ムネモシュネ・アトラス展 新作パネル(田中純)関連テクスト 1. ① ローマ

ムネモシュネ・アトラス展 新作パネル(田中純)関連テクスト
凡例
数字(1,2,・・・)は図版番号,丸数字(①,②,・・・)は図版ごとのテクスト番号(ひとつのみの場合には省略)。下線部は引用者による。
1.
①
レリーフ
ローマのさる大古美術館を見物中,ノルベルト・ハーノルトは別して気を惹かれる一点の浮彫をみつけ,ドイツ
への帰国後,それをみごとな石膏複製に取ってもらうことができて大満足であった。浮彫像はすでに数年前から,
そのほかはおおむね書棚に囲まれた書斎のお好みの壁際に懸けてあった。光線の射し加減もよく,つかのまにもせ
よ夕陽の当たるコーナーである。ほぼ三分の1等身大のその石膏像が表わしているのは,頭から爪先までまるごと
の,いましも歩きだそうとしている一人の女性の姿だった。(…中略…)この優美さが,娘に生命が吹き込まれて
いるという印象を喚起した。これは主として,動いているところを描かれている彼女の身ごなしからくるのであろ
うなじ
くるぶし
う。頭部をほんのわずかに前傾させ,たっぷり襞のある, 頸 から 踝 まで流れ下る衣裳を左手でかるくつまみ上
げているので,サンダーレを履いた両足がむき出しになっていた。左足が前に出,右足はいましもその後を追おう
かかと
として親指の尖端でわずかにかるく地面にふれていたが,一方,足裏と 踵 はほとんど垂直の角度で持ち上がってい
た。以上の動きのために,このあゆみ行く女のかろやかな敏捷さと,同時に確としておのれにやすらう落ち着きと
いう二重の感情が喚びさまされた。それが彼女に堅固な足取りと結びつく飛ぶような浮遊感,あの独特の優美の印
象を授けていた。
(…中略…)浮彫作品に名前をつけてやろうと,ノルベルト・ハーノルトはひそかに「グラディーヴァ」,すなわ
ち「あゆみ行く女」と名づけた。それはほかでもない,古代の詩人たちが戦いにおもむく軍神マルス・グラディー
ヴスに授けた添え名である。
(ヴィルヘルム・イエンゼン『グラディーヴァ──あるポンペイの幻想小説』[1903 年],種村季弘訳,『グラディーヴァ/妄
想と夢』,作品社,1996 年,7-9 頁)
②
「人はよみがえるためにはまず死ななければならないのね。でも,考古学者にとってはきっとそれが必要なのだわ。」
「いや,奇妙というのは,きみの名前のことをいってるんだ──」
「私の名前がなんで奇妙なの?」
若い考古学者は古典古代語に堪能なだけではなく,ゲルマン語の語源学にも通じていて,こう返した。「なぜっ
て,グラディーヴァとベルトガングは同じ意味で,両方とも『あゆみつつ輝く女』のことをいうんだ。」
(イエンゼン『グラディーヴァ』,106 頁)
2.
①
ノルベルト・ハーノルトの場合,抑圧されているのはこのようにエロティックな感情であり,彼の知っているエ
ロティシズムの対象といえば幼児期におけるツォーエ・ベルトガングしかないし,またなかったのだから,彼女の
記憶が忘れられたのである。古代の浮彫像は彼のなかにまどろんでいるエロティシズムをめざめさせ,幼児期の記
憶を能動化させる。彼のなかにひそむエロティシズムに対する抵抗のせいで,この記憶は無意識の記憶としてしか
活動し得ない。これから先彼のなかで演じられるのは,エロティシズムの力とそれを抑圧する諸力との間の戦いで
ある。この戦いから表面化してくるのが妄想なのである。
(ジークムント・フロイト『W・イェンゼンの《グラディーヴァ》における妄想と夢』[1907 年],種村季弘訳,『グラディー
ヴァ/妄想と夢』,172 頁)
②
1
われわれはフロイトにおける「考古学」の意義を改めて捉え直す必要に迫られる。それは良く知られているように,
彼の代表的文化論,「W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」に主要なテーマとして現わ
れる。(…中略…)この小説でも「動態」を表わした石像に対するフロイトの強い関心は,「ミケランジェロのモ
ーゼ像」に積極的に吐露されているとおりである。彫刻は,彼にとって特権的な視覚表象であり,それは瞬間を凝
固させ保存させるとともに,それが時来たると単独で意味の解凍を始めるという性質に拠っている。グラディーヴ
ァの独特の歩き方を分析するならば,それには幾枚かの連続したデッサンがふさわしいはずだろう。そのようなデ
ッサン群は存在しないが,フロイトはあくまで,さまざまな姿勢の変化が一つの静止像へ凝集していくところにこ
だわり続けている。(…中略…)つまりは,生きている娘と石像の間に「比喩」の関係を設定するならば,そこに
は隠喩(圧縮)と換喩(転移)という異種の比喩が,フロイトにとって本質的に同一なものとして想定されている
のだ。そしてそうした比喩論の領界においてこそ,フロイトが本当に「検閲」したグラディーヴァ解釈の盲点的核
心が初めて露呈する。結論を先取りすれば,彼が隠蔽したのはイェンゼンの小説中の「鳥」,しかもダ・ヴィンチ
のテーマ系に連なる「鳥」の役割なのである。(…中略…)だが,転移(関心の集中移行)と旅(関心からの自由
解放)の均衡点に絶えず現われるこれら「鳥」の存在に,フロイトはなぜかまったく気がついていない。しかもイ
ェンゼンのこの小説には,「カナリヤ」や「新婚鳥」のような「転移ならぬ旅」を表わす鳥ばかりではなく,逆に
「旅ならぬ転移」を表わす鳥,つまり「圧縮された」鳥,あるいはフロイトの愛するような「石像」と化した鳥が
見事に登場しているのにもかかわらず,である。
それはハーノルトの幼馴染ツォエ・ベルトガングが彼の性格行動に見出したあの「始祖鳥」にほかならない。始
祖鳥がグラディーヴァの古代彫刻同様,一種のレリーフとして存在し,そこに古生物学の情報が圧縮しているのは,
改めて特筆すべき事実であろう。
(赤間啓之『デッサンする身体』,春秋社,2003 年,226-229 頁)
3,4.
