フ ランス Centre National de la Recherche

はじめての研究留学虎の
巻
このドキュメントははじめて海外へ行く、はじめて研究留学する、あるい
は、京大と交流のなかった海外のラボに行くという人にとっての指南書た
るべく書かれたマニュアルです。自分が海外に行くとき、具体的な内容を
含む書籍がなかったため、これを作りました。
一回生と二回生の時の海外研修報告書をベースとして、単なる報告の部分
を大幅に削り、今後、海外に行く人のためにできるかぎり具体的なアドバ
イスを加筆しました。みなさんのお役にたてれば幸いです。
2010 年 12 月 14 日
京都大学医学部医学科三回生 大井由貴
基本情報
所属研究室
Instabilité du Génome et Cancérogenèse
Director Robert P. FUCHS
活動場所
Centre National de la Recherche Scientifique, Group des laboratoires
de Marseille(以下 CNRS)
内容
フランスにおける DT40 経代技術と真核細胞における相同組換による遺
伝子ノックアウト手技の伝達
実際に前述の方法による Polymeraseδ Interacting Protein 38(以下
PDIP38)のヘテロノックアウト作成
期間
春季:2009 年 2 月 9 日∼3 月 22 日
夏季:2009 年 8 月 15 日∼9 月 16 日
この報告書の構成
私は武田先生の紹介で春休みと夏休みの二回にわたりフランスの CNRS
で研究させていただきました。大学で行っていた研究を継続してフランス
でも行い、帰国後も継続して行ったため、活動内容については一貫した内
容となっています。このドキュメントは春の留学について述べています。
今回の報告書は単なる報告にとどまらず、今後海外にて研究留学を
はじめて計画する方にとって、海外留学がどういったものであるか、
どこに注意すれば有益な研修となるかを示しました。実際の渡航の際
に参考にしていただけたら幸いです。特に京大からはじめて進出する人、
または CNRS に出向く人向けの具体的なアドバイスも随所に盛り込み
ました。
↓自分の実験ベンチ
↓ラボディレクターの FUCH
はじめに
今回の派遣は放射線遺伝学の武田先生のお世話になりました。武田先生へ
の教室には一回生の初夏頃から所属しておりラボの教官の方たちから懇
切丁寧な指導を受けましたが、だれにも頼らず最低限の実験をこなせる程
度の能力を身につけるのに半年はかかりました。渡仏の決定は夏休み頃で
す。春休みの計画を夏に立てるのは早い気もしますが、留学を少しでも
考えている人は早く行動してください。実験技術も航空券もパスポ
ートもすぐには得られるません。
年明けには日程の最終的な決定をしました。派遣先はマルセイユにある
C.N.R.S.フランス国立科学研究所。今回は京大からは初の派遣ということ
に加え、自分自身も初めての海外、初めての一人旅、初めての飛行機とい
うことでかなり入念に準備をしました。渡 航が決定したらすぐにあらゆ
る情報を収集しましょう。空港の地図や、ルート、目的地までのア
クセス、ラボ周辺地域の治安、飛行機の乗り方等などの情報は多け
れば多いほど安心です。また早さはとても大事です。航空券は半年
前にとれば驚くほど安くなります。自分の場合年明けまでのんびりと
構えていたので一月はかなり準備が大変でした。
ラボ入りから軌道に乗るまでの話
マルセイユ空港にはラボ入り前日の夜に到着。空港からラボまでは遠い
ので空港付近のホテルに一泊しました。マ ルセイユ空港設置の専用電話
で電話するとホテルまで送迎の車が出てくれるので助かりました。
空港はかなり郊外にあるので、マルセイユ市の中心にあるサン・シャルル
駅に行くには空港-駅直通のシャトルバスが便利です。
サンシャルル駅はバスターミナルだけではなく SNCF(フランス国鉄)の
ターミナル、及びメトロ(地下鉄)の主要駅になっています。駅周辺の地
理の詳細は後ほど説明します。
ラボに入ってまずすることは運んできた物資の確認。武田研から初めて
派遣される場合、生きた DT40 を輸送することになります。これには注
意が必要です。輸送時はなるべく体幹部に近いところに保持し保温し、セ
キュリティチェックやフライト中の宇宙線から守るために金属で遮蔽す
る。荷物に入れると X 線チェックで細胞が死ぬので、ズボンを二枚はいた
り、目立たないポッケに入れたりしてやり過ごしてください。
