社会哲学研究資料集 II - 京都生命倫理研究会

社会哲学研究資料集 II
平成 15 年 3 月
目次
加茂直樹 「「現代社会の総合的把握」について(その 2)
」 . . . . . . . . . . .
第I部
第 II 部
研究活動記録
3
13
研究会報告要旨
19
品川哲彦 「教養教育カリキュラム改革について
――2002 年 2 月 21 日の中央教育審議会答申に際して」 . . . . . . . . . . . 21
藤野寛 「なぜ、社会哲学を共同研究するのか――ホルクハイマーからハーバー
マスに向かって考える」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 22
清水正徳 「〈貨幣の人間学〉試論――「社会哲学と現代」への一視角」 . . . . 23
加茂直樹 「家族・教育・公共性」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 24
菊地建至 「多文化主義と「外国人学校」」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 25
江口聡 「集団責任について」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 27
. . . . . . . . . . 28
黒田浩一郎 「社会学から見た現代医療」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 30
赤林朗 「倫理委員会の現状と今後の展望」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 32
大山 明男 「「現実」からの分配理論の検討
――社会認識と規範理論を結びつけるために――」 . . . . . . . . . . . . . 34
柳澤有吾 「戦争と倫理――原爆投下をめぐって――」 . . . . . . . . . . . . . 36
田村 公江 「ラカンのテーゼ〔性関係はない〕が示唆するもの」 . . . . . . . . 37
奥田太郎 「ホイッスルブローイングという問題」 . . . . . . . . . . . . . . . 38
樫則章 「医療はビジネスか」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 40
足立幸男 「ディシプリンとしての公共政策学の成立可能性」 . . . . . . . . . 41
望月俊孝 「技術理性の批判――建築の批判哲学に向けて」
森村進 「リバタリアンはなぜ福祉国家を批判するのか――さまざまの論拠」 . 42
森岡正博 「無痛文明とは何か」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 44
福永俊哉 「エシックス・コンサルテーション」 . . . . . . . . . . . . . . . . . 45
玄 哲浩 「「潜在的に批判的なもの」としての文化
――フランクフルト学派第一世代の遺贈したもの――」 . . . . . . . . . . . 47
平石隆敏 「自尊心について」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 49
田中朋弘 「ビジネス倫理学の転換――倫理学としてのビジネス倫理学」 . . . 50
立岩真也 「生存の争い──医療の現代史のために」 . . . . . . . . . . . . . . 51
1
松原洋子 「優生保護法と GHQ–戦後断種法はいかに成立したか」 . . . . . . . 52
第 III 部
論文
55
伊勢田哲治 「集団的責任論と人格としての企業」 . . . . . . . . . . . . . . . 57
柳澤有吾 「戦争と倫理――原爆投下と非戦闘員の不可侵性――」 . . . . . . . 68
玄 哲浩 「「潜在的に批判的なもの」としての文化
――フランクフルト学派第一世代の遺贈したもの――」 . . . . . . . . . . . 81
加藤恵介 「ハイデガーにおける民族と大学」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . 98
竹下 賢 「中国における環境法調査と講演についての報告」 . . . . . . . . . . 106
島内明文 「テロリズムの倫理学」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 113
藤野 寛 「なぜ社会哲学を共同研究するのか ――ホルクハイマーからハーバー
マスに向かって考える」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 124
望月俊孝 「建築の社会哲学――その基本設計」 . . . . . . . . . . . . . . . . . 136
浜岡 剛 「刑罰における応報と道徳教育
──刑罰の正当化に関する社会哲学的考察の試み──」 . . . . . . . . . . . 149
福永俊哉 「アメリカ合衆国における臨床的な倫理コンサルテーションについ
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 164
奥田太郎 「ホイッスルブローイングの正当化に関する「共犯理論」の検討」 . 171
て」
第 IV 部
文献紹介・講演報告
185
デヴィッド・ミラー 「社会的正義と環境財」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . 187
エルベール・ゲシュヴィント 「スピリチュアルな取組みが人生の終末に際し
て、倫理をどれだけ考えることができるのか」 . . . . . . . . . . . . . . . . 192
カトゥリーヌ・ラレール 「予防原則の哲学的文脈」 . . . . . . . . . . . . . . 195
マイケル・デイビス、ロバート・マギン 「工学倫理講演会報告」 . . . . . . . 199
第V部
研究組織
203
2
「現代社会の総合的把握」について(その 2)
加茂直樹 (京都女子大学現代社会学部)
1 問題の展開
前稿においては、米本昌平、広井良典、佐和隆光の三者の論考を取り上げて、現代
社会の総合的把握に向けてアプローチの仕方を模索した。米本の刺激的な主張の中で
最終的に私の印象に残っているのは、
「先進国社会とは、公共的財の使途に最大限の知
が投入される社会のことである」
(
『知政学のすすめ』
、中公叢書、1998 年、p.242)と
いう断定である。公共的財とは具体的に何を指すか、公共財の使途の決定に知がどの
ように組織されるべきか、などの問題が、ここからすぐに派生してくる。知の関与に
関する後者の問いは、米本にしたがえば、日本のアカデミズムのあり方に根底的な変
革を迫るという意味をも含んでいる。
広井良典の所論の中で先に紹介したのは、福祉と環境を、経済と相互に関わりあう
要因として捉える「定常型社会」論であるが、これの現実的可能性については、経済
の規模の拡大を否定する定常型社会が、果たして資本主義社会体制あるいは市場経済
の制度と両立するのか、という根本的な疑問を含めて、なお検討が必要である。
佐和隆光が『市場主義の終焉』
(岩波新書、2000 年)において下す日本経済への提言
は、市場主義の終焉といいながら、これの完全な放棄を説くものではない。彼によれ
ば、第一に、日本の市場経済は不自由、不透明、不公正であるから、これを市場主義改
革によって自由、透明、公正なものに作り変えることがまず必要である。だが、第二
に、この改革の断行は、所得分配の不平等、公的医療・教育の荒廃などの副作用を不
可避的に伴うから、
「第三の道」的な改革を並行させて、副作用を緩和しなければなら
ない。この2点に関して、彼の主張の妥当性をさらに検証することが必要であろう。
広井の言う定常型社会や佐和の説く「第三の道」的な改革の推進は、政治や経済の
成り行きに任せていては不可能である。おそらくそのことに関わって、米本の唱える
「最大限の知の投入」が必要になるであろう。そのあたりの検討が今後の考察の一つの
焦点になると思われる。
2 公共的財と知――米本昌平
米本昌平は、先に挙げた問題点について、前掲の引用に先立つ数ページ(米本、前
掲書、pp.239∼242)で触れている。それは「日本の大学の解体再編」の必要性を説く
文脈の中で述べられているので、ややわかりにくいが、私の関心に即して以下に要約
する。第一に、90 年代になって、世界的傾向として、学問研究は社会的な課題志向型
に変わってきたが、日本のアカデミズムは、なお大学の自治、研究の自由を盾に、こ
の歴史的なうねりを無視してきた。ただ、これには、大学人を実態政治に関与させな
3
いという、明治以来の権力側の配慮が影響したのかもしれない、と米本は付け加える。
大平正芳、中曽根康弘らが首相になったころから、有識者の意見を汲み上げる審議会
方式が盛んになるが、その実態は官僚が審議会委員の「ご高説を拝聴」するものにと
どまっていた。
第二に、過去はどうであれ、今後は直面する人類史的課題の解決へ向けて、本格的
な政策論争を実現するために、大学アカデミズムの巨大研究センターが活用されるべ
きである。政策立案に必要な情報も、行政が必ずしもいつも独占しているわけではな
く、研究者側が独立にデータを集め分析すること、とくに外国と詳細に比較すること
などの実践を通じて、良質の政策の立案に寄与することが可能であるし、求められて
もいるのである。
第三に、
「われわれが直面する大きな課題は、医療・福祉・環境である。これらは地
域レベルの課題であると同時に、知的な性格が強いものである。しかも投入可能な財
が限られているとすれば、ますます知的な工夫が不可欠で、調査研究と行政サービスが
融合してしまうのが理想となる。
」
(前掲書、p.241)このようなイメージに近いものと
してスウェーデンの例が挙げられる。先進国では、行政制度が統治を目的としたもの
から、善意を制度化したものへと変貌していくようにみえる。日本の公共投資が、橋
や道路から医療・福祉・環境へと対象を変え、そこに職を創出していくことを考えな
ければならない。1
第四に、大学の解体再編は、このような研究活動を大学や職業的研究者の独占から
解放するためにも必要とされる。成熟した民主主義社会では社会的合意形成の手法と
して、また取り組むべき問題の質からいっても、一般市民が自らの手で調査や研究を
行う道を確保しておくことが死活的に重要であるからである。2
以上を乱暴に総括して述べるならば、米本のいう「最大限の知」とは、政治家、官僚
と学問研究者、さらに一般市民が、それぞれ自らの独自性を生かして寄与することに
よって具体化されるものであり、
「公共的財」として彼がまず念頭においているのは、
医療・福祉・環境である。
3 社会的共通資本と制度主義――宇沢弘文
だが、公共的財は、もちろん米本の言う医療・福祉・環境だけに限られるわけでは
ない。これをもっと包括的に捉えるには、経済学者の宇沢弘文のいう「社会的共通資
本」の概念を用いるのが便利と思われる。宇沢によれば、社会的共通資本は、
「一つの
国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化
1 ここで、善意の制度化がどのようにして可能か、善意の行為が行為者の自己満足に終わらないようにす
るにはどうしたらよいか、が問われる。社会学者の今田高俊も公共性に関して、公権力による管理主体の公
共性から、一般市民が参加する支援主体の公共性への転換が必要であると説く。その場合、支援行為は、支
援者が自ら立てた成果目標の達成によって終わるのではなく、被支援者が満足すること、被支援者の目標な
いし行為の質の維持・改善がまず重視されなければならないとされる。
(今田高俊「社会科学の観点から見
た公私問題」公共哲学第二巻『公と私の社会科学』東京大学出版会、2001 年、所収、pp.51∼57)
2 いま国立大学の統合再編と法人化が懸案となっているが、大学人がこの問題に対処するとき、米本のよ
うな観点を忘れてはならないであろう。大学を市民に開放し、市民と協力し合うことこそが、今後の大学の
自主性の維持と研究・教育の充実に寄与すると考える。
4
を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするよう
な社会的装置を意味する。
」
(宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、2000 年、p.4)さ
らに、
「社会的共通資本は、たとえ私有ないしは私的管理が認められているような希少
資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基
準にしたがって管理・運営される。
」
(前掲書、p.4)だが、その具体的構成は「先験的
あるいは論理的基準にしたがって決められるものではなく、あくまでも、それぞれの
国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して、
政治的なプロセスを経て決められるものである。
」(前掲書、p.4)
宇沢はさらに説明する。
「社会的共通資本はいいかえれば、分権的市場経済制度が円
滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件であるといってもよ
い。」(前掲書、p.4) それはアメリカの経済学者ソースティン・ヴェブレンの制度主義
(Institutionalism)の考えを具体的に表現したものであり、さらにこの制度主義の思想
的根拠はアメリカの哲学者ジョン・デューイの思想にあるとされる。
ただ、制度主義という言葉だけからでは、その正確な意味内容がつかめないので、長
くなるが、さらに宇沢自身の説明を引用する。宇沢は、われわれの求める経済制度が、
一つの普遍的な、統一された原理から論理的に演繹されるのではなく、それぞれの国
ないしは地域のもつ倫理的、社会的、文化的、そして自然的諸条件が相互に交錯して
作り出されるものであることを前提した上で、次のように述べる。
「制度主義の経済制
度は、経済発展の段階に応じて、また社会意識の変革に対応して常に変化する。生産
と労働の関係が倫理的、社会的、文化的条件を規定するというマルクス主義的な思考
の枠組みを超えると同時に、倫理的、社会的、文化的、自然的諸条件から独立したも
のとして最適な経済制度を求めようとする新古典派経済学の立場を否定するものであ
る。かつて、アダム・スミスは『国富論』のなかで、論理的整合性のみを基準として
想定された経済制度の改革は必然的に、きわめて多様な人間の基本的傾向に矛盾する
ことになることをくり返し強調した。アダム・スミスは、民主主義的なプロセスをつ
うじて、経済的、政治的条件が展開されるなかから最適な経済制度が生み出されるこ
とを主張した。私たちが、制度主義という経済制度を考察しようとするのは、まさに
このアダム・スミス的な意味においてである。」(前掲書、pp.20∼21)
4 社会的共通資本の管理・運営――宇沢弘文
20 世紀の 70 年以上にわたって行われた社会主義の実験は、悲惨な失敗に終わった。
宇沢は述べる。「中央集権的な計画経済は、いずれも国家権力の肥大化が著しく、し
かも、その行使が往々にしてきわめて恣意的なかたちでおこなわれてきた。市民的権
利は最低限の生存に限定され、一般の市民に賦与される自由も最低限に抑えられてい
た。」
(前掲書、p.18)他方、分権的市場経済も深刻な矛盾を抱えており、実質所得と
富の分配の不平等化、不公正化の趨勢を止めることはできなかった。市民的自由を最
大限に保証しながら、市場経済の矛盾を克服するために導入されるのが、社会的共通
資本であり、制度主義なのである。
5
「制度主義のもとでは、生産、流通、消費の過程で制約的となるような希少資源は、社
会的共通資本と私的資本との二つに分類される。社会的共通資本は私的資本と異なっ
て,個々の経済主体によって私的な観点から管理、運営されるものではなく、社会全
体にとって共通の資産として、社会的に管理、運営されるようなものを一般的に総称
する。
」
(前掲書、p.21)宇沢が社会的共通資本として具体的に挙げるのは、
(1)土地、
大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの自然環境、
(2)道路、上下水道、公共的な交
通機関、電力、通信施設などの社会的インフラストラクチャー、
(3)教育、医療、金
融、司法、行政などのいわゆる制度資本である。
それでは、社会的共通資本が「社会的に管理、運営される」とは、何を意味するか。
宇沢によれば、それは、政府によって規定された基準ないしはルール、あるいは市場
的基準にしたがってではなく、
「それぞれの分野における職業的専門家によって、専門
的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営される」
(前掲書、pp.22∼23)
ことを意味する。このように重要な管理、運営の任務を信託された専門家機構は、自
立性を保ち、市民に対して直接に管理責任を負う。
政府の経済的機能は、統治機構としての国家の機能ではなく、さまざまな社会的共通
資本の管理、運営が信託に忠実に応えているかを監理し、それらの間の財政的バラン
スが保たれるようにすることにある。「さまざまな社会的共通資本の組織運営に年々、
どれだけの資源が経常的に投下されるかということによって政府の経常支出の大きさ
が決まってくる。他方、社会的共通資本の建設に対して、どれだけの希少資源の投下
がなされたかということによって、政府の固定資本形成の大きさが決まる。このよう
な意味で、社会的共通資本の性格、その建設、運営、維持は、広い意味での政府、公
共部門の果たしている機能を経済学的にとらえたものであるといってよい。
」
(前掲書、
p.24)
宇沢のこのような主張は、市場経済制度が最適であると前提する新古典派理論が所
得分配の不公正を生み出す、という分析にその基礎をもつが、この分析の細部には立
ち入らない。社会的共通資本に関わるテーマで、宇沢がこの書物において具体的に取
り上げるのは、農業と農村、都市、学校教育、医療、金融制度、地球環境であり、特
に日本の近代から現代において、一方では官僚的な管理によって、他方では市場的基
準によって、あるいはまた政治と産業界の癒着によって、これらの重要な社会的共通
資本が深刻な侵害を蒙ってきたことが強調される。
このような事態の克服のために宇沢が主張するのは、前述のように、社会的共通資
本が「それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的
規律にしたがって管理、運営される」(前掲書、pp.22∼23) ことである。このことに関
連して、いくつかの問題点がある。第一は、そうした権威のある専門性を備えた機構
が現代において成立するのか、という疑問である。一方で、彼等が立ち向かうべき課
題はますます複雑で困難なものになっており、他方では、各分野で専門家たちの堕落
と権威喪失が顕著になっているからである。3 第二は、このような専門的機構は、政治
3 宇沢自身が、例えば「社会的共通資本としての金融制度」について論じた章の末尾において、職業的専
門家による職業的規範にしたがう管理・維持の必要性を改めて述べた上で、次のように付け加える。「とく
に、金融という、高度に専門化し、経済的、社会的、政治的要素ときわめて複雑に交錯している社会的共通
6
や行政からの自立性を確保しつつ、実務においてはそれらと深く関わり合うことを必
要とする。それが所期の目的を達成するためには、制度的な工夫が必要であろう。特
に困難を予想される問題は、個々の専門的機構のもつ管理・運営の権限と、政府のも
つ全体的な監理の権限との衝突をどのように克服するかである。第三は、一般市民と
の関係である。専門的機構は市民からの信託を受けて、社会的共通資本の管理・運営
にあたり、市民に対して直接に管理責任を負うとされるが、それは具体的にはどのよ
うな形を取るのか。また、私的な欲望の充足を優先させること、易きにつくことに慣
れた市民と、どのようにして緊張感のある協力関係を築いていくことができるだろう
か。第四に、宇沢は直接に触れていないが、科学技術を今後どのような方向に発展さ
せ、その成果をどのように社会に取り入れていくかも、いま非常に重要になっている
問題である。科学技術のあり方が実態政治や市場経済の流れの中で社会的な論議ぬき
で決まっていくのは明らかに不適当であるが、これを宇沢のいう専門的機構に全面的
に委ねていいか、この問題に関して権威をもった専門的機構がどのようにして成立す
るのか、という問いはなお残される。
宇沢は、社会的共通資本という考え方そのものが、自動車の社会的費用の概念を明
確に理解するために考え出されたと言う。(前掲書、p.105)その背景には、「1955 年
体制のもとにおける自民党、行政官僚、土木建設業の共同機構」
(前掲書、p.122)が、
自動車の社会的費用の外部への転嫁を許してきたという事実がある。政府による公共
事業の公共性に重大な疑問が投げかけられ、市場経済の成り行きに任せていたのでは
社会的費用がいつまでも内部化されそうにない、という現実に直面して、案出された
のが社会的共通資本である。公と私とか、官と民という旧来の二分法では扱いきれな
い領域がいま重要になっており、そこに新しい公共性をどのように確立していくべき
か、という問題が提起されているのである。
5 市場経済の拡大・成長の過程――広井良典
広井良典の『定常型社会』(岩波新書、2001 年)における「定常型社会=持続可能
な福祉国家/福祉社会」論は、前稿において簡単に紹介したが、これについてもう少
し詳しく検討してみよう。彼はこの書物の第4章において、これまでの経済社会の成
長の過程とその論理を、経済システムの歴史的展開に即する形で概観し、定常型社会
の可能性を探っている。
それによれば、近代の市場経済以前の社会においては、
「人間を取り囲む〈自然〉
(土
地と、農業によるそこでの食物生産)の枠内にすべてが規定されるかたちで共同体の
〈協働〉が行われる。したがって消費しうる資源は〈有限〉の内部にとどまっており、
自ずと〈倹約は美徳〉ということが自明の規範となる。なぜならば、消費しうる資源
の総量が決まっているのだから、自らの〈取り分〉を拡大することは、共同体の他のメ
ンバーの取り分を減らすことをそのまま意味するからである。
」
(広井、前掲書、p.118)
資本の場合、その職業的規範を明確に定義し、金融にかかわるさまざまな市場について、その構造的、制度
的諸条件を整備し、経済循環の安定性を確保することは至難のことである。
」(宇沢弘文、前掲書、p.201)
7
広井によれば、現代の市場経済は、このような制約から三段階の離陸を重ねること
によって成立してきた。第一に、
「市場経済というシステムが、共同体からの個人の独
立を通じ、また〈欲求(私利)の肯定〉という規範の転換を伴いながら成立し、市場
はまず“共同体的制約”から〈離陸〉を開始する。」(前掲書、p.136)
第二に、「18 世紀末以降の産業化=工業化のプロセスを通じて、すなわちテクノロ
ジーによる自然支配を通じて、市場経済は“自然的制約(とりわけ土地)
”から〈離陸〉
し、これとパラレルに、
〈必要(ニード)
〉の次元から独立した(主観的な)
〈需要(デ
マンド)
〉の領域が開け、需要と供給の相関する場としての(新古典派的な)市場が展
開していく。
」
(前掲書、p.136)
第三に、
「さらにケインズの時代(=産業化社会・後期)となると、モノ不足的な状
況が終わる中で経済の決定要因が〈需要〉サイドに移るとともに、その場合の需要は、
〈情報の消費〉ともいうべき、際立って主観的なものへ性格を変えていく。
」
(前掲書、
pp.136∼137)同時に、消費が物質的なもの(物質・エネルギー)から独立し、市場経
済は再び“自然的制約(物質・エネルギー)
”から「離陸」する。金融市場が独立した
領域として展開し、貨幣が消費ないし投機の対象となり、強い主観性・不安定性を内
包しつつ、経済全体の主要な決定因となっていく(情報化とマネー化)
。
6 定常化社会はなぜ必要か――広井良典
現在われわれが享受している物質的な豊かさは、以上のような三段階の離陸によっ
て幾重かの制約を乗り越えて獲得されてきた。しかし、こうして実現した経済社会シ
ステムには、本質的な限界や矛盾がある。広井が指摘するのは次の三点である。
第一は「外的な限界」であり、これまで「拡大・成長」を続けてきた経済社会が、資
源や環境の地球レベルでの有限性という制約に直面していることである。一部の古典
派の経済学者は、土地の有限性を念頭において、成長が行き着く終着点としての定常
状態を想定していたが、新古典派などの経済学においては、それは忘れ去られていた
のである。
第二は「内的な限界」である。需要は物質的な制約から自由になることで、無限と
もいえる拡大の舞台を得た。「各個人が不断に拡大する需要ないし欲望をもち、しかも
それが政府の所得再分配を通じて普遍化することで、既に見てきたように戦後の空前
の経済成長が展開していったのだった(
“高度大衆消費社会”としての福祉国家システ
ム)。」
(前掲書、p.139)しかし、人間の需要や欲望は無限に拡大を続けるものだろう
か。量的な拡大・成長にはある種の飽和点があるのではないか。成長という目標の追
求が、幸福の感覚とは乖離し、むしろこれに代わる価値ないし目標の発見と根拠づけ
が求められているのではないか。依然として、成長や需要拡大のための景気対策のみ
を追及しているところに、財政赤字の蓄積や将来世代への負担のツケ回しといった病
理や社会不安の根本原因があるのではないか。
第三は「分配」をめぐる問題である。第一と第二の点はいずれも経済ないしは富の
大きさに関わっていたが、富は放任しておけば偏在するのが普通であり、その富の分
8
配のあり方を問い、必要な場合にはその是正を図っていく必要がある。この分配の問
題を国内レベルと地球レベルに分けて考えることは、原理的には妥当でない。現時点
では、前者については国レベルの政府が社会保障という形で調整や是正を行っている
が、後者に関しては、そうした主体が存在せず、国際機関や国家間の調整に委ねられ
ている。しかし、将来的には、
「地球レベルの社会保障」のシステムが必然的に要求さ
れる、と広井は主張する。
第三の分配の問題について、広井はこれに先立って(前掲書の第2章と第3章にお
いて)日本に即した対応策を検討するが、そこで残された課題は環境制約に関わるも
のであり、結局は第一、第二の問題(成長の外的、内的な限界)に含まれてくる。そ
して、このような外的、内的な限界を克服しうる社会のあり方として浮かび上がって
くるのが定常型社会なのである。
7 定常型社会の三つのレベル――広井良典
広井良典による定常型社会の当初の定義は、
(経済)成長ということを絶対的な目標
としなくとも十分な豊かさが実現されていく社会、あるいはゼロ成長社会であった。
定常型社会の実現可能性についてもっと踏み込んで検討するためには、その意味をさ
らに明確にする必要がある。広井は定常型社会に関して三つの意味またはレベルを区
別する。
第一は、「マテリアルな(物質・エネルギーの)消費が一定となる社会」(前掲書、
p.142)であり、そこでは、消費や経済が情報化し、
「情報の消費」
(モノそのものより
もデザインや付加価値に主たる関心が向けられるような消費)や「IT 化」が進む。物
質・エネルギーの消費は安定化、定常化し、経済そのものは成長を続ける。これが実
現すれば、成長の外的限界は克服される。欲望の充足や豊かさの追求は必ずしも否定
されない。
第二は、
「
(経済の)量的拡大を基本的な価値ないし目標としない社会」
(前掲書、p.144)
であり、
「量的拡大」よりも「質的変化」に主たる価値がおかれる社会、ゼロ成長社会
とも言える。これは内的な限界の克服と関わる。成長や量的拡大を目標として掲げる
ことそのものに、疑問を投げかけるのである。
第三は、
「
〈変化しないもの〉にも価値を置くことができる社会」
(前掲書、p.145)で
ある。ここで「変化しないもの」とは、たとえば自然、コミュニティ、古くからの伝統
行事、芸能、民芸品などを指す。広井によれば、経済(市場)―福祉(コミュニティ)
―環境(自然)という三層構造を時間という観点から見ると、経済が短期、福祉は長
期、環境は超長期の問題である。変化やスピードに価値が置かれるのが市場経済の世
界であるが、そのような価値を問い直すところに開けてくるのが、第三の意味の定常
型社会である。
広井は以上のように定常型社会の三つのレベルを区別した上で、資源・環境制約(外
的な限界)を克服するだけなら、第一のレベルにとどまって、経済成長の継続を志向
することも可能であるが、内的な限界をも考慮に入れると、第二、第三のレベルをも
9
視野に入れてこれからの社会を構想することが必要になる、と主張する。
8 時間観の転換――広井良典
広井はこの第二、第三の意味の定常型社会に関わって、時間という要素について特
に論じる。市場経済は、既述のように、自然と共同体から離陸して拡大・成長していっ
たが、時間という視点から見ると、それは「単位時間あたりの生産・消費」の極大化=
豊かさという方向を指すものであった。そして、その場合の時間は、ニュートン的な
絶対時間、つまり直線的で均質な時間であった。この「単位時間あたり」の消費量が
豊かさを示すという説明は、消費が「物質・エネルギー」の範囲に留まっているかぎ
りは、合理性をもっていた。経済活動が生物学的な基本ニーズの充足に関わっている
段階では、たとえば、1 日あたりの必要なエネルギー摂取量は重要な意味をもつから
である。
ところが、経済活動のある段階以降になると、商品とそうしたニーズとは直接のつ
ながりをもたなくなり、ファッションやモードに見られるように、
「時間的なスピード
の速さ」や「変化」それ自体が消費の対象になる。金融の世界においても、株式市場
に見られるように、タイミングよく金を動かし、利ざやを稼ぐことが自己目的になる。
「こうして〈時間〉の速度ないしスピードそのものが主観的な消費や取引の対象に繰り
込まれ、それが競争の中で増幅されていく中で、経済活動は〈生物学的時間〉からど
んどん乖離していく。
」
(前掲書、p.148)
ここで、広井は経済成長という概念の見直しと時間観の転換を提案する。彼は、
「エ
ネルギー消費」と「時間の速さ」が反比例する、つまり、体の大きさに対してエネル
ギー消費の大きい動物ほど時間が速く進む、という生物学者の本川達雄の議論を援用
する。それにしたがえば、生物としての生存に必要な量の約 40 倍ものエネルギーを消
費している現代の日本人の時間は、昔に比べ 40 倍も速くなっていることになる。
「こ
うした現代社会の時間に、身体あるいは生物としての時間が追いつけなくなっている
のが現代なのではないか、というのが本川の基本メッセージである。
」
(前掲書、pp.149
∼150)
ここから広井は時間観の転換が必要であると主張するが、その詳細には立ち入らな
い。結論的な部分だけを紹介すれば、広井は既述の「マテリアルな(物質・エネルギー
の)消費」から「情報の消費」への進化の過程のさらなる延長線上に「時間の消費」
というべき消費のあり方を見出す。この「時間の消費」には、
(1)文化、芸術、自然、
園芸、旅行、スポーツなどの余暇ないしレジャー(レクリエーション)に関わる分野、
(2)介護、保育、健康・医療、教育、カウンセリング、癒しなどのケアに関わる分野、
(3)生涯学習、スキルアップ、教育、趣味など自己実現に関わる分野が含まれる。こ
のような消費は、狭い意味での消費ではなく、従来型の生産と消費との区分や、仕事
と遊びという区分を超える性格のものである。4
4 社会学者の見田宗介はその著書『現代社会の理論』
(岩波新書、1996 年)において、現代の情報化/消
費化社会の矛盾や限界を克服する可能性を「人間はどんなものでも欲望することができるし、人間が見出す
幸福の形態には限りがない」
(見田、前掲書、p.169)ということに求め、新しい情報化/消費化社会の構想
10
ここで注意すべきは、
「時間の消費」においては、時間そのものが消費の対象である
から、これまでの消費とは異なり、
「単位時間あたりの消費量」の極大化はほとんど意
味をもたないことである。しかも、広井によれば、
「時間の消費」を特質とする諸分野
が現代において重要になってきていることは、前述の第二の意味での定常型社会、つ
まり「
(経済の)量的拡大を基本的な価値ないし目標としない社会」の可能性にひとつ
の根拠を与える。それは退屈で停滞的な社会ではなく、真の意味での自己実現や豊か
さの感覚につながる社会であると思われる。
広井はさらに、市場の内部で展開する「時間の消費」とは一応別に、市場からはみ
出していくような「根源的な時間の発見」を提起する。地域で介護・福祉、自然保護
などに自発的に参加し、ネットワークをつくり、支えあい喜びをわかちあうという活
動や、自然とのさまざまな関わりに癒しを見出す活動において、人々が発見するのは、
「市場/経済」の時間とは別の流れ方をする時間である。これはいわば「自然の時間」
であり、もっとも根底にあってゆっくり流れる「根源的な時間」である。
「人間にはそ
うした時間とのつながりが必要であり、またそれらに対する根源的な欲求をもってい
るのではないか。
」
(前掲書、p.158)市場/経済の領域が次々と拡大・成長し、自立性
を強めていく過程は共同体や自然からの「離陸」と表現されたが、いま志向されるの
は、もう一度、根底にある共同体や自然に「着陸」することであり、ゆっくりと流れる
時間、変化しないもの、永続的なものに価値を見出していく意識のもち方である、と
広井は結論づける。
9 アメリカ的な生き方の見直し――飯田経夫
本稿においては、広井良典の定常型社会論を中心にして、今後の社会や文明のあり
方を模索してきた。広井の主張はいわば大まかな仮説であり、これを全面的に受け入
れるためには、さらに多面的な検討が必要であろう。だが、物質的な豊かさばかりを
追求する現代社会のシステムについて、その限界を指摘し、価値観を転換する必要性
を説く論者は、他にも多く見出される。この稿の最後に、経済学者の飯田経夫の関連
する所論をごく簡単に見ておこう。
飯田は、いま日本人が直面しているのは、グローバリズムと連動した構造改革では
なく、
「豊かになって、これ以上のモノはいらない」という「新しい現実」ではないか、
と問い返し、そこから、人間にとって生活とは何か、経済とは何か、を根源的に考え
直そうと試みる。
(飯田経夫『人間にとって経済とは何か』
、PHP 新書、2002 年)そし
てその際、飯田が厳しい批判の対象とするのが、レーガノミックス以後のアメリカで
バイブルのように扱われている新古典派の経済学、市場至上主義的、あるいは市場原
理主義的な経済学である。彼によれば、資本主義・市場経済には、四つの無理がある。
第一は、他人を利用し尽くし、こき使う「搾取」の無理である。第二は、自分自身さ
を提示する。それによれば、「この情報化/消費化社会の依拠する根拠、人間の欲望と感受の能力の可塑性
と自由ということ自体を、根拠とし基軸として方向を転回すること、自然収奪的でなく、他者収奪的でない
ような仕方の生存の美学の方向に、欲望と感受の能力を転回することもまた可能なはずである。」
(前掲書、
pp.169∼170)
11
えも犠牲にしてしまう「過労死」の無理である。第三は、他国にまで押しかけていっ
て荒らしまわる「帝国主義的侵略」の無理である。第四は、
「地球環境破壊」の無理で
ある。
(前掲書、p.152)
初めの三つの無理は既にマルクスが批判の対象としていたものであり、第四のもの
は新しい現象であるが、いずれにしても、これらは現在においても根本的に克服され
ていない。ところが、いま支配的なアメリカ流の新古典派経済学はこれらの無理を無
視して、市場経済の万能を説く。その結果、アメリカで顕著になっているのが、所得
分配の不平等化、雇用の不安定化、金融の投機化などの現象である。さらに、80 年代
のレーガノミックス以来、「アメリカは国内に膨大な超過需要(過大な消費)を放置
し、その結果、巨大な貿易赤字を垂れ流し続けてきた。当然のことながらドルが下落
し、貿易赤字をファイナンスするのに巨額の公債を発行して、それを日本はじめ諸外
国に買わせ、対外債務を増やしていった。やがてアメリカは世界最大の対外債務国に
なった。
」
(前掲書、p.160)そのアメリカが基軸通貨国であることが、世界の経済を不
健全かつ不安定なものにしていると、飯田は指摘する。
アメリカ流の生き方は物質的な豊かさの追求を全面的に肯定するが、それを長期に
わたって持続させることはできないし、世界的に普遍化することもできないことは明
らかである。飯田は日本が経済政策の面で、また個人の生き方の面でも、アメリカ追
随を止めるべきことを繰り返し説く。物質的な豊かさの追求はいまや行き詰まってお
り、別の豊かさを求めての価値観の転換が必要になっているのである。(未完)
12
第I部
研究活動記録
14
研究活動記録
2001 年 3 月から 2002 年 12 月まで、次のような研究会を行なった。
3 月 30 日 (土) キャンパスプラザ京都
B 分科会
• 稲葉一人氏 (京都大学大学院医学研究科)「(医系) 倫理委員会の現状と課題―非医
療者委員の役割について」
• 伏木信次氏 (京都府立医科大)「脳神経疾患の遺伝子診断をめぐって」
D 分科会
• 栗原隆氏 (新潟大学)「市民の責任」
3 月 31 日 (日) キャンパスプラザ京都
A 分科会
• 井上眞理子氏 (京都女子大教授)「家族の多様化と人工生殖」
C 分科会
• 品川哲彦氏 (関西大学)「教養教育カリキュラム改革について――2002 年 2 月 21
日の中央教育審議会答申に際して」
全体研究会
• 藤野寛氏 (高崎経済大学)「なぜ社会哲学を共同研究するのか――ホルクハイマー
からハーバーマスに向かって考える」
15
• 清水正徳氏 (神戸大学名誉教授)「〈貨幣の人間学〉試論 ―「社会哲学と現代」へ
の一視角」
6 月 15 日 京都女子大学現代社会学部
A 分科会
• 加茂直樹氏(京都女子大学)「家族・教育・公共性」
D 分科会
• 菊地建至氏(龍谷大学)「多文化主義と『外国人学校』」
• 浜岡剛氏(中央大学)「刑罰と共同体」
C 分科会
• 江口聡氏(京都女子大学)「集団責任について」
• 望月俊孝氏(福岡女子大学)「技術理性の批判――建築の批判哲学に向けて」
6 月 16 日京都女子大学現代社会学部
B 分科会
• 竹下賢氏(関西大学)「全国総合開発計画と流域圏構想」
全体会
• 黒田浩一郎氏(龍谷大学)「社会学から見た現代医療」
• 赤林朗氏(京都大学)「倫理委員会の現状と今後の展望」
8 月 24 日 (土) キャンパスプラザ京都
D 分科会
• 大山明男氏 (駿河台大学)「「現実」からの分配理論の検討−社会認識と規範理論
を結びつけるために−」
• 柳澤有吾氏 (奈良女子大学)「戦争と倫理−原爆投下をめぐって−」
16
A 分科会
• 田村公江氏 (龍谷大学)「ラカンのテーゼ〔性関係はない〕」が示唆するもの」
C 分科会
• 奥田太郎氏 (京都大学)「ホイッスルブローイングという問題」
8 月 25 日 (日) キャンパスプラザ京都
B 分科会
• 樫則章氏 (大阪歯科大学)「医療はビジネスか」
全体会
• 足立幸男氏 (京都大学)「ディシプリンとしての公共政策学の成立可能性」
• 森村進氏 (一橋大学)「リバタリアンはなぜ福祉国家を批判するのか――さまざま
の論拠」
9 月 9 日 (月) 京都女子大学現代社会学部
特別研究会
• 森岡正博氏「無痛文明とは何か」
12 月 21 日 (土) キャンパスプラザ京都
B 分科会
• 福永俊哉氏 (京都女子大学)「エシックス・コンサルテーション」
• 江崎一郎氏 (志學館)「ハンス・ヨナスの倫理学について」
D 分科会
• 玄哲浩氏 (関西大学法学研究科博士課程) 「『潜在的に批判的なもの』としての文
化――フランクフルト学派第一世代の遺贈したもの――」
• 川本隆史氏 (東北大学) 「租税と正義―「租税の根拠」再考」
17
12 月 22 日 (日) キャンパスプラザ京都
A 分科会
• 平石隆敏氏 (京都教育大学)「自尊心について」
C 分科会
• 田中朋弘氏 (琉球大学)「ビジネス倫理学の転換−倫理学としてのビジネス倫理学」
全体会
• 立岩真也氏 (立命館大学)「生存の争い――医療の現代史のために」
• 松原洋子氏 (立命館大学「
) 優生保護法と GHQ――戦後断種法はいかに成立したか」
18
第 II 部
研究会報告要旨
20
2002 年 3 月 31 日 C 分科会
教養教育カリキュラム改革について
――2002 年 2 月 21 日の中央教育審議会答申に際して
品川哲彦 (関西大学)
2002 年2月、中央教育審議会は「新しい時代における教養教育の在り方について
(答申)」を出した。この答申は、教養教育を生涯教育のなかに位置づけ、そのなか
で、大学における教養教育については、1991 年の大学設置基準大綱化以来の教養改
革を明確に批判し、教養教育の再構築を強調し、「教養教育重点大学」の認定、一部
の大学にアメリカのリベラル・アーツ・カレッジへの転換を奨励するなど、日本の
今後の大学改革にかなり明確な示唆をしている。本報告では、答申の諮問以来の文
脈を確認したうえで、答申に盛られた大綱化以来の教養改革への批判および大学に
おける教養教育への提言をとりあげ、その後、教養教育の歴史を回顧し、報告者が
公立の単科医大と国立の総合大学新構想学部で経験したカリキュラム改革例を紹介
し、暫定的な結論を示した。ここでは、最後の部分のみを抄録する、報告の全体は
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/˜tsina/kyoyo.htm をみられたい。
大学全入時代や大学倒産が現実化する頃でもおそらく大学教員をしているだろう
年代の者としては、
「何を、何のために、大学で教えるのか」ということに関心をもた
ざるをえない。だから、カリキュラム改革に関心をもつ。個人的経験からしても、中
教審答申が提言しているように、教育目標を大学レベルで決定し、教員が個々の授業の
場で学生に周知し、その目標に対する成果に応じて授業評価すべきだと考える。たし
かに、
「広く学び教養を涵養せよ」を教養教育の目標に掲げ、学生の知的好奇心や自尊
心に訴えることは大学によってはもはやできない。しかし、応用倫理学の諸問題が示
すように、具体的な社会問題を考察するには、多様な分野の学習が必要である。した
がって、今後、市民一般に「広く知る」
、
「問題をつなげて考える」姿勢が必要である。
アメリカの教養教育の目標である市民の育成が日本でどれほど力をもつか、見通せな
いにしても、非専門性、学際性、総合性は教養教育の目標として有効である。
「広く学
ぶ」
「問題をつなげて考える」方向性をめざした授業科目を全学部の学生に開放して提
供すべきである。前述の応用倫理学の諸分野はその機能をはたすだろう。一方、哲学
なら哲学、倫理学なら倫理学の、通史的な一般的知識を教える概論は、その学問に興
味をもった学生だけが自由に選択できる科目として位置づけるほうがよい。これらの
科目を教育目標ごとに類別する。学生の授業選択の自由を確保するには、年次が進む
につれ、専門科目で固定化する現状の科目選択システムを変えなくてはならない。い
ずれにせよ、大学教員の仕事はもはやかつての独立した専門店というイメージからひ
とつの店舗を共同で経営するイメージに変わってきているのではないか。
21
2002 年 3 月 31 日 全体会
なぜ、社会哲学を共同研究するのか――ホルクハイマーからハーバー
マスに向かって考える
藤野寛 (高崎経済大学)
この発表の起点には、社会哲学的研究を共同で行うという今回のプロジェクトの間
口の広さ、規定の緩さに対する異和感がある。哲学者が寄り集まって社会問題につい
て議論していれば、「社会哲学の共同研究」は実現しているのだろうか。社会哲学と
は・・社会学とは異なって・・何であり、また何故共同で研究される必要があるのか。
これらの問いについて、ささやかではあれ反省の糸口をつけたい、というのがこの発
表の狙いである。
もっとも、抱くのは異和感だけではない。いわゆる応用倫理学の積極的意義につい
て考える時、それが何よりも学際的共同研究という点に認められるであろうことは、
共感とともに理解できる。応用倫理学の意義は「応用」という点にあろうはずがない。
応用なき原理が空虚であるのと同様、原理なき応用は盲目だろう。そうではなくて、応
用倫理学の貢献は、倫理学者を自閉自足的な倫理学説史研究から解き放ち、例えば医
学者、生態学者、工学者等々とのコミュニケーションの場に引きずり出した点にこそ
あるはずなのだ。倫理学会で倫理学者同士が議論するのではなく、いわゆる実証科学
研究にたずさわる人々の中に、価値論の専門家として発信、発言してゆくこと。
「社会
哲学の共同研究」の名のもとに再び(社会)哲学者ばかりが集うとすれば、それは後
退であると言わねばなるまい。
以上の問題意識に立って、この発表では、1930 年代にフランクフルトの社会研究所
でマックス・ホルクハイマーの主導のもとに推し進められた「社会哲学の共同研究」
の理念と実際を吟味・検討することが試みられた。ホルクハイマーは「哲学は社会哲
学にならねばならない」
「社会哲学は共同研究として遂行される必要がある」との二つ
の主張を掲げたのだが、その主張の斬新さは、実証科学の成果を・・哲学者にしては
珍しく・・彼が重く受け止め、自分達の共同研究の中に統合しようとした点にあった。
その構想は、科学技術を生産力として捉えその発展に歴史の運動の原動力を見るマル
クス主義的唯物史観に支えられるものだったが、ホルクハイマー自身は、とりわけナ
チズム経験を通して実証科学への信頼を喪失し、共同研究とはいうものの、哲学の専
制の色合いを濃くしてゆく。
ハーバーマスが、1930 年代の批判的社会理論に再び接点を見出そうとした時、その
眼目は、実証科学との共同研究の再活性化という点にあったはずである。その際、彼
もまた、生産力としての科学技術に注目し、
「科学批判としての社会哲学」を構想する
のだが、ただし、アウシュヴィッツと広島以降にあってもなお、科学技術を単に災禍の
もととして一面的に断罪するのではなく、コミュニケーション行為の世界の中にしっ
かり投錨することを志向したのだった。1970 年代にハーバーマスがマックス・プラン
ク研究所長として推し進めた共同研究こそ注目に値するという点を確認し、本発表は
締め括られた。
22
2002 年 3 月 31 日 全体会
〈貨幣の人間学〉試論――「社会哲学と現代」への一視角
清水正徳 (神戸大学名誉教授)
私たちは金融や財政にかかわる記事や論説をテレビや新聞で目にしない日はない。
人間は経済にかかわってのみ生きるものではない。しかし、マッド・マネーは電磁気
によって印された記号を貨幣として世界中を飛び交う。産業国として懸命に発展しよ
うとしている国々からヘッジ・ファンドが資本を引き揚げる。その国々の銀行はそれ
を買い支えて企業を守ることはできない。働いてきた膨大な人々は四散するしかない。
1931 年の金本位制の廃止、71 年のニクソン・ショック以後の変動相場制のもと浮動し
てきた貨幣。貨幣はいまや流通による利殖のヌシとしてスモッグのように世界を蔽う。
しかも、経済の自由化は世界の流れとして押しとどめようもない。優勝劣敗は時の勢
いとなってまかり通る。著名な応用倫理学者の著書に「お金はなぜキタナイか」とい
う一節をみる。
「貨幣の物神性」といわれてきたものは、いまどういう意味をもつか。それを確か
め克服しようとするためには「貨幣とは何か」を改めて問いたださなければならない。
「価値形態論」が貨幣論として、いま内外の経済学者たち(近経の人たちを含めて)に
よって、糾明され、論争されている。「貨幣とは何か」を問うことによって「人間に
とって経済とは何か」をつかむ鍵としたい。
23
2002 年 6 月 15 日 A 分科会
家族・教育・公共性
加茂直樹 (京都女子大学)
少子化と高齢化が急速に進行している現代の日本で、これに関連するさまざまな問
題を検討するときに、すぐに突き当たるのは、男女が結婚し、こどもを産み育て、家庭
生活を営むことは、まったく私的、個人的なことなのか、という問いである。これまで
は男も女もある年齢に達すると、結婚してこどもを含む家庭を作り上げるべきだとい
う、社会からの明白なあるいは暗黙の圧力があった。そのような圧力はすっかり消え
てしまったわけではないが、ずっと弱くなり、独身でいるのも、こどもを作らないの
も、個人の自由だと、堂々と主張できるようになってきている。確かに、婚姻や子作
りについて、国家や社会が個人になんらかの強制を加えることは望ましくないが、そ
れは公共的な観点から見て、まったくどちらでもよいことなのかと問えば、おそらく
多くの人がそうではないと答えるであろう。この発表では、このような問題をめぐっ
て、いくつかの論点を取り上げて論じた。
内容目次
1. 問題
2. 婚姻について
3. 子どもの養育はだれの責任か
4. 家族・学校化社会・企業社会
5. ライフサイクルの経済学
6. 暫定的総括
なおこの発表を内容的に大幅に拡充したものを、
「家族・子育て・公共性」と題を改
めて、『現代社会研究』第 4 号(京都女子大学現代社会学部、2003 年春刊行)に掲載
の予定である。
24
2002 年 6 月 15 日 D 分科会
多文化主義と「外国人学校」
菊地建至 (龍谷大学)
本発表は、現在の「外国人学校」の位置に注意することにより、多文化主義的な実
践の条件を日本の公教育に内在的な問題として主題化することを目指した。
日本の「外国人学校」に関する基本事項の確認
• 特定国と関係が深いものと「インタ−ナショナル・スク−ル」とを問わず、「外
国人学校」は、おおむね、
「学校教育法」に定める正規の学校(以下「一条校」と
記す)としてではなく、同法第 83 条にいう「各種学校」として運営されている。
• 「外国人学校」に通う児童生徒は、「国籍」及び「エスニシティ」との関係にお
いて一様ではない。
• 「外国人学校」に関する施策について、学校の設置認可、教育課程の編成、大学
入学資格、教育助成、教員の採用等に関して、政府と地方自治体には、有意の違
いがある。
• 「外国人学校」に通うことを理由とする児童生徒の不利益が著しい点に関して、
政府見解の骨子はつぎの通りである。すなわち、外国籍の子どもであることを理
由に別な処遇があるのではなく、そのことは彼らにも「一条校」での教育の機会
が開かれていることに明らかである、要するに、
「外国人」だからではなく「一
条校」の児童生徒ではない(あるいは「一条校」修了の資格がない)から取扱い
が異なる、ということである。
「外国人学校」を正規の学校教育の外部に位置づけたうえで、多文化主義的な実践
の問題を基本的に「一条校」における(その正規の教育課程の外部としての)
「課外」
での対応の問題に還元することは、まえもって現行「一条校」のありように変更を加
えない範囲に考察を限定することになり、それは、日本の「公教育」における多文化
主義的な実践の条件を明らかにするのに適切ではないだろう。そこで、本論は、
「公教
育」のありようとの関係において「外国人学校」の諸問題を考察すべく、以下の四つ
の主題を取り上げた。
1. 教育に関する権利を実質的に保障する条件。
2. ある国家が「ワン・ネイション」の理念をどのように解しそれをいかに具体化す
るかということと、学校教育における多文化主義的な実践に対する当該国の諸制
限の関係。
3. 文化的に多様な学校を「公教育」の内部に位置づけるための条件のひとつとして
の「公開性」の問題。
25
4. 教育における「私的なもの」と「公的なもの」の関係。
「外国人学校」を、また、多文化主義的な実践を「公教育」の内部に位置づけるこ
とをめぐる研究により、現在の日本の学校教育における多文化主義的な喫緊の諸課題
のみならず、日本における「公教育の多元化」に関する考察にも新たな視界が開かれ
よう。
26
2002 年 6 月 15 日 C 分科会
集団責任について
江口聡 (京都女子大学)
集団の「責任」
、特に組織化されていない集団の責任をどうとらえるは難しい問題で
ある。通常、個人は自分の行った行為の結果にのみ (道徳的) 責任を負うと考えられて
いる。したがってその個人が行なわなかった行為や他人が行なった行為については責
任を負うことはないとされる。しかしこのような考え方では、人びとの行為そのもの
というよりは、行為の集積によって生じる (時に有害な) 結果をうまく扱うことができ
ないという批判がある。そこで本報告では、このような問題を扱う予備的考察として、
Larry May & Stancey Hoffman (ed), Collective Responsibility および Gregory F. Mellema,
Collective Responsibility 集団責任に関する文献の紹介を行なった。
いわゆる「集団責任」に関して最初の注目すべき論文は H. D. Lewis の “Collective
Responsibility” であるとされる。Lewis は Lewis は誰も他人の行動の倫理的責任を負う
ことはないという原則から、集団責任という観念を否定し、それは原始的な部族的心
理にもとづくものであって近代西洋の倫理観にはなじまないと主張した。また Steven
Sverdlik も “Collective Responsibility” も責任に関する個人主義の立場をとり、人間集
団の集合的な行為の結果について、その構成員個人の責任に還元されない特別な「共
有責任」の観念を用いる必要はない。もしもし共有責任が存在するとすれば、それは
その集団のメンバーがその結果に因果的に寄与し、それを意図していた (あるいは不注
意や怠慢であった) ということにすぎない。
Virginia Held は、組織化されていないランダムな集合も道徳的責任を負うと主張す
る。ランダムな集合も、自分たち自身を組織化することによって危害を防ぐことが可能
であることを知っているならば、そうしなかったことについて責任を追わねばならず、
またこの責任はその集団の個々人に分配される。これに対して Stanley Bates は “The
Responsibility of Random Collections” で Held に反論を加えている。飢餓、戦争、酸性
雨、ホームレス、人種差別等、我々が集団的に害を防ぐことのできる事例は無数に存
在し、それぞれについて我々はランダムな集団として規定されうる。飢餓、戦争、酸
性雨、ホームレス、人種差別等、我々が集団的に害を防ぐことのできる事例は無数に
存在し、それぞれについて我々はランダムな集団として規定されうる。このようなそ
れぞれの事例ついて自分自身を組織するべきであると主張するには無理があるとする。
90 年代に入り注目されるのは Larry May である。May は集団的な不作為 (ommission)
や無活動 (inaction) の問題に注目し、行為者はその行為に起因する害について責任を負
うのと同様に、彼らが作りだしている社会的態度に起因する害にも責任を負う。態度
に起因する害が行為者がコントロールできないものであるとしても、責任がある。も
し我々の態度から害が生じることを意識しているのならば、それを変更するよう務め
るべきであると主張する。そして集団の倫理的問題に対する鈍感さ (insensitivity) につ
いて集団とその構成員は責任を問われるとしている。
27
2002 年 6 月 15 日 C 分科会
技術理性の批判――建築の批判哲学に向けて
望月俊孝 (福岡女子大学)
この報告では、拙稿「カントの目的論――技術理性批判の哲学の建築術」を足がか
りに、建築を社会哲学的に考察するにあたっての展望を述べた。当日の議論をふまえ、
その後の考察の成果を「建築の社会哲学――その基本設計」と題して、本資料集に寄
稿したので、ここでは簡潔に、発表当日に配布したレジュメの主要部分のみを以下に
記載する。
1、批判的な<建築哲学>の基本構想
○建築術 Architektonik――その総合性・解釈学的全体性=アルキ−テクトーン
– あらゆる技術の批判的な統括・統率・統制・監督としての<批判的建築術>
○「自然の技術」としての<世界建築術>
– cf.) 単に工学的・技術的な個別建造物の「建設」
– ⇒環境 (Umwelt) 建築、景観/風景の建築、風土の建築、文化・文明・社会
の建築へ。
– ※自然の有機的生命の、不断に営まれる<個体形成−環境世界創設>のイ
メージ
2、自然の技術としての景観建築術
○素材収集と基本設計
オギュスタン・ベルクの通態的な<風土学>の構想
クリスチャン・ノルベルク=シュルツの<空間=場所=建築>の現象学
角田幸彦の「景観哲学」
中村貴志の哲学的「建築論」
ハイデガーの詩作的思索、「建てる、住まう、思索する」他
○日本の景観の具体的現状の批判的精査
– 国立公園、リゾート開発、都市景観、農村景観、里山、風致地区(歴史的
風土)
28
3、その社会哲学的展開に向けて
• ○現代技術文明下の<社会景観>の建築術の構想
多方面の協働討議の集積・総合
社会(地域・地方・国家・国家連合体・国際社会)景観の批判的な設計と
統括の哲学
○社会哲学研究会の批判的建築術
• 分科会と全体会、哲学的討議の素材収集、全体の基本設計
• その基本設計コンセプトの一つとして――技術理性批判
29
2002 年 6 月 16 日 全体会
社会学から見た現代医療
黒田浩一郎 (龍谷大学)
社会学において、病気や医療という現象を対象とする分野は「医療社会学」とか「健
康と病気の社会学」などと呼ばれている。この分野の特徴として、社会(学)理論と
は切り離されて研究テーマが選択され、分析の枠組みが設定されるという傾向がある。
逆にいえば、今日の社会(学)理論は、病気や医療という現象を適切に記述し、説明す
ることのできる枠組みや用語を欠いている、ということである。そこで、病気や医療
という現象を適切に記述し、説明することのできるような社会(学)理論を新たに構
想する必要がある。 発表者が現在、取り組んでいることのひとつはこのような社会理
論の構築である。この社会理論の骨子を示すと、まず、社会(ここでは、いわゆる「全
体社会」を指している)を、それが何をどのように生み出しているのかに着目する。
「何を」という点では、社会は以下の3つを産み出し続けることで存続している。
(1) もの(生活に必要な「もの」)
(2) ひと(社会のメンバーとしての「ひと」)
(3) 知識・情報(世界についての知識と情報の生産)
これらの生産活動が行われる社会の領域を「生産領域」と呼べば、これら3つの生
産領域は相互に関係し合っている。たとえば、ものの生産領域で生み出されたものは、
ひとの生産領域や知識・情報の生産領域に運ばれ、それぞれの生産において資源とし
て利用される。
「どのように」という点では、社会、特に今日の社会は、以下のような生産の様態
を含んでいる。
(1) 資本制
(2) 国家
(3) 家族
(4) 専門職
これらの生産活動の様態を「
(生産)セクター」と呼ぼう。ここでは、これらのセク
ター間の相互支持的関係のみならず、対立的な側面も注目される。たとえば、国家は
市場の発展を支持するような政策を追及すると同時に、それ以外の目的にも用いられ
ることになる税を市場から吸い上げる。
このように、社会を生産領域と生産セクターという2次元によって捉え、この2次
元空間上の位置とその位置の他の位置との相互依存・対立関係という視点から、医療
を含めたあるゆる社会現象が捉えられる。
医療という現象をこの理論によって捉えてみると、それは、ひとが陥っている「病
気」という体や心の一時的な機能喪失状態から人を回復させるという点で、
「ひとの生
産領域」に属する活動のひとつと位置づけられる。また、今日の医療は、法律という
「国家セクター」によって、医師という「専門職セクター」の独占物とされているが、
その根拠のひとつとして、医学という「知識セクター」で算出される知識に医師の活
30
動が基づいているとされていることを指摘できる。しかし、医療が行われる場として
の病院の運営や医療にかかる費用の負担は、福祉国家においては、国家によって担わ
れている。しかし、先進国においても、国家によるこうした形での医療の保障の程度
や様式にはいくつかのタイプがあり、また、近年は、国家がこうした保障の拡大を抑
制する傾向も見られる。
以上はいまだ極めて概略的なものであり、既存の社会理論と既存の医療社会学の研
究とを参照しつつ、この2つの方向から同時に新たな社会理論を彫琢していきたいと
考えている。
31
2002 年 6 月 16 日 全体会
倫理委員会の現状と今後の展望
赤林朗 (京都大学大学院医学研究科)
緒言
1982 年に日本で初の倫理委員会が設置されて以来約 20 年が経ようとしている。
しかし、倫理委員会の実際のあり方、どの様な役割と責任を持つべきものであるのか
について十分な議論がなされていない。本発表では、報告者が実際に倫理委員会の委
員長として体験したことを通じて、今後の倫理委員会のあり方を考える際の話題を提
供した。
用語の整理
1)
IRB(institutional review board)と HEC(hospital ethics committee)
(文献 1、2 参照)
。
2) 日本の倫理委員会
日本で「倫理委員会」とは、研究や医療における諸問題の倫理的側面について検討す
る委員会組織の総称として用いられている。日本の倫理委員会組織は、1985 年の旧厚
生省の GCP によって治験が行われる施設に設置が勧告された「治験審査委員会」と、
大学医学部や一般病院に設置されている、いわゆる「倫理委員会」に大別される。前
者は行政の指導下にあるが、後者は各機関で自主的に設置・運営されている。1990 年
前半には全国 80 の全ての大学医学部に倫理委員会が設置され、一般病院でも 1990 年
代に設置数が急増した(文献 3)。日本の倫理委員会は、IRB と HEC の両方の役割を
担っている。
倫理委員会が道徳形成に果たす役割
Engelhardt の論文「病院倫理委員会:その社会的、道徳的機能についての再考」
(文
献 4)の中で述べられている倫理委員会の機能として、道徳性の育成について紹介し
た。その上で、例として京都大学医の倫理委員会が、生体肝移植実施について果たし
てきた役割を考察した。京大病院では既に 800 例を超す手術が行われている。その際
倫理委員会には移植のドナー、レシピエントへのインフォームド・コンセントが十分
なされていることの確認を行うことが求められてきた。手術に際しては、委員が直接
病棟に出向き、ドナー、レシピエントに面会し、インフォームド・コンセントを確認
32
する作業を行ってきた。また、記者会見等を通して社会とのコミュニケーションをは
かってきた(文献 5)
。そこで「倫理委員会の活動は、ある新しい医療が社会的に信頼
された形で定着する際の必要条件となる」という仮説を提案し、倫理委員会活動は、少
なくともある地域・組織での価値観(道徳性)の育成に関わりを持ちうる、と論じた。
最近の動向と今後の課題
2000 年に入り、ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針を初め、いくつかの
行政指針が策定された。そこでは、倫理委員会が研究の科学的及び倫理的側面の両方
を審査し、さらに認可後の監視までをもその役割として盛り込んでいる。その意味で、
倫理委員会の責任が極めて大きくなってきている。しかし、人的・経済的な資源が絶
対的に不足し、体制が十分整っていない施設が多いのが現状である。現在、倫理委員
会のあり方が本質的に問われている。
文献
1)Levine RJ. Research Ethics Committee, Reich WT ed. revised version, pp. 2266-2267,
1995, Simon & Schuster Macmillan, New York.
2)Dougherty CJ. Institutional Ethics Committee, in Encyclopedia of Bioethics, Reich
WT ed. revised version, pp. 409-412, 1995, Simon & Schuster Macmillan, New York.
3)赤林朗 『日本における倫理委員会の機能と責任性に関する研究』. 平成9年∼
11 年度文部省科学研究費補助金研究成果報告書、2000 年 3 月.
4)Engelhardt Jr., H.T., “Health care ethics committee: Re-examining their social and
moral functions”. HEC Forum (2): 87-100, 1999.
5)Akabayahi A, Nishimori M, Fujita M, Slingsby T., “Living related liver transplantation:
a Japanese experience and development of a checklist for donor’s informed consent”. Gut
52:152, 2003.
