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第 6 回公共選択学会 学生の集い
テーマ:「国連はいかにすれば機能できるか」
「国際連合の限界」
~世界は国際連合を必要としているのか~
千葉商科大学 3 年岡崎ゼミナール A パート
宮崎 達也
佐々木創史
高橋 克広
鈴木 翔太
鈴木 裕之
青木 渉
川島 直人
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目次
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P.3
第一章 国連の目的と現実・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P.4
第二章 問題点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P.5
<安保理常任理事国の拒否権> (P.5)
<機能性の低い司法機関>
(P.6)
<米欧日の覇権構造と国際民主主義の対立> (P.6)
<人権と主権>
(P.8)
第三章 問題の解決策・政策提言・・・・・・・・・・・・・・・・・P.10
<国際システムの体系的改革> (P・11)
<三権分立>
(P.11)
<安保理の改革> (P.12)
<主権と介入>
(P.15)
<司法機能の強化>(P.16)
<まとめ>
(P.19)
第四章 世界平和のために・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P.20
<カントは語る> (P.20)
<なぜ国際連合では不十分なのか> (P.21)
<未来の世界を担う機関として>
(P.23)
おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P.24
参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P.25
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はじめに
国連は1945年に創設されてから、現在では加盟国数が191カ国になり、いまや地
球上のほとんど全部の国家が顔を揃えた。国際連盟の失敗、第二次世界大戦の経験を生か
して、世界の平和と経済・社会の発展のために協力することを誓った国際機関である。国
際の平和と安全を維持すると国連憲章はうたい上げ、国連の国際平和貢献に向けた活動に
期待する国は多かった。しかしそれから半世紀以上経つ今でも、国際紛争は絶え間なく起
きている。また、安保理の拒否権問題、国連平和維持軍、大国覇権構造と国際民主主義の
対立など、課題は多い。
しかし、地球的な諸問題についての政策を決めていくということは、国連以外にはどの
ような機関にもできないことである。紛争の防止や平和維持、軍縮に寄せられた世界の熱
い思いに国連は十分答えることができるのだろうか。また、平和と開発のために国際民主
主義を構築し、実現させるための役割を果たすことができるのだろうか。国連がより機能
するための改革が必要不可欠である。
我々は、国連の最終目標として「世界連合」を設立することを提案する。なぜなら、第
二次大戦の戦勝国によって創られた、現在の大国主義的な組織概念の根本を変るべきであ
るからだ。しかし現在の国連をこのまま解体し、新機構を設立するのは実現可能性として
困難である。そこで、最終目標に近づくために今やるべきことは、「三権分立」を確立し
て国際システムを体系的に整えることだろう。ここではまず第一章で国連の目的と現実、
第二章で国連の問題点について述べる。そして第三章で問題の解決策と政策提言、第四章
の世界平和のためにでは我々の構想する世界連合について考察していく。
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第一章
国連の目的と現実
国際連合の目的は、次のとおりである。
1. 国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除
去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並び
に平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的
手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
2. 人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること
並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
3. 経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについ
て、並びに人種、性、言語または宗教による差別なく、すべての者のために人権及
び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成するこ
と。
4. これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること。
国連はどの国の政府も国民も代表するものではない。国連はいわば主権国家の組合のよ
うなものであり、加盟国が望むことだけを実行できるのである。国連はむしろ、独立した
国々が集まって個別の国の問題や、全体的な問題を話し合う場である。軍隊あるいは懲罰
権のような、決定を実行するだけの実力装置を持っていない。国連は一国に何かを命令す
る主体ではないし、行為者でもない。
国連は、ある意味で単なる主権国家間の機構である以上に、ファシズムと戦って民主主
義と人権を守り通した連合国人民が、再びファシズム勢力が台頭して世界平和を侵害する
ことを防止するために作られた、平和と民主主義を守るための国際組織である。もし国連
を、一人一人の地球市民の意思に基づいて作られ、その相違を表すことによって正統化さ
れる国際制度であるとみなすことができれば、そこに地球規模で民主主義を守る国連とい
う期待が可能になるのである。
国連の将来像を構想するにあたって、どのような立場に立つのかの選択をまずすること
が必要ではあるが、同時にその構想が現実に可能なものであるかどうか、冷静に考察しな
ければならない。一口に国際連合といっても、その実態はなかなか複雑であり、しかも時
代の流れの中でさまざまな「国連」が登場し、退場しながらときの国際政治に呼応してい
る。その動態を的確に把握し、実現可能な将来像を模索するためには、どのような枠組み
の中で考えたらよいのだろうか。国連は今、どの機能を強化するかという選択をせざるを
得ない状況、分岐点に立っている。
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第二章
問題点
<安保理常任理事国の拒否権>
安全保障理事会の常任理事国の地位に伴う特権は質的に高く、量的にも膨大である。憲
章上、第一に上げられるのはよく知られる拒否権だろう。常任理事国の五大国のうち一国
でも反対すれば議決は成立しない。手続き事項以外の「その他すべての事項に関する安全
保障理事会の決定は、常任理事国の同意投票を含む九理事国の賛成投票によって行われ
る」(憲章第二七条三項)。憲章を改正するにも、常任理事国の五大国全部が批准しない
と発効しないとされている。
第二に、常任理事国の参謀総長あるいはその代表者で構成される軍事参謀委員会があ
る(憲章第四七条一項)。安保理がとる軍事強制行動について安保理に助言と援助を与え
るのが役目である。国連創設時に想定された国連常設軍が実現していないため、創設直後
を除いてはこれまで実質的にほとんど活動したことはないが、現に存在する機関である。
