4.脳科学に基づくサッカー練習法

4.脳科学に基づくサッカー練習法
4.1 サッカーの定義
サッカーとはなにか、サッカーの定義に挑戦してみます。
(1)攻撃と守備が時間的にも空間的にも分離していません。
攻撃と守備が入り混じってゲームを行います。
攻守の連続性があります。
敵がいる状態がノーマルな状態だということです。
敵の行動は自分の意思で規定できません。
自分の敵に「私の妨害」をするな!と言えないことです。
敵が意図していることがわからないのが普通の状態です。
攻撃している時も守備を考え、守備をしている時も攻撃を考えて置くということです。
攻められている時がチャンスであり、攻めている時がピンチです。
(2)サッカーは基本的に手を使わないで、主として足(脚)で行うスポーツです。
下の図はホムンクルスといって、人間の感覚がどのくらい鋭敏かを表したものです。
大きく表わされた体の部分が神経の鋭敏な部分です。
手の指、舌などが鋭敏な個所です。
運動をするうえで一番敏感な手を使わないのがサッカーの特徴です。
いわゆる不器用な足でプレーをします。
ボールがどこに行くか、バスケットボールなどに比べ不正確になります。
(3)ボールを足で扱うため、ボールと相手を同一視野に置きにくくな
っています。
このことからもバスケットボールなどに比べプレーが不正確になります。
自分の前を横切るボールを処理することもあり、予測が難しくな
っています。
(4)相手のゴールに多く点を入れた方が勝ちです。勝ち負けがあり
ます。
(5)サッカーとはスポーツの一種です。スポーツとは遊びの一種です。
人間の脳は複雑系です。複雑系は部分の総和以上の何かを持ってい
ます。それが「心」と言われるものです。
この複雑系を構成している人間が 22 人集まって、上記のような条件
でプレーをすれば、サッカーもまた複雑系になります。
すなわち、何をするかわからない相手に対応するには「とっさ」の
行動が必要なのです。
自分でも「とっさ」の行動は予測できません。
次に何が起こるか予測できないのが複雑系なのです。
不器用な足でするボールコントロールは自分の意のままになりません。
これも複雑系の要因になります。
(注)このホムンクルスには視覚、聴覚が記載
されていません。感覚入力としては視覚、
聴覚はもっと大きな情報源となります。
図 4.1-1 人間のホムンクルス
「テクニックはあるがサッカーが下手な日本人」という本を村松尚登さんが出しておられます。
彼はは、サッカーは「カオス」であり、
「フラクタル」であるといっています。
フラクタルとは図形の全体とその一部分が相似関係になっていることをいいます。
サッカーでは選手の配置の関係を見ると、どこをとっても大きな三角形、小さな三角形の相似形ができています。
この関係をフラクタルといいます。
試合の一部分を切り取っても技術だけでなく、体力、判断力、精神力など同じように含まれています。
これもフラクタルです。
昔から「サッカーはサッカーをすることで上達する」と言われてきました。
サッカーが複雑系だと考えると、サッカーをする人の、個人にも「技術」
「戦術」「体力」
「精神力」の総和以上の何か
があるはずです。
個人が 11 人集まったチームにも、11 人の総和以上の何かがあるはずです。それが「サッカー」だということです。
1
人間の脳には前頭葉、側頭葉、頭頂葉、脳幹、その他があります。
さらに、それらの総和以上の何か、すなわち「心」が人間にはあります。
それと同様にサッカーにも「11 人の総和以上のなにか」=「サッカーの心」があります。
日本人がサッカーを行えば「サッカーの心」も日本的になるはずです。
スペイン人がサッカーを行えば「サッカーの心」もスペイン的になるはずです。
バルセロナのサッカーは「サッカーの心」もバルサ的になるはずです。
マンチェスターユナイテッドのサッカーは「サッカーの心」もマン U 的になるはずです。
ワールドカップを見ていればそのお国柄が出ているのがわかります。
「11 人の総和以上のなにか」=「サッカーの心」は 8 人にしても、5 人にしても、3 人にしても、1 人にしても残
るということです。これが「フラクタル」ということです。
練習でも「量」が変わると「質」が変わると言われます。
11 人で練習するのと 3 人で練習するのでは量だけでなく質も変わってくるということです。
人数が減っても「サッカーの心」
「サッカーの本質」が変わらないように配慮した練習計画が必要だというゆえんです。
敵がいる状態が普通の状態です。練習もできるだけ敵を置いた状態で行います。
敵がいるために発生する「複雑性」を考慮した練習法を考えます。
戦術についても敵がいることを
「想定」
した戦術を考えます。
常に敵がいることを考えておかねばなりません。
サッカーはスポーツの一種です。
スポーツとは「広辞苑」によれば、遊戯、競争、肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称です。
このことから、サッカーの第一義は「遊び」であると私は考えます。
私たち「街のクラブ」では「遊び」の要素を失った指導はしてはならないと考えます。
「遊び」とは、楽しく練習し、試合も楽しむことです。
練習や試合の後で、
子どもたちがもっとやりたい、
明日もしたいと言うようなら、その練習や試合は成功です。
4.2 良いサッカーをするために
良いサッカーをするためには 2.9(4)項(P66)で考えたように、感覚から行動まで、日本人に適した「行動規範」を
サッカーに求めます。その行動規範をサッカーの「プレーモデル」とします。それが日本の「サッカーの全体像」です。
(1)良いソフト(プログラム)を脳内に作る。
・運動前野に良いサッカープログラム(モデル)を記憶させる。
・小脳の「内部モデル」に良いサッカープログラム(モデル)を記憶させる。
(2)思考速度を速くする。判断を速くする。
(3)出力精度をあげる。
・小脳の内部モデルⅠ型のモデルを完成させ、体の動きを正確にする。
(4)動作速度を速くする。とっさのプレーができるようにする。内部モデルⅡ型を使えるようにする。
・インタフェースの入力(視覚)の速度をあげる。
・インタフェースの出力(行動)の速度をあげる。
(5)複数のプレーを並行して行う。
もう尐し詳しく検討してみます。
(1) 良いソフト(プログラム)を脳内に作ること。「プレーモデル」を脳内に作る。
村松尚登さんは“チームを強化するのに最も大切なのは「プレーモデル」である”と言っています。
プレーモデルとはチームが目指す「サッカーの全体像」のことだそうです。
プレーモデルは複数のコンセプトによって成り立ち、コンセプトはさらにサブコンセプトから構成されます。
バルセロナの目指すプレーモデルのコンセプトの一つは「攻撃的サッカー」であり、その下には「積極的サイド攻撃」とい
うサブコンセプトがあり、さらにその下には「両サイドバックが高いポジショニングをとる」サブサブコンセプトが存在し
ます。
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サッカー選手は自分の「プレーモデル」を頭の中に作る必要があります。
この“サッカーのプレーモデルを作る能力”がサッカーの「創造性」です。
こどもの場合は小脳にサッカーの「プレーモデル」を作ります。
村松尚登さんも池上正さんもスペインではこどもの時から「パスサッカー」が華麗に展開できるといっています。
そしてこの原因はこどもの時から大人の華麗な「パスサッカー」を常時、見ているからだと説明されていま
す。
スペインのこどもの頭の中にサッカーの「プレーモデル」出来ているため、パスサッカーが展開できるのだと考えられま
す。
岡田武史監督もブラジル人は良いサッカーモデルを見て育つので、とっさの場合、それが現れるのだと言ってい
ます。
日本でも子どもに良いサッカーを見せることが必要です。
試合を直接、見ることが一番ですが、ビデオなどでもよい試合を多く見せる工夫が必要です。
大人の場合はチームのプレーモデルを学習して、大脳新皮質にプレーモデルを作りこみます。
さらに、試合、練習を重ねて、徐々に小脳にプレーモデルを記憶させていきます。
小脳に記憶されるようになると、無意識な状態(とっさの場合)でもプレーモデルに即したプレーが出来るよ
うになります。
(2) 思考速度をはやめる。
思考速度を速める方法はあるでしょうか?その方法を考えてみます。
前頭前連合野の司令部が頭頂・側頭連合野内の「思考モデル」に働きかけます。これが思考です。
繰り返し、同じ「思考」をしていると小脳にその「思考モデル」がコピーされます。
前頭前連合野の司令部は「小脳の思考モデル」に働きかけて思考作業を進めます。
こうなると考えた結果を気にせず、自動的に思考が進むようになります。直観的に自動的に考えが出てきます。
「コンセプト(共通の概念)というのはどんな時でも同じことを言い続けられなければならない」とサッカーの岡田
監督は言っています。
繰り返し同じこと言い続けていると、聞いている方の頭頂葉や側頭葉の思考モデルが小脳回路に写し取られるの
です。そうすれば、とっさに予測し、判断するとき、小脳の思考モデルを使うようになります。
そうすればより速い判断ができるようになり、頭が疲れることがなくなります。
この小脳の思考モデルを使う考えは「知っている答え」を考えるという、試験の時のカンニングみたいなことになり
ます。
九九がよい例です。問題も答えもあらかじめ知っているので答えがすぐに出ます。
随意運動のレベルⅡと同じ状態を思考について考えます。運動の場合は「とっさの行動」です。
思考の場合は、前頭前連合野(司令部)が考えなくてよくなるのです。
小脳が考えるのです。この場合は、わかりきったこととして「考え」
「答」が出ます。
「常識」ともいえます。考えないで「答」が出せる状態です。「カン」が働くともいえます。
前頭前連合野で考えていることは「顕在性」の思考であり、小脳で考えることは「潜在性」の思考となります。
クリエイティブ(創造的)な選手とは前頭前連合野で考える意識的思考能力があることだけでは不十分です。
潜在的な小脳による思考能力も必要です。
コンセプトのようなものは潜在的知識として、常識のように体に刻み込まれている必要があります。
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(3) 出力精度をあげる。
小脳に筋肉骨格系の運動モデルを練習によって作り上げます。
このモデルができると筋肉骨格系の動きを小脳があらかじめ知っていることになります。
キックの動作を考えると、キックの時の筋肉・骨格系の動きを小脳があらかじめ知っています(記憶しています)
。
運動連合野の司令部は小脳のモデルを使って、筋肉骨格系を操作していきます。
小脳の「内部モデルⅠ」が筋肉骨格系のモデルを正確に反映していれば、正確な出力ができます。
これが小脳の「内部モデルⅠ」型が完成した状態です。精度の良いプレーが出来るようになります。
筋肉のセンサーは筋紡錘です。筋紡錘の出力は小脳までしか届きません。
大脳の運動連合野は筋肉の状態を把握できないのです。
緊張しすぎて(意識しすぎて)
、運動連合野の指令だけでプレーしようとすると動作がぎごちなくなります。
小脳による、筋肉、筋紡錘の制御がうまく働かないためです。
ボールをキックする動作の場合、体のバランスから、腕の振り、脚の振り、力の入れ具合と相当複雑な動作をしていま
す。そして動いているボールだったら、足を振りおろすタイミングとボールの軌跡が一致しなければなりません。
この運動モデルと予測機能を小脳に「内部モデルⅠ」型として、作り上げるのです。
「ドリブル」
「キック」
「ボールコントロール」
「ヘディング」とサッカーに必要な内部モデルを小脳に作り上げます。
注意することはこれらの動作をサッカーの一連の流れとしてとらえて練習することです。
(4) 動作速度を速くする。とっさのプレーができるようにする。
・
小脳の内部モデルⅡ型を使う。
意志、意識を働かせた大脳新皮質の動作では 1 秒間(最低でも 0.5 秒)の準備期間が必要です。
どうしたら準備期間をなくした動作ができるようになるのでしょう?
