物語の所有、生きるためのフィクション - Tama Art University

2012 年度
多摩美術大学大学院
美術研究科
修士論文 /
2012 , Master Thesis , Graduate School of Art and Design , Tama Art University
「物語の所有、生きるためのフィクション / Story ownership , Fiction for living 」
逸見恒沙子
31112037
博士前期(修士)課程
絵画専攻
油画研究領域
Hemmi Hisako, 31112037, Oil Painting Field, Painting Course, Master Program
2012 年度
多摩美術大学大学院
美術研究科
修士論文 /
2012 , Master Thesis , Graduate School of Art and Design , Tama Art University
「物語の所有、生きるためのフィクション / Story ownership , Fiction for living 」
逸見恒沙子
31112037
博士前期(修士)課程
絵画専攻
油画研究領域
Hemmi Hisako, 31112037, Oil Painting Field, Painting Course, Master Program
2
目次
はじめに ̶̶̶̶03
第1章
過程の中にのみ存在する「多くの私」で成るわたし ̶̶̶̶04
1.
記憶する身体、自己の判別 ̶̶̶̶04
2.
言語の中に見る「私」、「ある」ということ ̶̶̶̶06
第2章
物語の持つ力、人生をサバイヴしていくためのフィクション ̶̶̶̶08
1.
なぜなしに身を置くこと ̶̶̶̶08
2.
「身」の見る夢 ̶̶̶̶10
第3章
物語の採集、制作について ̶̶̶̶10
1.
制作について̶̶̶̶10
2.
二つの部屋̶̶̶̶12
おわりに ̶̶̶̶14
参考文献一覧 ̶̶̶̶15
3
はじめに
わたしは毎日必ず夢を見る。これまではその夢を元に制作をしてきた。睡眠時にみる夢は不条理で支離滅
裂だ。そのナンセンスな物語に私は強烈に惹かれ続けている。
内容の濃い夢を見た朝は目覚めてしばらくその感覚を引きずってしまう。それは虚構ではなく実際の体験
として確かにわたしの身体に刻まれるからだ。
思いがけない夢を見たとき、それを馬鹿げているとして棄てさらず、しばらくはそれを「ほんと
うのこと」として、そこに留まってみるとよい。/夢分析などというが、無理に分析などしなく
ていいのだ。そのような実体験が大切なのである(1)。
私が、一人の私ではなく、多くの私を内包した私である、ということの実感を夢は与えてくれる。
わたしは殺人も犯したし、死刑にもなった。スパイであり男性教師であり、真っ白なただの固まりであり、
AKB48 のマネージャーでもあった。近親相姦もしたし、友人や動植物との性行為もした。中国のマフィア
に殺されかけたり、銀行員の美しい女性に恋もした。タップダンスをして脚がもつれる焦り、背中をヒルが
這う冷たさ、低音の素晴らしいノイズミュージック。全ては事実としてわたしの中に強く存在している。
ここではその夢という物語を所有することに対する考察をする中で、「私」という存在の曖昧さや不確か
さ、更には「夢」をも含めた「物語」というもののフィクションが持つ力について述べたいと思う。
(1)河合隼雄著「夢見る未来」河合隼雄、山田太一、共同編集「現代日本文化論 10 夢と遊び」岩波書店、p,242(1997)
4
第1章
過程の中にのみ存在する「多くの私」で成るわたし
1.記憶する身体、自己の判別
髪や爪を切った時に私が減った、と感じる人はいるだろうか。仮に事故や怪我で身体の一部を失ったとし
て、どこまで残っていれば私と実感できるだろう。
臓器やその他の器官が記憶をするということはテレビや雑誌でも取り上げられ、よく知られている事実で
ある。では一体何をもって「私」を定義づけることが出来るのだろうか。
松岡正剛はものごとの断片や境界、異端の持つ「弱さ」の新しい意味を探る著書「フラジャイル」の中で、
自身の胆石の手術の後、身体が思うように動かなかった出来事を振り返りこう述べている。
われわれは、つねづね自分はまるごと「一人ぶんの自分」だとおもいこみすぎているようだ。何
がそういう「私」という統合性を維持させているのか知らないが「俺は俺だ」という一体感がい
