投票権ではなく、 「選挙義務」であるべきではないか E.B 日本語・日本文化留学研修生(フランス) このレポートのテーマは「投票権」ではなく、「義務として投票を捉えるべきではない か」というテーマである。この短いレポートを書くために特別な授業に参加したわけで はない。単に私の目で見たこと、耳で聞いたことに基づいて書いた。このレポートは日 本国民、それからこれから選挙を行うであろう世界中の国の国民のやる気を出すために 執筆するのである。 日本ばかりか、私の母国でも投票率が非常に低い。国政に関係ある選挙の場合は、投票 率が 60%を超えるのは当たり前だが、市長選挙や県議員選挙などの地方自治体の選挙 の場合は 50%を上回らないのが現実である。その現実はみな知っているのに、全く無 関心である。 しかしベルギーでは 2003 年の議員選挙は投票率が 88%であった。なぜそのような大き な差が現れたのだろう。それはベルギーで投票が義務だからである。 初めてそれを聞けば、「投票を義務にするなんてとんでもない」と言う声があがるだろ う。しかし時代を少し遡ろう。投票権がなかったとき、国民はどのような文化の民族で あれ、「投票というのは当たり前じゃないか。なんで自分の国を統治する人を選べない んだ」と生活に苦しんでいた庶民たちが例外なく言っていたのである。 フランスという私の母国では、2002 年の大統領選挙が行われた際にとんでもないこ とが起きた。それはフロン・ナショナル(国民戦線)という極右の政党が 1 回戦を突破 し、2 回戦でシラク大統領と勝負することとなったのである。イタリア人のハーフの私 の母親はそれを見たとたんに涙を流した。 世界で初めて「人権宣言」を叫んだフランスで、1回目の選挙の投票率が 71%と最 低であり、人種差別をしたりユダヤ人大虐殺を無視したりするその政党が、得票率 17.02%をとって、シラク氏との決選投票となったのである。その後、フランス人は自 分たちの誤りに気づき、その政党が通らないようシラク氏への支持を表明しようとして、 投票率は 80%を上回った。そしてシラク氏は勝利した。 以上に書いたものはハッピーエンドに見えるのだが、逆に惨めな気持ちが私に今も残 っている。1 回戦では投票しなかった人は「私の一票なんかが結果を変えるわけがない」 などわけの分からない理由が多かった。自由を重視してきた国民であっても「俺の一票 なんかで何も変わらない」という風に 100 万人が考えれば 100 万票になることを考えも しなかった。最低の「愚かさ」を示しているだろう。そういうわけで、一人の人間とし て、それからフランス人として恥ずかしかったのである。 この話で何を伝えたいかといえば、そもそも人間は自分の権利を守りたがっていたが それを守ることができなかった。しかし今は、上にいる人を選べるのに、選ばないどこ ろか全く無関心という状態になった。それを読んだ政治不信の人たちは「どうせ政治家 はみな何もしてくれないんだから」と言ってしまうだろう。しかし、政治家のみながそ うとは限らないし、そのような無関心を見た政治家も「そんな無関心なのだったら、国 のためにあまり改革しなくてもいいだろう」と思ってしまうと私は思う。だから、自分 の権利を守りたければ、投票権を「投票義務」にせざるをえないのである。 これ以上長く書く必要はない。 誰もが自分の国がよくなることを望んでいる。 9 月 11 日、日本人は何をすべきか日本国民として考えてください。 私は日本の悪いところを変えたいが、出来ない。だから、自分の国が変わるように、 それなりの態度を取ってください。 フランスで起こった誤りが繰り返さないように、国民として一票入れて欲しい。
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