うれしかった小さな親切 - 株式会社 日立保険サービス

投稿による
特集ページ
日立保険ニュース
vol.49
投稿
酒酔、深酒をして、上司に送られて帰った際、荷物全部(ケイタイ、現金、クレジットカード)無くしてしまい、カギなどもすべて無くして大さわぎ(手続きなど…) 2日後、近くの人が直接届けてくれた事。
食事をした際、サイフの入ったポーチバッグを忘れた(この時の食事代は家内が出す)のに、翌朝気が付き確認した所、店に保管してあるとの事で受け取りに…他のお客さんが気付き、店員さんに連
絡をしたとの事。お礼をと拾ってくれた人のことを確認すると、何も名乗らなかったと…お礼はいえなかったけどカード等大事なものが入っていたので感謝感謝でした。
まだケータイを持ち歩くのに慣れていなかった頃の出来事。車を降りたところでケータイを落とした事に気付かず、そのまま用事を済ませて家に帰ってしまったところ、夫から電話が家にあり、「娘さんが
ケータイを落とされましたー」と言われビックリ!何と、夫のケータイ番号登録に“お父さん”と入れておいたので、娘が落としたと思って心配して連絡してくださったようでした。悪用せずに連絡してくれて
本当に感謝しました。
スーパーを出て駐車場に向かっている私に、後から声が…「おサイフを忘れていますよ」。クレジットや免許証が入っていたので、もうビックリドッキリ。サービスカウンターに夢中で走りました。本当に助
かりました。せめてお名前を聞いておけばよかったと、ご親切に感謝しつつ…あとのまつりでした。
2年ぶりに盗まれた自転車が警察からの連絡で手許に戻ってきた事です!!
スーパーで買物をしてレジでお金を払おうと財布をバッグから出した時に財布があいていたようで小銭がちらばってしまいました。チャリン、チャリンと店内に音が響いて恥ずかしかったのですが、近く
に居た人たちが手伝って拾ってくれて、うれしかったです。
名前も書いていないポイントカードを落としました。3才くらいの男の子が気付いてひろって手渡してくれました。「はい、どうぞ」 何気ない事でしたが、とても心がいやされました。
お客様先で仕事を終え、最寄の駅についたところ財布がないことに気づいた。お客様へ問い合わせをしたところ「無い」とのこと。紛失届後、同僚の迎えを待っていたところ、お客様がお金を貸すために
駆けつけてくれた。事情を説明し、丁重にお断りしたがうれしかった。尚、財布は道で拾われ無事に戻ってきた。
今年1月初旬、無人販売の場所でそそっかしい私は財布を落としてしまいました。すぐ気がつき、その場に戻りましたところ、どなたかが私の財布を警察に届けてくれてありました。本当に助かり、朝の
忙しい時間にもかかわらず、届けてくれた方に心よりお礼を申し上げたく本当にありがたいと思いました。その方は名前も言わず警察から立ち去っていったようです。
先日、自宅への帰路、大江戸線から京王線への乗り換えの際、パスカードを紛失しました。確かにコートのポケットに入れた筈だった。降車する駅で紛失に気付き、残念ながら現金を払いました。翌日
大江戸線の忘れ物係りに問い合わせをした所、届出してくれてました。感謝カンゲキでした。せちがらい世の中だが、捨てたものではない、人の優しさにふれた1日でした。
47年前、東パキスタン(バングラディシュ)出張の帰途、タイのバンコック空港で、出国手続き中、MR.○○と大きな呼び声、ホテルからのタクシー運転手でした。手に700ドルのトラベラーチェックを振りか
ざしている。私がタクシー内に落としたもの。その時持っていた現金(日本円も含め数千円)を、お礼に渡したが、名前と住所をきくべきだったと後悔して居ります。360円/$の時、私の月給は3万円でし
た。助かりました。
空港近くの駅で財布入りハンドバッグを置き忘れた物を郵送にて出張先まで送って頂いた事があり、感謝感激でした。ありがとうございました。中には運転免許証、キャッシュカード等入っており、一時
は冷や汗をかいたものです。
地下鉄でのことです。下車する時点で手提げ忘れ。気付かずホームに。車内で気が付いた方が車内から大きな声と共に扉がしまる前にホームに置いて下さいました。大きな声に振り返ると、自分の手
提げで、本当に助かりました。中には保険証、診察券等、大事なものばかりでした。
帰宅ラッシュのホームでいつのまにかバッグに入れておいたはずの腕時計を落としていました。それに気付いた男性が拾って追いかけて渡してくれました。それも私と同年代の方だったのにもかかわ
らず、「おじょうさん」と声かけてくれてうれしはずかしでした。
私が20才前の頃、北海道旅行にいく途中の青函連絡船での出来事です。トイレに行ってサイフを置き忘れ、それに気付いて(気付くのが遅れた)、どうしようかと考えていた時、船内放送にて落とし物
の案内があり、とんで行きました。届けて頂いた方に感謝し、お礼をしようとしましたが、「旅行を楽しんでください」と言われ、受け取られませんでした。その時お名前を問わず失礼しましたが、本当にう
れしかったのを今でも忘れません。
病院の駐車場のトイレに全財産の入ったカバンを置き忘れて、車に乗って少し走って気がつき、トイレに戻ったらありませんでした。受付に「届出はありませんでしたか?」と聞いたら、ありました。親切
な清掃員の方が届けてくれていました。「何かお礼を!」と言いましたが、「あたりまえの事ですから!」と受け取りませんでした。本当にうれしかったです。
電車の中に忘れ物をしたことに気付き、次の駅で乗り換えの際、乗っていた電車も到着したため、忘れ物を取りに行ったら、前の席に座っていた方が駅員さんに忘れ物を届けてくれていました。その日
使用する資料だったため、とても助かりました。
歓送迎会の帰り道に乗ったタクシーの中に社員証とクレジットカードを落とした事を知らず次の出社時に守衛さんから受け取った事。その日の内にタクシー会社へ御礼に行きました。
駅の売店で買物をし、その時サイフを落とし届出はしたが、あきらめていた時拾得物として連絡を頂き、この世の中でこんな事もあるものだと、とてもうれしかった。それも東京駅です。
小学校の頃、学校の図書館で借りた本を校内でなくして(置き忘れて)しまいました。探しても見つからず、図書館にあやまりに行くと、すでに返却済みとのこと。誰かが返してくれたのですね。うれし
かったです。
名古屋に住む嫁宅から帰宅途中に、地下鉄の改札で切符を自動改札機から取り忘れ、すました顔で足早にホームへ向かおうとしていたところ「すいませ~ん!おばちゃんのと違いますか~!」と後ろ
からかわいい小学生が走って持って来てくれ、嬉しかった。よく見ていてくれたのですね。
似たもの親子 通勤途中で駅で降りた時、座席に携帯電話を落として下車した。たまたま駅で降りる同じ会社の人が駅に届けてくれていたので、無事に戻った。息子は海外出張で飛行機の中で落と
した。乗務員が落とし物として届けたため無事に戻った。
以前、孫が来た時の事です。乳母車に乗せて散歩していたのですが、孫が寝てしまい、買ったばかりで大事に持っていたポシェットをいつの間にか落としてしまいました。来た道を引き返した所、公園
の入り口のわかり易い所に置いてくれてありました。ありがとう!
搭乗ゲート前にタブレットを置き忘れ、搭乗後に気付きました。渡航先に着いてから電話で問い合わせたら、税関に届けられていて大変助かりました。当然どなたが届けてくれたのかは分かりません
が、大変感謝しております。
もう40年程前、結婚してまもなく年末の買物を主人といっしょに出かけ、地下鉄で札入れを落としました。だめもとで駅前の交番に届けましたら、若い夫婦の方がまさに私の札入れを持っていらっしゃい
ました。年末で高額が入っており、助かりました。
お気に入りのチロルハットをバイクのカゴに入れて出かけた。気が付くと飛ばされたようで、無くなっていた。来た道を何回か探したが見つからない。歩いて探したら道路横駐車場のポストに掛けてくれ
てあるのが見つかった。下ばかり向いていて見えなかったようだ。
東北新幹線上野駅のホームベンチにカバンを置き忘れた事を仙台駅下車後に気付いてダメもとで届けたところ、後日無事に戻って来た。カバンの中身もそのままになっていた事に親切心の有り難さを
感じました。
大切にしていた万年筆を出張(東京)の際、飛行機かモノレールで落として紛失してしまった。しばらくしてだめもとで遺失物係へ問い合わせたら…なんとありました。心ある方が届けてくださって。東京
もなかなかすてたものではないと感じた所です。
スマホを駅前で落としたとき、拾ってくださった方がいました。こちらからの電話に出てくださり私が行くまで待っていて「見つかってよかったですね」と笑顔でスマホを返してくださいました。
投稿
学生時代、短期のアルバイト先に印鑑を忘れてしまったのですが、高いものではなかったので取りに戻りませんでした。一年後、同じ職場に短期アルバイトで行くと社員のかたからその印鑑を渡されま
した。再度アルバイトに来るかもわからないのに一年間とっておいてくれた事や何人もアルバイトがいるのに覚えていてくださったことをうれしく思いました。
とある日曜日、友人2人と3人で、居酒屋で飲食した。小型カメラで写真撮影し、帰宅した。カメラの映像を見ようとしたら、見れない。なぜか、SDカードが装着されていない。居酒屋でカメラを操作した後
に、SDカードを取り出したか否か覚えていない。居酒屋に電話したら、親切にも小さなSDカードを探してくれて、有った。普通は、「無い」と言われるところだが、探してくれたことに大変感謝した。
ディズニーランドにはいってすぐに入場チケットをなくしました
友人二人と来ていたため、友達にも迷惑がかかってしまうどうしようと高校生だったのでもう一度買うこともできずどよ~んとしていたら友人がパーク内の紛失物届けにいくよと連れていってくれました
なんとチケットが届いてました☆
親切な方のおかげで楽しむことができましたあの時拾ってくれた方はわからなかったのですがいい思い出です☆さすが夢の国
お店のトイレに携帯を置き忘れてしまった。すぐに気が付いたので慌てて戻るがない・・・。盗まれちゃった・・・。と思ったがダメもとで店員さんに尋ねるとその手に私の携帯が!たった今、届けて下さっ
たとのこと!親切な方に見つけてもらえて良かった~♪と。
家族でディズニーシーに行ったときにぬいぐるみを落として気が付かないで歩いていたら、後ろから知らないお姉さんが走ってぬいぐるみを届けてくれました、とても大事なぬいぐるみだったのでとても
嬉しかったです。
もう、5,6年前の話になりますが、近くの運動公園にジョギングをしにいった時のことです。うっかり免許証をコースに落としてしまったのを気づかず、家に帰りくつろいでいた所、ピンポーン。ウォーキン
グをされていた年配のご夫婦が免許証を見つけ、見ず知らずの私のためにわざわざ家まで届けてくださったのです。心無い人に拾われてたら・・・と思うとゾッとしました。改めて御礼がしたくて毎日公
園に行ったのですが会えずじまいでした。本当に親切なご夫婦で良かったと感謝の気持ちでいっぱいです。
出張時、乗換時間が迫る中、大きな荷物を持って走っていた時です。後ろから見知らぬ人に「すみません!」と呼び止められました。「何かな?」と思って振り向くと、「これ、落としましたよ。」と私の定期
入れを持った男性がいたのです。忙しい中、わざわざ拾って呼び止めてくださった優しさに感動しました。
F1を見に鈴鹿サーキットに行ったときです。財布を落としたことに気付いたとほぼ同時に落し物の放送があり、無事財布が戻ってきました。中身も無事でした。届けてくれた方は名乗らなかったので、ど
なたかはわかりませんでした。それ以降、落し物を見つけたら、必ずどこかに届けるようにしています。
ズボンのポケットから手袋を出した時、ハンカチを落としてしまった。10メートル位歩き進んだ時、まだ小学校に行っていないと思われる女の子が、前に回って来て'はい'といって届くれた。
買い物が済み車に戻ったが、いくら探しても鍵がみあたらず。もしかしたら「落としてしまったのかな?」と思い、店に戻り店員さんに尋ねてみたところ、鍵が届けられていたことがわかった。届けて下
さった方には大変感謝しています。
身内が電車内で財布を忘れたが、届けてくれた方がいた。尚且つ、中身は全く無くなっておらず大変助かりました。
帰宅時、電車から降りた際、傍に置いていた傘を置き忘れたのですが前方に座っていた男の人がわざわざ電車の外まで追いかけて声を掛けてくれた。たかが傘だけどそこまでしてくれた、とても嬉し
かった。
宴会帰りに財布を落としてしまいました。中には免許証、カード、健康保険証と現金少々、次の日電話が有りわざわざ届けにきてくれました。お礼をと思っている間もなく、その方は立ち去っていってし
まいました。世の中にはこんなに正直な人がいるのかなといまでも感謝の日々を過ごしています。その後は宴会等に出かけるときは財布は持たないようにしています。
年のせいか、外出時よく手袋の片手、ハンカチ、帽子etcを落として探しまわりますが、たいていは踏まれぬように、近くの木の枝にかけてあったり、ベンチに置き直してあります。日本人の小さな親切。心に
残りますね。
<通行人みんなの行動に感動>
地下鉄の階段でハードのコンタクトレンズを落してしまい、慌ててさがしていると、一人のサラリーマンが「何かお探しですか?」と声をかけてくださり、一緒に探してくれたことです。それだけでなく、通る
人みんなが気をつけながら通ってくれたり、手伝ってくれました。東京の混雑した場所だったので、1人で探すのも恥ずかしく、声をかけてくれた方には感動しました。見つからなかったけれど、幸せな気
持ちになった一瞬。
定期券をアパートの階段で落としたことを知らず、慌てて外出。遠目でたまたま気づいたご近所さんが、帰宅の折に即座に届けてくれました。安心と嬉しい気持ちとご近所さんの大切さを改めて感じま
した。
バスに乗っているときに、小さいお子さんをつれたお母さんが乗ってきたので、席をゆずってあげた。小さな子どもが私に向かって「ありがとうございます」と大きな声で言ってくれた。バス全員に聞こえ
る大きさの声だったので、恥ずかしかったが、とても嬉しくなった。
買物を終え駐車場に向かう途中、重みで袋が切れてしまい、中身が全て落下。缶コーヒーはコロコロと遠くへ…その時、近くにいた小学生(2、3年生くらい)の男の子が缶を追いかけて届けて下さいまし
た。「ありがとう。助かった」と言うと「うん」と顔を赤らめ笑顔で答えてくれました。小さな王子様、ありがとう。
上海の地下鉄車内で母子連れの人に席を譲ってもらい、「謝々」とお礼を言った。すると「どういたしまして!」との返事。やばい、日本人でした!!
