平成 26年 8月 27日発行

第111号
平成26年8月27日発行(1)
< 夢を乗せて SL銀河C58 >
花巻・夏の思いで
オカリーナ奏者 五十嵐 正 子
だきました。この譜面台こそ記念館を初めて訪れ
た時、チェロとともに心ひかれたあこがれのもの
その日の空は、
『光でできた
パイプオルガン』がいっぱいに
だったのです。楽器はピアノとオカリーナ。これ
で舞台は整いました。
『星めぐりの歌』
を舞台の方に歩きながら吹いて
広がっていました。さっき雨が
強く降り、それまでの蒸し暑い
行き、譜面台の前に立ちました。たくさんの人を
前にして、私はここにいることの幸せと緊張感で
空気が爽やかな風に変わるのを
感じていました。
そんな夏の日、いつも思い出
いっぱいでした。そしてその雰囲気の中で、賢治
さんの「行ッテ」の文字を思い浮かべていました。
思いをオカリーナの音に込めて、第1部をソロ
すことがあります。3年前、宮沢賢治記念館でコ
ンサートの企画をしていただきました。あの東日
本大震災から4カ月になろうという7月2日のこ
とです。
窓の向こうの木々の緑が美しく、その風景を
で、第2部をピアノの林秀さんと演奏したのでし
た。最後の『アヴェマリア』は、この曲を吹くと
きはいつもそうなのですが、いろいろな思いがこ
み上げて来て譜面がにじんで見えました。
この4日前、6月2
8日には「宮沢賢治・風のセ
バックに、賢治さんがカルテット用に製作しても
らったという譜面台(レプリカ)を置かせていた
ミナー」の講師として、花巻市立笹間第一小学校
を訪れました。雨がザーッと降った後、夏の太陽
宮沢賢治記念館通信
(2)
第111号
が校舎を照らしていました。体育館には子供たち
がきちんと並んでいます。オカリーナを吹き始め
るとオッというような反応はあるのですが、まだ
寺、高村山荘まで足を伸ばしています。
「バスの
運転手さんが待っていてくれた。
」
とのメモもあり
ます。久しぶりに開いた一冊のファイルは、懐か
お互いに緊張状態が続いています。そんな空気を
打ち破ることが起ったのです。体育館の屋根をダ
ダダダーッと走って行くような物音がしました。
「風の又三郎」かな?窓の外の木も大きく揺れて
います。一気にうれしくなって賢治さんの世界を
しさと同時に、3
0年前の花巻の風景がよみがえっ
てくるものでした。
花巻につながる新潟の夏の思い出は、「マグノ
リア」創刊号が1
9
9
5年7月4日に発行されたこと
です。
「にいがた賢治の会」が発足し、講師の斎藤
感じながら進めていくことができました。
最後に、
『雨ニモマケズ』を全員が立って暗誦す
る姿も、その声と一緒に私の中にズーッと残って
文一先生の命名で「マグノリアの会」としました。
会報「マグノリア」は1
2号の(19
9
9年)、4年5ヶ
月で終了しました。楽しい日々が思い出されま
います。夏のすてきな思い出として。
記念館に初めて来たのは今から約30年前のこと
す。創刊号には「宮沢賢治といっしょに―新しい
生命の道のために」と題した先生のメッセージが
です。『銀河鉄道の夜』の舞台花巻と、
『遠野物語』
の舞台遠野への一人旅でした。その時の旅のファ
イルを見ますと、メモに「ここはいいぞ!と直
書かれています。そのかなたにあるという創造の
森をめざし、私は歩んでいるのだろうか、と時々
このことばの森にさ迷い考え直しています。
感。
」と書いています。カルテット用の譜面台のス
ケッチもあります。
「チェロも原稿も展示物はみ
1
9
9
5年は、私の賢治祭デビューともなりまし
