基礎教養テスト - 広島経済大学

平成 27 年度 推薦入学試験問題
基礎教養テスト
(時間 90分 配点 200点)
受験上の注意事項
【1】 試験開始の合図があるまで、問題冊子を開いてはいけません。
【2】
受験票、解答用紙及び机上の受験番号シールに印刷された受験番号及び氏名が間違ってい
れば、速やかに監督者に知らせなさい。
【3】 この問題冊子は、本文が 33 ページあります。
【3】 問題冊子の印刷が不鮮明であったり、ページが落丁・乱丁していたり、解答用紙に汚れ等
がある場合には、手を挙げて監督者に知らせなさい。
【4】 机上には受験票・筆記用具及び時計以外は置いてはいけません。
【5】 監督者の指示があるまで退室はできません。
【6】 試験終了後、問題冊子は持ち帰りなさい。
【7】 解答用紙はコンピューターで直接読みとるので、特に次の点に留意しなさい。
【3】① 記入には HB(0.5㎜)のシャープペンシルを使用しなさい。
【3】② 解答用紙の 記入例 を参照して丁寧に記入しなさい。乱雑に記入したものは不利に
なります。
【3】③ 折り曲げたり、汚したりしてはいけません。
【3】④ 解答用紙には、答案に関係のない語句・記号を書いたり、落書きをしてはいけません。
【3】 (問題冊子には書き込んでもよい。)
【3】⑤ 誤って記入した場合は、消しゴムできれいに消して書き直しなさい。
【3】⑥ 解答が一桁の場合には右詰めで記入しなさい。(次の例を参照しなさい。)
【3】 [例]解答番号1の解答が 4 である場合
【3】 [例]解答番号2の解答が 12 である場合
解答番号
1
2
解答欄
注意
特に間違えやすい記入例
正
誤
左側をあける
これらは7と判断する恐れが
あるので特に注意しなさい。
1
次 の A ~ F で、 カ タ カ ナ を 漢 字 に 直 し た 時 に 正 し い も の を、 そ れ ぞ れ
1~5の中から一つずつ選び、その番号を記入せよ。解答番号は、A は
Bは
2
、C は
3
、D は
4
、E は
5
、F は
6
A 彼は、消化キカンの検査のため、入院している。
1 基幹 2 機関 3 器官 4 気管 5 期間 B 明日のキショウ時間は、午前5時の予定だ。
1 気性 2 稀少 3 奇勝 4 起床 5 徽章
C どこの国でも、すぐれた伝統文化はケイショウしている。
1 継承 2 景勝 3 形象 4 軽少 5 警鐘
D 交通混雑を防ぐために、駅周辺の線路をコウカにする。
1 効果 2 高架 3 高価 4 公課 5 硬化
E 太平洋を横断する飛行機は、セイソウ圏を飛ぶ。
1 政争 2 星霜 3 正装 4 清掃 5 成層
F 海外からの観光客は、富士山のユウシに感動する。
1 融資 2 有志 3 憂思 4 雄姿 5 有史
― ―
1
1
、
2
次の A・B のことわざと同じような意味を持つことわざを、それぞれ1~4の
中から一つずつ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、A は
7
、B は
8
A 「禍福はあざなえる縄の如し」
1 情けは人の為ならず
2 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
3 心頭を滅却すれば火もまた涼し
おけ や
もう
4 風が吹けば桶屋が儲かる
へきれき
B 「青天の霹靂」
かいかい
1 天網恢恢疎にして漏らさず
り
か
かんむり
2 李下に冠を正さず
ぼ た も ち
3 棚から牡丹餅
4 寝耳に水
3
次の A 群・B 群で、反対語の組み合わせとして正しくないもの
﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏を、それぞれ
1~5の中から一つずつ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、A 群は
9
、B 群は 10
【A 群】 1 安易 - 至難
2 栄転 - 左遷
3 汚染 - 浄化
4 過剰 - 充足
5 獲得 - 喪失
― ―
2
【B 群】 1 衰退 - 発展
2 優雅 - 粗野
3 特殊 - 普遍
4 枯渇 - 欠乏
5 濃厚 - 淡泊
4
次のA〜Eで、カタカナを漢字に直した時、下線部の漢字と同じ漢字を書くも
のを、それぞれ1~4の中から一つずつ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、A は 11 、B は 12 、C は 13 、D は 14 、E は 15
A 未知のジャングルをタンサクする。
1 サクジツの事件についてのニュースを見る。
2 先生に論文のテンサクをお願いする。
3 教科書のサクインを利用して勉強する。
4 時代劇の映画をサクセイする。
B 説明はカンリャクな方がよい。
1 朝顔の成長をカンサツする。
2 カンベンな方法を考案する。
3 強敵に対しカカンに攻めた。
4 情勢をカンアンして決定する。
C 公務員のサイヨウ試験に合格する。
1 畑を作るために森林をバッサイする。
2 濃いシキサイを基調にして絵を描く。
3 新聞に小説をレンサイする。
4 小学生の書道展をカイサイする。
― ―
3
D 振り込め詐欺の損害をコウムる。
1 モクヒ権を行使する。
2 心身がヒヘイする。
3 ヒルイのない才能を持つ。
4 裁判のヒコクになる。
E 自分の部屋に絵画をカザる。
1 同窓生とカイショクする。
2 微生物がゾウショクする。
3 市場調査をイショクする。
4 キョショクのない表現を用いる。
5
次の A・B について、それぞれの意味になる四字熟語として正しいものを、次
の1~4の中から一つずつ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、A は 16
、B は 17
A 「実力以上のことをえらそうに言うこと」 1 誇大妄想
2 談論風発
3 針小棒大
4 大言壮語
B 「ばらばらで筋道が立たないこと」 りょうらん
1 百花繚乱
2 支離滅裂
3 四分五裂
4 枝葉末節
― ―
4
6
次のA~Eの四字熟語を完成させるために、□に当てはまる漢字として正しい
ものを、それぞれ 1 ~4の中から一つずつ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、A は 18
、B は 19
、C は 20
、D は 21
、E は 22
A 羊頭□肉(ようとうくにく)
1 狗 2 苦 3 久 4 孔
B 傍若□人(ぼうじゃくぶじん)
1 不 2 悔 3 武 4 無
C 後□大事(ごしょうだいじ)
1 商 2 小 3 生 4 承
D 質実□健(しつじつごうけん)
1 豪 2 剛 3 強 4 合
E 終始一□(しゅうしいっかん)
1 間 2 貫 3 感 4 観
7
次のA・Bの意味として正しいものを、それぞれ1~5の中から一つ選び、そ
の番号を記入せよ。解答番号は、A は 23 、B は 24
A 生返事
1 本当の気持ちを包み隠して、相手を惑わそうとする返事
2 相手に本気では対応していない、いい加減な返事
3 中途半端な態度で、相手の気持ちに迎合した返事
4 相手の態度に機嫌を損ねて発した、 ぶっきらぼうな返事
5 相手の言うことを何も聞いていない、突き放した返事
― ―
5
B 薄情
1 意識を集中できず、 投げやりになること
2 他人に対する愛情がうすく、思いやりがないこと
3 自分のことしか考えず、気持ちが散漫になること
4 注意が続かず、気もそぞろなこと
5 気持ちが切迫し、余裕のないこと
