基調講演「野生動物の子育てと人間の子育て」 獣医師・写真家・随筆家 竹田津実氏 紹介いただきました竹田津です。司会者の発言に一点だけ訂正したいと思います。野生 動物の診療を無料でやる、ということを紹介されましたけれど、無料でやる気は僕はまっ たくありません。ただあれは金を取ると間違いなく手錠がかかるという、そういう環境な ので渋々やってきたというふうに考えていただきたいと思います。 まずはハローウッズ 10 周年、こころ からお祝い申し上げたいと思います。特 に崎野氏は長い付き合い、もう 30 年に ちか付き合いですから、なんか自分の分 身が大活躍をしている気分になってもの すごくうれしいです。それと同時に本当 に 10 年間ご苦労さんというふうにいい たいと思います。本日こういうテーマで もって講演するよう頼まれました。出る ときにかみさんにいったら、どういうテ ーマですか、こういうテーマだ、いったらかみさんはニヤッと笑ってですね「あんたは子 育てやったことがありますか」といわれました。僕はそのとき黙っちゃったですね。僕は 子どもが 4 人あります。でも子育てに参加したことはほとんどありません。4 人目の子ども ができたときにですね、どうしても仕方がなくって一週間、今で言う育児休暇というのを もらいました。ともかく休暇をもらってですね当時まだ 2 歳になってない次女を、1000 メ ートルのちょうど高い藻琴山という山があるんですけれど、その山に毎日一週間出かけて いってですね、そこでシマリスをずっと調査していたもんですから、シマリスを調査する ために毎日通いました。通って何をしたかというとですね、2 歳になった子どもを紐でもっ てですね木につないである一定の以上にいけないようにしてやった。子どもとの長い生活 はそれだけだったです。ですからもうその話を聞いてですね、当の次女は酒を飲むと怒り ます。そういう親父ですから果たして話がうまくいくのか。もう一点はすごくいい加減な 男です。ある運動会のときにですね、北海道は 6 月なんですけども運動会のときに東京か らお客さんが来てですね僕を探したらしいんですね。僕はたまたまそのとき子どもの運動 会を見に行ってたんですね。会場整備の先生に竹田津さんに会いたいっていったら、とも かくグラウンドを歩いてください、グラウンドをずっと観客席を見ながら歩いてください、 グラウンドに背を向けている人が竹田津さんですからって、そう言ったそうです、それで その通りだったそうです。僕は一回も運動会で子どもが走ったのを見たことなくて、いつ もその間酒を飲んでおりました。ですからそういった点でもまったく本日の資格がないん じゃないかと思っております。でも、まあ、ともかくつとめさせていただきます。 実はどうしても長いこと野生動物を見ていますから、野生動物の話を少しやりたいとい うように思います。これは一番末娘です。この写真を何かの本に発表したときにですね、 「こ るり」って名前なんですがキャプションに「こるりちゃんもう少し机の上をきれいにしな さい」というのが題だったです。北海道というのはご承知の通り、ものすごい野生動物の 宝庫と言われておりますけども、産業が登場して人間が入ってきてほぼ 100 年に間違いな くなっております。それでどういうのがでてきたかというと、直線が出てきたんですね。 人間が登場すると直線が登場するんです。実は自然界の中には直線はまったくありません。 すべて曲線です。自然界と いうのは曲線の延長線上に すべてが解決されるように なっております。その中に 登場する人間というのはと もかく効率を優先するため にすべてが直線です。僕は カムチャッカを旅したこと があるんですけども、リュ ックを背負って旅をしたと きに獣道を歩くんですね。 カムチャッカというのはぜんぜん道路がない、ソビエトというのはもともと道路をつくる 気がなかったんじゃないかと歩きながら考えたぐらい道路のないところでした。で、獣道 を歩くんですね。熊がずっと歩いている道を歩くわけです。ところがあるところへいった ら突然直線が登場します。え、この付近には人間が住んでいるなって感じます。そのくら いに人間は直線が大好きです。そういう直線に一番弱いのは何かって言ったらですね、生 物は全部弱いです。生き物は全部直線に弱いです。適応性がまったくありません。自然界 の中では直線がないということで、直線に登場する世界を持ってないんですね。彼らは地 図の中に持っておりません。こういうのが登場しますと当然ながらたくさんの事故が登場 します。それでわれわれにところへ入ってくるということなんですけども、もう一点だけ いうとですね、自然の野生動物以外に直線に適応できてないものがもうひとつ登場します。 それは子どもです。子どもは直線に適応しておりません。実にきれいに交通事故にあうよ うになってます。要するに何がいいたいかというと、子どもはどうやら人間ではないんじ ゃないかという考え方があるんです。われわれみたいに生物を長く学んでいるやつは何か の機会に集まるとですね、最後になって一番大きい論議はですね、ヒトっていうのがわれ われの種名ですね。で、ヒトはいつから人間になるかというのが大きいテーマになります。 夜酒を飲むとですね、最後まで論議が尽きないのはそれなんですね。ヒトはいつから人間 になるのかということなんです。そういうところで実は人っていうのは人間の中にヒトの 時代がかなりあるということです。でヒトの時代というのはなにかといったら、生物その ものの時代があるということです。そういうぐらいのことを含めてもですねお話をしたい と思います。 北海道の風景にこういうのが登場します。決して僕は嫌味を言うわけじゃありませんが、 こちらの青々とした部分はじゃがいもです。向こうの赤くなった枯れたものもじゃがいも です。同じときに同じ日に播種したものです。どうして片一方は青々としてどうして隣は ああいうように枯れているのか、簡単です。どっかのお母さんがですね「じゃがいもはこ のくらいがいい」と言ったんです。 「じゃがいもはこのくらいがいいわよ」ってつぶやいた らですね生産者はそれにすぐ 反応するしかないんですね。で どうしたかっていうと 2 日に いっぺんとか 3 日にいっぺん とか試験掘りをやって、このく らいになったときに、今日でっ ていうことで枯葉剤を撒くん です。これがものすごく影響が あって自然界はものすごく深 刻な容態になってきて、この患 者がたくさん入ってくるという状態なんです。枯葉剤というとすぐ皆さんはベトナムを思 い出すんですけども、実は日本でごく普通にあるんですね。普通に登場します。それもお 母さんの小さなつぶやきなんですね。 