第三に、常任理事国は信託統治理事会のメンバーになる(憲章第八六条一項)。信託統
治地域の施政権者であるかどうかは関係ない。
中でも、常任理事国の突出した力の裏づけは、やはり拒否権である。一国が自国の国益
に照らして反対すれば、決議案が葬り去られるから、その機能の大きさは比類がない。拒
否権行使の歴史は、その時々の国際政治情勢を如実に反映する。これまで拒否権が行使さ
れた総回数は約280回。おおむねの内訳は、旧ソ連125、米国85、英国30、フラ
ンス・中国各20回。最多回数の旧ソ連が集中的に使ったのは60年代で、米国が初めて
使ったのが70年代である。
東西冷戦の解消とともに80年代後半からはほとんど使われていない。90年代に入っ
てからは、90年5月にイスラエルの占領地問題で米国が、93年5月に国連キプロス平
和維持軍の経費負担問題でロシアが行使しただけである。90年から91年にかけての湾
岸戦争をめぐる多くの決議でも、中国は武力行使容認に反対したが、表決では拒否権を使
わず、棄権にとどまった。
大国の拒否権について、「中小国に対しては国連が強制行動を取れるのに、大国に対し
てはそれができないというのは不公平ではないか。平和を侵害する恐れがあるのは、小国
ではなくて、大国なのだから」という意見がある。これには、確かにそのとおりであると
答えるのは簡単だが、国連はその創立当初から、大国に対して強制行動を取れるようには
作られていないのである。第二次世界大戦の反省を生かし、これからの戦争はぜひとも大
国の協力によって防止すべきだという願望の中から生まれたのが国連である。だから、大
国の全部が互いに協調して、拒否権乱用などの事態を起こさないだろうという期待と展望
が、国連のそもそもの前提になっているのである。
第三世界の国々の拒否権に対する反発は多い。拒否権は大国の覇権そのものであり、大
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国の優越性と特権の表現である。これは主権国家の平等という理念と明らかに矛盾し、国
際レベルで民主主義を適用するには最大の障害である。第二次大戦の勝者が自分たちだけ
の特権を持ち続けるなら、国や個人の間の現実の対話は不可能である。といった考えがあ
るからだ。
<機能性の低い司法機関>
国連組織の中の司法機能が、国際司法裁判所である。同裁判所は、加盟国間の紛争を処
理し、加盟国はその判決に従う義務があることになっている。また、国連総会や専門機関
の法律問題に勧告的意見を出す。国連が組織内に司法機能を持つ機関を含んだのは、創設
者が立法、行政、司法の三権を持った主権国家の政府に似せて国連を作ろうとしたからで
ある。
だが、国際司法裁判所の機能は、普通の国内の裁判所とはまったく違う。主権国家の国
内裁判に比べると、司法機能としては弱い。これは体系的に整った国内法とは異なって、
まだ成熟途上にある国際法を扱う裁判所のやむをえない立場である。国際司法裁判所が、
ある係争案件を扱うには、当事国全部の同意が必要である。自国が非難される、あるいは
不利な判決が予想されるにもかかわらず、裁判の開廷に同意する国は少ない。武力紛争で
あれば、侵略国が裁判に応じようとはしない。
裁判所が判決を下すにあたって適用する確たる法律も(主権国家の国内法のような法
律)存在せず、下された判決に強制力がない。つまり、「被告」や「犯人」に対する強制
的な罰がないのである。また、国家を刑務所に送ることはできないし、賠償金を支払わせ
る手段もない。国家は、国際司法裁判所の司法権を拒否することができるし、さらに、司
法権を認めたとしてもその判決を受け入れないこともできるのである。
国際法における裁判は、国家によって起こされるもので、個人が提訴するものではない。
世界何十億の個々人が国際司法裁判所に提訴するというのではなく、国家のみが提訴する
ことができる。しかも国家は、自らが勝つ見込みがかなりなければ提訴することはまずな
いのである。1990年代に、ボスニアやルワンダの紛争から戦争犯罪人を引き出そうと
する特別法廷が設立され、1998年には、きわめて多くの国々が国際刑事裁判所の設置
に同意したが、アメリカを含む主要国の数々はこの条約の調印を拒否した。
<米欧日の覇権構造と国際民主主義の対立>
国連の機能の矛盾点としてまず挙げられるのが、今日の国際システムの覇権構造(アメ
リカを中心としてヨーロッパと日本がそれにくっついている米欧日の覇権構造を正統化す
る機能)と、国家間の国際民主主義を強化する機能との対立である。
国連において、アメリカの存在は大きい。国連の前身、国際連盟が第二次大戦を防げな
かった理由のひとつは、アメリカが加盟しなかったことにあったとされている。アメリカ
自身も、長い間ソ連をはじめとする共産圏と対抗しながら、国連をリードしてきた。現在
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でもアメリカは国連経費の約四分の一を負担し、軍事力においても国連に対しての貢献は
大きい。その分、総会における一国一票の原則や、国連全体が発展途上国の救済を中心と
している現状には不満があるようだ。
ここで、国連が国際民主主義を推進する総会と、国際社会の覇権体制を支える安保理事
会によって構成されるようになった経緯について考えてみよう。国連は、第二次大戦後の
世界平和を維持するために創られた。その際に、第二次大戦の勃発とともに消滅した国際
連盟の前例を参考にした。国際連盟は、イタリアのエチオピア侵略、日本の中国侵略を阻
止することができず、ドイツのポーランド侵略をはじめとする周辺諸国の軍事占領に対し
ても対処できなかった。その主たる原因として、当時、英国・フランスなどの意見が対立
して、国際連盟の決議が一向に具体的な国際行動につながらなかった。それは、国際連盟
がもっぱら一国一票原則に頼る、国際民主主義の理想に燃えて創られた国際機関だったこ
とによる。同じ失敗を繰り返さないために、連合諸国は国際平和と安全の保障の責任を安
保理事会に付与するようになった。つまり、連合国五カ国を安保理事会の常任理事国とし、
実質事項に関する安保理の意思決定にあたっては、賛成票に五カ国の同意投票を要すると
いう「拒否権」制をとることにしたのである。
この制度の背景には、西欧国家システムの「大国協調」の伝統、つまり西欧の国際政治
はすべての国家間の政治ではあるが、その中でも大国がシステム全体の平和を保障すると
いう考えがあった。なぜなら、この協調原則が、確かに西欧国家システムの中での国家間
紛争の軍事化を避けるうえで役に立ったという実績があるからである。それがたとえ国際
民主主義の原則とは矛盾するものであっても、平和維持の面では有効な制度であったこと
を認めざるを得ない。
東西冷戦の解消で拒否権の行使はめっきり減り、特に90年から91年にかけてのイラ
クのクウェート侵略をめぐる一連の決議で拒否権行使がまったくなかったため、「大国の
一致」がもてはやされ、国連が本来の機能を取り戻したなどとの意見がある。しかし、今
後おきるさまざまな問題で大国が常に一致する保証はない。もし国連にパワーポリティク
スの道具ではない民主主義的性格を求めるとすれば、安保理に内在するこの構造問題は改
革させなければならないが、冷戦終了後もまったく解決されていない。
国連システムは、無政府主義的な状態である。つまり一元的・集権的な統治が存在しな
い国家間社会において、システムを安定させるために大国中心の支配を実現しようとする
ことがある。大国の恣意による選択的な決定が繰り返されれば、国連の正統性に対する第
三世界諸国の信用がなくなってくる。だんだんに国連を脱退するような国が出てきた場合、
国連の普遍性、ユニヴァーサリティーがなくなってしまう。
この大国中心主義というものは必然的なもので採用せざるを得ないのだという意見があ
る。「大国主義の元手の無政府主義」とも表現できるが、要するに国際システムは無政府
主義であるから、安定させるためには大国中心の支配をしなければならない、というのが
