歴史は誰のものか― 歴史は誰のものか

どよう便り 80 号(2004 年 9 月)
A
歴史は誰のものか―
歴史は誰のものか―A
・ パリス著
『 歴 史 の 影 』 を刊行して
パリス著『
徳宮 峻
(社会評論社)
徳宮 峻(
今日は「どよう便り」の紙面をお借りして、この夏刊行し
た 『 歴 史 の 影 恥 辱 と 贖 罪 の 場 所 で 』( 原 題 L o n g
Shadows Truth, Lies and History)についてお話ししま
す。
著者のアーナ・パリスさんはカナダ人で、1 9 6 0 年代に
トロント大学からパリ大学に進んだ折、各地に残る元ナ
チスの収容所を見学、強い衝撃を受けました。その後
ジャーナリストを経て作家活動に入りましたが、この
『歴史の影』では、人々が歴史上の事実をどう記憶し、ど
う記録してきたのかを、自ら現地に赴いて、一つ一つ確
かめてゆきます。訪れた国はドイツ、フランス、日本、
アメリカ、南アフリカ、旧ユーゴの各地と、いずれも偏
狭な民族主義・人種主義が歴史的惨状をもたらした場所
で、アーナさんは出会った人々と、丹念に対話を繰り返
します。
たとえばドイツ。ドイツが国の方針として、ナチスと
の訣別を毅然たる態度で断行してきたのはご存じのとお
りですが、ではその政策の影で、人々は元ナチス高官の
子孫にどう接し、また子孫たちはどのような葛藤を生き
ているのか。大音楽家 R ・ワーグナーはまた反ユダヤ主
義者として知られていますが、彼の一族で唯一音楽家に
なった彼の孫が、数年前にエルサレムでコンサートを開
いたのを覚えている方もいらっしゃるでしょう。アーナ
さんは彼に会い、そしてインタビューします。そして
彼、孫ワーグナーが、時に罵声を浴び時に侮辱を受けな
がら、必死になって祖父の反ユダヤ主義を断罪し、ヒト
ラーに協力したワーグナー一族の非人道主義を暴く、反
ナチスの孤独な活動家であると知ります。
あるいは旧ユーゴ。廃墟と化したサラエボで、アーナさん
は案内役の 3 0 代女性、フェリダと瓦礫の中を歩きます。
フェリダはかつて「狙撃通り」と呼ばれた道を歩きなが
ら、こともなげに言うのです。「以前はそこにカメラマ
ンたちが居並んで、私が撃たれる瞬間を待っていた」
と。「民族浄化」の名の下に残虐行為がまかり通った町。
荒廃極まり、精神病が蔓延して自殺者が増え、フェリダ
もまた生きる意味を見失い自殺を考えていたそうです。
彼女が悩み抜いた末に見出した生きることの手応えは
たった一つ。「子どもを生むこと」。絶望の淵からの、力
強い生への意志ではありませんか。
アーナさんはこのように、大きく歴史が動いたその場所を
訪れて、有名無名にかかわらず、政治的か非政治的かにとら
われず、多くの人に接し、生きた言葉を捉え綴ってゆき
ます。しかし、この書は単なる聞き書きの紀行文ではあ
りません。私は原題の『Long Shadows』の邦題をあえて
『歴史の影』としましたが、それというのも、タイトル
の頭にどうしても「歴史」という言葉が欲しかったので
す。歴史―それを私たちは往々にして、書物の中に記載
された事項の連なりとして、公式に承認された殿堂の中
の展示物として、みなしてしまいがちです。しかしその
展示物は、誰が、何のために、どうやって作り上げたの
でしょう? あるいは一言でいいかえて、歴史とは何な
のでしょう? 私には、私たちの日々の営みと歴史とが
隔絶しているはずがない、という確信があります。では
いったい、日々流れていく時間の、どこから歴史が始ま
るのか。誰の記憶が、どの記録が、歴史とみなされるの
か。アーナさんの本は、その問いに答えてくれるもので
はありません。むしろ、そういう問いを喚起する本なの
です。
第二次大戦時の南京虐殺を「なかった」とする集団
のメンタリティーを、私たちは身近に感じることがで
きます。一つの共同体の中で、願望と恥辱が入り混じ
り、噂と神話が形作られ、誤解と記憶が残滓を残す。そ
うして保存された「記録」が、はたして歴史の姿とい
えるのかどうか。アーナさんはまさに、その記憶と記
録の混淆の中に飛び込み、歴史を織りなす言葉が人々
の間で泡立ちそして歴史として生まれるてくる現場に、
立ち会おうとします。集団的な欺瞞と真理への努力と
のせめぎ合いの中で、音を軋ませながら痕跡を残す真
実と虚偽。その斑模様をあるがままに伝えつつ、その
向こうに希望を見出そうとする。そんな彼女の視線は、
学者のそれでも運動家のそれでもなく、一人の生活す
る人間としての、一人の母としてのまなざしに他なり
ません。その目に浮かび上がる歴史の制作者とは、神
でもなければ歴史家でもない、そこに暮らし言動を繰
り広げる私たち一人ひとりなのです。
去る8月5日の宵に、アーナさんを東京に招いて朗読
会を開催しましたが、彼女の包容力のある優しい人柄が
遺憾なく発揮された催しとなりました。雑談の折に、各
地での朗読会の逸話を聞いてみますと、大阪で彼女への
質問状を回収した際、「正義とは何ですか」という質問
があったそうです。彼女は会場を見渡し、もしよかった
ら質問者、挙手して下さいと告げると、手を挙げたのは
十代の学生だったとか。アーナさんは、そこに希望を見
出したと言っていました。
歴史の影
―恥辱と贖罪の場所で
アーナ・パリス著
篠原ちえみ訳
社会評論社
A5 判★ 5600 円
3