自ら24時間耐久レースに出る豊田章男社長の哲学 - a

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1819.自ら24
24時間耐久レースに出る豊田章男社長の哲学
日本経済新聞2013.6.5.
(傍線:吉田祐起引用)
トヨタ自動車社長の豊田章男(57)が5月17~20日にドイツで開催された「ニュルブルクリンク24
時間耐久レース」にドライバーとして出場した。自動車会社のトップとはいえ、過酷なレースに出て
いく社長は珍しい。なぜ自らハンドルを握るのか。
■4年ぶりに「緑の地獄」に戻る
ピットで出番を待つ豊田章男社長。4年ぶりの24時間レース出場に緊張が高まる
ニュルブルクリンクはフランクフルト空港から北西に約160キロメートルの郊外にある。広い平野
を抜けてアウトバーンを1時間半ほど飛ばすと、古城「ニュル城」を囲むようにコースが巡るサーキ
ットが現れる。
ここは世界に多くあるサーキットのなかでも異色の存在だ。平地にある約5キロメートルの「グラ
ンプリコース」を抜けると、レーシングカーは約20キロメートルに及ぶ「オールドコース」へと飛び出
していく。カーブ、坂、カーブ、そしてまた坂……。森の中を走るため、アップダウンが激しく車が地
面からジャンプしそうになったり、先が見えないブラインドカーブを時速100キロメートル以上で駆
け抜けたり。高低差は最大300メートル、コーナーの数は170カ所以上。そんな過酷な環境から、
ファンはここを「レースの聖地」、あるいは「グリーン・ヘル」(緑の地獄)と呼ぶ。
17日午後、豊田はサーキットのメーンストレートに面したピットにレーシングスーツ姿で現れた。
いつになく緊張した表情でヘルメットに手を伸ばすと、チームメートに促されてトヨタのレーシングカ
ー「レクサスLFA」に乗り込む。天候は深い霧が雨に変わり、難易度は一気に高まっている。何と
言っても、24時間レースに出場するのは4年ぶりだ。
コース上で、強くアクセルを踏み込みながら、思いを巡らせる。「この4年間、精いっぱい精進して
きたつもりだ。コースは再び私を受け入れてくれるだろうか」。まずはテスト走行で1周。 10分間ほ
どの走行だが、ピットに戻ると全身から汗が噴き出している。どっと襲う疲労感。充実した表情。「路
面との会話を楽しむことができた。いい車をつくるための体内のセンサーが研ぎ澄まされるよ」と興
奮気味に語った。
■長引いた自粛期間
この24時間耐久レースから豊田が4年間遠ざかっていたのにはワケがある 。
「しばらく出場は控えたいと思う」。2009年6月、社長に就任すると、周囲にこう語った。当時、トヨ
タはリーマン・ショックの余波を受け、業績は大赤字。誰もがまずは会社の危機を脱することに専念
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すべきだと考えた。
「自粛期間」は想定よりも長引いた。米国で大規模なリコール問題が発生し、 10年には豊田自身
が米議会の公聴会に呼び出された。11年には東日本大震災、昨年は尖閣問題を巡る中国での不
買運動……。「この4年間はとてもムリだった」
社長就任から4年が経過し、ようやく会社は落ち着きを見せ始める。レースの前の週の5月8日に
発表した13年3月期決算は、単独営業損益が5年ぶりに黒字に転換。連結ベースでは営業利益が
1兆3208億円まで回復し、今期は2兆円の大台乗せも視野に入る。業績は上向き、復活に向かっ
ている。再びサーキットに足を運べる下地は整った。レース開始前、チームのメンバーを部屋に集
め、「試練の時期が続いたが、昨年はトヨタの世界販売台数が過去最高になった。 もう一度、原点に
返って人とクルマを鍛えよう」と激励した。
「クルマ好き」を公言する豊田にとって、24時間耐久のような本格レースの参戦は何よりの楽しみ
だったに違いない。ただ、それは業績回復を果たしたことへの単なる「ご褒美」ではない。自動車会
社のトップとしてどう振る舞うべきかを考えた上での行動でもある。
■人とクルマを鍛える
レースに投入したレクサスLFA。メカニックの大半はトヨタ社員だ
再びトヨタのピットに場面を戻す。
「LFAが戻ってくるぞ、準備を急げ」「雨がひどいからタイヤを交換しよう」「さっき接触したところは
大丈夫か?」――。サーキットを駆け 抜けるレーシングカーのエンジン音が轟(とどろ)く中、車を
サポートするメカニックらがモニター画面を注視し、所狭しと動きながら声を掛け合う。
