Untitled - Y-GSC Studio

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今、「本を読む」とは?
大 学 に い る と な ん と な く、 自 分 は も っ と 本 を 読 む べ き だ と 感 じ て
し ま う こ と が 多 々 あ る。 し か し、 そ の 一 方 で 生 き て い く 上 で 読 書 な
ん て 必 要 な い と 考 え る 人 が た く さ ん い る こ と も 知 っ て い る。 な ら
ば、 そ ん な 時 代 に 我 々 大 学 (院) 生 が 本 を 読 む と は ど う い う こ と だ
ろ う ? そ ん な 思 い を 念 頭 に 作 成 さ れ た の が こ の 文 章 だ。 テ レ ビ、
映 画、 漫 画、 ネ ッ ト 記 事 な ど、 現 代 人 は お そ ら く 史 上 最 も 多 く の 情
報 に 接 し て い る。 無 数 の メ デ ィ ア に 囲 ま れ、 情 報 に 触 れ な い 日 な ど
な い 中 で、 何 か を 知 る た め に、 あ る い は 単 に 娯 楽 と し て あ え て 本 を
選ぶ意味とは?そして私たちの人生に読書がもたらすものとは一体
何なのだろう?
今 回、 本 を 読 む こ と 自 体 が 自 明 で な く な り つ つ あ る 現 代 に あ え て
私 た ち は 6 つ の 書 評 を 手 が け た。 こ れ ら の 書 評 は、 こ れ か ら 専 門 書
を 読 も う と 考 え て い る 学 部 生 な ど の 初 学 者 の、 足 が か り に な る よ う
に と い う 想 い の も と に 書 か れ た。 さ ら に 末 尾 に は、 読 書 に つ い て 大
学 院 生 な り の 思 い を 語 り 合 っ た 短 い 対 談 を 掲 載 し て い る。 こ の 文 章
を 通 し て 読 書 に 思 い を 馳 せ て も ら え た ら、 さ ら に は 掲 載 し た 本 に 少
し で も 興 味 を 持 っ て も ら え れ ば 幸 い だ。
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目次
安齋詩歩子……p.4
目を閉じて見るかのような方法
――港千尋 ,『群衆論:20 世紀ピクチャー・セオリー』
李珍鎬……p.6
存在の脆さから考えるファッション
――鷲田清一 ,『モードの迷宮』
小川哲汰朗……p.8
いまを見つめるための地図
――中沢新一 ,『アースダイバー』
染谷有紀……p10
世界を問い続けたある人の足取り
――古橋悌二 ,『メモランダム』
野口直樹……p.14
サブカルチャーを楽しみたい、あるいは離れられない人へ
――東浩紀 ,『ゲーム的リアリズムの誕生 ~ 動物化するポストモダン 2』
吉田夏樹……p.16
わからないけれど、たしかにそこにある
――岸政彦 『断片的なものの社会学』
対談……p.18
――私たちにとって、本を読むことはどういうことなのか。
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目を閉じて見るかのような方法
安齋詩歩子
港 千 尋 1991『 群 衆 論 :20 世 紀 ピ ク チ ャ ー ・ セ オ リ ー 』リ ブ ロ ポ ー ト
20 世 紀 に 入 り 、 各 地 で 産 業
そ し て、 こ の 本 を 「観 覧」 す る
発 展 の 導 入 が 完 了 し、 都 市 に は
者 は、 ど こ か ら 読 み は じ め て も
人 が あ ふ れ る よ う に な っ た。 都
良いという許可を始めに与えら
市に住まう人々は匿名の群衆と
れ る。 扱 わ れ る 対 象 は、 布 フ ェ
な り、 群 衆 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ
チ の 精 神 科 医、 精 神 病 院 で 見 世
を 手 に 入 れ る。 そ し て、 文 化 の
物 と 化 し た 女 性 患 者、 分 類 さ れ
発 展 は、 こ の よ う に 人 が 集 ま る
た 顔、 被 写 体 に 対 峙 し 恐 れ を な
と こ ろ で 進 む。 そ こ で は 無 数 の
す 写 真 家、 接 触 恐 怖 の 傾 向 を 持
イ メ ー ジ が 行 き 交 う。 そ の な か
つ 詩 人、 接 触 愛 好 の 女 性 た ち、
で 視 覚 も ま た、 こ の 都 市 と 群 衆
あるいは著名なポップ・アート
の中でいままでの視覚とはべつ
のアーティストなど様々であ
の あ り 方 を 求 め ら れ る。 我 々 が
る 。「 観 覧 」 す る 者 は 、 自 ら の
見 つ め る も の は、 多 す ぎ る 情 報
興味に合わせて自由に経路を設
の な か で、 選 択 の ふ る い に か け
計 す る こ と が で き る。
ら れ 選 定 さ れ た も の で あ る。 そ
『 群 衆 論 』 の 読 後 に 得 ら れ る
こから取り残された残滓は見つ
の は、 上 記 の 対 象 に 関 す る 情 報
め ら れ る 契 機 を 失 う。
だ け で は な く、 群 衆 で あ る 我 々
『 群 衆 論:20 世 紀 ピ ク チ ャ ー・
の、 よ り 群 衆 的 な 知 覚 経 験 の 方
セ オ リ ー』 は、 こ の よ う に ふ る
法 で あ る。 雑 多 な 情 報 の 上 を 徘
