2009 天声人語 古代の中国に尾生高(びせいこう)という男がいて、橋の下で女と会う約束をした。 待ちに待ったが女は来ない。折からの雨に川は増水してきたが、かたくなに約束を守 ってその場を離れなかったそうだ▼水が引いたあと、人々は橋脚にしがみついて死ん でいるその姿を見つける――。 「 尾 生 の 信 」と し て 伝 わ る 故 事 で あ る 。約 束 を 違 え ぬ 誠 実をほめるか、融通のきかない愚直を笑うか、評価は人によりけりだろう。マニフェ ストをめぐる民主党政権の逡巡(しゅんじゅん)に、この故事が胸中で重なっていた ▼そんな政府の背中を押すように、小沢幹事長が鳩山首相に「マニフェスト改変」を 突きつけた。政府はありがたく拝聴したそうだ。ガソリン減税はやめよと言い、そう なれば公約の重要な変更になる。子ども手当にも所得制限を設けよという▼予想を超 えて財源は窮乏し、マニフェストを貫けば他のもろもろが軋(きし)みをあげる。だ が公約への期待も大きい。尾生高ではないが、約束をとっても現実に即しても評価は 割れよう。約束破りの役回りを小沢氏が引き受けたとの観測もある▼ところで、かの 「論語」にも尾生高とおぼしき人物が登場するそうだ。酢を借りに来た人に、無いと 断らずに、隣から借りてきて体面をつくろったという。孔子さまは「彼は正直者では ない」と難じたと、手元の故事集に教わった▼改変の求めは、優しい首相に代わって 幹事長が「酢は無い」と国民に断った図だろうか。孔子さまは小沢さんをほめるかも しれない。だが国民の目には、笑えぬ二人羽織があらためて焼き付いた。 2009 年 12 月 18 日 ( 金 ) 付 古代ギリシャの七賢のひとりタレスは、何が一番難しいかと問われて「自分を知るこ と 」と 言 っ た そ う だ 。で は 容 易 な こ と は ? と 聞 か れ 、 「 他 人 に 忠 告 す る こ と 」と 答 え た という▼そんな話を、しばらく前の声欄を読んで思い出した。投書した人は、職探し に通うハローワークの相談窓口で、小型の色紙を目にしたそうだ。そこには「人間関 係 う ま く い か な い の が 当 た り 前 」「 転 ば な い 生 き 方 よ り 転 ん で も 起 き あ が る 人 生 が い い」と書いてあった▼仕事を失った人を励ますつもりだったのだろう。しかし投書者 は 、落 ち 込 ん で い る 気 持 ち を 逆 な で す る 、と 立 腹 し て い た 。紋 切 り 型 の 人 生 訓 で あ る 。 古人の言うように、示すのは簡単でも、意図した通りに人を勇気づけるのは難しいよ うだ▼きのう、17都道府県のハローワークで「ワンストップ・サービス」の試行が あった。求職だけでなく、縦割りだった様々な支援を一つの窓口にまとめて応じる失 業者対策の目玉である。昨冬のような「年越し派遣村」を再現させまいと、政府が取 り 組 ん で い る ▼ タ レ ス に 相 通 じ る 、詩 人 の 吉 野 弘 さ ん の 一 節 を 思 い 浮 か べ る 。 〈他人を 励 ま す の は 、気 楽 で す / 自 分 を 励 ま す の が 、大 変 な ん で す 〉。自 分 を 励 ま す こ と の で き る灯を、人の心身にともしたとき、初めて政策に血が通うことになろう▼きょうから 暦 は 師 走 。1 2 月 の 異 名 は 、聞 く だ け で 風 の 寒 さ を つ の ら せ 、せ わ し な さ を 倍 に す る 。 デフレに円高、株安が追い打ちをかける年の瀬、貧乏神を長逗留(ながとうりゅう) させない政府の力量が試されるときでもある。 2009 年 12 月 1 日 ( 火 ) 付 秋の新米について先日書いたら何通か便りを頂いた。拝読しつつ、ふと嵐山光三郎さ んの一文を思い出した。 「 世 間 で は 新 米 と い う の は 悪 口 で あ る 」と 作 家 は 言 う の で あ る (『 ご は ん の 力 』)▼ ま だ 一 人 前 で な い の が 新 米 で あ る 、と 文 は 続 く 。 「食べれば至上の 価値がある新米を、実社会では半人前として扱うのは、世間というものが古米、古々 米 、古 々 々 米 、古 々 々 々 米 で 出 来 て い る こ と を 示 す 一 例 で あ る 」。ユ ー モ ア の 中 に 、な かなかの真理が透けている▼その新米の大豊作に賑(にぎ)わうのが民主党だ。議場 での振る舞いが気に障ったらしく、自民党の谷垣総裁は「ヒトラー・ユーゲント」に なぞらえた。ナチスの青少年組織のことである。良識派らしからぬ「古米ぶり」で、 あたら評判を下げてしまった▼小沢幹事長もかなりの古米ぶりとお見受けする。予算 のムダを削る「事業仕分け」から新人を外した。それより議員のイロハを、には一理 あろうが、各分野で活躍してきた人たちだ。優美な統率を求めすぎれば、角を矯めて 牛を殺す心配もあろう▼衆院の代表質問をやめたのもいただけない。政府の太鼓たた きのようなものは不要、と小沢さんは言う。だが与党質問をそんなものと決めつける のも古米的な発想ではないだろうか▼「平成維新」をうたうフレッシュ政権である。 だが新しい酒も、古い革袋に入れれば味は鈍る。袋の中が見えにくければ、なおさら だ 。〈 お ー さ ま の お 気 に 召 す よ う 直 し ま す 〉。 王 様 然 と し た 人 を チ ク リ と や っ た 、 き の うの小紙川柳欄の寸鉄である。 2009 年 10 月 30 日 ( 金 ) 付 中国の古代に、 「 昔 の こ と を 論 じ て 今 を 批 判 す る 者 は 一 族 皆 殺 し 」と い う 定 め が あ っ た そうだ。昔を持ち出して今をあれこれ言ってみたり、人物がいないと嘆いたりするの は、千古変わらぬ人の性(さが)らしい▼承知しつつ、自民党の歴代総裁を眺めてみ る。初代は鳩山一郎、2代石橋湛山、3代岸信介、さらに池田勇人、佐藤栄作、田中 角栄……。好悪はおいてヘビー級が並ぶ。元気な東国原知事も、昔なら「私を総裁候 補に」とは言いにくかっただろう▼近づく総選挙への出馬要請を受け、条件に「総裁 のイス」を求めた氏の言動が波紋を広げている。裏も奥もあるらしいが、自民党も落 ちぶれたというのが、少なからぬ国民の抱いた印象のようである▼「夏芝居」という 俳句の季語を思い出す。昔、客の入りの悪くなる夏に、怪談や早変わりなどの奇抜な 出し物を演じた。立役者は夏休みを取るので、新顔の売り出しどきでもあったそうだ ▼花形不在に悩む「自民一座の古賀座長」は、近づく夏舞台が心配でならない。受け を 狙 っ て 人 気 者 に 出 演 を 頼 ん だ ら 、思 わ ぬ ギ ャ ラ を ふ っ か け ら れ た 。 「なめられたもの だ」と、座付きの役者が憤りの声をあげる――たとえれば、そんな図だろうか▼俳人 の小澤實さんに〈夏芝居監物某(けんもつ・なにがし)出てすぐ死〉の愉快な句があ る 。端 役 な の だ ろ う 、監 物 某 と い う 者 が 、出 て き た と た ん に 切 ら れ て し ま っ た 。さ て 、 き た る 選 挙 で 東 国 原 氏 は 主 役 を 張 る の か 、端 役 な の か 、そ れ と も 舞 台 に 載 ら な い の か 。 茶番に堕す危うさをはらんでの、軽き自民のカケである。 2009 年 6 月 25 日 ( 木 ) 付 入 社 式 の あ い さ つ の 中 で 、荻 田 伍( ひ と し )ア サ ヒ ビ ー ル 社 長 の 言 葉 が 印 象 に 残 っ た 。 「大変な時期に入社したと考えるか、変革期こそチャンスと考えるかで、皆さんの行 動や成長は違ってくる。前向きに考えれば、知恵と工夫が生まれる」▼門出の景気づ けにしても、元気を分けてもらった。経済がこの惨状だからこそ、個人も会社も、そ して国も、知恵の絞り時、工夫のしどころだ。ロンドンのG20サミットに集った首 脳は、エゴを抑え、一緒に知恵と金を絞り出そうと話し合った▼それにしても、次か ら次に浮かない数字が出てくる。先の日銀短観では、大手製造業の景況感が過去最悪 になった。輸出が振るわないうえ、内需は賃下げや失業で湿るこれからが冬本番との 見方さえある▼過日の小紙で、同志社大学教授の浜矩子(のりこ)さんが「海外で跳 びはねているジャパンマネーを呼び戻せ」と説いていた。この辛口エコノミストによ ると、戻すべきものがもう一つある。ふるい落とされた人を、政策の力で経済活動の 輪 に 戻 す こ と だ ▼ 浜 さ ん は 、怪 し げ な 金 融 工 学 が 経 済 の 営 み か ら 人 間 を 消 し た と 嘆 く 。 「 グ ロ ー バ ル 化 の 時 代 、仕 組 み だ け 整 え て も 運 営 は で き な い 。精 神 論 で す が 、心 意 気 、 魂、人間らしさが出てこないと輝きは増しません」▼幸い、米ロの間に再び雪解けの 兆しが見える。同時不況の渦の中、どの国も好き勝手をする余裕はない。中国とて大 国の責任を感じていよう。浜さんの言う「地球村」的な発想を促すなら、この危機は 結構なチャンスかもしれない。要は心意気である。 2009 年 4 月 3 日 ( 金 ) 付 随筆家の幸田文が「身の納まり」ということについて書いている。出入りの畳職人が あるとき、腕は良くても老後に身の納まりがつかない者は良い職人とはいえない、と 口にしたそうだ▼「若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、良い技術を 受け継いでもらわなくてはいけない」と。つまり寒々しい老後を見せれば、若い者は この仕事を続けていいものか不安になる。それでは失格、というわけだ。見事な人生 哲 学 だ が 、難 し い か ら こ そ の 自 戒 だ っ た の か も 知 れ な い ▼ そ の 随 筆 か ら 半 世 紀 が た ち 、 身の納まりは一層つけづらくなってきたようだ。群馬県の高齢者向け住宅で先日起き た火災にも、その感が強い。行き場のない高齢者の受け皿に、無届けのずさんな施設 が 使 わ れ て い た ▼ 最 期 が 無 残 な 焼 死 で は 、安 ら か な 余 生 か ら は 程 遠 い 。 「 終( つ い )の すみか」の、質量ともどもの不足が生んだ悲劇である。これでは後に続く世代に不安 ば か り が 募 る 。畳 職 人 に な ら っ て 言 う な ら 、こ ん な 国 は 失 格 、と い う こ と に な る ▼「 老 い て 暖 ま り た い 者 は 、若 い う ち に 暖 炉 を 作 っ て お け 」と 西 洋 の 諺( こ と わ ざ )に 言 う 。 承知はしていても予定通りに運ばないのが人生だ。年金という公的暖炉も先々の炎は 心 も と な い 。家 族 や 地 域 は ゆ ら い で 久 し い 。手 元 不 如 意 、シ ン グ ル 、病 … … 誰 も が「 事 情」を抱えながら老境の戸をたたく▼望むのは贅沢(ぜいたく)ではなく「尊厳ある 老後」である。翻訳すれば「身の納まり」という、つつましい言葉にほかならない。 それに応えるきめ細かい助けの網が、この社会にほしい。 2009 年 3 月 30 日 ( 月 ) 付 6 6 年 に 創 刊 さ れ た 週 刊 プ レ イ ボ ー イ の 売 り 物 は 、作 家 柴 田 錬 三 郎 の 人 生 相 談 だ っ た 。 受 験 に 失 敗 し 、自 殺 し た い と い う 1 8 歳 を シ バ レ ン は 一 喝 す る 。 