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第5回「ハンガリー旅の思い出」2008年コンテスト作品 「ハンガリー

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第5回「ハンガリー旅の思い出」2008年コンテスト作品
山田さんの作品
「ハンガリー・オルガンコンサートツアー」
自分のホームページにおいて、昨年に引き続き2回目となったハンガリーへのオルガン演奏ツアーの
模様を写真を付けて報告していたが、改めてこれを日記風にまとめてみた。
6月11日(水)
アシスタントを務める家内と、同行ツアーの参加者11
名とともに成田を発ち、ウィーンからは、生まれて初めて
プロペラ機に乗ってブダペストに向かった。(写真1)
ブダペストのフェレヘジ空港にて、期間中大変世話に
なることになるエディナさんと再会。バスにてアストラホテ
ルへ。(写真2,3)
(写真1)
(写真2)
(写真3)
アストラホテルは、アンティーク家具が揃えられ、とても可愛らしい
雰囲気。滞欧中、ずっとここを拠点にして移ることがなかったので、
その点は非常に楽であった。(写真4)
(3名だけは、部屋割りの関係で、1泊だけマーチャーシュ教会前の
ブルグホテルに。夜中も、また目覚めても、部屋からマーチャーシュ
教会を望む事が出来て、感激したとの声あり。)
(写真4)
6月12日(木)
朝食後、バスの出発時間までに、マーチャーシュ教会のある丘に登って一廻りして来ようとしたら、意
外にも時間がかかるので、途中で断念し、引き返した。地図で見ても、丘の上からの写真を見ても、か
なり近そうに思われたのだが。(写真5、塔を修復中なのがマーチャーシュ教会)
午前中は、陶磁器のヘレンド工房を見学。滑らかな良い土を使っているように見受けられた。熟達した
職人技は、実に簡単に作業を行っているような錯覚を誘う。(写真6)
売店で大物を購入したのは、或る自動車メーカーの長だった方のみで、われわれは破片のようなのを
買う他なかった。
(写真5)
(写真6)
昼食は、ヘレンド内のレストランにて。テーブルごとにデザインが異なる食器が用意されていた。この
ツアー企画の中心的存在であるS.Kiss氏が元外交官で、今はヘレンドの偉い方なので、ここでの食
事がアレンジされたのである。因みに、このKiss氏は、日本在任中、大相撲の優勝者表彰式で、ハンガ
リー友好杯を手渡していた人である。ご本人は、千代の富士、北勝海、貴乃花、若乃花、曙などに杯を
手渡し、後任者には、他の仕事はどうでもよいから、表彰式だけは間違えないように、と言われたとのこ
とである。
スープは、パンみたいなのが麺状になってたくさん入った、コンソメ風のもの。同行の10歳の少年が、
気に入った様子で、つるつるとよく食べた。(写真7,8)
(写真7)
(写真8)
メインは、鴨肉の料理。ザウアークラウトにちょっと似た紫の料理は、私はドイツで慣れているから何で
もないものの、今一つ好かれないようであった。(写真9)
デザートは、胡桃のアイスが印象に残った。(写真10)
ドリンク代の支払いの際、細かいのがなかったので、多めにチップとして渡したら、ガイドさんに、払い
過ぎだと云って、ひどく叱られた。勝手が違うと難しいものである。
(写真9)
(写真10)
昼食後、海のような湖、バラトン湖に向かい、4キロほどの半島、ティハニのベネディクト会の教会でオ
ルガンを試奏する。(教会の装飾は素晴らしかったが、オルガン自体や教会の残響は、特に印象に残る
ものではなかった) この頃には、奇跡的に天気が良くなり、エメラルドグリーンの湖水を背景に、ラヴェ
ンダーやバラなど、色とりどりの花々に囲まれて、洒落た二つの尖塔を持った教会が建つ風景は、まさ