グラディヴァとは何か? この名称は,イェンセンのおどろくべき作品から借りたものであって,何よりもまず,
前進する女性
を意味している。
ところで,明日の美は,今なお大多数は仮面のかげに身をかくし,何かあるオブジェの近辺や何かある絵の小道
や,何かある書物の曲がり角で時たまかいま見られるにすぎないのだが,この明日の美以外に,いったい誰が「前
、、、、、、、、、、、、
進する女性」でありうるのか? 彼女は,かつて見られなかったものが作るありとあらゆる輝きによって身を飾っ
ており,この輝きが大多数の男たちの眼を伏せさせるのだ。だがそれにしてもやはり,彼女は,男たちの住まいに
しげしげと出入りするのであり,たそがれどきに,さまざまな詩的予感をそっと廊下にすべりこませるのである。
(…中略…)
子供たちの絵本から,詩人たちのイメージの書へ,
グラディヴァ
夢と現実とを結ぶ橋の上で,「左手で,軽やかに服をつまみあげながら」,
グラディヴァ
ユートピアと真理の涯に,すなわち生命にあふれながら,
グラディヴァ
(アンドレ・ブルトン「グラディヴァ」[1937 年],『野を開く鍵』,粟津則雄訳,『アンドレ・ブルトン集成第七巻』,人文
書院,1971 年,35-43 頁)
5.
①
「悠揚たる=急ぎ足」であゆむグラディーヴァはカリュドン(そこには糧食徴発者アルテミス・ラフリアの神殿が
ある)のアタランテの再来であり,メレアグロスのように彼女に勝利を譲ってさえ「自分が産んだ生物を殺戮する」
2
母アルタイア(明らかにアルテミスの仮装だろう)に八つ裂きにされなければならないのだから,グラディーヴァ
と張り合おうとするハーノルトは,当然,肉体を,ではないまでも,いかにも近代人らしく心をずたずたに引き裂
かれて,冥府に落ちて行くのでなければなるまい。
(…中略…)グラディーヴァが三相一体の女神の人格化であることはまぎれもない。アルテミスはラテン名の同一
神格ディアナでは,月の処女,被造物(生物)の母親,最後に産んだすべてのものを破壊する女猟師,の三つの相
を一身にかねる,三相一体の女神である。グラディーヴァもまたこれら三つの顔を──それを見る側,というより
それの獲物になる側から見れば──まぎらわしくもあいまいに,蜥蜴の変幻する保護色のようにきらめかせながら
ハーノルトを追いつめ,括り罠で狙いを定め,捕獲される身ぶりでじつは捕獲してしまうマンハントの名手なのだ。
ハーノルトはむろんそれを承知で捕獲される。フロイトはいみじくもそうしたハーノルトの側にマゾヒズムの逆説
を見ている。
(…中略…)
ハーノルトはメレアグロスの運命を,あるいはそのさらに古型のアルテミスの猟犬に八つ裂きにされるアクタイ
オンの神話的運命を,グラディーヴァの教育ないし強制を通じて「受動的マゾヒズム的」にあえて引き受け,神話
の神々と英雄たちの運命と同化することによって現存する混乱をのり越えようとする。ということはみずから八つ
裂きになり,ばらばらに細切れにされる運命を甘受して,その分裂のかなたなる一つの全体性に向かうのである。
(種村季弘「フロイトと文芸批評」,『グラディーヴァ/妄想と夢』,247-249 頁)
②
ダ イ モ ン
ディアーナは神々と人間との中間にいる守護霊と盟約を結んで,アクタイオーンに顕われる。ダイモンは空気のよ
うな身体によって,ディアーナのテオファニーの模像となり,アクタイオーンに女神を所有しようという向こう見
ずな欲望と希望を吹きこむ。ダイモンはアクタイオーンの想像となり,ディアーナの鏡となるのである。
(ピエール・クロソウスキー『ディアーナの水浴』,宮川淳・豊崎光一訳,美術出版社,1974 年[原著 1972 年],47 頁)
③
けれどもディアーナの陰険さは変身を完全には終わらせないこと,彼という人間のなにがしかの部分をなお残し
ておくことにある。(…中略…)この状態において彼の右手だった前肢は,女神の肩から彼に向けられた背中に沿
って滑りながら,腰につかまろうと努め,小刻みに動いて脇腹を迂回し,腹の上を通ってむなしく恥骨にまで達そ
うと懸命であり,一方,彼女の方はというと,眼を伏せ,きっと結んだ唇をやや開かせる微笑を浮かべて,一瞬彼
を支えてやる。そして事実,いまだにそのままである左手で,彼は恐怖をいだきつつ彼女の乳房を鷲づかみにし,
それを愛撫せずにはいられない。彼女の方では,身をそむけながら,けれども眼の端で彼を観察しているようにし
て,腕を上げ,脇窩を露わにすると,彼はそこに鼻面を貪慾にうずめる,だが,彼の舌がついに彼女の乳首を舐め
るとき,それはびくびくした貪慾さに変わる。彼女がかつてまとったもっとも壮麗な身体の中で,ディアーナは身
ぶるいする・・・・・・
(クロソウスキー『ディアーナの水浴』,92 頁)
6.