「生き残っても日本の ために役には立たん……こう云(い)われて、くやしかったら生きてみろ!」▼人生 を極めた先生が針路を示す。この常道を外れた、しかし思いの深さでは負けない相談 に出会った。野宿生活者が答える「ホームレス人生相談」である。彼らが大都市の路 上で売る雑誌「ビッグイシュー」の人気コーナーだ▼例えば実母を持て余す女性に、 家族を捨てた男性が「愛すべき人がそばにいる。それだけで幸せなこと」と諭す。問 答をまとめた単行本『世界一あたたかい人生相談』も出た。どん底を経験して初めて 見えるものもある▼街角の雑誌売りに、悩みを明かす若者が多いことから生まれた企 画という。1冊300円の雑誌は売り子に160円をもたらす。03年の創刊以来、 800人強が計4億円近い現金を得て、81人が職に就くまでになった▼出版元の佐 野章二さん(67)は「売ってくれるからビジネスになる。彼らは施しの相手ではな く 、私 た ち の パ ー ト ナ ー な ん で す 」と 語 る 。 「 売 る 勇 気 」か ら 始 ま る 自 立 。英 国 生 ま れ のこの仕掛けは、貧困への関心も高める▼強者不在の相談と上を向く野宿者。月2回 刊 の 雑 誌 は 、今 で は 得 が た い 温( ぬ く )も り と 望 み を 届 け る 。迷 え る 世 に ほ し い の は 、 あとは激しさだ。時代ゆえにせよ、剣豪作家が悩みを斬(き)りまくった相談は、熱 く激しく「キミはやれ、俺(おれ)がやらせる」のタイトルだった。 2009 年 3 月 27 日 ( 金 ) 付 政治家も大物になると、居所で呼ばれることがある。人と情報が集まる私邸は権力の 代名詞だ。 「 目 白 」の 田 中 角 栄 、そ れ 以 上 の 重 量 感 で「 大 磯 」の 吉 田 茂 で あ る 。ワ ン マ ン首相が愛した神奈川県大磯町の旧吉田邸がきのう、全焼した▼貿易商だった養父の 別荘を、外国の賓客を招くために新増築した和風建築。総ヒノキで、京都の宮大工が 手がけたという。いずれ県立公園として公開の予定だった▼大衆やマスコミが苦手な 吉田は、これと見込んだ相手と話し込む政治家だった。座談のための奥座敷が大磯と いうことになる。在任中も週末はほぼ私邸で過ごし、門前の二階屋では総理番記者が 来客に目を光らせたそうだ▼晩年も千客万来だった。三女で、現首相の母でもある麻 生和子さんは「父の引退生活は、とにかくお客様が多かったのであまり寂しいという ものではなかった」と著書に記している。要人の「大磯詣で」のほか、若手外交官や 自衛官もよく招かれた▼「西日が差す」という大工の忠告を無視し、吉田は上階に大 窓を抜く。客のない夕方など、これを額縁に富士山をじっと眺めていたという。臨終 の日も窓際に寄り、秋空に映える霊峰を瞼(まぶた)にとどめた。昭和の裏面史を見 聞きした障子や壁と共に、その母屋も焼け落ちた▼火事は命や財ばかりか、風景を奪 い、思い出を灰にする。白いソファから窓外を見やる老人の写真を改めて手に取り、 逆光の後ろ姿に不思議な喪失感を覚えた。炎があぶり出したのは、私たちが知らずに 抱く「復興する日本」への郷愁だろうか。 2009 年 3 月 23 日 ( 月 ) 付 小欄で漢字を「固形スープのもと」に例えたことがある。一粒一粒の中に、ひとしき り語れるだけの深い味が潜むと。漢字にはまた、ものごとの味わいや世相を一粒で語 る力がある。その面白さを世に広め、調子よく転がってきた組織が、四角い「困」に 乗り上げた▼漢字検定や「今年の漢字」で知られる日本漢字能力検定協会が、文部科 学省の立ち入り調査を受けた。納税で優遇される公益法人なのに、毎年何億円もの利 益を上げてきたのが「もうけすぎ」とされた▼受験や就職の味方にと、漢検への挑戦 者は増え続け、07年度は272万人を数えた。バイト代をつぎ込んで、上級を目ざ す若者もいよう。検定が生む利益は文科省につつかれるまでもなく、検定料の値下げ で返すのが筋だ▼大久保昇理事長が任意団体で始めた75年当時は、個人商店の感覚 だったと思われる。年収60億円の検定ビジネスに育った今も、理事長と息子の副理 事長が仕切り、業務委託料として親子の会社に3年で66億円もが流れた▼大久保氏 の商才は大したもので、文字文化にも貢献した。氏が演出した漢検ブームは携帯ゲー ムにまで広がった。清水寺で披露される「今年の漢字」は年末の風物詩となり、小欄 も何度か紹介している▼しかし、事業規模に見合った品というものがある。せこい利 益移転でファミリー企業を肥やすなど論外。公益の陰に隠そうにも、太りすぎた私益 が丸見えである。ここは、協会理事でもある清水寺の森清範貫主に一筆お願いし、特 大の「省」を理事長室に掲げるしかない。 酒を控えよとの天命か、50歳を過ぎて甘い方もいけるようになった。行列に並んで タイ焼きを買う。紙袋からゴソゴソと出した頭をほおばれば、ふんわり漂う湯気とあ ん こ の 香 り 。こ の あ つ あ つ 、ふ う ふ う こ そ 冬 の 楽 し み だ 。 〈 鯛 焼( た い や き )を 割 つ て 五臓を吹きにけり〉中原道夫▼タイ焼きの起源には諸説あるが、商いの先駆けとされ る 東 京 の 甘 味 処( ど こ ろ )、浪 花 家 総 本 店 が 創 業 1 0 0 年 に な る 。今 川 焼 き を 発 展 さ せ 、 縁起のいい高級魚を型に選んだのがよかった。70年代のヒット曲「およげ!たいや きくん」の舞台とも聞く▼製法には、浪花家系など老舗(しにせ)を中心に残る一丁 焼きと、大きな型でまとめて作る連式焼きがある。本物になぞらえて、それぞれ天然 物、養殖物と呼ぶそうだ▼甘党談議を続ける。タイ焼き元年の1909(明治42) 年は、森永商店、いまの森永製菓が国産初の板チョコを売り出した年でもある。原料 のビターチョコレートを米国から輸入しての加工だった▼明治から大正期、マシュマ ロ、キャラメル、ビスケットと、見慣れない西洋菓子が好奇の目を集めた。以来1世 紀、菓子の市場で和洋の形勢は逆転し、タイの「五臓」にまでチョコやクリームが詰 まる昨今である。あさってのバレンタインデーやクリスマスなど、洋菓子勢が繰り出 した仕掛けも大きい▼森永製菓が女性400人に「本命チョコ」の値段を聞いたとこ ろ、平均は去年より900円も安い1700円だった。このご時世、予算で妥協する のなら、いっそ目先を変えて「2匹で300円」を分ける手もある。 詩人の堀口大学は、どこから眺めても正面のように見える富士山が好きだった。冬の 富士を〈あの玲瓏(れいろう) あの清楚(せいそ) ほめている▼夏の富士も、 〈雲居の高きに在りながら しむものの如くだから 僕 あの孤高〉と言葉を尽くして 老若の足に踏ませて 自らも楽 こ の 山 が 好 き な ん だ 〉と 愛( め )で た 。と は い え 昨 夏 は 、 山梨側から過去最高の24万人が登ったというから、さすがの富士も重たい思いをし たことだろう▼さてスケールを大きく構えて、67億人が踏む地球はどうか。かなり 重かろうと想像はつく。人間だけではない。分かっているだけで175万種もの生き 物が、球体の上に命をつないでいる。40億年にわたる壮大な進化を経て、この星に ちりばめられた多様な生命の数々である▼その進化論を唱えたダーウィンが生まれて、 この12日で200年になる。革命的な論は、神が生き物を今の姿に創造したという 古い世界観を覆した。そして自分たちも進化の大河に浮かぶ一存在にすぎないと、人 類は目を開かされたはずだった▼だが皮肉と言うべきか。進化論以降の営みは、地球 を分かち合っている他の生き物を急速に追いつめてきた。万(よろず)の生命を載せ た地球自身も、汚染され、発熱し、もはや〈自らも楽しむものの如く〉おおらかでは い ら れ な い ▼ 1 億 年 を 1 メ ー ト ル と し て 、地 球 の 歴 史 を 4 6 メ ー ト ル の 巻 物 に す る と 、 原人の登場は最後の2センチにすぎないそうだ。 「 ミ リ 」に も 満 た な い 近 代 が 地 球 に 及 ぼした禍を思えば、万物の霊長を自称することについ赤面してしまう、生誕200年 である。 「なんでも鑑定団」の古美術鑑定家、中島誠之助さんは「偽物はあってもいい」が持 論 だ 。だ か ら 本 物 が 輝 く 。 「 と ろ み の よ う な も の が な い と 、人 間 社 会 は 活 性 化 し て い か な い … … 許 せ る ニ セ モ ノ は 小 気 味 い い ス パ イ ス で す 」(『 骨 董 ( こ っ と う ) 掘 り 出 し 人 生』朝日新書)▼プロの骨董商は、偽物をつかんだらぐっと腹に納め、己の不勉強を 悔いる。中島さんは「許せる品」に対し、名画の複製に偽サインを入れたような手を ゲ テ モ ノ と 呼 ぶ 。は な か ら 素 人 を だ ま す た め に 仕 込 ま れ た 、悪 意 の 塊 だ ▼ さ し ず め「 円 天」は国宝級のゲテモノだろう。組織的詐欺の疑いで逮捕された波和二(なみ・かず つぎ)容疑者らは、超高利で出資を誘い、怪しい疑似通貨で出資者をつないでいた。 集金額は約5万人から2千億円以上ともいう▼人間は持ち物に出る。社名入りのボー ル、純金張りのクラブでゴルフに興じる容疑者。大粒の宝石をいくつも光らせ、喜々 として「減らない金」を使うご婦人。お金は円だけですと諭すのもむなしい▼さりと て日銀券のみが通貨ではないらしい。 「 政 府 紙 幣 」を ま い て 景 気 を よ く す る 構 想 が 自 民 党内にあるという。刷ればわき出る「減らない金」も、内でインフレ、外でYEN暴 落を招きかねない。その紙が円を自称しても、下に「天」を足したくなる▼「100 兆円規模で配ればいい」と聞いて、これまた中島さんの至言「偽物はある程度高く言 わ な い と 売 れ な い 」を 思 い 出 し た 。 「 値 段 の 緊 迫 感 」が 客 の 欲 心 を そ そ る そ う だ 。何 で もありの景気、いや集票対策。もはや鑑定不能である。 2009 年 2 月 6 日 ( 金 ) 付 荘 子 の「 無 用 の 用 」は 、役 に 立 ち そ う も な い 物 事 が 実 は 有 益 と い う 教 え だ 。 「遅々とし て進む」移行期の政治は、この言葉を唱えながら追いかけたい。もめる国会にも、各 党の真剣さを吟味できる「用」がある▼与党が押さえる衆議院と、野党が握る参議院 がまた衝突した。きのう成立した第2次補正予算には、悪評の定額給付金のほか、高 速道料金の引き下げ、妊婦健診の無料化など玉石が交じる。参院は「2兆円の石」で ある給付金を除いた修正案を可決し、衆参の議決が分かれた▼両院協議会の議長をく じ引きで取った野党は、徹底協議を求めて両院協を引き延ばす策に出た。これで補正 予算の成立が1日遅れ、麻生首相の施政方針演説も本日に持ち越された▼給付金の怪 しさ、筋の悪さは国民が見抜く通りである。郵政選挙の、つまりは4年前の民意を頼 りに、これをごり押しする与党にはあきれる。とはいえ、自民党にさらなる造反が出 る兆しはなく、野党の攻め手も限られてきた。くじで稼いだ1日は世論を意識したも のだろう▼世界的な経済危機の中、米国は新大統領で再生へと踏み出したのに……と は嘆くまい。これも政治決戦のコスト、陣痛のようなものだ。各党の振る舞いは、総 選挙で一票を投じるよすがにもなる。しかと見届けたい▼それでも両院は政策を決め るためにある。決戦の年とはいえ、与野党は妥協点を探る器量も見せてほしい。国民 生活ほったらかしで政争に明け暮れるだけの国会なら、荘子もかばいようがない無用 の長物だ。