大脳をバイパスした、小脳を使った無意識の動作ができれば準備期間はなくなるか、または大幅に減らせます。
小脳に「サッカーのプレーモデル」を作ります。
このプレーモデルの中に一連のサッカーの流れ、コンセプトが組み込まれていれば、無意識に、考えずにプレーができます。
すなわち素早いプレーが連続して出来るのです。
これを「ドリブル」
「パス」
「シュート」と別々に分断して練習すると分断して記憶されます。
それを意識、意志でつないでいこうとするとその間に意識が介在するので素早いプレーができなくなります。
小脳の内部モデルⅡ型を使い、行動を阻害しないで、速やかに行動する方法については 4.3.1 項(P92)を見てく
ださい。
・
インタフェースの入力(視力)を速める。
上丘で見る視覚または小脳で見る視覚を使うと視覚の入力が速まります。
詳しくは 2.6.1 項の視覚について(P41)を参照してください。
訓練方法については 4.3.2 項、速く見る、速く行動する訓練(P95)を参照してください。
(5) 複数のプレーを並行して行う。
人間は大脳新皮質系(意識系)と脳幹・小脳系(無意識系)の動作を並行して行うことが出来ます。
このほうが効率的なのは明らかです。
一例として、次のようなプレーがあります。
・ドリブルしながら、相手を見て、大脳新皮質はつぎのプレーを考える。
・ボールコントロールをしながら、キーパーの位置を見て、キーパーの動きの逆側にシュートする。
4
(6)
連動性を高める
サッカーの日本代表監督だったトルシエやオシムが口にした言葉の中に「オートマティズム(連動性)
」というものがあります。
連動性とは“味方の動きに合わせて無意識に体が動いて起こる連続的な連携”のことです。
ボールを受ける立場の選手が動きを止めるとマークされやすく、パスコースはなくなります。
よって、攻撃する立場でパスを繋ぐためには、ボールを持たない選手がいかにスペ-スやパスコースを作るために動ける
かが問われることなります。
「連動性」という言葉が示す基本は連携であり“パスがつながる”状態です。
意識的に作らなければスペースの発生しないゴール前で、パスをつなげるには常に変化する情況に合わせ、選手自身
が「自分の役割」を見出さなければなりません。
そしてそれは、ボールの位置、敵の動き、以前に“味方の行動”との兼ね合いがとても重要です。
どんなに個としての身体能力や技術に優れている選手であっても、自分本位に行動を決めては、
チームとしての守備や攻撃において、他の味方と位置、動き、役割が重なってしまいます。
自分が望む形でボールを受けたいあまり、一定のポジションを占有してしまっては、味方の移動やスペースの発生を妨
げてしまいます。
それは直接的な被害を受ける味方にとどまらず、
「チーム」としてのプレーを殺してしまいます。
(一例)
A のプレー、
C から D にパスを通すには DF を引き付ける囮が必要だ。 そのために A はサイドに開く
B のプレー、
これ以上 C がキープすれば DF が前に出て、C がプレスを受ける。B が下がってパスコースを確保する。
C のプレー、
B がフォローしようとしている。前方へのパスの機会をうかがいつつ、B が動けるスペースを作る。
D のプレー、
パスコースが開いた。DF を背負っているが、B が退いたスペースへ移動しながら、パスをもらう。
次の A のプレー、
D にパスが通った。逆サイドの A は D のシュートに備えてファーポストにつめる。
B のプレー、
D はコーナーへ追いつめられる可能性がある。後方へフォローに入ろう。
C のプレー、
D は中央に落とすかもしれない。中央に攻め上がろう。
このようにプレーの連動性とは「意志疎通の連鎖」です。
顔を上げ、味方の今に向きあい、味方の意思を読み取って、自分に出来ることを探し、行動します。
この姿勢は普段のチーム活動に通じるものがあります。
自分からこの意義(連動性)を理解し、普段からチームの一因としての役割を探します。
仲間の声に耳を傾けます。そうしないとピッチで仲間が発する「心の声」が聞こえません。
意思の疎通は目に見えない絆です。これは日々の仲間との接点を絶やさない努力の上に成り立ちます。
意思の疎通は仲間と育んだ「信頼」の大きさに比例します。
良い「プレーモデル」をチームとして共有し、それに従った「連動性」を高めれば良いサッカーが出来るようになります。
最初は声に出した「意識下」の連動性かもしれません。
この状態では声を聞き、それを判断するのに 0.5 秒~1 秒の時間がかかります。
それを磨き上げ、
「無意識下」の連動性にまで高めます。
このような状態になれば、意思疎通に遅れがなくなります。FC バルセロナのサッカーはここまでレベルを高めたサッカーの
ようです。
5
4.3
サッカー練習の根本対策
(1) 複雑系理論に基づくサッカー練習法
テクニックを別々に分断して練習し、習熟したら、それを結合すればよいサッカーができると考えるのが従来の
「要素還元法」による考え方です。
ドリブル、フェイント、キック、シュート、パス、リフティングとさまざまな「モデル」を考えて練習します。
これが従来(現在)のサッカーの練習方法です。
村松尚登さんは「ドリブル、パス、キック」をテクニックと考えれば、日本人も上達してきた。
しかし、その結果を「テクニックはあるがサッカーが下手な日本人」と一言で表現しています。
私はこのことをつぎのように解釈しています。
「ドリブルを使うべきところかパスをすべきところか」という判断が日本人は下手だ。
そして、サッカーをうまくする(判断を良くする)には「サッカーを要素に分断せず、サッカーをそのまましなさい」と言
われているだと思います。
要素還元法の練習をすると、ドリブルからパスに移行する時に、一連の流れでなく、意識、意志を介在させなけ
ればなりません。この切り替えの時、動作が遅くなります。また選択を間違えることもあります。
そろばんの初心者もギターの初心者も意識を懸命に働かせて「そろばん」や「ギター」を操作しています。
「意識を懸命に働かせている」状態ではゆっくりした動作しかできません。急いでやれば失敗するだけです。
サッカーでも同じです。
「意識を懸命に働かせている」状態では素早いプレーはできません。
ドリブル、フェイント、キック、シュート、パス、リフティングと練習を積んで熟練してきました。
そのプレーは素早く、上手にできるようになりました。
ところがドリブルからシュートに移るときに「意識を懸命に働かせて」次のプレーを考えます。
そのため次のプレーがワンテンポ、ツーテンポ、遅れてしまうのです。
サッカーはサッカーの一つのプログラムとして習熟させ、サッカーを行っているときに意識をできるだけ働かせないようにす
れば、素早いプレーができるのです。
これが「統合的(インテグラル)トレーニング」または「戦術的ピリオダイゼーション」というものです。
全てのトレーニングは実際のゲームの情況にのっとた状態で行うべきだとする考え方です。
ドリブルからシュートに移る時の練習も試合の情況と同じようにするのです。
この練習を行うためには指導者が自分のチームの「プレーモデル」を把握している必要があります。
自分のチームの「プレーモデル」をもとに、練習計画を立てます。
自分のチームの「プレーモデル」を子ども達に実行させることは、子ども達を「ロボット化」することではありません。
「ロボット化」はなぜいけないか?「ロボット化」した人間は決まりきった手順しか実行できません。
これは創造力(想像力)のある人間にはすぐ読まれて、対応されてしまいます。
「ロボット化」した人間はその変化に対応できず、敗れてしまいます。
個々の選手が自ら考えてゲームの情況変化を読み取り、プレッシャーの中で決断を速くできるように指導します。
「これまでと同じことを続けていては、これまで以上のところにたどり着くことはできない」
ギター操作しながら、歌を歌います。その間に断続はありません。ドリブルの操作はギターの操作と同じであり、
キックの操作は歌を歌うと同じです。その間に断続が無いようにします。
ドリブルからキックに移行するのには「意識」を介在させないようにします。
ドリブルしながらキーパーの動きを見るのです。キーパーの動きを見ながら、キックの操作に入ります。
そしてキーパーの心理を読んで、動きの逆が取れるようなキックを選択するのです。
ところが「意志」
「意識」を介在させないということは大人にとって、そんなに簡単なことではないのです。
人間の大人は「無意識」の行動に対して、
「意識的」行動が優先するように作られています。
この機能は先天的に遺伝子的に持っています。これがあるから人間は生き残ってきたのです。
私たち、人間は「意志」
「意識」が最高位にあると長年、意識的にも、無意識的にも、教育されてきました。
「無意識」の行動に対して、
「意識的」行動が優先してしまうのです。
「意識」は「無意識の視覚」
「無意識の行動」を「馬鹿」だと思っているようで、
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常に「意志」で「意識下の視覚」や「意識下の行動」を優先させようとします。
いっぽう、子どもは前頭前連合野が未成熟で「意志」「意識」の働きが弱く、小脳の働きが優先します。
ドリブル、フェイント、キック、シュート、パス、リフティングと練習を積んで熟練して、小脳に記憶してきました。
子どもは、ドリブルからシュートに移るときにも意識が働かず、ワンテンポ遅れてしまうということは大人よりは、
起こりにくいはずです。起こりにくいといっても大人と同じ練習を行っていれば、同じ欠点は生じます。
大人でも子供でもドリブル、フェイント、キック、シュート、パス、リフティングの練習は必要です。
しかしドリブルは次のパスをするため、シュートをするため、リフティングは試合の中で生じるボールコントロールのためと常にサ
ッカーの全体像と結び付けて練習することが大切です。試合の中で起こる事象に結び付けて練習する必要があり
ます。
不器用な足を使うゆえに発生する「複雑性」はできるだけ排除する方向で努力します。
すなわち、個人技の向上に努めるのです。
練習にもゴールを使う工夫と勝ち負けを取り入れるべきです。
たとえば、ドリブルとパスの使い分けの練習をしたいと考えた時、私は 3 対 3 のラインサッカーを推奨しています。
ドリブルと見せてパス、パスと見せてドリブル、そして相手のゴールラインをドリブル、またはパスで通過したら得点としま
す。
(1)~(5)のサッカーの要素がすべて含まれた、フラクタルな練習になります。
4 対 2 のポゼッション練習などよりフラクタルですし、なにより、勝ち負けがあるので、選手が喜んで練習します。
(2) 動作速度を上げた運動するためには、大人もこどもに帰る
大脳の前頭前連合野が未成熟の子どもでは「小脳」が主体となって動作します。
網様体賦活系から大脳の前頭前連合野の意識、意志、判断の働きはまだほとんど働きません。
小脳の働きが主となっています。子どもは動物に近い、脳の使い方をしています。
大人の脳の働きは大脳の前頭前連合野の意識、意志、判断の働きを重視します。
物事の情報を集め、それをもとに判断をするという行動には適しています。
小脳の働きは陰に隠れています。陰に隠れて黙々と働いています。
大人はスポーツなど運動をする場合も前頭前連合野の意志で行動しようとします。
前頭前連合野が体の制御まで口出しをするのです。
ところが、前頭前連合野の意志で運動しようとすると、制御サイクルは遅く、動作はぎごちないものとなってしま
います。
運動をする場合は小脳の働きによった方がよいのですが、大人の場合は前頭前連合野が「しゃしゃり」出やす
くなります。単純に運動だけを考えたら子どものほうが素早い行動ができるのです。
スポーツをする場合の課題として、こどもの脳の働きの状態に戻る(一時的に戻れるように)訓練することが重
要です。大脳の前頭前連合野の意識、意志、判断の働きを抑制します。
そして、小脳の働きで、体を働かせる訓練をすることが重要です。
こどもにサッカーをさせる場合は良い試合、よい手本を見せて、無意識に小脳に良い手本が記憶されるように指
導します。
キックの技術のような、技術だけでなく、試合の流れ、展開を含めたサッカーを教えます。
サッカーの「プレーモデル」を大脳新皮質から小脳の中に移るまで繰り返し、指導するのです。
連動性まで考えた指導をします。将棋とか碁を教える感覚を持ったらよいと考えます。
将棋の駒の動かしかただけを教えても将棋は強くなりません。実戦を経験することが必要です。
サッカーでも同じで、必ず実戦を経験することが必要です。
「サッカー」では、大人もこどもの脳の働きの状態に戻る(一時的に戻れるように)訓練し、
小脳を働かせることができれば、ゴール前のシュートなどに素晴らしい力を発揮できると思います。
イングランドのルーニーは全く「やんちゃ坊主」がそのまま大人になったように見えます。
だから「ゴール前のシュートなどに素晴らしい力を発揮できる」と考えたら考えすぎでしょうか?
