癒しのユーモア いのちの輝きを支えるケア

癒しのユーモア
いのちの輝きを支えるケア
淀川キリスト教病院理事長
柏木 哲夫 氏
ご紹介に預かりました柏木でございます。非常に大切な会に呼んで頂き嬉しく思ってお
ります。理事長の中根先生とは長いお付き合いで、同じ精神科医ということで親しみを感
じてまいりました。
いろんな所で講演をさせて頂く機会があるんですが、一生懸命話をしても、聴いて下さ
る方々の心の扉が開かないと内容が心に届かないんですね。心の扉を開く一番いい方法は
笑うということだと思います。まず始めに皆さんに笑って頂く話をします。これは皆さん
に笑って頂くために私が特別に準備した話ですので、笑って頂かないと私の立場が無くな
ります。是非、笑って下さい。笑う箇所は二か所有ります。逃さないでください。
73 歳になるおばあさんと一人息子さん、そのお嫁さん、非常に仲の良い3人家族です。
ある日、おばあさんが「水泳を習いたい」と言われ、お嫁さんはびっくりして「おかあさ
ん、このお歳になって水泳ってどういうことですか?」と訊くと「やっぱり三途の川渡る
時に泳げる方がいい」と言われた。これが第一の笑いなんですが、進めます。それで市民
会館にある 25 メートルの温水プールで水泳を始められた。非常に熱心に通われるので、ど
んな様子かとお嫁さんが見に行くと指導員がかなりイケメンの男性。おかあさん、この人
が目当てではないかな、と思ったんです。沢山のお年寄りが習っておられる。この指導員
にお礼を言っておこうと思って「母がお世話になっております」と言うと「おかあさんす
ごいですよ、本当に上達が早いです」と誉められた。「三途の川渡る時に泳げる方がいいな
んて変なこと言いまして」と言うと「いや動機はともかく、本当にすごいです。もうすぐ
25 メートル泳げるようになりますよ」と言われる。お嫁さんはすぐに「先生、25 メートル
泳げるのはとても嬉しいんですけど、一つだけお願いがあります。ターンだけは決して教
えないで下さい。」 なかなかよくできた話だと思いますが、心の扉が開いたでしょうか。
【資料 no.1/癒しのユーモア】
今日は「癒しのユーモア」ということでお話をさせて頂きます。皆さんのお手元に、今
から見せるスライドと全く同じ資料があります。決してそれを見ないで下さい。ユーモア、
笑いにはタイミングが必要なんです。話に乗って頂くために前のスライドに注目して下さ
い。
本題に入る前に、何故私がユーモアというものに関心を持ち始めたかを少し話したいと
思います。精神科医時代の留学がきっかけでホスピスとかターミナルケアに関心をもつよ
うになり、精神科の医者をしながら内科の勉強をして、ホスピスを日本で初めてスタート
させました。今までに 2500 名くらいのがん末期の患者さんを診てきました。やはりとても
重いんです。丁度 1000 名くらい看取った時に、燃え尽きると言うほどではないんですが、
非常に心が重くなったんです。これは何とかしないとこの仕事をずっと続けて行くのが難
しいぞ、と思い始め心を軽くする方法はないかと考えてみました。ある日、新聞の川柳欄
を見ているとプッと笑えるような川柳が載っていたんです。笑った途端に、胸のつかえが
下りたというか、重くのしかかっていたものが少しだけ軽くなったという体験をしました。
川柳とかユーモアとか笑いというのは、心の負担、重さを取る働きがあるのだなあと気づ
きました。いろんな文献を読んでみますと「ホスピスとユーモア」「医療とユーモア」とい
うことを研究している人がいて、ユーモアや笑いというものはかなり学問的に研究されて
いることを知りました。それから、日本の文献、英語の文献、いろんな文献を読んでいる
と、なかなか奥が深いと思い始めたんです。
笑いやユーモアというと薄っぺらいと思われる場合もあるかもしれませんが、決してそ
うではないんです。語源を辿ると、ユーモア“Humor”はラテン語の「フモーレス」という
言葉から来ている。フモーレス“Humores”から“es” を取ればユーモアになります。フ
モーレスというのは「体液」という意味です。血液とかリンパ液とか、胃液・腸液・涙・
唾液、とにかく人間の体に液体は沢山あって、それは命を養うためにどうしても必要なん
です。出血多量になって命が無くなることがあります。そういう血液に代表される「体液」
という言葉がフモーレスですが、その「フモーレス」という言葉から「ユーモア」という
言葉が生まれたということは、体液がなければ人間として生きて行けないのと同じように、
ユーモアという心、笑いというものがなければ、私達は人間らしい生活ができないという
ふうにもいえるんじゃないかと思います。朝起きてからここに来られるまでに、一回も笑
わなかった人はきっとないですよ。それ程笑いというのは、人間として生きていく上で大
切なものなんですね。その笑いの源泉にユーモアというものがある、ということをまず知
っておいて頂きたいと思います。
【資料 no.3/とても気になる若者言葉】
人間はどういうところで笑えるのかなあ、ということを少し一緒に考えて行きたいと思
います。
私は若者言葉が非常に気になるようになりました。年齢と共に、若い人達が使っている
言葉にどうも違和感を感じる。私は枝豆が非常に好きで、ある時、アルバイト学生らしい
若い女性に枝豆を注文しました。とっても感じのいい子で「お待ちどうさまでした」と枝
豆を持って来てくれた。その言い方はすごく良かった。その次の言葉はだめなんですね。
「枝
豆になります。
」 私はすぐに「じゃあ前は何だったの?」と言いたくなりました。皆さん
今笑われましたよね。面白いでしょ。どこが面白いのかなあと考えながら、次へ進みます。
【資料 no.4/ナースの重ね言葉】
重ね言葉というのも面白いんですね。毎朝、ホスピスで申し送りをします。前の日に患
者さんがどんな状態であったかということをナースが発表するんですが、その発表のなか
によく重ね言葉が出てくる。それが気になる。例えば「頭痛が痛い」と言うんです。
「いや
頭痛が痛いって、おかしいでしょう」とすぐに止めてしまう。止めないと気持ちが悪くて
仕事に支障をきたします。そしたらある日のこと、師長さんが「先生、申し送りの途中で
『おかしいでしょう』って言うあれ、ちょっと邪魔になる」と言われた。言いたくてしか
