P6 - 明和町

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議員全体研修
沖縄県
平成 17 年 11/15 〜 17
2005年は戦後60年の節目の年である。我が国唯
一の激しい地上戦が繰り広げられた沖縄県。現在で
は戦後の高度成長に支えられ、壊滅的であった当時
よって、樹木や草はすべて吹き飛ばされ、岩肌がむ
き出しになり、動くものはすべて粉々になるまで徹
底的に攻撃されたとのこと。数多くの死体が重な
の面影はほとんど感じることはできない。また、当
時を経験された方々の高齢化等により、戦後生まれ
の人が当時の戦争の状況を知ることは非常に難しく
り、生き延びることに精一杯であったと、平和ガイ
ドの男性は涙ながらに当時の様子を語っていた。
JAP HUNTING LICENSE(日本人狩猟免許)と
なってきている。
平和記念公園では、沖縄地上戦を当時 12 歳で経
験された方が、ボランティア平和ガイドとして活躍
いうものが当時アメリカ軍には配布されたとのこ
と。日本人をまるで狩猟の対象にして攻撃していた
ようだ。
されていた。我々に戦争の悲惨さを訴えながら、当
時の様子を後世に伝えていくことが生きがいであ
り、また使命であると語られた。公園内にある摩文
ひめゆりの塔記念館には、当時ひめゆり学徒隊に
入隊していた 75 歳になる女性が、説明員として修
学旅行生たちに切々と語っていた。
「絶対に繰り返
仁ヶ丘(まぶにがおか)と呼ばれる小高い丘は一番
激しく攻撃された場所であり、海からはアメリカ軍
艦の艦砲射撃により、また陸地からは戦車や大砲に
してはいけないんです、戦争は…」
という言葉が非
常に印象的であった。
物資に恵まれ、豊かさを感じることができ
るようになったのも、こうした戦争を乗り越
えてきた方々の苦労の上に成り立っているこ
とを再認識した。
明和町では平成 2 年に、「非核平和の町宣
言」を行なっている。平成 13 年からは平和
研修事業も実施している。多くの方々が平和
の尊さを理解し、平穏無事な社会を維持する
ためには、親から子へ、子から孫へ、と伝え
ていくことが一番重要であると思う。
── 明和町議会だより・第 30 号 ──
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