無事ラボについたら培地を作ってそれを必要量ディッシュにとり二酸
化炭素インキュベーターで余熱して、そこに DT40 を入れたらあとは数日
間増殖を待ちます。飛行機の輸送ではかなり細胞が死ぬので DT40 のチュ
ーブはできる限り多めに持って行くのがお薦めです。それが済んだらひと
段落。その後の数日間はラボに来た時と帰るときの計二回セルカウントし
て増殖してるか調べてください。ラボに溶け込むのも忘れてはいけません。
どこに何があるかもわからないラボでは最初の方は試薬の場所だの装置
だのを聞きまくることになるので、ラボのスタッフとは仲良くしておくに
こしたことはありません。
左の写真は左から順にラボのボスであるフックス、私、直属の上司である
アニエス。右はランチ時の一こま。ラボ総出でお昼ご飯を食べに行く。
挨拶もすみましたら増殖待ちの数日間は全力で自分が実験しやす
い環境を整えましょう。試薬どころか実験器具さえも日本と異なる欧州
の実験室。普通のディッシュがなかったので、組織片培養用のフラスコを
あてがわれました。必要な実験器具がないときはそのラボの責任者に尋ね
れば、注文してくれるまでは行かなくても、代用品くらいは与えられます。
また、この期間に試薬を調合しておきます。武田研は様々な試薬が潤沢に
ありますが、大抵のラボでは蒸留水とトリス以外は純粋な粉末や液体しか
ないので自分で使う分は用意しておきましょう。TE バッファーは特に大
量に使うのでたくさん作っておくと後が楽です。
同じような扉が長い廊下に並ぶ。
(左)そのうちの一つが培養室の扉(右)
CNRS キャンパス
CNRS について説明します。CNRS はフランス国立科学研究所の略称
でたくさんのラボがあります。そして全国にいくつかあるキャンパスと呼
ばれる敷地の中にそのラボの建物が入っています。キャンパスとはまさに
字のごとく、大学のキャンパスに近く、大学との違いは大学生がいるかい
ないかくらいです。大学生がいない分、講義室や、グラウンド、生協など
は見当たりませんが、広い敷地と点在する研究棟群、食堂、動物実験施設、
巨大電子顕微鏡施設、放射性物質貯蔵庫など、ちょっとした大学と遜色な
い規模で存在しています。私はその敷地内のゲストルームで寝泊まりして
いました。部屋にはベッド、書きもの机、ヒーター、シャワー、洗面台、
トイレがあります。窓は開きますが網戸はありません。電子レンジや冷蔵
庫、コンロ、シンクなどは廊下にある共有のキッチンを使います。クーラ
ーはないので夏は 7 時くらいから汗まみれになるので 6 時にはラボに行っ
ていました。ラボにはエアコンが入っています。平日は朝九時にはハウス
キーパーがごみの回収や部屋の清掃にくるのでそれまでに部屋を空けな
ければなりません。エアコンはないので夏から秋など季節をまたいで長期
滞在する場合は季節に応じたパジャマを用意してしっかり温度調節をし
てください。幸い、部屋はかなり広いので荷物を広げても狭く感じるとい
う事はありません。
日常生活と日用品の買い出し
平日は朝起きて朝ご飯作って食べて、ラボに行きます。八時に部屋のご
みを回収されるのでそれまでに部屋を開けなくてはなりません。ラボに行
って実験をして、昼時にはラボのみんなとこれまた敷地内の食堂に行きま
す。午後も仕事をして 5 時台には半分くらいの人が帰ります。私はその後
も実験することもありましたし、そうでない日は町へ出かけました。ラボ
は少しだけ町はずれにあるので、街へ出るには自転車か、バスを使わなけ
ればいけません。自転車は velo というレンタサイクルが街頭に設置され
ています。登録すればカードが発行されて、それを使えば街頭のレンタサ
イクルを使用でき、一時間以内にどこかのレンタサイクル設置場所に返せ
ば、また何度でも借りられるというシステムです。一時間ごとに何箇所か
の設置場所を転々としながら乗り続けることが可能です。バスやメトロは
一回チケットと 10 回チケットなどがありますが、いずれも最初の乗車か
ら一時間以内ならバス-バス、バス-メトロ、メトロ-メトロの乗り換えを何
度やっても一回の乗車回数としてカウントされます。そのため、ラボ最寄
りのスーパーでしたら、買い物をすぐに済ませて、帰りのバスがうまく拾
えれば往復して一回の使用料となります。一回チケットでも日本円で 200
円未満なので、バスは路線を覚えて積極的に利用しましょう。市街中心部
にはトラムと呼ばれる路面電車が走っていますが、郊外に延びていないの
で利用することはありませんでした。
休日の過ごし方
SNCF(国鉄)駅は市街中心部の丘の上に立っています。マルセイユの
