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平成 21 年 11 月末、国際交流基金の加藤雅元氏から電話があり、南米

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平成 21 年 11 月末、国際交流基金の加藤雅元氏から電話があり、南米三ヶ国にてすしの
セミナー及び日本食の紹介事業依頼があった。
実施内容は
(1) 日程:平成 22 年 2 月 25 日∼3 月 12 日
(2) 実施地:ベネズエラ(カラカス)、ボリビア(ラパス)、ペルー(リマ)〔3 ヶ国、3 都市〕
(3) 内容:一般市民及び料理専門家を対象とした寿司に関する講演、
デモンストレーション。
依頼内容を検討した折、講演とセミナーであれば一人でも十分だが、試食を含む調理
も大量の為、一人では難しく感じられた。
そこで随行者の許可も得て調整した結果、全国すし連国際渉外部で一緒に活動をして
いる、富山県の吉田健作氏に同行をお願いした。
今まで中米の活動はあったが、未知の地であるので、3 ヶ国の日本大使館の担当者と
2ヶ月に渡り、現地の衛生や食材状況など細部の連絡調査を行った。
年末年始を間にして仕事も繁忙期な為、現地状況の調査と連絡確認は、地球の反対側で
もあり、深夜に及び寝不足になる事も度々であった。
海外セミナーの場合、すしに関し調理知識をある程度持っている人であれば、調理本
来の技術面の重要性を説きセミナーを行う。
しかし調理に従事している者であっても、基本知識を持たない国の人を対象にするので、
一般の方と同じく調理師に対しても、基本知識のセミナーを主として行うこととする。
平成22年2月25日(木)12:00
成田空港第Ⅰターミナルにて、国際交流基金の加藤雅元氏と風戸正義、吉田健作は集
合。
ティーラウンジでコーヒーを飲みながら、渡航先の確認をする。
今回の事業は、南米3カ国にて、日本文化紹介である。
渡航先は、ベネズエラ ボリビア ペルーで16日間の行程である。
国際交流基金の規定で、2人は特級の待遇でこの事業をさせていただく事になった。
数多い先輩諸兄の居る中での活動なので、心して働かせて頂く事を肝に銘じなくては
ならない。
我々は様々な条件下で仕事をさせて頂く事が多いが、依頼された事業に対しては、たと
え困難な事であっても、楽しみながら全力を尽くす事を信条としている。
しかし多くの予備知識を得て、不安と楽しみが交差する渡航であった。
その中で危惧されるのは、水が危ないとの情報は、調理に対し特に不安な材料となって
いる。
試食等も含まれる事業なので、その衛生管理に対し、細心の注意を払う所存だ。
次に我々の健康管理が重要であった。
大体何処に行っても大丈夫だが、体調を崩す事があれば、行程内の 3 ヶ国の
事業に対し不足の事態が起きる可能性があるので、その点も当然自覚しなくてはなら
ない。
加藤氏に見送られて、手荷物検査を無事に済ませ、デルタエアーのラウンジで時間を
潰す。
15時30分ジャンボジェットは寒空の成田空港を離陸し、北米の巨大空港アトランタ
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へ向かった。
全米一のハブ空港への航路は、ドル箱で全ての席が埋まっていた。
さほど眠る事も無く12時間後の 13 時 15 分アトランタに到着。
機体はターミナル E に付けられたが、トランジェットが非常に面倒で、一度米国に入国
手続きをしてから再度出国をする。
同じターミナル内を移動して、デルタエアーのラウンジで、しょぼくれた眼をこすり
ながら搭乗時間を待つ。
それもそのはず日本時間は明け方で
ある。
17 時 30 分過ぎアトランタを離陸する
と、機内食も取らず爆睡。
中米上空を南下する事5時間、ベネズ
エラに22時30分到着。
空港に着陸しターミナルに向かう窓
には、幅広のクリスマスツリーが、闇
の中に幾つも飾られている様であった。
湿度の高い事を連想させるように、暖められた海風が窓の外を曇らせている。
入国に際し機内で書類を渡されていたが、出迎えの芦田書記官のお陰で事なきを得た。