に夢のような美しさであった。(写真11,12)
(写真11)
(写真12)
バラトン湖からの帰途、田舎のレストラン(チャールダと
いうのは、ヴァイオリン曲のチャールダッシュと関係があ
るのであろう)の半屋外みたいな部屋にて夕食。ジプ
シーの楽師がわれわれ一行を日本人と見るや、荒城の
月とか上を向いて歩こうとかを弾きながら寄って来る。喜
んで喝采などするとチップを払わなければならないの
で、皆、うつむいて彼らが立ち去るのをじっと耐えて待っ
た。これからも何度かそのような状況に遭遇するが、彼
らの写真が1枚もないのは、以上のような理由による。
(写真13)
(写真13)
6月13日(金)
午前中は、ブダペスト市内の名所をアンナさんの案内で巡る。彼女のガイドは、まるで日本人の学者
が話しているように、語学、知識ともに完璧で、皆、舌を巻く。英雄広場では、ハンガリーの歴史が分り
易く説かれ、駅舎のような中央市場では、見たこともないような野菜を目にすることができた。(写真
14,15)
(写真14)
(写真15)
昼食後は、エディナさんのガイドに代わり、聖イシュト
ヴァーン大聖堂、ゲレルトの丘等を見学。また、去年の
11月にリサイタルを行ったフランシスコ会の教会も訪
れ、オルガンを演奏した。(写真16)その後、スーツケー
スを壊されたメンバーのために、ショッピングセンターに
行くと、女性たちは、ありふれてはいるけれども、日本と
は違う日用品売り場などに、目を輝かせていた。 夕方、リハーサルのため、マーチャーシュ教会に向か
う。7時まではミサが行われており、アメリカの政治家、
アーミテージ氏のようにいかつい神父様により、厳かに
執り行われていた。(家内が見たところによると、ミサの
後、煌びやかな僧服をジャージみたいなのに着替え、花
の水を替えたり、掃除機をかけたり、忙しく働いていたそ
うである)
(写真16)
(写真17)
(写真18)
幾つもの鍵を開けながら、長い螺旋階段を上がり、いざオルガン
を弾こうとすると、電源のスイッチが演奏台のところでは見つからな
い。散々捜しても駄目なので、例のアーミテージみたいな神父様を
呼ぶと、隣の別室内にあって、これでは見つかる筈ないと思った。
演奏台上のモニターは、祭壇上の動きを見るもの、マイクは、オル
ガン奏者が聖歌の伴奏を弾く時に、会衆と一緒に歌うためのもので
ある。それから多少専門的になるが、スウェルは演奏台の向かって
左側に見える。(写真17,18,19)
(写真19)
演奏台が楽器の前に位置しているので、音を増やす
と、耳が痛くなるくらいの大音量である。しかし、下で聴く
とそれ程でもないのであろうと推測される。
12時近くまでリハーサルし、撮影、録音のために残っ
てくれていたカメラマン夫妻と4人で丘を下ると、ライト
アップされたドナウ川沿いの夜景が美しく、印象的であっ
た。(写真20)
ホテルで、取り置きしてもらった夕食を食べて寝ると、
夜中に久々蕁麻疹が出た。アレロックを持参していたの
で、服用すると、段々と治まった。
(写真20)
6月14日(土)
朝、バスが出発するまで、マーチャーシュ教会のレジストレーションをまとめるのを粘る。それから、ブ
ダペストの北東約100キロにあるセーチェーニを目指す。ここのフランシスコ会修道院付きの教会にて
オルガンリサイタルを行うためである。
到着すると、とても人懐っこい神父様が温かく迎え入れて下さり、修道院内部を懇切丁寧に案内して
下さった。修道院は、回廊がお花畑とハーブ園から成る中庭を取り囲む造りで、教会堂と直結している。
そして、外には自給のための畑が広がり、さながら理想郷の様相を呈していた。(個々の部屋は、窓が
小さいために暗く、ひんやりとしている)(写真21)
