三、スリランカにおける家族法 被合宗教社会における法の

151 スリランカにおける家族法
内 第 二 回 宗 教 法 祭 会 シ ン ポ ジ ュi ム ・ 報 告
M
三、スリランカにおける家族法l
i被 合 宗 教 社 会 に お け る 法 の
報告の問的
道
︿愛媛砂川'絞大学﹀
中洋・アフリカをはじめとする、 いわゆる第三世界の法に対する関心が高まっている。本報告は、
e
側
面
﹁宗教法﹂という
の一研究分野として、第三世界の法の研究がとちあげられる
九八二年に
教授を居宮沢として実施さ
﹁ ス リ ラ ン カ の 家 庭 法 ﹂ を 滋 じ て 開 明 ら か に し 、 併 せ て 会 員 の 皆 様 方 の 御 教 示 を 賜 わ る こ と をg 的 と す
れる学術鶏査の結果を改めて報告することにしたい。
る。個別具体的な研究報告は、 ア ジ ア 法 研 究 の 煙 論 的 モ デ ル を 求 め て
ベきゆえんを、
聞の税約もさることながら、
つめ研究分野の可能性を提示せよ、という谷口知平先生の御示唆にもとづくものである。したがって、本報告は、時
このような動向と宗教法学会の設立にともなって、 なお﹁宗教法学とは符か﹂という問績を模索するなかで、その一
近時、 アジア
湯
152
主語教法創刊号(1詰 8
3
. 5)
F由美曲は、
スリ・ランカという闘
スリ・ランカ的同
一九七二
丹 、 メ γダ ラ ナ イ ケ 政 権 に よ っ て 、 合 く か ら 知
﹁インド半島コモヲシ仰の東湾、 ち ょ う ど 感 嘆 認 の 点 の よ う に 、 ポ ツ ン と 存 在 す
FZZ と は 門 海 く 島 ﹂ の 懇 で あ9 、
Pン と い う 国 名 か ら ス ザ ラ ン カ と 改 称 さ れ た も の で あ る 。
or
る島﹂である
られているセイ
こ の よ う な イ ン ド 重 大 陸 海 灘 、 イ ン ド 洋 上 に あ る 島 国 ス ヲ ラ ン カ は 、 面 積 六 五 六O O平 方 キ ロ メ i ト ル 、 北 海 道 よ
ん ど ! と い わ れ な が ら 、 飢 餓 惑 は な い 。 し か も 議 学 率 八 一%を超え、函
9 や や 小 さ い 乱 開 に 人 口 約 一 五O O万 人 弱 が 居 住 し 、 熱 帯 に あ り な が ら 比 較 的 温 和 な 気 候 風 土 の も と に 生 活 し て い る 。
したがって、年間同闘民所得一人あたn
J七
z
F四時。 e約三宮町曲目。
口宮と四つの
調﹃C
オランダ、 そ し て イ ヂ 翌 ス と い う 西 欧 列 強 の
印。己主 こ
u で あ 号 、 く わ え て 、 ポ ル ト ガ ル 、
百三岬即時拐によって
CHSg
民の生活が家教的背景に支えられていることと相家って、種々の政治的・経済的・社会的な溺難な問題をかかえなが
MV叫 巴 - 曲 ]
町
スF ラ ン カ は 町 二 つ の ZZ12宮Z 丘
らも、実態としての綴民の生活は、世界でも最も平安な閣という印象を受けた。
とはいえ、
鱗成される複
マジ袋リテ 4 e グ
摘民地支配を受けて今日にいたった、 という歴史腕背景もあ号、単一社会をみる協によっては理解するととの困難な
一九七八年のセンサスによれば、
︿約一 O万人)
あるいはその歴史的条件のなかから、 それぞれ
さ ら に マ レ i 出向出向仰山、および欧州混血パ l ガ i
∞za2
こO 一一一八万人)、 イ ン ド ・ ド ラ グ ィ ダ 系 の タ ミ l ルベ由同出回}
ある意味では復雑な社会構成の農家マある。たとえば、国民は、
(九五万人﹀、
ルi プ で あ る イ ン ド ・ ア 1 9アン系のシンハラ笠宮宮曲目命閉め
万
ム
︿二八O
ア ラ ブ 系 の ム i ア録。2
Lい い う 人 種 に よ っ て 構 成 主 れ て い る 。 そ し て 、 こ れ ら の 人 種 ご と に 、
異なった宗教を信仰して、 それぞれの宗教共同体を維持している。
1
5
3 スザランカにおける家主主主長
衆知のように、
スヲ・ランカは上⋮腹部仏教(﹁上療にいる臨概念の教え安市山祭に爽行ずる﹂)の定着した留として知られ、癒法
で あ り 、 少 数 民 族 で あ る タ ミ l ルはヒンドウを、 ム ー ア や マ レ ー は イ ス ラ 1 ム を 、 そ し て パ