この地の夜の空港は治安が悪く、事件が頻繁だと言うが大使館からの警備が配属されて
いたので心強く感じられた。
我々を乗せた車の後ろには警備車両も配備され、他の車が接近するとサイレンが鳴り
不審車両を寄せ付けなかった。
海辺の空港から、急勾配の道路を一気
に昇り、ベネズエラの首都カラカスに
登る。
途中の険しい山肌は星屑を張り付けた
様な灯りが覆っているが、それは犇め
き合うスラム街の灯りであった。
空港で見た灯りがこの家の灯りである
事を知る。
ベネズエラ空港
大使公邸テラス
空港から 1000 ㍍の場所に首都カラカスはある。
カラカスは標高 2,700 ㍍のアビラ山の中腹の街で、
到着した深夜は肌寒くも感じられた。
その中心部から 10 分ほど登ると、標高 2,100 ㍍の
所に日本大使館公邸があった。
公邸では久し振りにお会いする、下荒地大使が深
3
夜でありながらも、我々を待ち構えており当然会話も弾んだ。
2 月 26日(金)
南米は暑いと思っていたが、高原に居る様な、すがすがしい朝を迎えた。
公邸の中庭に面したテラスで、大使と一緒に朝食を頂く。
その後、芦田書記官の案内で大使官近くの、アビラ亭と言う日本レストランを訪問。
此処のご主人は昔、大使公邸の料理人をしていて、この地で現在日本食レストランを営
業され、成功している人である。
ご主人は竹内さんと言い大使館の要請で、今回のイベントの魚を準備してくれていた。
生魚の食材事情が非常に悪いこの地で大変心強い人である。
早速魚を見せて頂いたが、想像以上に状態が悪く、保存方法にも難があった。
氷で保存してくれてあったが、製氷機で作られたキュービックアイスの角で、魚の身を
痛めていた。
魚の保存を氷でする場合は、クラッシュアイスに塩を振り保存するのが適切だ。
此処で、姿造り用のレッドスナッパーを 3 匹頂き、続いて 1 ブロック先の魚屋に行った
が、目を覆いたくなるような草臥れた魚がケースの中を汚していた。
日本で言えば、ケースの中に捨ててあると言う
状態であろうか。
続いて、大使公邸近くにあるフレッシュフイ
ッシュと言う魚屋さんに行く。
我々を調理場に案内し、魚を見せたが流石自信
があるだけに、鮮度の状態は、頗る良かった。
全ての魚の鮮度は良いが、しかし大型で味に深
みのある魚では無い。
形ばかりではなく水温の関係もあり旨味は、全ての魚が程遠い事を覚悟した。
サーモンを 6 本、平目、メローなど、大量に魚を買い込み公邸へと戻る。
その後公邸の調理場では、公邸料理人の越智さんと、地元シェフの応援も得て、大変
心強い仕込みが出来た。
途中セミナーの通訳の打ち合わせをしたが、担当は近藤参事官の奥さまで、南米生ま
れのマヤさんの心使いと明るさには心も和んだ。
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夕方 5 時には仕込みも終了して、夜は Jazz の演奏会に招待されていたが、仮眠するは
ずが目を覚ましたら朝であった。
2 月 27日(土)
公邸のテラスで、朝食を大使と頂く。
9 時には昨日漬けこんだマグロの醤油ズ
ケや、サーモンを切り付けする。
私はレッドスナッパーの様な魚を刳り抜
き、姿造りをする。
昼近くにはベネズエラの VIP が公邸に
60 名ほど集まり、12 時半には昼食会が
スタート。
公邸の参加者は国会議員や料理評論家な
ど様々であったが、大変な盛り上がりで
あった。
この国でもすしの人気は凄まじく、参加者の
皆さんに大歓迎を受けた。
公邸は現地の VIP で大変賑わい、イベント
の成果は上々である。
その宴も 2 時半には終了し、一般向けセミ
ナーの準備をする。
一般向け会場は、街の中心地のコープバンカ
である。
建物一階の会場の外では盆栽展があり、地元
ベネズエラの木々を使った盆栽が飾られてい
た。
南米特有の木を使った雰囲気のある作品が、
15 作品ほど展示されていて、地元の人にも好
評で興味深く見っている。
すしのセミナー会場はその施設の地下一階
両脇から入り、客席の一番下にステージがあ
った。
225 席の会場が 2 つあり、それが V 字型
になって 450 人を収容出来るようにな
っていた。
17 時にはステージの裏のバックヤー