駅から4分の好立地にある我が家、最近まわりに保育園が多くなり、大勢の園児がお散歩をしている姿に出会います。歩道を対向すると、皆で手をつないで一列の子ども達が先生の号令のもと一斉に
道を空けてくれます。「こんにちは。通してくれてありがとう」と声をかけると可愛い笑顔がにっこり。たくさんのかわいい姿とすれ違い、とても幸せな気持ちになります。譲る心は大切と教えてくれます。
集団登校の小学生を、横断歩道前で車を止め、「お渡りください」と手で合図しました。小学生達は走って渡り、その後全員振り返り、頭を下げ「ありがとう」と言ってくれました。終日、温かい気持ちで過
ごせました。
「こんにちは」 家の前は小学校の通学路で朝夕、子ども達が通る。朝は静かで、家の中では通っていることがわからない位なのに、帰りはにぎやかで楽しそう。時々、門先にいると「こんにちは」と元
気な声で、はっとして見ると「にこっ」として、「あ…お帰りなさい」と返すが、心が和むひと時です。先生の教えだと感心する。
毎日有料の駐輪場を利用していますが、どんな日も明るく挨拶をして下さり、目配り気配りを怠らず、自転車が出しにくいときはそっと手を貸して下さるなど、心がほっとします。
可燃ゴミの日、収集場所に両手いっぱいに、ゴミを持っていく途中で知らない若い人が、一つ持って上げますと言って、収集場所まで一緒に運んでくれました。収集場所は結構距離があるので、大変助
かりました。名前を聞くと大丈夫ですと言って、元気な声で足元気を付けて帰って下さいねと、言いながら去って行きました。私は感謝しながら家に帰り妻にその事を話しました。妻も良かったねと微笑
みながら、若い子の事を関心していました。
高校の食堂で働いています。
卒業する生徒さんから、おばちゃんオレ今日でもう食堂来るの最後や、ここ来るの楽しかった。今までありがとう!と声をかけてくれたのがとても嬉しかったです。生徒さんの可愛さから仕事をする張り
合いや元気をもらっていた事を改めて実感しました。
警備員をしています。定例の交通誘導中歩道を歩いている小学生の女の子三人組、車を停車させていたところ何時もありがとうございます。仕事なのに素晴らしい言葉を頂きました。同僚に話したら
俺も言われたとのこと この子たち素晴らしい大人になると心うれしい一時でした。ありがとうは素晴らしい言葉です。
5~6年程前の事ですが、成田空港に向かう電車で若い青年に席を譲られた。私は少しためらったが、素直に親切を受けた。その青年は私の前に立っていたので、話しかけてみたら、これから旅行に
出発する為に空港に行く中国人青年だった。日本に留学しているとの事、非常に感じの良い受け答えで好青年だった。こういう好青年もいるんだと感じた。
15年前、ニューヨークの地下鉄を利用しました。電車を降りて、地図を見ていたら白人の男性が日本語で声をかけてきて、道を教えてくれました。なれない場所で思いがけず助けてもらい、親切に人種
は関係ないとうれしく思いました。
海外旅行に行った時、TELをしようとしたが、小銭がなくて困っていたら、どうぞと貸してくれた日本の方がいた。お礼を言う間もなく行ってしまったが、非常に助かった。
海外でホテルへ戻れなくなり、数人に尋ねても知らないと…。朝の通勤時で急いでいる人ばかりの中、若い女性が親切にホテルが見える所まで一緒に行ってくれたこと。心細かったので、本当に助か
りました。
外出先で自宅に急用を思い出し、連絡しようと携帯電話のスイッチを入れたところ電池切れで困っていると、隣にいた20才位の男性がどうぞ使って下さいと携帯電話を貸してくれた。2分位の通話で
あったが、申し訳ないので謝礼として500円を渡そうとしたが受け取らず立ち去った。日本人もまだ親切心を持っている若者がいることに非常に感激感謝の気持ちでいっぱいでした。
若いときの話ですが、会津の旅館からマイクロバスで送り迎えしてくれるスキーバスがあり、帰る時、大雪でバスが故障して動けなくなり、旅館の人が民家に頼んで14人で泊めてもらった親切が忘れ
られません。食事もオニギリなど出していただきました。その時旅館で次のバスを出してくれまして無事に帰ってきました。
投稿
一人で新幹線に乗り、見知らぬ土地に来たときのこと。重いキャリーバッグを持ち上げて、駅出口に向かう長い階段を降りていたら、小走りでこちらに来た男性が「下まで運びます」と階段下までバッグ
を持ってくれました。お礼を言うと、微笑みながらお辞儀してくれて足早に去って行きました。知らない土地で不安に満ちた私の心は、温かい気持ちでいっぱいになりました。
京王バスで深大寺に父と観光に行った時のこと、乗る際、深大寺停まりますか?と確認して乗車し運転手さんが深大寺近くの停留所で私達を降ろしたが、さてどっちへ行けばとスマホを取り出そうとし
た所、スピーカーアナウンスで場所分かりますか?後ろの道を…と道案内をわざわざしてくれた事、親子感動でした!
初めて行くバス停の乗り場を探している時、あらかじめ乗り場を聞いていたのですが、わからず右往左往していた時、親切にスマホで調べてくださった若い女性に助かりました。予約していて時間がせ
まってあせっていました。無事予定のバスに乗ることが出来ました。急いでいたので名前も聞いていません。
20数年前、おひとりさまで台湾ツアーヘ。自由行動時、地下鉄から地上に出たところで方向音痴の私はホテルがどこかわからなくなってしまい、同年齢くらいの女性に声をかけました。地図を片手に身
ぶり手ぶり、カタコトの英語で教えてもらい、無事にホテルにたどり着きました。本当に助かりました。
上海の地下鉄で、電車とホームのスキ間に左足を落としたことがあります。まわりの乗客がみんなでひきあげてくれ、満員電車の中、席に座らせてくれ、口々に何か言ってくれました(当時は全く不明
白)
アメリカで車を運転していてバーストしてしまった夜、現地の警察官の方が修理が終わるまでずっと私の手元を懐中電灯で照らしていてくださいました。終わって握手を求めたら、おどけてよけられてし
まい、よく見たら私の手がかなり汚れていました(笑)
ニューヨークを旅した時、地下鉄に乗ったが、行き先表示が間違っており、困っていた。その際親切な人がいろいろ教えてくれました。そのような事は時々あると思いますが、更に実際降りる駅に近づい
たとき、また別の人が「次の駅ですよ!」と教えてくれました。ニューヨークの人はやさしいなと感じたひと時でした。
3月に河口湖のホテルで一泊し、富士山を見てきました。泊まった宿で結婚10周年の祝いをホテルの従業員さんおかみさんでシャンパンとケーキでサプライズお祝いをして頂きました。また行きたくな
り、感動をしました。
出張で横浜本牧に行くのに、根岸駅で下りてバスを探していると、何系で行けるのかさっぱり分からず、女性の親子に聞いたところ、私達も途中まで同じバスです。12時発ですとバス停まで案内してく
れました。すでに12時を過ぎる時間でも親切に目的地がある所まで見届けてくれました。美人の親子でしたよ。
主人が広島で単身赴任中のこと。日中1人で広島平和祈念資料館内に行きました。何度か訪れていて、いつも涙が出てしまう場所がありました。不思議と止まらなくなるのです。熱心に見学していた
外国の女性が私に「プリーズ」と言ってポケットティッシュを差し出してくれました。私は何ともいえないあたたかな気持ちになりました。
先日、夫が海外出張中に一人旅を満喫し、疲れきって最寄り駅に到着。いざ、電車を降りるとそこには長い階段があり、大きなスーツケースを持っていた私はガクゼン。到底一人では運べない…。それ
を察してか、一人の紳士が声をかけて荷物を運んでくれました。その親切にとても助けられました。
家族で遊園地に出かけた時のことです。主人が私と娘の2人の写真を撮った直後、横にいた外国人の方が”撮りましょうか?”という感じで私たちの所へ来てくれて家族全員の集合写真を撮ってくれま
した!!言葉はお互いにあまり交わさないのに心が通っているように感じとても嬉しかったのを覚えています。
昨年大阪で電車の乗継がわからなくて、困って通りすがりのおじさんに声をかけた所、「ごめんなさい、僕もわからないです」と言いながら、周りの方に声をかけて聞いてくださいました。本当に嬉しかった
です。
若いころ西吾妻を縦走した後、宿泊予定していた姥湯温泉の一軒宿が予約なしでは泊まれないことを知らずに行ってしまったのと満杯のためで宿泊できなかった。しかたなく暗くなりかけているにもか
かわらず歩き続けて次の滑川温泉の湯治湯宿が見つかった。もう夜遅くなっていたにもかかわらず泊めていただいた。当然食事はないことを覚悟していたが「ありあわせのものですが・・・」と夕食も用
意していただけた。嬉しかったことが忘れられない。
海外の空港で乗り継ぎの時、前の飛行機が遅れたことがあった。降りたら係員が待っていて、乗り継ぎのゲートまで一緒に走って案内してくれて、手続きも最優先で行ってくれた。自分もだが、他の乗
客に対する対応が嬉しかった。
宿泊先で大雪のため、一時帰ることができなかった時、チェックアウト後も食事の差し入れやそのまま待機させて頂き、安全な状態でかえることができた。
趣味でパラグライダーをしています。筑波山の近くで飛んでいますが、毎年、春になると南風にのって福島方面に長距離フライトに挑戦します。へんぴな所に降りてしまいどの様にして帰るか困ってい
ると、地元の農家の方が軽トラックでわさわざ駅まで送って下さることが多いです。お茶をご馳走して下さる事も。地方に行くとまだまだ親切な方が多くほっとします。
マレーシアのツアー旅行に参加しました。参加者の中に車椅子利用の娘さんのいる家族がいました。娘さんの大学卒業旅行だったそうです。観光地には階段があり、道もデコボコで段差あり、更にバ
スの移動で乗り降りが大変でした。そんな時、ツアー参加者全員が一致団結して、車椅子利用を交替で助け合いました。観光地の景観よりも、こちらの方が胸を打たれるツアー旅行の思い出となりま
した。
空港で犬を預けるのに時間がかかり、搭乗に間に合わなくなりそうになった時、手続きの順番を譲ってもらった。
初めて訪れる駅の改札を出た時は、日も暮れて心細い思いをしていた時、駐輪場から女の方が出ていらしたので確認のため道順をたずねました。幸いにも「同じ方向ですのでご一緒しましょう」とおっ
しゃって、自転車を押して、お話しながら5分くらいで目的地に着きました。わずかなお礼も受け取らず「お気をつけて!」と言葉を残し、今来た道を自転車に乗り戻って行かれました。私はその方の後姿
を見送りながら、お心遣い(善意のうそをついた親切)にうれし涙がこぼれました。
友人と出かけたときのこと。始発に乗りこんで発車を待ちながら「どちら側に座ると見晴らしがいいかしら?」と話していると、そばにいた女性が、「まもなく鉄橋を渡るので、こちら側がいいですよ」そして「あ
ちらのボックス席の方が眺めがいいです」と親切に教えてくださいました。おかげで景色を楽しめました。
先日新婚旅行でイタリアに行きました。海外で苦労することの一つに「カフェ、レストランでの注文」があります。まず、メニュー自体が何を表しているのかわからない上に、それをウェイターに伝えるのにも
一苦労です。ところが、今回訪れたお店には、現地の言葉のメニューに加え、日本語のメニューも用意されていました。これなら料理のイメージもしやすく、注文もしやすいので、親切だなと感じました。
昨年末JRの普通電車で東北方面の旅行をしていた車中、開閉ドアーの近くであったので、寒気と微熱を感じていた。反対側の座席の老婦人より「大丈夫ですか?」と言って体温計と予備のマスクが手
渡しされた。検温すると38度6分。お礼もそこそこに最寄駅で下車しホテルチェックイン。早目に対応したので翌朝は回復し旅行を続けることができた。体温計を所持していた老婦人に改めて感謝。
大阪へ旅行に行った時、バスの乗り方がわからず、バス停の近くを通ったおばさんに声をかけたら、いつの間にか人だかり。(笑)みんな親切で、通りすがりの人達が集まってくれました。おかげで間違え
ずにバスに乗れました。感謝です。
出張で台湾滞在中、マクドナルドで注文しようと店員さんとやりとりして、どうしても伝わらなくて困っているときに、後ろに並んでいた台湾の方に日本の方ですか、と声をかけられて、注文を手伝ってもらい
ました。本当に助かりました
石垣島を自転車で一周していたら、車で移動していた若いカップルの方がスポーツドリンクを買ってもどってきてくれた。優しさにますます石垣島が大好きになりました
フランスを旅行中、フランス語メニューしか置いてないレストランで困っていたら、相席になったご家族のお父さんが、「英語は話せる?よかったら息子に通訳させるよ」といってくださって、夕食にありつ
けた。
海外出張でブリュッセルに滞在し、お土産を買って、近くを散歩してホテルに帰る時、お土産を買った店先を通りすぎる時、呼び止められ、お釣りを間違えたと言う事で、追加のお釣りをくれた。日本人
観光客に対して親切だなと感じた。
先日台湾へ旅行した際現地の公共交通機関利用の際若い人が自然に座席を譲ってくれる機会が多くありました。日本ではこの習慣が少し少なくなってきたのでは?本当のおもてなしはこの辺から始
まるのでは?