にも仏教念特別に保護する規定︿憲法九条﹀を有する仏教国として知られている。しかし、仏教はこの簡の最大多数民
践 で あ る シ γ ハラの
ーガーや改宗をした人達によってキリスト教が総仰されている。というように大雑把に分けることのできる複合宗教
社会会携成している。
しかも、 シ ン ハ ラ 人 は シ ン ハ ヲ 語 、 タミ i ル 人 は タ ミ i ル 語 を 日 常 用 語 と し て 用 い 、 さ ら に 植 民 地 支 配 の な か で 育
一九鴎八年、 セイ
Pン と し て 独
用いられ、人数、宗教、一言語の兵問によ号、それぞれの共同体が維
である、といっても過ぎではない複合国家である。第二次大戦後、
く 玄 れ た 品 9 iト 層 に よ る 公 用 語 と し て の
持されてきた
立したこの閏が、 さ ま ざ ま な 政 治 的 事 件 に 濃 偶 殺 ざ る を 得 な か っ た 最 大 の 要 因 が と こ に 存 在 す る こ と 敬 愛 過 す る こ と
はできない。
ところで、このようなス評判プンカをめぐる議事情は、 すでに述べたように、近時、 わ が 国 に お い て も よ う や く
閣の文化に対する認識の必要性が
州吋ばれる今
ai ぞ れ が 石
関 心 の 高 ま っ て き た 、 アジアや中東諸国雄?の、 い わ ゆ る 第 一 一 一 役 界 と い わ れ て い る 諸 菌 が 多 か れ 少 か れ 共 有 し て い る 膝
史的・社会的・経済的な諸条件である。これらの
役界の法と社会の
における外層法の研究は、どちらかといえば、わが留の法律制
治 家 備 投 は じ め と す る 経 済 的 な 要 因 に 織 を 発 す る も の で ら れ l、 私 違 法 学 徒 の 簡 に も 、 こ れ
認識への爵心が高まちつつある。しかしながら、
度のモデルとなった欧米諮問の研究に集中そざるを得なかったがゆえに、 必 ず し も ア ジ ア 諸 居 の 法 の 研 究 の 視 点 や
アフヲカ諸国の法の研究の方
a
スヲ・ランカの法の研究は、このような第三世界の法
視 角 を 設 定 す る こ と が で き な い 、 と い う 状 況 下 に あ る と い っ て よ い 。 そ こ に 、 アジア
法論如何という問題が問われるととになる。そうだとすれば、
宗教法創刊号(1983. 5) 1
5
4
の研究にとって一つの手がかちま提供することになろう、 とさきに述べた理由が理解していただけると思う。けだし、
のバックボーンとしている箆家
、原則として
級になって
つの方向を示唆するであろうと思われるからである。
8ら に 、 ② 植 民 地 支 配 を 受 け た 経 験 設 も っ て い る 、 の で あ っ て 、 こ れ ら の 諸 条 件 を 兼 な 備 え た ス リ ・ ラ ン カ
これらの諸国は、お緩合社会であること設常とするか、 あるいは宗教をその
で あ る0
の法 i と り わ け 家 族 法 i の 研 究 は 、 第 三 世 界 の 法 の 研 究 の
スワ・ランカが複合国家勺ある、 と い わ れ る ゆ え ん は 、 こ の よ う に 人 種 ←
担
垣
スリランカにおいて
コミュニティ役形成して、各々が同化することなく存続しているからである。したがって、 その状況が法鍛皮のうえ
にどのように反挟されているか、どいうことが第一の関心事どなろう。その手がかちとして、
n-w- タ ム メ イ ア m-gJ38E芯 は 、 そ の 箸 ﹁ セ イ ロ ン 法 の
﹁法諒﹂として説かれていることがらをみてみることにしよう。
スリランカにおける法滋
ngこ 。 出 向
つに分けて、 セイ
P ンの
においてつぎのように述べている、 すなわち﹁シヴィル・口ーのすべての分野
スリランカにおける最も権威ある法律学者である
ヰ油務相似山町恥匂叫四国門戸間︾戸市曲。町
h
つぎのように、地滅慣習法によって規制されている。キャンディ法はキャンディ地方に、テサワラメーは々
において、 オ ラ ン ダ の 影 響 が き わ め て 少 な い の は 人 事 法 の 分 野 で あ ろ う 。 最 初 に 、 大 会 く
人々は、