①
彼[ヨーハン・ヤーコプ・バッハオーフェン]の考え方の基盤となるいくつかの指標に問題を限定しよう。とくに
取り上げようと思うのは,セモ・サンクス・ディウス・フィディウスの神殿になるタナクゥイル像が,その装身具
という標章を通じて,祭祀的であると同時に心的なモチーフの「圧縮」としてたちあらわれる点である。(…中略
…)サンダルは腰帯と同じ資格において,天界の女神たちの世界,そしてとくに遊女の世界に属するものである。
遊女ニトクリスが,第6王朝のファラオであるプサンメティコスの妻となったという神話は,この象徴性をみごと
に例示している。(…中略…)こうして,不可思議な力を保有する腰帯,一足のサンダル,糸女の持ち物などをも
ったタナクゥイル像はアジアの母神たちの変容した姿にほかならないということになる。
3
(ピエール・クロソウスキー『古代ローマの女たち̶̶ある種の行動の祭祀的にして神話的な起源』,千葉文夫訳,平凡社ライブ
ラリー,2006 年[原著 1968 年],35-36 頁)
②
フォルトゥナは運命の女神であるというその資格において,ローマ国家の発展を司っていた。しかしながらその一
方では,この女神の姿は,きわめて曖昧なかたちでありながらも,女性の性的自由をとくに示す象徴物をともなっ
ている。古代の神々はここにおいても,自分たちの存在が無視されようとする流れに抗して仕返しをおこなうので
あり,その結果,民衆の想像においては,女神フォルトゥナはいつも小窓を通ってセルウィウスの宮殿に入る遊女
の姿をもってあらわされるにいたる。
(クロソウスキー『古代ローマの女たち』,39-40 頁)
③
ここにアジア的大地母神の崇拝から神々の「姦淫」の見世物化にいたる流れが存在し,また神聖なる売春の姿の
もとにとりおこなわれる女神たちの婚姻の祭礼から「おぞましい」神話の上演における遊女たちの見世物化にいた
る流れが存在する。
ヘタイラ
アフロディテ的な大地母神につかえる遊女は,礼拝と見世物をめざして祭式をとりおこない,神の「化身」とな
った。ローマの遊女たちは舞台の上で女神たちの情事を「模写」した。彼女らはまずサビニの女たちの略奪を上演
し,つぎに,見世物の終わりには,観客たちに身をまかせた。こうしてその場に居合わせたすべての人間が一体と
なった集団に変わり,神話的実体,すなわち不可視の実体を描く絵空事としてこれまで彼らが目撃し誉め称えた出
来事を,彼女らはただひたすら生身の模像として差し出すのである。性愛を支配する大地母神の崇拝が最終的には
リビドー的な快楽の儀式化に変化し,エロティスム幻想の特殊な形態をとるにいたる(…後略…)。
(クロソウスキー『古代ローマの女たち』,100-101 頁)
④
彼[架空の画家,フレデリック・トネール]の描くユディット像は,技法と構図の点では,このようなジャンルの
画匠たちがしたがってきた自然と様式の一致を示している。それは,たしかに自然のなかに様式を浮き上がらせ,
情動の指標点の総体にもとづいてそれぞれの画家がもつ裸女のヴィジョンに洗練を句割る,気性や気分に応じて,
臨機応変にあちらこちらでこれらを浮き立たせ,空間のなかに存在する肉体の一定の姿を引き立てつつこれらを組
み合わせるというやり方なのである。様式なるものが存在するには,強制的なかたちで,また画家の技倆を試すよ
うなかたちで,自然の諸構造がこれら情動の指標点に一致しなければならないのであり,このような情動の指標点
はもともと絵を見る者にとっても画家にとってもひとしく肉体のさまざまな部分に結びつく強力なものであり,す
なわち頸部,肩,乳房,腹,脇腹,腰のくびれ,腿,膝,脹ら脛など,動きのなかにある場合も,また静止してい
る場合も,仰臥していたり,あるいは立ちすくんでいる場合も,各々の姿勢がきわだたせる身体の部位はこのよう
な情動の指標点をなしているのである。
(クロソウスキー「フレデリック・トネールのユディット像」[1961 年],『古代ローマの女たち』,109-110 頁)
⑤
シ ミ ュ ル
シミュラクルがファンタスムの拘束力を効果的に模するのは,ステレオタイプ化した図式を誇張してみせること
によってのみである。ステレオタイプをことさら大袈裟になぞりそれを強調してみせること,それは,ステレオタ
レプリカ
イプがその写しをなしているところの妄執をくっきり際立たせることなのだ。(…中略…)
それにしても,クレーの絵画作品がまさしくファンタスムの数々を最高度に模していることをどうして否定できよ
ステレオティピー
うか。彼は妄執的な 常 同 症 を天上的なイロニーをもってパロディー化してみせたのではなかったか。
(ピエール・クロソウスキー「シミュラクルとしての絵画について」[1977 年],清水正・豊崎光一訳,『ルサンブランス』,
ペヨトル工房,1992 年[原著 1984 年],116-117 頁)
4
⑥
アンテルプレタシオン
抜け道となるのはイメージ,ステレオタイプです。ステレオタイプには隠蔽的な演技=解釈という役割がそなわっ
ています。しかしそれを度外れなまでに強調するなら,それはそれ自身,みずからの隠蔽的な演技=解釈に対する
批判を行なうに至るのです。(…中略…)
私のデッサンは形象化する意志に従っています。それはパトスを見,かつ自分に見えるように差し出す一つの仕方
なのです。(…中略…)
オブセッション
タブローがデモン的な策略であり,そのことによって画家の 妄 執 を祓いかつ伝達するものであるかぎりにおい
て,絵画はパトファニーであるのです。(…中略…)
ステレオタイプという考えに戻ると,それはまさしくファンタスムにその起源をもつような図式化,通俗化を可
能ならしめると言うことができます。もっとも,その内容がまさしく物質化されたがために消え去ってしまってい
るようなファンタスムですが。そうなると,それについてはあらゆる解釈が可能です。アングル,クールベ,ドラ
クロワのようにステレオタイプを用いた人々は,そこに自分に固有のなんらかの内容を盛り込むと同時にそれを批
ディシミュラシオン
判し,そこで伝統を疑問に付しました。その度ごとにシミュラクルが,そして 隠
蔽 が,あるのです。私にし
ても,およそ最も伝達しがたい事柄についておよそ最もステレオタイプ化した形式を用いるとき,この同じ手法を
借りているわけです。
(ピエール・クロソウスキー「アラン・アルノーとの対話」,『ルサンブランス』,156-169 頁)
7,8.