かに勝手な思い込みによってささえられていたかということは、かりにも内蔵をやられてみると
気がついてくる(2)。
彼はリハビリの過程で、歩行の際にはまず身体を前後ではなく左右に弱くゆすぶらなくてはならないこと、
寝返りをうつには首と膝と踵の瞬間的な連動を必要とすることなどを知る。その中でも階段を降りることに
ついて述べた箇所はとても興味深い。
そのとき、私の体は重力にたいしてちょうど二人ぶんに分かれているようだった。どうやらわれ
われの体というものは、たえず一人ぶんとか二人ぶんとか、またときには半人ぶんとか三人ぶん
とかを、気づかないうちに連続的に演じているらしい。/マルセル・デュシャンの「階段を降り
る裸体 No.2」1912「花嫁」1913 に描かれた動線も、じつは二人ぶんだったのである(2)。
彼の言う統合性とは果たして何なのだろうか。一体何が多くの「私」たちを繋ぎ合わせているのだろうか。
わたしは高校生の頃、ひどい偏頭痛に悩まされていた。偏頭痛の特徴とされる、こめかみの辺りがドクド
クと脈打つような痛みはとても堪え難いものだ。そんなときは頭が左右に大きく膨らんだり萎んだりするよ
うに思え、自分の頭がいつしか風船のように破裂してしまうのではないか、そんなふうにさえ思うのだった。
ある日学校の試験中に偏頭痛になり嘔吐したわたしは病院に行き、数日後に念のため頭部 MRI 検査を受け
ることになった。初めて自分の頭蓋内の画像を見たとき、あまりにもそれが自分のものだという実感がなく、
まるで他人事のように見たことを覚えている。
私たちは自分のことを皮膚の外側しか見ることが出来ない。それも目の届く範囲のみでだ。鏡や写真を通
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じておおよその自分を知る、しかしそれは映された現象でしかなく、そのもの自体ではない。知覚の行き渡
る範囲が自己だとするならば、麻痺してしまった身体の一部は個人のものではないこととなる。友人が指を
切ってしまったとき。家族がドアに足を挟んだとき。わたしは何かそのような場面を目の当たりにしたとき、
口を「い」の形にしてしまう癖がある。「い」とは「いたい」の「い」だ。実際に口に出すのは恥ずかしい
のでそこで止めるようにしている。だが、口が「い」の形にならずとも自分も同じように他人の怪我をした
箇所をさすりたくなるような経験をしたことがある人はいるだろう。それは同情や共感からくる感情だけで
はない。条件反射的に痛みそのものが飛び火するのだ。その瞬間私の身体は皮膚に覆われた私という殻の限
界を越え、数メートル離れた他者の身体まで増幅する。目の前の人間でなくとも、テレビや映画の登場人物、
更には動植物にさえ私たちは感覚を広げることが出来る。
上記の話は、見た目が人間にそっくりなロボットを作り、研究していることで有名なロボット研究者の石
黒浩が自身の制作したアンドロイドの遠隔操作について言及した際、同じようなエピソードを語っている。
アンドロイドの頬や身体をつついたり触ったりすると、遠隔操作している人間は不快に思ったり、同じ箇所
をくすぐったく感じるというものだ(3)。それだけ私たちの感覚は不確かなものであり、同時にそれをどこ
までも広げられるという可能性を秘めている。
幼い頃にルパン三世の「ルパン VS 複製人間」という映画を見た。クローン技術で一万年生きたマモーと
いう伝説の人物とルパンが、永遠の生命を与えるという賢者の石を巡って争うものだ(4)。
130 代目のマモーは巨大な脳みそを本体として念動力で自らのクローンを操っていた。幼心に「私」=「脳
みそ」なのだろうか、という漠然とした疑問を抱くと同時に、脳みそだけのマモーの不細工さ(青白い顔や
細くて小さい容姿だけでなく、存在の有様が)と、ルパンの軽やかな身のこなし(それは彼の軽やかでユー
モアのある思考と同様で)が強く印象に残った。
永遠の生に固執しすぎたマモーの生き方はぶざまに映ったが、生に固執することに対して私は否定的では
ない。限りある生への固執が、限りない生への固執に変容したとき恐ろしいことになる、と感じたのだ。
また、手塚治のブラックジャックの中で「絵が死んでいる!」という話がある。水爆実験により重体とな
った画家が核兵器の残酷さを絵に残したいとブラックジャックに手術を依頼する。脳以外を別の人間と入れ