33
2002 年 8 月 24 日 D 分科会
「現実」からの分配理論の検討
――社会認識と規範理論を結びつけるために――
大山 明男 (駿河台大学)
I はじめに
正義,福祉,権利(人権)
,差別,自由等の概念は「社会」という領域を介して様々な
研究分野で議論されてきた。現実の社会は非歴史的・非空間的な意思決定過程やそれ
ら複数の相互作用を表すわけではない。現実の社会を背景にした議論こそが正義その
他の諸概念に具体的意味を与える。しかし,とくに規範理論分野は論理形式の議論に
終始しており,諸概念に意味を与える現実の社会への関与がそこに感じられない。そ
の要因を,分配理論(とくに厚生経済学・社会選択論の周辺)の「形式」に探ってみ
たい。そのような検討により,規範理論は「現実」との関連においてはじめて意味を
持つと考える立場に有益な,基礎となる社会認識に備えるべき「形式」が発見できる
のではないかと思われる。
II 人権の現状と反応
現実の世界にある人権の現状――それが達成されていないこと――に対する原因を
研究・研究者の態度に求める声は少なくない。そこに共通する,規範理論の方法への
要求は,概念をただ先験的に議論するのではなく,まず実際にそれを取り巻く社会状
況を把握し,そのもとで何らかの改善をすべきというものである。
III 厚生経済学・社会選択論の形式と「現実」
厚生経済学・社会選択論は代替的諸選択肢を想定した状況における社会的選択や順
序の決定を主な目的とし,分配問題はこの形式において扱われる。この代替的選択肢
を対象とした議論で想定される状況は,
「時間の幅」を含まない。厚生経済学のみなら
ず,広く経済で言及される「パレート原理」はこの形式の上に規定されており,その性
質を引き継ぐ。この状況の無時間性は現実への関連付けの足場を失わせる。規範理論
が現実に働きかけて何らかの基準から望ましい状態へ導くことを目的とするなら,ま
ず「今」の状態を基準としながら,時間軸にそった別のあるべき状態を模索するとい
う形になろう。この「今」の状態――これは現実の認識にもとづく――はこの形式で
の分配問題議論の状況の中には与えられない。このことは経済学的道具の影響を受け
た他の分野,たとえばロールズ『正議論』における分配理論のルール,
「格差原理」の
議論等にも該当する。
34
IV 規範理論の関わる「主体」あるいは「社会」
厚生経済学・社会選択論では決定に関わる「社会」や「その構成員」は所与であり,
それが現実に存在する誰かということは問わない。状況の存在者全体を社会という集
合,その一人をその集合の要素という関係でのみ社会を考える。この形式は,そこで導
かれる規範が何であっても,そこから漏れる人間の存在を考えることはできない。し
かし,たとえば現実にある差別を考えると,それはある者が決定に関与できない状況
であると認識される。決定の「外部」なき形式では権利のない状態にある主体は扱え
ない以上,現実の問題への足掛かりを持ちえない。
V 理念あるいは構想と「現実」
規範的に一つの世界を体系的に描く「理念」や「構想」は多くが「基礎づけ主義」
(盛
山和夫)――まず基礎としての前提を構成し,それを公理としてあるタイプの社会的
なしくみが一義的に演繹的に導出される形式――をとる。これは,現実世界において
どのようにそれが実現可能であるかという議論を欠いている。
VI 小括
規範理論が「現実」の中の問題を扱うためには,現実への接続としてまず,さま
ざまな場面での「外部」を取り込む形式を備えそれを明示化する必要がある。こうし
て社会認識において外部を取り込んだ上で,この外部と内部の境界を如何に消去する
かが規範理論の役割の一つであろう。
35
2002 年 8 月 24 日 D 分科会
戦争と倫理――原爆投下をめぐって――
柳澤有吾 (奈良女子大学)
バートン・M・リーザー氏の講演会「法、道徳、テロリズム」における質疑応答の一
節に見て取られる「神話」の根強さ:「無辜の市民を標的にすることと、軍事目標を攻
撃する際に、不運にも無辜の市民の生命を奪ってしまうことのあいだの区別をしなけ
ればなりません。トルーマン大統領は、広島への原爆の投下を、広島が大きな軍事施
設を有する都市であったという理由、そして原爆投下によって戦争終結が早まり、そ
れにより日米双方の多くの軍人や市民の命が救われることになるだろうという理由で
行ったと考えられています。
」
「非戦闘員の保護」という交戦法規は尊重されるべきだが、戦争の早期終結や犠牲
者数の抑制といった目的を達成するための手段が「非戦闘員の保護」に抵触する場合、
どう判断すべきなのかという問題。これに対する考え方のスペクトルは、「非戦闘員
の保護」は絶対に譲れない原則とする立場から、それを原則としながらも、
「極限的危
機」や「最高度の非常事態 supreme emergency」を例外的に認める立場、さらには、事
実上、
「非戦闘員の保護」原則を他の要因とのトレードオフ関係において相対的価値だ
けを認めるものまで、広い範囲にわたる。国際法上は無論のこと、正戦論の歴史にお
いても、理論的にはつねに「非戦闘員の保護」が重視されてきたことは事実であるが、
一方で、それが必ずしも守られず――守るのが容易ではないがゆえに規定されている
ともいえるが――とくに第二次世界大戦では大規模な無差別爆撃が一般化して、その
規定が有名無実の様相を呈してきていたこともまたほんとうである。問題は、たとえ
例外的であるにせよ、その条項が蹂躙されること/優越されること (overridden) を正
当化できるかどうかである。正確に言えば、およそそのようなことを正当化できるか
どうかという理論的問題と、正当化可能だとした場合には、かの原爆投下がその正当
化の条件を満たすかどうかという事実的問題の両方を吟味する必要がある。
発表では、ロールズの論文「原爆投下はなぜ不正なのか」を糸口にして、1.非戦
闘員の保護――innocent とは何か、2.目的と手段との均衡――T. Nagel「戦争と大量
虐殺」をめぐる論争の2点を取り上た。(前者については本報告書所収の拙稿を参照)。
後者に関して問題になっているのは、功利主義と絶対主義の対立であり、その意味す
るところを Nagel、R. B. Brandt、R. M. Hare、M. Walzer らの論争に即して考察した。
そこでのひとつの論点は、
「罪なきもの」の命を意図的に奪うことがあってはならない
という「禁止」が踏み越えられるとき、それをひとつのスケール上での水平的相殺関
係によって論じることができるのかどうか、という問題である。
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2002 年 8 月 24 日 A 分科会
ラカンのテーゼ〔性関係はない〕が示唆するもの
田村 公江 (龍谷大学)
性に関する問題として、性差別、性的マイノリティ差別、性暴力、性の商品化など
を挙げることができる。これらの問題に対しては何よりも女性の側からの問題提起と
してフェミニズムのアプローチが有益であり、被害の実態を掘り起こすためには社会
学的アプローチが必要であり、関係者のケアのためには心理学的あるいは精神病理学
的アプローチが必要であり、人権侵害を償うためには法学的アプローチが欠かせない
だろう。では社会哲学的アプローチにはどのような意義があるのだろうか。
社会哲学が「哲学」としてのアプローチであるならば、性に関する問題群の困難が
どこにあるのか、困難の「なぜ」をメタレベルから説明する任務を持つのではないだ
ろうか。性というものは自明な事柄のようで実は哲学的難問を含んでいる。その一つ
は性差とは何かという問題であり、もう一つは享楽とは何かという問題である。これ
らがなぜ自明でないかと言えば、性差は解剖学的差異がもたらす心的効果として経験
されているし、享楽は生理的欲求充足には還元できないファンタジーを伴っているか
らである。
この発表ではまず、援助交際の是非、婚外交際の是非、セックスワークをどう考え
るかなどの具体的問題を糸口として、性道徳の諸理論をふりかえってみた。そして性
欲とは何かということが論点となること、フェミニズム理論の困難が「女性とは何か」
という問題に集約されていること(
「ジェンダー/セックス」の概念枠の再検討として
女性の定義があらためて問題になっている。)を指摘した。
こういったことは実はフロイトが既に発見していた問題である。そしてラカンはフ
ロイトの発見を構造主義言語学の観点から哲学として読み直したのだった。フロイト
の部分欲動(口唇欲動や肛門欲動や、サディズム−マゾヒズムの欲動や窃視−露出の
欲動など)は内と外、能動と受動という2項対置として、そしてリビドー発達理論の
中の男根期は解剖学的性差の記号論として読み直される。
ところでラカンには〔性関係はない〕という一見不可解なテーゼがある。このテー
ゼには、性差というものが記号的差異のいわば起源であるという洞察が含まれている。
発表の後半はこのテーゼについての解説を試みた。
37
2002 年 8 月 24 日 C 分科会
ホイッスルブローイングという問題
奥田太郎 (京都大学)
• 相次ぐ企業の不正事件によって、日本でもホイッスルブローイングに関する世論
が形成されはじめている。そうした状況にあって、問題解決の一方途におさまり
切らないホイッスルブローイングの問題性の考察が不可欠である。
• ホイッスルブローイングの定義とは、ホイッスルブローイングという問題をどの
ように切り取るのか、ホイッスルブローイングの何を問題だと考えるのか、とい
う「問題のフレーミング」そのものに関わるきわめて重要な理論的作業である。
これによって正当化や保護の是非に関する議論のあり方が左右される。
• まず、ホイッスルブローイングが倫理学の問題対象となるには、個人の価値観と
組織の価値観との衝突、および、組織に対する責務と組織を越えた集団に対する
責務との衝突、といった「倫理的ジレンマ」が伴われる必要がある。
• ホイッスルブローイングを定義する上でのポイントは次の 3 つである。
(1) 動機を含めるか否か
(2) 情報の開示に権限が与えられている場合を除くか否か
(3) 報告の受け皿を外部に限定するか内部も含めるか
• (1) 動機は、ホイッスルブローイングの定義に際してあまり決定的な役割を果た
さない。ただし、正当化の文脈ではより重要な役割を果たす可能性がある。
• (2) 権限が付与されているものには、
「容認されているもの」と「要求されている
もの」とがあり、前者は選択を含意するのでホイッスルブローイングであり、後
者は強制や義務を含意するのでホイッスルブローイングではない。
• (3) 内部での報告においては前提となる倫理的ジレンマが生じないため、内部で
の報告はホイッスルブローイングではない。また、内部での報告から外部への報
告へ、というプロセスは、
「回復不可能なステップ」であり、これこそがホイッ
スルブローイング固有の要素であり核心である。
• ホイッスルブローイングの匿名には 2 種類ある。
(1) 受け皿機関に対して (すでに) 匿名である場合。(たとえば、重要機密文書のコ
ピーが匿名で送られてくる場合。)
(2) 受け皿機関にはニュースソースが知られているが、受け皿機関がそれを秘匿
しておく場合。(たとえば、調査機関が守秘義務に基づいてニュースソースを秘
匿する場合。)
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• ホイッスルブローワー保護で重要なのは (2) の匿名である。
• ホイッスルブローワー保護にも 2 つの形がある。
(1) やってしまった者に対する保護→法制度に関する議論
(2) やらずにすませるという間接的な保護→組織構造に関する議論
• ホイッスルブローワーの視点は、制度と制度外の境界線上にある。→倫理的ジレ
ンマの発生、報復の危険性、保護の必要性
• (ホイッスルブローワーの保護)?(ホイッスルブローイングの周縁性) =「報酬つ
き報告制度」?
• 必要なのは、ホイッスルブローワー保護の制度的保障ではあっても、ホイッスル
ブローイングの報告制度化ではない。
39
2002 年 8 月 25 日 B 分科会
医療はビジネスか
樫則章 (大阪歯科大学)
理想的な医師−患者関係について考察するには、医療が社会のなかでどのように位
置づけられる(べき)かについて検討しなければならない。平成7年版の『厚生白書』
によると、国民のほぼ6割が「医療はサービス業である」と考えているという。仮に
このことが、医療は通常の商業活動の一形態にすぎず、医療といえども他のビジネス
と何ら変わるところがないということを意味するものとする。すると、そこからおよ
そ以下のようなことが導かれることになる。(1)医師には、嘘をつかない、約束を守
る、商品の強要をしないといった、他の商業取引において求められるのと同じ義務し
か課せられることはなく、医師だからといって特別の義務が課せられることはない。
(2)医師は医療サービスという商品を売る売り手であり、患者はそれを買う買い手で
ある。
(3)医師と患者は各自の私益の追求という点で競争関係にある。
(4)患者は
合理的消費者とみなされる。
(5)医師会は「同業者団体」に他ならない。
(6)医師
の倫理とは、医師集団の利益を守るための規範でしかない。
これに対して、(1)医師には医師ゆえに課せられる積極的な義務がある。
(2)医
師-患者関係は競争関係であってはならない。(3)医療は単なる商品ではない。(4)
患者は必ずしも合理的消費者として判断できるわけではない。
(5)医師会は単なる同
業者団体であってはならない。
(6)医師の倫理は医師集団の利益を守るための規範で
はない、などの批判がありうる。すなわち、医療は単なるビジネスではないし、そう
あってはならないという批判である。
けれども、近年、わが国でも「医療消費者」という言葉がしばしば聞かれるように
なり、医療をビジネスの一形態、サービス業の一種とみなす考え方が徐々に広まって
きているように思われる。確かに、医療消費者という考え方には「弱者としての医療
消費者」を保護しよう、従来の医療のあり方を消費者の側から見直そうという「消費
者主権」の側面があり、その点については積極的に評価されるべきかもしれない。
しかし、医療消費者という考え方はやはりビジネスとしての医療という考え方を前
提しているように思われる。医療が単なるビジネスであってはならないとするならと
すれば、私たちは医療をどのようなものとして考えるべきだろうか。医療のあり方を
めぐってさらなる考察が必要となる所以である。
40
2002 年 8 月 25 日 全体会
ディシプリンとしての公共政策学の成立可能性
足立幸男 (京都大学)
公共政策学は、社会諸科学や人文諸学のタコツボ化・密教化を打破し、公共政策の
設計と選択を導く実践知を探求し構築しようとする「ディシプリン」である。ここで
あえて「ディシプリン」というポレミックな用語を用いるのは、そのときどきの公共
政策上の重要課題をめぐって多種多様な学問分野の研究者の間で真摯な論争が行われ
ること、それ自体はもちろん公共政策発展の不可欠の条件ではあるが、そこからただ
ちに上記の実践知が生まれるわけではない、目的意識的にそのような実践的政策知を
探求することの今日的意義を強調したいからである。
政策研究者や実務家の多くはいまだに、所与の政策目的を達成するための最適手段
を探求することに自らのアイデンティティーを見出そうとしている。政策目的を発見
し決定するのは政治家―より厳密に言えば、民主主義の政治過程―であって、公共政
策のかかる価値的次元に政策研究者や実務は首を突っ込むべきでない、と考える傾向
がある。政治社会が進むべき基本的な方向について社会を二分するような対立が見ら
れない、そして全体としての公共政策システムが目指すべき究極的な目的についての
広範なコンセンサスが確立しているような恵まれた状況であれば、それでもよかった
かもしれない。だが、いまや状況は一変した。所与の目的を達成するための最適手段
の発見という価値自由な政策知の探求にのみその守備範囲を限定していたのでは、お
よそ公共政策学に未来はない。
第二次世界大戦の終結以降、自由民主主義諸国では、
(新旧の)自由主義、社会民主
主義をはじめとする様々な政治理念・政治運動が国政の主導権を巡って激しい抗争を
繰り広げてきた。だが、表層における対立の深淵には、実のところ、広範なコンセン
サスがあった。すなわち、人類史を進歩・改良の歴史とみなす進歩主義、科学・技術
は人類に今以上の「幸福」
(経済発展、アメニティー、安全、健康など)をもたらすと
いう科学・技術信仰、政策消費者(有権者)の政治的選好を所与としその最大限の充
足を図る点にこそ公共政策の至上命令ないし究極目的があるという「消費者」主権で
ある。かかる公共哲学が近年ようやくに綻びを見せ始めている。この自壊のプロセス
はむろんいっそう加速されるべきである。
こうした時代状況にふさわしい公共政策学をれわれは構築せねばならない。公共政
策学は今後、
(1)組織化された創造性(政策決定システムの新しい設計や再設計、政
策代替案の革新など)の開発のみでなく、(2)社会の意識的な方向づけと変革に寄
与し得るような体系的知識を探求するとともに、(3)行動科学や管理科学の非歴史
的〈現世代中心主義〉アプローチを排し、時間的視野を重視せねばならない。伝統的
な「政策科学」の枠組みを大きく逸脱し哲学的色彩がますます濃厚になった、それだ
けに大方の政策研究者や実務家からきわめて冷淡な扱いしか受けていない最近のドロ
ア (Yehezkel Dror) の業績には、21 世紀における公共政策学のありようを考えるための
貴重なヒントが数多く見出される。
41
2002 年 8 月 25 日 全体会
リバタリアンはなぜ福祉国家を批判するのか――さまざまの論拠
森村進 (一橋大学)
本報告の主たる目的は、リバタリアンが福祉国家を批判する際に用いてきたいくつ
かの論拠を検討することだが、最後では私も含めて彼らの多くが最小限の福祉給付を
容認する理由にも触れた。下に報告の見出しをあげる。なおここでいう「リバタリア
ン」はやや広い意味で使い、古典的自由主義者や「小さい国家」論者からアナルコ・
キャピタリストまでを含める。
私が特に賛成する福祉国家批判の論拠は II の6,6の2,7,8で、II の2,3,5
はもっともな点もあるが誇張されている面もあると思う。
本報告の内容は、次の二つの文章に発表されたので、関心がある方はそちらを参照
していただきたい。
• 森村進「リバタリアンはなぜ福祉国家を批判するのか――さまざまの論拠――」
『季刊社会保障研究』38 巻 2 号(2002 年)
(改訂版が、後藤玲子編『公共の福祉
哲学』
(仮題・東京大学出版会より 2003 年刊行予定)に収録予定)
• 森村進「書評・塩野谷祐一『経済と倫理 福祉国家の哲学』」『一橋法学』1 巻 3
号(2002 年)
I序
(リバタリアンの国家/社会観一般について。市場経済を含めた民間社会への基本的
な信頼。経済的平等主義に対する批判)
II 福祉国家批判の論拠
1 「福祉への権利」否定論
2 福祉国家は一層多くの貧困を作り出すとの議論
3 福祉国家は自発的な相互扶助や援助を妨げるという議論
4 自発的な援助の可能性に関する問題(これ自体は批判の論拠ではなく、派生的な
問題)
5 福祉国家は人々の自助努力を妨げるという議論
6 福祉国家はインセンティヴや知識の問題のため(自助努力や相互扶助よりや市場
よりも)非効率的であるという議論
42
6 の 2 社会保険は効率的だとする塩野谷祐一の議論の批判
7 福祉国家は政府の権力を強化してしまうという議論
8 福祉国家は移民の自由(外国人が入国する自由)と両立しないという議論
III 社会保障容認の論拠
(人道主義的な考慮か、それともそれ以外の理由か? 個人の自由から導き出される
か、それともそれとは独立の考慮か?)
43
2002 年 9 月 9 日特別研究会
無痛文明とは何か
森岡正博 (大阪府立大学総合科学部)
現在執筆中の『無痛文明論』についての発表と討論を行なった。
われわれの社会は、無痛文明へと向かって邁進している文明である。無痛文明とは、
快と快適さを求め、苦しみを回避し、いまの安定した状態がいつまでも続くことを願
い、すきあらば自己を拡張しようとする人間たちが作り出す文明である。そこにおい
て、われわれは、目の前の快と安定と人生・自然のコントロールを達成するが、それと
引き替えに、いまの自分の枠組みを他者によって解体させられたあとで到来する自己
変容の可能性がもたらすよろこびというものを、システマティックに奪われていくの
である。無痛文明を押し進めているのは「身体の欲望」である。それは、
(1)快を求
め苦痛を避ける、
(2)現状維持と安定を図る、(3)すきあれば拡大増殖する。
(4)
他人を犠牲にする。
(5)人生と自然を管理する、という欲望としてまとめられる。こ
れにたいして上記の自己変容のよろこびは「生命のよろこび」と呼ばれる。すなわち、
たとえば、苦難に直面して、それをなんとかしようともがき苦しむうちに、いままで
の自己が内側から解体され、まったく新しい姿へと変容してしまうことがある。この
ときに、自分の内側から、古い殻を突き破って、今まで知らなかった新しい自分が生
まれ出てくるような感覚が生じる。このときに、私におとずれる予期せぬよろこびが、
「生命のよろこび」である。苦しみから逃げずに、自分を内側から変えつつ新たな次元
へと突破していくときの、ああ、私は生命という形をとって存在しているのだ、とい
うことを根本から自己肯定できる感覚である。無痛文明とは、
「身体の欲望」が、われ
われから、
「生命のよろこび」を奪い取る文明である。
無痛文明からの脱出は、
「身体の欲望」を、生命のよろこびへの欲望である「生命の
欲望」へと絶えず変換し続けることによってしかなしえない。
「生命の欲望」とは、快
を求め自分の枠組みを固守しようとする「身体の欲望」を、内側から超えていこうと
する欲望である。苦しみをくぐり抜けること、そのあとで自分を予期しないような方
向へと変容させてゆくこと、所有するものを手放すことで新たな自分と世界に出会っ
ていこうとすること、などへの欲望である。これらの「欲望」の分析は、現代思想に
新たな地平を開くものであると思われる。
44
2002 年 12 月 21 日 B 分科会
エシックス・コンサルテーション
福永俊哉 (京都女子大学短期大学部)
早晩日本にも生まれることになるであろう医療現場での倫理コンサルテーション業
務の、アメリカ合衆国における発展について報告を行なった(加筆の上、当研究資料
集に所収)
。
I、エシックス・コンサルテーションの歴史
1)現場におけるニーズの誕生(60 年代末∼70 年代前半)
2)専門領域化
3)倫理学者からの独立(70 年代後半∼80 年代前半)
4)生命倫理分野でのコンサルテーションサービスの認知(80 年代半ば)
5)専門分野としての確立(80 年代後半)
II、エシックス・コンサルタント養成の現状
1)1993 年、SHHV-SBC Task Force の報告書――職業分野としての明
確化と認可制度
• 大学医学部付属(大学院)で人材養成/養成課程は6か月だったり3年だったり
/学位を出す場合もあるが、MA、Ph.D とその種類もまた様々
• 学部教育/裾野の拡大
ロチェスター大学医療人文学科(Division of Medical Humanities)
医療人文学を中心に、医事法、臨床倫理(Clinical Ethics)、医療倫理(Medical
Ethics)、インフォームド・エシックス、文献調査、実習といった必修科目、選択
科目として、哲学、医療史、法学他
2)1998 年、SHHV-SBC Task Force の最終報告書――資格認定のため
の教育課程の再検討
• 専門家教育が倫理コンサルテーション業務の硬直化させることを危惧
• 量から質への転換
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III、倫理コンサルタントの仕事
1)2大業務
• 患者および家族、医療者の道徳的ディレンマ(Moral dilemma)解決の援助倫理
的選択肢についての説明と提案
• 医療現場の生命倫理教育のプログラム開発立案とその遂行
2)倫理委員会との差異
3)コンサルテーションの内容
早晩、同様のサービスは日本社会においても必要となってくるものと思われるが、
昨今のアメリカでの SHHV-SBC の Task Force のレポートにも見られる通り、制度化
が進めば、コンサルテーションの仕事も教科書的な原理原則主義に陥る危険性もある。
かといって一定水準の能力をもつコンサルタントの養成は、日本社会の急務であるこ
とに変わりはない。
小回りのきく倫理問題の専門家(倫理コンサルタント)が病院に常勤していること
は、まず第一には患者の自己決定をサポートする上で非常に効果が大きい。次に第二
には、それのみならず高度化する医療の中で生じる様々な問題についての道徳的葛藤
(Moral dilemma)を抱える医療従事者や、患者の家族にとっても非常にメリットの大
きい。第三には、地域の拠点病院を中心とする人権教育のプログラムの一環としての
患者の自己決定権教育なども自治体レベル(自治体による公共サービス)では視野に
入ってくることになろう。
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2002 年 12 月 21 日 D 分科会
「潜在的に批判的なもの」としての文化
――フランクフルト学派第一世代の遺贈したもの――
玄 哲浩 (関西大学大学院法学研究科)
1. 忘れられたシュペングラー
(a) 文化と文明
(b) 「没落」のテーゼをめぐって
2. 文明の崩壊と理性の退縮
(a) 支配への要求と理性の退縮
(b) フレームワークの支配
3. 「潜在的に批判的なもの」としての文化
(a) 文明の理想・文化の諸理念
(b) 伝統のうちにあって、かつ、伝統を超えるということ
啓蒙は、自身の抱え込んだ支配のアポリアにより、自己崩壊を帰結するであろう。
周知のように、フランクフルト学派第一世代に位置するホルクハイマーとアドルノは、
先のテーゼのもとで、啓蒙ないし文明に対して仮借なき糾弾を加えた。けれどもこの
糾弾は、徹底した支配への要求のもとで退縮した理性によって、「非合理的な合理性
の状態」としての「野蛮状態」
、つまりは、抑圧的に作用する硬化したフレームワーク
から不断に脱却を試みるという、文化一般のプロジェクトとしての文明が挫折しよう
としていることに対して向けられていたものであった。こうした異議申し立てを通し
て、彼らは、暴力的な抑圧によって維持されている「野蛮状態」に対して永続的に異
議申し立てを行い、そこからの解放を求める不断の批判的営為としての文化一般のプ
ロジェクトを擁護しようとしたのである。
われわれは、つねに文化的・社会的なフレームワークのうちに投げ込まれたものと
してある。こうした理解のもとに、彼らは、肯定的されるべき文化一般のプロジェク
トを、
「原子化からの社会の解放」を志向するものとして捉えた。それは、理性による
支配を逃れ、われわれの手許を過ぎ去ろうとするなかで、忘却の淵に投げ棄てられた
もの、理性が紡ぎ出したフレームワークのうちに沈澱している理性の他者の痕跡を拠
り所として、その痕跡を理性の潜勢力に依拠した営為、すなわち、肯定的契機と否定
的契機とを含めて対象を把握することとしての批判によって開示していくことを通し
て、フレームワークの布置の改変を不断に試みることをいうものであった。そして、こ
の営為をもって、彼らは、解放され、かつ、連帯しあうなかで、それぞれの具体的な
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生を全うしようとする人間からなる社会の実現を目標とする、文化一般のプロジェク
トのあり様を示したのである。
フランクフルト学派第一世代の提示した文化に関する理解は、六〇年代後半に頂点
に達した抵抗運動に対して少なからぬ知的刺激を与えた。そしてまた、この運動の衝
撃により、西洋社会のシステムが受けた動揺は、七〇年代における様々な社会運動の
母胎となったのであった。このように、西洋社会において確立された制度的ないし因
習的なシステムに対して多様なサブカルチャーが対峙するようになっていったことに
続いて、今日においてはさらに、西洋社会への対立、そしてつまるところは、反アメ
リカ的な動機と結びついた動向が、新たなかたちをとって現れてきている。
最後に述べたような、近代西洋に対する対立は、今日において、経済のネットワーク
のみならず、あるいはそれとパラレルに出現するものとしての、あらゆる生の様式の
同質化と均一化を促進しているネットワークが、西洋を含む横断的な諸地域に拡がり
つつあること、この「二重のグローバリゼーション」が現実のものとなることによっ
て、新たに強化されるにいたった。そして、こうした事態に際して、文化に関する議
論にあっては、往々にして、普遍性と進歩とを理念として掲げる動向と特殊性と共約
不可能性とをとを理念として掲げる動向とが、「あれか/これか」という二者択一のも
とでの、ほとんど解決を望めない対立図式において捉えられることがある。
普遍性と進歩とが理念として掲げられ、個々の文化的フレームワークを超えた世界
規模でのネットワークの構築の必要性が訴えられるとき、そこには、それぞれの文化
的伝統を均一化ないし画一化しようとする衝動を見て取ることができる。そして、こ
うした潮流に抗し、それを拒否するなかで、特殊性と共約不可能性とを内実とする固
有のフレームワークとしての文化の意義が強調され、文化に関する多元主義が論じら
れる。ただ、そこでは、普遍的なパースペクティヴのもとに文化を語ろうとする者が、
場合によっては、
「文化的帝国主義」の信奉者と見なされ、それに対して激しい非難が
浴びせられることがある。けれどもこのタイプの論難は、神話的幻想によって支えら
れた普遍的物語の破綻を口実として、それぞれの文化的フレームワークの排他的なヘ
ゲモニーを確立しようとすることにおいて、全体主義的な抑圧を「連帯のカリカチュ
ア」のもとで正当化しようとする動向に与すことになる。文化をめぐる今日的状況を
このように理解することができるのであれば、文化一般のプロジェクトに対する内在
的な反省を通して、普遍主義は、自らのうちに否定しなければならない個別主義的な
核を有している、という議論を展開することにおいて、普遍性と進歩とを理念として
掲げる動向に潜む暴力性を告発するとともに、文化に関する保守主義に対して、その
欺瞞を指弾するなかで、普遍的なパースペクティヴのもとに「潜在的に批判的なもの」
としての文化を語ったホルクハイマーとアドルノの理解は、文化に関する今日的な議
論に対して、なおも意義のある視座を遺贈しているように思われる。
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2002 年 12 月 22 日 A 分科会
自尊心について
平石隆敏 (京都教育大学)
教育や学校における諸問題が論議される中で、子どもの「自尊心」に関する問題が
取上げられることがある。たとえば精神科医の町沢静夫は、少年犯罪はじめ今の子ど
もたちの問題は、幼児的全能感を引きずった「自分は誰よりも能力が高く、そのよう
に認められるべきだ」という「高すぎる自尊心」にあるという。これに対してジャー
ナリストの西山明は、親が「理想の子」しか見ようとしないために、子どもたちは自
己肯定感や承認欲求が満たされず、そのため「自尊心をもてない」ことが問題なのだ
とする。
「自尊心」に相当するのは self-respect ないし self-esteem であるが、とくに後者は通
常「自尊感情」と訳され、心理学の分野において 1960 年代以降さかんに研究が進めら
れている。たとえば、
「他者や社会との関わりの中で特定の価値観や役割の達成を通じ
て獲得される自己価値に関する確信にともなう感情」である自尊感情の高さ/低さが、
彼の対人認知や対人行動のあり方とどのような影響関係にあり、またそこにどのよう
な因果的プロセスが想定されるかに関しては、すでに膨大な蓄積がなされている。
ここでは「自尊心 (self-respect)」を次の二つの観点から考えてみたい。
まず、自尊心が「自分自身の値打ちの感覚 (the sense of one’s own worth)」であると
すれば、その「値打ち」には次の三つの観点が考えられる。
(Cf. Th. E. Hill Jr.)
1)他人より優越する自己の「メリット」(資質、能力、業績、地位、階層など)と
しての「値打ち」
。おそらく一般にもっとも用いられているのは、この観点であろう。
2)メリットに依拠しない、自分の人格としての(平等な)道徳的地位にもとづく「値
打ち」
。この意味では、カントが語ったように、卑屈さは「自己自身に対する義務に反
している」
。
3)自分としての基準や理想をもち、それに従って生きようとする主体であることの
「値打ち」
。ロールズでいえば、
「自分の善の概念や人生計画は実現するに値するという
確信」と「自分の意図を実現する自分の能力への確信」である。こうした観点におい
てこそ、
「自己嫌悪」や「恥辱」も生じる。
また、自尊心にはさらに次の二つの側面がある。(Cf. E.Telfer)
A)評価的側面:これまでのあり方や行為等について、自分が設定した基準に自分は
達しているという確信。そうでなければ「自尊心が傷つく」
。
B)動機づけ的側面:「そんなことは私の自尊心が許さない」という場合のように、
自分にふさわしくない行為・あり方を回避し、ふさわしい行為・あり方を達成しよう
する動機づけを与える。この意味での自尊心の働きは、道徳的な動機と(同じではな
いが)深く関わるものであるといえるだろう。
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2002 年 12 月 22 日 C 分科会
ビジネス倫理学の転換――倫理学としてのビジネス倫理学
田中朋弘 (琉球大学)
経済と倫理の問題それ自体は、とりたてて新しい問題というわけではない。しかし、
「ビジネス・エシックス」や「経営倫理(学)
」という言葉でこの問題が語られはじめた
のは、比較的最近のことである。特に日本での取り組みは、一九九〇年代前半に「日
本経営倫理学会」が設立されて以来の話であるので、未だ黎明期にあると言える。
そのことを端的に表しているのは、名称の不統一である。たとえば、「商(業・人)
倫理」
、
「経済倫理(学)
」
、
「企業倫理(学)
」
、
「経営倫理(学)
」
、
「ビジネス・エシック
ス」
、
「ビジネス倫理(学)
」等々の呼称をみても、−語り手の立場が反映される形で−
さまざまな名称をつけられている。しかも、同じ呼称を用いていても語り手間ではイ
メージのズレがあったり、別の呼称を用いても、ほとんど同じことについて語ってい
たり、というような混乱した事情がある。
アメリカの「ビジネス・エシックス」が、いわゆる「応用倫理学」の一部門であると
位置づけられていることから、一般的に日本でも同様に考えられている。しかし、日
本におけるこのジャンルの展開には、アメリカとは異なった点がある。
「ビジネス・エ
シックス」や「経営倫理(学)
」にかかわろうとする哲学・倫理学者が極端に少ない、
というのがそれである。
その理由は明確には分からないが、おそらく、他の応用倫理学の分野に比べて、取
り立てて新しい問題が無いように(一見)見えるということがあげられるだろう。例
えば、ビジネス倫理学では、脳死問題やクローン問題のように、新しい技術によって
それまでにない新しい問題が発生するような事例が、少ないように見える。また、ビ
ジネスというとりわけ生臭い領域に対する無意識の蔑視感があるのかもしれない(し
かしわたしたちは、何らかの立場で、常にビジネスにかかわっている)
。あるいは、ビ
ジネス・エシックスのテキストが醸し出す、いかにも道学者的なニュアンスも、その
理由にあげられるだろう。従来、日本の倫理学者は、研究対象として倫理的事象を考
察することには熱心だったが、それを道徳的な価値として説くことには積極的ではな
かったように思われるからである。
応用倫理学は、−日本でもアメリカでも−哲学・倫理学の新しい研究分野として展
開し、−少なくとも現在では−無視できない研究・教育ジャンルにまで成長した。そ
こで本発表の目的は、次のような点にある。まず、
「経営倫理学」として現在日本で展
開されているこの領域が、もともとはアメリカの(応用倫理学の一部門としての)
「ビ
ジネス・エシックス」に依拠する文脈を持ちながら、しかしそれに携わっているのが、
あまりに経営学者や実務家のみに偏っているという現状を検討すること−すなわち、
現在の展開状況では、倫理学や応用倫理学そのものに対する目配りが、アンバランス
なままに展開されていること。その上で、
(単なるアメリカ流の「ビジネス・エシック
ス」でも、狭い意味での「経営倫理学」でもなく)倫理学としての「ビジネス倫理学」
への転換を提案すること、以上である。
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2002 年 12 月 22 日 全体会
生存の争い──医療の現代史のために
立岩真也 (立命館大学)
これからしばらくの間必要なのは、一つ一つの事件を追い、言説史をたどる、単純
なしかし厚みのある変動についての記述である。そして私たちが知らないのはそう昔
のことではない。ここ三、四〇年ほどの歴史に知るべきこと、考えるべきことがある。
なぜ近い過去を辿る必要があると考えるのか。この間に考えるべきことが提出され、
いくつかの道筋が示されたと思うからである。出来事としても様々なことが起こった。
いくつもの対立点が現われ、今に継がれる批判がなされ、その答の試みが途上のまま
になっている問いが示された。その後を考えるためにそこに何があったかを知ってお
く必要がある。加えれば、医療社会学も医療人類学もここ数十年の変動と別に現われ
たのではなく、そこから生じた。最初から規範的な議論をその仕事の中心とする医療
倫理学・生命倫理学に限らず、医療と社会に関わる学自体が近代医学・医療批判と関
係をもちながら、その中で始まったのである。だからこの時期以降の動きを検討する
ことは、それらの学が言ったことを再考してみることでもあり、これから何をするか
を考える上でも必要である。
そして近代社会において医療がどんなものであるか自体がすこし見えにくくなって
いる。近年の変化の一つは、この時代、この社会に当然のものとして位置づいている
契約関係を医療においても実現しようという動きでもある。その意味では近代医療に
対する批判は普通の近代化をめざすものだとも言える。だが、こうした非近代的とみ
える関係自体が近代社会の中から出てきたものであるのかもしれない。このこともま
た、医療化という言葉で示される近代社会における医療の位置の成立について考える
ことによって明らかにすることができる。
次に、医療に対する批判として、まず供給と消費の機構のあり方を問題にし、選ぶ
ことの主張が現われ、さらに、近代医学・医療でないものを積極的に支持しようとす
る動きが現われた。そして、この批判は普及するとともに変質していく。つまり、多
くの人が医療の消費者として現われるとともにその消費の形態も変化し、その中で批
判は一般化するのだが、しかしそこで落とされる部分があった。その欠落した部分が
後にいわゆる「先端医療」において問題として表面に現われるのだが、それはそもそ
も近代医療に内在する問題でもあったのである。ただ他方には、単純にされ普及した
部分が疑わないものを問わざるをえない流れ、容易に答の出ない部分に答えようする
試みが継続して存在してきたのであり、それをどう解するかが大切である。またこの
ように事態を見ていったとき、問題は、一つに、技術の所有の問題として現われるの
だが、そこから何が言えるか考えることは、そのまま現在もっとも大きな問題に向か
うことにもなるのである。
51
2002 年 12 月 22 日 全体会
優生保護法と GHQ–戦後断種法はいかに成立したか
松原洋子 (立命館大学産業社会学部)
1948 年に制定された優生保護法は、世界でも早い時期に人工妊娠中絶を合法化した
法律として知られているが、同時に、その名が示す通り優生断種法でもあった。
断種法 (sterilization law) とは、医療以外の理由による断種 (主に卵管・精管の切断あ
るいは結紮を意味し、卵巣・精巣を摘出する去勢とは区別される) の違法性を阻却する
ための法律である。一般に、疾病治療や母体保護を目的とした断種は医療行為とみな
されて、刑法の傷害罪を免れる。しかし、優生的、経済的、社会的など医療以外の理
由による断種は、健康上の理由と関係なく身体にメスを入れるなどの侵襲があること
から刑法違反の疑いが生じる。こうした断種を合法化するために作られたのが断種法
であった。特に 1900 年代以降、米国、欧州、南米等世界各地で相次いで制定された優
生断種法は、
「精神病」
、
「精神薄弱」
、
「遺伝病」を子孫に遺伝するとみなされた人々に
対する任意あるいは強制による断種の推進をもくろむもので、優生政策において中心
的役割を担ってきた。日本では 1940 年に最初の優生断種法として国民優生法が公布
された。
優生保護法は、敗戦後、国民優生法に代わるものとして GHQ の占領下で議員立法
により作られた。軍国主義批判と民主化が叫ばれたこの時期に、なぜ優生断種法が新
たに作られたのか。しかも、優生保護法では国民優生法以上に優生断種規定が強化さ
れていたのである。本報告では、優生保護法の成立過程について特に GHQ の関与に
注目しながら検討した。
優生保護法案は、超党派の産婦人科医などの医系議員が中心となって 1948 年に国
会に提出された。戦時中の国民優生法については、中絶手術に関して政府が強く干渉
したことから産婦人科医の間に不満が募っていた。敗戦後、民衆の生活難や人口過剰
問題などを理由に中絶規制の緩和を求める運動が産婦人科医たちからも起こったが、
彼等は同時に優生思想の支持者でもあった。1900 年代以降、日本でも優生学的言説が
メディアを通して浸透していったが、そこでは「遺伝病」にとどまらず、子孫に悪影
響を及ぼすとして感染症や中毒症の患者までも断種や結婚制限による生殖規制の対象
として想定することが珍しくなかった。敗戦後、中絶規制緩和を求める運動を担った
産婦人科医たちの多くは、この種の優生思想を共有していた。また、
「逆淘汰」による
人口資質の低下を招くという理由で、優生主義者は産児制限の普及や中絶規制緩和に
反対する傾向があったが、敗戦後の事情から産児制限や中絶を彼等も不本意ながら容
認せざるを得なくなった。このことは、
「逆淘汰」を防止するために優生学的に「劣っ
た」子孫の出生防止の強化をもとめる主張につながった。その結果、優生保護法案で
は、ハンセン病患者の任意による不妊手術を認めるなど、対象疾患を非遺伝性のもの
にまで拡大すると同時に、国民優生法では凍結されていた強制断種規定が復活した。
これに対して GHQ はどのように対処したのだろうか。優生保護法案は議員立法と
して作成されたために、国会提出に先立って、まず民政局司法・法律課が法案を検討
52
し、そのコメントを受けて公衆衛生局がさらに検討した。その結果、民政局および公
衆衛生局は、強制断種については 1) 根拠となる遺伝性疾患の正確な定義、2) 強制断
種を判定する優生委員会の決定に対し裁判所に訴えられるよう保証すること、また任
意断種については、未成年者および保護下にある者に対する任意断種を除外し、成人
による同意については保護条件を書き入れることを求めた。なお、ハンセン病の扱い
については、筆者が調査した範囲では言及がない。これに対して議員たちは強制断種
の 1) については、国民優生法施行規則の「別表」の導入、2) については中央優生保護
委員会の決定に不服がある場合、提訴可能とし、また任意断種については未成年者と
「精神病又は精神薄弱者」を対象から除外する修正を行った。PHW は「別表」につい
て医学的妥当性に疑義があるとして削除を求め、提出議員はこれに応じたが、法案提
出後紆余曲折あった後、結局法案からは削除されないまま成立した。
このように GHQ は断種の手続きと断種対象の特定について慎重な対応を要求した。
議員の側は部分的にはこの要求を受け入れたが、別表のように結果的に GHQ の意向
に背く部分もあった。議員たちは GHQ に譲歩しながらも、断種政策強化の基本路線
は堅持した。一方、GHQ の側も、優生思想や強制断種を原則的に否定したわけではな
く、方法上の修正の提案にとどまっていた。米国において本格的な優生思想や断種法
批判が広まるのは 1970 年代以降のことであり、1950 年前後にはまだそのような状況
にはなかった。
優生保護法は 1949 年、52 年に改正され基本的な形が整ったが、この間に中絶規制が
緩和される一方、断種の規定は 52 年に「遺伝性の者以外の精神病又は精神薄弱に罹っ
ている者」を本人の同意によらない断種の対象に入れるなど強化された。優生保護法
の優生思想自体が問われるのは、1970 年代の優生保護法改正案提出に際して障害者や
女性を中心とした運動が展開されてからのことであった。優生保護法は 1996 年に優
生思想に関わる条項の大幅な削除・修正が行われ、現在母体保護法となっている。
53
54
第 III 部
論文
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集団的責任論と人格としての企業
伊勢田哲治 (名古屋大学)
近年になって企業の社会的責任 (corporate social responsibility) についての意識が日
本でも高まりつつある。これに関しては、普通は、企業は利潤だけ追求していればよ
いのか、それとも別の責任があるのか、というようなことが問題となる。しかし英米
ではそれと並行して企業はそもそも責任の主体となりうるのかどうかという形而上学
的な論争も続けられている。本稿では、ラリー・メイとステイシー・ホフマンの編集
した『集団的責任』に収められた論文を中心として、企業の形而上学的地位や責任に
ついての論争のサーヴェイを試みる。その前段階として、集団的責任一般についての
ルイスとファインバーグの議論も紹介する。なお、論者によって accountable や liable
という言葉の定義の仕方に若干のずれがあるが、それについては論者ごとに訳しわけ、
原語を示す、という形で対処してある。
1 集団的責任は存在するか
1-1 集団的責任は存在しないという立場
まず、集団的責任 (collective responsibility) という考え方についての古典的な二つの
立場を紹介する。H.D. ルイスの 1948 年の論文 (Lewis 1948) はこの問題について論じ
たもっとも初期の論文であるとともに、集団的責任に否定的な見解の一つの標準的立
場ともなっているので、その紹介からはじめよう。
ルイスは集団的責任が道徳的な意味で存在しうるという考え方に強く反発する。ル
イスによれば、本人以外のある人が他人の行為について道徳的責任があるということ
がありうるというのは、ある人の罪のためにその人の家族を処罰したりした野蛮な時
代の考え方である。もし責任が個人にあるという考えに乗りこえがたい難点があるな
らそうした野蛮な考えに戻らなくてはならないかもしれないが、そうした難点はない、
というのがルイスの主張である。
法的な責任 (responsibility) の概念は、語源である「応答する責任 liability to answer」
の意味に近い。つまり、何か応答を必要とする被害があった場合に、だれが応答する
べきかきめるというのが法的な責任なのである。こうした法的責任についてはたしか
に便宜的にある集団全体に責任を負わせる必要があるような例外的事例もある。たと
えば、だれがやったか分からないときに、クラスの生徒全員に責任をとらせるという
ような場合がある。また、ある国家が不正義な戦争を遂行する場合のように、実際上
責任を細かく割り当てることが難しい場合もある。しかしこれは、無実の者までが罪
(guilt) を分け合っているということを意味しない。われわれの社会では完全な正義を
実行するのが難しいために行われる便宜的な措置にすぎない。
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これに対し、ルイスによれば、ある行為者に道徳的な責任があるとは、その行為者
が道徳的な行為者であるということ、すなわち道徳的に正しい行為・誤った行為を行
うことができるということにほかならない。道徳的価値や正しさの概念は原始概念で
あり、自然的に定義することはできない。確かに道徳的責任についても法的責任に類
する罰をうけなくてはならないという意味はあるが、これは本質ではなく付加的な要
素でしかない。
道徳的集団責任が場合によって可能だというのは、以上のような法的責任と道徳的
責任の区別を見落としたことに由来する考え方である。両者の差は、次の例などにあ
らわれる。首相が参謀長の行為について「自分を非難してほしい」と表明して責任を
とろうとしたとしよう。これは戦争の遂行や議会の運営のために必要だからそうして
いるのであって、首相が道徳的な責任があると考えるのはばかげている。むしろ首相
は道徳的な人物として評価されることになるだろう。
では、共同で悪事をなした場合の道徳的責任はどうなるのだろうか。ルイスによれ
ば、それぞれの参加者の道徳的責任はその者の果たした役割に比例して分配されるこ
とになる。社会的・経済的不正義の場合はもうすこし処理が難しいが、ルイスは社会
の「構造」やら「全体としての社会」などといった抽象概念が道徳的責任を持つとは
考えられない。貧乏な母親が子供のためにパンを盗んだとしても、まわりの人間は盗
みそのものについては道徳的責任はない。彼女をそうした状態で放置して置いた責任
はあるかもしれない (ただし、もちろん個人として)。ドイツの戦争についても、ドイ
ツの市民一人一人にできることは少なかったかもしれないが、個人ができたことにつ
いては個人に責任がある。多くの人がかかわることについては、その個人に何ができ
る状態だったかよく理解しないと、道徳的判断をあやまることになる。集団に注目す
ることはそうした複雑さから目を背けることになる。ルイスの議論はおおむね以上の
ような論旨である。
1-2 集団的責任は存在するという立場
これに対して、集団に責任を帰することができるという側の古典的なものとしてジョ
エル・ファインバーグ (Feinberg 1970) の議論がある。彼は集団的責任を責任について
の体系的理論の一部として位置付ける。ファインバーグは、この論文で、まず個人の
責任の標準的要件として次の三つの条件をあげる。
(1) その人の意図的な行為が有害な出来事に因果的に貢献する。
(2) その因果的に貢献した行いが何らかの意味で落ち度がある (at fault)。
(3) その非難に値する側面と有害な出来事の間に直接の因果関係がある。
この三つをまとめて貢献的落ち度 (contributory fault) と呼ぶ。確かにルイスが言う通
り、近代までの法律の進歩は、貢献的落ち度を持つ人のみに対して責任を問う方向に
進んできた。しかし、20 世紀にはいってからはむしろ貢献的落ち度のない責任の概念
が発達しはじめた。これは先祖がえりではなくそれぞれに十分な根拠があり、おおき
く三つのパターン、すなわち厳格責任、代理責任、集団責任に分けられる。
58
まず、厳格責任 (strict liability) であるが、これは他の二つも含む広い概念であり、契
約による責任や公共の福祉への違反などが含まれる。危害が重大であるにもかかわら
ずやってしまう誘惑が大きい場合や、厳格責任を問われることを事前に知っていれば
危害を避けるために何かすることが可能である、といった条件が満たされたときに有
効である。次に代理責任 (vicarious liability) であるが、これは落ち度のある行為を行っ
た者 (代理人 agent) と責任を問われる者 (本人 principal) とが別となるような責任であ
る。代理責任は本人が代理人をオーソライズすることで発生する。代理人にも、単な
る代弁者 (タイプライター) から自由な代理人 (ホッブズの主権者) までさまざまなレベ
ルがある。
その他代理責任が問われる場面としては、軍隊のような階層的指揮系統がある場合、
主人ー従者関係がある場合 (雇用者が被雇用者の起こした事故の被害者へ補償する場
合など)、保証人 (suretyship) となった場合などをファインバーグは挙げている。この
いずれの場合も代理責任を問う理由は十分理解可能である。たとえば主人ー従者関係
の場合、主人の方が補償能力が高い (deeper pocket を持つ) ことと従者の行動への統制
力があることが代理責任の生じる根拠とされる。
集団責任 (collective liability) には四つのパターンがある。まず、代理責任の一種と
しての集団責任がある。これは、組織された集団が、その構成メンバーの行為に対し
て持つ代理責任。自発的にこうした責任が生まれるのは、その集団の中に現実に連帯
感 (solidarity) がある場合に限る。連帯感が非常に必要とされているときにこのような
集団的責任を持たせることで連帯感を産むこともある。第二に、非貢献的落ち度によ
る責任というものを考えることができる。これは、あるグループの誰もがやっている
落ち度ある行為によって、その中の一人が実際に危害を引き起こした場合にグループ
の全員にある意味で責任がある、という考え方である。誰もが飲酒運転をするなかで
その一人が事故を起こした場合、事故を起こすのは誰でもあり得たという意味で全員
が同罪であり、全員に責任を問うことには十分意味がある。第三に集団的かつ分配可
能な落ち度による責任を考えることができる。これは、ある集団の人々がみなで危害
を加えたというような場合であり、個人の落ち度の単なる総和である。第四に、集団
的かつ分配不可能な落ち度による責任というものも考えることができる。これは例え
ば個人としてやると英雄的自己犠牲が必要だが、集団としてやれば一人一人のリスク
や損失は少なくて済むというような場合に発生する。例えば、列車強盗があったとき
に、全員で立ち向かえば一人一人のリスクは少なく取り押さえられるが一人で立ち向
かうと大きな自己犠牲を強いられることになる。
さて、ルイスならば、このファインバーグの議論に対して、どう答えるだろうか。
まず、彼ならば、厳格責任や代理責任 (したがって集団責任の第一のバージョン) は法
的責任にすぎないと論じるであろう。集団責任の第二のバージョンについては、おそ
らく、飲酒運転をするという行為自体が過った行為であるから個人の責任とみなして
問題ないとするであろうし、第三のバージョンは個人の責任に還元可能なので集団責
任とは呼べない、と答えるであろう。そうなると本当に両者で対立する論点は第四の
バージョンということになるだろうが、ファインバーグの挙げる例はあまりにも特殊
59
すぎて、これが論争全体を左右するような事例になるとは考えにくい。しかし、実は
ファインバーグが論じていないタイプの集団的責任を考えることができ、これは (もし
そういう責任が存在するなら) 第四のバージョンに分類されるであろう。それが、企業
が一つの人格として持つ責任、という考え方である。というわけで、両者の対立は企
業の責任を巡る問題に持ち越されることになる。
2 企業は道徳的責任の主体となりうるか
2-1 企業を道徳的人格とみなす立場
現代における集団責任論の一つの中心は企業がひとつの単位として責任を持つこと
がありうるかという論点であり、これについての議論の土台を作ったのがピーター・
フレンチである (French 1979)。彼によれば、企業は完全な意味で道徳的人格であり、
道徳的責任を問える。
「人格」(personhood) には形而上学的、道徳的、法的の三つの概念があり、お互いに
からまりあっている。形而上学的人格概念とは行為者性 (agency) を持つということで
あり、道徳的人格を持つとは責任を帰することができる (accountable) ということであ
る。哲学者と経済学者の多くは、形而上学的人格は道徳的人格であるための前提条件
をなし、かつ、彼らの法的人格に関する考え方によれば、企業が形而上学的人格とは
認められないため、道徳的人格でもないとされる。しかし、これは、企業の法的人格
についての数ある解釈のうち、もっとも擁護しにくい立場である。
法的人格とは何かについては主に三つの立場がある。第一は「虚構説 fiction theory」
(ローマ法) で、これは法的人格は法律によって創造されるという考え方である。第二
は「寄せ集め説 aggregate theory」(英米法) で、生物学的な人格に優先性をみとめ、
「企
業」とは生物学的な人格の集まりについて語る際の便宜にすぎないとする考え方であ
る。第三は「実在説 reality theory」(ドイツ法) で、法的な規定以前に、社会的行為に
よって生み出された事実上の人格として企業が存在する、という考え方である。この
うち、第二の立場は、企業と単なる群衆の区別をつけることができないという理由で
却下される。第一と第三の立場はいずれも「法的人格=権利の主体」という立場であ
り、形而上学的人格とは直接かかわらない。(つまり、実在説の場合でも、「事実上の
人格」というのは権利の主体としてみとめられるものという意味であって、形而上学
的な行為者性を持つという含意はふくんでいない)。
寄せ集め説を却下する際にフレンチが挙げる例は、登記上はイギリスの企業だが、役
員はすべて (株主も一人をのぞいてすべて) ドイツ人であるような企業をめぐる裁判の
実例である。もし企業が構成員の単なる寄せ集めであるならこれはドイツの企業とい
うことになってしまうが、裁判所はこれをイギリスの企業とみなした。フレンチもこ
の判断を支持する。
以上は法的人格についての議論なので、これで道徳的人格の問題も決着がついたとい
うわけにはいかないが、少なくとも人格の概念が生物学的存在と切り離せるというこ
60
と、そして形而上学的人格を経由せずに「権利の主体」という形で定義できるという模
範を示してくれたという点をフレンチは評価する。フレンチはこれと対応して、道徳的
人格概念を、あるものが責任を帰属させるための消去不可能な主体となるかどうかに
よって定義することを提案する。ここで言う責任は、単にだれ (何) がそれをやったか、
という意味での責任ではなく、
「応答する義務」が伴うような説明責任 (accountablity)
のことである。ただし、説明責任は前者の意味での責任なしには発生しない。
これに基づいてあるものが道徳的人格であるために満たすべき条件を考えると、(1)
そのものの行為がある出来事の原因となる (2) その行為がそのものによって意図され
ている、ないし意図的行為の結果である (3) 説明を求められたときに説明することが
できる、という三つの条件にまとめることができる。これらの条件を満たす行為者を
デイヴィドソン的行為者と呼ぶ。道徳的人格は消去不能なデイヴィドソン的行為者
(non-eliminable Davidsonian agent) でなくてはならない。(消去不能という条件は、単な
る群衆が道徳的人格と見なされることを防ぐために入れてある。)
では企業は消去不能なデイヴィドソン的行為者だろうか。ここで一番重要になるの
が、企業が、消去不能な (つまり生物学的人格の意図の集合に還元不可能な) 意味での
「意図」を持つかどうかということである。個人の場合、意図的行為においては、ある
体の動きをある理由に言及しながら記述し直すことができる。そこで挙げられる理由
は、たいていは欲求と信念の組み合わせである。そして、企業の場合にも同様な記述
のしなおしが可能である。そこで「意図」の役割をはたすのが「企業の内的決定構造
corporation’s inner decision structure 」(CID 構造) である。CID 構造は、企業の意志
決定の手続きと企業の基本ポリシーからなる。ある特定のプロセスをへてなされた決
定が同時に企業の基本ポリシーにもかなっているならばその決定内容は企業の意図と
なり、企業の意図に基づいて行われた行為は企業の行為となる。個々のメンバーの行
為を企業の意図なり行為なりとして記述し直すための規則を「認知規則」(recognition
rule) とよぶ。
認知規則の例として、フレンチは重役三人が投票する場合を考える。個人のレベル
では「X 氏が a した」「Y 氏が a した」「Z 氏が a した」(a の内容はたとえば「他の企
業とのカルテルに賛成の投票をする」) と記述される。しかし「A,B,C の地位をしめる
個人が一致して j に投票し、それがこの企業のポリシー f と調和しており、他のことが
すべて同じならば、この企業は f という理由で j をしたと認知される」という認知規則
が加われば、
「この企業は f のため j する」(たとえば「さらなる利潤を追求するために
他企業とカルテルをむすぶ」) という企業の意図的行為についての記述が可能になる。
フレンチはまた、こうした考え方を支持するような傍証もいくつか挙げる。企業の
ポリシーは個人の意図よりもはるかに時間的変化が少なく、個人が入れ替わっても維
持されることが多い。さらに言えば、ポリシーが根本的に変わってしまった場合、そ
れは別の企業とみなされることもある。また、企業の意図や企業の行為を認めたから
といって個人の意図や行為が消え去るわけではない。X 氏が賄賂をもらってカルテル
を結ぶことに投票したのだとしたら、その行為は企業の行為とは独立に責任を問われ
てしかるべきである。しかし、だからといってその企業がカルテルに加わったこと自
61
体が同じ責任を問われることにはならない。
以上のような議論によって企業を形而上学的人格かつ道徳的人格ととらえるための
基礎はあたえられたはずである、とフレンチは結論する。企業の行為を意図的な行為
として記述し直すことについてなお神秘的な印象を持つひともいるかもしれないが、
個人の行為の場合にも同じような記述のしなおしが行われていることをおもえば、企
業の場合もそれほど神秘的には感じなくなるであろう。
フレンチほど明確に企業を道徳的人格とみなす議論は少ないが、もうすこし穏健な立
場から企業自体に道徳的責任を認める立場は多い。たとえばパトリシア・ワーヘイン
(Herhane 1983) は、企業というものが独特な存在者であるということを強調し、企業を
人格と見なす立場も単なる個人の集合と見なす立場もこの独特さをきちんととらえき
れていないと論じる。ワーヘインが主な事例として使うのはフォードのピントの例で
ある。フォードのピントは後ろからの衝突に弱く、そのためにフォード社は事故の被
害者から訴えられるなどした。しかしこの車が設計・製造され市場に出る過程のどの
個人の行為をとっても、その個人の行為だけで非難に値するとは思われない。フォー
ド社の行為は非難に値するわけだから、非難に値しない行為の組み合わせで非難に値
する行為が生じたわけである。このような場合、フォード社の行為はどの個人の行為
にも還元可能ではない。
ワーヘインはこうした特徴を持つ集団を記述するために「二次的集合体」(secondary
collective) という概念を持ち出す。二次的集合体は個人から構成される集合体なので、
個人に比べれば実在性は低く (less real)、自律的な道徳的行為者とは呼べない。また、
二次的集合体は二次的行為 (すなわち、誰か他人を代理に立てて行う行為) を行い、そ
うした二次的行為のあるものはその集合体を構成するどの個人の一次的行為にも還元
不可能である (これを非分配的集合行為と呼ぶ)。こうした行為を行うという点で、企
業は (自律的でないにもかかわらず) 二次的道徳的行為者であり、その行為に対して責
任がある。
フレンチもワーヘインも、おそらくルイスの議論を意識して、自分が (法的人格や法
的行為者ではなく) 道徳的人格・道徳的行為者の話をしているのだということをかなり
強調していることは指摘しておくべきだろう。
2-2 企業を道徳的人格とみなさない立場
これに対して、企業はそもそも道徳的責任を持たないという考え方が一方にあり、
たとえばミルトン・フリードマン (Friedman 1962) などがこの立場をとる。フリードマ
ンによれば企業は一つの実体として扱われ、
「法人」などと呼ばれることがあるけれど
も、それはあくまで法律的虚構である。企業は良心も感情も意識もないし、企業自体
はいかなる行為も行わない。行為を行うのはあくまで企業内の諸個人である。では企
業をあたかも実体のように扱うような虚構を作る目的はなにかといえば、結局は企業
に関わる人々の利潤の追求である。したがって責任の追及もそれに応じてなされるこ
とになる。
62
フリードマンがこの議論をしたのはフレンチの議論が登場する前であるが、この線
にそってフレンチを批判するのがヴェラスキーズ (Velasquez 1983) である。彼の考
えによれば、
「企業が道徳的責任を持つ」というのは、単にある個人が責任をもつこと
の省略表現にすぎない。
ヴェラスキーズは「責任がある」(responsible) という概念に三つの意味を区別する。
一つは「信頼がおける」 (trustworthy) などと似た意味で、道徳的性格を表すための
用法、二つ目は「公共に奉仕する責任がある」などという時に使う未来志向的な用法、
三つ目は「事故の責任は彼にある」などというときに使う過去志向的な用法である。こ
こでは第三の用法に話をしぼり、これを「道徳的責任」とよぶ。
通常の用法では、ある人がある出来事に道徳的責任があるための必要条件として二
つがあげられる。第一はそれがその人の体の動き (bodily movement) の結果であるこ
と、すなわちその行為がその人に端を発する (originate) ものであることである。この
発端 (origination) の概念はカントの道徳的譴責可能性 (moral imputability) の説明など
にみられる考え方である。第二はそれが意図的なものであること、つまりその行為者
はその行為のもととなる体の動きに対して自発的にコントロールでき、その体の動き
について知りながら実行したということである。
また、道徳的責任は非難や罰を受けてしかるべき (liable) であることと概念的に密接
に結びついている。こうした非難や罰にはよく知られた倫理学理論に基づく根拠があ
る。まず、功利主義の観点からは、非難や罰を与えることで当人や他の人が将来的に
同じことを繰り返さないようにすることができる、という正当化が与えられる。次に
契約説的な義務論の観点からは、お互いに同じことをすれば非難や罰をうけるという
前提のもとで、われわれは非難や罰をうけることに同意しているのだ、という議論が
できる。また、自然法的な義務論の観点からは自然法によって正義が定義され、人々
の関係が正義から逸脱したときに、それを正しい位置に戻すために非難や罰が必要と
なる。これら三つの根拠のどれによっても、
「発端」となった行為者を非難・処罰する
必要がある。功利主義の観点からは発端となった行為者以外を罰しても抑止効果は期
待できないし、契約説的義務論の観点からは罰を受けることに同意した本人以外が罰
せられるのは筋がとおらず、自然法的義務論の観点からは、本人以外を罰しても違反
者を正しい位置に戻すことにならない。
以上の観点からみて、
「企業にも道徳的責任がある」とするフレンチの議論はどう考
えられるか。ヴェラスキーズによれば、フレンチの議論は二つの前提に依拠している。
第一の前提は、ある種の行為は企業を主語とした述語としてしか成立しないというこ
とであり、第二の前提はその行為に結びつけられた意図も企業以外のものに帰属させ
ることはできないということである。
しかし、第一の前提について、仮に企業が行為するとして、企業は体をもたないの
で結局その構成員が体を動かすことになる。ここで企業というものについて二通りの
捉え方が可能である。まず、企業を虚構の法的実体 (fictitious entity) だと考えるなら、
企業の行為というのも便利なフィクションにすぎず、単に企業の成員の行為について
語る便利なしかたにすぎない。次に、企業を実在的な組織 (real organization) と考えて
63
も、人間の腕が動くのと企業内の構成員が動くのではわけが違う。というのも、腕と
違って構成員は自律的であり、自らの体の動きを自分で制御できるからである。どち
らの解釈をとるにせよ企業は行為の発端ではなく、したがって非難・処罰の対象とも
ならない。たしかに企業を述語としてしか成立しない行為もあるけれども、それは企
業にその行為の責任を帰属させる理由にはならない。これは「木が倒れる」というの
と同じで、
「倒れる」という述語は木を主語とするしかないが、木が倒れたことの道徳
的責任が木にあるわけではなく、木を意図的に倒した人に責任があることになる。
第二の前提について、フレンチは企業のポリシーや決定手続きなどを CID 構造と呼
んでその企業の意志とみなそうとしている。確かにポリシーや決定手続きなどは企業
に帰属させるしかないが、その意味での企業の意志は行為の発端とはならない。とい
うのも、第一の前提についての議論で確認したとおり、企業の行為とされているものは
実は個人の行為であり、その行為と関わる意志は個人の意志だからである。ヴェラス
キーズはここで「意図的行為」という概念の分析に訴えて自らの議論を補強する。意
図的行為は行為者によって行われるものであり、行為者には心理的側面 (意図を形成で
きる) と身体的側面 (動かすことのできる体を持つ) がある。さらに、行為者において
は両者の統合 (unity) が必要である。フレンチは企業の CID 構造を一種の「集団の心」
(group mind) として理解しようとしているが、CID 構造は意図を形成できるような心
ではないし、直接制御できる体も持たないし、したがって両者の統合もない。
ヴェラスキーズは、フレンチとは別の路線として、企業は誤った行為に対して非難
や罰をうけるべきである、という社会通念から、企業は道徳的責任を持ちうるという
ことを導き出そうという議論も考察する。ヴェラスキーズは、こういう文脈で「企業」
という言葉が本当は何を意味しているかを分析することで、そうした考え方がなぜ間
違っているかみちびきだそうとする。
「企業に責任がある」という際の「企業」が意味するものの候補としては、(a) 架空
の実体か、(b) 現実の人間の関係の構造か、(c) 現実の人間の集合かが考えられる。し
かし、架空のものに実際の責任があるというのはほとんど意味をなさない。人間関係
の構造が非難されるという解釈にも二つの難点がある。まず、関係を「罰する」とい
うのはほとんど意味をなさない。関係が非難されて恥ずかしく思ったり、処罰されて
苦しんだりできるであろうか。第二に、組織の構造に責任があるということはその組
織の成員には責任が帰属させられないということになるが、実際のところ、組織の構
造を非難したり罰したりするには、成員に非難や罰を与えるしかない。たとえば企業
に罰金を科した場合、結局それで痛手を被るのは企業の成員である。もし構造自体に
責任があるならその責任で成員が苦しむのは不公平だということになるはずだが、わ
れわれは普通そうは考えない。
というわけで、結局 (c)、すなわち企業とは企業を構成する現実の人間の集団を意味
している、という選択肢だけがのこる。では、人間の集団が責任があるとして、(1) 集
団全体として非難されるのか、(2) 集団の個々のメンバーが等しく非難されるのか、(3)
集団内の特定の構成員達が非難されるのか。詳しくは触れないが、ここでも結局意味
をなす選択肢は (3) しかない、とヴェラスキーズは結論する。結局、企業を非難すると
64
は、企業内で悪しき行為の発端となった構成員たちを非難するということの省略話法
でしかない。
ヴェラスキーズは、さらに、企業に責任を帰属させることの二つの危険性を指摘す
る。まず、本当に同じ過ちを繰り返させたくないなら、企業というベールの影にいる
責任者まで探し出す必要がある。また、企業を巨大な人格とみなすことは、個人を企
業という人格の一部にしてしまうということでもあり、新しい種類の全体主義につな
がりかねない。
ヴェラスキーズと同様の議論を行うために、スキッド (Skidd 1987) は「責任」や「企
業」という言葉の用法を歴史的に考察する。すでに繰り返されてきた論点だが、スキッ
ドもまた責任という概念が自律的・意図的行為と不可分なものとして使われてきたこ
とを指摘する。また、企業 (corporation) という言葉は、もともとは「結婚」などと同
じく人と人との関係を表すために作られた言葉である。これが虚構の法的人格を指す
ようになったのは、1819 年のマーシャル首席判事が「目に見えず、触れることもでき
ず、法的な思考の中にのみ存在する人工的な存在」と企業を定義して以来のことであ
る。この記述は比喩としては適切だったかもしれないが、知識の基礎としてはまった
く不適切である。企業という概念はあくまで人と人との関係をあらわす言葉であり、
企業の行為について語るのは、
「結婚」の行為や「友人関係」の行為について語るのと
同じようなものである。
スキッドは、なぜ自分が「責任」や「企業」という言葉のもともとの意味にこだわ
るのかについてもある程度の議論をしている。どういう言葉を使うかは、われわれの
概念的能力の形成において重要である。本質的に違うものを区別しないような言葉を
使っていると、両者の区別を理解する能力自体に影響が出てくる (これについてはアメ
リカ黒人俗語をめぐる研究がある)。「企業」や「責任」を不適切に使うことで、企業
を擬人化して思考する習慣が身に付いてしまう危険性がある。
3 考察
結局、フレンチらの立場とヴェラスキーズらの立場はどこで食い違っているのだろ
うか。ヴェラスキーズらはフレンチのような立場では企業内個人の責任があいまいに
なってしまうと考えるが、フレンチは企業内個人の責任はまた別に問うという立場を
明示しているので、これが本当の対立点になるとは考えにくい。また、全体主義や概
念的混乱についての心配もあまり現実味を感じられない。大きな対立点は、もちろん、
行為者という概念を拡張するのが適当かどうかということと、狭い意味での行為者性
が道徳的責任にとって本質的かどうか、という点である。しかし、これらが言葉の上
での問題でしかないならばこの論争はあまりおもしろくない (その点でスキッドの努
力は評価できるが、ただし彼が考えるような概念的混乱が深刻な問題となりうるかど
うかはまた別問題である)。
わたしの考えでは、両者の違いが現実の文脈で現れるのは、たとえば企業内の個人
の (ファインバーグの言うところの) 貢献的落ち度をどう処理するか、というような局
65
面ではないかと考える。企業を人格や行為者として実体化しない考え方によれば、個
人の落ち度は個人の落ち度であり、それ以上の分析はできない。しかし、企業を人格
と見なす考え方からいえば、個人の落ち度についても、集団の中の役割を果たすとい
う側面から生じる落ち度と、独立の個人としての落ち度とを区別し、対処の仕方を変
えることができる。これはフレンチの立場の一つの利点であろう。役割に付随する落
ち度は結局フレンチの言うところの CID 構造の側の落ち度で、人格としての会社が責
任を問われることになる (会社のポリシーや決定手続きを変えることになる)。ただし、
そのためにフレンチほど強力な立場が必要なのか、ワーヘインあたりの立場でも十分
なのかはよく考えてみる必要があるだろう。
もちろん、ある個人の落ち度が役割としての落ち度か個人としての落ち度かという
のは区別が難しい。ここで参考となるのが、サンダースの議論 (Sanders 1992) である。
サンダースは大きな事故が起きたような場合、誰が非難されるべきか決めようとする
ことはしばしば同じような悲劇を避けようとする努力の障害となる、と指摘し、どん
な事故でも誰かが非難されるべきだという前提が事態を複雑化しているという観察を
する。これに対し、サンダースの考えでは、非難されるべき人はいることもいないこ
ともある。そうした観点からサンダースが挙げる基準は、
「おなじ立場を占め、責任あ
る行動をする他のいかなる人もおなじように行為しないときにのみ、その人の行為は
非難に値する」というものである (サンダースはチャレンジャーの事故をこの基準で分
析し、どの関係者の行為も非難に値しないと結論する)。実際、そういう場合に単にそ
の個人だけを処罰し取り除くのは、機構上の問題を残すことになり、別の人が同じ立
場を占め、同じことを繰り返すだけにおわる。
サンダースは企業が道徳的人格かどうかという論争には首をつっこまないけれども、
彼の議論がフレンチの立場と非常にうまく補いあうのは確かであろう。また、サンダー
スの基準を明示的にフレンチの立場に組み込めば、ヴェラスキーズの懸念の一部に答
えることにもなるであろう。もちろんここで紹介したのはこの論争を巡るさまざまな
立場のほんの一部にすぎず、ここでこの論争に結論を出すつもりはない。企業の道徳
的責任についてどういう形而上学的問題があり、それがどういう現実的問題と結びつ
いているかが示せれば、本稿の目的は達せられたものと考える。
References
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(Lexinton Books): 163-172.
