西野 淳(トヨタ自動車の経営)

2005 年 度 筒 井 ゼ ミ 卒 業 論 文
トヨタ自動車の経営
5101167
西野
淳
2006 年 1 月 16 日
もくじ
1 はじめに
2 トヨタのこれまでの実績
– 2-1 ト ヨ タ の 経 営 理 念
– 2-2 ト ヨ タ の こ れ ま で の 歴 史
– 2-3 米 国 で の 評 判
3 経営システム
– 3-1 労 務 管 理
– 3-2 ト ヨ タ の 生 産 方 式
•
3-2-1 ト ヨ タ 生 産 方 式 の 目 的
•
3-2-2 生 産 方 式 の 構 成
•
3-2-3 か ん ば ん 方 式 と は ?
4 トヨタの経営システムのメリットとデメリット
– 4-1 メ リ ッ ト
– 4-2 デ メ リ ッ ト
1.は じ め に
トヨタ自動車は設立されて五十年以上もたつのだが、それまでを通して常に
新しい考えを持ち、設立初期の経営危機を乗り越え、連結経常利益1兆円超の
超優良企業と呼ばれており、バブルが崩壊したこの不況の時代でも、トヨタ自
動車はいまだに実績を上げ続けている。そこで、私は何故これほどの利益を上
げ続けられるのかという疑問からこのテーマを選択した。
自動車が、数多くの産業の中で主役となりえたのには、自動車が単価として
大変多角、かつ生活必需品として欠かせないものであるという社会的な背景が
大きくかんけいしているだろう。しかし、国内に10社もある自動車メーカー
の中で、何故トヨタだけが大きく突出する企業となりえたのか。
その理由として多くがあげる、徹底したコスト低減について調べてみた。
ま た ト ヨ タ 独 自 の 生 産 方 式 、 JIT を 通 し て 何 故 、 常 に 国 内 自 動 車 メ ー カ ー ト ッ
プの地位を数十年間変わらず維持してきたか解明して生きたい。また、トヨタ
のそれらの経営から会社側を通してのメリットだけでなくデメリットについて
も調べてみた。
以下、本論分ではまず第2章においてトヨタ自動車の歴史と実績について説
明していく。
2.ト ヨ タ の こ れ ま で の 実 績
2.1 ト ヨ タ の 経 営 理 念
トヨタ自動車はこれまで多くの実績を残してきたが、企業の発展だけではな
く 、社 会 の 発 展 に 対 し て も 力 を 注 い で き た こ と が 経 営 理 念 を 通 し て 読 み 取 れ る 。
ト ヨ タ 自 動 車 HP(http://www.aichi-toyota.jp/company/mn_ph.html)と ト ヨ タ
ク ラ ウ ン 物 語 (文 芸 春 秋 )を 参 考 に 経 営 理 念 を ひ と つ に ま と め て み た 。
★ 基本理念
1
オープンでフェアな企業行動を基本とし、国際社会から信頼される企業市
民を目指す。カーライフの新しい価値を創造し豊かな社会の実現に貢献する
2
ク リ ー ン で 安 全 な 商 品 の 提 供 を 使 命 と し 、住 み よ い 地 球 と 豊 か な 社 会 作 り に
勤める。
3
さまざまな分野での最先端技術の研究と開発に努め世界中のお客様にお答
えする魅力あふれる商品を提供する。
お客様の共感を得る行動を水からする。
常に高い目標に挑戦し革新する
4
各国、各地域に根ざした事業活動を通じて、産業・経済に貢献する。
5
個人の想像力とチームワークの強みを最大限に高める企業風土を作る。
社員の成長が会社の成長となる。
6
全世界規模での効率的な経営を通じて、着実な成長を持続する。
7
開 か れ た 取 引 関 係 を 基 本 に 、互 い に 研 究 と 創 造 に 努 め 長 期 安 定 的 な 成 長 と 共
存共栄を実現する。
この項目は1~7まであるが、会社の発展と社会の発展に項目を大きく分ける
ことができる。
2、4が社会の発展に対する観点からの経営理念で1、3、5、6、7が会社
の発展という観点からの経営理念である。
2、4では、クリーンで安全な商品の提供、住みよい地球と豊かな社会作り、
各地域に根ざした事業活動とあり、これらから企業の発展というものは社会の
発展なくしてありえないというトヨタ自動車の考えが読み取れる。
1、3、5、6、7では社員の育成に重点を置き、世界規模でのビジネスを心
がけていることが書かれている。