現実主義のパラダイムである。特に先進工業諸国の政府はこのような考えを認めていると
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思われる。
一方、そもそも国連は、主権平等・一国一票原則に基づいて、すべての主権国家の間の
国際協力を推進しようとする国家間機構である。現在でも国連の一国一票制が貫かれてい
るのは、その主要機関(国連本部)においては総会であり、そこでは主権平等原則に基づ
く国際民主主義の制度化が裏づけされている。本部だけでなく、専門機関などの補助諸機
関でも、国際通貨基金・世界銀行(国際復興開発銀行)などの基金型の機関を除いて、す
べて一国一票制をとっている。この制度は、人口数千億人の国家も数千人の極小国も同じ
一票を持つことから、現実の人口分布に対応していないという批判もあり、修正すべきだ
という議論も行われている。それにもかかわらず、この制度が創立時から今日まで改善さ
れていないのは、国連が平等の主権を持つ国家によって構成されているという大原則があ
るからである。
この制度の長所を一言に要約すれば、「国際民主主義」という言葉で表現できる。つま
り、すべての国家の間で、それぞれが国際社会全体の平和と発展についてその利害を主張
し、その意見を政策決定の過程で十分に尊重させていける。それによって、大国だけの談
合で小国の運命が左右される覇権体制・大国支配を抑止し、諸国家の平等な参加による国
際政治の運営という国際(国家間)民主主義の原則を貫徹させる。そのことは、大小を問
わずすべての国が国際制度の正統性を受け入れることを保障し、また責任を持って国際社
会全体の平和と発展に寄与するための大前提として、きわめて大切な制度原則であるとい
える。
この制度の短所は、国家だけに参加を許す国際政策決定過程が、国家以外のさまざまな
国際主体が出現している今日の国際政治・経済の現実にそぐわなくなっていることである。
一方では、国境を越えて資本と労働と技術とを結合・占有する多国籍企業が活躍し、他方
ではさまざまなエスニック集団が国境を越えた紛争の主役になっている。そのような国際
社会の平和と繁栄には、国家以外の諸主体の参加と協力が不可欠である。そこで、国家だ
けで構成される国連が、その役割を果たすためには、国家中心主義を何らかの形で修正し
乗り越えていく必要があろう。すなわち、覇権主義を否定し国際民主主義を確立する上で、
きわめて大切な役割を果たしてきた一国一票制ではあるが、今日の国際システムの中に
あってその限界を示し、従来のような自明性を失ってしまいつつあることを強調しておく
べきだろう。
<人権と主権>
米、英、仏、北欧諸国などは、人権は普遍的な基準で擁護されるべきだとの原則を掲げ
る。文化的主張の違いが人権抑圧の逃げ道になってはならない。国による人権侵害を内政
不干渉という口実で覆い隠すことはできない、という主張である。人権のみならず個人の
尊厳の思想、民族の自決、自由主義、社会主義、民主主義などは、西欧近代社会の成立を
支える形で、国家社会のよってたつ理念であり大原則である。そして、これら「普遍的」
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とみなされた諸価値を現実の国家と社会の中に実現していくために、法治国家、立憲主義、
議会制度などが西欧に誕生したのである。西欧における人権と民主主義とはいわば内発的
発展の結果成立したものである。
対する中国、インド、パキスタンなど発展途上国は、各国固有の歴史的な背景の違いと
国家主権の優先を強調し、人権の確立には、まず豊かな生活基盤を築かなければならない
として、人権を口実にした先進国からの内政への介入を警戒する。西欧流の民主主義や経
済開発が未熟で、まだ字の読めない国民をも相当数抱えた国々の政府は、政権や社会秩序、
経済開発の維持のためには、それなりの方法が必要である。それを先進国の基準で批判さ
れ、経済援助の物差しにまでされるのは国家主権の侵害だというのが本音である。
国連は創設時から、平和維持と並んで人権尊重を重視した。「人種、性、言語または宗
教による差別なく、すべてのもののために人権および基本的自由を尊重するように助長奨
励すること」は、憲章第一条に掲げられている。
人権という主題をめぐって、国連加盟国は、それぞれの国内事情、それぞれの国際政策
を反映する形で、国連がどのような役割を果たすべきかということについて議論をし、こ
の議論にさまざまな NGO(非政府団体)が参加した。この「人権」という主題は、国際
安全保障問題の陰に隠れて、日本ではマイナーな領域のように思われがちであるが、将来
の国連の死活にも関係する問題性を含んでいる。
つまり、国連の正統性が将来とも維持できるかどうか、したがって今後とも全世界の主
権諸国家が加盟している唯一の国際組織という性格を持ち続けるかどうか、ということと、
国連による人権問題への取り組みが無関係ではないということがある。人権問題で国連は、
個々の国の国家主権の壁を破ることが許されるか、許されるとすればどの程度にかが、過
去も現在も焦点である。
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第三章
問題の解決策・政策提言
国際連合憲章施行後50年を超えた今、国際連合はこれからの将来に対応する能力を持
てるものとはいえないだろう。これまで世界の問題を、国際政治を以て処理してきたが、
今や世界の問題は世界政治を以て処理しなければならなくなった。最近に至って世界の問
題は世界政治を以て処理するのが望ましいが、その実現は遠い将来に期待し得るものと考
えられてきた。
今世界は大きな決断をなすべきときに直面している。今世界は世界の平和問題以外の世
界の問題を抱え、世界の問題に対応できる世界政治組織を作らなければならない。
今人類はいかなる世界秩序を望んでいるのだろうか、それは世界の常識が世界を統一す
るという世界秩序を望んでいるのではないだろうか。つまり世界の総意である。この世界
の総意は世界の代表者が一堂に集まり意思の表明をすることによって誕生する。この世界
の意思の決定は世界の常識を確認するものであり、この確認された常識に世界は従い、従
わないものがあれば強制することができる。
これまで国家政治と国際政治はあったが、世界政治は存在しなかった。現在の状況にお
いて国際連合に変わる新たな世界政治組織を作ることは現状を打破する方法になりえる。
この組織の名を「WGA(World Government Association)」と我々は命名する。
さて上記にも書いたとおり「WGA」は現状の国際政治とは違い、世界政治を行ってい
く機関である。世界政治というものは国際政治の逆に当たるものだ。ちなみに国際連合は
国家間における政治である。国家間における政治の逆が世界政治といわれてもピンとこな
いかもしれない。つまり、国際政治は各国が自分の意見を押し通す政治であり、世界政治
とはそれと異なり、世界の問題は世界全体が世界常識に基づいて行っていこうというもの
だ。世界に存在するすべての国家を被治者とする治者が行う行為が世界政治である。
そして被治者国家すべてが治者でもある。すべては世界政治理念に基づき世界を指導し
ていくのである。この世界政治理念が万人に受け入れられ世界の常識となれば、世界政治
は大きく世界平和に貢献することができるであろう。たしかにこれは容易なことではない。
しかし、すべての人間が様々な文化や宗教に理解を示せば、近い将来可能な世界状態にな
るであろう。
だが、現在の国連をそのまま解体して新機構を創ることは、実現可能性から見ても困難
である。そこで、未来の世界システムを構築してゆくファーストステップとして「三権分
立」を確立した組織の体系化を図る。
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<国際システムの体系的改革>
