報告16

Oxbridge 研 修 報 告 書
1年 宮
將 仁
1. 研 修 参 加 の経 緯
自 分 が大 きく成 長 した、価 値 観 が変 わった、 果 ては生 き様 研 修 などと「それっぽい」言 葉 を使 い、
第 一 期 研 修 生 た ちは彼 らの 成 果 を力 説 してくれ た。私 がまだ ピカピカの 新 入 生 だった頃 である 。正
直 意 味 がわからなかった。そして第 二 回 の募 集 が行 われたのがおよそ二 ヶ月 後 の六 月 。「とりあえず
応 募 しておけ」などと 担 任 があまりに言 われ たので私 のクラスからは相 当 数 応 募 していたようだ。私 も
その一 人 である。もしかしたら先 輩 方 の言 うところの意 味 がわかるかもしれないとも思 っていた。
2. 研 修 のハイライト
・University College London (UCL)での紅 林 秀 和 氏 の講 義
電 子 工 学 の講 師 として大 学 に勤 務 している紅 林 氏 から留 学 すること・グロー
バ ル化 の 意 味 に つ い て講 義 を受 けた 。 幕 末 から 明 治 維 新 に かけて多 く の 薩
摩 藩 留 学 生 が UCL で学 んだが、留 学 の意 味 が変 わってしまった現 在 におい
て海 外 で学 ぶことの意 味 や留 学 の目 的 であるグローバルな人 材 とは何 かにつ
いて熱 く語 ってくださった。
・現 地 留 学 生 とのセッション
ICU を出 た日 本 人 からネイティブかと思 うほどの外 国 人 まで、前 半 は英 語
で後 半 は日 本 語 で University of Oxford に入 学 した理 由 や英 語 の勉 強 の
仕 方 、高 校 時 代 に準 備 しておくべきことなど様 々な質 問 をしたり、哲 学 や数
学 など多 岐 にわたる分 野 の方 が集 まるので、専 門 についての話 もしたりでき
る。これほど Oxford 生 が身 近 に感 じられる機 会 もなかなか無 いだろう。
・Chris の Activity
英 語 によるコミュニケーションやプレゼンテーションなど様 々な
活 動 を行 った。厳 しい顔 をしている Chris だがユーモアに富 み、
興 味 深 い活 動 となった。また Chris は Oxford 市 内 の案 内 をし
てくれたり、切 手 を買 うために郵 便 局 に連 れて行 ってくれたり非
常 に 面 倒 見 の 良 い 方 だった 。その 他 私 達 の 世 話 をしてく れた
三 人 の Oxford 生 による Activity が行 われることもあった。
・Cambridge Science Festival
Science Festival であって祭 りではない。宇 宙 飛 行 士 や教 授
の 講 義 を 聴 ける 。だ が 今 回 は第 一 回 の 失 敗 を 踏 ま え 客 と して
参 加 するだけでなく、Cambridge 生 に果 敢 にアタックして様 々
な質 問 をしてみた。思 い の外 親 切 な学 生 で、我 々の稚 拙 な英
語 にも丁 寧 に受 け答 えをしてくれた。
その他 岡 本 尚 也 氏 の講 義 を受 けたり、観 光 に出 かけたりするなど本 当 に様 々な体 験 ができた。
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3. 研 修 を終 えて
別 に大 きな意 味 を持 って志 願 したわけではないし、何 か良 いことがあるのかもしれないという感 覚 だ
った。そのため研 修 への参 加 が決 まってから始 まるまでその意 味 を考 えていた。一 期 生 は口 を揃 えて
自 分 たちは変 わった、と言 うが先 輩 方 は何 を見 たのか、そして何 が変 わったのか、その恩 恵 は何 なの
か。一 つ目 は身 を以 って体 験 してきた 。しかし正 直 にお伝 えすると 、残 りの二 つは研 修 を終 えた今 で
もさっぱりわからない。確 かに二 期 生 は変 化 を見 せていると思 う。研 修 は最 高 だった、 とかこんなことし
てる場 合 じゃねえ、とか「それっぽい」言 葉 を放 ち「それっぽい」振 る舞 いをするようになった。
今 私 は University of Oxford で出 会 った Mr. Ikuya Aizawa を思 い出 している。私 に Umbrella