イ ロ ン 北 辺 州 の タ ミ i ル人に、 そ し て イ ス ラ } ム 訟 は ム ス ヲ ム ︿イスラ!ム教幼稚)に、という具合である。 口!マ H オラ
について適
ET
の分野は、 ギ ャ ン デ ィ ・ シ ン ハ ラ 人 は キ ャ ン デ ィ 地 方 の 慣 習 法 で あ る 関
マ日オランダ法は、地域演習法によって規制されている人達に対しても、地域機期開法に規定な
2
5
5
5
2
ン ダ 法 は 、 低 地 シ ン ハ ラ 、 東 方 州 の タ ミ ! ル 、 そ し て メ i ガ l 録制川混血﹀および沼 j ロ ッ パ 人 に 通 用 さ れ る 。 さ ら に 、
ロ
期 さ れ る ﹂ と 述 べ て い る 。 つま号、
1
5
5 ス号予ンカにおける家族主長
ジ ャ ブ ナ 地 方 の タ ミi
i
N人 の 慣 習 法 で あ る テ サ ワ ラ メi322尽 き 三 の適用安
弘司問、即 句
d 、 北 辺 燃 の タ ミ i ル人は、
つぎのような問題を提示することになろう。すなわち、①植民地支配役受けた結果として、宗主国
受ける、 と い う こ と で あ る 。
みぎの叙述は、
で あ る オ ラ ン ダ i後 に イ ぶ ザ ス l の 法 を 繊 細 受 し て い る こ と 、 @ そ し て そ れ で い な が ら 、 少 な く と も 人 事 法 日 家 族 法 の 分
野は、人種・言語尋宗教を基盤としたそれぞれの共同体の法が現在にいたるまで維持されている、ということになる
が、これはなにを意味するので告のろうかということである。酒飲継受法と周有法阿国土脅さまむ唱との緊張糊関係︿融合
と日伐採﹀の一つの例を示しているわけである。
シンハ-フ泳て テ サ ワ ラ
スリ・ランカ法律学における法源論時弘、 き わ め て 興 味 深 い も の と い え よ う 。 前 掲 タ ム
吋 ス ワ ラ ン カ に 存 在 す る 法 制 度 Zき-ω3Z訟 は ロ i 7 H オ ラ ン ダ 法 、 イ ギ ザ ス
みぎの問題と関漣して、
ハイアは、
早クィティそして宗教が、
セイ開ンにおける法源である﹂と述べ、さらに、償聖法時弘、地
メi お よ び イ ス ラ i ム法等、 ス ザ ラ ン カ は 、 ま さ に 法 律 の 宝 庫 で あ る ﹂ と し た う え で 、 そ れ ぞ れ の ﹁ 立 法 、 判 例 、 法
尚子遂の窓見(学説﹀、償譲、
という議列強の植民
域慣習法および宗教償蛮法とよぶべき-ものだ、 と い う こ と を 述 べ て い る 。 こ こ に 複 合 社 会 の 特 色 を 示 す 法 源 論 が 接 関
つづいてイギリス公七九五年﹀
されているということができよう。大雑把に盤期枕すればつぎのようになる。
、 オ ラ ン ダ 三 六O二年﹀
において、緩々の西欧法を継受しながらも、人事法に関してはスリ:ランカの固有法を
の ま ず 、 ポ ル ト ガ ル ︿ 一 五O五年﹀
地支配を受ける
同
HEBE--
内仲間
川島
MmZ 2 2 0 M
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マ Hオ ラ ン ダ 法 の 影 響 の も と に 成 立 し た
に い た る ま で 維 持 し て き て い る と い う こ と で あ る 。 ス ザ ・ ラ ン カ の 品 ヲ i ト法曹が、 現骨化でも、 スF- ラ ン カ の 法 の
精 神 は ロ ;?"uオ ラ ン ダ 法 に あ る 、 と 一 致 し て 説 い て い る の で あ る が 、
品
家 族 法 ︿ 現 在 の 法 律 と し だ は 害2 Z書 評 世 22tzcEZ22・喜朗?冨仰に言。おいと担問ZZ 芸
宗教法創刊号(1983. 5) 1
56
A
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同申印
20也 君 。E2tω
冨釦叫
同
J。唱。片岡可。E
ZEMne--Z∞などである︺は、
コロンボを中心と
スリ・ランカ人事法の一般法ではあるが、 その適
用範闘は必ずしも広範囲にわたるものではないということに注目しなければならない。すなわち、