マラドーナもこどもがそのまま大人になったような選手だと思います。
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私の世代ではプロ野球の長嶋茂雄さんが代表的な人です。
野性的とか、感覚的ともいわれ、予測不可能なプレーをする代表選手でした。
長嶋選手もこどもがそのまま大人になったような選手だったと思います。
そのためか、監督としては成功しなかったように思えます。
長嶋監督は論理的に物事を言葉で選手に説明することが下手だという批判がありました。
子どもに帰る、小脳を働かせる、この動作は論理的ではなく、直観的なものになります。
「連動性」を「無意識」にまで高めて実行できるようにするのが理想です。
(3) こども(動物)に帰る訓練とは?
素早い動作をするには、こどものまま大人(大脳と小脳を使い分け、野性味を残す)にすればよいと考えます。
相撲とかボクシングを見るとまさに動物の闘いそのものです。
単純に小脳を使った闘いを行っていると思います。
大相撲では体を鍛えると共に、無意識で相撲が取れるようになるまで稽古をすると言っています。
朝青龍は相撲をとるアスリートとしては超一流だと思います。
ところが日本の大相撲ではアスリートとしての能力だけでなく、相反する意識を使った、抑制の美学を横綱に要求
するのです。
この使い分け、教育がうまくいかなかったのが朝青龍だった思います。
サッカーでもゴール前のキーパーとシューターの関係は動物的であるべきかと思います。
またプレミアリーグのチェルシーやマンチェスターユナイテッドの下位チームに対する、ゴール前の攻撃は集団で獲物に襲い掛かる狼を連
想させます。
ではそのような訓練というのがありうるでしょうか?
一つの解が大相撲の部屋制度や碁とか将棋の内弟子制度です。12,3 才から内弟子として訓練をするのです。
大相撲が現在、日本人横綱を出せない一因に、入門する時期が中学卒業以降(高校)に遅くなったことがあげ
られると思います。
13,4 歳で生じる網様体賦活系と前頭前連合野の司令部の完成後に入門させているからです。
いわゆる体得(小脳に直接記憶)でなく、習得(大脳新皮質で憶え、それを繰り返すことにより小脳に記憶さ
せる)となるからです。
モンゴル人と日本人は同じモンゴロイドで、体型も似ています。
ところが現在、日本人は大相撲でモンゴル人に負けています。日本人横綱がいません。
モンゴルではこどものころから相撲をとっています。
これがモンゴル人に日本人がかなわない理由ではないかと思っています。
サッカーでもスペインのバルセロナがカンテラと呼ばれる育成機関に「マシア」という寄宿制をとっていることがよく知られてい
ます。
ブラジルやアフリカ、フランスなどの貧しい子がストリートサッカーで育ってくるのも似た環境があるように思えます。
似た環境とは学校の勉強はあまりせず、サッカーばかりを行っている環境です。
この場合はマラドーナのような、大人になりきれない(抑制の効かない)選手が育つ可能性があります。
教育とは「抑制」を教えることだそうです。
人間とは本来「抑制」を教えないと「裸のまま/こどものまま」生殖能力を持ってしまいます。
金属バットで両親を殴り殺したり、援助交際でみだらなまねをしたり、さまざまな青尐年の不道徳行為はこども
の時に抑制を教え、躾なかったことに起因しています。
朝青龍の問題は土俵を離れたら、大相撲流の礼儀、作法があることを教え、躾なかった相撲協会にも大きな責
任があると思います。
では動物のように小脳を使ったサッカー(体得)ができ、道徳的抑制をそなえた大人(サッカーマン)を養成することは
可能でしょうか。私は十分可能だと考えています。
ひとつの方法が学校とサッカーを切り離すことです。学校の教育は本来の目的である、抑制を教えることに重点が
傾きます。こうしないと教育が成り立たないからです。
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その中でサッカー指導を行うとどうしても、サッカーを使って、抑制を教えることが多くなります。
これでは動物的な選手は育ちません。しかし中学校や高校がプロ養成の予備学校である必要はないわけで、
学校は本来の教育を行い、サッカーも体育の一環であって一向に構わないと思います。
ルーニーやマラドーナのような選手は育てるのではなく、自然に育ってくるのを見つけるのです。
日本には教会がないので、道徳(抑制)の指導は家庭と学校の両方で行う必要があります。
サッカーはクラブで行い、道徳(抑制)の場と切り離すのです。
そしてサッカーを行っているときは、動物のように出来るだけ自由にプレーをさせるのです。
サッカーの場を離れたら道徳(抑制)の世界に戻るように指導します。
この使い分けは小脳を使って「そろばん」をすることと、道徳的(抑制)世界に生きることが全く別のことであ
り、矛盾することではないことからも可能だと考えます。
ただ現在、街の尐年サッカーのクラブは野球を見習い、あいさつ、グランドに礼など道徳的抑制の指導がまかり通って
います。この改善、意識転換が必要です。
しかし、街の尐年サッカーのクラブはプロを育てる場ではないと考えればこれで一向に構わないとも考えられます。
ちなみに西欧ではクラブでサッカーを行い、学校とは切り離されています。
さらに道徳(抑制)の指導は教会の役目となり、学校ともクラブとも切り離されています。
ネオテニー理論の項で述べたように、人間(特にこども)は環境に影響され、環境に合わせ、適応していく動物で
す。そのため、プロのサッカー選手を育成する場としては、サッカーの環境と教育の環境を分離するのです。
そしてサッカーの環境を良くしていきます。
たとえば、バルサのカンテラのように、常に理想のサッカーが見られるような環境を作ります。
それができればこどもは自然に良いサッカーができるように育っていきます。
世界に通用する選手を育てたいのであれば、素質のある子を見出し(探し出し)良い環境の中に入れて、
サッカーをさせるのです。それがサッカーの先進世界の行き方だと思います。
最近、
「FC バルセロナの人材育成術」という本を読み、そこに書かれていることが「人間教育」であり、
「人格形成」であり、
「克己」であることを知りました。
プロの場でも、
「心のつながり」が強者を生むことを知りました。
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4.3.1 行動を阻害する要因およびその防止策
「インナーゲーム W.T.ガルウェイ著」という本があります。
インナーゲームとはアウターゲームに対する言葉で、アウターゲームは通常のスポーツ、ゲームの外部的現れです。
インナーゲームとはプレーヤーの内心のゲームについて記述したものです。
集中力の途切れ、緊張過多、自信喪失、自己非難といった内なる障害を克服することを目的とした書籍です。
この本はテニスを本職とした人がテニスプレーヤー向けに書いたものでサッカー向けではありません。
しかしシュートの時の気持ちの持ち方など、サッカー指導にも、大いに参考になります。
この本では自分(自己)の中に 2 人の人格があると考えます。
Myself の self をとってセルフ 1 とセルフ 2 に分けます。
セルフ 1 は頭の中の命令者(指示者)でセルフ 2 は実行者です。
私はセルフ 1 を大脳新皮質、
「意識下の自分」「自意識の中の自分」と考えます。
「顕在下の自分」です。
セルフ 2 は脳幹・小脳による「無意識下の自分」と考えます。「潜在下の自分」です。
以降分かりやすいように、セルフ 1 には(意識)をつけ、セルフ 2 には(無意識)をつけます。
「セルフ 1(意識)」は「セルフ 2(無意識)」に対して、
「ああせい」
「こうせい」
「パスだ」
「シュートだ」と命令を下します。
大脳新皮質、
「意識下の自分」の成長が不十分な、子どもにとっては大人の「コーチ」や「監督」が「セルフ 1(意識)」
に相当します。
この「セルフ 1(意識)」は「セルフ 2(無意識)」を馬鹿だと思っているようで、常に自分の意志で、
「セルフ 2(無意識)」
を従わせようとします。
しかし実際は「セルフ 2(無意識)」は馬鹿ではなく、聴くことも、見ることも、記憶することもできます。
むしろ「セルフ 2(無意識)」のほうが速く見ることができ、運動は上手に、素早く行えるのです。
これは進化の過程を考えれば「セルフ 2(無意識)」が脳幹・小脳の動物的機能だから当然のことです。
スポーツをする場合にはいかに「セルフ 1(意識)」をおとなしく、静かにさせておくかが、この本の主題になってい
ます。
全身から脳に伝えられる情報は 1 秒間に数百万ビットもあります。
しかし「意識」にのぼる情報はわずか 40 ビットにすぎません。わずか 0.001%しか意識にはのぼりません。
このことは人間の行動はスポーツに限らず、大部分を「無意識下の自分」で行っているということです。
意識的に行動する、
「意識下の自分」の部分はほんのわずかでしかないのです。
特に、子どもの場合は前頭前連合野の「意志」の機能が未発達です。
子どもは意志がある「意識下の自分」はほとんどないと考えてもよいと思います。
子どもはほとんど「無意識下の自分」で行動していることになります。
動物も「意識」は持っていないと考えられます。
スポーツをする場合、大人も子どものような「純真な心」を取り戻し、また「動物のような心」に帰り、
「無意識下の自分」で行動するようにすることが「インナーゲーム」の主題になっています。
人間の大人も、猫が獲物を狙って行動する様を取り戻すのです。
猫は獲物を狙うとき、意図的な努力なしに、注意深く、態勢を低く、全身の筋肉をリラックスさせ、精神は完全に
獲物に集中しています。
獲物を取り逃がしたらどうしようなどという考えは、みじんも意識の中に侵入していません。ただ小鳥を見て
いるだけです。
そして突然に、獲物が舞い上がると同時に猫も跳びます。完全に予測した動きで獲物を捕らえます。
テニスプレーヤーも、豹のような本能的、動きを体験する時があります。ネット際でボレーの応酬が続くような場合です。
こうした局面では瞬間的反応が連続し、判断する間が与えられません。
届くとは思っていないようなボールに反応し、見事に打ち返し、狙った意識もないのに完璧な場所に打ち込んで
いることがあります。
10
サッカーのゴール前の攻防を見るとまさにこの猫のような行動がシューターにもキーパーにも要求されることが理解できる
と思います。
2011 年に行われた、FIFA クラブワールドカップのバルセロナ対サントス戦のメッシの 2 点目(バルサの 4 点目)はまさにこの猫
のような動きでした。獲物の代わりにキーパーのスライディングのセーブを置きます。猫であるメッシは、ボールを左アウトでカ