ドで、地元のシェフ 6 人が 450 人分の、
すしのお土産の準備に入る。
お土産はパックに詰めた、握り 5 個と
5
巻物一個である。
会場の入り口を覗くと、予約チケットを持った入場者が長蛇の列を作っていた。
開門と同時に着席した観客には、雰囲気を盛り上がらせるため、SUSHI の DVD を流
すと全員が見っている。
南米はラテン時間で、遅れて来るのが当たり前と聞かされたが、すでに入場制限が行わ
れており、チケットを持たない人も 100 人以上が列を作り、キャンセル席を待っていた。
前のイベントが遅れた為定刻よりずれ
込み、セミナーの開始は 18時を過ぎてい
た。
一般向けのすしセミナーは、すしの起源か
らその歴史と現在に至るまでのすしの変
遷。
高温多湿の国であるのに、冷蔵庫も氷もな
かった時代に、すしが生まれなぜ食文化と
なったか。
すし調理は先ず衛生の知識を持つ事から
始まり、生物を安全で美味しくする為の調
理技術等、すしの基本を 2 時間、実技を交え
レクチャー。
にぎりの実演参加では、参加者を絞るのに
苦労するほどであり、シャリと苦闘する子供
の参加者は、会場の笑いを誘った。
和包丁の試し切りは、美女の腕の上で胡瓜
を一瞬の内に、三個に切り離す技も見せ、会
場は緊張したり驚いたり。
長い時間ではあったが、笑いと緊張の 2 時間、
誰一人席を立つ者も無く大いに盛り上がっ
た。セミナーが終了しても、我々と記念写真
を撮る長蛇の列が出来、それは 30 分ほど続いた。
予想以上の大反響に、調理補助の皆さんや大使館関係者も安堵していた。終了後、大使
の車で今回の協力者のアビラ亭に向かう。
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お店は満席状態で、ウエイティングの
お客様が列をなしていた。
この地の日本食レストランの、人気の
凄さを垣間見る事が出来た。
オーナーの竹内さんの御馳走で、久し
振りに食べたかつ丼は大変美味しか
った。
2 月 28 日(日)
本日は休息日、この 2 年ほど満足
に休んだ日が無く心が弾む。
朝は大使のホームコースのゴルフ場
で、ベネズエラ料理の朝食を頂く。
標高 1,000 ㍍のゴルフ場は、南米でありながらも朝晩はすがすがしく、プレーをして
いる人も気持が良さそうだ。
朝食を済ませ、セキュリティー付きでカラカスを抱くアビラ山に登る。
公邸の庭からも望めるその山は、見上げる
ほどに険しい。
登山口までは 20 分ほどで到着したが、そ
こからが驚くほどの登阪路であった。
入口には検問所があり、4 輪駆動車以外は入
山が許されない。
それは険しさを嫌が上でも暗示させた。
登り始めて直ぐにその斜面は我々を驚かせ
た。
今までこの様な斜面を走行した経験は無く凄ま
じい、坂路である。
その坂を徒歩で登っている人もいるから驚きで
ある。
登る人はまだ良いが、下る人が上向きになっ
て下りているのも見かける場所もあるほどだ。
良くこんな坂を登るものと感心するやら驚くや
ら。
30 分近く車はうなりをあげて 2,100 ㍍の展望台
近くに着いた。
一気に 1,000 メートルも登り確かに空気が少し
薄く感じる。
展望台には、ロープウエーがあり中腹のラパ
スの街まで繋いでいる。
大使はここのロープウエーは怖いので、車が良
いと言っていた。
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20 年近く閉鎖されたホテルがそこにあり、展望台の名物になっているようだ。
展望台からラパスの街を覗くと眼下にそ
れが望め、反対側は大西洋でそこから生ま
れた上昇気流が中腹に雲海を造っていた。
あの雲の下には大西洋と空港があるはず
だ。
展望台から下りてラパス郊外の、スペイ
ンを彷彿させる小さな街に出る。
斜面に造られたその中心地には公園があ
り、教会が建てられていた。
日曜のせいか人々は余暇を楽しんでいる。
ベネズエラはチョコレートが有名なの
で、大使はチョコレート屋さんに寄り、
我々にそれをご馳走した。
美味しかったが値段は結構高く、大変な出
費であった。
その後近くのゴルフ場に行き昼食を頂
くが、施設として安全な場所である所に