外へ行く場合、船舶と自家用車以外の交通手段は全てこの駅が起点となり
ます。北に行けばパリ、東に行けばカンヌ、西に行けばアビニョンどれも
数時間で行くことができます。私は土日はたいてい他の街へ旅行へ行った
ので SNCF をかなり利用しました。初めて利用するときに carte12-25 と
呼ばれるカードを窓口で購入すると、一年間割引料金で電車に乗れるほか、
窓口で切符を購入する際、乗車率の少ない時間を尋ねれば、その時刻の電
車の切符を割引料金で購入することができます。マルセイユからの旅は基
本的に SNCF を必ず使う事になるので、このような割引をフル活用する
ことでかなり移動費は削減できます。南仏にはたくさんの街が点在してい
て、どれもみな美しいです。しかし、マルセイユ市内にも見所はたくさん
あります。CNRS 職員証にシルエットで入っている、大聖堂のマリア像は
マルセイユの象徴でもありますし、沖には「岩窟王」の舞台のモデルとな
ったイフ島もあり、船が出ています。しかし、何より素晴らしいのはカラ
ンクです。石灰岩の崖が海に沈んだ結果、高い絶壁に隠された、隠れ家の
ようなビーチがマルセイユ南部には存在します。交通の便が悪く、遊覧船
での海からのアプローチが一般的ですが上陸することはできません。ガイ
ドブックにはあまり載っていませんが、現地の人に聞けばバスでの行き方
を教えてもらえます。フランスの持つ唯一のユネスコの自然遺産だそうで
すが、世界遺産の名に恥じず、一度見る価値はあります。写真では伝わら
ない美しさがありますから、代わりにサンシャルル駅から市街地俯瞰した
写真とイフ島の写真を載せます。駅周辺に夜に到着した場合は夜バスがあ
ります。マルセイユのバスはどの路線も 21 時台に終バスとなり、それ以
降は夜バスと行って、昼間とはちょっと違う路線を走るバスが一時間に数
本あります。それも 23 時くらいには終わるので注意が必要です。駅周辺
はスリが多いので大きな荷物があるときはいいカモになりますので、夜間
の到着は避けた方がいいです。荷物が少ないか手ぶらなら多少安全です。
市街地の地理
市街地は京都と違って高低差が著しくあり、徒歩か、バスでの移動がメイ
ンとなります。まず中心にあるのが SNCF のサンシャルル駅。駅は小高
い丘の上にありますが、駅周囲は再開発地区で治安が良くないです。駅裏
は崩れた壁や落書きが多く人通りも少ないので夜は出歩かないようにし
ましょう。その駅のある丘から海の方に下ると、旧港に出ます。ここがロ
ーマ植民地から使われてきた港でマルセイユの始まりの土地です。遊覧船
や漁船はここから出ますし、日曜の朝にいくと漁師たちがとれたての魚を
売っています。旧港周辺には大型デパートや商店街が連なりにぎやかです。
フランスの店は閉店が早く 19 時を回るとシャッターが降り初めますし、
日曜は映画館とマクドナルド以外は閉店しているので買い物には気を付
けてください。左の写真が旧港、右が崖の上の聖母像。
揉め事
基本的に海外は日本の感覚とは違います。はじめていく方は用心しすぎて
も用心しすぎることはないと思います。参考までに私が遭遇した事例を書
き記します。いずれの場合も用心していたためびた一文たりともとられて
いませんが、日本では考えられない頻度でさまざまな悪い人に話しかけら
れます。
たかり:賑やかな通りでも一本道を隔てれば空気が変わります。最初のこ
ろ知らずに裏路地を通ったら見知らぬ老人に金をせびられました。無視し
て通り過ぎたら追いかけてきたので、表の路地の戻り、手近な店の中に入
りました。いつまでも店の入り口で粘ってたので、英語で対応するも、通
じなかったので片言のフランス語でお引き取り願いました。
詐欺(?):マルセイユ駅で電車を待っていたところ、若い黒人男性に話
しかけられました。曰く、
「次の電車に乗りたいがチケット売り場が混ん
でて間に合わない。チケット販売機を使えばいいが、クレジットカードし
か使えない。今手元に現金しかないので、代わりに君がそれを買って、私
がそれを買い取ろう」クレジットカード持ってないって言ってお断りしま
した。→おそらくは偽札を押しつけるか、あるいはお金をごまかす可能性。
ミサンガ商法:セネガル人がいきなり話しかけてきて、「私の国の幸運の
お守りを友好のあかしに君にあげよう」
「いらないよ」
「ただだから受け取
ってよ」
「ありがとう」
「このミサンガは結ばないと効果がないから結んで
あげるよ」
「コンタミすると嫌だからお断りします。じゃあね。」あとで調
べるとこれは有名なミサンガ商法と言って、とれなくなるほどきつく結ん
