自由で成熟した社会

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)年、フィリピン・セブ島の沖合 ㌔に浮かぶ周囲2㌔の小島カオハガン島が売りに出ていることを知り、
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500人ほどの島民と共に、小さなロッジを運営しながら暮らしている。
カオハガン島は東京ドームと同じくらいの広さで、法的には崎山さんが所有者なのだが、崎山さんはそ
んなことなどちっとも意識していない。それどころか、島の人々に自然を守ることを教え、教育を充実させ、
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Zaikai Kyushu / OCT.2012
自由で成熟した社会
『カオハガンからの贈りもの』
2004(平成 )年に出版された本だから、8年前に書かれた言葉だが、
(海竜社)の著者崎山克彦さんは、
「経済成長のない時代に入るということは、すばらしい時代に入ろう
崎山さんは1935(昭和 )年、福岡県に生まれ、慶応大学法学部を卒業。講談社、講談社インター
ナショナル取締役、マグロウヒル出版社社長など 年間のサラリーマン生活を送ってきた。1987(昭和
自分をしっかりと持っている人には、とても楽しくて有意義な、すばらしい時代になるのだと思います」
うか、何をしたいのか、どんな暮らしをしたいのか、あなた自身が、そこからの選択をしなければなりません。
範囲の中ででした。これからは、その『親の力』
、国の経済力が弱まります。ですから、自分はどう生きよ
どこに旅行に行こうか』などと、甘ったれて、生きていたのです。しかし、それはあくまで経済の支配する
「今までの経済が成長し続けた時代の中で、私たちの人生は、暮らしのすべてを会社、経済成長におんぶ
している『あなた任せの暮らし』だったと思います。そんな、
経済成長という『親任せ』の中で、『何を買いたい、
だと思われます」
考えなければなりません。これは大変な変化なのです。そして、この生き方こそが人間本来の生き方なの
きるには、あなた自身の『人間らしい、自由で成熟した人生』とは何かを、ひとりひとりが、自分自身で
「経済成長のない時代に入る、ということは、
『お金があって、時間がない』という時代から、
『お金の余
裕は少なくなるが、自由になる時間はたっぷりある』時代に入るということです。その時代を積極的に生
としている」と指摘し、その理由をこう述べている。
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この島に魅せられた崎山さんは、
1千万円で購入。そして1991
(平成3)
年、
会社を退職して島へ移住し、
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日本へ子どもたちを留学させるなど、島民になりきって生きている。
この島では、自分と家族が生きること自体が〝仕事〟で、自分の暮らしを、自分と家族で、責任を持っ
て自由に作り上げている。崎山さんはこの島に住み始めたとき、隣人カシオの暮らしぶりを見て、驚いて
しまった。カシオはいつも身体を動かして何かをしている。家のどこかを修理したり、島の暮らしに欠かせ
ない舟を作ったり、豚や鶏の世話をしたり、海に出ておかずにする小魚を捕ったり、網を繕ったりしている。
奥さんと交代で、
食事や掃除、
洗濯までしてしまう。それでいていつもニコニコと楽しそうで、
自分の暮らしを、
今という時を精いっぱいに楽しんでいる。
崎山さんは、自分たち日本人の男は、自分の暮らしに直接関係のある〝仕事〟を何一つしていないのに
気づき「ハッ」とした。目からウロコが落ちる思いがした。日本人の男たちは、
お金を得るために外で働いて、
家庭を顧みる暇もないのが実情だ。崎山さんは、どちらが人間本来の生活であり、生き方なのだろうか
と考えさせられたという。
島でマネジャーをしていた日本人が、退屈しのぎに自転車を島に持ち込んだ。島の端から端まで歩いて
も 分もかからないから、自転車など必要ないのだが、乗り回すのを見た島民がまねて自転車を買うと、
瞬く間に 台以上の自転車が島を走り回るようになった。急ぐ必要などまったくないのに、島民の目に
真一郎
みんなが誇りを持っていた、あの懐かしい日本を、この島に感じてしまう」というこの夫婦が求める新たな
ない状況にありながら、その「本気度」が伝わってこない。
「今よりも貧しい中にも『清らかさ』のあった、
これは、ロッジに数日泊まった中年の日本人夫婦が、宿のノートに書き残していった言葉である。この国
は今、間違いなくさまざまな面で岐路に立たされている。生き方、考え方を根っこから変えなければなら
「初めて来たのに、なぜか、懐かしいカオハガン…」
必要だから買うのではない」ことの見本を、見せ付けられる思いがした、と話している。
る手段を使って、限界を超えてモノを買うよう仕向けてくるシステムの中に生きている。
「モノというのは、
自転車は素晴らしい文明への大きなステップとして映ったらしく、得意げに乗り回す。現代人は、あらゆ
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社会の再構築はできるのだろうか。
Zaikai Kyushu / OCT.2012
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