〈以下余白〉
― ―
6
〈次のページ以降にも問題があります。〉
― ―
7
8
表1は平成 16 年度から平成 25 年度におけるプロ野球セントラル・リーグの入
場者数を示したものであり、この値をもとに棒グラフを作成したものが図1であ
る。このデータを用いてセントラル・リーグの入場者数の前年度に対する増減率
を計算し、折れ線グラフを作成したとする。このとき、作成した折れ線グラフに
該当するものを、右の1~4のグラフの中から一つ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、 25
表1 セントラル・リーグにおける平成 16 年度から平成 25 年度までの入場者数
年度
平成 16
平成 17
平成 18
平成 19
平成 20
平成 21
平成 22
平成 23
平成 24
平成 25
入場者数 13,770,000 11,672,571 11,877,677 12,140,359 12,083,181 12,692,228 12,308,022 11,792,344 11,790,536 12,202,009
図1 平成 16 年度から平成 25 年度のセントラル・リーグの年度別入場者数の推移
出典:日本プロ野球機構の統計データ(セントラル・リーグ年度別入場者数)を加工して作成。
― ―
8
1 2
3
4
― ―
9
9
表2は平成 22 年における広島県の年齢(10 歳階級)別人口の値をもとに累積
度数を計算し、その値を県の人口の総数で割ることによって求めた累積比率を示
している。表2の値をもとにグラフを作成したものが図2である。この表2と図
2から正しく言えることを、次の1~4の中から選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、 26
表2 広島県の年齢(10 歳階級)別人口の値をもとに計算した累積比率の値
年齢
0~9歳 10~19歳 20~29歳 30~39歳 40~49歳 50~59歳 60~69歳 70~79歳 80歳~
累積比率
8.9%
18.5%
28.7%
42.7%
55.2%
67.8%
82.8%
92.9%
100.0%
図2 表2の値をもとに作成した累積比率の折れ線グラフ
出典:第 58 回広島県統計年鑑(平成 25 年版)の人口・世帯のデータを加工して作成。
(注)年齢が「不詳」に分類されているデータは総数から除外している。
1 県全体の人口に対する 70 歳以上の人口の比率は 20% を超えている。
2 県全体の人口に対する 10 代の人口の比率と 20 代の人口の比率を比較すると
20 代の人口の比率の方が高い。
3 県全体の人口に対する 10 代の人口の比率は 18.5% になる。
4 県全体の人口に対する 60 歳未満の人口の比率は 70% を超えている。
― ―
10
10
図3の帯グラフは、平成 23 年と平成 24 年における広島県内の市町別観光客数
の上位 10 市町を取り上げ、各市町の観光客数を 10 市町の観光客数の合計で割る
ことによって得られた割合を示したものである。図3から正しく言えることを、
次の1~4の中から一つ選び、その番号を記入せよ。解答番号は、 27
図3 平成 23 年と平成 24 年の広島県内の市町別観光客数の上位 10 市町の構成比
出典:平成 24 年 広島県観光客数の動向のデータ(広島県のホームページ)を加工して作成。
1 平成 23 年に比べて平成 24 年の広島市の観光客数は減少している。
2 平成 23 年と平成 24 年の東広島市の観光客数は同じである。
3 観光客数の多い順に 5 市町を並べると平成 23 年と平成 24 年では同じ順の並
びになる。
4 平成 23 年に比べて平成 24 年の尾道市の観光客数の 10 市町に占める割合は
減少している。
― ―
11
11
次の英文を読み、後の問いに答えよ。
A research project by sleep scientists at Australia’s Monash University
has shown that teenagers who find it difficult to get out of bed in the morning
are not being lazy but, rather, are just experiencing a natural change in their
body clocks*. This change makes them want to stay awake until later at
night, and then wake up later in the morning.
A ⑴ related research project, carried out in the United States and Britain,
has shown that sleeping longer affects teenagers’ educational performance in
a good way. Based on the results from these two projects, scientists are
A
that
high schools move the start of their day to a later time.
Professor Stephen Lockley, one of the leaders of the Australian project,
explained that, “Making school start times later has happened in several
schools, and has been shown to benefit the educational performance of the
teenagers affected, and has also had a positive effect on their overall health.”
B
, perhaps surprisingly, changing school start times has also been
shown to be a better way to improve educational performance than reducing
student numbers per class.
Professor Lockley explained further: “There was an economic study which
compared the cost of making school start times later with the cost of reducing
student numbers. It was discovered that for the same level of educational
improvement, a later school start time cost 86% less than changing class
sizes.”
C
, all of you sleepy high school students who can’t get out of bed in
the morning, don’t blame yourselves. It’s not your fault. School starts too
early!