した沿岸州に在住するシンハラ人(低地シンハラ︺を中心とする人事法であるに過ぎない。低地シンハラといえどもほと
んどすべての人々が仏教徒ではあるが、 西欧家族法の影響を受けた立法によって規制を受けるにいたったのは、
経済取引法・刑法の定着はある程度成功するが(これらの法
には受け入れられることになる。ここに、同じ仏教徒という宗教共同体に属したシンハラは、ボルトガ
方 に 在 住 す る キ ャ ン デ ィ ・ シ ン ハ ラ と に 分 断 さ れ る こ と に な る0 0つ づ く イ ギ リ ス の 植 民 地 支 配 は 、 こ れ を 継 承 し た 。
ル時代からの延長線上にある植民地支配の直接の影響力のもとにある低地シンハラとそれがおよばないキャンディ地
も増加する
強 く お よ ぶ コ ロ ン ボ 周 辺 の 地 域 に 限 局 さ れ る こ と に な る 。 つまり、 西欧文化を受容した人々(中にはキリスト教への改宗者
重する方針を採用するにいたった。したがって、 西欧家族法の理念にもとづく勅令・立法は、植民地政策の影響力が
(テサワラメ lの編集やイスラ lム法の収集事業に着手しはじめたことなどにそれは表現されていよう︺、家族法については固有法を尊
がもともと欠如していたことにもよるであろう︺、家族法についていえば、 そ の 地 域 慣 習 に 基 礎 を お く 固 有 法 の 強 さ を 認 識 し
民 地 支 配 を 企 画 し 、 種 々 の 西 欧 法 の 5 吉田市をはかるが、
となる。@オランダは、 イ ン ド ネ シ ア の パ タ ピ ア に 拠 点 を も っ オ ラ ン ダ 東 イ ン ド 会 社 の 勅 令 ・ 立 法 に よ っ て 本 格 的 植
政治的密接さを保とうとする政策(キリスト教の布教︺は、 む し ろ 反 援 を ま ね き 植 民 地 支 配 も こ の 地 域 に 限 局 さ れ た も の
点を作るという目的をもっ植民地政策は、この周辺の地域だけに関心をもっ。さらに、宗教を共有することによって
よりも、この地域における植民地支配の強さによるものであろう。@まず、ポルトガルであるが、物資の中継地・拠
な
つまり、 イ ン ド に お け る 植 民 地 支 配 の 政 策 と 同 様 に 、 固 有 法 を 尊 重 す る と い う 考 え 方 は 、
一七九九年九月二三日
しかも次第にセイロン全土にその影響力をもつにいたったイギリスではあったが、衆知のイギリスの植民地支配の原
員1
1
5
7 スリランカにおける家族法
シンハラはシンハラの慣行、
0242Hめ ﹀ の ご
M 甲山山内凶
などがある)。したがって、 キ ャ ン デ ィ 地 方 ば か り で な く 、
Hi
︼司叫
コロンボをや心とする沿岸
w
h
ω
ムスザムはイスラ!ムの慣行にしたがう髭を宣言さえするにいたった。したが
の布会︿さらには、一八O 俸 の 礎 部 品 早 唯 一 寸 に よ っ て ﹀ に よ っ て 、 単 に 家 族 訟 の み た ら ず 、 土 地 、 賃 料 、 契 約 、 動 嫁 の 梧 続 に い た
るまで、
銭安凶
。て、 キ ャ ン デ ィ ・ シ ン ハ ラ は キ ャ ン デ ィ 家 族 法 の も と に 生 活 す る こ と に な る ︿ 褒 行 の 家 族 仲 間 と し て は ぎ き 身 き
a
必需伶
州以外の地域は、 それぞれの共同体の法が、 そ の ま ま 維 持 さ れ る と と に な る 。
同町内話沼己主言。三笹山刷出仲間昨帥印刷芸品
MU
Pブンカの最北、 ジ ャ フ ナ に 校 住 す る タ ミ i ル 人 は 、 テ サ ワ ラ メ ! と い わ れ る 間 有 の 債 務 法 を
① し た が っ て 、 スリ -
脅 す る の で 、 こ れ を 今 日 に い た る ま で 維 持 す る こ と が で き た (現在の察旅仲間典としては、
などがある)。
ム ス リ ム に 適 汚 す る 家 族 法 に つ い て も 、 そ の ま ま あ て は ま る こ と に な る ο ムすなわち、
①において述べた、キャンディ・シンハラ人の法であるやャンディ法は、ある意味では、 キャンディ地方の﹁地域﹂慣
﹁地域﹂共同体
習法という役務をも帯有しているものであ号、@において述べた、ジャフナ島のタミi ル人に適用されるテサワラメ