彼[ヘンリー・ダーガー]は絵を描くこともデッサンすることもできなかったから,彼はマンガや雑誌から子供た
ちの図像を切り抜き,カーボン紙でトレースできるようにした。図像が小さすぎる場合には,それを写真に撮り,
必要に応じて大きくした。しまいにこの芸術家は定型と身ぶりのレパートリー(「ダーガーのニンファ(nympha
dargeriana)」と呼びうるような情念定型のシリーズ化したヴァリエーション)を手中にして,意のままに(コラ
ージュとトレーシングによって)大きな紙面のうえで組み合わせることができた。これによってダーガーは,情念
定型のみを使用して,芸術的構成の極端なケースを実現しているのである。いるのだから。このことが途方もない
モダニティの印象を生んでいるのだ。
しかし,ヴァールブルクとの類似はさらに本質的なものである。ダーガーに取り組んできた批評家たちは彼の人
格の精神病理学的な側面を強調しており,その人格は手つかずのままの幼年時代のトラウマによる刻印を受けてお
り,疑いなく自閉症的な性質を帯びている。しかしながら,ひょっとしたら,ダーガーが彼の情念定型群とのあい
だに維持している関係を探究することがより興味深いかもしれない。確実なのは,彼が人生の 40 年間,自分の空想
の世界に没頭していたということである。真の芸術家の誰もがそうであるように,彼はただ単にある身体のイメー
ジではなく,イメージのための身体を創造したいと望んだ。彼の人生同様に彼の作品は,「ダーガーのニンファ」
という情念定型をめぐる戦いが繰り広げられる戦場であり,そこでこのニンフたちは卑劣な(しばしば大学教授の
礼服に身を包み,ガウンをまとって,学帽を被った姿で登場する)大人たちにより,奴隷状態を強いられているの
である。(…中略…)イメージを幽霊という宿命から解放することこそ,ダーガーやヴァールブルクがともに──
重大な精神的危険の限界において──成し遂げようと望んだ課題だった。一方は完結しえない物語によって,他方
はその名のない学によって。
(ジョルジョ・アガンベン『ニンファたち』,Giorgio Agamben: Ninfe. Torino: Bollati Boringhieri, 2007, p.21-22.)
9.
母親たちは目から涙を流し,子供たちが死んでゆくのを目のあたりにして気も狂わんばかりだ。(…中略…)たく
さんの哀れな子供たちが沈み,たたき切られ,ひとりまたひとり死の叫びとともに沈んでいった。すぐに死体の山
が築かれ,街路は血で赤く染まった。凶悪なグランデリニアンたちの雄叫びはすさまじく,彼らの顔は汗と血にま
みれ,女たちの哀願や子供の泣き声が鋭くなる。「お慈悲を,どうぞお助けを」。しかし,情容赦はなかった。
5
(ジョン・M.・マグレガー「非現実の考古学──ヘンリー・ダーガーの世界」,小出由紀子訳,ジョン・M.・マグレガー『ヘン
リー・ダーガー 非現実の王国で』,作品社,2000 年,105 頁)
10.
①
ヴァールブルクの一般的詩学において,アトラスの人物像はおそらく,それ固有の仕方で,ニンフの形象に対する
シンメトリカルな位置を占めている。ヴァールブルクの「ニンファ」は──たとえばそれは,フィレンツェのサン
タ・マリア・ノヴェッラ聖堂のフレスコ画におけるギルランダイオの描いた美しい侍女であり,彼女をヴァールブ
ルクは,セッティニャーノ村のイタリアの農婦の写真まで含むシリーズをなすパネル[パネル 46]上に配置した──,
古代の勝利の女神のように,鷹揚かつ軽快な様子で頭のうえにものを載せて運んでいるのに対し,アトラスはひた
すら,一対一で,ほとんど力の限界において,重荷を支えようとしている。ニンフの頭の上に載っているものはす
、、、、、、、、、、
べてエロティックな奉納物のように,恩寵(たとえ残酷であろうとも)のように見えるのに対し,アトラスの肩の
、、、、、、
、
うえにあるものは,悲劇的な運命であり,苦悩である。ニンフとアトラスは,それゆえ,ヴァールブルクによる情
、、、
、、
念定型(Pathosformel)と残存(Nachleben)の二つの対照的な人物像ということになろう──ともに不可欠な,
一方はヒステリー的な見世物における誇張を行ない,他方はメランコリー的な衰弱状態のうちに頽れている。
(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『アトラス,あるいは不安な悦ばしき知』,Georges Didi-Huberman: Atlas ou le gai savoire
inquit. Paris: Les Éditions de Minuit, 2011, p.101.)
②
アトラスは(わたしが述べているのは、キャラクターのみならず、物体についてもであり、つまり、古代のティタ
ーンだけでなく、ヴァールブルクの手になる、視覚作品のための近代的な装置についてでもある)それゆえ、記憶
、、
、、、、
のもつ力と欲望の潜勢力を意味する残存(Nachleben)という概念が関わる苦しむ知、および、身振りや症候、そ
、、、、
、、、、、
してイメージの生といったそれぞれの観察を可能にする情念定型(Pathosformel)という概念が関わる苦しみにつ
、、、、
いての知を支え、担い、あるいは結合させる組織体なのである。
11.
プルチネッラの白い衣裳──アンシャン・レジームがとても好んだ華美な飾りや装飾といったものを挑発的なほど
にすべて取り除いた,いわば単なる表面全体──は倦怠の内面的な空虚さを表わしている。プルチネッラが「ラル
ヴァ」,亡くなったひとの魂を象徴していることを知らねばならない。民衆文化においてラルヴァは,無意味で無
目的な彷徨を宿命づけられており,それゆえ永遠の倦怠を定められている。同様に,コメディア・デッラルテにお
いてプルチネッラは,もっともとらえどころのないキャラクターである。彼は決まった役柄をもたず,あるときは
こんなふうに,のちには別なふうに登場し,その結果として,彼の演劇的個性の核心ないし共通項は,その衣裳が
白いのと同じくらい空虚なのである。
(フランク・アンカースミット『崇高な歴史的経験』,Frank Ankersmit: Sublime Historical Experience. Stanford: Stanford
University Press, 2005, p.273.)