(参 考 文 献 : ト ヨ タ ク ラ ウ ン 物 語 )
(ト ヨ タ 自 動 車 HP
)
2.2 ト ヨ タ の こ れ ま で の 歴 史
トヨタ自動車の全身「トヨタ自動車工業株式会社」が豊田自動織機製作所の
出 資 に よ っ て 設 立 さ れ た の が ト ヨ タ 自 動 車 ホ ー ム ペ ー ジ の 情 報 に よ る と 1937
年 8 月である。これをもって豊田の発祥は豊田自動織機と、されるがグループ
の源流は豊田自動織機を設立した豊田紡織となっている。創業時の資本金は
1200 万 円 で 、初 代 社 長 に は 豊 田 佐 吉 翁 の 娘 婿 で 当 時 の 豊 田 自 動 織 機 製 作 所 の 社
長である豊田利三郎が就任した。後にトヨタ自動車の創業者として名を残す豊
田 喜 一 郎 は 副 社 長 と な っ た 。豊 田 喜 一 郎 が 自 動 車 事 業 に 乗 り 出 し た 発 端 は 1921
年9月、欧米のゼネラルモータース、フォード等の紡績業を利三郎に随行して
視察したことが直接の引き金と言われている。東京帝国大学で機械工学を専攻
していた喜一郎は内燃機関の研究に没頭していたこともあって、視察で目のあ
た り に し た 米 国 自 動 車 産 業 に 自 動 車 へ の 興 味 を 欠 き た て ら れ た 。29 年 、二 度 目
の渡米で自動車事業参入を決意し、帰国と同時に小型エンジン開発に取り組ん
だ。
トヨタは今も過去最高の経営状況を維持し続けているが、それまでに二度、経
営 危 機 を 迎 え た こ と が あ る 。「 ト ヨ タ ― 奥 田 イ ズ ム の 挑 戦 」( 日 本 経 済 新 聞 社 、
1999) に よ る と 一 回 目 は 豊 田 自 動 織 機 製 作 所 (現 ・ 豊 田 自 動 織 機 )時 代 と な っ て
いる。
1935 年 12 月 に 発 売 し た 「 G1 型 ト ラ ッ ク 」 の 売 り 上 げ 不 振 (ま る で 売 れ な か っ
た )に よ る も の で 、品 質 が あ ま り に も 悪 か っ た の が 原 因 の よ う だ 。顧 客 か ら ク レ
ー ム が 続 出 し た が 日 中 戦 争 に よ る 特 需 に よ り 倒 産 を 免 れ た 。 二 回 目 は 、 1949
年 か ら 50 年 の 間 で 、終 戦 に よ る 復 員 社 員 の 増 加 、統 制 経 済 に よ る 資 材 の 不 足 、
日本経済のデフレ突入によるトラックの売り上げ不振が原因とされている。
社員の給与カットを行ったが事態は好転せず、日本銀行の斡旋による銀行の融
資団が結成された人員整理で経営危機を乗り切ったようだ。
豊田の経営で本格的に赤字経営だったのはこの2回のみで、それ以後はこれと
いった赤字、問題を起こしてはいない。
2.3 米 国 で の 評 判
ア メ リ カ で の ト ヨ タ 社 の シ ェ ア は 年 々 ア ッ プ し て い る 。2002 年 1 月 の デ ー タ
に よ る と 、米 国 に お け る 日 本 車 の シ ェ ア は 29.3% に 登 っ た 。こ の う ち で 、ト ヨ
タ 自 動 車 は 11.4% で あ る 。「 日 本 車 は 故 障 が 少 な い 」 と い う の が 人 気 の ひ と つ
のようだ。トヨタ自動車が海外に始めて進出したのは上の年表にもあるように
1957 年 と な っ て い る 。し か し 、ト ヨ タ が 最 初 に 欧 米 で 発 売 し た「 ト ヨ ペ ッ ト ク
ラウン」の結果は散々だった。音がうるさく、トイペットクラウンと罵られる
ほどだったらしい。もっとも、その品質は百も承知でトヨタはアメリカがこれ
か ら 何 ら か の 形 で 海 外 製 品 の 輸 入 規 制 を 行 う だ ろ う と 考 え て 、そ れ を 見 越 し て 、
とりあえず足掛けとして「トヨペットクラウン」を発売したのである。
それからトヨタは海外でのニーズに合わせて、燃費がよく静かで長持ちする車
を多く開発した。
今では、世界でも豊田の名前はデザイン、性能共に高く評価されている