替えた画家は絵を描き始めるが思い通りにいかない。そして一年後、放射能障害がついに脳をも侵し始める
と、画家はその苦しみ中で絵を完成させた後、死に至る(5)。
情報として脳に蓄積された痛みや怒りでは描けなかったものが、皮肉にも実際の身体性を伴って初めて表
現されたのだ。前述したルパン三世と複製人間の話を見たときのようなこと、更に身体の所有する記憶や痛
みについて考えさせられることとなった。
免疫学者である多田富雄は、免疫学の観点から「私」についての考察をしてきた。彼によると自己と非自
己を選別しているのは脳ではなく免疫だという。臓器移植などをすると、身体の中の免疫細胞が移植された
臓器を異物とみなして攻撃をするそうだ。そのため移植を受けた患者は術後、一生その免疫力を落とす薬を
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投与し続けなければならない。それは脳ではなく身体の細胞が「これは私ではない」と判断するからだ(6)。
つまり私たちの身体において、脳の指示よりも細胞の指示の方が強い力を持っているのだ。
近親者の場合その抵抗が少ないため、両親が病気の子どものために弟や妹をスペアとして「作る」事例は
近年多く見られている。IPS 細胞の研究などが発達して、いくらでも自分の身体のスペアが作れる時代はそ
う遠くない。虫歯治療として自分の歯を再生できる日が来たときに、恐らく私は躊躇しないだろう。(IPS
細胞は自分の細胞の培養から成るので、免疫の面でも気持ちの面でも抵抗は少ない)全てのパーツがスペア
で構成された「私」の核とは一体どこに存在するのだろうか。
人間の身体は常に代謝を繰り返しながら物質を入れ替え続けている。私たちの身体を構成している元素は
一年で殆ど全てが新しいものに入れ替わっている。
「私」とは揺らぎない絶対的なものではなく、継ぎ足しながら長年使われてきた秘伝のタレのようなもので、
はじめの頃のタレはなくなってしまうけれど、変わらぬ味に感じているだけなのかもしれない。
(2)
松岡正剛「フラジャイル」筑摩書房、p,113(2005)
(3)
石黒浩「ロボットとは何か
(4)
手塚治虫
(5)「ルパン三世
人の心を映す鏡」講談社現代新書、p,123(2009)
「絵が死んでいる!」ブラック・ジャック 9 巻
ルパン VS 複製人間」監督
吉川惣司
少年チャンピオン・コミックス
1987 年公開
(6)
多田富雄著「免疫・『自己』と『非自己』の科学(NHK ブックス)」日本放送出版協会、p,9 13(2001)
2.
言語の中に見る「私」、「ある」ということ
目覚めているときのわたしは「多くの私」の中の1人をその時々で無意識的に選んで生活している。それ
は多重人格などというほど大げさなものではなく、場面によって一人称を使い分けるような自然な行為だ。
英語の一人称が I ひとつなのに対して日本語の一人称が多数あることは西洋的な個のあり方と東洋的な個
のあり方の違いを顕著に表している。日本語は一人称がとても多く、方言などを含めると把握されていない
ほどだ。相手や場によって自分の一人称を変えるというのは、英語圏の人間からすると何とも不安定に思わ
れるのかもしれないが、他者との関係や過程のなかにのみ「私」を見いだすという考え方からすると常に変
わらない「I」は逆にとても奇妙に思える。
あるとき英語の勉強をしていてある疑問が生じた。「私には家族がいます」という文章を英訳すると、「I
have a family(私は家族を持っています)」となる。私が状態の中にいるのではなく、私が状態を所有する、
というのは不思議な考え方だと思った。
このような言語と思考の関連性は思想家のエーリッヒ・フロムが「生きるということ」の「現代の用法」
という章の中で触れている。フロムは近年の西洋の諸言語において名詞の使用が多くなり、動詞の使用が少
なくなったという語法の変化から思考の変化について言及する。彼によると、名詞が動詞の代わりに用いら
れ、「私は憎む」は「私は憎しみを持つ」へ。「私は考える」は「私は考えを持つ」へと変化してきたとい
7
う。本来過程や能動性は所有することができないはずだが、そのように語ることで、問題であるはずの私は
問題を所有した私へと変わる。
また別の例をあげるなら、「私はあなたに対して大きな愛を持つ」と言うのは無意味である。愛
は持つことができる物ではなく、一つの過程であり、人がその主体となる内的能動性である。私