words という言 葉 を教 えてくれた方 だ。包 括 的 用 語 、つまりは全 体 を一 纏 めにしてしまう「それっぽい」
言 葉 のことである。彼 の友 達 は問 題 解 決 に際 して、ツリーを書 いて Umbrella Words を避 けてワードを
書 き出 していくという。例 えば宇 宙 飛 行 士 になりたいと思 えば、視 力 が良 くなければならないとか、虫
歯 があってはいけないとかだ。非 常 に具 体 的 かつ明 瞭 で地 面 に足 がついていると思 う。現 実 に正 直
に向 き合 っているとも言 える。
このレポートは Oxbridge 研 修 の成 果 を発 表 する場 であるが、それは困 難 であるように私 には思 わ
れる。研 修 を終 えて「変 わった」同 期 生 は数 多 くいるが、何 が変 わって何 ができるようになったのか考
えてみると、自 分 の考 えによって噛 み砕 かれた言 葉 は一 向 に出 てこない。全 てが Umbrella words で
埋 め尽 くされてしまう。確 かにそういった方 法 で 得 たものを語 ることは可 能 だが、私 にはそのような 痴 が
ましい真 似 はできない。一 体 『自 分 の言 葉 』を以 って自 身 の変 革 を語 れる研 修 生 がいくらいるのか、
甚 だ疑 問 である。
しかし成 果 はありませんでした、などと言 ってしまうと 研 修 が徒 労 に終 わってしまうので何 かしらの意
義 を持 たせようと思 う。意 味 を知 るのではなく、定 めるという斬 新 な試 みである。
まず、この研 修 は「素 材 」(=もととなる材 料 ≒もとの物 )だ。これから加 工 して製 品 にされるべきもの
である。我 々は Oxbridge 研 修 において多 種 多 様 な人 からその「生 き様 」(人 の生 きる方 法 ≒生 活 の
方 法 ≒世 の中 で暮 らしていくことのしかた )を知 らされた。だがそれは他 人 のものであって、材 料 であ
って、そうして自 分 の中 にあるだけだ。 全 く役 に立 たない。紅 林 さんを始 め、岡 本 さんや現 地 の留 学
生 、様 々な方 から色 々なことを教 わってきた。でもそんなものは「それっぽい」ものに過 ぎない。 我 々の
本 当 の仕 事 は「原 料 」から『それっぽくない』ものを造 ることである。
しかし 逆 を言 えば 我 々は「それ っぽい 」 物 をす で に手 に入 れ ている 。 つま り、我 々は「 変 わった 」の
だ!と言 っても大 きな差 支 えは生 じない。問 題 はそこから『結 果 』を生 じさせることだ。「それっぽい」役
に立 たないことを教 えられて帰 ってきました、などとは言 えまい。 恩 恵 がなければ研 修 は画 餅 に帰 する
のみ。由 無 い人 たちの集 まりである。
果 たして研 修 の恩 恵 を生 むためにはどうすればよいのか。Oxbridge 研 修 自 体 にさぞご利 益 がある
かのように語 る人 も見 受 けられるが、決 してそのようなことはない。これから造 り出 すものなのである。 少
しも見 当 たらないのだから、少 なくとも今 はそう考 えている。つまり、この研 修 に行 ったところでこれっぽ
っちも良 いことなど無 いのだ。現 時 点 で私 の手 元 にあるものは皆 無 である。繰 り返 すが、研 修 に行 っ
て良 かったことは今 から造 るものである。よって、ようやく私 は結 論 に達 することができた。「研 修 」自 体
は「それっぽい」 物 を手 に入 れる方 法 でし かなく、「研 修 」に意 味 を持 たせることが この研 修 の意 味 な
のである。
4.第 三 期 生 へ
おそらく開 催 される第 三 回 の研 修 に参 加 したいと考 えている人 もいるだろう 。百 聞 は一 見 に如 かず
というか、外 見 と中 身 は違 うというか、このレポートも他 のレポートも伝 えようとしていることの半 分 も分 か
らないだろうから、研 修 生 の言 わんとすることが知 りたければぜひ参 加 してみると良 いと思 う (もちろん
参 加 しないのも自 由 )。その後 は訳 の分 からないことを言 い出 すか、研 修 に大 きな価 値 を見 出 せない
かの二 者 択 一 である。
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