醜院、惨院である。 2009 年 1 月 28 日 ( 水 ) 付 モハメド・アリ氏の、選手時代の逸話を思い出した。まだカシアス・クレイの名前だ った若いころ、ローマ五輪のボクシングで金メダルを獲得して意気揚々と帰郷した▼ 祝賀会のあと友人とレストランに行った。だが「黒人はお断りだ」と追い払われる。 彼は怒りに震えてメダルを川に投げ捨てた。脚色された「伝説」と言われもするが、 オバマ大統領の生まれたころに黒人が置かれていた、隠れもない現実である▼「つい 60年ほど前はレストランで食事もさせてもらえなかったかもしれぬ父を持つ男がい ま 、あ な た 方 の 前 に 立 っ て い る 」。黒 人 初 の 大 統 領 は 就 任 演 説 で 述 べ た 。奴 隷 制 以 来 の 過酷な差別を思えば、 「 大 統 領 に な っ た こ と が 最 大 の 仕 事 」の 声 が 上 が る の も う な ず け る▼それは、自由と平等をかかげた建国の理想の体現だった。だがその「大仕事」は きのうで終わり、今日からは容赦のない現実が待つ。膨らむ期待は、世界に満ちる不 平 、不 満 、不 幸 の 裏 返 し に ほ か な ら な い 。さ ら に 不 安 、不 信 、そ し て 不 穏 。 「 不 」が 渦 巻く荒海への、いわば船出である▼米国の大統領とは、多種多様な国民が、その時代 に求める「かくあらねばならないアメリカ」の象徴といえる。首のすげかえといった お手軽な話ではない。そして期待の横で常に、失望が深々と口を開けている▼歴史的 な就任式にはアリ氏の姿もあったそうだ。メダルの一件以来、人生をかけて差別と闘 ってきた人である。人種問題を乗り越え、さらなる困難に旅立つオバマ氏に、大きな エールを送ったに違いない。 2009 年 1 月 22 日 ( 木 ) 付 元日の朝に近くの公園へ足を延ばした。晴れて風はない。澄んだ池に、裸の雑木が、 それぞれの姿を落としていた。 〈 冬 の 水 一 枝 の 影 も 欺 か ず 〉中 村 草 田 男 。こ の 句 は 、寒 さに純化されて引きしまる、人の精神の風景のようにも思われる▼日本海側は雪の新 年 に な っ た 。元 日 や 三 が 日 に 降 る 雪 や 雨 を 、 「 御 降 」と 書 い て「 お さ が り 」と 呼 ぶ 。雨 や雪は涙に通じ、降ることは「古」につながるとも言う。あいにくの空模様を、天か らの授かりものとして言祝(ことほ)ぐ言い換えである▼〈まんべんに御降受ける小 家かな〉と、信州生まれの一茶は詠んだ。正月の雪は豊作の兆しとされてきた。冬に 積 も る 雪 は 、夏 に 田 を 潤 す 水 と な る 。晴 れ る も 降 る も 空 の 恵 み 。一 茶 ら し い 優 し さ の 、 句 は 発 露 だ ろ う か ▼ 届 い た 年 賀 状 に は 、 丑 ( う し ) 年 の せ い か 、「 ゆ っ た り 」「 マ イ ペ ース」などを誓うひと言が目についた。せかせか、いらいら。現代人の性急さから牛 は遠い。悠々と動ぜぬたたずまいが、とりわけ今は共感を呼ぶのかもしれない▼暮れ の紙面に、本紙との記者交流で来日したニュージーランド紙のレベッカ・パーマーさ んが書いていた。東京で暮らした3カ月の間に、待つことがずいぶん苦手になったそ うだ▼「便利さや快適さ、効率などへの期待がずっと増した。要するに、私はベスト な も の を 今 す ぐ ほ し が る よ う に な っ た 」。 日 本 社 会 の 魔 法 だ ろ う 。〈 吾 々 ( わ れ わ れ ) は と か く 馬 に な り た が る が 、牛 に は 中 々 な り 切 れ な い 〉。あ の 夏 目 漱 石 の 言 葉 を 反 芻( は んすう)しながら、元日の朝、牛歩の価値に思いをはせてみた。 2009 年 1 月 3 日 ( 土 ) 付 H21 編集手帳 「われらのテナー」と呼ばれたテノール歌手、藤原義江は恋多き生涯を送った。自伝 うそ だま で回想している。 〈 ぼ く は 彼 女 た ち に 嘘 を た く さ ん 言 っ た が 、一 度 だ っ て 騙 し た こ と は つや ない〉と◆「嘘をつく」と「騙す」の違いは何だろう。艶っぽい方面には不案内で、 語る資格を持ち合わせていないが、相手を傷つけないための嘘か否か、相手の身を案 じるがゆえの嘘か否か、そのあたりが境界線かも知れない◆佐藤栄作元首相もいまは 泉下で、 「 国 民 に 嘘 を つ い た が 、騙 し て は い な い 」と つ ぶ や い て い る か 、ど う か 。沖 縄 返還交渉をめぐり、当時の佐藤首相とニクソン米大統領の間で交わされた有事の際の 核 持 ち 込 み に 関 す る「 密 約 」文 書 が 発 見 さ れ た と い う ◆ 東 西 冷 戦 の さ な か 、米 国 の「 核 の傘」なくしては有事のときに、国民の生命と安全が守れない。被爆の傷跡に配慮し ながら、万一の事態に備えるには――密約は苦渋の選択であったろう◆新聞記者は事 実を伝えるのが使命で、 「 国 益 に か な う 嘘 は 容 認 す る 」と は 口 が 裂 け て も 言 え な い 。言 えないが、過去の時代背景に分け入り、ついた人の心情に思いを致す嘘もある。 ( 2009 年 12 月 24 日 01 時 35 分 読売新聞) どの業界にもそれぞれに的確といえば的確、残酷といえば残酷な隠語がある。プロ野 球では「壁」がそうだろう。ブルペン専門の捕手をいう◆弱小球団といわれた楽天を 優勝が競えるチームにまで育て上げたことを花道に、24年間の監督生活に終止符を 打った野村克也さん(74)も、テスト生から採用された「壁」としてプロ野球人生 の 第 一 歩 を 刻 ん だ 人 で あ る ◆プ ロ 1 年 目 は 1 1 打 数 0 安 打 5 三 振 、 拝 み 倒 し て 撤 回 し て も ら っ た も の の シ ー ズ ン 終 了 後 に 解 雇 を 通 告 さ れ て い る 。そ の 人 が 戦 後 初 の 三 冠 王 、 “名 監 督 ”の 呼 び 名 を ほ し い ま ま に す る の だ か ら 人 生 は さ だ め が た い ◆職 業 柄 か 性 分 か 、 光に照らされた景色を見ると、つい光輪の外、暗い闇に目がいく。華やかなプロ野球 ドラフト会議の模様をテレビの生中継で眺めていて、光に恵まれなかった野村さんの 「 壁 」 か ら の 旅 立 ち を 重 ね た ◆プ ロ に な る 夢 を 胸 に 抱 き つ つ も ド ラ フ ト と は 無 縁 の ま ま、きのうも素振りをし、走り、ひとり黙々と汗を流した若者がきっとどこかにいる だろう。カメラの放列とまぶしい照明のある道だけが、夢の扉に通じているわけでは ない。 ば く ち ば 明 治 生 ま れ の 作 家 、安 藤 鶴 夫 の 小 説 で 、耳 慣 れ な い 物 言 い に 出 合 っ た 。主 人 公 が 博 打 場 た ば こ の 若 い 衆 に 使 い 走 り を 頼 む 。「 煙 草 が み ん な に な っ た 」、 買 っ て き て く れ 、 と ◆辞 書 を 引 く と 、 あ っ た 。【 み ん な に な る 】 = 「 全 部 な く な る 。 終 わ り に な る 」。 賭 け 事 や 相 場 で「 な く な る 」 「 終 わ る 」は 禁 句 で あ り 、忌 み 言 葉 の 言 い 換 え か ら 生 ま れ た の か も 知 れ な い ◆新 聞 記 者 の 舌 に 、 こ の 言 い 回 し は 苦 い 味 が す る 。 か つ て 「 一 億 火 の 玉 」 で 各 紙 が “み ん な ”一 糸 乱 れ ず 論 調 を そ ろ え た と き 、 言 論 は 死 ん だ 。 結 束 を 乱 す か ら と 、 敵 を 利 す る か ら と 、異 説 ・ 異 論 を 排 除 し 、「 み ん な に な っ た 」過 去 が あ る ◆〈 あ な た が 言 う こ と に は 一 切 同 意 で き な い が 、あ な た が そ れ を 言 う 権 利 は 死 ん で も 守 っ て み せ る 〉。劇 作 家 ボ ル テ ー ル が 語 っ た と も 、後 世 の 創 作 と も 伝 え ら れ る 。二 度 と 言 論 を 、国 を “み ん な ”に し な い た め の 一 歩 は 、そ の 言 葉 の 上 に 刻 む し か な い ◆理 が あ る と 思 え ば 、情 に か なうと思えば、合唱に声を合わせることがいまもある。そのときも、独唱の口を封じ ま ね はし るような真似はすまい。筆をもつ端くれの、ささやかな誓いである。 ( 2009 年 8 月 15 日 01 時 12 分 読 売 新 聞 ) 「四十にして惑わず」 「 五 十 に し て 天 命 を 知 る 」な ど 論 語 に あ る 孔 子 の 言 葉 は 、現 代 な らその年齢を三十歳ずつずらして考えていい◆聖路加国際病院の日野原重明先生が著 書の〈人生百年 私の工夫〉でそう書いている。人生百年を視野に入れて考えれば、 八 十 歳 で 天 命 を 知 る こ と を 目 指 し て 行 動 し て い け ば い い と い う ◆「 こ う い う こ と を 考 え る に は 、六 十 歳 か ら が 適 し た 年 齢 」 「新しいことを始められる人はいくつになっても 老 い る こ と が な い 」 な ど と も あ る 。 心 強 い ◆「 日 本 は 6 5 歳 以 上 の 人 た ち が 元 気 。 6 5歳以上で働ける健康な人、介護を必要としない人は8割を超えている。元気な高齢 者 を い か に 使 う か 」と こ れ は 麻 生 首 相 ◆こ こ ま で は よ い の だ が 、 「この人たちは働くこ と し か 才 能 が な い 。8 0 過 ぎ て 遊 び を 覚 え て も 遅 い 」と 続 け て し ま っ た 。 「活力ある高 齢 化 社 会 を 作 る 」 が 演 説 の 趣 旨 と い う が 、 こ れ で は ぶ ち こ わ し ◆ま た 口 が す べ っ た 。 軽口、ジョークのつもりでも、サッカーならオウンゴール。相手に得点献上だ。 ( 2009 年 7 月 28 日 13 時 55 分 読売新聞) 〈私は「四十にして惑わず」という言葉の裏に四十は惑いやすい年齢であるという隠 れ た 意 味 を 認 め た い 〉と 寺 田 寅 彦 が 書 い て い る ◆「 四 十 に し て … 」は 論 語 の 言 葉 だ が 、 その年齢になったからといって、自然に惑わなくなるわけがない。惑いから脱却する 努力をしようと自らを戒める意味が強いということだろう◆全国調査「日本人の国民 性」によると、仕事や生活でイライラを感じている人の割合は20歳代で63%、3 0代で62%、40代で57%と出た。50∼70代では30∼40%台だった◆4 0代までの数字は過去15年間で最高のイライラ度だが、50歳以上の世代は03年 以降ほぼ横ばい。この調査でも40代が不惑かどうかの分かれ目にも見える◆イライ ラは景気低迷、先の見えない不安などの影響が大きいだろうが、こんな時こそ気の持 ちようが大切だ。〈失意泰然、得意淡然〉という言葉もある◆高望みをしない〈人生 80%主義〉は斎藤茂太さん。〈ふたつよいこと、さてないものよ〉は河合隼雄さん せん の「こころの処方箋」の一つだ。 ( 2009 年 7 月 17 日 13 時 53 分 読売新聞) 浮気心と、妻に済まないと思う心のはざまで男は疲れ、ひとりつぶやく。「私の生 活は、良心と欲望が互いにしのぎを削っている時間が多すぎる。いずれが勝っても、 敗者は私なのだ」◆ディック・フランシスの競馬ミステリー「罰金」(早川書房)の 一節だが、麻生首相のぼやきを聞くようでもある。日本郵政の社長人事を巡って鳩山 邦夫前総務相を更迭したことが痛手となり、内閣支持率が急落した◆国民の共有財産 たた を二束三文で叩き売ろうとした不祥事に、きちんと筋を通すのは為政者の「良心」で あ る 。筋 を 通 せ ば 、し か し 、党 内 が 騒 ぎ 出 す 。 反・麻 生 の 動 き を 封 じ た い「 欲 望 」 に首相は負けたと、世間の目には映ったのだろう◆鳩山氏に味方して西川善文社長の 経営責任を厳しく問えば、党内の 麻生降ろし に足を引っ張られる。鳩山氏を切れ ば 切 っ た で 、世 論 に 足 を 引 っ 張 ら れ る 。ど っ ち に 転 ん で も 敗 者 は 私 ― ― と し て も 、「 良 心」に殉じるほうがまだしも救いがあった◆選挙を前に、堂々、世論の逆を張る。人 物の器が大きいのか、並の器で空洞だけが大きいのか、この人ばかりは分からない。 ( 2009 年 6 月 17 日 01 時 41 分 読売新聞) 〈人はただ足ることを知るべし。足ることを知る時は楽しみあり。むさぼること多き 者は憂いあり〉◆江戸時代の世相を写した仮名草子「浮世物語」に出てくる。人は分 相応に満足するのがいい。足ることを知れば幸せだが、際限もなく欲が深いと不安が つのる◆背任の容疑で逮捕された「日本漢字能力検定協会」の前理事長父子に、江戸 の 仮 名 草 子 が 戒 め た 姿 を 見 る 。父 子 は〈 足 る を 知 る 〉の 大 切 さ を 頭 で は 知 っ て い た が 、 そのように身を処しては来なかったようだ◆大久保昇前理事長の叙勲を祝う3年前の パ ー テ ィ ー の 映 像 を 見 た 。何 と 浩 前 副 理 事 長 が 父 子 の こ れ か ら 心 す べ き こ と と し て〈 足 るを知る〉を述べているではないか◆そこまでは父の名のように〈昇〉一方で来た協 会だが、栄華の果ての不安を予感していたのかも知れない。道を踏み外した今、悔や んでも後の祭りだが、残念な話◆協会が業務委託する形のファミリー企業をトンネル 会社にして私腹を肥やした。公益法人の過大な収益が私益の醜益に化けていた。 ( 2009 年 5 月 20 日 13 時 53 分 読売新聞) 格言に〈聖人に夢無し〉とある。聖徳のある人は心に煩いがなく、安眠して夢を見な たの い、と。中国の古典「荘子」に由来するらしい◆夢を眠りの友として毎夜の愉しみに している身は「俗人」のお墨付きをもらったような気分だが、心配事が夢に現れるの はしばしば経験することで、格言を頭から否定もできない。スポーツ選手などは試合 の前、夢の中で苦戦することもあるだろう◆日本と五輪の歩みをたどる本紙運動面の 連載「日本の100年」で、夢の話を読んだ。東京五輪に臨んだレスリング日本代表 候 補 の 合 宿 で は 、 負 け た 夢 を 見 た 選 手 が い る と 、「 も う 一 度 寝 て 、 勝 っ て こ い 」、 コ ー チがそう言ってどやしつけたという◆むちゃと言えばむちゃな指示だが、その気迫の おこぼれをもらって読後の心がいくらか浮き立たないでもない。政治も経済も袋小路 うつうつ に入って鬱々とする今、選手とコーチの一人二役を演じてわが身にスパルタ指導を試 ば り ぞ う ご ん みるのも元気回復の一策だろう◆書いた記事が罵詈雑言を浴びる夢に、はっと目の覚 め る 夜 半 が た ま に あ る 。「 も う 一 度 寝 て 、 書 き 直 し て こ い 」 と 、 ど や さ れ て も 困 る が 。 ( 2009 年 4 月 2 日 01 時 53 分 読売新聞) プロ棋士にとって、意地でも負けられない一局とは何だろう。タイトル戦でも、昇段 の か か る 一 番 で も な い と 、将 棋 の 永 世 棋 聖 、米 長 邦 雄 さ ん は 言 う ◆ 語 録 に あ る 。 〈勝ち 負けが自分には影響がなく、だが、対戦相手にはこの上なく重い意味をもつ一局、そ ういう勝負こそ全身全霊で勝たねばならない〉と◆どうせ勝ったところで…と手を抜 け ば 、勝 負 師 た る お の れ を 否 定 す る こ と に な る 。 「 意 識 の 外 に 自 分 を 消 し 去 り 、相 手 を 消し去り、盤上だけが残ったときに神が降りてくる。イチロー選手の上に降りてきた よ う に 、ね 」。引 用 の 正 確 を 期 す べ く 確 認 す る と 、米 長 さ ん は 電 話 口 で 付 言 し て く だ さ った◆「負けられぬ一局」を相撲に例えれば、自分はすでに負け越しが決まって、勝 ち越せるかどうか瀬戸際の相手を迎えた取組がそうだろう。残念ながら一方的な無気 力相撲もときにはある◆週刊誌の「八百長」報道をめぐる名誉棄損訴訟はきのう、東 京地裁で力士側勝訴の判決が言い渡されたが、無気力相撲にはこれからも疑惑の目が 向けられよう。春場所も終盤、土俵上に神の降りてくる相撲が見たいものである。 ( 2009 年 3 月 27 日 01 時 32 分 読売新聞) なぜ仕事をするのか――3人が答える。最初の若者は「お金のため」と言う。次の人 が い は「 生 き 甲 斐 だ か ら 」と 。最 後 に 、農 業 を 営 む お じ い さ ん が し み じ み と 語 る 。 「仕事は 神 聖 な も の だ 」◆ 小 学 生 の 頃 、道 徳 の 授 業 で 見 た 教 育 テ レ ビ の 番 組 を 今 も 覚 え て い る 。 何十年かが過ぎ、第3の回答の達観には遠く及ばず、第1と第2の心境を行き来して いる◆国家公務員制度改革の行方が心配でならない。業界と癒着した天下りなどの特 権や、非効率なお役所仕事を改めるのは当然としても、与野党が選挙目当てで官僚た たきを競い合うのには閉口する。優秀な人材が公務員にならず、官僚が仕事に生き甲 斐を感じなくなったら、日本は沈没し、困るのは国民である◆近年、公務員人気は低 落 傾 向 に あ っ た 。そ の 中 で は 優 秀 な 志 望 者 が 多 く 、 「 霞 が 関 で 独 り 勝 ち 」と の 評 さ え あ る外務省でもエリートが中途退職し、高給の民間企業に転職していると聞く◆麻生首 相は「官僚は使いこなすもの」が持論だ。御説ごもっとも、たたくのでなく、上手に 使うのが筋だろう。酒癖の悪い閣僚を使いこなせなかった人の御説ではあるが…。 ( 2009 年 2 月 23 日 01 時 47 分 読売新聞) 大 相 撲 の 決 ま り 手 は「 四 十 八 手 」と 言 わ れ る が 、次 第 に 増 え て 現 在 は 8 7 手 を 数 え る 。 8 2 手 は 勝 者 の か け た 技 、残 る 5 手 が 敗 者 の 自 滅 で「 非 技 」と い う ◆〈 勇 み 足 〉や〈 腰 ひざ 砕 け 〉 は 日 常 の 会 話 に も 使 わ れ る 。 バ ラ ン ス を 崩 し た 〈 つ き 手 〉〈 つ き 膝 〉、 戦 意 な く 後退して土俵を割る〈踏み出し〉と非技もいろいろだが、観客には興ざめの決まり手 であることに変わりはない◆野党に技をかけられたのならばまだしも、勝手にこけた 首相の〈つき手〉で黒星を喫しては、閣僚や与党幹部が顔をしかめるのも分かる。本 紙の世論調査で、麻生内閣の支持率が19・7%と2割を切った◆麻生首相の郵政発 言が響いたとみられている。小泉内閣で郵政民営化を決めたときに閣僚でいた人がこ の期に及んで、 「 じ つ は 私 は 反 対 だ っ た 」な ど と 語 る 必 要 は ど こ に も な か っ た 。首 相 は い す 発言を修正したが、 「 閣 僚 の 椅 子 に 執 心 し て 信 念 を 曲 げ た 人 」と い う 印 象 を ひ と 時 で も 国民に植えつけたのは痛手だろう◆ふんどしならぬ口もとをきりりと締め直さねば、 いずれ迎える総選挙の大一番で非技〈踏み出し〉の憂き目を見ないとも限らない。 ( 2009 年 2 月 12 日 01 時 34 分 読売新聞) 「 い な い い な い ば あ 」 で 幼 児 は 笑 う 。「 い な い い な い 」 で 母 の 消 え る 不 安 が 生 じ 、「 ば あ ん ど あ 」で 安 堵 す る 。 「 笑 い と は 防 衛 解 除 の こ と で あ る 」と 文 芸 評 論 家 の 三 浦 雅 士 さ ん が「 青 しゅうえん 春 の 終 焉 」( 講 談 社 ) に 書 い て い る ◆ 第 一 生 命 保 険 が 全 国 か ら 募 る サ ラ リ ー マ ン 川 柳 たの を毎年の愉しみにしてきた。ニヤリとし、ときに噴き出すのも防衛解除の心理作用か おれ も 知 れ な い ◆ 1 0 年 ほ ど 前 の 作 品 、〈 こ の 俺 を 雇わないとは 目 が 高 い 〉。 俺 の 能 力 を見抜くとはさすがだね――就職の失敗という緊張が、自分自身を笑いのめす作者の 心の余裕に触れて解除される。以前はそうだった◆今年の入選100作品を読み、笑 いどころを探すのに苦労している。作品の問題ではなく、現実があまりに深刻なせい だろう。 〈仕事減り 休日増えて 居 場 所 な し 〉や〈 昼 食 は 低カロリーより 低コス ト〉に「うまいな」と感心しつつ、現実味の醸し出す緊張は解除してもらえないまま 胸に残った◆「ユーモリストとは不機嫌を上機嫌にぶちまける人のことだ」と、フラ ンスの作家ルナールは語っている。上機嫌であることが至難のご時世である。 ( 2009 年 2 月 11 日 01 時 53 分 読売新聞) 「イタチごっこ」は昔の子どもの遊びだ。広辞苑によれば、二人が互いに相手の手の 甲をつねって自分の手をその上に載せながら、いたちごっこ、ねずみごっこ、と唱え て繰り返す◆転じて、双方が同じ事を繰り返すばかりで無益なこと、を意味するよう になった。だが、この言葉を振り込め詐欺と取り締まりの関係に用いると、卑劣な行 為を楽しむがごとき犯人たちを、さらに増長させそうでよくない◆株価の下落がニュ ースになれば、息子を名乗って「すぐ損失を弁済しなければならない」と訴える。社 会保険庁の不祥事があれば「年金支給の手続きに必要です」などと言って、お金を振 へ ん げ り込ませる。連中の手口はインフルエンザ・ウイルスのように変化する◆最近はAT Mの警戒が厳しくなったと見るや、お金を直接受けとる手口が増えてきた。警察はこ だま れを逆手に、職員の家族などにかかってきた電話を利用して「騙されたふり作戦」を 展開中だ。さっそく犯人逮捕の成果を上げた◆悪知恵に対抗するにはそれ以上の知恵 が 要 る 。子 ど も の 遊 び で は な く 、ウ イ ル ス と の 戦 い だ 。撲 滅 す る ま で 容 赦 は 要 ら な い 。 ( 2009 年 2 月 8 日 01 時 32 分 読売新聞) な 〈少にして学べば壮にして為す。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して 朽ちず〉――江戸後期の儒学者・佐藤一斎の語録「言志四録」にある言葉だ◆一生学 び続けることの大切さを教えたもので、今風に言えば〈生涯学習〉の教えだろう。