ットしてリフトしてキーパーをかわし、メッシ自身はキーパーを飛び越えています。この間 0.5 秒、まさに動物的動作です。
さらに飛びあがっても、猫のようにバランスを崩さずシュートまで行っています。
これが究極の小脳を使った無意識の動作です。
インナーゲームの目的は心と肉体の調和を図ることにあります。
(ⅰ)
「セルフ 1(意識)」と「セルフ 2(無意識)」の調和を図り、
「セルフ 1(意識)」の思考、計算、判断、心配、恐れ、
後悔、焦り、といった活動を減速させ、鎮める作業を行います。
その一つは「判断癖」をなくすことです。
たとえば、
「そろばん」を操作しているときは「無心」で操作します。
計算が合っているとか、間違っているとか計算中は考えません。
考えたら「そろばん」の操作は止まってしまいます。
サッカーのシュートの時もゴールの枞を外したらどうしようなどと考えないことです。無心でシュートするのです。
考えると「セルフ 1(意識)」が出てくるのです。
「セルフ 1(意識)」はさらに悪い癖があります。2~3 本、シュートを外すとお前はシュートが下手だと「セルフ 2(無意識)」
に決めつけることです。
「セルフ 1(意識)」が「セルフ 2(無意識)」に下手だ、下手だと言い続けると、
「セルフ 2(無意識)」も下手だと思い
込んでしまうのです。
つまり「自分(セルフ 1/大脳)が考えるとおりの、自分(セルフ 2/小脳)」になってしまうのです。
(ⅱ)単純に上級者のプレーを見ることが上達の第一歩です。スポーツは真似から始まります。
スポーツを「言葉」や「文章」で教え、習うことは非常に困難です。
「セルフ 2(無意識)」にとって「視覚イメージ」は言葉の何千倍もの価値があります。
「セルフ 2(無意識)」は他人の動作を観て、体験することで学習します。
(小脳は観たことを真似して記憶し
ます)動物も見たことを真似して、動作を憶えます。
「セルフ 2(無意識)」の母国語は、視覚と感覚によるイメージです。言語ではありません。
言葉による、過剰なレッスンは肉体的にも、心理的にもプレーヤーの能力発揮を妨げます。
言葉(本)による動作説明は大脳新皮質で理解後、記憶されます。小脳には直接は書き込めません。
その動作を再現する時も大脳で逐一思い出し、小脳と筋肉に細切れの指令を出しながら行動します。
動作が遅くなる原因です。意識的な再現遅れも関与して、さらに動作が遅く、鈍くなります。
(ⅲ)
「セルフ 1(意識)」が「セルフ 2(無意識)」を尊敬できれば(セルフ 1(意識)が謙遜できれば)スポーツは上達します。
「セルフ 1(意識)」は「セルフ 2(無意識)」に、なにをして欲しいかをお願いします。
サッカーなら「シュート」をして下さいとお願いするのです。
「セルフ 1(意識)」がどんなキックでどこへシュートせよ!などと命令を下すと失敗します。
「セルフ 2(無意識)」はシュートをします。シュートは成功したか、失敗したかをそのまま、素直に認めます。
適応制御の記憶系は「右に外した」
「左に外した」
「真中へ行った」という「データ」が必要なのです。
「セルフ 2(無意識)」は「適応制御」でシュートが成功するように制御系を変化させます。
(ⅳ)人間(動物)は「自然習得」の力を持っています。これは小脳の「適応制御」の能力です。
技術指導はこの「自然習得」の力を生かす方向で行われるべきです。
幼児は歩くことを指導されるのではなく、自然に見て憶えるのです。
サッカーはサッカーをすることによって、上達するのです。技術指導はサッカーをするために行われるべきです。
「セルフ 1(意識)」と「セルフ 2(無意識)」の関係は両親と子どもの関係に似ています。
親は子どものやり方を認め、じっくり見守ってやることが大切です。
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(ⅴ)集中力について
「集中」について必要なことは「今、ここで」です。時間的にも今の瞬間、空間的にも今時点の位置で
す。
「セルフ 1(意識)」をリラックスした集中状態に保ちます。
集中力の途切れを引き起こすのは、この先どうなるかという心配や、過去を振り返っての後悔です。
ここでシュートを失敗したら、試合に負けてしまうだろうか、失敗したら皆ががっかりするだろうなという
ようなことです。
こう考えると「セルフ 1(意識)」が働き始め、動作は遅くなり、体の動きはぎごちなくなります。
これを防ぐためには「セルフ 1(意識)」に「黙れ/意識するな」と言わないことです。
「失敗したらどうしようと考えるな!」と言わないことです。
「心配するな、と言うな!」と言わないことです。
「セルフ 1(意識)」と言い争わないことです。
そしてセルフ 1(意識)の注意を「どこかに」別のところに向けるのです。
そのひとつの方法がテニスではサービスされたボールの縫い目をセルフ 1(意識)で見ることです。
ボールの縫い目に焦点を合わせると打ち返す瞬間までボールを見続けるようになるし、今までよりも早い時
点からボールが見えるようになります。
マシンから打ち出されるボールを見ることで、縫い目を見る練習ができるそうです。
集中力が最高に発揮された時のベストの状態をプレーヤーに聞くと「無我夢中で何も考えていなかった」とか、
最近は「ゾーンでプレーしている」とか表現されます。
要はその状態では「セルフ 1(意識)」は存在しなくて、
「セルフ 2(無意識)」だけがいたことになります。
サッカーでは「セルフ 1」の(意識)をキーパーに向けたらよいのではないかと思います。
サッカーの場合、1 点を守りきれ!という指示が監督から出ます。
または守りきるために DF の人間を増やします。往々にして、選手の動きが鈍くなり、かえって失点をす
る場合があります。
選手の動きが、失点したらどうしよう、失点しないように頑張ろうと考えるために、セルフ 1(意識)が働
きだし、動作が遅くなるのです。今まで無意識に小脳で、相手 FW に対応し、反射的にディフェンス出来てい
たのが、大脳新皮質が働きだし、動作が遅くなるのです。
尐年サッカーでもベンチから監督が怒鳴ったとたん、選手の動きが一瞬で固まったように鈍くなることがよく
あります。
監督に言われた通りに、動こうと子どもが考えるためです。
今まで本能的に動けていたのが監督に言われた通り動こうとするため、大脳の動作指令になり、動きが
鈍くなるのです。
NBA バスケットボールのフィル・ジャクソンはこう言っています。この状態がゾーンに入った状態です。
バスケットボールは注意の対象を電光石火の速さで変えていかなければならない、複雑なダンスだ。
澄み切った心でプレーし、すべての選手に注意を注いでおく必要がある。
その秘密は「考えない」ことだ。バカになれということではない。
本能でプレーし、思考作業で邪魔しないことだ。あるがままにプレーさせることだ。
すると全体が一つに調和する。
ある瞬間に完全にのめりこみ、自分がやっていることと、自分が一体になる。
前に記載した、猫の動作を思い出して下さい。この猫の動作が「今、ここに」です。
失敗したらどうしようとか考えていません。
「今、ここに」に状態で集中しています。
ライオンが縞馬を捉えるときも同様です。
「今、ここに」に状態で集中しています。
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4.3.2 速く見る、速く行動する訓練
呉真由美さんが「脳を活性化する速読メソッド」という本を出しています。
彼女は「速読」とは速く読む技術ではなく、
「速く読めている状態」だと言っています。
速く読むためには「脳を活性化」すればよい。「脳を活性化」する方法が「速読法」だと言っています。
そのためには「速く読める」
「速く読んでよい」と信じて「ブレーキを外していく」
そのためには頑張らずに、適度に力を抜く必要があると言っています。
私は「ブレーキを外していく」を「意識を使わなくする」
「小脳を使う」ことだと解釈しています。
意識を使わないで「小脳で読む」方法をとれば本が速く読めるはずです。
読書には3つの種類があります。
① 音読(声に出して文章を読みます。一字一字、文字を声に変換していきます。)
② 黙読(声に出さず、読みます。一字一字、音読と同じように読みます。読む速さは音読と変わりません)
③ 目読(目で文章をパターン化して読みます。一字、一字の文字を追うより、パターンとして読むので速く読めま
す) 速読とはこの目読を行う方法です。
言語、文字を処理しているのは大脳の左脳です。
読書という行為は普通、大脳新皮質の左脳で行っていると考えられています。
文章の連なりをパターンとして読むと考えると、通常は右脳を使うと考えると思います。
文献には見当たりませんが、私は小脳でも、パターンとして、文章を読むことが出来ると考えています。
小脳には「言語」を担当する部分があります。
ここには言葉をしゃべる能力だけでなく、文法や言葉の概念を変換する能力があります。
ですから小脳に「速読するという内部モデル」できれば、パターンとして読むことも可能となるのです。
「脳を活性化する」すると言っても脳の場所によって方法が異なります。
呉さんは脳を活性化するためには、頑張らずに適度に力を抜くのがよいと言っていることから、
呉さんの「速読法」は小脳を活性化し、大脳の前頭前連合野の活動は静かにしておく方法だと考えています。
イチローもこういっています。
「ボールを見ようとしてはいけない」
「ボールを見ようとする」と普段の自分の動きが全て遅くなってしまう。
「見ながら感じる」のが正解だと。イチローも呉さんの考え方と同じ、小脳を活性化し、小脳を使う方法を体得し
ているものと考えます。
ちなみに、川島隆太さんは「音読で脳力が育つ」という本を出しています。
この「音読」の場合は「文字を目で見て」
「文字を声に出して」「その声を耳で聞いて」
「意味を理解して」
「意味、文章を記憶する」という大脳新皮質の全域を使った活動を行います。
この「音読」の方法で大脳を活性化し、脳の力を育てます。
「大脳」を活性化させるには「意識」を大いに働かせます。認知症の防止にはこの方法が有効です。
速読とサッカーがどう関連するか不思議かもしれません。
呉真由美さんは 40 代の華奢な女性ですが、150km/h の速球を打てるのだそうです。
(ネットで「呉真由美」を検索するとその様子がご覧になれます)
バッティングではボールを眼が捉え、その情報は視神経を通じ、脳に伝達されます。
脳はバットを振れという命令を発します。その信号が体の筋肉に伝わり、バットが振られるわけです。
呉さんは野球の素人なのでバットを振る動作は遅いはずです。
しかし速読で脳を鍛えているので、眼がボールを捉えてから(小脳でボールを見る?)、脳(小脳?)が命令を発し、
