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町並み遺産「沖縄県島尻郡渡名喜村」

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 当シリーズ「町並み遺産」もいよいよ最終回となっ
た。九州・沖縄の重要伝統的建造物群保存地区20ヶ所
世紀ごろ集落統一か
島を訪れるには事前に就航日や時
間のチェックが必要だ。
島はやや逆コの字形をした小さ
な島で、周 囲は約 ・ ㌔しか
て、南は大岳(標高176・ ㍍)
、
ない。島の南北が山地になってい
12
1
大本田
(標高165・ ㍍)
、
ヲム
(標
高150・
㍍)
、義中山(標高
3
古代より、
自然と共生
月に 便しか就航していないので、
真泊(久米島)を結ぶ定期便だが、
る。フェリーは泊埠頭〜渡名喜〜
ーで約
時 間の東シナ海上にあ
渡名喜島は沖縄本島の西沖合
い約 ㌔、那覇泊埠頭からフェリ
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136・ ㍍)など、起伏が連な
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してきた知恵が息づく
上ノ手展望台から見た重伝建地区東側集落地、通称あがり浜。後方の山は渡名喜島最高峰の大岳
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る複雑な地形をしている。その地
形の至る所に奇岩が露出している
こともあって、どこか荒々しさと
いうか、雄々しさを感じさせる景
観ではある。
北は西森(標高145・ ㍍)
を中心としたひとつの山塊になっ
ている。全体的にゆるやかな丘陵
だが、東から北海岸にかけては急
崖を形成している。この南北の山
地に挟まれるように低地帯があり、
集落は227所帯、人口401
そこが集落地となっている。
Zaikai Kyushu / FEB.2015
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たび訪ねた渡名喜島重伝建地区も人口401人、空家が
目立つ限界集落であった。
沖縄県島尻郡渡名喜村
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しながら町のにぎわいを取り戻すことはできないのか。
各地域を見てきてなんとももどかしい思いがした。この
をすべて見てきたわけだが、およそ共通していること
は、保存地区の過疎化問題だ。伝統的建造物を大切に
年
月 末現
そ ばに 造 ら れ
た。つまり、御
小規模なもので
ではな く、ごく
里 城ほどのもの
続いていたマキヨのオオコロ 人の
植者ではなく、おそらく古代から
したからだ。それは島外からの入
渡名喜島にも島全体を統率する
100年ほど遅れて、 世紀には
ることからもうなずける。そして
それは現在も里遺跡が、渡名喜
村の祭りや行事の中心となってい
うちの、誰か一人の血を引く者で
信仰の篤い土地柄である。よって
豪族が出現するようになる。自己
ひと固まりになったのも、このこ
あったようだ。
この御嶽を中心に社会が形成され
の一族を保護し、祭政の安定を施
ろからのようである。当初は里遺
あろう。その一族が古代からの歴
てきたといっても過言でない。し
すために、小高い岩山にグスクを
跡の麓、現集落よりも東寄りにあ
史の中で力を蓄え、崇拝されるよ
たがって、重伝建地区の集落を散
つくり、そこに居を構えるように
ったらしい。低地を選んだ理由は、
渡名喜村教
育委員会で拝借
口の流出により空家が増え、廃屋
礼儀というものだろう。渡名喜島
なった」と記している。
北側の山地である西森を屏風に見
うな存在にまでなり、やがて つ
になるケースが多々ある。この状
の御嶽は、集落から北東寄りのや
里遺跡はこの時代のグスクの跡
であり、その遺跡内に里御嶽があ
立て、強い北風からの難を逃れる
した『渡名喜伝
況をそのまま放置しておくと、村
や離れた丘陵地にある。上ノ手展
つながる」
(渡名喜村役場)からだ。 策する前に、御嶽を参拝するのが
の伝統的集落を失わせることにも
望台をさらに上ったところの里遺
る。御嶽には祖霊神を祀った祠堂
のマキヨを統一したものと思える。
過疎地ゆえの悩みだが、それで
もこの伝統的集落の景観を、村お
跡内だ。この遺跡は 〜 世紀の
があり、里トゥンと呼ばれている。 意味合いがあったという。
統的建造物群保
こしの起爆剤にして観光客の呼び
グスク時代のものだそうだ。
ゥンのひとつだが、このトゥンは他
そして統一したマキヨのトゥンが最
込みを図りたいという。観光客の
グスクとは城という意味だが、
当時沖縄本島は北山、中山、南山
のものよりも格上のようで、現在
存対策調査報告
関心を誘うには、伝統的集落の景
の三山分立から三山統一へ移行す
渡名喜島では随一の信仰地と紹介
里トゥンへの礼拝を終え里遺跡
を集落へと下る。集落は南部山地
高の祖霊神と崇められるようにな
観のみならず、集落の成り立ちの
る時代であった。統一した人物は
されている。
書 』 に は、
「…
経緯、その歴史から考える必要が
中山王の尚巴志で、当時、すでに
と前述したが、実はこの低地、昔
古代、渡名喜島にはトゥンと呼
ばれる祭祀場が ヶ所あったとい
おさ
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古代より つあったといわれるト
に砂が堆積し砂丘状態になったと
と北部山地に挟まれた低地にある
自然との共生で得た建築法
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Zaikai Kyushu / FEB.2015
人(いずれも平 成
在)という。ほとんど限界集落と
嶽、マキヨ、オ
オコロ、トゥン
もいえるその渡名喜村が、伝統的
建造物群保存地区に選定されたの
は平成 年 月 日のことである。 で、ひとつの領
域を持つ生活共
たわけだ。
むろんこの集落の景観が選定の理
るようになった。
「掘り下げ敷地を持つ当集落は、
沖 縄は渡 名
県内はもとよりわが国の集落の中