問題点で挙げたとおり、安保理は平和と安全の維持に関して権限を持っているが、客観
性や公平性に欠けている。こうした問題を改善するためには安保理の権限行使の適法性を
チェックする機能が必要である。
それにはやはり、国際司法裁判所がその役割を果たすのが適切だろう。なぜ国際司法裁
判所なのかというと、我々の一番の目的が国連内の三権分立の確立だからである。同裁判
所は三権分立における司法権にあたるのだがその権限は弱い。同裁判所の判決の多くは強
制力を持っていないである。よって同裁判所の権限を強化し三権分立を確立しようという
わけである。
三権分立とは司法、行政、立法の機関のチェックとバランスを維持する制度である。そ
こで、立法にあたる安保理の権限行使の適法性を国連憲章や国際法を照らしてチェックす
る役割を果たしてもらうのである。
このようにすることのメリットとは以下である。
・ 安保理の議決の適法性に司法のコントロールが及ぶ
・ 司法のコントロールが及ぶことで正統性が確保される
安保理の議決の適法性に司法のコントロールが及ぶことでイスラエル・パレスチナの問
題における安保理のダブル・スタンダード的な法適用を防ぐことができるのである。また、
司法のコントロールを受けることで国連憲章や国際法に基づく行動として安保理の権限行
使に正統性が確保される。
チェックに時間がかかってしまった場合、迅速な行動が移せなくなる可能性がある。だ
が、正統性が確保されないまま行動をおこすよりも多少は遅れても正統性を確保すること
が先決ではないだろうか。
司法機能を強化し安保理の権限行使の適法性をチェックすることにより、権限行使に正
当性が確保されると述べたが、それでも中小国の意思が反映されないのでは大国の意思の
押しつけと感じる可能性がある。安保理の意思と総会の意思、すなわち大国の意思と中小
国の意思のどちらかが強くでるのではなく両者の意思がうまく融合できるようにしなけれ
ばならない。
<三権分立>
三権分立とは司法、行政、立法のチェックアンドバランスで成り立っている。司法、行
政、立法の三つがそれぞれ同じくらいの力を持っていないと、平等性が失われ問題が生じ
るだろう。三権分立の実現を図ることで解決するしかないと考える。
現在の国連を、三権分立の観点から考えてみる。行政は、経済に関しては経済社会理事
会、一般的には事務局が行政組織として対応しているなど、行政組織を一つに絞るのが難
しい。一番解決したほうが良いと思われる国際問題、つまり政治面だけで考えれば、立法
が安保理と総会、行政が事務局、司法が国際司法裁判所、という組織体形になるのが望ま
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しい。
では、ここで何が問題になってくるだろうか。それは、司法機能が弱く強制力があまり
ないということだ。(詳しい説明は司法機能の強化、安保理改革などのところで説明を補
うこととする。)国連は主権国家が集まった機構であり、体系的に整った国内法を持った
国家と違って、司法機能に権限を与えることは難しい。だが、三権分立とは三つの力が均
等でなければならない。もし力が偏ってしまえば、強者による弱者支配という覇権システ
ムが確立するというデメリットが発生する。
現在の国連は安保理の力が非常に強い。中でも常任理事国が持つ拒否権の影響で大国主
導の運営になっているというイメージは、第三世界の諸国からの批判に反映している。
以上のようなことから、現在、必要な改革案は、やはり司法機能の強化であろう。そう
することにより、三権の力をより均等に近づけることができる。バランスの取れた、また
は、より公平性が増した活動ができるというメリットも生まれてくるであろう。
今まではろくに裁判も起こすことができなかった司法が権限を持ち、安保理などの行動
をチェックすれば、第三世界諸国の不満を減らすことができるだろう。以上のようなこと
を見ても国際司法裁判所の重要性は明らかである。
国連改革において、三権分立は非常に重要なテーマである。今までの国連にはなかった
ある程度の法の強制力を持たせ、三権を均等にすることが現在可能な改革案といえる。
もちろん、法を強化し、三権の力を均等にしたからといってすべてが解決したわけでは
ない。法で支配したからといって犯罪や紛争がなくなるわけでもない。しかし、三権の力
を均等にするというだけでもかなりの進歩といえよう。なぜなら制度としては良くできて
いるからだ、あとはそれを扱う人間しだいということだ。
<安保理の改革>
安全保障理事会は、第二次世界大戦の反省に立ってこのような戦争が2度と起きないよ
うに国際平和や安全を守る機関である。
安保理は「国連軍」を編成し、侵略など違法な武力行使の存在を認定し、そのような行
為を行っている国に対して強制行動をおこすことができる。また、勧告にとどまる総会決
議などと異なり、安保理の決定は加盟国に対して拘束力を持つ。そのため安保理は平和と
安全の維持に限られているがある種の超国家性を持つ機関といえる。
こうした強い権限を持つ安保理を運営する常任理事国に対して中小国は特に拒否権に不
満を持っている。また、総会と安保理の力が不均衡のため総会の意見が組み入れられない。
他に、安保理をチェックする機関がないため権限行使に対して客観性を欠く恐れがつきま
とっている。冷戦後の世界においての安保理の正統性を持たせるためにもこれらの改革が
必要である。以下、考察していく。
まず、拒否権の存在は中小国にとって弱者に対する強者の意思の押しつけ、中小国に対
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しては国連が強制行動を取れるのに大国にはそれができないのは不公平と不満があり、そ
の廃止、見直しを要求している。たしかに拒否権は主権平等原則、国際民主主義に反する
制度だから、中小国がその制度の存在そのものに反発するのはしょうがないところだ。と
はいえ、拒否権を廃止するには国連憲章の改正が必要で改正するには常任理事国の五大国
全てが批准しないと発効されない。常任理事国が既得権を放棄することは現実的に難しい
ところだ。よって廃止の方向は厳しい。
また、仮にもし拒否権を廃止することができたとして拒否権のない安保理を考えてみる。
そして、この理事会ないしは総会の三分の二の賛成で国連の強制措置がとられると仮定す
る。そうすると、大国が反対したにもかかわらず、強制措置がとられたとしても反対した
大国からの軍事的、財政的などの支持か得られないばかりか、大国に対して国連が強制行
動をとることさえ考えられる。大国を相手に国連が軍事行動をとれば、世界戦争になるこ
とは間違いないだろう。またアメリカのように軍事力、経済力共に強大な国に対して軍事
行動を起こしても勝ち目があるわけない。
拒否権は、国連の総意なるものが、加盟諸国の実力によって裏づけされていない事態に
なるのを防ぐ安全弁なのである。それは、国連によって、加盟諸国が勝ち目のない世界戦
争に巻き込まれることがないように保障する。この意味で、拒否権は大国を守るだけでな
く中小国をも守るものである。
廃止するのが難しいのであれば、拒否権の適用範囲を制限するという方向でいくのが妥
当なのではないだろうか。そこで我々は拒否権の適用範囲を憲章第七章に規定された「平
和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為に関する行動」については認め、それ以外に関し
ては認めないと考えた。
平和の破壊や侵略行為に対して拒否権を認めるのには二つの理由からである。一つは、
平和が破壊される危険があるとか、現に破壊された、侵略行為があるという問題に対して
大国の一致した協力が欠かせないからである。湾岸戦争の例がまさにそうであろう。もう
一つは、先に述べたように大国に対して強制措置をとることで世界戦争になるのを防ぐた
めである。以上の理由から拒否権を認めることが必要であると考えた。
このように拒否権の適用範囲を制限することで安保理の力を弱め中小国の不満も少しは