いにかけられる以前の対象を知
徊 す る よ う に 読 む こ と =「観
覚 す る 可 能 性 を 提 供 す る。 三 部
覧 」 す る こ と。 そ れ は ま る で、
構 成 に よ る こ の 本 は、 展 覧 会 で
く ら や み の 恐 怖 の 中 で、 視 覚 を
あ る と 冒 頭 で 述 べ ら れ て い る。
視覚以外の知覚を伴って使用す
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る か の よ う な 方 法 だ。
用 す る こ と。 そ れ は、 単 に 明 る
写 真 家 で あ る 『群 衆 論』 の 筆
みに置かれているもの見つめる
者 は、 こ の 著 作 の 中 で も 写 真 を
の で は な く、 死 角 に 属 す る も の
中心にあらゆる視覚的イメージ
を見つめるくらやみへの視線を
に つ い て 考 察 し て い る。 し か
作 り だ す の で あ る。 全 て の 知 覚
し、 彼 が 本 書 で 行 う 視 覚 的 を
を 研 ぎ 澄 ま せ て、 見 る。 お そ ら
扱っているのだ彼が提示する見
く そ の 視 線 の 先 に は、 温 度 や 湿
る と い う 行 為 の 根 底 に は、 触 れ
度 が あ り、 聴 こ え て く る も の が
る よ う に 見 る こ と (あ る い は 食
あ り、 臭 い が あ り、 苦 さ あ る い
べ る よ う に 見 る こ と、 嗅 ぐ よ う
は 甘 さ が あ る。 瞼 を 閉 じ た ま ま
に 見 る こ と、 聞 く よ う に 見 る こ
見 る か の よ う に 視 覚 を 使 用 し、
と) が 含 ま れ て い る よ う に 感 じ
隠されていたそのようなものた
た。
ち を 見 る こ と は、 た だ 見 る こ と
見ることがそれだけで権威的
を受け入れる受動的な行為では
(になる可能性を持つもの) で
な い。 都 市 の 群 衆 と し て 生 き る
あ る が ゆ え に、 あ え て 瞼 を 閉 じ
我々が行使できる能動的な行為
たまま見るかのように視覚を使
な の で あ る。
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存在の脆さから考えるファッション
李珍鎬
鷲 田 清 一 1996 『 モ ー ド の 迷 宮 』 筑 摩 書 房
我 々 は、 自 ら の 身 体 を 十 全 に
放 っ て お か ず に、 拘 束 し た り 隠
把 握 で き て い な い。 我 々 は、 自
蔽 し た り 変 形 を 加 え る こ と で、
分の身体なのだから誰よりもそ
身体の輪郭を再確認しようとし
れを確実に把握できていると思
て い る と 述 べ て い る。 つ ま り、
い 込 み が ち で あ る。 し か し、 本
「身体と身体でないものとの境
当 に そ う 言 え る の だ ろ う か。 不
界感覚はたいていの場合ひじょ
確かな自身の身体とその輪郭を
う に 曖 昧 な も の で あ り」
(27 頁 )、
何度も確認しようとしてはいな
「〈 わ た し 〉 が あ る ひ と つ の 交 換
い だ ろ う か。
不可能な身体と固有の内密な関
現象学と身体論を専門とす
係を結んでいるという〈わたし
る 鷲 田 清 一 は、 日 本 に お い て
の身体〉 の意識にも脆いところ
ファッション/モード論を展開
が 」(27 頁 ) あ る と 指 摘 し 、 そ
した代表的な人物の一人であ
る。 特 に 本 書 に お い て、 彼 は、
モ ー ド や フ ァ ッ シ ョ ン を、 記 号
の曖昧で脆い身体の輪郭を確か
め る た め に、 身 体 の 内 外 部 に 何
ら か の 刺 激 を 与 え る と い う。 例
の 体 系 と し て 読 み 解 く よ り、 過
え ば、 お 風 呂 に 入 っ て 身 体 の 表
小と過剰の両極を行き来しつつ
面と水との境界を感じ取るこ
そ の 中 間 を 漂 う よ う な、 身 体 に
と、 他 人 と 肌 を こ す り 合 わ せ る
起こるディスプロポーション
こ と、 日 光 で 身 体 を 焼 く こ と な
(不釣り合い) の問題として考
ど を 通 し て、 不 確 か な 自 身 の 身
察 し て い る。
体 の 輪 郭 を 確 か め る の で あ る。
鷲 田 は、 我 々 は 自 ら の 身 体 を
と こ ろ で、 曖 昧 な 身 体 の 輪 郭
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を刺激することとファッション
ざる生成と変換のいわば回転扉
と の 間 に、 い っ た い ど う い う 関
と な る の が 、 衣 服 」(121 頁 ) で
係 が あ る の だ ろ う か。
あ る と 述 べ て い る。 一 つ の 確 立
鷲 田 は 、「 フ ァ ッ シ ョ ン の 構
し た 〈 わ た し 〉 な ど 存 在 せ ず、
造 は 、〈 自 然 〉 の 〈 文 化 〉 へ の
常 に 揺 れ 動 き な が ら そ の 都 度、
変 換、 あ る い は 〈 文 化 〉 の 生 成
服装を変えることで〈わたし〉
そ の も の と 関 わ っ て 」(54 頁 )
は 生 成 さ れ る 。 つ ま り 、我 々 は 、
お り 、「〈 自 然 〉 の 歪 形 、〈 自 然 〉
曖昧な身体の輪郭をもっている