でから結び賃ないしはミサンガ代を請求する手口らしいです。結局結ばれ
なかったミサンガはいまでもセネガル人との友好のあかしとして日本ま
で持って帰りました。
ネガティブオプション:広場でハ
トを眺めていたら、見知らぬ人が
手を出してと言ってきたので手を
出すと乾燥トウモロコシを乗せて
くれました。その後すぐにハトが
寄ってきてトウモロコシをついば
み始めた。ハトに気を取られてい
るすきにスリをする予定だったの
かもしれませんが、全方位を警戒
したため、なにもすられませんでした。ハトがいなくなった後トウモロコ
シ代よこせと言われましたが、ネガティブオプションなので毅然と拒絶。
事なきを得ました。
以上の事例から、わかったことは、どの事例でも断固とした態度をとれば
退きさがるという事です。よっぽどのことがない限り、脈のない標的をつ
けまわすより、新たな標的をあたった方が彼らとしても効率が良いので、
払わない意思を明確にすれば、諦めて帰ってくれるかと思います。
帰国
揉め事もなく無事に任務も終え、お土産も買ったし、明日はいよいよフラ
イト。でもまだ油断は禁物です。そのラボについてあなたが初めての日本
人学生だった場合、ここに来るときにいろいろ苦労したと思います。とい
うのもそれは全て手探りの状態だったからです。もし何もせずあなたが帰
ってしまっては次に来る後輩も手探りとなります。ですから、ラボを去
る前に、出来る限りの引き継ぎ準備をしましょう。ラボへのアクセス
や周辺事情は帰ってきてからでも書き残せるでしょうが、ラボの間取り
や備蓄してある試薬、注文可能な試薬、使用可能な機材の目録など
を作っておけば、次に来る人が自分の実験計画を立案しやすいので
重宝がられます。これを読んでいる方のほとんどは(学部生ですし)一つ
の研究室でしか研究したことはないと思うので、よそ様のラボがどのよう
なものか全く想像できません。ですから、自分の研究室にしかない機材と、
どこにでもある機材がわかるだけでもずいぶんスムースになります。たと
えば留学予定のラボに使用予定の機材がない事が事前に分かっていれば、
その部分は日本で済ませておくか、あるいは同じ組織の、異なるラボに行
って使わせていただく交渉も済ませておくことができます。当たり前に
思えた小さいことも書き記しておいてください。また基本的な試薬か
ら調製しておいた試薬類は、可能なら次の学生のためにコールドルームな
どで保管してもらえるか頼んでおくといいでしょう。DT40 を DMSO で
窒素冷凍するのも忘れてはいけません。それらがすべて終わったら、のこ
ったものは全て破棄しましょう。うっかり培地を炭酸インキュベーターの
中に忘れるとカビが発生して大迷惑をかけます。
ラボを出ました。まだ最後の関門があります。飛行機は絶対に時間を守り
ましょう。飛行場は郊外にあることが多いので、朝のフライトなら飛行場
のそばに宿泊することをおすすめします。また通常の飛行機でしたらスー
ツケースは 20 キロまでで、それを超えると課徴金が課せられます。逆に
いえば課徴金を払えば乗せられるという事はフライト自体には影響ない
わけで、課徴金それ自体はただのペナルティーです。お金を払えば飛行
機が飛びやすくなるわけではありません。つまり窓口の人の好意次
第ではちょっとオーバーしてても鯖読んでみなかったことにしてく
れます。30 キロを超えていたとき約 15000 円の支払いを要求されました
が徹頭徹尾、満面の笑顔で交渉すればチャラにしてもらえました。英語で
も通じますが、最低限の挨拶とかねぎらいの言葉はその国のものを覚えて
おくと心象がよくなります。なかった事にしてもらった場合、あくまで航
空会社側の好意なわけですからお礼は忘れずに言いましょう。あとはセキ
ュリティチェックを過ぎれば日本は目の前です。快適な空の旅を。
最後に
長くなりましたがいかがでしたでしょうか。海外についてどんなイメージ
を持ちましたか。楽しそう。危なそう。どれも正解です。日本の物差しで
測ること自体が無意味ですから一つの答えは出ません。マルセイユの人に
とってはマルセイユが普通なのです。気を付けていれば、まず危険な目に
はあいません。安心してください。さて具体的なイメージがつかめてたら、
まずは準備を始めてください。早ければ早いほどいいです。何か質問があ
りましたらいつでもお気軽に [email protected] までご連絡く
ださい。最後になりましたが、今回の留学に関しましては放射線遺伝学教
室の武田教授に大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げま
す。
それではよい旅を。