「このくらいでいいわよ」って。あんなじゃがいもの このくらいのっておいしくないですよ。完熟するとじゃがいもってものすごく大きいんで すよね。そんな大きいのはうちは家族は少ないから、あんなまずいものを食っちゃいけな いというぐらいに未熟なものを登場するっていうことなんですね。 それから、人間が登場すると効率を優先しますから農薬です。ですからうちの入院患者 はすぐに野外に返さなきゃいけないという大事な作業が残っています。野外に返すときは ですね、家の中ではいったものを育てるのはなんでもあるんですね。ドックフードとかキ ャットフードとかなかなか栄養がよくてあれをうまく使えば、ほとんどのものを育児する ことができる。しかしドックフードを使ってやるとすると、野外に返すときに野外にドッ クフードはありませんからその日から立ちすくむ んですね。野外に復帰させたときに。どうするか っていうと、それはできないんで家の中におると きから、その動物が食べるものを入院食として与 えます。われわれはだから、こういうすずめが入 ってくると、すずめの食うものを全部調べ上げて 「じゃ今日はみんなエサとりにいこうぜ」って家 族中で昆虫採集と称するようなエサとりをやるんですね。こういうようにすずめの食べる ものを全部集めて、それをやるという。ところがあるときに農家の人が「先生何やってん ですか」って言って、いやあ虫取ってんだって言ったら「うちの畑に虫なんかいないです よ」ってこういったんです。うちの畑に虫がいるはずがないって。これはですねすごくシ ョックだったです。虫のいないというのは、生きものがいないということですね。生きも ののいないところでわれわれが食べる食べ物を作るというこの現実はすごくショックです。 本当にもうとんでもない深刻な問題なんですね。それからいろんなことをやってきたんで すね。先ほど言いましたように患者に一番多いのは、右は農薬中每で飛べなくなったアオ サギですね。こっちは交通事故です。これはまだ僕が若かった頃に髪の毛がふさふさした というのを見せたくてもってきた写真です。それからもうひとつはですね、これは今抱い ているように好意ですね。やさしさゆえに犯罪が登場しているんですね。農家の人は山菜 取りに行ったら鹿の子どもがうずくまっていた。しばらくみたけど親がそのへんにはいな いから、きっと親が子どもを捨てたに違いないって我が家にもってくんですね。子どもを 捨てません。鹿は絶対捨てないですね。だから産んだあとに自分がエサ取りに行ってるあ いだだけの話なんです。それを優しい人が大体持ってかえってきて、先生のところに持っ ていかなきゃって私のところへ来るんです。僕らは来たら 6 時間以内だったらすぐにもっ て行きます。どこでそれを取ったか聞いてここだって場所へ走っていきます。6 時間以内だ と、大体親がもういっぺん捜しにきますから、でも 6 時間経ったらまったくだめです。そ ういうときの写真です。まあ、みんな持ってきたというのはやさしいです。で、少しその 子どもをどういう格好で子どもはおるのかと、少し僕はお話しなきゃいけないと思うんで すね。 これは、右側は人間の子どもです。 左側はアザラシの子どもです。生まれ て 4 日目です。アザラシの子どもは流 氷の上で生まれるんですから、流氷が すごく揺られると落ちるんですね。落 ちたら農家の人が拾ってくるんですね。 なぜ農家の人が海に朝早く来てそんな もの拾ってくるかといったら、北海道 では不思議な法律みたいなものがあり まして、海岸に打ち上げられたものは 早く目をつけた人が自分のものになるというある種のルールがあるんですね。だから朝早 く行くんです。海岸にあるとき行ったらクジラを拾ったやつがいてですね。僕は連絡受け ていったらクジラに尻尾にロープがついてんですよ「何だコリャ、誰だ」っていったら農 家の人が俺が拾ったんだっていうんですね。ですから大きいソビエトの船が航海中に材木 を嵐でもって材木を落としたなんていうニュースがすると、みんな海岸に走ります。 こんな大きな長いやつが何十本ってあがるんですね。それをみんなロープをつけてくんで すね。そういう世界ですから朝早く行くというのが普通になっています。ですからそのつ いでに拾ってくんですね。で、ものすごく苦労します。僕は。一番の苦労はまず人間に慣 れないということです。人間に慣れないと治療ができません。恐怖感が先にあると治療効 果はまったく出てきません。ですから、われわれいいことをやっていると思っていても恐 怖感があると結局抗体がだーんと落ちちゃうんですね。急速に落ちて手持ちの抗体がなく するような格好になる。それで治療はうまくいきません。ものすごく苦労します。ところ があるときに海岸にアザラシを連れて末娘と一緒に出かけたら、末娘がアザラシと遊んで るんですね。われわれがいくとアザラシは逃げていくんです。走って逃げるんです。とこ ろが末娘が行くと寄ってくるんですね。一緒に遊んでるんですね。こっちがひっくりかえ したら向こうもひっくりかえる。そのうちにソケイブのところに鼻をつけて、ンっともっ てですね、これはひょっとするとお乳をほしがっているんだと思ったんですね。そういう 具合に完全にうちの娘を親と間違えているということがわかった。なぜ、じゃあ俺たちは 親じゃないのかってことがすごく重要なことになってきたんですね。自分たちがなぜ親に なれなかったのか、どうして娘がうまく親になれたのか。いろいろ実験しました。要する に目の高さだったんですね。目線の高さによってこれは敵なのか味方なのかを区別すると いう地図を持っているらしいことがわかったんです。子どもっていうのは、実はそういう 基本的な持っているものを、こっちがちゃんと取り上げてやらないとわれわれの目的とす ることをほとんどうまくいかないんじゃないかと思っているんですね。ですから子どもが 持っている地図というのは、実に重要なんですね。子どもの持っている地図はわれわれの 持っている地図とはぜんぜん違います。ハローウッズもおそらく同じことをやっている。 僕も小さな 40ha の森を持っています。これはみんなでもってお金を出して 40ha の土地を 買って、森をつくってですね、それでやっぱりここと同じように子どもたちが遊びに来る と。じゃあスタッフに、今日は生徒が 6 人来るから一回りして来いって一回りしてもらっ て、そのときに自分が見せたいもの、面白いよって見せたいものを見つけたらそこに?マ ークの札を下げてこい、というわけですね。そしたら子どもたちが来たらおにいちゃんた ちが朝一回りしたら、ここに面白いものがあったからって?マークがあるから、そこのと ころは特に気をつけて見なさいよって、こう言ったんです。