iも 問 機 な 性 格 を も つ も の と い う べ き だ か ら で わ る 。 と は い え 、 キ ャ ン デ ィ ・ シ ン ハ ラ 人 は 、 出 中 に 、
ジ ャ ツ ナ ・ タ ミ i ル人も同様に、
ヒンドP教徒によって構成される宗教共肉体ともい
を構成しているということにとどまらず、仏教徒によって携成される、ある意味では宗教共同体を機成しているとも
いうべき・ものであり、さらに、
ι
DFhwM吋 凶 門 知 口 約 命 。 川 島 M322huawM申印肋
③みぎに述べたことは、
﹁キャンディ・シンハラにはキャンディ法いをと
﹁ムスヲムにはイスラi ム法を﹂という康刻が確立することになりた通行のイスラlム家族法
ザツlム法の適用については、療史的に軒余践折を経たが、諮問潟は、
ス
A
w
-叫印崎町ぞ戦げることができる﹀。しかし、これは、 さ き に 述 ベ たφ 、訟の場合と国間
としては潔例脚色凶器密ミ2 3 wau言。2
。
向
な り 、 在 住 ﹁ 地 域 ﹂ に 鎚 係 の な い ム ス ヲ ふ と い う ﹁ 人 い を 対 象 と す る と い う 点 に お い て 異 な る と い え よ う 。 つまり、
いう適用原射と時様に、
イ
家事責法創刊号(1告 8
3
. 5) 158
﹁宗教法﹂ と い う 研 究 分 野 の 可 能 性 を 示 唆 し て く れ る こ と に
うべきものだという点に留意すべきであろう。したがって、それぞれの家族法が、宗教共同体としての法の性格念ど
のように反狭しているかという点を考察することが、
G
技師山師仲町
OP
MW
@法学者の意見
品開⋮々怨宗教Z 二 主 さ と 説 か れ る の
⑤先例宮部内部品書仲
なろう。この白川については、 ス ヲ ラ ン カ に お け る 法 律 学 が 、 法 淑 と し て ﹁ 宗 教 ﹂ 変 説 い て い る こ と 投 手 が か り と し て
概観してみることにしたい
法滅としての﹃宗教い
すでに述べたように、 ス ザ ラ ン カ に お け る 法 源 は 、 @ 立 法 Z
d匂 @ エ タ ィ テ ィ
伽三。口三宮之氏⑥償普法のまざ時間。町内リgzcEg
ミU
CMM
般法である口!?Hオランダ法をも唱で、
出品。品角川町pmo自民1062UFS︿と呼称することが多くな唱でいる﹀
の影響が色濃く
スリランカの国有法の数格も表現されている。したがって、
一般法と特別な慣習法との関係において凶難な開題を生じている﹂と説かれることになる。ぞれは
スヲ・ランカの法学者にどのように裁かれているかを、まず、瞥見
の諸問題について、様民地
仏教の寺控や願期的な財産、徴説、議侶の集会、仏僧の地位および相続に関しては、仏教の教義の説くとこ
ろにしたがう、 と 説 か れ て き た 。 列 強 の 支 配 が お よ ぶ に い た づ て も 、 仏 教 徒 国 有 の
に関する一八八九年
U 削叫
2
支配者当局は原別たして干渉することができなかった。それを確認したのが、仏教寺院三
①仏教
してみることにしよう。
ともかく、ここでは、法源たしての﹁宗教﹂が、
つの法源とな号、
﹁ セ イ ロ ン に は 、 仏 教 徒 、 ヒンドず教徒、 ムスリム、 キ リ ス ト 教 徒 が お り 、 宗 教 は 立 法 ま た は 償 習 を 通 じ て 、 訟 の 一
現されていることを看取することができよう。その反面、
の
が一般的である。この体系化のうちに、西飲法︿口!?日オランダ詩情とイギワス持出。近時、イギ守ス法の肱署警のもとに変怒したこの
︿
学
制
錦
﹀
回
磁
1
5
9 ヌザランカにおける家狭まま
お よ び 一 九O 八 年 法 制 問 一 号 で あ る 。 さ ら に 、 仏 教 の 襲 的 な 財 産 に 欝 す る
九
一年法令一
似
である。仏倦
ωロ 釦 ロ 宵 釦 ﹃h W C 2WMMm伶
mwmw内
-p色 鉛 ︼ C
再開
﹁裁判所は、現実の俊行を知るために、ぞれを熟知している僧侶からの綾定
︿
﹁裁判所は、仏法が現実の償行になっていないときにはそれにしたがわなくともよいいとし、
ことし、そのためには、
MmwHE
﹁原理とか縫仰というものは、現実の債行によって修正されたものにしたがう﹂
dzn 妙 。 ︿