死 して朽ちずは容易でないにしても、少・壮・老のそれぞれの時期に学ぶことの大切さ が分かる◆常に学び、新しいものを求めれば、常に若く、生涯を充実して生きられる ということだ。この理屈、頭では分かるのだが、実践となると、なかなか難しい◆桑 田真澄さんが早大大学院に合格した。スポーツ科学研究科・修士課程1年制コースに 学ぶという。元巨人のエースもこの4月1日には41歳になる◆少にしてプロ野球の 実技をきわめた男が、壮にしてトップスポーツチームの運営管理やスポーツビジネス の最前線について学ぶ。 〈 ひ た む き 〉が 身 上 の 男 ら し い ◆ 早 大 進 学 か ら 一 転 巨 人 入 団 と なった昔を思う。生涯学習のかたちで二つの夢をかなえた。学習の実りに期待する。 ( 2009 年 1 月 29 日 14 時 07 分 読売新聞) みずがめ 引っ越しをした兄貴分に祝いの品として水瓶を贈ることにしたものの、弟分二人には こえがめ 金がない。トイレ用、それも使 い古しの 肥瓶で間に合わせた。落語「肥瓶」であ る◆ 「 い い の か い ? 」 と 心 配 す る 相 棒 に 、 も う 一 人 が 言 う 。「 洗 や ァ 分 か り ゃ し ね え 。〈 見 ぬ こ と 清 し 〉ッ て な 」。よ ご れ を 見 な け れ ば 、事 の い き さ つ を 知 ら な け れ ば 、誰 も 不 快 に は 感 じ な い と ◆中 国 製 冷 凍 ギ ョ ー ザ の 中 毒 事 件 が 明 る み に 出 て 、 き ょ う で 1 年 に な る。 〈 見 ぬ こ と 清 し 〉を 地 で い く 最 近 の 報 道 に は 驚 い た 。製 造 元「 天 洋 食 品 」 (河北省) の回収したギョーザが省の指示のもと、中国国内で横流しされ、食べて体の不調を訴 え る 人 が 出 た と い う ◆は か ど ら な い 捜 査 は も と よ り 、 食 の 安 全 に 対 す る こ う い う 感 度 の 鈍 さ が 日 本 を 含 む 諸 外 国 の 消 費 者 を “中 国 産 品 ば な れ ”に 誘 っ て い る 。 そ の こ と を 中 国 当 局 は 深 刻 に 受 け 止 め て い い ◆祝 い の 品 を 喜 び 、 兄 貴 分 は 湯 豆 腐 を ご ち そ う し た 。 く 弟 分 二 人 は 舌 鼓 を 打 っ た あ と 、鍋 の 水 が 肥 瓶 か ら 汲 ま れ た と 知 り …。落 語 も 、現 実 も 、 〈見ぬこと清し〉とうそぶいた者には自業自得のサゲが用意されている。 ( 2009 年 1 月 30 日 01 時 56 分 読 売 新 聞 ) 将棋の大山康晴十五世名人は語ったという。 〈 得 意 の 手 が あ る よ う じ ゃ 、素 人 で す 。玄 む げ 人 に 得 意 の 手 は あ り ま せ ん 〉。融 通 無 碍 、臨 機 応 変 こ そ が プ ロ の 証 し で あ る と 。永 六 輔 さ ん の「 役 者 その世界」 ( 岩 波 書 店 )に 収 め ら れ て い る ◆ 両 翼 の エ ン ジ ン が 故 障 し た 旅客機に、管制官は最寄りの空港に着陸するよう指示したという。間に合わないと判 断した機長は着陸という「得意の手」を捨てて着水を選び、人口密集地に墜落する惨 事を間一髪で避けた◆米国ニューヨーク市のハドソン川にUSエアウェイズ機が不時 着し、155人の乗客・乗員がひとりの犠牲者もなく救出される様子をテレビの映像 で眺めつつ、これぞ玄人、プロの仕事に、胃の痛くなるような緊張が身を去らない◆ 全員が脱出したあと、チェスレイ・サレンバーガー機長(58)はいつ川底に沈むや も知れぬ機内に残り、2度にわたって通路をくまなく行き来して乗客が残っていない ことを確認している◆本物の玄人を見たあとである。たとえ酔った勢いにせよ「おれ は … の プ ロ だ ぜ 」と 粋 が っ た せ り ふ は 、ち ょ っ と 気 恥 ず か し く て 口 に で き そ う も な い 。 ( 2009 年 1 月 17 日 01 時 35 分 読売新聞) 「働かざる者、食うべからず」は新約聖書にある言葉だが、原典のニュアンスは少し 異 な る 。 正 確 な 和 訳 は 、「 働 き た く な い 者 は 、 食 べ て は い け な い 」。 聖 書 は 働 こ う に も 職がない人まで食べるな、とは言っていない◆この言葉はロシア経由で日本に広がっ たという。ロシア革命を主導したレーニンが聖書の言葉を「働かざる者」に変え、資 産家の特権を排すスローガンにした。第2次大戦後、ソ連兵がシベリア抑留日本兵に 過酷な労働を強いる際にこれを借用し、帰還兵が日本に持ち帰ったという説がある◆ 戦後の復興と高度成長のもと、日本では勤勉の合言葉になった。働き口がいくらでも あったころは、言葉の持つ冷徹さは気にせずにすんだのだろう◆時代は移り、多くの 人 が 、寒 風 の 下 で「 働 か ざ る 者 … 」の 冷 た い 響 き を 肌 で 感 じ て い る 。 「 勤 労 は 善 」だ っ たはずなのに、君は「非正規」だから、と突然に職を奪われる。その疎外感は、衣食 あら 住への支援だけでは埋まるまい◆新約聖書には「人はパンのみにて生くる者に非ず」 きょう じ ともある。お金持ちが給付金をもらわぬ 矜 持より、よほど 心を 砕 くべ き 矜 持が あ る 。 ( 2009 年 1 月 12 日 01 時 37 分 読売新聞) 総額2兆円の定額給付金そのものをやめるのではないから〈朝令暮改〉とはいえない りんげん かもしれないが、麻生首相の発言が二転三転している◆〈綸言汗のごとし〉とは、天 子の言葉は一度発したら汗のようなもので、元には戻せないということだが首相の発 言はこの戒めに反し、 〈 朝 令 暮 改 〉の よ う な 迷 走 を 思 わ せ て し ま う ◆ こ の 給 付 金「 全 世 帯 に つ い て 実 施 」で 始 ま っ た が 、そ の 後 、 「 貧 し い 人 や 生 活 に 困 っ て い る 人 に や る 。豊 かな皆さんに出す必要はない」に変わった◆さらに「1億円も収入のある人は、もら き ょう じ わないのが普通。人間の矜持の問題」とまで言ったのだが、きのうになるとその「矜 持」とやらもどこへやら◆「政府や党がもらえとかもらうなとかいう種類のものか。 消 費 刺 激 に 意 味 が あ る 。私 自 身 が ど う す る か は そ の 時 に 考 え た い 」。貧 窮 対 策 か 景 気 刺 激かの間で、発言がぶれているようにみえる◆が、これでは〈朝令暮改〉ならぬ〈朝 あした ゆうべ 不 謀 夕 〉( 朝 に 夕 を 謀 ら ず ) ― ― 目 先 の こ と さ え 考 え な い と も い わ れ そ う だ 。 ( 2009 年 1 月 7 日 13 時 54 分 読売新聞) 初詣での善男善女でにぎわう東京・深川の富岡八幡宮で、参道の鳥居をくぐるとすぐ つえ 左手に伊能忠敬の像があった。方位磁石を仕込んだ杖を手に、旅の第一歩を大きく踏 み出している。その時、忠敬55歳◆江戸勧進相撲の発祥地としても知られるこの神 え ぞ ち 社で道中の無事を祈願した後、蝦夷地へと最初の測量に出た。天文や測地などを本格 的に学び始めたのは、家督を譲って江戸に移り住んだ50歳の時からである◆現代に 当てはめれば、会社を退職した後の60代なかばあたりで新たな挑戦を開始し、70 歳前後で世界に飛び出す、といった感じだろう。第二の人生で後世に残る仕事を成し た代表例だ◆「伊能大図」の日本列島214枚をつなげると30メートル四方より大 きくなるという。これを復元して全国で巡回展示する準備が進んでいる。昨年末に、 一部がまず富岡八幡宮でお披露目された◆今年2009年は団塊世代の全員が還暦を かまびす 越える。超高齢社会の到来――などと 喧 しいけれど、さらに上の世代も含めて、ま だまだ老け込む時ではないだろう。大図を描くために伊能忠敬が歩測した道のりは4 000万歩にも及ぶ。 ( 2009 年 1 月 4 日 01 時 34 分 読売新聞) 春 秋 2009 春 秋 (12/18) 「 裏 を 見 せ 表 を 見 せ て 散 る 紅 葉 」。良 寛 上 人 が い ま わ の 際 に 弟 子 と 取 り 交 わ し た 句 だ 。 かつてロッキード事件の法廷で弁護人がこれを朗々と詠じたことがある。被告人に不 利な「表」の証拠しか見せない検察官をやり込めた弁論だった。 ▼表も裏もためらいなくさらして散る紅葉を見習え、と言いたかったのだろう。たし かに刑事裁判は検察に不都合でもすべてを法廷に差し出さなければ誤った判断を招き か ね な い 。と こ ろ が 実 際 に は 手 持 ち の 材 料 を え り 分 け て い る 。42 年 前 の 布 川 事 件 で 再 審開始が決まったニュースは、その現実を教えてあまりある。 ▼ 検 察 が 握 っ て い た 証 拠 が よ う や く 明 か さ れ 、無 期 懲 役 の 確 定 し て い た 2 人 が 冤 罪( え んざい)を晴らそうとしているのがこの事件だ。彼らの悲憤とは比べものになるまい が、なぜもっと早く「裏」も見せなかったのかと無念でならない。しかも今では裁判 員裁判の時代だ。これでは市民が真実に目を凝らすにも闇が深すぎよう。 ▼「 裏 」 と い え ば 、 取 り 調 べ の 裏 側 も 見 え る よ う に し な け れ ば 裁 判 員 を 誤 ら せ る こ と になる。布川事件で2人が有罪になった決め手は、やはり自白だった。容疑者とのや り取りを録音・録画し、それをさらけ出しても市民を説得できる捜査を遂げるしかな い。何よりも、冤罪に泣く人を出さないための道ではないか。 春 秋 ( 10/18) 「 い い 会 社 を つ く り ま し ょ う 」。そ ん な 社 是 を 掲 げ た 食 品 会 社 が 長 野 県 の 伊 那 食 品 工 業 だ 。企 業 は 会 社 を 構 成 す る 人 々 の 幸 せ の た め に あ る べ き だ と の 趣 旨 。リ ス ト ラ な し 、 成果主義なしの終身雇用。午前と午後にはお茶の時間もある。 ▼ た だ 居 心 地 が い い 、と い う わ け で は な い 。 「最も根本的な経営効率化策は社員のモラ ール(やる気)の向上」だからだと創業者は本紙の取材に答える。食べられるフィル ムを寒天で作った。そのまま溶かせるのでインスタント食品の調味料袋に使われた。 こうした工夫の積み重ねで、寒天の国内シェアはトップだ。 ▼職場にも感情があり、良い組織は良い職場感情を持つ。経営コンサルタントの高橋 克徳氏は近著「職場は感情で変わる」で実例を挙げ説く。イキイキ、あたたか、ギス ギス、冷え冷え。4タイプのうち前の2つの併用が望ましく、冒頭の食品会社が好例 という。後の2つの感情に職場が包まれれば、組織は危ない。 ▼起業直後には高揚感あるイキイキ職場が望ましい。成熟期はあたたかが過ぎてぬる ま湯にならないよう要注意。問題は壁にぶつかる転換期の企業だ。リストラにおびえ 疑心が広がる。ギスギス・冷え冷え職場の典型だ。突破口は皆が変革への参加意識を 共有すること。カギは上司や仲間への信頼だと高橋氏はいう。 春 秋 (8/16) 広島県江田島市の海上自衛隊幹部候補生学校では1羽のフクロウが大講堂の中を見 下ろしている。演壇の上の玉座を飾る彫刻のことだ。大講堂は海軍兵学校のころから 入校式や卒業式に使われ、士官になる大勢の若者を送りだしてきた。 ▼ フ ク ロ ウ は ロ ー マ 神 話 の 知 性 の 女 神 、ミ ネ ル バ の 使 い と さ れ る 。海 軍 は 軍 事 も 数 学 、 理科も最高水準の教育を実践しているとの自負があった。誇りの表れがフクロウの彫 刻だったらしい。士官養成の場を東京の築地から移転する際に江田島を選んだのは、 都会から遠く離れ教育に集中できると考えたからだという。 ▼そんな恵まれた教育で鍛えられた人材が軍の要職を占めていたにもかかわらず、無 謀な戦争に突入した。フクロウが象徴する知性とは知識が豊かなだけでなく、的確に 判断する力も含まれるはずだ。講堂の彫刻もさぞ無念だったのではないか。リーダー が情報や組織を掌握できないときの怖さを今更ながら感じる。 ▼旧首相官邸の屋上には東西南北を向いた4羽のミミズクの石像が今もある。 「森の賢 者」と呼ばれるミミズクはフクロウの仲間で、やはり英知の象徴とされてきた。新し い 官 邸 に 石 像 が 移 ら な か っ た せ い か 、政 治 が 指 導 力 を 欠 い た 状 況 が 長 ら く 続 い て い る 。 一国のリーダーを決める衆院選投票まで2週間になった。 春 秋 (7/4) 「エコ」じゃなくて「エゴ」だよ。今月解禁された3人乗り自転車をめぐって、そ んな意見をあちこちで耳にした。 「 物 、彼( か )れ に 非( あ ら )ざ る は な く 、物 、是( こ ) れに非ざるはなし」と中国の「荘子」にある。どんなことも見方次第でああもこうも 言えるといった意味だ。 ▼この話、3人乗りを禁じる法律を額面通り適用しようとする警察に「子育てができ ない」と母親たちが反発したところから始まった。ならば、と安全な自転車に限り認 める方針になったのは「母の勝利」ではあろう。けれども、その自転車が我が物顔で 歩道を走ることに危険を感じる人だっているのもまた現実だ。 ▼クルマが見れば邪魔なのろま、歩行者が見れば乱暴な侵入者。漕(こ)ぐ本人もク ルマのつもりだったり歩行者気分だったり。ああもこうも言える自転車の身の置きど ころは難しい。法律はむろんクルマ。警察もおとなの2人乗りや信号無視などを厳し く取り締まるようになったとはいうのだが。 ▼エ コ だ 健 康 だ と お だ て な が ら 、 専 用 の 道 さ え ろ く に な い の が 問 題 な の は は っ き り し て い る 。そ う な の だ が 、と り あ え ず は 歩 く 人 の 恐 怖 心 と 自 転 車 を 漕 ぐ 母 親 の 苦 労 と に 、 お互いが思いをはせるしかない。 「 荘 子 」は「 利 を 見 て 而( し こ う )し て 、其( そ )の 真を忘る」とも言う。目先だけにとらわれてはいけない、との教えである。 春秋 ( 2/11) あ ま り 使 わ れ な く な っ た が 、「 米 び つ を か じ る 」 と い う 言 葉 が あ る 。「 少 し は そ の 道 の こ と を わ き ま え て い る 」と い っ た 意 味 だ( 日 本 国 語 大 辞 典 )。か じ り ま く っ た は い い が、わきまえたのはひたすら己の米びつを潤す道だけだったか。 ▼事故米の不正転売事件できのう、米粉加工会社「三笠フーズ」の社長、元顧問らが 逮捕された。農薬で汚染され工業用糊(のり)にしか使えない輸入米を食用の米と混 ぜ て 売 る 。安 く 仕 入 れ た 事 故 米 が 食 用 に 化 け 、値 段 は 何 倍 に も 跳 ね 上 が る 。 「もうける ことを考えるのは天才的だった」という元社員の社長評が寒々しい。 ▼問題の米は酒になり、菓子になり、給食に紛れ込んだ。当たり前だ。日本ではひと を「 米 の 虫 」と 言 い 、米 の 飯 と は い く ら 食 べ て も 飽 き な い も の の 例 え で あ る 。舎 利( 仏 の骨)になぞらえてきたのも、米が特別だからだろう。事件には、水に落とした 1 滴 の毒が見えぬままサッと広がってしまうような怖さがある。 ▼ そ れ で も 、不 届 き 者 の 悪 行 は 防 げ た と 誰 も が 思 っ て い る 。 「検査態勢が万全ならば起 こ ら な か っ た 」と 石 破 農 相 は 謝 っ た と い う 。そ う だ ろ う 。96 回 も 三 笠 フ ー ズ に 立 ち 入 っ て 何 の 不 正 も 見 つ け ら れ な か っ た 農 水 省 の 検 査 は 、検 査 の 名 に は 値 し な い の だ か ら 。 食べるだけの役立たず。これを「米食い虫」と言う。 春 秋 (2/5) 人生の目標は「高官ニ昇リ富貴ノ人トナル」ことだ。そのためには一に勉強二に勉 強。 「 勉 強 ハ 富 貴 ヲ 得 ル 資 本 」で あ る 。明 治 初 年 の「 穎 才( え い さ い )新 誌 」な る 投 稿 雑 誌 に は 若 者 の そ ん な 声 が 満 ち て い た と い う ( 竹 内 洋 「 立 志 ・ 苦 学 ・ 出 世 」)。 ▼維新を遂げて能力主義の時代を迎え、才気あふれる青年たちはこぞって官への登用 を夢見たのだろう。それは「富貴」への近道でもあったに違いない。やがて高等文官 試験が始まり、ひとたび試験に通れば身の栄達が約束される仕組みが出来上がった。 戦後もこれを受け継いだシステムはずっと命脈を保っている。 ▼国家公務員制度改革の工程表がやっとまとまった。いわゆるキャリア制度もやめる という。天下りや「渡り」は今年中に廃止する、というのが首相の言だ。大したもの だがドタバタの末の急ごしらえでもある。そもそも学歴社会とも密接に絡んだ、明治 以来の日本の姿を変えるほどの気概を備えているのかどうか。 ▼そのあたりを見透かしてか、霞が関は冷ややかなようだ。人事院総裁までが朝のテ レビ番組に出てきて一席ぶっていた。この人も渡り官僚だが、お仲間のなかには渡り を繰り返して何億円も退職金をもらった猛者がいるという。 「高官ニ昇リ富貴ノ人トナ ル」が昔話ではないのだろう。改革は大変な力仕事である。 春 秋 (2/4) ケ チ の こ と を「 6 日 知 ら ず 」と い う 。1 日 2 日 … … と 指 折 り 数 え て 5 日 で 握 り 拳 が で きる。6 日からは指を開いていかねばならない。握ったものを開くなんてとんでもな い。欲深は何でもほしがり、ケチは一度手に入れたら放さない。そんな違いもよく分 かる。 ▼しかし当節、欲深などとんでもない。6 日知らずとそしられようと拳も簡単には開 かないという方も多かろう。先日、自民党の細田博之幹事長が「従来通り雇用されて 普通に給料をもらっている皆さんが、消費をいたずらに減らすのはむしろ罪だ」と言 ったそうだが、少々の違和感がある。 ▼ 1 月 も 、 新 車 の 販 売 台 数 は こ れ ま で 人 気 が あ っ た 軽 自 動 車 を 含 め て も 前 年 の 20% 減 で 22 年 前 の 水 準 。 大 手 百 貨 店 の 売 り 上 げ は バ ー ゲ ン を 前 倒 し し た の に 10% 前 後 の 減 という。さて、それを正規雇用者の罪と言われても困る。普通に給料をもらっている 人があした賃金カットされるのも当たり前なのだから。 ▼そもそも、6 日先を知りたくて知れぬのが問題なのだ。暦のうえでは、きょうの立 春から数えて 6 日めに春告げ鳥のウグイスが鳴き始めることになっている。拳にだっ て春らしい何かを告げてくれれば小指、薬指と緩めもしようが、その何かが見つから ないことには。定額給付金? それでは 6 日知らずのまんま。 春 秋 ( 1/12) 「道具は物でない。自分の心の尖端(せんたん)である」という言葉をある職人が 残している。板前や大工なら道具はまず刃物だろう。刃物はすぐなまくらになる。だ から腕が立つほどに、道具を大事にするため砥石にもこだわるようになるという。 ▼「女房を質に入れてもいい砥石を買え」とは職人の世界の物言い。そこまでの心意 気なんだ、と理解するとして、さて、人間にも砥石が必要だというのが、作家の井上 ひさしさんだ。必ず切れなくなるときが来るのに、おればかりは研がずとも大丈夫と うそぶいて振り回すようではいけない、という話をしている。 ▼職人が刃物を研ぎ続けるのと、人が心の尖端を研ぎ続けるのと。何の違いもないだ ろう。平成という時代とともに育って成人の日を迎えた若者にも、これから砥石を探 し求め、研いで、の長い日々が続く。職人の砥石はそれぞれの研ぎ癖がつくので、他 人に貸したがらないという。心の研ぎ癖も人それぞれである。 ▼こんな一節があった。 「 つ ま る と こ ろ 人 生 と は 1 冊 の 本 、1 人 の 女 性 、1 人 の 親 友 、1 本 の 酒 、 1 つ の 言 葉 ( 詩 ) を 求 め る 旅 だ っ た な 」。 昭 和 史 研 究 家 で こ と し 70 歳 に な る 保 阪 正 康 さ ん が 、近 著 の あ と が き で 紹 介 す る 同 年 代 の 友 人 の 言 葉 だ 。 「 1 つ の 」の あ と は何でもいい。どこかに研ぎ癖を刻めれば、と思う。 平 成 21 年 余禄 余録:森繁さんのアドリブ 「いいよ、もうくたびれたよ」。森繁久弥さんが勝新太郎監督・主演の「座頭市」 に出た時だ。勝さんが空いた時間に「何かやろうよ」とアドリブ撮影を持ちかけたの に森繁さんは答えた。が、カメラは回り始める▲「おい、父(と)っつあん」とかま わず勝さんが切り出す。「もういいよ、疲れたよ」「あれやってくれ、あれ」「あれ って何だい」「あれだよ。父っつあんのあれ」。森繁さんは昔教わった都々逸を思い 出した。「ボウフラが 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水飲み飲み浮き沈み」▲森 繁さんの語りを久世光彦さんがつづった「大遺言書」(新潮文庫)の伝えるエピソー ドである。この場面は後に名シーンとたたえられた。現実と虚構との境界を自在に行 き 来 す る 名 優 の 渡 り 合 い だ ▲ 映 画「 社 長 」シ リ ー ズ に テ レ ビ の「 七 人 の 孫 」、舞 台「 屋 根の上のヴァイオリン弾き」と各ジャンルの代表作をあげるだけで小欄の紙幅はすぐ 尽きる森繁さんである。加えて歌や文筆でも軽々と境界を越える才能のスケールは比 類なかった▲これほど大きな才能ならば、小さな蚊でも飲まねばならぬ泥水の浮き沈 みもさぞ……そう思わせる艶笑譚(えんしょうたん)の数々や旧満州の凄惨(せいさ ん)な終戦体験も有名だ。「演技の上で映画や芝居を見て学ぶことは、まあ、ありま せん。実際の人生の方がはるかにおかしいし、切ない」の言葉もある▲虚実の境界を 往還し、「人の世の主役は人間ではなくて歳月です」と達観していた森繁さんだが、 それを記した久世さんに先立たれてからは公の場から遠ざかった。「九十数%は俳優 として生きたが、最後は肉親として見送れた」。そうご子息が語る穏やかな最期とい う。 余録:混乱長引く日本郵政社長人事 哲学者は物事をとことん考え詰めるのが仕事だから、時にはありえない話も思いつ く。たとえばまったく同じに積まれた二つの干し草の真ん中にロバを置けばどうなる か。ロバはどちらの干し草を選べばいいかいつまでも決断できず飢え死にするという ▲14世紀の哲学者の名をとって「ブリダンのロバ」といわれる話である。あらゆる 物事に理由がある−−ロバがどちらかを選ぶ以上は何か理由がなければならないと思 い詰めるとこんな話になる。