ロンドンを旅行中、ケンジントン公園にピーターパン像を見に行きました。地図上の像のある場所に行ったのですが見つかりません。きょろきょろしてると、散歩している人が声を掛けてくれ場所を教え
てくれました。像の周囲が繁みで覆われていて、見えなかったのです。困っていそうな人に積極的に声を掛けて頂いたことをとてもうれしく思いました。
大学生の時、アメリカに行き車をレンタカーで西海岸から東海岸まで横断旅行しているとき、途中立ち寄った街で駐車違反をしてしまいました。その罰金を支払うため、日本で言うところの郵便局のよう
な施設で支払いをすませ、再び車に乗り込んで50km行った時のことです。ふと財布やパスポートなどが入ったリュックを台の上に忘れてきてしまったことに気づき、慌てて引き返しました。ああ、もう誰
かに取られてしまったかなと思い、再び訪れると、なんと応対してくれたその施設の局員さんが私の顔をみるなり、リュックを高々と上げて安心させてくれました。どこの国でも親切な人もいるもんだと思
い、今でもなくなっていたらとゾッとする反面、旅のいい思い出となりました。
海外旅行で食事の料金支払い方法が分からず困惑していたら、知らない日本人が支払ってくれた。その人に代金を払おうとしたら「いいよ、いいよ」と受け取ってくれず恐縮するとともに、本当に解決し
て嬉しかった。
アメリカに旅行に行っていたとき、友人に借りた車が砂漠のド真ん中でオーバーヒートでエンストしました。当時は携帯電話もなく、近くに人家や公衆電話もなく、途方に暮れていたら、通りがかった車
が、後ろから近くのガススタンドまで1kmほど車で押してくれました。バンパー傷だらけになりましたが、「気をつけてね」の一言で去って行きました。アメリカ人のふところの深さを感じた出来事です。
投稿
3年前両親を連れて旅行した時のことです。都心のとある駅で乗り換えのホームを探していました。初めての駅でおまけに母親は足が悪くうろうろしていたところ、どこかで見ていたのでしょう、二人づ
れの女学生が近寄ってきて「どちらに行かれますか」と、聞いていただき親切に目的のホームに行く、エレベーター前までつれていっていただきました。誰もが急いでいるときに、若い人の親切に両親と
もども温かい気持ちで旅行を終わることができました。 70代男性
出張帰り、夜のシドニーのバス停で、若い男性に「空港へ行くのはこのバスでいいのか」とたどたどしい英語で尋ねたところ、「このバスに乗ったら、札幌なら中の島へ行ってしまう」と日本語で返ってき
た。あの人に出会ってなければ、私は日本へ帰る最終便に乗り遅れてしまった。神さま、あの時の感じのよい若い男性、ありがとう。30年たっても忘れません。
中国に海外出張で休日に穴の空いた上着を着て買い物に行ったとき、店のおばさんに身ぶり手振りで上着を貸してと言われ、買い物中に縫ってくれた。本当は捨てて帰国しようと思ってたけど、着て
帰国した。
台湾のおもてなし
今年の新年に、家族で台湾旅行をした時のことです。龍安寺でおみくじ占いをしようとしていたら、地元の方がやり方を丁寧に教えてくれました。また、次の日は、九分行きの電車を待つ駅のホームで
も、同じようにバス乗り場まで案内してもらいました。台湾での心温まるおもてなしに、思いでいっぱいの旅になりました。
新宿を歩いていた時、老夫婦に新宿駅迄の道を聞かれ、自分も駅に向かう所だったので、一緒に駅まで行きました。ハワイから来たらしく、「日本人は優しいね。」と言って頂き、「もしハワイに来る事が
あれば案内しよう。」と言ってくれました。そう仰って頂いた事が、とっても嬉しかったです。
つい最近の事ですが、遠く離れて一人暮らしをしている母が自宅マンション近くでうずくまって倒れている所を救急車を呼んで助けて下さった方がいらっしゃいました。幸い大事に至らなかったものの、
頭を打っていたらしく、救急隊の方からの電話のやり取りで少し安心したものの、ほぼ一日かけて入院先に着くまでは気が気ではありませんでした。通報していただいた方に感謝したいと思います。
手術で腕を吊って電車に乗ったら、周囲の人が手に体や荷物があたらないように、波がひくかのようによけてくれました。
ぎっくり腰で動けなかった時に、友人のひとりが肉屋で惣菜を買って届けてくれたこと。実の親や兄弟より親切にしてくれうれしかった。持つべきものは思いやりのある友。
小学生の頃、めったに学校を休まなかったのですが、1日だけ風邪をひき、休みました。クラスメートは帰り道お見舞いに来てくれ、今日の授業のノートを届けてくれました。今でも忘れられない思い出
です。
事故で通院していた時 夏、事故にあい通院を年内で終わりにしようと思った所、担当の方から年末年始は病院が休みでリハビリが出来ない為、休み中体調が悪化しても仕方ないので様子を見て1月
末までにしましょうといわれたこと。とてもありがたかったです。ありがとうございました。
普段、料理を全くやらない長女、長男ですが… 私が風邪をひき、寝込んでしまった日の夜、2人で協力し、祖母の所へおかゆの作り方を聞きに行き、一生懸命私の為に作ってくれました。涙が出まし
た。今でもあの味は忘れられません。
主人が交通事故にあい、集中治療室に入っていた時。私の友人がおにぎりとお茶を持ってとりあえずかけつけてくれました。「お腹空いているんじゃないの?」の気遣いがとても嬉しかったのを覚えて
います。
インフルエンザにかかり、仕事を休んだ日のこと、突然休むことになって職場に迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいだったときに、同僚から「届けものをしたからドアノブの外を後で確認して下さ
い」とメールが。玄関ドアの外側のドアノブにスポーツドリンク数本とゼリー等が入った袋がかかっていて、「困ったときはお互いさまだから気にせず体を休めてください。お大事に」と手紙がついていまし
た。同僚の心遣いに涙が出ました。
松葉杖をつきながら通勤した時、近所で同じ会社の先輩に「カバン持ってあげるよ」と言ってもらった事です。
普段は健康で何とも思わない生活の一部で「歩く」ということですが、足をケガして松葉杖になって思うこと。階段を昇ること、ちょっとした段差が怖い、エレベーターに乗る時に早く乗れない、そんな時、
ずっと扉を開けていてくれた中学生くらいの子、日本も捨てたものではないと感じた。
自転車通勤で帰りに転倒し、大きな道路でしたが、周りの人が「だいじょうぶですか!」と声をかけてくれ、自転車を起してくれた!なんとなくうれしくなった。
エスカレーターで老人が転落したとき、若い人が助けに入った。
30年以上前、大学受験の会場へ急いでいました。履きなれないパンプスでひどい靴擦れになり、ヒョコヒョコ歩いていると後から来た女性(40才くらい)にさりげなくバンドエイドを渡されました。お礼は
言ったものの、あとからじんわりと有り難さがしみました。
電車に乗っている際に立ちくらみしてしまい、慌てて次の停車駅で降りてホームにへたり込んだときに、駅員さんを見知らぬ方に呼んでもらえたのは助かりました。
いつも行っている近所の病院は、土曜日は予約できない為、朝早くから並んでいますが、その日は寒かったので一番にいきましたが、車の中で待っていました。その後来た人が入り口に並び始めたの
で、あわてて車の外に出てならんでました。入り口が開くと一番前に並んでいた女の人が、私が一番に来ていたでしょうと言ってくれて、一番にしてくれました。体調悪いのに、ちゃんと覚えてくれて、一
番にしてくれて、ありがとうございました。すごく心に残ったので、あの時の事は忘れません。私もその気持ちを忘れずにいたいです。
体調が悪く寝ていたら2歳の息子が「ごはん作るね!ママ寝ていていいよ!」と言って私のエプロンを自分で着ようとしていたこと。親バカですがうれしかったです。
電車で本を読んでいたら紙で指を切ってしまい止まらなくなってしまいました。バンソーコも持っておらず困っていたところへ向かいの席のサラリーマン(30代くらい)の方がバンソーコをくださいました。
毎日発泡酒を飲みながら帰る姿が印象的なコンビニオーナー。ある日子どもを病院に連れて行っている間にひどい雨がふってきたので、そのコンビニで傘を買おうと選んでいたら、オーナーが「これ客
の忘れ物だけど使って」と傘をくれました。お店の売上にならないのに、こまっている私達親子に傘をくれたオーナーにとても感動しました
小学生の頃、自転車に乗っている時に、バランスを崩して、コンクリートで整備された川に落下してしまった。元気であれば登れる3m程度の傾斜であったが、手、足、腰を痛めて、なかなか登れずにい
ました。暫くしてから、道端に自転車が倒れているのに気付いて声をかけてくれた人がいました。そして、ハシゴを持ってきてくれて、何とか川岸から登ることができました。携帯電話もない時代なので、
自分で助けを呼ぶこともできず、大変助かりました。
地下鉄の電車に間に合う様に急いで階段をかけおりたが、雨が降っていたので、傘からのしずくが溜まっていたのか、雨水ですべってころげ落ちそうになったところ、隣にいた男子高校生が支えてくれ
た。こわそうな男子高校生だったが、ありがとうと言ったら、かわいい笑顔で、気をつけて下さいね、と言ってくれたことが、今も記憶に残っています。
電車で急病人が出て同乗していたまわりのひとが、緊急通報ボタンを押したり、駅員さんを誘導したりして一致団結した動きが素晴らしかった。
大雨の時、訪問先でタオルをサッと出していただいた時はうれしかったです。
東日本大震災での事です。当日私の家は全壊でした。我家を見に行った帰り、大津港で大阪から来ましたという若者十数名で炊き出しをしておりました。絶望に思えたなか、温かなうどんのおいしかっ
た事。沢山食べて元気を出して下さいと声をかけられ、名も告げられず来て下さいました方々に心よりお礼申し上げ、立ち直る事が出来ました。
数十年ぶりの大雪となった時、車も人も身動きできなくなった時、近所の建設会社の方々が町内中の雪をかいてくださいました。本当に助かりました。心から感謝した事を思い出しています。
東北地震があった時、電気が止まってしまい、1Hなのでガスもなく大変困っていました。その時、東京に行った友達の子どもが「困っているでしょう」とパンや菓子を買って届けてくれました。本当にうれ
しかったです。
2才の娘と散歩に出たら、突然豪雨に見舞われました。娘を抱っこして全力で走っていたら、見知らぬおばちゃんがあわてて雨の中玄関から出てきて傘をさしてくれました。おばちゃん、あの時はありが
とう。ほっとしました。
私が小学校低学年の下校中、雷雨にあいました。家が貧しく、カギっ子の私。共働きの父母は迎えに来られるはずもありません。幼い私にはなすすべもなく、歩き続ける事しか考えられませんでした。
しばらく行くと、ずぶぬれで歩く私に声をかけてくれた洋品店のご主人。あたたかい飲み物と、お菓子まで出してくださり、冷えた心の中まで温めてくださったことを今でもはっきりと覚えています。半世紀
近くたった今でも心に残る感謝の思い出です。
子どもを連れて外に出るようになってから、本当にたくさんの方に親切にして頂きました。震災当時仙台に住んでおり、歩いて居たら「お腹すいていない?」と子どもにあたたかいおにぎりを頂きました。
色々不安な時だったので、涙が出る程心が温まり嬉しくなったのを今も覚えている。
5年前の3月11日の大震災時に苦労したのが飲料水でした。食料品購入で並んでいたときに言葉を交わした方が自宅の近所に飲料水を提供してくれる家があると教えてくれ、早速出向いてみたら、
親切に対応して下さり、水質水量ともに満足できるものでした。人との交流の大雪差を改めて学んだ大地震でした。
東日本大震災で断水した時。近くの建設会社で井戸水を提供していただきました。夜中も汲めるように自家発電で照明もつけてくださり 本当に有り難かったです。落ち着いてから心ばかりのお礼にと
手作りケーキを届けに行ったら、社長さんが 4人の子どもに千円ずつくださいました。少し大きくなった子どもたちと今でも その話をします。水のお礼に行ったのにお小遣いをいただいてしまって…いつ
までもいつまでも心に残る うれしかった小さな、いえ大きな親切。社長さんありがとうごさいます!
