死>についての教育再考

【応募作品】
<死>についての教育再考
~「魂の輪郭」に擬えた生き方を求める方法として~
中山 久子
野村総合研究所
〔今田研究室 2010 年 3 月修士課程修了〕
キー ワー ド:生命;文化
概要:
本稿は<生>と<死>の時代に生きつつある昨今の日本人の死生観に基づいて、幼少時からの<死
>についての教育の必要性について提言したものである。
幼年期の子供は多くの大人が思っている以上に<死>に近い存在である。幼い子供が発する「人は死
んだらどうなるのか?」という問いを自分も発した経験を思い出す人は大勢いるだろう。やがて年を経るに
つれ、いつの間にか<死>は我々の住む世界とは切り離され中年期になり周りの人間の死に立ち会う機
会が増え、老年期に入って第一人称の<死>を考えない人はいないだろう。現在、<死>について考え
ることが一種の流行ともいえる状態となり、晩年または死に際に関する書籍が溢れ返っている。2011 年 3
月 11 日に起こった東日本大震災も多くの尊い犠牲を払い、人々に<死>を考えさせることを後押しした
といえる。河合隼雄(1987)は「死を遠ざけて生きている人は、真の心の交流を体験することは非常に難し
い」と述べている。この世に生を受けた以上、<死>を避けられない人間は誰一人として居ない。そして
<生>と<死>は強力な補色関係にあり、<死>を強く意識することは<生>の色をより一層輝かせる。
“いかに死ぬか”と自分の人生の最期を思い描くのは、“いかに生きるか”をより真摯に考える材料と成り得
るのではないだろうか。
日本人独特の死生観の特徴として霜山徳爾(2003)は死後、残った魂が遠い処に行かず遺された者た
ちの近くに存在するという「『連続空間的な他界観』」を挙げている。霜山は<生>のうちに<死>があり、
<死>のうちに<生>があるといい、「人間は絶えず小さな死と、小さな再生をくり返しているもの」であり、
その繰り返しによって人生を成熟させていく生き物であると表現している。
多くの人が死を怖れ、自分が永遠に生きていくというような錯覚に陥った背景には日常生活から<死>
が遮断されてしまったことが背景にあるといえよう。昨今になって自宅での看取りが見直されてきたが、<
死>に近い人間は病院という隔絶された空間に排除され<生>の空間から覆い隠されてしまう。小さい
子供に<死>を説明する時、“星”やその他の寓話を引用したことはないだろうか。だが、<死>はメルヘ
ンではなく、否応なしに人が一生に一度は引き合わされる現実である。その<死>を忌み嫌うことは<生
>を否定することに他ならないのではないだろうか。現在,日本が世界有数の自殺大国として不名誉な名
を馳せているのも<死>の存在を軽んじて来た代償の一部ではないだろうか。一条真也(2005)は「美しい
死、豊かな死、平和な死、楽しい死、幸福な死というものがデザインされているだろうか」という疑問を投げ
かけ「『私は死ぬ』から『私は美しく死ぬ』へのデザインが必要」と提唱している。
では、個人が望む最期そして生き方をしていくにはどうしたらよいのだろうか。John Izzo(2008)は「死ぬ
までに知っておきたい人生の 5 つの秘密」として十全に生きる秘訣を「①自分の心に忠実であれ②思い
残すことのないように生きよ③愛になれ(愛を与え、受け取る人間であれi)④いまを生きよ⑤得るより与えよ」
と纏めている。
だからといって以上のことを実践しようとして即座に実行に移せる人々はそう多くはないだろう。キリスト
教圏では、“プレイヤー・ブック”という絵本のように美しい挿絵に合わせ子供向けに教義内容を噛み砕い
た表現で記した本が存在する。子供に<死>を考えてもらう時、日本の文化を土台として考えるならば出
来るだけ宗教色が少なく、分かりやすい「『連続空間的な他界観』」を意識してもらうことが必要であろう。
日本人の多くは無宗教である、という特異な人種として見なされがちだが前述したように祖霊崇拝などア
ニミズムに近い死生観を抱いている人が多いと柏木哲夫(2011)は述べている。Nancy Wood(1995)はネイ
ティヴ・アメリカンの発言を借りて「神は岩の中、木の中、空の中、至るところに偏在した」と述べている。こ
れは古来の日本人の山神信仰など自然との共生感覚と相通じるものがあるのではないだろうか。子供の
思考は大人よりも柔軟であり、純粋でもある。幼少期から<死>についての学びを始めることは“いかに生
きるか”を早くから考える格好の材料ではないだろうか。<死>についての教育が一生を生き抜くという強
靭な意志の礎となる希望がある。
子供に<死>を考えてもらう時、日本の文化を土台として考えるならば出来るだけ宗教色が少なく、分
かりやすい「『連続空間的な他界観』」を意識してもらうことが必要であろう。成長して、各々がそれなりの
信仰や宗教を持つようになったとしても、まずその土台づくりを大人たちが担う必要があったのではないか。
岩田慶治(2000)は「自分自身の、一人ひとりの『あの世』を築きあげるべく努力すること」を説いているが、
その入口は未だ用意されていない。
参考文献:
1. [曽野綾子,A・デーケン(編)], [生と死を考える], [春秋社], [220], [2003]
2. [河合隼雄], [子どもの宇宙], [岩波書店], [215], [1987]
3. [鈴木秀子], [死にゆく者からの言葉], [文藝春秋], [281], [1993]
4. [ジョン・イッツオ], [死ぬまでに知っておきたい人生の 5 つの秘密], [マガジンハウス], [253], [2008]
5. [岩田慶治], [死をふくむ風景[私のアニミズム]], [日本放送出版協会], [219], [2000]
6. [ナンシー・ウッド], [今日は死ぬのにもってこいの日], [めるくまーる], [121], [1995]
7. [一条真也], [ロマンティック・デス 月を見よ、死を想え], [幻冬舎], [272], [2005]
8. [柏木哲夫], [「死にざま」こそ人生 「ありがとう」と言って逝くための 10 のヒント], [朝日新聞出版], [224],
[2011]
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筆者による表現。