(注)
* body clock ― 体内時計
― ―
12
問1 下線部⑴の related に最も意味が近いものを、次の1~4の中から一つ選
び、その番号を記入せよ。解答番号は、 28
1 connected
2 expected
3 interested
4 surprised
問2 空欄
に入る最も適切なものを、次の1~4の中から一つ選び、そ
A
の番号を記入せよ。解答番号は、 29
1 recommend
2 recommended
3 recommending
4 recommends
問3 空欄
B
と
C
に入る最も適切なものを、次の1~6の中から一つ
ずつ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、
B
は 30 、
C
1 For example
2 However
3 Moreover
4 Nevertheless
5 Otherwise
6 So
― ―
13
は 31
問4 文中の improve について、下線部の発音が同じ語を、次の1~4の中か
ら一つ選び、その番号を記入せよ。解答番号は、 32
1 cost
2 work
3 promise
4 lose
問5 本文の内容と合致する最も適切なものを、次の1~5の中から二つ
﹏﹏選び、
その番号を記入せよ。ただし、解答の順序は問わない。
解答番号は、 33
と 34
1 モナッシュ大学では、ティーンエージャーを対象とした体内時計の調査
が行われた。
2 アメリカとイギリスでの調査は、睡眠時間が長いほどティーンエー
ジャーの学力が低い傾向を示した。
3 始業時間を遅らせた学校では、生徒の健康状態が全体的に向上した。
4 ロックリー教授は、一クラスあたりの生徒数を 86%に削減し、教育的
効果を検証する予定である。
5 朝起きるのが苦手な生徒は、学力を伸ばすために生活態度を改める必要
がある。
― ―
14
12
次の会話文を読み、後の問いに答えよ。
A Japanese student, Yuko, has just arrived in Australia for a one-month
English study and homestay program. She is meeting her host mother*,
Kate, at the airport.
Kate: Hello, you must be Yuko. I’m Kate, your host mother. Welcome to
Australia!
Yuko: Thank you so much. Nice to meet you, Kate. It’s very kind
A
you to come to the airport.
K:
My pleasure. How was your flight?
Y:Well, it was smooth all the way, but I couldn’t sleep. I think I was too
excited about being here for a month.
K:Oh, then you must be very tired. You should go to bed early tonight.
Tomorrow will be a very busy day for you.
Y: That’s true.
K: But before we go home, I have to pick up my daughter, Sara, from her
kindergarten. I hope you don’t mind coming with me.
Y: B
A kindergarten sounds interesting. I love small children.
Actually, I’m majoring
C
elementary education.
K: Oh, what a coincidence*! I work at an elementary school as a nurse.
It seems ⑴we have something in common. I can take you to my school,
if you’d like to visit it while you’re here.
Y: That would be wonderful. I’d love to. Thank you very much.
K: Sure. Now, shall we get going?
Y: Oh, wait a second. I’ve just remembered. Is there some place near
here where I can change some Japanese yen into Australian dollars?
(注)
* host mother ― ホームステイ先のお母さん
* coincidence ― 偶然
― ―
15
問1 空欄に
A
、
C
入る最も適切なものを、次の1~6の中から一つ
ずつ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、
A
は 35 、
C
は 36
1 in
2 with
3 as
4 to
5 of
6 at
問2 空欄
B
に入る最も適切なものを、次の1~4の中から一つ選び、そ
の番号を記入せよ。解答番号は、 37
1 Yes, I do.
2 Yes, completely.
3 No, you don’t.
4 No, not at all.
問3 下線部⑴の文に最も意味が近いものを、次の1~4の中から一つ選び、そ
の番号を記入せよ。解答番号は、 38
1 Those people look similar to each other.
2 You and I share an interest.
3 Our things are ordinary.
4 We like different things.
― ―
16
問4 本文の内容と合致する最も適切なものを、次の1~4の中から一つ選び、
その番号を記入せよ。解答番号は、 39
1 ユウコは空港でケイトと再会できて、うれしかった。