67
戦争と倫理――原爆投下と非戦闘員の不可侵性――
柳澤有吾 (奈良女子大学)
1995 年に米国スミソニアン博物館で企画された「原爆展」をめぐる激しい論争は、
「ヒロシマ」のアクチュアリティーをあらためて確認させるものであった。そこで争わ
れたのは、
「日本への原爆投下が速やかな戦争終結を導き、多くの人々の命を救ったか
どうか」ということだけではない。米国側――とくに在郷軍人会のような組織――か
らすれば、あの戦争を戦ったことの意味と名誉、ひいてはその戦争を生きた者として
の存在そのものが賭けられているとすらいえるところもあって、歴史教科書の記述へ
の単なる疑問や問題提起にとどまらない重大な挑戦であった。実際、広島や長崎の犠
牲者に焦点をあてることは、原爆を投下した米国を犯罪者扱いすることを意味すると
一部では受け取られ、激しい反発を引き起こしたのである。しかし、では原爆投下は
ほんとうに「犯罪」ではないのか。当時の状況で「犯罪」とは何を意味するのか。
「当
時の状況」とはどんな状況だったのか。原爆投下の正当性について、歴史家は、ある
いは、国際法は何を教え、また哲学者達はこれまで何を論じてきたのか。本稿の目的
は、こうした点の確認を通して、
「戦争と倫理」のひとつの側面について若干の考察を
試みることである。
1 原爆投下の論理
1947 年 2 月に「ハーパーズ」誌に掲載されたヘンリー・スティムソンの論文は、原
爆投下を全面的に擁護するもので、その後の議論を大きく左右するものであった。よ
く引き合いに出され、今や「神話」と化している「原爆が 100 万人以上の犠牲者を救っ
た」という数字もこの論文が出所である。共和党の重鎮であるスティムソンが政界で
も国民の間でも篤い信頼を勝ち得ていた人物であったことがその影響力を決定的なも
のとし、それ以上詮索することを阻んだのかもしれない。
広島・長崎への原爆投下に対して、ラインホルド・ニーバーら宗教関係者からの批判
ははやくからなされていたものの、当初はまだそれほど目立つものではなかった。し
かし、1946 年 8 月にアインシュタインが原爆投下に遺憾の意を表明し、ついでニュー
ヨーク・タイムズに掲載されたジョン・ハーシーの「ヒロシマ」リポートがはじめて人
間の目の高さから広島の被害の甚大さを伝えて大きな反響を呼ぶなど、しだいに原爆
肯定論に翳りが見えはじめた。これに危機感をおぼえたハーバード大学総長――戦時
中は国防研究委員会の委員長で、マンハッタン計画の中心人物の一人でもあった――
ジェームズ・コナントらが、巻き返しをはかってスティムソンを担ぎ出し、反対論を
封じるために (事実上) 共同執筆したのが「ハーパーズ」論文なのである。
戦争終結のために原爆投下が是が非でも必要で、さもなければ大規模な上陸作戦で
多くの人命が失われることになったはずだ、という主張がスティムソンの議論の中心
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をなす。天皇と軍部は大きなショックを与えなければ降伏しなかっただろうというの
である。警告を発することやデモンストレーションを行うといった代案が慎重に検討
されたこと、広島・長崎が日本の戦争遂行に積極的にかかわっていたこと、11 月 1 日
に予定されていた上陸作戦まで戦争が長引いていたら、B-29 による空襲のほうが原爆
よりも大きな被害をもたらしていたはずであること、7 月 28 日の時点で鈴木首相はポ
ツダム会談の最後通牒を「拒絶」したことなどを挙げて、さらに根拠付けがはかられ
ている。
こうした点について戦後長いあいだ関係資料が明らかにされなかったこともあって、
「神話」は公式見解として流布してきた。しかし、関係者の回顧録、書簡、日誌、メモ、
証言等を精査したガー・アルペロビッツは、いまだに非公開の文書が多いという制約
にもかかわらず、
「脱神話化」には十分な材料を提供してくれている1 。
まず、スティムソン自身が日本に天皇制を維持できることを知らせるべきだと繰り
返し主張し、トルーマンに対して正式に進言してもいる。諜報部は、ソ連参戦と天皇
の地位の保証によって戦争は終わるだろうと見ていた。また、この問題に関する唯一
の公式機関であった暫定委員会が「代案を慎重に検討」した証拠はなく、その時点で既
に原爆の使用は上層部において既定の事実になっていたと考えられる。広島・長崎の
戦争遂行上の機能が選定理由になったわけではなく、暫定委員会や目標選定委員会の
ねらいはむしろ――「原爆の重要性を国際的に認識させる」というもう一つの重要な
目的を別にすれば――日本に対する「心理的効果」にあった。つまり、都市の大部分
に広範な被害を与え、多数の非戦闘員を不可避的に巻き込むことになるような目標が
意図的に選ばれたのである。戦争終結の遅れによる被害については、そもそも原爆か
空襲かという二者択一ではなく、降伏条件やソ連参戦も考慮に入れるべきである。ま
た、日本に領土的野心はなく、むしろ無条件降伏の定義が問題であったことは傍受・
解読された電文からも明らかであった。
さて、アルペロビッツは「あとがき」で原爆投下決定をめぐる疑問点を改めてまと
めている。第一に、(原爆使用なしに) 日本が降伏する可能性はなかったのか (1)。第二
に、日本の指導者に降伏の意志などなかったのか (2)。第三に、いかなる事情があろう
と、警告なしに原子爆弾を都市部に投下する行為は正当化できるのか (3)。最初のふた
つの問いに対する答えは次のようなものである。日本の降伏に原爆は不必要で、いず
れにしても 11 月までには降伏していた確率が高い。また、日本側は、天皇の地位が保
証されなければ戦争を続ける覚悟だった。降伏を早めたのは、原爆よりもむしろソ連
の参戦であった。これらの問いについては、事実関係がわかれば一定の答えを与える
ことが可能である。一方、一般市民の多く居住する都市に対する原爆投下が――どん
な理由があろうと――許されるのかという第三の問いは、相対的な利益の商量を認め
ない絶対主義的倫理の方向を示唆しており、単なる事実問題にとどまらないものを含
んでいる。
ところが、この三番目の問いに対しては、上の第一、第二の問いに対する否定的答
えを前提すれば、実際上は答える必要がない。それゆえか、この核心部分についてど
1 1 Gar Alperovitz, The Decision to use the Atomic Bomb, Vintage Books, 1995. 邦訳、ガー・アルペロビッツ
『原爆投下決断の内幕【上】
【下】
』(ほるぷ出版、1995)、以下についてはとくに 38 章「正確な記述」を参照。
69
う考えられるべきなのかをアルペロビッツは考察していない。三番目の問いを論じる
ときに彼が行っているのは、ふたたび前提となる事実問題について答えを与えること
によって、核心となる問いには答えないで済ますことである。すなわち、 °
1 合衆国首
脳部は、原爆投下以外に選択肢はないと確信していたのか、°
2 原爆は警告なしに都市
°
部に投下する必要があったのか、 3 はたしてふたつの都市に投下する必要があったの
か、といった問いに否定的な答えが与えられる。不可避的状況、緊急事態と呼べるよ
うなものではなく、選択の余地があったことは、客観的状況からも、しかるべき地位
にあった人物の状況認識からも見て取ることができるというのである。
このような軍事必要以外の点にふれられる場合であっても、与えられるのはやはり
歴史的観点からの答え、たとえば、実際にトルーマンの側近や軍関係者あるいは宗教
者が原爆投下の倫理性に疑いを差し挟んだという事実の指摘である。当時の情勢から
すれば、情報操作もおこなわれるなかで、決定的疑問を抱くことは必ずしも期待でき
なかったかもしれない。にもかかわらず、トルーマンの決断に――軍事的欠陥ではな
く――まさに倫理的欠陥を見て取った者もいた。もちろんこれは、現に起こったこと
に関して言えば十分な答えだが、最終的な答えではない。(1) や (2)(あるいは°
2 や°
3)
の可能性が完全に閉じられたという前提の下での議論ではないからだ。結局、倫理的
評価は事実的状況を前提にしてなされるべきで、仮想的なぎりぎりの選択に自己を追
い込む必要はないということなのだろうか。事実としての歴史が教えるのは、むしろ、
そうした「究極の選択」の手前にはたくさんの小さな、さまざまに対応する余地のあ
る選択があり、それへの対処の仕方が結果としてひとつの「流れ」を形作っていると
いうことではあるかもしれない。選択や出来事の「必然性」や「不可避性」が言い立
てられるとき、過去に起こったことに対して、まさにそれが現実に起こったことをた
てにして、そうなるべくしてなったと言っているにすぎないこともある。そういう意
味では、一定の状況下でも他行為可能性が開かれていることを事実に即して明らかに
することには意義がある。しかしそのことは、第三の問いを正面から問うことを免れ
させてくれるわけではない。
なぜあることをしたのかという問いと、そうすべきだったのかという問いは別物で、
前者に (妥当な) 理由が認められることが後者の問いに答えを与えるわけではない。行
為の理由は (ほとんど) いつも存在する。問われるべきはその種類と重みで、原爆投下
にたとえばヨーロッパ外交上の利益が絡んでいたことを示せるなら、軍事必要を理由
に原爆投下を認める余地があるのかというもっと困難な問題には踏み込まずに当該行
為の妥当性を否定できる。賭けられているものに釣り合わない重大な戦争法規違反を
許すことは、均衡性 (proportionality) の原則に反する。その「均衡」を往々にして都合
のよいほうに歪めるのが戦争の現実ではあるのだが、にもかかわらずその原則は我々
の道徳的確信として存在し続けるのであるから、妥当性を失うわけではない。
以上のように、全体としてみれば、原爆投下をめぐる通説の「脱神話化」には十分だ
が、事実的状況の――倫理面における――臨界点がどこにあるのかをアルペロビッツ
の議論から読みとることは難しい。また、政策決定に実際どの程度の影響を与えたた
かという歴史的問題は別にしても、一般的にこの問題が論じられるときに避けて通れ
70
ないいくつかの問題も残っている。たとえば「パール・ハーバー」や「バターン死の
行進」と原爆投下を結びつけて語られることも多いが、そういう関連づけそのものは
本来どう評価されるべきなのか。あるいは、たとえ百万人が一万人であろうが、失わ
れたかもしれない命が救われたのであれば原爆投下は正当化できるのではないか、戦
争はあくまでも戦争なのだから躊躇する必要があるのか、といった声にどう答えるの
かも問題である。
国際法はこうした疑問にどのような答えを与えているのであろうか。
2 原爆投下の法理
核兵器一般については、国際司法裁判所が近年その原則的違法性の判断を下したこ
とは記憶に新しいが、日本への原爆投下そのものは論議の対象ではなかった。しかし、
原爆投下が国際法上の問題として裁判所で争われたことがないわけではなく、1955 年
に被爆者が日本の裁判所に原爆投下の「違法性」を訴えて国に対して損害賠償を求め
た「原爆裁判」(「下田ケース」) が存在する。結果としては、個人は国際法の主体た
りえないという観点から、1963 年 12 月に原告の請求を棄却する判決が下され、原告・
被告ともに上告しなかったのでそれが確定判決となったが、原爆投下の法理を本格的
に論じた唯一の事例として注目に値する。以下では、この「原爆判決」に詳しい法的
検討を加えた藤田久一の論考2 を参照しながら、原爆投下の国際法上の含意を確認して
いきたい。
藤田は原爆判決の内容に即して原爆投下の合法性と違法性について詳細に論じた上
で、違法性阻却事由についても検討を加えている。藤田論文の趣旨からすれば、当然、
原判決とそれに対する批判的検討は区別しなければならないところだが、ここでは紙
幅の都合上、主要な論点に関する結論だけを取り上げることにしたい。
まず重要な基本的前提が確認される。すなわち、°
1 侵略国家にも戦争法 (交戦法規)
は平等に適用される。°
2 総力戦状況は戦争法の適用可能性を排除せず、軍事目標と非
軍事目標の区別失効を意味しない。°
3 目標区域爆撃論――狭い地域に軍事工場施設が
集中していて、空襲に対する防御設備も極めて強固であった地域に対しては、個々の
軍事目標を確認して攻撃することが不可能なため、軍事目標の集中している地域全体
に対して爆撃を行う必要があるという議論――のために非戦闘員の領域が狭まるとし
ても、戦闘員/非戦闘員の区別を廃止し、無差別爆撃を合法化するものではない。°
4
新兵器の合法性は、既存国際法規の解釈・類推適用によって評価される。
さて、問題は、原爆が兵器それ自体として、外敵手段として妥当かどうかというこ
とと、それを用いる際の方法 (無差別爆撃か目標主義か等) の双方に関わる。先の前提
をふまえて原爆という兵器およびその広島・長崎への投下行為を評価するなら、次の
ような結論が得られる。 i) 爆風・熱・放射能の相乗的効果で従来の兵器との比較を絶
する大量破壊的・盲目的効果を有するもので、セント・ピータースブルク宣言やハー
2 藤田久一「原爆判決の国際法的再検討 (一)、(二)」
、関西大学法学論集、第二五巻第二号、第三号、関西
大学法学会、1975
71
グ規則にいう「不必要な苦痛」を与え、軍事的効果と人道上の要求の均衡は得られな
い。 ii) 原爆投下は無差別ないし盲目的爆撃に等しい。
原爆投下の違法性はこのように評価できるとしても、まだ免責の可能性――違法
性阻却事由の検討が残されている。候補として検討されるのは「軍事必要」と「復仇
(reprisal)」のふたつである。
軍事必要に関しては、個々の戦争法規にすでにその要素は折り込み済みであるとす
る見解が有力であり、また、軍事必要の概念は当該兵器を使用することの合法性を前
提としているので、核兵器使用が違法なら軍事必要原則を適用する余地がそもそもな
い。かりに「正当な軍事目的のために必要不可欠で均衡性のある措置」という (一部の
論者の支持する) 定義を採用して、早期終戦による人命救助のための原爆投下という理
由付けを吟味した場合でも、依然として問題は残る。まず原爆が終戦を早めたとは断
定できないし、かりにそうであったとしても、その利益が広島・長崎の人的・物的破
壊と均衡を保ちうるか疑問である。次に、そもそも交戦国の敵対行為というものは戦
争のできる限りすみやかな終結をめざして行われるものであり、戦争終結を早めると
いう理由は軍事必要の要件である戦争目的として援用できない。そうでなければすべ
ての敵対行為は戦争を早く終結させるという理由から正当化されることになってしま
うからである。
つぎに、後者の戦時復仇に関する従来の許容条件から原爆投下をみたときに問題に
なるのは、以下の三つの点である。°
1 日本に事前の違法行為があったか。°
2 米国は復
仇の意図のもとに、日本の違法行為の矯正という効果を期待して原爆を使用したか。
°
3 復仇の許容条件、就中、「補助性」、「均衡性」を満たしたか。
°
1 パール・ハーバーをはじめとする日本の侵略行為は戦争禁止の法 (jus contra bellum)
違反だが、それを理由に戦争法 (=交戦法規 jus in bello) に違反することは許されない。
°
2 矯正よりもむしろ別の政治目的のための心理的効果をねらったものである。°
3 原爆
投下は日本の違法行為 (に対する抗議) とは無関係に以前から予定されており、事前警
告もまったくなされなかった。それゆえ、敵国に法を遵守させるためにやむを得ず例
外的に許されるという補助性の要件を満たしていない。均衡性について言えば、原爆
による被害の重大さは捕虜虐待の比ではないが、中国その他の人民に対する蛮行とは
比較される余地を残す。しかし、米国はそのような残虐行為をやめさせる意図をもっ
てはいなかったから、原爆投下と関連づけるのは不適切である。また、あまりにも非
人道的な行為は復仇行為としても許されないという条件からみても、その限界を越え
ている。
したがって、広島・長崎に対する原爆投下の違法性を阻却する事由は認められない。
少なくとも従来の――「平和に対する罪」
、
「人道に対する罪」は含めない――戦争法規
慣例違反であることは明らかで、また、戦争犯罪に対する時効の不適用が有力になっ
ていることから、刑事責任を問う余地は依然として存在する、というのが藤田の結論
である。
ここでは前節では積み残されていた多くの点に光があてられており、論証的観点か
ら重要な点はほとんど取り上げられていると言ってよい。また議論それ自体としても、
72
原爆投下正当化論の法理あるいはその前提としての事実認定に関わる限りでは――異
論の余地を残さないとまでは言えないが――きわめて明確である。とくに「早期終戦
による人命救助」という理由付けが理論上成り立たないことを明らかにしている点は
重要である。これは、
「救われた」人間の数が何万人であるかという議論の余地のある
仮想的事実問題に関わらない、原則面からの指摘だからである。また、単なる復讐と
は区別される復仇概念を明確化することで、
「やられたからやり返す」という単純な理
屈が国際法上認められるものではないことも明示されている。しかしながら広い意味
での正当化論にはいうなればもっと「心情的な」側面もあり、それとの落差も検討す
る必要があろう。
第一に、一般的には侵略行為 (とくにパール・ハーバー) とバターン等での捕虜虐待
が日本の主張の道義的正当性を失わせているように受け取られているところがある。
原爆投下直後のトルーマン発言3 が代表的なものだが、実は、原爆投下に関する政策
決定プロセスにおいては、そういう論理が主張されたことはない。それどころか米国
中枢には、警告もデモンストレーションもなしで都市部に原爆を投下することに反対
の意見を表明した者もいたことは先に見たとおりである。むしろ戦後、原爆投下の正
当性が争われる段階になって、トルーマン発言のような応報的もしくは相殺的論理が
ひろく主張されるようになったのである。それはまた米国世論の空気でもあったので
広く受け入れられたのであろう。そこでは、不正に引き起こされた戦争の場合、戦争
を起こした側が道義的主張をする権利はその全範囲にわたって失われると考えられて
いる。
第二に、戦争を引き起こした付けを支払うべきは、国家という団体人格でもなければ
日本政府首脳という一部の日本人だけでもなく、日本人すべてである、あるいは少な
くとも、そこまで累が及んでもやむを得ないと考えられている。これはいわゆる戦闘
員と非戦闘員の区別が事実上困難であるとか、非戦闘員も実際には戦闘員に劣らず戦
争に関与しているという、具体的行為や機能に関する主張とは異なる。公的には、ポ
ツダム宣言にもみられるように、
「無分別なる打算により日本帝国を滅亡の淵に陥れた
る我が侭なる軍国主義的助言者」と「日本国」とははっきりと区別されている。しか
し、米国の一般世論やマスコミおよび政治家の発言では、その区別を実質的には無化
するようなかたちで「日本国」ないし「日本人」というカテゴリーの包括的適用が行
われてきた。
第一の点に関していえば、たしかに国際法上も、違法戦争観が支配的になってきて
からは戦争法の不平等適用が論じられてはきた4 。 侵略戦争を起こした側においては
その権利が部分的に否定されるという議論だが、その場合でも、人道規定については
除外されている。また、両法規の関係については、藤田のように、開戦法規に対する
違法行為が交戦法規を生ぜしめると言うこともできるだろう。だが、法的観点を離れ
て一般的な受け止め方に目を向けるならば、そこには因果に関する根強い確信が見受
3 1945 年 8 月 9 日、トルーマンはラジオで次のように述べた。
「われわれは真珠湾で無警告攻撃を行っ
た者たち、アメリカの捕虜を餓死させ、殴打し、処刑した者たち、戦争に関する国際法規に従うふりをす
る態度すらもかなぐり捨てた者たちに対して原爆を使用したのです。
」(荒井信一『戦争責任論』(岩波書店、
1995、219 頁参照。)
4 藤田久一『国際人道法』(有信堂、1993)、第二章第二節「差別適用の主張」参照。
73
けられ、起こってしまったことの内実よりは、起きたことと起きなかったことの差異
を重くみる態度――「むこうが戦争を仕掛けてこなければこんなことにはならなかっ
た」というような――が顕著である。それは、歴史の行程と行為の内実に分け入るこ
とをスキップして戦争開始という一事実にすべてを還元するとともに、現実に起きた
ことから仮想的状況へと退却することによってすべてを精算しようとする、あるいは、
そうできると信ずる態度である。そうなればすべては一挙に精算されるし、それゆえ
に一つ一つの行為の評価という「危険」を冒すこともない。自己あるいは死者が責任
の法廷に立たされることを避けるにはもっとも簡単な方法のひとつだと言えるかもし
れない。
第二の点についてはどうか。敗戦国の場合、戦争に訴える決定に参与していなくて
も、また、戦闘行為にまったく関わっていなくても、戦後の国家賠償負担等を国民全体
で背負う。そのことからすれば、ある種の共同責任を一般国民が背負うことは当然視
されていると考えられ、戦争指導者や戦闘員でないからといって免責されるわけでは
ない。したがって、国民と国家との一体性もしくは連続性はある面では当然と考えら
れており、それも具体的・個別的行為の水準における帰責の問題としてではなく、集
団への帰属性の点から当然視されているのである。しかし、文民の保護は戦争法の根
幹をなす規定ではなかったか。両者の関係はどうなっているのだろうか。戦争行為が
生存権という基本的権利の限界を乗り越えることをしてまで敵国を屈服させることを
本質としているのであれば、必要ならば一般市民といえども標的にしてはならない理
由があろうか。賠償責任ばかりでなく、戦闘行為も帰属性を基礎に考えてはいけない
のか。いったい何故に文民は保護されるべきなのか。これは国際人道法の中核をなす
規定であるから、それを問題にすることは、国際人道法の存在理由を問うに等しい。
城戸正彦によれば5 、戦争という緊急事態にあってもその手段を制限する法が必要な
理由は 4 つある6 。°
1 戦争終了後の敗戦国の住民と戦勝国との関係を考えるとき、相手
国の人命・財産の破壊は、相手国を自国の意思にしたがわせるという目的達成に必要
な範囲にとどめるのが望ましい。°
2 少ない負担で大きな効果を上げるほうが合理的。
°
3 戦争は単なる殺人と破壊を目的とするものではないので、戦時であっても人命と財
産の尊重という人道的配慮は必要。°
4 戦時には憎悪や焦りから戦争目的とは無関係な
殺戮や破壊が行われる可能性がある。
ここから見て取られるのは、戦争をあくまでも目的合理性によって裏打ちされた理
性的行為として位置づけようとする姿勢である。戦争という異常事態のもつ非理性的
傾向を制御するために、戦争手段を法的に制限しようとする。理性的要請と非理性的
現実のこのような拮抗関係が戦争法に内在しているとすると、法的規制そのものが非
理性的側面によって凌駕されてしまう恐れが、すなわち、戦争法の実効性そのものが
疑問に付される事態が、避けられない可能性として最初から織り込まれていると言え
る。そして、繰り返される悲劇によってわれわれは絶えずそのことを思い知らされる。
5 城戸正彦『戦争と国際法
[改訂版]』(嵯峨野書院、1996)、146 頁参照。
6 列国議会同盟会議と赤十字国際委員会によるハンドブック『国際人道法の尊重』は、
「なぜ国際法人道
法を尊重しなければならないのか」という問いに対して、
「道徳的義務」、
「合理的な軍事的選択肢」
、「良識
的な政治的選択」、「法的義務」という 4 つの答えを与えている。Cf. Respect for International Humanitarian
Law, Inter-parliamentary Union International Committee of the Red Cross, 1999, p.25
74
にもかかわらず、戦争法を放棄すべしという声は聞かれない。逆に、違反行為には国
際的な非難が強く応じているのが常であり、また現在では、国際刑事裁判所での訴追
という道も開けつつある。戦争を何とかしてコントロールしていこうとする理性的意
志によってのみ、戦争は単なる殺し合いや破壊を越えたものになりうる。しかしそこ
にあるのは、単なる戦争目的遂行上の目的合理性や、目的ないし結果によって手段の
(非) 正当性を論弁する功利主義的議論なのか。目的達成に必要な結果という観点から
原理的には正当化される可能性をもつ事柄が、
「この場合には」成果が見込めないから
却下されるという議論なのだろうか。むしろ、そのような商量自体が拒否されている
のではないか。言い換えれば、ここで問題になっているのは単なる目的合理性ではな
く、打ち立てられるべき平和とそこに実現される人間性に導かれた意志であり、それ
によって目的合理性のはたらく領野もはじめから限定されているということではない
のか。だが、こうした意志についてポジティブに語ることは、もはや国際法の領域に
はない。哲学的な議論に目を向けるべきところだが、その前に、国家への帰属性を理
由に一般市民への攻撃を正当化するという肝心の問題を見ておかねばならない。
そもそも、相手を屈服させるという目的に即した合理性の議論に責任性の観点は希
薄である。基本的に前者は未来志向的で、後者は過去志向的である。したがって、こ
こで望みうるのはもっぱら前者の観点から一般市民への武力攻撃を正当化する可能性
である。あらためて各項目に沿って考えてみると、°
3 の「単なる殺人や破壊を目的と
するものではない」という条件は、相手国を屈服させる目的のために一般市民にも打
撃を加える可能性を排除しない。和平樹立後の関係を見越して人命・財産の破壊は極
力抑えるという項目°
1 にしても、それ自体としては、必要に応じ合理的と思われる範
囲内で非戦闘員を攻撃対象とすることを禁じているようにはみえない。ただし現実に
は、勝敗の行方や勝利に寄与する度合いに関わらず、子どもや老人を含む非戦闘員の
殺傷はとうてい納得できるものではなく、癒しがたい傷と怨恨を人々のあいだに残す。
それをも計算に入れながら相手国を屈服させる方途を考えよという意味なのであれば、
やはり相対的商量の域を出ない。目的達成の手段とするにはマイナス面が多すぎるか
ら、そういう道は避けよというのか。先に目的合理性について述べた疑問にふたたび
行き着くことになる7 。
では、こうした議論に、哲学・倫理学の議論はどう応じてきたのだろうか。
3 原爆投下の倫理
原爆投下を正当化する可能性一般に目を向けるときに視野に入ってくる議論のひと
つは、アンスコム、マヴローデス、フリンワイダーらのあいだで交わされた議論であ
る。これはもっぱら「非戦闘員不可侵 noncombatant immunity 」の原則に焦点を合わ
せてその妥当性を問うもので、総力戦の意味や無差別爆撃の倫理性を論じることにも
なるわけだが、その出発点は 1945 年 8 月のあの原爆投下の倫理的妥当性をめぐる議論
7 この問題はネーゲル、ブラント、ヘア、ウォルツァーらのあいだでの論争ともかかわるが、ここでは少
し違った方向から考えたい。Cf. War and Moral Responsibility, Princeton University Press, 1974.
75
にある。
原爆投下を命じたトルーマンその人にオックスフォード大学名誉博士号を授与しよ
ういう提案に抗議して、アンスコムは「トルーマン氏の学位」と題する次のような内容
のパンフレットを発行した。8 問題は原爆投下が多くの非戦闘員の命を奪ったことにあ
る。手段としてであれ目的としてであれ、罪なき人々の命を意図的に奪うことは「謀
殺 (murder)」であり、最も悪しき行為である。とはいえ、罪のない人を死に至らしめ
ることがすべて問題になるわけではない。軍需工場などを攻撃すれば、いくら気をつ
けても付随的に多くの罪なき人々の命を奪うことになるのは確実だが、それは謀殺で
はない。こうしたダブルエフェクトの議論では「偶然的な死」と「殺人」のあいだに
厳密な線を引くことは不可能だという反論に対して、ボーダーラインケースがあるの
は明らかだが、それは線が引かれるべきでないとか区別がまったく不可能だというこ
とを意味しないとアンスコムは答える。
では「罪のない人々 (the innocent)」とは誰のことか。戦闘員でもなければ戦闘員に
戦闘手段を補給する業務に携わっているのでもない人々すべてである。農夫が育てた
小麦は軍人の口にも入るかもしれないが、戦闘手段の補給ではない。ここにも線引き
の難しさはあるが上と同じことが言える。ここで「イノセント」というのは個人的責
任を問題にしているのではなく、語源通りに「危害を加えない」ことを意味している
から、攻撃対象である兵もいったん降伏したら「イノセント」であり、虐待したり殺
したりしてはならない。
「罪のない人々」の厳密な範囲については異論の余地があろう
が、広島・長崎への原爆投下はボーダーラインケースではなく問題にならないという
結論が引き出される。
さて、マヴローデスは、アンスコムら非戦闘員不可侵の原則を主張する人々の議論
は有罪・無罪の概念に依拠していると批判する9 。「犯罪」の「処罰」という図式では
その原則を根拠付けられない。もし非戦闘員が無罪で戦闘員が有罪となることがわか
れば両者の扱いの違いは正当化されようが、いやいやながら徴兵された兵士が有罪で、
熱心な戦争支持者の非戦闘員が無罪だというのは転倒している。不正な戦争に含まれ
ている犯罪性を納得のいく道徳的意味において解釈するなら、多くの非戦闘員がその
犯罪性に関して有罪で、多くの戦闘員が無罪だろう、というのである。
マヴローデスが直接批判の対象としているのは「トルーマン氏の学位」ではなく、そ
の少し後にでた別の論文10 であるが、アンスコムの論旨は基本的には変わっていない。
たしかにそこでアンスコムは、「何人も自らの罪以外の理由で罰を与えられることが
あってはならない」とユダヤ−キリスト教的原則に言及してはいるが、それは平和主
義批判の文脈においてであって、
「罪なきものの血を流すこと」と「人間の血を流すこ
と」の区別の必要性を示すためである。そして、戦闘員と非戦闘員の区別の問題に関
していえば、どういう仕事に従事しているかという「役割」の点からその区別を擁護
しているのである。
「イノセント」が「危害を加えない」ことを意味すると明示しては
8 Anscombe, G.E.M., “Mr.
Truman’s Degree”, 1957, reprinted in Ethics, Religion and Politics, Blackwell, 1981.
G.I., “Convention and the Morality of War”, Philosophy & Public Affairs, Vol.4, No.2, 1975,
reprinted in International Ethics, Princeton University Press, 1985.
10 Anscomb, G.E.M., “War and Murder”, Nuclear Weapons: A Catholic Response, ed. Walter Stein, Sheed and
Ward, 1961, reprinted in Ethics, Religion and Politics
9 Mavrodes,
76
いないものの、
「トルーマン」論文の内容と矛盾するものではない。ここで、罪責性と
いう個人の道徳的コミットメントに関わる観点から「危害」原則へと後退しているよ
うに見えるのには理由がある。マヴローデスは「不正な戦争」への関与という観点か
ら戦闘員・非戦闘員の有罪性を論じているわけだが、アンスコムはまずその前提を問
題にしている。国際紛争の場合には高次の権威が欠如しており、
「われわれ」も当事者
である以上、不正を行っているのがどちらなのかをこちら側の視点だけで決すること
はできないと考えるからである。だからこそ、マヴローデスが考えるような意味での
道徳性に基づく区別ではなく、具体的脅威であるか否かという点を「イノセント」と
いう言葉に込めたのである。
それゆえ、この点に関する限り、フリンワイダーの次のような主張にアンスコムも
異を唱えないであろう。すなわち、処罰の観点からすれば、直接手を下していない者
も関与している限り有罪で、自己防衛の観点からは、直接対峙している相手だけが有
罪である (法的責任がある)。戦闘員と非戦闘員の区別の道徳的関与性は自己防衛から
引き出される。処罰の観点からは、マヴローデスの言うように転倒しているかもしれ
ないが、戦争での殺人を正当化するにあたって基本的なのは「自衛」の観点である、
と11 。ただし、安全保障基準によって道徳性の外面化をはかると、実際的機能の次元
に議論が移るために、
「危害の原因」を考えるときにかなり広いグレーゾーンが生じる
ことになる。以下のアレクサンダーの議論はその点をつくものである。
自衛のために殺す権利は、殺される者が道徳的に罪あることではなく、危険の必要も
しくは十分な原因であることだけを要求する。しかし、危険の原因であることが戦闘
員/非戦闘員を区別するわけではない。さらに、非戦闘員は必ずしも危害の遠い原因
というわけではないし、非戦闘員のほうが介在する選択の数が多いわけでもない。し
たがって、自衛原理を採るなら、非戦闘員の殺害は必ずしも非道徳的ではない。(戦闘
員の爆撃機パイロットと非戦闘員の軍需品供給係の比較、あるいは爆弾を背負わされ
た子どもの例が挙げられている12 。)
戦争行為における個々人の具体的関与をどのように見積もるのか、その網羅的基準
を設定することの困難さをこうした議論は示しているとはいえよう。しかし、非戦闘
員といえども時と場合によっては危険な存在となることがあるからといって、戦闘員
/非戦闘員というカテゴリーにかえて危害を加える蓋然性を立てようというのは、レ
ベルの違いを考慮しない乱暴な議論である。まずは個別的事実としての関与性とひと
つのカテゴリーとしての関与性を区別すべきで、
「爆弾を背負わされた子ども」という
個別的例外的事例の存在 (可能性) は、子どもが一般に危険であるという範疇的な関与
性を意味しないのは明らかである。また、軍需品供給に携わる人間がどのような場面
でなら攻撃対象となることを認められるのかは、戦闘行為との結びつきをもとに論じ
られるべき線引き問題にすぎない。ある程度の恣意性は免れず、また個別的には曖昧
な事例が生じることは避けがたいにしても、規定することは可能である。アンスコム
11 Fullinwider, R.K., “War and Innocence”, Philosophy & Public Affairs, Vol.5, No.1, 1975, reprinted in International Ethics
12 Alexander, L.A., “Self-Defense and the Killing of Noncombatants, A Reply to Fullinwider”, Philosophy &
Public Affairs, Vol.5, No.4, 1976, reprinted in International Ethics
77
の言うように、グレーゾーンがあるということは、何の区別も成り立たないことも意
味しない。
原爆投下に関して言えば、非戦闘員に対して自衛原則を適用する限りは、それが道徳
的に許されざる行為であると言わざるを得ない。また、
「不正な戦争」への関与を理由
に国民すべてを同罪視することによって原爆投下を正当化する立場に対しては、アン
スコムのように、いったいどのような資格においてそのような裁定をなしうるのかと
問い返すことは可能だろう。しかし、非戦闘員の関与性についてはもう少し立ち入っ
て考える余地もあると思われる。
個人が戦争行為に直接・間接にどう関与しているのかを問うときに、補給業務など
の具体的関与ばかりでなく、より一般的に、戦争を可能にしている社会的経済的システ
ム全体との関連で戦闘員と非戦闘員の「一体性 indivisibility」が問題にされ、それが刑
法上の共犯に擬せられて議論されることもある。つまり、敵国の一般市民は殺人の共
犯者 (accessories) で、正犯の軍隊同様に罰せられてしかるべきだというのである。も
しそういうことになれば、原爆投下で数多くの一般市民が殺されたことも正当化され
るかもしれないが、先に述べたような理由から、このアナロジーは誤りだとアンスコ
ムは考える (「目下の戦争の正当性を吟味する」13 )。すなわち、共犯者は高次の権威に
よって道徳的に罪ありとされて罰せられるわけだが、紛争を裁定する高次の権威が欠
けているとき、当事者の一方が判事役をほしいままにして懲罰的に人を殺してよいも
のではない。そのような場合、自衛のため、自分の権利を守るために相手を殺すこと
は許されるが、その者の行為はそれ自体として悪しきものでなければならない。しか
るに大多数の一般市民の行為はそれ自体としては悪しき攻撃ではないから、殺しては
ならない。ここで「悪しきもの」というのは、内面の道徳性の問題ではなく、こちら
の権利を侵害するものという意味であり、一般国民が直接的脅威になっているわけで
はないことからすれば、一応納得できる見解であろう。
ただし、政治的な関与性・一体性について考える余地もある。この点はマヴローデ
スが指摘している14 。戦争は通常の犯罪と異なり、個人が個人として、あるいは自発
的集団のメンバーとして従事する活動ではない。戦争主体は兵士よりもむしろ国家で
ある。個人の責任がないという意味ではないが、道徳的責任は、犯罪者とその子ども
に対するように戦闘員と非戦闘員に配分されるわけではない。非戦闘員も兵士とまっ
たく同じ意味で戦争をしている国家の一員 (citizen) である。ただし、マヴローデスは、
国家の構成員という観点から非戦闘員の不可侵の原則を見直す作業をこれ以上先に進
めておらず、この議論は単に犯罪/処罰の図式に頼りすぎることに対する警告として
使われているにすぎない。
戦時の非戦闘員の取扱いに関して個々人の道徳性を基準とするのは妥当でない。し
かし、これは実際上の区別の困難さ――フリンワイダーは、現代技術の無差別性ゆえ
に、処罰の原理を認めるとしても、戦闘員と非戦闘員のあいだに線を引く理由がある
とする――の問題ではない。かといって、アンスコムの言う上位の審級の欠如による
13 Anscombe, G.E.M., “The Justice of the Present War Examined” (the first part of a pamphlet The War and the
Moral Law, Oxford, 1939), reprinted in Ethics, Religion and Politics
14 Mavrodes, op.cit., p.81.
78
というのだけでもなさそうである。そう「できない」という事実的不可能性はあるに
しても、本質的にはそういう問題ではなく、そうは「しない」という決定の問題であ
ろう。つまり、たとえ個人の道徳的コミットメントによる区別が可能であり、それに
応じて差別化された取扱いが可能であったとしても、個人の道徳性を基準には「しな
い」ということである。ここで、国家と国民との関係、戦争行為の主体の問題をもちだ
すことも可能である。だが、事実問題として考えている限り、事態はかわらない。国
家と国民の「事実上の」関係や、戦闘行為の「実際の」主体――実行面・物理的側面
でのそれ、また、プロセス面・手続き的側面でのそれ――について調べることによっ
て、おそらくはその関連の複雑さ、関与性の多様性と深浅に行き当たることだろうが、
それがどのように規定されることになろうとも、そのことを理由に戦闘員と非戦闘員、
もしくは、戦争に関して決定権を有する者と一般国民との区別が無化されることには
ならない。それは責任性のそのような拡散がおよそありえないという話ではなく――
そうだとしたら、一般国民の戦争責任について語ることなど無意味であり、必要ない
ことになろう――打ち立てられるべき将来の正しき国家社会において主体となりうる
者が、擬制あるいは理念というかたちにおいてであっても、確保されなければならな
いということである。
政権にある者と一般国民のあいだには権力の有無という契機が介在しているがゆえ
に、具体的な意味でも責任の軽重は当然問題になる。実際には、両者のあいだにはさ
まざまな段階、さまざまなオーバーラップがあり、民衆の側にも様々な関与性があり
うる。とりわけ、個別具体的な関与の問題としてではなく、侵略戦争を引き起こすに
いたるような政治文化の形成と維持にかかわったことは、ひとつの問題として論究さ
れるべきである。 しかし、そうしたものも戦争行為における無差別攻撃を正当化する
ものではない。ここでも、幼い子どもにまでその責任を押し広げるわけにはいかない
と論じることはもちろん可能だし、また、戦争遂行上の利得がどのようなものであれ、
復讐の連鎖という望ましくない帰結を引き起こさないための自己抑制という面もたし
かにあるだろう。しかし、そういう帰責可能性や功利計算などの事実的問題につきな
いものがそこにはある。戦争が新たな秩序をもたらすととともに、それがあるべき秩
序であることを保証するために、無辜の民 (the innocent) が要請される。それは単に、
あるべき世界の主体として必要とされるだけでなく、戦争という極限状態においても
なお――というよりはそういう状況であるからこそ――守られるべきものとして要請
されるものである。戦争行為をなお「人間の」営みとして位置づけることができるた
めには、人間性の砦が侵されないことが必須である。それが無辜の民であり、非戦闘
員というカテゴリーなのである。戦闘員にも家族をはじめとして愛するものがあろう。
そこにあるもの、そこにある関係性こそは、戦争の (目先の) 利得が何であるのかとい
うことにかかわらず、最終的に守られるべきものなのである。たとえ、限界的事例に
おいて非戦闘員の不可侵の原則を凌駕するような事態が生じたとしても、相対的商量
の対象となることを意味するものではない。それはいわば比較できないものを比較す
ることなのである。
打ち立てられるべき平和とそこに実現されるべき人間性に導かれた意志こそが、
「戦
79
争という地獄」にあって戦争を人間の営みへと奪還することを可能ならしめるもので
ある。そのような意味での平和と人間性を先取するかたちで戦争は戦われるのでなけ
ればならないという意味で、理念としての平和と人間性が問題になっているのだと言
える。無論、そのことによって当該の戦争が「正しい」戦争であることが保証される
わけではない。戦争はやはり戦争であり「地獄」である。にもかかわらず、そこにわ
ずかなりとも肯定的意味を見出しうるとしたら、そのために必要な条件のひとつはそ
うした理念に導かれていることであろう。そしてそれが単なる内面的道徳性ではなく
具体的実質を伴ったものであることを担保しているのが国際人道法の遵守であり、就
中、非戦闘員の不可侵性という「理念」を掲げることなのである。
80
「潜在的に批判的なもの」としての文化
――フランクフルト学派第一世代の遺贈したもの――
玄 哲浩 (関西大学大学院 法学研究科)
冷戦期の東西対立が解消されて以来、明確なかたちで浮上してきた分極化の潮流は、
今日においてこの現象と併行して論じられるグローバリゼーションという動向ととも
に、文化と文明という、しばしば対句的にもちいられる語についての新たな省察の必
要性を喚起しているように思われる。こうした理解のもとに、以下では、文化と文明
に関するフランクフルト学派第一世代の見解についての報告を行う。
1. 忘れられたシュペングラー
1) 文化と文明
文明の概念は、共同体間の相違をある程度にまで後退させることを通して、
「西洋の
自己意識」を表現するものである。それは、社会、政治、科学、技術の領域における
向上、洗練、進歩といった過程とその成果を、
「すべての人間に共通であるか、または
共通であるべきもの」として強調するものである。これに対して、文化の概念が語ら
れるところでは、共同体に固有のあり方を表現するところに力点が置かれる。文明と
文化の概念についてのこのような理解を示すなかで、ノルベルト・エリアス (Norbert
Elias, 1897-1990) は、フランスおよびイギリスにおける文明の概念との対比のもとに、
ドイツにおいて、文化の概念が、ドイツに固有の特性を強調するものとして彫琢され
てきたことを論じている。
文化の概念には、
「一体われわれの特性とは何か」と何度も問わなければならなかっ
た国民、自身の国境を政治的または精神的な意味において探究せねばならなかった国
民の自己意識が反映されている。たとえば、
「一体フランス的とは何か」という問題は、
フランスではほとんど議論されなかったことに比して、
「一体ドイツ的とは何か」とい
う問題は、ドイツにおいては、数百年もの間、議論され続けていた。そしてこの問題
への解答が、文化の概念において提示されたのであった。ドイツの自己意識は、フラ
ンスをはじめとする西洋諸国との関係史と密接に連関しつつ育まれていくなかで、文
化の概念のうちに結晶していった。それは、文明の旗手である西洋諸国に対する「ド
イツの自己主張の表現」として、また、それに対する「緊張の表現」として、
「文明は、
文化に対して第二位の価値である」という理解をともなうものであった。このように、
エリアスは、ドイツにおける文化概念の形成過程を論じることを通して、文化と文明
の概念の典型的な対立の図式を示した1 。
十八世紀において、パリこそが文明の首都であると宣言されて以来、ドイツの教養
市民層は、この宣言が表明する普遍性要求に対して、ドイツの特殊性を掲げた。彼ら
1 Elias
1969
81
においては、他の西洋諸国に対して、ドイツ固有の文化を称揚することが、その自尊心
に関わる事柄となったのである。かくして、文明という語が、ドイツ語のなかで、外
来語としての特有の響きを保ちつつ、
「ドイツ的な内面性と近代化批判をあらわす際に
使われる否定的な基本カテゴリーのひとつ」としてもちいられる一方で、文化という
語は、肯定的なアクセントをもって、すなわち、人々の生に特別な意味を与えるもの
をさす語としてもちいられるにいたったのであった2 。
前述のような、文明と文化の概念とを対立的に捉える理解は、シュペングラー (Osward
Spenglar, 1880-1936) に、その典型を確認することができるものである。どの文化も、
現われ、熟し、しぼみ、決して再現されることのない表現の独自な可能性をもってい
る。それは、
「最高位の生物」として、「ニュートンの死んだ自然」にではなく「ゲー
テの生きた自然」に属するものであり、
「生き生きと展開する形相の刻印された姿」を
呈しつつ、「野原の花」のように成長する3 。このように語ったシュペングラーは、文
化の発達段階を区分したうえで、その「老年期」を文明と名づけた。文化の老年期に
おいては、根無し草となった個人の大都会への蓄積、技術に寄りかかった生活の処理、
もはや模倣するだけしかない非創造的な活動といったことが、その徴候として現れる。
個々の文化の発達段階における形態学的な相同性に着目したシュペングラーは、それ
に先立つ他の文化・文明圏と同様、西洋文化が老化の段階へと入り込んでいることを
示すとともに、この文明の段階に関する記述をもって「西洋の没落 (der Untergang des
Abendlandes)」を語った。このように、文明の概念に否定的なアクセントを添えるこ
とにより、彼は、文明の概念と文化の概念との対立を際立たせたのである4 。
2) 「没落」のテーゼをめぐって
シュペングラーの『西洋の没落』は、ドイツおよびオーストリアの君主制と旧来の価
値秩序が崩壊にさしかかった時期に執筆されたものである。それは、芸術・文学・哲
学ないし学問といった諸領域における理想的教養と、それらを母胎とする人間形成の
営みとしてのドイツ固有の文化を称揚することにおいて、時代における危機意識に端
的な表現を与えたものとして、戦争と革命と混乱とを経験した人々に受け入れられた。
けれども、シュペングラーの著作に対する支持は、その後、急速に冷めていった。もっ
とも、忘れられたシュペングラーは、さらなる後において、自身が今にも正しいと認
められそうになることを通して復讐を遂げることになる。彼にいう「没落」のテーゼ
は、
「大衆支配の問題、プロパガンダ、大衆芸術、政治的支配形態、特にデモクラシー
がもっている、自分から独裁制へと転化する一定の傾向に関連した独特の預言」とし
て、その正しさを認められるにいたったのである5 。
「文明化の過程」を終末論的な性格を帯びたものとして描いたシュペングラーについ
2 ローディ
1997, 一四五頁
1920 & 1922
4 ローディ 1997, 一四六頁
5 Adorno 1950, S.44 f. [六二−四頁] このエッセイは、三八年のアメリカでの講演をもとにして、四一年に
Spenguler Today というタイトルで発表された英文論稿がドイツ語に直されたものである。この点について、
邦訳文献に付された訳者あとがきを参照。
3 Spengler
82
て、その所論を高く評価したのがアドルノ(Theodor W. Adorno, 1903-1969)であった。
忘れられたシュペングラーの遺産は、アドルノとホルクハイマー(Max Horkheimer,
1895-1973)による文明化の過程、彼らにいう「啓蒙 (Aufklärung)」の洞察のうちに承
継されたのである。もっとも、彼らの共同研究は、シュペングラーにいう「没落」の
テーゼと重なり合う軌跡を描いたものとしての啓蒙を論じたものである一方で、シュ
ペングラーに対する決定的な論難を含んだ理解とともに提出されたものでもあった。
シュペングラーの歴史構想は、抵抗しがたい必然性をもって歴史を支配する運動法
則としての「霊性 (Seelentum)」に支えられたものであった。彼においては、この「霊
性」の表出として、歴史が「裂け目なくゲシュタルト的で自己完結的な性格を、それ
だけにますます決定論的な性格」を帯びたものとして描かれている。シュペングラー
による「霊魂の讃美 (Verherrlichung der Seele)」は、絶対的な支配に対する礼讃とひと
つのものとして、
「運命論」を呼び起こし、そしてこの運命論のもとで、人間の歴史、
すなわち、文明化の過程は、その一歩毎の前進が後退であり、自身が脱出しようとす
る「同じものへの還帰 (die Wiederkehre des Immergleichen)」に終わるのである。シュ
ペングラーは、「形式および秩序としての文化」が、徹底した支配への要求といかに
共謀しているかを、したがってまた、それが人間に対して不断の「強制 (Zwang)」と
「犠牲 (Opfer)」を課すものであることを誰よりも明確に論証し、さらには、支配への
要求を動因とする文化が、まさしく自身の内在する支配のモチーフにより、文化の名
のもとに捧げられた夥しい「犠牲」と同様、没落へと駆り立てられていく過程を描き
出した。このように論じるなかで、アドルノは、シュペングラーを高く評価する一方
で、
「世界史の形態学 (Morphologie der Weltgeschichte)」を運命にまで頽落させた彼の
絶対的観念論、つまりは、
「シェリングの遺産」を承継したものとしての「霊性の形而
上学 (Metaphysik des Seelentums)」に対して疑義を差しはさんだ6 。
歴史とは、シュペングラーのいうような霊性の表出ではなくて、自らの再生産の諸条
件をめぐって繰り広げられた「人間の自然との対決」において生じたものとしての、そ
してこの限りにおける文化の軌跡をいうものである。ところが、シュペングラーの哲
学は、この「自然」を超然と脇に押し退け、彼の歴史像の傲慢さを支えた。彼において
は、歴史そのものが、そしてまた、その力動学を支える霊性が、他に逃げ道もなく暗い
宿命に満ちた仕方で、
「第二の自然 (zweite Natur)」へと変貌を遂げる。かくして、霊性
の形而上学の高みから一切を傲然と見下すことになったシュペングラーは、世界に対
して冷酷な最終的評決を下した。不可避的に没落へと向かう文化を揺るがし難い運命
のもとで語る彼の哲学が世界に対して暴力を加えていることは、疑いようのないこと
である。ただ、この暴力は、日々において世界が実際に加えられている暴力と同じもの
であった。シュペングラーの「歴史的広域経営の蜃気楼」のもとでは、一切のものが隙
間なく整理されている。彼は、
「すべてはそこにあった」という公式を頼りに、
「個別的
なもの (Einzelne)」の抵抗を粛正し、自身の望む世界を描き出していった。ここに確認
しうる遺漏のないシステムへの眼差しは、自由の背後には「文化的全体性 (Totalität der
Kultur)」への「依存関係 (Abhängigkeitsverhältnis)」が隠されていることを暴露すると
6 Adorno
1950, S.62-4 [九〇−三、九六頁]
83
いう点で真理を語っている。けれども、全体に対する個別的契機の全面的依存性に固
執したシュペングラーは、全体主義的な権力への従属を、ついには「運命への愛」へと
高めてしまった。彼の霊性の形而上学は、
「不断に再生産される支配の原理を永遠かつ
不可避的なものとして実体化」するための「権力哲学 (Machtphilosophie)」に奉仕する
ものである。それは、
「潜在的な同一性の哲学 (latente Identitätsphilosophie)」であった。
そしてこれにより、シュペングラーの世界史の形態学は、
「実証主義 (Positivismus)」の
系列に加わることになったのである7 。
「没落」後のシュペングラーに対するアドルノのコメンタールは、そのうちに、彼と
ホルクハイマーの文明と文化に関する理解のなかの、多くの、あるいは、ほとんどす
べてのモチーフを示しているように思われる。前述のように、忘れられたシュペング
ラーの遺産を承継するかたちで、彼らは、その共同研究において、
「西洋の没落」を語っ
た。けれども、彼らは、それを「歴史の天使 (Engels der Geschichte)」の視点に立った
うえで、不可避の破局連関のうちに論じたわけではなかった8 。シュペングラーが「歴
史的宿命 (historische Fatalität)」として語った「没落」は、彼が自身の哲学において超
然と脇へ押し退けた「自然」との対決のなかで生じたものであった。人間は、その歴
史において、自身の生存と安寧とを賭して、絶えず「自然」と対決しなければならな
かったが、この「自然」との戦いが、そしてつまりは、形式と秩序とを志向する文化
が、
「自然」に対する強圧的な支配へと変貌を遂げるところに、シュペングラーにいう
「没落」へと至る道が拓かれたのである9 。こうしたアドルノの理解は、それが内在し
ている動因に着目しつつ論じられた文化一般に関する洞察、すなわち、文明に関する
ホルクハイマーとの共同研究に持ち越され、
「啓蒙の自己崩壊 (die Selbstzerstörung der
Aufklärung)」のテーゼのうちに結晶した。啓蒙は、自身の抱え込んだ支配のアポリア
により、自己崩壊を帰結するであろう。シュペングラーに関するアドルノの講演の翌
年から執筆された共同研究において、彼らは、自身にいう啓蒙の自己崩壊を、その動
因との連関のうちに提出した。そこでは、世界を明るみに出す (aufklären) ということ、
この意味での啓蒙ないし文明化の過程が、人間に原初的に備わっている「区別する力
(Fähigkeit des Unterscheidens)」、つまりは「思考能力 (die Denkfähigkeit)」としての「理
性 (ratio, subjektive Vernunft)」が、自身の他者である「自然」との対決のなかで描いた
軌跡として、そしてまた、その自己崩壊が、徹底した支配を志向した理性が、理性の他
者に加えた剥き出しの暴力−「同一ならざるもの (das Unidentische)」に対する「同一性
の強制 (Identitätszwang)」−に由来するものとして理解されるにいたったのである10 。
したがってまた、アドルノ、そしてホルクハイマーにおけるシュペングラーの「没
落」のテーゼの承継は、彼の暴力に対する告発とひとつのものでもあった。不可避的
に「没落」へと向かう文化の行く末を揺るがし難い運命のもとで語ったシュペングラー
は、その「潜在的な同一性の哲学」により、暴力の側についていた。これにより、彼
は、結局のところ、自身の忌避した「没落」に加担していたのである。このような告
7 Adorno
1950, S.54- 65[七九−九四頁]
Schweppenhäuser 1996, S. 45-7 [四九−五〇頁]
9 Adorno 1950, S.61-4 [八九−九二頁]
10 この点については、次節の整理を参照。
8 Vgl.,
84
発を含む、アドルノのシュペングラーに対するコメンタールは、彼とホルクハイマー
による理性の暴力に対する異議申し立てとして、さらには、その暴力から身を振りほ
どく道程を示しているものとして読み解くことができるように思われる。シュペング
ラーの「呪縛圏 (Zauberkreis)」を逃れ出るには、したがって、文明の自己崩壊と、そ
れを帰結する理性の暴力、その「同一性の強制」から逃れ出るには、
「野蛮 (Barbarei)」
を誹謗し、文化の健全さを信頼するだけでは十分ではない。むしろそこでは、文化/文
明そのものにおける「野蛮のエレメント」が洞察されなければならないのである11 。こ
の洞察は、アドルノにおいて、支配への要求のもとで、文化/文明が人間に課した「犠
牲」へと眼差しを向けることを教えるものとして捉えられた。そしてこの眼差しが、
彼とホルクハイマーの文化/文明に関する考察において、理性による「同一性の強制」
のもとで沈黙を強いられた自然/理性の他者の「想起 (Eingedenken)」として論じられる
にいたる。忘れられたシュペングラーとの対話は、ヘルダーリン (Friedlich Hölderlin,
1770-1843) にいう「滅びざるを得なかった自然的なものの想起」12 を文化/文明の自己
崩壊から脱却する身振りとして理解する視座を、アドルノとホルクハイマーに与える
までに及んだのであり、さらにはこうした理解のもとで、彼らにおいては、自然/理性
の他者の「ミーメーシス」が語られたのであった。
かくして、アドルノとホルクハイマーの共同研究では、文明ないしは啓蒙について、
その負の遺産を際立たせていくことを通して、理性の暴力に対する告発がなされるこ
とになった。けれども、彼らは、理性に対する論難が、理性の紡ぎ出した「鋼鉄の檻」
と同様、出口のないものであることをも理解していた。もちろん、彼らに対する数多
くのコメンタールが示すように、ホルクハイマーとアドルノが、啓蒙に対するもっと
も厳しい批判者であったことに疑いを入れる余地はない。しかし彼らの論難は、他方
において、文明ないし啓蒙の積極概念、後のアドルノにいう「人間の [本来の姿への]
復帰 (reductio hominis)」への見通し13 を準備するための試みでもあった。彼らは、啓蒙
の継承者として、われわれの未来への希望を語ろうとしたのであり、また、その希望の
ための身振りとしての自然/理性の他者の「ミーメーシス」の「援軍 (Sukkurs)」を、肯
定的契機と否定的契機とを含めて対象を把握する (greifen) 力としての理性に託そうと
したのである。そしてそれゆえに、彼らは、「支配への傾向 (Tendentz zur Herrschaft)」
のもとで、自己自身のテロスである同一性の理想を放棄し、退縮 (verkümmern) してい
くなかで、その剥き出しの暴力を、自然/理性の他者に揮うことになった理性と、この
理性の退縮により、自己崩壊へと向かっていった啓蒙ないし文化一般のプロジェクト
としての文明に対して異議を申し立てたのである。
11 Adorno
1950, S.67 [九六−八頁]
12 そして、こうした理解のもとに、
「同一性を通しての非同一性の意識」として語られたのが、アドルノ
にいう「否定弁証法 (Negative Dialektik)」であった。Vgl., Adorno 1966, S.160 [一九三頁]
13 Adorno 1966, S.187 [二二七頁]
85
2. 文明の崩壊と理性の退縮
アドルノとホルクハイマーは、共同研究において、文明化の過程ないしは啓蒙を、
シュペングラーにいう「没落」のテーゼと重なりあう軌跡を描いたものとして描き出
した。それは、他方において、ウェーバー(Max Weber, 1864-1920)にいう「合理化の
逆説 (the paladox of rationalization)」と呼ばれるテーゼと軌を一にするものでもあった。
社会の進歩的な合理化は、人間を新たな種類の物象化されたシステムに閉じ込めてい
くことにより、その「個体性 (Individualität)」を清算していく危険を孕むものである。
こうしたウェーバーのテーゼは、彼にいう「合理化 (Rationalizierung)」ないし「合理
性 (Rationalität)」の概念を通底している支配のモチーフが徹底して際立てられるかた
ちで、フランクフルト学派第一世代の議論に持ち越された。そして、アドルノとホル
クハイマーにおいては、ウェーバーが進歩的な合理化の帰結として語った事態が、啓
蒙の帰結として提示されたのであった14 。
啓蒙は、アモルファスな世界にあって人間に付きまとう恐怖を取り除くこと、人間
を「未成熟状態(Unmüdigkeit)
」から脱却させ、支配者の地位につけることを追求して
きた。このためそれは、理性の力によって、神々の権威を失墜させることを企図した
のであった。ところが、あますところなく啓蒙された世界は、勝ち誇った凶徴に輝い
ている。ウェーバーのいうように、啓蒙のプログラムのもとで、世界は、確かに「脱
呪術化 (Entzauberung)」された。けれどもそれは、同時に呪術化されてもいった。啓蒙
された世界は、暴力的な先取りを経たうえで、
「第二の神話 (zweite Mythologie)」へと
頽落していったのである。このように、ホルクハイマーとアドルノは、啓蒙が、人類
を「真に人間的な状態 (wahrhaft menschlicher Zustand)」に踏み入らせる代わりに、
「新
たな種類の野蛮状態 (neue Art von Barbarei)」へと転落させるまでにいたったことを論
じるなかで15 、ウェーバーにいう「合理化の逆説」を、啓蒙の自己崩壊として提示す
るとともに、その動因である理性が、支配への傾向のなかで退縮していく模様を描き
出していった。
1) 支配への要求と理性の退縮
「未知なるもの (Unbekannt)」の経験のうちにある「不確定性の契機 (Moment des
Unbestimmten)」は、その底知れぬ沈黙により、
「戦慄 (Schauer)」を引き起こす。この
戦慄は、「確実性への願望 (Verlangen nach Sicherheit)」という人間的な衝動を誘発し、
さらにはこの衝動に促されるかたちで、
「恐怖 (Furcht)」と「不安 (Angst)」の克服が企
てられる。こうしたプロジェクトのもとに、アモルファスな神話的世界の「暗黒の地
平 (der dunkle Horizont)」は、理性の太陽によって照らし出された。多面的で不揃いな
かたちで現れる「未知なるもの」は、理性によって混沌から区別され、さまざまの異
なった状況においても「同一のもの (Identisch)」として捉えられる。これにより、
「未
14 ウェーバーの「合理化の逆説」のテーゼから第一世代へと至る連関について、Cf., Bernstein 1991, pp.30[第二章四六頁以下]
15 Horkheimer und Adorno 1947, S.16, 25 [ix, 三頁]
86
知なるもの」の経験につきまとう不安と恐怖−自己と他者とを隔てる境界を自己もろ
ともに回帰してしまうのではないか、という不安と恐怖−が解消されていった。もっ
とも、その克服は、もはや「未知なるもの」は存在しないという確信を得ることをもっ
て完遂されるものである。それゆえ理性は、あますところなく地表を明るみに出すと
いう、完全なる支配の計画を立案した。確実性への願望は、徹底した「支配への要求
(die herrschaftliche Anspruch)」として結実する。そしてこの要求を全面的に受諾する
なかで、理性は、否定/批判の契機を見失い、退縮していった。その肯定性に局限され
た力は、
「同一ならざるもの」に対する「同一性の強制」によって、徹底した支配を計
画するにいたったのである16 。
理性による「同一性の強制」は、「他なるもの (das Andere)」から、「通約しきれな
いもの (das Inkommensurabel)」
、すなわち、
「質的なもの (das Qualitative)」を剥奪する
ことを通して、秩序/全体の構築を志向する。他方、理性の他者は、理性によって紡ぎ
出された秩序/全体とは「異質なもの」を語ることを通して、理性の支配に抗い、それ
を覆そうとするのであり、それゆえにまた、徹底した支配システムの構築を志向する
理性によって、沈黙を強いられ、忘却の淵に投げ棄てられようとするのである。理性
は、
「他なるもの」に対する暴力的抑圧をもって、自身の計画する支配を貫徹しようと
する一方で、理性の他者は、理性の暴力によって、
「質的なもの」
、つまりはその生命
を奪われ、われわれの手許を過ぎ去ろうとする。けれどもこの、理性によって「敗北
を決定づけられているもの」は、理性によって紡ぎ出された秩序/全体のうちにも欠落
してはいない。それは、なおも全体のうちに−もしくは、全体を腹蔵するものとして
の「個別的なもの」のうちに−、その「痕跡 (Spur)」を残してもいるのである。ところ
が、時代においては、理性の剥き出しの暴力により、それらの「痕跡」が抹消されよう
としている。徹底した支配への要求のもとで、「同一のもの」と「同一ならざるもの」
とを、
「等しいもの (Gleiches)」を「等しくないもの (Ungleiches)」から区別するところ
に示される「質的な契機 (der qualitative Moment)」を見失った理性−否定/批判の契機
を見失い、退縮した理性−が、概念的秩序の物象化をもたらすなかで、硬化した全体
が「過ぎ去ったもの (Vergangenen)」の破壊を通して成立することになったのである。
かくして、理性による啓蒙のプログラムの行き着く先に、新たな野蛮・新たな神話が
誕生するにいたる。体系的連関の完成を志向する理性が、物象化され、硬化したシス
テムを産出し、そしてさらには、それに対する「適合の道具 (Anpassungsinstrument)」
として機能することにより、比類のない堅牢さを誇る「鋼鉄の檻」の維持・再生産を
支えることをもって、啓蒙は、自己崩壊を遂げるのである17 。
徹底した支配の要請を受けて、理性は、
「自己に固有の一貫性 (eigenen Konsequenz)」
に従って、個々の認識を、
「一定の集合的統一 (eine gewisse kollektive Einheit)」へとま
とめあげることに向かう。そのようなかたちで、理性は、支配する主体をもっとも有
効に支持するような「認識の形態 (die Gestalt der Erkenntnis)」としての、
「体系的連関
(die systematischen Zusammenhang)」の完成を志向する。他方、理性の力を承認するこ
16 Horkheimer und Adorno 1947, S. 38, 55, 62 [十九、四一、五一頁], Horkheimer 1947, S.169 [一九八−九頁],
Adorno 1970, S.38 [三九頁]
17 Vgl., Adorno 1966, S.161-3, 370 f., 395 [五七−八、四六三、四九八頁]
87
とにより、支配する主体として覚醒した精神は、理性の計画した支配のプログラムに
より、恐怖と不安との完全な克服を目標とする「人間への還元 (reductio ad hominem)」
としての「非神話化 (Entmythologierung)」の試み、この意味での啓蒙のプロジェクトの
主体として、理性の計画に抗い、それを覆そうとする「未知なるもの」
、潜在的に多形
的で拡散的なものとしてある「自然」−「意味」の地平−、つまりは、理性の他者に対
する支配を徹底しようとした。このとき、支配する精神は、
「創造する神 (der scaffende
Gott)」と同一のもの、神の似姿として、まさしく「神話の新しい姿、しかもそれでい
て、最古のままの姿」を体現するものとして君臨しようとしたのであった。精神は、理
性から支配者としての地位を保証されたことを受けて、神と同じく、自然を統べる絶
対的主権を行使する。これにより、人間は、神話の外に連れ出されながらも、その圏内
に引き込まれていくことになる。ホルクハイマーとアドルノは、このようなかたちで、