3月11日の地震に遭って飲む水にも困っていたときに、近所の方が2リットルのペットボトルの水をくださいました。インフラもいつ復旧するかわからない状況で、その頂いた水はその方にも貴重だった
はずです。
東日本大震災の時多くの人に親切にしてもらった。
投稿
震災の時に、ほとんど付き合いのなかったアパートのお隣さんから、食料を分けていただいたこと、ずっと忘れられないと思います。
関東大震災の時食べる物がなく、小さな子どもを連れてスーパーの外で並んでいる時に、前にいた方が飴をくれました。皆が大変な時に、見ず知らずの人に優しくしてくれて嬉しかったです。
震災時に水も電気も無く車の中で寝る時に近所の方が、2lのペットボトルで湯たんぽを作って持って来て下さった事。
2016 3.14熊本地震にあいました。朝起きて水道水が濁っていたが、しばらくすれば濁りがなくなると思ったが、いつまでもおさまらない。飲料水を買いにいったが、どの店も売り切れであり、そんなおり
他の場所から、地水をとっていた方から、飲料水をもらうことができました。6日間ほんとうに助かりました。
足の悪い母と電車に乗った時、ラッシュ時で満員だったにもかかわらず、母を見た男性が席を譲ってくださった。その方は仕事終わりだった。自分も疲れて座りたいのに、母へ席を譲ってくださったこの
男性を今でも時々思い出し、とても感謝しています。
駅のホームで貧血で倒れた時に駅員さんを呼んできてくれた。
まだ子どもたちが小さい頃、いつも乗らない電車に乗る機会がありました。1人をだっこ、1人を手をつないで立っていたら、おばさんに「次で降りるから座って」と席をゆずって頂きました。10年以上たっ
た今でも覚えています。ありがとうございました。
昔、妊娠中に満員の電車の中でまだシルバーシートとか無い時、寝たふりをする若い人が多い中、「どうぞ!」と言って席をゆずって下さったお年寄りがいました。「いえいえ、大丈夫です」とおことわり
しましたが、さっさと席を立ってつり革につかまり私を誘導して下さった親切に感謝感激のことがありました。
妊娠中、妊婦キーホルダーをつけて電車に乗ったら「気付かなくてすみません!」と席をゆずってもらいました。病気ではないけれど、しんどかったので、嬉しかったです。
足にけがして電車に乗ったとき、男子高校生が席をゆずってくれました。足が痛い時でしたので、嬉しく思いました。
JRの電車をいつも利用しています。先日、金髪の若者がお年寄りに席をゆずっているところを見て、外見だけで人を判断してはいけない事を実感しました。まわりにいた人も心があたたまりました。
普段電車に乗った時、身体の不自由な人や小さなお子様連れの方、お年寄りの方etc.に席を譲る事が多い方ですが、先日東京に住んでいる娘の所へ行くのに東京発の中央線に乗りました。スーツ
ケースとサブのカバンと荷物が多く、立っていましたら小学生の男の子から席を譲られました。お母さんと二人連れで中国人の方でした。言葉は通じませんでしたが、うれしい気持ちを「ありがとう」の言
葉に添えてジェスチャーで伝えました。
仙石線は高齢者優先席がちゃんと空いている。移動して来て、感動しました。
スポーツでアキレス腱を切断し、松葉杖で通勤していた時、電車の中で少し離れた座席にわざわざ招いて座らせてくれた人。駅の階段で手を貸してくれた人がいらっしゃったこと。それ以来自分の出来
ることは(妊婦さんの席譲りなど)してあげられる様にお返しをしています。
第二子を妊娠中、上の子を連れて電車に乗った時の事。臨月も近く席が空いていればいいなと思ったが満席。しかたなく2人で立っていたら、だいぶ遠くから男性が「こちらに座って」と呼びに来てくれ
ました。ですが、呼びに来てくれるすきにおばさんに席を座られてしまい、気まずそうにする男性に御礼を言いました。わざわざ呼びに着てくれた男性の気持ちがうれしく、息子にもそんな優しい男性に
なって欲しいなと思います。
まだ40代で健康体なのですが、脚をケガしてしまい、杖をついて電車に乗っていました。その際に、20代くらいの男性に生まれてはじめて席を譲ってもらいました。4ヶ月の息子を病院へ連れて行った
時、雨がひどく降っていたのですが、車から入り口まで赤ちゃんを抱いて走ろうと車を降りたとき、通行人の人がわざわざ病院の入り口までかさに入れてくれたこと。
小さかった孫の行動 電車に乗っていた時、年寄りのおばあさんが孫の前に来た時席を譲ってあげようと立ち上がっておばあさんの手を引いたとき、小1の孫をほこらしく思った。もう今は大学生。
夫婦で電車に乗った際、席がとびとびで空いていたのだが、間に座っていた学生がずれて並んで座れるようにしてくれた。最近はなかなかこういう気づかいが出来る人が減っていると思うので、自分も
他人にできるようにと改めて考えた。
電車で隣の席の男の人が寝ていて寄りかかってくるから、反対の隣に詰めて座っていました。でも、ひどい寄りかかり方で困っていたら、反対の席の隣の人が「席、かわりましょう」と立ち上がって替
わってくれた男の人がいて、うれしかった。
飛行機で子どもをひざの上にのせていたら、隣が空いている席に変更してもらえたこと。
4ヶ月前に職場の運動会でアキレス腱断裂をしてしまいました。手術・退院してから先月までの2ヶ月間、松葉杖をついていました。その格好を見ると、周りの皆さんどんな場面でも、道や席をゆずってく
れるのです。ありがたく感じると共に、まだまだニッポン!すてたもんじゃないと思いました。
14年前、娘がまだおなかの中にいた時のことです。電車通勤をしており、朝の満員電車で初老の男性が「うちの娘ももうすぐ出産なんです。大切にしてくださいね」と言って席を譲ってくださいました。朝
から心あたたまる言葉をいただいてとても嬉しかったです。
電車内で具合の悪い方がおられたのを近くの人が、先ず、座席を譲り、次の駅で駅員の方を他の人が呼びに行かれ、無事救急車で運ばれたという連携プレー。
学生の頃、バスに乗る前に腹痛でバス停でうずくまったことがあります。前に待っている方が多かったのでバスに乗っても立つことを覚悟していましたが、私よりうんと年上のおばあさんに気付いてもら
え、「若いコでも色々あるんや、ここは座ってゆっくりしなさい」と席をゆずってもらった時は本当にうれしかったです。それからは私もこまっている人は声をかけようと思いました。
妊娠して電車通勤していた時、混雑した車両で座ることが出来ませんでした。学生があらそって席を取っていました。夫の同僚の方が、学生を怒り、席を立たせた後、私に「すわりなさい」と席をゆずっ
てくれました。うれしかったです。
山手線に夫婦で乗った時のことです。座席が1つ空いていたので女房が座ったら、隣の女学生が小生に席を譲ってくれた。うれしかった。お礼を言って座った。小生も年寄りに見られていたのにビック
リ。
はじめて電車内で席をゆずられた日を今でもはっきり覚えています。見るからに不良少年っぽい(当時髪を黄色く染めることが珍しい)若者二人に「どうぞ」と声をかけられ自分の偏見にはずかしくなり
ました。その時のお二人に、ごめんなさい!ありがとう!
電車で移動中に子どもがグズり、立っていられなくなった際に、小学1~2年生のお子さんに席をゆずってもらったこと。
子ども2人を連れてバスに乗って立っていたら、高校生の男の子に「気付かなくてごめんなさい、どうぞ」と席をゆずられそうになりました。でも、その子、ギブスをしてつえを持っていたんです。もちろん
感謝を伝えて断りましたが、彼の優しさにとても心を打たれました。
2人目を妊娠中に慣れない都内の電車に立って乗りました。前に座っていた若いカップルが私のバッグにつけていた妊娠中のピンクのキーホルダー(自治体からもらえる妊婦さん用のキーホルダー)を
見て気付いてくれて、席をゆずってくれました。つわりもまだあって、妊婦さんと気付かれない事が多いので、すごくうれしかったのを覚えています。その方たちが降りる時に改めてお礼しました。その時
は本当にありがとうございました。
60才の時に、地下鉄に乗った時の事、目の前に座っていた青年が席を譲ってくれましたが、自分ではまだ若いつもりだったので、うれしいやら照れくさいやら。でも、せっかくだったので座らせてもらいま
した。
まだ子どもが11ヶ月くらいの時、大阪に住む叔父のお見舞いに行った時、田舎とは大違いの満員電車にびっくり!!ギューギュー詰めの中、11ヶ月の子を抱っこしていた私に席をゆずってくれたおば
さま。ほんとうにありがたかったです。まわりの人たちもこころよくよけてくれて、都会のほうが優しいのかも!?