トヨタは今回のレースに、自社のモータースポーツ・ブランド「ガズー・レーシング」のチームで参
加した。車両は最上級スポーツカー「レクサスLFA」と、日本でも人気が高い小型スポーツ車「86」
2車種の計3台。特徴的なのは、ドライバーと車を調整するメカニックの多くを外部に委託せず、ト
ヨタの社員が務めていることだ。
特にメカニックは20歳代や30歳代の若手から選ばれた社員が参加する。性能が最高レベルの
車両の設計に携わり、刻々と変化するレースの状況に応じながら、臨機応変に車両を整備する。戦
う相手は、メルセデスベンツやポルシェといった高性能な車を操る欧州の強豪チーム。レース後に
は極度の緊張 感から解放され、「こんなすごいレースの一員として参加できて本当に良かった」と
思わず涙を流す社員もいた。
「道がクルマをつくる」。豊田は普段からこう繰り返す。魅力的な車は、研究室や整備されたテスト
コースだけでは仕上がらない。起伏にとんだ過酷な路面で車を走らせて鍛え上げる。社員も現場に
身を置き、トヨタの社是である「現地現物」を実践しなければならない。そんな現場に経営トップ自ら
が乗 り込む。ドライバーや技術者と体験をともにし、「共通言語」で議論をする。そこに「僕がドライ
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バーとして出る意味がある」
■モリゾウがリスクを超えて得るもの
「危険すぎる」「万が一のことがあったらどう責任をとるんだ」「道楽じゃないか」――。社長がレー
スに参加することには社外だけでなく、社内からも批判があるのは事実だ。実際、ニュルブルクリン
クではレース以外の一般利用時も含めると、毎年のように死亡者が出ている。今年のレースでは、
LFAとともに出場した2台の「86」のうち1台が予選でクラッシュ。ドライバーは大事に至らなかった
が、決勝への出場断念を予備なくされた。
モリゾウ選手(豊田章男社長)の主な参戦レース
年
2007
〃
〃
2008
2009
〃
2011
2012
2013
〃
〃
レース名
もてぎチャンピオンカップ(日本)
岡山チャレンジカップ2時間耐久(日本)
ニュルブルクリンク24時間耐久(独)
車両
「ヴィッツ」
「アルテッツア」
「アルテッツアRS200」
結果
18位
19位
クラス16位
(総合110位)
ニュルブルクリンクVLN4時間耐久 「レクサスIS250」
クラス2位
(独)
(総合95位)
ニュルブルクリンクVLN4時間耐久 「レクサスLF-A」
クラス優勝
(独)
(総合36位)
ニュルブルクリンク24時間耐久(独)
「レクサスLF-A」
クラス4位
(総合87位)
ニュルブルクリンクVLN4時間耐久 「レクサスLFA」「アストン クラス7位
(独)
マーチンZagato」
(総合83位)
TRDラリーチャレンジ新城(日本)
「86」
クラス8位
(総合13位)
TRDラリーチャレンジ木曽(日本)
「86」
クラス優勝
(総合優勝)
ニュルブルクリンク24時間耐久(独)
「レクサスLFA」
クラス2位
(総合37位)
TRDラリーチャレンジ長野(日本)
「86」
クラス4位
(総合8位)
豊田はレースに出場するとき、「モリゾウ」という別名を使っている。若いころから新車開発のテス
トドライバーとしての訓練を受け、国際的なカーレース出場に必要な「国際C級ライセンス」も保有。
運転は趣味の域を超えている。レースでは順位よりも安全を優先して走っているという。
とはいえトヨタ社長の座にある者の身は、自分1人だけのものではない。それを危険にさらしてい
るなら、企業経営にとってはリスク要因になる。豊田は日本自動車工業会の会長も務めており、万
が一のことがあれば影響は自動車業界全体に及ぶ。自身もこうした声は認識しているが、 レースに
出場して得るものの方が大きいと考える。
「欧州勢と本気で対抗していくなら、ここで真剣勝負をすることが欠かせないんだ」。トヨタでモータ
ースポーツを統括する専務役員の伊勢清貴(58)は、ピットでレースの様子をじっと見守りながらこ
う語った。
自動車産業を国の柱と位置付けるドイツが1927年に開設したニュルブルクリンク。レース開催時
以外には一般開放され、自動車各社はコースを借り切って徹底的に開発中の新型車の性能を追求
する。周辺でも全体を唐草模様のようなコーティングでカムフラージュした車両がしばしば目撃され
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る。
