吉野川流域の地形形成の謎(2) − 動くこと山のごとし!: 「吉野川源流分水嶺はかつて湖(石鎚化石湖)だった」 水資源機構吉野川局長 杉村 − 淑人 前回は、 「古吉野川は阿波池田付近を北上、阿讃山地を横断して香川県を流れていた!」という 話をした。その証拠は、阿讃山地北縁の香川県琴南町焼尾から大野原町大谷池まで分布する「財 田層」と呼ばれる 250 万年前(地質学的年代では昨日のこと)の地層に吉野川流域に分布する三 波川変成帯の青石(結晶片岩:1.5 億年くらい前に堆積)が含まれていることだった。 今回の話は、もっとダイナミックな地形形成の科学的知見を文献(*)から紹介しよう。 吉野川の源頭は、四国の屋根、石鎚山に連なる瓶ケ森(1,896m)であるが、そこでは結晶片岩 の基盤岩を不整合に覆って石鎚山地を取り巻くように分布する久万層群の二名層と明神層(1,600 ∼1,500 年前)が地表で観察される。前者は中部始新世、後者は上部始新世とされ若い(図参照) 。 注)図中のピンクで示した石鎚層群(第三紀中新統)は、輝石安山岩などからなる火山砕石物で、久万層が堆 積した後噴出して久万層を覆っている。 久万層群は、西南日本の地質構造発達史を考える上で極めて重要な地層とされているが、これ は同層が中央構造線の両側に分布する最古の地層であること、ほとんど変形を受けておらず水平 に近い傾斜をもっていること、三波帯、和泉帯、領家帯起源の礫を含んでおり、当時の西日本の 地質構造を知る上で唯一の手がかりであることに由来する。にもかかわらず、100m 前後の標高 の地域から、瓶ケ森(1,896m:写真-1)、子持権現山(1,709m)、筒上山(1,859m)に至るまで 著しい高度差を持っている。 久万層群の下位の二名層は、露頭によって層厚や岩相が著しく異なり、四国八十八箇所の一つ 岩屋寺・古岩屋や子持権現山で見られ、結晶片岩巨礫を主体とする扇状地堆積物を形成している (写真-2)。一方、上位の明神層は和泉層群の砂岩礫、領家帯の花崗岩礫を主体とする網状河川堆 積物からなり、瓶ケ森の南方の石鎚山に連なる稜線の名野川越付近から高知県側の長沢林道沿い では植物化石や波の化石(リップルマーク)を含む湖成デルタ層(甲藤は石鎚化石湖と命名)が 見られ、絶好の観察場所になっている。 さて、わがシャーロックホームズはこの地質構造・地形形成の謎をどのように解くか? 甲藤・平は、久万層群は石鎚山系をとり巻くように分布しており、ほとんど褶曲などの圧縮変 形を受けていないことから、伸張場における地溝帯状の低地帯からなる一種の堆積盆中に形成さ れたと推論した。この堆積盆の基盤は内帯の三波川帯の結晶片岩であり、初期には崖錐−V 字谷 −扇状地が形成され結晶片岩の巨礫からなる二名層が形成された。この時期は結晶片岩しか顔を 出していない。やがて一部に海進があり、河床勾配が減じ、さらに内帯側(和泉層群、領家の花 崗岩類)の隆起にともない水系に変化が起こった。一帯には和泉層群からの砂岩礫や領家帯の花 崗岩類礫の供給物が網状河川をなして堆積し、河川の一部は湖に直接流入してデルタを形成した。 その後、外帯(三波帯の結晶片岩)が 2,000m 近く隆起し、久万層群の一部は削剥されて今はな いが、前述の名野川越の湖成デルタ層は吉野川源流の分水嶺となって残った。 武田信玄は「動かざること山の如し」と言ったが、彼は悠久・壮大な地形形成の知識がなかっ た。まさに、「動くこと山の如し」である。 注)*:甲藤次郎・平朝彦:久万層群の新観察、地質学ニュース 1979 年1月号 p-12∼21 図-1 久万層群分布地域地質図(永井 1972 より) 写真-1 伊吹山から瓶ケ森(中央ピーク)、子持権現山(右手前)を望む 上部は結晶片岩礫からなる二名層(これが形成された時代は周囲は結晶片岩の急 峻な山)、基盤は三波川変成帯の結晶片岩が分布 写真-2 岩屋寺に見られる二名層(穴は結晶片岩の巨礫が抜けた跡)
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