は愛することができる。私は愛していることができる。しかし愛することにおいて、私が持つも
のは……何もない。実際、持つことが少なければ少ないほど、多く愛することができるのである
(7)。
フロムは「ある」
(存在する)ということの西洋的概念と東洋的概念を比較し「生きている構造は、なる時
のみありうる。それらは変化する時にのみ存在しうる。変化と成長は生命の過程に内在する特質である。」
と述べたうえで、東洋世界に見いだされる「生命を実体としてではなく過程としてとらえる」という哲学に
ふれている。
石黒浩は「人に心はなく、人は互いに心を持っていると信じているだけである」と述べる。人の表情や動
作を見ていて、そこに喜びや怒りを見て取ることはよくある。反対に自分の場合、いま悲しいのか、嬉しい
のか分からなくなるときがある。他人とのコミュニケーションを介することで、自分の考えや気持ちに気付
くということは多々ある。このことから、石黒氏は「社会がなければ、人間は自分のことを知ることができ
ない。」と語る、つまり他者の存在があってはじめて自己を知ることになるのだ。これは「生命を実体とし
てではなく過程としてとらえる」と語るフロムの考えと通じるものがある。社会の構造は確固たる個の集合
体ではない。個を繋ぎ合わせている編み目にこそ本質があり、全体として形を変えながら互いに影響し合っ
ているのだ。
「私」は他者との関係性や過程の中で存在し、日々変化し続けている。それは前述した元素が入れ替わり、
新しく代謝を繰り返す身体と同様に「秘伝のタレ」なのである。
(7)Erich Fromm、佐野哲郎訳「生きるということ」紀伊国屋書店、p40 44(1977)
第2章
1.
物語の持つ力、人生をサバイヴしていくためのフィクション
なぜなしに身を置くこと
これまでは「私」という存在の曖昧さや不思議について、様々な引用やこれまでのわたしの経験を持って
触れてきたが、ここからは物語、フィクションの話をしようと思う。
小説家の小川洋子は臨床心理学者でありユング分析心理学の日本での第一人者である河合隼雄との対談の
8
中でこう述べている。
生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それを
ありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を
物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思う(8)。
また河合隼雄は自身の行うカウンセリングについて「自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるよ
うな『場』を提供している」と述べている(8)。それは逆を言えば、自分の物語を見失ってしまった人たち
が問題を抱えることとなっているとも捉えられる。
私はこの「物語」というものの持つ力に着目してみた。人はなぜ長い間、物語を紡ぎ伝えてきたのだろう
か。どんな民族であれ、神話や民話を持たないものは存在しない。それは私たち人間が生きるために睡眠や
食べ物が必要不可欠なように、物語を持たずには生きられないことを示している。
劇作家の渡辺えり子は高校生のころに見たテネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」を見たときの感
動を振り返りながら主人公トムについてこう語っている。
ここではない別の世界。現実ではない虚構の世界へ避難してはまた帰ってくる。いつかは覚め
る夢のように、映画はエンドマークを印し、いかんともしがたい現実は、いつものように目の前
にある。それでも映画に、生きて生活するために映画に出かけるのだ(9)。
ここで彼女が述べているのは映画という夢についてであるが、寝ているときの夢も同じであるといえよう。
更に、私が夢を見る時には避難すべき現実を背負うような切実さは伴っていないのだが、「生きて生活する
ために映画に出かける」という感覚にはとても共感を覚える。映画を観ても現実の問題は変わらない。けれ
ど映画の登場人物と共に過ごした時間は観るものに小さな変化を与える。
大学3年の時、制作の行き詰まりから他者の意見や評価に左右されてしまい、自分が何をしたいのか分か
らなくなったことがあった。その頃、偶然姉のいる岐阜を訪れ、バスの中でトーベ・ヤンソンの「ムーミン