生徒がわかりました!って出 て、見たかって聞いたら、見ました!って。3 年くらい経ちましたら、どうもおかしいんで すね。見ましたっていう割にはメシのときに共通の話題になってないんですね。見たもの が。それでおかしいっつうんで、あるときにスタッフに「おまえ何を見せたらいいかちゃ んと書いてくれ、札をつけたところは何を見せたかったのか書いてくれ」って全部書かし たんですね。で、ここは何を見せたい、ここでは何を見せたい。今度は子どもたちに何を 見たかって書かせたんですね。番号入ってますからどこで何を見たか書かせると、ぜんぜ ん違うんです。スタッフが見せたいと思ったことを見てないんですよね。でも自分たちは ものすごくいいものを見ているんです。そこではじめていろいろやって目線の違いという のがわかったんです。高さの違いっているのは、実はすごく重要な問題を含んでいるとい うふうに考えてですね、それ以降はすごくつとめて子どもの目線をどうするか、子どもが 持っている地図にどういうふうにわれわれがやるのか、ということをすごく大事にするよ うになりました。夕日を見て感動するという世界があります。夕日を見て感動するという 世界は、あれは子どもが夕日を見て感動するもんじゃないということも十分われわれは立 証できました。それはなぜかと言うとあれは大体ほとんどの、母さんが背中に背負って「み てごらん、今日はきれいだよ」っていうと子どもがきれいの基準をつくるんですね。ちょ うどお袋の味と一緒なんですよ。もうおふくろの味なんかいって、僕は長いことお袋の味 でたとえば「けんちん汁」なんてのは、お袋の味が絶品だと今でも思っているんですけど ね、実は聞いてみると実にお袋はそんなこと考えていない、要するに余り物を全部突っ込 んだというだけの話なんですね。ところがなしてあれがすばらしいものになるかって言っ たら、小さい頃にですねお袋がそういうつくりかたでいったら「今日はけんちん汁おいし いよっ!」って言ったんですね。食べなさい、おいしいからって、食べるんですね。それ を基準にするんです、これがおいしいのを基準にしちゃったんですね。美しさもそうなん ですね。お袋、お母さんが背負った子どもに対して「見てご覧、すごく美しいじゃないの」 って言ったら、子どもは「うん、そうか、あれが美しいか」って美しいの基準をそこでつ くって、そこをベースにしていろんなことをやるってことがだんだんだんだんわかってき たんですね。要するに感動しないお母さんの子は、感動するような子どもはできるはずが 絶対にできないことだけははっきりといいたい、というふうに思うんですね。要するに、 お母さんがぜひに感動してほしい、感動して言えば子どもはそれがすばらしいものの基準 になるということを、これは動物でもってずいぶん学びました。それは一番学んだのは動 物が持ってる、子どもが持ってる地図が、大人の持ってる地図と違うんですという世界で した。 これは昔の車ですからあの車懐か しいなんて思わんでください。昔の 写真を持ってきました。これはハク セキレイという鳥がバックミラーに ばあっと、一日かけてやっているん ですよ。熱心に。フンが下に落ちる、 あれは朝から晩までやらないとフン は落ちないですね。やってんですよ。 なぜやってんのかというと、自分の 姿にやってんです。自分の姿に攻撃してんです。野生動物、というよりも人間も含めて生 物というのは自分の姿を知らないんですよ。いや人間は知ってますというけど正確には知 らないんですね。太ってるか、やせてるかぐらいはわかるけどですね、知らない最大のも のは、左右対称に移らないです鏡というものは。そのように、正確に自分の姿を知らない。 生物は自分の姿を想像するんですね。こんなもんじゃなかったかって想像する。それが有 名なローレンツという博士が登場するインプレンティブ、いわゆる刷り込みと言う行動の 中に出てくるんですね。要するに自分の姿は知らないけれども、自分のそばに動くものを 見て、 「そうか自分はああいう格好をしている」と思っちゃうんですね。自分は自分のすぐ そばにおる人をずっと見て、自分はああいう世界を持ってる、ああいう形をしているとい う、それはずっとかなり続くんですね。一番つづくのはかなり後半まで。われわれはいろ んなことをやってるんですけれども、キツネには家風があるんですね。キツネに家風があ るって言ったらみんな笑うと思いますけど、家風がある。人間も昔、家風があったんです けども、まったくないと嘆く人もいるんですけど、家風があります。それはなぜかといい ますとね、道を横断するときにですね、キツネの横断の仕方を見たらすぐわかります。小 さい子どもはですね、すごく用心深く横断することがあります。何回も途中まで行っては バックしてるんですね。それはある一族の家風なんです。その一族は全部道を横断すると きはすごく見ます。キツネは木に登りませんというけれど、木に平気にのぼります。それ もですね全部のキツネではなく、ある一族は、ある家風の一族はですね木に登るという家 風を持った一族は全部のぼります。平気でのぼります。ですからキツネがですね、カラス の巣から下をのぞいたのを何回も見たことがあります。平気でのぼります。実はそれは何 かというとですね、親を見るんですね。親を見て親の見たとおりにするわけですよ。親が 教えてするもんじゃないんです。親の通りにする、要するに親を真似するんです。真似る っちゅうことが野生動物の中では学ぶになるんですね。人間はしかし野生動物とは違うか らって思いがちですけど、実は人間もさっき言ったようにヒトっていう時代があるんです ね。ヒトっていう時代は少なくとも真似ることしかできないですね。学ぶことはできない。 真似ることが学ぶことになるんで、われわれは知らなきゃいけないことは自分たちは自分 の子どもにいつも真似されている、というイメージを持ってるか持ってないかがすごく大 きい問題なんですね。昔の武士は「武士は食わねど」とか言ってですね、ああいう世界を 持っていたのはひどく大事なんですね。そのへんもってきちっとできた世界があるんで。 それがないという。これはその典型的な 例です。そういうときに、どういうやつ が出てくるかというと、ある時に鹿の子 どもが持ち込まれました。困りましたけ ども、とにかくうちで預かってなんとか しなきゃと、友達が来ると酒を飲むんで すね。かみさんが酒ができる前に必ずコ ーヒーを先に出すんですね。だいたい炉 辺のそばに座りますと鹿も間違いなく当 然のように座ります。コーヒーが出るとですね、自分にもコーヒーが出ると心から信じて ます。コーヒーを出さないとですねものすごく怒ってですね、何をするかって言ったらお 客さんに出したやつを全部ひっくり返すんです。