H28.10.14号 かがやく子ども通信

平成28年度
№12
(10月14日号)
~自立と共生の礎を培い、今と未来を豊かで創造的に生きる子どもを育てる学校~
草津市立老上西小学校 〒525-0066
草津市矢橋町 508-1 TEL 077-566-2401
ぞ
『
ね
こ と し
が
い
せいきょ
う
像
ふ た り
FAX 077-566-1224
ふ た た
』
再
いた
び
ねが
…
ゆ ら い
今年ご逝去されたお二人を悼むとともに、願わくばその由来が
かた
つ
おも
ぶんりしき
い ら い
いつまでも語り継がれればと思い、分離式のとき以来、再び『ね
ふ
がい像』について触れることにしました。
さ く ね ん ど まつ
がつ
おいかみしょうがっこう
『ねがい像』は、昨年度末、つまり今年の3月に老上 小 学 校 の
おいかみにし
みなみせいもん
はい
わき
たが
む
グラウンドおよび老上西小学校の南 正 門 を入った脇に互いに向き
あ
たい
た
合うように1体ずつが建てられました。
とも
ふるさと
こう
分離しても、共に故郷老上の学校でありたい。そして、2校が
きずな
ゆうじょう
ふか
こ
たいせつ
絆 と友 情 を深め、子どもたちのための大切なものを、大切にし
いっしょ
まも
はぐく
てきたものを一緒に守り 育 んでいきたい…。そのような願いを
あらわ
お
表 すシンボルとしてそこに置かれたのです。
もともと
へいせい
ねん
元々『ねがい像』は、平成19年(2007年)に老上小学校
そうりつ
き ね ん
つく
なが
ぞうけい かつどう
つづ
創立120年の記念として作られました。長く造形活動を続けて
げん ほんこうきょうとう
い
ば やす じ せんせい
い ら い
う
そうさく
おられる現本校 教 頭 、伊庭靖二先生が依頼を受けて創作されたの
《老上西小ねがい像》
おとこ
おんな
《老上小ねがい像》
でした。ただし、 男 の子、 女 の子2体からなるそのときの『ねが
じ ゅ し
ほう
げんざい
こうしゃ
かい
せ っ ち
い像』は、樹脂で作られ、そちらの方は現在も老上小学校の校舎2階に設置されています。
ちゅうぞう
その『ねがい像』からブロンズ像を鋳 造 し、1体ずつを2校に置くことになったのです。
せんげつ
すえ
先月の末、『ねがい像』のブロンズ鋳造と2
おお
かた
校への設置に大きくかかわっていただいた方
ふほう
せっ
ふかお
いさお
で
わる
じ ぶん
なかま
べんきょう
かわ
こ
ほとり
あそ
まわ
っぱい田や川、びわ湖の 畔 で遊び回っていた
し
ひとり
勲 」氏
はげ
…。一人の先生に励まされた…。それらが自分
なまえ
めいばん
しる
げんふうけい
そのお名前は、像の銘板に記されています。
にとっての原風景であり、大きくなってからの
しょうわ
モノづくりの原点になった」確か、そのような
げんてん
昭和21年(1946年)に老上小学校を
そつぎょう
だいせんぱい
ひと
卒 業 された子どもたちの大先輩であり、一つ
かいしゃ
いちど
わたし
しかし、 私 には、それら一つひとつのお話
みずか
で あ
あとしまつ
はる
く
ぼ
ことでした。 東 京 に暮らしておられた氏が母
たず
のぞ
いちだいじ
む
もろもろ
しょしょ
あいさつ
す
ことを後始末し、諸所への挨拶を済まさんとさ
こころ
うかが
れる氏のお 心 の表れのようにも 窺 えました。
き
校を訪ねることを望んでおられるとお聞きし
たのがきっかけです。
ころ
いちねんご
ところで、その頃、私は一年後の学校分離を
ひか
ぶ
じ
とどこお
おこな
控え、その分離が無事に、 滞 りなく 行 われ
ふしん
かよ
深尾氏は老上小学校に通われていたときの
ほんとう
じんせい さ い ご
が、 自 らの人生最後の一大事に向けて諸々の
深尾氏とのただ一度の出会いは昨年の春の
とうきょう
たし
お話をされていたように思います。
おこ
の会社を興された方でもありました。
こう
き
自分が仲間たちと、 勉 強 するよりはうんとい
た
の訃報に接することになりました。
「深尾
はな
いろとお話しになりました。「出来の悪かった
なつ
ことを本当にうれしそうに、懐かしそうにいろ
るように腐心していました。そして、分離が子
しんせつ
どもたち、そして、老上小学校と新設される学
りょうこう
い み
あい
校 両 校 にとって意味あるものにしたいと願い、
かんが
およ
そのためになにができるだろうとあれこれ 考
私などとても及ぶものではありません。そんな
めぐ
えを巡らせていました。
草川先生も『ねがい像』の話をとても喜んでく