た。
「イーハトーブ・サロン」で『耕母黄昏』と
んな魅力的。本物と出会えるところ。」と、時間を
忘れてしばらくいたようです。その日は遠野へ行
『星めぐりの歌』を吹いたオカリーナが、賢治さ
んをめぐる人々との素敵な出会いとなり、花巻へ
き、2日間自転車で巡り、また花巻に戻りイギリ
ス海岸、賢治詩碑と歩き、鹿踊りパレードを見物
の大きな吸引力となっているのです。
新潟の空を眺めながら、賢治さんの世界を探し
しました。4日目の朝はまたイギリス海へ行き、
スケッチをしています。1時間ほどいると潮風に
あたっていたように体中がしっとりとして、本当
ます。それは、花巻へ通じる夏から秋へのハーモ
ニーとなって響いてきます。『ちからのかぎり そらいっぱいの 光でできたパイプオルガンを弾
に海外にいたような不思議な感覚を今もはっきり
と覚えています。それからぎんどろ公園、身照
くがいい』と。
農民が明るく楽しくと実践した
花巻の2人、島善鄰・宮沢賢治
あり好んで訪れた場所だったようです。戦前の映
画、
「風の又三郎」のロケ地にもなりました。
私の住する石神町は豊沢川の
河岸段丘に拓けた町です。上段
この場所で1
95
3年(昭和2
8年)雪印乳業K・Kが
乳製品工場を操業しました。この工場は本州進出
第1号として、2
0
0
2年(平成1
4年)に停止するま
で、酪農の拠点として、農民を励まし続けました。
花巻の誘致企業の先駆けでした。
の万丁目原南端には19
23年(大
正12年)花巻農学校が開校しま
した。程なく、日蓮宗花巻所、
この工場の花巻への進出には、この時の北海道
大学の学長、島善鄰(よしちか)氏の尽力があっ
たことは聞いていました。そこで、本年8月9
宮沢賢治・花巻市民の会 会長 阿 部 彌 之
1 はじめに
そして、身照寺となり、宮沢賢
治の墓所となりました。中断には、江戸時代に城
日、没後5
0年を迎える「リンゴ博士 島善鄰先生」
を宮沢賢治との関係で紹介します。
(以下、
「島先
代によって整備された鼬幣(いたちべい)稲荷神
社があり、電車(西公園―大沢温泉、西鉛線)が
走っていました。この稲荷神社の神主の息子が、
生」
)
阿部孝氏であり、宮沢賢治の新しい友人でした。
下段の豊沢川左岸は、賢治の岩石標本探取地で
島先生は8月2
7日、宮沢賢治より7年早い同日
2 島先生はピンと背筋を伸ばして生きた
に誕生しました。島先生の父上、時中(ときなか)
第111号
宮沢賢治記念館通信
氏は職業軍人で各地を転々としたため、島先生の
出生地は広島市と記録にはあります。しかし、島
先生が9歳の時、父が東京第一師団の在任中に急
逝しました。
そこで、大々叔、忠之氏は残された母子8人を
引き取り矢沢で育てました。島先生は5男でし
た。島家は代々武士階級でした。大々叔、忠之氏
は江戸に出て「経史」や「医術」を学び、幕末の
動乱期には、南部藩を脱藩して、長州藩に身を投
じて転戦しました。盛岡へ進駐し藩の使番となり
活躍した人物と記録されています。岩手師範学校
の教諭にも名を連ねています。
この大々叔は島先生たち兄弟を教え、厳しく躾
けました。そして、1901年(明治34年)に91歳で
往生しました。
島先生が、矢沢高等小学校から盛岡農学校に進
学したのも農場実習で体力を付けて、将来、社会
的に有意な仕事をすることができるように勧めら
れたからと語っています。身長は15
0㎝ 台で、目
立たない少年ながら、几帳面で時間に厳しく、集
中力を発揮していたと友人たちが証言していま
す。
寮生活では、
「賄退治」と呼んだ、食堂からの食