参 考 文 献 : (3)「 ト ヨ タ ― 奥 田 イ ズ ム の 挑 戦 」 日 本 経 済 新 聞 社 、 1999
3.ト ヨ タ の 経 営 シ ス テ ム
現在、トヨタ自動車は日本でも指折りの高収益企業となっている。これらに
は自動車などの需要が旺盛であるという事情のほかに独自の経営システム、労
働者に対しての処遇、労働時間の管理が大きく関係している。本稿ではトヨタ
という企業の特徴のひとつである経営システムについて説明していく。
3.1
労務管理
トヨタ自動車の労務管理は大きく分けて雇用管理、賃金管理、労働時間管理
があげられる。ここではそれぞれの管理について説明していく。
3-1-1.雇 用 管 理
トヨタ自動車は戦後不要労働力の排除、必要労働力の確保に力を入れてきた。
トヨタ生産方式は基本的に必要なものを必要なときに必要なだけ作ることを目
標としている。労働時間に関してもこの考えが強く、より少ない従業員で柔軟
な 労 働 時 間 管 理 を 行 っ て い る 。 (ト ヨ タ 経 営 シ ス テ ム の 研 究 : 日 本 経 済 新 聞 社 )
によるとこれらのことから残業・早出などが社内では当たり前となっており、
戦後しばらくは「魔の時間帯」といわれる深夜3時から朝6時までの過重労働
を行っていた。95年5月からは社員の不満により過重労働をなくし深夜残業
手当を減らすことにより人件費コストの作戦を図っている。これは、会社的に
は大変合理的なものだが従業員の生活のリズムの狂いによる家庭環境と健康の
破壊という問題もある。
3-1-2
賃金管理
トヨタ自動車の賃金管理は企業側には有益であるが、労働者に対しては大変
厳 し い 処 遇 で あ る の も 事 実 で あ る 。(ト ヨ タ 経 営 シ ス テ ム の 研 究:日 本 経 済 新 聞
社 )に よ れ ば ト ヨ タ が 採 っ た 低 賃 金 対 策 と し て 、ま ず 労 働 者 数 の 減 退 が 述 べ ら れ
ている。生産の増大している磁器であっても、中途採用の募集などは行わず今
ある労働力のみで対応することにより柔軟な製造数の増減に対応しているので
ある。これにより、労働者一人当たりの労働量は増えるが、数を増やさないこ
とにより作りすぎの防止と、低賃金化の二つに対応できている。
また、企業内賃金構造においても残業や早出などによって賃金が一定になるよ
うに定められるといった低賃金構造となっている。これは、従業員が、早出・
残業などの手当てによって生活が成り立っているということであり従業員の早
出・残業が必須となってくる。
3-1-3
労働時間管理
トヨタ自動車は多くのことにおいてとことん効率化が行われている。そのし
わ寄せか、上の項でも上げたように、社員一人当たりの労働時間は無論長くな
っ て い る 。 (参 考 文 献 : 毎 月 勤 労 統 計 調 査 報 告
http://www.mol.go.jp/)
に よ る と 一 人 当 た り の 月 平 均 所 定 外 労 働 時 間 は 24.4 時 間 と 全 国 の 平 均 と 比 べ
ても6時間以上も多いという現状である。
これは所定内労働を少なめに、所定外労働を他社よりも多くという方針による
ものである。
こ れ ら の こ と に 対 し 、な ぜ 社 員 は 不 満 を 漏 ら さ な い の か と い う 考 え に 及 ん だ が 、
社員のやる気を促すために企業側が明確に目標を提示していることが上げられ
る。トヨタ自動車の工場では、作業員たちが生産した商品に関わった人物の名
前を記入させているようだ。これらの行為によりトヨタ労働者は仕事に強い張
り合い感や達成感をもち、トヨタへの忠誠心にあふれている。自分は素晴らし
い会社にいる、という自負心を従業員は抱いている。
3.2 ト ヨ タ の 生 産 方 式
トヨタという企業の成功を語る上でトヨタ独自の生産方式による徹底的な無
駄の排除というものがあげられる。本稿ではそのトヨタ生産方式の詳細なシス
テムについて説明していく。
3-2-1 ト ヨ タ 生 産 方 式 の 目 的
トヨタ生産方式の目的は「製造にかかるコストを極限まで低減させること」
にあり、具体的方法として製造現場における徹底したムダの排除を目指してい
る。
ムダとは付加価値を高めないすべての活動や設備などを指す。