たないのに黙るというのは非常なストレスになります。それで思い余って師長に交渉しま
した。
「一年間ためて編集して、12 月の最後の日でいいから、こういうことがあったがやっ
ぱりこれはおかしいのではないかということを発表させてくれ」と。
「先生がそこまで言う
んだったら許可しましょう」ということになりました。各々別のナースが発言したことを
私なりに編集をしています。
「Aさんは昼間頭痛が痛くて困りましたが、夜は睡眠剤が効い
て良く良眠されました。朝の朝食を食べてから、しばらく黙って沈黙されていましたが、
意を決したように外へ外出されました。
」これ全部、本当に言ったんです。ナースが重ね言
葉を使うのは許せるんですけど、NHKのアナウンサーが言うのは許せない。2年程前に
和歌山県の熊野川が氾濫して、7時のニュースで「熊野川の水の水位がどんどん増して」
と言っている。NHKに電話しようかと思いました。この前のリオデジャネイロオリンピ
ック、水泳で随分日本人が頑張りましたね。9時のニュースでアナウンサーが「これから
いよいよ水泳が始ります。日本からかなりの方が応援に来ておられます。小さな小旗を振
りながら応援しておられます」と言っている。
「小さな小旗」って何? 本当に電話したか
った、まあやめましたけど。こういう風に、重ね言葉というのは人々の心を騒がせる力を
持っている。今、私が皆さんに言った時に、皆さん笑って下さった。そこにおかしみがあ
るから笑ったんですね。
【資料 no.5,6,7,8/肥満 他】
川柳に、肥満ネタ、というのがあります。<わたしって深みないけど幅がある><部分
やせしたい部分が大部分><やせてやるこれ食べてからやせてやる>。なかなか面白いで
すね。
孫ネタというのは笑えます。すごいのがあります。<入れ歯見て目もはずしてとせがむ
孫> これ聞いて笑わない人は病気だと思います。<来てうれし帰ってうれし孫五人>
次の作品は私の作品で新聞に載ったんですけど<オシッコとさも偉そうに告げる孫> 今
幼稚園の年長組になりましたけど、預かった時に本当に偉そうに言うんです。何を自慢す
るかと。それを五七五にまとめると、こういう面白さが出てくるんですね。
医者川柳というのがありまして、面白いと思うのでちょっと紹介します。<脳外科に頭
が切れない医者もいる> 友人に脳外科医がいて、非常に手術が上手い。脳腫瘍になった
ら絶対彼に手術してもらおうと思うんですが、日常の会話で本当に鈍なんですね。全然頭
が切れてない。<精神科自分もおかしい医者がいる><「眼科医に目先がみえない人もい
る><耳鼻科医に鼻がきかない人もいる><腹部外科腹を割らない医者もいる> このう
ちどれかは絶対新聞に載ると思って投稿したんですけど、全部ボツ。選者とちょっと意見
が違った。残念です。
私の川柳、実は新聞に 53 回載ったんです。始めは「茨木/柏木哲夫」で投句していたん
ですけど、大学の学長になった時に家内が「ちょっと恥ずかしい」と言い出しました。人
が見たら「あの人、こんなつまらない川柳作ってるの」って思われるから実名で出すの止
めてほしいって言うんです。じゃあこれからは、人々の心をほのぼのとさせるような句を
作るということで「茨木/ほのぼの」でいこう。私の川柳名「ほのぼの」なんです。残念
ながら仕事が忙しくなって投句数が少なくなって、最後に載ったのはなんと2年前。この 2
年間ぜんぜん載らない。毎日新聞なんですが、当選率1%、100 句出して1句しか載らない。
これは古き良き時代に載った一句、ほのぼのというよりちょっとだけパンチが効いている。
<腹割って話してわかった腹黒さ> ブラックまではいかないが、やや私にしては思い切
った句です。<聞こえないはずだがばあちゃんすぐ笑う>
【資料 no.9,10/いかがですか?】
ユーモアにはたくさんの効能がある。ユーモアを上手く使うと人々を慰めることができ
る。いたわることができる。私はこれを「慰めのユーモア」とか「いたわりのユーモア」
と言っています。2,500 名の看取りを通してたくさんの患者さんから、私はたくさんのいた
わりを受けています。ああ、いたわられた、と思うんです。患者さんはユーモアの心を持
っておられるし、みんな笑いたいと思っておられる。笑いとユーモアというのは、人間が
生まれた時から遺伝子に組み込まれているのではないかと思えるほど、人間固有のものだ
と思うんです。ユーモアで人をいたわるということは、とても大切なことだと思います。
患者さんにいたわって頂いた一つの例です。乳がんが肺に転移し、衰弱が進んでほとん
ど寝たきり状態の方がおられます。ある日の回診の時「いかがですか?」との私の問い掛
けに、その方がややいたずらっぽい目つきをして答えられました。「おかげさまで順調に弱
っています」
。私、ちょっと笑ったあとで、ああ、私はこの患者さんにいたわって頂いたと
思ったんです。いたわりのユーモア。医者というのは一生懸命治療して、患者さんがどん
どん良くなって感謝されることに生きがいを感じるんです。外科医は、執刀して患者さん
が手術でよくなって退院するときに「先生、本当にありがとうございました」というその
感謝の気持ち、治った、治してあげた、治って頂いたということで生きがいを感じるのが
普通なんです。それを患者さんはご存じなんです。
「先生、お蔭様でだんだん良くなってき
てもうすぐ退院です、と私は言いたいんですけれどもそれを言えない。本当に先生申し訳
ない。でもこれも先生のお仕事ですからね」そんな気持ちで「おかげさまで順調に弱って
います」と言ってくださったと思うんです。私はありがたかったです。
数年前にカナダのモントリオールの国際学会で、
「ホスピスケアとユーモア」というふう
な題でシンポジウムがあり、イギリスの女医さんが「患者さんにいたわられる、患者さん
に慰められる」という題で素晴らしい話をされた。87 歳のすい臓がん末期の方がだんだん
弱って「いかがですか?」と尋ねたときに、
「いやあ先生、だんだん弱ってきてあと2~3
日で向こうへ逝く感じがします」と言われた。すぐにこの女医さんが「
『向こう』と言われ
ましたけど天国のことなんですね」と言うと「天国でも地獄でもどちらでもいいんです。
きっとどちらにも友達たくさんいると思います」
。それで思わず笑った。その時に女医さん
は、この患者さんにいたわられたと思った。
「人を看取るというのは辛いことだろうな」