か ら の 逸 脱 」(54 頁 ) で あ る と
だ け で は な く、 精 神 的 な 曖 昧 性
説 明 し て い る。 つ ま り、 鷲 田 の
を も も っ て お り 、〈 わ た し 〉 と
言 う フ ァ ッ シ ョ ン は、 身 体 と い
いうものは定位できないものな
う 一 つ の 自 然 を、 規 範 や 様 式 の
の で あ る。
中にはめ込むような文化の表象
ファッションという社会全般
と し て 捉 え ら れ そ う だ。 自 然 の
に わ た っ て 起 こ る 現 象 を、 身 体
あ り の ま ま だ と 、美 し い 部 分 も 、
の輪郭の確認作業という個人的
猥褻な部分も何もないのが身体
な営みとして新しい視点から論
だ と い う の に、 文 化 の つ く り 出
じ て い る 本 書 は、 両 次 元 を 行 き
す物差し―ファッションとい
来しながら論じているがゆえ
う文化コード―にはめ込むこ
に、 フ ァ ッ シ ョ ン や 身 体 に 関 し
と よ っ て、 我 々 の 身 体 に 美 し い
てあまり考えてこなかった人に
部 分、 猥 褻 な 部 分 が 生 み 出 さ れ
と っ て は、 と っ つ き に く い 本 な
る の で あ る。
の か も 知 れ な い。 し か し、 じ っ
ま た フ ァ ッ シ ョ ン は、 混 沌 と
く り 読 ん で い く と、 不 安 で 曖 昧
した状態の自然=身体を訓育す
な 身 体 を 切 り 口 に し て、 我 々 の
る も の と も 言 え よ う 。「 属 性 の
存在の脆さについても考えさせ
一切を剥いだ〈わたし〉 そのも
て く れ る 。本 書 は 、単 な る フ ァ ッ
のなどというものは抽象的な存
ション/モード論としてではな
在 で し か な い 」(122 頁 、 強 調 著
く、 身 体 論、 あ る い は 存 在 論 と
者 ) た め に 、「〈 わ た し 〉 の た え
しても読む価値は十分あるだろ
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いまを見つめるための地図
小川哲汰朗
中 沢 新 一 2005『 ア ー ス ダ イ バ ー 』 講 談 社
私たちはいまを生きることしか
とんどは「無意識」のうちに―
できない。私たちが今立っている
知覚される。
地点の足元には過去の地脈がどう
どうと流れている。今この時間は
中 沢 新 一 の『ア ー ス ダ イ バ ー』
そうであると把握とした瞬間に地
では、現在の東京の地図と縄文海
下に潜り込み、未来であったはず
進期の地図を重ね合わせることに
の時間にすでに身体は取り込まれ
よって、その時代に生きた人々の
ている。過去、現在、未来は不可
思考、想像力がいまを生きる私た
分なものであり、茫漠と流れる時
ちに及ぼす影響について考察して
間の中に身をやつす我々はそれを
いる。街を歩いている時に、その
捉えようと、しばしばよろめきな
空間に何かを「感じ」ることは多
がら生きている。
くの人々の共通の経験としてある
に違いない。
しかしながら私たちは、懐かし
『ア ー ス ダ イ バ ー』 の 中 で は 繰 り
い場所を訪れた際に昔の恋人のこ
返し「無意識」という言葉が現れ
とを思い出して息がつまりそうに
る。その「無意識」を出発点とし
なったり、道祖神に供えられてい
て「アースダイバー地図」を片手
る新鮮な花を見てそれを置いたど
に街に出ることによって、今は見
こかの誰かのことを考えたりす
えないが足元に確かにある過去の
る。 そ の よ う な 個 人 的 な 体 験 が、
記憶、地層へとダイブすることが
時間の中には幾層にもなって折り
可能となる。例えば、新宿の歌舞
たたまれ、相互的な想像力として
伎町の記憶に潜り込めば、そこは
今を生きる私たちに、―そのほ
かつて悠々と水が湧き出す地で
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あったことが分かる。そこを埋め
たちもまた、理性のみでは把握す
立てたところでその記憶は消え
ることができないものの存在をも
ず、「湿 り 気」 を 帯 び た 性 産 業 が
認識しようとしなければいけない
花開いた。かたや、新宿三丁目に
のではないか。
立ち並ぶデパートではブランド品
などの「乾いた」商品が売られて
理性は否定されるべきではな
いる。湿った面と乾いた面が絶妙
い。そして「無意識」もまた無視
に交錯することによって、新宿と
されるべきものではない。われわ
いう町は資本主義のダイナミズム
れは無意識を出発点に、無意識の
を 街 に 表 出 さ せ て い る ……。 と
地層に潜り、そこから、現在地を
いった具合にである。
理解するためのヒントを引き上げ
中 沢 は 次 の よ う に 述 べ る。「も
ることもできるのだ。本書は、止
ち ろ ん、 理 性 は 役 に た た な い と
まることのない「いま」の激流を
言 っ て い る わ け で は な い。 た だ、
見つめる我々の解像度を高めるヒ
理性はどうも完璧なものじゃない
ントを与えるに有効なガイドブッ
らしいので、僕達には見えないと
クのひとつと言えるだろう。
ころで行われている地球の営み
に、もっと耳をそばだてないとい
けない、と言いたいだけだ」(109)。
繰り返すが、私たちはいまを生
きることしかできない。理性はも
のごとを説明しようとする、ある
いはものごとを合理的に処理する
機能を持つだろう。しかし、中沢
は、新宿の地下に積み重なる、そ