減るではないだろうか。しかし、拒否権が存在している以上、常任理事国自身やその同盟
国に対して行為の違法性を問い処罰されることがないという問題があり法の支配の客観性
や公平性が損なわれてしまう。(詳しくは司法機能の強化で説明)
しかし、平和や安全の維持に関しての問題にいちいち中小国の意見を聞いていては話が
まとまらない上に迅速性が失われてしまう。かといって中小国の意見を無視するわけにも
いかない。安保理は湾岸戦争の時のように加害者と被害者がはっきりとしたあからさまな
侵略行為に対しては効果を発揮できるが、被害者と加害者の区別がはっきりつかないよう
な問題に対処することは非常に困難である。むしろかえって問題を悪化させてしまう場合
もある。
13
安保理はこのような事態に対してできるだけ中立を保ち、当事者の意見や事態はその周
辺諸国にも影響してくるのでそれら国の代表2、3カ国の意見を聞きその意見を反映させ
た決議を採択するのがよいのではと我々は考えた。
これのメリットは以下である。
・ 大国の意思の押しつけを回避できる
・ 当事者やその周辺国の言い分を反映し問題の悪化を防ぐ
先ほど大国の意思と中小国の意思がうまく融合することが必要であると述べたが、当事
者だけでなくその周辺諸国も話し合いの場に参加させることで総会の意思とまではいかな
いかもしれないがその比重は均衡に近くなるのではないだろうか。
民族対立や宗教対立による紛争の問題を力で解決することは難しいし、たとえ力により
紛争が止んでもしこりが残り再び紛争が起こる可能性が高い。そのためには紛争は平和的
手段で解決されなければならない。平和的解決であるならば我々が提示した拒否権の範囲
の制限により拒否権が行使できないので決議が廃案になることがなく当事者や周辺諸国の
意見も反映されるのである。問題としては周辺諸国の代表をどのように選ぶかということ
である。これに関しては当事者と結びつきが強くないこと、また大国とも結びつきが強く
ない国を選ぶとよいのではと考える。つまりできるだけ中立を保つ国を選ぶことである。
安保理の改革は安保理について議論するだけで終わる問題ではない。行政機関として見
れば、他の各種専門機関と同じように問題を抱えている。現在直面している問題に対して、
他の専門機関が安保理と平行して機能してゆけば、国際システムが体系的に確立してさら
に前進するだろう。
例えば、教育問題である。我々人間は言語、人種、民族、宗教、文化など様々な考え方
の違いで対立している。こうした争いを減らしていくには、お互いのことをもっと知って
いくべきだと考える。その実現の第1段階として、お互いの国のことをもっとよく知って
いけるような教育を目指す。
教育といっても方針、制度など様々あり、他にも大切なことがいろいろある。文字の読
み書きから道徳的な問題までさまざまだ。また、何をどう教育していくのか、また誰がそ
れを教えていくのかなど非常に難しい問題が多い。しかし、教育という問題はこれから未
来を担っていく人材を生み出していくためにも必要なことだろう。人間は育つ環境しだい
で成長の仕方がまったく変わってしまう。良い環境を与えてあげることさえできれば、人
も良くなっていくだろう。もちろん環境は教育環境だけでなく、生活水準や経済的にも裕
福であることが、心の余裕を生み出すための重要な役割を果たす。
教育に関してはユネスコ(UNESCO)が先頭に立って機能していくのが適切であろう。
ユネスコは「お互いの無知や偏見をなくし(国際理解)、国や民族を越えて人々が協力す
ることを学び(国際協力)、人々の友情と連帯心を育てながら、共に生きる平和な地球社
会を作っていく」という目標を掲げている。つまり、人類が戦争で自滅してしまわないよ
う、教育と科学と文化面からの取り組みによって、世界を戦争のない平和で持続可能な社
14
会に導くことを役割としている。
さらに言えば、現在の問題の一つに発展途上国が援助金を有効に使えていないという問
題が挙げられる。生活水準向上には経済発展が必須であり、それを解決するために経済社
会理事会(ECOSOC)の権限を強化することが必要だと考える。現在経済社会理事会は安
全保障理事会とならぶ機関だが、安保理とちがうところは、こちらは強制措置を持たない
というところだ。ただその任務は重要で世界経済、社会問題についての政策報告の立案に
ついて話し合ったり、国際的な文化、社会、教育、保険などの分野で調査や報告を行った
り、人権及び基本的自由について尊重と順守を促進することとある。ただ悔やまれること
に強制措置をもたないため直接指導する力をもたないのだ。そこで我々は、世界連合にお
いてこの機関に強制力を持たせることを提案する。(詳しくは第四章で説明)
我々は、①拒否権の適用範囲の制限、②専門機関の機能効率化、そして後に述べる③司
法機能の強化を三位一体で進めることで強すぎる安保理の権限を弱め、安保理を司法のコ
ントロール下に置き、大国だけではない国の意見も反映させることで安保理の決議に正統
性を確保することを提案する。
<主権と介入>
冷戦の終焉とともに、大戦争が起こる可能性は低くなった。しかし、地域紛争は今後と
も起こり続けるであろうし、外部の国家や国際組織に対して、これらに介入せよという圧
力も続くであろう。この介入という概念は、それが記述的にも規範的にも使われること
あって、混乱しがちである。
現に起こっていることを記述する場合にも使われるし、価
値判断をともなって使われることもある。
そもそも主権国家の内政に対しては、非介入ということが国際法の基本規範である。非
介入こそが、秩序と正義の双方に関連するきわめて強力な規範である。秩序は、混乱に一
定の制約をもたらすものである。国際的無政府性は、もし一定の基本原則が尊重されるな
らば、必ずしも混乱と同義ではない。主権と非介入こそが、無政府的な世界システムに秩
序をもたらす2つの原則なのである。
それと同時に、非介入は正義とも関連している。国民国家というものは、一定の国家と
しての領域内で共通の生活を発展させる権利を正当に保持している人々の共同体でもある。
外部の人々は、彼らの主権と領土保全を尊重しなければならない。しかしながら、すべて
の国家がこの理想に合致しているわけではない。しばしば秩序と正義の間には緊張が生ま
れ、介入すべきかをめぐって議論が混乱する。
では、国家の介入はどの程度許されるのであろうか。介入を最も広い定義からすれば、
主権国家の国内問題に影響を与える外部の行動を意味する。より狭く解釈して、他国の国
内問題への「強制的」な介入のみにこの用語を使う者もいる。この狭義の定義は、強制の
度合いを低い方から高い方へと並べた線を考えたときの、一方の端を意味していることに
なる。(図1参照)
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(図1)
軍 事 侵攻
(現地の選択の余地大きい)
限定的軍事行動
封鎖
反対勢力支援
軍事顧問派遣
経済援助
放送
演説
強制力 小
強制力 大
(現地の選択の余地小さい)
この尺度のもう一方の端である低い方では、介入とは単位他国の内政に影響を与えよう
とする発言に過ぎない。この広義の定義は、あまり強制の伴わないものから高度に強制的
なものまであらゆる行動を包括しているが、介入に伴う強制度に注目することは重要であ
る。なぜなら、強制度に応じて現地の人々の持つ選択の幅が影響され、現地の自律性に対
する外部からの制約の度合いが影響されるからである。
しかし介入は、時に自律性を高める可能性を持っている。貧しい国々の中には、政府の
能力があまりに低いために事実上の自立性もきわめて低い場合がある。このような場合、
ある種の介入は政府の能力を向上させ、将来的に事実上の自律性を高めることがありうる。
長期的には、経済および軍事円状が国家をより独立した存在にする可能性もある。このよ
うにみると、単純で絶対的な非介入という原則は、実際の複雑な問題に対して不合理なも
のである。これからは世界統括としての介入と、国家尊重のバランスをとることが極めて
