実践 『守りは本能、攻めは才能』 自分自身の課題として情熱をもって取り組んでいく 事業構造を転換する契機は りいいものができるのではないか」 などと、仲間と話していたのです。 その話が10年も20年もたって現実になるとは思ってもいませんで 写真フィルム中心のビジネスから大きく事業構造を転換され したが、そのような経験もあったために、写真フィルムの技術を応 ましたが、その契機はどのようなものだったのでしょうか。また、 用し、クリームや美容液といった新製品をつくることは、非常にイ その中でもヘルスケア領域に注力している戦略についてもお聞 メージしやすかったですね。 かせください。 また、医薬品事業などは開発から市場に出るまで時間がかかりま すが、化粧品は比較的短時間で上市できます。この点も、化粧品 当社のメインプロダクトだったカラーフィルムは2000年に総需 に狙いを定めた理由の一つでした。 要のピークを迎えましたが、デジタルカメラの普及により、その後 の10年で大幅に落ち込みました。1948年に始まったカラーフィル ム事業は、約50年かけて頂点に達し、わずか10年で衰退したわけ です。成長に比べて衰退のスピードは非常に速く、会社は存続の 危機に陥りました。そこで古森会長主導の下、新規事業の創出が 進められたのです。 挑戦を楽しめる人材 新規事業を進めていくときには、技術的な面だけではなく、 人材面にも難しさがあると思います。 新規事業の創出にあたっては、リソースや自社の強みを冷静に分 析し、機能性材料開発や富山化学工業の子会社化による事業ポー トフォリオの拡充などが戦略的に行われました。 実は、写真フィルムと生体は共通する部分があります。たとえば 戸田 雄三 Yuzo Toda (オランダ)研究所長、欧米市場向け感光材料 の開発およびコラーゲン研究を基に再生医療 分たちがするべきことなのか疑問に感じてしまう点にもあります。 まずは開発に取り組む人たちが 「これは間違いなく自分たちの領域 それは写真フィルムにとってなくてはならない材料です。化粧品と である」と信じなければなりません。世の中でこれだけ競争が行わ 写真フィルムは、技術領域の親和性が高く、我々はヘルスケア領域 れている中で、技術面の優位性を保つだけでも大変なのに、自分 を新規事業の中心の1つに設定しました。もともとレントゲンフィル たちの仕事であると自信をもつことができなければ、負けることは ムを手がけていた当社にとって、ヘルスケア領域はなじみ深い事業 最初から目に見えています。自分の領域だと信じられるようにする 領域であることもありました。 ことは非常に重要です。 私はよく、電子顕微鏡で見た肝臓細胞と写真フィルムの断面の2 人の思いも重要です。戦略と担当する個人の思いがマッチしないと つの写真を示しています。似ていますよね。見た目だけではなく、 うまくいきません。私は実行隊長として先陣を切ってきましたが、 生体も写真フィルムも微小環境の中で非常に多くの成分が精緻にコ 新事業を創出するときに重要なのは、会社が決めた戦略に命を吹 ントロールされて配置されており、それぞれが各機能を果たしてい き込むことだと考えています。会社の課題であると同時に、それを る点も似ています。これを 「似ている」と言い切ることが大切なので いかに自分の課題にできるか、ということですね。自分が本当にや す。ロジックも重要ですが、このように自分たちも納得できるワク りたいと思えるか思えないかは大きな違いです。 ワクするようなストーリーをつくらなければ、最終的にお客様を納 得させられる製品やサービスはつくれないと思っています。その点 は最初から意識していました。 1973年入社、 カラーフィルム製品開発・製品技 術に従事。1993年より、Fuji Photo Film B.V ていただく以前に、携わっている自分たちが本当にできるのか、自 コラーゲンは我々の体を形づくる重要なタンパク質ですが、同時に 新事業を創出するには、組織の経営戦略はもちろんですが、個 富士フイルム株式会社 取締役副社長CTO その通りですね。新規事業を進めていく難しさは、 お客様にわかっ 新規事業の領域として、ヘルスケア事業には早くから焦点を 当てていたのですか。 の研究をスタート。2004年化粧品・サプリメン ト事業、2007年医薬品事業を立ち上げる。富 山化学工業株式会社取締役・専務執行役員、 再生医療イノベーションフォーラム代表理事・ 会長、内閣官房 健康・医療戦略室 参与兼任。 化粧品開発に関しては、実は私は若い頃から考えていました。 社当初、私は製造現場で乳化物をつくる技術を開発しており、界 面化学などの動向などを学会にも参加して勉強していました。その 中で、「もし僕たちが化粧品をつくったらどうだろう。