12.
パンチネッロ[プルチネッラ]をニワトリと関連づける伝説からおそらく着想を得たエピソードで,ドメニコ[ジ
ャンドメニコ・ティエポロ]は,ユーモラスであると同時に困惑させるような田園風の場面を描いている。幼いパ
ンチネッロが巨大な卵から孵化しているが,その卵は雌鶏が温めるには明らかに大きすぎるし,雌鶏が産んだなど
ということはよりいっそうありえない。この荒っぽい子供騙しを気に留めることもなく,欺かれた七面鳥が「先祖
の肖像画」の下で誇らしげに尾を立てており,他方では,大人のパンチネッロたちの集団が新参者を歓迎し,年取
った老婆が喜んで手を打ち合わせている。彼女はときどき眼にする祖母のプルチネッラだろうか? この最初のエ
ピソードは,表紙にあった死と再生への暗示を反復しており,このテーマは一貫して幾度も登場することになる。
6
(『ドメニコ・ティエポロ パンチネッロのドローイング』,Adelheid Gealt (ed.): Domenico Tiepolo. The Punchinello Drawings.
New York: George Braziller, Inc., 1986, p.28.)
13.
①
そして,アイロニーによって真実をあらわにするというプルチネッラの目的がほかのどこよりも鮮明なのは,カ・
レッツォニコにあるジャンドメニコ・ティエポロの《パンチネッロのぶらんこ》である。そこにわれわれが眼にす
るのは,青空を背景にして縄のうえに座っているプルチネッラである。それは,彼の父であるジャンバッティスタ
[・ティエポロ]が,ヴュルツブルクやマドリードの巨大で崇高なフレスコ画において,神々と女神たちを描いた
のとまったく同様なのである。
(アンカースミット『崇高な歴史的経験』,Ankersmit 2005, p.268.)
②
ハーレクィンとプルチネッラの違いは,巨匠の手で作られた芸術作品と,たった一つの型から何十個も機械的に生
産され,個人的な好みに従ってさまざまな色にぬられた生命のない粘土製の小彫像の違いに非常に似ている。
(アラダイス・ニコル『ハーレクィンの世界──復権するコンメディア・デッラルテ』,浜名恵美訳,岩波書店,1989 年[原著
1963 年],121 頁)
③
イタリアを数世紀来のスペクタクル社会とする見方は,国家のアイデンティティそのものをコンメーディア・デ
ッラルテに登場するナポリの仮面役者プルチネッラになぞらえるときその頂点に達する。とはいえ,この定義は逆
説的である。というのも当のプルチネッラの性格がアイデンティティの欠如,つまり得てして対立する幾通りもの
役割,働きを示すことで成り立っているからである。しかしながら,プルチネッラの曖昧さは,そのときどきの事
情に適った態度をとる日和見,早変わりに限られるわけではない。早変わりするただ一人のプルチネッラがいるの
ではなく,数限りないプルチネッラが対立・矛盾を引き起こしながら同時に動くわけであるから,そこでは個とし
ての単一性までもが攻撃されているのである。こうした本質的多元性を,18 世紀末,ティエポロは犀利に捉え,そ
れにまつわる多くの表象を物した。
(マリオ・ペルニオーラ『エニグマ──エジプト・バロック・千年終末』,岡田温司・金井直訳,ありな書房,1999 年[原著 1990
年],166 頁)
14.
①
とくに示唆的なのはリュキアの卵母たちであり,クサントス[リュキアの町]のいわゆるハルピュイアイの碑では,
翼と鳥の足をもっているだけでなく,卵形の身体や,胸の形や乙女のような顔の表現には明らかに母性的なものが
きわだっている。ここには,卵と翼が密接な関連にあること,そもそも翼が卵の性質からの派生であること,そし
テレテ
て両者とバッコス秘儀とが結びついていることは明らかである。以上のことから,翼と秘儀との関係,とくに翼と
秘儀入信との関係が説明される。そして,秘儀の中心をなすのが卵であり,その基礎は女性的自然原理なのである。
テレテは秘儀母神そのものであろう。秘儀伝授の女神は擬人化された秘儀伝授そのものとなる。デメテルはテレテ
となり,卵は秘儀が付与するよりよき希望の象徴となる。そして,一対の翼は生がより高次の存在へと高まり,そ
して霊魂が物質の重荷を免れて,有翼のペガソスや同様に翼をもったプシュケと同じく,秘儀を授かった者が翼を
はばたかせながら到達する光の領域において,精神に不死性が賦与されることを示唆している。
(J.J.バハオーフェン『古代墳墓象徴試論』,平田公夫・吉原達也訳,作品社,2004 年[原著 1859 年],53-54 頁)
②
7
ホメロスのセイレーンの島々,ユリシーズの眼に白く輝く人骨に見えた黒い岩々,そこに汚れたセイレーンは,腐
った息と美しい声で,巣をつくったのだ。
(クルツィオ・マラパルテ「そぞろ歩き」[1936 年],和田忠彦訳,今福龍太ほか編『世界文学のフロンティア 6
怒りと響
き』,岩波書店,1997 年,122-123 頁)
③
レオナルドは鳥のように飛びたかった,つまり鳥人間(バードマン)になりたかった。しかも,科学の視点から夢
、、、、
果たせなかったと言うべきではなく,現にその鳥­人間になりえたのである。飛行機熱をうつされた,その発端とな
った鳥の尾体験は,フロイトのように授乳(あるいはフェラチオ)と解釈するべきではない。実は鳥の尾と人間の
口唇が吻合することで鳥­人間に変身することだったのである。そこには前章で「狼男」WOLFMAN の名の構成に
ついて説明したのと同じく,「鳥」と「人間」のすぐれてオートポイエーシス的な連鎖が見られはしないだろうか。
(赤間『デッサンする身体』,243-244 頁)
④
ただ一つはっきりと言えることは,人間には人間ならぬものの力が備わっているということだ。そして,そのこ
とだけは決して忘れることがあってはならない。動物としての人間──狼男,鳥人間──が,フロイトの世界の枠
を破ってどんどん登場してくるのは理由のないことではないのである。というより,あえて奇矯な定式化に訴えれ
、、、、、、、、、
ば,われわれの身体とは(人の想像とは異なり)そもそも人間ではありえないのかもしれない。(…中略…)ツォ
エ=グラディーヴァの振舞いには,実はフロイトにも完全には理解されていないことだが,その不可思議な謎を暗
示しているところがある。(…中略…)そこには説明の難しいデッサンの存在が関わってくるからだ。
「グラディーヴァが消え去ったあとでもう一度だけ,廃墟の町の上空を飛んでいく鳥の嘲笑うような鳴声らしきも
のが遠くから響きわたる。あとに残されたハーノルトは,グラディーヴァが置き忘れていったあの白いものを手に
取り上げてみるが,それはパピルス紙ではなく,ポンペイをテーマにさまざまな情景を鉛筆で写生したスケッチブ
