エントロピーと自由エネルギー (1)化学反応と熱 化学反応に伴って熱が発生したり吸収されたりする。反応に伴って熱を放出する場合を 発熱反応と言い、この場合物質が持つ化学エネルギーは減少する。反応に伴って熱を吸収 する場合を吸熱反応と言い、物質の化学エネルギーは増大する。この関係を式で書くと、 (化学エネルギーの変化量∆H)+(放出熱量∆Q')=0(エネルギー保存則) と表せる。発熱反応は自然に進む可能性がある。なぜならば物質は化学エネルギーの低い 状態にある方がより安定だからである。しかし、発熱反応だからと言って自然に反応が進 むとは限らない。 活性化エネルギー 発熱反応であっても、反応を起こすためには分子が活性化エネルギー以上のエネルギー を持っていなければならない。ボルツマン分布則によれば、分子には高いエネルギーを持 つものも少しの割合だけ存在する。温度が高くなると、高いエネルギーを持つ分子が多く なるので活性化エネルギーを越えて反応が起こり、反応熱によって他の分子も暖められる ようになると反応が自然に進むようになる。 (2)化学エネルギー(エンタルピー) 化学エネルギーのことをエンタルピーとも言う。これを熱力学第1法則と結びつけてみ よう。圧力一定での熱力学第1法則は、 ∆Q=∆U+P∆V と表せる。ここで∆Q は吸収熱量である。ここで化学エネルギーという状態量を定義する。 H=U+PV 化学エネルギーは内部エネルギーに加えて、反応によって気体が新たに発生する場合やモ ル数が変化する場合に気体のなす仕事などを考慮に入れたエネルギーである。その変化量 は ∆H=∆U+P∆V+V∆P であるが、圧力一定の場合(∆P=0)には、 ∆H=∆U+P∆V となる。これを熱力学第1法則と組み合わせて、 ∆H=∆Q=−∆Q' となる。ここで∆Q' は放出熱量であって、吸収熱量∆Q とは符号が逆になっていること に注意しよう。 体積一定の条件では、気体の吸収した熱量は気体分子の内部エネルギーの増加に等し かった。圧力一定の条件では、気体の吸収した熱量は気体分子の化学エネルギーの増加 に等しい。また、発熱反応すなわち化学エネルギーが減少する反応は自然に進む可能性 がある。 (3)エントロピー 高温 TH の物体から低温 TL の物体へ∆Q の熱が移動する場合、 両方の物体における熱量変化の合計は、 −∆Q + ∆Q = 0 となる。これはエネルギー保 高温 TH ∆Q 低温 TL 存則を反映して当然である。 ∆S = ここでエントロピー変化 ∆Q T という量を定義する。 両方の物体におけるエントロピー変化の合計は、 − ∆Q TH + ∆Q TL 〉 0 となる(TH > TL のため)。すなわちエントロピーの和は増大す る。これをエントロピー増大則と言う。エントロピーを使うと熱力学第2法則を定量的 に表現することができる。 (熱力学第2法則・定量的表現)エントロピーの合計が増大する変化は自然に起きるが、 減少する変化は自然には起きない。 可逆変化ではエントロピーの合計は不変であるが、不可逆変化ではエントロピーの合計 は増加する。エントロピーは分子の取りうる可能性の大きさを表す量である。簡単なイメ ージとしては乱雑さを表す量と考えられる。温度が上昇するとエネルギー分配のしかたの 可能性は増加するので、エントロピーは増大する。体積が増加すると分子の位置のとりう る可能性は増加するので、エントロピーは増大する。 (4)気体のエントロピー 圧力一定での熱力学第1法則は∆Q=∆U+P∆V だから、エントロピーの定義に代入 して、 ∆S = ∆Q ∆U P∆V + = T T T となる。ここで定積モル比熱を使うと∆U=nCv∆T、理想気体の状態方程式から n モルの 気体に対して、P/T=nR/V であることから、 ∆S = nC v ∆T ∆V + nR T V と変形できる。具体的に S を求めるためにはこの式を積分形で表す。 S = ∫ dS =nC v ∫ dT dV + nR ∫ T V この式は変数分離形なので、それぞれ積分すればよい。 1 ∫ x dx = ln x + C であるから、理想気体 n モルを T0,V0 から T,V に変 ここで公式より、 化させたときのエントロピー変化が、 S − S 0 = nC v ln T V + nR ln T0 V0 と求められる(S0, T0, V0 は積分定数であり、変化前の初期値でもある)。 このことから、気体では、温度や体積が増えるとエントロピーも増加することがわかる。 例 1モルの理想気体が温度一定の条件で体積 0.1m3 から 0.3m3 まで変化したときのエントロ ピー変化は、 S − S0 = 1× 8.31× ln 0.3 = 9.1 [J/K] と求められる。 0.1 混合のエントロピー 気体Aと気体Bが容器中に壁で隔てられて同じ圧力で閉じこめられているとする。隔壁 を取り除くと気体A,Bは自然に容器全体に広がって混ざり合う。このとき、圧力は一定 で全体積も変化しないので気体は仕事をしない。しかし、それぞれの気体のエントロピー は体積が広がった分増大することになる。もちろん合計のエントロピーも増大する。これ が混合によるエントロピーの増加である。 (5)自由エネルギー 自然に起こる可能性のあるのは次の2つの変化である。 ①化学エネルギーが減少(∆H < 0)する変化 ②エントロピーが増大(∆S > 0)する変化 エントロピーは (エネルギー)/(温度) という次元を持っているので、温度を掛けると エネルギーになる。そこで、 G=H−TS という状態量を定義する(Gibbs の自由エネルギー)。 自由エネルギーの変化量は∆G=∆H−T∆S−S∆T であるが、生体のように温度一定(∆T=0) であれば、 ∆G=∆H−T∆S (温度一定) となる。さらに圧力一定であれば、 ∆G=∆U+P∆V−T∆S (圧力一定・温度一定) と表せる。 自由エネルギーが減少する(∆G<0)変化は発エルゴン反応と言い、自然に起こる可能 性がある。自由エネルギーが増加する変化は吸エルゴン反応と言い、自然に起こることは 決してない。可逆反応などで反応が進むとき、自由エネルギーが極小値(∆G=0)になる と変化(反応)の進行は止まる。これを化学平衡と言う。自由エネルギー変化(∆G<0) の大きさはその変化によって外部に取り出せる最大の仕事(W>0)の大きさである。 例 水が自然に蒸発する現象は化学エネルギーが増加する吸熱反応であるから、化学エネル ギーだけ考えていても理解することはできない。自由エネルギーを考えてみると、気化す ることによって体積を大きく広げることが可能になりエントロピーが増大するため、その 分自由エネルギーは減少する。後者の効果が大きいと水は自然に蒸発することになる。 (6)理想溶液の自由エネルギー 非電解質の希薄溶液の場合、溶質分子はお互いにほとんど相互作用しないので、その運 動は近似的には理想気体の場合と同じと考えてよい。このような溶液を理想溶液という。 理想溶液ではエントロピーも理想気体と同じ式に従う。溶質分子 n モルを体積 V0 の溶媒に 溶かしたときのモル濃度は、 [C0 ] = 積が V に変化したときのモル濃度は n である。その状態からさらに希釈して溶媒の体 V0 [C ] = n V となる。溶媒の体積を V0 から V に変化 させる間のエントロピー変化(∆S= S −S0)は、温度一定(∆T=0)とすれば気体のエント ロピーの式を使って、 ∆S = S − S0 = nR ln [C ] V = nR ln 0 V0 [C ] と求められる。エントロピーによる自由エネルギー変化(∆G= G −G0)は、∆G=−T∆S であるから、 ∆G = G − G0 = −T ( S − S0 ) = − nRT ln [C0 ] = nRT ln [C ] [C ] [C0 ] となる。 例 溶液を希釈したり混合したりすると、分子の占める体積が広がるためエントロピーが増 大し、自由エネルギーは減少する。 (7)標準生成自由エネルギー 標準状態(25 ゚ C=298.15K, 1atm=1.013×105Pa)において物質(化合物)を単体から生 成するときに発生する熱を標準生成熱と言うことを高校で学んだ。これと同様に物質(化 合物)を単体から生成するときの化学エネルギー(エンタルピー)変化を標準生成エンタ ルピー ∆H f と言う。化学エネルギーと放出される熱量は大きさが同じで符号が逆なので、 0 (標準生成エンタルピー)=−(標準生成熱)である。同様に物質(化合物)を単体から 生成するときの自由エネルギー変化をその物質の標準生成自由エネルギーと言い、 ∆Gf 0 で表す。 濃度[C]の理想溶液の持つ 1 モルあたりの自由エネルギーは、 G = ∆Gf0 + RT ln [C ] = ∆G 0 + RT ln C [ ] f [C0 ] (ただし、[C 0]=1 となるように濃度の基 準を決めた) となる。1 モルあたりの自由エネルギーのことを化学ポテンシャルとも言い、µで表す。n モルの物質が持つ自由エネルギーは、G=nµ と表せる。 (8)化学反応による自由エネルギー変化 化学反応 A + B → C + D を考えよう。それぞれの物質の1モルあたりの自由エネルギ ーが、 GA = ∆GA0 + RT ln [ A] GB = ∆GB0 + RT ln [ B ] と書けるとすれば、 # (ここで ∆G A は物質 A の標準生成自由エネルギー、[A]は A のモル濃度) 0 この反応による自由エネルギー変化は、 ∆G = GC + GD − GA − GB = ∆G 0 + RT ln [C ] + RT ln [ D ] − RT ln [ A] − RT ln [ B ] = ∆G 0 + RT ln [C ][ D ] [ A][ B ] と 表 さ れ る ( こ こ で 、 ∆G0 は 反 応 に よ る 標 準 自 由 エ ネ ル ギ ー 変 化 で 、 ∆G 0 = ∆GC0 + ∆GD0 − ∆GA0 − ∆GB0 で定義される定数)。 例 生体における ATP の加水分解反応は次のように表される。 ATP + H2O →ADP + Pi この反応における標準自由エネルギー変化は、∆G'0=-30.5kJ/mol である。標準状態でそれ ぞれの濃度が、[ATP]=2.25×10-3 mol/l, [ADP]=0.25×10-3 mol/l, [Pi]=1.65×10-3 mol/l である とすれば、 ∆G = ∆G0′ + RT ln [ADP][Pi] =-51.8kJ/mol と求まる(この場合、溶媒でもある水の濃 [ATP] 度は考えなくてよい)。
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