重要である。それには、各問題のケースごとにその動機、手段、結果を検討することで判
断されるのが適切であろう。
<司法機能の強化>
問題は、国連憲章上、勧告的効力しか認められていないもののうち、法的拘束力を持つ
ものがあるかどうかである。現在は国際問題に関して、両方の当事国が合意しないと裁判
にかけられない。当然不利になりそうな側の国は、起訴に応じないのでうまく機能しない
のである。また、安保理などをチェックする監査機関としての機能を果たすことも重要な
問題である。
法の支配とは社会を構成する単位の間に法の下の平等が成立していること、違法行為の
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存在を判定し、違法だと判断された行為の責任を問う客観化された権限主体がいることで
ある。客観化されているというのは、「なんぴとも自己の裁判官たりえない」というよう
に例えば自分が被告の場合自分が裁判官となって自分を裁くことができないということで
ある。もう一つは、たとえ裁判官といえども職を離れれば等しく法の裁きを受けるという
ことである。
司法のコントロールを効かせるためには、国際法を変えていく必要がある。なぜなら、
国際法と国際組織は国家の行動の仕方に影響を与え、政治的現実の重要な一部であるから
だ。そもそも国家は、2つの理由で国際法にメリットを見出している。
まず国家は、互いに多くの紛争に関与している。国際的取引の大部分は、公的私的を問
わず貿易、外交使節のやりとりや国境を越える市民交流などである。相互依存が深まるに
つれてこのような交流は増大し、それに伴って摩擦の機会も増加する。その様な摩擦が起
きた時、国際法によって政府はそれらが高レベルの紛争になることを防ぐことができる。
たとえば、日本人観光客がアメリカで犯罪を起こして逮捕されたなどの非政府的な衝突に
よって、政府は国同志の友好関係を崩すことを望まないものである。その様な問題を国際
法と合意された原則に基づいて処理することで事態を非政治化すれば、予測しやすくする
ことができる。予測可能性こそは、取引を拡大させるための、そして取引の増大によって
必然的に起こる紛争を秩序だって処理するための必要条件なのである。
第二のメリットは、正統性である。政治は、単に物理的暴力をめぐる争いだけではなく、
正当性をめぐる争いでもある。力と正当性は正反対にあるものではなく、互いに補い合う
ものである。人間は、完全に道義的な存在でもなければ、完全に懐疑的な存在でもない。
正邪に関する信念が人の行動を促すということは政治的な事実であり、したがって正当性
は力の源泉なのである。もし国家の行動が正統的なものでないとみなされれば、政策コス
トは高くならざるをえない。国家は、国際法や国際組織によって国家の戦術や結果にしば
しば影響が現れるのである。
では、どのように国際法を強化し、体系的に整えてゆくかを論じたい。
近代国際法の下では慣習法であれ条約であれ、この両者はどちらかが上位にある段階構
造をなすものではなく、種々の国際法規の間にはその牴触の場合「特別法は一般法を破
る」および「後法は前法を破る」の原則に従って処理されると考えられてきた。もっとも
条約の規律する事項は慣習規則よりいっそう特殊でありまたより後に成立することが多い
から、右の二原則に従って条約は慣習法に優位すると言われることもある。しかしその逆
に慣習法が条約を破る場合もありうる。とにかく一般に、慣習法と条約とは同列のものと
みなされる。このことは、慣習法の成立要素を黙示の同意の中に見出す意思主義者にとっ
て当然であるが、客観主義者によっても支持されてきた。
現代国際法の法規相互間にも、一般に上の二原則が作用していることに変わりはない。
ただ強行規範の性質を持つものが登場し始めると、現代国際法は強行規範と任意法規とい
17
う段階構造を持つと見られるようになり、そこには「上位規範は下位規範を破る」の原則
が妥当するようになる。
これまで述べてきた現代国際法源論の展開と錯綜は、法の成立要素としての同意の性質
をめぐる議論、すなわち意見主義の変容の議論に基づくだけでなく、成立した法規の性質
の変容に関係している。現代国際法のもっとも基本的かつ特徴的性格を示す武力行使禁止
の原則が一般国際法の強行法的性質ではなく、従来どおりの単なる契約的または任意的性
質の規範にすぎず、これと牴触する後の特殊な条約により排除されうるならば、現代国際
法への規範構造の転換は意味を成さないとはいえないまでも、きわめて不安定なものでし
かないことになろう。
他方、強行規範については、今日なおその存在を否定する議論もないわけではない。し
かし最近の傾向を見ると、「武力行使禁止に関する法は強行規範の性質を有する国際法に
おける規則の明白な例である」とも言われ、また条約法条約では、武力強制による条約の
無効と強行規範との不可分性も認められている。(四四条五項)。ともすれば、近代国際法
上適法視されていた戦争を許容する条約や武力強制による条約は、強行規範に反するもの
として無効となる。このように現代国際法の基本原則に相当する規範が強行規範であると
すれば、それは現代国際法の規範構造をいっそう強固にする。
まず、強行規範と任意法規の牴触の場合、後者の規則の法源のいかんを問わず、また両
者の成立の前後関係を問わず、強行規範が優位する。これは「上位規範は下位規範を破
る」の原則の作用の結果である。
むしろ法源論との関係で問題にすべきは、強行規範を生み出す法源は何かという点であ
る。強行規範はもっぱら慣習法であるという有力な見解があるほか、それが法の一般原則
とか国連総会決議としても成立すると見る見解もある。しかし強行規範は慣習法のみなら
ず、条約によっても生み出されるという見方が、条約法条約の審議過程でも多数を占めた。
もっとも条約法条約は、強行規範は「国によって構成されている国際社会全体が受け入れ、
かつ、認める規範」(五三条)であるというだけで、それが慣習法であるか条約であるか
について言及していない。とはいえ、強行規範が「一般国際法」に属するとされ、それが
通常慣習法として現れることは当然予想されているといえよう。
しかし、今日では条約も「国際社会全体が受け入れ、かつ、認める」(圧倒的多数の
国々により受け入れられる)規範として認められるようになると、強行規範が条約中に含
まれることも十分考えられる。国際関係における武力行使の禁止を定める国連憲章二条四
項はその例である。条約法条約六四条のいう「新たな強行規範」の成立は、条約によりう
ることを必ずしも排除していない。
とにかく強行規範の存在が、国際法の規範構造に従来以上の段階性と統一性をもたらす
ことは確かであるが、それがただひとつの法源に限られないとすれば、法源間の相互関係
に何らかの序列を持ち込むものではないといえよう。もっとも強行規範がいかなる法源の
形式をとるとしても、それと牴触するほかの規範はその属する法源のいかんを問わず無効
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とされる。その限りで、国際法規相互間に妥当する「特別法は一般法を破る」の原則及び
「後法は前法を破る」の原則の適用は排除される。
このように現代国際法は強行規範の概念を導入することによって、従来の法源の相互関
係には必ずしも本質的影響を及ぼさないが、その規範構造を強化することが可能となる。
<まとめ>
国連のような国際システムの存在は、これからのグローバル社会にとってさらに重要な
ものとなるだろう。それだけに、常に変化してゆく世界情勢に対応していかなければなら
ない。それにはまず、三権分立を確立し、組織体系を整えることが必要である。そして安
保理の拒否権の適用範囲を制限することで大国の権威を低下させることができる。つまり、
第三世界の諸国の意見を反映し、より国際システムとしての正統性を確保することができ
る。さらに国際理解のための人材育成はユネスコに、生活水準の向上には経済社会理事会