「こ
の先生に何か自分にできることはないだろうかな」
「笑ってもらえたら恩返しができるかな」
そんな気持ちでこの言葉を言われたんだろう。私、死ぬ前にこれだけのことが言える、そ
んな人生を歩みたいなあと思いました。これからいろいろな末期がんの患者さんのユーモ
アのセンスについてお話をしますけれど、私もいつどんな形で死を迎えるかわかりません
が、段々弱ってきたときに笑いとユーモアだけは忘れたくない。今偉そうなことを言って
いますけれど、そんなことできるかどうかわかりません。でもそういう気持で生きていき
たい。
【資料 no.11,12/何が好きですか?】
肝臓がんが進んで、食欲が落ちてきたNさんという 72 歳の女性。回診の時に「先生、こ
の頃食欲がなくて・・・。食べるものの好みも変わってきました。この頃ではあっさりしたも
のしか食べられません」と訴えられた。そこで私は「昔は何が好きだったのですか?」と
尋ねました。その答え「お金」
。もう、ぷっと笑いました。世界ユーモア学会で特別講演を
した人が「笑いはズレである」という定義をしたんです。ズレないと面白くないんですね。
この人はちょっとズレすぎていますけどね。私もナースも家族も皆そこで大笑い。ただ、
ちょっと私は不自然さを感じた。ズレすぎている。それで回診が終わってから患者さんの
ところへ行って「さっき『昔、何がお好きだったんですか?』と聞いたら『お金』って言
われましたよね。私は、うな丼とかステーキとか出てくると思ったんですけど。あれ、ち
ょっと気になったんですけど」と言ったら「いやあ、さすが先生ですね」と言われた。「だ
んだん弱ってきて、私はそうでもないけど、家族が沈んでなんか鬱々としている。担当の
看護師さんも来てくれる人も気の毒そうな顔をして見る。私、それって嫌なんです。なん
とかみんなでとにかく笑いたかった。ちょうど先生が『昔は何が好きだったんですか?』
と訊かれたときにふと思いついて『お金』と言ったら、みんなが笑ってくれた。嬉しかっ
たです。」みんなで笑いたかったという。笑いたいという気持ちはみんな本能的に持ってい
るんです。私は“笑い”は遺伝子の中に組み込まれているのではないかとさえ思うんです。
新生児微笑という言葉があります。生まれたての赤ちゃんが、3日4日~一週間ぐらい
で必ず笑いますね。ただ筋肉のひきつれだという人がいる。詳しい話はしませんが、新生
児微笑という特別なものでやがて社会的微笑に変わっていくという研究をいろんな人がし
ています。赤ちゃんが「いない、いない、ばあ~」で必ず笑いますね。抱っこしたり、な
にか嬉しいことがあったら微笑みますね。あの笑いというのは遺伝子に組み込まれている、
人間というのは笑うようにできていると私は思うんです。
但し、笑いを覆うものがきたときには笑えなくなる。典型的なものは痛み。一日中コン
スタントにかなりの痛みがあるときは決して笑えない。がんの末期の患者さんが毎日毎日
かなりの痛みがあるときには決して笑顔は出ない。でも適切な鎮痛剤を投与して痛みが取
れてきたときには必ず笑える。痛みは笑いを覆う一番強力な原因です。もう一つは精神的
なうつ状態。うつ病とかうつ状態の人は決して笑えない。でもさまざまな治療によってう
つが消えてきたときに必ず笑いは戻ります。人間、笑いたいんです。笑えるんです。でも
笑いを覆うものがあるから笑えない。覆いが取れたら必ず人間は笑えるはずだと私は思う。
【資料 no.13,14/入浴】
末期の胃がんのおじいさんで少し認知症の傾向があるKさん。風呂嫌いでかなり体が匂
うのに、看護師がいくら勧めても風呂に入ろうとしない。ある日、看護師がいつものよう
に「Kさんお風呂に入りましょうよ」と勧めるけれど首を横に振るだけ。看護師はもう一
押しと思って「入りましょうよ。私も一緒に入るから」と言った。Kさんは少し目をむい
て「そんな不埒な!!」 介助のために一緒に入ろうと言っただけなんですけど、この人、
やや軽い認知症があって、軽い認知症の人というのは笑わせてくれますね。
【資料 no.15,16/川柳】
川柳の素養がある直腸がんのHさん。回診の時に川柳のやり取りをするようにしている。
私が勝手に「ホスピスにおけるユーモア療法」と言っています。週に3回の回診の度に私
の作った川柳を提供する。そして、患者さんから一句頂く。私は患者さんのために一生懸
命川柳を考える。患者さんは先生に気に入ってもらえる川柳を一生懸命考える。両方とも
頑張るんです。うまくいくと非常に効果がある。
「先生今日はどんな句ですか?」と言うの
で、ある患者さんから聞いた話を川柳にした。<見舞客身の上話して帰り> 患者さんは
見舞い客が来てくれてうれしい時と負担になる時がある。私も回復可能な病気で2度ほど
入院したことがありますが、一番辛い時に見舞いにきてくれたら早く帰ってほしい。今は
一人でじっとさせてほしい。見舞客が来てくれない方がいい時期が必ずある。安定してわ
りに暇になってくると、誰も見舞いに来ないって何?って思うんです。病人は決定的に自
己中心的ですからね。見舞いに来て身の上話をして帰った見舞客なんて最低ですよね。も
う一つ<見舞客化粧直してすぐ帰り> 私の句に対して彼のつくった句が<寝て見れば看
護師さんは皆美人> 横にいたナースが「じゃ、座ったらだめなの?」と聞いてきたんで
す。「え?そういう意味ではないんです。」これで場が和むんです。笑いというのは医療者
と患者さんとの距離をすごく縮めますね。
入院された方は経験があると思いますが、入院すると患者さんというのは決定的に弱者
です。上下関係が非常にはっきりします。私、肺炎で入院した時に患者というのはこんな
気持ちになるんだなあと思いました。咳が出て痰が出て、食欲がなくて体がものすごくだ
るくて、救急車で救急病院に行ったら、左の肺が真っ白になっているのですぐ入院したん
です。その日の受け持ちのナースがすごく若くてピチピチした人で、私に親近感を持って
くださったのか、ものすごく接近して座るんです。彼女の若さ加減、ピチピチさ加減に圧
倒されるけれど「もうちょっと離れて」と言えないんです。私は日頃は思ったことをすぐ
言う方ですが「もうちょっと向こうへ」と言えないんです。言えない自分がものすごく不
思議なんですが、弱者の特徴というんでしょうか。かなり我慢して病歴とかを話したんで