それをもとに外界の条件から独立した人間の自由意思の 問 題 を 考 察 す る こ と も で き た ▲ 思 え ば 政 治 は「 右 か 、左 か 」を 選 ぶ 決 断 の 連 続 で あ る 。 こちらは左右同じ干し草ではなくとも、どちらが良いか判断に迷う事柄が多い。それ でも必要な時に自らが最善と信ずる決断を下し、その責任を引き受けるのが政治リー ダーの仕事だ▲日本郵政の西川善文社長の人事で鳩山邦夫総務相の続投阻止の気勢が 収まらない。またも国民は麻生政権の迷走につき合わされる形となった。背景に郵政 民営化をめぐる与党内対立も見え隠れし、首相の対応の鈍さへのいら立ちも聞こえる ▲首相にすれば、日本郵政の指名委員会が決めた人事を覆せば郵政民営化の否定と猛 反発を浴びよう。一方かんぽの宿売却問題などの責任を問う総務相の扱い次第では内 閣の致命傷ともなる。落としどころを求めて混乱を長引かせれば自らの指導力が疑わ れる−−みな苦い干し草だ▲政治のトップリーダーがなすべき決断の時を失えば、飢 えて死ぬのは政治への信頼そのものだ。むろん政治家は哲学者の頭の中のロバではな いのだから、決断には理由の説明も必要である。 毎日新聞 2009 年 6 月 6 日 0 時 00 分 余録:直言 「どんな社会も権力者にはごますりが出てくるもんで、ちょっと(判断の)時間が 伸( の )し て い る 」。民 主 党 の 渡 部 恒 三 最 高 顧 問 が 先 日 の 本 紙 イ ン タ ビ ュ ー で 、小 沢 一 郎代表の進退についてこんな言い方をしていた▲渡部氏は、小沢代表のままでは選挙 を戦えないのは常識、とも明言している。二つの発言をつなげると、小沢氏の辞任決 断が遅れているのは周囲のごますりが誤った情報を上げているため、というふうに聞 こえる。真偽はともかく、渡部氏のもどかしさは伝わってくる▲徳川家康がある時、 家臣に「主人への意見は一番槍(やり)より難しい」と言ったそうだ。一番槍とは戦 争で真っ先に敵の中に突入し相手を倒すこと。至難の業といわれた一番槍より「主人 への意見」の方が難しいとはどういうことか。いぶかる家臣に家康は説明した▲主人 といえども欠点や痛いところを突かれたら不愉快になることがある。人によっては根 にもつ。意見を述べた家臣の方は後悔して主人の顔色が気になるようになる。そうし て 疑 心 暗 鬼 が 広 が り 、信 頼 関 係 が 崩 れ る( 童 門 冬 二 著「『 人 望 力 』の 条 件 」講 談 社 + α 文庫)▲一方、正しい情報が伝えられず大恥をかいたのは、アンデルセン童話の「皇 帝の新しい着物」の王様だ。ペテン師にかつがれ、存在しない着物を着たことにされ 裸で行列の先頭に立つ羽目になったのは、見えや保身にかられた家来たちのウソの報 告がもとだった▲アンデルセンは結局、無邪気な子供に「王様は裸だ」という真実を 語らせた。大人の社会では、トップへの直言は洋の東西を問わず、今も昔も難しいよ うだ。家康の言葉は、民主党には意味深長に響くことだろう。 毎日新聞 2009 年 5 月 8 日 0 時 33 分 余録:ミツバチの足りない春 平 安 貴 族 も 人 さ ま ざ ま 、太 政 大 臣 ま で つ と め た 藤 原 宗 輔 の 場 合 は こ う だ 。 「意外にも 蜂という人を刺す虫を好んで飼っていた。蜜(みつ)を塗った紙をささげ歩けば、何 匹 も 飛 ん で 来 る が 刺 さ れ な い 」( 今 鏡 )。 蜂 飼 ( は ち か い の ) 大 臣 ( お と ど ) で あ る ▲ なにせ貴族社会のことだけに「無益の事」と笑われた。だがある時鳥羽殿でハチの巣 が落ちて大騒ぎになる。その場で宗輔はあわてずビワの実にミツバチを群がらせて騒 ぎ を 収 め 、人 々 を 感 心 さ せ た 。こ ち ら は 説 話 集「 十 訓 抄( じ っ き ん し ょ う )」に あ る 話 だ ▲ い ず れ も 渡 辺 孝 さ ん の「 ミ ツ バ チ の 文 学 誌 」 ( 筑 摩 書 房 )で 知 っ た 逸 話 だ が 、宗 輔 の手柄話の前段にはクモの巣にかかったハチを助けた武将が、ハチの大群の加勢によ り 大 敵 を 破 る 報 恩 譚( た ん )も あ る 。 「 蜂 は 小 さ い が 、仁 智( じ ん ち )の 心 が あ る と い わ れ て い る 」。「 十 訓 抄 」 は そ う 記 し て い る ▲ こ れ か ら の 季 節 、 メ ロ ン や ス イ カ な ど の 受粉に必要なミツバチだ。ところが昨夏の働きバチ大量死などにより各地でミツバチ が不足し、果物価格にも影響が出そうだという。ちょうど豪州でミツバチの病気が広 がり、同地からの女王バチの輸入が止まったのも不足を深刻化させた▲ミツバチとい えば、数年前に米国で謎の大量失跡が伝えられた。日本での大量死は農薬やダニのた めといわれるが、原因ははっきりしない。当面のハチ不足に農林水産省は需給調整を 進め、アルゼンチンの女王バチ輸入交渉も急ぐという▲無類の働き者で律義な友のあ りがたさを改めて思い知らされたこの春だ。大量死や失跡といったミツバチのピンチ の真相はしっかり突き止め、手をさしのべたい。ここは人間にも仁智の心があるとこ ろを見せねばならない。 毎日新聞 2009 年 4 月 15 日 0 時 03 分 余録:受精卵取り違え疑惑 「ヒュブリス」とは思い上がりや過信、傲慢(ごうまん)を意味するギリシャ語で ある。古代ギリシャ人たちは、彼らが描く悲劇の原因にこのヒュブリスをすえた。人 間である主人公が運命にあらがい、神と争いながら、結局は神に復讐(ふくしゅう) されるというのがギリシャ悲劇である▲ではこの言葉はどう聞けばいいだろうか。 「マ ニュアルは技術を向上させるのがいちばんの趣旨だった」 「日ごろ1人で作業してきた の で 、過 信 し て し ま っ た 」。香 川 県 の 県 立 病 院 で 起 こ っ た 受 精 卵 取 り 違 え 疑 惑 に か か わ った医師の話である▲この世に新たな生命をもたらす神々の技を人が代わって行おう という生殖医療だ。神にもまさる技術を求めるその運命との戦いは、結局は人間が決 して超えられない宿命に足をすくわれてしまった。それは人はミスを犯すという現実 である▲胸を締めつけるのは、そのヒュブリスによるミスがもたらした痛ましい悲劇 である。それは、この医療にかかわった関係者すべてにふりかかることになった。も ちろんその代表は人の過失の代償にその未来を絶たれた小さな生命の芽である▲妊娠 の喜びもつかの間、わが子かどうか分からぬまま中絶した女性の心痛はどれほどだろ う。わが子かもしれないのに人工中絶を2カ月もたって知らされた女性の心中も察す るに余りある。どの立場も想像すれば、思いは乱れ、心が震える▲神に代わって行う 医療がひとたび誤れば、人の魂までも深く傷つける悲劇を生み出す。それを示したこ の取り違え疑惑だ。生殖医療もミスを犯す人間の営みならば、まずは受精卵の入った シャーレを扱う手の思い上がりや過信、傲慢を封じる策が求められる。 毎日新聞 2009 年 2 月 21 日 0 時 01 分 余録:米ロ通信衛星衝突 あまり起こりそうにない偶然が実は結構よく起こりうるという意外な例がある。学 校 の 4 0 人 の ク ラ ス で 、誕 生 日 が 同 じ 生 徒 が い る 確 率 は 何 割 ぐ ら い だ ろ う 。1 割 ? 割? 3 いや半分程度か。実は約9割の確率という。同じ誕生日の人がいない方がまれ なのだ▲この話、聞いたことのある方もおいでだろうが、根拠となる計算は正確に紹 介する自信がないので省略する。ただ40人もいれば生徒2人の組み合わせの数は直 感で想像するよりはるかに多く、誕生日が一致する可能性も予想外に大きいのだ▲さ て広大な宇宙空間の話である。そこで偶然に二つの人工衛星が衝突するようなことが 起こりうるのかとも思う。だが現在軌道を飛ぶ衛星と、その残骸(ざんがい)や破片 などの宇宙ごみは監視可能なものだけで1万個を超えると聞けば見方も変わろう▲米 イリジウム社の衛星と、すでに機能停止したロシアの衛星がシベリアの上空約790 キロで衝突したという。米衛星は重さ約560キロ、片やロシアのそれは約900キ ロという通信衛星同士の出合い頭の衝突は、もちろん宇宙初のことである▲問題は事 故の結果だ。両衛星の残骸は地上から確認できたものだけでも約600の新たな宇宙 ごみとなって漂うことになった。軌道の高度が違うため国際宇宙ステーションや、今 月打ち上げ予定のスペースシャトルへの影響はないという。だが今後の軌道の変化が 心配されている▲限られた空間を飛び交う制御不能の物体が増えれば衝突の危険も増 えるのは難しい理屈ではない。宇宙は広いといって手をこまぬけば、ごみ対策と交通 事故対策とで後手に回った地上の過ちを今度は宇宙で繰り返すだろう。 余録:時は平和なり? 「いきなり話の要点に入るのはとっても無作法/交渉は日がな一日ゆっくりあわて ず/『すぐに』が一週間のことをさす、独特の/のんびり、のん気な日本流/時計の 動きはてんでんばらばら/報時の響きはそろわない……」▲明治に来日した米国人が 書いた「大ざっぱな時間の国」という詩である。今ではちょっと耳を疑うが、西本郁 子 さ ん の「 時 間 意 識 の 近 代 」 ( 法 政 大 学 出 版 局 )に よ る と 、幕 末 や 明 治 の 日 本 人 は の ん びりと時間にこだわらぬ人々だったらしい▲「この国では物事はすぐ進まない。一時 間そこいらは問題にならない。 『 す ぐ に 』と い う 意 味 の『 タ ダ イ マ 』は 、今 か ら ク リ ス マスまでを意味することもある。怒っても無駄だ」とは英国の日本案内書だ。どこか よその国について書かれた現代のガイドを思い浮かべた方もいよう▲こののんきな国 民が、世界有数のせっかちで時間にうるさい国民に変身するまでの波乱のドラマは西 本さんの本に詳しい。その紆余(うよ)曲折を思い出したのも、今月、国連安保理の 議長国となった日本が各理事国に国産電波時計を贈って時間厳守を呼びかけたとの外 電に接したからだ▲それこそ時間に厳しい国からそうでない国までさまざまな国々の 集まる国連である。会議は定刻を15分ぐらい遅れることが多いそうだが、世界平均 するとその辺に落ち着くものなのか。ここはのんびり派からせっかち派へ苦労して変 身 し た 国 な ら で は の 議 長 プ レ ゼ ン ト と い え そ う だ ▲ な る ほ ど「 時 は 平 和 な り 」 「時は人 命なり」の場面もある安保理だから、時計がそんなところで役立てばいい。ただ「い きなり話の要点に入る」議事運営は議長の力量次第だ。 毎日新聞 2009 年 2 月 6 日 0 時 01 分 余録:スズメ急減 18世紀プロイセンのフリードリヒ大王は大のサクランボ好きだったという。そこ でサクランボを食べるスズメの駆除を命じる。だが、スズメがいなくなるとたちまち 害虫が大発生し、サクランボも打撃を受けた。反省した大王は一転、鳥類保護に努め たという▲こちらは20世紀、毛沢東の中国だ。50年代に中国政府はネズミなどと 共に農作物を食い荒らすスズメの一掃に乗り出す。一説に11億羽が捕獲されたとい うが、結果はやはり害虫や雑草がまん延して大凶作に陥る。やがて駆除令は撤回され た▲「頭きって尾をきって、俵につめて海へ流す」とは小正月の鳥追い歌だ。日本で も 農 民 か ら は 嫌 わ れ て き た ス ズ メ で あ る 。し か し 一 方 で「 ス ズ メ を 取 る と 火 事 に な る 」 と い っ た 俗 信 や 、ス ズ メ が 幸 運 を も た ら す 物 語 も 日 本 人 は 好 ん だ 。