バットを振り始めるまでの時間が速いのです。
呉さんは尐年野球チームのこどもたちにも「速読」を指導されていますが、野球の上達にも間接的に役立ってい
ると感じておられるそうです。
「速読」の訓練は、速読という「内部モデル」を小脳に作り、視野を広くする訓練、眼を速く動かす訓練、
見たものを小脳に送るルートを活性化させる訓練をするということのようです。
「速読」の訓練は本文章のテーマ「脳科学に基づくサッカー指導法」に重なるものがあります。なお、呉さんは「スポ
ーツ速読 BOOK」という本を、さらに出版され、スポーツに対する速読の考え方を示されています。
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4.4 指導方法の改善
小脳の記憶のしかたは「神経線維」の結合を遮断(抑制)する方法です。
木彫りの像を作るように目的の機能を削りだしていきます。
小脳には 5 千~5 万(平均 1 万)個のマイクロコンピューターがあります。
サッカーをする時、1000 個のマイクロコンピューターを動員すると仮定します。
マイクロコンピューターは個別に動作するものもあれば、全体の制御をするものもあります。
ピラミッドのように階層を作って制御すると思われます。
この考えから、サッカーでも、最初は全体を大まかに作り、全体のバランスを崩さないように、徐々に精度を上げて
いきます。
木彫りの像も荒削りの状態からだんだんに細部にわたって作り上げます。これと同じ考えです。
足だけ、手だけを詳細に作る手順を踏んではいけません。
サッカーではドリブル、フェイント、リフティングと練習して、出来るようになったら、ゲームを開始するのではなく、
ゲームをしながらドリブル、フェイント、リフティングを練習します。
そして、11 歳までに、大雑把でも、出来るだけ、脳の範囲を広く使うように仕向けます。
この理由は 11 歳までに脳の部品を使わないと、その部品は大人には不要な部品とみなされ、捨てられてしま
うからです。
脳もエネルギーの効率化を常に考えています。不要な部品は「リストラ」されてしまいます。
子ども時代は大人のモデルハウスを作っているような状態です。
子どもの時、使われない部品は大人になっても不要だとみなされて、捨てられてしまうのです。
子どもの教育が大切なゆえんです。
4.4.1 年代別の指導方法
全般
「カバの母さん、賢い母さん」泳ぎを教えずに泳がせる、
カバの母親が、自分の子どもに、生まれて初めて泳ぐこと教える場面に遭遇しました。
カバは水面下に潜り、水中で休憩した後、20 秒ほどして、浮き上って呼吸する習性をもっています。
浮き上がる時は水底を後ろ足で蹴って浮き上がります。カバの呼吸はこのようにして行われています。
母親のカバは地上で子どもを遊ばせていました。そこで鼻先で子どもを押していき、水の中に押し込みま
した。子どもは水の中に沈んでしまって、浮いてきません。
しかし母親は落ち着いた様子でゆっくり水の中に入って行きました。
沈んでいる子供のそばに行くと鼻先を器用に使って子どもを押し上げ呼吸をさせました。
この間、約 20 秒、子どもは呼吸をしましたが、また沈んでしまいました。
母親はまた同じ要領で、同じ時間で、子どもを浮かせました。
その後は、母親は子どもの面倒を見ませんでした。
子どもはまた沈みましたが、今度は自力で底を蹴って、浮き上がってきました。
カバの親子の水泳訓練はこれで終わり、成功したのです。
子カバは、今出来たばかりのテクニックを何度も繰り返して練習していました。
大雪山の森にすむ、
「えぞりす」の訓練は次のようなものでした。
「母りす」は「子りす」の眼の前で、枝から、次の枝に飛び移ります。
「子りす」に真似することを促すように、また「子りす」の元に戻ります。
また同じように、
「母りす」は次の枝に飛び移ります。
「子りす」はそれを真似て次の枝に飛び移りました。これで母親の指導は終わりです。
人間の子どもにもこのような「自然習得」の力が備わっています。
子どもにはサッカーのプレーを見せて真似することを促せばよいのです。
言葉の説明は不要です。これがゴールデンエイジの学習方法です。
この学習の原理は小脳の項で記載した、適応制御系の学習するコンピューター(パーセプロトン)と同じです。
模範を見せ、運動をトライさせ、結果を確認させるだけでいいのです。
それだけで、適応制御系の能力を使い、子どもは自然に学習していきます。
子どもには、サッカーができる環境を与えれば、適応制御でサッカーを自然に学んでいきます。
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サッカーをすれば、子どもはサッカーモデルを小脳に自然に作っていきます。
近代文明は車、飛行機、テレビ、エアコンなどを作りだしました。
それを作り、動かすために、石油や石炭を掘り出し、燃やして炭酸ガスを発生させ、大気に吐き出し、大気を
汚染させています。
生物である、人類として、長い間、培ってきた「生きるための知恵」を現在、日本人は失おうとしています。
それは「自然」を大切にし、自然のおかげで人間は生かされているという精神です。
一番の犠牲になっているのが子ども達です。
子どもは動物から人間に移行する(成長する)過程にある動物なのです。
動物(こども)には自然環境が必要です。
その自然環境を子どもに与えられなくなりました。
・環境が危険で外遊びが出来なくなりました。
・テレビやテレビゲームで遊ぶようになり、自然に触れる機会がほとんどなくなりました。
・環境が分断され、子ども同士で遊ぶ機会がほとんどなくなりました。
群れを作るという本能が満たされなくなりました。
・古来の日本の道徳を否定し、欧米を模範とする教育により家庭、学校、社会での躾が不十分となりました。
私たち、街のサッカークラブでは「遊びの環境を作る」の第一にする必要があります。サッカーは二の次です。
サッカーの学習順序について
サッカー発祥のイギリスではボールを蹴って、村から村へ、運ぶのがサッカーの始まりです。その中にボールの奪い合い
がありました。サッカーがルール化された、初期のサッカーはドリブルだけだったそうです。
日本でも、サッカーの進化の軌跡に倣って、こどものサッカー習得の始まりはドリブルと考えるべきでしょうか?
そして 1 対 1 の闘いから始めるべきではないでしょうか?
それともスペイン流のパスサッカーを一挙に、こどもにもさせていくべきでしょうか?
池上正さんも村松尚登さんもスペインのサッカー、特にカンテラのサッカーを見て、勉強をされて来ました。
勉強の結果、パスサッカーをこどもにも指導すべきであるとの意見です。
J ヴィレッジ FC の小原氏は同じスペインでコーチしながら、勉強をされた方です。
小原氏は、日本の子どもは戦術指導をすると、個が委縮してしまう傾向がある。
戦術よりも個人の精度を高めていくべきだと述べられています。
私は、パスサッカーの指導には、一つの条件が必要だと考えています。
パスサッカーはこどもの小脳の中にパスサッカーの「サッカーモデル」を作り上げることになります。
小脳は抑制方式(回路の切断)で記憶していきます。間違えて教えると修正が非常に困難になります。
常に良いモデルを見せ続けることが絶対条件になります。
この条件を満たせることができるのは J の下部組織のようにジュニアからトップのチームまでを持て、
グランドがトップチームと共用ないし、そばにあることが必要です。
先の村松尚登さんも、私たちのようなクラブでは「サッカーモデル」を作るのではなく、「サッカーの本質」を習慣化す
るトレーニングをすべきだと言われています。
「サッカーの本質」とは「サッカーの定義」のことです。
そして「サッカーはサッカーをすることで上達する」ということです。
村松さんの言われる「習慣化」はこの文章で言っている「小脳に記憶」させることと同じ意味です。
小脳の「適応制御」のことです。
私が携わっているような街の小規模なクラブでは、J の下部組織のような、環境を作るのは困難です。
それよりも、クラブの中の練習でストリートサッカーを現出させてやるべきだと考えています。
こどものサッカーを観察していて、こどものサッカーでも最後はドリブルで切れ込んでいくような選手がいないとな
かなか得点にならないと感じています。
ストリートサッカーと練習を併用していくべきと考えています。
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無意識の動作、とっさのプレーは「相撲」の例に見られるように、1 対 1 の格闘技に現れやすいようです。
剣術や柔道でもそのようです。1 対 1 の練習を積極的に取り入れます。
10m ぐらい離して、線を引き、そこをゴールとして 1 対 1 をします。
敵がいて、その敵から自分のゴールを守りつつ、敵のゴールを狙う。サッカーのフラクタルになっています。
そして、1 対 1、2 対 2、3 対 3 と徐々に人数を増やして、ラインサッカーを行います。
同じ 2 人でする対面キックではキックの練習にはなっても、サッカーの練習にはなっていないと思います。
技術練習について
サッカーは主として、足を使ってプレーをします。足が思うように動かないからサッカーが複雑系となり、
次のすべきプレーが予測しにくくなる一因となります。
足を使うがゆえに生じる「不規則性」を出来るだけ排除できるように練習します。
技術の習得とは「小脳の内部モデルⅠ型」を完成させることです。
筋肉骨格系のモデルを小脳の中に作りこみます。
筋肉骨格系のモデルはその課題を試行することにより学習され、小脳に記憶させます。
大人の場合は前頭前連合野に知識をいれ、繰り返し練習して、小脳に記憶させ、無意識に出来るようにし
ます。さらに理想のプロファイルを小脳が記憶するまで訓練(不要な動作をそぎ落とす)します。
子供の場合はよいフォームを見せ、それを繰り返し練習させて、小脳に記憶させます。
タイガーウッズは幼児のときから繰り返しスイングして練習しているからパーフェクトなスイングが「小脳」に入っていま
す。ウッズは必要な情報(風、距離等)を頭にインプットしたら完全に大脳の新皮質の情報を断ち切り、小脳の指
令だけでスイングするのだそうです。
野球のイチロー、マツイも幼児のときから父親の特別訓練を受けていたと聞いています。
イチローは 3 歳の時、おもちゃのバットとボールを持ち野球遊びを始めました。
小学校に上がる頃には木のバットと軟式ボールで週 4,5 回野球の練習をするようになりました。
小学校 3 年生の時から本格的に野球の練習を始めました。
これからは 1 年に 360 日以上も練習する日が続いたそうです。
バッティングセンターでは 1 日に 250 球も打ち続け、中学 3 年の時には時速 150 キロに相当するボールを打てるよう