今の化粧品よ 6 約20μm 水の中に油性成分を安定して分散することを乳化といいますが、入 カラー写真フィルム 断面 電子顕微鏡写真 肝細胞 断面 電子顕微鏡写真 7 富士フイルムから化粧品が出たことは、市場に驚きを与えま 新規事業創出の三要素 起業家精神 した。 自分の中の成し遂げたい世界 ● 実は 「富士フイルム」の名前を出すかどうかで意見は分かれまし ● 情熱 ● 夢 使命感 ● 正義感 た。しかし、私自身は富士フイルムが化粧品を出すから面白いのだ と思っていました。新鮮な驚きも、ニュー・プレーヤーが登場する ときの演出として有効だろう、と。 ① どんなに強い化粧品ブランドでも、ユーザーには何かしら不満が やりたい ③ パッション/ ミッション あるはずです。最初は他ブランドのユーザーのうちのごく少数でよ いから、当社の商品に興味をもってくれればよい。富士フイルムの 経営 資 源 名前は、そのときに存在を認めてもらえるきっかけになるはずだと 溜め込んだ埋蔵知 考えたのです。先ほどお話した、写真フィルムの技術を化粧品に応 ブランド力 ● 近代経営力 ● 技術力、サイエンス ● 販売力 ● 用するストーリーを成り立たせるにも社名は必要でした。 新規事業では、どのような人を集めるかでも結果は変わると 合理性 やるべき やれそう ニーズ / 戦略 シ-ズ 常に勝てるか 市場性 ● ユーザーニーズ 差別性(価値の創生) ● 企業戦略 ● ● ② 新事業が成功する中で、人材育成面などに変化はありましたか。 思いますが、その点は意識されましたか。 それはありましたね。人を育てるのは、やはり仕事ですから。 人材育成ということでは、「仕事軸」と 「人間軸」の2つが設定でき 言葉を変えれば、新規事業にはゲーム・チェンジャー、ルール・ 写真フィルムの技術を応用できる分野は、ほかにもたくさんあり 新しいことを大変だと思うタイプ、義務感で取り組むタイプではう ると思います。仕事軸には 「極めてチャレンジングな仕事」から 「あ チェンジャーが必要だということです。人のつくったルールの上に ます。化粧品は一つの入口であり、そこから医薬品や再生医療など まくいきません。自分が楽しいと思わなければ、人を楽しませること、 まりチャレンジングではない仕事」という項目を置き、人間軸には 乗っているだけでは、永久にプレーヤーとしての存在感を示すこと に展開させています。 感動させることはできません。特に新規事業はそういうものだと思 「素晴らしい先輩や良好な人材育成の環境が整っていること」「育 はできません。もちろん、人と違うことをするのは大変です。しかし、 新しいことを楽しいと思えるタイプを集めることは意識しました。 います。 成環境が整っていないこと」を置くとします。もちろん、素晴らしい 大変だから楽しいのです。 我々は写真フィルム技術のプロフェッショナルです。商品には寿 命はあっても、技術には寿命はありません。高度な技術を伝承し、 私は、かつて 「当社で化粧品を」と話し合っていた昔の仲間を、 環境の中でチャレンジングな仕事ができるのに越したことはありま 武器としてもっている我々は、その技術を化粧品や医薬品という新 各部署から集めました。冗談で 「七人の侍」と呼んでいるのですが、 せんが、 「チャレンジングな仕事はできるが、人材育成の環境は整っ 規事業領域で使い、お客様に新しい価値を提供することで、喜んで 志を同じくする仲間たちなので話は早かったです。 ていない」職場と 「仕事はあまりチャレンジングではないが、人材育 もちろん社内には化粧品事業への疑問もありましたが、それは仕 方ありません。新しいことを始めるとき、本当に賛成してくれる人 成の環境は素晴らしい」職場を比べれば、人が育成されるのは圧倒 らが三位一体でまわっていったことでしょう。 その人たちにも面白そうだと思ってもらうには、小さくてもよい ので、いち早く成功事例を見せることが重要です。自分たちの理想 パラダイムシフトを実現できた理由 新規事業を生み出す組織として、大切なことは何だとお考え でしょうか。 には100%到達していなくても、市場に出しても恥ずかしくはない。 そのようなレベルの製品ができたとき、もう少し時間をかけて完成 度を高めるか、世の中に出せる段階であればとりあえず出すか、選 択肢は2つありますが、我々は浮動票を味方にするために、そして マーケットを早く体験するために後者をとりました。 チャレンジングな仕事をつくっていける組織であること。そうで 要なのは 「Stay hungry, stay foolish」 ということです。 8 ませんが、時代が変われば、 さまざまな事業領域でさま ざまな課題が出てきます。 べき」は、市場があるか、その市場で勝てるかというニーズの話で 従来の事業で培ってきた技 すね。ここでは戦略立案が重要になります。