谷の11月」を読んだ。この巻は最終話でありながら、ムーミン一家が誰も出てこない。主人公不在の中、
人恋しさに家を訪れた者たちは互いに小さく影響しあいながら、それぞれの時間を過ごす。その中にフィリ
フヨンカという神経質でいつもばたばたしているキャラクターが登場する。
物語の後半、みんなにおさかなのプティングを振る舞った夜。真っ暗やみが大嫌いなフィリフヨンカがゴ
ミ出しをしに外へ出ると、スナフキンのハーモニカの音色が聴こえてくる。
フィリフヨンカは、人も自分も気がついていないけれど、ねは音楽ずきでした。フィリフヨンカ
は、こわいのをわすれていました。/台所のあかるい光を背中にあびて、ひょろ長いフィリフヨ
ンカのすがたが、くっきりとうきだしているのです(10)。
9
勝手口に佇むフィリフヨンカの挿絵を見た時にわたしの中で何かがすとんと落ちた気がした。うまく言え
ないけれど、もう大丈夫だと思った。救われる、というほど大げさな体験ではないけれど、物語に没頭して
いるうちに私まで「こわいのをわすれて」いたのだ。
理論や理屈の中で物事を考えていると理解出来ないことは現実にも多々ある。実際に私が「大丈夫」と思
った根拠は何も無い。フィリフヨンカというキャラクターと自分を同化させ、彼女の精神の安定が自分の精
神の安定に繋がったからだ、と分析することもできるが果たしてそうだろうか。わたしは「なぜなし」の中
に身を置いたことで楽になったのだと思う。
この「なぜなし」とは河合隼雄の著書に多く見られる言葉である。彼は様々な著書の中で人が「何故」無
しに生きることの大切さを、絵本や童話を通じて説いてきた。
ファンタジーの本質は「なぜなしに存在し、なぜなしに納得させられる」ことではないだろうか。
/中世ヨーロッパの大賢人、マイスター・エックハルトは、人間は「なぜなしに生きる」と喝破
している。なんのためにとか、なぜなどと言うことはない。人間はなぜなしに生きているのだか
ら、人生を語るファンタジーは、なぜなしに成立する(11)。
なぜ?と考えることを否定するのではなく、解けない問いがあることを受け入れること、理屈や論理で物
事を全て理解しようとしないことが大切なのではないだろうか。
夢を見た朝、すぐにそれを忘れてしまうでもなく、意味を探ろうとするのではなく、そこでの色、匂い、
時間、できごと全てに「なぜ?」を問いかける前に、それが確かに存在したこと、その物語のただなかに、
さきほどまで自分がいたということ、それを認識したいとわたしは思う。
(8)小川洋子、河合隼雄「生きるとは、自分の物語をつくること」「考える人」新潮社、p,27(2008)
(9)渡辺えり子「夢見る、ということ」河合隼雄、山田太一、共同編集「現代日本文化論 10 夢と遊び」岩波書店、p,146(1997)
(10)トーベ・ヤンソン、鈴木徹郎訳「ムーミン谷の11月」講談社文庫、p,150(1980)
(11)河合隼雄「猫だましい」新潮社、p,74(2002)
2.
「身」の見る夢
ここまで、身体、脳、細胞(免疫)、言語などの観点から「私」に対する考察をしてきたが、それらは本
来分けて語られるようなものではない。そこでは、悲しみが身体の痛みを引き起こすような、身体の快楽が
喜びをもたらすような、複雑に絡み合う相互運動が果てしなく繰り返されている。
河合隼雄は著書「明恵、夢を生きる」の中で、身体論者であり哲学者であった市川浩の著書「<身>の構造」
に触れながら「身」というものについてこう述べている。
1
0
「身にしみる」、「身に覚ゆ」、「身にこたえる」などの用法が示すとおり、人間の「全体存在・
こころ」を示す事実は注目に値する。つまり、わが国においては、身体と心という分離がそれほ
ど明確ではなく、両者を包括する「み」という概念が存在するのである。この点について、市川
は「<身>は、内から心までをふくむ生き身としての人間存在全体をあらわすことばである。し
かもその統合は単なるハイアラキー型の統合ではなく、他者はもちろん、人間以外をふくめた他
の<身>との多岐的・多重的なかかわりのなかで生起する網目状の統合である。」と述べている
(12)。
そう考えると、わたしが以前物語の中に身を置いたことで楽になったのにも納得ができる。身体や思考や
情報など、バラバラとなってしまった「身」が「なぜなし」の中に存在したことで、統合させられたのかも
しれない。
(12) 河合隼雄「明恵、夢を生きる」京都松柏社、p,102(1987)
第3章
1.
