自然をめぐるエッセー 21 箱根マイセンアンティーク美術館

自然をめぐるエッセー
由井
21
浩
箱根マイセンアンティーク美術館
9月4日の夜にテレビのチャンネルを回していたら、テレビ朝日の「ビフォーアフター」
という番組で箱根の庭園の改装が取り上げられていたので、思わず見てしまった。大正か
ら昭和初期に見られた折中様式の洋館を買い取ったオーナーが、木が生い茂って暗い感じ
の庭を改装して、明るくて人が入りやすい庭園にしたいと番組に依頼し、請け負ったデザ
イナー、造園家などが 900 万円の予算内でどう改装するかについていろいろ考えを巡らせ
るところで、“ビフォー(before)の部が終わった。
その先のことが気になって、次週の“アフター(after)”の部も見た。せっかく生えて
いる木はできるだけ切らない、石もできるだけ捨てない、との方針を貫きながら5つの円
形テラスと、温泉の源泉をテラスの縁を通して円形の足湯に流れ落ちる仕掛けのある、と
ても明るく、楽しそうな庭園に生まれ変わって行った。
オーナーはここでマイセン美術館をオープンするという話だった。マイセンの磁器につ
いえては前から多少の関心もあったので、現地で実物を見たくなって 10 月初めに箱根に行
った。インターネットで調べたところ、マイセン美術館は仙石原にあるということだった。
箱根の玄関口である箱根湯本駅のバスの切符売り場で念のためにマイセン美術館までの行
き方を聞いたところ、おばさんが「テレビに出たあれでしょ。あれは登山電車で強羅まで
行って、強羅からケーブルカーに乗って1駅目の公園下で降りるのよ。」と教えてくれた。
仙石原と思い込んでいたので、何故強羅なのか釈然としなかったが、おばさんの「テレビ
に出たあれ」を信じて強羅の公園下まで行って駅の人に聞いたら、
「ここから10分ほど歩
いたところにあります。」という返事で安心した。
(後でよく調べたら、オーナーが 11 年前
から仙石原で“マイセン庭園美術館”を開いていて、今度強羅に“マイセンアンティーク
美術館”という別館をオープンしたということ
だった。)
公園下駅から北西に 10 分ほど歩いてマイセ
ンアンティーク美術館に着いた。門を入って左
側が庭園になっている。円形のテラスが5つ、
少しずつ段差をつけて並べられ、源泉の水がテ
ラスの縁を通して円形の足湯に流れ落ちてい
る。ここまではテレビで見た通りだったが、円
形テラスにはそれぞれ丸いテーブルと椅子が
置かれ、テーブルの中央には大きな赤いパラソ
ルが立てられ、テラスで軽い食事ができるカフ
ェとなっていて、各テラスとも訪れた人達の会
話が弾んでいた。
せっかくなので美術館に入り、ドイツの名磁器マイセンの重厚で優美な
展示品を一通り見て回った。パンフレットの表紙にマイセン磁器の窯印(ト
レードマーク)の変遷が描かれていた。窯印は、窯印を描くことを専門と
する絵師によって、一点一点手描きされているということである。
←現在のマイセン双剣の窯印〈美術館パンフレットより転載〉
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この夏にある友人と会った時に、シュレーディンガーが書いた「生命とは何か」(1944
年著、2008 年 岡 小天、鎮目恭夫 訳、岩波文庫)のことが話題になり、この本を熟読
した友人が、とても示唆に富む、内容のある本だと何度も話していた。
1926 年に量子力学を確立して 1933 年にノーベル物理学賞を受賞したシュレーディンガ
ーは生命にも大きな関心を持ち、1930 年代に生命科学の分野に転じ、分子生物学の形成に
大きな貢献をなした。1944 年に著した本書は当時の生命科学者達に大きな影響を及ぼし、
1953 年のワトソン、クリックによる DNA の二重らせん分子模型の提唱に大きなヒントを
与えたと言われている。
友人に勧められて岩波文庫の和訳本を
買って読み始めたが、2、3回通読して
も友人が言うほどの中身は感じられなか
った。ただ、中に書かれている染色体が
2本で対になっている図と、マイセンの
双剣が連想でつながったので、この本を
マイセン美術館でもう一度じっくり読む
ことにした。
美術館の展示を見終わってまた庭に出
ると、円形テラス席の1つが空いていた
のでそこに座って軽い昼食を取った。そ
の後でコーヒーを飲みながら「生命とは
何か」をゆっくり読んだ。時折緑の木立
マイセン近作“たわむれ”
を吹き抜ける心地よい風を感じながら、
マイセンの近作“たわむれ”のカップで飲むコーヒーの味は格別だった。
「生命とは何か」を読み通し、ようやくこの本が友人の言うようにとても示唆に富む、
内容のある本だということがわかってきた。この本の中で“秩序の形成”が生命にとって
最も重要なことの一つとして書かれている。秩序の形成はこれからの材料の研究において
も重要な視点になると思われるので、材料の研究者にもこの本を読むことを勧めたい。
美術館を出てから、ケーブルカー、ロ
ープウェイ、遊覧船を乗り継いで箱根町
に行った。箱根神社の赤い鳥居が芦ノ湖
に浮かび、山の上に富士山が見える光景
を写真に撮ろうとしたが、残念ながら富
士山は姿を見せてくれなかった。庭園で
過ごした午後の上質なひとときの余韻
で残念さを振り払って帰路に着いた。
夕刻前の芦ノ湖(箱根町)
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