すが、早く終わってほしくて、やっと終わったときには、はあ疲れた、という感じでした。
抗生物質投与が始まって 3 日ほどで熱が下がり、随分楽になりました。今日はこのくらい
のところに座ってくれたらいいなと思って、椅子を適当な距離に置いていたら、少しお歳
を召したナースがその椅子を引いてかなり遠くへ座ったんです。彼女と私の間にすきま風
が吹いてもうだめなんですが「もう少しこちらへ」と言えない。へえ、と思いました。こ
の体験はやはり川柳に読むべきだと思い<患者にはその日その日の距離がある>という句
を作って投稿したんですけどボツでした。自分では気に入っていたんですけど、選者には
高級すぎてわからなかったかなあ。
言いたいことは、患者というのは、入院すると決定的に上下関係ができて距離にまで敏
感になるということです。患者さんは、すごく弱者意識が強いけれど、一緒に笑うことが
できたりするといっぺんに上下関係がかわされるというメカニズムがあるんですね。
【資料 no.17,18/あの世】
肺がんで衰弱が進み残りの時間が短くなったEさんがある日の回診のとき「先生、あと
数日の感じです。私、先に行ってますから、先生も来てくださいね」と言われた。よく言
うよ、と思ったんですけど、そういう風に言える仲になったかと思って嬉しかったですね。
【資料 no.19,20/入浴】
無類の風呂好きの女性Mさん、回診に行くと風呂上がりらしく赤い顔をしておられた。
「いかがですか?」と尋ねると「ちょっと海外旅行に行ってきました」と言われまして「ど
ちらへ?」
「ニューヨーク(入浴)
」
「時差ぼけしてませんか?」「ちょっと頭がふらふらし
ますけど、2-3 日で治まるでしょう」と答える。面白いでしょう。
時々、医学生が私の回診についてきます。やや固い、ちょっとまじめすぎる感じで気に
なっていた医学生が、回診が終わってから「先生、さっきの患者さんとの会話で皆さん笑
われたんですけど、どこが面白かったんですか?」と訊く。
「いや、入浴とニューヨークが
重なっているでしょう」
「ニューヨーク、入浴、あぁ」この人大丈夫かなと思ったんですけ
ど、今、病院長しているのでまあ大丈夫だと思いますが。
【資料 no.21,22/居場所】
今までの自分の臨床の中で、この事例ほど強烈な印象と教訓を深く与えてくれたことは
ないんです。乳がんが肺と脳に転移し次第に記銘力障害が出てたFさんに回診のときに「い
かがですか?」と尋ねたら、その問いには答えずに「まあまあ、こんな狭い、むさ苦しい
所へよくおいでくださいました」と言うんですね。私がつくった施設なんですけど、そう
言われると何か複雑な気持ちになりました。回診の後で受け持ちのナースに「Fさん、少
し認知症でボケ症状が出てきたね」と気軽に言ったら「そんなことはありません」と少し
むきになった感じの答えが返ってきたんです。よせばいいのに「いや、場所もわかりにく
くなって、病院か家かごっちゃになってるよ」と言ってしまいました。
「そんなことありま
せん。私、ちゃんと調べてきます」と彼女はFさんのベッドサイドへ行って、手を取って
少し振りながら「Fさん、ここどこかわかる?ここどこかわかる?」と尋ねたんです。F
さんの答えは「手首の付け根でしょう。
」 ここからが大事です。彼女は私の所へ来て、じ
っと私の顔を見ました。目がうるうるっとしているんです。私は、あぁしまった、と思い
ました。彼女のことば「先生、Fさん、場所ちゃんとわかってましたよ。
」 彼女は、Fさ
んがちょっと認知症的になってボケ症状が出てきて、場所もわかりにくくなってきている
と自覚していたんです。自分の受け持ちの患者さんがそういう状態になってほしくないと
いう気持ちはみんな持っているんです。いつまでもしっかりしていてほしい。にも拘わら
ず、ちょっと認知機能の減退があることをわざわざ私が「場所もわからなくなってきたね」
と言ったので反発したわけです。
「先生、そんなことありません」と言って、手首の付け根
を持って「ここどこかわかる?」と聞いたら、正しい場所を答えたというのです。私の所
へ来て「ちゃんと場所わかってましたよ」と言われたんで、私もこりゃ謝る以外に道はな
い。
「ああ、ごめん。確かにFさん、場所わかってる。ごめん、ごめん。」いつもより角度
をかなり深くして、曲げている時間を長くして、真摯に謝りました。真摯に謝ると本当に
この人謝っていると通じるんです。長く頭を下げ、顔を上げて彼女の顔と面した時に許し
の表情がちょっと見えて、彼女は何も言わずにまた次の仕事場に廊下を歩いて行った。明
らかに彼女の背中に許しが見えた。これは私の勘ですけど。
【資料 no.23/ユーモアの語源】
先ほど言いましたように、ラテン語のフモーレス(Humores)というのは体液で、生きて
いくために必要なものです。体液の一番典型は血液ですね。血液がなかったら私たちは生
きていけない。それと同じほどユーモアというのは大切なんだということです。ユーモア
という言葉はフモーレスという言葉からきていて、体液という意味である。それは、人間
の人間らしさを保たせる非常に重要な役割をしている。それをぜひ頭に入れておいていた
だきたいと思います。
【資料 no.24/ドイツのユーモアの定義】
上智大学名誉教授のアルフォンス・デーゲンという先生に教えていただいたのですが、
ドイツにはユーモアについて「にもかかわらず笑うこと」「愛と思いやりの現実的な表現」
という2つの定義があるということです。かっこよすぎる感じがしますけれど、
「愛と思い
やりの現実的な表現」それがユーモアなんだというこの定義は非常に気に入っています。
「にもかかわらず笑う」というのはとても難しいです。一番典型的なのは、死が近いにも
かかわらず笑う。2500 名の看取りの中で、もちろんそんなに多くはないですけれど、にも
かかわらずちゃんと笑えた人がかなりおられます。痛みのコントロールがきっちりできて
いることが大前提です。痛みが続いていると決して笑えません。
「愛と思いやりの現実的な表現である」というこれもすごく大切な定義だと思います。
自慢話になって恐縮なんですが、振り返ったらそれが「愛と思いやりの現実的な表現」だ
ったんだなという話をちょっとだけさせていただきます。大学で教鞭を取っていたときに、
大学を卒業してから 3 年くらい企業で働いた女性が、もう一度大学院で勉強したいと大学