一通りの見学を終えると、修道院内の食堂に通され、一同度肝を抜かれた。まるで最後の晩餐の雰
囲気だったからである。しかも、一応師である私を中心に13人の一行。しかし、スイスから参加された中
島さん、ガイドのエディナさん、運転手さんが加わり、落ち着いた人数となった。(写真22)
午後は、オルガンのリハーサル。同行ツアーの方々は、それをちょっと見学しただけで、羨ましくも、修
道院周辺やセーチェーニの街中を見て回ったようである。
(写真21)
(写真22)
楽器は、ケースがバッハ時代のものだが、中身は新しい。ペダル固有のストップが少し弱くて、場合に
よってはカプラーしなければならないが、テュッティの輝かしさ、リードソロの柔らかさは、聖堂の丁度よ
い残響と相俟って、バッハを演奏するのに理想的な環境を生み出しているように思われた。(写真
23-26)
(写真23)
(写真24)
(写真25)
(写真26)
リハーサルをしていると、入れ替わり立ち替わり、修道士さんたちが聴きにやって来る。自分たちの聖
堂でオルガンが鳴り響くのが嬉しくて仕方ない様子。リード管の調律も、耳のよい修道士さんが行ってい
ると云う。
プログラムを一通り弾き終えると、それ以上がむしゃらに練習していても疲れてしまうので、控室に引
き上げる。この部屋は、ゲストルームで、ベッド、バス、トイレが備わっているが、前述のように、窓が小
さくて底冷えするので、暫くリハーサル時の録音を聴きながら横になった他は、大勢が居る部屋に移っ
て寛いでいた。
神父様との打ち合わせの時には、「このプログラミングを見ただけでも、ただ弾く人でないことはよくわ
かる」と仰っていただいたが、開演前、客足を非常に心配されていたので、「たとえお客さんが少なかっ
たとしても、素晴らしい音響を持った聖堂にある、バッハに最適の楽器を弾いて、それをあなた方に聴
いて頂けただけで満足である」旨をお伝えすると、とても喜んで下さった。
バッハのみのプログラムは、前述のように、楽器と聖堂とにマッチして、よかったのではないかと思わ
れる。
最後の未完フーガがぷっつり途切れると、「音の無い空間がこんなにも緊張感のあるものだったか」と
云う感想を漏らされた方がいらしたが、それから最後のコラールまでの間、自分は黙想していた訳では
なく、レジストレーションを変えていたのである。
コラールが終わって暫く沈黙の後、次第に湧き上がるような拍手が起こり、やがて全員が合わせた手
拍子になっていったので、予定外のアンコールも弾かなければならなかった。(写真27)
コンサート後は、修道士さんたちを交えた夕食。彼らに
よる食前のグレゴリアンチャントも感動的であった。
夜中にホテルに戻り、オルガンのレジストレーションの
書き換え(明日の公演で重複する曲が3曲)をしなけれ
ばならなかったのだが、この日にやったのか、翌朝やっ
たのか、記憶が定かではない。いずれにせよ、ここぞと
ばかりに睡眠改善薬を服用し、比較的よく休めたと思う。
(写真27)
6月15日(日)
コンサートの翌日にして当日の今日は、同行ツアーの方々が思い思いに、教会のミサ、音楽博物館、
オペラハウス等に出掛けるのを羨ましく思いながらも、午前中一杯は自室でゴロゴロしていた。お昼近く
になると、マーチャーシュ教会近くでの食事およびリハーサルのため、再び丘をゆっくりと上った。(マー
チャーシュ教会は改修中のため、部分的に工事現場の様相)(写真28,29)
(写真28)
(写真29)
今回は、リハーサルと云っても、殆ど仕込みみたいなもの。膨大な音の組合せを楽器に記憶させる。
そして、ちょっと大きい音を鳴らしたりしていると、下の観光ガイドからクレームがあったので、早々に切り
上げた。
家内は、教会前の土産物屋をまた見る、と言うので、先にホテルに戻ることにした。本番に近い時間に