がそれぞれ機能し、国際問題の平和的解決に貢献してゆくだろう。
そして、司法機能の強化によって立法、行政機関をチェックし、また国際法を改善する
ことによって国際裁判を有効に使うことができれば、国際行動規範として正統性を持たせ
ことができるであろう。
ただし、これは国連の未来を担う「世界連合」設立のための第一歩にしか過ぎない。そ
れでも、我々が構想する世界連合を実現するためには欠かせない要因である。これからの
時代に見合った「世界連合」については次章で詳しく説明する。
19
第四章 世界平和のために
さて、3章までに現在考えうる考察をまとめてみた。3章冒頭で書いたように国際連合
は今大きな改革を求められている。その改革の最終形態こそが「世界連合」と我々は考え
た。そもそも世界連合とは200年前にカントという哲学者が世界をまとめるにはどうす
るのが最良かと考えたときに発想されたものである。
<カントは語る>
カントは、『永遠の平和のために』の第二確定条項――国際法は自由な諸国家の連合に
基礎をおかねばならない――の中で、次のように述べている。
「国家としてのそれぞれの民族については、個々の人間と同じように考えても良い。す
なわち、自然状態では(つまり外的法則に従属していない状態では)互いに並立している
ことですでに傷つけ合っているのである。したがって、各国家は自分の安全に対して、他
国に対して、おのおのの権利が保証されるような、公民的体制に似た体制に一緒に入るよ
う要求することができるし、また、要求すべきなのである。これは「国際連合」となるで
あろう。しかし、そうはいっても国際連合は、諸民族からなる一つの国家という形を取っ
てはならない。そういう国際国家には矛盾があるであろう。それは、国家はいずれも上の
もの(立法者)の下のもの(服従者、すなわち国民)に対する関係を含んでいるのである
が、多くの民族は、一つの国家に融合されると、ただ一つの国民を構成することになるで
あろう。しかしそのことは前提に矛盾するからである(ここで我々が考えねばならないの
は諸民族相互の権利なのであり、その場合、諸民族はそれだけの数の異なった国家を構成
すべきであって、一つの国家に融合してはならないのである)。
我々は、未開人が法に縛られぬ自由に愛着をもって、法による強制を彼ら自身で作って
それに服するよりも、たえず争うのを好み、理性的自由よりも気違いじみた自由を選ぶの
を見て、深い憤りを感じ、人間性の粗暴さ、未熟さ、動物にも等しい堕落として眺めてい
る。それから推すと、文明民族(それぞれ結合して国家を作っているのであるが)は、そ
ういう軽蔑される状態から出来るだけ早く抜け出そうと急いでいるに違いないと、当然考
えるであろう。ところが事実はそうではなくて、むしろいずれの国家も、その尊厳を(民
族の尊厳というのは不合理な表現である)、いかなる外的な法的強制にも服さないことに
おき、また元首の栄光は、自身は危険にさらさなくとも、幾千もの人々を彼らには何の関
係もない事柄のために意のままに犠牲に供しうることにあるとされているのである。元々、
ヨーロッパの未開人とアメリカの未開人が違うといっても、その主な相違は次のことなの
である。つまり、後者の多くの部族は敵に全部食われてしまったが、前者は被征服者を食
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用にするよりももっとうまく利用することを知っていて、自分の臣民の数を、したがって
また、さらに広がる戦争のための道具の数を増やす事を知っているという点である。
人間の本性の邪悪さが、諸民族の自由な関係にあらわに認められるのに、しかし不思議
に思われるのは、法という言葉が戦争政策から非実際的として完全の除かれるようにはま
だなっておらず、また、いかなる国家もそういう意見を公に宣言するほどまだ大胆になっ
ていない、という事である。というのも、今なお、フーゴー・グロティウス、プーフェン
ドルフ、ヴァッテルなど(いずれも皆、ひとを慰めようとして、かえって人を煩わすもの
である)が、彼らの法典は哲学的ないしは外交的に作られたもので、少しも法的力を持た
ず、またそもそも持つはずもないのに(何故なら、国家そのものは共通の外的強制に従う
のではないからである)、相変わらず信用されて、戦争の開始を正当化するために引き合
いに出されているのをみても明らかであろう。」(略)
戦争を行うための法を国際法の概念の中に含めて考えるのは元々意味のないことである
(もしそうだとすると、何が正しいかを規定するのに全ての個人の自由を制限するような
普遍的に妥当する外的法則によってではなく、ちからを用いて一方的な格率によって決定
する事が法である、と主張することになろう)。もっとも、その概念が次のような意味を
含んでいるというのなら話はまた別である。すなわち、そういう心を持つ人たちが互いに
損害を与え合い、そのようにして暴力行為の残虐さも、またその行為を犯した当人も一緒
に埋め尽す広大な墓の中でようやく永遠の平和を見出すようになるにしても、それは、
まったく彼らにとっては怒るべくして起こった事である、ということである。
――相互関係にある諸国家にとっては、ただ戦争を含むだけの無法状態を抜け出す方法
は、理性に従って考えると、次のような方法以外にはない。つまり、国家が、個々の人間
と同じように、その粗暴な(無法な)自由を捨てて公的な強制法則を受け入れ、かくして
一つの(勿論絶えず大きくなってゆく)国際国家を作り、これが最後には地上の全ての民
族を包含するようになる、という方法である。しかし、諸国家は国際法についてそれらが
持っている概念を元に考えるので、このような事をまったく求めようとはせず、従って一
般論としては正しい事を具体論としては拒けるのである。そこで(全てが失われる事を望
まないのなら)、一つの世界連合という積極的理念の変わりに、その消極的な代用物、つ
まり戦争を防止するための連合を存続させ、それでもって、法を嫌い争いを好む傾向の流
れをせき止めることが出来よう。もっとも、この傾向が突発する危険をたえず伴ってはい
るが。
<なぜ国際連合では不十分なのか>
では、なぜ国際連合は解散せねばならないのか。そもそも国連は平和を希求して誕生し
ている。国際連合規範の前文に「我らの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に
与えた戦争の惨害から将来の世代を救う」とある。これは国連が平和を願って掲げた決意
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といえよう。
しかし本当に平和が訪れたのであろうか。確かに、第三次世界大戦は起きなかった。だ
が現実には、第二次世界大戦後大きく分けて冷戦を除けば約17の戦争が行われている。
国連は国家に対して命令できる権限を持たないため、このような戦争を止めることはでき
なかったのだ。この弱い立場の国際連合がいかにして平和を維持するというのだろうか。
国際連合は平和維持の能力がいかに微力であるかを知らねばならない。
第二次世界大戦が終結し国際連合が発足すると第二次世界大戦の戦勝国であったアメリ
カ、ソ連が核兵器の生産競争に突入した。続いてイギリス、フランス、中国も核兵器を生
産するに至った。核兵器を否定的存在として扱わなければ世界の平和は成り立たないはず
だが、保有国はそのことを棚上げし、核兵器を否定的に扱ってこなかった。五大核兵器保
有国は国連の主要国でもあったので国際連合が糾弾するという動きをみせることもなかっ
た。平和を維持するはずの国際連合において、核所有が暗黙の了解になってしまったのだ。
91年、米ソは第1次削減条約(START2)で戦略核兵器を7年間に25~30%
削減することに初めて合意した。また93年1月には、2003年までに戦略核兵器の弾
頭数を、現有の約3分の1ないし、3,500 発に削減する第2次削減条約(STAR
T3)に調印した。しかし、現在のロシア議会が同条約を批准する見通しもなく、旧ソ連