細かく分けると手持ちのムダ、作りすぎのムダ、運搬のムダ、加工のムダ、在
庫のムダ、動作のムダ、不良のムダの七つが挙げられる。トヨタではこれら7
つのムダを排除することでコストの低減が可能になり生産性の工場に結びつく
と考えられている。これによりそれまでの問題であった多量の在庫保持と作り
すぎに対する危惧による生産速度の低下が解決される。
3-2-2 生 産 方 式 の 構 成
トヨタ生産方式では徹底したムダの排除コスト低減を達成するため四つの手
段 と 、 そ の た め の 8 つ の 方 式 が 考 え ら れ て き た 。 (藤 本 隆 宏 、「 生 産 シ ス テ ム の
進 化 論 」、 有 斐 閣 )に よ る と 四 つ の 手 段 と し て 、 必 要 な も の を 、 必 要 な と き に 、
必 要 な だ け 生 産 す る Just-In-Time、従 来 の 自 動 化 に 人 の 判 断 力 、以 上 や 不 良 の
発見能力を組み込ませることで不良品を作り続けることを回避する自動化、生
産量の変化に応じて作業員の人数を変更する少人化、それらから新しい発想を
生み出す創意工夫が述べられていた。
そ れ ら を 利 用 す る 8 つ の 方 式 と し て 、 Just-in-time を 実 現 す る た め に 必 要 な
かんばん方式、需要変化に対応させる平準化、生産リードタイムの短縮化を行
う段取りの短縮、生産ラインの同期化を行う作業の標準化、1個流しと作業者
数の柔軟な増減を行う機会レイアウト、少人化を実現する改善活動と提案制度
がある。
これらは、柔軟な生産を行ううえで従業員の増減や商品の管理とい
う点で大変合理的なものとなっている。
3-2-3 か ん ば ん 方 式 と は
「かんばん方式」とは、ムダな在庫を削減するのに効果的な引張り型生産方
式 ( Pull
System
: 注 1) を 実 現 す る た め に 、 前 工 程 と 後 工 程 間 で 部 品 や 製
品を製造するのに必要となる情報を受け渡しする手段である。車両組立工場で
部品を使ったら部品箱に添付されている紙片の発注指示書「かんばん」をはず
して、その紙片を部品搬送用トラックで部品メーカーに戻して次の発注情報に
する仕組みである。
「 か ん ば ん 」と は こ れ ら の 情 報 伝 達 の 道 具 で あ り 、ビ ニ ー ル・
シ ー ト に 入 っ た 紙 製 の カ ー ド に あ た る 。ま た 、最 近 は 紙 片 か ら「 電 子 か ん ば ん 」
に移行しつつあるが、原則としてこれまでの紙片かんばんと同じである。
: PullSystem
後工程が部品を自分たちの使った分だけ前工程に引取りに行くシステム。
他 社 は Pushsystem ( 前 工 程 が 後 工 程 に 一 方 的 に 部 品 を 供 給 す る シ ス テ ム ) を
取っている
表1
役割
引き取り情
かんばんの具体的な役割
使 い方
「かんばん」が外 れた分 だけ後 工 程 が
報
運搬指示情
全 工 程 に引 き取 りにいく
報
生産指示情
前 工 程 は「かんばん」が外 れた品 物 につ
報
き
外 れた分 だけ、外 れた順 に作 る
作 りすぎ帽
「かんばん」が無 い時 は作 らない
子
運びすぎ防
運 ばない
止
(参 考 文 献 : 藤 本 隆 宏 、「 生 産 シ ス テ ム の 進 化 論 」、 有 斐 閣 )
大まかに分けるとこのような機能がかんばんにはある。各工程の生産計画は支
持 さ れ な い 。最 終 組 立 工 手 に の み 生 産 計 画 が 支 持 さ れ Pullsystem と か ん ば ん に
より上流工程に生産の指示が伝わる。
かんばんの種類
かんばんにはいくつかの種類があり、代表的なものとして「生産指示かんば
ん 」、「 引 き 取 り か ん ば ん 」 が あ る 。 ま ず 生 産 指 示 看 板 だ が 、 後 工 程 か ら 前 工 程
に運ばれてきた引取りかんばんに対応して、前工程に準備されていたコンテナ
から外されるかんばんで、生産指示を行う看板である。次に引取りかんばん製
品を製造する際に、後工程のラインサイドのストアに一時的に部品をおいて、
そこから部品を使用する。このとき、このストアから使用した部品量に応じた