こを生きた人々の「無意識」が織
りなす地層に潜り、そうすること
で 結 果 と し て、「い ま」 の ダ イ ナ
ミズムを説明する。同じように私
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世界を問い続けたある人の足取り
染谷有紀
古 橋 悌 二 2000『 メ モ ラ ン ダ ム 』リ ト ル モ ア
『 メ モ ラ ン ダ ム 』 は、 京 都 に
執 筆 し、 演 出 家 が 演 出 し、 俳 優
拠点を置くアーティスト集団で
は 演 技 し、 団 体 と し て 上 演 す る
あるダムタイプの中心的人物で
― 「劇団」 や 「演劇」 を越え
あ っ た 古 橋 悌 二 の テ キ ス ト、 手
た表現の追究がおこなわれてい
紙、 イ ン タ ビ ュ ー、 ト ー ク イ ベ
た こ と が わ か る 。 ま た 、「 劇 団 」
ントでの発言などをまとめた
と い う 集 団 で は、 戯 曲 の 執 筆 者
も の で あ る 。 こ れ は 古 橋 が HIV
や演出家の意向がその集団のな
感 染 後、 免 疫 不 全 に よ る 敗 血
かで権威的になる場合が少なく
症 の た め 1996 年 に 亡 く な っ た
な い が、 ダ ム タ イ プ で は、 メ ン
こ と を 受 け、 ダ ム タ イ プ の メ
バーがそれぞれに専門分野をも
ン バ ー が 中 心 と な っ て 編 集 し、
つ独立したアーティストの集ま
2000 年 に 刊 行 さ れ た 。
り だ っ た た め、 特 定 の 個 人 や 表
ダ ム タ イ プ は 1984 年 に 結 成
現手段を特権化せずにフラット
さ れ、 斬 新 な 音 楽 と、 映 像 や ラ
で緩やかな関係性が尊重されて
イトニングを駆使したヴィジュ
い た。 こ れ は ダ ム タ イ プ と い う
アル効果とを積極的に取り入れ
集団の特徴のひとつだといえる
たスタイリッシュなパフォーマ
だ ろ う。 そ し て、 こ の 緩 や か な
ン ス を 中 心 に、 イ ン ス タ レ ー
関係性を築きあげたのが古橋で
シ ョ ン 、 CD、 コ ン サ ー ト 、 書
あ る。
籍、 カ セ ッ ト ブ ッ ク な ど 多 様 な
形 態 で 作 品 を 発 表 し て い る。 こ
『メモランダム』には主に
う し た 発 表 形 態 の 多 様 さ か ら、
1989 年 か ら 1995 年 ま で の テ キ
ダ ム タ イ プ で は、 い わ ゆ る カ ギ
ス ト が ま と め ら れ て お り、 同 時
括弧つきの―脚本家が台本を
期 に 制 作、 上 演 を お こ な っ て い
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た 『S/N』 シ リ ー ズ と は 切 っ て
れ る。 こ の 本 に 収 め ら れ て い る
も 切 れ な い 関 係 に あ る 。『S/N』
の は、 あ く ま で 当 時 の 古 橋 が ど
シ リ ー ズ は 1992 年 か ら 1994 年
のような発言をしていたかであ
に か け て イ ン ス タ レ ー シ ョ ン、
り、 い わ ば、 直 接 的 に 作 品 を 語
セ ミ ナ ー・ シ ョ ー な ど さ ま ざ
らないことで作品が語られてい
ま な 形 態 で 発 表 さ れ た。 こ の シ
る よ う に も 見 え る の で あ る。
リ ー ズ は 、 1993 年 に 古 橋 か ら 友
人 ら へ 送 ら れ た HIV 感 染 告 白
当時の日本社会では自らのセ
の手紙に記された強い要望か
クシュアリティを公表すること
ら 、 HIV/AIDS 問 題 を 取 り あ げ
( カ ム ア ウ ト ) は セ ク シ ュ ア ル・
古橋が演出をおこなうことと
マイノリティの当事者にとって
な っ た。
も 一 般 的 で な か っ た う え、 当
時の厚生省をはじめとする政
と は い え、 こ の 『メ モ ラ ン ダ
府機関のプロパガンダによっ
ム 』 に は 、『S/N』 シ リ ー ズ に
て 「HIV/AIDS は 性 倒 錯 者 や 性
関する直接的な制作意図のよ
的 異 常 者 の か か る 病 気 」「 外 国
う な も の は 見 い だ せ な い 。『S/
か ら 持 ち 込 ま れ る 伝 染 病」 と い
N』 の 上 演 台 本 を 批 評 し た 演 劇
う 認 識 が 形 成 さ れ て い た。 そ の
批 評 家 で あ る 鴻 英 良 に 対 す る、
ような社会情勢のなかダムタイ
古橋によるコメントを参照し
プ は 『S/N』 シ リ ー ズ の 一 環 と
ても ( 注 ) 、ダムタイプのメン
してセミナー・ショーを開きヘ
バ ー お よ び 関 係 者 は、 作 品 の 解
テロ・セクシュアルもセクシュ
釈を言語化することを意識的に
アル・マイノリティも区別せず
回避していたことがうかがい知
HIV/AIDS に つ い て 語 り 合 う 場
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を 設 け た。 そ れ だ け で は な く、
『S/N』 の 上 演 で は 古 橋 が 自 ら
のセクシュアリティをカムアウ
ト し 、 HIV に 感 染 し て い る こ と
も 明 ら か に し た の で あ る。 そ れ
は多くの観客にとってショッキ
ン グ な も の で あ り、 し か し、 だ