の核管理はずさんで、核兵器解体の費用にも欠ける。米側も戦略兵器削減のテンポを落と
している。過去50年間の国際連合が残した実績は世界の平和維持能力がないことを示し
ている。
平和維持能力については上記の通りだがまだまだ問題はある。国際連合は要望されるこ
とを遂行する能力を与えられていないという点である。国際連合は国家の承諾を必要とす
る行為については力を発揮することができた。国際平和維持軍の展開、難民救済業務の遂
行等がそれである。
しかし国家が承諾できないという形の世界平和追求方策が最も重要でかつ必要なのであ
るが国際連合はこの方策の実行が全くできないでいる。例を挙げると大量破壊兵器生産疑
惑がある国を査察しようとしても許可が下りないとの理由で査察をしないでいる。核兵器
の廃絶なくして世界の平和はありえないのだが、核兵器廃絶より前の段階において要望さ
れる核拡散防止条約などの締結は、国家の意思決定に関わることで国連は国家に要望する
にとどまり、強要できるものではないという立場にある。
国連は核兵器を廃絶する力はもっていない。それは国連に強要できる能力が与えられて
いないからだ。国際連合に国家を指導する能力を与え、国際連合の権威は国家の権威を上
回るものとしなければならない。このことは国際連合の根本的改正をしなければ不可能で、
現存の国際連合は解散し、新たに国家の権威を上回るものを創設しなければならない。
以上の点から国際連合を解散し新たな機構を創設することを求める。
22
<未来の世界を担う機関として>
21世紀を迎えて世界の人々が希うことは世界の平和だけではない。世界は数々の世界
の問題を抱えるに至った。人類の生存に大きな関係を持つものは全て世界の問題として捉
え、これに対処することによって望ましい将来が期待できる。これらはまた、世界は一つ、
人類は一つという望ましい姿の顕現でもある。進んでは教育問題も世界の問題として捉え
る事ができよう。
では、各機関を具体的にどのように機能させてゆくのか。まず、今まで力が不十分で
あった経済社会理事会には強制力を与える。もちろんその行動は国際司法裁判所によって
監視するが、基本的にこの機関の指導によって各国は経済向上、人権の尊重などを行う。
条件として発展途上国を指導する場合、この理事会に指導される発展途上国を参加させ、
重々話し合った上プロジェクトチームを結成する。そして計画的に経済発展の方法や人権
尊重の普及の方法を模索していく。もちろん発展途上国だけでなく先進国で起こる社会問
題についてもこの機関がプロジェクトチームを作り解決させる。
世界共通語についても触れよう。世界が一つになるにはコミュニケーションの手段であ
る言語自体を共通にする必要がある。言語を理解しなければ相手の考えを理解するのも困
難になるだろう。これは上で述べた経済社会理事会でその方法を模索し、ユネスコと共同
でプロジェクトを進めるべきだろう。小さなことではあるが、重要な点だとおもう。
そして最大の問題である軍縮問題は新たに軍縮理事会を設置し、核兵器以外の大量破壊
兵器である化学兵器、生物兵器などのプロジェクトを組み廃絶していく。通常兵器は削減
するものとし、兵器の研究開発を禁止する。軍縮及びそれに順ずる議題はこの理事会で話
し合いをし、その強制力を駆使しながら軍縮を行っていく。
そしてもう一つ、平和理事会を設置し、総会において決定された世界平和実現のための
大綱に基づき具体的な平和活動内容を決定し、かつこれを実行することを主な活動とする。
核兵器の廃絶についてはこちらで行い、計画的に核保有量を削減していき核実験の全面禁
止について各国を監視する。また地方の平和を侵害する行為が発生した場合直ちにこれに
対応しなければならない。
以上三つの理事会を安全保障理事会の代わりに設置する。このように総会、理事会、裁
判所の三つに権力を分散させることによって現在の安全保障理事会のように権力を一箇所
に集中させることを防ぐ。そして総会はその三つの中でも中心的な役割を果たす。
世界連合総会には世界に存在するすべての国の代表者が出席して意思表明することがで
きるが、あくまで出身国の利益を代表するものではなく世界の意志として決定に参加する
ものである。世界連合総会において世界の意志を決定する。世界政治を行ううえで、権威
の源泉は世界の意思決定機関である世界連合総会にある。世界連合総会は世界政治におけ
る大綱を決定する。細部においては各種理事会で決定する。緊急の場合は各種理事会の決
定に任せることができる、その場合理事会は事後総会に報告しなければならない。
このような専門機関や理事会、そして総会を作ることによって世界を指導してゆく。
23
このような活動が実を結んだとき、まさに本当の意味での正統性を持った世界政府が誕生
するのである。相手を理解することが平和への第一歩なのではないだろうか。
ただ世界の人が、お互いの理解を深めていけば、仲良くなってすべてが解決するかとい
えば、そんなに簡単な問題ではない。おそらくそれだけでは解決しない、何が正しいか、
何が正義か国によってまったく違う。自爆テロ事件でも、われわれには信じられないこと
だが、本人たちにとって見ればそれが正義だと思ってしているのかもしれない。
人権問題にしても西側の主張と発展途上国側の主張はまるで違う。残念ながら我々は世
界共通の正義というものを発見できていない。今すぐに、発見してそれを教育していくと
いうのは難しいだろう。ゆえに、お互いの理解を深めていきいずれはお互いがひとつの共
通意識を持つことからはじめていくしかないと考える。将来の戦争やテロのない世界のた
めに、そして次の世代に過去の過ちを繰り返させないためにも世界は一つになり、世界の
問題を世界で解決できるような機関が必ず必要である。世界連合は、それを実現する能力
を十分に秘めている。
おわりに
国連はいかにすれば機能できるか。その問いに対する我々の答えは、「世界連合」を創
設することである。論文でのべたとは思うが今すぐに「世界連合」にするのは非常に難し
いということがこの論文を取り組んでよくわかった。
だがしかし絶えず変化し続ける世界情勢のなかで、国際連合が世界から取り残されてい
るような気がしてならない。それに50年前国連ができた理由を考え直したとき、やはり
「世界連合」は必要であろう。これからの国連を改革する上で一番必要な事はその場しの
ぎの改革案ではなく「世界連合」へつながる未来への一歩でなくてはならない。
特に我々が構想する世界連合においては、①経済社会理事会②軍縮理事会③平和理事会
の三つの理事会が現在の安保理に代わって活動し、この理事会、総会、国際司法裁判所が
バランスアンドチェックすることによって組織体系を確立してゆく。このようなシステム
を体系的に整えた機関が、まさに世界システムとしての正統性を見出すことが可能である
と考える。いつか世界の人々が争いのない平和な世界で暮らせるようになることを祈る。
24
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一憲
東京大学出版社
(1999)『国際政治経済システム第四巻』
『国際連合という神話』
朝雄
有斐閣
PHP 新書
(1966)『国際連合と日本』 有斐閣
監修(1984)『国連に生きる』
世界の動き社
公秀・明治学院大学国際平和研究所
(1995)『国連の再生と地球民主主義』
柏書房
長尾
龍一・田中
成明(1983)『現代法哲学第3巻
実定法の基礎理論』
東京大学出版会
カント
『実践理性批判 判断力批判
(樫山
永遠の平和のために』
欽四郎・坂田 徳男・土岐
邦夫
訳(1989)河出書房出版)
ジョセフ・S.ナイ(2002)『国際紛争―理論と歴史』(田中 明彦・村田 晃嗣 訳)
有斐閣
PHP総合研究所(1996)「核兵器開発」
http://www.php.co.jp/THE21/kokusai/kakuyogo.html
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