院の受験に来たんです。かなりの倍率です。筆記試験のあと面接があり、20 人くらいの教
授が囲んで、真ん中に被告席みたいに受験者が座る・・・あの構図は何とかならんかなあと思
うんですけど。彼女はものすごく緊張してガチガチなんです。彼女が学生時代にどんな勉
強をしたか等を記入した書類を見ながら、教授たちがいろんな質問をするのですが、しど
ろもどろで緊張が高ぶってあまりよく答えられない。卒業論文の題名を見ると「胎教」と
いうことが書いてありました。胎教ってお母さんが妊娠した時に何かいい音楽を聴いたら
いいなどという、あの胎教ですね。何とかこの人の緊張を和らげてあげたいという親心み
たいなのが出てきたときに胎教に関する川柳をふと思い出しました。手を挙げて「ちょっ
と質問があるんですけど、書類を見ると学生時代に卒論に胎教を選ばれましたね」「はい、
そうなんです」
「私、ちょっと川柳に興味があって胎教に関する川柳を一つ紹介しますので、
ちょっと感想を言ってくれますか」と振っておいて披露しました。その前にちょっと背景
を説明しますと、皇室の美智子さんに倣って、モーツアルトとかバッハとかクラシックを
聴かせると胎教にいいということが話題になった時代だったんです。それを題材にしてあ
る人が投稿して当選した<クラシック嫌いな胎児きっといる>という句を披露しました。
彼女は笑ったんです。20 人ぐらいの教授で半分ぐらいの教授は笑いました。その場がぱっ
と和らいだ。そのあとの質疑応答が非常にスムーズに進んだんですね。彼女は合格しまし
た。ひと月くらい経って研究室に来て「先生の川柳のお蔭で私、入学できました」という。
私はすっかり忘れてたけれど、ぱっと思い出して「それはよかったね」「ほんとに先生のお
陰です」
「いやいや、あなたの実力ですよ」そんなことを言って、まあちょっとだけ助けた
かなあと思ったわけです。
もう一つ。ある雑誌の記者が日本のホスピスのスタートに関する記事を書きたいと、大
学の研究室に来ました。取材が初めてか 2 回目かで、大学の教授って雲の上の人みたいに
思っていてガチガチなんですね。何とかしないと取材ができないと思い始めた時に「ご趣
味は?」と聞かれた。
「私、川柳が趣味なんです」
「はあ」
「川柳ってなかなか面白いですよ。
今、窓際族って流行っているでしょう。
」会社にいてもどうってことない人が窓際にいると
いう、あの窓際族です。残念ながら私の作品ではないんですが、こんな川柳を紹介しまし
た。<窓際もせめて行きたい南側>その記者が笑ったんです。川柳というのは1つ当選句
が出ると類似句が出るんですね。2匹目のドジョウを狙う。この2つ目の方がもっと面白
くて<窓際の頃が懐かし窓の外>面白いでしょう。彼、ものすごく笑ったんです。馬鹿笑
いになって、もうそれで勝負あった。彼と私の間にあった壁がストーンと落ちた。ストー
ンという音がしましたね。それくらいユーモアというのは人と人との間の立場の壁を落と
すんです。そういうすばらしい働きがあるんです。
【資料 no.25,26/ユーモアは立場の壁を崩す】
ユーモアは立場の壁を崩すんです。一緒に笑えたら立場の壁が崩れるんです。
先ほど言いましたように医師と患者さんの関係は完全に上下関係、強弱関係。ナースと
患者でも強弱関係があるのに医師と患者とはほんとうに強弱関係がある。昔からおられる
92 歳の胃癌末期の人で、回診に行くと寝ていても必ずベッドの真ん中に座って「先生、ご
苦労様です」と言われる。
「あなたと私は同じ生命を持った人間同士なんです。あなたはす
ぐ亡くなるかもしれない。でも私も後から続きますよ。両方とも有限の命を持った平等な
存在なんです。座らないでもっとリラックスして日々を過ごしましょうよ」といくら言葉
で言っても駄目ですね。このおじいさんと私との間にある壁をなんとか崩したい、挑戦し
たいと言う気持ちがすごくあって機会を狙っていました。ちょうど機会があり、ひとつの
ユーモアを提供したんです。誕生日を迎えられた。誕生日を迎えたら、お花を贈呈して、
真摯に「誕生日おめでとうございます」と言って、皆でハッピーバースデイを歌う。私の
ホスピスではその三つのことをやります。お花を渡す時にフッと浮かんだユーモアは「ホ
スピスでは誕生日を迎えられた方に必ずお花を贈呈するのです。しかもお歳の数だけお花
を贈呈するんですよ」と付け加えました。花束にカスミソウが入っていたので 87 になると
いう想定です、自信なかったんですけど。3日後に行くと顔つきが変わっていたんですね。
「先生、この間はお花ありがとうございました。あれから一生懸命勘定したらちょうど 87
ありました。
」あっ、通じた。ほんとうに嬉しかった。そこから彼と私の間にあった立場の
壁が見事に崩れた。これはちょっといい格好過ぎるかもわかりませんけど、ユーモアとは
愛と思いやりの現実的な表現なんですね。
【資料 no.27,28,29,30/ユーモアとは愛と思いやりの現実的な表現】
もう一つの事例は太鼓判です。痛みが取れなくてひょっとしたらこのままいのちの問題
になるかなと思ってホスピスに入院してきた人が、痛みが取れて、無くしていた笑顔が戻
って、食欲が出てきて夜も寝られるようになった。全快退院ではないけれども、往診とか
訪問看護でちゃんとケアをしていけば退院してしばらく家で過ごすことができる。どうし
ても無理だったらもう一度入院したらいい。とにかく「一日退院」ということをずっとや
ってきたんです。退院日にベッドサイドで診察して「退院おめでとうございます」と言う
んですが、「先生、不安なんですけど退院大丈夫でしょうか?」と言われる。「入院してき
たときは痛みが酷くて食欲もなくて大変だったけど、今は食欲も出てきて体力もだいぶ回
復して、少なくとも医学的には退院できる。ちゃんと太鼓判押せますよ」と言ったら「先
生、ほんとに太鼓判押せますか?」と尋ねる人がおられるので、
「じゃあ押しましょう」と
いう非常に単純な流れで“太鼓判”を特注したんです。企業秘密で値段言えないんですが
高かったんです。普通はハンコというのは文字を裏向きに彫るんですが、押す前に患者さ
んに「太鼓判」という字を見せますので裏向きではないんです。肺がんの人は胸に、胃が
んの人にはお腹に、場所によって押す。この写真は肺がんの人で、胸に押してものすごく
喜んでくださってピースサイン出しているんですけど指が一本しか写ってないですね。効