昔 の 人 は そ の「 益 」 にも目配りしていたようだ▲そんな愛憎からみあう古くからの友が最近少ないなと、 かねていぶかしくは思っていた。東京近郊の自宅近くでは20年前は小鳥といえばス ズメだった。だが今やヒヨドリやシジュウカラ、メジロなどが元気に飛び回る割にス ズメの影が薄い▲立教大特別研究員の三上修さんの調査にもとづく推計によると、国 内のスズメ生息数は約1800万羽、ここ20年で最大80%減少し、半世紀前の1 割程度になっているという。原因は田畑などエサ場や営巣できる場所が減ったためら しい▲調査が実感を裏付けた形だが、あのひときわ生命力あふれたスズメたちに今何 が起こっているのか。急減するスズメは何か思わぬ凶事の前触れではないかと心配に なってくる。古い友の忠告を聞き取れる聴耳頭巾(ききみみずきん)がほしい。 余録:厳寒の中の希望 ドイツ人はクリスマスにはビールを飲んでバカ騒ぎするだろう−−こんな見通しな しには米国は独立できなかったかもしれない。独立戦争で英軍に圧迫されたワシント ン率いる大陸(たいりく)軍は、英軍のドイツ人傭兵(ようへい)部隊をクリスマス に急襲して形勢挽回(ばんかい)した▲直前の大陸軍は相次ぐ敗軍で数千まで兵を減 らし、凍りつくデラウェア川の岸で野営した兵の中には靴すらない者もいた。歴史的 奇 襲 の 2 日 前 、そ こ に い た あ る 男 は た き 火 の 光 の 中 で こ う 記 し た 。 「今こそ人間の魂に とっての試練の時だ」▲男は「コモン・センス」の著者トマス・ペイン、この時に書 かれた「危機」という文章は大陸軍将兵を鼓舞し、独立戦争の勝利に貢献した。米独 立革命史の泣かせどころといえるこの場面は、米国の苦難の時代には繰り返し思い起 こされる▲だからオバマ新大統領が、その「危機」を引用して国民を鼓舞したのは、 困難な時代の米国リーダーの正道だろう。 「未来の世界で語られるようにしよう−−厳 寒の中、希望と美徳しか生き残れなかった時、共通の脅威にさらされた都市や地方は 進み出て、共に立ち上がったと」▲華麗な言葉のアクロバットを期待する声もあった 就任演説である。だが耳に残ったのは国民に正面から現状の厳しさを説き、米国再生 への「責任」を共に担うよう求める堅実な言葉だ。そこには過熱気味だった期待を冷 却する狙いもあろう▲仏思想家トクビルは建国間もない米国人を見て「欠点を自ら矯 正する力」を見抜いた。行き詰まった政治の大胆な路線転換も、建国の理想を再活性 化することで可能となる米国の文明だ。その21世紀版は今、黒人大統領が扉を開い た。 毎日新聞 2009 年 1 月 22 日 0 時 03 分 余録:筋の通らない金? 300文で買った仏像を磨いていると、台座の下の紙が破れて中から現れたのが5 0 両 だ 。 落 語 「 井 戸 の 茶 碗 ( ち ゃ わ ん )」 で あ る 。「 仏 像 は 買 っ た が 金 は 違 う 」 と 5 0 両を元の持ち主の貧乏浪人に返そうとするが、こちらも「一度売った以上、自分のも のでない」と拒む▲落語には「お前のだ、受け取れ」という金を「筋の通らない金は 受け取れない」と突き返す騒ぎがよくある。拾った金をめぐっての大岡裁き「三方一 両 損 」、強 情 張 り 同 士 の 間 で 大 金 が 宙 に 浮 く「 意 地 比 べ 」を 思 い 浮 か べ る 方 も お い で だ ろう▲「井戸の茶碗」ではいったんは大家の仲介で50両を分け合う。だがただでは 金をもらえないと浪人が渡した汚い茶碗がその後300両の名品と分かり、また騒ぎ に……。最後までさもしい振る舞いなど一つも出てこないさわやかな人情話だ▲さて 昨今目を引くのは報道各社の世論調査で定額給付金を支持しない層が6割から8割近 くもいたことだ。誤解ないようにいえば、何も「受け取らない」というのではない。 だがその金が雇用対策や社会保障に使われるならば、給付金など要らないという人々 が そ れ だ け い る の だ ▲「 矜 持( き ょ う じ )」な ど と 口 に し な い が 、た と え 貧 し く と も 金 より心意気という落語を愛してきた日本の庶民だ。職を失った人の嘆きを聞き、景気 の急落を目の当たりにすれば、より有効で将来の希望につながる金の使い方はないか と思って当然だ▲給付目的もいつしか生活支援から景気対策に変わり、富裕層の受け 取 り を「 さ も し い 」と 断 じ た 首 相 発 言 も 一 転 撤 回 さ れ た 。ど う に も「 筋 の 通 ら な い 金 」 になった2兆円だが、この際その使途を含め一から筋を入れ直せないか。 毎日新聞 2009 年 1 月 15 日 0 時 04 分 余 録 :「 ア リ の 一 穴 」 の 攻 防 斉 の 国 王 が 絵 を 描 く 食 客 に た ず ね た 。「 絵 で 何 が 一 番 描 き に く い か 」。 す る と 絵 描 き が答えた。 「 犬 や 馬 が 最 も 難 し い 」。 「 で は 何 が 簡 単 か 」と 斉 王 が 重 ね て 聞 く と 、絵 描 き は「 化 け 物 が 一 番 や さ し い 」と い う ▲ 驚 く 斉 王 に 絵 描 き は 説 明 し た 。 「犬馬はみんなが よく形を知っているから描くのが難しい。化け物は見えないからどう描こうと良く、 簡 単 だ 」。中 国 の 戦 国 時 代 の 書 物「 韓 非 子 」に あ る 話 だ 。法 と 賞 罰 に よ る 支 配 を 唱 え た 韓非は人間性への冷ややかなリアリズムの持ち主のようだ▲その「韓非子」には「千 丈の堤は螻蟻(ろうぎ)の穴をもって潰(つい)え、百尺の室は突隙(とつげき)の 烟(けむり)をもって焚(や)く」との言葉もある。巨大な堤防もケラやアリの穴か ら崩れ、豪壮な家も煙突のひびにより焼失するとの意だ。いわゆる「アリの一穴」論 の出典だ▲さて自民党崩壊のアリの一穴になるかとの声も飛び出た渡辺喜美元行政改 革担当相の離党届提出だ。自らの提言を拒んだ麻生政権に「国民と断絶した官僚主導 政 治 」と の 非 難 を 浴 び せ て の 離 党 劇 で あ る 。今 後 は 党 派 を 超 え た 国 民 運 動 を 呼 び か け 、 新たな政治勢力の結集を図るという▲むろんアリの穴をふさぎたい自民党は「黙殺」 の構えだが、党内の動揺もなくはない。当然、一挙に穴の拡大に期待する野党は歓呼 の声を送っている。そのご当人の脳裏には与野党間の堤が崩れた後の政界再編の絵も 浮かび上がっていよう▲「政治家の義命」を掲げた渡辺氏だが、まだ誰も見たことの ない政界の絵だけなら国民の人気目当てにどうにでも描けよう。ただ今政治の袋小路 を 破 る の に 必 要 な の は 犬 馬 の 絵 の よ う な 、具 体 的 で 分 か り や す い ビ ジ ョ ン に 違 い な い 。 毎日新聞 2009 年 1 月 14 日 0 時 17 分 余録:オバマ氏の就任演説 ひょっとしたら世界中のカレンダーが間違っているのかもしれない。09年は1月 1日には始まらなかった。20日の就任演説でオバマ米大統領が何をいうかで今年、 世の中は動き出す。そう思えるほど、米国も世界も盛り上がっている▲48年前、就 任演説で理想を雄弁に語ったのはケネディだ。 「国が諸君のために何ができるかを問う な 。諸 君 が 国 の た め に 何 が で き る か を 問 え 」。歴 史 に 残 る 名 演 説 と な っ た ▲ 6 1 年 1 月 10日午後9時15分ごろ。演説作成にとりかかった時間は特定されている。フロリ ダに向かう自家用機で、ケネディが秘書を呼んだ。秘書が口述筆記した7ページの速 記が残る▲本番の10日前では遅すぎる気もする。しかし「準備は早く始めない方が よい。国際情勢や経済情勢の判断ができるまで待つのが賢明だ」という大学教授の提 言 に 従 っ た ら し い( T・ク ラ ー ク「 ケ ネ デ ィ 時 代 を 変 え た 就 任 演 説 」土 田 宏 訳 )。今 年も情勢は急展開している。ケネディに倣うなら、オバマさんが書き始めるのはきょ う あ た り か ▲ キ ー ワ ー ド は シ ニ シ ズ ム( 冷 笑 主 義 )で は な い か 。 「冷笑的になり政治に う ん ざ り だ と い う 人 も い る だ ろ う 。し か し チ ェ ン ジ は 可 能 だ 」。投 票 前 日 の 演 説 だ 。 「ど うせできっこない」というシニシズムを超えてこそ「イエス・ウィ・キャン」につな がる▲日本はなぜか不安と警戒心が目立つ。日本より中国を重視するのではないか。 アフガニスタンへの貢献を求められたらどうしよう。世界はどきどき、日本はびくび く 。受 け 身 の 発 想 で 縮 こ ま る の は や め 、も っ と 新 政 権 に 働 き か け れ ば い い 。 「 ノ ー・ウ ィ ・ キ ャ ン ト 」( い や 、 で き な い ) で は あ る ま い 。 毎日新聞 2009 年 1 月 11 日 0 時 12 分 余録:鼠頭午首 宮 本 武 蔵 の 「 五 輪 書 ( ご り ん の し ょ )」 に は 「 鼠 頭 午 首 ( そ と う ご し ゅ )」 と い う 言 葉があって、岩波文庫版の解説には「鼠(ねずみ)の持つ細心さと、牛の持つ大胆さ を兼ね備えよということ」とある。午はこの場合牛である。そのまま「午(うま)の 首」とする訳本もあるが、すばしこいネズミとの対照なら牛の方が分かりやすい。闘 牛や牛頭(ごず)天王の例はあっても牛は概して鈍重だ▲剣豪は言う。敵と細部ばか り攻め合うと「もつるる心」になるので鼠頭午首と念じて「俄(にわか)に大きなる 心 」 に 転 じ る の も 大 事 だ 。「 平 生 ( へ い ぜ い ) 人 の 心 も 、 そ と う ご し ゆ と 思 ふ べ き 所 、 武 士 の 肝 心 也( な り )」な の だ と 。今 年 の え と は 勝 負 強 さ に お い て 隅 に 置 け な い ▲ 将 棋 の大山康晴十五世名人の教えは「蛮刀の強さ」だった。牛刀と言ってもよかろう。鋭 いカミソリは折れてしまう。まねのできない、まねするのがバカバカしく思える、そ んな強さが本当の強さなのだと▲「サンデー毎日」記者として北海道・旭川への講演 旅 行 に 同 行 し て 聞 い た 言 葉 だ 。こ の 年( 8 6 年 )、6 3 歳 の 大 山 さ ん は が ん の 手 術 を 乗 り越え当時の中原誠名人に挑戦する。返り咲きは成らなかったが、まねできない強さ と は こ の こ と だ ▲ 「 中 原 時 代 の 次 は 谷 川 ( 浩 司 九 段 )、 そ の 次 は 羽 生 ( 善 治 名 人 )」 と いう予測も当たった。両者の間で永世名人資格を得た森内俊之九段らの台頭もあった が、23年前といえば羽生名人はまだ15歳。超人・大山の先見性には驚くしかない ▲ さ て 内 外 で 激 動 が 予 想 さ れ る 年 。特 に 景 気 だ 。 「 五 輪 書 」で は 相 手 の 人 数 や 強 さ を 測 る こ と を「 景 気 を 見 る 」と 言 い 、 「 智 力 」が 強 い と 形 勢 や 勝 機 が 見 え る と い う 。経 済 の 景気の方も日本の知恵と強さを集めて乗り切りたい。 毎日新聞 2009 年 1 月 5 日 0 時 40 分
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