2 飛行機がひどく揺れたため、ユウコは眠れなかった。
3 ケイトは娘のサラを幼稚園に迎えに行く前にユウコを迎えにきた。
4 ユウコは、明日両替をしたいと考えて、ケイトに両替ができる場所を尋
ねている。
― ―
17
13
次の文章を読み、後の問いに答えよ。
人は元来、一人ひとり、相互に独立した固有の心を備えている。しかし、それは、
いつも堅く閉じて在る訳ではなく、時にその外殻を瞬時にして開き、他者の心と
互いに疎通し、融和しようとする。日常、多くの場合、そこには、言葉というも
なにがし
のが介在し、何某かの意味をA載せて人と人との間を幾たびも行き来するのだが、
行き来するのは何も言葉ばかりではないだろう。人は意識して言葉をやりとりす
り
るそのB傍らで、あるいは全く言葉を向け合うことがなくとも、無意識裡に身体
間で密やかな情報の交換を行っているのである。人の心は、多くの場合、知らず
さと
知らずの間に、相手の身体が発する、言葉なき種々の語りに敏く感応してしまう。
そして、その時、自らの身体もまた期せずして相手の心を感応させ、二者の心は
濃密な情意の渦の中に巻き込まれていくのである。
養育者と子ども、特に初期の母子関係は、そうした感応し合う関係性の最たる
ものと言えるだろう。母子は相互に、相手側の発したふるまいや情動に、時に等
質的な、時に相補的な情感をC覚え、またそれと同時に何らかの身体表現(母親
においては加えて言語表現)をもって応じる。その母親と子どもという二項間で
の精妙な情動的やりとりは、心理学の中では、時に第一次間主観性(注1)の状
態とも呼ばれ、母子の緊密なアタッチメント(注2)やその後のより高次のコミュ
ニケーションのD礎になることが仮定されてきた。
しかし、確かに様々に仮定はされてきたのだが、その基底にE潜む機序(注3)
ひら
やそれが拓く発達的機能の詳細が、実証レベルでどこまで明らかにされてきたか
というと、それはきわめて初歩的な段階に止まってきたと言わざるを得ないよう
な気がする。例えば精神分析の領域では、原初的な母子関係における、特に母
親側の子どもの動作や情動に対する感応状態を、時に、映し出しや照らし返し
(mirroring)と呼び、母親が一種の社会的鏡の役割を果たして、子どもの内なる
心的状態や生理的状態を、子どもの知覚に対して映し返すことの枢要性を殊の外、
強調してきたのだと言える。子どもの種々のふるまいに対してほぼ同期的に感応
し、結果的に子どもと同じような表情になり、また声の調子を発するに至った母
親を、今度は、対面する子どもが見聞きする中で、子どもは自身の内側で今、何
― ―
18
が起きつつあるかを徐々に知るようになり、そしてそれを通じて、自らの心を解
し、また他者の心に共感するための心的基盤を準備するというのである。大学の
講義で心理学を聞きかじり始めた頃には、こうした精神分析における言説に大い
ひ
に心惹かれたものだが、果たして、その当時から今まで、それが具体的に何で、
何故生じるかを精細に説明できるようになったかというと、その進歩の遅々たる
じくじ
ことに実に忸怩たる思いにならざるを得ないのである。
もっとも、最近、これぞ一条の光明かとほのかに思い始めているものがあるに
はある。それは、いわゆるミラー・ニューロンというものであり(一部にただの
狂騒に過ぎないという冷めた見方もあるが)、脳科学者の中には、その発見の価
ら
なぞら
値を、かつての分子生物学におけるDNAの二重螺旋構造のそれに擬えてみる向
きもあるようである。ミラー・ニューロンとは、ある動作や情動表出などに関わ
る知覚系と運動系の処理を一括的に担うという特異な性質をもった神経組織であ
り、これを備えていることによって、私たちは、他者の動きをダイレクトに自己
の脳内に映し込み、それによって他者の心身状態のシミュレーションを瞬時に
行っている可能性が想定できるのだという(他者の動作を知覚するニューロンが、
自身が同じ動作を起こす際のニューロンでもあるため、他者の動作の知覚によっ
て賦活(注4)されたニューロンのふるまいが結果的に自身が同じ動作を行う際
の内的状態を表現することにもなる)
。いささか安易な例解かも知れないが、こ
れが意味するこころは、他人が今にも転びそうになっているという場面を見た時
に、私たちの中では、自身が転びつつある時に関わってくる神経組織がそのまま
活性化している可能性があり、そして、だからこそ、私たちには時に、他人がそ
の時にきっと覚えるだろう恐れや痛みのような感覚が、すぐさま、まさに自分の
ものであるかのように経験され得るということである。言ってみれば、ミラー・
ニューロンとは私たちの共感性を支える脳内基盤ということになろう。
これから推察するに、乳児に対面した母親もまた、自らのミラー・ニューロン
をもって、子どもが発する種々の身体動作や情意に感応しているのであり、そし
て、その有様がまさに精神分折学者がかつて映し出しや照らし返しと呼んだ状態
そのものであるのだろう。現に、近年の実証研究の中には、母子相互作用場面に
おける母親のニューロ・イメージングに着目し、特にミラー・ニューロンと前補
― ―
19
足運動野(注5)等に顕著な活性化が認められることを明らかにしているものも
あるようである。そして、それは、母親が子どもに対して、一方では子どもの情
ぶ
動に共感・同調しつつ、他方ではそれを慰撫・調整していることを含意している
のではないかという。当然のことながら、母親は子どもの苦痛の泣きに対して、
ゆが
ただ情動的に巻き込まれ、自ら苦痛に顔を歪ませるだけではなく、その後すぐに、
時には笑みを浮かべながら、優しく子どもをなだめ、あやすのである。実のとこ
ろ、映し出しや照らし返しといった概念においても、元来、母親が、子どもの情
動と等質であって、しかし、それそのものではない(和らげられた)情動を返す
ことの重要性が措定されており、こうした仮定が、ある意味、それとは全く独立
の学知領域で進行してきた研究知見と、かなりの符合を見せるということに、率
直な驚きを禁じ得ないところがある。
注1 第一次間主観性――養育者が自分に関心を向けているかを敏感に察知する乳児の
もつ性質。
注2 アタッチメント――愛着。
注3 機序――しくみ。
注4 賦活――活力を与えること。
注5 前補足運動野――運動のコントロールと深い関わりをもつ脳の領域。