ックであった。」
(…中略…)例によってフロイトは(…中略…)ツォエ=グラディーヴァに対しても,捕食者(空飛ぶ鳥)と被捕
食者(蜥蜴)の双方の役割を無差別に負わせている。(…中略…)つまり,ツォエ=グラディーヴァ自身も二つの
系列──鳥と蜥蜴,学名と通称,愛と知,芸術と科学──の世界を媒介する旅人であったわけだ。しかし,ここで
フロイトは狼男の症例の時とまったく同様に,一つ決定的な見落としをしている。鳥の鳴き声が余韻として残る中,
彼女がそれこそ蜥蜴のように過去の闇に姿を消した時,置き忘れていったスケッチブックの存在である。(…中略
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
…)ここでもまたデッサンだけが二項対立間の逆転や否定性を免れているのである。鳥は鳴き声だけで姿が見えず,
蜥蜴は逃げおおせてしまっている。だが,デッサンが闘争(逃走)の痕跡として内(隠れ家としての墓場)と外(旅
の大空)の境界に遺棄された時,それはツォエ=グラディーヴァが蜥蜴­女であることを示す切り取られた尻尾であ
り,同時に鳥­男であることを示すおしゃべりな嘴として,部分的とはいえ(動物本体そのものは否定的領域に入っ
て姿を見せないのに),それだけは確かに現前している。つまり文字どおり,「回収されない肯定性」として残さ
れるのだ。(…中略…)
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
それにつけても,フロイト自身はグラディーヴァの歩き方は蜥蜴の歩き方そのものだというきわめて単純なこと
に,どうやら少しも気づいていないらしい。それは,ひとえに彼がこの石像の「解凍」の跡をフォローし切れなか
った──われわれの言葉では,デッサンをネットワークとして捉えるための,あの「インフォサーキット」をうま
くトレースすることができなかったためであろう。言い換えれば,フロイトの世界の枠を破って増殖する存在がも
はや人間ではなく,さまざまな動物であるという本質的な謎を,彼はあまり問いつめることをしなかったのである。
、、、、、
セルゲイが狼男であるように,ツォエ=グラディーヴァは蜥蜴女である。だからこそ,彼女はデッサンの力で愛を
、、、、、、、、
成就させることができた。われわれの身体とは人間ではないのだということ──身体の営為としてのデッサンが訴
えているのは,その異様な,しかし裏のない,純粋な真理のことではないだろうか。そして人間の人間らしさは,
8
何よりもまずわれわれが動物であることから来る──そしてそのことだけが,人間にとって捉えがたい好運や恩寵
をもたらす。
(赤間『デッサンする身体』,262-265 頁)
15.
①
グ ノ ー ム
それは,とんがり帽子をかぶった地の精たちだった。彼らに私が心底ぎょっとしたときには,すでに彼らは,また
もや姿を消してしまっていた。それで『ドイツの子供の本』のなかで次の詩句に出会ったとき,あの夢で見たのが
何だったのか,私にはよく分かった。「わたしの地下の 酒蔵にいって/ワインの栓を 抜こうとすると/そこに
つ ぼ
せむしの 小人がいてさ/わたしの酒壺を かっさらうんだ」。私はこの,悪さやいたずらに夢中の一族を知って
すみか
いた。そして,彼らが地下室を自分の棲処と感じているのは自明のことだった。(…中略…)そんな風に小人はし
ばしば現われた。しかし,私がその姿を見たことは一度もなかった。ともかくいつだって,彼が私を見ていたのだ
った。(…中略…)とっくの昔に小人は身を退いてしまった。だが,ガスマントルのジージーと鳴る音のような彼
の声が,世紀と世紀との敷居越しに,こんな言葉を私に囁きかけてくる──「かわいい子供よ お願いだから/せ
むしの小人にも 祈っておくれ!」
(ヴァルター・ベンヤミン「1900 年頃のベルリンの幼年時代」[1938 年],浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション3 記
憶への旅』,ちくま学芸文庫,1997 年,594-597 頁)
②
オドラデクは忘却のなかの事物がとる形である。そうした事物は歪められている。いったいそれが何なのか誰に
も分からない,「家父の心配」の種は歪められている。われわれにはグレゴール・ザムザであることが分かりすぎ
ている,あの毒虫は歪められている。(…中略…)カフカのこうした形象は,しかし一連の長い列をなして歪みの
原像に,すなわちせむしに結びついている。カフカの物語に出てくるさまざまな身振りのうちでも,頭を深々と胸
に垂れている男の身振りほど頻繁にお目にかかるものはない。(…中略…)重荷を負わされていることは,ここで
は明らかに忘却──眠る者の忘却──と手を携えている。「せむしの小人」において民謡は同じことを象徴的に表
現した。この小人は歪められた生の住人である。メシアは暴力によって世界を変えてしまおうとはせず,ただほん
の少しだけ世界を正すだろう,とある偉大なラビは言ったが,そのメシアが来たときにはじめて,この小人は消え
ていくことだろう。
(ヴァルター・ベンヤミン「フランツ・カフカ」[1934 年],浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』,
ちくま学芸文庫,1996 年,151-152 頁)
③
カフカの全作品は身振りの法典であることが,確信をもって認識されることになるだろう。とはいえこれらの身振
りは,作者にとって初めから確かな象徴的意味をもっているわけでは全然なく,むしろ繰り返しちがった連関と試
行的配置において,そのような意味を与えるよう要請されるものなのである。(…中略…)カフカにとってたしか
に身振りは,見究めがたい最たるものだった。あらゆる身振りがそれ自身ひとつの出来事,いやひとつのドラマだ
とさえいえるだろう。(…中略…)決定的なもの,出来事の中心は身振りであり続ける。中庭の扉が叩かれるのを
聞いた人びとは,恐怖のあまり背を丸めて歩く。(…中略…)動物の身振りにほかならないこうした身振りは,最
大級の不可解さを最大級の単純さに結びつける。読者はカフカの動物譚を,それが人間の話では全然ないことにそ
もそも気づかないまま,かなり先まで読んでいくことがある。そんなとき不意にある生き物の──猿や犬やもぐら
といった──名前にぶつかると,愕然として顔を上げ,自分が人間の住む大陸からすでにはるか彼方に来たことを
悟るのである。けれどもカフカはつねにそうなのだ。人間の身振りから彼は伝来の支えをはずし,そうしてこれを
終わりのない熟考の対象とするのである。
(ベンヤミン「フランツ・カフカ」,126-129 頁)
9
16.
