№2 「 ド ン ・ボ ス コ の 誕 生 日 と 生 ま れ た 場 所 」 『ドン・ボスコ自叙伝』より 「1815 年の聖母被昇天祭、この日、わたしはカステルヌオボ・ディ・アスティ町のモリアルドという 村に生まれました。(3) 母の名はマルゲリータ・オキエナ、カプリリオ村の出身で、父の名はフランチェスコです。2 人とも 農業にたずさわり、仕事と倹約によって生計を立てていました。 父はほとんど労働だけをたよりに一家を養っていました。老衰につきもののいろいろな病をかかえた 70 代の祖母とわたしたち 3 人の兄弟から成る一家です。一番上は先妻の子アントニオ、まん中はジュ ゼッペ、末っ子はこのわたしジョバンニです。ほかに父の畑仕事を手伝う雇い人が 2 人同居していまし た。」(p18) 自叙伝の訳者注より (3) 「ドン・ボスコと母マルゲリタは 8 月 15 日だと思っていたが、役場の記録簿によると生年月日は 8 月 16 日である。」 ドン・ボスコの生い立ちについての他のコメント 1) 「8月16日」について。Prellezo 師によると「ドン・ボスコはいつも彼の誕生日を8月15日に祝 っていたが、彼が亡くなってから小教区の記録簿を調べたら実際は 8 月 16 日に生まれていた」と。 (Attestato di nascita e battesimo, FdB microfilm 73 D1-2)初めて出版された Memorie には D,Ceria から次の説明が加えられていた。 「ピエモンテでは 8 月 15 日の直後にあった出来事に関しては、明確に 言わないで、8 月の聖母に行われたという表現が普通であった」と。 2) 「モリアルド(Morialdo)」について。Prellezo 師の説明によると、ドン・ボスコはいつも「Murialdo」 と書いていたと。もとは Castelnuovo d’Asti 区の村であったが、1930 年から Castelnuovo Don Bosco と呼ばれるようになった。トリノからおよそ 27 キロ離れている。このモリアルドにドン・ボスコが生ま れたベッキ村が属していた。ベッキ村はモリアルドから 1,5 キロ、カステルヌォボから 4,5 キロ離れて いた。(参考:San Juan Bosco. Memorias del Oratorio de San Francisco de Sales de 1815-1855. Introduccion de Aldo Giraudo. Natas historicas y bibliograficas de Jose Manuel Prellezo. Ed.CCS(Central Catequistas Salesiana 2003, pg.6) ) 3) 「マルゲリタ・オキエナ(Margherita Occhiena 1788-1856)」。マルゲリタが生まれた Capriglio は ベッキ村から 2 キロ、モリアルドから 7 キロ離れている。マルゲリタが生まれたカプリリオの家はまだ 残っている。(Giraudo A.-Biancaridi, G. Qui e’ vissuto Don Bosco. Itinerari storico, geografici e spirituali, Leumann Torino Elle Do Ci, 1988., p51) 4)ドン・ボスコの家族。フランチェスコ・ボスコ(Francesco Bosco 1788-1817)。ドン・ボスコの父。 先妻の子 Antonio は 1803 年 2 月 3 日生まれ。もう 1 人の兄は Giuseppe Luigi Bosco(1813-1862)。 ドン・ボスコの洗礼名は「Giovanni Melchiorre」。ドン・ボスコがサインするときにはいつも「Giovanni Bosco」また「Gio. Bosco」と書いていた。 ←ドン・ボスコの生家で はないが、少年時代を過 ごしたベッキの家。ドン・ ボスコは「これが私の家 ( Questa e’ la casa.)」と呼んだ。 ドン・ボスコ生誕の地(Il Colle Don Bosco)に立つドン・ボスコ大聖堂 mia
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