審査講評(PDF/148KB)

審査講評
武舎るみ
総応募数 297 通。そのすべてを審査対象とし、いずれも全文に目を通しまし
た。実務翻訳ですので何よりも原文の正確な読解を主な基準として比較検討し
た結果、22 通が残りました。その後は誤訳や不自然な表現に対する減点方式で
絞り込みました。すると上位約 10 通が横並びの状態でしたので、ここからは表
現に焦点を当てて、日本語表現の自然さや全体のまとまり、新聞記事らしさの
演出といった基準で選んでいきました。
こうして優秀賞に輝いた和田真一さんは比較的誤訳が少なく、表現もよく練
り上げた印象があり、冒頭の雰囲気作りの巧みさも光っていました。
佳作の島田まなみさんと関淳子さんは和田さんより大きく劣ることはないも
のの、誤訳の数、訳語の選択での巧拙、新聞記事の文体の再現といった点でい
まひとつ及ばないと判断しました。
それでは原文を細かく見ていきましょう。
◎見出しとサブタイトル -- 新聞記事の見出しとサブタイトルですので体言止
めにするなどの工夫が必要ですが、文にして句点をつけてしまった訳文が見ら
れました。open road は「一般道路、公道」といった意味ですが、ここは家族の
絆をテーマに 2009 年に制作されたアメリカ映画『The Open Road』の含みがあ
ります。日本では未公開の映画ですので、サブタイトルに反映する必要はない
でしょうが、きちんと調査し、含みがあることを理解した上で、反映、非反映
の判断を下すことが大切です。反映するのであれば、サブタイトルですから、
「映
画『オープンロード』のように」などと説明口調にはせず、自然で簡潔な表現
にしましょう。
◎第1パラグラフ -- 第1文は全体の雰囲気作りの決め手となります。They は
たしかに cars from the 1960s and '70s なのですが、その訳をいきなり文頭に
持ってきてしまうと、原文から受ける出だしの印象やリズムが再現できません。
その点で出色の出来だったのが和田さんの訳。原文の第1文を訳文では4文に
分けていますが、かえって原文のリズムが再現できていて、なかなか気の利い
た処理です。community は「共通の利害を持つ団体、グループ」の意。あえて「コ
ミュニティ」などと訳してしまうと原文から逸れてしまいますから、和田さん
のように「車ファン」で十分でしょう。
◎第2パラグラフ -- 第1文の For a glimpse into this world の this world
は第1パラグラフで紹介された「世界」ですから、訳文でも第1段落に続けて、
すぐにここを訳さないと原文の文脈が正確に再現できません。その際、
「そんな
車ファンの世界をのぞいてみたければ」といった具合に「そんな」というつな
ぎの文句を入れると、第1パラグラフからの流れがスムーズになります。また、
このパラグラフではこのイベントの会場や開催時期など、具体的な情報が出て
きますので、これを正確に訳出することは実務翻訳のキーポイントのひとつと
して非常に大切です。見直しの段階でも何度もチェックしなければなりません。
応募作の中で他の部分の訳が比較的よかったにもかかわらず、名古屋での開催
時期を7月としてしまったために大きく減点された残念なケースがありました。
また、up to は「最高で〜まで」という意味ですが、ここを訳抜けにしてしまっ
たり、
「〜以上」などと訳したりするケースが目立ちました。こうした数量表現
も実務翻訳では丁寧に見直す必要があります。さらに最終文の最後の to show
off the skills of their repair shops は be exhibited を修飾していますが、
これを be on sale と be exhibited の両方を修飾しているかのように訳した人
が多く見受けられました。
◎第3パラグラフ -- 訳しにくい箇所の多いパラグラフです。たとえば第1文
の more importantly は解釈が容易でも訳し方に迷うフレーズでしょう。「より
重要なのは」
「より大切なことは」といった翻訳口調の訳が目につく中で、島田
さんの「それにも増して大きな意味をもつのは」という訳には感心しました。
もうひとつの難所は the history〜from the time の部分で、ここをうまく再現
できている人が少なかったため、関さんの「〜であったころからの歴史」は光
っていました。また、固有名詞の「関始」は「開始」と読んでしまいそうなの
で、
「関始(せき・はじめ)さん」のように表記を工夫する必要があります。the
sentimental value も「曲者」で、語義どおり「感傷的な価値」「感情的価値」
「センチメンタルな価値」などと訳している人が大勢いましたが、こう書かれ
ても何が言いたいのか読者は分からないでしょう。このような箇所は筆者が何
を意図しているのか、訳者が自分なりに解釈をして、それを自分の日本語で表
現しなければなりません。その意味で島田さんの「〜の車特有の懐かしさ」は
自然でよいと思います。
◎第4パラグラフ -- 第1文の(in the '60s)は直前の my dad's generation を
具体的に補足しています。また、この文の native は「〜出身の人」の意。この
イベントのホームページを見ると、たしかに関氏は今も松本市民ですので、
「松
本市出身で今も同市に住む」などとすればよいですが、
「松本市在住」だけでは
原文から逸れています。
◎全体の文体について -- 新聞記事であるにもかかわらず地の文を「ですます
調」にしていたり、「大金をはたく」「〜たち(達)」「でも」「たった」「ピカピ
カの」といったくだけた口調が入っていたりと、違和感のある表現が散見され
ましたが、いずれも再考を要します。
企業であれ個人であれ翻訳の仕事を発注する理由は「何がどう書かれている
のかを知りたい」というものです。ですから、原文を変えてしまうことのない
よう、正確に読み取り、それを自然な日本語で再現することこそが翻訳者の務
めです。この点を常に忘れずに研鑽を積んでください。