からこそ語る側にとってはきわ
め て 切 実 な も の で あ っ た。
〈正 し い と さ れ て い る も の〉 を
た だ 受 け 入 れ る の で は な く、 常
に 新 し い 問 い を 生 み 出 す こ と。
〈正しいとされているもの〉 に
捉 わ れ な い こ と。 そ ん な 強 い 意
志 を 彼 の 語 り か ら 感 じ る。
「 あ な た の 正 し さ は 何 か 」。 こ
の 本 を 読 み 返 す た び、 古 橋 の 問
い か け が 私 を 貫 く の だ。
注 )「 作 品 の 解 釈 に 規 制 は 必 要 な い し、
むしろこのような解釈が言葉として現
れ た こ と に 喜 び を 感 じ て い る の で す が、
た だ 掲 載 さ れ る ペ ー ジ の 構 成 上、 こ の
文章がある種「ダムタイプ公認」 のよ
う な 形 で 特 権 化 し て、こ れ か ら の 『S/N』
シ リ ー ズ と の 対 峙 関 係 に お い て、 こ れ
を読んだ人々の中で強制力を保持する
こ と を 危 惧 し て い ま す 」「 ダ ム タ イ プ 上
演 台 本 『S/N』」,『シ ア タ ー ア ー ツ』1 号 ,
晩 成 書 房 , 1994 年 , pp.189
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サブカルチャーを楽しみたい、
あるいは離れられない人へ
野口直樹
東浩紀 2007『ゲーム的リアリズムの誕生 ~ 動物化するポストモダン 2』講談社現代新書
「 こ の ア ニ メ、 設 定 や キ ャ ラ
る 別 の 可 能 性 を 想 像 し て い る。
クターは良かったけど最後の
こ ん な 複 雑 怪 奇 な 回 路 処 理 を、
主人公の行動はダメだったよ
僕らは何の気なしに行っている
ね ー。 あ そ こ は 自 分 か ら 告 白 し
の だ。 本 書 が 描 く の は ま さ に こ
た ら 良 か っ た の に 」。 サ ブ カ ル
の回路処理 ― ポストモダン
好きからすれば何の変哲もない
に お け る 想 像 力 で あ り、 そ れ に
こ の 感 想 に は、 冷 静 に 考 え て み
準拠した新しいサブカルチャー
るとかなり高度な感覚が結実し
の 語 り 方 で あ る。
て い る。 ① ま ず 画 面 内 で 現 実 と
い ま、「 大 き な 物 語 」 ― 狭
切り離された出来事が起こって
義 の 物 語 で は な く み な が 信 じ、
い る こ と を 認 識 し な が ら、 ② し
共有する空気としての物語―
かしそれがある程度リアルを写
は 失 墜 し て い る。 み な が 別 々 の
し と っ て い る こ と を 理 解 し、 ③
物 語 を 信 じ、 世 界 自 体 が 多 様 な
加えてそこで描かれているキャ
物語の集合体としてしか存在し
ラクターが単なる線の集合体で
な い と き、 フ ィ ク シ ョ ン と し て
あると知りながらも一人の人間
の物語はどう読まれるべきなの
と し て 扱 い、 ④ 彼 ら の 行 動 を 画
か。 こ れ が 本 書 に お け る 問 題 意
面内世界の基準と照らしあわせ
識 だ。
て 妥 当 か ど う か 判 断 し、 ⑤ 物 語
そんな時代を生きる僕たち
とキャラクターを切り離して
は、 冒 頭 の 例 か ら も 分 か る よ う
キャラクター個人の人生におけ
に、 現 実 と フ ィ ク シ ョ ン を 自 在
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に 行 き 来 し な が ら、 し か し そ れ
る の は、 現 実 世 界 自 体 が 多 様 な
ぞれを独立した存在として理解
物 語 と な っ た こ と の 反 映 だ。 こ
す る。 現 実 を そ の ま ま 描 写 す れ
れが本書のタイトルでもある
ばリアルなフィクションが出来
「ゲ ー ム 的 リ ア リ ズ ム」 で あ る。
あ が る わ け で は な い。 フ ィ ク
ションには現実と異なる現実
さ て、 こ う し た 前 提 が あ る 中
性、 つ ま り は リ ア リ ズ ム が 存 在
でサブカルチャー分析はどのよ
す る の で あ る。
う に あ る べ き だ ろ う か。 物 語 を
リ ア リ ズ ム の 変 化 は、 時 代 ご
現実の投影と解釈しようとして
とに作品を丹念に追っていけば
も、 物 語 単 体 で の 整 合 性 を 解 釈
あ る 程 度 分 析 可 能 だ。 本 書 に よ
し よ う と し て も、 そ の 本 質 を 掬
れ ば、 風 景 を 描 く た め に 文 語 体
い 取 る こ と は で き な い。 大 事
という概念を介さなければなら
なのは物語と現実の間にある
なかった近代以前の小説に対し
ギ ャ ッ プ を 埋 め る 「想 像 力 の 環
て言文一致小説では概念に依ら
境」 を 読 み 取 る こ と だ。
ない純粋な自然を写し取ろうと
良 い 意 味 で も 悪 い 意 味 で も、
す る 動 き が 始 ま っ た。 続 い て マ
本書がサブカル分析の裾野を広
ンガが一般化することでキャラ
げ た こ と は 否 定 出 来 な い。 サ ブ
クターという非現実的でありな
カルを単純に楽しみたいと思っ
がら現実的に振る舞おうとする
ている人やサブカルから世界を
存 在 を 受 け 入 れ、 そ し て ポ ス ト