物語の採集、制作について
制作について
夢を見るということに、自分で物語を創造しているという感覚は殆どと言っていいほどない。それは体験
であると同時に、発掘にも似た作業だ。朝目覚めてそのまま先ほどの体験を枕元のノートに記録する日もあ
れば、手のひらに乳液を出した瞬間に思い出す夢もある。
糸口だけが見えていて、その先が思い出せないときは、目を閉じてその夢に寄り添いながら、形を掘り下
げてゆく。それはいわば見知らぬ真っ暗な洞窟を、奥へ奥へと進んでいった先に発見する壁画ようなものだ。
物語は既に完成していて、わたしはただ足を進めてそれを採集してきたように思っている。そこにはわたし
の知らない物語が見知らぬ姿で描かれており、初めて目にしたわたしはただただそれを驚きを持って見つめ
る。
わたしは夢を絵コンテに描き起こすという作業をしてきた。それは映像のための下書きではない。既に観
てしまった完成された映画のような夢の前段階、という位置づけだ。そこには創造の実感はなく、語り口や
場面の取捨選択の編集こそあれ、ただ日記を描くように体験や目撃したものを描き写してきた。そうして出
来た絵コンテを人に見せていく中で、わたしの中にもっと証拠を残したいという欲求が生まれてきた。わた
しが確かにそれを体験したという痕跡を強い実感を持って他者に観てもらうためにはどうしたらよいのだろ
うか。
1
1
そんなことを考えていた頃に偶然アルバイト先でポラロイドカメラを貰った。そしてわたしは夢の中の象
徴的な場面を再現し撮影することで、私の見てきたものの証拠写真を撮れるのではないかと考えた。ポラロ
イドフィルムは消費期限の切れてしまったせいか、やけにぼんやりとした質感となった。それはまるで思い
出そうとしても鮮明に思い出せない夢の感覚とどこか似ているように思えた。
更にわたしが興味深く発見したことがある。フィルムがカメラから吐き出された瞬間、それは本当にただ
の再現でしかなく偽の証拠写真でしかない。しかし、そこにテキストを加え展示をし、何度も何度も観てい
るうちにそれが偽物でなくなってくる瞬間が訪れたのだ。元の夢の記憶のほうが曖昧になり、再現した偽の
記憶が真実味を増してきた。そしてその夢を思い出すときには、自分の撮影した偽のイメージの方が実際に
見た夢よりも先に現れるようになった。
「去年マリエンバートで」という映画がある。パーティーの中で見知らぬ男が主人公である女性に「私たち
は去年マリエンバートで愛し合いましたよね?」と延々言い続けるというだけのストーリーだ。女性は否定
し続けるが、映画のラストではついに「そうだったかもしれない」と言う(13)。人間の記憶や考えは曖昧
であやふやだ。繰り返し言われる事で、彼女の中の真実が徐々に変容していく。
本当の記憶などあるのだろうか。認知症の祖母は人から聞いた話を自分の経験として話すことがある。他
人の過去を自分が見てきたことのようにありありと語る彼女は嘘をついているのではない。それは彼女にと
って真実なのだ。
大量に見た夢の物語は日々蓄積されていく。それらが行き場を失い、現実のわたしを浸食しようとしてく
る瞬間がある。忘れ去られた物語は普段の生活の中に唐突に現れる。騒音の中の一音、コップを手にした感
覚、会話の中の一瞬、何かが契機となってそれは現れる。サブリミナル効果のように現実のタイムライン上
に一瞬差し込まれる薄いほんの一瞬の場面。それを引き伸ばして見てみたいという衝動にかられる。すぐに
でも消えてしまいそうな、そのワンシーンをそっと見ると朝起きた時には思い出せなかった夢の物語が出て
くる。忘れていたけれど、確かに体験した、けれど現実とは明らかに質感の異なる経験の記憶が蘇ってく
る。
ある日、自分の部屋でビデオデッキを再生するとテレビの映像とビデオの映像が混ざって再生されること
に気が付いた。台風の天気予報に、情けない顔のエドワード・ノートンがちかちかと重っては消えた。それ
はまるで現実にひょっこり顔を出す夢のようで奇妙な感覚を覚えた。
そこから着想を得て、白い水を張ったバスタブにプロジェクターで映像を投影するという作品を作った。