重い荷物を持って混雑する電車に乗り込んだ時、席をゆずってくれて、私の見えない場所まで移動し、気を使わせないよう配慮してくれた。
沢山の荷物を持ってバスに乗った時、優先席が満席で立っていたところ、外国人の若い男性が「ドウゾ」と言って席を譲ってくださり、その片言の日本語の響きが今でも耳に残っています。
実家が遠いため、生まれたわが子を親に見せるにも大移動。電車で席を譲って下さる方や、笑顔で話しかけてくださる方が暖かくて、大変な子連れ帰省が良い思い出になりました。子どもが大きくなった
ら、すすんで席を譲る優しい子になってほしいと思います。
妊娠中に通勤しているときたくさんの方に席を譲ってもらったり親切にしてもらった。その中の一人の方とある日会社でバッタリ会い同じ会社の人だと知った。
この間電車に乗ったところ、中学生らしい男子がやおら立ちあがり、席を譲ってくれた。私も席を譲られる年齢になったのかと、嬉しかったことと、がっかりした複雑な気持ちを感じた
子ども(3歳)と遊びに行った帰りで満員電車に乗った時、遊び疲れたせいか、立っているのに疲れたのか、抱っこをせがまれました。満員電車で泣かれても困るので、止む無く抱っこをし、子どもはその
まま眠ってしまったのですが、荷物を持っていて片手で抱っこしていたせいか、初老の御夫婦が席を譲ってくださいました。あの時は本当に辛かったので、御夫婦の心遣いが心に沁み入りました。
ちょっとした親切って大事だなぁ、有難いなぁ、と再認識した出来事でした。
単身赴任で中国へ行っていた主人の所へ、遊びに行った時の事です。
当時6才の娘と3才の息子、主人と私で路線バスに乗りました。中国の人は、バスを待っている時も並ばないし、まだ降りる人がいるのに乗り込んで来たり、驚きました。
しかし、ぎゅうぎゅう詰めのバスの中で、2才の息子に席を譲ってくれた方がいて、とても嬉しかったです。これは日本と変わらないなぁと、中国が好きになりました。
第一子妊娠中、臨月に入った頃、バスに乗ったときのことです。満員で座れず手すりに寄りかかりバランスをとっていました。なかなか座席に座ることができずにいたんですが、小学生になりたての子
が近寄ってくれて「ここどうぞ」と声をかけてくれました。まだまだその小学生が小さい体だったのでお断りしたのですが、「おばちゃんは、大丈夫だよ。気持ちが嬉しい。」と伝えると満面の顔で笑ってく
れました。
投稿
妊娠中、通勤電車が事故でダイヤ乱れ。
混んできて降りる事もできなくなった時、座席を譲って下さった男性。こんな電車では誰もが座りたいのに。涙がでました。
子どもが小さかった時にバスに乗ったら、乗客が多くて子どもを椅子に座らせられずにヨタヨタしていたときに、近くに座っておられた年配の女性の方が、子どもを膝の上に抱っこしていただき、本当に
助かりました。
両手に大きな買い物袋を持ってバスに乗りました。席がいっぱいでしたが5分くらいなので、手すりにつかまるために片方の荷物を床に置いて立っていました。すると少し離れた所に座っていた女子高
生が声をかけてくれて席を譲ってくれました。身近にも優しい子がいるんだなと嬉しくなりました。
満員電車で気分が悪くなり、立っているのがやっとの状況で、前に座っていた男性が笑顔で席を譲ってくれたときです。嫌な顔1つせず、気づかずに申し訳ないと謝りながら立ってくれたときは、本当に
嬉しかったです。気分があまりにも悪くろくに感謝の言葉も言えず申し訳なかったのですが。
子どもが乗り物酔いで、電車でぐったりしていたら、高校生くらいの男の子が気がつき、席を譲ってくれた。最近の若者も、立派な子がいると思い、嬉しくなった。
妻が妊娠中の通勤途中の電車でに外国人の男性に席を譲ってもらったと嬉しそうに話してくれました。その外国人の方は妻のマタニティマークを見て当たり前のようにすっと席を立ち「どうぞ」と言って
くれたそうです。
私も妻が妊娠するまであまり意識していなかったかもしれないと反省し、席を譲ってくれた方への感謝の気持ちと周囲への配慮を再認識できた出来事でした。
臨月間近の頃、帰宅ラッシュにたまたま遭遇してしまい、優先席付近でもないし、体力も残っていたため、空いてきたら座ろうと立っていた。隣にはバンドをやっていそうな、少しすれたかんじの少女が
同じく立っていた。
何駅か過ぎ、私の立っている位置から三人程離れた席が空いた。すると、その少女が、背負っていた鞄をその席に放り投げ、席取りをした。今時そこまでがんばって席取りをしてまで座るのだなぁと見
ていたら、突然私の手をとり、その席に引っ張っていき、座るようにうながされた。マタニティマークを付けて居なかったが、私のお腹に気付いたらしい。終始無言ではあったが、人は見かけによらない
のだなぁと、とっても嬉しくなった。
徒歩で駅へ向かう途中、突然の降雨で困っていたところ、見知らぬ方が車を止めて駅まで送って頂きました。その上、コンビニで買った安物ですからと言ってビニール傘まで頂戴しました。感謝感激で
した。
自転車のチェーンが切れて困っていたら、知らない人が軽トラックで自転車と私を乗せてお店まで乗せてもらった事です。いまでもおつきあいしています。
娘の就職で社宅へ引っ越し、車で移動、カーナビ便りでしたがなかなかいきつきません。全く迷路の様な道で道端会議中の主婦2人に道を尋ねると右に回り、また道を回り・・・。言われた通りにグルグ
ル回るとまた元の主婦のところに。最後は親切なことに同乗して案内してくださいました。
もう4年も前の話ですが、長男の卒業式に歩いていたら、親切な方が天気も悪いし勤務先も学校の隣だからどうぞ乗っていってくださいと声をかけてくださいました。いまの世の中でこんな親切な方が
いるんだと感動しました。その時からかなり年数がたちますが、当時かなり急いでいたのでお礼もちゃんと伝えれずにいました。本当にありがとうございました。
信号待ちで車が動かなく渋滞になり焦っているとき、車を押して道路の端まで移動してくれた人がいました。感謝感謝でした。
ブレーキランプの片方が切れているのを信号で止まったとき隣の人が窓を開けて知らせてもらって助かりました。
車を運転ミスで溝にタイヤを落とし動かなくなった時、山奥だったのに何台も車を止めて頂いて何人にも助けて頂いた。近くの農家からロープを借り、牽引してもらい、何とか出ることができました。携帯
もつながらない所だったので本当に助かりました。
2月の大雪、標高1,100mの当地は30cm以上の積雪でした。約束があり、朝7時に“なんとかなる”と出発はしたが、雪だまりに入り込み前にも後にも進めません。その時、通りかかった大型トラック、「私
が先に通るから、その“ワダチ”を進めば大丈夫」と前進、バックを繰り返して道を作ってくれました。500mくらいも先導してくれ、助かりました。
久し振りに会った孫達、楽しい時間を過ごし別れを惜しみつつ、並んで走っている車の内からもずっと手を振りつづけていました。3車線の信号待ちで、右折と左折する私達の車の内で手を振る孫達に
気付き、中央線の車が間を置いて止まって下さったのです。皆んなで「おーっ」とても温かい気持ちになり、感謝です。
車で信号待ちをしている時、おばあさんのシルバーカーを押し、手を引いて横断歩道を一緒に渡ってあげている中学生男子のグループを見ました。自分の事じゃないけど、見ていてとても幸せな気持
ちになりました。
若葉マークの運転で、細い道で前方から車が来たが、当時自分ではどうしていいか分からず、上がってしまったら、先方で気付いてパッシングし道を譲ってもらった時のその安堵感は今も忘れない。私
も極力譲るようにしています。
田舎の細い道を走行中、溝に脱輪して困っていた時、村の人たちが当然の様に協力して車を持ち上げてくれて助けていただきました。無償の親切に感激しました。
田舎道で事故にあい、動けない車でJAFを待っていた時、近くの人が寒いだろうに家に上がって待っていたら?とお茶やお菓子を出して迎えてくれたこと。事故で落ち込んでいる時に、すごく親切にして
くれてうれしかった。
突然の積雪で取り付けた事のないスタッドレスタイヤとの交換に苦慮していた時、地元の青年が手伝って(殆どその方がして下さった)頂いた事!!
トラックの運転手さんに道を譲ってもらい、うれしかったです。道を譲ってもらうのは、トラックの運転手さんが多いです。感謝しています。
健康のため毎日ウォーキングしていますが、前後から来る車がスピードを落として、私が安全に歩けるよう、心配りをしていただけると、日本もマンザラではないとホッとします。
バイクで走行中、タイヤがすべって転びそうになった時、近くにおられた方が飛んで来てバイクを起してくださったこ時、とてもうれしかったですネ。
私は足の状態がよくなく、ゆっくりしか歩けないのですが、信号の無い横断歩道で渡る手前で、若い人が運転する車が私が渡り終えるまで停止してくれていたことがうれしかった。
信号機のない交差点でなかなか右折できない時に対向車がゆずって下さった。
運転初心者の時、先に渡らせてくれた人達、特にトラック運転の方々。
車を運転している時、横断歩道で小学生が手を上げていたので、私は車を止めました。小学生は横断歩道を渡り終え、私の方を向き帽子を脱ぎあいさつしてくれました。とても気持ちのいい時間でし
た。
自動車免許を取り立ての頃(30年前ですが)大きな交差点でエンストを起してパニックになっていた時に、後の車の男性が車から降りてきて“あせらずに”と言いながらエンジンをかけてくださいました。
今でも時々思い出しています。
雪の降った日、小高い公園での出来事。路肩に山水を流す小規模な排水溝があり、後輪がはまり立ち往生。ここへ地元に住む方が助けの手を。うれしかった。さらにその方は自宅からスリップ止めに
なるワラを持って来てくれ元にの位置へ。無事帰ることが出来た。私も心掛けています。その方と同じ様に。
車の運転免許をとりたての頃、狭い道路に入ってしまい、動けなくなったわたしを見て、運転を替わってくれた見知らぬ人。雨も降っており、本当にどうしたら良いかわからず「天の助け」とホッとしたのを
覚えています。
昔、駐車場でライトをつけっぱなしにして、残業で遅くなって戻った時、バッテリーが上がってしまい、途方に暮れていたら、隣に停めていた人がブースターをつないで充電してくれた。地獄に仏でした。
以前、10代の若いグループの車が砂浜で動かなくなり、家に助けを求めてきました。トラクター出動と大掛かりな作業になりましたが、無事に移動させる事が出来ました。その翌日、その若者たちが我
が家にケーキを沢山持ってお礼に来てくれました。気持ちがうれしくて幸せな一日になりました。
急な事情があり、あせって運転をあやまりタイヤを脱輪してしまった時、家族連れ(小さな子どもも)にもかかわらず、降りてこられ、いろいろアドバイスをいただき、道路に出ることができた。「何かお礼
を」と思っている間に、黙って通り過ぎていかれました。感謝、感謝です。
若い頃の話ですが、暗い駐車場から出ようとし、タイヤを溝に落として困った事がありました。でもそれもほんの一瞬、あっという間に周りの方が車から降りて下さり、タイヤを上げてくださいました。みな
さんの行動力にはありがたさとおどろきを感じました。
信号のない十字路の道でストップの標識があるので止まっていたら、ドライバーの人が車を止めてくれて、ドーゾと手で合図してくれました。気配りが嬉しかったです。
私はこの冬、外出先で自転車をパンクさせてしまいました。雪が降り出す中、仕方なく、長時間を覚悟し、自転車を押して帰路につきました。しばらくして「おーい!」と通り掛かった軽トラックから声をか
けられました。ゴルフ仲間の友人でした。家まで連れて行って頂き、大いに助かりました。亡妻がよく子どもたちに「友達は多いほど良いのだ!!」と言っていたのを思い出しました。
大雨に降られて…。尾瀬に夫婦でハイキングに行った帰りです。次のバスまで1時間以上あったので、駅まで徒歩で行く事にしました。ところが30分もすると突然激しい降雨です。傘もなく、カッパもな
く、途方に暮れていました。仕方なくズブぬれで歩いていると、中年紳士の車が急停止し、拾ってくれました。「お乗りなさい」の一言が、天の助けの天使のように見えました。
3才の子どもを連れて歩いていると、子どもが横断歩道の真ん中でストップ。大好きなトラックが左折待ち。息子はトラックに手を振りはじめる。運転手さんはコワモテ・・・(汗)でも待ってくれただけでなく、手
を振りかえしてくれました。見た目だけで先入観を持った親であることが恥ずかしく、運転手さんの気持ちがとても嬉しかったことを思いだします。
仕事で福島県小野町を走行中雪の坂道で脱輪し、寒空の中困っていたとき、カフェ「café・BEE」のご夫婦と町内の大勢の方が集まり、どうにもならず・・・近くから小型ブルドーザを持ってきてどうにか助
けられまして無事仕事を終了しました。その時のお礼を小野町の方に伝えたく「心に残るうれしかった親切」としてここにお礼を申し上げます。ありがとうございました。
田舎道でガス欠になり困りました。見ず知らずの農家の人が備蓄分のガソリンをとりにいき、分けてくれました。自分の車を運転して帰宅することができ助かりました。
投稿
だいぶ前に起きたことです。夕方お店に入ろうとしたところ、若い御嬢さんが泣きそうになって私のところにきました。車のエンジンがかからなくなったみたいで、30分くらいどうしてよいか判らず困り果て
ていたそうです。雨も結構降っていました。とりあえず、ガソリンがかぶっていたみたいなので、アクセルを踏み込んだままエンジンをかけその場を救済してあげました。御嬢さんからは、泣き出しながら
感謝されました。ちょっとした人助けでしたが、行って良かったと思います。
雪道でスリップして立ち往生している時にトラックドライバーに助けてもらった。
細い道を運転していたとき、向かいから車がきました。道のふくらみで待って、向かいの車を通しました。すると、向かいの車のおじさんがすれ違い様に、『ありがとう』の意味でピースサインをしてくれま
した。その日はなんだかほっこりした気分で過ごせました。
雪の降る夕方、散歩の途中スリップして気を失っていたとき、すれ違った通学生さんが、私の運転免許証をたよりに、自宅まで送ってくれました。町内会の方とは思いますが、そのまま無言で帰ってしま
いました。御礼も言えず、ただ感謝しています。以後、ボランティアとして、町の防犯パトロールで恩返し(つもり)をしております。