になっていたそうです。
サッカーでも「技」といわれる部分(キック、ボールコントロール、ドリブル、フェイント等)は小脳の動作であり、数多く練習す
ることにより身につくものと考えます。
リフティングとコーディネーション
リフティングの目的は運動神経(小脳の発達)とボールコントロールの向上にあると考えています。
① 上下動でぶれない視野、人間の視野は横方向で 180 度、上下方向で 120 度と上下に弱い構造になって
います。インステップ→ヘッド→ももの順のリフティング、頭より高く上げるリフティングを行い、上下動に強くしま
す。
② 右、左のインステップを交互に使いリフティングを行なうことで2軸動作を習慣づけます。この2軸動作はドリブ
ルの左右のダブルタッチでも身につきます。
③ 左足のリフティングで左足キックの導入を図ります。
④ インサイド、アウトサイドの連続切り換えで体のひねり、俊敏性を養います。
⑤ 2人が 20m 離れてボールを落とさないようにリフティングとキックを行います。私はこれができることを中学
生のボールコントロールとキックの精度の目標としています。
⑥ 2 人のリフティング、3 人のリフティングを行い、試合の中で生じる場面に近い状態を作っていきます。試合の
なかでわざと浮かせて相手を抜いていけるような子供を育てたいと思っています。
このリフティングの練習は 4.3.2 項の速読の練習と同じ、見る速度を上げる、小脳の動作でプレーすることにつ
ながると思っています。
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(1) U8時代の指導
U8 ぐらいまでの子ども達をやる気にさせるには子どもたちの特性を刺激してやることです。
その特性とは次です。
子ども達のスイッチをonにするには(鹿児島県の保育園理事長、横峯吉文氏、女子プロゴルファー、横峯さくらの伯父)
・競争をしたがる。―――競争させる。順位をつける。
・真似をしたがる。―――良い見本を見せる。
・ちょっとだけむずかしいことをやりたがる。―――尐しうえのレベルを目指す。
・認めて欲しい。―――出来たか聞いてやる。リフティングはできたか。ドリブルはできたか。
運動会でも順位をつけるな!などと変な雰囲気が蔓延しています。
子どもたちを一番活性化させるのは競争させることです。
その場限りの競争は消して悪いこととは思いません。
勝ち負けがあるから楽しいのです。楽しさを優先します。
サッカー大好き尐年を育てます。
楽しく、遊べるようなゲームを工夫します。
サッカーゲームなら尐人数(5 人以下)のミニゲームです。
外遊びの時代、運動神経の芽を作る、サッカー以外の遊びを積極的に取り入れます。
サッカーではドリブル主体、団子サッカーが基本と考えます。
子供達がサッカーを継続していくようにしむけるのが最も大きな課題と考えています。
「パスは教えない、試合でもパスしろと言わない」のが必要と考えています。
樹木に例えれば、根を張らせる時代、サッカーの根を張らせる。
まだ花を咲かせたり、実をならせたら木が枯れてしまいます。
(2) U10時代の指導
ゴールデンエイジと呼ばれる「即座の習得」が出来る時期です。
即座の習得とは見たもの、すぐに真似して憶えていけることです。
サッカーを本格的に指導し始める時期です。運動神経の芽を作り、細かく数を増やします。
ドリルのサッカー練習はドリブルとリフティングを主としますが平面的なドリブルを多く、リフティングは神経系の発達を促す
程度と考えます。
ドリブル/フェイント/ターンは一体のものと考えています。
ドリブルはコーンを通過するコーンドリブルでボールを運ぶ技術を身に着けます。(ボールマスタリー)
ドリブル/フェイントはいろいろなものを多く行います。
4 年生では得意な技(習熟)はあまり重きを置かないで、それよりも種類を多くして神経を作るようにし
ます。
また自分の知らないフェイントには対応できません。そのためにもフェイントの種類を多く憶えるようにします。
ドリブルは5年生を一応の完成の目標とします。
リフティング(浮き玉のボールコントロール)はドリブル/フェイントよりさらに、時間がかかります。
この時期からいろいろな種類のリフティングを行う必要があります。
個人のリフティングの一応の完成の目安を6年生に置きます。
2人でのリフティング、3人でのリフティングなどは中学生での完成をめざします。
日本のサッカーに不足しているのが浮き玉のボールコントロールだと思います。
コントロールとは単なるボールストップ(日本ではトラップと呼ばれることが多い)ではありません。
コントロールとは入力と目標とフィードバックが必要です。
右からセンタリングされてきたボールを胸でトラップ、右足ボレーで蹴りやすい位置に落とす(目標)。
本当に蹴りやすい位置(目標)から、ボールは尐しずれます。
そのため、体の位置や蹴り足を修正(フィードバック)してシュートします。
右から来る、ボールを直接(ワンタッチ)シュートするとこのフィードバックができません。
いわゆるオープンループの予測制御になります。
直接、シュートすると外れやすく、難しい原因がこれだと思います。
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小学生5年生の秋ごろまではパスは積極的には教えないで1対1のゲームを多く取り入れます。
その理由は、高学年になり、味方を使うことを憶えると、1対1を真剣にやらない子供が出てきます。
日本人の精神性では目の前の相手をコテンパンにやっつけるということにためらいを感じるようです。
4,5年生ぐらいまでは負けると泣く子が出るくらい真剣に1対 1 ができます。
パスを先に教えてしまうと、1対1の練習が真剣に出来なくなる、恐れがあると考えています。
練習日には自由なミニゲーム(4 人以下)を必ず行います。ミニゲームの中ではパスを自由に使います。
しかしできるだけ積極的に 1 対 1 を仕掛けるように仕向けます。
ここまでは「1次元」
「線」1人称「僕、私」の世界ととらえています。
(3) U11時代の指導
5 年生の秋、10 月ごろまでは 4 年生と同じ考えで練習します。
5年生の秋ごろからパスを教え始めます。ドリブル、リフティングは当然継続して指導します。
1 対 1 の比重を尐なくして、2 対 2、3 対 3 の比重を多くしていきます。
壁パス、オーバーラップ、スイッチ(クロスオーバー)
、スルーパスを指導します。
ロングパスやセンタリングの指導はしません。
理由は味方がいて、相手(敵)がいることを意識出来るようになるのがこの頃だからです。
それまでは目前の相手(敵)は当然、妨害者として意識しますが、味方を使うという意識がありません。
意識できない子供にたいして、無理に味方を使って楽に抜いていくような指導をすること(従来の
日本の指導方法)には1対1が弱くなるという弊害があると考えています。
この頃にほぼ子どもとしての、脳の発達は完成しています。
小学生5年生中頃(11歳)までが肉体的に子供的に安定しています。
この時期を過ぎるとオズグットに代表される成長期に伴う障害が現れ始めます。
また小学生の指導をしているクラブでは6年生が集大成です。
何らかの成果を挙げないと子供達のモチベーションはもちろん、指導者のモチベーションも上がりません。
指導者のモチベーションが上がらないとクラブの継続、発展につながらなくなります。
サッカーとはパスゲームであるといわれています。パスを使った展開ができないと勝つことができません。
また自分に出来ないこと(パスの展開)を相手がやってきた場合はそれに対応(守備)ができません。
小学生でも同じことが言え、パスが使えず、パスに対応できないと勝つことが出来ません。
6年生で成果を出すための、ぎりぎりのパス練習の開始時期が5年生の秋から冬にかけての時になります。
私の経験から言ってこの時期にパス練習を始めても 6 年生で勝てるようになります。
パス練習というとパターン練習に代表される試合の中での決め事を強制する練習が昔は主でありました。
さすがに現在では子供のサッカーにパターン練習を行っているチームはなくなったかと思われます。
しかし 3 年生ぐらいからパス練習、キック練習を行っているクラブも多く見受けられます。
どの子供の指導書を見てもポゼッション(ボール保持)と呼ばれるパスのパターン練習はいっぱい書かれています。
子供の頃からこのポゼッション練習で鍛えられている日本代表はポゼッションのパス回しをさせたら世界一かもし
れません。
しかし後ろでばかりパスを廻して、突破のパスが出来ないとの批判がありますね!
この練習方法には大きな欠点があります。それは攻撃方向がない。ゴールがないことです。
サッカーはゴールを目指す競技です。攻撃はゴールを目指し、ディフェンスはゴールを守るのが基本です。
私はこの修正のために 2 対 2、3 対 3 のラインサッカーを主として行っています。
ラインサッカーの長所は蹴ってしまってはゴールにならないことです。
自然にドリブルとパスを使って攻めるようになります。1対1の要素も多く入ってきます。
勝ち負けがあります。勝敗があるので、子供達のモチベーションが上がり、指導も楽になります。
試合のなかでの、ポゼッション(ボール保持)の意図を小学生に理解させるのは困難です。
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(4) U12時代の指導
子どもの脳が完成している時期です。大脳、小脳の運動機能はもちろんのこと、大脳新皮質の頭頂葉にあ
る、知覚、認識、理解の領域の連合野はほぼ完成に至ります。
時間、空間の認識能力も完成してきます。
6年生の秋、10 月ごろまでは5年生とほぼ同じ考えで練習しますがさらに、2人でのコンビプレー、即ち、
壁パス、オーバーラップ、スイッチ(クロスオーバー)、スルーパスを重点指導します。
第3の動きはまだ指導しません。
ドリブル、リフティングは当然継続して指導します。
6年生の秋ごろからロングパスを尐しずつ教え始めます。
ロングパスを使って攻撃してくるチームがあるので対応のためにも必要になってきます。
6 年生は小学生だけ指導しているクラブにとって集大成の時期です。
ドリブル、リフティングを中心にさらにパスと系統的に指導しているならばある程度結果(勝利)をめざし
ても弊害は尐ないし、かえって効果(個人の上達)があるように思えます。
その理由はなぜ試合に負けたのか?勝てたのか?分析しやすいからです。ドリブルで負けたのか?
1対1で負けたのか?パスが出来なくて負けたのか?コントロールが悪くて負けたのか?
ロングパスを使った展開でやられたのか?ランニングの速さで負けたのか?キックの強さ、精度で負けたのか?