数のコンテナを、前工程から引き取るための伝票の役目をする。
生産かんばん
(ロ ッ ト 生 産 以 外 の
通常生産)
生産指示かんばん
三角かんばん
かんばん
(ロ ッ ト 生 産 用 )
工程内引取りかんばん
引取りかんばん
外注かんばん
引き取りのタイミングによる分け方
定期引取りかんばん
(親 工 場 と 協 力 工 場 の 工 程
間で運用)
引取りかんばん
(前 工 程 と 後 工 程
定量引取りかんばん
が異なる工場に
ある場合)
巡回している場所によるわけ方
社内かんばん
巡回している場所
による分け方
社 外 か ん ば ん (外 注 か ん ば ん )
このようにかんばんには多くの種類があり、その場に適したかんばんを使用す
るようになっている。
4
トヨタ経営システムのメリットとデメリット
4.1
メリット
ト ヨ タ は JIT を 導 入 す る こ と に よ り 世 界 的 に ト ヨ タ の 名 を 知 ら し め る こ と が
で き た 。 JIT と は 、 ニ ー ズ に 基 づ い て 生 産 が 行 わ れ る と い う こ と で あ り 、 ニ ー
ズのないところでは生産されない。従来の思考は、生産したものを販売すると
いう前工程が後工程にモノを供給するといったものであったが、JITは全く
逆の発想である。ニーズを起点として、全ての生産が始まるのである。では、
ニーズはどのようにして把握すればよいのか。本来のニーズとは完全に個人的
なものであり、ニーズは千差万別であるので、その把握は困難を極める。IT
(情報技術)を駆使することで、今までとは比べようも無いほど正確で迅速な
把握が可能になりうるかもしれない。しかし、高度情報化社会において情報と
して価値のあるものとは、他との差異を示すものであることから、差異をみつ
けだして物質化することがトヨタ労働者に求められているのである。さらに、
JITは工程間の絶妙な連携プレーによって支えられている。生産工程間の信
頼関係がなくては、この「チーム・プレー」はうまく機能しないので、工程間
ひいては個々の人間関係を良好に保つ機能を持っている。次に、自働化とは、
「自動停止装置付の機械」という意味であり、生産ラインにおける問題の顕在
化とその共有化によって、品質改善を図り、ムダを排除するためである。工程
内における問題の発生は、即座にライン停止という形で顕れるので、不良品の
排除と同時に責任の明確化が行われることで、当該工程の能力増強が図られる
ことになる。そのために、個々の労働者は技術の習熟度を高めることを求めら
れ、問題解決能力も問われるのである。以上のように、トヨタ生産方式は厳格
な労働環境と同時に、労働者1人ひとりの技術習熟度を高め、良好な人間関係
をも構築するのである。
4.2 デ メ リ ッ ト
上に上げたトヨタ生産方式は徹底して無駄の排除というものをあげられてい
る。しかしその弊害として労働者に対する被害をこうむっていることが多い。
人的資源という概念において、各従業員が労働に対してどのように考えて労働
に従事しているのか、いかなる労働環境で働いているのかは非常に重要な問題
で あ る 。 (職 業 ・ 生 活 研 究 会 [1994]日 刊 工 業 新 聞 社 )に よ る と 、 次 の こ と が 指 摘
されている。生産部門に属している従業員は、トヨタ生産方式のもとで、徹底
し た ム ダ を 排 除 さ れ た 労 働 環 境 で 仕 事 に 従 事 し て い る 。そ の 労 働 環 境 は 、単 純・
高 密 度・交 替 制・長 時 間 労 働 と い っ た も の で あ り 、
「 現 代 の 苦 患 労 働 」と 表 現 さ
れている。例えば、隔週の夜勤労働者は、自身の肉体的・精神的な能力を著し
く消耗させて働いている。さらに、夜勤のために睡眠時間を確保しなければな
らず、家族と過ごす時間を労働に関係することが侵食してもいる。また、トヨ
タと関連・下請けとの関係において、労働環境や賃金の分野から区別すること
ができる。前者においては、先に述べたような厳しい労働管理と長時間労働を
強いられているが、相対的に高水準の賃金・企業福祉が行われている。後者に
おいては、トヨタ生産方式が完全に浸透しきれてはおらず、労働内容や労働管