ヒンドク寺院や義的な財産については、仏教の
-w
︿
と同様に、
となるのはイ
﹁現疫のスリ・ランカではヒンドヲ家族法は法滋ではない。
ブンカでは、そのとンドヲ家族法が、 ピンドク教徒であるタミ
ンド?にはヒンド
V
M
むンド?の宗教慣行にしたがって
によって、 そ れ を 緩 認 す る ﹂ む さ き222F22 タ営問 ω義主総 522 55v と い う 先 併 が 凝 立 し て い る 。
ヒンドゥ法
処理され、純粋な宗教的行事についてもそれにしたがうという先例が確立している。その場合に、
スヲ
ン、ドにおけるそれであることについても多くの先例が存している。それでは、仏教とは異なり、
P家 族 法 が イ ン ド に お い て 公 布 さ れ て い る が 、
ールに適用されるかという問題がある。これについては、
ヒンドヮ法が法源であるというべきであったが
モスグ︿イヌラ iムの礼僻併殺一)や宗教上の
の地位に関する問題をはじ
とンドゥ法は法源としての地位を失なった﹂と鋭かれている。
テ サ ワ ラ メ i が 編 集 さ れ な い 時 代 は 、 ジ ャ ツ ナ ・ タ ミ i ルの家族法凶弘、
が 、 テ サ ワ ラ メ iが 執 行 さ れ る に い た づ て
イ ス ラ 1 ふについても、
他 の 宗 教 と 両 様 に 、 イスラ;ム﹀︺い
だ、仏教や匁ンド?と異な号、 イスラ i
婚娘、勝婚、婚総生活における権利義務
の原則によって、宗教上の闘有の開題は処理主れていることになる。た
々のすべてがイスラ i ム法という
にもとづく法によって規制さ
法が、人事法全般にわたゆてムスリムに適用会れているのであって、成年、
A
リ
め と し て 、 純 粋 に 宗 教 に 関 係 す る 事 項 に つ い て は 裁 判 所 は 干 渉 し な い 、 と い う 先 例 が 破 立 し て お 明 、 その意味では、
イスラi ム
;
<
る。この問問題について、
の地伎や相続に関しては、仏教の教義のうち、三口担︾、印刷VZ僻 ぎ の 定 め る と こ ろ に し た が う 。 と は い え 、 時 代 は 変 議 す
法
ρ、
.
1
'
②
③
宗教法i
疑
事j号 (1983. 5) 1
詰9
の結論ともいえよう。
シ ャ ザ i ア(イスラム後﹀
を建設することにあるのであるから、当然といえば
V
れているという点である。イスラi ムという宗教は、信徒の義務として、混設において、
守スラiム共肉体
ブィ派である点に叡慾しよう)。
hyhyi
F向 型 噌 ? に
MIH回申
スザ・ラ γカ に お け る 代 表 的 な 法
初 。 略 行 命 日 、 - 。S
Mmw
MW ルh
開
w山d ・ 州 向 e d哩 ・ ・ 司 ﹃ 凶 問 d n F W
つまち﹁法源としての宗教いとして、
叶壁際
に家族法ーが
の教義
ないしは宗教的背祭によって裏づけられた家族法ぞ翁しない、 と速断す
の法が、 そ れ ぞ れ の 宗 教 的 教 義 に よ づ て 影 響 を 受 け て い な い と は
らなるシンハラ人の詮会︹低柚 mhvンハラ︺でありながら、近代目 i 7詩オランダ法といわれる浅体系ぞ受容したことをもって灘解することができ
の な か で 成 り 立 ち 得 な か ゥ た 、 ということもあり得ょう︿そのことは、値段抽地支絞の後輪轄下にあった沿俸制 m炉
M 、圧倒的な仏教徒か
考えられないからである。しかし、他方、 みぎのような単純な構図による仮定が必ずしもスリ・ランカの緩史的状況
、 という構図が成立する
共 同 体i テ サ
4 ワラメ l
仏 教 徒 か ら な る 宗 教 共 同 体j キ ャ ン デ ィ 法 、 ⑦ ジ ャ ブ ナ ・ 夕 、 、 、 ! ル j ジ ャ フ ナ 島 在 総 務 ← ヒ ン ド ヮ 教 徒 か ら な る 宗 教
る こ と は で き な い 。 な ぜ な ら 、 す で に 述 べ た こ と を 再 述 す れ ば 、 ① キ ャ ン デ ィ ・ シ ン ハ ヲi キ ャ ン デ ィ 地 方 在 住 者i
ける家狭法が宗教法︿たとえばヒンドタ家狭義
等を反抗吠しているものである、 と は 説 明 さ れ て い な い 点 で あ ろ う 。 し か し 、 だ か ら と い っ て 、 そ れ ぞ れ の 共 肉 体 に お
