につなげ
「ピカソは『わたしはここに戦争を描いていな
る
いが、この絵の中に戦争はある』と言ってい ※ナチスに軟禁され、
家の中
ます。どんなところに戦争があるでしょう。
」
「実は、この絵は友達のマチスに送った絵なの
です。この絵の中にマチスも描かれているの
にある物しか描けなかっ
たことや、
マチスの妻と娘
の話をする
ですよ。
」
5 まとめ
「今日の授業で感じたことや感想を発表して ※数人に発表してもらう
ください。
」
2 教室配置
○イーゼル・PC・モニタ・教卓・机は必要です
モニタ
黒板
○授業前に、机上に〈静物〉の実物を用意しておき、
布をかぶせておきます。
○児童(生徒)はいすのみで参加します。
イーゼル
教卓
3 資料
① 名前
ピカソの洗礼名は聖人や縁者の名前を並べた長いもので、長い名前の例としてよく引き合いに出される。諸説あるが、講
談社が 1981 年に出版した『ピカソ全集』によると、パブロ、ディエーゴ、ホセ、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・
ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニ
ダードである。フルネームはこの後に、父方と母方の姓ルイス・イ・ピカソ(Ruiz y Picasso)が続く(スペインでは
一般的に父方と母方の姓を順に併記する)
。スペインのマラガでは、このような長い名前が普通だという。
画家として活動を始めたピカソは、はじめパブロ・ルイス・ピカソと名乗り、ある時期から父方の姓のルイスを省き、パ
ブロ・ピカソと名乗るようになった。ちなみにルイスはスペインではありふれた姓だが、ピカソは珍しいものである。
② 作風
ピカソは作風がめまぐるしく変化した画家として有名であり、それぞれの時期が「◯◯の時代」と呼ばれている。以下が
よく知られている。
○青の時代(1901 年-1904 年)
親友カサヘマスの自殺[3]にショックを受け、青色無機顔料のプロシア青をベースとする暗青色を基調として、軽業師、
アルルカン、売春婦、乞食、芸術家などを描いた。
○バラ色の時代(1904 年-1907 年)
フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人などを描いた。
○アフリカ彫刻の時代(1907 年-1908 年)
アフリカ彫刻の影響を強く受けた。この時期にキュビスムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』が生まれた。
○セザンヌ的キュビスムの時代(1908 年後半)
アフリカ彫刻とセザンヌを両親として、キュビスムが胎動しはじめた。
○分析的キュビスムの時代(1909 年-1912 年)
モチーフを徹底的に分解し、絵は極度に抽象的かつ禁欲的なものになった。
○総合的キュビスムの時代(1912 年-1918 年)
ロココ的キュビスムとも呼ばれる。色彩と装飾性が特徴で、コラージュ技法も生まれた。
○新古典主義の時代(1918 年-1925 年)
古典的かつ量感のある母子像を描いた。
○シュルレアリスムの時代(1926 年)
化け物のようなモチーフが描かれた時期で、妻オルガとの不和が反映していると言われる。代表作は『ダンス』『磔刑』
など。
○ゲルニカの時代(1937 年)
フランコのゲルニカ爆撃を非難し、『ゲルニカ』と、そのための習作(『泣く女』など)を描いた。
日本画鑑賞授業「日本画って何だろう」プログラム案
1 プログラムの流れ
①目標 ○掛け軸の鑑賞を通して、日本の文化・伝統について知り、興味・関心を持つ
【造形への関心・意欲・態度】
○日本画の特徴や画材について体験的に理解し、日本美術の良さに触れる。
【鑑賞の能力】
○美術館に関心を持ち、美術文化に親しみを感じられるようにする。
②展開
学 習 活 動
支援(☆) 留意点(※)
準 備
1 「日本らしい物や場所」
※「日本らしいもの」をキー ・和室や床の間が
「皆さんこんにちは!」
ワードにして対話を行う。
「日本らしい物や場所って
和室などが学校にある場合 ・掛け軸をかけるフ
どんなものがある?」
は、そこで行い、
「和室」や
あれば
ック
~子どもたちとのやりとり~
「たたみ」
「床の間」への話 ・ホワイトボード
「これは床の間って言います。
」
題へへと移る
・
「床の間」パネル
「一段高くなっているよ。何ででしょう?」
~子どもたちとのやりとり~
☆生活経験から掛け軸を飾
「昔は神様を祭る場所だったんだよ。
」
るという言葉を対話から
「今では、文字(書道)や絵の描いた掛け軸を
引き出す。
・
「掛け軸」パネル
飾ることが多いですね。
」
2 掛け軸とは?日本画とは?