品略奪や門限破りなどには絶対荷担することな
く、健康体操には率先して取り組んでいたと云い
ます。生涯、
「自彊術」を朝には欠かすことなく取
り組み、健康増進に努力した。
盛岡農学校へ花巻から進学した島先生と松岡信
男氏はさらに上級学校へと進学するが、この点で
も島先生は頑固に自分の道を貫き通した。
松岡氏は獣医科であったが、旧制二高―東京帝
大法学部―海運会社と進んだが、農科だった島先
生は農科大学予科―農科大学―農科大学助手(研
究者)と一直線に進んだ。
そして、1916年(大正5年)恩師 星野勇三先
生に青森県への出向を命じられて、農事試験場技
師となった。目的であった青森リンゴの危機救済
を「青森苹果(りんご)減収の原因とその救済策」
の報告書にまとめて、その道筋を明らかにした。
この仕事がリンゴの神様の敬称となり、青森県で
の12年間の苹果研究が不動の評価となった。
3 宮沢賢治と島先生との浅からぬ間柄
島先生は、1
918年(大正7年)花巻町の大地主、
瀬川彌右衛門(3代目)の次女、浦子さんと結婚
(3)
しました。この浦子さんは宮沢トシさんと花巻高
等女学校1回生で同級生で友人でした。その上、
浦子さんの兄、周蔵氏(4代目彌右衛門)に宮沢
賢治・トシの母、イチの末妹コトさんが嫁いでい
ます。瀬川家と宮沢家とは親戚でした。
島先生と宮沢家との記録をまとめました。
4 宮沢賢治と島善鄰
宮 沢 賢 治
島 善 鄰
19
13年
盛岡中学5年生(17才) 東北帝国大学農科大学
(大正3) 修学旅行、札幌にて農 3年生(25才)
5月2
4日 科大学見学
(札幌)
19
23年
花巻農学校教諭(27才)
(大正12) 樺太旅行中、札幌、青
7月31日∼ 森経由す
8月12日
青森県農事試験場技師
青森県黒石町在住(3
5
才)
※19
32(大正7)浦子
さんと結婚
19
24年
花巻農学校教諭(28才) 同上(36才)
(大正13) 修学旅行で生徒引率。 ※学校、佐藤昌介(6
9
5月2
0日 北海道帝国大学、農場
才)
見学
※浦子義姉コト(賢治
の1才年長の叔母)
逝去。
19
25年
(大正14)
6月2
1日
9月中旬
花巻農学校教諭(29才) 同上(37才)
弟、清六氏を弘前歩兵
第3連隊へ慰問。弘前
連隊兵舎
山田野演習場(鰺ヶ沢
付近)
5 まとめ
農民が明るく暮らす農業のための教育と研究を
実践した島先生と宮沢賢治の2人は、もしも会話
したとすれば、相手の言葉に肯き合うだけだった
に違いないと信じています。
島先生は安定したリンゴ生産のために名著「実
験リンゴの研究」
(昭和6年)を著し、病虫害の生
態を解説して防除方法を平易にまとめ、
「防除暦」
として普及させて、今日でも利用されています。
宮沢賢治は膨大な文芸作品で農民を励まし、若
い農民たちには「修学旅行復命書」
(大正1
3年)の
中で、
「花巻に独創的な産物なく、然も近時温泉地
方の発達に伴ひてその需要大なるものあればな
り。‥・蜜漬の胡桃、みづの辛子漬、菊芋の富錦な
ど製造さへ成らば販路更に大ならんのみ。
」
と実に
現在でも通用する課題を指導しました。
島先生は7
4才で逝去して、5
0年経ちました。静
かに語り合う2人の会話を聞き漏らすまいと耳を
そばだてています。
宮沢賢治記念館通信
(4)
一葉と賢治と 木
千葉県松戸市 仙道
作三
この数年、一葉、晶子、芭蕉、一茶、牧水らの
和歌、短歌、俳句の約25
0以上に作曲したが、とき
どき、文学講座や文学散歩の講師として声がかか
り案内をする。樋口一葉の場合、東京文京区本郷