い て 言 及 さ れ て い る だ け あ っ て ‘ そ の 宗 教 共 同 体 設 備 構 成 す る 信 徒 の 弘 生 活 に 関 す る 法i
︹ピコ N U V 。 そ こ で 気 づ く こ と は 、 イ ス ラ i ム を 除 い て 、 仏 教 お よ び と ン ド ? に お い て は 、 宗 教 界 関 ・ 衡 の 諸 問 題 に つ
によって説かれていることを概略紹介してみた(
おいて、宗教そのものに基礎をおく
みぎに‘①仏教徒、③とンドヲ教徒および@ムス 9 ムによって機成される各有の宗教共同体における法鱗度に
派ではなく
う必携骨慌のスリランカにおけるイスラiムは、インドのイスラlム法学の影響そ受付りではいるが、インド・パキスタンにおける主後ともいえるハナフィ
そ こ に 仏 教 、 とりわけ‘ ス ザ ・ ラ ン カ 仏 教 で あ る 上 座 部 仏 教 と い う 宗 教 の 性 絡 と は 異 な る こ と を 見 出 す こ と も で き よ
理想を実現するウンマ
の
1
6
1 スリランカにおける家族法
ょう﹀。たとえば、仏教徒からなるキャンディ・シンハラ人の社会が、績民地支配会受けつけずに濁有法である中ャン
ディ訟を今誌にいたるまで保持してきたからといゆて、 それがキャンディ地方の仏教徒からなる宗教共同体の﹁地域﹂
慣習法だといえるにしても、それをもって、単純に、仏教的背援によって作られた法である、 とはいえないからであ
る。そもそも、キャシディ法そのものが長い歳月のなかで、生成されたものなのである。その経過は、①シンハラ人
自身がインドから渡来した民族であること、②同様に、 インドから渡来したタミ i ル人によって南下を余儀なくされ
つつキャンディ王国を築いたこと、 し た が っ て 、 常 に タ ミ i ル 人 の と ン ド ク 社 会 と の 接 触 お よ び シ ン ハ ラ 入 自 身 が 持
a
シγ ハ ラ の 法 が 理 解 す る
ちこんだ慣行のなかで、文化が形成怒れてきたことに議意しなければならないからである。端的にいえば、 インド教
ともいうべきじンド?法の影響役考慮することなしには、仏教徒の社会であるキャンディ
ヵースト繊度があったし、
いまなお、泊来から存在するカ i スト婚熔慣行をぬきにしてはキ
いまなお現存していること、 し た が っ て 現 行 家 族 法 の も と で は 異 な る カ i ストが婚
こ と は で き な い と い う こ と で み る 。 た と え ば 、 @ 平 等 変 説 く 仏 教 の も と に あ ち な が ら 、 みザャンディ・シンハラの社会
中﹂刷、
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姻障害である、 -という明文の規定はないにしても、
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ャ ン デ ィ ・ シ ン ハ ラ の 婚 姻 法 は 諮 れ な い 。 ② キ ャ ン デ ィ 緩 郷 法 は 二 ア ィ ガ 婚 翌 四 阻 害 時 刊 訂 問 。 と げ は ン ナ 婚 M山
出陣ぽ削叫ユ郎君
という一一つの婚姻形態安認めていることに特色があるが、これもインドの樹興行安等感することなしには理解は困難である
︿可プィガ婚とは、委が﹁完全﹂に夫のコ家﹂の務総尚昆になるという結織であり、インドのジ省イント・ファミリ i-システムに由来するといわれ
﹀。まさに、人数学者青木保氏が、
キャンディ地方の住民会ンハラおよび
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の宗教につい
ている。またどンナ織とは、夫が奏の家に入るもという緩婚で夫の織位が緩いものとか唱ではされてきた絵師婦であり、これもブラ!?ンの結婚制問
度に由来するものである
て、仏教は山田市拝の対象であれツヒンド?の神は具体的な願いごとの対晶端である、 と 述 べ て い る が 、 こ こ に ア ジ ア 社 会 の
法の研究の困難さが表現されているといえよう。
宗教法創刊号 (1983. 5) 162
ヒンドヲ法という宗教法と無関係のように説かれていることがあるが、とれとても匁ンド?