分析ができれば修正のフィードバックができます。
ロングパス、ランニング、キックの強さ、第3の動きで負けたときは指導していない問題と負けを許容し、あきらめ
ます。
小学6年生までの目標はドリブル、フェイント、1対1、ショートパスの完成です。
「2次元」
「平面」2人称「私/貴方の関係」ととらえます。
1人でやるリフティングは6年生でほぼ完成することをめざします。
練習の中でのゲームは小学生全体を通じてミニゲームが主体です。
1対1、2対2、3対3、ここまではラインサッカーないしグリッドを用いたサッカーを行います。
4対4、5対5はミニゴールを使います。尐年用ゴールを使った8人制サッカーも行います。
子供たちはゲームを楽しみに練習に来ています。
またこのミニゲームの中で自然にサッカーの基礎知識を身に着けていきます。
教える以上のことを自然にミニサッカーのなかで身に着けていきます。
このことを指導者は意識していないといけないと考えます。
私たちはストリートサッカーの環境を作ってやればよいのです。
ブラジルのサッカーはそのようなミニサッカー(ストリートサッカー)から生まれてきていることを考えるべきです。
(5) U13時代の指導
子どもの脳から大人の脳に変わり始める子が現れてきます。しかし大半は子どもの脳のままです。
指導をして感じたのはこの年代は成長の個人差があり、バラツキが非常に大きいということです。
思春期に入った子が多数派を占める年度の時もあれば、小学生のままの子が多数派をしめる年度のことも
あります。
当然のことながら、同じ学年の中でも大人に近い子もいれば、小学生のままの子もいます。
レベルの低い子に全体を合わせるのではなく、レベルの高い子に全体を合わせる原則に従えば、成長の早い子
に、全体を合わせる練習をしていきます。
中学1年生は小学生 4 年生と同じようにあまり結果を求められない時期に当たるので基本に立ち返って
指導ができる時期です。
ただサッカーの環境は大きく変わり、ボールが4号球から5号球へ、グランド広さが正規の大人のサイズ、
ゴールも尐年用の 5m から 7.35m に変わります。
まずはボールの大きさ、重さに慣れることから始めます。
なれないうちにロングキックを多用すると故障の原因になります。
ボールの大きさに慣れるまでは小学生の練習と同じでよいと考えます。
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(6) U14時代の指導
大多数の子が思春期を迎え、子どもの脳から大人の脳に切り替わる時期になります。
指導者の対応が一番難しい時期です。両親でさえ、子どもと対話ができなかったり、行動の把握が困難な
時期にあたります。
この時期は過去の体験や習い覚えた知識(記憶)をもとに「判断」をするという能力が出来てきます。
小脳に記憶したことの意味がわかってきて、それをもとに判断が出来るようになるのです。
そして、前頭葉にある、意志、意欲、創造、企画の領域も発達してきます。
サッカーをする、練習をするという行動の推進力が情動(本能)から意志に変わってくるのです。
中学の部活での最大のガンは一生懸命練習をしようとする子を冷ややかな目で見る子どもの存在です。
なぜそんなに一生懸命、練習するの?バカじゃない!という冷やかしの眼です。
大人社会の反映かもしれませんが、この種の子が混じっていると指導は難しいものになります。
この行動は、前頭葉の意志の働きがマイナスに作用した場合です。子どもの時は情動(本能)で動いているの
で、この行動は現れません。
意志の働きは活動を増強するようにも、活動を抑制するようにも働きます。
増強するように働くのが、
「やる気」
「意欲」「創造」の精神であり、抑制するように働くのが「我慢」「忍耐」
「抑圧」「抑止」の精神です。
この抑制の精神を自分に向けるのが「克己」という自分の弱さに打ち勝つことです。
自分の弱さに打ち勝てないものだから、他者もその弱さに巻き込もうという態度です。
自分が艱難に耐えられないので、それに耐えるべく努力しようとする者を冷やかすのです。
一生懸命、練習する子が主力をなしているならば、子供達に必要性を説明すれば、本人が理解して取り組
むことができます。
この状態になれば、素走りのようなつらい練習も自主的に行えるようになります。
一生懸命、練習する子が主力でなければ、まずこの雰囲気の打破から始めます。
これが出来なければ部活の活性化はあり得ません。
部活の顧問の先生が常に目を注いでいられれば良いのですが、現在の中学校ではそれがなかなか困難です。
中学生の年代では「大人に見られている」ということが必要であり、
「冷やかしの眼」を正常な子どもか
ら遮断することが必要だと感じています。
反面、意志の力「やる気」
「意欲」の強い子はとことん頑張ります。
夏の大会では試合が終了したとたん、ばったり倒れ、過呼吸に陥る子まで出てきます。
指導者としては十分に気をつけなければなりません。
(7) U15時代の指導
思春期を終えた子が多数派を占めるようになり、やや安定した状態になります。
しかし、中学校の部活は夏の選手権で終わりになります。
都大会に出場できなければ 6 月でサッカーの部活は終了します。
幸い、都大会に出場できても 7 月で部活動は終了です。
中体連の部活動ではこの制約から逃れられません。
街のクラブ、学校の部活が目指すのはサッカーの普及でやむを得ないのではないでしょうか?
世界のトップ 10 を目指すには、クラブ単位の、特にJクラブの活動が重要です。
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4.4.2 遊びのサッカーのすすめ
西欧のスポーツは誤解を招くのを承知で端的にいえば「遊戯」すなわち「遊び」です。
日本では西欧のスポーツを体育、すなわち「教育」として取り入れました。
ここに大きな違いがあると思います。
サッカー発祥の地のイギリスではフットボールは村対抗のお祭りとして始まりました。
それにフットボールという、ルール付けをしました。フットボールが船員さんの遊びとして世界中に広まりました。
日本では学校教育の一環としてフットボールを蹴球(サッカー)として取り入れました。
遊びのサッカーでは「楽しさ」が優先します。
教育のサッカーでは「心身鍛錬」が優先します。
遊びのサッカーでは「考えない」でボールや相手と戯れます。この動作は「小脳」の動作が主となります。
情動が起因となる行動です。大脳であれこれ考えていたら、楽しくありません。
教育のサッカーでは「こうしなさい」
「ああしなさい」と大脳で考えさせます。
西欧人が小脳を使ってサッカーを行うのに対して、日本人は大脳を使ったサッカーを行っているのです。
体力的な不利があるのに、さらに大脳を使う遅いサッカーをするようになってしまったのです。
この表れとして、日本くらい、戦術から技までの、サッカー指導書が大量に出回っている国はないのではないでし
ょうか?
本からの指導はまず、大脳を使った指導になります。
サッカー先進国はストリートサッカーから始めています。
まず、日本サッカーも遊びの、小脳を使ったサッカーに立ち戻る必要があります。
本来、日本人は小脳を使った思考が得意なはずです。このほうが判断が速くできます。
いわゆる、直観的、感性的なサッカーをもっと重視するのです。
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4.5
進歩を阻害する日本的要因と対策
4.5.1 日本の尐年サッカーの環境について
私は日本の尐年サッカー(小学生まで)は諸外国に比べても、大人の良いサッカーを見せる環境が無いことを除けば、
悪くない指導をしていると思っています。
私は中学生以上、高校から大人のサッカー指導、サッカー環境のほうに大きな問題があると考えています。
(1) 招待大会は日本の尐年サッカーの文化のあらわれ
私の身の回りの尐年サッカークラブでは招待大会が頻繁に行われています。
これは日本サッカー協会が尐年のサッカーにほとんど関わってこなかったためです。
日本サッカー協会傘下の、東京都サッカー協会でも 6 年生では、トーナメント形式の全日本尐年サッカー大会とさわやか杯しか主
催していません。これだけでは絶対的に試合数が不足します。
そのため、地方自治的に、民主導的に招待大会が発達しました。
地方自治的にとは、青梅市サッカー協会とか羽村市サッカー協会が尐年サッカー大会を主催して、招待大会を開きます。
民主導的にとは、各クラブ単独で招待大会を開催することです。
この種の招待大会の良いところは、招待ですから自分たちの街のレベル、クラブのレベルにあった相手チームを選択し
て、招待出来ることです。“おもてなしの心”で招待します。“感謝の心”で招待を受けます。
どんなに小さな大会でも優勝して、カップをもらえることは、子どもも大人(指導者や保護者)もうれしいもの
です。
私の周辺のクラブでは 1 学年、1 チームの人数(15,6 人)を確保するのに苦労しています。
ベンチに控えでいて、試合に出られない子はけがなど特別の事情のある子に限られます。
ここへきて、日本サッカー協会は U12 のリーグ戦化を打ち出してきました。
多分、スペインで尐年サッカーも年間を通してのリーグ戦を行っていることを真似して取り入れようとしているのだと
思います。その狙いはなにか?三つあると思います。
一つはトーナメント(ノックアウト)方式の試合ではベンチにいて、試合に出られない子が増えるという理屈です。
これは先ほど、述べたようにセレクションが出来るような強豪チームに限られるます。
または高校のチームなどで、大部分の尐年サッカーのチームには当てはまらないように思います。
もうひとつは、リーグ戦にして試合数を増加させることです。
単に試合数を増加せることが目的なら反対です。私のクラブは毎年 6 年生チームが年間 100 試合以上(08 年、176
試合、07 年、102 試合、06 年、131 試合、05 年、137 試合)行なっており逆に制限が必要になっております。
近隣の中堅どころのチームは似たような状態だと思います。
いずれにしろ何らかの試合数の減尐策を講じないと逆に子供がつぶれてしまいします。
拮抗した相手とのリーグ戦をつくり、拮抗した試合を増やす。
連盟など中央の指示で、レベルの拮抗したチームを選び、組み合わせるのは難しい仕事になります。
クラブ同志の招待大会や練習試合は暗黙のうちにレベルの拮抗したチームを選びあっています。
30 年以上も活動しているのですから、近隣の似たようなチームはお互いにわかり合っています。
日本の社会ではこの“暗黙のうち”が重要なのです。公の会議でお宅のチームは弱いから、下位リーグですと、
なかなか、言いにくいのです。従って、平等に抽選ということになりがちです。
正直なところ、拮抗した相手との試合を行うためだけなら、尐年サッカー連盟などの中央の関与は不要だと思いま
す。
村松尚登さん書かれたスペインのサッカー文化、すなわち「リーグ戦文化」と比較しても、日本の尐年サッカーにおける、
「招待大会文化」は务るものではないと思います。
6 年生の大会は年間、15~16 回もあり、その都度優勝を目指して頑張ります。
リーグ戦では年間に 1 チームの強豪チームの優勝しかありえません。
比較的、力の拮抗したクラブ同士が招待をしあって大会を開けば、あまり強くないチームでも優勝のチャンスが出てき
ます。
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昔の村落単位の文化に共鳴したしたような「招待大会文化」を安易に日本サッカー協会のトップダウン方式に変更しよ
うとすると、日本の尐年サッカー文化を瓦解させる心配があります。
招待大会を主催するには、地区のサッカー協会でも大会運営や組織の維持に役員の努力が不可欠です。
クラブ単位でも大会運営や組織の維持に、コーチや保護者、役員の一致協力が必要です。
要は一番、根っことなる、尐年サッカーの自主運営をする、組織の維持に役立っているのです。
本来、日本の組織はトップダウンにむいていません。草の根的、団塊的組織が一番力を発揮します。
私のクラブでも、会費は大会参加費などクラブの運営に必要最低限のものしか集めていません。
コーチはすべてボランティアの自弁当です。
昔の村落単位の文化に共鳴したような、と言えるのは活動の中
心の場所である、サッカーグランドが地区の施設であり、小学校の校
庭だからです。特に多いのが、小学校の校庭です。
校庭が学校開放のシステムで使えるからです。
卒業時期には“卒業記念の招待大会”を行います。
卒業生を送る会では 6 年間で獲得したトロフィーを並べ、健闘と思
い出を語り合います。
そしてトロフィーなどは、最後に記念品として、抽選で子ども達に
分け与えます。子ども達とコーチや保護者が一体となって楽しみ
運営出来ているのは私たちのような尐年サッカークラブが一番です。
中学生の部活に関与してみて、それを痛切に感じます。
(2) 尐年サッカーに全国大会はいらない?
