私 が 着 物 を 着 る 理 由

章
私が着物を着る理由
一
着物の楽しみを発見!
着物と外国人なんて、とても想像がつかない組み合わせだと思われますよね?
誰もが思うのは、
﹁似合わないのでは?﹂ということでしょう。
じつは私もそう思っていました。来日して十五年、日本人の主人をもち、日本語で仕事をしていま
すが、それでもまだまだ日本文化に興味はあっても深くは立ち入れないような気がしていました。遠
慮なのか、一般的に思われている先入観からなのか、敷居が高くて立入禁止のエリアがあるという感
じでした。でも、頭のすみには、日本と日本文化を愛する強い気持ちがありました。そこから芽ばえ
た好奇心に、出会いがきっかけとなって花が咲いたのです。
パリで育った私には、着物姿の女性を見る機会など少ししかありませんでした。さすがにもう、日
本人が刀をさしているとは思っていませんでしたが、日本人の多くは着物を着ていて、街中ではもっ
と着物姿が見られると思っていました。戦後の日本映画でも、自宅での和服姿が少なくありません。
それが今でも変わらないというイメージがありました。だから、来日したとき、たいていの外国人と
同様に、西洋化した服装の日本にどこかがっかりしたものです。
最近の着物ブームで、着物姿も多く見うけられるようになりましたが、九○年代は日本人でもなか
なか着物姿を見る機会が少なくなっていました。
着物姿を見ることができるのは、主に映画、成人式、結婚式、劇場でしょう。非日常な場面が多い
ため、そのとき着られている着物のイメージが固定化されてしまった感もあります。
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私も、
﹁着物﹂と言われるとまず、派手な振袖のイメージが浮かびました。つまり、晴れ着、舞台衣装、
仮装衣装というイメージが強かったのです。たまに着物を着なれた老婦人を見かけて、すてき!
と
思うことがあっても、それ以外の着物姿に接するチャンスはほとんどなかったのです。
この考えをくつがえしてくれたのは、﹁なか志まや﹂という不思議な呉服屋さんとの出会いでした。
このなか志まやさんのご主人が、中島寛治さんです。
中島さんのスタイリングする着物は、都会的で現代風の、ちょっといい服レベルという、洋服感覚
で着られるものでした。主な色合いは、グレー、ベージュ、クリーム色などで、どこか西洋人が想像
する﹁ZEN﹂のシンプルさと洗練されたイメージそのものといえるかもしれません。そして、その
シンプルさの中で自分の個性をしっかりと表す、という意気ごみもまた面白く感じました。
私にとって、じつは着ること自体が目的ではありません。あそこに出かけるときに着物を着たい、
という気持ちが先に立っているのです。もちろん、﹁見せる﹂﹁見られる﹂楽しみと喜びがあります。
それから、この場にこの着物を、とあれこれ考える楽しさもあります。さらに何よりも得がたいのは、
この場、このとき、この着物、という自分のイメージ通りにできたときの達成感です。
さまざまな人から、よく、着物はもっているのに着ていませんという話を聞きます。行くところが
ないというのです。ならば逆に、着ていきたい場を見つけることが大事なのではないでしょうか。
着物を着るという行為自体が非日常的で楽しいものではありますが、それだけではつまらない。着
物は先進国の中で唯一残されているといっていい伝統衣装です。それにともなう着る場や伝統芸能な
どが残されているのを、私はどこかうらやましく思います。
そういう豊かな文化をもちつづける日本人に少々の嫉妬を感じながらも、遠くからながめたことし
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かなかった私には、日本の伝統文化は昔のままで固まっているような先入観が強くありました。たと
えば、茶道とはお茶を楽しむことを学ぶのではなく、永遠に変わらないルールを覚えるのが目的だと
思っていたのです。
でも、そういったお稽古事の世界をのぞく機会に恵まれ、また、そういったことに精通した人と話
してみて初めて、それがいまだ進化しつづけているものだということに気づかされました。ならば、
着物だって固定概念にとらわれない自分流の着方ができそう、と思えたのです。
私は女性ですから、服が大好きです。この着物という服装に、まさに自分の想像力と創造力をかた
むける新しい分野を発見した思いがしました。そう、パリジェンヌのおしゃれ心が起こされたのです。