図 IV と V の二枚の図版は,個体発生の初期段階におけるヒトの胚とほかの脊椎動物の胚との,最も重要な形態
的関係という観点から見た多かれ少なかれ重要な一致を,感覚的に理解可能にしようとするものである。この一致
は,残りの脊椎動物が比較対象となるヒトの胚の成長の,より初期の段階であればあるほど,いっそう完全なもの
になる。それは,当該の発生段階の動物が系統発生的により近い類縁関係にあればあるほど,「体系における類縁
形態の系統発生的関連の法則」に応じて,いっそう長い期間にわたって存続する。(…中略…)合計で 24 の形象は
若干拡大されており,上のほうはその度合いが強く,下は弱くなっている。より有効な比較のために,これらはす
べて図のなかでほとんど同じ大きさにそろえられている。
(エルンスト・ヘッケル『人類の発生』,Ernst Haeckel: Anthropogenie: oder, Entwickelungsgeschichte des Menschen. Leipzig:
Wilhelm Engelmann, 1874, S.256.)
17, 18.
[フォルトゥナート・]デペロの造形的関心を最も強く引きつけたのは,ほかならぬ[ジルベール・]クラヴェル
の肉体,そのせむしという宿痾の外形だった。デペロはこの時期にクラヴェルの肖像画をいくつも描いている。『自
殺協会』の挿絵や口絵にそのイメージが頻出していることはすでに述べた。油絵では多少なりとも具象的に,幾何
学立体の組み合わせとして表現されることの多かったこの作家の肖像は,挿絵などでは,『自殺協会』本文冒頭の
イラスト右端のシルエットのように,曲がった背と尖ったくちばしをもつ鳥に似た頭部,そこに穿たれた穴として
の眼へと,極度に平面的に抽象化されて表わされている。これを基本形とするクラヴェルのせむしのイメージは挿
絵や口絵のなかで増殖し,いたるところに姿を見せることになる。
(田中純『冥府の建築家──ジルベール・クラヴェル伝』,みすず書房,2012 年,224-225 頁)
19.
①
アンゲルス・ノーヴス
「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて,この天使はじっと見詰めて
いる何かから,いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ,口はあき,そして翼は拡
、、、
げられている。歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。彼は顔を過去の方に向けている。私たちの眼
、
カタストローフ
には出来事の連鎖が立ち現われてくるところに,彼はただひとつ, 破 局 だけを見るのだ。その破局はひっきり
なしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて,それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は,なろうことならそこにと
どまり,死者たちを目覚めさせ,破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹
きつけていて,それが彼の翼にはらまれ,あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼
を,背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき,その間にも彼の眼前では,瓦礫の山が積み上がっ
て天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの,それがこの嵐なのだ。
(ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」[1940 年],浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』,
ちくま学芸文庫,1995 年,653 頁)
②
というのも,あの天使自身もまた,鉤爪と,尖った,いやまさにナイフのように鋭い翼を持ちながら,視野に捉え
た者めがけて突進して行くようなそぶりは見せないのだから。彼はその者をしかと注視している──長いあいだ。
それからひとはばたき,またひとはばたきと,だが断固として後ずさりしていくのだ。なぜ? 彼がやってきたあ
の道,未来に続く道を辿って,その者を引き摺っていくために,である。
(ヴァルター・ベンヤミン「アゲシラウス・サンタンデル」[1933 年],浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション3 記憶
への旅』,ちくま学芸文庫,1997 年,14-15 頁)
10
③
〈Agesilaus Santander〉̶̶ショーレムは「ヴァルター・ベンヤミンと彼の天使」(1972 年)において,これが
「サタンの天使(Der Angelus Satanas)」のアナグラムであると看破している。
(浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』,ちくま学芸文庫,1997 年,10 頁)
④
スペース
フィレンツェ,洗礼堂。入口にアンドレーア・ピサーノの〈希望〉。彼女は座ったまま,頼りなげに両腕を,どう
しても届かないひとつの果実のほうに伸ばしている。けれども翼をもっている。これほどの真実はない。
(ヴァルター・ベンヤミン『一方通行路』[1928 年],浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』,ちくま
学芸文庫,1997 年,96 頁)
⑤
だがしかし,この希望という密儀は,それが和解以上のものを,すなわち救済こそを約束しているこの世界でなく
して,そもそもどの世界に捧げられているだろうか。そのことは,ゲオルゲがボンにあるベートーヴェンの生家に
掲げた,あの「記念銘板」に記されている。
君たちが君たちの星の上で 戦さのため力を蓄える前に
わたしが天上の星々から争いと勝利を 君たちに歌ってあげよう
君たちがこの星の上で肉体をつかみとる前に