すごく深刻なことが出てくるんですね。 なぜかっていったら、どう考えても彼は自分を鹿と考えてないらしいと。要するにどうも 自分は鹿じゃなくて人間だと思っているらしい。それはそうなんですね。小さいところに 来たらですね、自分の周りに動いているのが二本足ですから、自分は四本足ですからね。 それはあるとき自分が四本足だと気付くときがあるんですよ。このときはすごく落ち込み ます。本当に落ち込んでですね馬鹿みたいというくらい落ち込みかたするんですね。そう いうショックを受けるんですね。そのように自分が何もんであるかというのは実は誰も知 らないですね。ぐるりをみて、自分がなにもんであるかということを初めて獲得するとい う世界があるということだけはわかっている。子どもっていうのは、特にですね人間の子 どもも含めてそうなんですね。だから一番の深刻な問題は、僕は言うんですけども田舎に おりますと獣医はすぐ名士になるんですよ。なんだよっていうくらいすぐなっちゃうんで すね。大事にされるんですよ。結婚式に行ったら必ず町長の前に座るというのがそういう 身分になるんですね。もうひとつ欠点はですね、獣医に必ず仲人を頼みに来る人がおるん ですよ。もうみんなあなたおかしいっていうんですけど来るんですね。仕方なく仲人をや ると結婚式終わると仕事としては赤ちゃんができるんですよ。赤ちゃんができて「先生赤 ちゃんができました」って言うから、オスかメスかって聞いたらオスですって言うからじ ゃあ見に行くかって行きましたら、お母さんがですね…病室って、あれ病気じゃないんで すよ。僕ははっきりいうけど、いつもいろんな人に物議をかもすんですけど、どうして生 理現象が病気になって病院に行ってやるのよって怒ったことがあるんですけど、そういう のは置いてですね、ともかく病室におるんですね。見ると一人なんですね。何してんのよ って聞いたら、子ども向こうですって、どこにいるんだって言ったらああいう田舎でも新 生児室っていうのがありましてですね、ガラス張りの、その中にバケットが何箇所かあっ てバケットに番号と名札が入ってるんですね。ガラス越しにお母さん見ながら「あのこじ ゃないかしら」って言ってんですよ。おまえ大丈夫か、自分の子どもがあの子じゃないか しらって言ってんのおかしいぞって言ってて、それでおかしいからやめたほうがいいって 言ったんです。何回も。病室にもってこいって、子どもを持ってきて自分のとこで育てろ って。そしたらそれはいけない、それを言ったら病院がものすごく怒るっていうんで、そ れで僕はこんな馬鹿なことはないっていった。なぜかって言ったら子どもの立場でおくと どうなるかっていったら、午前中あれはお母さんかなと思ったら午後になってちがうんで すね。あらっ、あの人がお母さんかしらって夜になったら、また違うんですね。病院は三 交代でやっているわけですね、看護婦さんはそれでたまに男が出てくるけど、あの人はお 父さんかと思ったらぜんぜん違うやつがまた出てくるんですね。先生なんですね。要する に小さいときに自分がなにもんかわからないというときに、親子の関係が成立しないんで すね。こんな馬鹿なことは絶対だめですって僕は何回も言った。とうとうあるときに周産 期新生児学会というのに引っ張り出されてね、このときとばかりに嫌味をたっぷりと言っ たんですね。 「こんな馬鹿なことをやっていたらですね日本は滅びるよ」ってお医者さんの 前で嫌味たっぷりいったんですね。そしたらですね長男と長女が飛んできて「お父さん妙 なこといわんでくれ」長男も長女も小児科なんですよ。だから妙なこと言うと、私の立場 がなくなるとか言って、おまえらあんな馬鹿なことやってんのかって怒鳴ったですね。そ したらですねカナダに娘が留学していたときにちょうど行ったんですね、そしたら「お父 さんカナダではお母さんと一緒です」って。生まれたときからお母さんと一緒ですって。 そりゃそうだ当たり前だっていったら、カナダも今から数年前まではわけてた。そしたら 長男がアメリカから帰ってきて何を抜かすかと思ったら「お父さん大変だ。アメリカもお 父さんのいうとおりやってんだ」って、そういう話なんです。こんな馬鹿なことを、いわ ゆる生物ってのはなにもんかということをですね、もう少しちゃんと見てやらないと、と んでもない馬鹿な世界ができるということを強く言ったわけですね。そのように子どもっ ちゅうのは、なにもんかっていうことをまず子育てとかなんとか言う前に、子どもという のは何もんかということを十分わかってほしいとものすごく感じました。 で、これももうひとつ同じよう なもんで、ある時に、こういうの も入ってくるんですよね。鴨のヒ ナが。これも誘拐です。決してこ れは保護したんじゃなくて誘拐で すね。そこへ行ったら鴨の子ども しかいなかった、親見たら親いな いから親は絶対見捨てたっていう けど、それは違うんですね。人間 が見たからびっくりしていなくな っただけなんですね。誘拐なんだ って言うんだけど、とかくうちに 来るんですね。来て、あるときに かみさんから電話がありました。 僕は結婚のときの約束は、かみさ んに往診先に電話をしないという のが約束だったんです。これはず っと守ってたんです。ところがあ るとき電話来たんですね。ものす ごく僕は不機嫌になってですねな んだ!っていったら、帰ってきてほしいという。なんだ!なんだかおかしい、なにがおか しいんだ!って怒鳴ったら、カモがおぼれているっていうんですよ。思わず僕は電話をぶ つけようかと思ったんですけど、バカタレ、どうしてカモがおぼれるんだって怒鳴ったん ですね。覚えてますよ。お父さん間違いなくおぼれているんだから帰ってよっていうから 帰ったら、おぼれているんですよ。カモが浮かないんです。みなさんカモが浮くっていう のは間違いでしてね、実は僕もうかつだったんです。カモは浮かないんです。浮くには 2 つの条件があるってのがわかりました。調査しました。それはお母さんとの会話の回数が 多ければ多いほど浮くっちゅうことがわかりました。なぜかっていうとですね、こういう 現象なんです。お母さんが連れて回るんですね子どもを、上をタカなんかが近づくとあぶ ないってお母さんのわきの下に逃げ込むんですね。で天気がいいよっていったら、また出 てくるんですね。それを一日何十回も繰り返す。お母さんがちょっと言ったらぱっと出た りぱっといってちょっと入ったり。何回も繰り返すんですね。その繰り返すときに何があ るかっていったら、あの産毛ですね、カモの雛の産毛とお母さんの硬い羽が触れるんです。 これで静電気をもらうんです。ご存知の通り静電気は水をはじくんです。