く人は効くんですが時々効かない人がいる。
「太鼓判、はい」とやっているのに「これなに?」
って、病室にシラーッとした空気が流れるんです。
「先生、あの人はこの種のユーモアを解
さない人なのかも」とナース。この太鼓判が非常によく効く人と効きにくい人をナースは
完全に嗅ぎ分けられるんです。われわれ精神科医は家庭背景もその人の持ち味もわかって
いるけれど、ナースはあの人はしない方がいいと本能的にわかるんです。ホスピスはチー
ムケアなので、この人で失敗してから、太鼓判を押すか押さないかは皆に集まってもらっ
てチームで決めようということにしました。それから成功率が随分あがったんですね。こ
れも、愛と思いやりの現実的な表現ですね。
ユーモアとダジャレは違います。これは非常に大事なことです。おやじギャグとかダジ
ャレは、頭にフッと浮かんだことを何も考えずに口から出すんですね。そして周りを寒が
らせる。浮かんだ面白味をすぐに口から出すのではなくて一旦飲み込む。そして、これは
ユーモアだぞという意気込みで口から出すとユーモアになる。ワンクッション置かれてい
るんです。おやじギャク的な事をよくされる人はいったん飲みこむということをするとい
っぺんに格が上がります。
【資料 no.31/食道がんの中年女性】
67 歳の食道がん末期の女性がおられます。比較的体力が温存されているものの、狭窄が
酷くて固形物がほとんど通らない。本人も食べたいし、私たちもなんとか何かを食べさせ
てあげたい。その気持ちがずっと続いてたんです。回診の時に「いかがですか?」と尋ね
ると「物が通らなくて」とほんとうに辛そうに言われる。その時にふっとあることが浮か
んだんですが、それをすぐにポッと出すのではなくて一回飲みこんで、これはダジャレで
はなくてユーモアだぞ、という思いを込めて「トロぐらいだったらトロトロと通るかもし
れませんね」と言った。そしたら患者さんが「私も一日トロトロ寝ていないで、トロに挑
戦してみますかね」
。あっ、良かったと思った。極めつけは、その話を聞いていたご主人が
「私もトロイ亭主ですが、トロぐらいなら買いに行きますよ」と言って、すぐ公設市場に
行ってトロを三切れ買ってきた。そしたら、二切れ入ったんです。びっくりししまた。
【資料 no.32/河合隼雄氏のコメント】
このことを本に書いたところ、朝日新聞の天声人語に紹介された。河合隼雄先生と雑誌
の対談でユーモアの話をしたんです。河合先生は文化庁長官までされた日本の臨床心理の
大家で、ユーモアの研究もしておられます。その対談でこの話をしたら「先生、それいい。
これ学会誌に投稿されたらどうですか」と言われた。
「これは投稿するに値する話だと思う。
私、今、投稿する論文の題名を決めましたんでメモ取ってください」と言われ「ユーモア
のセンスが食道の狭窄をトロかした貴重な一例」と言われたんです。うれしかったのは、
私のつまらないユーモアの提示を彼は彼なりのユーモアのセンスで返してくださった。こ
れはダジャレではないんです。かなり練られたユーモアですね。だから、ユーモアとダジ
ャレは違うということをぜひ知っておいていただきたい。
【資料 no.33,34,35/Coping Humor】
コーピングユーモア(Coping Humor)という非常に大切なものが人間にあるのがわかる。
コープというのは英語で“cope”で “対処する”とか“対応する”という意味です。ひと
つの問題を解決するために何かを使う。ユーモアを、ストレスを軽減するために使うとい
うのがコーピングユーモアの神髄なんです。
58 歳の直腸がんの男性です。俳句が趣味の方ですが「先生、やっぱり俳句より川柳がい
いです。俳句は春夏秋冬、四季にうるさいでしょ。私のような末期患者は四季(死期)を
考えなくてもいい川柳がいいです。
」すごいなと思った。それから回診のたびに川柳のやり
取りをしていました。そのやりとりを聞いておられた奥さんが、川柳って面白いんだなと
感じられて「先生、私も川柳の勉強をしたいと思うんです」と言われたので『川柳入門』
という本をお貸ししました。その年の 12 月の半ばぐらいに患者さんの状態が下降線を辿っ
て「正月を家で迎えられないのじゃないかな」と思うぐらい急速に弱ってきた。患者さん
は「先生、向こうへ行く覚悟はできているんですけど、できたら家で正月を迎えたいです」
と懇願された。奥さんも「寝正月でいいから家で正月を迎えさせてやりたい」と言われ、
二人とも最後のお正月は家でという希望が非常に強かったんです。幸いホスピスの近くだ
ったので、私たちも「あれだけお二人とも言っておられるので、何かあったら電話しても
らうという条件で帰ってもらおうか」ということで帰ってもらった。寝正月だったけど、
2泊3日の最後の自宅での時間を過ごして戻ってこられた。随分衰弱は進みましたが、ひ
と言「先生、これで旅立てます」と言われたんですね。最後の希望を叶えるということは
すごく大切で、叶えた後で「これで旅立てます」と言われることは多いです。
しばらくして奥さんが来られて「先生、主人の姿見ててやっぱり辛かったです。でも寝
正月でしたけど家で過ごせてよかったと思います。主人の姿を見ていて川柳一つ作りまし
た。私の処女作、見てください」。色紙にきれいに毛筆で書かれた素晴らしい川柳でした。
<がん細胞 正月ぐらいは寝て暮らせ>私、くすっと笑ったんです。ところが色紙に書か
れた句をじっと見ているうちに、句の向こう側にある奥さんの辛さ、堪えている姿がじわ
っと迫ってくる。本当に熱いものが込み上げてきた。奥さんはこの句を作ることによって
辛さ悲しさをちょっと横へずらすことができたんじゃないかと思った。
【資料 no.37,38/Coping Humor の例】
Coping Humor 私の例をちょっとお話しします。地方都市の学会で、久しぶりに開業医を
している同級生に会ったんです。私はもう疲れていて早くホテルへ帰って寝たかったんで
すが、彼が自分の家を見せたいと言います。ずいぶん久しぶりに会ってあまり熱心に言う
ので仕方なく付き合った。車で田舎道を走るけれどなかなか着かない。友人は「鄙びたい
い所だろう」と言うけれどあまりそうは思えない。ようやく古びたわら葺屋根の家に辿り
着いて、しばらく友人の説明を受け、やっとホテルに帰り着いた。疲れだけが残り、これ