喜島に限らず、
う。その祭祀場は、マキヨという
那覇にあった首里城を王府とした。
里トゥンが渡名喜島随一の信仰
地になったのは、
『|調査報告書』
は海峡であったらしい。その海峡
ったのではなかろうか。
血縁的小集団の祭祀を執り行う
渡名喜島にもグスクはあったのか
に書かれているように、 世紀に
沖縄本島より
場である。したがって祭祀場はマ
という点については、あったと思っ
島全体を統率する実力者が出現
うたき
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つあった集落が、いまのように
キヨの長であるオオコロの屋敷内
て差し支えない。ただし那覇の首
4
13
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あるだろう。
か、祖霊神が宿るとされる御嶽の
全 島 的に御 嶽
4
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でも貴重な存在。しかし、近年人
「シマムトゥ屋」
と呼ばれる渡名喜島を代表する伝統的建
造物
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同体を成してい
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由だが、それによって悩みも抱え
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とも広く、 ㌶ある。続いて東区
けられている。中では西区がもっ
る。そして東、西、南の 区に分
その集落は、東西に長く伸びてい
集落の道は白砂である。これも
砂丘時代の名残りなのだろうか。
えていたようだ。
ておらず、丘陵地のあちこちに構
ように低地にひとかたまりになっ
いう。したがって集落は、いまの
る。これは、かつては台風などの
が表通りよりかなり低くなってい
ばそのはずで、屋敷内敷地のほう
屋根がずいぶん低く感じる。聞け
赤瓦屋根は沖縄の伝統的景観
だが、ここでは表通りから眺める
より合理的なのであろう。
らしにおいては、こちらのほうが
れたことは否めないが、日々の暮
ックに変えたそうだ。情緒が失わ
棲み家をなくすために、近年ブロ
ある。敷地を埋め戻すことで表通
浸水の被害が増大する可能性が
い家に集中し、それらの家で床下
水の地下浸透が、埋め戻していな
で多くの屋敷で受け持っていた雨
にもなるという。つまり、
「これま
しかし、敷地を埋め戻すことに
よって新たにリスクを抱えること
委員会)からだ。
水の危険がある」
(渡名喜村教育
に合わない豪雨のときは、床下浸
州・沖 縄の重伝 建地区
解な問題でもある。今日まで、九
伝統的集落景観の維持は重要
なことである。同時に、非常に難
案が出されているという。
時は排水ポンプを設置するなどの
戻しをしていない家には、豪雨の
地を分筆しないとか、敷地の埋め
対しては、固定資産税の軽減や敷
気をつけないと暗いという問題に
れている。たとえば、昼間でも電
㌶、南 区の ・
ヶ所を
㌶で
の ・
3
その後の人口の増加にともない西
である。
すぐに浸透し、水はけがよいため
になっているのは、雨が降っても
る」
(同)こととなり、渡名喜島
落景観を大きく損なう恐れがあ
らし、渡名喜島独特の伝統的集
それがひいては集落の変容をもた
行政は心をくだいている。
によって空家が増え、その処置に
地域へ流出した人々は多い。それ
だ。事実、この重伝建地区から他
の道路幅員などが失われかねない。 た。渡名喜村も例外ではないはず
取材してきたが、何処も伝統的建
区に伸び、さらに南区に広がった
こうしたつくりは掘り下げ敷地
といって、渡名喜村特有の建築法
の魅力の喪失につながりはしない
くしくも最近、民間の研究機
関『日本創世会議人口減少問題
りから屋敷への自動車の乗り入れ
というのが成り行きのようだ。な
であるらしいのだが、昨今は、現
かと危機感をつのらせる。
強風をさえぎるのに大いに役立っ
お、役場、港、小中学校など主要
代の生活に合わなくなったとの声
総 務 相)
』がショッキングな試算
造物との向き合い方に苦慮してい
表通りの白砂の道を歩いている
と各家屋が眺められるのだが、そ
も多く聞かれ、
役 場 とし
ては、むろん
を発表した。内容は、2040年
が可 能となり、屋敷囲いや現在
の家屋の構築法に渡名喜島なら
敷地を埋め戻す
重伝建地区
までに全国896自治体で 〜
ック塀。これは、かつ
表 通 り 側の塀はブロ
が暗く、電気を
昼間でも家屋内
の出入りが大変。
渡名喜島全景。
白い部分が集落。
状のままに維
景 観 を、 現
伝統的集落
のだ。伝統的集落景観の維持と、
523自治体が消滅するというも
で男性も同様に減少し、そのうち
歳までの若年女性が半減すること
策も検討さ
そのための対
課せられた課題は大きい。
るか、重伝建地区を持つ自治体に
い立場である。 人口流出対策のバランスをどうと
持していきた
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機関は西区にある。 ではの特徴が見られる。まず敷地
家も増え始めた
に選定された
てはみごとな珊 瑚 石
つけねばならな
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検討分科会(座長・増田寛也元
にそって樹木(地元で
という。理由は、
えられ、その中に赤
灰岩などの石積みだ
い。水はけが間
瓦屋 根の家 屋が建つ。 が大きく年寄り
「主には、段差
は福 木という )が植
東区あたりにつくられたそうだが、 たからという。また、敷地が砂地
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3
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ある。グスク時代に集落は現在の
1
沖縄県島尻郡渡名喜村
ったらしいが、ハブの
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