精神による支配の貫徹のために「計画する理性 (die kalkulierende Vernunft)」によって
打ち立てられた啓蒙のプログラムが、
「新たな野蛮の萌芽 (die Saat der neuen Barbarei)」
を胚胎させているものであった、と論じた18 。
2) フレームワークの支配
理性の光によって世界を明るみに出そうとするプロジェクトのもとで、
「他なるもの」
が忘れ去られることを代価として、硬化した世界/全体が購われようとしている。前述
のようなかたちで、啓蒙が招いた「記憶の喪失 (Verlust der Erinnerung)」を総括して、
「あらゆる物象化は、忘却である (Alle Verdinglichung ist ein Vergessen)」と語ったアド
ルノは、さらにそれを認識のレベルにおいて詳細に論じている。個人の意識は、
「自己
固有の組成 (eigenen Formation)」によって、統一へと向かわざるをえないものである。
それは、認識する主観が、「論理的な同一性の反省形式 (Reflextionsform der logischen
Identität)」にしたがって、自己と同一でないものを「全体への要求 (Totalitätsanspruch)」
をもってはかることにより、
「概念的な全体 (die begriffliche Totalität)」として結晶する。
こうした意識の統一性は、認識する主観に先立って構成されている概念的秩序に支え
られているものである。認識する主観の他ならない主観性は、カント (Immanuel Kant,
1724- 1804) にいう「心の深みに隠された機構 (verborgene Mechanismus in den Thiefe
der Seele) 」としての概念的秩序によって規定されているのである。こうした所論にお
いて、アドルノは、彼との共同研究以前に、ホルクハイマーが三七年の論稿において
提示した「一般的主観性 (die allgemeine Subjektivität)」の概念に関して提示した見解
と同様の理解を示すとともに、その潜在的な暴力性を、「構成的主観の欺瞞 (der Trug
konstitutiver Subjektivität)」として問題にしたのであった19 。
感性的現象は、それが知覚によって受け入れられ、意識をもって判断されるときに
は、すでに「理性の活動 (vernünftige Aktivität)」によって形成されたものとしてある。
こうしたカントの洞察を、ホルクハイマーは、諸個人の感覚は、知覚が生じるよりも
前に、「概念的装置 (Begriffsapparat)」によって規定されているのであり、意識的処理
18 Vgl.,
Horkheimer und Adorno 1947, S. 104-7 [一二七−九頁], Adorno 1966, S.187 [二二七頁]
1966, S.16ff., 63ff., 172ff. [一〇−二、七〇−二、二〇九−一二頁]
19 Adorno
88
の段階においては、それらを、概念的連関のもとに、秩序/全体のフレームワークのう
ちに編入するということがなされている、との理解を表現するものとして捉えた。そ
して彼は、そのように、概念的連関のもとで、統一的な秩序/全体として結晶している
媒体、彼にいう一般的主観が、個別的な意識の背後の暗がりに潜みつつ、認識する主
観よりもはるかに能動的に世界を構成する力を発揮しているという理解をもって、
「伝
統理論 (Traditionelle Theorie)」に対する論難を展開したのであった20 。こうしたホル
クハイマーの理解から、さらにアドルノは、認識する主観を拘束する「前主観的秩序
(präsubjektive Ordnung)」が、
「同一化原理の社会的モデル」である「交換 (Tausch)」原
理に規定されるものとしてのコミュニケーションによって構成されるとき、そこには、
物象化された秩序/全体−潜在的に多形的で拡散的なものとしてある「意味」の地平を平
板化した静態的なフレームワークとしての、硬直化した言語-意味のコンステレーショ
ン−が現出することになる、あるいはまた、そのような秩序/全体の再生産が永続的に
繰り返されることになる、と論じた21 。
ホルクハイマーは、アドルノとの共同研究以前に、伝統理論における「主体の能動
性、客体の受動性といった図式がいかに欺瞞であるか」を、一般的主観性の概念によ
り示した22 。他方、アドルノは、
「自身の精神的衝動に信頼を置くようになって以来」
、
構成的主観の欺瞞を打破することを自身の課題に掲げていた23 。それは、ホルクハイ
マーにいう一般的主観性の概念に示されていたような、前主観的な概念的秩序による
認識の被拘束性に関する理解−それはまた、理性の紡ぎ出したフレームワーク、なら
びに、理性の勢力圏を逃れ出ることの不可能性の自覚をいうものでもある−とともに、
その潜在的な暴力性に対する告発を射程に捉えるものであった。そしてこうした理解
が、ホルクハイマーとの共同研究に持ち越され、そのライトモチーフとかたちづくるこ
とになる。すなわち、支配する精神が「第一者 (das Erste)」として世界を覆い、それに
取って代ろうとすることが論じられた共同研究においては、前主観的な認識のフレー
ムワーク−アドルノにいう「おのれ自身を意識しない社会」としての構成的主観24 、そ
してホルクハイマーにいう「社会的実践の産物 (Produkt der gesellschaftlichen Praxis)」
である「文化的全体 (das kulturelle Ganzen)」の知的要素としての一般的主観25 −が、単
独者のモノローグのもとで、絶対的な支配者として専制的に君臨しているという事態
が、啓蒙ないし文明化された世界の究極的な負のイマーゴとして描かれ、その暴力性
が、理性の暴力との連関において問題とされたのである26 。
20 Horkheimer
1937, S.174 ff. [一八三頁以下]
1966, S.149ff., 178ff. [一七八−八一、二一六−九頁]
22 こうした理解が『啓蒙の弁証法』のライトモチーフとなっていることについて、清水 1986, 第二・三・
四章参照。
23 Adorno 1966, S.10 [四頁]
24 Adorno 1966, S.179 [二一七頁]
25 Horkheimer 1937, S.173-9 [一八二−九頁]
26 シュペングラーの「没落」のテーゼとウェーバーの預言とを受け継いだホルクハイマーとアドルノは、
啓蒙の内在している支配のモチーフが、暴力的な抑圧を強いるフレームワークを産出するにいたったこと
を論じ、そしてまた、そうした事態に与した理性の暴力を告発した。もっとも、このようなかたちで理性
の暴力が問題とされるなかでは、
「堅固な概念的連関という、諸々の形式的な基礎原理」にしたがって、秩
序/全体の構築を志向する理性について、それが、徹底した支配の要求に応えようとすることにおいて、
「質
的な契機」を見失ってしまっている、ということが論難されたのであった。つまりそこでは、「分割」、す
なわち、「区別する能力」それ自体ではなくて、退縮し、否定/批判の契機を見失うなかで、「綜合」へと向
21 Adorno
89
3. 「潜在的に批判的なもの」としての文化
啓蒙は、自身の抱え込んだ支配のアポリアにより、自己崩壊を帰結することになるで
あろう。アドルノとホルクハイマーの共同研究では、前述のように、硬化したフレーム
ワークによる専制的な支配を成立させたことをもって崩壊を遂げる、啓蒙ないし文明
化のプロジェクトについての洞察が展開された。社会の進歩的な合理化は、人間を新
たな種類の物象化されたシステムに閉じ込めていくことにより、その個体性を清算し
ていく危険性を潜在させている。このウェーバーにいう合理化の逆説のテーゼが、彼
らの共同研究においては、文明の自己崩壊として論じられたのであり、さらには、そ
のような「非合理的な合理性の状態 (Zustand irrationaler Rationalität)」としての抑圧的
なフレームワークによる支配へと至る道程が、前述のように、「主観的合理性の勝利
(Triumph sujektiver Rationalität)」との連関のうちに提示されたのであった。
啓蒙ないし文明の崩壊は、退縮した理性による剥き出しの暴力に起因するものであ
る。共同研究において提示されたこうした理解は、『道具的理性批判 (Zur Kritik der
instrumentellen Vernunft)』の名で知られるホルクハイマーの著書においても示された
ものであった。同書において、西洋の哲学的伝統における理性概念の変容についての
洞察を展開するなかで、ホルクハイマーは、「主観化 (subjektiviert)」ないし「形式化
(formalisiert)」した理性が、徹底した支配への要求に応じようとするなかで、「個別的
な生 (das individuelle Leben)」ないし「人間の観念 (die Idee des Menschen)」を破壊せ
んとしていること論じた。そして、こうした所論を展開するなかで、彼は、共同研究
において洞察された文化一般のプロジェクトの失敗と理性の暴力との共犯関係を、
「文
化の衰微 (der kulturellen Verfall)」の問題とし洞察していったのであった。
1) 文明の理想と文化の諸理念
理性の概念は、ギリシアにおける黎明期や、かつての客観的理性の哲学体系におい
て、人間の思惟能力としての主観的側面のみならず、客観的側面をも備えたものとし
て捉えられていた。それは、認識の原理であるのみならず、実在に本質として内在す
る構造、もしくは、人間とその諸目的を含んだ「存在するもの」の客観的秩序の原理と
して理解されていたものであり、したがってまた、理性による「自然」の解明は、
「自
然」との宥和を前提とした、人間の思想や行動の尺度の解明を意図するものだったの
である。けれども、理性が、その主観的側面を肥大化させていき、そうして自身の客
観的側面を掘り崩していくことに伴って、
「自然」からは「目的」が放逐され、それが
徹底して対象化・物質化されたかたちで捉えられることになった。理性は、形式化す
る傾向のなかで、
「人間の審級」が、「カオス的な素材」に影響されることを「隷属状
態」として呪詛し、そうして「自然のうちにある階層秩序」の虚偽を暴露していった
のである27 。
かっていった理性、こうしたなかで「体系的統一の理念 (die Idee systematischer Einheit)」に寄与する理性の
傾向が、そしてこの傾向により、啓蒙が自己崩壊を帰結するにいたったことが問題とされたのである。Vgl.,
Horkheimer und Adorno 1947, S.104-7 [ 一二七−九頁]
27 Vgl., Horkheimer 1947, S.27 ff. [十一-六九頁], Horkheimer und Adorno 1947, S.112-5 [一三八−一四一頁]
90
ホルクハイマーは、客観的理性の哲学を支えた形而上学的基盤について、それを単
なる幻想に過ぎないものである、と一蹴する。けれども、他方において、彼は、
「理性
的なもの」の客観的秩序を見いだそうとした西洋の理性哲学の伝統のなかで語られた
「文明の偉大な理想」を高く評価した。正義、平等、自由といった文明の理想は、客観
的理性の哲学において、「個人的な徳」としてのみならず、
「社会的な徳」として掲げ
られたものであった。客観的理性の哲学は、それらの理想を、
「自己保存は、超個人的
秩序においてのみ、すなわち社会的連帯を通してのみ達成される」という信念のもと
に掲げつつ、秩序/ 全体を志向してきたのである。そして、それらの理想はやがて、耐
え難い圧迫が決して不可避のものではないことが自覚され、秩序/ 全体の変革の要求が
さらに哲学的思惟の解するところとなっていくなかで、抑圧的な全体に抗う抵抗力と
して、「個人 (Individuum)」のカテゴリーのうちに結晶していった。それらは、「個別
的な生」を支える「概念的諸原理の要求 (Anspruch der begrifflicher Prinzipien)」として
理解され、人々に享受されることになったのである28 。
文明の理想は、人間的な生についての「われわれの有する唯一の定式化された証言」
である。このように、正義、平等、自由といった文明の理想に対して積極的な評価を
与えたホルクハイマーは、こうした評価に続いて、文明の理想に担保され、そのもと
に彫琢されてきたものとしての文化的諸価値を重視した。正義、平等、自由といった
概念的諸原理の要求のもとで育まれてきた文化的伝統からの精神的遺産は、
「王子から
貧民、詩人から農夫にいたる様々な人々のものの見方の宝庫」であり、そのような幾
層もの連続的な経験、行動および思考の様式の総体が、現実を構成する前主観的なフ
レームワークとして機能しているのである。そしてこれこそが、われわれの生にとっ
ての唯一の母胎となるのである。およそこうした理解に立って、ホルクハイマーは、文
明の理想を高く評価するとともに、
「根本的な文化の諸理念」は「真理値」をもつこと
が認められなければならない、と主張した。そして彼は、このような生の母胎として
の文化の諸理念までもが、
「迷信を打ち破る批判力」として客観的理性の哲学の虚偽を
暴露していった主観的理性により、幻想として消し去られようとしている事態を、西
洋哲学における理性概念の変容に関する洞察を通して描き出し、それを時代の危機と
して論じたのである29 。
現実を構成するフレームワークとしての文化的伝統は、われわれを捕捉することを通
して、正であれ不正であれ、つねに秩序/全体を志向してきたものであった。もっとも
この、われわれが投げ込まれている場ないしは地平としての文化−われわれの意識を
規定するもの、もしくは、われわれの意識そのものである、言語-意味のコンステレー
ション−は、歴史における勝者の軌跡であるのみならず、膨大な敗者の痕跡をも、そ
のうちに沈澱させている。そしてこの、抑圧と抵抗の記憶としての文化的伝統にあっ
て、それを母胎としつつも、その抑圧に抵抗するうちに、自己の像を捉え、自身の創
造的な生を営むのである30 。ところが、今日においては、文化的伝統に沈澱している
様々な記憶が忘却に引き渡されようとしているなかで、生の破壊が帰結されようとし
28 Horkheimer
1947, S.52f., 139, 142, 177f., 181 [四三、一五九、一六三、二一〇、二一五頁]
29 ebenda
30 Vgl.,
Horkheimer 1947, S.167f. [一九六−八頁]
91
ている。このようなかたちで、前述のような時代の危機を論じるなかで、ホルクハイ
マーは、アドルノとの共同研究において示された理解と同様、「記憶の喪失」を問題
とするとともに、こうした事態を招来せんとしている動向としての啓蒙、そしてその
「究極の産物」としての実証主義的潮流に対する論難を、
「現代における文化の危機 (die
gegenwärtige Kulturkrise)」との連関において展開したのであった。
2) 伝統のうちにあって、かつ、伝統を超えるということ
実証主義は、理性の形式化の傾向を強力に推し進めることにより、抑圧に対する抵抗
の力の源泉としての文化的基盤を掘り崩すことを通して、「批判 (Kritik)」そのものを
不可能にする。そしれそれは、さらに、徹底した支配への要求に応じるなかで、否定/
批判を放棄する一方で、現状を肯定し、それに対する「適合の道具」へと凋落した主観
的理性によって自己自身を展開することにより、
「知覚の物象化 (die Verdinglichung der
Wahrnehmung)」と、自身がその再生産を志向する硬化した文化的秩序/全体のフレー
ムワークのもとでの「生の物象化 (die Verdinglichung des Lebens)」を招いたのであっ
た31 。このように、ホルクハイマーは、実証主義的潮流を、退縮した主観的理性によ
り自己自身を展開するものとして捉えるとともに、この潮流にあって、われわれの生
の母胎である文化的基盤が破壊されたことを論難した。けれども、このことは、彼が
文化の保守主義を奉じているということをいうものではなかった。
文化的伝統からの精神的遺産は、われわれの生の唯一の母胎となるものである。そ
こに保存されている幾層もの経験を、
「ことばの微かな証言」を頼りとして見抜かなけ
ればならない。なぜなら、
「半ば忘れ去られようとしている意味や連想の層」を手がか
りとして、諸概念の意味のすべての「あや (Schattierung)」を「他の概念との相互関係」
を含めて開示していくこと、こうした「批判的反省 (die kritischen Reflexion)」によっ
てこそ、各人の「個別的な生」は、その「安寧 (Ruhe)」を得るものとなるからである。
言い換えると、各人の生は、文化的伝統からの遺産を母胎としつつも、それらの精神
的遺産を解釈していくこと、つまりは、普遍的な概念的諸原理の要求のもとで、それ
らの理想に忠実であろうとすること、そのようなかたちで、現実との間に生じる「断
絶」ないしは「矛盾」に抗することのうちに営まれるものであり、また、このような
文化的伝統からの精神的遺産の受容とその変革とを伴う営為のなかで、個別的な生と
共同体における生とが架橋され、人間的な生がその実現を見るのである32 。
文化に関する保守主義は、頽落であると思われるものから文化を擁護しようとする。
けれどもそこには、現実を支配しようという暗黙の意図があっても、現実を批判しよう
とする意図は決してない。それゆえそれは、結局のところ、
「人間を忘れ去る (vergessen
den Menschen)」という事態に逢着することになる。すなわち、文化に関する保守主義
は、あらゆる抵抗を拒絶し、その異議申立てを却下することにより、硬化したフレー
ムワークの維持・再生産を志向するものであってみれば、それが敵対するものと見な
す実証主義の諸学派と同様、文化の「最後の一片の意義」を破壊し、文化を失墜させ
31 Vgl.,
32 Vgl.,
Horkheimer 1947, S.95 f. [九八−九頁]
Horkheimer 1947, S.167f. [一九六−八頁]
92
ようとする動向に手を貸しているのである。このように、ホルクハイマーは、文化に
関する保守主義が、
「文化の衰微」に加担していることを論難するとともに、およそ文
化と呼ばれるものが、
「愚昧さ (Dummheit)」
、
「欺瞞 (Betrug)」
、そして何よりも「野蛮
(Barbarei)」と同一視されることないものとしての自己に忠実であり続けるのは、それ
が到達されるまでの過程の記憶を保存しつつも、自己自身に矛盾することを厭わない
ということに拠るものである、との理解を示した33 。
文化の保守主義は、自己欺瞞に過ぎないものである。実証主義を論難する一方で、
文化の保守主義を、実証主義と同様、退縮し、否定/批判を放棄した理性のもとで自己
自身を展開するなかで「人間を忘れ去る」ものであると論難することにおいて、つま
りは、それらをともに、自己崩壊を遂げる文化一般のプロジェクトとして捉えるなか
で、ホルクハイマーは、文化的伝統が、批判的反省に対する責任を免除されているも
のではないこと、というよりもむしろ、この批判的反省により、われわれは、その創
造的な生を営むのである、との理解を示した。こうした過程のうちに、
「あらゆる文化
の核心 (das Herz aller Kultur)」がある、と論じたホルクハイマーは、そのような理解に
より、抑圧的であるということばの含意から可能な限り自由な秩序の構築を不断に志
向するなかで、こうしたフレームワークのもとで、それぞれの生を育む営為としてあ
るような文化に関する支持を表明したのであった。
前述のような文化に関する理解を示したホルクハイマーと同様の、解放的な意味を
もった文化概念については、アドルノもまた、それに対する支持を表明していた。文
化とは、
「人間を野蛮状態から脱却させ、それを暴力的な抑圧によって一層永続化しな
いもの」をいうものである34 。このように語ったアドルノは、文化一般のプロジェク
トのうちに組み込まれている支配のモチーフを問題にする一方で、それを通して、文
化の力を肯定的に捉えようとしたのである。この限りにおいて、アドルノは、市民社
会の成果としての人道主義的な文化概念を放擲することは決してなかった。けれども
それゆえに、彼には、自身の生きた時代の文化が、文化の意図を嘲弄するカリカチュ
アとして映ったのであった。時代において、文化は、人々の一次元的な画一化・規格
化を促進し、
「人間的なもの」をまったくの幻影として葬り去ろうとしている。アドル
ノは、そのような「大衆欺瞞」としての文化一般のプロジェクト、すなわち、人々の
意識を拘束し、全体主義的な管理体制のもとに置く手段として機能していた当時の文
化を、
「大衆文化」あるいは「文化産業」という術語によって表現し、それを「文化の
失敗」である、と断じた。ただ、そのように、文化が総じて失敗しているものであっ
たとしても、その失敗を促進することは正当化されるものではない。こうした理解の
もとに、アドルノは、
「文化との連帯」の可能性を、ホルクハイマーと同様、批判的反
省の営為との連関のうちに語ったのであった35 。
抑圧的であるということばの含意から可能な限り自由なものとしてあるような秩序
を志向する文化とは、
「否定性の十全な意識」を要請するものである。そして、文化が
その名で呼ばれるに値するものとしてあるのなら、この限りにおいて、われわれの文
33 Vgl.,
Horkheimer 1947, S.77-81, 181 [七六−八〇、二一五頁]
1962, S.140 [四〇頁]
35 Vgl., Schweppenhäuser 1996, S.137ff. [一五一頁以下]
34 Adorno
93
化的営為は、先の意識のもとに、全面的な技術的支配が進行するなかにあって「その路
傍になおも残っているもの」を、つまりは、可能な限り非抑圧的で、非暴力的な、この
意味で解放されたものとしてあるような秩序を招来させようとした記憶を「想起」し
つつ取りあげなければならない。なぜなら、それらは、
「正しい生の理念 (die Idee eines
richtigen Lebens)」を固持しようとする「苦悩と矛盾の表現 (Ausdruck von Leiden und
Widerspruch)」であり、そしてまた、文化的伝統のうちにあって、そこから逃れ出るこ
とはできないわれわれにとって、全体主義的な支配に対する抵抗の力となるものだか
らである36 。
アドルノは、前述のように、「文化的なものの想起の力」と、それと密接に連関し
た「文化的なものの抵抗の力」というふたつの力をエレメントとして、「人類の苦悩
(Leiden der Menschen)」との連帯を果たそうとする文化への支持を表明し、そしてま
た、
「否定性の十全な意識」のもとで活性化される想起と抵抗の力をエレメントとして、
抑圧的であるということばの含意から可能な限り自由な、この意味において人間的な
秩序を志向する文化との連帯を語った37 。他方、ホルクハイマーは、アドルノが語っ
たものと同様の力を文化の核心に確認するとともに、文化の志向する秩序/全体のもと
で沈黙を強いられた「苦悩」の記憶−理性による「同一性の強制」のもとで沈黙を強
いられた自然のあげる「矛盾の声」−を、批判的反省によって開示していくこと、こ
のようにして「文化の衰微」と対決することこそが、哲学の課題であり、そしてそこ
では、否定/批判が決定的な役割を果たすことになる、と論じた38 。
文化的伝統は、批判的反省に対する責任を免除されているものではない。それは、
むしろ自身を批判する営為によって樹立されるものである。
「哲学が伝統に与るという
こと」とは、その「限定的否定 (die bestimmte Negation)」に他ならない。そして、批
判的反省とは、伝統のなかで沈黙を強いられ、忘却の淵に沈み込まざるを得なかった
「他なるもの」の痕跡に与すことを通して、
「無意識的な記憶」としての伝統に関与す
るものである。それは、
「過ぎ去ったものについての知」を保存するとともに、それを
推し進める。したがって、批判的反省は、伝統を放棄せざるを得ないが、同時に、姿
を変えながら伝統を保存することを可能にするものである。そしてこれにより、われ
われは、伝統のうちにあり、かつ、それを超え出ることを通して、その創造的な生を
営むのである39 。このような理解のもとで、ホルクハイマーとアドルノは、抑圧的で
あるということばの含意から可能な限り自由であること、この意味で、よりよき世界
の可能性を見失うことなく、人間にふさわしい生の実現を可能にする秩序を志向する
ものとしての、
「潜在的に批判的なもの (implizit-kritische)」としての文化40 に対する支
持を表明した。そして、こうした文化に関する理解−それは、彼らにおいて、理性の
潜勢力に基づく営為として理解されていた−が、啓蒙ないし文明の自己崩壊について
の考察を通しての、その積極的概念を準備する試み、つまりは、アドルノにいう「人
36 Adorno
1962, S.128 [二〇頁]
Schweppenhäuser 1996, S.147 [一六三頁]
38 Horkheimer 1947, S.181 [二一五頁]
39 Vgl., Adorno 1966, S. 63f., 370, 396 [七〇−二、四六三、四九八頁]
40 Adorno 1949, S.15 [十五頁]
37 Vgl.,
94
間の [本来の姿への] 復帰」としての文化一般のプロジェクトを擁護する試みとして提
示されたのであった。
***
ホルクハイマーとアドルノは、文化の力が衰微しつつあることを問題とするなかで、
文化一般のプロジェクトに対して仮借なき糾弾を加えた。けれどもこの糾弾は、徹底
した支配への要求のもとで退縮した理性によって、
「過去が、過ぎ去ったものの破壊と
いうかたちで続いている」ような時代にあって、
「非合理的な合理性の状態」としての
「野蛮状態」
、つまりは、抑圧的に作用する硬直化したフレームワークから不断に脱却
を試みるという文化一般のプロジェクトが挫折したことに対して向けられていたもの
であった。彼らは、文化/文明のプロジェクトが自己自身を撤回しようとしていること
に対して異議申し立てを行うことを通して、そのプロジェクトを擁護しようとしたの
である41 。そして、こうした申し立てそれ自体がその姿を映し出しているように、肯
定的なアクセントをもって捉えられる文化/文明のプロジェクトは、彼らにおいて、暴
力的な抑圧によって維持されている「野蛮状態」に対して永続的に異議申し立てを行
い、そこからの解放を求める不断の批判的営為として提示されたのであった。
われわれは、つねに文化的・社会的なフレームワークのうちに投げ込まれたものと
してある。こうした理解のもとに、彼らは、肯定的されるべき文化一般のプロジェク
トを、
「原子化からの社会の解放」を志向するものとして捉えた42 。それは、理性によ
る支配を逃れ、われわれの手許を過ぎ去ろうとするなかで、忘却の淵に投げ棄てられ
たもの、理性が紡ぎ出したフレームワークのうちに、きれぎれの断片となってちりば
められた自然/理性の他者の痕跡を拠り所として、その痕跡を、なおも理性の潜勢力に
依拠した批判によって開示していくことを通して、フレームワークの布置の改変を試
みること、この意味で、
「過ぎ去った希望の請け戻し」を図ろうとする営為をいうもの
であった43 。そして彼らは、この営為をもって、解放され、かつ、連帯しあうなかで、
それぞれの具体的な生を全うしようとする人間からなる社会の実現を目標とするもの
としての文化一般のプロジェクトのあり様を語るなかで、それが、自己自身のテロス
である同一性の理想に忠実であろうとする理性の力による、肯定的契機と否定的契機
とを含めて対象を把握する営為としての批判と、批判のための自由とを必要とすると
の理解を示したのである。
フランクフルト学派第一世代の提示した文化と文明に関する理解は、六〇年代後半
に頂点に達した抵抗運動に対して少なからぬ知的刺激を与えたものである。そしてま
た、この運動の衝撃により、西洋社会のシステムが受けた動揺は、七〇年代における
様々な社会運動の母胎となったのであった44 。このように、西洋社会において確立さ
れた制度的ないし因習的なシステムに対して多様なサブカルチャーが対峙するように
なっていったことに続いて、さらには、西洋社会への対立、そしてつまるところは、反
41 Vgl.,
Horkheimer und Adorno 1947, S.20 [xiv-xvi ]
1947, S.142 [一六三頁]
43 Vgl., Adorno 1966, S.370 f., 395-7 [四六三、四九八−九頁], Horkheimer und Adorno 1947, S.20[xv]
44 三島 1989, 三四頁以下、豊泉 2000, 第五章参照。
42 Horkheimer
95
アメリカ的な動機と結びついた動向が、新たなかたちをとって現れてきている。この
近代西洋に対する古くからの対立は、今日において、経済のネットワークのみならず、
あるいはそれとパラレルに出現するものとしての、あらゆる生の様式の同質化と均一
化を促進しているネットワークが、西洋を含む横断的な諸地域に拡がりつつあること、
この「二重のグローバリゼーション」が現実のものとなることによって、新たに強化
されるにいたった。そして、こうした事態が「あれか/これか」という二者択一におい
て議論されるとき、つまりは、それぞれの文化に固有の生の様式の意義が強調される
一方で、そうした枠組を超えた世界規模でのネットワークの構築の必要性が訴えられ
るとき、そこには、ほとんど解決を望めないような対立の図式を見て取ることができ
るように思われる45 。
普遍性と進歩とが理念として掲げられ、個々の文化的伝統が均一化ないし画一化さ
れようとしていること、こうした潮流に抗し、それを拒否するなかで、特殊性と共約
不可能性とを内実とする固有のフレームワークとしての文化の意義が強調され、文化
に関する多元主義が論じられる。ただ、そこでは、普遍的なパースペクティヴのもと
に営まれる文化を語ろうとする者が、場合によっては、
「文化的帝国主義」の信奉者と
見なされ、それに対して激しい非難が浴びせられることがある。けれどもこのタイプ
の論難は、神話的幻想によって支えられた普遍的物語の破綻を口実として、それぞれ
の文化的フレームワークの排他的なヘゲモニーを確立しようとすることにおいて、全
体主義的な抑圧を「連帯のカリカチュア」のもとで正当化しようとする動向に与すこ
とになる。文化をめぐる今日的な状況をこのように理解することができるのであれば、
文化一般のプロジェクトに対する内在的な反省を通して、
「普遍主義が自らのうちに否
定しなければならない個別主義的な核を有している」という議論を展開することにお
いて、普遍性と進歩とを理念として掲げる動向に潜む暴力性を告発するとともに、文
化に関する保守主義に対して、その欺瞞を指弾するなかで、普遍的なパースペクティ
ヴのもとに営まれる「潜在的に批判的なもの」としての文化を語ったホルクハイマー
とアドルノの理解は、文化に関する今日的な議論に対して、なおも意義のある視座を
遺贈しているように思われる46
註釈略記一覧
ローディ 1997: フリトヨフ・ローディ/北尻祥晃・総田純次 訳「文化と文明−貶めら
れた対概念への新たな省察の試み−」理想 No.660 理想社 一九九七年
Elias 1969: Norbert Elias, Über den Prozeß der Zivilisation; Soziogenetische und psychogenetische Untersuchungen Bd.1, Bern und München: Francke Verlag, 1969 [赤井慧爾・
中村元保・吉田正勝 訳『文明化の過程(上)』法政大学出版局 一九七七年]
Spengler 1920&1922: Oswald Spenguler, Untergang des Abendlandes: Umrisse einer
Morphologie der Weltgeschichte, Munchen: Beck, 1920( Bd. 1; Gestalt und Wirklichkeit),
45 ローディ
46 Vgl.,
1997
Schweppenhäuser 1999
96
1922 ( Bd. 2; Welthistorische Perspektiven) [村松正俊 訳『西洋の没落』五月書房 一九八
九年]
Bernstein 1991: Richard J. Bernstein, The New Constellation: The Ethical-Political Horizons of Modernity / Postmodernity, Cambridge/ Oxford: Polity Press in association with
Blackwell Publishers Ltd., 1991[谷徹・谷優 訳『手すりなき思考』産業図書 一九九七年]
Schweppenhäuser 1996: Gehard Schweppenhäuser, Theodor W. Adorno zur Einfuhrung,
Hamburg: Junius Verlag GmbH, 1996[徳永恂・山口祐弘 訳『アドルノ−解放の弁証法』
作品社 二〇〇〇年]
Schweppenhäuser 1999: Gehard Schweppenhäuser, Die Partikularität des Allgemeinen
[関口光春 訳「一般的なものの個別性−人権と道徳原理の基礎づけにおける普遍主義の
アポリア」情況出版編集部編『フランクフルト学派の今を読む』(情況出版 一九九九
年)所収]
清水 1986: 清水多吉『補論 一九三〇年代の光と影 −フランクフルト学派研究』河出
書房新社 一九八六年
三島 1989: 三島憲一「理論と実践の間―フランクフルト学派の逆説的状況」
(徳永恂
編『フランクフルト学派再考』
(弘文堂 一九八九年)所収)
豊泉 2000: 豊泉周治『ハーバーマスの社会理論』世界思想社 二〇〇〇年
Adorno 1949: Th. W. Adorno, Kulturkritik und Gesellschaft, 1949, Th. W. Adorno, Prismen : Kulturkritik und Gesellschaft, Frankfurt am Main: Suhrkamp (4 Aufl.), 1992(Adorno
Gesammelte Schriften Bd. 10・1 ) [渡辺祐邦 訳「文化批判と社会」(渡辺祐邦・三原弟
平 訳『プリズメン』(ちくま学芸文庫 一九九六年)所収)]
Adorno 1950: Th. W. Adorno, Spengular nach dem Untergang, 1950; im Prismen [渡辺
祐邦 訳「『没落』後のシュペングラー」(渡辺・三原 訳『プリズメン』所収)]
Adorno 1962: Th. W. Adorno, Kultur und Verwaltung; Th. W. Adorno, im Soziologische
Schriften I, 1962 (GS. Bd. 8, 1997), S. 140 [市村仁 訳「文化と管理」
(三光長治・市村仁
訳『ゾチオロギカ−社会学の弁証法』(イザラ書房 一九七〇年)所収)]
Adorno 1966: Th.W. Adorno, Negative Dialektik,1966, Frankfurt am Main: Suhrkamp,
1994-8. Aufl. - [木田 元・徳永 恂・渡辺祐邦・三島憲一・須田 朗・宮武昭 訳 『否定弁
証法』作品社 一九九六年]
Adorno 1970: Th.W. Adorno, Ästhetische Theorie,1970 (GS. Bd.7 1970) [大久保健治 訳
『美の理論』河出書房新社 一九八五年]
Horkheimer und Adorno 1947: Max Horkheimer und Th. W. Adorno, Dialektik der
Aufklärung : Philosophische Fragment, 1947, (Horkheimer Gesammelte Schriften Bd. 5),
1987 [徳永 恂 訳『啓蒙の弁証法』岩波書店 一九九〇年]
Horkheimer 1937: Max Horkheimer, Traditionelle und kritische Theorie,1937 (GS. Bd.
4) [角 忍・森田数実 訳「伝統理論と批判理論」(角 忍・森田数実 訳『批判的理論の論
理学――非完結的弁証法の探求――』(恒星社厚生閣 一九九八年)所収)]
Horkheimer 1947: Max Horkheimer, Zur Kritik der instrumentellen Vernunft, 1947 (GS.
Bd.6)[山口祐弘 訳『理性の腐蝕』せりか書房 一九八七年]
97
ハイデガーにおける民族と大学
加藤恵介 (神戸山手大学)
ここではハイデガーの『ドイツ大学の自己主張』の再読解を試みることによって、彼
の「ナチ加担問題」について幾分かの考察を進めたい。言うまでもなく、ハイデガー
本人のナチ加担によって彼の「哲学」がナチズムの「政治」と直結するかのような「批
判」も、彼における「哲学的なもの」を「政治的なもの」から単純に分離しうるかのよ
うな「擁護」もともに粗雑であり、ここで試みるべきことは、
「哲学的なもの」と「政
治的なもの」の連関をより詳細に分節することである。
『ドイツ大学の自己主張』においては、
『存在と時間』に由来する「本来的実存」
「決
意性」
「根源的時間性」
「歴史性」の問題系が重要な役割を果たしている。ここで注目
したいことは、そこで個別的現存在と「民族」を媒介するものが、
「大学」であること
である。大学共同体を、さらには「大学」と「民族」の関係を規定しているのは、
「統
率〔Führung〕
」の概念である。つまり、総長は大学の「統率者」であり、教授は学生
の「統率者」であり、学生は民族の統率者たるべきものである。また総長は民族の任
務によって統率されるべきものである。これが「本来的共存在」を具現しているとす
れば、
「統率」は「本来的共存在」の内実であることになる。
1
しばしば問題にされる箇所であるが、
『存在と時間』において、既に「民族」が登場
している。
「しかし、運命的な現存在は、世界内存在として、本質的に、他者との共存在にお
いて実存しているのであるから、現存在の生起は共生起であり、命運として規定され
る。われわれはそれによって共同体の、民族の生起を言い表している。命運は個々の
運命から合成され得ないのは、相互共存在が多数の主体が一緒に現れることとして把
握され得ないのと同様である。同じ世界における相互共存在と、特定の可能性に対す
る決意性において、諸々の運命は前もって既に導かれている」
。
「現存在の運命的な命
運は、その「世代」において、その「世代」とともに、現存在のまったき本来的な生
起をなす」
(SZ384)1 。
この箇所について、高橋哲哉は、次のように指摘する。
「ハイデッガーはここで、単
独的実存の「本来的生起」としての「宿命」と、民族共同体の「本来的生起」として
の「運命」を単に並列しているのでもなければ、しばしば信じられているように、後
者を前者に――「孤立的自己」の本来性に――一方的に還元しているのでもない。彼
はここで、はっきりと、現存在の「宿命的運命――民族共同体の「本来的生起」――こ
1 引用した著作は Martin Heidegger;
[SZ]Sein und Zeit, 14. Aufl., Niemeyer, 1977.[SD]Die Selbstbehauptung
der deutschen Universität, Klostermann, 1983. 講義については、Klostermann 版全集の巻数とページ数によっ
て表記した。
引用文献の邦訳は、各々の既訳を使用、あるいは参照しているが、適宜変更を加えている。
98
そが、現存在の「完全な本来的生起」(das volle eigentliche Geschehen)をなすのだと
言っているのである。言いかえると、単独的実存の「本来的生起」は、たしかに現存在
の「根源的な歴史性」
(2/510)を構成するものだとはいえ、しかしただそれだけでは、
そして、民族共同体の「運命」へと導かれるのでなければ、結局は不完全にとどまる
と言っているのである」
(高橋哲哉『逆光のロゴス』
、未来社 77-78。ただし、Schicksal
と Geschick に、本稿ではそれぞれ「運命」と「命運」という訳語を当てているが、高
橋はそれぞれに「宿命」と「運命」という訳語を当てている。
)
たしかに、高橋の指摘するように『存在と時間』のこの箇所において既に「
〈民族の
存在論〉への志向」
(高橋 79)は明白である。しかし、問題が残るとしたら、それがハ
イデガー自身の志向にすぎないものか、それとも、ハイデガーの実存論的分析論の構
造と論理そのものが、
「民族」の導入を必然的なものとするのか、という問題であり、
この問題の解明は他所に譲らざるを得ない。
さて、高橋のいうように、ここでの「
〈民族の存在論〉への志向」は「あくまでも志
向にすぎず」
「
『存在と時間』の中で「具体化」されているわけではない」
(79)
。その
「具体化」は、
『ドイツ大学の自己主張』やいくつかの講義において見られることになる
だろう。ここで指摘しておきたいのは、その「具体化」において、
「大学」が特権的な
位置を占めていることであり、つまり、個別的な現存在と民族共同体を媒介するもの
が「大学」であることである。この演説において何度も繰り返される「われわれ」は、
第一次的には「民族」ではなく、「この大学の全教授および全学生」(SD9)と等置さ
れている。大学共同体としての「われわれ」が、
「民族」としての「われわれ」に先立
つ位置におかれ、大学共同体の「われわれ」の決意性が、
「民族」の決意性を可能にす
るものとされるのである。そしてそこに働いているのが「統率」である。すると「統
率」は、
「本来的共存在」の内実であることになるだろう。ハイデガー自身『自己主張』
に付された「総長職一九三三/三四」において次のように書いている。
「わたしは当時、
権力を掌握するに至った運動の内に、民族の内的結集と革新の可能性と、民族の歴史
的-西洋的使命に導く道を見ていた。わたしは、自己自身を革新する大学が、民族の内
的結集にさいして指導的な仕方で寄与するという共同の使命を負っていると感じてい
た」(SD23。訳文は高橋 82 による)2 。
2 ハイデガーは「シュピーゲル対談」において、彼は「学問の価値とは民族のための事実上の効用によっ
て評価される」という「政治的学問」に対抗するものとして「学問の政治化に対抗する立場」を語った、と
いう。これについて森一郎は、それでも、学長すなわち大学の「
「指導者みずから」が「ドイツ民族の運命」
とその歴史的位境によって「指導される者となる」ことにおいて、
「いっそう高次の意味における「政治への
学問の従属」を表明している」と指摘している。しかしそれだけではなく、森によれば「もう一つの驚くべ
き位相がここにはひそんでいる。それが「民族の学問主義化」とでも呼ぶべき逆向きの相即的側面に他なら
ない」。すなわち「その歴史から見て、われわれドイツ民族はもっぱら学問によって意義づけられるべきで
あり、それがこの民族の運命なのだ」とする主張である。彼の「隠された野心」は「学問への政治の従属」
であり、これは「政治への学問の従属」と矛盾するが、
「この明白きわまりない矛盾は、
「民族-大学-共同体」
という単一の実体が立てられるや、たちまち雲散霧消してしまう。つまり、政治と学問の本質的レベルでの
相互共属、それが「ドイツ大学の自己主張」の内実だったのである」
。
(森一郎「ハイデッガーにおける学問
と政治」
『
〈対話〉に立つハイデッガー』
、理想社、241-3。Führung, Führer には、本稿において「統率」
「統
率者」という訳語を当てたが、森は「指導」
「指導者」という訳語を当てている。Fuhrer がまた「総統」で
もあることは周知の通りであるが、
『自己主張』でこの語は常に複数形で用いられている)
99
2
『自己主張』の冒頭、ハイデガーは、次のように宣言する。
「総長職の引き受けは、こ
の大学の精神的統率に義務を負うことである。教官たちと学生たちの服従は、ただドイ
ツ大学の本質に、真にかつ共同的に根ざすことからのみ目覚め、強化される」
(SD9)
。
つまり、総長の統率と、大学共同体の服従が対になっている。それだけではなく、
「統
率」は、この演説の全編を支配している概念である。「教授陣」は学生たちの「統率者」
である。教授陣が「統率者としての力」を得るなら「そうした力が本質的なものと結
びあい、精粋を選び出し、新たな勇気あるものの、真正の忠誠を目覚めさせる。とは
いえ我々はまず忠誠を呼び起こす必要はない。ドイツの学生は既に進軍の途上にある。
彼らの求めるのは、かの統率者たちである」(14-5)。そして「ドイツ大学はわれわれ
にとって、学問に発し学問を通じて、ドイツ民族の運命の統率者且つ庇護者たちを教
育し陶冶する高等教育機関と見なされる」
(10)
。つまり、ここでの「統率」と「服従」
または「忠誠」の関係においては、総長が大学共同体の統率者であり、大学共同体に
おいては教授陣が学生の統率者であり、学生は民族の統率者たるべきものである。大
学が総長、教授、学生の統率の関係によって規定されるだけではなく、大学共同体は
民族を統率すべきものである。
さて、この大学共同体を統率すべき総長は、また統率されるべき者でもある。
「しか
し、この〔ドイツ大学の〕本質は、まず第一に、いかなるときにも統率者たち自身が
統率される者であるとき――ドイツ民族の運命を、その歴史の刻印へと強いるかの精
神的任務〔Auftrag〕の峻厳さによって統率されるときに、はじめて明晰さと品格と力
に至るのである」
(9)
。大学の統率者である総長は、民族の「任務」によって「統率さ
れる者」でなければならない。しかし、ここで「任務」とは何だろう。
『自己主張』の翌年におこなわれた全集三八巻の講義『言語の本質への問いとして
の論理学』によれば、
「任務」とは、本来的な、すなわち根源的時間性における「将来」
に対応するものである。
『ドイツ大学の自己主張』は、基本的に、
『存在と時間』から
受け継がれた「本来性」の図式によって貫かれているのだが、この講義を参照すると、
それはとりわけ「根源的時間性」の規定によってなのである。
この講義は「言語の本質」への問いから始まるが、この問いのためには「人間の本
質」を問わねばならず、それも「人間とは何か」という問いは人間を眼前存在者とし
て前提することになるため(GA38/33)、「人間とは誰か」という問いを立てる。この
問いは更に「自己とは誰か」
「我々自身とは誰か」へと移行する。われわれはつねに既
に「自己喪失」の内にあるため、
「自己とは誰か」の問いは「われわれ」自身が引き受
けねばならない(40)
。この「自己喪失」と「引き受け」の規定は、この講義もまた本
来性と非本来性の対立によって規定されていることを示している。
この問いに対して、唐突に「われわれとは民族である」
(56)と宣言される。これは
大学という場において、学問と教育という要求に即してである。
「われわれが大学のこ
の要求へと填入されているとき、われわれは、それ自体ある民族のそれ自身の支配意
志と支配形式に他ならないものであろうと意志するある国家の意志を意志する。われ
われは現存在として自らを民族への帰属へと填入し、われわれは民族の存在の内に立
100
つ。われわれはこの民族自身である」(57)。
これは「決断」による規定である。「何が起こったのか。われわれは自らを瞬間に填
入したのである」
(57)
。
「何らかの決断が今やわれわれの自己をなしている」
。
「講義の
瞬間の小さく狭い我々が一撃でわれわれを民族の内に移し入れたのである」
(58)。
「われわれ自身とは誰か」という問いに対して「ただ決断においてのみ規定される」
「民族」という答えが提出される。しかしこれについて、ハイデガーは「民族とは何か」
(60)と「決断とは何か」という問いを立てる。「民族の本質への問い」もまた、「民
族とは何か」という形ではなく「われわれ自身がそれであるこの民族とは誰か」
(69)
という形で問われなければならない。この「誰か」という問いは「決断の問い」であ
り、
「われわれは一体、われわれがそれであるこの民族であるのか」という問いに直面
させる。というのはわれわれは「おそらくわれわれではない、という仕方で存在して
いる」
(69-70)からである。つまり、ここでも、
『存在と時間』からの本来性と非本来
性の規定は、
「われわれ」の規定を決定づけている。それゆえ「民族は決断の性格を持
つ」
(70)
。
「決断とは何か」が明らかにされない限り「われわれが民族である」ことも
理解されない(70)。そこで、
「民族」への問いは「決断」への問いとなる。
ハイデガーによれば、「本来的な決断」とは「決意性」である。
「決断と決意性は同
じものである」
(76)
。
「人間の存在は歴史的であり」
(109)
、
「決意性」は、根源的な時
間性によって規定される歴史性への決意性でなければならない。ここでも、
『存在と時
間』の根源的時間性の問題設定が決定的な役割を果たしている。「時間性の本質」は
「われわれがわれわれの存在の規定として確定したものの内でわれわれが経験する根
源的時間性から発出する」
(134)
。根源的時間性における「既在性」とは、過ぎ去った
ものではなく「以前から現成しているもの、つまりわれわれ自身の本質の現成したも
の」
(116)であり、これはわれわれの自己決断において「われわれの将来から規定さ
れる」
。既在性とは「伝承」
(117)または「使命」である。
「将来」とは「任務」もし
くは「課題」である。
「伝承としての既在性と(われわれに到来するものとしての)課
題としての将来」から、本来的な現在すなわち「労働」が発出する。
「気分において露
呈され、労働へと脱自して、われわれは歴史的である」
(155)
。このように、
『存在と
時間』における本来的時間性、すなわち、既在性、将来、瞬間は、伝承(使命)
、任務
(課題)
、労働(脱自)として規定し直されている。
「根源的に統一された、露呈性、脱
自、伝承、および任務を担う存在者は、われわれが「民族」と呼ぶものでしかありえ
ない」
(157)。
ここでハイデガーは、根源的な時間性に基づく歴史的現存在を「民族」として規定
することを試みる。この講義を特徴づけているものの内で、ここで注目したいのは、
「われわれ」を「民族」と結びつける場が、
「大学」であること、そして「任務」という
語は、ここでは民族と結びつけられた歴史性における、すなわち根源的時間性におけ
る本来的な将来に当たる語であることである。『自己主張』にいう「ドイツ民族の歴史
的、精神的任務」(SD10)とは、これを指しているのである。これに対応して、この
任務がそこから発出する本来的な既在性、すなわち「伝承」(GA38/117)または「使
命」とは、
『自己主張』においては、古代ギリシアにおける「哲学の始まり」である。
101
これは「学問の本質」の規定から来るものであり、するとこれが「使命」たりうるの
は、とりあえず学問に携わる者たち、
「大学」共同体の成員にとってであることになる
だろう。しかし、ギリシアにおける学問の規定は「民族的-国家的現存在」の中枢とし
て、「民族」に導くことになる。
3
『ドイツ大学の自己主張』においてハイデガーは、
「大学の自治」について、次のよ
うに語る。
「ふつう人は、何よりも大学の支配的な本質性格を、その「自治」に見てい
る—-これは維持されるべきである」。しかし「自治とは即ち、われわれがそこにおい
て自ら在るべきところの者であろうとするための、務めをわれわれ自らに課し、自ら
その実現の方途を定めんとするものである。だが、一体われわれは、われわれ自身と
は誰であるかを知っているのか」(SD9)。「大学の自治」は、「われわれ自身とは誰で
あるか」という問いに帰着させられている。先に見た講義を参照すれば、「われわれ
自身とは誰であるか」という問いは、われわれが常に既に「自己喪失」のうちにある
がゆえに、「われわれ自身」が引き受けねばならない(38/49)、
「決断」に帰着する問
いである。
「自治」の問題は『存在と時間』の「本来性」と「非本来性」の問題に接続
され、
『自己主張』は「本来性」への要求によって規定されている。
「自治は自覚に基
づいてのみ存立する。しかし、自覚はドイツ大学の自己主張の力においてのみ生起す
る」(SD10)。
「ドイツ大学の自己主張とは、その本質への根源的かつ共同の意志であ
る。ドイツ大学はわれわれにとって、学問に発し学問を通じて、ドイツ民族の運命の統
率者且つ庇護者たちを教育し陶冶する高等教育機関と見なされる。ドイツ大学の本質
への意志とは、自らの国家において自らを知る民族としてのドイツ民族の歴史的、精
神的な任務としての学問への意志である」(10)。
「学問への意志」は「ドイツ民族の歴史的、精神的な任務への意志」であるが、こ
の「任務」は、先に見た講義において、根源的時間性における本来的な将来として規定
されたものである。これに対応する本来的な既在性は、
「学問の本質」の規定として、
古代ギリシアにおける哲学の始まりに求められる。すると、ここでの「意志」そして
「決意性」は、
「われわれ」すなわち大学共同体の、学問に携わる者たちにとっての既
在性への決意性であり、これが古代ギリシアにおける規定を経て「民族」共同体に接
続されることになるのである。
「われわれが学問の本質をつかもうとするなら」、
「学問とは、今後ともわれわれに
とって存在すべきなのか」という問いの前に立たされる(10)
。そして、学問が存在し
うるのは「われわれが自らを再び、われわれの精神的-歴史的現存在の始まりの力のも
とにおく場合に限る。この始まりとは、ギリシア哲学の開闢である」
。
「すべての学問は
哲学である—-このことを知り、欲しようとも、そうしなくとも。すべての学問はかの
哲学の始まりにつながれたままである。そこから学問はその本質の力を汲み出す。た
だし学問がそもそもなおこの始まりに遜色のないものであり続けている限りで」
。
「学
問の根源的なギリシア的な本質の二つの際だった特性」
(11)とは、
「知が必然より無
102
力である」ことと、
「それゆえに知は至高の反抗を尽くさねばならない」ことである。
彼によれば「テオリア」とは、それ自体のための観想ではなく、
「理論自体を、真正の
実践の至高の実現として理解すること」にある。
「ギリシア人にとって学問とは、
「文
化遺産」ではなく、民族的-国家的な現存在全体を、もっとも内的に規定する中枢であ
る」
(12)
。
この「学問の始まりの本質」は、2500 年も前のものであり、
「後続するキリスト教-神
学的世界解釈が、さらに後の近代の数学的-技術的思考と相並んで、時間的にも事象的
にも、学問をその始まりから遠ざけてしまっている。しかしそれによって決して始ま
り自体が克服されたわけでも、いわんや無に帰されたわけでもない。なぜなら、根源
的なギリシアの学問が何か偉大なものと仮定するなら、この偉大なものの始まりこそ
が、そのもっとも偉大なものであることに変わりはないからだ。仮りに始まりの偉大
さが今も存続しているのではないとしても、学問の本質は今日のあらゆる成果や「国
際機関」などと異なって、そもそも枯渇したり使い古されたりするものではない。し
かも、始まりはなお存在しているのだ。それはわれわれの背後に遥か昔にあったもの
として横たわるものではなく、われわれの行く手にあるのだ。始まりはもっとも偉大
なものとして、あらかじめ、すべての来るべきものを、従ってわれわれを、既に越え
去っているのである。始まりは、われわれの将来の中に突入してしまっており、そこ
でわれわれに君臨する遥かな摂理として偉大さを取り戻すべく存立しているのである」
(12-3)
。
「われわれが始まりの偉大さを回復するために、決意してこの遥かな摂理に従
うときにのみ、われわれにとって学問は現存在の最奥の必然性となる」
。
「しかし、わ
れわれが始まりの遥かな摂理に従うとき、学問はわれわれの精神的-民族的現存在の根
底における出来事とならねばならない」(13)。
ギリシアにおける「始まり」は、
「われわれの背後に遥か昔にあったものとして横た
わるのではなく」
「われわれの行く手にあり」
「われわれの将来の中に突入してしまっ
て」いる。これは根源的時間性における既在性に他ならない。そこから、本来的な将
来たる「任務」が発出する。しかし、この本来的な既在性への「決意」は、
「学問の本
質」の規定からえられているのであり、第一次的には、
「学問」共同体、
「大学」共同体
としての「われわれ」について妥当するものであろう。しかし、学問は再びギリシア
における始原を反復しなければならない、という要請によって、
「ギリシア人にとって
学問とは、「文化遺産」ではなく、民族的-国家的な現存在全体を、もっとも内的に規
定する中枢である」
(12)という規定を経由して、この決意性は「民族」共同体に及ぶ
ことになる。
「ドイツ民族」において、
「学問」は「歴史的-精神的任務」なのである。
ギリシアにおける始まりが、本来的な既在性であるのは、学問共同体としての「わ
れわれ」にとってであり、この既在性への決意性とは、まず「われわれ」大学人の決
意性ということになるだろう。
「民族」の決意性は、大学人の民族への「統率」によっ
て生じることになる。すると、ここでの「統率」は、
「本来的共存在」を可能にするも
のであることになる。これは、
『存在と時間』における本来的共存在の規定と、どのよ
うに連関し得るだろうか。
103
4
『存在と時間』において、本来的共存在は次のように語られている。
「身近な事実的企投は、ひとへの配慮的な喪失によって導かれている。これは各々
固有の現存在によって呼びかけられ得、その呼びかけがが決意性の様態において理解
され得る。しかし、そのときこの本来的な開示性は、それに基づけられた「世界」の被
発見性と、他者たちの共現存在の開示性とを、等根源的に変容させる」
(SZ297)
。
「手
許存在者への理解的な配慮的存在と他者たちとの顧慮的な共存在とが、いまやそれら
のもっとも固有の自己存在可能に基づいて、規定される」
(298)。
「決意性は本来的な自己存在として、現存在をその世界から解き離すのではなく、
現存在を宙に浮いた自我へと孤立させるのでもない。決意性は本来的な開示性として、
世界内存在として本来的に存在することに他ならないのだから、どうしてそのような
ことがあろうか。決意性は、まさに手許存在者の許にそのつど配慮的に存在すること
の中へ自己を引き入れ、他者たちとの顧慮的な共存在の中へ自己を突き入れるものな
のである」
。
(298)
「決意した現存在は、自ら選んだ存在可能の〈何のために〉に基づいて、自己を己
の世界へ向かって明け渡す。自己自身への決意性こそ、共存在する他者たちを彼らの
もっとも固有の存在可能において「存在」させ、この存在可能を率先的-解放的な顧慮
において共開示するという可能性の中へ、現存在を初めて引き入れるものなのである。
決意した現存在は、他者たちの「良心」となることができる。決意性の本来的な自己
存在から、はじめて本来的な〈相互に共に〉が発現するのである」
(298)
。
この「率先的顧慮」については、次のように説明されている。
「顧慮には、その積極
的な様態に関して、二つの極端な可能性がある。それは、他者から「憂慮[Sorge]
」を
いわば取り除き、配慮において彼の身代わりになり、彼に代わって飛び込むものであり
うる」
。
「そのような配慮においては、他者は依存的で支配を受ける者になりうる、た
とえこの支配が暗黙のもので支配を受ける者にとって覆い隠されたままであったとし
ても」
。これは「たいていは手許存在者の配慮に関わるものである」
。
「これに対して、
他者に代わって飛び込むよりも、むしろその実存的な存在可能において彼に率先する
ような顧慮の可能性がある。それも、彼の「憂慮」を取り除いてやるためではなく、は
じめて本来的にそのものとして返し与えるためにである。この配慮は、本質的に他者
の本来的な憂慮、すなわち彼の実存に関わるものであって、彼が配慮するものの何で
あるかに関わるのではないから、他者がその憂慮において自らに透視的になり、それ
へ向かって自由になるのを助ける」
(122)
。つまり、
「他者に代わって飛び込む」非本来
的な共存在における顧慮と、
「率先」する本来的な顧慮が対照されている。また、全集
二一巻の講義『論理学』では、この率先的な顧慮は次のように規定されている。
「この
顧慮は支配する顧慮ではなく、解放する顧慮である。顧慮のこの様態は本来性の様態
である。なぜなら、この本来性の様態の内では、憂慮がそれによって顧慮であるとこ
ろの現存在は、自己自身を手に入れうるし、自己固有の現存在となることとなり、かく
して自己自身からもっとも固有な本来的な現存在となるからである」
(GA21/223)3 。
3 本来的な顧慮と非本来的な顧慮については、以下で吉本浩和が論じている。
『ハイデガーと現代の思惟
104
本来的な共存在を成立させる顧慮は、
「率先的」な顧慮である。他方で、
『自己主張』
は根源的な時間性に基づく本来性の規定に従っており、そこで語られる本来的な共存
在は「統率」によるものである。総長は大学共同体を統率し、教授は学生を、学生は
民族を統率する。するとこの「統率」の内実はここにいう「率先的顧慮」であること
になる。
の根本問題』、晃洋書房、88-90
105
中国における環境法調査と講演についての報告
竹下 賢 (関西大学法学部教授)
1 山東大学法学院(済南市)での講演と懇談会
1 講演
(1) テーマ 「日本の国土開発計画と環境問題」
(2) 日時 2002 年 7 月 9 日午前 9 時 30 分∼11 時 30 分
2 意見交換・懇談会
日時 2002 年 7 月 9 日午後 6 時より
2 講演要旨
1 はじめに
日本の国土開発は、法制度上、昭和 25(1950) 年制定の国土総合開発法によって規制
されている。本法の目的は、日本国土の自然的条件を考慮して、経済、社会、文化な
ど総合的な施策の見地から、国土を利用・開発・保全して、産業立地の適正化を図り、
社会福祉の向上に資することにある。この法のもとに、策定される国土総合開発計画
には 4 種のものがあるが、そのうちのもっとも総括的なものが、全国総合開発計画 (以
下、全総計画という) である。
これまで 5 回の全総計画はわが国の国土利用の根本方針を定め、その具体的な展開
を各地域に要請してきている。直近の全総計画は、平成 10(1998) 年 3 月 31 日閣議決
定された「21 世紀の国土のグランドデザイン」(以下、グランドデザインという) であ
る。この計画について注目すべきは、従来の全総計画が 10 年程度を単位としていたの
と異なり、1 世紀 100 年という長期的な展望を提示しようとしていることである。
2 全総計画と「グランドデザイン」
この全総計画は「世紀の計画」という点で画期的であるが、同時に内容についても、
公害対策から環境保全へ視点を転換している点で革新的である。この転換にとっては、
当計画が冒頭で過去4回の全総計画に歴史的な評価を加えていることが前提となって
いて、この評価が重要である。
106
(1) 全総計画の流れ
第 1 回の全総計画 (昭和 37(1962) 年) は、国民所得倍増計画と工業開発を目的とした
が、新全国総合開発計画 (新全総)(昭和 44(1969) 年) が交通通信ネットワークの整備を
めざしたのは、地域間格差の存続を解消するためであった。さらに、第三次全国総合開
発計画 (三全総)(昭和 52(1977) 年) は高度成長から安定成長への転換を図るが、それは
同時に「地方の時代」構想を掲げていた。また、第四次全国総合開発計画 (四全総)(昭
和 62(1987) 年) は、東京一極集中に対処する「交流ネットワーク」構想と多極分散型
の国土形成を目標としている。
(2) 「グランドデザイン」の基本構想
平成 10(1998) 年の 5 回目の全総計画「グランドデザイン」は、基本的にそれまでの
全総計画すべてが目標として達成することのできなかった、一極集中型から多極分散
型に転換するという方針を継承するものであった。そこでは、一極一軸集中から多極
分散型への国土構造の転換が図られる。
そのための多軸型の国土形成は、西日本国土軸、太平洋新国土軸、日本海国土軸、北
東国土軸の 4 軸を区別し、それぞれに地域的な自然環境と文化環境とが整備される。
基本的課題とされるのは、
「自立した地域の創造」
、
「国土の安全の確保」
、
「豊かな自然
の享受」
、
「活力ある経済の構築」
、「世界に開かれた国土の形成」であり、それを達成
する構造転換の戦略は、
「多自然居住地域の創造」
、
「大都市のリノベーション」
、
「地域
連携軸の展開」
、
「広域国際交流圏の形成」である。
3 「グランドデザイン」の全体像
以上の国土構造の転換のための5課題と転換のための4戦略を具体化するため、分
野別の5施策が掲げられる。それは「国土の保全」
、
「文化の創造」
、
「地域の整備」
、
「産
業の展開」
、
「交通情報体系の整備」の 5 施策であるが、それらと 5 課題との関係が不明
確である。ここでは、私なりにこの関係を把握することにするが、それによれば、課
題を再編成してそれらを具体化するものとして施策を再構成することになる。
(1) 国土保全の実質
課題から施策まで一貫した2つの基本方針があるが、それは「自立した地域の創造」
から「地域の整備」に至る方針であり、もうひとつは、
「国土の安全の確保」から「国
土の保全」に至る方針である。これは、全体的な課題としての国土保全と個別的な課
題としての地域整備として整理できる。
さらに、全体的な課題である「国土の保全」の実質的課題として捉えうるのは、
「自
然の享受」と「文化の創造」である。
「自然の享受」の導入は、四全総以後の世界の環
境意識の転換を前提にしており、
「文化の創造」という新たな視点の導入は、人間の活
107
動に充実感と生きる意味をあたえるものとされる。
(2) 自然と文化の視点と地域の整備
このように考えるなら、個別的な課題としての地域整備は、自然と文化を考慮入れ
たものでなければならない。施策レベルにおける「地域の創造」は、まさに「文化の
創造」の提案を受け入れる必要がある。また、基本的課題である「自然の享受」から
施策レベルの「国土の保全」に属する「自然の保全」に至る政策系列は、
「地域の整備」
と必然的に結びついている。
「グランドデザイン」の第1の任務は、地域の活性化を実効あるものにすることに
あり、そのための全体的で実質的な視点として「自然の享受」と「文化の創造」が提
示されているといえる。それらはさらに、地域連携軸としての「多自然居住地域の創
造」と「大都市のリノベーション」へとつながる。
4 地域連携と流域圏
地域創造のために要請されるのが、より広範囲な地域連携であるが、全国土での『地
域連携軸』の展開が目標とされる。その際、以下のような5分類の地域連携軸の形成
が示される。1 流域圏や沿岸圏、防災生活圏などの国土保全の観点からの連携。2 多
自然居住地域の創造などによる連携。3 地方中枢・中核都市とその周辺による中枢拠
点都市圏の創造による連携。4 広域国際交流圏の形成による連携。5 産業や福祉など
特定の機能に着目した連携。
こうした施策の中心的な課題は、
「自立的な地域づくり」の促進であるが、そうした
課題の達成に寄与するものとして、流域圏にもとづく連携が重視されるべきであろう。
それは、流域圏による連携が多自然居住地域による連携になじみやすく、
「自然の享受」
という実質的課題の達成を可能にするからである。
また、それは「文化の創造」にも結びつく。
「グランドデザイン」の基本的な課題で
ある「自立した地域の創造」には、
「歴史や風土、文化的蓄積」の尊重が提示されてい
たが、それは施策としての「文化の創造」のもとで、歴史や風土に結びついた流域圏
の保全と創造として位置づけられる。
5 むすび
結局、
「グランドデザイン」が目標としているのは、というより、それが目標とすべ
きなのは、
「自然の享受」をめざした「地域の整備」であろう。その際の視点として重
要なのは、流域圏、海洋・沿岸域の形成であり、多自然居住地域の創造であり、大都
市のリノベーションの推進である。
三全総においても流域圏構想が語られていたが、それは定住圏構想の一環であった