菊坂町や東大赤門界隈で、
「賢治が25才の年に家
出し、あそこの2階に間借りして住んでいた。こ
の辺の出版社でガリ版を切っていた。
『注文の多
い料理店』に登場する山猫軒の名前だ。木が下
宿していた理髪店だ。
」などと話が脱線してしま
う。
一葉は1
8才から2
1才までをこの菊坂町で過ご
トピックス①
国道から記念館までの 階 段 完 成
第111号
し、少し離れた丸山福山町で、小説「たけくらべ」
「にごりえ」
「十三夜」等の名作を生み出し、明治
2
9年11月2
3日、24才半で亡くなるが、賢治はその
4ヵ月前に生まれている。
賢治は僅か7ヶ月半ではあるが、菊坂町の一葉
旧居から少し離れた所に住み、猛烈な勢いでトラ
ンクいっぱいの原稿を書き、妹トシの病気もあっ
て花巻へ帰って行った。
一千年も続いた和歌が一葉の時代で終わり、新
しい短歌や新体詩が生まれた。賢治の詩作の原初
は短歌にある。その魅力は、ヤマト言葉の韻律で
はなく、ストイック(禁欲)な身体に内在する
「賢治語の律動」にあるのでは、と思っている。
トピックス②
南斜花壇/日時計花壇
平成26年5月、花巻市の「賢治のまちづくり推
進事業」として国道から賢治記念館に通じる36
7段
(木の階段部分)の長い階段が完成しました。こ
れまで歩いて来館される方は、車道を歩かなけれ
ばならなかったのですが、これからは雨の日も安
全に来館できます。
段数が多いので、踊場で休みながら、どなたさ
まもごゆっくり上ったり下りたりしてください。
宮沢賢治記念館の南側の斜面に南斜花壇、その
下側に日時計花壇があります。
(記念館の門の所
から、石の階段を下りて行きます。
)
駅舎をもした屋根付きのレトロ調の階段
この花壇は、賢治さんが書いた設計図と手紙を
もとに昭和6
3年に造られました。
今年もサルビアやインパチェンスなど赤や黄色
の花がいっぱいです。記念館と合わせてどうぞご
覧下さい。
第111号
宮沢賢治記念館通信
(5)
(平成26年5月31日(土)
実施)
大瀬川歴史クラブ(代表 菅原得之氏)の企画で
参加を募った方と賢治記念館で募った方の総勢30
好
天
の
青
ノ
木
森
山
頂
名が、宮沢賢治の童話「楢ノ木大学士の野宿」の
モデルとなった青ノ木森(標高83
1㍍)を探訪する
とともに、付近の熊棚や段々ノ滝を探索しました。
作品の舞台となった青ノ木森(花巻市石鳥谷町)
は、今まで登山道が不明でしたから、参加者には、
賢治ゆかりの地を自分の足で登り、自分の目で確
かめたいという熱い思いがありました。
当日は絶好の好天に恵まれ、大瀬川振興セン
ターに集合し、車で1時間ほど走ったあと、電波
反射板管理用の急な坂道を1時間半ほどかけて、
頂上を目指して登りました。
頂上では、牛崎敏哉賢治記念館副館長が「物語
は、葛丸火山が爆発し、それが陥没してラクシャ
「ははあ、あいつらは岩頸だな。岩頸だ、岩
頸だ。相違ない。
」
そこで大学士はいい気になって、仰向けの
まま手を振って、
岩頸の講義をはじめ出した。
(楢ノ木大学士の野宿から)
ン四兄弟の山ができた。実際に青ノ木森は噴火し
た山に見られる安山岩でできていて、賢治さんの
作品に対する思いや奥深さを感じさせる。」と紹介
しました。
周りには木々が生い茂り、雄大なカルデラの景
観を見るなどということはできませんでしたが、
菅原代表は、
「地元の人でも分からなかった場所
を確かめることができた。古里の宝として大切に
語り継いでいきたい。」と話しました。
牛崎副館長の説明を聞き入る参加者
森が一斉にこたえました。