だからカモが浮 くんです。静電気をもらわないと 100%カモは浮きません。だからお母さんとの会話の数が 少なければ少ないほど、実は子どもは生きていけないんです。これはほとんど人間も同じ です。どのくらいの会話をやってるかっていうことが、すごく重要になってくるんですね。 ですから子どもと親子のあいだの会話の数って言うのが、すごく大事だということをぜひ にわかってほしい。で動物はしょっちゅうやることで浮くんですね。 もう一点はですね、お尻のとこ ろに脂腺というあぶらの分泌する 穴があるんですね。それをカモは くちばしでこさいで、自分の体に 塗りこむんですよ。塗りこむのは 一見みると、いかにも毛づくろい をしてるっちゅう見方します。で 僕らも毛づくろいをしてるって見 てたんです。でも毛づくろいじゃ なくて塗りこんでるんですね。こ れはですね実はどこで学んだかっ て言うと、みんな親を真似して学ぶんですね。親がこうしなさい、じゃなくて親のした通 りしたんです。あるときにテレビカメラを二台用意して親と子どもが一緒に生活している のを、親だけを撮ってですね子どもだけを同時間で撮ってたんです。それで一日回したん ですね。それであるとき陸に上がったときに見たらあわせるとまったく同じなんですね。 親のしているとおりに子どもはしてるんです。要するに親が毛づくろいをしているときに、 ここのところのおしりのあぶらをこさいで体に塗るというのを、それはお母さんはおばあ ちゃんのまねをしたんですね。ずっと歴代まねをしてきたんです。子どももただ真似をし ている。それで実はあぶらを体中に塗って浮くという、この二段階が必要なんです。です からこれは真似がなかったら絶対だめですね。でその真似をすべき相手がいないと絶対だ めです。なぜならうちみたいにおぼれるんです。なぜかって僕はおしりからあぶらが出ま せんし、カモに話をする気はまったくありません。早く出て行ってほしいという気持ちが いっぱいあるだけで、それはものすごく深刻なんですね。ですから生物として持ってる世 界の中で、親子の関係っていうのはそのくらい微妙なんだということをぜひわかってほし いんですね。お母さんの顔が昔は赤ちゃんは見えないというのがみんなそうだったんです ね。よく見えるんですよ生まれた直後の子どもでも。よくそれはお母さんの顔が一番見え るんですね。なんでかっていったら、ちょうどお乳を含ませたときの距離なんです。お乳 をふくませるときに抱いたときの子どもと親の距離が一番見えるんです。だから実は男な んか出る幕ぜんぜんないんですね。お母さんにべったりが当たり前なんです。お母さんの 顔を見て子どもは育つんですね。ですから見て育つときに話をして会話をして育つ。それ がない、要するにこれは病院側に何回もクレームつけたけど、周産期学会のときにも言っ たときにいわれたんですけど、要するに効率がいいというんです。お母さんとわけた方が 効率がいい、管理しやすい。効率と言うより管理しやすいということなんですね。なんで 管理しなきゃいけないのかって、こっちもケンカ売ってるわけですから言うわけじゃない ですか。本当に、管理をしやすいから育児があるんじゃないんですね。育児っていうのは もともと手間ひまかかるわけで、育児と教育というは手間ひまのかかることなんですよ。 あれが効率でもってやられたらとんでもない話ですね。その効率を一切放棄して動物は一 生懸命自分の子どもを育てるんです。ですから動物の子どもの育て方というのは、すごく 保守的ですけども安定度が高いんですね。人間の子育てというのは、実はいかにも効率的 だけど安定度はすごく悪くってですね、それが将来的な社会コストをものすごく高くして いるんですね。今だったら、効率がいいから、安くいった安くいったっていうけども、後 半になってですね、その子どもたちがやがて青年になりという段階でもって、社会コスト がものすごく高くなる原因をそこでつくってんだろうとわれわれは見てます。ですから、 どっかそこらあたりは、大事にしていただきたいなというのが私たちの想いです。「子ども には無限の可能性がある」なんていう人がいるんですけど、そういう人があったらどうぞ 後ろからバットで頭殴ってください。無限の可能性があるっていうんですよね。これはひ どく大事なんだけど、あるかもしれないんだけど、それをその可能性を誰が拾い上げてく れるのかっていうことなんです。拾い上げてくれる人がいない限りは可能性はないにも等 しいんですね。僕のところのカモが飛ぶことができないんですよ。だって自分は飛ばない でいいんだもの。だいいち僕が飛ばないんですから。うちのかみさんも飛ばないし。さっ きも言ったように真似をする動物ですから、だから跳べないんです。僕らが飛べないと飛 ばないんです。ところが本体は飛べるんですよ。どういう飛び方をするかっていうと、前 の日に雨が降って朝天気がいいよって外に出すと水たまりで水浴びするんですね。水浴び するとものすごく気持ちがいいんですね。気持ちいいからって、ばあっと羽ばたくんです よ。1mくらいすっとあがりますから、羽ばたくと。そこで持って彼は考えた、なんだっ と思うんですね。なんだなんだなんだって、ぽとっと落ちるんですね。だから飛ぶという 能力があってもですね、飛ぶという位置づけがない限りは、それは能力として登場しない んですよ。無限の可能性がある中でいるのはそうとう子どもにですね、それだけの子ども の幅広い可能性について理解をしてですね、っていう世界を持たない限りは無限の可能性 があるなんて言わんでほしいと思っているんですね。そういう世界がすごくあるっていう ことをわかってほしいと思います。 僕は長いことキツネやっているんで、キツネの話になるとニコニコするんですけれど、 ケンカっていうのはですね、キツネはケンカをするんだけど、ケンカをすごくする割には 傷がつかないんです。ヒグマでもケンカをして相手に傷を死ぬようなダメージを与えると いうことはほとんどないんですね。野生だとアフリカに長く行っているんですが、野生動 物をいくら見ても、相手にケンカでもってダメージを与えるようなものはまず普通はない と考えていいと思います。例外はありますよ。ところが人間というのはぜんぜんおかしい んですね。ケンカすると大体相手が死ぬというのが、ごく普通にあるんですね。ケンカを して相手が死ぬというのはいっぱいあるんですよ。これは実に面白い世界なんですね。い い勉強させてもらったのはですね、実は小さい頃にキツネはよくケンカするんですね。ち ょうど目が開くのが 14 日ぐらいで、14 日目に目が開くんですね。その大体 4 日ぐらい前 10 日目ぐらいからケンカを始めるんですね。