に過ぎない。ここでの流域圏構想は、
「自然の享受」や「文化の創造」と結びついたも
108
のとして理解される。流域圏構想は国土保全の施策のひとつというより、新全総計画
の重要な柱として位置づけられるべき施策目標である。
「グランドデザイン」の新機軸として、上記の「多自然型居住地域」の他に「国土規
模での生態系ネットワーク」の形成と整備が掲げられている。しかし、そうした計画
が国土保全ための実体のある計画であるためには、実体としての「生態系ネットワー
ク」や流域圏や海洋・沿岸域を核にすることが適切である。
そのためにさらに必要なのは、流域圏を人間にとってのビオトープ(棲息圏)とし
て意識するということであり、そうした住民の自覚こそが、地域の連携を無機的なも
のから有機的なものに転換しうるのである。
(追記) 本講演は、一定の視点から下記に論文を要約したものである。社会
哲学研究会 (2002 年 6 月 16 日) での私の報告「全国総合開発計画と流域圏
構想」は、若干異なった視点から同様の要約を行ったもので、本講演と重
複する部分が多い。参照、竹下賢「全国総合開発計画と流域圏構想」
、
『環
境技術』第 31 巻第 7 号、38 ページ∼42 ページ、2002 年 (7 月)。
3 講演に対する質疑応答とコメント
講演後、1 時間弱が質疑応答の時間に割かれ、また、夕刻の意見交換会でも、質問
を受けることになった。それらの場でかなりの質問が出たが、その多くは内容確認や
訳語の適否に関係するものであり、さらには、より詳細な状況の説明を求めるもので
あった。以下では、質疑応答における実質的な2つの論点を取り上げ、それに対して
私なりのコメントをも加えることにしたい。
1 地方の活性化と日中環境問題
2つの論点はともに、日本と中国との比較における環境政策のあり方にかかわるが、
第 1 は、その共通の側面である。質疑において確認できたのは、中国においても、環境
政策の基本方針として「地域の整備」と「地域の創造」が重視されるべきであり、
「自
然の享受」もまた掲げられるべきであると考えられていることである。
この場合、中国においては、一般的な政策的課題として前者の「地域の整備」が、後
者に比べてはるかに重要な位置を占めている。地方の農村部と工業化した都市部の経
済格差は、現在でも都市部優位に増大していて、都市部へのいわば国内難民の流入は
重大な社会問題となっている。
こうした中国の状況からすれば、多自然居住地域を形成して都市と農村を連携させ
ることによって、地域の全体的な配置の中で農村を活性化する施策は、基本的に共感
を呼ぶものであった。その場合、中国の国民の間に、自然環境の保全の意識はやっと
できあがりつつあり、その意識を育成することに寄与する地域づくりが評価された。
そうした連携のうちで講演が重視したのは、流域圏であったが、これにも賛同する
109
人が多かった。そのことの背景には、中国の都市部が沿海部に集中していて、それら
諸都市のほとんどが河川を擁しているという、地勢的事実がある。そのような河川を
軸に、流域圏を構想することは理論的には無理がない。ただ、中国の内陸部は奥が深
く、それだけに農村の経済問題はかなり深刻であり、日本的な流域圏構想や多自然居
住地域構想では、そうした問題の解決が難しいことは明白である。
2 所有権と日中環境問題
講演直後の質疑で興味深かったのは、私的所有権との関係で、日本の環境政策がこれ
ほど進展しているとは思わなかったという意見が出されたことである。たしかに、理
論的にいえば、私的所有を認める資本主義社会では、その権利の優位性が強調される
こともあって、この権利に由来する、土地を含む財産に対する所有者の支配が絶対視
されることにもなる。とりわけ、中国はこうした社会体制の問題点を克服すべく、社
会主義体制を採用したのであって、こうした事情からも、資本主義社会は所有権を絶
対視するものとの捉え方が、一般的なのかもしれない。これが第2の論点である。
しかし、日本を含む現状の資本主義先進国は、すでに、とりわけ土地に関する所有
権絶対の制度を修正している。基本的には、所有権が尊重されることに変わりはない
が、その利用の状況において、かなりの制約を受けるのである。このことは、最近と
くに環境法の分野に当てはまるといえる。
他方、中国では現在、市場経済の導入のもとで、私的所有権の活性化を図ることが
法制度的にも重要課題となっている。そのための法案が、いままさに検討されている
最中である。専門的にみれば、毛沢東の体制下でも私的所有権は法制度的に認められ
ていたということだが、実際には、実効的でなかったということである。
このような日中の状況を比較すると、私的所有を規制する法状況について、一方の国
家主導による私的所有の抑制と他方の私的所有に基づく市場経済の形成という両極に
おいて、日本は後者から前者に進み、中国は前者から後者に進んでいるといえる。質
疑に対する応答においても、このようにのべるとともに、いずれにしても環境問題と
の関係で重要なのは、環境保全に対する国や国民の自覚であることを指摘した。
4 中国環境法の調査
中国の環境法制度については、中国社会科学院の法学研究所渠涛研究員など若干の
研究者との懇談を通じて、また、上記の山東大学における意見交換会において、知識・
情報をうることができた。しかし、これらの知識・情報について、日本語で整理した形
で紹介することはいまだ難しく、以下では本法制度の概略を紹介するにとどめる。な
お、ここでの用語は英語で得たものが多く、日本語訳としてはあくまで試訳である。
110
1 法制度の概況
中国における環境法は、この 20 年の間に、飛躍的に整備されたといえ、それによっ
て、公害と自然保護という重大な分野がすでに規制されるようになっている。こうし
た環境法の整備によって、経済の急速な発展にともなう健康被害や自然破壊に歯止め
がかけられるようになってきている。
最近では、企業に対する規制の強化が図られ、制度的には、官庁による公害防止の
姿勢がみられる。水質の汚濁への規制は 1997 年以来、自然環境の保護のための規制は
1998 年以来強化されている。このように、自然保護の施策は、自然資源の保全ととも
に大いに改善されている。
2 諸法律(諸規制は除く)
(1) 基本法
環境保護法 (1979 年、1989 年改正)
(2) 公害対策法
大気汚染防止及び規制法 (1987 年、1995 年改正、2000 年改正)
水質汚濁防止及び規制法 (1984 年、1996 年改正)、同施行規則 (1989 年、2000
年改正)
固形廃棄物汚染防止及び規制法 (1995 年)
騒音公害防止及び規制法 (1996 年)
海洋環境保護法 (1982 年、1999 年改正)
(3) 保全法
水及び土壌保全法 (1991 年)
水法 (1988 年)
土砂防止及び規制法 (2001 年)
野生動物保護法 (1988 年)
鉱物資源法 (1986 年、1996 年改正)
森林法 (1984 年、1998 年改正)
緑地法 (1985 年)
文化遺産保護法 (1982 年、1991 年改正)
111
3 法制度の実効性
中国は改革解放政策のもと、国家の支配構造を人治から法治へと転換する政策を強
力に推し進めている。そのことは、この環境法の分野にも顕著に表われていて、上記
のような多くの環境立法が実現したのである。しかし、一般的に言って中国では、こ
れにともなう法制度の実効性が問題になるのであって、環境法も例外ではない。
むしろ、環境法の場合は、法律の実効化がより難しいといえるのであり、それは、工
業化の点でなお発展途上にある中国には、ともすれば、環境よりも開発を優先する傾
向があるからである。そこでは、環境法の規制の内容や強制の程度に、緩みがみられ
ることにもなる。また、市場経済の導入のもとで、経済的には地方分権が成立してい
るが、それによって地域における経済的な保護主義がもたらされ、それが環境法の実
効化への阻害要因ともなっている。
112
テロリズムの倫理学
島内明文 (京都大学大学院文学研究科)
はじめに
暴力に関連する様々な現象が、テロリズムという概念のもとに包摂される。そのた
め、この概念を明確に定義することは困難であるのだが、多くの定義の中で強調され
るのは「不正または非合法な暴力の使用」という側面である。しかし、定義に「不正」
という表現を持ちこむのは得策ではない。定義によりテロリズムを不正とすることで
正当化の可能性を閉ざしてしまうからである。政治テロの典型である暗殺を例に考え
てみよう。ヒトラーのような独裁者の暗殺もまた定義により不正であるのだろうか。
テロリズムを正当な暴力の行使 (そのようなものがあるとして) から区別し、不正なも
のとする何かがあるのではないか?この問いに答えるための予備的作業として、本稿
ではテロリズムの概念的な考察を試みる。具体的な議論の順番としては、まず、(1) テ
ロリズムの定義にまつわる問題点を確認し、つづいて、(2) テロリズムの弁明 (または
正当化) の余地の有無を検討する。
1. テロリズムとは何か
テロリズムの概念に関して、多くの論者が一様に指摘するのは、定義の困難さであ
る1 。たとえば、Encyclopedia of Terrorism and Political Violence によれば、遂行主体や
背景にある目的の多様性、暴力や強制 (coerce) などテロの構成要素が他の政治的暴力
(たとえば、抑圧的な統治体制、反政府ゲリラ) にも共通することなどの事情からテロ
リズムの明確な定義は難しい (Thackrah 1987 pp.53-58)。そこで、テロリズムに該当
する現象に共通の特性を挙げて、それらの組合せにより操作的定義または作業的定義
(operational/working definition) を与えることが試みられる。たとえば、Encyclopedia of
Terrorism には、暴力、観客 (audience)、恐怖の雰囲気 (mood of fear)、犠牲者 (victim) の
4 項目に着目した定義が掲載されている。すなわち、テロリズムには、(1) 暴力または
これを行使する能力や意欲が伴なう。また、(2) 目的達成のためには、暴力を目撃し、
これに恐怖を感じる観客の存在が不可欠である。さらに、(3) 交通事故などの場合とは
異なる独特の恐怖感を引き起こすこともまたテロの特色である。最後に、(4) テロリス
トは無辜の (innocent) 市民を熟慮して (deliberately) 攻撃しており、彼らの究極的な目
標と犠牲者とは関係ない。言い換えると、テロリズムのテロリズムたる所以は、政府の
政策を変更させるといった目的で一般の市民をわざわざ攻撃するところにある (Combs
and Slann 2002 pp.208-209)。以上の特徴を備えた現象がテロリズムということになる。
1 本稿では十分に検討しえなかった軍事・防衛の観点からのテロリズム論としては、加藤 (1993)、加藤
(2002)、Combs and Slann (2002) が極めて有益である。
113
このような定義には、問題点がある。それは、テロの犠牲者が「無辜の」市民である
という捉え方である。市民に「innocent/guilty」の区別を設ける場合、この区別は (テ
ロリストも含めて) 万人を拘束する自然法または道徳法に基づくとすることも可能で
あるが、基本的には実定法に基づく無罪/有罪の評価に帰着する。そうすると、国家
が遂行主体となるテロリズムを定義しえないことになる。古典的にはフランス革命期
のロベスピエール、20 世紀においてはヒトラー、スターリンに代表される「恐怖政治」
は、国家テロの典型である。しかし、彼らは当時の実定法にてらして「有罪」とされ
た人物を処刑し粛清したのであり、法を執行したにすぎない。このように実定法モデ
ルで捉えられる innocent 概念に基づく限りは、悪法を駆使するかたちでの恐怖政治や
国家テロリズムの類いをテロとは見なしえないことになる。だからといって、自然法
や道徳法を持ち出すとしても、誰が国家テロを認定しこれを是正するかという問題に
直面することになろう。
国家テロリズムは、恐怖政治という古典的な例を持ち出すまでもなく、テロリズムの
現代的な特徴として看過しえないのである。Encyclopedia of Applied Ethics のテロリズ
ムの項目を執筆した Ashford は、テロリズムを「人々に恐怖を引き起こすための――政
策の問題としての――暴力の行使」と捉え、国家がテロの標的となるのみならずテロの
遂行主体ともなりうることを強調する (Chadwick, 1998 p.311)。それでは、国家テロも
扱えるような定義とはどのようなものか。たとえば、Encyclopedia of War and Ethics に
は、次のような定義がある。すなわち、
「政治権力を獲得または維持するために、人々
の恐怖心を高めるように暴力またはその脅威を利用する戦略。テロリズムとは、大多
数の人を怖がらせて威圧するための、人身または財産への無差別の暴力的攻撃のこと
である。テロ行為の中には、爆撃、(航空機、列車、バス、船舶の) ハイジャック、殺
人、暗殺が含まれる」(Wells 1996 p.454)。このように定義すれば、非常に広範な現象
を扱いえて便利なように思われる。しかし、この定義は、別の問題点を含む。それは、
テロリストの攻撃はつねに「無差別」(indiscriminate) であるか、という問題である。
イタリアのテロ組織「赤い旅団」(Red Brigades) によるアルド・モロ元首相の誘拐
暗殺事件を例に考えてみよう2 。1978 年 3 月、キリスト教民主党総裁のモロ元首相が
赤い旅団によって誘拐され、犯人の要求は拘留中の同志の釈放であった。政府はこの
要求を拒み、元首相は約 2 ヶ月後に射殺死体で発見される。この事件の標的は、誰で
も良かったはずがない。それなりの政治的重要性を持つ人物として、赤い旅団はわざ
わざ元首相を標的にしたのである。テロリストが無差別攻撃という戦術を採用するの
は、それが目的達成に有効である場合に限られる。それゆえ、目的との関連で、標的
が限定される事例もある。政治的暗殺、反中絶テロの場合が、これに該当する。なお、
テロの標的に関して次の区別が必要である、との指摘もある。すなわち、(1) 暴力の標
的、(2) 恐怖の標的、(3) 要求 (demand) の標的、(4) 注意 (attention) の標的、以上四つの
区別である (Thackrah 1987 pp. 247-250)3 。言いかえると、テロリズムには、(1)A を攻
2 赤い旅団、モロ元首相の誘拐暗殺事件に関しては、加藤
(2002) pp.89-92、ラカー (2002) pp.44-47 を参照。
and Elfstrom (1986) p.221 にもある。ここでは、直接攻撃を受ける犠牲者、犠
牲を目撃し恐怖する人々、この恐怖から何らかの危害を被る市民や公務員、テロリストに直接的に脅かされ
てはいないが彼らの力の影響を受ける人々、が区別されている。
3 同趣旨の指摘は、Fotion
114
撃することによって、(2)B に恐怖を与え、(3)C に何らかの要求をつきつけ、(4)D の態
度にも影響を及ぼす、という複雑な構造が見出される。テロリズムのこの複雑な構造
を捉えた定義は可能であろうか。
Becker 編集の Encyclopedia of Ethics のテロリズムの項目を執筆した Coady は、次の
ような包括的定義を試みる。テロリズムの定義は次の性質のいずれかを含むか、また
はそれらを組み合わせたものになる。その性質とは、(1)「意図または達成されたもの
としての極端な恐怖が持つ影響力」
、(2)「国家に対する攻撃」
、(3) 主義主張の宣伝など
といった「暴力行使の戦略的な狙い」
、(4)「テロリストの暴力の無作為 (random) また
は無差別な性質」
、(5)「暴力の標的の性質」
、(6)「暴力行使の秘密性」
、である (Becker
1992 pp.1242-1243)。
Coady 自身は、論文「テロリズムの道徳性」(Coady 1985) において、独自の定義を与
えている。それによると、テロ活動とは、
「組織化された集団によって通常遂行される
政治的活動であり、非戦闘員 (non-combatant) の意図的な殺害または深刻な危害、また
はそれら [=殺害や危害] の脅威、非戦闘員の財産への深刻な意図的侵害、またはその
[=侵害の] 脅威を含む」(ibid, p.52 [] 内補足引用者)。テロリズムとは、このような「テ
ロ活動に関与する戦略または方針」(loc. cit.)、に他ならない。この定義の問題点の一
つは、「非戦闘員」概念の曖昧さである4 。Coady 自身もこのことを理解しており、あ
る人物が非戦闘員とは見なされず、我々の攻撃の正当な対象となるのは、
「我々または
他者に対する攻撃活動に従事しているか、または甚大な不正義の遂行を含んだ同種の
計画に従事している」場合である、と述べている。しかし、非戦闘員の概念を明確化
するために、
「不正義」という道徳的概念を持ち出すのは得策ではなかろう。
すでに見たように、テロリズムの概念を明確にかつ道徳的概念を用いずに定義する
ことは、非常に難しいのである。最後に、語源学的な考察から定義を試みた Teichman
の論文「テロリズムの定義の仕方」(Teichman 1989) を検討しておこう。
Oxford English Dictionary には、(1)「1789 年から 1794 年までの間、フランスの権力
を掌握していた党派によって実行された恐怖による統治」
、(2) 「一般的に、その適用対
象者に恐怖を引き起こすことを意図した政策」
、という定義が掲載されており、テロリ
ズムの最初の用例としてエドモンド・バークからの引用がある。国家テロリズムを強
調する Chomsky や Laqueur 5 の議論は、OED の定義 (1) に沿ったものだといえる。こ
れとは対照的なテロ理解としては、国際連盟による定義 (1937 年) があるが、そこでは
テロリズムが「国家に対する犯罪行為」(criminal acts directed against a state) と見なさ
れている。
政府による暴力行為から政府に対する暴力行為へとテロリズム概念が変化したのは、
19 世紀の中頃である。当時のヨーロッパとロシアでは、テロリズムの標的は支配階層
(たとえば、ツァー、貴族、警察署長など) であった。代表的なテロ行為である政治的
暗殺は、社会変革という目的を持つとともに、支配者への復讐の側面もあった。これ
4 Coady
の議論の問題点は、Teichman(1986) pp.91-93 を参照。
は自説を根拠づけるために、しばしば Laqueur の著作に言及している。本稿では十分に活用
できなかったが、テロリズムの歴史的変遷を知るためには Laqueur(1987) が、テロリズムに関するアンソロ
ジーとして Laqeur and Alexander(1987) がそれぞれ有益である。日本語で読めるものとしては、ポスト冷戦
期のテロリズムに焦点を合わせつつ歴史的変遷を概観した、ラカー (2002) がある。
5 Teichman
115
に対して、アメリカやアイルランドにおいては、ダイナマイトという無差別兵器を利
用して多数の市民や都市全体を標的とするテロが中心であった。
それでは、20 世紀の公的機関は、このようなテロリズム概念の変化を正確に把握し
ていたのか。代表的な定義としては、1960 年代の合衆国国務省、国防省、司法省、FBI
による定義「力の非合法な行使を含んだ様々な犯罪行為」
、英国の 1974 年のテロ防止
法における定義「政治目的の暴力の行使、社会またはその何らかの部分に恐怖を引き起
こす目的の暴力の行使を含む」
、1983 年の合衆国国防省の定義「革命組織による力の行
使」
、などがある。これらの定義は、テロリズム概念の変化を捉えている反面、この概
念にもともと含まれていた国家テロリズムの側面を捉えそこなうことになる (Teichman
1989 pp.507-509)。
これまでの議論を踏まえて Teichman は、テロリズムを三つに分類し、それらの特徴
を個別に説明してゆく。すなわち、(1)「国家テロリズム」
、(2)「特別に選ばれた犠牲者
の暗殺のみからなるテロリズム」
、(3)「必ずではないが通常は、様々な方法で実行され
る暴力的で民族主義的な反乱の一種としてのモダンテロリズム」(ibid, p.509)、である。
(1) 国家テロリズムは、秘密警察などによる反対派の誘拐・暗殺、裁判なしの投獄、
宗教的・民族的少数派や特定の社会集団の大量虐殺などを特徴とする。国家テロが不
正であることや、どのような事例が国家テロに該当するかは比較的容易に理解される
だろう。残された問題は、国家による通常の法執行と国家テロの線引きである (ibid,
pp.509-510)。
(2) 暴君の殺害 (tyrannicide)、政治的暗殺を含めて、暗殺もまたテロリズムの一種で
ある。ただし、暗殺がつねに政治的理由に基づくかどうかは議論の余地がある。狂人
と思しき人物によるジョン・レノンの暗殺のように、テロリズムであるともないとも
見なしうる事例がある (ibid, p.510)。
(3) モダンテロリズムとは、国家テロリズムとの関係においては「非国家 (non-state)
テロリズム」と捉えられる現象のことである。広い定義によれば、非国家テロリズム
とは、
「様々な事例のスペクトルをなしており、[非国家テロリズムの] 狭い定義に該当
するすべての事例と、その他の事例のいくらかを含んでいる。テロリストの行為は、
政治的目的または多額の金銭目的を含めて他の社会的目的のために、個人または比較
的小規模な集団によって実行される。国内法かつ・または国際法によって普通は犯罪
行為とされるが、自然法によれば必ずしも不正ではない。無辜のまたは罪のある標的
の生命、標的ではない犠牲者の生命に対する成功または不成功の [攻撃の] 企て、戦闘
員または非戦闘員を人質にとること、無辜のまたは罪のある人々に対する拷問、など
を含む。必ずではないにせよ通常、恐怖とパニックの両方を引き起こす意図と効果を
持つものである」(ibid, p.512 [] 内補足引用者)。そして、狭い定義によれば、非国家テ
ロリズムとは、
「政治的目的または多額の金銭目的を含めて他の社会的目的のために、
個人または集団によって実行されるテロリズムのことであり、その目的は善悪いずれ
でもあるのだが、以下の方法のいずれかまたは両方で実行される。1. 無辜の人々、中
立的な人々、無作為に選ばれた人々に対する攻撃。2. 残虐行為を含む方法の利用。た
とえば、拷問、惨殺、生体または死体の四肢損壊など。これらの残虐行為は、彼らが
116
無辜であってもなくても、無作為にまたは作為的に選ばれた人々に対して行なわれる」
(ibid, p.513)。
Teichman 自身の説明によると、広い定義の利点は、テロリズムの諸側面を十分に捉
えていることである。具体的には、犠牲者の選択が必ずしも恣意的であるとは限らな
いこと、善悪いずれの目的からも実行されること、などである (ibid, p.511-512)。また、
狭い定義は、20 世紀のテロリズムが残虐性を増したことを捉えており、テロが悪い方
法で遂行されることを強調している。
さて、Teichman の議論は、これまでに見た議論よりもはるかに説得力を持つが、い
くつかの課題は残されている。たとえば、すでに見たように、国家テロに関する線引
き問題、暗殺と政治的目的との関係、などである。そうであるとしても、明確さや包
括性の点で、さらには道徳的概念を用いない定義を試みた点で、現状で望みうる最良
のものの一つと言えるのではないだろうか。 2. テロリズムには弁明の余地があるか?
テロリズムが正当化されうるか否かを検討する際にはまず、目的、実行主体、代替
手段の有無、結果などの要素のうちで、どれが道徳的評価と関わるかを明らかにして
おかねばならない。しかし、どの要素との関連でテロリズムを評価するかは、採用す
る道徳的立場によって異なる。ここでは、特定の道徳的立場からテロリズムの正当化
を試みるのではなく、テロリズムを正当化または弁明する議論の代表的なものを検討
する6 。この作業を通じて、「テロリズムは不正である」と判断する時に、我々はテロ
リズムの「不正さ」を何に見出しているのか、ということの一端を明らかにしたい。
Teichman によれば、テロリズムの正当化の議論は、五つに類型化される (ibid, pp.514517)。まず、(1)「テロリズムが必ずしも道徳的に不正ではないことを事例が示してい
る」
。この論法によれば、テロリズムが許容されるのみならず実行されるべきである状
況は存在しうる。アフガニスタンにおける反共産主義者の反乱、ヒトラーの暗殺計画
などが、正当化可能なテロリズムの実例である。この正当化の背景にある考えは、目
的が善である場合にテロリズムは正当化される、というものである。しかし、目的が
手段を正当化するならば、善い目的のために残虐なテロが実行された場合にこれを正
当化せざるをえない (ibid, p.514)。つづいて、(2)「新たな道徳によればテロリズムは不
正ではない」。この種の論法は、19 世紀後半にクロポトキンが展開したところのもの
である。国家への服従を説く「古い」道徳をテロリズムは「新たな」道徳に置き換え
ようとする、というわけである (ibid, pp.514-515)。
そして、(3) 行為の善悪は全て結果に基づく、という帰結主義からの正当化である。
しかし、仮に、その結果との関連でテロリズムの正当化を試みるとして、テロリズム
から生じてくる将来の帰結をどのようにして正確に知るか、という問題が残される。
また、(4) 特定の事例においてのみテロリズムは帰結主義的に正当化される、という議
6 個別の規範倫理の立場からテロリズムの道徳的評価を試みたものとしては、Hare(1989)、Hughes(1982)
がある。
117
論も可能である。具体的には、反植民地テロリズムなどが、その事例となる。ところ
が、こうした議論では、様々な専制政治と植民地支配との間にどのような差異があり、
なぜ植民地支配に反対するテロリズムだけが正当化されるのかが明らかではない (ibid,
p.515)。
そして最後に、(5)「テロリズムは貧者の核兵器である」
。この正当化は、次の一連の
主張から成り立つ。民族解放闘争は善であって、これは富者に対する貧者の闘争、強
者に対する弱者の闘争でもある。ここでいう富者や強者すなわち大国は、相当数の核
兵器を有しており、他国が核兵器またはそれと道徳的に等価なものを利用しない、と
するのであれば一貫性を欠くことになる。テロリズムの戦術は、相対的に安価であり、
これを利用しなければ民族解放闘争は勝利しえない。それゆえ、テロリズムは、民族
解放闘争にとって利用可能な唯一の有効な戦術である (ibid, pp.515-516)。
この五番目の正当化の問題点は、次の三つである。第一に、大国の戦時中の行動に
準拠して善い行動の基準を定めるのは誤まりである。なぜなら、冷戦中そうであった
ように道徳的制約を受けずに行動する大国を模倣するならば、小国やテロリストもま
た道徳的制約を受けないことになるからである。第二に、貧者に利用可能な戦術は、
テロリズムだけではない。たとえば、ゲリラ戦争、サボタージュ、ゼネスト、passive
resistance なども、貧者に利用可能である。それにもかかわらず、これらの戦術が検討
されない理由は、有効でないことにある。ところが、第三に、テロリズムだけが有効
な手段である、という判断は自明なものではない。たしかに、国家テロリズムの場合、
民衆に大規模な恐怖を引き起こす手段として、テロリズムは有効である。ただし、国
家テロリズムや恐怖による民衆支配には、正当化の余地がないことも明らかであろう。
非国家テロリズムの場合、過激な活動で知られる IRA が十分な成果を挙げていないこ
とからも、テロリズムは有効ではないと思われる。また、あまりにも残虐なテロ行為
は、テロリズムの理解者を批判者に変えてしまう。もちろん、テロリストの目的によっ
ては、戦闘員という hard な標的ではなく非戦闘員という soft な標的をわざわざ攻撃す
る方が、有効な場合もあるだろう。しかし、テロリズムは有効性の観点からのみ正当化
されるのではない。soft な標的を攻撃することが、正当化可能な目的 (たとえば自衛、
専制からの解放) を達成する唯一の有効な手段である、とアプリオリに想定する理由は
ない (ibid, pp.516-517)。
ここで、最後の方に登場した「non-combatant/combatant」および「soft/hard」という
標的の区別は重要である。関連する区別としては、
「innocent/guilty」
、
「civilian/military」
などが挙げられるだろう。もちろん、
「誰が無辜 (あるいは非戦闘員) であるか?」とい
う問題には、明確な答えを容易に与えることはできない。しかしながら、我々がテロ
リズムを非難する大きな理由の一つは、無辜の市民が標的とされていることにあると
思われる。いかなる場合でも無辜の人々は保護されるべきである、という我々の直観
に沿うかたちで、テロリズムを批判していくのが、次に検討するウォルツァーである。
ウォルツァーは『正戦と不正戦』(Walzer 1992)7 において、戦争を道徳的評価の埒外
におくリアリズムと、暴力の他には手段がない過酷な状況も存在しうる事実に目をそ
7 同書の初版は 1977 年に刊行されたが、本稿では湾岸戦争後に新たな序文が付け加えられた 1992 年の
第 2 版を利用した。
118
むけがちな平和主義の両方に批判の矛先を向ける。『正戦と不正戦』の特色は、数多く
の歴史的事例の考察を通じて、戦争が正当化される極限的な状況を明らかにしてゆく
ところにある。その際にウォルツァーは、とりわけ革命期の暴力行為として現れるテ
ロリズムの問題を念頭において叙述を進める。まず、テロリズムの特徴は、無作為性
(randomness) にある。相手方の士気を低下させるためにも、特定の人を攻撃するより
もむしろ、相手方に属するという単にそれだけの理由で、無辜の人々を含めて全員を
攻撃対象にしてしまう。このことに、テロリズムの本質がある (Walzer 1992 p.197)。
しかし、革命期のテロ行為従事者にも関わる名誉の規則 (code of honor) とでも呼ばれ
るべき規範の存在を無視してはならない。この規範の内実を示すためにウォルツァー
は、三つの歴史的事例を挙げる (ibid, pp.198-199)。
(1) カミュの戯曲『正義の暗殺者 (The Just Assassins)』にも描き出されたロシアの暗
殺者の事例。20 世紀初頭にロシアの革命派の数名が、セルゲイ公を乗物ごと爆殺する
計画を立てた。予定日に実行犯は、いつもの移動経路の途中で待ち構えていた。乗物
が近づいてくると、セルゲイ公は膝の上に子供を 2 人乗せている。子供の姿を見たこ
とで「実行犯」は爆弾を投げ込むのを躊躇したあげく、最終的に暗殺を断念し、別の
機会をうかがうことにする。いみじくもカミュが劇中の登場人物に言わせているよう
に、
「破壊の時でさえも、正しいやり方と不正なやり方とがある。つまり、制限がある
のだ。
」
(2)IRA のテロリストの事例。1938-1939 年にかけて IRA は爆弾テロをたびたび実行
した。ある時、コヴェントリ駅に時限爆弾を設置するために自転車で移動中のテロリ
ストが、爆弾入りの鞄を通りで紛失する。爆発の時が迫り、パニックに陥ったテロリス
トは自転車から降りて逃亡してしまう。爆発によって 5 人の通行人が死亡する。IRA
による一連の爆弾テロ計画は、無辜の通りすがりの人々を巻き添えにしないよう綿密
に練り上げられたものであったため、IRA のメンバーの誰一人として、この爆発を自
分たちの勝利とは見なさなかった。
(3) 右翼シオニストの事例。1944 年カイロでイギリス貴族が右翼シオニズム集団に
属するテロリスト 2 人によって暗殺される。エジプト人警察官が、逃亡中の 2 人の暗
殺者を追跡する。暗殺者のうちの 1 人が述懐するところでは、この警察官を射殺する
こともできたが、あえてそうしなかったために 2 人とも捕まってしまった。
ウォルツァーが重要視するのは、これら三つの事例ではテロリスト自身が「殺され
てもよい人物」と「殺されてはならない人物」とを道徳的に区別したことである。ウォ
ルツァーのいう「殺されてもよい人」とは、「公務員 (officials)、体制の政治的な代理
人」であり、殺されてはならないのはそれ以外の普通の市民ということになる (ibid,
p.199)。攻撃対象の道徳的区別に徹底してこだわるウォルツァーの批判の矛先は、フ
ランツ・ファノン『地に呪われたる者 (The Wretched of the Earth)』の序文でアルジェ
リアにおける FLN のテロ活動を礼賛したサルトルに向けられる。サルトルによれば、
「ヨーロッパ人を射殺することは、二羽の鳥を一つの石で殺害することであり、抑圧者
と彼が抑圧している人物とを同時に倒すことなのだ。そこには、死んだ人間と自由な
人間とがいる」
。これに対してウォルツァーは、ヨーロッパ人の殺害とアルジェリア人
119
の解放とはどのような必然的関係にあるのか、仮に前者の殺害が後者の解放をもたら
すとして殺害されるのはヨーロッパ人ならば子供でも誰でもよいのかと問うことでサ
ルトルの表現の無責任さを指弾する。ウォルツァーの理解では、無辜の人間を暴力の
標的にしない態度、すなわち抑制 (restraint) や自制 (self-control) こそが、サルトルの擁
護するような抑圧との闘争の印となるはずである。そして、このような態度は、単に
無辜の人々を救うのみならず、他ならぬ闘争参加者を無辜の人々の殺害という悪事に
荷担することから救ってもいるのである (ibid, pp.204-206)。
さらに、ウォルツァーは論文「テロリズム:弁明の批判」(Walzer 1988) の中では『正
戦と不正戦』の論旨を維持しつつ、無辜の人々に対する大規模かつ無差別な攻撃であ
るテロリズムは断じて擁護しえないことをいっそう力強く主張する。ウォルツァーに
よれば、テロリズムの弁明は以下の四つに類型化されるが、それらのいずれもが説得
力を持たない。
(1) テロリズムは、すべてが失敗した時にのみ選択される最後の手段 (last resort) で
ある。仮にこの弁明が成り立つとして、すべての選択肢を一度だけ試せば良いという
わけではない。なぜなら、政治には反復がつきものであり、同じ手段を何度も繰り返
すことで変化が生じうるからである。ところが、最後の手段としてのテロリズムを擁
護する人々にとって、この「最後」とはイデオロギー的な「最後」にすぎない。つま
り、テロリズムが文字通り一連の政治的選択肢の中で最後に位置づけられることはな
いのである (ibid, p.239)。
(2) テロリズムを除いて利用可能な戦略はない。これは、(とりわけ大国に対する) 民
族解放闘争の弁明に用いられる。解放闘争の戦略家たちが、利用可能な手段の検討の
結果、テロリズムの他には手段がない、と判断するとしよう。この時に彼らは、自分
たちには他の手段を試みるだけの政治的な力強さが欠けている、と判断したのである。
この弱さが、言い訳に利用されるに過ぎない。ここでいう弱さとは、第一には敵国と
の関係における弱さであり、第二には民衆との関係における弱さのことである。解放
闘争が民衆の支持を獲得するならば、テロリズムのほかの戦略も十分に可能なはずで
ある (ibid, pp.239-240)。
(3) テロリズムは役立つ (work)、という帰結主義的な弁明である。この弁明は、手を
汚しているというテロリストの自覚とともになされる。しかし、テロリズムが実際に
民族解放を実現したことがあるだろうか。この帰結主義的な弁明は、より不正の少な
い他のいかなる手段によっても、望ましい目的は達成されえない、という条件に依存
する。ところが、こうした条件が成り立たないことは、すでに弁明 (1) および (2) を検
討した際に確認した通りである (ibid, p.240)。
(4) テロリズムは普遍的 (universal) 手段である。この弁明のポイントは、政治的生活
をホッブズ流の自然状態との関連で描写するところにある。つまり、恐怖によって人
を動かす点では、テロリズムと政治とは同一である。しかし、これは政治に関するあ
まりにも冷笑的 (cynicism) な態度ではないだろうか。正当な国家には、体制を維持す
るために市民に恐怖を引き起こす必要はないのである。この弁明は、しばしば制限さ
れたかたちで、
「政治的規則一般というよりもむしろ圧制 (oppression) は、つねにテロ
120
リスト的な性格を帯びており、我々は圧制の反対者を弁明しなければならない」と主
張されることもある。ところが、この制限されたかたちの弁明も説得力を欠いている。
なぜなら、この弁明は圧制には新たなる圧制で応じよ、と述べるに過ぎないからであ
る。たしかに、抑圧者のテロリズムと、非抑圧者のテロリズムとの区別をせよ、とい
われることもあるが、これらのテロリズムはいずれも人格性や人間性を否定する行動
という点において何ら差異はない (ibid, pp.240-241)。
このようにウォルツァーはテロリズムを手厳しく批判するのだが8 、その議論には
一つの問題点がある。Fullinwider は、イタリアのモロ元首相誘拐暗殺事件と、ミュン
ヘン・オリンピックの際のイスラエル人選手射殺事件 (1972 年) を引き合いに出して、
ウォルツァーの主張の要をなす「無辜」の概念の解釈をめぐる普遍主義 (universalism)
者とテロリストの齟齬を指摘する。元首相の事例では、元首相が法的意味において無
辜であったことは明らかである。ところが、テロリストの理屈はおそらくこうなので
ある。元首相はイタリアの「犯罪」に対して因果的または道徳的責任を負わず、この犯
罪の従犯でもなければ共犯でもないという意味においても無罪であったのか?イタリ
ア国家は抑圧的で不正なシステムに象徴される犯罪的な体制であり、元首相ほど、こ
の体制の中心部分に位置する人物はいない。したがって、元首相が無辜であるとそう
簡単には断言しえないのである。つぎに、パレスチナ人テロリストによるイスラエル
人選手射殺事件を考えてみよう。テロリストの観点からすると、オリンピック選手も
無辜ではありえない。オリンピック選手は、国際的な舞台において自発的に周知の上
で (willing and knowing) 自国を代表しているから、テロの正当な標的になる、という
理屈である (Fullinwider 1988 pp.254-255)。
無辜の概念の解釈をめぐる齟齬は、基本的な立場の相違から生じる。ウォルツァー
のテロ批判の背景には、普遍的人権の概念がある。すなわち、すべての個人が人間と
しての不可侵性と尊厳を有しており、我々の道徳的関心となる権利を彼または彼女の
歴史的・社会的環境からは独立に持っている、という考えである。無辜の人間の攻撃
からの免除は、この基本的人権の一部なのである。このような道徳的個人主義および
普遍主義に真っ向から対立する見解もある。その見解によれば、ある人物の価値は彼
または彼女の階級や集団の中につくされている (exhausted)。つまり、集団や階級を超
えて成り立つ「人間性」などは存在しないことになる。この見解にぴったりと合致す
るものは見当たらないが、ある種の形態のマルクス主義や宗教道徳などは、これと類
似した見解を有するのではないかと思われる (ibid, p.255)。我々とテロリストの間に共
通の道徳的基盤を見出しえない場合にいかなる批判が可能かという問題を立てること
により、Fullinwider はウォルツァー流の人道主義的な立場の直面する難点を明らかに
したと言えるだろう。
8 もちろんウォルツァーはテロリズムを単に批判するだけでなく、あるべき対応についても論じており、
その際には力の応酬、暴力の連鎖を断ち切ることの意義を繰り返し強調する (Walzer 1988 pp.242-245)。ウォ
ルツァー流のテロリズム批判の意義に関しては、稿を改めて論じることにしたい。
121
おわりに
以上いささか不十分ではあるがテロリズムの概念的な考察を試みてきた。最後に、
これまでの議論をふまえて、筆者なりの見解を述べておきたい。
テロリズムの定義にまつわる困難は、今後取り組むべき最大の課題である。たとえ
ば、独裁者の暗殺のように正当化しうる事例があるから、やはり「不正」
、
「非合法」な
どの評価的な用語を含まないかたちでテロリズムを定義し、その上で道徳的評価を行
なう必要があるだろう。もちろんテロリズムの道徳的評価と一口に言っても、実際に
はさほど容易ではない。この評価に際しては、
「目的は手段を正当化するか?」
、
「人命
とその他の価値とのトレード・オフを認めるか?」
、
「いかなる主体が、どのような基準
を用いて、国家テロを認定するか?」などという問題が次々に浮上するであろう。倫
理学理論はこれらの問題の検討を通じて、テロリズムが不正である根拠を明確にする
ことにより、テロリズムと対テロ戦争をめぐる議論に一定の貢献をなしうるのではな
いだろうか。
参考文献
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122
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Wells, D. A. ed., (1996) An Encyclopedia of War and Ethics, London: Greenwood Press
123
なぜ社会哲学を共同研究するのか ――ホルクハイマーから
ハーバーマスに向かって考える
藤野 寛 (高崎経済大学)
フランクフルト学派の批判的社会理論に対しては、
「所詮、社会学にすぎない」とい
う、社会学からすれば随分失礼な片付け方が、戦後も長らく流通していたという。
「社
会哲学」というのは、久しく世間の認知を受けることの少ない日陰の身であったよう
だ。同じく日陰の身だった倫理学は、昨今、華々しく日向に進出しつつあるわけだが、
そのめでたさのお裾分けに、ついに「社会哲学」も与ることになるのかという期待を
抱かせるものが、今回の共同研究にはある。
しかし、その一方で、
「社会哲学」はおろか、そもそも「哲学」そのものについてす
ら、その身分に関して安閑とはしていられないという思いが拭いきれない。一貫して
「哲学のアイデンティティの危機」という認識にたって思索を展開しているシュネーデ
ルバッハ1 のような人に深く共感しながら哲学と関わり続けている者にとっては、
「社
会哲学」が安定した存在を享受しうるとは、にわかには信じられない。それだけでは
ない。例えば「哲学的センス」などという言葉を振りかざしてそれを欠く同業者を揶
揄・罵倒するというような身振りを取り続ける人たち2 には ―― どこかで快哉を叫び
たい気持ちもないではないが ―― 何か別世界に生きているかのようにすら感じられ
る。
「哲学」そのものへの自信には、微動だにしないようではないか。哲学というのは
何か特権的センスのようなものを必要とする営みである、と考える人達にとって、
「哲
学の共同研究」などというプロジェクトは、嘲笑の対象でしかないのではないか。
考えてみれば、しかし、実証科学の隆盛という趨勢に直面して、自らの身分が脅かさ
れているという感覚を抱くのは、哲学研究者なら誰もが経験していることだろう。い
わゆる「科学論 (Wissenschaftstheorie) 」が哲学として行われる場合には、常にそうい
う問題意識が背景にあるはずだ。
「なぜ、社会哲学を共同研究するのか」というテーマについて考えてみようと思い
立った当初、私の頭にはホルクハイマーしかなかったが、その後「科学論としての社
会哲学」ということであれば、その課題に持続的に取り組んでいるのは、むしろハー
バーマスではないかと思い至った ―― その場合、
「科学論」という言葉は「科学批判」
と言い換えた方が、より正確になるだろうが。70 年代にハーバーマスが所長を務めた
マックス・プランク研究所の正式名称が、「科学技術の世界における生の条件の研究」
を謳っている事実は、そのことを象徴的に物語っている。「科学批判としての社会哲
学」を推し進める上で、共同研究の可能性についてハーバーマスがどう考えていたの
かという問いは、興味をそそられるという以上のものがある。
1 代表的には
Herbert Schnädelbach, Philosophie in Deutschland 1831-1933, Frankfurt am Main 1983.
哲学の木』講談社 2002 年、732 頁。
2 例えば、
『事典
124
【1】マックス・ホルクハイマー
(1)1931 年、フランクフルト大学社会研究所の所長ポストへの就任講演「社会哲
学の現状と社会研究所の課題」を始めとして、1930 年代に発表された諸論考の中で、
マックス・ホルクハイマーは、その学問の構想を矢継ぎ早に公にしていったのだが、そ
こでのポイントは、強引に言えば、次の二点に要約できる。第一点は、
「哲学は社会哲
学にならねばならない」という主張であり、第二点は、
「社会哲学は共同研究として遂
行される必要がある」という主張である。
ホルクハイマーは、カント哲学からヘーゲル哲学への展開の中で起こったことを手
掛かりに、第一の論点の説明を試みる。カント哲学は、彼が考える社会哲学ではない。
というのも、なるほど、カントも社会について語ってはいるけれども、すべては「自
律した主体としての個人」から発想されており、社会といっても、それは自律個人の
加算されたものにすぎない。あたかも、自律した個人が寄り集まり協力し合いさえす
れば、自ずから、望ましい共同の生、あるべき社会が出来上がる、とでも言わんばか
りに。カント哲学には「包括的で、個々の人格を越えた全体に属し、社会的全体性に
即してしか見出されえないような存在構造 ―― それにわれわれは服さずにはすまない
だろうが ―― は、存在しない」(gLS 21) 3 のである。
社会が社会であるのは、それが要素としての自律個人には還元されえないような側
面を含むからこそである。例えば、もし社会の活力が、
「協力」ではなく「競争(その
意味での「闘争」
)
」の中から汲まれるしかないとすれば、そこに「敗者」が生まれるこ
とは不可避である。その社会を、にもかかわらず「自律した個々人の協力からなる理
性的な社会」として描き出す青写真には無理がある。
「狡猾な理性」などという、
「超
個人的な」何物かを持ち出してこざるをえなくなるのだ。
社会を一つの単位として捉える見方が要請される。それは、関係のネットワークで
あるから、これを「物」として捉えるならば「物象化」の批判を免れないだろうが、だ
からといって、
「社会の実体は関係項としての個人だ」と、個人主義を採ることも間違
いだろう。社会も個人もともに実体視しないような理論が必要とされるのだ。
自律個人の総和・協働ということには尽きない面 ―― それを「システム」とみるか、
3 ホルクハイマー、ハーバーマスの著作は以下の略号で表す。引用箇所の直後に頁数を示した。ホルクハ
イマーからの引用はすべて、フィッシャー社刊の全集版による。
gLS: Max Horkheimer, Die gegenwärtige Lage der Sozialphilosophie und die Aufgabe eines Instituts für Sozialforschung.
TkT: Max Horkheimer, Traditionelle und kritische Theorie.
GuP: Max Horkheimer, Geschichte und Psychologie.
BWK: Max Horkheimer, Bemerkungen über Wissenschaft und Krise.
DdA: Max Horkheimer / Theoder Adorno, Dialektik der Aufklärung.
WnP: Jürgen Habermas, Wozu noch Philodsophie?, in: Philosophisch-politische Profile, Franfurt am Main 1987.
TWI: Jürgen Habermas, Technik und Wissenschaft als〈Ideologie 〉, in: Technik und Wissenschaft als〈Ideologie〉
, Frankfurt am Main 1969.
TkH: Jürgen Habermas, Theorie des kommunikativen Handelns. Zweiter Band, Frankfurt am Main 1987.
TuP: Jürgen Habermas, Theorie und Praxis, Frankfurt am Main 1972.
EuI: Jürgen Habermas, Erkenntnis und Interesse, Frankfurt am Main 1973.
FSN: Jürgen Habermas, Die Frankfurter Schule in New York, in: Philosophisch-politische Profile, Frankfurt am
Main 1987.
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「コミュニケーション」あるいは「闘争」とみるかについては諸説あろうが ―― が示
される時、そこに社会はある。すべての問題が、
「自己決定」だの「自己責任」だのと
言っていればすむのであれば、社会哲学は必要ない。
つまり、社会哲学は「個人の自律」という理念との緊張関係の内にある。
「社会的な
るもの」の内に実質的な何かを認めつつ、しかし、
「個人の自律」の理念をも容易には
手放さないという緊張関係である。だから、もし「社会的なるもの」を、単に「個人の
自律」を脅かす脅威として否定的にしか捉えないのであれば、それは「社会哲学」の
名に値しないことになろう。後に、ホルクハイマーとアドルノは、全体主義の経験を
経て、
「管理社会 vs 自律個人」という理論構成に傾斜してゆき、
「非真なる全体」とし
ての社会の中でなお個人の自律を擁護するという課題に重心を移動させてゆくのだが、
それに対して、「社会的なるものの排除・抑圧」が指摘され批判を受ける4 、という皮
肉な事態が出来することになるのである。
哲学とは、単なる対象認識ではなく、その対象認識も含めた自らの認識活動総体へ
の反省的「自己」認識の営みであろう。問題は、そこでの「自己」なるものの正体で
ある。
「社会」を自律個人の総和として捉えることができないとすれば、そのことは個
人のあり方にも跳ね返ってくる。つまり、個人は独立自存のアトムのようなものでは
ありえず、社会の側からの規定を被ることを免れえない。ホルクハイマーは言う。
「精神は自由を愛する。それはいかなる外的強制にも耐えられない。何ら
かの力の意志に自らの経験を順応させることには耐えられないのだ。とは
いえ、精神は、社会の生から切り離されているわけではない。社会の上空
に漂っているわけではない。」(TkT 197)
「意識は自律している」のではない。かといって「意識は(社会的)存在によって
決定されている」のでもない。
「意識は社会によって媒介されている」と、ホルクハイ
マーは慎重に表現するだろう。社会は個人に対して構成的である。つまり、社会が個
人から構成されているのと同様に、個人も社会をその本質構成成分としている。そこ
には、相互関係が成立している。それ故、人間の反省的「自己」認識の営みといって
も、それは、個人の内省としては遂行されえず、
「社会の自己省察」にならずにはすま
ない。
こうして、
「哲学が社会哲学にならねばならない」とホルクハイマーが言う時、それ
は、
「社会」という対象を哲学が新たに手に入れることを意味するのではない。まして
や、社会の中に何か問題が見出されると、哲学者を名乗る者が現れてその任意の問題
について主題的に論じる ―― 例えば、
「家庭」が荒廃すれば「家庭を哲学」し、戦争
が起これば「戦争を哲学する」という風に ―― すると「社会哲学」になる、というわ
けではない。ホルクハイマーは ―― なるほど、文化産業や反ユダヤ主義、権威主義的
人格といった個別の「社会的」テーマについての共同研究を組織しているのではある
が ―― 「社会についても哲学しよう」と呼びかけているのではないのである。
(2)個人と社会の「弁証法」的な媒介関係は、ひとつのヴァリエーションを、科学
4 Axel
Honneth, Kritik der Macht, Frankfurt am Main 1986.
126
論のレベルで、
「理論と実践」の関係の内に見出すことができる。哲学者が行う理論的
活動は、全体としての世界を、距離をおいて ―― あたかも、自らは世界の外側に位置
取りしえるかのように ―― 「対象」として観照するという営みでは決してない。理論
的活動自体が、社会的実践の全体の中にしっかりと組み込まれ、その一翼を担ってい
る。したがって、自由で中立的なポジションを享受できるものではなく、既に、自ら
の置かれた位置に由来する一定の価値観や「
(利害)関心」によって免れがたく規定さ
れている。その点を自覚した上で認識活動を実践するのが「批判的理論」であり、そ
のことに無自覚であったり、その点を隠蔽するという自己欺瞞を犯している「伝統的
理論」から自らを区別しようとするのが、有名な「伝統的理論と批判的理論」という
論文の中でホルクハイマーが張った論陣だった。
こうして、批判理論がなす反省的自己認識は、自らもその一部をなす実践の全体に
向けられた認識との関係抜きには成り立ちえない営みである。実践連関の全体に関わ
る認識とは、つまりは、もろもろの実証科学に他ならないから、哲学は、実証諸科学
との共同の関係の内に入らなければならない、ということになるのである。
(3)では、ホルクハイマーは、社会哲学は「どのように」共同研究として遂行され
る必要があると考えたのか。彼は、哲学と実証科学との共同研究において、両者の間
に位階秩序を認めない。哲学が実証科学の成果を「活用する」というような関係には
決してとどまらない。そこにあるのは、
「哲学的な理論と個別科学的な実践とが持続的
かつ弁証法的に浸透し合いながら発展してゆく」(gLS 29) 関係である。
「哲学は、普遍的なもの、「本質的なもの」に向けられた理論的意図とし
て、個別諸研究に対して魂を吹き込むような刺激を与えることができると
同時に、自分自身も、世界に向けて十分に開かれているがゆえに、具体的
研究の進展によって印象を受け取り、変容を被ることになる。
」(gLS 21)
「今日では、問題はむしろ次の点にかかっている。つまり、アクチュアル
な哲学的問題提起に基いて研究を組織すること。そこでは、哲学者、社会
学者、経済学者、歴史学者、心理学者が、不断の研究共同体を形造りなが
ら結合され、他の領域でなら人が実験室の中で一人でなしうるだろうこと
に共同で取り組んでいる。それは、本物の研究者なら誰しも常にやってき
たことであって、つまり、重大な事実を目標とする哲学的な問いを、もっ
とも繊細な学問的方法を駆使して追求すること、しかも、対象との仕事が
進展する経過で、その問いを変形し、より厳密化し、新たな方法を考え出
し、にもかかわらず、普遍的なものを決して視野から見失わないことであ
る。
」(gLS 29f.)
所長就任当時のホルクハイマーは「社会哲学」よりはむしろ「社会研究 ―― 哲学的
に方向づけられた」(gLS 35) という言い方を好んだ。形而上学的志向の強い従来の哲
学の尊大さに対する違和感と自戒の念の深さを物語っている。一方に、
「経験軽視の思
弁哲学」があり、他方に「経験に固着したままの実証科学」があって、その両者に対
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する批判的スタンスを維持しながら、そのはざまに位置取りし、両者を橋渡ししてゆ
くというのが、これ以降も「批判理論」の一貫した姿勢となるわけだが、30 年代の時
点では、ホルクハイマーの主張の力点は、形而上学との間の境界線引き、及び経験的
実証科学との協働の側により大きく置かれていたと見るべきだろう。
「もはや、従来の
ような哲学ではない」という点の強調である。
けれども、今日の視点から見れば、形而上学批判の方は抵抗感なしに受け入れるこ
とができるのに対して、むしろ、実証主義批判に関して、それはどのようにして可能な
のかとの疑問が浮かばずにはすまない。ホルクハイマーは、依然として、安んじて哲
学者でありすぎていたのではないか。哲学の役割に対する信頼において揺るぎなかっ
たからこそ、彼は、安心して実証科学との協働へと、言わば「譲歩」の歩みを踏み出
すことができたのではないか。哲学者として自らが実証主義の中に解消され存在理由
を失うことへの不安など、彼は感じなかったのか。
では、ホルクハイマーによって「哲学」に認められた役割とは、いかなるものだった
のか。ヒントは「歴史と心理学」という論考の内に与えられている。この論考は、
「社
会科学の現状に呼応する歴史理論の枠の中で、心理学に帰せられる役割の特徴を描き
出すこと」(GuP 48) をめざす。ここからも見てとれるように、「哲学」とは結局のと
ころ、歴史哲学だった。より具体的には、マルクスに発する唯物論的歴史理論だった。
大枠として与えられたこの歴史理論の枠内で細部を埋めてゆく役割が、心理学を始め
とする実証科学に認められたのだ。心理学は「歴史の補助学」(GuP 59) と位置づけら
れる。しかし、
「補助学」という位置づけは、別の箇所でホルクハイマー自身が否定し
ている「哲学の婢」(gLS 3 1) としての実証科学という位置づけと、どの点で区別され
るのか。
「弁証法的関係」というからには、互いに対して否定的に働きつつそのことが
結果としてプラスにつながる、という風な相互関係になければならないはずだ。しか
し、ホルクハイマーは、
「哲学」が「実証科学」の側から否定されるということを、そ
もそも許したのだろうか。
ホルクハイマーグループの「共同研究」に対しては、
「所長の独裁」という激しい言
葉が投げかけられることがある。それは、人格上の関係についてだけでなく、担当学
科間の関係にも当てはまる指摘だったのかもしれない。具体的には、批判理論の共同
研究の中で「哲学」を担当していたのは、ホルクハイマーその人だった。それに対し
て、フロムは心理学を、ポロックは国家経済学を、アドルノは文化理論、より特定し
て音楽社会学を担当した。哲学は、ほとんどホルクハイマーの専権事項だったのであ
り、このグループ内部での人間関係におけるホルクハイマーの特権的地位には、共同
研究内部で哲学に与えられた地位が対応していたかのように見える。哲学と実証科学
との間の「弁証法的相互浸透」は起こってはいなかったということだ。
ただし、批判理論の共同研究の内部で哲学に帰せられた役割に関しては、
「歴史理論」
としてのそれと並んで、もう一点、確認されるべき点がある。それは、共同研究の組
織化のために諸学の配置を確定する、という仕事だった。どういう研究テーマが選ば
れるべきか、に始まり、そのためにはどの実証科学が動因され、それぞれどのような
役割を担うべきかといった点が、解明されなければならない。共同研究の基礎付けの
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ための科学論という役割を、哲学は引き受けなければならなかったのである。
(4)その後、ホルクハイマーの思考に起こったことは、失望と諦念の深まりだった。
3 0 年代後半から 40 年代にかけての政治的経験が、彼の絶望を深めていく。その歴史
哲学は否定的・悲観的なものへと変容していった。その原因の一つが、変革・抵抗の主
体となることが期待された労働者階級が、順応という行動しか採らなかった点、つま
り、批判理論の受け取り手であるべき実践の主体がどこにも見出せなくなってしまっ
た点にあることについては、既に指摘されている。
しかし、それだけではない。彼の諦念は、学問論的動機によって動かされるもので
もあった。ハーバーマスは、この消息を次のように要約している。
「30 年代の研究プログラムは、市民文化がはらむ理性のポテンシャル ――
それは、生産力の発展という圧力を受け、社会運動の中で解き放たれるは
ずだった ―― への歴史哲学的な信頼とともに、立ちもすれば転びもする
ものだった。
」 (TkH 560)
市民文化の中核をなすものの一つが、科学であることは否定できまい。歴史観の変
貌の過程は、実証科学に対する信頼の喪失の過程でもあった。その点を印象的に証言
しているのが『啓蒙の弁証法』の序文である。
「たしかにわれわれは、近代科学の営みの内では、偉大な発明は、理論的
教養のいや増す崩壊という代価を払って贖われる、ということに何年も前
から気づいていた。しかしそれでもわれわれの仕事が、専門科学の学説の
批判や推進という枠を超えないかぎりでは、まだこの作業に従事しても差
し支えない、と信じていたのである。われわれの仕事は、少なくともテー
マの上では、伝統的諸学科、つまり社会学、心理学、認識論、を拠り所と
するはずだった。しかし、ここにこういう形でまとめられた諸断片は、わ
れわれがそういう信頼を捨てなければならなかったことを示している。と
りわけ学問の伝統が、実証主義を奉じる清掃業者の手によって無用のガラ
クタとして忘却に引き渡される所では、学問的伝統を注意深く育成し吟味
することが、認識に欠くことのできない一契機をなすこともあろう。だが
それにしては、市民的文明の崩壊という現代の状況においては、単に学問
に従事することばかりでなく、学問そのものの意義が疑わしいものになっ
てしまっている。」(DdA 16)
同書に添えられた「手記と草案」の内、
「哲学と分業」と題された断片の中では、次
のように言われている。
「哲学の特徴をなすのは (...) 就中、思想であり、支配的分業に降伏するこ
となく、そこから自分の課題を指定されることを潔しとしない思想である。
現存の秩序は、物理的強制や物質的利害だけでなく、人に暗示をかける圧
倒的な力によって人間を脅かす。哲学は、諸学科の総合ではないし、科学
129
の基礎でも屋根でもない。哲学とは、暗示に抵抗しようとする努力であり、
知的かつ現実的な自由をめざす決断である。
」(DdA 274)
これを読むと、
「分業」に対して ―― それを現代社会の原罪のごときものと見なす
ほどにも ―― 否定的であったホルクハイマーとアドルノが、そもそも「共同研究」と
いう形での学問的「分業」にコミットしたこと自体が、自家撞着にも等しい誤りだった
のではないかという感想すら浮かぶ。共同研究という仕方で分業の一翼を担うことに
なったとしても、分業の「単なる一翼」となることは、つまり「単なる一専門学科」に
収まってしまうことは潔しとしない意気のようなものが、哲学にはあるのではないか。
いずれにせよ、哲学にとって、実証科学は、共同研究を共にすすめる相棒ではもはや
ない。共同研究の相棒を失って、否定的な歴史哲学は、ひとり孤塁を守るかの観を呈
する。かといって、学の総合という壮大な構想が維持できるはずもなく、いまや「決
断」などという主観主義的実存哲学的な言葉を頼りにして、哲学の「孤高の位置」が
描き出されるにすぎないのである。
もちろん、われわれは、これらの言葉が記された当時の状況を思い浮かべるのでな
ければ、著者たちに対してフェアではないだろう。こういう「哲学/科学」観が、ナ
チズム以降に、あらためて、どのように再修正された(されなかった)か、と問う必
要はある。
それだけではない。何故、そうなってしまったのか、と問う時に、単に、その理由
を客観情勢の変化の内に求めるだけでは、それも不十分だろう。むしろ、ホルクハイ
マーの学問のコンセプトそのものがもともと問題を孕んでいたのではないか ―― そう
問うことこそ、それに続くハーバーマスの世代が引き受けねばならない課題となった
ものだ。
(5)
『啓蒙の弁証法』の否定的な歴史哲学を、それが入り込んだとされる袋小路から
救い出すために、アドルノ/ホルクハイマーの思考に潜む還元主義をえぐりだし批判
するという試みが、ヴェルマーによってなされている。マルクス以来の「生産力と生産
関係」というカテゴリーセットに注目し、ホルクハイマーが、その弁証法的な関係に定
位するのではなく、
「生産力」への還元主義に陥っている、という指摘である(ヴェル
マーによれば、この還元主義はマルクス本人にまで遡ることができる、と言われる)
。
「伝統的理論と批判的理論」の中で、ホルクハイマーは、例えば、次のように言う。
「批判理論が人間の活動の目標として歴史の分析から引き出す観点、とり
わけ、理性的で普遍性に見合った社会の組織という理念は、人間の労働に
内在しているものである。自然支配の精神的なそして物理的な手段を全体
として適用することは、目下支配的な状況のもとでは、それらの手段が互
いに対立し合う特殊な利害関心の手に帰せられることによって、阻まれて
いる。
」(TkT 186)
ホルクハイマーの発想の出発点には、生産力が拡大しつつあるにもかかわらず、生
産関係や分配の関係の不合理性のゆえに、それが、人類の大多数の幸福にはつながっ
130
ていない、という認識がある。だからこそ、社会の理性的な組織化という要請が生ま
れてくる。その際、特徴的なことには、社会を発展させてゆく上での起動力は、もっ
ぱら「生産力」の側に期待されるのであって、
「生産関係」の側は、なるほど、その「合
理化」が要請されるとはいえ、それは「生産力」の発達に見合う形での「合理化」に
過ぎず、それ自身の主導に基くものではない。せいぜい、
「生産力」の発達に対して妨
害的に働くことが無いように、といった程度の位置づけなのだ。根底的なのは、そし
て、理性のポテンシャルが探られるのは、明らかに「生産力」の側である。
さて、
「生産力」といえば先ず思い浮かぶのは、労働者の労働力だろう。だからこそ、
労働者階級には社会変革のための根底的な力も認められたのだ。しかし、20 世紀も中
葉ともなると、
「生産力」といえば、第一には「科学技術」をこそ思い浮かべねばなら
ない、という状況が出現していたのではないか。「オートメーション」という、今では
ほとんど死語と化した言葉を思い出すとよい。アーペルは 1970 年の論考の中で、今日
では労働者の生産力よりも科学技術という生産力の方がはるかに重要であり、そのこ
とが資本主義システムの安定化の一因となっていると指摘しているが5 、そのプロセス
はさらに以前に遡る日付けをもっていたに違いない。
ホルクハイマー自身、1932 年の論考「科学と危機についての注釈」を、
「科学は、マ
ルクスの理論の中では、人間の生産力の一つに数えられている」(BWK 40) という確認
から書き起こしている。ただし、この段階では、ホルクハイマーは「生産力としての
科学が枷をはめられている点」(BWK 46) をこそ問題にしているのであって、ここでは
それは明らかに肯定的に評価されているのだが。「生産力としての科学」に対するこの
肯定的な評価と、彼が「実証科学との共同研究」に前向きであった事実との間に相関
関係があることは、疑う余地がない。まさにその点が、
『啓蒙の弁証法』に至る過程で
―― それは、アウシュヴィッツとヒロシマが起こり、科学技術が「生産力」であるど
ころかとてつもない「破壊力」でありうる事実が明白になる過程だったが ―― 崩れ去
るのだ。
『啓蒙の弁証法』では、「生産力としての科学」は「自然支配」として否定的
に概念化され、断罪される。この点からも、実証科学との協働が考えにくいプロジェ
クトになることは、容易に理解できる。今や実証科学は、哲学に対する「補助学」で
すらありえず、むしろ批判の対象と化す。そして、歴史は、変革のポテンシャルを孕
むはずの「生産力」の担い手たる労働者も科学技術も共に失うことになり ―― そこに
「生産力への還元主義」が働く結果 ―― 全体として否定的に捉えられることになる。
先に指摘したような「実証科学と手を切った否定的歴史哲学の孤高の境地」が出来す
ることになるのである。
【2】ユルゲン・ハーバーマス
(1)ハーバーマスは、アドルノ/ホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』において入り
込んだ袋小路から脱出するための手掛かりを、30 年代のホルクハイマーの「社会理論
5 Karl-Otto Apel, Wissenschaft als Emanzipation? Eine kritische Würdigung der Wissenschaftskonzeption der
》Kritischen Theorie《 , in: Transformation der Philosophie, Band 2, Frankfurt am Main 1976, S. 134.