(遠藤利彦「感応し合う関係性から発達は立ち上がる」による)
問1 下線部 A ~ E それぞれの漢字の読みの正しいものを、次の1~5の中か
ら一つ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、A は 40
、B は 41
、C は 42
A 載せ
1 きせ
2 よせ
3 はせ
4 のせ
― ―
20
、D は 43
、E は 44
B 傍ら
1 いくら
2 かたわら
3 みずから
4 やおら
C 覚え
1 さえ
2 つかえ
3 ささえ
4 おぼえ
D 礎
1 もと
2 いしずえ
3 ささえ
4 はじめ
E 潜む
1 しずむ
2 もとむ
3 あやしむ
4 ひそむ
― ―
21
問2 文章の内容と合致するものを、次の1~5の中から二つ選び
﹏﹏﹏﹏、その番号を
記入せよ。ただし、解答の順序は問わない。
解答番号は、 45
と 46
1 乳幼児の世話する人の脳の特徴として、ミラー・ニューロンと前補足運
動野が著しく活性化していることが脳科学研究において証明されており、
こうした脳内の変化が起きることにより、人は言葉を話すことができない
乳幼児の苦痛を自らの苦痛として受け止め世話ができるようになる。
2 子どもが他者の心に共感できるための心的基盤を獲得していくために
は、養育者が子どもの情動に共感・同調するばかりではなく、子どもの情
動を分析し、なぜそうした気持ちになるのかを子ども自身に繰り返し説明
することが重要であることが、近年の脳科学研究により明らかになった。
3 子どもは、自分が心的状態や生理的状態を身体表現したことを、養育者
がまるで鏡に写すかのようにほぼ同期的に感応している様子を見聞きする
なかで、自らの心を解し、また他者の心に共感するための心的基盤を準備
するといわれている。
4 ミラー・ニューロンとは、他者の動作や感情表現に反応して、あたかも
自身が同じ行動をとっているかのように脳内に伝える神経細胞であり、こ
の働きによりわれわれは、他者の心身状態のシミュレーションを瞬時に行
い、相手に共感することができると考えられている。
5 精神分析の領域で映し出しや照らし返しと呼ばれている現象は、人と人
とがコミュニケーションをとる際に、単に言葉のやりとりをするだけでな
く、表情や身振りといった相手の身体から出される情報をも読み取って、
相手の気持ちや真意を理解していることを指す。
― ―
22
14
次の作品は、1909(明治 42)年に発表された夏目漱石の「山鳥」の全文である。
これを読み、後の問いに答えよ。
五六人寄って、火鉢を囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名
も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状も携えずに、取次を通
じて、面会を求めるので、座敷へ招じたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山鳥を
は
い
あいさつ
提げて這入って来た。初対面の挨拶が済むと、その山鳥を座の真中に出して、国
から届きましたからといって、それを当座の贈物にした。
あつもの
こしら
その日は寒い日であった。すぐ、みんなで山鳥の羹(注1)を拵えて食った。
はかま
山鳥を料る(注2)時、青年は袴ながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉
たた
たち
あおじろ
を割いて、骨をことことと敲いてくれた。青年は小作りの面長な質で、蒼白い額
もっと
いちじ
の下に、度の高そうな眼鏡を光らしていた。尤も著るしく見えたのは、彼の近眼
ひげ
は
こ くら おり
よりも、彼の薄黒い口髭よりも、彼の穿いていた袴であった。それは小倉織で、
み いだ
しまがら
普通の学生には見出し得べからざる程に、太い縞柄の派出なものであった。彼は
い
この袴の上に両手を載せて、自分は南部(注3)のものだと云った。
よ
青年は一週間程経って又来た。今度は自分の作った原稿を携えていた。余り佳
く出来ていなかったから、遠慮なくその旨を話すと、書き直してみましょうと云っ
か よう
て持って帰った。帰ってから一週間の後、又原稿を懐にして来た。斯様にして彼
は来る度ごとに、書いたものを何か置いて行かない事はなかった。中には三冊続
しか
きの大作さえあった。然しそれは尤も不出来なものであった。自分は彼の手に成っ
すぐ
たもののうちで、尤も傑れたと思われるのを、一二度雑誌へ周旋した事がある。
へんしゅう
けれども、それは、ただ編輯者の御情けで誌上にあらわれただけで、一銭の稿料
にもならなかったらしい。自分が彼の生活難を耳にしたのはこの時である。彼は
のり
つもり
これから文を売って口を糊する積だと云っていた。
ある
の
り
或時妙なものを持って来てくれた。菊の花を乾して、薄い海苔の様に一枚々々
かた
たたみいわし
こう し
に堅めたものである。精進の畳鰯だと云って、居合せた甲子(注4)が、早速浸
はし
すずらん
しものに湯がいて、箸を下しながら、酒を飲んだ。それから、鈴蘭の造花を一枝持っ
て来てくれた事もある。妹が拵らえたんだと云って、指の股で、枝の心になって
かいてん
いる針金をぐるぐる廻転さしていた。妹と一所に家を持っている事はこの時始め
― ―
23
まき や
ぬいとり
けい こ
て知った。兄妹して薪屋の二階を一間借りて、妹は毎日刺繍の稽古に通っている
お なん ど
ちょう
ぬいと
のだそうである。その次来た時には御納戸(注5)の結び目に、白い蝶を刺繡っ
た襟飾りを、新聞紙にくるんだまま、もし御掛けなさるなら上げましょうと云っ
て置いて行った。それを安野が私に下さいと云って取って帰った。
けい しょく
そのほか彼は時々来た。来る度に自分の国の景色やら、習慣やら、伝説やら、
古めかしい祭礼の模様やら、色々の事を話した。彼の父は漢学者であると云う事
てんこく
うま
お
ば
あ
も話した。篆刻(注6)が旨いという事も話した。御祖母さんはさる大名の御屋
さる
敷に奉公していた。申の年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿に
ちな
か
縁んだものを時々下さった。その中に崋山(注7)の画いた手長猿の幅がある。