ものすごいケンカなんですよ。母親がもう困 り果ててどうしよう、どうして分けたらいいかわからんくらいケンカをするんですね。と もかくどうしようもないですね。僕なんかそれでわけるとき片一方の尻尾を持ってあげた ら離すだろうと思ったら、尻尾を上げたら食いついたままついてくるんですね。絶対に離 さない。そのくらいひどいケンカをしているんです。それで 2 週間経つ 24 日目になると、 24 日目になったとたんケンカがなくなるんですよ。まったくなくなります。ええ、なんで? っていったら、そこからはケンカじゃなくてルールになるんですね。遊びにぽっと代わっ ていくんですね。その理由がわからなかった。なぜそういうぐあいの世界があるのか、わ からなかった。で、ある年にたくさんの子ぎつねが入ってきてどうしてもやらなきゃいけ ない、たまたま伝染性の下痢症の病気が出て、なんとしても治さないかん。ところがみん なと一緒だとどうしても治療がうまく行かないのと治らないということがあってそれぞれ 入院室を別に用意したんですね。入院室といったってダンボールがあるだけですが決して 部屋があるわけじゃなくて、部屋にダンボールを並べてですね一匹一匹入れてそれで治療 して日常的にもひとりでもって生活する。それで、ほぼ治ったもんですから、今日ぐらい から一緒にしようと入れたんですね。そのときすぐにケンカし始めたけど、僕はああ久し ぶりにあったからケンカでもしているんだなとおもってそのまま外に出たんですね。帰っ てきてびっくりした。ものすごくケンカしたもんで血だらけなんですね。その日がちょう ど生まれて 23 日目だった。えーっと思ってみたら傷もけっこうしているし、中には腸がで ているのもある。なんでこんなばかなことがあるんだよと、ともかく分けて治療して、で もなんとか別々にずっと育てるわけにも行かないから、今日でもって野外のケンカは終わ るもんですから、今日で終わるから明日からは心配ないって次の日入れたんですね。そし たらまたやっている。 「おまえらなにやってんだ」ぶつぶついいながらやったけど、これは ぜんぜん終わらないんですね。どんどんどんどん進むんです。また分けざるをえなくなる。 結局やってみたらですね実は、ケンカをやる期間を少なくとも 2 週間ないと、終わらない ということがわかりました。2 週間ケンカをやらせるとケンカというのがゲームになる。だ からケンカがゲームになるのには 2 週間最低必要なんですね。ということがわかりました。 で 2 週間目たつとケンカして、なんとかかんとかごまかしながら 2 週間経つと終わるんで すね。完全にゲームになります。ところが小さい頃なぜそういうことをやったのかという のがわかったんですね。小さいころは歯が生えてないんですよ。ほとんど。それとあごの 力が弱いんです。首の力も弱い。だから噛んでも相手に大きいダメージがないんですね。 噛んで振るということができないんですね。ケンカが終わるというのは双方がへとへとに なる、疲れ果ててケンカが終わるんですね。理屈で終わるんじゃなくて疲れたからもうや めよう、って終わるだけなんですね。でもそのあいだは相手に致命傷をおわせないんです ね。なぜおわせないかというとあごが力が弱い、歯が十分にない。これが必要だったんで すね。ちょうど 24 日あとになったらものすごい歯が生えているんですね。あごの力も入っ ている。強い。だからこのときに ケンカをやると完全に相手に致命 傷を与えます。実はケンカという のは小さいときにやらせなきゃ、 やることで訓練になるんですね。 すごく訓練になる。そういうこと をどうかわかってほしいと思いま す。それを、ケンカはしてはいけ ませんなんかいった人に俺は頭く るですね。ぶん殴ってやろうかと 思いますね。要するに 24 日後になるとこういうぐあいに口が開いて下になったやつが負け 姿勢になるんですね。俺負けたっていうんです。それで全然攻撃性がなくなるんです。こ れが特徴です。是非に小さいときのケンカについてはもう少し大きな気持ちでいてほしい というふうに思います。 ついでに、夕べ僕が話したことで「先生の話し面白かったよ」っていう人がいたのでそ の人の面白かったよというのに気をよくして同じ話をします。実は僕の友人で河合雅雄さ んという京都大学の名誉教授をやっている人がおって、その人が若いころから平凡社の「ア ニマ」っていう雑誌をつくるときに初期の段階の編集委員をやっていて、僕をその世界に 引きずり込んだ張本人なんですね。それで長い付き合いをしていたら「竹田津さん、講演 やるだろ、その講演の 10%を俺にくれ」っていうんですね。何するんですかって聞いたら、 あまり理由を聞かないでくれっていうから、女できたんですか、って聞いたら女じゃない んだ。まああまり深く追求すると妙なことになるからイカンと思って、じゃあそうします って、そしたらむこうのほうから言い出したんですね。切り出しナイフ、肥後の守ですね、 それをある小学校の生徒たちに入学祝にやりたいと一年のときに。ええ、それは面白いじ ゃんかって言ったら、 「うんやりたいんだ」っていう。何人か僕の友人たちが集まってやっ たんですね。3 年つづいたかな。でもこれ不評だったんですね。なぜかっていうと全員けが するんですね。でも全員けがするけれど全員指が落ちたりした人は一人もいないんですね。 ある工学部の先生がいろいろ実験したんだけれども少なくとも小学校一年のときにやった、 小学校の生徒の持っている力では自分の指は落ちない。これが中学一年のときにやったら 見事に落ちるそうです。ですから、なにがいいたいかというとその時代時代、年齢年齢、 月数月数に必要なものが実にたくさんあるという世界を、ぜひ理解してほしいというふう に思います。野生動物を僕は長くやってんですけども、本当にそこは学びます。そこれは わかってほしいと思います。で、僕は九州人で親父は決して学があったわけではなくて農 業者だし日雇い労働者でだったんですね。酒飲みであったし、ほめた親父じゃないんだけ どね、その親父がやっぱりいろんなことを僕に教えてくれました。最大のものはですね、 僕はいろんな悪いことをするとおふくろが登場するんですけど、お袋が手におえなくなる と親父に言うんですね。親父が「実、ちょっと来い」っていうと、あ、やばいことになっ たなあって思うんですね。座れって言われて座るんですね。そのときにいったせりふの中 で「実おまえのやっていることは普通の人間はやらんよ」って、普通の人間はそんなこと しないよって、これが一番怖かったですね。普通の人間がしないということをやるという のは、すごく悪いことなんですね。普通というのがいかに大事かそのころものすごく学び ました。