131
を学際的共同研究として推し進める」というコンセプトを再評価し、そこに接続する
試みの内に探ろうとしたのだ、とはしばしば指摘されることである。ホルクハイマー
が囚われていた「生産力への還元主義」を批判し、生産力と生産関係とのまさに「弁
証法的な」関係を取り戻すことが一つの課題になっただろう。その際、生産力として
の科学技術を、それに唯一の希望を託するのではなく、かといって全体として切って
捨てるのでもなく、適切な仕方で評価し位置づけるという作業が重要なものとして浮
上しただろう。
そう思って見てみると、ハーバーマスの哲学的営為の歩みというのは、
「科学技術の
進歩の実践的帰結」という論考を含む『理論と実践』に始まり、
『
〈イデオロギー〉と
しての技術と科学』を経て、マックス・プランク研究所での「科学技術の世界におけ
る生の条件」の研究に至り、さらには近著『人間的自然の将来』にまで及んで、科学
技術の進歩の問題に社会哲学として取り組むという試みとして一貫している。例えば
「科学技術の進歩の実践的帰結」には、次のような認識が定着されている。
「産業面で発達した社会においては、今日では、科学は技術的進歩の原動
力として、それ自体が第一の生産力となっている。そのことから、しかし、
今日なお一体誰が、反省の拡大、それどころか解放の増大を期待したりす
るだろうか。歴史哲学を、われわれはお払い箱にしてしまった。それに代
わって、科学技術の進歩の実践的帰結を解明する理論は存在するのだろう
か。その理論の宛て先は誰か。それが関係づけられるのは、どんな形の政
治的実践なのか。
」(TuP 336)
これが ―― 『啓蒙の弁証法』以後の思索として ―― 「ハーバーマスの哲学」が取
り組んだ問題なのではないか。ここで特に目を引くのは、歴史哲学との決別が語られ
ている点だ。そこには、進歩史観だけでなく、
『啓蒙の弁証法』の否定的歴史観も含め
て考えてよいだろう。ひとつの問いが浮上する。ホルクハイマーから歴史哲学を引き
算した時、あとに―― ハーバーマスにとって ―― 哲学として、何が残るのか。
以下においては、先ず、
「何のためになお哲学なのか」(1971) という論考に即して、
ハーバーマスが哲学をどう考えたのか、という点から考えてみたい。
(2)この論考を、ハーバーマスは「個人の学識や人格的な表現というものに結びつ
いた哲学の思考スタイルが、その終焉をむかえた」(WnP 16) という事実の確認から書
き起こしている。「哲学の非人格化」(WnP 18) と呼ばれる事態である。ここから引き
出される帰結は「哲学は、学問的進歩を集団的に組織する研究という段階に突入して
いる」(WnP 15f.) という認識となる。これは、共同研究の要請ということだけを意味
するものでは必ずしもなく、
「研究共同体」としてのアカデミズムの全体が念頭に置か
れているのだろう。では、哲学の行う「研究」とはどのようなものなのか。ヘーゲル
以降の哲学の変貌という形で、ハーバーマスは「哲学の現在」を次のようにおさえて
いる。
「哲学的思考は、ヘーゲル以後身分が変わって、別のメディアとなった。
(...) 哲学は、もはや哲学としては捉えられない。それは、自らを批判として
132
理解する。それは、根源哲学に対して批判的であることで、究極の基礎づ
けと、存在するもの全体を肯定的に解釈することを断念する。理論と実践
の関係についての伝統的な規定に対して批判的であることで、社会的活動
の反省的な構成要素であると自己理解する。形而上学的認識と宗教的世界
解釈が同様に掲げてきた全体性要求に対して批判的であることで、宗教へ
のラディカルな批判でありつつ、宗教的伝統と解放への認識遂行的関心と
がもっていたユートピア的実質を受け取るための土台である。そして最後
に、哲学的伝統のエリート的自己理解に対して批判的であることで、普遍
的な啓蒙 ―― 自己自身についてのそれも含めて ―― にこだわり続ける。
」
(WnP 31)
そう確認した上で、ハーバーマスは、「実質的な科学批判という新たな次元」(WnP
32) が哲学的思考の運動に対して開かれることになったのだ、と言う。この指摘の背
景をなしているのは、次のような現状認識だ。
「科学主義は、何十年か前までなら、なお単にアカデミズム内部の問題に
すぎなかっただろう。技術的に利用可能な知識を生み出す科学者に重要な
社会的機能が生じて以来、その点は変わってしまった。産業の発達した体
制にあっては、経済成長と社会全体の発展のダイナミズムとは、科学技術
の発達に大いに依存するようになった。「科学」はもっとも重要な生産力
となった... 」(WnP 33)
そして、
「哲学の存在意味は何か」という問いに対してハーバーマスが差し出すのは、
次の様な答えである。
「もし、民主的な計画が、発達した社会システムにとっての操作のメカニ
ズムとしてあらかじめ排除されている、というのでなければ、哲学の遺産
を継承した批判は、緊急の課題を (他の課題とともに)引き受けねばならな
いことになろう。批判は、科学の客観主義的自己理解と、科学及び科学の
進歩についての科学主義的概念を批判せねばならないだろう。それは、就
中、社会科学の方法論の根本の問いを ―― コミュニケーションの行為シ
ステムにふさわしい根本概念の練り上げが、妨害されるのではなく促進さ
れるような仕方で ―― 取り扱わねばならないだろう。そして最後に、研
究及び技術の発展の論理が、合意形成のためのコミュニケーションの論理
との間にもつ連関を認識にもたらすような次元を、解明しなければならな
いだろう。
」(WnP 34f.)
これ以降、十年の歳月をかけてハーバーマスが展開してゆく「コミュニケーション
行為の理論」とは、ここに立てられた課題に応えるための、つまり、科学技術の進歩
に直面して批判的実践として社会哲学を行うという試みだった、と言えないだろうか。
(3)
「実質的な科学批判」とは、科学技術論およびそれへの批判を社会哲学として
133
行うことだ、と言い換えることができる。その際、「〈イデオロギー〉としての技術と
科学」という捉え方は、必ずしも、理解の容易なものではない。
ハーバーマスは、今や科学技術こそ「第一の」生産力となっているという事実確認
に立って議論を進めている。その際、科学技術が「産業」と一体になっている、とい
う点を見逃すことはできない。「産学共同」という言葉には、かつて批判的な倍音が
伴っていたはずだが、今では純然たる事実確認の言葉になってしまった。そのことに
よって、科学技術は「支配」の内部に食い込んでしまった、というだけではない。さ
らに、支配体制そのものと化しているのではないか。例えば、原子力産業を例にとっ
てみよう。それは、どこか別の所にいる支配者を支えているのだろうか。むしろ、原
子力産業そのものが支配者なのではないか。当然、それを支える科学技術も支配の一
翼を担っていることになる。その時、生産力としての科学技術の内に、支配構造から
解放の理性的ポテンシャルなど期待できないのは、言うまでもない。生産力としての
科学技術のさらなる合理化は、より多くの失業者を生み出すことはあっても、人間全
体の解放につながるポテンシャルなど、およそ期待されうるものではあるまい。
さて、
「イデオロギー」とは、例えば「外部の危険や直接の制裁に代えて、支配を正
統化することによって意識を魅了・呪縛する力」(EuI 342) と定義可能だろう。つまり、
科学技術がイデオロギーであるとは、それが、単に「支配力」であるだけでけでなく、
その支配を正統化する力でもある、ということだ。『〈イデオロギー〉としての技術と
科学』の中で、ハーバーマスは次のように言う。
「この意識(技術至上主義の意識)のイデオロギー的核心は、実践と技術
の違いの消去にある ―― この消去は、力を失った制度的枠組みと自立した
目的合理的行為のシステムとの間の新しい位置関係を反映してはいても、
その本質をとらえた概念ではない。したがって、新しいイデオロギーは、
われわれの文化生活を支えるふたつの根本条件のひとつ、つまり言語にか
かわる利害関心を侵害する。この利害関心は、相互主観的な理解の維持に
も、支配権力から解放されたコミュニケーションの樹立にも関わってくる。
技術至上主義の意識は、この実践的利害関心を、技術的処理能力の拡大に
かまけて背後に押し隠してしまう。」(TWI 91)
科学技術は、物質的な力であると同時に、科学技術至上主義的な意識を生み出し自
らを正統化する審級、すなわちイデオロギーでもある、ということだ。だから、ハー
バーマスの哲学は、科学技術に対する実質的な批判であると同時にそのイデオロギー
性への批判でもある、ということになる。その際、ハーバーマスが、コミュニケーショ
ン的行為の世界に定位してそこから悪玉に仕立て上げられた科学技術を弾劾する、と
いうスタンスを採っているものではないという点は、留意に値する。上の引用に「わ
れわれの文化生活を支えるふたつの根本条件」と言っているように、
「目的合理的行為
のシステム」が「われわれの文化生活を支えるふたつの根本条件」の一つである点は、
決して揺るがないのである。肝要なことは、その両者の「弁証法的な相互浸透」を保
持することだ。ハーバーマスの有名な次の発言も、この文脈において理解されるべき
だろう。
134
「生産力と生産関係との関係は、労働と相互行為という、より抽象的な関係によっ
て置き替えられなければならないだろう。」(TWI 92)
(4)さて、
「何のためになお哲学なのか」にせよ、
『
〈イデオロギー〉としての技術
と科学』にせよ、共に 1970 年代の初めに書かれた作品である。その時期は、ハーバー
マスがフランクフルト大学を辞して、マックス・プランク研究所に転じた時期である。
70 年代を、彼はこの研究所で過ごすことになる。通常、この 70 年代は、ハーバーマ
スが大著『コミュニケーション行為の理論』を熟成させていった時期として受け止め
られている。しかし、われわれの関心から言えば、この時期は、まさにハーバーマス
の「共同研究時代」だったのではないか。
「フランクフルト学派」という呼称については、ハーバーマスが次のような興味深
い指摘をしている。
「もし、かつて時と所を特定できる仕方でフランクフルト学派なるものが
存在したとすれば、それは、ここニューヨーク、1933 年から 1941 年にコロ
ンビア大学から提供された 117 丁目の西側にある 429 番の家においてだっ
た。
」(FSN 414)
説得力という点では、しかし、ヴェルマーの指摘がまさる。
「かの「フランクフルト学派」は、学派ではなかった。集団的で協働的な一
つのプロジェクトだった。(...) 戦後になってようやく、つまり、ホルクハ
イマーとアドルノがアメリカの亡命先から帰還して以後、だから、社会研
究所がフランクフルトに戻って以降ようやく、フランクフルト「学派」は
成立した ―― 就中、ホルクハイマーとアドルノの教育活動を通して。その
学派の頭はホルクハイマーとアドルノだった。 (...)「フランクフルト学派」
という表現は、だから、十二分に正当性をもってはいる。しかし、このグ
ループの構想ともともとの社会研究所には、それは当てはまらない。6 」
確かに、フランクフルト大学は「共同研究の場」であるよりは「師弟関係の場」だっ
たのだろう。
「ハーバーマスによる共同研究」というのであれば、それは、フランクフ
ルト時代よりは、むしろ、マックス・プランク研究所での所長としての彼の実践にこ
そ着目するのでなければなるまい。次の課題としたい。
6 Albrecht Wellmer, Die Bedeutung der Frankfurter Schule heute. Fünf Thesen, in: Endspiele: Die unversöhnliche Moderne, Frankfurt am Main 1993, S.224.
135
建築の社会哲学――その基本設計
望月俊孝 (福岡女子大学)
哲学が知の探求として、有限な存在者たる人間に固有の営みであるかぎり、いかな
る哲学も、個々の時代における根本的な思索の出来事として歴史的であり、哲学は常
にそのことに自覚的であらねばならない。哲学はたえず自らの思索の場を反省し、そ
こから問いを方向づけてゆかなければならない。「哲学する」とは、現代において思索
することであり、時代の問題状況を反省しつつ、事柄に問いをさし向けることである。
現代は混迷の時代だと言われる。たしかに、いつの世にも時代と社会の混迷を嘆く
声は聞かれるものだが、多方面にわたる科学技術の劇的な展開と、それによって次々
にもたらされる文化・文明の新局面と、それを契機とする社会システムの激しい変動、
他面での生命環境の著しい悪化と、それらすべてに直面して戸惑う法的・倫理的社会
規範の動揺とのなかで、時代の危機意識を多くの人々が共有するようになったことが、
現代社会を特徴づけている。「21 世紀日本の重要諸課題の総合的把握を目指す社会哲
学的研究」を総題とする本研究会は、そうした現代社会のかかえる具体的現実的な諸
課題に直接的に取り組み始めた哲学・倫理学の近年の研究動向に呼応して、われわれ
の哲学的思索の発生の現場――問いの根本経験の場――に対する反省と自覚とを、あ
らためて強く促すものである。
しかもこの研究会は、総題にも明記され、研究代表者である加茂直樹氏が機会のあ
るごとに強調してもいるように1 、これまでの「個々の研究者」による現代社会の「個
別問題領域へのアプローチ」を、できるだけ広範な共同研究の討議の場にもたらし、こ
れによって現代社会の問題状況を「総合的、全体的」に把握することを目指すもので
ある。この研究会を構成する四つの分科会――A「家族・ジェンダー・教育」、B「医
療・環境・福祉」
、C「科学・技術・情報」
、D「国家・民族・宗教」――は、錯綜する
現代社会の広範な問題状況を、あえて大きく四つの問題群に分け、各研究者を各自の
関心に応じて配置したものだが、そのグループ分けの当初からつねに意識されてきた
ように、ここに設定された個々のテーマは、社会の現実の問題状況のなかで相互に密
接に繋がり合っており、その「相互連関」は各問題群の内部はもとより、各群の枠を
も越えて拡がっている。この点をふまえて、研究会では「全体会」を設け、
「諸課題の
有機的、総合的な把握に向けて、共通理解を広く深くしていく」ことを目指し、その
うえでまた年度ごとの「研究資料集」を、すべての研究成果を集積し「広く論議を喚
起する」ために編纂してきた。
1 研究会発足のための科研費申請書には、
「本研究の特色・独創的な点」の第一として、次のように言わ
れていた。「近年までの哲学者による社会的問題へのアプローチは 個別的に 行なわれる傾向があった。本
研究の一つの特色は、社会的課題への哲学の関与を 個別的なテーマ への関わりに限定せず、敢えて社会
の 全体像の把握を目指す という点にある。それがいま緊急に必要とされており、また、このような試みに
哲学本来の特質 がもっともよく発揮されると考えるからである。
」さらに、加茂直樹編『社会哲学を学ぶ人
のために』
(世界思想社、二〇〇一年)の同氏による「序論 なぜ社会哲学か」
、および本研究会の初年度研究
成果報告書『社会哲学研究資料集 I』
(二〇〇二年)の同氏による巻頭論文「
「現代社会の総合的把握」につ
いて」等を参照。
136
もちろん、この研究会が実際にどこまで良好に運営され、実質的な成果をあげえて
いるかについては、あらためて内外の厳しい批判にさらされなければならない。しか
し少なくとも、この研究会の骨格をなす上記二点――哲学の問いの現場への反省の促
しと、哲学的思索の全体的総合性の確保――の方針は、今後の哲学研究を正しく方向
づけるものとして、すでにそれだけで重要なものだと言える。しかもこの二点は、私
がこれまでそのテキスト解釈に専念してきた哲学者カントの、
「世界概念の哲学」の考
え方と通底するものである2 。研究会の中核概念たる「社会哲学」は、その「世界概念
の哲学」と重なり合う。個別学問の垣根を超えて、現実の「社会」の諸課題の総合的・
有機的・全体的な把握を目指す共同研究の基本方針を、私はカントの「世界」概念の
全体性・包括性のもとにイメージしたい。そして本稿では、研究会の内的批判の端緒
を確保するためにも、この全体性・総合性という論点に関し、
「建築」の概念と絡めて
考察してみたいと思う。
1、社会哲学の一主題としての建築
社会哲学の考察課題の一つに「建築」を選ぶことに、さしたる異論はないと思う。と
りわけ、
「科学・技術・情報」をテーマとする分科会で「建築」を哲学することは、建
築が一つの技術的な営みであることからして、適切な試みだといえる。とはいえ同時
に、私はいわゆる建築の専門家ではない。建築に長らく携わってきた専門家――とく
に建築社会学の研究者――の立場からは、
〈建築と社会〉という事柄に関して、おそら
くもっと多彩かつ詳細な報告と考察が可能だと思われるが、ここではこの問題への着
手にあたり、総じて「哲学する」ことの訓練と経験とを比較的多く積んできた者の立
場から、しかし何よりも〈一市民として現代社会に生きる〉という視点を大切にして、
考察をすすめてみたい3 。
日常語法に従えば、
「建築」とは「家屋・ビルなどの建造物を造ること」
(
『広辞苑』
)
であり、この意味の建築で最も身近なのは「家を建てること」だろう。人が人として
社会に文化的に生きることは、それが持ち家であれ貸家であれ貸間であれ、〈家に住
む〉ことから始まる。今は懐かしい「文化住宅」という言葉もあるが4 、日本社会の近
代化、とりわけ都市部の生活環境の実質的な近代化は、
「簡易・便利」を旨とする新形
式の住居の建設とともに歩み出した。それゆえ、日本社会の近現代を批判的に吟味す
るにあたって、住環境問題を取り上げることは重要な論点になりうるはずだが、なか
でも特に気にかかるのは、この社会での「マイホームの夢」の語られ方と、その建築
2 「世界概念にしたがった哲学」とは、カントの思い描く哲学の理想である。それは、
「あらゆる認識を
人間理性の本質的な諸目的に関係づける学問(人間理性の目的論)
」として、あの有名な四つの問い――私
は何を知ることができるか、私は何をなすべきか、私は何を希望することがゆるされるか、そしてそもそも
人間とは何か――を問うものであり、広く「世界〔実世間〕
」と向きあって人間存在の意味を問い索めるこ
ととして、
「学校〔学派〕
」という狭い学問世界――しかもその中でさらに細分化された各専門学科――に閉
じこもって「認識の論理的完全性」を求める「哲学の学校概念」から厳しく区別される。
3 とはいえ同時に、この考察が学術的にも、建築と社会とに関する〈学際的な討議の場〉を開く一契機と
なりうるように願っている。
4 『広辞苑』によれば、文化住宅とは第一に「大正後半期から昭和前半期にかけて建てられた、生活上、
簡易・便利な新形式の住宅のこと」であり、第二に「住宅形式の俗称の一」で、
「分譲・賃貸の目的で建てら
れ、木造二階建てで規模が小さく、多く相接して建てられる」ものである。
137
の現実である。
都心の一軒家に住むのは夢のまた夢、せめて郊外に「庭付き一戸建て」の家を持ち、
そこで家族を養い暮らして、安らかな老いを迎えることが、長らく「日本のサラリー
マン」の当たり前の願望として語られてきたし、近年の超高層マンションを中核とし
た都市再開発にともなう人口の都心回帰を別にすれば、そうしたマイホームの夢の残
り火はいまだに広く深く燃えつづけている。しかし、すでに折りにふれて指摘されて
もきたように、この手の住宅建築によって、本当に「豊かで快適で幸福な暮らし」が保
証されるとはかぎらない。ラッシュ時の満員電車にゆられ往復数時間の通勤を余儀な
くされる「お父さん」の悲哀は、現代社会の戯画の典型にもなっているが、通勤実費
は「会社持ち」という制度の支えがあるとはいえ、人はなぜこの日常に耐えなければ
ならないのか。しかも、そうやって寝に帰るだけの「我が家」の多くは、はるか他県
の海岸に立地された原発から都市部に向かう高圧電線の通る山林や沼地や田畑を、土
木建設業者が新たに造成した新興住宅地のなかにあって、外観の細かな差異を際立た
せながらも、基本は似たり寄ったりのデザインの「建売住宅」であり、
「猫の額ほどの
庭」をもつこの既製品を、サラリーマン家庭は 20 年から 30 年以上におよぶ数千万円
の住宅ローンで「買う」のである。
家と保険は「男子一生の買い物」と言われ5 、代金の支払いは労働年限の大半に及ぶ
ことになるにもかかわらず、多くの市民はこの一大事にあたって、その人生設計と住
宅設計とを業者任せにし、自覚的・主体的な取り組みを回避している。そしてそのこ
とを「悪徳業者」に見透かされてのことだろうか、立法・行政の消費者保護策の欠落
も手伝って、苦労して購入した夢のマイホームが、断熱材を欠き、基礎が浮き、戸が
閉まらぬ「手抜き工事」の「欠陥住宅」だったという報告が一頃世情を騒がせたし、そ
れでなくとも、気密性の高まった近代住宅の、多種多様な新建材から発散する化学物
質による「シックハウス症候群」や「化学物質過敏症」への適切な対策・対応は、明
らかに後手に廻っている。
かてて加えて、それら数々の問題をくぐり抜けて住み慣れた我が家の耐用年数は、高
度経済成長期以後の建築では、この社会や業界の常識で 20 年から 30 年だと言われて
いる。これは、家屋が「固定資産」と呼ばれるわりには極めて短いし、ここにあの住
宅ローンの年限と、他国の建築物耐用年数の現状とを考え合わせてみるならば、こう
した日本の住宅建築の「常識」は、尋常ならざるものに思われてくる。そもそもかか
る「建て替え文化」は、湿潤な環境に木造を旨とする日本家屋の宿命と、それに即応
した「清浄」の文化的伝統とに由来するものなのか、それとも粗製濫造の規格品の大
量生産・大量消費に起因する、徹底的に経済合理的な近代日本社会に固有の病弊なの
か、事態の改善のためにも厳しい精査が必要だが、それにしても、30 年ごとの建て替
えないしリフォームを前提とする住まいの運用実態は、他の鉄筋コンクリート造の近
代建築――やはり高度成長期に激増した学校・病院・集合住宅の箱型白色建築群――
の解体により生じる建設廃材ともあいまって、膨大な産業廃棄物の山を築いてきたし、
今後も築いてゆくだろう。
5 このような世間の言い方も含め、家や家族のありかたをめぐる〈ジェンダー論的批判〉も、あらためて
重要な課題となる。
138
2、建築の社会哲学的な概念――引き続き「住まい」に定位
して
事柄を身近な「個人住宅」に限定してみても、
「建築」はすでにこれだけの社会的な
問題の広がりを示してくる。そもそも、社会集団の基本単位とされる家族のあり方と、
住宅設計との間には密接な関係がある。
「衛生」の観点から生活の「寝食分離」を唱え
た戦後の公団住宅の2 DK、3 DK の住宅設計の普及から、高度経済成長の歩みとと
もに一般住戸の平均占有面積も増え、今では 70∼80 平方メートル台の3 LDK や、20
畳超のリビングを配した 100 平方メートル超の平面計画が、市民の希望する豊かで快
適な住まいの形となっているようだが、その間に、朝夕の食事の場から川の字の寝床
に早変わりしたかつての万能の「お茶の間」は、純粋な「家族団欒」の――テレビとソ
ファを中核とする――「居間」ないし「リビング」となった。さらに、住居の個室化
が進んで、そうした居間よりも「子供部屋」と呼ばれる鍵つき個室が子世代の本拠地
として好まれるようになるにしたがい、親子・夫婦の家族関係や、しつけ、教育のあ
り方は歴然たる変貌を遂げてきた。それゆえ逆にまた、
「家族・ジェンダー・教育」の
社会哲学を論じ、その諸問題の具体的な対策・改善を図ってゆくためには、住宅・学
校・地域・都市の設計の不断の改良努力が欠かせないし、すでに心有る建築家たちは、
そうした問題関心からの発想や提言を盛り込んだ建築設計に取り組んでいる。
ところで、さきに住宅の例をとおして建築と環境問題とのつながりも垣間見えたが、
そもそも建築とは、自然・文化・社会・歴史・風土といった環境世界における、人間
の技術的な制作の営みであり、過去をふまえつつよりよい生活環境・活動空間を創り
出すことであり、そのようなものとして、周囲世界の重層的な文化の物語りとの注意
深い対話を重ね、たえず〈相互関係〉の中で、その文脈依存性を自覚しつつ営まれて
ゆくべきものである。たしかに日常語法で「建築」は、技術によって構築された建物・
建築物・建造物を指す場合も多い。しかし、
「建築」とは何よりもまず、人間が文化的
に住まう場所・空間・居所を創出する〈営み〉にほかならず、私としてはこの本来的
用法のほうを大切にしたいと思う。そして、肝腎の建築の営為を、個々の固定的・実
体的な人工構造物の方からのみ理解してしまう安易な建築観から、注意深く距離をと
りたいと考える6 。建築学・建築論・建築哲学は建築物のことを論じ、それのみを専門
とする学問だと解する単純素朴な先入観に染まっているかぎり、
〈建築の社会哲学〉の
始まりはありえない。
建築を、このように〈人の住まいの場の創設〉の営みとして、どこまでもその動き
に即して理解するのは、そのことによって第一に、徹底的に〈関係の事柄〉である建
築の根本性格を浮き彫りにしたいと思うからである。第二に、建築というものを、そ
の関係――とりわけ社会関係――における「われわれ」の主体的かつ協働的な営みと
して捉えていきたいと思うからである。そして第三に願わくば、その主体性――とり
わけ近代の「理性的自我」の主体性――の批判的吟味という現代的な課題ともつなが
る論点として、建築を営みという本来の地点にまで引き戻して理解することにより、
6 隈研吾は、
「周囲の環境から切断された、物質の存在形式」を「オブジェクト」と表現し、それとは別の
建築の形式を求め、実践している。同氏著『反オブジェクト 建築を溶かし、砕く』筑摩書房、2000 年、参照。
139
建築という人為技術のあり方を自然との関係において問い直しつつ、いわば「自然に
優しい」新時代の建築術を、より正確に言えば自然産物(自然の美しい造形・生物有
機体・生態系など)の内で働く「自然の技術」の声に耳を傾け、これに聴従しつつ、
自らをその場の「趣=意味 Sinn」にふさわしく方向づける〈自然−反照的建築術 eine
Natur-reflektierende Architektonik〉を、模索してゆきたいと考えているからでもある。
この点は別の機会にゆずり、最初の二点についてのみ付言するならば、建築とは本
来、ある建造物がひとたび建立されたらそれで終わりという性質のものではなく、む
しろ、日々の塗布清掃を含む建造物の維持・管理・保守や、大掛かりな修繕・修復、用
途変更にともなう改装・改修・改造というかたちで、たえず人の手が加えられてゆく
べき〈不断の形成の営み〉である。たしかに建物の竣工・落成は、建築の営みの大き
な区切りとなるものである。しかし、建築はけっしてそこで完了するのではなく、そ
の建築物の置かれた場の文化的・社会的な趣の移ろいに即応しつつ、ひとときそこに
居合わせ、集い、出会い、住まい、旅立ってゆく人々の、それぞれに思いのこもった
手を借りながら――さらにまた「荒び」「馴染み」「古び」といった〈おのずからの自
然〉の手をも借りながら――、世代・時代を越えて引き継がれてゆくことが期待され
る、息の長い歴史的な営みである。
建築家とは、そうした協力の手のすべてを見通して建造物の設計に取り組み、建設
行為の全体を監督・采配する人のことをいい、建築行為の指導的主体として、極めて
重要な役割を担う専門家のことをいう。しかし、それゆえにまた彼が建築のすべてを
独力で完遂しうるわけではない。だから、建築家でも建築学専門家でもない一般市民
であっても、建築物を何かすでに与えられた作品(オブジェ)のように崇めて、遠巻
きに眺めるのではなく、むしろ様々なかたちで――とりわけそこに「住まう」という
仕方で――主体的・積極的に、この建築行為に参画するのでなければならない。
じっさい、住宅はけっして一面的に建築家の作品として存在すべきものではなく、む
しろ施主と建築家との討議をふまえて設計され、大工・左官・建具師といった職人や
専門技術者たちの協働の手によって普請されて成り立つものである。また、たとえ施
主が居住者本人でなく不動産建設業者であって、その物件が建売住宅だったとしても、
「家は住む人と建築家との共作」などという宣伝コピーも見かけられるほどに、そこに
暮らす家族は――その自覚の有無にかかわらず――、建築家によって誂えられた建物
の大枠に、たえず個々具体的な装いを施してゆくのである。たとえばそれは、ガーデ
ニングの植栽の手入れであったり、カーテンやソファ・カバーの配色、大型調度や装飾
小物の配置といった、日々のインテリアの工夫や季節ごとの模様がえであったり、成
長した子どもや介護を要する年老いた親たちのための大掛かりなリフォームであった
りするだろう。住宅は「住まう」という用をなして初めて住宅であり、日々の暮らし
のなかで作りつづけられるものである。しかも家族は、社会のなかで他の市民(世間
の人)と関わりながら家に住まう。住宅はいわば家族の顔であり、社会という公共性
の場に曝された家族の表情である。
140
3、関係の場の創設としての建築
住まいの建築をめぐる社会哲学的考察をとおして、建築が根本的に〈関係の事柄〉
であり、多種多様なものの〈不断の関係づけの試み〉であり、そのようなものとして
〈関係の場の創設の企て〉なのであることが、見えてきた。世界というものが、存在す
る物の関わりの包括的な場であり、社会が物と人、人と人、人と集団、集団と集団の、
敵対・友好・没交渉といった具体的な関係の場なのであるとするならば、総じて関係
の場を開く建築の営みは、社会哲学の考察課題としてまことにふさわしいものだとい
えよう。
建築とは、関係づけの卓越した技術である。「建築」が派生的に建造物自体を指すあ
の用法も、小規模な個人住宅よりは、意匠を凝らした寺院・博物館・市庁舎・議事堂
などの大型構造物のほうがしっくりするが、それもおそらくは、後者のほうが「関係」
というものを様々なしかたで容易に想起させるからなのかもしれない。じっさい、こ
れらの大規模建築は多くの市民が〈集う場所〉であり、技術者たちが長期にわたって
建設に携わったものである。建築は、人の出会いの場を開く。また、ある一つの巨大
構造物の圧倒的偉容は、風景の全体をそこに収斂させて周りの諸事物を一元的に関係
づけ、しかもその構造体内部では、文化的・社会的・風土的な意味を象徴するさまざま
な意匠を細部に散りばめながら、力学的にも美的にも、見事な「釣り合い Proportion」
を描き出す。
「建築は、ギリシア語でタクシスといわれるオールディナーティオー、ギリシア人
がディアテシスと呼ぶディスポシティオー、エウリュトミア、シュムメトリア、デコ
ル、ギリシア語でオイコノミアといわれるディストリブーティオーから成り立ってい
る」7 。ウィトルウィウスが『建築十書』のなかの第一書第二章の冒頭に掲げたこの一
文は、建築学の基礎中の基礎とされる古典的な「建築の定義」だが、ここに建築の基
本概念を示すべく、古代ギリシア以来の建築術の伝統を踏まえて挙げられた六つのラ
テン語――オルディナティオ ordinatio、ディスポジティオ dispositio、エウリュトミア
eurythmia、シュムメトリア symmetria、デコル decor、ディストリブーティオ distributio
――は、いずれも物の〈関係づけ〉
〈位置づけ〉の事柄であり、しかも部分・全体・周
囲の諸事物の適切な〈配置・配分〉による〈秩序・調和〉の形成という、すぐれて〈良
好な関係づけ〉の原理である。
建築は物の良好な関係づけの技術であり、それゆえにまた、あらゆる事象の〈体系的
統一〉の鍵概念となる。
「わたしは建築術 Architektonik を体系の技術 Kunst der Systeme
の意味で理解する」(A832=B860)。カントのこの言葉は、
『純粋理性批判』の学問体系
論の文脈に見られるものだが、
〈理性的認識の体系としての学の建築〉という課題は、
彼の哲学的探求全体を導く主要動機となっており、その批判的な思索の跡を示すテキ
ストには、国家の有機的組織 Organisation や、世界史のアプリオリな物語りに関連し
て、建築術の魅力的な比喩が散りばめられているし、彼の若い頃からの自然哲学には、
伝統的な〈神の世界建築〉の思想との強い親和性も見いだされる。そもそも〈体系的な
ものの建築〉は、カントのみならず多くの思想家に共有された思想でもあり、とりわ
7 森田慶一訳註『ウィトルーウィウス建築書』東海大学出版会、1979
141
年、10 − 11 頁。
け近代という技術文明の自覚的展開の時代には、国家・社会の建築や組織の構築、学
の基礎づけ、小説の構成、社会の上部構造・下部構造など、事柄の建築術的な理解と
語りが好んで行なわれたし、近年ではコンピューター・システムのアーキテクチャー
も云々されている。
以上のような「建築」概念の広がりを念頭に置いて、再び本題に戻ろう。総じて建
築学・建築術が、建築的な〈関係づけ〉の「良さ」を求める学的技術的な営みだとする
ならば、建築はつねに同時に、その〈関係づけ〉の「良し悪し」を評価判定する〈建築
批判〉の職責を担うものでなければならない。通常その「良さ」は、さしあたりまず
は建築構造物の数学的・物理的・工学的な合理性に求められ、これに美的=感性的な
価値が加味されたところで話が一段落してしまうものだが、建築はもちろんこれだけ
では始まらない。それにはさらに、建物の建設や維持管理をめぐる経済合理性が問わ
れてくるし、地域開発計画・都市計画・国土計画といった全体計画の中での個々の建
造物の適合性や、建築基準法等の建築関連法規や条例に対する適法性、また、その地
域の気候風土や文化・歴史・伝統・風習・習俗といった観点からのふさわしさや、何
よりもそこに住む人たちの健康・安全・快適・便利という福利厚生の観点も、十分に
配慮されなければならない。
欧米の大学の建築学科が伝統的に美術芸術系の学部に配置されたのに対し、明治以
降の近代日本では建築学科は工学部に置かれるのが通例であり、このことが災いして
か、建築は世間では専ら理工系として理解されがちだが、各大学の実際の建築学科に
は、工学技術系の構造学・材料学や、光・音・空気の建築環境学のみならず、世界の
地域ごとの建築史や、計画学、建築意匠論、建築論・建築哲学といった、社会系・思
想系の専攻分野も配されている。建築学は、少なくとも学問体系としてはそれら諸学
の〈総合学〉としてイメージされており、現時点で問題とすべきは、そうした学問理
論の理想と建築実践の現実との乖離・分裂だ、との指摘もある8 。
社会で実際の設計に取り組む建築家には、この分裂状況を乗り越えて、個々具体的な
事例に即しつつ、その場にふさわしい建築を計画・構想することが求められる。そし
てその際には、あの多種多様な「良さ」を総合的に考量し、適切に関係づけたうえで、
全体的に見て最良の設計図を呈示することが使命となる。建築設計とは、こうした総
合的な営為である。しかも建築家の設計図は、建設に従事する技術者や、建物を利用
する市民の〈協働的な建築の場〉を開くものでなければならない。おそらく、こうし
た建築行為の全体を根底で導くものは、社会の常識 (common sense, sensus communis,
gemeiner Sinn, gemeiner Verstand) であり、道徳的倫理的な含みをもつ良識 (bon sense,
gesunder Verstand, gesunde Vernunft) だろう。建築とは、社会の常識や良識を前提しつ
つ、しかもこれとつねに批判的に対峙しながら、社会のなかで協働的に営まれてゆく
べき総合的な学術である。
あのウィトルウィウスも、建築家に〈幅広く深い教養〉を求めた9 。幸いなことに今
8 日本の建築学の現状については、
『AERA Mook 建築学がわかる』朝日新聞社、1997 年によって、簡便
に窺い知ることができる。
9 彼は同じ建築論の第一書第一章で、建築の制作技術と学問理論とを、双方十分に習得することを建築家
に求めた上で、
「願わくば、建築家は文章の学を解し、描画に熟達し、幾何学に精通し、多くの歴史を知り、
努めて哲学者に聞き、音楽を理解し、医術に無知でなく、法律家の所論を知り、星学あるいは天空理論の知
142
日数々の建築家が、環境問題をめぐる共通の標語ともなった「地域に根ざして行動し、
世界的な広がりで考えよ Act local, think global.」の方針にも沿うようなかたちで、それ
ぞれの地域社会の個別状況に即しつつ世界全体の動向を鋭敏に嗅ぎとった、新たな時
代の建築設計に精力的に取り組み、建築の営みを〈総合的かつ批判的〉にリードしてい
る。しかもそうした魅力的な建築家たちの多くは、先人の作品や自作をめぐり、著作
等で建築を熱く語ってもいる。また、これまでアカデミズムの自閉社会のなかで各専
攻に分裂し、
「タコツボ」に引きこもって、建築技術の社会的実践との十分な意思疎通
を欠いてきた大学の建築学科でも、全体的総合的実務能力に長けた建築家を教授とし
て積極的に迎え入れ、総合学としての建築学の体系の練り直しに取り組み始めている。
建築という事柄を〈哲学する〉営みは、これら先駆的な〈批判的総合〉の動きと手
を携えながら、建築の諸契機諸側面の批判的で総合的な〈関係づけ〉の任務に当らね
ばならない。しかも、建築が社会の協働の営みであり、社会が人事の〈関係づけ〉の
場にほかならないのであるからには、建築の哲学は、まず何よりも〈建築の社会哲学〉
として、建築という〈関係づけ〉の営みの社会的な良し悪しを批判的総合的に評価す
る〈建築批判〉に取り組まなければならない。
4、社会哲学的な建築批判
もともと、建築の営みや作品には批評批判がつきものである。あえて文書化される
建築批評の多くは、とりわけ芸術批評として盛んに営まれており、しかもそれらは、美
術文芸などの批評とくらべて、よりいっそう社会的な文脈での批判となる傾向をもっ
ている。また、建築の作品はすでにその制作過程において、たとえば施主からの経済
的な批判の圧力を受けることもある。建築は物理的にも機能的にも、つねに社会的な
批判の眼に曝されている。建築の営為の全体を統率する設計者は、そうした批判のす
べてを考慮しつつ仕事に取り組む。そもそも建築の作品は、美術館や本棚の画集とい
う特殊閉鎖世界に匿われることなく、むしろ最初から世間に顔を曝すことを意図して
いるし、使命ともしている。また、あえてそのようにして社会と批判的に対峙する建
築もある。建築とは、ことによると〈社会との批判的な対話〉なのかもしれない。
建築がそうした批判的対話を本質とするのだとするならば、建築批判という社会哲
学的課題も、建築を外から、あるいは高みから非難したりすることではなく、むしろ
建築という営みの本質・本性と一つになって、その総合的批判の課題に参画すること
でなければならない。これは、
〈建築の社会哲学〉の基本方針であるとともに、
〈建築
そのもの〉が社会哲学的自己批判を本質課題とすることの確認でもある。そして建築
の課題、建築の社会哲学の課題がそのような〈批判〉にあるのだとするならば、われ
識をもちたいものである」(前掲訳註書、3 頁)と書き、さらに哲学については、以下のように付言してい
る。
「哲学は、実に、建築家を心広く、かつ傲慢でなくてむしろ気安く平等であり、貪欲でなくて誠実であ
るように仕立てる。これはいちばん大切なことである。なぜなら、どんな作品も誠実と清廉なくしては確か
に作られえないから。欲念を去り、受くべき贈り物に心とらわれず、よい評判を得ることによって厳に己の
名誉を維持したいものである。哲学は、実にこれらのことを教示する。その他に哲学はギリシア語でピュシ
オロギアと呼ばれる自然論を展開する。それをもっと熱心に研究することが必要である」(同 5 頁)。ちな
みに、ここに述べた〈幅広く深い教養〉は、大綱化後の大学設置基準にも明確に謳われ、今日の日本の大学
における重要課題の一つとされてもいる。
143
われはまず、その批判の眼力を鍛えあげなければならない。社会の具体的な建築の営
みの現実に即して、である。
もはやあらためて言うまでもないことだが、ここで〈批判〉とは、建築の社会的な
「良し・悪し」を鋭く見分け、判断することをいう。それは、作品の「出来・不出来」
を評価する〈批評〉や、個々のプレーの「成・否」を見極める審判員の〈判定〉や、法
廷で罪状を考量し〈判決〉を下す裁判官の仕事にも通じる、
〈社会的判断力〉の批判の
仕事である。そもそも、
〈批判〉を意味する Kritik, critique の語源たるギリシア語「ク
リネイン」は、
「分ける」こと「判断する」ことを意味していた。だから、ここであえ
て「批判的判断力」などと言ってみても、それは「判断」の営みの本質である〈見分
け〉――微細な〈差異〉を凝視し事の成否・正邪・善悪の〈区別〉を見極める〈分別〉
――を、二重に強調して表現するだけのことかもしれないが、建築の社会哲学は、社
会における建築の良し悪しを厳しく見分ける、〈批判的判断力〉の仕事なのである。
ところで、建築の社会哲学的批判は、社会における〈建築〉のあり方を批判的に吟
味しながら、同時に当然のことながら、建築をめぐる〈社会批判〉
、建築という事柄を
手がかりとする〈社会批判〉とならざるをえない。そもそも建築が本質的に社会にお
ける営為だとするならば、建築を批判的に問うことは、社会を批判的に問うことであ
る。社会哲学において建築批判と社会批判とは不可分であり、建築批判に従事する社
会哲学は、社会そのものの批判哲学的な〈建築〉の営みとして機能しなければならな
い。もちろん、ここで建築とは、事柄を肯定しあるいは否定する、
「然りと否」の〈批
判〉の営為の両義性をふまえて、たんに建設・設立・構成・構築だけでなく、改造・改
築・改修や、解体・破壊・打破・粉砕といった、およそ建築術的な響きをもつすべて
の語彙を包摂した最も広い意味で理解されなければならない。それゆえ建築は、組織
の「スクラップ・アンド・ビルド」や、行財政システムの「構造改革」
、形而上学的思
想体系の解体・構築を旨とする「脱構築 déconstruction」をも射程内に収めた、体系的
批判の方法的概念である。
さて、東京地裁で最近、国立市「大学通り」の大型「中高層」マンション建築――
14 階(43.65 m)4 棟 340 戸――に関して、美しい並木通りに面した一棟の 7 階以上
(20m 超)の部分を「撤去」するように命じる判決が下されたが10 、この係争事案は、
〈建築の社会哲学〉を構想するうえで多くの示唆に富んでいる。当該判決は翌朝の新聞
各紙やテレビのワイドショーを賑わし、
「歴史的、画期的な市民の勝利」と喜ぶ原告住
民の声や、
「予期せぬ判決」と戸惑う被告不動産会社および業界団体の声が伝えられた
10 2002
年 12 月 18 日の判決において宮岡裁判長は、この地域の建物の高さを 20m に制限する市条例――
街並みの景観を守ろうとする住民の建設反対運動と、国立市の行政指導(
「指導」
「勧告」
「事実の公表」
)と
があったにもかかわらず、業者により 2000 年1月に強行「着工」されたこのマンション建設(ただし 99 年
8 月公表の当初計画からは一部規模縮小)に対抗して、国立市により遅ればせながら制定された条例――、
および建築基準法等に関する当該建築の違法性は認めなかったものの、
「景観利益の侵害」という考え方に
基づいて、以下のような判断を示した。
「ある特定地域において、地域内の地権者らが、十分な相互理解と
結束のもとに、自己の土地利用に関して一定の自己規制を長期間にわたり継続した結果として、当該地域に
独特の街並み(都市景観)が形成され、かつ、
・・・・広く一般社会でも良好な景観だと認められることに
より・・・・特定の付加価値を生み出している場合には、地権者らは、その土地所有権から派生するものと
して、形成された良好な景観を維持する義務を負うとともにその維持を相互に求める利益(以下「景観利
益」という。)を有するに至ったと解すべきであり、この景観利益は法的保護に値し、これを侵害する行為
は、一定の場合には不法行為に該当する。
」
(
「判決骨子」より)
144
が、景勝地のみならず村や都市の街並みの景観保護に向けた市民意識の高まりと、こ
の方面の施策に明らかに立ち遅れてきた立法・行政の怠慢、およびこの判決が「画期
的」と評される日本司法の現状や、
「建ててしまえばこちらの勝ち」という強行姿勢で
利益追求に走る不動産・建設業界の「常識」など、
「景観を破壊する」この建築をとお
して、現代日本の暗澹たる〈風景〉と、そこに明滅する僅かばかりの光明とが透けて
見えてくる。
言わずもがなのことだが、あの判決はこの係争の〈最終判断〉とはなりえず、この第
一審判決をめぐっては、これを不服として被告側が一週間後に控訴し、原告側もこれ
に応戦して控訴した。また、この裁判自体が、99 年夏の建築計画の発覚以来、不動産
会社と反対派地域住民、市の議会・行政と東京都をも巻き込んだ対立抗争史の、ほん
の一契機にすぎず、この間には別途数件の裁判要請が双方から行なわれ、その告訴の
応酬のなかで司法判断も右に左に揺れているのが実情である。さらにいえば、この係
争の歴史は、大正末期以来、ドイツの学園都市ゲッティンゲンを模した美しい街並み
の形成に努めてきた、地域に住まう市民たちの「まちづくり」の長い歴史のなかの11 、
厳しい現実の一齣ともいうべきものであり、しかもその背景には、積もり積もった各
方面の「不良債権」を淵源とする「デフレ不況」のなか、近年の「規制緩和」の流れ
を受けて、日本の各都市で高層・超高層マンションの建築に血道をあげる不動産建設
業界の動向がある。
〈建築の社会哲学〉は、個々の建築物をそれだけ取り上げて云々するのではなく、
むしろその建築の営みの背景にあるもの――すなわち文字どおりの景観・風景や、地
域・国・世界の歴史動向、文化の趣、経済の景気など〈社会全体の風景〉とでもいう
べきもの――のすべてを総合的に反省し、その全体のなかに個々の建築を正しく位置
づけながら、批判的に判断を下すのでなければならない。それは、社会の建築をめぐ
る〈批判的かつ反省的な判断力〉の仕事である12 。
その〈批判的思考 critical thinking〉の射程が、このように遠大なものとならざるを
えないのである以上、ここで建築概念の外延自体も、日常語法よりかなり大きく拡張
されることになる。建築とは、住宅やビルの建築であり、あるいは船の建造や、精密
機械の設計製造であり、橋やダムや護岸の構築であり、地域計画・都市計画・国土計
画など13 に基づく大地の整備である。これら一連の〈物理的建築〉は土木建設の実業
11 この係争を含む「大学通り」街並みの、地域住民のサイドから見た「歴史的沿革」は、
「東京海上跡地か
ら大学通りの環境を考える会」のホームページ www.kangaerukai.com/内に掲載されている「判決弁護団コメ
ント」――「国立マンション建築撤去等請求事件」(平成 14 年 12 月 18 日)――において、より詳しく物
語られている。
12 この一連の考察において私の念頭にあるのは、体系的なもの一般のアプリオリな原理を探究した『判断
力批判』(1790) における、カントの「反省的判断力 refrektierende Urteilskraft」の概念である。経験の場で与
えられた特殊から、それを包摂する適切な普遍を求めて上昇しながら、経験世界の諸事象の正しい〈関係づ
け〉につとめ、かくして全体と部分、および諸部分相互の関係を反省しつつ、世界全体の体系的統一を追求
する反省的判断力の営みは、自己の有限性を自覚した人間理性による、
〈神の世界建築のミメーシス〉と解
することができる。そして、それ自身が〈批判=区別〉の能力である「判断力」そのものの批判に携わる本
書は、「規定的判断力」――所与の普遍を端から前提してかかり、当該普遍に経験的特殊を包摂するだけで
収まりかえってしまう独断的・断定的・没批判的な判断力――と、
「反省的判断力」とを厳しく〈区別〉す
ることによって、ものの美や生命、社会・国家・歴史・世界の、
「合目的性」ないし〈意味=趣〉に関する
〈批判的な思考〉の可能性の領野を、断固として切り開こうとするものだと解しうる。
13 この研究会において私は、
「21 世紀の国土のグランドデザイン」(1998 年 3 月 31 日閣議決定)等の日
本の国土計画に関する、竹下賢氏の興味深い研究発表「全国総合開発計画と流域圏構想」に接することがで
145
と不可分だが、残念なことに――「危険、汚い、きつい」の3 K 業務に従事する個々
の作業員の美しい〈ものづくり・まちづくり・国づくり〉にかける自負の念にもかか
わらず――現今のわれわれの社会では、
「土建業」といえば「談合」や「贈収賄」
、
「公
共事業がらみの政治献金」、「政官業の癒着」といった、負のイメージの濃厚な語彙と
容易に結びつくのが「常識」となってしまっている。「土建国家ニッポン」という非難
の言辞さえあるが、
「利益誘導の政治手法」によって「過疎地域」に続々と建造された
数多の豪壮な「箱物」の陰では、
「資本」――私的利益本位の私本的資本――の「力の
論理」が裏社会の「本音」として幅を利かせ、
〈法と正義と道徳の支配〉という公共社
会の根幹そのものは「単なる建前」として見下されて、
「大衆の政治離れ」という無関
心の闇は広がり、地方政治・国家政治の正道への復帰を求める変革の気運を殺ぐとい
う、人心の荒んだ政治的光景がある。
韓国・日本のサッカー・ワールドカップ共同開催や、オリンピック、万国博覧会等
のために巨費を投じて整備された数々の立派な施設は、祭のあとにいったいどのよう
に維持・運営されているのか。日本経済「建て直し」のための「超低金利政策」に乗
じて、このデフレ下に「住宅ローン」とセットで住宅購入を煽り、消費を下支えしよ
うとする政官業の方針は、国政府と企業の負債を個々の市民に転化する方便に成り果
てることにはならないのか。建築をめぐるゼネコン・下請け・孫請け・日雇い労働者
の〈土建業界の社会哲学〉といった問題も含めて、建築の社会哲学の課題は枚挙に暇
がない。
5、批判的社会建築の哲学の構想
人間は、旅を住処とする人も、そのつどその場に住まいつつ、住まいの内や外の人々
と関わり合う。人間的な生の営みには、常に何らかの住まいの建築が不可欠であり、人
間の関係の総体としての社会は、そうした住まいの集合体となり、有機的な体系とな
る。そのかぎりにおいて、建物の建築は社会形成に不可欠の本質だともいえる。こと
によると、国家建設・社会建設というあの「建築」の比喩も、実は単なる比喩である
にとどまらず、社会という事柄の本質・本性に即した、思考の正しい道筋を示すもの
だったのかもしれない。かくして、建築の社会哲学は「国家・民族・宗教」の社会哲
学と通底する。パノプティコンと呼ばれる一望監視施設の建築設計に近代社会の象徴
を見たフーコーの洞察はよく知られ、社会批判の論点として広く受け入れられてきた
が、「情報化」
「グローバル化」の急進するわれわれの社会の建築は、今後いかなる形
を求めていくべきか。その社会設計にたずさわる批判的思索の協働実践こそが、今求
められている。
建築という社会問題は、社会の建築という問題である。本稿はその不可分の絡まり
あいを、具体例も交えて確認してきたが、そうした〈社会哲学的建築批判〉の課題とし
て、さしあたり社会の物理的建築の今後の総合的批判的展開のために、まずは大地と
建物一般の公共性、景観・風景を強く意識した、土木建築関連法規の体系整備と、それ
きた。
146
に連動した行政・司法の柔軟機敏な変革が急務だろう。また、建築士のみならず、広
く建築技術に従事するプロフェッションの倫理の確立が、
「技術倫理」
「エンジニア倫
理」の学的整備の模索の一環として進められなければならないだろう。
あるいは、むしろことによると、「幅広く深い教養」を備えた建築家の倫理こそが、
技術者一般の倫理の雛型となるべきかもしれない。〈建築家〉を意味するギリシア語の
「アルキテクトーン」は、物づくり・家づくりなどの制作実践の根本原理を知悉した主
任技術者たる〈棟梁〉であり、個々の職人の技術を適材適所に配置し関係づけて、そ
の技術の全体を体系的に統率し方向づける〈建築の指揮者〉である。このような建築
家概念を手がかりにして、学問技術の専門分化が進む現代社会の、総合的な技術批判
を構想することはできないだろうか。技術に定位しつつ、技術を超えた地点から技術
を反省吟味して、技術の総体を正しく方向づけることをめざす〈体系的反省的な技術
批判〉を、である。
とりわけ社会哲学という文脈で技術批判の方向づけの第一原理となるべきものは〈法・
正義・道徳〉だろう。しかもそれは、特定社会の慣習道徳・慣習法・制定法といった
実定的な道徳や法ではなく、それをも超えて社会規範の体系建築を批判的に反省する
〈法と道徳の批判原理〉でなければならない。そうした社会批判の根本原理を、カント
は『人倫の形而上学の基礎づけ』(1785) および『実践理性批判』(1787-8) で、
「純粋実
践理性」の「アプリオリな道徳法則」――善の普遍性の純粋形式――の理念に求めた。
そして、これと軌を一にして開始された一連の歴史哲学論文の叙述と『人倫の形而上
学』(1797) とによって、
「世界市民 Weltbürger」――世界という護りの家に住まう「わ
れわれ人間」――の共同生活のための、理性的自然法に定位した法体系と道徳体系と
の、批判的整備の作業に従事した。200 年後の現代に住まうわれわれは、カントのあ
の反省的体系的な批判の営為を参照しつつ、しかもわれわれに独自の問題状況に応接
しながら、
〈われわれ〉の共同社会の新たな基礎の構築に取り組まなければならない。
社会哲学の協働討議の総体は、そうした批判的社会建築基礎工事の、遠い旅路を住処
とすることになるだろう。
というのも、なによりもまず、われわれ人間が歴史的な存在だからである。人間は
社会および世界の〈全体と部分〉をあまねく瞬時に知悉する神の「知的直観」をもた
ず、また、あらかじめ確たる全体概念を手にしているわけでもない。人間はただ、あ
たかも画家の手が、キャンバスの全体と部分を矯めつ眇めつ眺めながら際限なく細部
に周到な筆を入れてゆくように、そのつどの経験の与える諸部分の情報を手がかりに、
それらを個々に分節・分類し、おぼろげな全体の理念に逐次修正を加えながら、個別・
特殊・普遍を正しく適切に関係づけることに努めなければならない。そしてその作業
の積み重ねの歴史をとおして、世界を協働で遍歴踏査し、そこに我が身の居住まいを
正してゆくしか手立てはない14 。そして第二にわれわれは、いつしかこの遍歴の旅に
疲れ、たえず真の普遍=世界を求めるべき批判的上昇の使命を忘れて、特定の普遍に
馴染み淀んで、これを実体化し保守して部分的全体と真の全体とを混同する、実定化・
14 私はかねがね、カントのいう人間の「論弁的悟性 diskursiver Verstand」を、世界に関して「討議 Diskurs」
し、世界をめぐって「遍歴 Dis-kurs」する、「反省的判断力」の批判的体系的彷徨のイメージで理解したい
と考えてきた。
147
実証主義化の自閉症的性向をもつからである。しかも第三にとりわけ近代の技術文明
において、その傾向が強まっているからである。
経済効率を最優先して学問技術の細分化・分業化を進める近代社会のパノプティコ
ンにあっては、いわば技術理性が支配権を独占し、世界を我が物として収まりかえっ
ている。そして科学技術は近視眼的・場当たり的・分断的に世界を改造し、個々の特
殊自閉領域に固執した技術理性の利己性によって、社会システムは硬直化し構造疲労
を生じている。こうした閉塞状況を打ち破るため、そしてまたわれわれの生命有機的
な建築術的体系概念を、旧式の機械技術的なシステム概念の鉄鎖から解放するために、
建築的社会哲学の技術批判は、その根底につねに〈技術理性批判〉15 の視点を保持し
てゆかなければならない。現代社会の建築術的体系構築の哲学的営為は、批判の〈否
定の契機〉のほうを強く響かせながら、遍路の歩みを進めてゆかなければならない。
「おお友よ、いや、こんな音色ではない!」
。われわれ世界市民の批判的社会建築の協
奏の営みは、歓喜の交響楽の響きをかすかにでも聴き取ることができるだろうか。そ
してまたその音楽は、
「自然の技術」の美しい調和の音色を響かせることができるだろ
うか。本稿は、建築の社会哲学という文脈で、近代技術文明を主導する「実際的技術
理性」との批判的対峙を主たる課題としてきたが、われわれの批判的社会建築の構想
はさらに、
〈風景−環境−世界〉に文化的・歴史的に住まう〈自然の技術としての建築
術〉を思索する旅に出てゆかなければならない。
15 これに関しては、拙稿「カントの目的論――技術理性批判び哲学の建築術」
(
『日本カント研究3 カント
の目的論』日本カント協会編、2002 年、所収)を参照されたい。
148
刑罰における応報と道徳教育
──刑罰の正当化に関する社会哲学的考察の試み──
浜岡 剛 (中央大学経済学部)
刑罰制度などなくてもよい、と考える人は少ないだろう。「近代以後の国民国家は、
明確な領土内で物理的暴力行使の正当性を独占する特別の社会組織である」1 とするな
らば、その「暴力行使」の端的な表れである刑罰抜きにして国家は国家たりえないよ
うにも思える。ロックは、社会契約が成立するに当たって、
「処罰権については、彼は
これを完全に放棄する。そして彼の持ちまえの力〔……〕を、社会の法が要求するの
に応じて、社会の行政権を支援するのに捧げるのである」2 とし、そうすべき理由を、
「その社会の福祉と繁栄と安全に照らして必要なかぎり、自分のために備えて生来もっ
ていた自由を手放さなければならない」3 と説明している。確かに、刑罰制度は社会秩
序に役立っているように見えるが4 、他方では異端者を社会から排除する装置として働
く可能性もつねにある。刑罰は何らかの犯罪を犯したと認定された者に対して危害を
加えることであり、それは刑罰以外の場面では倫理的に容認しがたいことなのだから、
当然なんらかの正当化が必要となる5 。「社会哲学の根本問題は、社会とは何であるか、
という問いであり、また、社会はどのようであるべきか、という問いである」6 とする
ならば、社会哲学の立場から刑罰という制度を問い直すことは避けられない。
1 刑罰の正当化に関する諸見解
刑罰は何のためにあるのか、という問いに対する倫理学者、哲学者の答えは、刑罰か
ら帰結する社会的利益から説明する (A) 帰結主義的な立場と、そうした帰結からは独
立に、ただ犯罪が行われたという事実からそれに「値する」罰が科せられなければな
らないとする (B) 応報主義的な立場とに分かれる。前者については、どのような帰結
を重視するかで違いが出てくる。それらをおおざっぱにまとめると、次のようになる。
(A) 帰結主義(consequentialism)
抑止(deterrence)
犯罪防止(prevention)、無害化(incapacitation)
矯正、社会復帰(rehabilitation)
1 丸山
p,98。
p.273 (ch.11, 130)。
2 ロック
3 Ibid.
4 もちろん、このことを自明なこととしてすますべきではない。社会の秩序維持にとって刑罰制度がどれ
だけ貢献しているかについては、過大評価すべきではないかもしれない。また、
(特に帰結主義の立場が想
定している)刑罰制度のもつ社会的効果を現今の刑罰とは違うやり方で達成することができるならば刑罰
制度はなくてもよいから、そのような別の方策を探るという道もある。そのような極端な立場ではないが、
「修復的司法」(restorative justice) という考えは、従来の刑罰のあり方とは違う道の探る試みとして、注目す
べきものであろう。
5 そもそも処罰権がもっぱら国家に帰属するものであるのか、ということも改めて問い直すこともできる
だろうが、本稿ではその問題について本格的に論じることはできない。
6 丸山 p.98。
149
(B) 応報主義(retributivism)7
積極的応報主義(positive retributivism)
消極的応報主義(negative retributivism)8
これらの立場はまったく排他的というわけでもなく、応報主義に基づく科刑では抑
止や犯罪防止といった効果を期待できない、というわけではないし、現実にはそうし
た効果をある程度考慮せざるをえない。また、かりに長期拘禁のほうが犯罪防止の効
果が高いとしても、消極的応報主義を考慮して、一定程度内にとどめるのが望ましい
と考えるのが普通であろう。とは言え、帰結主義と応報主義は、近代の倫理学におけ
る二つの大きな潮流に対応するもので、理論上はそう簡単に折衷できるものではない
し、現実の刑罰制度のあり方を批判的に検討しようという場合、どこに力点を置くか
によって、評価も違ってくる。たとえば、応報主義を重視するならば、
「副次的に考慮
すべき社会復帰や教育の理念が、刑罰運用の実務に正々堂々と入り込んでくると、あ
まりにも大きな弊害を生んでしまった」9 といった批判が出てくるし、逆に、社会復帰
や教育の理念が十分に生かされた制度になっていないという批判もありうるであろう。
あるいは、犯罪抑止のためにはもっと厳罰化しなければならない、という批判もあり
うる。
確かに、上のさまざまな視点を何らかの仕方で取り込んだ考え方をしなければなら
ないであろうがが、それはどのような形で可能なのだろうか。たとえば、応報主義を
基本とする立場を表明している論者でも、
「正義のセンスの内面化のためにこそ刑罰の
役割があり、刑事手続が用意されている」10 と言う。私はこの主張そのものに異義を唱
えるつもりはないが、
「正義のセンスの内面化」というのは、少なくともそれだけ取り
出してみれば、まさしく道徳教育のことを言っているとしか見えない。もしこれが通
常理解されているような「矯正」とは異なるとすれば、どのような点であろうか。そ
してこれと応報刑との関係をどのように理解すべきであろうか。
以下では、応報主義と矯正、教育という面とをどのようにつなぐことができるかを、
刑罰に関する表出的理論 (expressive theory) を手がかりにして考えてみたい。まず、教
育刑理論の典型と見なされているプラトンの刑罰論を検討し、その中に応報的観点が
含まれていることを確認する。そして、それを(プラトンに限定されないより一般的
な問題として考えた場合)単なる不整合とみるべきでなく、刑罰を理解する上での積
極的な意味があることをみたい。そのために、応報主義の代表的論者であるカントの
理論を確認し、さらに彼の応報主義が拠って立つ「相等性の原理」を読み直す試みと
7 応報主義については、
「応報」をどう理解するかで立場が異なるが、ここではそこまで立ち入った分類
は行わない。Cf. Cottingham.