なっても帰らないと思ったら、案の定、道に迷っていた。
6時15分、再び全員で丘を上り、マーチャーシュ教会へ。
7時までのミサが終わるのを待ち、奏楽していたオルガニストと挨拶して、間もなく本番。残響が昨日
の教会よりは余程長い為、h-mollなどは少しテンポを落として弾いたのだが、どうだったのだろうか。フラ
ンクのコラールまでを弾き終え、あまり次から次へと演奏するのも憚られたので、少し間を取っていると、
通常演奏会最後のみにある筈の拍手が湧き起ってしまった。バルコニーから顔を出して挨拶すると、そ
のまま演奏会が終わってしまうので、構わずレーガーを弾き出す。あまりわかっていない聴衆だと思っ
た。(後で聞いたところによると、無料コンサートであるため、演奏会目的でない観光客も少なからず
入って来て、歩き回ったりしていたので、必ずしも落ち着いた雰囲気ではなかったと云う)最後はアン
コールもなく終わったが、自分としては、レーガーがかなり思ったように弾けたので、満足であった。そし
て何よりも、ツアーの全部の演奏を何とか終えることが出来て、肩の荷が下りる思いであった。
*これら2公演の演奏は、Kさんが録って下さったものをCDにする予定。
マーチャーシュ教会は、会堂の改修工事とともに、オルガンを解体するので、この楽器を弾くことは、こ
れで最後であろう。(写真30,31)
(写真30)
(写真31)
コンサート終了後は、教会近くの、昼にも行ったレストランで食事し、丘を下る暗い道を帰って行った筈
なのだが、あまり記憶がない。本番後不眠症がこの晩はどうであったのかも覚えていない。飲んでいた
訳ではないのだが。
6月16日(月)
今日一日だけは、心おきなく観光を楽しめる。バスでブダペストの北、スロバキアとの国境に近いエス
テルゴムに向かう。この地の大聖堂は、ハンガリーのカトリック総本山みたいなところで、世界一大きな
教会の一つといえよう。遠目にはそれ程大きいとは感じられないが、近くに寄ってみると、何でも桁外れ
に巨大であることがよくわかる。(写真32,33)
(写真33)
(写真32)
オルガンのところに上がる階段の鍵を開けてくれたのは、われわれの誰もが掃除のおじさんかと思っ
ていたのだが、大聖堂のオルガニストで合唱指揮者であるイシュトヴァーン・バローティ氏であった。い
つも困ったような顔をしているのに、「もっと弾け、もっと弾け」と親切にも言ってくださり、それでいて自分
のCDをさりげなく積んでおくところは、なかなかちゃっかりしていた。(写真34-38)
(写真34)
(写真35)
(写真36)
(写真37)
残響は10秒くらいあるのではないかと思われる程で、
待てども音は消えぬと云った感じであった。下で聴くと、
音が混ざり合って、もう何が何だかわからなくなってしま
う、との感想があった。響きがその様であるし、楽器が
極大な割には、音色の記憶装置が旧式なので、ロマン
派の大曲で演奏会をすることなどは、ちょっと難しいよう
に思われた。
(写真38)
彫り物がある譜面台は、リストが使っていたもの。当
時の指揮台は、段2段分の高さであったが、今の合唱
指揮者になってから3段分に高くしたそうである。(写真
39)
大聖堂の外からの眺望は、ドナウ川の向こう側にスロバキア、大小の教会を含む街並を見下ろし、抜
群のものがあった。二百何十段かの階段を上がって、大聖堂の屋根部分にまで登った二人は、もっと素
晴らしい眺めを楽しんだようだったが。(写真40)
(写真39)
(写真41)
その後、ドナウ川沿いにブダペストに向かうことになるが、なかなかのどかで風光明媚なシーンの連
続であった。このコースは、ドナウ・ベンド・ツアー(ドナウ川の曲がり角ツアー)と名がついているようで