ブラジルでは尐年サッカーの全国大会があったとき、優秀な選手が育っていないというデータに基づき、全国大会を廃
止したそうです。前述の「サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法」による。
日本でも全国尐年サッカー大会と高校サッカー選手権はサッカーの普及に大いに役立ったと思います。
そろそろ普及の時代は終わって、レベルアップの時代ではないでしょうか?
尐年サッカーの全国大会は廃止、ないし縮小すべきと思います。 隗より始めよ!の言葉があります。
J リーグの下部組織のチームが全国大会出場を遠慮することから始めたらとよいと思います。
J リーグの下部組織のチームが全国尐年サッカー大会優勝を目指してトレーニング(チームの成績がコーチの成績に直結する?)
するので、J リーグからよい選手が育たない(高校からのほうが育つ)傾向があるように思います。
高校の方が、年齢が高く、指導経験が豊富な指導者が多いのも一因かもしれません。
J の下部組織が出場しなくなれば、一般のクラブチームの熱が上がります。
この方が高校選手権と同じように、いろいろな個性のあるチーム(子供)が育つように思えます。
全日本尐年サッカー大会ではJの下部組織のチームに街のクラブが勝てる可能性はほとんどありません。
Jの下部組織のチームは広い範囲から子どもを集め、セレクションをして、チームを作っているのですから当然のことです。
私たちのクラブでは何年かに一度現れるような、優秀な子を集めているのです。
同じ土俵で戦うのがおかしいのです。
(3) 8 人制サッカーについて
日本サッカー協会は尐年サッカーを 8 人制にするよう、しきりに唱えています。
一番の理由は FIFA が 8 人制を推奨しているからです。
8 人制のほうがバイタルエリアでの攻防が激しくなり、そこに関わる人数が増す、というのが技術、戦術的根拠です。
私も 8 人制のサッカーに賛成しています。実際に、8 人制と 11 人制のサッカーを見て、比べて、8 人制のほうが優れ
ていることを実感しています。
小学校の校庭の多くは 11 人制のサッカーには狭すぎます。
11 人制のサッカーではゴール前に人数が集まりすぎ、ドリブル突破、ショートパス突破が難しくなります。
しかし、全国尐年サッカー大会が11人制で行なわれている間は、8人制サッカーは普及しないと思います。
トップを目指すのが普通の人、普通のクラブの心情だからです。
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4.5.2 いま取組むべき改善は? 中学生以上に対して
私は日本のサッカーでは小学生が一番うまく運営されていると思います。
早急に改善すべきは小学生ではなく、中学、高校、一般の方だとおもいます。
(1)街のクラブ
中学生以上になると、草の根的、団塊的な組織が無くなってきます。
街のクラブと言われるものも、会員(選手)の会費でコーチの給料を捻出する、営利団体になります。
もうひとつは中学校体育連盟(中体連)に所属する、学校のクラブ活動(部活)です。
街のクラブは「ある特定の発起人」がいて、その人を中心に動いています。いわゆる学習塾などと同じ形態です。
学習塾が公の支援を受けていないように、街のサッカークラブも公の支援を受けていません。
このため、サッカーグランドの確保に苦労しているようです。
選手は学校の授業修了後、練習します。この時間の練習には照明が不可欠です。
夜間照明のあるグランドは限られています。
彼らの存続の可否はグランドの確保にかかって言っても過言ではないと思います。
街のクラブは大会のリーグ戦化など日本サッカー協会の指針に一番良く、したがっていると思います。
また、セレクションの有無にかかわらず、サッカーを一生懸命やりたい子だけが集まってきます。
日本サッカー協会はここの支援、援助を強化すべきです。
(2)公立中学の部活について
中体連の部活は一部の私立中学を除いて、サッカーの強化という面では、なかなか効果を発揮できていないように
思えます。私立中学ではサッカー部の指導に専門のコーチを雇えたり、異動も考慮出来ます。
公立校での、サッカー指導問題点の一つは、顧問の先生の異動です。子どもも集まり運営が軌道に乗ったころ異動
が起こります。
二つ目は顧問の先生が忙しすぎることです。放課後の練習に半分も出られません。
三つ目は顧問の先生の負担が大きすぎることです。土日の練習、大会運営と尐ない先生で行わなければなりま
せん。身近で見ていて、顧問の先生は、自分の昇進を犠牲にして、部活に力を入れられているようです。
グランドについては校庭が使えるので街のクラブより恵まれています。
照明がある学校が尐ないので、冬季の練習は限られますが、土日の練習で補足すれば、街のクラブより恵まれて
います。
他のクラブと校庭の分割使用のため、練習のためのサッカーゴールが不足しています。
学校教育の特性上、セレクションは行えないので、サッカーに不向きな子、練習の足を引っ張るような子も入部してきま
す。また、公立の中学校は入学する学校を地域で決められ、児童は学校を選択できません。
私立、公立でも中高一貫校の増加で、やや状況は変化してきているかとは思いますが、大多数の子は学校を選
択できません。
中学生までを対象とした、取り組むべき改善策を上げてみます。
① サッカーグランドの確保 ――― 校庭に照明をつけ、放課後、一般に開放する。街のクラブ、冬季の部活、一般の
サッカーマンにまで拡大できれば、サッカーの発展に大いに寄与できると思います。できれば小さくてもよいので
シャワーのあるクラブハウスを併設するのが望ましい。
(こうすれば学校の施設と分離できます)
② 公立校の顧問の先生の負担軽減 ――― 外部指導員の拡充、モンスターペアレンツの存在などもあり、外部指導員
を導入するのに消極的な学校が多いと思います。私の経験上、積極的に外部指導員として、自分を学校に
売り込むのも勇気がいります。サッカー協会は定年後の適格者を募集し、簡単な教育を施し、教育委員会を経
由して、外部指導員を必要とする学校に派遣するシステムを作ったらよいと思います。
③ サッカーゴールがない、足りない ――― ミニ簡易ゴールの使用、私は手製でハンドボールのゴールサイズのゴールを作ってい
ます。サッカーはサッカーをすることで上達するという考えからゴールは必需品です。このゴールなら、1 セット、4 万円
弱で作れます。
(3)高校生について
高校生についても、中学生と似た状況があるかと思いますが、基本的な違いは、高校生は学校を希望して、
選ぶことが出来るということです。
その結果、サッカーの盛んな学校に、サッカーをしたい子が集まり、部員数の増大を招いています。
リーグ戦とか複数エントリーの許容など対策は考えられているようです。
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(4)一般社会人について
一般の部でも、試合の会場、練習の場の確保が一番の課題になっています。
サッカー専用のグランドが確保できれば、一番良いのですが、日本の現状では簡単なことではありません。
現在、一番広く、あいていて、サッカーが出来るのは、校庭の利用だと思います。
夜間の校庭は使用していないのですから、照明さえ、確保できれば、利用可能だと思います。
中学の校庭だったら、一般の大人も 11 人制のサッカーでそのまま使えます。
一般の大人が小学校の校庭でサッカーをする場合は、7 人制とか 8 人制にしたらよいと思います。
子どもに対して、8 人制が技能向上に効果があるのなら、大人に対しても、効果があるはずです。
校庭に照明をつけ、一般に開放することは、校庭の芝生化より、緊急の課題のように思えます。
4.6 日本の目指すサッカーについて
(1)日本の目指すサッカーについて
今、日本サッカーの進むべき道(他国の物まねでない日本のサッカーを確立する)が提案されています。
これは「人もボールも動くサッカー」だと思います。
いわゆる「勤勉な哲学」にもとづく「勤勉なサッカー」です。
サッカー協会の指導書はこれであふれています。
アジア予選を勝ち抜くためにはまず「勤勉なサッカー」の確立が必要です。
これでワールドカップに優勝できるでしょうか?
私はNOだと思います。予選や 1 次リーグの突破は運がよければ達成できるかもしれません。
しかし優勝は無理です。優勝するためには相手の予想しないことをする必要があります。
アテネオリンピックでは日本はイタリアに日本の選手では予測し得ないプレー(日本の選手はセンタリングミスと思った)で得
点を決められました。
「勤勉な哲学」で戦後日本は大発展しました。
しかし優勝(アメリカを追い越す)までには至りませんでした。
「勤勉なサッカー」は必要条件です。十分条件ではありません。
岡田監督のいう日本代表の「接近・展開・連続」とは、
「守備の時には、待ち構えるのではなくてより近くで常にプレッシャーを掛け続けて(接近)、
また攻撃の時は、シンプルに早くボールを動かして、ただそれだけでは崩れないから、
人がそれに増して動いていく(展開)
。
そしてそれを休みなく、相手が嫌がるまで 90 分間続けていく(連続)
」
というイメージを持っていると語っています。(Technical news vol.32)
簡単にいうと「パスだけでは崩れないから、全員が 90 分間走り続けろ!」だと思います。
走り続けることは私も必要だと思います。
ただし「必要条件」ではあるが「十分条件」ではないように思えます。
ユーロ 2008 を見ても、プレミアリーグを見ても走り続けていないチームなどありません。
走り続けた上で、さらに相手の意表をつくプレーができなければ勝てるようにならないと思います。
走り続ける、勤勉なサッカーをするのは「前頭前連合野」の意志の力です。
継続する「意志の力」と「体力」があれば実行できます。
ワールドカップで優勝するためには日露戦争での「敵前大回頭」や太平洋戦争での「神風特攻隊」のような相
手の予測不可能なプレーが必要です。「キャプテン翼」のプレーが必要です。
勤勉なサッカーの中に、相手の予測不可能なプレーが交えられるようにすれば、可能性が開けてきます。
その可能性とは小脳を使った、
「速く見る」「速い思考と判断」「速い行動」
「正確なプレー」です。
それぞれ、0.2 秒ずつ速めれば、0.6 秒、速まります。0.6 秒速く行動出来れば、3~4m相手を引き離すこ
とが出来ます。0.6 秒速く行動できるということは、相手の予測のはるか上を行くことです。
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