園長便り原稿 セブンスデー・アドベンチスト石川教会付属 石川三育保育園 1 月 16 日(水)、北アフリカ・アルジェリア南東部イナメナスのガス油田施設で、日本人を 含む多くの外国人スタッフが、イスラム武装勢力によって拘束されました。翌日、アルジェ リア軍は強行突入し、多くの関係国の人質の人命救出を第一にとの願いはむなしく、外国人 人質に多数の死傷者が出てしまいました。 テロ行為に屈することはしないという近年の各国の共通理解ですが、このような選択しか なすすべがないのかと憤りを覚えた方が大半であったのではないでしょうか。このようなテ ロ行為は、私たちの身近でも起こりうるものです。私たちはどのように対処していけば良い のでしょうか。 クリスチャン作家の三浦綾子さんは、ちいろば先生物語で次のような夫婦喧嘩の場面を記 しております。 「いつかこんな喧嘩しましたんよ」と妻が、ちいろば先生に次のように話し始めた。 わたしもカッときますけど、夫もカッとくることがあり、「わたし、家を出て行く」と夫に 言いました。すると、「出て行くんなら、お前のものは一切合切みんな持って行け!一つも 残すな」と夫も言いましてね。 わたしも意地になり、これもわたしのもの、あれもわたしのものとせっせと荷作りを始めま した。そしたらね、先生、夫が腕を組んで見つめていましたが、何とわたしに言ったと思い ます。「おれもお前のものや。だから、おれも持ってけ!」と言うたんです。 先生、それ以来な、わたし、出て行きますなどという喧嘩は、やめにしました。 この夫婦喧嘩の中には、対立する問題の解決のヒントが隠されているように思われます。 おそらく、喧嘩の最中、大抵の人は、「お前のものは、わたしのものだ!」と互いにわたし は間違っていないと自己主張するのではないでしょうか。相手の非は認めても、誰も自分の 非を認めようとはしないのです。これでは、対立は深まるばかりですね。 聖書でもこのような思いに対して、次のように強く警告がされています。 「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。」 (マタイによる福音書 7:3) これに対して、「おれもお前のものや。だから、おれも持ってけ!」と言った夫の言葉に は、自己放棄、自己犠牲の精神が感じられます。だからこそ、妻が二度と「出て行きます」 などという喧嘩はやめにしましたとちいろば先生に話したのでしょう。妻は、夫のこの言葉 の内に、深い愛情を感じたのです。 聖書には、この深い愛情を、身をもって表したイエス・キリストの十字架の出来事が記さ れています。お互いがこの思いを表すことこそが、あらゆる問題の解決へと導くのではない でしょうか。 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者 がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書 3:16) 園長 糸数 正義
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