を吹き飛ばすには川柳しかないと思った。腹が立つとかイライラすることができたときに、
それを五七五にまとめるんです。書いてそれを見た時に面白かったら、ふっとそのやるせ
なさ辛さと、自分の気持ちの間にちょっと距離ができる。このときにできた句が<鄙びて
るじっくり見れば寂れてる> 腹立ちまぎれに作ったんです。鄙びてるって言うけど寂れ
てるだけやないかと思ったんですね。これは新聞に載りました。やったあ、って思いまし
たね。
【資料 no.39,41/自己距離化(V.フランクル)
】
フランクルという有名なオーストリアの精神科医が「ユーモアは人間だけに与えられた、
神的と言ってもいいほどの崇高な能力である」と言っている。フランクルがこういうこと
を言うくらいユーモアというのはすごい力を持っている。そのフランクルの言葉で「自己
距離化」というのがある。
「一見絶望的で逃れる途が見えないような状況においても、ユー
モアはその事態と自分との間に距離をおかせる働きをする」
。先ほどの事例ですが、自分の
夫が死を迎えようとしていて、それはもう事実なんだけど、死を迎えるという辛さ悲しさ
と自分の気持ちがピタッと引っ付いてしまうとたいへんなんですね。ところがその事実、
もうすぐ別れなければならないという辛さと自分との間にちょっとした距離をおくことが
できれば、辛さやるせなさが少しましになる。奥さんが<がん細胞正月ぐらいは寝て暮ら
せ>と言う川柳を作ったというのは自己距離化を図ったということです。ちょっと距離を
おくために川柳というユーモアを投入した。フランクルは「ユーモアによって、自分自身
や自分の人生を異なった視点から観察できる柔軟性や客観性が生まれる」という。うまく
利用すればユーモアというのは限りなく力を持つ。
【資料 no.40/自己距離化の例】
自己距離化を図った実例です。中年の男性が直腸がんになって入院し手術を受けないと
いけないという状況になった。ところが担当の執刀医が若い上に全身から頼りなさを感じ
させる。若くて頼りないって最低ですよね。この患者さんは「先生、大丈夫ですか?」っ
て訊きたい。絶対訊けませんよ。ところがその医者に手術をしてもらうという不安が限り
なく渦巻いてくる。これを何とかしないととても手術なんか受けられないというところま
で追い込まれた。幸いなことに川柳の素養があったので、ナースに自分のつくった川柳を
託した。この川柳がすごいんです。<お守りを医者にもつけたい手術前>。これを見たナ
ースがふっと笑った。詰所へ帰って「先生、あの患者さん、こんな気持らしいです」と見
せるとその医者も笑った。
「面白い。こんな気持なんか。わかった、僕行ってくる」すぐに
病室へ行った。
「川柳、見ました」
「はあ」患者さんは平謝りに謝った。
「いや、お気持よく
わかりました。すぐに飛んできたのはあなたにとにかく安心していただこうと思って。私、
若く見られるんですけどかなり歳食ってるんです」患者さんは信じられないが「そうです
か。
」 医者は次に「大腸がんの手術に関しては、ちょっと口幅ったいですけど、日本とは
いきませんけどこの一円では私の右に出る者はないというほどの腕の持ち主なんです。
」大
ウソだということはわかるわけです。でもその一言で、先生はこんな気持で私を安心させ
ようとしてくれている、ということは通じた。「ああそうですか、それで安心しました。よ
ろしくお願いします」と心から言えた。ユーモアのセンスと自己距離化ということが医師
と患者さんの信頼関係を回復した。これでとにかく安心して手術を受けた。ナースの話に
よると手術の結果は「たまたまよかった。
」これがまたいいですね。大見得切った手前、失
敗できませんよね。患者さん自身は「本当によかった、先生に手術してもらって」と万々
歳。これはやっぱりユーモアの大きな力、自己距離化ですね。
【資料 no.43,44/ユーモアのはたらき】
まとめに入ります。
ユーモアの働きは『楽しい雰囲気を作り出す』これ一番大きいですね。
『緊張の緩和』先ほどの<クラシック嫌いな胎児きっといる>というあれで緊張が緩和
されたんですね。<窓際の頃が懐かし窓の外>というのも緊張の緩和に役立った例ですね。
『タブーへの言及、攻撃欲求の表出を可能にする』タブーへの言及というのは、絶対に
訊けないことをユーモアに託すことができる。
「先生、大丈夫ですか」って絶対に訊けない、
タブーですから。でも<お守りを医者にもつけたい手術前>というのはタブーへ言及して
いるわけです。ユーモアというオブラートに包まれているからちゃんと通じるんです。
『新しい視点を提供する』こともできますね。
『優れたユーモアセンスを示すことで、人格的に高く評価される』気をつけないと人格
が低下する場合もある。ユーモアだと思っていてもブラックユーモアになりかねない。い
わゆる両刃の剣というか、注意しないとプラスマイナスがある。
最近わかってきているのは『健康を促進する』ということ。笑いの効用というのは科学
的にはっきりと証明されていて論文がたくさん出ています。一例をあげますと、50 人くら
いのボランティアにお願いして、30 分間徹底的に笑える漫才を聴いてもらい、聴く前と後
に血液検査をさせてもらった。免疫力を高めるナチュラルキラー細胞の活性を測る。する
と面白い漫才を聴いた後のナチュラルキラー細胞の活性がものすごく上がるんです。だか
ら笑うというのが免疫力を高めるというのは科学的な根拠があるわけです。それと対照的
に、50 人の方に、つまらない講義をすることで有名な大学の教授の講義を 30 分間聞いても
らった。するとナチュアラルキラー細胞の活性が低下はしないけれど変わらない。笑うと
病気になりにくいとか、風邪をひきにくい、がんにもなりにくいといったいろんな説があ
りますが、とにかく免疫力を高めるということは確かなんです。
『社会の潤滑油である』ということもありますね。
労働の場面で『ストレスの発散を可能にします』し『怒りを治めることができる』さき
ほどの<鄙びてるじっくり見れば寂れてる>というのは私の怒りを治めたんですね。
『チームワークを強化する』私は現役時代にユーモアノートというのを作っていました。
夕方から夜にかけて患者さんとの間にどんな面白い場面があったかということをナースが
書いておき、次の朝来たナースがそれを読んでちゃんと笑う。そうするとチームが非常に
結束する。