しかし、新規事業は簡 術のレガシーは、新しい事 単にはうまくいかないので、粘り強くやり抜くためには、正義感や 業領域で進化させることで 使命感からやってくる 「やりたい」という強い情熱が最も重要である ニュー・レガシーをつくっ と思います。「やりたい」 は起業家精神そのものです。 ていくことができるのです。 そして、いずれその上にま たニュー・レガ シー が 重 そして、新規事業の立ち上げは通常の常識の範囲ではできない とが大切だと思います。スティーブ・ジョブズが言ったように、重 して、その領域を進化させていきたいのです。 「やれそう」 というのは、優れた技術力、シーズがあること。「やる ないと、人は育たないでしょう。 ので、理想主義のリーダーと、その志を愚直に支える仲間がいるこ いただきたいと考えています。さまざまな領域に我々の技術を応用 「技術遺産」と表現すると過去の遺物のように感じられるかもしれ 「やれそう」「やるべき」「やりたい」の3条件が揃っており、それ 人も2、3%で、残りの90数%はどうなるのだろうかと様子見です。 は抵抗勢力と同じだった。 お考えですか。 的に前者なのです。やはり、課題が人を育てるのです。 は2、3%でしょう。しかし、絶対にやめるべきだと心から反対する そのような〝浮動票" の人たちは、突き進む立場の私たちにとって 組織として、何がこのようなパラダイムシフトを可能にしたと これまで培ってきた技術を他領域に応用していくことも、新規 事業を創出する鍵となりますね。 なっていく。技術にはそう いうところがあります。そ のレガシーを若い人に伝 9 え、将来につなげていくことも、我々の役割の一つだと考えています。 新規事業を率いるリーダーとして、ご自身が大切にしてこら れたことは何でしょうか。 やはり、私自身が楽しむことです。リーダーが義務感でやってい ては、周りの人たちからもエネルギーが出てこないでしょう。徹底 これまでの医療機器や医薬品の世界には多くの規制や約束事が 量のある組織と、大勢の人がいてもしらけている組織があるとすれ あり、現在、プレーヤーにダイバーシティがない状態です。それが ば、前者の方が組織としてうまくいっています。戦略やロジックも この世界に弊害も生んでいると思っています。命とかかわる分野な 必要ですが、もう少し素直に、一人ひとりが互いに驚き、感動し合 ので規制が必要な面もありますが、サイエンスやテクノロジーの進 う世界があってもよいでしょう。 歩に比べて、ビジネスモデルには旧態依然としたところがあるのは すから。 一人ひとりの感動力が、自分がやりたいという強い情熱を湧 小串さんは、 最近の若い人たちの熱量についてどう感じていますか。 き起こすということですね。新規事業のために外部から人を集 事実です。そこにニュー・プレーヤーが入れば、そのような世界を めるとき、社名を気にする人ではなく、感動力があり本当にそ 変えるきっかけになるのではないか。そういった正義感もあり、医 の事業をやりたい人を見極めることが重要ですね。 薬品や再生医療などにチャレンジしています。 低いように感じますね。失敗したくないために、なかなか行 的に考え抜き、自分たちを追い詰めると、自分たちにしかできない 富士フイルムには 「人々の幸せのために、未踏の分野に果敢に挑 動に移せない人が増えていると感じています。ただ、舞台とし 社名はあくまできっかけなのです。私自身、これまで会社の名の 世界が目標として見えてきます。そうなると、人と違うことをしてい む」 というDNAがあります。コラーゲンに関する知見やエンジニアリ ての組織やマネジメント、会社のしくみがそうさせている面もあ もとでやってきました。しかし、私が再生医療にチャレンジしたくて く大変さも楽しめるのではないかと思います。「まあいいか、これで ング技術を活用し、再生医療に欠かせない細胞培養のための 「足場」 るでしょう。 も、自分一人で全てをできるわけではありません。会社があるから やってみようか」程度のことではだめなのです。 を自社で開発しています。このような高い技術レベルと、幅広いポー 実は私は、子どもの頃から人と同じことをしていては満足できな い、常にユニークネスを求めていくタイプでした。数学にしても、 トフォリオをもつ富士フイルム流の取り組みで、世界の課題の解決 に尽くしていきたいと考えています。 チャレンジできるわけで、自分が属する組織の可能性や実力を、最 私もよく 「失敗することが怖くないですか?」と聞かれます。しか 大限利用させていただき、それによって組織がより輝くようになれ し、私は失敗はしたことがありません。思惑通りにいかないことは ば、Win-Winの関係になれますね。社名をきっかけに、そこに自 正解として載っている解き方ではつまらないので違う解き方を探し、 私は、再生医療は革命だと思っています。これまでの医療は病巣 何度もありますが、私はそれは失敗だと思っていないのです。