ださいました。
いぜん
私は深尾氏との話のなかで、以前から心にあ
※
じつげんこんなん
って、でも実現困難とほぼあきらめていたある
えんりょ ぎ
み
う
あ
こんど
かたがた
しくもその力添えを願い出たのです。
たす
ちから
学校は、いろいろな人々の願いや 力 によっ
やくそく
氏はその場で 助 力 を約束してくださいまし
あ
ちいき
てそこに“在る”ものです。地域のなかにあっ
た。
れき し
ねんげつ
へ
あい
き も
て“在る”ものです。そして、一年一年歴史を
じゅん
長い年月を経ての故郷を愛する気持ち、 純
あこが
かさ
重ねていくものです。
じだい
粋な 憧 れ、あるいは、老上の子どもたちに次代
たく
えら
いま
を託すような思いがそうすることを選んでく
よろこ
今、老上西小学校に通う子どもたちもやがて
ちから
とど
ださったのではないかと思います。 喜 んで 力
はな
※
もど
おさな
だいじ
ことし
ほこ
どの子どもにも自分の故郷を愛してほしい、誇
す
しょうがっこうちょう
りに思ってほしいと願います。
こうみんかん
終 生 、地元に住まわれ 小 学 校 長 、公民館
がっこうきょういく
しゃかい
はってん
ばしょ
長 として老上の学校 教 育 、社会教育の発展に
つ
ゆめかいどう
「故郷」は、いつまでも、どれほど離れた場所
どお
にんげん
尽くしてこられました。
「夢街道あいさつ通り」
ていしょう
けんいん
は
こが根を張っているところなのだと思うので
だいせんだつ
ちの大先達でした。
す。
し
ひ じ ょうへ ん さい
お知らせ!
じ
ね
にあっても、それでも、自分という人間の根っ
を 提 唱 し、牽引していただいたまさしく私た
たいふう
だ
やす
て
ちょう
おも
そして、ときに易きことではないのだけれど、
の手によるものです。
じもと
び
たらいいなと思います。
くさかわ くにあき
7月にお亡くなりになった「草川 邦章」先生
しゅうせい
ひ
いな、 幼 かった日々のことを思い出してくれ
『ねがい像』の台座にある題字は、やはり今年
な
もと
へ戻ってきて自分のことを話してくれたらい
※
だいざ
ひ
離れようと、いつの日か再び『ねがい像』の下
とをただありがたく思いました。
※
とお
大きくなり、ずっと地元に留まろうと、遠くへ
になりましょうとおっしゃってくださったこ
❶
おうえん
方々からの応援や助けをいただいています。
ちからぞ
すい
た
のに、お二人のほかにも、すでにたくさんの
ずうずう
いてくださっているのを感じると、今度は図々
じょりょく
※
考えてみれば、開校してまだ一年が経たない
き
かん
※
かいこう
ことを遠慮気味に打ち明け、氏がにこやかに聞
ば
ふか
こよなく故郷を愛されたその思いの深さは、
れ ん らく
(清 水 康
行)
ふ し ん し ゃ た い おう
非常変災時の連絡、不審者対応などについて…
ごうせっきん
さい
ぜんじつ
げこうじこく
く
あ
かのうせい
先月の台風18号 接近の際には前日に「下校時刻の繰り上げの可能性およびその対応について」
はいふ
お
かえ
ていしゅつ
あたら
こころ
を配布し、折り返し提 出 していただきました。 新 しい 試 みです。
きんねん
おお
にほん
じょうりく
つうじょうどお
しぎょう
げこうじこく
く
あ
近年、しばしば多くの台風が日本に接近、上 陸 し、通 常 通りに始業しても、下校時刻を繰り上げ
かえ
そ ち
て子どもを帰す措置をとらなければならないことも出てきています。
ばあい
そな
じぜん
ほ ご し ゃ
いこう
じじょう
はあく
ひつよう
て だ
そこで、そのような場合に備え、事前に保護者のご意向やご事情を把握し、必要な手立てをでき
じんそく
えんかつ
おこな
るだけ迅速、円滑に 行 えるようにしたいと考えました。
きしょう よ ほ う
とく
はず
どにち
しゅくじつ
はさ
つた
気象予報は外れることもあり、特に土日や 祝 日 を挟んだときには、せっかくお伝えいただいたこ
やくだ
りかい
きょうりょく
とが役立たないこともありますが、なにとぞご理解とご 協 力 をお願いします。
❷
ほんこう
く さ つ し
き
き か ん り か
とど
ふ し ん し ゃ じょうほう
ほんがっく
りんせつ が っ く
ひ
本校では、草津市の危機管理課から届いた不審者 情 報 などのうち、本学区および隣接学区でその日
はっせい
じ あ ん
た
じゅうだい じ け ん
てんそう
かたち
はいしん
に発生した事案ならびにその他の重 大 事件、事案を転送の 形 で保護者のみなさまにメール配信する
ことにしています。