たった一言です。それだけでもうその手のやつはやらないって決めました。要す るに親父っていうのはそういう世界なんですね。ですからいろいろ話を聞いても普通のも のはそういうことやらないよっていったときに、普通のものって、あと大学に入ってです ねあとから思い出すと、しかしそれは親父のいいかたはあんまりいいことねえなあって感 じもあったですねえ。それはなぜかっていったら、僕にはひどく理不尽に感じたんですね、 理不尽に。普通の人間はやらないよって、俺やってもいいんじゃないかなって気持ちがあ ったですね。ところが、親父は頑として許さなかったですね。それ僕がものすごく学んだ のは、実は理不尽なものが自分たちの周辺に存在するということですね。理屈ではぜんぜ ん合わないものが存在するっちゅうことを、自分で納得したということはすごく大事だっ たですね。ですから、ダメなものはダメっていうのがキツネの世界にはあります。理屈で はありません。何やるかって、子どもがなにかやった瞬間に首っ玉をがっと噛んでですね 地べたにぐっと押し付けます。5 秒間ぐらい押し付けるんです。ものすごく苦しいですよ。 苦しむんですよ。気違いのように鳴いてもがきます。ぽって離します。それで二度と同じ ことをやりません。理屈じゃないんですね。ダメなものはダメなんですね。このダメなも のはダメっていう世界を持つっていうのが、実はすごく大事なんですね。それをもてるの は実はヒトのあいだはもてるんですね。小さいときにはダメなものはダメっていえばそれ はそれなりに納得するんです。ダメなものはダメなんだって。ところが人間になったとた んに、なぜダメかという理屈が登場しないと納得ができなくなるんですね。ところが人間 というのは実にうまくできていて崎野の話も聞いててすごく面白いんだけど、要するにダ メなものはダメっていうことを納得する時期があるんです。自分のものにする時期が。こ のときに実は基本なところは叩き込むしかないんじゃなかろうかと思います。命は大事で すっていう人が多いです。学校の先生は特に、あんだけ命は大事ですっていったら、命は 軽くなったような感じがするんですね。命が大事ですっていう人が結構あります。でも命 が大事ですっていうことをわかる子どもはいないと思いますよ。理屈でたくさんの言葉を 用意しても、僕はもの書きですからわかるんですけど、ものすごくたくさんの言葉を用意 しても、人を殺してはいけませんということをですね、子どもに納得させる自信はまった くありません。ところがキツネの世界はそういうのはまったく必要ないんですね。ダメな ものはダメっていうのがあるんですから。ダメなものはダメってそれでもって、だからま さに人を殺してはダメっていったらそれで終わりなんです。あれは理屈ではないですねえ 人を殺してダメなものはダメなんです。だから社会というのは実はダメなものはダメをも つ社会というのがいちばん安定しているんですね。世の中に理不尽なことがある意味では 存在するということを持つことがすごく社会が安定し、社会コストも安いんですね。そこ のあたりがひどく大事なんじゃなかろうかと思います。人間社会の子育ての段階でうちの かみさんみたいに、小言のあいだは親父は出ていかんけども、親父が出て行ったときには 勝負を決めてくださいね、という言い方をするんですね。その勝負を決めるときに、親父 が出たときにはもうすべてが終わりだというふうな、そういう世界を持つとですね実に安 定したものができるんじゃないかと思うんですね。これは野生動物はみんな持ってるんで すね。その出発点はダメなものはダメという、わずかこれだけのものをですね、われわれ はどっかで失っちゃったんですね。昔はあったんですよ。ダメなものはダメっていって終 わったんですよ。だから隣のおじさんがですね、僕が家に帰るには、僕の家まで着くには 2 つのルートしかないんですね、隣のおじさんのところを通らないルートは2つしかないん ですね。何とかして帰りたいんだけど隣のおじさんはいつも夕方になると縁台の上に座っ てですね、竹の根っこを持って長い鞭をもって座っているんですよ。で、僕が通ると坊主 ちょっと来いっていって、なんですかっていったら、おまえちゃんとして歩けってバンっ とたたいて終わりですよ。あれをですね、文句いったことは一回も僕はありません。みん なそうだったんですね。そういう世界がいいとか悪いとかでなくって、少なくとも社会の なかにどっかにそういうものをもたない社会というのはすごく辛くなるんじゃないでしょ うか。というふうに僕は思います。野生動物にはそれがないという、野生動物でいいます と、孤独っていうのは耐えられないんですね。だから孤独っていうのは耐えれないという ことをどっかでもってイメージしてほしいですね。 僕はキツネの写真を撮っているんです けど、キツネというのはものすごくシャ イなんですね。だからこれくらい小さい ときに、僕が座っていると近くによって きてジーっとみているんですね。見たと きに、あ、このキツネを今年一年やろう というと思ったらどうするかっていうと じっと、僕を見たら 僕はこっちを向く んですね。そしたらキツネが 30 分以内に こっちに出てきます。そしたらこっち向くんですね。これを一日やるんです。そしたらき りきり舞いになりますね。なんとしてでも自分を認めてほしいんですね。最後になると三 脚の下にじっとしてます。 そうなります。 要は無視させるというのはすごく怖い ことなんですよ。常に、だから、なにか 怒っちゃいけないというといわれるんだ けども、怒られるというのは、 「あ、あの 人は自分の事をこう見てるんだな」って いうふうに勇気がわくんですね。怒られ るというのはですね、怒られた人にとっ ては、ものすごく勇気のわくことなんで すね。それを怒っちゃいけないという妙なことになってるわけですね。野生動物の場合も のすごくはっきりしているんですね。無視されるっちゅうことはすごく怖い。声をかけら れることはものすごく好きなんですよ。だから認められるというのが大好きなんです。人 間社会の中でも学校教育の中に無視するといういじめが登場したときに、僕はものすごく 怒ったんですね。学校長に言ったんですよ。そういうのは校長先生、学校行かなくていい ですよって僕は思っているんですって言ったんです。人格を壊されるんですね。無視をさ れるということは個人の人格を壊してしまいます。これはもう完全に生物としてですね、 他者がいて初めて自分が存在するという生物ですから、その中でもって無視されたら自分 の人格がなくなるんですね。自分の人格をなくしてまで学校に行くようなほど学校はいい もんじゃありません、あんなものは。