今度持って来て御覧に入れましょうと云った。青年はそれぎり来なくなった。
い
つ
すると春が過ぎて、夏になって、この青年の事も何時か忘れる様になった或日、
ひと え
――その日は日に遠い座敷の真中に、単衣を唯一枚つけて、じっと書見をしてい
や
てさえ堪えがたい程に暑かった。――彼は突然遣って来た。
あおじろ
に
じ
て ぬぐい
ふ
相変らず例の派出な袴を穿いて、蒼白い額に煮染んだ汗をこくめいに手拭で拭
や
いている。少し瘠せたようだ。甚だ申し兼ねたが金を弐拾円貸して下さいという。
かか
実は友人が急病に罹ったから、早速病院へ入れたのだが、差し当り困るのは金で、
やむ
色々奔走もしてみたが、ちょっと出来ない。已を得ず上がった。と説明した。
A自分は書見をやめて、青年の顔をじっと見た。彼は例の如く両手を膝の上に
うち
正しく置いたまま、どうぞと低い声で云った。あなたの友人の家はそれ程貧しい
お
のかと聞き返したら、いやそうではない、ただ遠方で急の間に合わないから御
ねがい
はず
願をする、二週間経てば、国から届く筈だからその時はすぐと御返しするという
ちょうだつ
かけ
答である。自分は金の調達を引き受けた。その時彼は風呂敷包の中から一幅の懸
もの
せんだっ
はんせつ
物を取り出して、これが先達て御話をした崋山の軸ですと云って、紙表装の半切
の
ま
ず
はっきり
わか
もの(注8)を展 べて見せた。旨いのか不 味 いのか判 然とは解 らなかった。印
譜をしらべてみると、渡辺崋山にも横山華山(注9)にも似寄った落款(注 10)
がない。青年はこれを置いて行きますと云うから、それには及ばないと辞退した
が、聞かずに預けて行った。翌日又金を取りに来た。それっきり音沙汰がない。
だま
約束の二週間が来ても影も形も見せなかった。自分は欺されたのかも知れないと
思った。猿の軸は壁へ懸けたまま秋になった。
― ―
24
あわせ
し
ごと
袷を着て気の緊まる時分に、長塚が例の如く金を借してくれと云って来た。自
いや
ふ と
分はそう度々借すのが厭であった。不図例の青年の事を思い出して、こう云う金
があるが、もし、それを君が取りに行く気なら取りに行け、取れたら貸してやろ
か
しゅんじゅん
うと云うと、長塚は頭を搔いて、少し逡巡していたが、やがて思い切ったとみえ
て、行きましょうと答えた。それから、先達ての金をこの者に渡してくれろとい
う手紙を書いて、それに猿の懸物を添えて、長塚に持たせてやった。
長塚はあくる日又車でやって来た。来るや否や懐から手紙を出したから、受け
きのう
取って見ると昨日自分の書いたものである。まだ封が切らずにある。行かなかっ
とても
たのかと聞くと、長塚は額に八の字を寄せて、行ったんですけれども、到底駄目
さんたん
ぬ
い
です、惨澹たるものです、汚ない所でしてね、妻君が刺繡をしていましてね、本
人が病気でしてね、――金の事なんぞ云い出せる訳のものじゃないんだから、決
して御心配には及びませんと安心させて、掛物だけ帰して来ましたと云う。自分
おど
はへええ、そうかと少し驚ろいた。
あく
う
そ
つ
たし
翌る日、青年から、どうも噓言を吐いて済まなかった、軸は慥かに受取ったと
は がき
みだればこ
云う端書が来た。自分はその端書を他の信書と一所に重ねて、乱箱の中に入れた。
そうして、又青年の事を忘れる様になった。
せわ
そのうち冬が来た。例の如く忙しい正月を迎えた。客の来ない隙間を見て、仕
事をしていると、下女が油紙に包んだ小包を持って来た。どさりと音のする丸い
ものである。差出人の名前は、忘れていた、いつぞやの青年である。油紙を解い
は
のち
て新聞紙を剝ぐと、中から一羽の山鳥が出た。手紙が付いている。その後色々の
きん す
ごろ
事情があって、今国へ帰っている。御恩借の金子(注 11)は三月頃上京の節是
つも
はが
非御返しをする積りだとある。手紙は山鳥の血で堅まって容易に剥れなかった。
その日は又木曜で、若い人の集まる晩であった。自分は又五六人と共に、大き
な食卓を囲んで、山鳥の羹を食った。そうして、派出な小倉の袴を着けた蒼白い
青年の成功を祈った。五六人の帰ったあとで、自分はこの青年に礼状を書いた。
ご かい い
Bそのなかに先年の金子の件御介意に及ばずと云う一句を添えた。
注1 羹――肉や野菜を入れて煮た熱い吸い物。
注2 料る――料理する。
― ―
25
注3 南部――青森県東部から岩手県北部に至る地域の通称。
注4 甲子――某氏。ある人の意味。
注5 御納戸――「御納戸色」のこと。染料の名。ねずみ色がかった藍色。
注6 篆刻――石や木などの印材に字を刻すること。
注7 崋山――渡辺崋山。江戸時代後期の武士、画家。
注8 半切もの――画仙紙(書画用のにじみやすい紙)などの全紙を縦半分に切ったもの。ま
た、それにかかれた書画。
注9 横山華山――江戸時代後期の画家。
注10 落款――完成した書画に自作であることを示すために作者が署名、押印したもの。
注11 金子――お金。
問1 下線部A「自分は書見をやめて、青年の顔をじっと見た」とあるが、その
ときの「自分」の心境の説明として最も適切なものを、次の1~4の中から
一つ選び、その番号を記入せよ。解答番号は、 47
1 急病の友人のためとはいえ弐拾円もの大金を借金するにしては安易な頼
み方でもあり、本当に友人の借金なのか疑わしいので青年から事情を詳し
く聞きたい心境。
2 友人がいくら金に困っているからといって、これまで数回来訪した程度
でしかも最近音沙汰のなかった青年が突然借金を申し出る行為に至った真
意を確かめたい心境。
3 これまでは郷里の自慢話や土産話をさんざん聞かされたのに、今日はし
ばらくぶりにもかかわらず、無遠慮に借金を申し出てくる青年の本当の気
持ちを聞きたい心境。
4 初めてやってきたときから原稿や土産を持参していたのに、今日に限っ
て何も持っていないうえに、突然高額の借金の申し出をしてきた青年の真
意を確かめたい心境。
― ―
26
問2 下線部B「そのなかに先年の金子の件御介意に及ばずと云う一句を添えた」
とあるが、「自分」はなぜその一句を添えたのか、その理由として最も適切
なものを、次の1~4の中から一つ選び、その番号を記入せよ。
解答番号は、 48
1 自分の家にはただでさえ多くの青年が出入りしており、これ以上この青
年の厄介な出来事には関わり合いたくないので、今回を最後にこの青年と