『士気を高める』
『生産性を高める』
『コミュニケーションの促進』にもなる。
こういうことで笑いとかユーモアというのは非常に大きな働きをするということを今日
はお伝えししまた。
私の経験ですけれど、年齢と共に講演時間が延びるんですね。それって私は非常によく
ない、時間泥棒、犯罪行為ですらあると思っています。近年、決められた時間に講演を終
えるということを私の生きがいにしているんです。今日は 3 時 40 分に終えてくださいと言
われ、3 時 40 分に終えますという約束をしました。きっちり 3 時 40 分ですね。ありがと
うございました。
質疑応答
(質問①)
先生、ありがとうございました。たくさんのユーモアをいただいたんですがお願いがあ
ります。ユーモアの場合に免疫力は高まるというお話ですが、ギャグの場合を数値に表せ
ないかなと。
(回答①)
ギャグの連発を聴くと免疫力が落ちるというような研究ができないかということですね。
かなり難しい実験になると思いますが、私の予想では、落ちるということはないが、つま
らない講義をする大学の教授と同じくらいの成績になるかな。実際にいろんな場面で免疫
力が上昇するかどうかということを実験的にやっている大学がありますので、オヤジギャ
グと免疫力の関係を研究してみてくれという方がおられたので可能性を考えてみてくださ
いという提案だけはさせて頂きます。
(質問②)
とても笑わせていただいて楽しい時間を過ごさせていただいてありがとうございました。
わたしも川柳とか俳句とか短歌とかに関心があるんですけど、こういう文学というか言葉
遊びというか、日本人独特のものかなあと思ったりもします。これがあることによって先
生も川柳で患者さんと交流されたり職場で交流されてとてもいい関係を作ってくださって
いると思うんですけど、ヨーロッパとかアメリカに行ったときにこういうものはあまり聞
かないんですけど、代わりにどんなものがあるんでしょうか?
(回答②)
俳句を英訳して、いわゆる「英語俳句」は本になってすでにアメリカで出版されていま
すね。<古池や蛙とび込む水の音>など有名な日本の俳句を英語に直して 1 冊の本にして
いる。オリジナルはないわけです。川柳を英訳するってちょっと難しすぎる。例えば、定
年退職後、家でゴロゴロしている男性を言う「粗大ごみ」ってありますね。二つ川柳があ
るんですが<粗大ごみ朝に出しても夜戻る><粗大ごみ家事を仕込んで再利用>これを英
語に直すとなると粗大ごみというものの説明がいる。それにゴミを出す日本の習慣を説明
しないといけない。だから非常に大変な作業だと思うんです。ショートポエムで短い詩で
面白い詩というのはありますけど、日本の、五七五のようなきちっとした定まりのような
形で同じようなものというのは私の知る限りでは英語圏にはないと思います。
(質問③)
具体的な楽しいお話を聴かせていただいてありがとうございました。私くらいの歳にな
るとユーモアのセンスがなかなかないので困っていますけど、どんなことに気を付けたら
よろしいでしょうか?
(回答③)
よく聞く質問です。ユーモアのセンスを磨きたいという気持ちがはっきりしていること
が大切なんですけど、例えば新聞の川柳欄を見て一つの川柳が面白かったとか、テレビで
落語を聞いてこの落語のこういう落ちが面白かったとか、友達と話をしていてこんな面白
い話があったとか、面白いというように感じたときにそれを誰かに伝えるということです。
こんな面白い話があった、今日川柳欄見ていてこんな面白い川柳があった、どう思う? 誰
か面白みを理解してくれそうな人を捕まえて話をしたときに、その人もそれに対して笑っ
てくれるとか面白いと感じてくれたということは反応でわかりますね。そうすると、あ、
やっぱりこういうことは自分だけじゃなくてこの人も面白いと感じるんだ、ということは
伝わる。面白さの共有関係ができる。面白いと感じたことを誰かに伝えて、その伝えた人
の反応が自分に返ってくるという体験を繰り返していくことがユーモアのセンスを助長し
ていく身近で具体的な方法と思います。
(質問④)
具体的なお話ですごく役に立つんですけど、日常の生活が夫婦二人暮しなんです。私が
面白かったということを話す相手も限られますし、聞く方の夫もいまいち共感してくれな
いんですけど、どんなことを心がけたらいいでしょう。
(回答④)
相手はご主人だけじゃないと思います。ご主人以外で日常生活で交わりのある方を捕ま
えたらいい。誰かを捕まえるということが大切で、押し付けない限りユーモアということ
を頭から拒否する人はあんまりないと思うんです。みんなが笑いたいとか面白い体験をし
たいということは本能的にみんな持っていますから。ただしそういう気分でない人に無理
にするとマイナスになりますけど。ごくごく普通の生活をしている人は笑いを求めている
し、ユーモアというものに対して経験したいとか心を開いていくという気持ちは本能的に
もっておられると私は思います。
(質問⑤)
私は医療の現場で患者さんに接するんですけど、頑張れないことを知っているけど、頑
張ってくださいと言ってしまいたくなる。先生のご著書に「患者さんに頑張れって押し付
けるな」って書いてあって、わかっていても言ってしまいたくなる。それに代わるユーモ
アがあって、頑張ってほしいけど無理はしないでね、ということを伝えられるいいことば
や何かがあったら教えていただけたらと思います。
(回答⑤)
すべての患者さんは自分の気持ちを分かってほしいという思いを持っておられます。患
者さんが持っておられる気持ちを理解したいと思っている、そういう気持があるというこ
とが一番大切だと思います。病気をする、特に死が近いという人たちは、辛い悲しい寂し
いやるせないはかない、そういう風な陰性感情を持っておられて、うれしい楽しいという
ような陽性感情を持っておられないですから、会話の中でどの言葉がその人の今の気持に
近いかなあということを一生懸命意識的に考える。たとえば、それって辛いですよね、と
いう辛いという言葉は情をこめて言ってあげる。それって悲しいよね、なんかね、はかな
いよね、って言ってあげる。自分の中に感情を表す言葉の引き出しを持っていて、その引
き出しを患者さんとの会話の中でひとつ開けて情をこめて言ってあげるというのが励まし
よりもなによりも患者さんにとっては効果があると私は思います。