我々を連れて行ってくれた事を知る。
中に入るとテラスは、プレーの間の昼食客
で賑わっていた。
しばらくすると、石油掘削会社や現地トヨ
タの社長さん達が、昼食に来られお会いす
る事が出来た。
夕方はお茶のイベントがあり、昨日のイベ
ント会場と同じコープバンカで、大使と共に伺わせて頂いた。
会場では日本大使館の女性陣も、総出で出演をして活躍をしていた。
下荒地大使は日本文化週間の事業には、時間を惜しんで出席されており、この事業に対
し力を入れているのが良く分かった。
その証拠に、館員のチームワークが素晴らしく、その館員に対して大使の心使いも大
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変暖かく感じられた。
終了後大使と共に、中国料理店に行き夕食を頂く、席に着くと中国大使も調度そこに
顔を出した。
3 月 1 日(月)
南米の魚で姿造り
今日はプロのセミナーで
ある。
朝 9 時に公邸で仕込みを始
める。
プロのセミナーなので、
会場の入り口に姿造りの
展示をするため、その準備
も行う。
今日の会場は、コープバン
カとは目と鼻の先の高級
ホテル JW マリオットであ
る。
この会場はホテルがス
シセミナー開催の為に、無
料で貸してくれたと言う。
12 時には会場入りして、準備を行う。
14 時にセミナーの開始であるが、定刻にはほぼ定
員に達し、会場には公邸のすしデモに来ていた料
理評論家も参加していた。
プロのセミナーも、すしの起源か
らその歴史。調理衛生の知識と衛生
調理法等の実技を交えてレクチャー。
2 時間半のセミナーに対し誰も席を
立つ人も居ず、その関心度の高い事
を知る。
ここでも終了後は、参加者との記念撮影に 30 分以上を要し、熱烈な歓迎を受けていた事
を肌で感じた。
夕刻、大使と共に現地の肉料理の店に、三菱商事の硯田所長ご夫婦のご招待を受け伺
う。
車は警護車とバイクの警護を受け、更に車にはセキュリティーも同乗している。
招待されたその店は、現地の食材で我々を楽しませてくれた。
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肉以上にユカイモやタロイモがとても美味しかった。
3 月 2 日(火)
今日は次の国への移動日で、時間潰しにカラカス最大のショッピングセンターを見学。
この施設の中にも Sushi ショップがあり、大変な人気を博している。
その Sushi は全てヒュージョンの Sushi で、カラフルな巻き物であった。
国によって此処まで変わるぞと言う、Sushi の変貌は見ていて飽きない。
その中には興味をそそる物もあったが、現地の衛生面で遠慮せずには居られなかった。
我々はベネズエラ料理を、施設の屋上のテラスで頂いた。
折角頂いておりながら言うのは心苦しいが、肉は焼きすぎで料理としての感性が欠けて
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いた。ベネズエラに入国してから、常に大使館の車で移動をさせていただき、出国の為
のカラカスの空港へも送って頂いた。
空港では出国に際し、芦田さんに書類を作成して頂き、手荷物検査場へと入った。
入国から出国に至るまで、全てのサポートを大使官の皆さんにして頂き、名残惜しいベ
ネズエラであった。
ボリビアへの飛行機を待つゲートの窓の外に、中米に行く飛行機が駐機していた。
その機内に麻薬犬を連れた数人の警官が、カーゴ用のリフトに乗って、搬入口から乗
り込み検査をしていた。
陸続きに持ち込まれた麻薬がここから出
ると言うので、輸送されるのを阻止するの
であろう。
ボリビア行った時、芦田さんは歩く事も
出来ず、車が止まると道端で嘔吐したとか、
多くの人に高山病の体験を、嫌と言うほど
聞かされていたので、不安を抱きながら 17
時 25 分、暮れ始めるベネズエラの空港を
後にした。
ボリビアまでの空路は直接ラパスまでは
無く、一度ペルーのリマまで飛び、そこで飛行機を乗り換えラパス入りとなる。
いよいよ日付が変わると天空の地へと舞い降りる。
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