読 み 取 り た い と 思 っ て い る 人、
モダンとしての現代で新たな局
さらにはサブカルと人生をどう
面 を 迎 え た の で あ る。
しても切り離すことができない
世界自体が多様な物語の集合
諸 氏 に は 必 読 の 書 で あ る。
体 で し か な い 現 在、 物 語 自 体 の
あ り 方 も 変 化 し て い る。 冒 頭 ⑤
の よ う に、 物 語 の 分 岐 性 や や り
直しの可能性を見ることができ
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わ か ら な い け れ ど、 た し か に そ こ に あ る
吉田夏樹
岸 政 彦 2015『 断 片 的 な も の の 社 会 学 』 朝 日 出 版 社
理解ができないこ と。 解 釈 が で
れらに意味を付与することはでき
きないこと。 世界に散らばってい
な い が、 し か し そ れ ら に は「独 特
る無意味な断片について、 あるい
の輝きがあり、 そこから新たな想
はそのような断片が集積してでき
像がはじまり、 また別の物語が紡
ているこの世界について、 そして
が れ て い く」(一 四 頁)。 岸 は 日 常
そのような場でのひととの関わり
に溢れる無数の断片を、 できるだ
について書かれているのが、 この
け解釈を交えず、 その出来事自体
の輝きについて語る。
『断片的なものの社会学』だ。
著者の岸政彦は社会学を専門と
現実の豊かさと、語りの美しさ。
しており、 聞き取り調査を中心と
どこか『徒然草』 に似た読後感を
した生活史の研究をしている。『同
覚えた。『徒然草』といえば、兼好
化と他者化 ―戦後沖縄の本土就
法師の言わずと知れた日本の古典
職 者 た ち 』(2013) や『 街 の 人 生 』
である。「つれづれなるままに」に
(2014)ではそうした研究の成果が
見 ら れ る。 し か し 一 方 で、 こ れ ら
始まるこの本には、 多くの人が一
度は触れたことがあるだろう。
のまとまった研究からこぼれ落ち
た と え ば 第 三 十 二 段「九 月 二 十
てしまうものがあるのだと著者は
日のころ」。客人が家を立った後も
言う。
しばらく、 戸を開いたまま月を眺
たとえば本書の記 述 で は、 聞 き
めている女性が描かれている。「よ
取り調査中の突然の犬の死、 学生
きほどにて出で給ひぬれど、 なほ
の日常のつぶやき、 数年間更新さ
事ざまの優におぼえて、 物の隠れ
れていないブログなどが挙げられ
よりしばし見ゐたるに妻戸を今少
る。それらを岸は「断片」と呼ぶ。
し押し開けて月見る気色なり」。そ
分析も一般化もできないようなそ
して程なくしてこの女性は亡く
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なってしまう。「その人、ほどなく
る。 社 会 学 は、 資 料 を 収 集 し、 分
失せにけりと聞き侍りし」。
析 し、 理 論 を 組 み 立 て る。 ひ と つ
批評家の小林秀雄 は、 兼 好 法 師
の理解の枠組みをつくりあげるこ
をこのように評す。「彼の厭世観の
と に よ っ て、 現 実 を み る。 も し 仮
不徹底を言うものもあるが、『人生
に緻密な理論を組み立てられたの
皆生を楽まざるは、 死を恐れざる
ならば、 その理論によって得られ
故なり』 という人が厭世観なぞを
ることは多くあるだろう。しかし、
信用している筈がない」。小林が浮
その枠組みからこぼれ落ちてしま
か び あ が ら せ る 兼 好 法 師 の 像 に、
うものも少なからず存在する。 そ
岸政彦が重なって見える。 彼らは
の時、 それを強引に解釈しようと
ある意味めまいのするような現実
してはいけない。 説明できること
の豊饒さを描く。 そこにうすっぺ
と説明できないことを区別しなけ
らな厭世観はない。
れば、 それは現実から乖離した空
し か し、 現 実 の 豊 か さ は、 徐 々
論 に な っ て し ま う。 本 書 は、 私 た
に蝕まれている。「いま、世界から、
ち が 社 会 を 理 論 化 し て い く 中 で、
どんどん寛容さや多様さが失われ
少しずつ抽象化してしまう社会の
て い ま す。 私 た ち の 社 会 も、 ま す
複雑さと豊かさを、 そしてそれを
ま す 排 他 的 に、 狭 量 に、 息 苦 し い
構成する断片のかけがえのなさを、
ものになっています。この社会は、
教えてくれる。 すでに社会学に触
失 敗 や、 不 幸 や、 ひ と と 違 う こ と
れ て い る 人 に は も ち ろ ん の こ と、
を許さない社会です」(二四〇頁)。
これから社会学を志す人にとって
卑近な例でいえば、 生活保護費受
給者への強烈なバッシングがある。
そこにはなにか、 ひとを弱者への
攻撃に駆り立てる、 得体の知れな
いひとつの「解釈」 が成り立って
・参考文献
いるのだと思う。
小 林 秀 雄 , 1966,『 現 代 人 生 論 全
こ の 書 評 は、 社 会 学 と い う 分
集 第 七 巻 小 林 秀 雄 集』 雪 華 社.
野への入門者に向けて書かれてい
吉 田 兼 好 ,『 徒 然 草 』.
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私たちにとって、
本を読むことはどういうことなのか。
ー世界と私とのズレ
安 齋 : 今 回 は、 自 分 の 研 究 に お け る 入 門 書 と か 研 究 の 重 要 な 素 地 に
なった本を書評するというテーマだけどどうだった?