深夜、灯りをつけずにお風呂に入っていて窓から入った光が浴槽のお湯とわたしの身体にてらてらと映った
ときのことを思い出して制作をした。更に、わたしは以前から夢というものに日常の記憶が蓄積されたダム
から生成されたものだというイメージを抱いてきた。
ビデオとテレビの重なる映像を記録したもの、(録画しておいた NHK ドキュメンタリー「プーチンのロ
シア」を再生したとき、テレビではちょうどクローン人間の織りなすコメディ映画「クローンズ」が深夜放
送されていた。)以前見た夢の断片をアニメーションにしたもの、通学路にあるトンネルの天井に残された
1
2
雨の流れた痕跡(わたしはそれを魚のように見えるフォルムと大きさから「クジラ」と呼んでいた。深海で
聴く音はトンネルの中で聴く音と同じなのではないかと勝手に想像していたという理由もある。)
アトリエの中に置かれた大きな水色のバスタブ、そこに張った白い水が日常の断片と夢の断片を次々と映
し出していた。わたしは夢の物語そのものにも惹かれているが、最終的には現実と夢の交わり合う場所に興
味があるのだと思う。文学の授業で小説を書いている。そこで夢の話と現実の出来事を平等に記録した日記
のような文章を書いた。しばらくして、「電車、プラットホーム」「洗濯機、円」「うねるもの」の頻出を指
摘された。意図したものではなかったが、何かを暗示しているように思えた。移動する直線、ぐるぐると回
る円、波線。みっつの図形が何を表しているのかは分からないが、もしかすると夢と現実、こちらとあちら、
そのふたつの場所を行き交う記号なのかもしれない。現実と夢の関係性は常に形を変えてゆく。穏やなグラ
デーションを描きながら交わり合い、時には互いを飲み込み合いながらもぴったりと寄り添い合って、わた
しの中に深く存在し続けている。
(13)「去年マリエンバートで」監督、アラン・レネ(1961 年公開)
2.
二つの部屋
わたしはこの文章の中で無意識や曖昧さをひたすらに尊重してきたが、一方それだけに偏ってはいけない
とも思う。それは交感神経と副交感神経のように互いがちょうどよいバランス関係であることが大切なのだ。
数学者であった岡潔について、中沢新一は著書「芸術人類学」の中でこう触れている。
創造に手をかけたようにしている心の内部で決定的な働きをしているものを、岡潔は『情緒的な
知性』というふうに表現しました。情緒的な知性は論理的な知性とはちがって、全体を一気にと
らえる思考をおこないます。しかもそれをおこなっている人の心では、ものごとを分離する能力
をもつ論理の働きは、自分のまわりの世界の出来事やいろいろな存在に強く結びつけていく別の
心の働きと一体になって、まるで自分が思考しているのか、世界が、いや宇宙が思考しているの
か見分けもつかないような状態になっています(14)。
岡潔は数学者でありながら「私の心は論理を中心にできあがっていない」と語る。論理的な思考と情緒的
な思考、「いわば二つの『部屋』でできているという考え方」なのだそうだ。自分が思考しているのか世界
や宇宙が思考しているのか分からなくなるという感覚は、ここで先に書いた感覚の広がりの話と繋がる。夢
はちょうど世界や宇宙とわたしとの間にあるトンネルのような道のなかに描かれているのかもしれない。
中沢新一が言うように「現代人の『心』では、論理的思考をおこなうための左脳の機能が、直感的で情緒
1
3
的な右脳の機能を圧倒している」のならば、世界のバランスはやや左に傾きすぎているのではないだろうか。
論理の部屋ばかりで考えられた思考ではどこにも分類できないグレーが世界には沢山ある。わけのわからな
い物語に出くわした時、私たちはそれらをカテゴライズすることで、それらを理解した気になり安心する。
けれど、それでは先の分からない物語に身を委ねるという夢の醍醐味を味わうことは出来ない。
(14)中沢新一「芸術人類学」みすず書房、p,28(2006)
1
4
おわりに
わたしは普段の生活で、何かを全て分かったような発言を耳にすると、とても退屈に感じる。近年流行し