宮沢賢治記念館では6月22日、賢治の童話「狼
森と笊森、盗森」の舞台である雫石町の小岩井農
場を中心に探索会(参加者19名)を行いました。
バスで小岩井農場に行き、ガイドの野沢裕美さ
んの案内で狼森の頂上(38
0m)を目指しました。
広大な牧草地の小道を通ると、いよいよ登り口。
「ここに家建ててもいいかあ。
」
「ようし。
」
森は一ぺんにこたえました。
菅原さんは、
語りの雰囲気を出すために、
絣の着
物を着て大きな背負い笊まで準備してくださいま
した。
笹藪の斜面は農場の方が登りやすいように刈り
払ってくれていましたので、25分ぐらいで頂上に
着くことができました。
さっそく頂上にビニルシートで臨時の会場を設
えて、雫石語りっこの会の菅原好美さんの「狼森
と笊森、盗森」の朗読の世界に浸りました。
「ここへ畑起こしてもいいかあ。」「いいぞお。
」
狼森の頂上での読み聞かせ
宮沢賢治記念館通信
(6)
第111号
その後、小岩井農場が建てられた賢治の詩碑
「すみやかなすみやかな万法流転のなかに・・・」
や国登録の数々の文化財を見学しました。
ことなどの丁寧な説明をお聞きしました。
参加者からは、「賢治も訪れたであろう狼森の
頂上での語りは、作品の世界により深く入ること
午後からは、まきばの天文館の見学でした。あ
いにく曇り空のため太陽の黒点を観ることはでき
なかったのですが、天文館の歴史や星空観察会の
ができて満足した。
」
「今度は、銀河鉄道の夜を思
い浮かべながら星空を観察したらどんなにか楽し
いだろう。
」という感想をたくさん頂きました。
得ないという考え方、何よりも、行ッテ看病シ
テヤリ、行ッテ‥と実際に行動しなければ何に
もならないことを教えてもらいました。
小
No. 312∼324
子
どもの頃に注文の多い料理店をドキドキ
しながら何度も読み返しました。大人に
なってからは子ども達に何度も読み聞かせ、今
は、高齢者のディサービスで語らせて頂いてい
ます。賢治さんの独特な言葉、言い回しが広げ
る世界がとても楽しいです。
夏
休み中に賢治について調べたいことがで
きてイーハトーブに来てみたら、東京都
とは違う空気感に驚きました。賢治は童話作家
と思っていましたが、人々と一緒になって働い
たり研究していたりしたことに、さらに驚き尊
敬すべき素晴らしい人と思いました。
賢
治さんの詩だけではなく絵も素敵でし
た。花巻が大好きになりました。雨と共
に風と共に自然と共に、求める道へ進み生きて
いきたいと思います。
小
学校ころ雨ニモマケズの詩を暗記させら
れ、今でもすらすら言えます。世界がぜ
んたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり
学校のころ「雨ニモマケズ」の詩を大き
い声で暗唱して褒められ、それ以来8
3才
まで思い出しては口ずさみました。人生の歩み
の力となった感じが致します。ここで、賢治の
生涯を垣間見、これからの生き方を創造したい
です。今日は良き日になりました。
南
米のボリビアから日本に帰ってきまし
た。賢治さんはいろいろな方面でご活躍
でしたね。すごいなと感動しております。私も
南米で村の人達のために、少しでもお役に立て
れたらと願って頑張るつもりです。あと一ヶ月
で7
4才になります。
開
館して間もないころ、2
0年前、そして今
回と3回目の訪問です。記念館の展示は
どれも懐かしく、またレトロになってきました
ね。賢治の描いた世界が大好きでまた読み直し
たくなりました。今日は主人と来ました。
人