とこしえ
わたしが永遠の星々に憩う夢を 君たちに紡いであげよう
この「君たちが肉体をつかみとる前に」という言葉は,崇高なイロニーのためのものと思われる。かの恋人たちが
肉体をつかみとることは決してない。──彼らが戦さのために力を蓄えることが決してなかったとしたとて,それ
がどうしたというのか? 希望なき人びとのためにのみ,希望はわたしたちに与えられている。
(ヴァルター・ベンヤミン『ゲーテの『親和力』』,浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』,ちくま学芸
文庫,1995 年,183-184 頁)
⑥
1921 年に彼[ディートリヒ・エッカート]はヒトラーを「新しい人間」と呼び,彼自身は「アドルフ・ヒトラーの
伝道者かつ使徒」となった。自身の雑誌『良きドイツ語で』の 1921 年最終号で彼はヒトラーに言及し,ヒトラー
を「たとえまさしく天使ではないにしても,アンチ・デーモン」と描写した。ヒトラーは行きつけの酒場「バヴァ
リア」があるシュヴァービングに好んで出没した。彼は──画家として──シュヴァービングのアトリエの集いを
訪れ,毎晩演説しながら酒場を梯子して歩いた。セットローションを過度に使って整えられた彼の髪型はしばしば
嘲られた。伝説となったのは,彼がいつも着て現われた決まった衣裳で,それはヒトラーがディートリヒ・エッカ
ートから引き継いだ習慣だった──古びたトレンチコートである。
クレーは 1920 年の1月と4月のあいだに,攻撃的な表情をした演説する男性を,空中を上昇してゆく姿で素描
した。彼はこれによって,1918 年の年末頃に生みだされていた,グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画の上
昇するキリストという見本と「天使」というテーマとの融合に立ち戻り,それを倍の大きさで否定的な存在へと変
容させたのである。「新しい天使」というタイトルのもとにおける新ヴァージョンは,ナショナリズム的保守的立
場がみずから提起したメシアニズム的要求をアイロニカルに明確化し,それによって拒否するためにふさわしいも
のだった。
すべての要素がそれに適したものと言えよう──髪の毛の強調,身振りのモティーフ,トレンチコートの暗示,
茶色と赤の色彩による,ポスターに似た潜在的に紋章的な表現。クレーはヒトラーを知っていたに違いない。彼は
シュヴァービングに住んでいたし,[ヒトラーの属する]初期においては社会主義をも標榜していた政党に対する
関心をもっていたに違いない。ヒトラーの当時の人物像は,われわれにとっては,彼ののちの姿によってあまりに
も歪められてしまう。1920 年において彼はまだ,数多くの,セクト的で誇大妄想的な地方政治家のひとりと見なさ
11
れることがありえた。この水準においてのみ,タイトルのアイロニーは理解されうる。(…中略…)ヒトラーはす
でにいち早く「救世主」とか「メシア」と呼ばれていた。それゆえ,「新しい天使」という名で,1919 年から 1921
年までの期間に登場していた「キリスト教的分派者」や「内的光明の聖者」などと同種のものが考えられていたこ
とはありうる。これらは批判的でアイロニカルな表現であって,それによってクレーもまた同じく,彼自身の考え
によれば誤っている確信に対して対抗する立場を取ったのである。
ここで挙げたいくつかの論点から導かれる推論は,次のような命題の形式でしか表現することができない。一面
において究極的な確かさで証明できるわけではないが,他面ではまた,きっぱりと排除できるものでもないことと
して,パウル・クレーはヒトラーの登場によって刺激され,その《新しい天使》を描いたのである。したがってこ
の絵は,この芸術家の全作品における数多いヒトラーの反映像のうちの,非常に初期の,意識的というよりもむし
ろ感覚的な次元での先駆けなのであろう。《下降する天使(Angelus descendens)》という批判的な新ヴァージョ
ンの理由もまた,そこに見出されるだろう。
(ヨーハン・コンラート・エーベルライン『《新しい天使》──パウル・クレーの絵画とヴァルター・ベンヤミンの解釈』,Johann
Konrad Eberlein: »Angelus Novus«: Paul Klees Bild und Walter Benjamins Deutung. Freiburg i.Br.; Berlin: Rombach Verlag,
2006, S.72-74.)
20.
この写真を撮る僕のもうひとつのこだわりには,ずうっと昔,小学校の頃からのものがあった。学校の理科の教
科書のカットに,四角い罫に囲まれて,兎と亀と魚と人の胎児の挿絵が仲良く並べて描かれていて,その四つとも
が,全く似た姿・形状だったので,僕はその発見に,不思議とも神秘ともつかない大きなショックを受けたと同時
に,心のどこかで,その形態の類似性に釈然としない思いがつきまとってしまったのであった。それが,胸の奥底
で長い糸を引いたまま,ひとつのこだわりと興味になって,長い時間僕の内部に棲みついていたということである。
極めて好意的な老院長の厚意で,僕は胎児の入ったビンを沢山持って,使わなくなった手術室をスタジオ代わり
に撮影を始めた。持参したケント紙の上にビンから取り出した胎児たちを置いて,そこに多少のドラマティックな
構成も作って,僕は胎児たちと言葉にならない対話に熱中した。2,3カ月目くらいの胎児は,まるで小エビのよ
うに小ちゃくて可愛くて,教科書の挿絵と同じだった。僕はもう,釈然としない形態の類似性など全く忘れて写す
ことに夢中だった。部屋には,フォルマリンの強い匂いと,フラット・ランプによる照明の温気,そして僕の汗や
なにやかやの匂いが混然となって異様な臭気が充満し,僕はその中で,さながらラプラスの鬼と化して,日の落ち
るまで粘っていた。その病院には3日通った。その3日間が,つまり,僕にとっての, 青春の写真 の時であり,
僕自身の,パントマイムの時であった。
(森山大道,(無題),『25 人の 20 代の写真──ヤング・ポートフィリオ』,展覧会カタログ,清里フォトアートミュージアム,
1995 年,91 頁)
12