小 川 : 前 回 は、 世 界 と 「わ た し」 の ズ レ み た い な も の が テ ー マ だ っ
た よ ね。 そ れ も 今 回 本 を テ ー マ し た こ と に つ な が っ て い る よ う に 思
う な。 今 回 は、 な ん の ズ レ だ ろ う ね。
野 口 : ズ レ と い う か 違 和 感 と い う か。 前 回 は 横 浜 と い う 場 所 と わ た
し の ズ レ に つ い て だ っ た け ど …… 。
安 齋:本 を 読 む こ と は 、
「 わ た し 」と 世 界 の ズ レ の 発 見 に な る の か な ?
小 川 : あ る い は 、「 わ た し 」 だ け が ズ レ て る と 思 っ て い た こ と が す
で に 言 語 化 さ れ て い て、 ズ レ を ひ と つ の 存 在 と し て 認 識 さ せ て く れ
る キ ッ カ ケ な の か も。 認 識 の 外 に あ っ た も の に 言 葉 を 与 え る こ と
で、 そ の 存 在 を 立 ち 上 げ る。 本 を 読 ま な い と そ こ に 気 づ く こ と は な
か な か な い よ ね。 自 分 に 閉 じ こ も っ て し ま う と い う か。
野 口 : 今 で い う 中 二 病 み た い な 状 態 だ よ ね。 と は い え、 本 も 個 人 的
な 悩 み を 出 発 点 に 書 か れ て い る 気 が す る。
安 齋 : 個 人 的 な 思 い の 表 出 を 感 じ る よ ね。 表 現 は や っ ぱ り 主 観 的 な
も の か ら ス タ ー ト す る は ず。 対 象 へ の 思 い が な け れ ば、 文 章 を 書 く
こ と は 出 来 な い ん じ ゃ な い か な。
ジ ノ : だ か ら 得 る も の が あ る。
― Wikipedia は 何 故 ダ メ な の か ?
吉 田 : で も、 そ れ っ て 読 書 の 特 権 性 で は な い よ ね。 ど ん な 表 現 物 に
も 当 て は ま る 話 。「 な ぜ 本 を 読 む べ き か 」 の 説 明 に は な ら な い 。 と
り あ え ず 、 学 生 の レ ポ ー ト で 頻 繁 に 問 題 に な る Wikipedia に つ い て
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考 え て み た い な。
野 口 :「 レ ポ ー ト に Wikipedia を 引 用 し て は い け な い 」 と い う 注 意
を、 先 生 た ち は 口 を 酸 っ ぱ く し て 言 う よ う ね。 そ れ で も、 学 部 1 年
生に「幸せ」 についての文章を書かせる授業ではかなりの人数が
Wikipedia を 参 照 し て い た 。
吉 田 : 引 用 す る こ と と 利 用 す る こ と は 違 う。 学 部 生 に は、 そ れ を ど
う 利 用 す る か を 考 え て も ら い た い な 。 で も Wikipedia の 引 用 が ダ メ
だ と た だ 覚 え る だ け で な く、 な ん で 多 く の 学 生 が そ れ を 引 用 し て し
ま う か を 考 え た い よ ね。 な ん で 最 初 か ら 幸 せ と い う 個 人 に よ っ て 形
が 違 う も の を 取 り 上 げ る と き に、 み ん な が 同 じ も の を 参 考 に し て し
ま う の か。
野 口 : も し か し た ら 、 集 団 で 編 集 で き る Wikipedia の 方 が な ん と な
く 信 頼 で き る と 思 っ て し ま う の か も。
安 齋 : 論 文 を 書 く と き に Wikipedia は 使 っ ち ゃ ダ メ だ け ど さ 、 日 常
生 活 に お い て は Wikipedia だ け で は な く 、 ネ ッ ト に 書 い て あ る い ろ
ん な こ と が リ フ ァ レ ン ス に な っ て い る よ ね。
染 谷 : そ れ を ジ ェ ネ ラ ル な も の だ と 思 え る か ら、 か え っ て 信 用 で き
る ん じ ゃ な い か な。
ジノ:使用するのは責任を持つか持たないかの問題なんじゃないか
な ? そ れ を 編 集 し て い る の が 誰 な の か わ か ら な い。 そ の 責 任 が 結 局
Wikipedia を か い た 人 に ま わ る け ど 、 そ の 責 任 を 取 る 人 は 存 在 し な
い。
―読むことと書くこと
吉 田 : 本 に は Wikipedia と 同 じ よ う な 内 容 が 、 小 難 し く 書 い て あ る
と思ってしまうからネットを参照してもいいと思ってしまうんじゃ
な い か な。 け れ ど、 も の に も よ る け ど 本 に は 絶 対 的 な こ と が 書 か れ
て い る わ け で は な い。 あ く ま で そ れ は、 個 人 的 な 事 柄 で し か な い。
自分が考えているものを普遍的な論へ落とし込むことで本が出来上
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が る と い う か。 客 観 的 な 価 値 で は な く て、 個 人 的 な 価 値 を 出 発 点 に
し て 書 か れ て い る も の が 多 い よ う に 思 う よ。 独 り よ が り な 思 い 込 み
と か 悩 み と か。
染 谷 : 私 は 学 部 時 代 は 制 作 を し て い た。 つ ま り そ れ は イ メ ー ジ を 文
章 で は な い 形 で 表 現 し て き た と い う こ と だ け ど、 イ メ ー ジ が 文 章 に