生初の一人旅。小学生のころから来てみ
たいと思っていました。イーハトーブの
森は明るく希望の色をしていました。2
8才、人
生の分岐点。賢治の旅で自分を見つめたいと思
います。そして、定まった自分を連れて、いつ
かまた来たいです。
は、講師の演技や歌、お話を真剣な眼差で聞いて
いました。講師さん方は、
「1人でも多くの皆さ
宮沢賢治記念館では、市内の小・中学生(希望
により高校生)を対象に、宮沢賢治の作品や精神、
生き方について学び、親しむ、花巻市ならではの
んが賢治の童話に親しんだり生き方に学んだりし
てくれたら嬉しいな。
」と話されました。
湯口小学校
講座「賢治の世界セミナー」を実施しています。
6月から7月までは、花巻農業高校、亀ヶ森小
学校、湯本小学校、湯口小学校、花巻小学校で開
催致しました。(今年度の各学校への出前講座は、
1
4校でのべ15回の講座を実施致します。)
暑い日もありましたが、児童・生徒のみなさん
亀ヶ森小学校
第111号
宮沢賢治記念館通信
■9月以降の各学校のセミナーの予定
☆桜 台 小 学 校 10月24日(金)13:55∼
「宮沢賢治と宇宙」
☆石鳥谷小学校 11月5日(水)13:45∼
「宮沢賢治と演劇」
☆内川目小学校 11月10日(月)13:55∼
「宮沢賢治と音楽」
(7)
☆笹間第一小学校 1
1月1
4日
(金)1
3:50∼
「宮沢賢治と音楽」
☆八重畑小学校 1
2月15日
(月)1
3:5
0∼
「宮沢童話の読み聞かせや音楽」
時間は4
5分間です。詳しい内容は各校のおたよ
り等でお知らせすると思います。会場校の近くの
方で関心のある方はどうぞお出かけ下さい。
私には子供の頃から『表現したい自分の世界』
がありました。その方法が定まらず、文章・映像・
漫画・音楽・絵画など色々模索していましたが、た
またま学生時代に専攻した日本画に魅了されてか
らは、自己表現の一つとして卒業後も仕事の傍ら
ずっと描き続けてきました。日本画は主に鉱物や
岩石を粉末にした岩絵具という顔料を使って描き
ます。天然資源が希少なものもあり、多くは合成
で科学的に作られますが、何ともいえない鉱物独
宮
沢
賢
治
の
音
楽
祭
Ⅲ
特の鮮やかな深い色合いが醍醐味です。岩絵具を
使っていると、石っこ賢さんと呼ばれた賢治の
『石に対する好奇心』が少しわかるような気がし
アーティストが様々な技法で表現しております
が、それらは賢治作品を知るキッカケであり、本
ます。伝統的な日本画とハイカラな賢治は、相容
れぬ遠い関係と思っていましたが、実はとても相
性が良かったのかもしれません。80年の時空を超
えて賢治と同じ場所に生き、同じ空気を吸ってい
当のイーハトーブの世界を感じたいのなら活字を
読むことをお勧めします。自分で読んで想像した
世界が、あなたにとって本当のイーハトーブなの
だと思います。今回のホール展示は、私の中の
ることに誇りを持ち、イーハトーブの生き生きと
した動物たちと豊かな自然、澄んだ空気の輝き、
イーハトーブの世界です。ですから共感するとこ
ろと意外に思うところがあるかもしれませんが、
透明で深い精神性を、幻想的に表現することを目
標として描きました。
賢治作品には独特な世界観があります。多くの
私の絵がイーハトーブへのドアを開けるキッカケ
になれば、これ以上の幸せはありません。
伊藤 夏子
☆「どの絵も雪の結晶のように神秘的でした。深い海のように青くて深く、見ているだけで癒され
ました。」
「色鮮やかでどこまでも細かく、とてもきれいでした。
」という感想をたくさん頂戴して