の縁を切りたいと思ったから。
2 借金するために噓を重ねておいて、事情が露呈すると山鳥の肉程度でお
茶を濁そうとする青年の態度に腹が立ちながらも、それでもいつかは立ち
直るかもしれないと思ったから。
3 困窮した詳細な事情はわからないが、病気と闘いながら日々を送るのは
つらいであろうし、申し訳ない気持ちで山鳥を送ってきた青年の心情に触
れ、再起を期待したいと思ったから。
4 原稿をたくさん書いたり、いろんな土産話を持ってきたりする青年のこ
となので、きっといつかは病気を克服して精力的に文筆活動に励むのであ
ろうと期待したいと思ったから。
― ―
27
15
次の文章を読み、後の問いに答えよ。
A我が国の交通史と欧米のそれを比較すると、日本には馬車の時代がない。開
国前の徒歩からいきなり鉄道、自動車へ移行し、その細部を人力車が補って馬車
は発達しなかった。平安時代に登場する優雅な牛車は一般の運搬手段にまで発展
せず、ほとんどが人力に頼っている。国産馬は体高が低く、牛馬は農耕における
貴重な労働力だったうえに、戦国時代以降は軍事力と見なされていた。徳川幕府
もく し
ば ひつ
が千葉に展開した牧士制度(注1)など馬匹(注2)の育成は厳重に管理され、
そもそも急流河川で分断された国土は馬車交通に適していなかったから、去勢に
よる馬匹改良などを奨励する環境はなかった。日本人は島国の鎖国という独自の
時間をひたすら歩いた。あるいは走った。江戸時代の下級武士にとって正月元旦
は大変だったという。
彼らは江戸城に登城して新年の仕事を済ませた後、それぞれの上役の家に
まわ
年始廻りに出かけるのである。(中略)なんだかんだ合わせて二〇人くらい
ほんごうおいわけ
こ いしかわ
はくさん
うしごめ
にはなった。(中略)北は本郷追分のあたりから、小石川、白山、西は牛込、
よつ や
あおやま
あざ ぶ
しろがね
すみ だ がわ
ふかがわ
ほん
四谷から青山、南は麻布から白金あたりまで、東は隅田川向こうの深川や本
じょ
所など(後略)
(齊藤俊彦『くるまたちの社会史』)
もんど
「必殺仕事人」(注3)の中村主水のような下級侍は、お上のご機嫌伺いに歩き
回った。庶民も頻繁に国内旅行に出かけている。お伊勢参りである。箱根の関所
越えには難渋したが、それでも人々はテクテクと東海道、中仙道を上り下りし、
江戸末期にその数は年間四、五十万人もあったという。田舎で待つ人の楽しみは、
にぎ
な
じ
都の賑わいや道中の土産話。『東海道中膝栗毛』の弥次喜多道中にお馴染みの巡
礼模様はいずこの国も似たようなものだが、明治以降、日本の絵葉書は他に類を
見ない発展を遂げたと言われる。自分がこの目で見た光景、印象、物語を共有し
たいという気持ちは、やがて日本人=カメラというイメージにつながる。俳句と
いう表現形式が生まれた背景もその辺にあったのかもしれない。
― ―
28
つわもの
夏草や兵どもが夢の跡
五月雨の降り残してや光堂
ばしょう
芭蕉の『奥の細道』は感興というよりもジャーナリスティックで、絵葉書のよ
うに簡潔に印象が写生されている。
日本の道は馬車道としては発展しなかったため、開国後の明治政府は、居留地
ぜいじゃく
外国人からの馬車利用願いを何度も拒んでいる。路幅が狭く脆弱で、庶民が車に
慣れていないため危険というのがその理由だ。そこに鎖国と開国、西洋文化との
あぶ
せ
こ
ギャップが炙り出され、馬や電車が走る際には前に勢子(注4)を走らせて歩行
者に注意を促した。いま、マラソン大会の当日には交通規制がしかれ、テレビ局
は先導する白バイ警察官を紹介する――日本の道路はランナーのものではないか
もしれないが、もともとは徒歩者のものだった。
道路使用は、日本のマラソンにとっていまも重大なテーマだ。80 年代の交通
手段、映像技術の飛躍的発達に伴ってスポーツの国際化と商業化が進み、マラソ
ンは大きな転機に直面した。トップ選手の獲得競争が賞金高騰に拍車をかけ、伝
統の〈ボストンマラソン〉が 1986 年についに賞金レースに踏み切った。日本陸
上競技連盟(日本陸連)は国内マラソン大会を賞金化できなかった。当時の日本
陸連は「警察が公道を(賞金という)私的利益追求に使うことを認めない」と説
明していたが、警視庁広報の説明はもっと明快で、賞金レースは多数の参加を促
し、警察は群衆化を奨励しないというものだった。
「道路と交通こそは、軍事と産業の基本」(加太こうじ『交通日本史』)である。
青森から広島まで鉄路で結ばれたところで日清戦争が始まり、東北線沿線から大
量の兵員と馬が輸送された。太平洋戦争が終わって、同じ鉄路を引揚者でスシ詰
い
ぶ
めの SL が帰ってきた。戦後の男たちの傷心を慰撫した職業野球は、近鉄、西鉄、
南海、阪急、阪神、最近では西武……国鉄スワローズという例外もあったが、主
に私鉄が担っていた。私鉄が球団経営に乗り出した目的は、ひとえに沿線開発に
あった。とくに関西では日清、日露の戦勝景気に沸いた明治から大正にかけて私
鉄の建設ラッシュが起こり、レジャー施設が設けられ、イベントが展開された。
さかい
はま でら
その代表が阪神甲子園であり堺 市にある浜 寺 公園だった。B 鉄路がどんどん広
― ―
29
がっていく速度に、人々の経験は追いつかない――どうやら、ここに鉄輪ではな
く人の脚が距離を刻むマラソン、あるいは駅伝の根っこがあるようだ。
しのばずのいけかいわい
東京で最初のロードレースが行われた上野の不忍池界隈は一大行楽地で、上野
公園のグラウンドでは旧制第一高等学校の生徒が野球に興じ、多くの見物人に囲
まれたなかには正岡子規の姿もあった。1917(大正6)年、首都が京都から東京
うつ
てん と
に遷って 50 周年という記念の年に、上野を舞台に「東京奠都五十年奉祝博覧会」
(注5)が開催されると、読売新聞社はその協賛事業として京都―東京間の「東
京奠都記念東海道五十三次駅伝徒歩競走」を企画した。これが我が国初の駅伝で
あり、発案者は当時の社会部長で歌人の土岐善麿と部下の大村斡だった。社告掲
載時点ではまだ「駅伝」の名称は使用されておらず、
「奠都記念マラソン・リレー」
「東海道の徒歩大競走」となっている。すなわちペデストリアン(注6)である。
「駅
伝」の名付け親は、大会副会長を務めた大日本体育協会副会長の武田千代三郎だ。
「初め、之を東京附近、京都名古屋附近および大阪附近の三団体に分属せしむる」