理体制は緩やかであるが、賃金や企業福祉は相対的に低い。
しかしながら、トヨタ労働者は仕事に強い張り合い感や達成感をもち、トヨタ
への忠誠心にあふれている。また、社会的にも、トヨタ労働者は高い評価受け
ている。国内・海外勤務を問わず、自分は素晴らしい会社にいる、という自負
心 を 従 業 員 は 抱 い て い る 。と り わ け そ の 生 産 方 式 の 核 と な っ て い る JIT が も た
らす問題がデメリットの中心となっている。つまり、このような人間性を無視
した「人間=機械論」によっても労働負担は増大し、労働密度は過密化してい
く こ と と な る 。 先 の 「 汗 を 拭 く 」 な ど と い う 余 裕 も な い ほ ど JIT シ ス テ ム の も
とではサイクルタイムが短縮されている。これは効率的に作業を改善してサイ
クルタイムを短縮するだけでなく、
「 半 歩 で も 歩 く 距 離 を 短 く し て 、少 し で も 動
作をちじめて」というように労働者の負担となって行われている。また、人員
の削減=少人化によっても労働の過密化は促進されています。あるトヨタの工
場 で は 1 人 の 工 員 が 休 む と 、工 場 長 が 1 日 中 ラ イ ン に 入 ら な い と 生 産 量 が 確 保
で き な い 、ほ ど の 人 員 削 減 が な さ れ て い る と い わ れ て い る 。ま た 、OJT( On
Job
the
Training) を 行 う た め に 必 要 な 人 材 が 確 保 で き な く な り 「 ノ ル マ を 落 と
さ ず に OJT を し て 新 し い 労 働 者 に 仕 事 を 教 え な け れ ば な ら な い 」と い う こ と も
多 々 あ る 。 労 働 者 を 過 度 に 競 争 さ せ る よ う な 組 織 、 個 人 差 ・年 齢 ・性 別 な ど を 無
視 し た 生 産 も お こ な わ れ て い る 。こ の よ う な こ と か ら JIT シ ス テ ム で は 必 然 的
に労働密度は過密化していくことになり、サイクルタイムの短縮、少人化が際
限 な く 追 求 さ れ 「 余 裕 時 間 ゼ ロ 」、「 左 手 で で き る こ と は 右 手 で す る べ き で は な
い」というような人間を機械とおなじような扱いをすることになる。トヨタが
とった低賃金対策にはまず、全体としての労働者数を減らしたことにある。ト
ヨタは生産が拡大している時期であっても中途採用の採用などはおこなわず今
ある労働力のみで対応してきた。これにより、より柔軟に製造数の増減に対応
できることとなる。また企業内賃金構造においても残業や早出などによって賃
金 が 一 定 に な る よ う に 定 め ら れ る 、と い っ た 低 賃 金 構 造 と な っ て い る 。つ ま り 、
従 業 員 は 、早 出 ・残 業 な ど の 手 当 て に よ っ て 生 活 が 成 り 立 っ て い る 状 況 に あ る と
いえる。また、かんばん方式によって下請け企業を最大限に利用、つまり下請
け企業の低賃金利用を行っている。
むすび
以上本論分では、トヨタは海外においても国内と同様に、企業環境にたいし
十分な戦略を持って望んでいることが分かる。トヨタはつい数年前まで「三河
の殿様」や「石橋をたたいても渡らない」などと呼ばれていたことに示される
ように、国内の狭い範囲での営業に多くの力をさき、海外への進出は遅れてい
る印象がある。しかし、現在のトヨタを理解するには、まずそのイメージを捨
てることからはじめなくてはならないだろう。トヨタは既に「三河の殿様」で
はなく、
「 世 界 の ト ヨ タ 」で あ り 、そ の 車 だ け で な く 、生 産 方 式 、経 営 理 念 ま で
も海外に広く知られ、また発信している企業なのである。
参考文献
(1)ト ヨ タ 自 動 車 、 ホ ー ム ペ ー ジ
http://www.toyota.co.jp
(2)ト ヨ タ ク ラ ウ ン 物 語
(3)「 ト ヨ タ ― 奥 田 イ ズ ム の 挑 戦 」 日 本 経 済 新 聞 社 、 1999