私の前の車が事故を起こし、困っていた時に近くのガソリンスタンドの店員さんが、警察・救急車を呼んでお店があるのに色々と対応しており、事故を起こした方も感謝していました。
畑でトラクターがバッテリーの容量不足で起動できなかったところ、農道を走っていた軽トラックが
止まり、ブースターケーブルで軽トラックからの充電補助を受け起動する事が出来た。工具を持参していなかったので、たまたま通りかかった人の親切を受けて助かりました。
浜松市の中田島砂丘でのこと。
駐車場と砂丘との境目が砂で埋もれていてわからず、何も考えずに車で進んだら前輪が砂に埋まってしまいました。
あーぁ、と困っていたら、近くにいた若いお兄さんたち数人がワーっと集まってきて、またたく間に車を砂から出してくれました。
本当にありがたかった。あの時のお若い方々、どうもありがとう。
1月の暴風雪の時にどうししても出掛けなければならない要件が有り、乗用車で出掛けたのですが、要件を済ませ、帰宅の際に強力な暴風雪の影響で、見通しが悪く何回も吹き溜まりに、はまっては
脱出を繰り返していましたら、近くの民家の方がご夫婦で、はまった個所の除雪を援助してくれて助けられました。吹雪の中での親切に大変感謝した次第です。
バイクを運転していたときに、背中に回したウエストバックのチャックが開いたまま運転していたのですが、信号で停止した際に、後ろの自動車の運転手の方が一生懸命ゼスチャーで教えてくれたこと
です。
小学生の頃、自転車がパンクして困っていたところ、通りがかったトラックドライバーさんが自転車ごと自宅まで送り届けてくれました。嬉しかったです。
一緒に高速バス乗り場に行ってくださった。方向音痴の私は新宿でいつも高速バスターミナルが分からなくなります。ある時、私のあまりに不安そうな様子を見かねたのか、ターミナルまで一緒に行っ
て下さいました。お忙しそうな様子だったのに。
電車に乗った時、手荷物を持っていたが、前に座っていた人が「荷物を私のヒザにのせていいですよ」と言ってくれた。
子どもの入試の時です。高校へ行くバスが1本しか無く、全員乗れずに困っていたところ、バス会社が臨時バスを出して下さったそうです。通勤の方たちも受験生に順番を譲って下さったとのこと。皆さ
んに支えられて無事試験を受けられました。大きな親切ですね。にこにこして帰ってきました。
バスに乗ってからバス代の支払いが1万円札しか持ち合わせがなかった事に気付き困っていたら、近くに座っていた人が小銭を出してくれた。
満員電車で通学していた中学生のころの話です。身長140cmくらいの私が重い学生かばんを網棚にのせたりおろしたりするのを手伝ってくれたサラリーマンの方々、ありがとうございました。今の時代
では考えられないことでしょうね。なんかさびしい世の中です。
20代の頃、私は電車通勤していました。私は身長が低く満員電車ではつり革にもつかまれず、いつも転ばないように必死でした。そんな時、40代位の男性が、自分の腕でドアとの間に空間を作ってく
れました。私はその人のおかげで安心して電車に乗ることができました。
小学生の頃、妹と二人で電車に乗って隣の市のデパートまで買い物に行きました。帰りの心配をしないように往復切符を買っていたのでお財布の中のお金を残らず使ってしまったのですが、いざ駅で
電車に乗る時になって帰りの切符がみつかりません。妹もお金を残しておらず「帰れない・・・」と泣いていると駅員さんが事情を聴いてくれました。あの時のご厚意を思い出すと、今でも胸が熱くなりま
す。
九州から上京したての頃、乗り換えの電車のホームがわからず、困っていたら知らない人が丁寧に教えてくれたこと。関東の方は冷たいイメージでしたが親切な方もいるのだと、すごくうれしかったで
す。
妻が一人で実家へ帰省する為、久々に新幹線へ乗りました。大きな荷物をかかえた状態で座っていた所、目の前に座っておられた男性の方が持ち上げて荷物の棚へ置いてくれました。そういう小さな
ことに気づき助けていただいたことに心が温かくなりました。
いまでは、乗車券は1枚になってしまいましたが、昔は乗車券と指定席券の2枚だった新幹線。いつものように車掌さんがきっぷを拝見に席に来たとき、私は胸ポケットからチケットを差し出すと、車掌さ
んはそれを確認してから検印を押し、なんと印を押した面が手に着かない様に印を押した面を合わせて返してくれました。私はそのままの状態でまた胸ポケットにしまうことが出来、いままでこんな対応
をしてくれた車掌さんがいなかったため、とても感心したことをいまでも覚えています。
先日バスを降りる際、私よりシニアな知人が、老人が下車するのをごく自然な形にて手助けされているのを拝見いたしました。 その知人は現役時代は医療関係に従事されていたそうですが、私もそ
の程度の行動は肉体的にも出来るはずで、今後はなんの照れも躊躇もなくそのような気配りを出来ればと思いました。
確か小学校低学年の時、ひとりで一駅だけ電車に乗って帰るはずが、乗る電車を間違えて見知らぬ駅に着いてしまったことがありました。何かおかしいと思いつつも人の流れに乗って改札を出てし
まった私は、どうしていいかわからず泣き出しました。するとすぐに私の周りに人の輪ができ、皆さんが口々に優しく声をかけてくださり、あるサラリーマン風の男性がサッと切符を買って私に握らせ、帰
り方を丁寧に教えてくださいました。私にとってはとても大きな親切で、40年ほど経った今でもそのことを思い出すとあたたかなものに包まれる気がします。
私が小学校に路線バスで通っていた時の事です。帰りのバスで中は混雑していて降車ボタンを押したのですが、前に出ることができずにいたら高校生が運転手さんに『子どもが降りますので待って下
さい』と教えてくれました。あれから数十年経ちますが今でも覚えております。
高校生の時、満員電車で沢山の人に押されて両手を窓に当てて潰されないように耐えていたら、目の前に座っていたお姉さんが私のカバンを「持っててあげる」と言って自分の膝の上に置いてくれた
事がありました。とても助かりましたし、親切な人もいるものだなぁと感動したのを今でも覚えています。
私が高校生の時に、電車で帰宅中に貧血になりかけていたのを、小さな子どもを連れていたお母さんに声をかけてもらい、大きな荷物をもった私を車内のベビーカースペースへ移動するよう、うながし
てくれました。1人で心細い私はうれしかったのを憶えています。
私が洗濯物を干している時、2才になる息子が「ハイ!」とせんたくバサミを持ってきてくれました。ちょうどバスタオルを干していた時だったので、幼い我が子の心づかいがとてもうれしかったです。
電車の乗降時、ベビーカーの乗せ降ろしを手伝ってくれる方がいる時、まだ日本も捨てたもんじゃないなと思います。
坂道をベビーカーを押しながらのぼっている時に、子どもの毛布を落としたことに気付かず、そのままのぼっていると、後ろから初老のおじさまが声をかけてくれながら坂を走って毛布を持ってきてくれ
た。
最近エレベーターも増えてきましたが、公共の施設の階段を移動のときにベビーカーを持って上がってくれた方がいました。とても嬉しかったです。
先日ベビーカーに子どもを乗せてお出掛けした際、エレベーターのない駅の階段の上で、どうしようかと立ち往生しているとき、おじさんが声をかけてくださり、一緒に下まで降ろしてくださいました。あ
のときのおじさん、本当にありがとうございました。
50才にして、ペン字を小学生と一緒に教室で習っています。小学生は学校帰りに習って、私は仕事後に行きます。子ども達がそっと“ざぶとん”を用意してくれます。うれしい小さな親切でほっこりしま
す。
当時3才だった娘がウトウトして寝てしまった私に、そっと毛布をかけてくれていて気付いて起きてしまった私に「かぜひくからかけて寝なきゃダメだよ」と言ってくれ、おもわず感動してしまいました。
子どもが初めて一人で友達の家に遊びに行った時、大丈夫かな?と不安だった私に、友達の母が「仲良く遊んでます」と写メを送ってくれました。
母の日にホテルのレストランで両親を誘い食事をすることに…ひざの悪い母が階段をのぼっていると、小学生の息子がそっとおばあちゃんに寄り添い、肩を貸してあげていました。声をかける前に自
分から行動していたことに母も孫の優しさに感激していましたが、親としても嬉しい出来事でした。
2才になる息子がケガをするとばんそうこうを張ってあげていました。私の足に傷があるのをみつけた息子が「痛かったねえ。ばんそーこはろーね」とばんそうこうを持ってきてはってくれました。その傷
は痛くもなんともなかったけれど、息子の優しい成長に、ちょっぴりほっこりしました。
「会社に行きたくない」と子どもに言ったところ、「会社に行かなきゃダメだよ」としかられ、「仕事頑張ってね」と子どもにはげまされたこと。
今年のホワイトデー。6年生の息子は反抗期も入り、普段は冷たいなあと思うこともしばしば…。でも14日、「お母さんあげる」と持ってきてくれたのは料理本でした。「見るかなぁと思って」とはずかしそう
にくれました。おこづかいで買ってくれたらしく、優しい息子でうれしく、ホッコリした気持ちになりました。
地下の階段から地上に上がろうとベビーカーに寝た子どもを乗せていた所、後ろから来た男性の方が一緒にもってもらい、本当に助かりました。子ども+ベビーカーで約15kgあり、地下から地上まで30
段以上の階段でした。
歩道を歩いていたおばあちゃん(80才以上)が転んだので、通りがかった小学生(4人)が助けてあげたが「私どこに居るのか判らない…」と言うので、通行人にたのんで警察にTELしてもらった。警察
が来るまで小学生は動けないおばあちゃんの手をつないで、待ってあげていた。最後までめんどうをみてあげた小学生!
子どもの幼稚園の送迎バスを待っていたら雨が降り出し、そこを通りかかった自転車の男子高校生が停まって傘を差し出して「これ使ってください」と言ってくれた事。心やさしい若者がいるのだなと思
いました。あの高校生はどんな大人になっているのでしょう。
投稿
子どもが公園から帰ってきたとき、郵便受けをあけてと言われ、あけてみるとつんできた草の花束が置いてあって、心がふわっとあたたかくなりました。
電車に子ども(3才くらいの頃)と乗っていて、混雑で泣いてしまった時、となりのサラリーマン風の方がスペースの空いているところへ声をかけて誘導していただきました。子どもも安心して泣き止んで
ありがたかったことをおぼえています。
先日、自転車に乗っていて異音がしたので、止めて確認していたら、後から自転車で来た小学校5~6年生の女の子が「どうされました?」と声を掛けてくれた。「うん、ちょっと音がしたのでね。大丈夫で
すよ」と言ったら「そうですか」と言って去って行った。今時、大人が声を掛けてもなかなか返事をしてくれない子どもが多いのに、びっくりしました。この子の親や先生の顔が見たかったです。
イヤイヤ期の2才の息子と散歩していたときのこと。帰らない!と泣き叫ぶ息子に困り果てていると、通りかかった70代位の女性が買ってきたばかりのキウイフルーツ4個とジュース2本を渡してくれまし
た。息子は喜んで機嫌も良くなり、すぐに帰ることとなりました。お礼もできず、散歩するときはいつもあの女性を捜しています。
日中の電車内ではベビーカーに赤ちゃんを乗せたお母さんをよく見かけます。昔と違ってホームまでエレベーターとエスカレーターも完備されているからでしょう。でも、電車に乗り込む時になると、ホー
ムとの間にはスキ間があるし、電車床面との段差もあるので、お母さん達は大変です。その時私は脇から手を出して、ベビーカーの前方を持ち上げて協力することにしています。以前、それでもスキ間
に車輪がはさまってハッとした時、反対の脇から若い男性が手を出して強い力で持ち上げてくれました。お母さんがお礼を言ったら、その人は日本の方ではないようでしたが、さわやかな笑顔が返って
来て、とてもうれしい光景でした。山手線池袋駅ホームでの光景です。
ベビーカーを押して買ったおむつを持って歩いていたところ、通り過ぎた後わざわざ戻ってきて扉を開けて通るまでおさえていてくださったおじ様。本当に心が温まりました
子どもと満員電車に乗っていたら、子どもが泣き出して困ってしまった。そしたら近くにいた女性がシールをくれて子どもはシールにくぎづけ。ピタッと泣き止み助かりました。
親切とはちょっと違うかも知れませんが・・・私が仕事から帰ってきて「あ~疲れた。今日はごはん作りたくないなー」と言うと、5才の息子が「じゃあ僕が”ごはん作りロボット”を作って上げるよ」と言いまし
た。一瞬、そのロボットが完成するまで何回晩ごはんを作るのだろう?と思いましたが、息子の優しさに疲れも吹き飛びました。もちろんエネルギーもチャージされ、ご飯も無事作れました。
5歳の娘、いつも私が怒ってばかりなのに、私が体調を崩してダイニングの机で寝ていたら、そっと毛布をかけてくれていた。こんな母親でもこんなに優しい子どもに育ってくれたのかと、涙が出ました。
いつもごめんね。お母さん頑張るね。
新米ママに成り立ての頃、実家は遠く、初めての子育てに戸惑う毎日でした。ある時出掛けた先でおんぶした我が子がずり下がってしまい四苦八苦していると、通りすがりのおば様が手を貸して助け
てくれました。些細なことかもしれませんが、日々のストレスで押し潰されそうだった心がぽっと暖かくなった瞬間でした。
1歳の娘を連れてスーパーに買い物に行った時のことです。子どもがぐずって騒いでしまい、周りに迷惑なのではと焦っていたところ、一人のおばあちゃんが声をかけてくれました。おばあちゃんの声に
娘も落ち着き、私もおばあちゃんとの会話で気持ちが穏やかになりました。とてもありがたかったです。
甥っ子が幼稚園で配られたお菓子をくれました。私に会うからと、食べたいのを我慢してくれたようです。子どもがお菓子を我慢するって凄く大変なことですよね。嬉しかったのでスーパーで好きなお菓
子を買ってあげました。100倍返しになりました。笑
妊娠中や、出産後、抱っこで乗り物に乗るとき、必ず声をかけてもらえる。自分一人の時や、元気な時は、それほど気にしてませんでしたが、大変な時、声をかけてもらえるうれしさは、今になってわか
りました。感謝です。
昨年子どもが生まれ、赤ちゃんとお出掛けすることが多くなりました。レストランで食事をしていると、赤ちゃんがぐずりだし周りの迷惑を心配して慌てていると、隣の席の男性が、「お気になさらず。赤
ちゃんの声は癒されますね」と声をかけてくださり、私たちが反対に癒された思いでした。