計画だったが、関西ではメンバーがそろわず、東京附近は東京高師、一高、早稲
田などの精鋭で組織され、東海附近はマラソンに熱心だった日比野寛前校長(当
時代議士)の愛知一中の中学生で組織され、東西2チームによる昼夜のレースが
始まった。片方が中学生で構成されたチームなのだから、勝負は二の次だったと
考えるべきだろう。
スタートは4月 27 日午後2時に京都三条大橋で、東海道をひた走り、2日後
の 29 日午前 11 時 34 分、関東軍が上野不忍池の博覧会場のゴールに飛び込んだ。
いま、三条大橋と不忍池には「駅伝の碑」がある。
当時はニュースが少なかった。戦争報道で埋まった紙面が、明治末から大正の
平和時にはネタ切れになり文芸やスポーツにスペースが回った。大阪毎日新聞社
は浜寺公園で全国中学校庭球選手権を開催して評判をとり、朝日新聞社は明治末
みの お あり ま
に展開した野球害毒論を一転させ、1915(大正4)年、箕面有馬電気軌道が建設
とよなか
した豊中球場で全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)
を始めた。当時の学制では高校、大学は学校数も地域も限られ、クラブチームも
東京と大阪に限定されていたから、中学生大会になったのだ。
東京で発刊した読売新聞社には、東海道駅伝で西日本地域の取材網、販売網を
― ―
30
だい ご
み
テコ入れする狙いがあったと言われ、前出の土岐善麿はスポーツの醍醐味からは
縁遠い人だった。東京以西に弱点があったから、あえてそこに挑戦しようという
つづ
32 歳の心意気だったかもしれない。1926(昭和元)年にこう綴っている。
ら
彼等は走る、彼等は走る。日が落ち、夜が更け、朝が来る。彼等は走ってい
る。……今ならば、そしてまた、これがわが朝日新聞社ならば、ほとんど何
でもない事業なのだ。費用の点において、設備の点において、人員の点にお
いて、通信機関の点において、当時のY社の事業として、僕らの困難と苦悩
は、外部の想像のおよばないものがあった。
(土岐善麿「駅伝競走の追憶」『駅伝五十三次』)
ばくだい
我が国初の駅伝は大成功だったが莫大な赤字で、土岐は翌年、読売新聞を去っ
てライバル紙の朝日新聞に移った。
お なり
彼等は走る、彼等は走る。銀座、日本橋、御成街道、上野……
万歳、大成功。僕は、あの時、あのゴールの花と人の渦巻にもまれながら、
大村君と、埃まみれの手を握りあって、無言のまま涙をこぼしあった瞬間の
感激を、今も僕の生涯のもっとも尊い追憶の一つとしている。(前掲)
ドイツ
きょうべん
上野のゴールに飛び込んだアンカーが、当時は独逸学協会中学校で教鞭を執っ
ていた 25 歳の金栗四三である。金栗の伝記、長谷川孝道著『走れ二十五万キロ』
はこう語っている。
い さら ご さか
伊皿子坂下にかかるころは歓迎の大観衆が沿道いっぱいにくりだして電車は
ふだ
つじ
立ち往生、札の辻では四三までが満足に走れぬ騒ぎだ。日本橋をはさんだ白
木屋、三越の両呉服店の窓も鈴なりの観衆がけんめいに帽子やハンカチをふ
る。四三は走る。紫のユニフォームもかろやかに人垣をおしわけ、満開の桜
とあらしのような拍手に迎えられて上野博覧会場のゴールに入ったのは午前
十一時三十四分。
― ―
31
奠都五十年を祝う首都での成功――日本のマラソン史において、土岐善麿の
チャレンジはその後のマラソン、駅伝の発展に大きな意味があった。
(武田薫著『マラソンと日本人』による)
注1 牧士制度――牧士と呼ばれる人々が牧
(自生馬の放牧飼育地)
の日常管理を担当した制度。
注2 馬匹――馬。
注3 「必殺仕事人」――1979(昭和 54)年から 1981(昭和 56)年にかけて人気を博したテ
レビ時代劇。中村主水はその主人公。
注4 勢子――狩猟で鳥獣を追い払ったり他へ逃げるのを防いだりする役目の人。本文では、
道路の歩行者に馬や電車の通行を知らせる役目の人を指す。
注5 東京奠都五十年奉祝博覧会――「奠都」とは都をさだめること。「博覧会」はテーマを
決めて資料・文化財、産物・新製品を人々に見せる催し。
注6 ペデストリアン――歩行者または徒歩で旅行する人。
問1 下線部A「我が国の交通史と欧米のそれを比較すると、日本には馬車の時
代がない」と筆者は述べているが、そのことが日本のマラソンの発展とどう
関わっているのか、その説明として最も適切なものを、次の1~4の中から
一つ選び、その番号を記入せよ。解答番号は、 49
1 馬車という交通手段が発達しておらず、鎖国の島国という歴史的経緯に
より公道は人間の歩くところという意識が長く続いたため、駅伝やマラソ
ンのように公道を走る競技を発想しやすかった。
2 馬車という交通手段がなく、牛も農耕用に使用され、自動車や鉄道もま
だ十分に発達しておらず、物資運搬を人力に依存していたため、人が公道
を走るのは普通のことであった。
3 馬車に依存することがなかったので、公道は人間の専有物となり、行楽
地と行楽地を歩いて行き来するために、人々には時間の短縮を求めて走る
ことが奨励された。
― ―
32
4 馬車という交通手段が存在すれば、いち早く物資輸送をする条件も整う
が、その手段がないという状況下ではやむを得ず人が走って運ぶか車によ
る運搬を依頼する必要があった。
問2 下線部B「鉄路がどんどん広がっていく速度に、人々の経験は追いつかな
い」とはどういうことか、その理由の説明として最も適切なものを、次の1
~4の中から一つ選び、その番号を記入せよ。解答番号は、 50
1 鉄道事業の発展によって高度経済成長が続き生活水準が向上したため、
人々が娯楽という新しい経験を求めて観光地に出かけるようになったとい
うこと。
2 景気が良くなり観光がブームになったので、鉄道各社も鉄路を延ばし、
人々の意識はまだ近所付き合い程度で遠方の行楽地まで行く人は必ずしも
多くなかったということ。
3 鉄道の普及に伴って観光地が急速に増加する速度に人々の意識がついて
いけず、次々と延伸されていく鉄路の先にまで想像力がはたらかなかった
ということ。
4 鉄道や車のような速度では人々の想像をかきたてることができなかった
が、歩いたり走ったりする速度の方が、ものを見るのに都合がよかったと
いうこと。
〔基礎教養テストの問題は以上です。〕
― ―
33