ある 分の色を付け、自分の個性を載せていく。そうやって事業を自分自 そこに集中しすぎて他の問題を解く時間がなくなるようなこともあり や病原菌といった〝悪玉" を叩くことを前提としています。しかし、 ことを実現したいという思いがあり、今はある地点にいるとします。 身の課題にできれば、応用力も粘りも出てきますし、やりがいも出 ました。 もとの環境を変えなければ、いくら叩いても、〝悪玉" は再び同じよ そこから一歩でも目的に近づいたら、失敗ではありません。 て楽しくなってきます。その結果うまくいったら、自分で自分をほめ 組織に入ると持ち前のユニークネスが失われる人も多いと思 うに出てきてしまうでしょう。それに対して再生医療は、細胞自体 若手が挑戦しようとすることに対し、「そんなことはやっても無駄 が身体の異変を検知し、細胞自体で根本から治すという、従来の医 だ、過去に失敗してできないことがわかっている」と、自分自身の 療のあり方を根底から覆すものなのです。 経験から否定する上司がいますが、それはしてはいけないことです。 いますが、なぜ、これまで独自性を保ってこられたのでしょうか。 自分が属している組織自体が、ユニークネスを求めていたからだ と思います。写真フィルム事業ではイーストマン・コダックという巨 そもそもの環境が大切であるということは、先ほどの人材育 成のお話とも共通するように思います。 ればよい。私はそう思っています。 自分の経験はできない言い訳に使うのではなく、何かを実現するた 情熱と感動力をもって挑戦し、自分の課題として粘り強く取り めに使うべきです。そのように組織が一人ひとりのもつ感性や感動 組んでいくこと。新規事業は、戦略に加えて、思いをもつ 「人」 力を消してしまうとしたら、非常にもったいないことですね。挑戦 がいてこそ生み出されるということですね。本日は貴重なお話を、 する心、やりたいという情熱は、感動力があることで出てくるので どうも有難うございました。 人が立ちはだかっており、自分たちはユニークなよい製品を一つ一 つつくっていくことで、いつかその巨人を倒したいと思っていました。 当時は、皆がそのような思いをもっていたと思います。 何事も同じだと思います。課題が人を育てるという観点でいうと、 課題は一つの舞台であり、経営者や先輩が舞台を設定したら、若 それから、上司に指示を出されたら、それ以上のことをやってみ い人はその舞台で思いっきりやればよい。多少時間はかかるかもし せようという気持ちで課題に取り組んできたことでしょうか。部下に れませんが、その舞台で人は育っていくのです。そして、時代が移 課題を与えるとき、上司は部下の能力をみて指示するものです。 れば、今度はその人が次の世代のために舞台を設定する。人材育 私は 「自分は上司にこの程度にしか見られていないのか」と感じるこ 成はそのような循環の中でなされていくと思います。仕事がないと とが多く、それならと奮起し、5の指示であれば20やってみせよう ころでは人は育つことはできませんから、舞台で大きな成果を達成 と取り組みました。やはり、自分で納得できる人生を送りたいです し、結果として自分も育ち、相手も育つというのが理想ですね。 からね。「守りは本能、攻めは才能」これがモットーです。 現在は再生医療の拡大にチャレンジしているとお聞きしてい ます。これからの挑戦の方向性をお聞かせください。 株式会社富士ゼロックス総合教育研究所 代表取締役社長 小串 記代 国内大企業での新規事業の成功は必ずしも容易ではない。富士フイルムでは、綿密な技術の棚 卸のもと、 自社の強みを徹底検証し、 「やれそう」 「やるべき」 「やりたい」が三位一体で推進され たことが実現の基盤にある。 「戦略に命を吹き込む」 ことを牽引してこられた戸田副社長のリー ダーとしての強い意志、 メンバーの中にある必然性ややりたいという想いの火に風を送り続けた 舞台づくりがうまくいっている企業には、どのような特徴があ 再生医療へのチャレンジ インタビューを終えて るとお考えでしょうか。 組織はいろいろな人が集まってある目標に向かっていくものです が、最近、うまくいっている組織とそうでない組織の違いは、「感 組織のあり方等、新規事業創出の要諦をお聞きすることができた。艱難辛苦の道程はポジティブ なリーダーの姿があったからこそ、一人ひとりの共感と感動が連鎖して乗り越える力になったの ではないかと感じる。 「商品には寿命があっても、技術には寿命がない」 モノづくりのDNAと未踏の領域に挑み続ける 熱い挑戦心が、ヘルスケアにおける世界の社会課題解決に貢献する明るい未来を感じたインタ ビューであった。 動力」にあると感じています。個々の社員の感動力の総量が高い熱 10 11
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