ベビーカーで小さい子どもを連れて買い物をしていたら、買い物かごをレジから袋を詰め替えるところまで移動させるのも一苦労。でも、親切な店員さんはカゴを持ち上げ移動してくれます。また、商品
が少ない時は袋詰めしてくれることも。しかも子どもにまで、「バイバイ」と笑顔をくれて、あたたかい気持ちになりました。
2歳の双子の下の娘がお昼寝していた時、めくれた毛布を上の娘がそっとかけ直し、軽くトントンとしてあげていました。親として見ていてホッコリしました。2歳でも立派な母性があるのですね。
妊娠中のお腹が大きくなってからの買い物の際や出産後の子どもを連れての買い物の際、店員さんが『カゴ、あちら(荷詰め台)に運んでおきますね(*^^*)』と笑顔で言ってくださり、とても嬉しかったで
す♪♪♪
娘とベビーカーで出かけてたくさん買い物した帰り、何とかバスに乗り込んだものの、降りる時が大変だなあと思っていたら、外国人の男性がベビーカーを下ろしてくれてとても助かり、ありがたかった
です。
子どもが2歳くらいの頃、ベビーカーで階段を登るとき、手伝いますとベビーカーを持ってくれた男性がいました。手伝いましょうか?ではなく手伝いますと言われたことにとても優しさを感じました。
1歳半の娘がおり、日々子育てに奮闘しておりますが、ある休日外食に出掛けたら、娘は少し眠いのかずっと大泣き、やっと料理がきても、グズグズ状態がなおらず抱っこしたりあやしたり大変でした
が、周りの方々がとても優しく、「子どもは泣くよね~」「少し眠いかな~」と娘に声をかけてくれ、大変気持ちが助かった思い出があります。周りを気にして、早く食べてお店を出なければという気持ちが
大きかった分、少し気持ちが楽になりなんとか食事を楽しめました。
長女を妊娠してた時のお話です。
臨月近くの大きなお腹で一人で買い物に出かけた時の事です。お腹が大きく車の運転が思う様にいかず駐車でてこずっていました、何度も切り返しては出たり入ったりでうまく行かなかった時に声をか
けてくれた警備員の方がいました。その方が代わりに駐車してくれて最後には「大丈夫ですか、無理はしないでくださいね 」と声をかけて気遣ってくれました。あの時の感謝の気持ちを大切にして、私
自身妊婦さんを見かけたら気を配るようにしています。あの時の警備員さんにまた会えたら大きくなった娘を見せてまたお礼をいいたいです。
市の建物に、福祉作業所と、シルバーセンターの作業所とが同居しています。
シルバーの作業所に週2日程通っていますが、福祉作業所に通う子ども達(と言っても、40才過ぎている子も。)とバス停から一緒に歩く事もあります。ある日、背中のリュックがふと軽くなってびっくり、
子どもが押し上げてくれていました。腰の悪い私は大助かり!会話もままならない子ども達ですが、やさしいんですよ~
こどもが友達と遊びに行くと聞くと、また?と感じ、文句ばかり言ってと私ですが、反対に私が遊びに行くと言ったときは、楽しんでこいよ!と気持ちよく送り出してくれました。私の方がこどもだなと感じ
ました。
赤ちゃんだった長女が熱を出し、検査のため大きな病院に行くことになったあの日。タクシーを呼び、オムツやミルクを持って、二才の長男も連れて、雨のなか初めての病院に行く心細さで、泣きたくな
るような思いで玄関を出ようとした時です。長男に長靴をはくように言うと、「ママの長クックどうぞ」と私の長靴を出してくれたのです。不意をついた幼な子の思いやり。もう三十年前のできごとですが、
今でも思い出すと胸が一杯になり、涙がこみ上げてきます。
家のワンコ(マルチーズ)が、少し姿が見えなくなった時、真っ青になって探していたら、小学生の女の子3人が一緒に探してくれました。ワンコはマンション内の庭にいましたが、本当に小学生たちには
「ありがとう」の思いでした。
我が家の愛犬が手術入院した際、病院の女性スタッフが寝不の看護をしてくれた事を後日知りました。単なる職務、小さな親切を超えて小さな命へ心からの愛情を注いで頂きました。術後検診の際、
当の女性スタッフに介護される時の我が愛犬は、本当に安心した表情をしています。動物はその人の真の心を見抜いていると感じ入る次第です。
仕事でバタバタしている時に上司から指示された雑務(実験室の掃除)を同僚がやっておいてくれて、(掃除をすませておきました)と言ってくれたこと。バタバタしている時は助けてくれる。ありがたい。
7年前会社を定年退職した際、仲間が送別会をしてくれました。その時に撮った写真を、先日久し振りに会った飲み会で、わざわざ小さな「フォトアルバム」にして渡してくれました。7年前の事なのに忘
れずに渡してくれた心遣いに感謝の思い出いっぱいになりました。
会社でプロジェクトの発表がせまっている時、上司が自分の仕事をおいて深夜まで手伝ってくれ、なんとか完成し、無事発表する事が出来たこと、本当に感謝しています。
落ち込んでいた時に、学生時代のお友達が話を聞いてくれたりメールで励ましてくれたりして、とても安心したのを覚えています。1人じゃないんだと思いました。
私の職場は石油ストーブを持っています。ある寒い日、そろそろ目盛りが0に近づいているので、灯油を入れなきゃと思っていたら、若い子が入れておいてくれたのです。身も心もあたたまりました。
懐かしい同窓会の案内を貰ったが、都合で出席できなかった。後日幹事さんから会は楽しかったとスナップ写真が送られて来て、次回は是非出席を…というメッセージ。旧友の楽しそうな顔が見れて
嬉しかった。
会社の上司の課題対策を申し付けられ悩んでいたところ、先輩が解決の糸口を一緒に考えてくれたこと。私が前向きに対応していけるきっかけとなった。感謝です。救われました。
他部署へ異動後、数ヵ月後に会議の進行役が回ってきた時に、会議の案内メールを送り忘れていた。その際先輩がフォローしてくれたこと。
従業員の給与計算処理を行う際、少し苦手としていた先輩が周囲の人に「みんなでやろう!」と言ってくれた一言がうれしかった。ちなみに時間も遅かった(深夜に近い感じだったような…)ので、尚更
でした。今でもあの時の事は忘れていません。
急な転勤が決まり、4年住んでいた社宅を去ることに。夫は多忙なため、二人の幼児を抱えて、私一人での引っ越し作業でした。そんな中、社宅の奥様方が連日交代で手伝いに来てくれました。引っ越
し当日は別れ際に手作りのおにぎりをいただき、新幹線のなかでたべました。今でも皆さんの優しさを思い出すと胸がほっこりします。引っ越しは辛いけど各地で出会った方たちの親切にいつも救われ
ています。
投稿
ずいぶん前ですが、会社で仕事をしている時、すごく忙しかったので手のあいていた女性に書類のコピーを頼んだ所、単なるコピーではなく、項目毎にラベルを貼ったものがでてきました。部下と2人でス
ゴイスゴイと言いました。
転勤先で少々ナイーブになっているときに、同じ部署の女性に肩を背後から揉まれた時は本当にほっとすると同時に嬉しかったですねー、受け入れられた感じがしました。
近所の認知症のおばあさんを小学生の子どもが家まで送り届けてくれて、おばあさんの家族が非常に喜んだと聞き、えらく感動し、自分自身もうれしくなりました。
OBです。毎号楽しみにしています。現在、介護施設で働いておりますが、介護の世界は毎日が大変ですが、お年寄りからお礼を言われたり、昔話をしたり、自分の両親の様に接してくれたりと、毎日が
大変ですが充実しております。
私の主人は、介護センターに入所しております。私は、お茶の時間にお伺いして、お茶をいただく様子を見させてもらっています。主人のとなりにイスを用意して下さり、とてもありがたいです。私がとな
りで見られる様に、主人の座る場所も考えてくださってます。
亡き母の思い出です。いつもは元気な母が体調を崩したので、実家へ看病をしに泊まりに行った時の事です。夜、ベッドへ行くと、私の枕の横にラベンダーの香り袋が置かれていました。よく眠れるよう
にとの母の気遣いが嬉しくて、今でもよく思い出し、笑顔になります。
私は母と二人暮らし。3年前からボケ(認知症?)てきたが、病院に行かず40年くらい飲み続けていた薬ものんでいない。先日隣人と世間話をしている時、何度も同じことを言う母に気付き、携帯番号の交
換をしてくれた。12時間以上、一人にしているので心配だったが、頼れる人が側にいると思うと、とても嬉しかった
母の介護中、旅先でゆっくりと手を引いて歩いている時、みしらぬ人に、「お母様おいくつ?私も母を五年看取ったの~、大変だけど頑張ってね」と声をかけて頂き嬉しくなりました。と妻の出来事より
まだ息子が生後3ヶ月の頃、ひとりで息子を連れスーパーへ買物に行くと、抱っこひもの中で大泣きし始めてしまいました。早々に買物を切り上げ、レジに並ぶと優しいおじさんが順番をゆずってくれま
した。泣く息子とそれに慌てる新米ママは、そんな町の人たちの親切にいつも助けられていたと思います。
スーパーで物を買いすぎ、バッグが重く家まで休み休みゆっくり歩いていたが、近所の男子高校生が、持ってあげますと玄関まで届けてくれた事。
初めて来たスーパーで買物をしていたところ、見知らぬ女性からその日しか使えないクーポンをゆずってくれました。うれしかったので、私も買物後に別の方にゆずりました。
脚を骨折した時、スーパーに買物に行った時、店員の方に親切にして頂きました。
アイスクリーム1つを持ってスーパーのレジに並ぶと前のおばさんがアイスクリームが溶けるということで先に行かせてくれた。
疲れがたまって、痛みが出た手首にシップをはっていた日のこと。仕事帰りに立ち寄ったスーパーで、レジ係りのアルバイトさんが、会計後のカゴを運んでくれました。何も言わず、あまりにもさりげな
かったので、とてもうれしかったのを覚えています。
首のすわらない娘を抱っこしてのお買物はひと苦労です。そのような時、店員さんが気を利かせて袋詰めをしてくれたり、荷物を持ってくれたりすごく有り難いです。
老眼が始まっているのに眼鏡をかけずにスーパーに出掛けた。息子に頼まれたボタン電池を探していたのですが文字が小さくて見つからずにうろうろしていたら中学生くらいの男の子が一緒に探して
くれた。なんだかとても嬉しかったです。
買物後、沢山の荷物を持ったままカゴとカートを返すのはとても大変な時があります。小学生の男の子、一緒に返してあげるというその一言に私は胸が熱くなりました。有難うね。
ディズニーランドで購入したマグカップを落として割ったとき、スタッフがすぐに店まで走って新品に交換してくれました。さすが日本一のテーマパーク、接客は№1です!
娘が生まれてから4ヶ月ほど経ちましたが、妻と娘と3人でベビーカーをコロコロしてでかけたときのことです。スーパーのレジで会計を済ませ、カゴを台へ持っていこうとした際に、店員が自ら進んでカゴ
を台へ持っていってくれました。高校生くらいの若い青年がしてくれた親切はとても嬉しかったです。自宅からは少し遠いスーパーですが、また散歩がてら家族3人で行く予定です。
スーパーで並んでいた時のこと。私の前にいた買い物かご一杯の商品を抱えたおばあちゃんが私の手元を見て一言。「一つしか買わないんだったらお先にどうぞ。」順番を譲ってくれ、うれしかったで
す。
スーパーで荷車をひいた女性がスロープをなかなか上がれずにいて、それに気づいた若そうな男性が手伝ってあげていてほっこりしました。
お腹の目立つ妊娠8ヶ月のとき、子ども(3歳)とイベント会場のシャトルバスに乗ったところ、満員でギュウギュウ状態。「座りたい」と叫ぶ我が子に譲ってくれる大人は誰一人いなかったが、小学生の女
の子が譲ってくれた。更に「お父さん、お腹に赤ちゃんいるから立ってあげて」と一言。ステキな女性になるであろう女児に心から感謝している。
歩行中手荷物から書類を落とし、拾おうとすると更にカバンより別の私物が落ちてしまい風に吹かれる事も手伝い、落としものが遠ざかって行きました。通りがかりの若者がとっさに対処してくれまし
た。大事な物でしたので大変感謝し嬉しく思いました。
職場へ自転車で通っているのですが、チェーンが外れてしまい直そうとしても上手くいかずあたふたしていたら、知らない父親ぐらいの男性が直してくれました!手も汚れるのに気にせず直してくれて、
本当に感謝しています。
先日、夫が海外出張中に、一人旅を満喫し疲れ切って最寄り駅に到着。いざ、電車を降りるとそこには長い階段があり、大きなスーツケースを持っていた私は、愕然。到底一人では、運べない…それ
を察してか一人の紳士が「運びましょうか」と声をかけてくれました。その親切にとても助けられました。
初めて訪れた西アフリカのセネガルで、水を買いにスーパーへ。レジで2,500円相当の現地紙幣を出すと、お釣りがないからと拒まれてしまいました。十分な貨幣を持ち合わせておらず、喉はカラカラ。
困り果てていると、店員さんが親切にもお金はいいよと水を渡してくれました。代金は別の日に返すことができましたが、知らない土地での親切に心打たれました。
先日は義父母とファミレスでランチの案内を待っていた時の事。会計を済ませた中年のお勤め人の方がスーッと近寄って「今日から使えるみたいなのでよかったら」と次回より利用可のクーポンを渡し
て出て行かれました。さりげなくスマートでした。
子どもの頃、真夏の暑い時、親戚から野菜等のおみやげをいっぱいもらい、歩いて帰った時、重いのと暑いのでいやになっていたとき、自転車できた知らないお姉さんが家まで運んでくれたこと。顔は
覚えていない。よく見ておけばよかった。
高校生の頃です。サークル活動で、あるお祭りで「うどん屋」の出展をしていた時、私の運んだうどんに髪の毛が入っていて、お客様にクレームを言われて私が困っていると、先輩がさりげなく自分の責
任ですと私をかばってくれました。今でも忘れません。
沖縄でお土産を買っていたら、会計時にサービスでちんすこうを袋に入れてくれた。
実家の肉屋は父も母も80才近いのに2人で営んでいます。先日、秋田のローカルテレビに出たら、盆と正月が一緒に来た位、お客様が来てくれたらしく、2人共喜んでいた事。そして忙しいお店を手
伝ってくれたのは、お客様でした。感謝・感謝です。
20数年前の引越しの時、忙しくしていると、近所の上品な奥様がサンドイッチを家族分、朝食にどうぞと持ってきて下さった。道で挨拶くらいしかしていないお付き合いなのに。今もあの時のおいしいサ
ンドイッチを忘れることができない。ありがとうございました。
どんなものでも、食べているものをちょっとちぎってくれる3才ムスメ…。全部食べたいだろうに…。同じものを食べていてもくれます。ヨダレだらけの手でくれる時は正直とまどいますが、そのままやさし
いこになぁーれ!