(3)藤 本 隆 宏 、「 生 産 シ ス テ ム の 進 化 論 」、 有 斐 閣
(4)ト ヨ タ 経 営 シ ス テ ム の 研 究
付録
トヨタの歴史
年表
1897 豊 田 佐 吉 、 木 製 動 力 織 機 を 発 明 。 翌 年 、 特 許 取 得 。
1898 豊 田 佐 吉 、 ト ヨ タ 商 店 設 立
1918 豊 田 佐 吉 、 豊 田 紡 織 株 式 会 社 を 設 立
1925 豊 田 自 動 織 機 製 作 所 設 立
1926 豊 田 喜 一 郎 ら 、 無 停 止 杼 換 式 自 動 織 機 を 完 成 。 の ち の G 型 織 機
1926 豊 田 自 動 織 機 製 作 所 を 設 立
1929 豊 田 喜 一 郎 、 ア メ リ カ の 自 動 車 工 場 を 視 察
1933 豊 田 自 動 織 機 製 作 所 に 自 動 車 部 が 発 足 。 喜 一 郎 が 主 導
1935A1 型 乗 用 車 の 試 作 第 1 号 が 完 成 。
日 の 出 モ ー タ ー ス 営 業 開 始 (現 ・ 愛 知 ト ヨ タ 自 動 車 )
1936AA 型 乗 用 車 の 生 産 開 始 、 同 年 に 発 売
豊田自動織機、自動車製造事業法の許可会社に指定される
豊 田 喜 一 郎 、「 ジ ャ ス ト ・ イ ン ・ タ イ ム 」 を 提 案 し 、 刈 谷 工 場 に 導 入
1937 ト ヨ タ 自 動 車 工 業 株 式 会 社 を 設 立 。 社 長 は 利 三 郎 、 副 社 長 は 喜 一 郎
1938 挙 母 工 場 (現 ・ 本 工 場 )移 動
1940 豊 田 製 綱 (現 ・ 愛 知 製 鋼 )設 立 、 豊 田 理 化 学 研 究 所 設 立
1941 豊 田 喜 一 郎 、 社 長 就 任 。 豊 田 工 機 設 立
1945 豊 田 車 体 工 業 (現 ・ ト ヨ タ 車 体 )設 立
1946 豊 田 自 動 車 販 売 組 合 発 足
関 東 電 気 自 動 車 製 造 (現 ・ 関 東 自 動 車 工 業 )
設立
1948 日 新 通 商 (現 ・ 豊 田 通 商 )設 立
1949 大 野 耐 一 が 機 械 工 場 長 に 。 機 械 の 3~ 4 台 持 ち ( 多 台 持 ち を 拡 大 )
名 古 屋 ゴ ム (現 ・ 豊 田 合 成 )、 日 本 電 装 (現 ・ デ ン ソ ー )設 立
日銀幹線による融資を受ける
1950 豊 田 英 二 常 務 と 斎 藤 昇 一 常 務 が フ ォ ー ド 社 ル ー ジ ュ 工 場 を 見 学( 各 3 か 月
と 1.5 か 月 )
トヨタ自動車販売設立、労働争議人員整理、豊田喜一郎
社長辞任
7 月 に 第 1 次 朝 鮮 特 需 1000 台 、 8 月 に 第 3 次 特 需 2329 台
1951 第 4 次 特 需 1350 台
1952 豊 田 喜 一 郎 死 去 、 豊 田 利 三 郎 死 去
1954 機 械 工 場 で ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト( 後 工 程 引 取 り )方 式 を 試 行 。大 野 取 締 役
1955 通 産 省 が 「 国 民 車 育 成 要 綱 案 」 を 発 表
「 ト ヨ ペ ッ ト ク ラ ウ ン 」「 ト ヨ ペ ッ ト マ ス タ ー 」 発 売
1956 世 界 銀 行 か ら 235 万 ド ル の 借 款 。 輸 入 機 械 購 入 資 金 に
1957 米 国 ト ヨ タ 自 動 車 販 売 設 立 「 ト ヨ ペ ッ ト コ ロ ナ 」 発 売
1958 ト ヨ タ ・ ド ・ ブ ラ ジ ル SA 設 立
1959 元 町 工 場( 乗 用 車 専 用 )稼 働 開 始 。1960 年 ク ラ ウ ン( 1500cc)を 月 産 15000
台
年 産 10 万 台 を 突 破
1960 ワ シ ン ト ン 輸 出 入 銀 行 か ら 1200 万 ド ル の 借 款
1961 5 月 、 通 産 省 が 乗 用 車 輸 入 自 由 化 を 63 年 春 に 実 施 す る た め に 「 乗 用 車 3
グループ化構想」を発表。
1962 ト ヨ タ ・ モ ー タ ー ・ タ イ ラ ン ド 設 立 。 栄 豊 会 発 足 。
