公共政策の窓 Vol.1 フランスの違憲審査制と「開かれた議論

公共政策の窓 Vol.1
フランスの違憲審査制と「開かれた議論」
植野妙実子
フランス人権宣言16条は「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない
すべての社会は、憲法をもたない」と定め、憲法の本質が人権保障と権力分立にあること
を示している。日本国憲法は、第三章に詳細な人権規定をおくと同様に、第四章国会、第
五章内閣、第六章司法と定め、それぞれの権力が分立して、互いに抑制作用を働かせるこ
とで均衡を保つことが考えられている。
しかし他方で、日本の政治体制は議院内閣制をとり、国会と内閣との依存関係が強いこ
とから権力分立の型としては弱いタイプと位置づけられる。権力分立の「抑制と均衡」は
実際にはうまく働いているとはいえないことが多い。例えば裁判所の有する違憲審査権は
憲法81条に定められているが、立法行為、その他の行為に対して違憲と宣言することは
あまりなく、
「司法消極主義」と呼ばれている。
フランスでは、1789年のフランス革命以来、フランス人権宣言6条が定めるように、
法律は「一般意思の表明」として尊重され、法律自体を審査することは行われてこなかっ
た。しかし、現行1958年第五共和制憲法は、憲法院に、法律が憲法の定める法律領域
を守っているか監視する権限を定め、そこから憲法院による法律の合憲性審査が発達した。
その内容は、立法過程において、法律案が上下両院を通ったあとで審書前に、大統領、
首相、上下いずれかの院の議長、または60名の国民議会議員もしくはセナ議員によって、
憲法院に付託がなされる。組織法律や議院規則など必ず審査の対象となるものもある。
立法過程におけるこうした審査は、事前審査と呼ばれ抽象審査である。2008年7月
の憲法改正によって、これに加えて、通常の訴訟において法律の違憲性が疑われるときに
は、コンセイユ・デタ(行政裁判系列の最高裁判所)もしくは破毀院(司法裁判系列の最
高裁判所)からの移送によって付託を受けつけることとなった。これを「合憲性の優先問
題」という。事前審査に加えて、事後審査も行われることとなり、現行憲法以前の法律も
対象とされるようになった。
それでもフランスの違憲審査制には、さまざまな問題が指摘されている。第一に、憲法
裁判官の任命の問題である。憲法院の裁判官は9名で、大統領、上下両院の議長がそれぞ
れ3名ずつ任命する。ここに、元共和国大統領が終身の憲法院裁判官として加わる(第四
共和制下の大統領2人、オリオル、コティーが裁判官として務めたこともある)
。
この任命のあり方が政治的であるとして批判されている。第二に、審査の手続である。
院長の任命する報告担当裁判官に最初の判断が委ねられ、この裁判官が、だれとどのよう
に接触して判断にいたったのか不透明だと批判されている。なお評議は25年後に公開可
能となった。
第三に、内部規程の整備の不十分性も批判されている。第四に、そもそも憲法院は諮問
機関としての活動など裁判以外の活動もする。このことから果して憲法院を裁判機関とし
て位置づけることができるのか、と批判されてもいる。
憲法院の有する抑制作用は、立法権に対してと同時に、法律が政府提出法案によること
が多いことから、執行権に対しても働いている、と評されている。しかし、権力分立の枠
組からみると、純粋に司法権の側からの抑制作用を働かせているとはいえない点がある。
フランスにおける権力や権力分立についての考え方が日本とは異なることにも起因してい
よう。
まだ解決すべきさまざまな問題はあるが、フランスでの違憲審査制はこのように発達し
てきた。その背景には「開かれた議論」があるように思える。私が在外研究を行ったエッ
クス・マルセイユ第三大学では、1985年から毎年「国際憲法裁判学会」を開催してい
る。
私も87年より参加させていただいているが、現在では参加国は EU27カ国にとどまら
ず、スイス、アメリカ、ロシア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、エジプト、ブラ
ジル、チリなど40カ国余にもなる。それぞれの国の憲法裁判官や研究者、欧州人権裁判
所の裁判官も集まって、違憲審査制のあり方や判断基準について意見をかわしている。
世界において人権保障を確固たるものにしようとする意気ごみがここにはある。日本の
裁判所にもっとも足りないのはこうした「開かれた議論」ではないかと思っている。
「開か
れた議論」の存在こそが制度の進歩につながるであろう。フランスでは、裁判は市民のた
めの公役務(公共サービス)ととらえられている。国家も、制度も、政策も市民のために
存在する。この基本を欠くようでは民主主義国家とはいえないであろう。
★寄稿者プロフィール
・植野妙実子(うえの・まみこ)
・中央大学大学院公共政策研究科委員長・理工学部教授
・1949 年東京都生まれ
・専門は憲法・フランス公法
・趣味はケーブル TV でミステリーなど TV ドラマをみること。歌は LILICO と良い勝負
(?)
。
<略歴>
中央大学法学部法律学科卒業後、中央大学大学院博士前期課程へ入学。修了後、博士後期
課程へ入学、1981年3月満期退学。
大学院在学中にパリ第一大学に留学。中央大学理工学部専任講師、助教授を経て、199
3年4月より教授。
1987年から88年にかけてフランスのエックス・マルセイユ第三大学にて在外研究。
2006年9月エックス・マルセイユ第三大学にて博士号取得。
毎年、フランスのエックサンプロバンスで開かれる国際憲法裁判学会に日本の憲法裁判の
報告者として出席している。
<主な著作>
単著:
『Justice, Constitution et droits fondamentaux au Japon』
(LGDJ・2010)
『憲法二四条 今、家族のあり方を考える』
(明石書店・2005)
『憲法の基本-人権・平和・男女共生』
(学陽書房・2000)
『
「共生」時代の憲法』
(学陽書房・1993)
編著:
『フランス憲法と統治構造』
(中央大学出版部・2011)
『要約 憲法判例 205』
(学陽書房・2007)
『ジェンダーの地平』
(中央大学出版部・2007)
『21世紀の女性政策-日仏比較をふまえて』(中央大学出版部・2001)
『現代国家の憲法的考察』
(信山社・2001)
共著:
『法女性学への招待[新版]』
(有斐閣・2003)
<担当科目>
立法過程論、比較憲法論、政策ワークショップ I・II など。
<指導学生の主な合格実績・進路先>
参議院事務局、裁判所事務官、検察庁、神奈川県庁、和歌山県庁、横浜市役所、大和総研、
日本損害保険協会など