どんな楽しい服でも、着るだけではつまらないですし、着る場があって初めて想像力が働くもので
す。そういった場は、意外にも身のまわりにたくさんあります。たしかに、着物には着替えの場所と
時間が必要です。会社帰りのお出かけに、というのは少々むずかしいでしょうが、週末の食事や観劇
にちょっと着物を着ると、楽しさが大きくなります。
着物はお金がかかるとよく聞きます。たしかにユニクロや洋服の青山など洋服が求めやすくなった
今の時代ではそう思えるかもしれません。しかし、さらにいいものやブランド品を求める場合を考え
てみてください。どんなおしゃれにもいえることだと思いますが、手間暇がかかります。その手間暇
を短縮するにはお金がかかります。でも手間暇をかけることが楽しくないなら、そもそもおしゃれと
は縁がないと思うべきでしょう。マニキュアするのだって手間暇がかかります。ネイルショップに行
けばすぐにきれいな爪になりますが、お金はかかります。それだけです。そもそもどうしておしゃれ
をしたいか、もう一度よく考えて、自分の価値観を見定める必要があるでしょう。
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センスをアピールして着物を武器に
ファッションは相手に与える印象を大きく左右します。自分を適切に表現できる装いをえらぶには、
まず、自分のイメージとはどんなものであるか知ることが大切です。そして、つねにそれを意識しな
がらえらんでいくのです。
今日はどんな人に会うのか? どこに行くのか? どんな気分なのか?
それによって色合いなどテーマを決めて自分らしさを演出していきます。
場合によっては、ふだんの自分とはちがう自分に変身できることもあります。その日の自分を演じ
るための準備ともいえるでしょう。TPOに合った装いで会うことができれば、自分のセンスをアピ
ールすることにもなるのです。例をあげると、後に話す私が初めてえらんだ着物は、パーティーなど
の華やかな場だけではなく、ビジネスシーンでも着回しできるように考えています。クリーム色で
張 り の あ る 生 地 の 着 物 に、 黒 と 銀 二 色 づ か い、 紬 糸 と 引 箔 で 織 り あ げ た 帯 を 合 わ せ る こ と に よ っ て 、
やわらかさの中にもひきしまったシャープな自分を演出しました。
仕事の打ち合わせにセクシーすぎる装いで行けば軽く見られてしまいますし、自分のそういうイメ
ージが固まってしまうと、そこから抜け出すにはかなりの時間と労力が必要となるでしょう。
私の仕事は、まず人と会うことから始まります。そんな私にとって、着物がとても効果的な武器と
なるのです。これは日本においてもそうですが、母国フランスではさらにその効果を発揮します。
もちろん、仕事だけではありません。着物を着るようになってから、今まであまりご縁のなかった
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人たちと知り合えるきっかけも生まれました。
現代では、着物を着ているだけで目立ちます。理由はたんにめずらしいからですが、街を歩けばと
にかく視線が集まりますし、その次には、着ている着物を品定めされます。相手の想像力がふくらむ
のです。洋服では、なかなかこういう現象は起きません。
さらに着物は、さまざまなポイントにメッセージを隠しています。代表的なのは季節感ですが、他
に、お祝いや格式、自分の気持ちをそっとしのばせることもあります。着物や帯の柄に、帯締め、帯
揚げなどに、羽裏 ︵羽織の裏地︶や長襦袢などに、思いをしのばせられる場所はたくさんあります。
そんな思いのポケットをたくさんもった着物は、自分のイメージを適確に伝えられる装いなのです。
こう見てほしいという意図を、洋服よりもかんたんに相手に発信することができます。
思えば、現代人は言葉にたよりすぎるように思います。何事も言葉で説明しようとします。
しかし、古典芸能 ︵能、文楽など︶では、言葉を使わず感情を表現します。もともと日本人は、言
葉だけにたよらずさまざまな事柄を表現することが上手な民族です。言葉では表現できない思いさえ
も相手に伝える術を伝統的につちかってきたといえるでしょう。
着物は、その日本人ならではの控えめで奥ゆかしい表現力をもっています。お膳立てされた格式を
そのまま身にまとうのではなく、自分の思いを着物にこめましょう。といっても、大げさに考える必
要はありません。重要なポイントに、ほんの少し、相手を思うおもてなしの心をしのばせるだけでい