「では、これ、何のために使うのでしょう?」 ※色々な考えを認め、
受け入 ・矢筈
れる。
「今日は〈春の夜〉という作品を見せたいと思
います。
」
「
『日本画家』って書いてあるけど、
『日本画』
・
「春の夜」パネル
※説明的になるので、
ここは ・掛け軸(箱)
時間をかけない。
って何でしょう?」
「
『岩絵の具』って何?」
「
『膠』って何?」
・
「矢筈」パネル
・
「日本画」パネル
・
「岩絵の具」パネル
※実物の「岩絵の具」と「膠」 ・
「膠」パネル
を回す。
・岩絵の具の実物
・膠の実物
3 「春の夜」鑑賞
「では、いよいよ、掛け軸をみてみましょう。 ※うやうやしく箱を出し、
興 ・
「春の夜」複製画
この箱には何で穴があいていると思います
味をひかせる
か?」
「みんなのために、今日は本物を持ってきた
よ。ジャーン!」
(ウソ)
「これは何のためにあるでしょう?」
※風帯の説明をする
「では…」
(スルスルと上だけを見せる)
元々は掛け軸を外に飾っ
「何が見える?」
ていたので、
鳥よけのため
~子どもたちとのやりとり~
につけられたことを補足
(主に木や花の話題で)
する。今は飾り。
「では、さらに…」
(耳のところで予想)
~子どもたちとのやりとり~
(主にみみずくの話題で)
※背景の色の違いから時間
「では下まで見せるよ。
」
帯やミミズクが何をして
~子どもたちとのやりとり~
いるかという話題にもっ
ていく。
4 まとめ
・授業や〈春の夜〉についての感想をもつ
※話させてもよいし、
書かせ
てもよい。
2 教室配置
○和室や床の間があるとよいが、ない場合は掛け軸
をかけるフックを準備する。
○児童・生徒はイスまたは床に集まり、絵が見える
床の間
ホワイトボード
ようにする。
※適宜、やりやすいようにアレンジしてください。
3 資料
小茂田 青樹(おもだ せいじゅ、1891 年(明治 24 年)10 月 30 日 - 1933 年(昭和 8 年)8 月 28 日)は、大正
から昭和初期の日本画家。詩情の画家。
埼玉県川越町(現川越市)に呉服商・小島徳右衛門の次男として生まれる。
17 歳で上京。当時は川越町と東京市を結ぶ鉄路がなく、寄宿したのが松本楓湖の隣家であった。その縁も
あって楓湖の「安雅堂画塾」に入門。なお、同日に、終生ライバル関係となる速水御舟も入門。画塾では御
舟が午前、青樹が午後だった。1915 年(大正 4 年)の再興院展に「小泉夜雨」が初入選。その後、肺結核と
なり川越の実家で静養する。1918 年(大正 7 年)、第 5 回再興院展で「菜園」が入選。1921 年(大正 10 年)、
第 8 回再興院展に洋画的な手法と細密表現の際立つ「出雲江角港」を出品し、横山大観らに推挙され日本
美術院の同人となる。1929 年(昭和 4 年)、杉立社を組織、また帝国美術学校(現武蔵野美術大学)教授に
就任。1931 年(昭和 6 年)、日本画が本来もつ装飾性に眼を向けた「虫魚画巻」を第 18 回院展で発表。