ベンツやBMW、アウディといった高級車ブランドは歴史的にここで車を鍛え上げ、それがブランド
の信頼に一役買っているのだ。「普通に走っているときはわからなくても、いざという時に差が出
る。それをお客さんは知っている」(伊勢)
独BMWは12年12月期、51億ユーロ(約6600億円)の純利益を稼いだ。販売台数はトヨタの2
割程度だが、利益額はトヨタの約7割の水準だ。業績好調な独フォルクスワーゲン(VW)も傘下の
高級車アウディの貢献が大きい。利幅の大きい高級車ブランドの育成は、トヨタの成長に欠かせな
い。
その要となる「レクサス」は、4月の組織改正で社長の直轄事業になった。高級車ブランドの育成
には「歴史やストーリーが必要」。自ら指揮を執り、時間をかけて育成する。豊田が本格的にニュル
ブルクリンクで開発した「レクサスLFA」でレースに臨んだのは偶然ではない。
■アナウンス効果にも期待
急な坂やカーブが続く難コースではライバル車のリタイアが相次いだ
19日の夕方5時。メルセデスベンツやBMW、ポルシェ、アウディなどの強豪がコースのグリッド
に出そろい、24時間、夜を徹して走り続ける耐久レースの決勝が始まった。レース開始から1時間
ほど経過した午後6時過ぎ、豊田は1番手のドライバーと交代し、LFAに乗り込んだ。今度は約1時
間かけて6周。この後、翌日にも2回走り、合計で約2時間半、 400キロメートル近くを走りきった。
ライバル車のリタイアが相次ぐ中、LFAは完走を果たした。結果は175台中37位。同レベルの車
が集まる「SP8クラス」では2位に入った。「みんなで協力して、完走できたことが何よりもうれし
い」。20日夜のレース後、他のドライバーやメカニックとビールを掛け合い、喜びを分かち合った。
レースの状況やピットの様子はユーストリームで実況中継され、多くの社員が熱気を間接的に体感
した。
豊田がレースに臨む際に期待するアナウンス効果は社内向けだけではない。
18日夜、決勝の前日。コースの観戦エリアに出て、つかの間のリラックスした時間を過ごした。コ
ース沿いの広場にテントを組み立て、バーベキューをしながらレースを観戦するのがドイツ人のニ
ュルブルクリンクの楽しみ方。1週間ほど休みをとって予選から決勝までじっくり観戦する人も多
い。今年の観客数は20万人を超えた。
「トヨタ!こんにちは!」。話しかけてくる観客らと豊田は握手を交わし、ビールを片手にサインに
応じる。「自動車の文化が地域に根ざしているのはうらやましいね」
こうした車ファンたちが、自動車の需要を支えている。駐車場に止まっているのはほとんどがドイ
ツ車だ。いくら価格や環境性能を訴えても、その車のオーナーになりたいという消費者心理を引き
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ツ車だ。いくら価格や環境性能を訴えても、その車のオーナーになりたいという消費者心理を引き
寄せられなければ売れない。そのためには消費者の懐に飛び込んでいく必要がある。
豊田が出場するレースはニュルブルクリンクだけではない。例えば昨年秋、愛知県新城市で開催
された「新城ラリー」。地元自治体が後押しし、プロから一般ドライバーまでが交ざって参加する地
域密着型のイベントだ。クルマの需要を盛り上げるため、自らクルマを楽しみ、消費者にも楽しんで
もらう。広告塔の役割を担っていることも意識している。
ホンダは5月16日、自動車レースの最高峰「フォーミュラ・ワン(F1)」への再参入を発表した。
2009年に撤退したトヨタにも世間の視線が集まるが、ある幹部は「トヨタの再参入はない」と言い切
る。
F1には究極の技術を鍛えられるメリットがあるが、今のトヨタがめざすのは華やかなF1の世界
ではないという。昨年にトヨタは「ル・マン」などで有名な世界耐久選手権(WEC)に参戦したが、こ
れにはトヨタが得意とするハイブリッド車(HV)の技術を鍛えるという理由がある。
■創業家トップの哲学
レース後、豊田は成瀬の遺影を手に記念撮影に臨んだ
コースから少し離れた一般道路沿いに、2本の桜の木が植えてある。豊田は今回、ドイツに到着
するとすぐここに向かい、レースに出る前に手を合わせた。
2010年6月、ここで起きた交通事故で67歳で亡くなった成瀬弘は、トヨタのテストドライバーの頂
点に立つ「マスタードライバー」。その走りぶりから「トップガン」の異名を取った彼は、豊田にとって
運転の師匠だった。創業家の御曹司として 2000年に取締役に昇格したころ、成瀬は言い放った。