抽出方、 ジ ャ フ ナ ・ タ ミ ! ル 柏 崎 方 の タ ミ i ルを中、むとして適期即されるテサワラメ i は 、 こ の 地 方 の 慣 習 法 を 収 集 し て
成文化したものであ号、
記ンド?婚姻捌法の理解なしには諮ることので会ないものであろう(たとえば
教 徒 で あ る タ ミ ! ル の 償 行 を 集 大 成 し て い る の で あ っ て 、 そ れ ら の 慣 行 は と ン ド P繕 幅 削 法 な い し は と ン ド ヲ 法 の も と
で滋認されたものであれツ、その慈味では、
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いかなる婚絡を有効な岬閉鎖とするかについて、その当一務者のカiストによる概増幅削儀式がとンドク詩情にもとづく儀式によったかどうかによって磁総
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の手続がとられたうえで、法的保護が与えられる。
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可欠というべきであろう。
寸イノリティとしてのムスリム
キャンディ法のもとで、病身
わり、婚鍛慣習法の態解のためにはもこのような康史的な生成過程における僧侶の果した役都についての考察も、
の奏をもっ男性が重婚を許されるべきかどうかという争いで、仏僧の意見によって、裁判所がこれを是認した先例も
ス ラ ! ム 法 の 法 滋 と し て 説 か れ て い る イ ジ ュ マ i ご浴田を指称しているのであろうが、
さらに付骨泊すれば、法源として﹁法学者の意見﹂いか挙げられている点にも綴意しなければならなド。直接には、イ
プト等のや東のムスリムの法との相異の比較のように﹀。
の 法 が ど の よ う な 修 正 を 余 儀 な く さ れ て い る の か ど う か は 興 味 深 い こ と で あ る ︿γ度、インド・パキスタン・ムスリムとエジフ
に仏教徒やヒンドヲ教徒と共存する社会のなかで、 どのような変容をうけているか、
さ き に 述 べ た イ ス ラ i ム家族法の理解は、 イ ス ラ i ム の 埋 解 な し に は 理 解 し え な い こ と は い う ま で も な い が 、 ち ら
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1
6
3 スザランカにおける家族法
結織にかえて
ても、
というアプローチなしには実りある結果設もたら与ない、という録的だけは
﹁宗教上の泰投﹂による土地保有態様も存するのである。いずれにせよ、①
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つ一つの結ぴ目安辿ることが必要であることを御理解いただけ
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ア制作山 G - 3 ・タルグラスりヤハ谷口知率制帆﹀
本文掲載の以外の主要文献としては、
か っ た ゆ え ん で あ る 。 こ の 点 に つ い て は 改 め て 報 告 の 機 会 を も ち た い とmゅう。
︿主要参考文献
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、那谷
年の予備識
ハプ新比較緩繍仲間﹂市祖﹀
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ぃ、その他。。zaSFgm雲 仙 事 掲 載 の 諸 論 文 に 負 う と こ ろ が 多 い 。 な お 、
交については、千葉正士編吋スリランカ研究視察報告幾﹂︿アジア間有法研究会﹀がある。
敏郎﹁スヲランカの一一
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d喝 聞 担 出 品 門 限 切 丹cg hmz- 同時 i
たと考える。報告者自身の関心事である﹁スリ・ランカにおけるイスラ l ム家族法﹂の問題に限定して報告を進めな
教役会の法および領期悶ま理解したうえで、 その
役会では‘ そ れ ぞ れ の 宗 教 の 緊 張 と 刷 機 合 と い う 関 係 ま 潔 解 し な け れ ば な ら ず 、 そのためには、 そ れ ぞ れ の 鍛 別 的 な 宗
のであっても、その宗教的背景の理解なしには棄の理解に到達することはできないであろうということ‘①複合宗教
見
し え た と 考 え る 。 こ の こ と は 、 ひとり家族法の問問題に限定・8れ な い 。 た と え ば 、 キ ャ ン デ ィ 法 に お け る 土 地 保 有 に し
アジアの法の研究が辺郡教と
本報告が問問題の核心である﹁家族法﹂の具体的問題にまで詳細に言及しえなかゆた点は遺憾とするものではあるが、
主