8 「積極的応報主義」とは、
「犯罪を犯した者はそれに値する罰を受けるべきである」という主張で、
「消
極的応報主義」とは、「犯罪を犯してない者は罰せられるべきでない」あるいは「犯罪を犯した者は、その
犯罪に値する以上の罰を受けるべきではない」という主張である。後者は、厳密に言えば刑罰の正当化の
議論ではなく、量刑に際して一定の枠がはめられるべきであるという主張である。Cf. Mackie, p.3, Duff &
Garland, p.7.
9 渥美 p.291。
10 渥美 p. 313。
150
して、Murphy および Hampton の理論を検討する11 。
2 プラトンの刑罰理論
プラトンは、
『プロタゴラス』においてプロタゴラスに、刑罰の意義について次のよ
うに語らせている。
というのは、ソクラテス、不正な人々を懲らしめるということはそもそも
何を意味するかを、君がもし考えてみる気になりさえすれば、世間では徳
が人間の力で獲得できるものだと考えられていることが、おのずから君に
わかるだろう。すなわち、何びとも不正をおかす者に対して、相手が不正
をはたらいたという、ただそのことを念頭に置き、そのことのために懲ら
しめるような者はいない。もっとも、けだもののように理不尽な復讐をし
ようとする者は別であるが──。道理をわきまえて懲らしめようとする者
なら、過去になされた不正ゆえに報復するようなことはしない。一度なさ
れたことは、取り返しがつかないだろうから。むしろその目的は未来にあ
り、懲らしめを受ける当人自身も、その懲罰を目にする他の者も、二度と
再び不正を繰り返さないようにするためなのである。そしてそう考えてい
る以上、彼は徳というものを、教育可能のものと考えていることになる。
とにかく、悪いことをやめさせようと思えばこそ、懲らしめを与えるので
あるから。(324AB)
これは、森村が指摘しているように、
「刑罰の意義についての古代ギリシアにおける
初めての自覚的な考察」12 であり、過去志向的な応報主義的立場と未来志向的な帰結
主義的立場とが明確に区別された上で、後者の立場を採用すべきことが主張されてい
る。ここで指摘されている、矯正と抑止(特に見せしめ効果)という刑罰の二種類の
目的は、
『ゴルギアス』の末尾の死後の刑罰の話でも持ち出される (525B)。そこでは、
刑罰の二つの側面のうち、犯罪者の矯正という面が主たる目的とされ、その目的が達
成されないとしても見せしめとしての効果があるとされている。この立場は、
『ゴルギ
アス』中盤の、ポロスとの対話においてより明確に示されており、刑罰が「魂の治療」
として説明される。
ソクラテス では、どうだろう? 身体のなかにせよ、魂のなかにせよ、同
じく悪いところをもっているつぎの二人のうち、どちらがより惨めだろう
か。治療を受けてその最悪から解放される者のほうだろうか、治療を受け
ずにその災悪をもちつづける者のほうだろうか。
11 本論に入る前に注意しておきたい点がある。犯罪行為には、多くの人が道徳的観点から何らかの罰を与
えるのが当然であると考えるような「それ自体の悪」(mala in se) だけでなく、たとえばスピード違反のよう
に、法規の定めに違反しているがゆえに犯罪と認定されるような「禁じられた悪」
(mala prohibita)とがあ
る。両者の境がどこにあるかは時代や社会によって異なるが、後者のような犯罪は、それを禁止することに
よる帰結を期待して定められることが多いから、応報主義からの正当化には適合しないかもしれない。本稿
では、主として前者の犯罪を念頭に置いて論じる。
12 森村 p.118.
151
ポロス それは、治療を受けない者のほうだと思う。
ソクラテス ところで、罰を受けるということは、最も大きな災悪である悪
徳から解放されることだったね?
ポロス たしかにそういうことだった。
ソクラテス それはつまり、司法の下す罰が精神の健康を呼び戻して、人を
より正しい人間となし、かくて、悪徳をなおす医術の役をはたすからにほ
かならないだろうね? (478D)
医療によって身体が治療される場合、身体はそれによって苦痛をおぼえるかもしれ
ないが、それによって大きな災悪から解放される。だから、人は苦痛を感じても進ん
で治療を受ける。それと同じことが刑罰の場合にも言え、刑罰によって人は魂が治療
され、悪徳から解放されるという利益を得るのだが、人々はその点を誤解して、罪を
犯してもできるかぎり罰を逃れようと努めていると言うのである。この立場は晩年の
『法律』においても同様であり、
「どの加害者も、彼を矯正する目的で、その犯罪に定め
られている刑罰を受けなければなりません」(933E-934A) とされ、
「その人にそういっ
た刑罰が科せられるのは、彼が悪事を行ったがゆえではなくて、……今後のことを考
えてのことなのです。つまり、その当人も、またその人が処罰されるのを目にするほ
かの人たちも、不正を徹底的に憎むようになるか、あるいは、そのような不幸な状態
から大きく自分を取り戻すためなのです」(934AB) と説明されている。
このような(道徳)教育を刑罰の正当化の根拠とする主張に対しては、(1) なぜ教育
目的(犯罪者の魂の治療)を達成するために刑罰という苦痛を与えることが必要なの
かが十分説明されていないという問題を指摘できる。プラトンが用いている、医療と
のアナロジーについても、医療において苦痛は医療に付帯的に生じるものであり、患
者が苦痛を感じることなく治療目的が達成されうるならば、それにこしたことはない
が、刑罰の場合は、何らかの形での苦痛(あるいは危害)が与えられることがその本質
に属するので、アナロジーが成立するか疑わしい13 。また、確かに苦痛を与えること
によって、今後その苦痛をまた受けることがないように、当該の犯罪行為を避けるよ
うになる、という抑止効果は考えられるが、その場合、刑罰を受けた者が犯罪をしな
いのは、それが不正なことだからではないから、魂が治療されたとは言いがたい。魂
の治療が目的ならば、犯罪者が現実に心を入れ替えることが目指されなければならな
いが、それは苦痛によって本当に達成できるのか。逆にまた、不正を為した者の中に
は、苦痛を与えなくても、説得を通じて(ソクラテスの言うように)不正をなすこと
が自分にとって害悪になると理解し、心を入れ替える者もいるかもしれない。その場
合にあえて刑罰を加える必要性はどこにあるのか、それは教育刑という観点だけでは
十分説明できない。それに加えて、(2) なぜ犯罪行為を行った者だけが刑罰を科せられ
なければならないのか、その可能性がある悪徳の人に対して刑罰を科すことは、その
13 Saunders, p.166 は、科せられるものが pain とされず、painful と表現されている点に、端的な苦痛を科
すこと以外の形態が示唆されていると見ている。
152
当人にとっても利益になり、望ましいのではないか、といった問題も生じる14 。もち
ろん、だれにそういう可能性があるのかという判断を的確に行うことは現実には不可
能かもしれないが、現実の犯罪行為と刑罰とがなぜ結びつくのかを説明するためにも、
悪徳の人ではなく、現に犯罪を犯した人に対して刑罰が科せられるべきだとする理由
を示す必要がある。
後者の問題に関して Irwin15 は、ソクラテスの答えとして考えられうるものの一つと
して「すべての犯罪者が、そして犯罪者だけが、刑罰に含まれる、害悪が科されること
によって利益を得る」というものを挙げながらも、それが応報主義的な考えに訴える
ものであるがゆえに、答えとしては不適当だと考えている。先の『プロタゴラス』に
みられる明確な反応報主義的な立場がプラトンの立場であると考えられるが、実際に
は応報主義的な考えが混入していると見るべきではないか。それは、次のような発言
の中に確認することができる。
そしてそのような場合(=不正を犯した者がいた場合)には、自分自身に
も、ほかの人たちにも、卑怯未練なまねをさせないで、ちょうど医者に身を
ゆだねて切開してもらったり焼いてもらったりするのと同じように……裁
きに身をゆだねるように仕向けなければならぬ。犯した罪が笞刑に値する
(axia) のであれば身をさしのべて打擲を受けさせ、拘留に値するのであれば
縄を受けさせ、死刑が適当ならば死刑を受けさせ、誰よりも先に自分自身
が自分自身に対してまた、ほかの身内の者たちに対して告発者となり、た
だこの目的のためにこそ──しかり、おかされたもろもろの罪が明るみに
出ることによって、何よりも大きな災悪である不正から解放されるためと
いう、この目的のためにこそ、弁論術を使わなければならぬのだ。(480CD)
ここで注目すべきなのは、
「値する」という表現である。この記述によれば、どのよ
うな刑罰が科せられるべきかは、犯された犯罪の種類あるいは程度に応じて、おのず
から明らかになると考えられているかのようである。これは、むしろ応報主義の立場
に近いものではないだろうか。魂の治療として刑罰をとらえるならば、治療目的に応
じた刑が科せられるべきであろう。ここでは「死刑」にも言及されているが、これは
どういう意味で治療となるのか。
『法律』では、矯正不可能な者に対しては死刑を科さ
なければならないという主張が見られるが16 、ここではそのような矯正不可能な者の
存在は想定されているようには見えない。あるいは、プラトンは魂の不死を前提に、
次の生のために死刑による治療を受けなければならないというのであろうか。しかし、
少なくともこの前後ではそうした考えを示唆するものはない。
それぞれの犯罪に「値する」刑が科せられるべきであり、それによって魂の治療は
達成されるというのだから、外枠は教育刑であっても、具体的な刑の確定に当たって
は応報主義が採用されていると言いうるだろう。それぞれの罪に相応しい罰を受ける
14『ゴルギアス』の議論に含まれているさまざまな問題点は、ここで言及した論点も含め、森村 pp.191-196
および Irwin, pp.162-165 を参照。
15 Irwin, p.164.
16 プラトン『法律』862E-863A。
153
ことそれ自体によって、魂が浄められるという想定があるように思われる。プラトン
は、
『ゴルギアス』などで死後の裁きのミュートス(物語)を語る場合には、多分に応
報主義的な色彩の強い考えを述べており、それが彼の公式の刑罰理論と相容れないの
ではないかという指摘もあるが17 、ミュートスにみられる応報主義的考えは、公式の
刑罰論の中にもこのように紛れ込んでいると見ることができよう。あるいは、
(直接表
現されてはいないが)外面に現れた犯罪行為と、魂の内面の悪徳とは必然的に対応す
るのであるから、犯罪行為に応じた刑がそのままそれぞれの犯罪行為を為した魂に相
応しい治療が分かるというのかもしれない。しかし、これはあまりにも強引すぎる。
もっとも、
『法律』では、
「法律は、盗んだ品物の大小によって、一方には他方よりも
軽い刑を科して罰することが正しいとは考えていないのであり、むしろ、あるものは
たぶんまだ矯正の見込みがあるけれども、他のものはその見込みがないということで、
刑の差別をすることが正しいと考えているのである」(941D)、と言われており、治療
可能性の度合いに応じた刑が科せられるべきであるという考えが明示的に表明されて
おり、教育刑の理論はより整合的なものに仕上げられてはいる。とは言え、
「被害者が
受けた損害と加害者の行為との、その両面からみてふさわしい (axian) 刑罰を、それぞ
れの犯罪に適用すること」(876D) という言い方も見られるので、刑罰の具体的な適用
にあたっては、それぞれの犯罪行為に「値する (axios)」刑が想定されていると見るべ
きだろう。
これは矛盾であろうか。確かに、そう言わざるをえない面もある。しかし、そう断
言する前に、応報主義の立場と教育刑の立場とはどのように連関し合うことができる
のか(あるいはできないのか)を考えてみなければならない。
3 カントの刑罰理論
次に、近代の刑法理論で応報主義に基づく刑法理論の基礎を確立したとされるカン
トの場合を見てみよう。
『人倫の形而上学』においてカントは、次のような説明を行っ
ている。
裁判による刑罰は、犯罪者自身にとって、あるいは市民社会にとって、別の
善を促進する手段にすぎないということはけっしてありえず、つねにもっ
ぱらその人が犯罪を犯したがゆえにその人に課せられるのでなければなら
ない。というのも、人間が他の人の意図のための手段としてのみ扱われる
こと、物件の対象と一緒にされることはできないのであり、市民的人格であ
ることを剥奪する判決が下されても、生得的人格であることが、そうした扱
いからその人を守るからである。処罰すべしという認定が、犯罪者自身あ
るいは同胞市民にその刑罰によってもたらされる利益について考えること
に、先行しなければならない。刑罰の法則は定言命法である。(pp.178-179:
p.331)
17 森村
pp.222-242。
154
帰結主義が主張する、抑止や威嚇は、副次的な効果として期待するとしても、それが
刑罰の目的となってはならないのである。たとえば、司法取引のように、何らかの公
共的利益のために刑罰が免除されるようなことがあってはならない。なぜなら、その
犯人を目的として扱っていないことになるからである。それは、
「自分の人格の内にも
他の誰の人格の内にもある人間性を、自分がいつでも同時に目的として必要とし、決
してただ手段としてだけ必要としないように、行為しなさい」18 という実践的命法に
反する。ヘーゲルはこの点を、
「こうした仕方での刑罰の根拠づけは、犬にむかって杖
をふりあげるようなものであって、人間はその名誉と自由にしたがって取り扱われる
のではなく、犬みたいに取り扱われる」19 、と刺激的なたとえを持ち出して説明して
いる。もっとも、カントは、法による強制について次のような説明を行っている。
ある作用の妨害に対置される抵抗は、その作用を促進し、その作用と調和
する。ところで、不正 [不法] であることはすべて、普遍的法則に従う自由
を妨害する。そして強制は、自由への妨害や抵抗である。こうしたことか
ら、ある自由を行使すること自体が普遍的法則に従う自由を妨害する(つ
まり不正 [不法] である)なら、この行使に対置される強制は、自由に対す
る妨害を拒むものであり、普遍的法則に従う自由と調和する。すなわち正
しい [法に適っている]。したがって法には同時に、法を侵害する者を強制
する権能が、矛盾律に従って結びついている。(p.50: p.231)
ここでは、他人の自由を侵害するおそれのある場合には、法は強制力を発揮しても
よいのであり、またそうすべきであると主張されている。Hampton はここに「抑止的
な香り」20 をかいでいる。ミルの自由主義の原則とも類似するように思われる主張で
あるが、ミルの場合の強制の正当化は最終的には不効用に根拠を持つのに対し、カン
トの場合は自由そのものに価値を置いた上での主張である点に違いがある。表面上は
国家による個人の自由に対する侵害と考えられるかもしれない強制であっても、そも
そも他人の自由を侵害する自由というのはないのであるから、国家は、その恐れがあ
る場合には強制力を行使しても許されるし、またそうしなければならない、というわ
けであろう。そうだとすれば、他人の自由が侵害されるおそれがあるかぎりにおいて
は、抑止ないし無害化を期待して刑罰を科すというのは許されるのではないだろうか。
カントがここで考えているのは、刑罰のことではないかもしれないが、何らかの制裁
抜きにした強制は十分な効果を持ちえないとすれば、抑止や威嚇が、公式の刑罰理論
からは相容れないが、許容されうる余地はある。
では、矯正についてはどうか。先に見たプラトンによれば、刑罰がその当人にとっ
て利益になるのだから、少なくとも手段として用いているとは言えない。確かに、教
育刑理論はパターナリスティックであり、人を自律した個人として扱っておらず21 、犬
を訓練するように人を扱っていると非難されうるかもしれない。しかし、カントの立
18 カント『人倫の形而上学的基礎づけ』p.65
19 ヘーゲル『法の哲学』p.
(p.429)。
300(§ 99[追加])
20 Hampton
21 Cf.
(1), p.115, n.6.
Morris, p.163-165.
155
場からするとおそらく、もし刑罰がプラトンの言うように犯人にとって利益になると
して正当化されるならば、刑罰によって応報が実現されなくなることのほうが重大で
あろう。
カントは、刑罰を科すことによる正義の実現ということを重視している。
「下される
刑罰の種類と程度を決めるために、公的正義が原理と基準にするものは何か。それは、
(正義の秤の針が示す)一方の側にも他方の側にも傾くことのない相等性〔平等〕とい
う原理 (Prinzip der Gleichheit) に他ならない」22 、と言う。では、この「相等性という
原理」の内実はいかなるものであるのか。カントは、
「それがどのようなものであれ、
いわれのない危害を人民に属する他の人に加えるなら、それはあなた自身に加えるこ
とになる。他人を侮辱すれば、自分自身を侮辱することになり、他の人から盗めば、
自分から盗むことになり、他の人を殴れば、自分を殴ることになり、他の人を殺せば、
自分を殺すことになる。同害報復の法 (jus talionis) が、刑罰の質と量を明確に示すこ
とができる」23 とする。これは「是正の正義」の一例であるように見えるが24 、カント
の言う「同害報復」というのは、たとえば1万円奪ったら罰金1万円、というような
単純な等式ではない。カントは、盗みの場合を例に、次のように説明している。
盗みを働く人は、他のすべての人の所有を不確実にする。だからその人は
(同害報復の法に従って)
、自分がもちうるすべての所有を不確実にしてし
まう。その人は何ももたず、何も所得できなくなるが、それでも生きたい
と望む。だがそれは、他の人に養ってもらわなければできない。国家はし
かし無償でそれを行うことはしないので、その人は自分の労力を任意の労
役(手押し車で運搬する労役その他の懲役)に使うよう国家に委ねざるを
えず、一定期間、あるいは場合によっては永遠に、奴隷の状態に身を置く
ことになる。(p.180: p.333)
現代から見れば、これはあまりにも厳しすぎるように見えるが、ここで注目すべき
なのは、盗むことによる害は、単にその金額だけで計られるものではなく、社会全体
への影響という観点から見られなければならない、とされていることである。応報刑
論はしばしば「復讐」と類似するもののように考えられ、非難されたりするが、決し
て国家による(個人的な)復讐の代行ではない25 。犯罪が、たとえそれが特定の個人
に対して為されたものであっても、個人のレベルにとどまるのではなく、社会全体の
システムに関わるものとして理解されなければならない。たとえば、ある人 A が別の
22 カント『人倫の形而上学』A332
23 Ibid.
24 Cf. アリストテレス『ニコマコス倫理学』第5巻第4章。
「すなわち、中間がより少ない量を超過してい
る分だけ、その分をより少なくもっている者につけ加え、より多くもっている者の方が中間を超過している
分を、その者がもっている最大の量から取り除かねばならないのである。
」(1132b4-6)
25 Mackie は、
「応報」は結局のところ復讐感情にその基礎を求めるしかないとし、復讐感情を進化論的に
説明することを試みている。これに対する反論としては、Murphy & Hampton, pp.117-119 を参照。応報を単
純な復讐感情に結びつけるべきではないとしても、Murphy のいう「応報的嫌悪 (retributive hatred)」のよう
な感情が、刑罰制度(あるいはもっと広く司法制度)において、どう位置づけられるべきか、さらに考えて
みる必要があるだろう。刑罰と感情の問題については、Murphy & Hampton をはじめとして、Schoeman, F.
(ed.), Responsibility, Character, and the Emotions, Cambridge: Cambridge UP, 1987 や、Bandes, S. A. (ed.), The
Passions of Law, New York: New York UP, 2001 におさめられた諸論考を検討する必要がある。
156
人 B によって自分の車を盗まれるとする。そしてちょうどそのとき(あるいはその後
でもかまわないが)、A が自分の車の盗難とはまったく独立に B の車を盗んだとする
(双方の被害金額には違いがないとする)
。お互いの車を盗みあったのだから帳消しだ
ということにはならない。A も B も窃盗という犯罪を犯したのであるから、どちらも
刑罰を科せられなければならない26 。カントによれば犯人は「何も所有できなくなる」
が、彼の所有であったものを処分するようなことがもし許されるならば、それは国家
(あるいは法システムによってその権限が与えられた組織ないし個人)だけであり、特
定の個人ではない。つまり、犯罪は単に特定の個人に対する被害という観点からだけ
評価されているではなく、社会のシステムに対する影響という観点から評価されてい
るのである。
殴ったら同じだけ殴られる、というような単純な応報でないとすれば、ある犯罪に
「値すること (desert)」は容易に判定しがたいことになる。犯罪と刑罰が「同じ」害を他
者に加えることと加えられることとの関係ではないとすれば、その間に成り立つ関係
をどう説明するかが応報主義者にとって重要な課題となる。ましてや、カントやヘー
ゲルのように厳密な同害報復の立場を取らないとすれば、さらに難しいことになる。
カントの言う「相等性という原理」に、カント的道徳理論にできるだけ則する形で、具
体的内実が与えることが試みられなければならない。
4 「何の」相等性か?
Murphy は「マルクス主義と応報」27 において、犯罪とされる行為が非難されるのは、
その行為者が、政治的義務 (political obligation) に従わないことによって、アンフェア
な利得を得ているからであり、刑罰はその利得を奪うことによって、利益と服従の間
の適切なバランスを回復することを目標としている、と主張する28 。つまり、刑罰は、
犯罪を犯した者が、
「法を順守している他の共同体のメンバーに対して負っている借り
29
(debt)」 であると言うのである。犯罪者は、相互利益的な社会的協同における、法を
順守している同胞を犠牲にしてアンフェアな利得を得ているただ乗り者 (freerider) で
ある。相互利益な関係は、ロールズの言うところの原初状態において人が必然的に選
択するであろうルールが要請するところのものであり、そのルールに従わない者にあ
る種の強制によって負担を負わせるのは、合理的存在としての彼の自律を侵害するこ
とにはならず、むしろ自律を尊重することである、とする。
Murphy は後にこの理論には重大な問題が含まれていることを認めた。すなわち、社
会契約説の文脈では、
「すでに我々の権利を侵してしまっている人をどう扱うかという
問題」よりも「まずもって人が我々の権利を侵すことがないようにするにはどうすれ
ばよいかという問題」のほうが重要だから、
「抑止が刑罰を正当化する支配的で一般的
26 この例は、Quinn, p.52-53 による。Quinn は、応報主義者が「権利喪失 (forfeiture)」という考えに訴え
ていることを批判するためにこのような例を持ち出している。
27 Murphy (1)(初出は 1973 年)
。
28 Murphy (1), p.14.
29 Murphy (1), p.14.
157
な目標であり、応報はせいぜいのところ、副次的な制約で、二次的な目標であるよう
に思える」
、というわけである30 。
こうした難点とは別に、犯罪者が「不当な利得」を得ているということは、犯罪が
まさに非難されるべき悪であることを説明しているだろうか、という疑問がある。あ
る人が別の人に不当に危害を加えるという場合、犯罪者が害しているのは、第一には
特定の被害者であって、法の遵守者一般ではない。たとえば、性的暴行を行った者は
法を守って性的暴行を控えている者に対して不当な利得を得ているというのは、性的
暴行が悪である理由を的確に説明しているとは思えない31 。
(もっとも、先に見た、カ
ントが窃盗について述べているところからすると、Murphy のような解釈は、カントの
考えに則したものであると言えるかもしれない。)
このような、ただ乗り者である犯罪者から「不当な利得」を取り除き是正すること
による是正の正義の実現という説明とは違った形で、是正の正義の図式で犯罪におけ
る悪を説明し、それによって応報的な刑罰の正当化を試みる議論として、Hampton の
「刑罰の表出的理論」
(1992 年)を次に取り上げてみよう。
Hampton は、犯罪が悪いものである所以を、権利論ではなく、価値理論 (value theory)
を基礎にして説明する。すなわち、犯罪は、被害者の価値を相対的に低いものとして
卑しめる誤ったメッセージを表出するものであるがゆえに、悪いのである。犯罪にお
いて加害者は被害者を自己利益のために使用している。つまり手段として扱っている
わけで、結果的に被害者は加害者に対して一段低い位置へとおとしめられていること
になる。応報的刑罰は、
「価値に関する誤ったメッセージを否定する方策であり、悪行
の犠牲者であった人の価値を擁護する方策」32 である。
ただし、
(応報的)刑罰は、犯人の価値をおとしめること (degradation)、さらには人
間以下の (subhuman) 地位へとおとしめることによって均衡を計ろうというものではな
く、被害者に対して相対的に高い位置にあるという犯人による支配 (lordship) の主張
を否定し、打ち倒すこと (defeating) である。これによって、被害者の一個の人間とし
ての価値が犯人との相関でも、また社会の成員との相関でも等しいものであること示
されるのであり、他方で、刑罰を受ける犯人の側がそれによって一個の人間としての
価値を否定されるまではいたらない33 。これは、ヘーゲルが応報を、
「犯罪を破棄する
こと (Aufheben)」34 と説明しているのに対応するものであると言う。もちろん、この
ように犯罪行為が暗に示している、被害者の価値 (worth) が犯人の価値よりも低いと
いうメッセージを無化することは、必ずしも苦痛を科すことによってしか実現できな
いわけではないはないかもしれないが、それが犯人を打ち倒す方法であるかぎりにお
いて、それは応報的刑罰と見なすことができる。物理的に打ち倒すというのではなく、
犯人と被害者の価値が等しいことを再確認する象徴的な意味合い、表出的意味が応報
的応答の核心である。これは、Feinberg が刑罰の「象徴的意義 (symbolic significance)」
30 Murphy
(2), p.7.
Duff & Garland, p.44.
32 Hampton (2), p.12.
33 この点を考慮すれば、応報主義であっても、刑罰のあり方として、犯人の人格をおとしめるような扱い
は適切ではないというころになる。
34 ヘーゲル、p.302 (§ 101)
31 Cf.
158
35
として指摘したものである36 。
Murphy による説明では、犯罪者とそれ以外の法遵守者との間での不均衡が問題とさ
れていたが、ここでは、犯罪者(加害者)と被害者という、犯罪行為を考える際にま
ず着目される関係について不均衡の存在が指摘され、その是正として刑罰が位置づけ
られているので、納得しやすい。
人間が人間として本来持っている(客観的)価値は動かしがたく37 、たとえ犯罪行
為が行われても、人間が人間であるかぎり、その価値が軽減されることはないはずだ
が、そうした人間性に由来するとされる価値は規範的な概念であり、現にそのとおり
に実現され、それにふさわしい扱いがなされているとは限らない。もちろん犯罪行為
以外のさまざまな社会的制約によってすべての個人に対して社会全体が対等の価値を
認めているとは限らないわけであるが、犯罪行為にあっても、加害者と被害者とは相
互に対等な価値を認め合うことにはなっていない。一時的に不均衡状態にある。それ
を是正するのが刑罰であるが、それは民事で損害賠償をするような目に見える形での
是正ではなく、社会の価値のシステムの中で成立する、象徴的なものであり、その不
均衡は相互の了解、あるいは社会の了解において成立し、意味をもつものである。刑
罰の表出するメッセージは、個人間だけでなく、社会全体に対して発せられていると
いうのは、Hampton も認める。
Hampton は、もっぱら加害者と被害者という個人間の関係で説明を行っており、そ
こでは、
「カント的な道徳的行為者」として個人がとらえられているようだが、
「さまざ
まな偶然的特性をもつことで完結している状況づけられたもの」としてとらえられる
ならば38 、犯罪行為が持つ意味を社会全体の中で位置づけることもできるだろう。加
害者と被害者との個人間の価値をめぐる関係も、社会の中でその意味を持つと考える
ならば、犯罪行為は基本的には個人と個人との間の問題ではあるが、同時にそれが社
会全体の問題でもあり、社会の中で認められている被害者の価値を社会として承認し、
確認するものとして刑罰を位置づけることができる。カントが窃盗について、当該の
者を盗まれた者に対する犯罪として位置づけるのではなく、社会全体に対する犯罪と
して位置づけたところから推測すると、カントの理論の枠内でも、こうした解釈は受
け入れ可能なのではないだろうか。
では、こうした応報理解に基づいて、刑罰における道徳教育という側面についてど
のようなことが言えるであろうか。以下では、Hampton の「刑罰の道徳教育理論」(初
出 1984 年) を参考にしながら検討する。
35 Feinberg,
p.74.
36 ただし、Feinberg
はそれが応報的な特徴をもつと捉えてはおらず、刑罰を「犯罪を科す権威自身、ある
いは『その名前の下で』刑罰が科せられるところのその者たちの側の、憤りと憤慨という態度、および否認
や非難の判断を表現するための慣習的な工夫」と説明している。
37 むろん、そのような価値が客観的なものとしてあるのかどうか、ということについてはなお議論の余地
があろうが、ここでこの問題に深入りすることはできない。ただ、普遍的に存在する客観的価値を認めなく
とも、少なくとも特定の社会においては、人間の価値に関する一定の(少なくとも最小限の)共通理解が前
提されている。それすらも認められないような社会ならば、何を悪いことを認定する尺度が全くないことに
なり、刑罰システムそのものは成り立ちえない。
38 Cf. Dare, p.36.
159
5 応報主義と道徳教育
Hampton によれば、
「矯正・改善」の理論というのは、犯罪が行われたことを心の病
いの現れのようなものと見なし、それを治療するのが刑罰だと考える立場である。そ
れが刑罰の第一の目的であるならば、受刑者が自らの罪を悔いることがなければ、刑
罰はその本来の機能を果たせなかったことになる。しかも、刑罰は、学校における教
育とは違い、一定の自由や財産を奪うといった国家による強制力の行使を含む。する
と、「
『教育』の名の下に長期の拘禁が公認されたり、人格にすら国家権力が介入する
危険が存在する」39 。つまり、過度にパターナリスティックで一方的な社会の価値観
の注入となり、自律した個人に対する適切な尊重がなくなるおそれがある。Hampton
は、自分のいう「道徳教育理論」は、そのような考えとは異なるとし、
「道徳教育論の
提唱者は刑罰を、精神的病ゆえに『病気の』患者を治療する方策として見るのではな
く、むしろ、不道徳な行動をしてしまい、その行為に対して責任があるような人に対し
て、道徳的メッセージを送る方策と見る。どちらの理論家も、刑罰が犯人に対して為
す善に関心があるのだが、その善が何かについては意見が異なる。一方はそれを、道
徳的成長と規定し、他方は、犯人が社会の慣習 (mores) を受け入れること、共同体の中
で彼がうまく機能すること (successful operation) と規定する」40 。そして、改善が達成
できるまで「治療」を受けさせるという考えはとらず、
「正義のために、人を正しいも
のとなるよう矯正することはできない。刑罰は、道徳的レッスンをほどこそうという
国家による試みであるが、犯罪者がそれを聞き入れるかどうかは、犯罪者自身次第で
ある」41 、とする。
犯罪者が後悔しないからといって、さらに罰を科すならば、応報に反する。刑罰が
それによってある正義が実現することを表出しており、刑罰の重さは、その社会にお
ける価値のバランス感覚を表現しており、それが刑罰を通じて犯罪者に伝えられるべ
きメッセージであるとすれば、必要以上の刑罰を科すことは、メッセージの内容をゆ
がめることになる。確かに、刑を受ける者が、自らの行為を悔いることが可能になる
ことが望ましいのであるが、それができないからといって必要以上に刑罰の期間を伸
ばすことは、刑罰が表現すべきこと、犯された犯罪が社会の価値システムの中でどれ
ほどの重大性を持っているかということを曖昧にし、犯人に知らすべきメッセージの
内容を自ら否定することにもつながり、矛盾した行為であるといえる。受刑者に対し
てはもちろん、被害者を含めた社会全体に対して是正の正義を明らかにするという役
割を果たすためにも、道徳教育として刑罰を位置づけるとしても限度を超えた刑罰を
なすのは適切ではない。
また、悔い改めなければ刑は終わらない、というような脅しを含む刑罰では、受刑
者はそれを(たとえ表面的にであっても)受けるしかないと感じ、道徳的成長という
(道徳教育としての)刑罰の目的を達成することにはつながらない。どのような形での
受刑者の処遇が道徳教育として望ましいかという視点から検討し直すことは必要であ
39 前田
p.30-31。
(1), p.109-110.
41 Hampton (1), p.136.
40 Hampton
160
るが、単に拘禁期間を延ばせばよいというわけにはいかない。
Hampton は、受刑者が釈放される前に悔い改めなければならないと主張することを
望まない理由として、よい国家であっても時には間違うことがあり、それに対して自
らの良心に従って不服従を貫くような者(たとえばキング牧師)に対して自由の余地
を残しておくという意義があると言う。
さらにまた、刑罰がなしうる道徳教育をあまり過大視すべきではないだろう。刑罰
が受刑者の為した犯罪行為に対応して科せられるものである以上、刑罰を通じて伝え
られるメッセージは、その行為に対する非難であって、受刑者の人格全体を否定する
ものではありえない。当該の犯罪行為はその人が身につけた悪徳の部分的な現れにす
ぎない、というようなこともあろう。教育刑の立場からすればそのような悪徳そのも
のを矯正することが望ましいとされるかもしれない。しかし、それは刑罰以外のさま
ざまな形での「道徳教育」を通じてなされるべきものであろう。
「教育」の成果を確実なものとするために、拘禁期間を当該の犯罪に「値する」以上
のものにするのは、刑罰の道徳教育理論からは正当化できない、ということは確認で
きたが、では逆に、犯人が真に自らの行為の過ちを反省し悔いている場合に、なお刑
罰を科すことは必要であろうか。いうなればすでに「道徳教育」によって期待される
結果が出ているのだから、それ以上刑罰を科しても無意味なのではないか。Hampton
はこのような問題から応報主義の立場をとるに至ったのだが42 、これは道徳教育理論
の立場を放棄することなく説明することはできるのではないか。
確かに、犯人が真に反省して、自らの否を認めるならば、もはや教える必要はない。
また、過去の自分と向き合うことで、ある種の心の痛みを感じているであろう。そう
した点は、現在裁判でなされているように、量刑に際して考慮されるべきであろう。
だが、
(道徳教育理論においても)それによって刑罰がまったく不要になるということ
にはならない。教育としての刑罰が受刑者に対して伝える内容はすでに述べたように、
応報主義、その背後にある是正の正義に基づいている。さらに、道徳教育の成果は具
体的な行為において確認される必要がある。もちろん、教育刑しては、将来犯罪を犯
さないということが直接期待される効果ではある。しかし、先ずもって当面の犯罪に
よって生じた価値の不均衡を是正しなければならないのであり、犯人と被害者、ある
いは社会の価値システムとの相関関係の中で、犯人は自分のしたことを確認するとと
もに、それ以外の者に対しても是正的正義が確認されたことを示さなければならない。
Morris は、「自分は悔いていると主張する人を一般に許すことになるならば、それは
共同体のメンバーであるということを再確立する主要な手段を壊すだろう」43 と言う。
だから、本人が反省しているからといって、刑の執行そのものを帳消しにするわけに
はいかない。Hampton は、
「刑罰の道徳教育理論」の結びで、刑罰の道徳教育理論のポ
イントを、
「悪が刑罰を引き起こすのは、痛みは痛みに値するからではなく、悪は是正
に値するからである」44 と述べている。
先に、教育刑の考えを明確に打ち出した哲学者の代表としてプラトンを取り上げ、
42 Hampton
(2), p.21.
p.107.
44 Hampton (1), p.142.
43 Morris,
161
その中に応報主義的な考えが含まれていることを指摘した。上で述べたことは、プラ
トンの道徳理論とは異なる要素を含んでいるので、そのままプラトン解釈として採用
するわけにはいかないが、教育刑論を主張するにしても、その「教育」によって伝え
られるべき内容があるはずで、それを考えるならば、応報主義的な考えは教育刑の前
提として必要となるであろう(もちろん、まったく応報主義的要素を含まない教育刑
論が不可能だとは断言できないが、適切な刑罰理論に仕上げるのは難しいのではない
か)
。そして、犯罪は魂の内の秩序が乱れの現れかもしれないが、その治療は、魂の善
さが社会の中での人間関係、各人の価値をめぐる関係の中で成立するとすれば、それ
を是正すること抜きに、個人の魂の秩序が回復されるとも思われない。刑罰はそうし
た社会の中でのある価値のシステムの中で、そのシステムを社会全体として確認する
手段としてあり、それを通じて初めて犯罪者の魂の治療(道徳教育)もその目的達成
できると考えるべきであろう。
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163
アメリカ合衆国における臨床的な倫理コンサルテーション
について
福永俊哉 (京都女子大学短期大学部)
本年度の原稿の課題は、早晩日本にも生まれることになるであろう医療現場での倫
理コンサルテーション業務の、アメリカ合衆国における発展について整理することで
ある。聞くところによると、日本でも高度先端医療を行なうとある大学病院で、患者
の道徳的ジレンマ(Moral dilemma)の解決のためのコンサルテーション業務が内部的
に開始されようとしているらしい。北米で 60 年代末から生じ始めていた事態が、約
30 年遅れで進行しつつある。しかしながら、この動きは、加速されながら日本社会に
浸透していくことになるだろう。
以下では、主として『倫理コンサルテーション —-実践ガイド』によりながら、倫理
コンサルテーション(Ethics consultation)の歴史と、北米における環境についてまと
めることにする1 。
I、エシックス・コンサルテーションの歴史
1)現場におけるニーズの誕生(60 年代末∼70 年代前半)
医療現場における臨床的な倫理相談(Clinical Ethics Consultation)であるエシック
ス・コンサルテーションは、事例への個別的対応として、60 年代末期および 70 年代
前半に、ペンシルバニア州立大、コロンビア大、ニュージャージー医大などで開始さ
れ、1970 年代に入ると医療機関(特に Institutional hospital)に勤める同僚達のために
用意され活用されはじめている。
つまり、70 年代から、高度な先端医療を行なう研究病院内部での対応としてそうし
たサービスが現れ、やがて定着していったということになるわけだが、医療技術の発
展が新しい倫理問題を生み出し、その結果、コンサルテーションの要求が現場に生じ
てきたということになる。
2)専門領域化
しかし、やがてそうした実践を行なう者の中から、やがて、明確な専門的職業活動
足り得るものであるかとの疑問が生じ、彼らはこの新たな知的領域の基礎を発展させ
る一方、倫理相談家としてのより専門的なスキル(specialized skill)を求める社会の声
がますます大きくなってきていることを発見する。
専門家としての倫理コンサルタントの自覚の誕生と、倫理コンサルタントのアイデ
ンティティーの確立へと向けた歩みが、コンサルテーションの担当者の中に生じると
1 Ethics Consultation : A Practical Guide, John La Puma and David Schiedermayer, 1994, Jones and Bartlette
Publisher, London
164
同時に、社会からも、より現場に即した実際的なスキルを求める要求が現れ始めたこ
とになる。
3)倫理学者からの独立(70 年代後半∼80 年代前半)
70 年代後半∼80 年代前半は、専門化の流れが生じると同時に、倫理コンサルタント
の活動の独自性が、倫理学者との比較からも明らかにされようとする流れが現れた時
期である。
70 年代後半には、NIH(National Institutes of Health)の臨床センターにいたフレッ
チャー(Fletcher)が、大学病院等の Research Hosptal での臨床倫理学上のディレンマ
についての体験から様々な論考を発表、1979 年、80 年にはシーグラー(Siegler)とペ
ルグリノ(Pellegrino)が臨床倫理実践のためのコンサルタントの果たすべき役割を概
略する。1980 年にジョンセン(Jonsen)が「倫理学者はコンサルタント足り得るか?」
と問い、臨床倫理の特殊性を問題としている。
1982 年には、ハンドブック『臨床倫理』が出版されている(インターンのポケッ
トサイズで。現在は 1998 年の第4版。筆者は、上に名前のあがった哲学者の Albert
R.Jonsen、医師の Mark Siegler、法律家の William J. Winslade である)。執筆者の専門
分野構成は、現場に必要な倫理コンサルテーションの性格がよく現れている。
4)生命倫理分野でのコンサルテーションサービスの認知(80 年代半ば)
1985 年、NIH と UCSF(University of California at San Francisco)の共催で、初の倫
理コンサルテーションの会議が開催された。この 1985 年時点で招待されたコンサル
タントは、51 名。このシンポジウムの結果は、フレッチャー(Fletcher, J.)
、クイスト
(N. Quist)
、ジョンセン(Jonsen)らによって編集され、その後 1989 年に出版されてい
る (Ethics Consultation in Health Care)。なおこの会議の後、 SBC (Society for Bioethics
Consultation) がアメリカに発足している。
先駆ける 51 名の人々を集めて、アメリカ合衆国レベルで初会合が持たれると同時
に、「生命倫理コンサルテーション学会」が成立するのである。
5)専門分野としての確立(80 年代後半)
1987 年、臨床倫理に関する最初の実証的研究(Clinical Ethics — A Practical Guide)
が現れ、1990 年には臨床倫理学誌 (Journal of Clinical Ethics) が出版された。また同じ
く 1990 年には、一般内科学会の年次大会で臨床倫理学分野の調査方法についてのシ
ンポジウムが開かれている。1992 年、JCAHO (the Joint Commisionon the Accreditation
of Health care Organization) が機関誌に、エシックス・コンサルテーションの特質を定
義することをテーマに雑誌を編集している。1993 年には、 SHHV (Society for Health
and Human Values) と SBC (Societyfor Bioethics Consultation) が、エシックス・コンサ
165
ルテーションの専門化と認可についてのレポートを共同で作成している。
こうして、1985 年時点でわずか 51 名に過ぎなかった倫理コンサルタント (Ethics
Consultant) の数は、1994 年には 2000 名以上となったという。また今日では、倫理コ
ンサルタントの活動の場は、大学病院等の研究病院 (Research hospital) にとどまらず、
地域の総合病院 (Community hospital) にも広がっている模様である。
II、エシックス・コンサルタント養成の現状
以上に見てきた通り、エシックス・コンサルテーションは、臨床倫理学の必要性—
—主として研究機関の付属の病院等(Research Hospital)で、道徳的ジレンマ(Moral
dilemma)に直面した同僚の相談窓口として開設され、やがてその臨床倫理学的な知見
の深まりとともに、独自の分野として発展し専門領域化してきた職種である。
1)1993 年、SHHV-SBC Task Force の報告書以後
1993 年に2つの学会が共同で職業分野としての明確化と認可制度についての報告
を行なったことは触れたが、1998 年夏には、上に触れた Society for Health and Human
Values と Society for Bioethics Consultation の共同作業で、U. S. Task Force on Standards
for Ethics Consultation の最終報告が作成され、今日ではその報告書に基づいて各地の
大学医学部付属(大学院)という形で人材養成が行なわれている。養成課程は6か月
だったり3年だったりまちまちで、学位を出す場合もあるが、MA、Ph.D とその種類
もまた様々である2 。
また、学部教育も盛んで、その裾野の拡大も見られる。たとえばロチェスター大学
には、医療人文学科(Division of Medical Humanities)が設置されている3 。ここでは
医療人文学を中心に、医事法、臨床倫理(Clinical Ethics)
、医療倫理(Medical Ethics)
、
インフォームド・エシックス、文献調査、実習といった必修科目、選択科目として、哲
学、医療史、法学、その他が開講されている。
大学院である医学校(Medical School)ではなく学部レベルにおいて、こうした専攻
が設定され、そこから医師や看護士、臨床倫理コンサルタントになる人材が養成され
ていくのである。大きな裾野を持っているということになる。現在は哲学出身のコン
サルタントの割合が最も多く、ほぼ同数で法学出身者、続いて看護士といった人々が
臨床倫理コンサルタントの資格を取得している4 。
ラ・プマ(LaPuma)とシーダーメイヤー(Schiedermayer)の『倫理コンサルテーショ
ン―実践ガイド』が出版されたのは 1994 年であるから、それ以後さらに倫理コンサル
2 cf. http://www.asbh.org/taskforce/ North American Graduate Bioethics And Medical Humanities Training Program Survey, Nov. 2001, American society for Bioethics and Humaities Status of the Field
Committee
3 cf. http://www.urmc.rochester.edu/smd/MedHum/about.htm
ここからのリンクでカリキュラム内容についてもおおよそ概観できる。
4 上記、North American Graduate Bioethics And Medical Humanities Training Program Survey 参照。
166
テーションは社会に浸透し、倫理コンサルタントは医療機関の構成員の一人として正
式に認知されるようになったわけである。
これにはやはり、生命倫理学の発展の中で、患者の自己決定権の尊重が社会に根づ
き、
「患者の自己決定法(The Patient Self-Determination Act)
」が 1990 年に法制化され
たことが大きいものと考えられる。倫理コンサルタントは、今日、患者の自己決定を
サポートすることを第一の仕事としている。自己決定のサポートこそが時代の要請と
して、倫理コンサルタントを生み出しているのである。ただし、実際の仕事としては、
家族による代理決定にも大きく関係していることもまた忘れるわけにはいかない。
2)1998 年、SHHV-SBC Task Force の最終報告書――資格認定のため
の教育課程の再検討
しかしながら、実はアメリカでの倫理コンサルテーションについての議論は次の段
階に入っている。
1993 年の、SHHV (Society for Health and Human Values) と SBC (Society for Bioethics
Consultation) 共同の 作業グループ (SHHV-SBC Task Force on Standards for Bioethics
Consultation) の、倫理コンサルテーションの専門化と認可についてのレポートに続い
て出された、同作業グループによる 1998 年の Core Competencies for Health Care Ethics
Consultation という最終レポートでは、コンサルタントの資格認定や教育内容について
は、画一化を避けるため、あくまでも自主的なガイドラインであることを要求してお
り、新しいレポートは資格認定のための教育課程を拒否しているのである5 。
この Task Force の最終レポートについては、1999 年 1 月にアメリカ医学会 (American
Medical Association) の Donald F. Phillips が、コメントを作成している6 。フィリップス
のコメントの見出しは、「New Report Rejects Accrediting of Those Who Provide Ethics
Consultation Services」というもので、Task Force のコンセンサスとして、専門家教育
が自己決定に際しての一次決定者 (primary moral dicision maker) としての役割を損な
わせること、一定の学説が成立してしまうと学際的な多様性が失われることといった、
倫理コンサルテーション業務の硬直化を危惧する考え方が支配的となってきているこ
とを報告している。
こうした出来事が表しているのは、社会の必要に応えて一定レベルのコンサルタン
トを数多く養成する段階を既に過ぎ、その質的内容の向上が考えられる状況がアメリ
カ社会に出現してきているという事態である。少々粗製乱造気味だったという反省も
あるのかも知れない。
とはいえ、日本でははたしてこういう専門職が生まれているのかと言えば、現在の
ところまだ聞かない。アメリカの場合には患者の自己決定権の尊重という意識が社会
に根づき、「患者の自己決定法 (The Patient Self-Determination Act)」が 1990 年に法制
化されたことがやはり何と言っても大きいのではないだろうか。倫理コンサルタント
5 作業グループによるこうした新しい提案については、現在 http://wings.buffalo.edu/faculty/
research/bioethics/man-joint.html に、抄録が掲載されているので参照されたい。
6 cf. http://jama.ama-assn.org/issues/v281n21/ffull/jmn0602-3.html
167
は、今日、患者の自己決定をサポートすることを第一の仕事としている。自己決定のサ
ポートこそが時代の要請として、倫理コンサルタントを生み出しているのである。こ
うした要請が日本社会においては未だ認知されていない。
III、倫理コンサルタントの仕事
1)2大業務
倫理コンサルタントの仕事は、大きくわけて2つある。1つめは、医療現場におい
て生じた道徳的ディレンマ(Moral dilemma)に対し、合法的な解決の方途と倫理的選
択肢についての説明と提案を行なうこと。2つめは、医療現場の生命倫理教育のプロ
グラム開発立案とその遂行である。
教育プログラムに関しては、例えば病院スタッフとの症例研究会や、チーム医療に
携わる同僚との意見交換会、患者や一般に向けては公開講座その他への業務紹介や生
命倫理教育といったことが考えられている。
院内での教育活動のためには、病院全体の倫理委員会――今日の日本の倫理委員会
はこのレベルにとどまる――の他に、その下部組織(Sub commitee)が構成され、倫
理コンサルタントはこの下部委員会の議長等を務めている。
2)倫理委員会との差異
コンサルテーションの要請を行なうのは、まず第一には患者あるいはその家族であ
り、また主治医、担当看護士である。次には、医療機関の責任者自身やその秘書からの
経営行政上の電話によって要請は寄せられる。いずれにせよ、道徳的ディレンマ(Moral
dilemma)の生じた現場にコンサルタントとして立ち会う人間がコンサルテーションを
行なうところに、その長所と短所がある。
バッファロー大学の「ヘルスケアの臨床倫理学と人文科学センター (Center for clinical ethics and Humanities in Health Care)」の資料(http://wings.buffalo.edu/
faculty/research/bioethics/man-comp.html)は、次のように倫理コンサ
ルタントと倫理委員会との違いを述べている。
「コンサルタント」
長所
∗ 患者やその家族との直接的な接触が可能
∗ コンサルタントは倫理委員会よりも柔軟で効果的
∗ コンサルタントはしばしば医師達に好感を持たれている
短所
∗ コンサルタント・モデルは、倫理問題は有識者に委ねられるべきだと
いうメッセージを伝えることになる
168
∗ コンサルタントから解決策を求めることで、医師達が道徳的責任を見
送ることを許すことになる
「倫理委員会」
長所
∗ 政策に密接に関連した問題は委員会に扱われた方がより適切である
∗ 学際的問題整理が、多様な観点と選択肢の概念化を提供する
∗ 委員会は、倫理的反省にとってより適当な、討論の場を提供する
短所
∗ 委員会は現場の持つ力学(dynamics)と逆の結果に陥りやすい
∗ 委員会の規模が、事例についてのレビューを求める者を怯えさせるか
もしれない
∗ 委員会は適切である以上の、政治力を持ち得る
コンサルタントのメリットは、何と言っても現場の本音を聞けるところにある。し
かしながら、それだけ現場の声に流されやすいというデメリットも、場合によっては、
現れてくることが予想される。
3)コンサルテーションの内容
内容は、経済上の問題から、法的問題、宗教上の問題と多岐にわたる。現在は哲学出
身のコンサルタントの割合が最も多く、ほぼ同数で法学出身者、続いて看護士といっ
た人々が臨床倫理コンサルタントの資格を取得していることは上に述べたが、宗教に
関しては倫理コンサルタントが扱うのではなく、宗教者が下部委員会としての倫理委
員会に属して意見を述べることが多いようである。
実際にコンサルタントが扱うことになった事例には、ラ・プマらの『倫理コンサル
テーション ――実践ガイド』では次のようなものがあげられている。
• 治療拒否
• 蘇生拒否
• 治療拒否
• 蘇生拒否/心肺蘇生
• 事前の指示
• 代理決定
• 自己決定能力
• 治療続行の可否
169
こうした事例において、コンサルテーションの要請が現れたときに、倫理コンサル
タントは、チームスタッフの1人として、患者自身の、社会的、文化的、宗教的、経
済的、個人的問題の分析を行ない、道徳的葛藤(Moral dilemma)解決のための複数の
選択肢(
『倫理コンサルテーション――実践ガイド』では原則として4つとしている)
を提示するわけである。
IV、むすび
倫理コンサルテーションは、自己決定が重視される社会に生まれた。遅ればせなが
ら、医療の高度化とともに日本でも患者の自己決定が重視され、また高度医療に不可
決の事柄であると認識されるように変化してきているように思われる。そうした医療
現場の持つ力学(dynamics)の中で、患者の自己決定をサポートするために必要とさ
れるのは、哲学、倫理学、法律、医学、看護学、宗教の知識、及び、関連文献や情報
の理解・整理能力である。
早晩、同様のサービスは日本社会においても必要となってくるものと思われるが、
昨今のアメリカでの SHHV-SBC の Task Force のレポートにも見られる通り、制度化
が進めば、コンサルテーションの仕事も教科書的な原理原則主義に陥る危険性もある。
かといって一定水準の能力をもつコンサルタントの養成は、日本社会の急務であるこ
とに変わりはない。
小回りのきく倫理問題の専門家(倫理コンサルタント)が病院に常勤していること
は、まず第一には患者の自己決定をサポートする上で非常に効果が大きい。次に第二
には、それのみならず高度化する医療の中で生じる様々な問題についての道徳的葛藤
(Moral dilemma)を抱える医療従事者や、患者の家族にとっても非常にメリットの大
きい。第三には、地域の拠点病院を中心とする人権教育のプログラムの一環としての
患者の自己決定権教育なども自治体レベル(自治体による公共サービス)では視野に
入ってくることになろう。
170
ホイッスルブローイングの正当化に関する「共犯理論」の
検討
奥田太郎 (京都大学)
はじめに
ホイッスルブローイングを論じる際に留意すべき 3 つの問題の層がある。すなわち、
第一に、
「ホイッスルブローイングとは何か」というホイッスルブローイングの本質あ
るいは定義の問題であり、第二に、
「いかなるホイッスルブローイングが道徳的に正当
か」というホイッスルブローイングの道徳的正当化の問題であり、第三に、
「なぜ、い
かにして、ホイッスルブローワーは保護されるべきか」というホイッスルブローワー
保護の問題である。これまで倫理学 (なかんずくビジネス倫理学) において比較的頻繁
に注目されてきたのは、このうちの第二の問題すなわちホイッスルブローイングの道
徳的正当化に関する議論である。そして、この道徳的正当化に関する議論は、一般に、
すでに標準となったと言っても過言ではないディジョージの 5 つの正当化条件を中心
軸として展開されてきた。実際、ディジョージ批判の代表格であるジェイムズ (James,
1993) やゴールドバーグ (Goldberg, 1993) の議論もまた、ディジョージが設定したラ
イン上から外れるものではなかった1 。そうした風潮の中、マイケル・デイヴィスは、
ディジョージ路線に対してラディカルな方向転換を迫る理論、「共犯理論 (Complicity
Theory)」を提示している。日本においても、ディジョージの著書が翻訳されているこ
ともあってか、道徳的正当化といえばディジョージの 5 条件がとりあげられ、このデイ
ヴィスの「共犯理論」に関してはほとんど知られていないのが現状である。ディジョー
ジの 5 条件が事実上の標準となっているのは動かしがたい事実であるとはいえ、今後
ホイッスルブローイングに関する倫理学的議論を深化させてゆく上で、デイヴィスの
「共犯理論」をおさえておくことは有益どころか必須ですらあろう。そこで本稿では、
デイヴィスの議論を丁寧に追いながら、浮かび上がってくる諸問題を吟味してゆくこ
とにする。後に述べるが、この吟味を通じて、ホイッスルブローイングの道徳的正当
化の問題が、ホイッスルブローイングの本質 (あるいは定義) の問題と密接にかかわり
合っていること、およびそのかかわり合い方が明らかにされるだろう。
1. 標準的理論に対する批判
ホイッスルブローイングは通常、組織に対する忠誠に反するものだと考えられがち
である。しかし、時としてホイッスルブローイングによって甚大な被害が回避されも
する。それゆえ、どのような条件を満たせばホイッスルブローイングは道徳的に正当
1 これに関しては、拙論
1998 年を参照せよ。
171
化されうるのか、を問う必要が出てくる。そこでディジョージは、以下のような 5 つ
の正当化条件を提示する。なお本稿では、デイヴィスがディジョージの表現を若干パ
ラフレーズし「標準的理論」として掲げた (Davis, pp. 89-90) ものを用いる。
ホイッスルブローイングに伴われる不忠が道徳的に許されるのは、以下のような場
合である。
(S1) 潜在的ホイッスルブローワーの属する組織が、その製品や政策によって、公衆
に対して深刻かつ相当の危害を加える。
(S2) 潜在的ホイッスルブローワーが、危害の脅威を知って、それを直接の上司に報
告し、脅威そのものおよびそれに対する反対の意を明らかにした結果、その上司が何
の動きもみせないだろうと思った。
(S3) 潜在的ホイッスルブローワーが、他の組織内手続きを尽くした (少なくとも、他
者と自分自身におよぶ危険に照らしてもっともだと思われる程度の数の組織内手続き
を用いた)。
ホイッスルブローイングが道徳的に求められる (道徳的な義務となる) のは、以下の
ような場合がこれに付け加わった時である。
(S4) 潜在的ホイッスルブローワーが、理性的で公平な観察者に正しいと確信させる
だけの証拠をもっているか、それにアクセスできる。
(S5) 潜在的ホイッスルブローワーが、その脅威を明らかにすることによってそれな
りのコストで危害を回避できるだろう、と信じるだけのもっともな理由をもっている。
デイヴィスは、この 5 つの条件から構成される標準的理論にはパラドクスが生じて
いる、と指摘する。ここで言われているパラドクスとは、理論と事実との間の不整合
である。デイヴィスによれば、標準的理論が示す「正当なホイッスルブローイング」
は、われわれが経験的に正当だとみなすと思われるホイッスルブローイングをうまく
すくいあげられていない。そのパラドクスとして、
「重荷のパラドクス (the paradox of
burden)」
「危害不在のパラドクス (the paradox of missing harm)」
「失敗のパラドクス (the
paradox of failure)」の 3 つが提示されている。デイヴィス自身の「共犯理論」を論じ
る前に、彼が標準的理論の欠陥として掲げているこれら 3 つのパラドクスを見ておく
必要がある。
1.1 重荷のパラドクス
ディジョージによれば、5 つの条件が満たされるときにホイッスルブローイングが道
徳的に求められるのは、
「人々は、もしわずかのコストでできるなら、他者への深刻な
危害を予防する道徳的な責務を負っている」(DeGeorge, p. 516) からである。この「も
しわずかのコストでできるなら」という条件節が反映された標準的理論では、ホイッス
ルブローイングが道徳的に求められる (5 つの条件が満たされた) 状況にあっても、ホ
イッスルブローワーは、道徳的にすべきことの最小限度を実行するにすぎないという
ことになる。しかし、実際にはホイッスルブローワーは常に、自分のキャリアに対し
172
てかなりのリスクを背負い、自らの経済的な安全や人間関係に対してもかなりのリス
クを背負って行動に出るのである。それゆえ、ホイッスルブローイングは通常、
「最小
限度以上のよいことを行うこと」だと考えられるべきものである。ここに、標準的理
論が想定するホイッスルブローワーの負担と、現実のホイッスルブローワーの負担と
の不整合が見られる。デイヴィスはこれを「重荷のパラドクス」と呼ぶ。このパラド
クスゆえに、標準的理論に基づいてホイッスルブローイングの事例を考察すると、ほ
とんどのものが正当化不可能となる (少なくとも S4 と S5 が満たされないままとなる)
ように思われる。
ただし、附言しておくと、ディジョージがホイッスルブローワーの負担を軽視して
いたわけではない。ディジョージは、ホイッスルブローワーが陥るはずの苦境をよく
理解していたがゆえに、その道徳的正当化に際して慎重な条件を用意したのだと思わ
れる。これに対して、そのような条件を満たして正当化されるような事例は実際には
皆無に等しい、というのがデイヴィスの指摘である。デイヴィスが「不整合」という言
い方よりも「パラドクス」という言い方を好んで用いているのは、理論と事実の間に
こうした微妙な関係があることを示すためでもあろう。ディジョージの意図に関わら
ず、標準的理論を現実の事例に適用すれば、ほとんどすべての場合において「やって
も許されるがしなくてもよい」という判定が下されることになる。しかしこれは、実
際のホイッスルブローワーのほとんどが口にする「自分は自分のなすべきことをなし
た」という真摯な発言を等閑に付す結果となってしまうだろう。デイヴィスの狙いは
おそらく、この点に関する注意喚起である。
1.2 危害不在のパラドクス
標準的理論によれば、ホイッスルブローイングが道徳的に許されるためには、
「深刻か
つ相当な危害」を避けようとしなければならない。さらにディジョージは、ホイッスル
ブローイングを正当化するほどの脅威は生命か健康に対するものでなければならない、
と述べている (DeGeorge, pp. 524-5)。これについてはジェイムズによる批判 (James,
pp. 536-8) が有名である2 が、たとえ身体的なものから財産的なもの、心理的なものへ
と拡張することに成功したとしても、それらが「危害」という枠の中で考慮される限
り同じことだ、とデイヴィスは指摘する。単なる不正、詐欺、浪費などは「危害」に
含めるには弱すぎる。しかし、ホイッスルブローイングの事例の多くは、
「深刻かつ相
当な危害」に関するものではなく、むしろこうした「道徳的不正 (moral wrong)」に関
するものなのである。たとえば、チャレンジャー号の事例3 の場合にも、ボワジョリー
がホイッスルブローイングを行なったのはシャトル爆発後であり、その時点ではそれ
以上の「危害」が生じる可能性はほとんどなかった。ボワジョリーがなしえたのはせ
いぜい記録改竄の予防にすぎない。記録改竄は「危害」というよりむしろ「道徳的不
正」に属するものである、とデイヴィスは考える。それにもかかわらず、標準的理論
2 ディジョージ
VS ジェイムズの論争については、拙論 1998 年、2003 年を参照せよ。
3 デイヴィスはこの事例をホイッスルブローイングの最も人口に膾炙した典型事例とみなし、一貫して議
論のための試金石としている。
173
を支持する論者たちは、
「道徳的不正」以上の意味をもった「危害」を正当化条件の最
初に掲げている。デイヴィスはこれを「危害不在のパラドクス」と呼ぶ。
確かに、日本におけるホイッスルブローイングの事例と言われる最近の事件にして
も、問題となっている事柄は、詐欺に代表される「道徳的不正」ばかりであり、
「危害」
と呼ぶには至らないものがほとんどである。すると、標準的理論を日本の事例に適用
すれば、日本におけるほとんどのホイッスルブローイングが正当化の第一条件の段階
で失格の宣告を下されることになってしまう。これはやはり理論の抱えるパラドクス
と言わざるをえないであろう。
1.3 失敗のパラドクス
最後のパラドクスは、第二のパラドクスに関係している。「危害不在のパラドクス」
が示していたように、一般にホイッスルブローワーはそれほど大きな危害を予防して
いるわけではない。実際、チャレンジャー号の場合を見ても、シオコール社は現在も
事故以前とたいして変化しておらず、ボワジョリーの証言が記録改竄以上の危害を予
防したとは考えがたい。それゆえ、もしホイッスルブローワーが S5 を満たさなければ
ならないなら、ほとんどのホイッスルブローイングは事実上正当化不可能であること
になってしまうだろう。また、ホイッスルブローワーが、自分の行為を標準的理論に
よって正当化すべく、道徳的不正以上の危害を防ごうと躍起になればなるほど、その
ホイッスルブローイングは成功しにくくなる。デイヴィスはこれを「失敗のパラドク
ス」と呼ぶ。
2. 「共犯理論」
こうして、標準的理論が陥っている 3 つのパラドクス (「重荷のパラドクス」、
「危
害不在のパラドクス」
、
「失敗のパラドクス」) のいずれをも回避しうる代替案として、
「共犯理論」が提出される。デイヴィスは、ほとんどのホイッスルブローワーが単なる
第三者ではなく告発対象となる当の活動に自ら深く関与している、という事実から、
ホイッスルブローワーの責務が、
「危害を予防する能力」に由来するのではなくむしろ
「不正行為の共犯 (complicity)」に由来する、という理解にたどりつき、そう理解した
方がホイッスルブローイングの正当化問題をうまく取り扱える、と考える。
さて、デイヴィスの「共犯理論」とは、以下のようなものである (Davis, p. 93)。
あなたが自分の知っていることを公衆 (あるいは適切な仲介者や代表者) に対して明