「運転の仕方も知らない人に、あれこれ言われたくないんだよ 」
この一言をきっかけに成瀬によるドライビング技術の猛特訓が始まった。直線で最高速度までス
ピードを上げた後に急ブレーキを踏む、ひたすらコーナーを曲がり続ける……。教わったのは、運
転技術だけではない。自動車会社のトップとして社員を引っ張っていくためには、クルマを愛し、知
り尽くさな いといけない。少なくともトヨタ自動車の創業家のトップとしての原点は、そこにあるべき
だという哲学だ。
モリゾウと社長が重なり合う原点がここにある。 レース後の記念撮影におさまる豊田の手には、
成瀬の遺影があった。=敬称略 (名古屋支社=西岡貴司)
ヨシダコメント:
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大変に失礼なことでしたが、豊田彰男現社長に対して「ボンボン社長」というイメージを抱いていた
ヨシダであったことを恥じます。此処までのことをして来られたとは認識不足でした・・・。脱帽しつつ
お詫びしたい心境です。
ご尊父の豊田章一郎会長さんとの接点を持ったことのあるヨシダですので、想い出の心情をもって
その一端を披歴します。まず、間接的なご縁をいただいたのは同会長が政府規制緩和小委員会会
長時代は1994年代に遡ります。多少の年代の思い違いはご容赦ください。
当時、ヨシダはトラック運送業界の「規制緩和(最低車両台数規制の撤廃=個人トラックの容認)」の
提言活動を活発にしていました。業界誌(紙)に掲載された一連のヨシダ論文は膨大な量に及びま
した。端折ってのことですが、豊田会長さん率いる当時の「規制緩和小委員会」が公式文書で時の
総理・橋本竜太郎さんにその提言書を提出する大きな写真記事が出たものです。
と、そのことはこの程度にして、もう一つの直接的接点を書き留めます。その縁は SAM の会(The
Society for Advancement of Management)という世界最古の国際的な経営者団体のメンバ
ー同士ということにありました。ヨシダは広島支部長。豊田御大は名古屋支部会員という間柄でした。
事実上の名誉会員さんでした。同会が出版していた SAM NEWS では、同じ号で寄稿者の名を連
ねる栄に浴しました。同会長ご寄稿文のタイトルは「ウズベキタンを訪問して」でした。
最大かつ、現在に至って自慢できることがもうひとつあります。同 SAM の会本部(アメリカ)の創立
80周年事業は名古屋における記念大会でご一緒する栄に浴したのです。広島支部長の立場にな
って、記念大会直前に別室貴賓室でお名刺交換の栄に浴しました。その折にヨシダが手短に同会
長が政府規制緩和小委員会会長時代に政府に提出された懸案の規制緩和提言の事実上の提言者
であることを口にしたのです。と、どうでしょう、同会長が瞬間、「おっ!」といった表情をお見せにな
りました。ヨシダの喜びでした!それ以上の長話は失礼と心得て、次の方に席をお譲りしました。
最大の記念は、パーティーの場で、広島勢の者数名と一緒に会長にカメラに収まっていただいたこ
とです。肝心の写真はフィリピンには持参そびれましたが、一生の想い出足り得る経験でした。一
介の無名のヨシダですが、ひと昔前にさかのぼると、意外や、ビックリしてもらう人生体験を秘めて
いることに内心満足している次第です。
末尾ですが、本記事末尾にある、「レース後の記念撮影におさまる豊田の手には、成瀬の遺影が
あった」とあることから、グーグルで拾った成瀬弘さんの事故の模様を語る写真記事を下記に添付
します。
試験走行中に事故死した成瀬弘氏のレクサスLFA事故現場映像
欧州のメディアは24日、トヨタのチーフテストドライバー、成瀬弘氏(なるせひろむ/67歳)が、レク
サス『LFA』をテスト中、ドイツ・ ニュルブルクリンク付近で事故に遭い、死亡したと伝えた。報道に
よると、成瀬氏が運転するレクサス LFA は、ニュルブルクリンク近くの一般道を走行中、BMW のテ
ストカーと衝突。成瀬氏は病院に搬送されたが、死亡が確認されたという。
No.1(1-300) No.2(301-400) No.3(401-500)
No.4(501-700)
No.5(701-900)
No.8(1101-1300) No.9(1301-1500) No.10(1501-1700)
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No.7(996-1100)
No.11(1701-1900)