41 79 94 「人々が若くして死んでいた時代には、医学の進歩が必要だったけれども、今は医学が発展して、 寿命を超えるほど人を生かすようになってしまった。しかし、人間の身体は自然なのだから、機械の ようにどこまでも性能をアップするわけにはいかない。ほどよいところがあるはず。その発想からいけ ば、現代の医療はすでにやや進みすぎで、進めるばかりではなく、別の方向を探ったり、ときには一 す 部を棄てることもまた、人間の知恵ではないか」と、久坂部医師は指摘する。 あるデイケアで「風船運び」というゲ―ムをしていたときのこと。おばあさんが風船を落としてし まい、チームが負けてしまった。これを同じチームのおばあさんが強く責めたところ、風船を落とし たおばあさんは「私が悪い。私のせいで負けた。もう死んでしまう」と取り乱した。すると責めたお ばあさんが吐き捨てるように「あんたなんか、そんな簡単に死ねんわ」と言った。 この光景を見ていた久坂部医師は、老人の世界とはなんと不思議なものなのかと思ったそうだ。風 船を落としたおばあさんは死んで楽になりたいと思い、なじったおばあさんは、そんなに簡単にいいこ とが起こるものかと、どちらも「死」というものを良いニュアンスにとらえているのである。 16 Zaikai Kyushu / JUN.2014 「そんなに長生きしたいですか」 くさかべよう 「そんなに長生きしたいですか」―。医師で作家の久坂部羊さんの著書『日本人の死に時』 (幻冬舎) のサブタイトルである。 久坂部医師は在宅医療専門のクリニックに勤務し、寝たきりの老人や自宅で最期を迎えようとす る末期がん患者などを訪問して、その療養をサポートしてきた。それ以前は、老人デイケアのクリニッ クに勤めていたので、多くの老人の老いと死を見つめてきたが、その経験から「長生きは必ずしも望 ましくはない」と思うようになったという。 これまでの医療は、命を延ばすことを目的としてきた。その結果、厚生労働省の2013(平成 )年調査によると、日本人の平均寿命は女性 ・ 歳で世界1位。男性は ・ 歳で同5位まで 86 になったのだが、その半面、寝たきりや認知症の老人は増え続け400万人に迫る勢いだという。 25 「死ね」と言うのではなく「死ねない」というのが意地悪になっている。ということは、今では簡単 に死ぬことができない世の中になっていることを、お年寄りは実感として知っているのである。今まで せんぼう 元気にデイケアに来ていたお年寄りが急逝したという話が伝わると、「あやかりたい」 「上手に死にはっ たねぇ」 「ころっと逝ったんなら、言うことないな」などとの羨望の声があがるのも同じ気持ちからな のだろう。 老人は毎日、老いという解決不可能な厳しい現実に直面しているから、死を恐れる気持ちと同時に、 死がすべてを解決してくれるという実感を抱いているようで、死を必ずしも悪いとは思わない。それ どころかうまく死んだ者には、先にゴールインした選手に対するうらやみを感じるのでは、と久坂部 医師は説明し、 「長寿はよいとは思いませんが、天寿は否定しません。与えられた寿命で、ほどほど に死ぬのがいいと思います。それでもうまく死ねずに、長生きしてしまったらどうするのか。老いても 楽に生きられる方法はあるのか。方法はありますが、それは若いうちから準備する必要があるでしょ う。長生きしてからではもう遅い。多くの人が長生きする危険のある今、そう言わざるを得ない変な 時代になりつつあるのです」と語る。 久坂部医師のお父さんも医者だったが大の医療嫌い。 代半ばで糖尿病を指摘されたのに食事療 法をせず、甘いものも食べ放題。タバコもやめないし、血糖値の検査もしない。そんなことに一喜一憂 するよりストレスのない状態にするほうが身体に良い、との自己判断をやり通した。 歳の時前立腺 治療を拒み、点滴や栄養補給も受けず、自然にゆだね、安らかに 歳の天寿をまっとうされた。久 がんを告知されると、 「しめた、これで長生きせんで済むわ!」と喜んだ。死の床についてからも延命 85 ては医療は無力です。①執着、欲望(もっと楽になりたいとか)を言わなかった、無欲で有った事。②苦 「最後に『有難う、皆のおかげで』と言いたかったら、元気なうちに言ってください。死ぬという事は 苦しいが、医療でいろいろやるとさらに苦しくなる。近代医療で救われた人はいっぱいいるが、死に対し 坂部医師はお父さんの生き方からを学んだことを、こう結んでいる。 87 しみはあるという事は覚悟していた。この二つで父はおだやかな思い通りの死を遂げられたと思います」 。 真一郎 Zaikai Kyushu / JUN.2014 17 30
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