た「自分探し」というものに対しては強烈な違和感を覚えた。探した先に果たして「本当の自分」などいる
のだろうか。しかし、そう考えながらも日々の繰り返しを生きているとつい自分も何かを分かったような気
になってしまう時がある。そうして訳の分からない夢を見て「まだまだ自分すら分からないくせに」と夢に
笑われたような気持ちになるのだ。
目覚めている時は自分をコントロールしようとしてしまう。私は昔「こうでなければいけない」という目
に見えない力に縛られていた時があった。よく、小さい頃は夢を見たけれど大人になってからは見なくなっ
た、という話を聞く。私の場合はその逆だ。幼い頃もよく夢をみたが、大きくなるにつれその物語は肥大化
し自由に私の身体を占有し始めた。成長と共に制限が無くなって視野が広がり、自分をコントロールしよう
とする力が抜けてきたためだと思う。先の分からない物語に安心して身を委ねる術を身につけたのだ。河合
隼雄は「明恵
夢を生きる」の中でこう述べている。
合理主義によって武装された自我は強力であるが、それは完成したものではなく一面的存在であ
ることを免れ得ない。/夢は無意識からのメッセージを睡眠中の自我がそれなりに意識化したも
のと考える。/夢の内容を自我の合理性に固く縛られてみるかぎり、ナンセンスと思われること
が多いのであるが、その内容を自我を少し超え、現在の自我をより高次なものへと引きあげるた
めの異質な世界からのメッセージとして見るときは、大きい意味をもってくることがある(15)。
河合隼雄は臨床心理学者であり、夢の分析を行っていた。私も夢の分析に対しては興味があるが、安易な
素人の分析は行うべきではないと思う。河合隼雄自身も著書の中で「せっかくの夢も誰かが誤った判断を下
してしまうと、その判断のほうに事象がひきつけられてゆく……」そして、夢自体の効力を歪めてしまう、
と述べている。更に、「夢分析を行なおうとするものは強力な合理性を身につけ、なおそれを超えて、敢え
て非合理性の世界と向き合う姿勢をもっていることが必要である…」とも述べている。
キーワードなどで安易に判断する夢診断などはするべきではない。それはただの記号でしかない。それよ
りも私は夢の物語そのものの持つ不条理なエンターテイメント性を重視している。強力な合理性がなくとも
それを楽しむことは誰にでも出来る。映画館へ行って映画を見るように布団に入り夢を見るのだ。
わたしはいまだ知らないわたしと毎夜交信し、現実と夢の境目で朝目覚める。その裂け目を縫うような仕
事をしたくてこれまで制作をしてきたのかも知れない。
(15)河合隼雄「明恵、夢を生きる」京都松柏社、p,36,43,44(1987)
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参考文献一覧
石黒浩「ロボットとは何か
人の心を映す鏡」講談社現代新書(2009)
小川洋子、河合隼雄「生きるとは、自分の物語をつくること」「考える人」新潮社(2008)
河合隼雄「猫だましい」 新潮社(2002)
河合隼雄「明恵、夢を生きる」京都松柏社(1987)
河合隼雄、渡辺えり子「夢見る未来」
「夢見る、ということ」河合隼雄、山田太一、共同編集「現代日本文化
論 10 夢と遊び」岩波書店(1997)
多田富雄著「免疫・『自己』と『非自己』の科学(NHK ブックス)」日本放送出版協会(2001)
手塚治虫「絵が死んでいる!」ブラック・ジャック 9 巻
少年チャンピオン・コミックス(1976)
中沢新一「芸術人類学」みすず書房(2006)
松岡正剛「フラジャイル」筑摩書房(2005)
Erich Fromm、佐野哲郎訳「生きるということ」紀伊国屋書店(1977)
トーベ・ヤンソン、鈴木徹郎訳「ムーミン谷の11月」講談社文庫(1980)
「去年マリエンバートで」監督
「ルパン三世
アラン・レネ(1961 年公開)
ルパン VS 複製人間」監督
吉川惣司(1987 年公開)
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