国 内 生 産 類 型 100
万台
6 月 、「 パ ブ リ カ 」( 697cc) を 発 売 。 国 民 車 構 想 に 対 応 。
1963 か ん ば ん 方 式 の 全 面 採 用 ( 社 内 の 全 工 場 )
1963 多 工 程 持 ち を 導 入
1965 完 成 乗 用 車 の 輸 入 自 由 化
外注部品にかんばん採用
上郷工場稼動、デミング賞実施賞受賞
1966「 カ ロ ー ラ 」( KE10 型 、 1100cc) を 発 売 。 高 岡 工 場 で 月 産 2 万 台
1967 「 ト ヨ タ 2000GT」「 セ ン チ ュ リ ー 」 発 売
1968 年 産 100 万 台 を 達 成
1970 堤 工 場 操 業 開 始 。カ リ ー ナ 、セ リ カ の 専 用 工 場 。年 産 200 万 台 を め ざ す 。
1971 ト ヨ タ ・ ア ス ト ラ ・ モ ー タ ー 社 (イ ン ド ネ シ ア )設 立
1972 国 内 生 産 類 型 1000 万 台
1973 石 油 シ ョ ッ ク
原 油 価 格 1 バーレル 11 ド ル へ
1974UAW( 全 米 自 動 車 労 組 )が 対 米 輸 出 自 主 規 制 を 日 本 に 要 望 。ト ヨ タ 財 団 設
立
1976 年 間 輸 出 100 万 台 を 達 成
1979 第 二 次 石 油 シ ョ ッ ク 。 原 油 価 格 1 バーレル 34 ド ル へ
1980 「 セ リ カ ・ カ ム リ 」 発 売
1981 乗 用 車 の 対 米 輸 出 自 主 規 制 を 開 始 。 年 間 168 万 台
豊 田 工 業 大 学 開 学 。「 ソ ア ラ 」 発 売
1982 ト ヨ タ 自 動 車 株 式 会 社 が 発 足 。 ト ヨ タ 自 工 と ト ヨ タ 自 販 が 合 併 。
1983 ホ ン ダ が オ ハ イ オ 工 場 の 完 成 式 ( 日 本 初 の 在 米 生 産 )。 ア コ ー ド 年 産 15
万台をめざす
1984
GM と の 合 弁 会 社 NUMMI を 設 立 ( 折 半 出 資 )。 シ ボ レ ー ・ ノ バ を GM
に供給
1986
TMM( Toyota Motor manufacturing, USA) 設 立 。 88 年 か ら 年 産 20
万台予定
国 内 生 産 類 型 5000 万 台
1986
9月
NUMMI で ト ヨ タ 車 の 生 産 開 始 。 カ ロ ー ラ FX
1988 米 国 ケ ン タ ッ キ ー 工 場 稼 動
1989 ト ヨ タ 博 物 館 完 成
米国レクサス店オープン。東京デザインセンター完
成
「セルシオ」発売
広瀬工場、栃木事業所稼動
1990 「 エ ス テ ィ マ 」 発 売
1991 山 梨 事 業 所 稼 動 。「 ウ ィ ン ダ ム 」「 ア リ ス ト 」 発 売
1992 ト ヨ タ 基 本 理 念 策 定 英 国 工 場 、ト ヨ タ 自 動 車 北 海 道 、ト ヨ タ 自 動 車 九 州
稼動
「カルディナ」発売
1994 産 業 技 術 記 念 館 完 成 。「 RAV4」 発 売
1995 「 ア バ ロ ン 」「 キ ャ バ リ エ 」「 グ ラ ン ビ ア 」 発 売
1996 コ ン ポ ン 研 究 所 設 立 。「 イ プ サ ム 」 発 売
1997 「 ハ リ ア ー 」、 ハ イ ブ リ ッ ト カ ー 「 プ リ ウ ス 」 発 売
1998 米 国 イ ン デ ィ ア ナ 工 場 、 ウ ェ ス ト ヴ ァ ー ジ ニ ア 工 場 、 ト ヨ タ 自 動 車 東 北
稼動
「カルディナ発売」
1999 ト ヨ タ ・ キ ル ロ ス カ ・ モ ー タ ー 稼 動 。
「 ヴ ィ ッ ツ 」発 売
国内生産類型1
億台達成
2000 ト ヨ タ フ ァ イ ナ ン シ ャ ル サ ー ビ ス 設 立 。「 bB」 発 売
2001 フ ラ ン ス 工 場 稼 動
「 エ ス テ ィ マ ・ ハ イ ブ リ ッ ド 」「 ク ラ ウ ン ・ マ イ ル ド ハ イ ブ リ ッ ド 」 発 売
参 考 文 献 ;『 創 造 限 り な く
ト ヨ タ 自 動 車 50 年 史 』