す る、 記 述 で 補 完 し よ う と す る 本 の 制 作 に か け る 情 熱 に い と お し さ
を 感 じ る な。 文 字 に 落 と し 込 も う と す る 活 動 自 体 に に 尊 さ を 感 じ
る 。 生 き 様 が 残 っ て て 、「 文 章 で こ れ を つ か む の だ ! 」 と い う 思 い
が 見 え る 瞬 間 が あ っ て、 そ れ に す ご く 感 動 す る。
安 齋 : い ま っ て、 客 観 性 至 上 主 義 み た い な も の が あ る と 思 う ん だ よ
ね。 文 章 も 何 で も、 客 観 的 な も の が 正 し い、 み た い な。
小 川 : ち ゃ ん と し た 文 章 を 書 く 人 間 は、 最 終 的 に は 客 観 的 な も の や
普 遍 的 な も の を 目 指 す べ き か も し れ な い け ど、 始 ま り は 絶 対 に 個 人
的 な 思 い の は ず だ よ ね。
野 口 : そ れ が 書 く モ チ ベ ー シ ョ ン に な る。
染 谷 :「 俺 は こ う 思 う の だ ! 」 と い う の が 最 初 な の か な 。
安 齋 :「 一 般 的 に は こ う だ け ど 、 で も 俺 は こ う だ ! 」 み た い な 。
―入り口としての本
吉 田 : 読 書 の 話 題 に 戻 る け ど、 本 を 読 む の っ て か な り 労 力 が か か る
よ ね 。映 画 な ら 二 時 間 程 度 で 一 定 の 満 足 を 得 ら れ る 訳 じ ゃ ん 。で も 、
読 書 は そ れ を 得 る た め に 時 間 も 労 力 も か な り 消 費 す る と い う か。 そ
れ で も な お、 本 を 読 め っ て 言 わ れ る の は な ん で な ん だ ろ う。 俺 た ち
み た い に、 論 文 と い う ア ウ ト プ ッ ト が あ る 人 は 仕 方 な い け ど、 そ う
じ ゃ な い 人 が 果 た し て 本 を 読 む の か な っ て 。 ネ ッ ト の 記 事 を 10 分
読 ん だ 方 が 効 率 よ く 幸 福 に な れ る ん じ ゃ な い か な。
野 口 : む し ろ、 本 を 読 ま な い 人 が 読 書 を 崇 高 な も の に し て い る 気 が
す る。 本 っ て、 最 初 か ら 最 後 ま で く ま な く 読 む 必 要 は な い。 つ ま み
食 い で も い い。 完 璧 主 義 的 な 姿 勢 が 本 を 崇 高 な も の に し て し ま っ て
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い て、 そ れ で 読 書 を 敬 遠 し て し ま う ん じ ゃ な い か な。
染 谷 : 何 の た め に 本 を 読 む ん だ ろ う。 ア ウ ト プ ッ ト の た め ?
ジ ノ : な ん で も 糧 に で き る 訳 じ ゃ な い。 自 分 と つ な が る と こ ろ が な
い と 読 ま な い ん じ ゃ な い の か な。
吉 田 : 今 の 大 学 に は い ろ ん な 人 が い る の だ か ら、 本 で あ れ 他 の 媒 体
で あ れ い ろ ん な 使 い 方 が あ っ て い い と 思 う 。 Wikipedia で 済 む こ と
な ら そ れ で も い い ん じ ゃ な い か な。
安齋:本を読まなくていいっていうことではもちろんないんだけど
ね。
― 私 た ち に と っ て、 本 を 読 む と は ど う い う こ と な の か。
小 川 : じ ゃ あ、 最 後 に み ん な に と っ て の 読 書 の 価 値 を 一 言 ず つ。
吉 田 : 自 分 が 本 を 読 む こ と を 特 権 視 し て い る と す れ ば、 名 著 が は っ
きりしているのでそこからなら確実にいろんなことが得られるとい
う 部 分 か な。
染 谷 : 映 画 で も 小 説 で も 何 で も 良 い と 思 う ん だ け ど、 と っ か か り に
な っ た 本 か ら 出 発 し て 、い ろ い ろ 読 ん だ 後 に も う 一 回 見 直 し て 、違 っ
た 意 味 を 帯 び て く る よ う な 体 験 が す ご く 面 白 い と 思 う。 そ れ に、 何
か を 探 す と き に 本 と い う 選 択 肢 は か な り 有 効 な は ず。 私 の 場 合 は、
本 を 読 む こ と は 選 択 肢 を 増 や す 事 だ な あ と 思 う。
ジ ノ : 何 も 整 理 で き て い な い 頭 の 中 が、 例 え ば 紫 外 線 と か い ろ い ろ
混 じ っ て い る 太 陽 光 の よ う な も の だ と し た ら、 読 書 と い う の は そ の
太陽光を本というプリズムによってスペクトル化させる行為だと思
う。 漠 然 と し た カ オ ス の よ う な 知 を 細 分 化 し て、 言 語 化 で き る よ う
に す る の が 本 を 読 む こ と な の か な。
野 口 : 読 書 は、 退 屈 な 状 態 に 対 す る カ ン フ ル 剤 に な っ て く れ る ん だ
と 思 う よ。 - 21 -
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常盤台通信第八号 特集:書評
発 行 日 :2015 年 12 月 28 日
編 集 ・ 執 筆 :安 齋 詩 歩 子 李 珍 鎬 小 川 哲 汰 朗 染 谷 有 紀
野 口 直 樹 吉 田 夏 樹
ド ロ ー イ ン グ :染 谷 有 紀
監 修 :中 川 克 志
発 行 :横 浜 国 立 大 学 大 学 院 都 市 イ ノ ベ ー シ ョ ン 学 府
建築都市文化専攻 建築都市文化コース
文芸メディア創作スタジオ