おります。常設展示と併せてご覧ください。
宮沢賢治記念館通信
(8)
第111号
仙月の四日」で産経児童出版文化賞美術賞
今後の開催事業のお知らせ
開館記念行事
日時 平成26年9月21日(日)
午後2時∼3時30分 を受賞。
「よだかの星」他、賢治作品4冊が
絵本化されている。
賢治の世界セミナー
シンポジウム 宮沢賢治をめぐって
期日 平成2
6年1
0月5日
(日)
会場 宮沢賢治記念館ホール
内容 ①トーク 佐藤 三昭氏(作曲家・作家)
②和洋楽(和太鼓、篠笛、コントラバス、
チェロ)による賢治作品朗読コンサー
会場 宮沢賢治イーハトーブ館
入場 無料
内容 1部 映画「風のかたち」
ト「言葉の先の風景」
入場 無料(申し込み不要)
出演 マリヴロン楽隊
宮沢賢治イーハトーブ館企画展
「2人の賢治」展 絵本作家 いせひでこの世界
∼小児がんと仲間たちの1
0年∼
午前1
0時∼午前1
1時4
5分
2部 宮沢賢治作品他の読み聞かせ
「雨ニモマケズ」
「鹿踊りのはじまり」
他
午後1時∼午後2時3
0分
日時 平成26年9月3日(水)∼11月3日(月)
午前8時30分∼午後5時
会場 宮沢賢治イーハトーブ館展示場
入場 無料
3部 宮沢賢治をめぐって(シンポジウム)
いせ ひでこ氏、柳田 邦男氏、
細谷 亮太氏、伊勢 真一氏、
牛崎 敏哉氏
備考 いせ ひでこ氏は、画家・絵本作家で「水
午後2時4
5分∼午後4時3
0分
宮沢賢治記念館の展示リニューアルについて
館長 太 田 達 久
◆リニューアルの工事に伴う休館期間
(予定)
平成2
6年12月1日∼平成2
7年 4 月下旬
宮沢賢治記念館は、賢治没後50周年にあたる昭
和5
7年9月21日に開館し、それ以来全国の賢治
◆企画展「イーハトーヴォ海岸と賢治」の会
期が1
1月30日まで延長となります。
ファンに愛される施設として、今年で32年目を迎
えています。平成26年7月現在で688万人を超え
る多くの方々にご来館いただき親しまれています。
◆工事に伴い、下記の期間、花巻市博物館で
宮沢賢治に関する展示を開催する予定で
す。
宮沢賢治記念館の特徴として、リピーターのお
客様が多いことが上げられます。リピーターが多
い最大の理由は、もちろん「宮沢賢治の魅力」に
尽きることは疑うべきもない事実であり、
「宮沢
賢治の作品」
「宮沢賢治の精神」を慕う方々が全
ご不便をおかけ致しますが、どうぞお出で
ください。
平成2
6年12月1
0日∼平成2
7年 3 月31日
編 集 後 記
国にたくさんいらっしゃるおかげと思っています。
しかし、施設、設備の老朽化が目立つこと、さ
らに最新の展示方法は目を見張るものがあること
を考え、宮沢賢治記念館の魅力をさらに増し、賢
治の作品、作品への考え方への理解をもっと深め
宮沢賢治記念館を開館して以来続いている「来
館ノート」には、九州や四国などの遠方からお出
でになった方、数回来館したけれどまた来たいと
いう方など、何度来館しても宮沢賢治さんには新
てもらうために、花巻市にて展示リニューアルが
企画され、現在、監修者による検討が進められて
おります。
たな発見や気づきなどの魅力がいっぱいあること
が記されています。
リニューアルでさらに賢治さんの魅力をたくさ
さらに、最新の研究成果を反映すると共に、近
代的な展示方法を導入し、子どもから大人まで一
ん発見していただければ幸いです。
層愛される宮沢賢治記念館を目指しております。
第1面の写真は、黒沼幸男氏
(花巻市大迫町在住)が
撮影し、提供してくださいました。