らかにするよう道徳的に求められるのは次の場合である。
(C1) あなたが明らかにするものは、あなたが組織で働いていることに由来する。
(C2) あなたは自分の意志でその組織の一員となった。
(C3) あなたは、その組織が、合法的なものだが、深刻な道徳的不正行為に関与して
いる、と信じている。
174
(C4) あなたは、自分の知っていることを公にしないなら、自分がその組織で働くこ
とがその不正の (多かれ少なかれ直接的な) 一因となる、と信じている。
(C5) あなたが C3 と C4 の信念をもつことは理に適っている。
(C6) C3 と C4 の信念は真である。
2.1 3 つのパラドクスをいかに免れているか
「共犯理論」では、まず、共犯それ自体が危害ではなく不正行為を前提しているた
め、自動的に「危害不在のパラドクス」を回避することになる。このパラドクスは、ホ
イッスルブローイングの対象が「危害」であるのか「道徳的不正」であるのか、という
最初の設定を変えることによって容易に回避できる。したがって、標準的理論の枠の
中でも、
「危害」を「道徳的不正」に置き換えることによって「危害不在のパラドクス」
を克服することはおそらく可能である。それよりも、標準的理論と「共犯理論」が鮮
明な対照をなすのは、むしろ「重荷のパラドクス」に関してである。
共犯は、危害予防能力の場合よりもさらに厳しい責務を呼び起こす。それゆえ、
「共
犯理論」は「重荷のパラドクス」をも回避できる、とデイヴィスは述べる。デイヴィ
スによれば、われわれは、道徳的な不正行為を避けるという道徳的責務を負っている。
すなわち、最善の努力にもかかわらず自分が何らかの不正に関与していると気づいた
時に、われわれは何とかするためにできる限りのことを行なう責務を負っているので
ある。たとえば、交通事故を起こした場合、われわれは助けを呼び (たとえ何もできな
かったとしても) 助けが来るまでその場にとどまるという道徳的責務を負う。この基
本原理に基づき、自分自身が何らかの形で不正に関与しつつある時には共犯の絆を断
ちきるという道徳的責務をわれわれは負う、ということになる。
デイヴィスの議論からは少し離れるが、こうした「共犯理論」は、倫理学的には義
務論的アプローチとして理解されうるだろう。標準的理論の場合には、どの程度危害
を予防しうるか、それにかかるコストはどの程度のものか、といった帰結に関する考
慮が必要とされる。ディジョージが自覚的に行なっていることからも明らかなように、
標準的理論は帰結主義的な枠組みによって構成されている。それに対して「共犯理論」
は、自分が不正に関与している (自分が不正の共犯である) ことによって喚起される、
何とかするためにできる限りのことを行なうという道徳的責務をこそ重視する。する
と、標準理論=帰結主義的アプローチ、
「共犯理論」=義務論的アプローチという対比
ができあがるが、それによって今度は、「重荷のパラドクス」回避の可否がこのアプ
ローチの違いによって左右されるのかどうか、という問いが生じてくるだろう。本稿
ではこれについて踏み込むことはしないが、ひとつ指摘しておくとすれば、義務論的
アプローチをとる「共犯理論」の方が、実際のホイッスルブローワーの多くが「大変
なことをしてしまった」と思う一方で「自分のなすべきことをしたまで」という思い
を抱くという実情、つまり「重荷」と「責務感」の実情を正当化条件そのものに直接
反映させ得ている。
最後に残された「失敗のパラドクス」については、デイヴィスの論述の順序に倣い、
175
標準的理論との対比において「共犯理論」を詳しく検討する途中で触れることにしたい。
2.2 標準的理論との相違点
デイヴィスは、「共犯理論」の C1 から C6 までの条件を提示した後、それらが、標
準的理論とどのような対比をなすのかをひとつひとつ吟味している (Davis, pp. 93-6)。
本稿においてもそれを追う形で検討を進めてゆく。
C1 について
(C1) あなたが明らかにするものは、あなたが組織で働いていることに由来する。
デイヴィスによれば、この C1 によってホイッスルブローワーはスパイから区別さ
れる。スパイが暴露のために情報を探すのに対して、ホイッスルブローワーは、組織
の中の適切な部署で自分に割り当てられた仕事を行なう者としてそれを知る。スパイ
の場合、本来の仕事は組織の中で割り当てられる仕事ではなく、暴露する情報を探す
ことに他ならない。ホイッスルブローワーの場合には、不正に関する情報を知ってし
まうのはあくまでも偶然でありながら、そこで仕事をしていなければ目にすることも
耳にすることもなかったであろう、という状況に置かれている。このような大きな違
いがあるにもかかわらず、標準的理論では、ホイッスルブローワーが当の脅威をどの
ようにして知るのかが明らかではない、とデイヴィスは指摘する。S2 だけでは、スパ
イもまたホイッスルブローワーの一種であることになってしまう、というのである。
「脅威をどのようにして知るのか」がホイッスルブローイングにとってかなり重要
なポイントになるという指摘は、デイヴィスの慧眼である。脅威あるいは不正の存在
が認知されるに至る過程は一般に考えられているほど単純なものではない。おそらく
多くの場合、ほんの小さな、それゆえ見過ごされがちな不正行為が積み重なり、ある
閾値を超えたところで「告発されるべき不正」が認知されるに至る、という過程をた
どっているはずである。不正行為が実体的に存在し、それを誰か特定の人物だけが行
なっている、という単純な図式でホイッスルブローイングを論じることは的はずれで
あるどころか有害ですらあるだろう。この論点については、非常に重要ではあるがデ
イヴィスの意図を離れすぎるため、本稿ではこれ以上論究せず別の機会の課題とした
い。さて、デイヴィスはホイッスルブローワーをスパイから区別するための項目を正
当化条件の中に含めており、それができていない点で標準的理論は「共犯理論」に劣
る、と主張している。しかし、スパイからの区別が問題となるのはあくまでもホイッ
スルブローイングの定義の文脈においてであって、その道徳的正当化の文脈ではない。
ディジョージら標準的理論の正当化条件が問題としているのは「ホイッスルブローイ
ングとは何か」ではなくて「正当なホイッスルブローイングとはどのようなものか」で
ある。こうした定義と正当化という議論の層の違いをないがしろにしているのが、デ
イヴィスの議論の弱点である。この弱点については、後ほど章を改めて論じる予定で
ある。
176
C2 について
(C2) あなたは自分の意志でその組織の一員となった。
デイヴィスによれば、ホイッスルブローワーは、当該組織に 自分の意志で(voluntary)
所属しているのでなければならない。すなわち、ホイッスルブローイングは、奴隷や
囚人などの非自発的な参与者による活動ではない。標準的理論の場合、ホイッスルブ
ローワーは一般に「被雇用者」であるので、結果的に自発的な参与者であることにな
る。
「共犯理論」は、標準的理論において暗示されるにとどまっていた要素を明示化し
ている。この明示性の違いが重要なのだ、とデイヴィスは指摘する。
標準的理論では、危害予防の能力こそが決定的なファクターなので、雇用の自発性
は外在的なファクターにとどまっている。それに対して、
「共犯理論」では自発性こそ
が決定的なファクターである。なぜなら、共犯に由来する道徳的責務は、不正行為に
荷担する際の自発性に左右されるからである。たとえば、
「殺すぞ」と脅されてギャン
グの窃盗行為に荷担させられた人と、自発的に荷担した人とでは、共犯関係を断ち切
るようにと求められる責務の強さが違ってくるだろう。それゆえ、義務論的アプロー
チをとる「共犯理論」では、あるホイッスルブローイングが正当である (道徳的責務で
ある) とみなされるためにはまず雇用の自発性が保証されていなければならない。
少し揚げ足取り的な指摘をしておくと、デイヴィスは上に述べたようにギャングへ
の荷担の例を出しているが、これは例としては不適切であろう。なぜなら、ホイッス
ルブローワーは組織に対して自発的な参与者であるかもしれないが、だからといって、
組織の中で行なわれた不正行為に対しても同じく自発的な参与者であるとは言えない
からである。C1 について述べた際に若干言及したように、不正が目の前で一挙に立ち
現れるとは限らない。それゆえ、不正行為に対する関与が本当に自発的なものであっ
たのかどうかは判定困難だと思われる。また、組織には自発的に入ったが、不正の共
犯を強要され、それでもなお組織に自発的にとどまり続けるような場合も多いはずで
ある。したがって、デイヴィスが問題にすべきなのは、不正に対する関与の自発性で
はなく雇用 (所属) の自発性なのだから、ギャングの例はミスリーディングであろう。
C3 について
(C3) あなたは、その組織が、合法的なものだが、深刻な道徳的不正行為に関与して
いる、と信じている。
この条件で肝心なのは、正当化のために「危害」ではなくて「道徳的不正」を要求
している、という点である。この条件によって、
「共犯理論」は「危害不在のパラドク
ス」を回避している。デイヴィスによれば、「危害」の場合、もしそれが 予防される
べきものであるのなら、その危害は「新たに起こる出来事」でなければならない。そ
れに対して「不正」は、そうした「新たに起こる出来事」である必要はない。たとえ
ば、すでに行なわれている不正の事実について沈黙を続けることもまた、
「不正」の中
に含まれるのである。
177
この「新たに起こる出来事」であることが要求される点で、
「危害」をホイッスルブ
ローイングの正当な対象とする標準的理論はかなり高いハードルを設定しているよう
に思われる。
「道徳的不正」を正当な対象とする「共犯理論」では、すでに起こった不
正であっても、その事実を明らかにすることによって「不正」を退けることが可能だ
と考えられるのである。では、どんなに些細な不正であってもホイッスルブローイン
グの正当な対象となるのだろうか。これに対してデイヴィスは少し標準的理論に歩み
寄ることになる。
デイヴィスは、ホイッスルブローイングが「深刻な」ものであることを要求する点
では「共犯理論」と標準的理論とは同じである、と述べている。すなわち、標準的理論
において軽微な危害はホイッスルブローイングを正当化できないのと同じように、
「共
犯理論」においても軽微な不正行為はホイッスルブローイングを正当化できない。さ
らにデイヴィスは、軽微な不正行為の暴露をホイッスルブローイングからは区別して
「告げ口」と呼んでいる (Davis, p. 94)。
しかし、ここで問題は一部振り出しに戻ってしまう。なぜなら、どの程度の不正で
あればホイッスルブローイングを正当化しうるのか、という議論が、「共犯理論」の
外部に置き去りにされてしまっているからである。実際、標準的理論の枠内において
すでに「危害」の程度に関する論争が行なわれてきた。たとえばジェイムズは、ディ
ジョージの提示した「身体や生命に対する脅威」という「危害」の水準に対して高すぎ
ると抗議し、改訂版である「権利に基づく正当化条件」を提示している。そこでの争
点は、「危害」の正当な程度を定める基準とはどのようなものか、であった4 。
「危害」
というある程度明確な基準を設けうるものですら論争を惹起するのだから、
「道徳的不
正」というさらに曖昧さを含むものであれば、もめにもめる泥仕合を招くことは想像
に難くない。残念ながら、これに関してデイヴィスは何も語ってはいない。一見潔く
見える義務論的アプローチの「共犯理論」も、この段になって帰結主義的考慮を入れ
ざるを得ない。デイヴィス本人は一度も「共犯理論」を義務論的アプローチと称して
いないのではあるが、この部分における帰結主義的考慮の必要性を軽く見ているのだ
とすれば、
「共犯理論」の正当化条件としての妥当性はやや色褪せてしまうことになる
だろう。
C4 について
(C4) あなたは、自分の知っていることを公にしないなら、自分がその組織で働くこ
とがその不正の (多かれ少なかれ直接的な) 一因となる、と信じている。
デイヴィスによれば、ホイッスルブローワーは、自分の暴露によって不正が予防さ
れるだろうと信じている (したがって、S5 を満たす) ことは要求されないが、何もしな
ければ自分のしている仕事や作業が当の不正の一因となってしまうと信じていること
が要求される。つまり、
「共犯理論」の枠組みの中では、ホイッスルブローワーが自分
の知っていることを暴露するのは、不正の共犯を避けるためであって、不正そのもの
4 これについては拙論
2003 年を参照せよ。
178
を避けるためではない、と考えられているのである。暴露そのものがとりもなおさず
共犯の絆を断ち切ることであるので、ホイッスルブローワーは、知っていることを公
にするだけで共犯を避けることができる。それゆえ、ホイッスルブローイングは、正
当であるかはともかく、成功が保証された行為だということになる。こうして「共犯
理論」は「失敗のパラドクス」を免れるのである。
この C4 こそが、
「共犯理論」の核心である。標準的理論が、挙証可能性や有効性を
正当化条件に含めているのに対し、
「共犯理論」は、ホイッスルブローイングをしなけ
れば共犯になる以外にないという信念を正当化条件の中心に据えている。挙証可能性
や有効性といったデータの組み方次第でどうにでもなりそうなものに訴える迂路を避
け、共犯になるか否かという一見明確に思える状況を要求しているのが、
「共犯理論」
の長所のひとつであろう。
C5 と C6 について
(C5) あなたが C3 と C4 の信念をもつことは理に適っている。
(C6) C3 と C4 の信念は真である。
「共犯理論」では、情報の暴露による共犯の回避が正当化の核心にあるため、ホイッ
スルブローワーは、当の不正について他者を納得させられるだけの証拠を手に入れて
いる必要はない。デイヴィスによれば、他者を納得させられるか否かは正当化条件に
含まれないのである。したがって、標準的理論の S4 は「共犯理論」には含まれない。
しかしながら、C5 と C6 では、ホイッスルブローワーの信念が 理に適っている だけで
なく、真である ことも要求されている。もし不正か共犯のどちらかについて間違って
いる (したがって、C5 か C6 を満たさない) のなら、その場合の暴露は正当なホイッス
ルブローイングではないと判定される。
潜在的なホイッスルブローワーが、共犯についてのみ間違っているのなら、当の不
正の暴露は、他の点では正当化されるが、ホイッスルブローイングとしては正当化さ
れない。自分が自発的に所属する組織が不正を行なっていることは真であったが、実
際には自分が共犯になっているわけではなかった場合、その人が行なった報告行為は
正当なものだとみなされはするが、正当なホイッスルブローイングだとはみなされな
い、というわけである。
しかしながら、ここでのデイヴィスの論述は若干混乱しているように思われる。ポ
イントとなる問いは、自分が共犯とはならない不正に関する報告行為は、ホイッスル
ブローイング である のか否か、である。デイヴィスが「ホイッスルブローイングとし
ては正当化されない」と述べるとき、その行為は正当でないにせよやはりホイッスル
ブローイングなのだろうか。もしホイッスルブローイングなのだとすれば、ホイッス
ルブローイングには、自分が共犯となっているものと自分が共犯となっていなかった
ものとが含まれることになる。自分が共犯となっていようがいまいが、ホイッスルブ
ローイングを行なったことでホイッスルブローワーが報復され、標的となった組織が
解体に追い込まれるような場合に、
「そのホイッスルブローイングは自分が共犯ではな
179
かったという 1 点において正当ではない」とか「そのホイッスルブローイングは自分
が共犯になりつつあったがゆえに正当である」などと言うことにどれほどの実質的な
意味があるのだろうか。デイヴィスは、共犯可能性を「ホイッスルブローイングの正
当化条件」に入れるのではなく、
「ホイッスルブローイングの本質」を構成するものだ
と考えるべきだったと思われる。
「ホイッスルブローイングとしては正当化されない」
というのは実のところ、
「ホイッスルブローイングではないから正当化の対象にならな
い」と表現されるべきだったのである。こうした混乱は、デイヴィスが定義の問題と
正当化の問題の別を明確に意識していなかったために生じているように思われる。
さて、話を少し戻して、潜在的なホイッスルブローワーが、不正について間違って
いる場合を考察しよう。デイヴィスによれば、行われていると信じていた不正が実は
行なわれていなかった、という場合には、たとえその誤った信念をもってしまったこ
と自体が証拠に基づいて完全に正当化されるとしても、その信念によって不忠が正当
化されるわけではない。できるのはせいぜい、不忠について弁明することくらいであ
る。また、よい意図をもって理に適った配慮のもとに行動したという限りで、その人
は不運の犠牲者とみなされるかもしれない。それでもなお、その人には、謝罪し、間
違いを正し、何とかする責務がある、とデイヴィスは述べる。
ここから伺われるように、不正に関する信念が理に適っていること、かつ、真であ
ることが、
「共犯理論」においてホイッスルブローイングの正当性を定める上での重要
なポイントとなっている。しかし、不正に関する信念の真実性が問われるのであれば、
標準的理論の S4 が求めているものと「共犯理論」との間に何か実質的な違いが存在す
ると言えるのだろうか。
S4 と C6 との最大の違いは、S4 が実質的な証拠をホイッスルブローワー自身が入手
しているか入手可能であることを要求するのに対して、C6 は、ホイッスルブローイン
グが行なわれる時点で証拠が入手できなくとも後で不正の真実性が証明されればよい、
と解釈する余地を与えているところである。また、C3 と C4 の真実性を証明するのは、
ホイッスルブローワー当人でなくともよいのである。これは逆に言うと、ホイッスル
ブローイングをしなかった者が、第三者から遡及的に「お前には共犯を避ける道徳的
責務があった」と非難される可能性を含意している。
その他の相違点
以上、C1 から C6 までの詳細を検討したが、残された相違点について簡単に述べて
おこう。まずは、標準的理論では S2 と S3 において内部経路を尽くすことが要求され
ていたが、
「共犯理論」ではそれが明確に言及されていない、という点についてである。
デイヴィスは、この点については両理論に実質的な差はない、と考える。
たとえば、内部経路を尽くすことで十分に不正を予防できた場合、標準理論では S2
か S3 で打ち止めとなるが、
「共犯理論」でも、暴露によって不正の共犯となる可能性
はないわけだから、C4 かつ C6 が満たされず打ち止めとなる。また逆に、内部経路を
尽くしても不正を予防できない場合には、標準理論では S3 まで満たされることになる
180
が、
「共犯理論」でも C4 かつ C6 が満たされることになる。デイヴィスによれば、
「共
犯理論」では、内部経路を尽くすことは、組織のしていることを知るための方法のひ
とつであり、独立した正当化要件に含まれるものではない。
最後に、決定的な相違点を述べる。標準的理論では、道徳的に求められないが道徳
的に許される場合の条件をも規定している。つまり、S1 から S3 までが満たされる場
合が道徳的に許される場合であり、S4 と S5 が加わって道徳的に求められる場合とな
る。これに対して「共犯理論」は、道徳的に求められるホイッスルブローイングのみ
に関する理論である。つまり、
「共犯理論」における道徳的正当化の作業とは、ホイッ
スルブローイングが道徳的責務とみなされるか否かを判断することに他ならない。デ
イヴィスは、道徳的に求められるもののみを取り扱う「共犯理論」の方が、道徳的に
求められないが道徳的に許される、という「うまく説明できない」状態を持ち込まな
い点で優れている、と考えている。
3. デイヴィスによる問題のフレーミング
以上、ディジョージに代表される標準的理論とは一線を画するデイヴィスの「共犯
理論」を一通り検討した。確かに「共犯理論」の正当化条件は、ディジョージの正当化
条件とは完全に性質の異なる新しい枠組みを提示している。また、義務論的アプロー
チと帰結主義的アプローチという倫理学の方法論上の違いも示唆されている。しかし、
見逃されがちではあるが重要なポイントとして、デイヴィスが行なっているホイッスル
ブローイングの本質に関する論述を取り上げておく必要があろう。デイヴィス自身は
自覚していないようだが、ホイッスルブローイングがなぜ正当化を必要とするのか、と
いう問いを通じて彼はホイッスルブローイングの定義 (問題のフレーミング) を行なっ
ている。
デイヴィスはまず、道徳的に正しいとわかっている行為や道徳的に不正だとわかっ
ている行為、あるいはどちらでもよいような行為の場合にはそれらを正当化する必要
はまったくない、と述べ、
「なぜホイッスルブローイングは正当化の理論を必要とする
ほどに厄介なのか?」と問う。そして、ホイッスルブローイングが道徳的に問題化する
のは、組織というファクターのせいである、と答える。具体的には次のような規定がな
されている。(1) ホイッスルブローワーであるためには、自分が 任せられている情報
について開示するのでなければならない。(2) ホイッスルブローワーが属する組織は、
基本的に法に従い道徳的にまともで忠誠に値するように思われるものでなければなら
ない5 。 (3) ホイッスルブローワーは、
「なすべきことをなした」と主張できなければな
らない6 。
(1) から (3) は、ホイッスルブローイングの本質を規定する「定義の問題」に対する
5 たとえば、窃盗団のような犯罪組織の中の情報をメンバーが開示しても、それをホイッスルブローイン
グとは呼ばない。これは、ホイッスルブローイングが単なる「裏切り」の問題ではないことを示唆している。
6 たとえば、偽証罪を免れたい一心で証言をした結果、偶然それが不正に対する告発となった場合、それ
をホイッスルブローイングとは呼ばない。ホイッスルブローイングは、組織における自分の位置を「志高
く」しかし「無断で」乱用するからこそ倫理学の問題対象となる。
181
デイヴィスの見解である。デイヴィスはこの時、無自覚ながら、
「定義の問題」におけ
る特定の立場を選択しているのである。デイヴィスの議論において注目すべきなのは、
彼の「定義の問題」についての見解が、そのまま正当化条件に現れてきている、とい
う点である。たとえば (1) は C1 に、(2) は C2 に現れている。要するに、「共犯理論」
の C1 と C2 は、厳密に言うなら、デイヴィスによるホイッスルブローイングの定義で
あって、正当化条件の中に含めるべきものではない。C5 と C6 に関する検討のところ
で述べたが、
「共犯理論」の核である共犯可能性ですら、正当化条件というよりむしろ
定義の一要素だと考えた方がよい場合がある。定義の問題と正当化の問題という層の
区別が、デイヴィスの議論には決定的に欠けているのである。7
最後に、なぜホイッスルブローイングは倫理学の問題となるのか、に関するデイヴィ
スの見解をもうひとつ紹介しよう。そもそもホイッスルブローワーは、組織が開示を
望まない情報を開示する。つまり、ホイッスルブローワーは、組織が望まないことを
している、ということになる。しかし、そもそも組織が望むこととは何なのか、とデ
イヴィスは問うのである。デイヴィスによれば、組織が望むことは、組織を代弁する
人々やグループによって異なり、一義的には定まらない。チャレンジャー号の事例に
しても、爆発事故以前は経営幹部の方が組織の望むこと (すなわち組織の利益) を代弁
していたのである。さて、通常、ホイッスルブローイングは道徳的正当化を必要とす
る、と考えられている。それゆえ、ホイッスルブローワーであるためには、一度、少
なくとも一時的に、組織が望むことをめぐる論争に敗れていなくてはならない、とデ
イヴィスは述べる。ホイッスルブローワーは、内部での論争の「勝者」が語る意味で
のみ不忠なのではあるが、その不忠は、
「勝者」によって語られているという点で、正
当化を必要とする無視できないものなのである。
デイヴィスの議論は、当然ながら、ディジョージに代表される標準的理論に対する
オルタナティヴを提示しているという点でまず注目されるべきものである。それに加
えて、組織内の不正を知るに至るプロセスの問題や、組織が望むことに関する論争の
問題等、ホイッスルブローイングを考える上で非常に重要な問題群を示唆している点
でも評価されてよいだろう。
文献
• Davis, Michael, ‘Some Paradoxes of Whistleblowing’, in Ethics at Work, ed. by
William H. Shaw, Oxford University Press, 2003. (Reprinted from Business and Professional Ethics Journal vol. 15 (Spring 1996).)
• DeGeorge, Richard T., ‘Whistle Blowing’, in Business Ethics: A Philosophical Reader,
ed. by Tomas I. White, Macmillan, 1993.
7「共犯理論」は、正当化条件が満たされてホイッスルブローイングが道徳的義務だとみなされる場合に
は「共犯の回避」という強みを活かした論証を構築できる。しかし逆に、正当化条件が満たされない時には
「共犯の有無」はそれほど重要なファクターではなくなってしまう。その際に重要なのは「不正の真実性」だ
けである。
182
• Goldberg, David T., ‘Tuning in to Whistle Blowing’, in Business Ethics: A Philosophical Reader, ed. by Tomas I. White, Macmillan, 1993.
• James, Gene G., ‘Whistle-Blowing: Its Moral Justification’, in Business Ethics: A
Philosophical Reader, ed. by Tomas I. White, Macmillan, 1993.
• 奥田太郎、「内部告発は道徳的に許されるか —ディジョージの正当化条件の検
討」
、
『生命・環境・科学技術倫理研究 III』、千葉大学、1998 年。
• 奥田太郎、
「ホイッスルブローイングの倫理」
、
『情報倫理の構築』
、水谷雅彦ほか
編、新世社、2003 年 (印刷中)。
183
184
第 IV 部
文献紹介・講演報告
186
デヴィッド・ミラー
「社会的正義と環境財」
高津融男 (関西大学)
出典:
David Miller, “Social Justice and Environmental Goods,” in Andrew Dobson (ed.), Fairness and Futurity: Essays on Environmental Sustainability and Social Justice, Oxford University Press, 1999, pp. 151-172.
キーワード:
環境財、社会的正義、リベラリズム、基本財、審議的手続、費用便益分析
I 著者及び文献の紹介
著者のデヴィッド・ミラーは、現在、オックスフォード大学ナフィールド・カレッジ
の社会・政治理論のオフィシャル・フェローである。主な作品に、Social Justice (1982),
Market, State, and Community (1986), On Nationality (1992) があり、Oxford University
Press から出版されている。最近作に、Principles of Social Justice (Harvard University
Press, 1999) がある。
ミラーの論文は、アンドリュー・ドブソンが編集する Fairness and Futurity に収録
されており、ドブソンが勤務するイギリスのキール大学で、1996 年に開催された研究
セミナー用の原稿に加筆修正されたものである。セミナーの目的は、環境問題わけて
も持続可能性の問題と、民主主義や社会的正義といった政治的な問題について、この
二つの問題の関係を明らかにすることであった。ミラー論文は、ジョン・ロールズと
ロナルド・ドゥオーキンに代表されるリベラルな社会的正義論の枠組みを明らかにし、
それを部分的に修正することで、環境問題を社会的正義論の内部に組み込もうとする
のである。
II 内容の紹介
(1)主題とアプローチ
ミラー論文は、「環境財を社会的正義論にいかにして組み込むことができるか」と
いう問題を、社会的正義論の側からアプローチする。社会的正義論は「諸個人の間で
187
利益と負担をいかに公正に分配するか」という問題を論じる。環境財は、誰もが利用
できる財であるため、個人に分配されるものではない。そのため、環境財は社会的正
義の議論の対象とはならなかった。環境財の価値については、環境哲学が議論してき
た。しかし、環境哲学は環境配慮と社会的正義の調和について論じてこなかった。ミ
ラーは環境配慮と社会的正義を同時に追求しうる制度と基本原理を考察すべきだと主
張する。
(2)環境政策と社会的正義
ミラーは、環境財の範囲を広くとらえる。たとえば、自然の景観、希少動物、エコ
システムなどである。環境財には、人々が積極的な価値を与える環境のあらゆる側面
が含まれるのである。そのため、環境財の価値評価は実に多様である。政府が環境政
策を決定する場合、環境財に対する人々の価値評価が一致することは少ない。
政府が環境政策を実施するとき、環境財の価値評価の対立という問題に加えて、次
のような問題が生じる。第一に、環境政策の実施によって人々の自由が制限されうる。
第二に、環境財の提供は公共支出をともなうため、教育や福祉といった他の公共支出
が削減されることになる。第三に、環境政策の影響は人々の間で中立ではない。理由
は二つある。ひとつは、ある人々のコストの負担は他の人々よりも重い。環境の悪化
のコストは主に貧しい人々が負担している。もうひとつは、ある人々が環境財から得
る利益は他の人々よりも大きい。環境財の提供は、貧しい人々よりも裕福な人々に多
くの利益を与える。以上より、ミラーは、社会的正義論が環境財を議論領域の外に置
くことはできず、環境財を機会・所得・富といった基本的な財と並んで分配計算に含
めるべきだと主張するのである。
(3)リベラルな正義論と環境財
現代の正義論は環境問題をどのように論じているのか。現代正義論から環境問題の
体系的な議論を構築できるのだろうか。ミラーは、ジョン・ロールズとロナルド・ドゥ
オーキンの議論から現代のリベラルな正義論を代表するような一つの理論を抽出する。
この理論の内部に、環境財は3つの仕方で組み込まれるのである。
第1に、呼吸に必要な空気のように、環境財のうちで人間の生存を維持するために
実際に不可欠なものが、資源を最初に要求する。いかなる社会的協働にとっても必要
な前提条件とみなされるものは、他のより特定的な分配原理に対して辞書的な優先性
をもつ。
第2に、公害などの負の環境財の産出は、他の基本財の公正な分配を損ないうる。
正義は、その外部効果を抑制する最も効果的な方法として環境政策を支持する。
第3に、人々がただ単に価値を付与するような環境財の場合、その価値評価は選好
とみなされ、政治的決定が行われる際に平等に計算される。しかし、そのような政治
的決定が行われる範囲を、ロールズもドゥオーキンも明確に示してはいない。リベラ
188
ルな正義論の欠点は、希少種・自然・景観・エコシステムといった、環境主義者が価
値を与える多くの環境財を、基本財のリストから排除する点にある。ミラーは、環境
財を基本財のリストに加えることで、正義論を修正すべきだと考えるのである。
(4)費用便益分析の諸問題
そこで、問題となるのは環境財の価値評価の方法である。一般的な方法として、環
境財の費用便益分析がある。ミラーは、費用便益分析の手法が、環境財を正義論に導
入するための適切な方法かどうかを検討する。
環境主義者の多くは、費用便益分析について懐疑的である。費用便益分析には次の
ような弱点が指摘されている。第1に、環境財の費用便益分析は、結局のところ環境
財の存在から得る利用価値に基づいて価値評価することになる。しかし、環境財の価
値は利用価値だけでなくオプション価値や存在価値からなる。そのため、ミラーは環
境財の費用便益分析は、これら3つの価値について計算すべきだと考える。
第2に、環境財は貨幣のような価値と通約不可能である。たとえば、多くの人々が
環境財の支払意思額の回答を拒否する。これに対しミラーは、こうした回答の拒否が
必然的に通約不可能性を証明するわけではないと反論する。一般に、人々は環境財の
優先順位をつけようとする。彼らが回答を拒否するのは、様々な財の組み合わせを矛
盾することなく選択する負担から免れたいからである。
第3に、環境財の価値評価は選好ではなく判断と見なすべきである。環境財の価値
評価は、環境財に関する多くの情報に依拠するからである。しかし、ミラーはあらゆ
る情報を手に入れられたとしても「人々が環境財にどれくらいの価値を与えるか」と
いう問題が、依然として残ると主張する。
第4に、環境財の価値評価は、費用便益分析ではなく、環境財が人間の生に対して
もつ価値についての客観的な説明に依拠すべきである。たとえば、無垢なる自然に無
関心な人は、自分の人生に意味やモデルを与える重要な価値の源泉を放棄しているの
である。しかし、ミラーによれば、この主張が「無垢なる自然はある人々にとって価
値がある」と述べているにすぎないなら、問題は振り出しに戻る。無垢なる自然の利
益とダム建設の利益をいかにして調整するか、という問題である。
最後に、費用便益分析の決定的な弱点がある。人々が支払意思額や受入補償額を答
えるとき、その答えに社会的な観点を混入させている可能性がある。これは、人々が
環境について判断するとき、彼らは消費者ではなく市民として振舞うという主張と一
致する。この問題の解決策は、論文の終盤に提示される。
(5)審議手続と実質的正義原理
次に、ミラーは「価値評価の対立の問題は政治的な審議手続によって解決される」と
する議論を検討する。それによると、環境問題は市民の政治的対話によって解決され
るべき問題である。市民は、自己の環境計画案を、それを支持する理由とともに提示
189
する。議論の過程で対立点が明らかになり、最終的に共通の決定に至る。こうした審
議手続きが正義の諸原理によって是認される限り、その結果もまた間接的に公正なも
のとして是認される。
しかし、ミラーは審議手続の重要性を認めつつも、単なる手続としの審議手続が正
義をもたらすことはできないと主張する。審議過程で決定を下す際に実質的な判断が
不可欠だからである。正しい手続に従ったとしても、そこで誤った原理が適用される
ならば、その決定は正しくないであろう。ミラーは、実質的な正義原理の候補に平等
や功績のようなパターン化された原理やロールズの格差原理などが含まれると考える。
実質的な分配原理を適用する場合、われわれは再び「環境財の価値をいかにして計算
するか」という問題に取り組まなければならない。
(6)費用便益分析の利用可能性:2段階モデルの提唱
費用便益分析の決定的な弱点は、人々が環境財について金銭的評価を求められると
き、彼らは自己の視点を市民の視点に切り替え、環境財の社会的価値について公的判断
を下そうとし、コストに関係なく環境財を保全すべきだと主張する点にある。この弱
点を克服するためには、個人的判断と公的判断とを区別するための具体策が必要であ
る。ミラーは、費用便益分析を2段階に分けるべきだと提案する。第1段階は、人々
が個人的にどれだけ環境財を評価しているかを表明する。この一次レベルの情報を踏
まえて、市民全員か共同体の代表は、次の第2段階で「正義は何を要求しているのか」
について公的判断を下すのである。具体的には、1回目に「あなたは希少種の保護に
いくら支払う意思がありますか」と問い、2回目に「ここに希少種の保護についてい
くつかの選択肢があり、また支払意思額の問いに対する回答から得た数値とがありま
すが、あなたの判断では政府はいま何を為すべきですか」と問うのである。このよう
に、より一貫性のある民主的手続きを構想し、その枠組みのなかに費用便益分析を正
しく位置づける必要がある。
(7)結論
環境財は、社会的正義論に組み込まれるとき、三つのカテゴリーに分類される。第
1に、他の基本財と直接的に結びつきうる環境財である。健康な人間存在の基本的な
諸条件や、他の基本財の価値を減少させるような公害の防止などが含まれる。第2に、
公共的な議論によって十分な合意をもたらすと期待でき、かつその財の提供が正義の
実質的な問題を提起しない環境財である。この場合、合意に至るには民主的手続きで
十分だろう。第3に、様々な人々によって異なる価値を与えられる他の多くの環境財
である。これらの環境財に価値を与える人々の指標を計算する際には、それらを基本
財と見なさなければならない。このような環境財と他の資源とのあいだで、人々が望
むトレードオフを見出す方法として、費用便益分析を用いるべきである。
以上より、政府は第1と第2のカテゴリーの環境財の供給に関わる。しかし、第 3
190
のカテゴリーについては、政府の環境政策に限定されない。もしも費用と便益が理に
適った正確さで同定されないならば、NGO などによって供給される方がよいであろう。
ミラーは、環境問題に関する領域においてもリベラルな考え方の重要性を説く。人々
の個人的な価値や善についての考え方は徹底的に異なっていること、そして正義論は
こうした価値観の多様性を調整しなければならないということである。
III コメント
ミラー論文は「いかにしてリベラルな正義論は環境問題を組み込むことができるか」
という問いに対する一つの解答を提示するものであった。ミラーの戦略は、環境財を
基本財に組み入れること、そのために環境財を3つのカテゴリーに分類することであ
る。これと関連して注目したい点は3つある。第1に環境配慮と社会正義との関連性
の指摘、第2に価値評価の多様性の重視、第3に費用便益分析の改善策の提案である。
それぞれに、あらためて検討を要する重要な論点である。
ミラー論文の疑問点として、まず世代間正義の問題がある。彼は世代間正義よりも
世代内正義の優先性を主張する。実践的には同意するとしても、環境問題を将来世代
を抜きにして考えることができるのだろうか。さらに、環境問題を環境財の提供とい
う形で論じるが、リスクの観点から、その分配問題を検討することが今後は重要にな
るだろう。
191
エルベール・ゲシュヴィント
「スピリチュアルな取組みが人生の終末に際して、倫理を
どれだけ考えることができるのか」
鶴 真一 (京都府立医科大学)
出典:Espace éthique La lettre 15-16-17 Hiver 2001-2002.
1999 年に開催された WHO 第 52 回大会において、憲章における健康の定義を一部
修正するという提案がなされた。周知の通り、健康に関して、spiritual と dynamic と
いう文言を盛り込もうとしたものであったが、初期治療すら満足に受けられない国や
貧困や飢餓に苦しむ国が未だに多く存在する以上、こうした問題の解決が先決である
として、この修正案は結局、廃案となり、以後継続して検討すべき課題とされた。し
かし、physical にも mental にも収まりきらない新たな局面が私たちの目の前に現れて
きていることは確かなようである。spiritual な問題に頭を悩ますのは贅沢な悩みであ
るという意見もあろうが、人間の生き死にの問題はその人の置かれた経済状況にかか
わりなく、古今東西において人心を悩ましてきた問題であるという一例をとってみて
も、そうした意見はいささか早計であるように思われる。
さて、そもそも、スピリチュアルな問題とは何なのか。そして、それはいかなる意
味で重要視されているのか。現在、わが国でもスピリチュアルな問題に対する取り組
みがいろいろとなされているが、こうした事柄を考えるにあたって、フランスにおけ
る取り組みの一例を参照してみたいと思う。今回紹介する論文は、以下のような章立
てになっている。
1. 生命の神聖な性格
2. 神聖なものの定義
3. 「保守派」と「革新派」、中絶と安楽死:討論
4. クローン技術:生の否認
5. 神聖なものの世俗化
6. 道徳、倫理、宗教、スピリチュアリティ:緩和医療によって満足すべき意味の
探求
7. 宗教的・スピリチュアルな諸信条の効果
8. ホスピス運動
9. 鎮痛
10. 過度の延命治療と「無駄な」治療:確立すべき困難な境界
11. 効果と利益
192
見ての通り、この論文では、生命倫理学における諸テーマが一渡り考察の対象となっ
ている。冒頭で、この論文の出発点となる二つの問いが述べられている。一つは、
「生
命、自然、人間の神聖さを、保守的ないし宗教的なものとみなさずに、考えることは
可能か」
、もう一つは、
「倫理を宗教という角度からのみ考えるのは危険ではないのか」
というものである。筆者によれば、私たちが直面しているディレンマは、人間のあら
ゆる活動が自然への干渉であるという事実に由来するものである。そうした干渉行為
の典型が、医学である。医学は身体的なものの諸法則に従ったものであるが、遺伝子
操作となると、神聖なものに影響を及ぼす恐れがあるのではないかという不安がいま
だに根強いものとしてある。しかし、筆者のここでの目論見は、こうした一部の人々
の不安を、宗教的な考え方との対比において捉えることではなく、
「自然の脱神聖化」
という観点から見ていこうというものである。
そこで、
「神聖さ (sacré)」の意味であるが、筆者によれば、神聖さとは、
「私たちの
世界を超越しているものとの特定の関係」を可能にするものであり、したがって、神
聖さは、
「人間の判断や好みから独立した一つの価値を帯びている」という。その限り
で、神聖さは、道徳的判断の動機をなすものであると言えるが、こうした考え方は、ミ
ルやカントが道徳的判断の根底に幸福への欲求や自由を認めるのとは異なった立場で
ある。
神聖さという概念をどのように捉えるかによって、生命に対する立場もおのずと決
まってくる。中絶と安楽死に関しては、それを差し控えるべきであるとする保守派と、
進めても構わないとする革新派もともに、神聖さという概念を論拠としている。人間
の生命が神聖であるのは、保守派にとってはそれが神の創造であるからであり、革新
派にとってはそれが人間的な創造の営為であるからである。つまり、革新派にとって
は、中絶するかしないか、安楽死を望むか望まないかという個人の選択の可能性が神
聖なもの、つまり「冒してはならないもの」と見なされているのである。ハンス・ヨ
ナスの議論も、自然に対する干渉の是非は、自然がもつ固有の可能性を制限し、それ
が未来世代にとっての機会の制限になるということを論拠としている。
私たちに課された問題は、倫理的な空間に、神聖なものがみずからの場を見出すこと
ができるかどうかを考えることにある。何ものかが神聖であると主張することは、人
間の目的とは独立した価値が存在するということを認めることにほかならない。つま
り、神聖なるものに固有の価値は、私たちの意志によって生み出されたものではない
ということである。だからこそ、神聖なるものを表しているものに対抗して行為する
ということは、単なる過失ではなく、侵犯・冒涜とされるのである。
しかし、神聖さという概念を、禁止や道徳的原理の拠り所であると考えている限り、
それは依然として空虚な概念に終わってしまうことになる。そこで、宗教的な信念との
つながりを求める必要が出てくるが、それは特定の宗教に基づくものである必要はな
い。神聖さという概念を特定の宗教にのみ結びつくものであるとすれば、その適用範
囲が制限されるのは不可避であり、倫理の問題に当概念を導入する必要性はなくなっ
てしまう。筆者の考えは、神聖さと倫理とをつなぐ紐帯として、スピリチュアリティ
という概念を導入しようというものである。
193
さて、「スピリチュアリティ (spiritualité)」とは何かを定義するのは難しいが、筆者
によれば、
「人生の意味を構成するもの」である。言い換えれば、
「生きる意味」という
ことになろう。
「生きる意味」と言ってしまえば簡単なことであるが、実のところ、生
きる意味はその人の「満足感」とじかにつながっているということが重要であるよう
に思われる。人生の終末を迎えつつある人、すなわち「生きる意味」が失われつつあ
る人にとっては、特にこうした問題が切実なものとなっている。しかし、スピリチュ
アルな問題は、患者を取り巻く医療従事者たちにとっても重要である。特定の宗教的
伝統とスピリチュアリティとを区別することで、患者に対するケアのあり方も変わっ
てくるからである。ホスピスや緩和医療がその典型であり、これらは、死という人間
にとって究極の経験によって引き起こされる諸々の問題に応えるものであると言える。
しかし、こうした終末医療の試みも、特定の終末観にもとづく医療側の一方的な介入
となった場合、患者の利益を無視したものとならざるをえない。ここでもまた、生き
る意味とは何かということと連続した、理想的な死のあり方が、各人によって異なる
ことに対する配慮が必要となってくる。各人にとっては生物学的な生死の問題ではな
く、生死の「意味」が問題である以上、それは形而上学的な問題である。私たちの身
近で、こうした議論そのものが欠けていることは否めない。
倫理が問われるべき領域において神聖なものやスピリチュアルなものを導入しよう
というこの論文での試みは、倫理学における従来の問題解決の方法では、組み尽くさ
れないものがあることへの反省が背景にあるものと考えられる。倫理の領域に神聖な
るものを導入する際に、スピリチュアリティを媒介とするという筆者の発想自体は単
純なものであるが、倫理の問題に宗教的概念を持ち込んではならないという禁則がか
えってこうした問題を正面から考える機会を奪っている。私たちは今後、倫理学の原
点に今一度立ち戻り、ある事柄がそもそもなぜ「倫理的」問題であると言われるのか、
そして倫理学が単なる規則づくりだけで満足していないか、ということを改めて考え
る必要があるだろう。スピリチュアルな問題への取り組みは、倫理的問題がその「以
前」と「以後」にまで及ぶものであることを再認識させてくれているように思われる。
(附記: エルベール・ゲシュヴィントはクレテイユ医科大学 医療倫理学教育・研究
部 教授である。)
194
カトゥリーヌ・ラレール
「予防原則の哲学的文脈」
柏葉武秀 (北海道大学)
出典:Catherine Larrère, “Le contexte philosophique du principe de précaution”, in: C.
Leben et J. Verhoeven (eds.), Le principe de précaution: Aspects de droit international et
communautaire (Paris: L.G.D.J. Diffuseur), 2002, pp. 15-28.
キーワード:
予防原則、ハンス・ヨナス、責任
予防原則とは、将来の被害発生を裏付ける科学的な証拠が十分に入手できないとし
ても、被害発生を予防するためになんらかの措置をとるべきだという、現在有力な国
際環境法の原則である。1992 年の「環境と開発に関する国連会議」(リオ会議)での
「環境と開発に関するリオ宣言」で、国際社会全般に受け入れられたとされる予防原
則は、同年マーストリヒト条約での採用をへていまではEUの環境政策全般の柱とな
り、その射程はホルモン剤を投与された牛肉の輸入禁止や遺伝子組み換え作物の規制
といった人間の健康に直接関わる分野にまで及んでいる。本論文でラレールは、予防
原則の哲学的文脈をハンス・ヨナスの『責任という原理』との対比において探ってい
る。というのも、両者の主張の哲学的文脈には共通の基盤があると同時に、じっさい
の適用という点では興味深い距離もまた認められるからである。
予防と責任
よく知られているように、ヨナスは、科学技術の著しい発展によってもいまや妥当
性を失いつつある(カントに代表される)旧来の倫理にかわる新しい倫理を提唱する。
もはや人間の制御を超えて際限なく発達していく科学技術は、空間的には自然全体を
脅かし、時間的には長期的な影響をこれから生まれて来るであろう人々にまで及ぼし
うる。かかる時代診断のもとで、ヨナスは未来世代への義務の基礎づけを含んだ自然
総体を対象とする責任論を構想する。この新たな倫理は、われわれの活動がグローバ
ルな規模でしかも将来の長きにわたって、どのような結果を引き起こすかを考慮せね
ばならない。それゆえ新たな責任には知識が義務として含まれ、われわれの力がどこ
まで及ぶのかを計算する必要がある。しかしこの義務は、われわれの知識の可能性に
とっては手に余る。義務としての知識とは、この無知を自覚することであり、すなわ
ち科学技術的な知識の限界を銘記することなのである。
ヨナスは科学技術的合理性によってはわれわれに必要な情報を獲得できないが、道
徳には把握できると述べ、次のような「恐れに基づく発見術」を要請する。
195
「危険が知られていない限り、何が保護されなければならないのか、なぜ
保護されなければならないのかを知ることができない。こうしたことに関
する知識は、どんな論理や方法に従っても得られない。ただ、危険に直面
することからしか得られない。…、とにかく危険が生じているのだという
ことを知って初めて、われわれは何が危険にさらされているか知るように
なる」
(邦訳 49-51 頁)
脅威が根底的なものであるのだから、予期もまた根底的でなくてはならない。ヨナ
スは最悪のシナリオを優先し、
「不吉な予言」にこそ耳を傾けねばならないと主張する
のである。
ラレールが注目するのまさにこの「恐れに基づく発見術」である。予防原則はこの
発見術との比較によって、その特徴がきわだつ。ラレールは、ヨナスのテーゼと予防
原則は完全に背馳するものではないと認めながらも、幾人かの論者のヨナス批判を紹
介しつつ予防原則の哲学的含意を次節以降で分析していく。
倫理から政治へ:予防の合理性
ラレールによれば、ヨナスの最悪のシナリオを回避するという戦略からは、予防原
則の「絶対主義的」解釈が導かれる。それによるとわれわれに残されているのは新た
な行為を差し控えることだけとなり、何の解決策ももたらさない。なるほどたしかに、
ヨナスのいう「
(科学技術の)力を支配するための力」はたしかに必要であって、それ
は予防原則の適用と新たな責任への反省を正当化する。じっさい、予防原則の哲学的
文脈をヨナスは提供している。その文脈とはすなわち、
「力を支配する力」
、科学技術
がもたらす諸問題が、科学技術が隅々まで浸透した社会にあっては、単に科学技術だ
けでは解決不可能であるという認識である。だが、ヨナスの責任論と予防原則が袂を
分かつのは、結局科学技術に対する態度である。
予防原則とは、被害に対する科学的証拠が不在の時点で、政治的決定を認可する。
ラレールはそこから、予防原則を決定権を科学者の手から政治家へと譲渡するものと
解釈する。つまり、予防原則の採用が意味するのは、環境や健康へのリスク、食の安
全といった諸問題を扱うときの、科学的知識に訴えねばならない決定にさいして、科
学と政治との関係を再構築するということなのである。ヨナスは科学から離れ、感情
と価値観の涵養を強調するのだが、予防原則は「反科学的」であるどころか、科学的
探求の斬新な駆動力となりうるのである。
次に、科学的不確実性を前提とする予防原則は、科学をより広い討議へと押し開き、
科学をより「統御しうる」ものへと転換する。予防原則の要点は、行為の差し控えと
いう否定的選択だけではない。それは科学的な議論を公的討議へと差し向け、科学的
諸問題を社会的に構築していく。したがって予防原則は科学者から政治家への決定過
程における移行だけではなく、政治的介入の様相を、決定から熟慮へと参加民主主義
に力点をおいて変貌させるのである。もちろん、公的討議は政治家の専有物ではなく、
たとえばBSEのような問題の場合は、一般の人々が消費者としてではなく公民とし
196
てそれに参加することが求められる。
以上の考察から予防原則はヨナスが切り拓いた哲学的文脈に属していることが明ら
かとなる。責任領域の拡大、
「力を支配する力」、わけても完全には予測できないこと
への先行措置の義務である知識への義務は、まさに予防原則の内実を表現している。
だが、ヨナスにあっては恐れに基づく倫理の非合理性、カタストロフの脅威を背景に
した決定が支配的であり、それゆえ科学的探求ばかりか政治的熟慮をも遮断してしま
う。予防原則は次の二重の力点移動によって、ヨナスの倫理から区別される。第一に
倫理から政治への移行である。そして第二に、合理性の一元的な見方(これは合理的
なものと非合理的なものの対立させてしまう)から複数的な見方とそれに必要な分節
への移行である。
科学技術と倫理との関係を転換し、
(複数の)科学的なものと(民主化された)政治
とを分節化する「予防原則の文化」は、政治的に組織化された人間共同体による自律
性の回復なのである。だがそうだとすると人間と自然との関係はどうなるのか。自然
を再び見いだすためにはカタストロフの驚異に訴えなくてはならないのか、これが最
後の論点となる。
カタストロフと予防
1988 年にトロントで気候変動についての会議が開かれたとき、環境破壊は地球規模
の核戦争のアナロジーで語られた。ラレールによれば、ヨナスもまた同様の定式を取
り入れている。科学技術の力はコントロール不可能な仕方で自己発展し、地球規模の
カタストロフが核戦争をモデルにして論じられる。しかし、自然の存在に留意するた
めに、本当にカタストロフを引き合いに出さなくてはならないのか。
カタストロフの到来に警鐘を鳴らすことが無意味ではないかもしれない。だが、す
べての環境問題をカタストロフの背景のもとで考察しなければならない理由はない。
予防原則を用いるべき不確定なリスクは、必ずしもカタストロフを招来するようなも
のではない。たとえば、遺伝子組み換え作物のリスクを核戦争になぞらえるのは的を
逸している。やはり環境の危機はカタストロフとして捉えられるべきではないだろう。
われわれが環境問題に直面しているは、われわれの活動が世界の状態に対して意図せ
ざる結果を生み出すようになったからであって、必要なのは予期せざる複雑な文脈を
把握することなのである。
現在の環境問題が複雑な文脈において理解されねばならないということは、もはや単
一な科学的認識では環境を理解できなくなったということだとラレールはいう。まさ
にこの点において予防原則は環境対策に適している。環境問題の複雑さを把握するた
めには複数の研究分野にわたる探求が必要であり、それゆえ討論へと開かれていかね
ばならない。予防原則は問題を社会的に構築するのだから、その適用は研究セクター
と分野を複数化し、討論を活発化させるべく強いることになる。そして科学的諸問題
への多元的で論争に満ちたアプローチは、われわれが住みついている自然世界の実相
に適合するものなのである。
197
ラレールは最後に挙証責任の転換の含意について述べている。予防原則においては、
新たな活動を始めようとするものに、その結果がもたらすであろう影響がいかなるも
のかを証明する責任を負う。このことはつまり、新たに活動を起こそうとするものた
ちに、自分たちの企図とその不確定な帰結を彼らが属している共同体に対して説明す
るよう要求することである。それはまた帰結を経済的な費用便益分析の単一視点から
の計算で把握するのではなく、改革の合目的性を政治的討議において把握するよう導
く。さらにそれはまた人間共同体が属しているより広い生物圏共同体の一員となるよ
う促すだろう。もしわれわれが自分の環境から切り離しえず、生物圏と関係の網の目
によって結びついているという考えを真剣にとるならば、われわれはわれわれの世界
におけるあり方と活動の帰結とを、われわれなりのやり方で考慮しなくてはならない。
かくして予防原則は、環境保護の重要な方策なのであって、環境保護を尊重するた
めにカタストロフの脅威を振りかざす必要はないのである。
付記
文中のヨナスの引用についてと訳語の選定はみな下記の邦訳に従った。
ハンス・ヨナス『責任という原理』、加藤尚武監訳、東信堂、2000 年。
本論文を内容的に密接な関連をもつラレールの共著を一冊だけ紹介する。Catherin
Larrère et Raphael Larrère, Du bon usage de la nature (Paris: Aubier), 1997.
198
マイケル・デイビス、ロバート・マギン
「工学倫理講演会報告」
杉原桂太 (名古屋大学大学院人間情報学研究科)
2002 年 12 月 7 日から 8 日にかけて名古屋大学で行われた名古屋工学倫理研究会の
招待講演「工学倫理の理論的問題」について報告する。両日とも 20 名弱の参加者が
あった。7 日はイリノイ工科大学のマイケル・デイビス教授が「工学倫理に関して哲
学的におもしろい問題とは何か」というタイトルで講演した。冒頭でデイビス教授は、
哲学的に興味深い問題とは混乱する概念を解きほぐすことができる問題であり、工学
倫理では「倫理とは何か?」と「工学とは何か?」がそれに該当すると述べた。
まず、工学倫理の「倫理」の意味をどう捉えたらよいかをデイビス教授は検討する。
候補には、日常的な道徳、ある集団にあてはまる特別な行動規範、哲学的倫理学など
がある。これらの中からデイビス教授は、技術者集団の一員にあてはまる特別な行動
規範として工学倫理を理解すべきだと指摘した。こうすることで、他の候補にあては
まる問題を回避することができる。すなわち、どのように日常的道徳が技術者の倫理
を要請するかを説明する必要がない。倫理学における根本問題を技術者の倫理綱領で
置き換えることができる。しかし、技術者の特別な行動規範として工学倫理を理解す
ると、どのようにその倫理が技術者に対する規範的要請となるかを説明するという新
たな課題が生じる。
次に、工学倫理の「工学」の意味をどう理解すべきかにデイビス教授は考察を加え
る。候補としては、実用問題への数学や科学の応用、生計を立てるための手段、技術
についての専門職がある。これらの内からデイビス教授は、専門職として工学を捉え
るべきだと述べた。しかし、技術者には、伝統的な専門職にはあてはまるように見え
る社会契約モデルが当てはまらない。古くからの専門職である医師や弁護士は、社会
に対して特定の義務を引き受ける見返りに専門職を組織する権利を得ているように見
える。これらの専門職の利益と義務は、社会との契約関係から発生する。デイビス教
授は、社会契約モデルに対して、技術者集団の一員であると自発的に宣言することに
よって技術者に専門職を名乗る権利が与えられるという代案を提示する。技術者は工
学専門職の肩書きを持つことで利益を得る。技術者が倫理綱領に従う義務は技術者集
団内における同業者間の契約から派生する。
講演に対して会場から活発に質問が行われた。デイビス教授のモデルによると、技
術者は同業者間で定めた倫理綱領に従えばよいことになる。すると、倫理綱領で公衆
の利益が謳われていなかった時代の技術者には公衆への義務がなかったことになって
しまわないか。この質問に対してデイビス教授は、たしかに公衆について倫理綱領が
触れていなかった時代もあるが、そうした時代にも公衆への義務は技術者の間で論じ
られておりそれが現在の倫理綱領に結実したのだ、と答えた。ほかにも、教授のモデ
ルは公衆を最優先する所与の倫理綱領に技術者が従うべきことは説明できるが、なぜ
その倫理綱領を持つべきかを説明できないのではないか、という指摘があった。これ
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に対してデイビス教授は同意を示すと共に、倫理綱領は複雑な成り立ちを持っている
からどのような倫理綱領を持つべきかに答えることは容易ではない、と述べた。
2日目の8日にはスタンフォード大学のロバート・マギン教授が「工学専門職の道
徳的諸責任:経験的および理論的視点」と題して講演を行った。その狙いは、技術者自
身は素朴に考えがちで哲学者は抽象的に論じる傾向にある技術者の道徳的責任につい
て明確に捉えることだった。まずマギン教授は、技術者が道徳的責任を持つ、とはど
のようなことかを検討する。技術者に責任がある根拠は、現代の工学が恩恵だけでな
く害を及ぼしうることと、技術者は一定の自律性を認められる引き換えに社会の福祉
と両立可能な仕方で事業を行うという社会との暗黙的契約関係を持っていること、他
者に危害を与えないという基本的な道徳原理が他の市民と同様に技術者にあてはまる
ことである。さらに、技術者がこうした責任を持っている利害関係者は、グローバル
な社会全体や、技術者の活動から直接影響を受ける社会の構成員、技術者の雇用者や
顧客、技術者の同僚、技術者の家族などである。マギン教授は以上の考察に基づいて、
技術者の道徳的責任には何があるのか、を検討する。技術者が持つべき責任は、職務
から他人に危害が及ぶのを防ぐことと、雇用者と顧客に忠誠を持つことである。これ
らの責任は、次の四つの「原理的道徳責任」として詳細化される。すなわち、1.公
衆の利益を害さないこと、2.公衆の利益への害を予防すること、3.利害関係者に
リスクの情報を開示し同意するかどうか選択する機会を与えること、4.雇用者や顧
客の利益と目的に適うように最善を尽くすこと、である。
次にマギン教授は、これら原理的な責任からどのような明確な責任が派生するかを、
事例を用いて検討する。第一の事例は、米国のユニオンカーバイド社がインドのボパー
ルに建設した化学工場で起こった事故を扱っている。この工場から薬品が漏れ、周囲
の住民に多数の死傷者が出る。原因は、工場と住居地を分ける米国の土地区画の仕組
みが当地にはなかったことと、現地の労働者と住民に十分な安全教育がなされていな
かったことである。マギン教授は、公衆の利益を害さないという「原理的道徳責任」と
この事例から、次の「派生的道徳責任」を導く。つまり、先進国と後進国の間の技術
移転では、安全性についての技術的、文化的な必要条件が確実に満たされるようにす
るべきである。
第二の事例は、ニューヨークのシティコープ・ビルの建設にかんするものである。
このビルは、その建物の四辺それぞれの中央から出る支柱の上に建つ変則的な構造を
持っている。設計を担当したルメジャーは、四辺それぞれの端に支柱が位置する通常
の建物の手法を用いていた。彼は完成後に、風が極端に強いと、通常と異なる構造か
らビルが倒壊する可能性があることを発見する。彼はこの問題を市当局などに公開し
た上で改善のための追加工事を実行し、ビルは事なきを得た。この過程でルメジャー
は、彼の許可を得ずに設計が一部変更されてビルが建設されていたことも知る。マギ
ン教授は、公衆への危害を予防する「原理的道徳責任」とこの事例から、次の二つの
「派生的道徳責任」を示す。すなわち、ある工学的手法のパラダイムを気付かぬ内に適
切な適用範囲を越えて広げないように注意する。および、技術事務所を率いる技術者
は、生産物の統合性に影響を与えうる変更の提案と承認のプロセスについて慎重で注
200
意深い気風が事務所に行き届くようにする。
マギン教授の三つ目の事例は自転車の新素材開発に関わるものである。技術コンサ
ルタントのブラウンは、軽量な自転車のための新材料を開発する契約を大手企業と結
んだ。旧材料の調査を求めるブラウンの提案に対して、従来の設計が最適ではなかっ
たことが明らかになるのを恐れた企業の担当者はそれを行うなと命じる。技術的見地
から調査が必要なはずだと信じるブラウンは自社の費用で旧材料を調べた。軽量かつ
妥当なコストでしかも信頼の置ける設計が旧材料で可能であることをブラウンは発見
し、これを企業の社長に報告する。マギン教授は、消費者に危害やリスクを与えない
原理的な責任および雇用者の利益と目的のために尽くす原理的な責任とこの事例から、
次の派生的な責任を導く。つまり、従来の材料を用いた設計を最適化すること、新材
料を使用するよりも信頼でき安価な選択肢があることを社長に開示すること、本当に
解くべき問題は新材料を用いた自転車の開発ではなく信頼性の置ける構造を持ち軽量
で市場性のある自転車の生産であることを社長に確信させようとすることである。さ
らにマギン教授は、公衆に危害を与えない原理的責任と雇用者への忠誠の原理的責任
との間のジレンマにブラウンが置かれていたわけではないことも指摘した。会場から
は次のような質問が寄せられた。「派生的道徳責任」同士が相反する場合には技術者は
どうすべきか。この質問に対してマギン教授は、双方の派生的責任がどのような帰結
をもたらすかを、重要な権利が侵害されていないかを踏まえて事例ごとに考察すべき
だと答えた。他にも、一つの「原理的道徳責任」から異なった「派生的道徳原理」が異
なる社会状況における技術者に対して導かれうるか、という質問があった。マギン教
授は、最終的には原理的な責任は同じだがそれを果たす方法が違ってくると述べた。
二日間の講演と質疑を通して、工学倫理が哲学的関心を集めるのは技術者の専門職
倫理としてであることが明らかになったように思われる。工学の専門職倫理は、次の
ような哲学的問題を抱えている。第一に、工学を専門職として如何に定義するかであ
る。医師や弁護士とは異なり社会との明確な契約関係を持っていない技術者を専門職
とみなすためには、社会契約を結んでいることとは別の定義が必要となる。さらに、
技術者にあてはまるその専門職の定義によると技術者は誰に対してどのような責任を
持っていることになるのかも明らかにしておかねばならない。第二に、技術者のジレ
ンマをどのように解決するかである。雇用者として働くことの多い技術者は、公衆の
利益と雇用者への忠誠との間の板挟みとなる。これらの問題は、哲学的考察の対象と
なるだけでなく、工学倫理教育においてじっさいに技術者の倫理を説く上でも重要に
なるであろう。今回の講演会が研究者の工学倫理への関心を高め、工学倫理教育にも
貢献することを期待したい。
201
202
第V部
研究組織
204
研究組織
研究代表者
加茂直樹 (京都女子大学現代社会学部教授)
研究分担者
安彦一恵
粟屋剛
江口聡
樫則章
加藤尚武
川本隆史
河野勝彦
坂井昭宏
竹下賢
竹中勲
谷本光男
田村公江
中岡成文
平石隆敏
平川秀幸
丸山徳次
水谷雅彦
宗像恵
(滋賀大学教育学部教授)
(岡山大学医歯学総合研究科教授)
(京都女子大学現代社会学部講師)
(大阪歯科大学歯学部助教授)
(鳥取環境大学学長)
(東北大学文学研究科教授)
(京都産業大学文化学部教授)
(北海道大学文学研究科教授)
(関西大学法学部教授)
(京都産業大学法学部教授)
(龍谷大学文学部教授)
(龍谷大学社会学部助教授)
(大阪大学文学研究科教授)
(京都教育大学教育学部教授)
(京都女子大学現代社会学部講師)
(龍谷大学文学部教授)
(京都大学文学研究科助教授)
(神戸大学国際文化学部教授)
研究協力者
赤林朗
(京都大学大学院医学研究科)
足立幸男 (京都大学大学院人間・環境学研究科)
石原孝二 (北海道大学文学部)
石村久美子(大阪体育大学)
伊勢田哲治(名古屋大学情報文化学部)
井上眞理子(京都女子大学現代社会学部)
奥田太郎 (京都大学文学研究科)
板井孝一郎(宮崎医科大学医学部)
稲葉一人 (京都大学医学研究科)
今村光章 (仁愛大学人間学部)
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岩崎豪人 (関西大学)
魚住洋一 (京都市立芸術大学美術学部)
江崎一朗 (志學館大学法学部)
大山明男 (駿河台大学経済学部)
柏葉武秀 (北海道大学文学研究科)
加藤恵介 (神戸山手大学人文学部)
菊地建至 (龍谷大学)
北尾宏之 (立命館大学文学部)
蔵田伸雄 (北海道大学文学部)
栗原隆
(新潟大学人文学部)
黒田浩一郎(龍谷大学社会学部)
玄哲浩
(関西大学大学院法学研究科)
壽卓三
(愛媛大学教育学部)
児玉聡
(京都大学大学院文学研究科)
島内明文 (京都大学大学院文学研究科)
品川哲彦 (関西大学文学部)
清水正徳 (神戸大学名誉教授)
霜田求
(大阪大学医学系研究科)
杉原桂太 (名古屋大学大学院人間情報学研究科)
高津融男 (関西大学)
竹山重光 (和歌山県立医科大学)
立岩真也 (立命館大学政策科学部)
田中朋弘 (琉球大学法文学部)
角田猛之 (大阪府立大学総合科学部)
鶴真一
(京都府立医科大学) 土井健司 (玉川大学文学部)
長岡成夫 (新潟大学教育人間科学部)
徳永哲也 (長野大学産業社会学部)
夏目隆
(神戸学院大学経済学部)
浜岡剛
(中央大学経済学部)
福永俊哉 (京都女子大学短期大学部)
伏木信次 (京都府立医科大学老化研)
藤野寛
(高崎経済大学経済学部)
松川俊夫 (山形短期大学人間福祉学)
松原洋子 (立命館大学産業社会学部)
宮地尚子 (一橋大学社会学研究科)
森村進
(一橋大学法学研究科)
森岡正博 (大阪府立大学)
柳澤有吾 (奈良女子大学文学部)
毛利康俊 (西南学院大学法学部)
望月俊孝 (福岡女子大学人文学系)
山崎康仕 (神戸大学国際文化学部)
渡辺啓真 (大谷大学文学部)
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