いのです。型にとらわれることはありません。自分の言葉を着物にこめて身にまとう、それだけで相
手にはその気持ちが十分伝わるのではないでしょうか。
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マイファースト着物は今でも本当
に活躍してくれます。少し光沢の
ある御召と帯は、私のライフスタ
イルにまさにピッタリと合った着
物でした。そしてこの着物をあつ
らえたことから、私の着物人生は
まさに始まりました
身のこなしも美しく
着物を初めて着たとき、私がいちばんむずかしいと思ったのは、どう美しく動くかということです。
たとえば洋服ならあらかじめ、このスカートや生地は、どのぐらいの軽さで、これくらいの動きで
振り向くとこのくらいふくらんで美しいラインを見せられる、というイメージをもつことができます。
こう書くとすごくわざとらしく聞こえるかもしれませんが、着なれているので無意識な行動となっ
ています。自分自身を鏡で確認することもありますし、街を歩いている人や映画のシーンなどの美し
い動きを目に焼きつけていたりします。そして、美しいと思った仕草は思わずまねしたくなります。
まねから自分のものにしていくことは習得の基本です。初めは意識しているものですが、そのうち意
識しなくなります。体が覚えてしまうからです。
しかし、これが着物となると、私の経験はあまりにもたりません。
もちろん、結婚するまで私の親戚は誰も着物なんて着ていませんでしたし、着物を服として見るよ
うになったのは、日本語の勉強をしてからです。来日して初めて街を着物姿で歩いている人を見たと
きには、あまりにもめずらしく、一瞬の光景だったので、着物自体に気がとられて所作の美しさにま
で目がいきませんでした。
そんな私が、前夜のゴトウさんとの話のいきおいで、いきなり大使館のパーティーで初めて着物を
着ることとなったのです。
ぶっつけ本番ということと、自分の着物ではないという緊張感もあったでしょうが、扇子とシャン
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パングラスをどうもてばいいのか、パーティーのあいだ中ずっと悩んだものです。あとで写真を見て、
そんな自分にとても腹が立ちました。袖の変な角度、帯を隠す手⋮⋮すべてが気になったのです。
そこで、着物を着て美しくふるまえるのはどんな人だろうかと考えてみました。
まずは、歌舞伎を見に行きました。自分と友達の十人ほどで着物を着て、初めての桟敷席にずらり
とすわりました。しかも席は花道側だったので、舞台を見るというより、むしろ客席側から見られて
いるようでした。歌舞伎座の中では着物姿の人も多く、休憩時間ともなると、これがなかなか楽しい
ひとときでした。
でも、これでは見るだけです。自分も動いてみなければ身につかないと思い、日本舞踊のお稽古を
始めました。
みなさんは、日本舞踊を習うのは舞台に出るためと思われるかもしれませんが、行儀・作法を身に
つけるためのたいへんすぐれた修業でもあります。日本舞踊は究極の感情を動きであらわすものです。
さらにお稽古のたびに浴衣を着ますから、何度もくりかえして着ることで、どんどん自分の体に合う
腰紐の位置などが見つかり、覚えていくことができます。
私の日本舞踊の先生は基本からいろいろ教えてくださり、踊りだけではなく、和のマナーや、その
基本思想まで、いろいろな話をしてくださいました。マナーを形通り覚えることも大切ですが、その
心がまえを理解しないと、教わった以外の状況やシチュエーション、ハプニングの場合にどう対応す
ればいいかわからないものです。
四年に一度、生徒たちの発表会がおこなわれます。国立劇場の舞台でもあり、先生は私にもぜひと
すすめてくださいましたが、あがり性の私が舞台に上がれるわけがありません。せめてお役に立てれ
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ばと、舞台裏のお手伝いをすることにしました。
初めてなので、右も左もわからないまま、ただうろうろしているだけだったのですが、個人的には
いろいろ見させていただき、たいへん勉強になりました。ふだん、なかなか入れない世界で、あらゆ
る面で舞台裏は戦争のようでした。でも、それは舞台を見るだけではまったくわかりません。完成さ
れた美しさだけを見せるのです。それを表に感じさせないことも美しいと、私には感じられました。
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