あるが、ドイツのロマンティック街道とか、メルヘン街道のような、もっと人の心をくすぐるような名称がつ
けられれば、観光客も増えるに違いない。(一行の中には、増えないで欲しい、との声もあった)
その途中、対岸に古城を望む絶好のロケーションにあるレストランにて昼食。バラトン湖の白身魚料
理も半分くらいしか食べられなかった。三種のアイスもまた然り。例によってジプシー楽団が日本の歌を
演奏しながら近づいて来ると、われわれは黙りこくって俯いてしまうのみであり、ヴァイオリン弾きのおじ
さんは、何のチップも貰えず、「アリガート」とか言いながら淋しげに去って行ったが、後から来たドイツ人
の団体客には大受けで、皆が肩を組んで歌ったり、これなら楽団も仕事のし甲斐があるように見受けら
れた。(写真41,42)
(写真41)
(写真42)
道中、コウノトリの営巣を初めて見た。道端では、自分の家の庭で採れた木苺をおばあさんが売って
いた。これは、未だ大分酸っぱかった。(写真43,44)
(写真43)
(写真44)
ブダペスト近郊の街、センテンドレにも寄る。鄙びた味わいのあるところで、藝術家も多く住んでいると
云う。小さな教会も多く、ギリシャ正教の教会は閉まっていて見られなかったが、カトリック教会は見るこ
とができた。小さくて可愛らしいオルガンもあったので、ガイドさんが弾けないかどうか訊ねてくれたが、
観光客に壊され、修理に莫大な費用がかかったことがあったので、以来、鍵がかけられていると云う。
写真は、全てセンテンドレのもの。女性たちが随分と買い物をした甘いものの店は、ステンドグラスの
看板も洒落ている。(写真45-47)
(写真45)
(写真46)
(写真47)
この後、ブダペストに戻り、最後の晩の食事は、前述のKissさんのご招待によるものとなる。
その日の夕食は、ステーキの上にフォアグラが乗っていると云う凄まじいものであった。(写真48)
Kissさんの奥さん、イロナさんは、日本滞在中には、子供を公立の小学校に入れ、保護者会にも出席
していたそうである。日本語がまだわからない時に、或るお母さんが大変悲しそうに話すので、この人は
誰か亡くなったか、病気か、可哀想な人なのだ、と思っていたら、実は、うちの主人は自営業で、いつも
家に居るのです、と云う話だったそうで、そう云うことを実に面白おかしく話してくださった。それから、文
章でニュアンスを伝えることが出来ないのが残念であるが、自動車メーカーの社長だった偉い方が話し
ているのに、「あっ、ほんと」とか、「そうなん?」とかとぼけた相槌を打つのが、うちの家内にとっては抱
腹絶倒、旅行中最も面白かった、とのことである。(写真49)
(写真48)
(写真49)
6月17日(火)
最後の朝、夫婦ともに4時ごろ目が覚めてしまったので、それから身支度をして、再び丘に上った。(写
真50-54)
思えば、前回は、晩秋の早朝、独りで同じ場所からの風景を眺めたのであった。
去年、独りで巡ったところを二人で、数時間かけて歩いた。丘からは、去年リサイタルをやったパシャ
レーティ教会の塔も望めた。(写真55-58)
(写真50)
(写真51)
(写真52)
(写真53)
(写真54)
(写真55)
(写真56)
(写真57)
ホテルで朝食を食べていると、ガイドのエディナさんが
やって来たので、一緒に写真を撮るも、家内などは、別
れが近いことから、平常心では居られない。
この1週間、四六時中お世話になったエディナさんとの
空港での別れ際は、世界うるるん滞在記のエンディング
と全く同じになってしまった。(この場面の写真はありませ
ん) 。
(写真58)
2008年12月
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