学生の頃、お昼を食べに行ったお店にて。個人カフェで、メニューに手作りケーキがあるのをみて、頼めるか聞いたところ、すみません予約なんですよ…とのこと。残念、また今度と思ったのですが、し
ばらくしてテーブルに、2カットのケーキがのった皿が運ばれてきました。びっくりして聞くと、お店の方が、これだけのこっていたのでどうぞ、とプレゼントしてくれたのでした。とても嬉しくておいしくて、な
んて親切なオーナーさんなんだと、今でも心に残っています。
中学生のときに、友達2人で、登山をしたことがあります。台風が接近しているため、富士山頂~五合目までのスピード下山です。雨合羽を着ていても、全身びしょ濡れとなり、寒さで体の震えが止まら
ず、低体温症になりかけていました。極度の疲労で、小さな山小屋の外で、休憩していたら、マスターが心配してくれて、暖かいミルク一杯をご馳走になりました。体の芯から温まり、生き返った瞬間で
した。
投稿です。私が就職活動をしていた時、面接で落ちたことをスマホで確認し、ため息をつき落ち込んでいました。そして、飲食店に入り昼食を摂っているとそれを察したのか、飲食店の店主さんがサー
ビスで定食のご飯を大盛りとエビフライをプラスしてくれました。「就職活動大変だね。これサービスだから頑張って。」と言ってくれました。あの時程、人の親切が身に染みたことはありませんでした。ま
た次の面接も頑張ろうと思えました。
子どもがまだ小さかった頃浅草に出かけ、お昼に天ぷらのお店に入りました。子どもには自分たち夫婦のから少しとりわければいいと思っていましたら、お店の方が子ども用にと天ぷらを小さく切ってく
れていました。お店の心遣いがとてもうれしかったです。
心に残る小さな親切!随分と昔の話ですが、幼稚園の遠足へ行った時のこと。お昼にレジャーシートを敷いて、お弁当を食べ始めたとき、シートにジュースをこぼしてしまった。泣きそうになっていたと
ころ、隣りにいた男の子が、「ぼくのシートにすわっていいよ。」と言われて、一緒にお弁当を食べた。今で言う、初!胸キュン、とても嬉しかった。いつまでも心に残っています。
小さい頃、遊び終えて友人宅から家に帰ったものの家族が誰も居らず、鍵も持っていなかったために家の前に座っていました。すると隣人のおじさん、おばさんが「大丈夫?家で待ってな。」と言って
ジュースを出してくれました。その時は恐縮して何も言えずに居ましたが、大きくなってから有り難さを噛み締めています。おじさん、おばさんありがとうございました。
1才の娘とおでかけをすると、たくさんの見ず知らずの方たちに席をゆずられたり、エレベーターのドアが閉まらないよう押さえてくれたり、道をゆずられたり、娘が泣いていればあやしてくれたり、他にも
数え切れないほどあります。相手にしてみれば小さなことかもしれませんが、私や娘にとったら1つ1つが本当に嬉しいことです。
投稿
私もコンビニやどこかに行った時にドアを開けて次の方に渡したりするのですが、この間、自分の祖母がコンビニに入ろうとした時、若い中学生くらいのお兄ちゃんが開けて待っていてくれました。それ
を見てすごく心が温まりました。
昔、ホテルの衣裳室で働いていた頃、服を両手に持ってドアを開けようとした時、外国人の男性二人が観音開きのドアを二人で開けて下さった事、うれしく忘れられません。流石、外国人さんだなあ…
…って。
駅の段差で重いスーツケースを持ち上げようとしていたら、20代の男性が全くさりげなく手を貸し、自然にうっすら微笑みを浮かべ、言葉なしで去って行きました。上品です。
お店に入る時、前に外国の方がいて後ろにいた私を「どうぞ」と扉を開けてお店へ入れてくれたことです!!これぞまさしくレディーファーストでした。
家内は車椅子を使用しています。エレベーターの利用時、乗降やドアの開閉に気を配ってくださる方、道路の段差を越えるとき、手を貸してくださる方、多くの人に手を差し伸べていただき感謝しています。
日本人の心はまだまだ温かい思うこと頻りです。
マンションのエレベーターでのできごと。
私はエレベーターから一番遠い部屋に住んでいます。しかもエレベーターが一基しかないため、朝出勤するとき乗り過ごすと、また戻ってくるまでかなり時間をロスします。ある朝寝坊し、ものすごく焦り
ながらドアをバタンと閉め、ヒールでカツカツ猛ダッシュしながらエレベーターに向かうとちょうどドアが開いていました。飛び込むように乗り込むと小学生の女の子が笑いながら開くボタンを押してくれて
いました。ドアが閉まる音が遠くで聞こえてずっとボタンを押してくれていたようです。恥ずかしかったけど、ありがとう!おかげで遅刻しないですみました(笑)。
エレベーターで、どこかのお子さんが、開くを押してくれて、どうぞ!と言ってくれたとき。
ゴミ収集日、集積所をのぞいたらゴミをつみ終わった収集車が出発するところでした。また次の収集日に出そうとゴミ袋を持って歩いていると、収集車がキーッと止まり、運転席からお兄さんが降りてき
て、私のゴミ袋を持って行ってくれました。朝からとてもうれしかったです。
53才にして、大学入学を決意した私。様々な手続きの中、ある書類を取り寄せる期日が迫り、急ぎ郵便局へ向かうと、窓口はあと5分で閉まってしまう時間。すると窓口にいらした3.4人の方全員が全力
でサポートしてくれ、入学手続きを終え、晴れて大学生になることができました。ありがとう!郵便局の皆さん!
リュックサックを背負っていた際、ファスナーが開けっ放しになってしまっていて中身が落ちそうになっていたのを後ろにいた女性の方が教えてくれました。
子どもがまだ小さい時に、トイレに急に行きたがり入ったが、すごい混んでいましたが、みなさんゆずって下さったこと。
子どもが小さかった頃、荷物を持って駅のホームで電車を待っていた。子どもがトイレに行きたくなって、近くにいた同じ電車を待っていたオバサンに荷物を預けた。トイレから戻ると、電車に荷物をの
せ、席をとっておいてくれた。ほんとうに助かった~。うれしかった。
結婚50周年を近隣の方たちが大きな花束をサプライズでお祝いをしていただいた事です。びっくりぽんでした。忘れる事の出来ない、心に残る親切でした。
温泉宿でエレベーターに乗った時の事、私が最後に乗った。その時エレベーター内の案内で最後に乗られた方は制限オーバーです、降りて下さいと言われた。その時、中の若い人が自分が降ります、
どうぞと言って降りてくれた。急いでいたのでほんとうにありがたかった。サンキューベリーマッチ。 70代男
一人暮らしも20年になって何かともの忘れをするようになってきたところ、夕方の買物を済ませてくつろいでいるところで、同じマンションに住む人から「自動車のスモールライトがついたままですよ」と
親切な電話が最近になって2回ほどありました。3回目はないように注意はしていますが、いつまでもちますかネー。
孫がトイレ我慢の限界の時、知らない人がお先にどうぞ!と先にしてくれた事。本当に助かり、嬉しかった。孫と2人で本当に良かったネ!とニコニコしてしまいました。
まだ小さかった娘と2人、ディズニーランドへ行ったときのこと。大人気のアトラクションに1時間並んだところで「トイレ~」。1人で行かせる訳にもいかず、困っていたら、後ろに並んでいたカップルの男性
が「どうぞ行ってきて下さい」と言ってくれました。そして急いで戻ると列の始まりのところに出てきて、ずっと待っていてくれました。素敵な彼で彼女は幸せですね。
東京駅をトボトボと歩いていたら、うしろから「コートのベルトを引きずっていますよ」と声をかけられたこと。仕事がきつく、難しい状況で考えながら歩いていたので、とてもうれしかった。
学生時代のプールの授業での事。プールが苦手で、特に深い所で身動きがとれなくて困っていた時、水泳が得意な子が気付いて、さりげなくずっと寄り添い支えてくれていた事。感動しました。
いつもは私より遅い出勤の息子が、その日は早く洗面所に居ました。終わりそうなタイミングを見計らって洗面所へ行ってみると、飛び散った水しぶきをきれいにふいていました。次に使う人の事を思っ
た、その行動に「いつ覚えたんだろう」と心が温かくなりました。息子に無言で教えられました。もちろんそれ以降は私もふいています。
学生時代、飛行機に乗りなれていなくて搭乗手続きの時間ぎりぎりに行って、長い列の一番後ろに並ばなければいけなくなって困っていたところ、前に並んでいる方が追い越して手続きできる所を教え
てくれて助かったこと。目からうろこでした!
幼少の頃、すんでいた家の隣のご夫婦がいつもあそんでくれていました。近頃亡くなったといわれますが、近所づきあいがあり安心して暮らせていました。私が大学生になったおとき、何十年ぶりにた
ずねてお礼をしたら当時私がかいた似顔絵や手紙をまだもっていてくださったのがうれしかったです。
先日孫と一緒にゲームセンターに行き孫の欲しがってたぬいぐるみを取ろうと何度もクレーンゲームに挑戦しましたが、なかなか取れないでいたところ、それを見ていた見ず知らずの人が家に同じもの
があるからこれをあげるといって孫に欲しがっていたぬいぐるみを笑顔でくれました。孫と私はその人に何度もお礼をいいました。
普段、何もない時にプレゼントをしてくれたりしない主人が私の知らないところでハンドクリームを買ってきてくれました。「最近、手が荒れてるから」と言って、ポンと渡してくれました。手荒れの事、気づ
いてくれてたんだと思い、高価なものよりずっとうれしいプレゼントでした。
新品の服を着て病院に行った時のことです。診察室に入りコートを脱ぐと直ぐに看護士さんがこっそり教えてくださいました。着ていた服の背中に値札と品質等の札を取り忘れて出ていたのです。大勢
の人の前で恥ずかしい思いをしなくて済みました。
私はかなり背が高めの女性なのですが,先日スーパーで前から歩いてきた男女のカップルが私を見て思わず「うわっ! でかっ!」と声に出して言いました。恥ずかしさで縮こまっていると,後ろにいた
おばさまが「私のことかしら,横幅があるからねぇ」と親切心からかフォローしてくださいました。フォローが心に沁みました…。
居住地区は、下町で大きな商店街があり、私のお気に入りは、いつも元気のいい八百屋のおじさんです。その日も自転車のかごに買った野菜をいれ帰ろうとした時に重さでよろけ野菜が、通路に散乱
しびっくり! 通りがかりの人や子どもづれの方々に助けてもらいもちろんおじさんにも…そのうえ何故かおじさんが、みなさんにお礼を言っていました。この町のあたたかさを感じて転ばないように、帰
りました。
駅前近くの道路で、白いつえを持った方が交差点を渡っていました。その周りはちょうど工事中で、路面の点字がなかったようで、まごまごしている模様でした。そのとき、若い男の子がその方にスッと
近づき「どこまで行かれますか」と声をかけ、案内してあげました。やさしい子もいるんだと少しほっこりしました。
嫁の話です。洗濯物はもちろん、布団も毎日外に干すのが大好きな嫁。その干し魔の嫁が、数日布団を干さない日が続きました。近所の人が、「具合悪いんじゃない?」と言っておかずを持ってきてく
れたそうです。僕も嬉しかったですね!ちなみに嫁は風邪引いていました。
転勤で、転校となった小学生の娘。環境の変化について行けず泣きながら学校に通う日々の娘の姿に親自身も心が何度も折れそうになった時、「大丈夫。必ず笑って振り返られる日が来るからね。」
と同じく昔転居されてきた先輩ママに励まされ、すーっと心がホッとしたことを覚えています。そして今娘は、「ただいま~(^o^)」と毎日笑顔で帰ってきます。