たいしたもんじゃないんですよ、って僕は言って。 そんなものは学校やめていったらどうですかといつもいいます僕は。無視をするというの はおそらく僕が今までいろんなことをやってきた中で一番のえげつないというか、一番の 厳しい作業ですね。ああいうことが人間社会の中に定着しているということが、恥だと思 わなかったらおかしいと僕は思うんですね。本当にそういうことを思います。 これはいうと、今晩お酒のある会のときに僕のところに酒を飲みにきてケンカを売らな いでください、話しちゃうと問題に出るんですけれど、あるときにですね、かみさんから また電話が来てですね、ちょっとおかしいからかえってきてくれって、どうしたんだって 言ったら、なんかおかしいって、なぜおかしいかというと、うちで飼っていたキツネが子 どもを一匹産んだんですね。野外では子どもを一匹ってみたことがない。前の年に僕はキ ツネは何匹ぐらい産むっていうのを学会で報告したんですね。10 年間の 160 数ペアぐらい の平均を産みます。何匹ぐらい産みました。しかし一匹というのはありません。っていっ たんですね。それで待ってましたといわんばかりに、うちにそれを聞いていたキツネがい たんですね。次の年に、一匹産んだんですよ。前の年に僕が言ったことは全部うそになっ てですね、すごく深刻に僕はおちいったんですけど、そしたらかみさんがすぐに次の日で すかね、帰ってきてくれってまたはじまったんですよ。なんだって言ったらおかしいって いうんですよ。今日は男の人多いから言います、女の人がおかしいって言ったら用心して ください。本当によくわかってんですね。どうみてもおかしくないんです。僕がみたら。 でもおかしいという。見たら、ちゃんとやってんじゃないか、ケアしてんじゃないか。母 親としては優秀だよって。しばらく見てもねえおかしさに気付かなかった。あるときふっ と見て、えっと思ったんですね。そういえばちょっとおかしいなあ、前の年に 4 匹子ども を育てた例があってそれをビデオに撮ってたもので、それ出せって出した。それをずっと 見たんですね。そしたらですね、母親から見ればまったく正しいんですね。どっちもえら い。ところが子どもから見るとぜんぜん違うんですね。要するに前の年のは 4 匹だからい っぺんケアし始めると 7 分かかるんですよ。それで次にうつるんです。元に戻るには 30 分 のうちにはじめに戻る。そのあいだにその子どもたちは何をやるかって寝たりですね、お 乳を飲んだりしている。ところがですね、一匹だったらどうなるかって言うと、ずっとケ アのされっぱなしなんです。オーバーケアになって死があるっちゅうことがはじめてわか ったんですね。人間の社会というのはおかしな話なんですけど、実は進化のレールから降 りたって言われているんですね。なぜかっていったら自分で自分の子どもの数をコントロ ールできるようになる。その術を手に入れたところから、進化のレールから降りたって言 われてるんですね。本当にそうなんですね。要するに子どもっていうのは自分が選択した わけじゃないんですね。選択したわけじゃなくって子どもの数が減ったんですね。私は兄 弟要らないって子どもが言ったんじゃなくって、親が子ども育てるのは大変だから一人で いいわっていったんですね。平均 8 人くらい生む能力のあるお母さん方が一人でおわった んですね。これはね、どっかでしっぺがえしが来ます。と僕は見てるんですね。それはな ぜかって言うと子どもは僕は長いことやってくるとですね、子ども同士で育つっていうこ とがいっぱいあるんですね。子ども同士で育つ部分、親子で育つ部分と時間割をするとで すね、子ども同士で育つ部分がどんどんどんどん増えるんですね。ところが人間社会は子 ども同士で過ごす時間が極端に減ったんですね。これでうまくいくってのがあったらぜひ お手を見たいと僕は思っているんですね。少なくとも、人間は自分の子どもの数をコント ロールするようになったときは、もうひとつ哲学を持たなきゃいけなかったと思うんです ね。それはなぜかっていったら、8 人自分は子どもがおるんだと、7 人ほろんだと、7 人の 中の一人だけ子どもを育てれば何とかうまくいくと哲学を持てば。ところが一人だった場 合自分も東大にいってないのに、東大に行ってもらわなきゃって。本当に迷惑ですよね子 どもは。多いと一人ぐらいはうちの親父はいったですよ。 「いろんな問題あっても一人ぐら いは不良になってもいい、数多いんだから」って。そういったんですよ。その一人ぐらい はっていう余裕が、社会全体をすごく安定的に運営できる素地をつくるんだろうって、僕 は思います。もし一人でっていう世界ならば自分は 7 人子どもを持っている 7 人子どもを もってんだけど、そんなかの一人なんだって思いでですね一人に全部東大に行け、どこ行 けって、もう本人はすることがなくなってしまいますね。そういうことは是非にやめてほ しいなあっていうふうに思います。要するに動物っていうのは本能的に子どもを育てます。 それはものすごくきれいです。実は人間の親子も本能的に育児をしているはずなんです。 本来育児は本能的にすべき作業であってですね、考えてする作業じゃないんです。ですか ら赤ちゃんは若いときじゃないと育てられないんですよ。なぜ若いときかって体力ないと 子どもは育てられるのはできないですよ。要するに体力仕事なんですよ。教育もそうなん です。手間ひまかかるんですよ。手間ひまかかること体力仕事っていうものが、本当にそ れはそのときどきに与えられたひとつの義務だっていうふうに考えてですね、ぜひ子ども の世界を大事にしていただきたいと思います。今日こういう世界やったんですけど、実は 僕もさっき言ったように小さな村をやっています。いちばんやっぱりうれしいのは子ども がですね不確かなものを感じ取るときがいちばんうれしいですね。どうも自然界に入ると、 子どもが生き生きするというのが当たり前なんですね。不確かなものに満ち溢れているん です、ぐるりが。人間社会はおかしなもので都市というのは確かなものの集合体ですね。 あれはみんな約束事があって赤になったら通っちゃいけませんとか、あらゆる約束事の集 大成が都市なんですね。みんな都市がすごくハッピーなのは約束事の集大成だからですよ。 ところがこれが農村に入ったり自然の中に入ると約束事はまったくありません。ヘビでち ゃいけないなんてありませんから。どっかにヘビがいる、ひょっとすると後ろに熊がいる かもしれない。常に自分のことは自分でおる、自分の立ち位置がどこにあるかということ を常に自分で持つということが、実は子どもにとってはすごく大事なことなんですね。す ごくうれしいんです。大事というよりうれしいんです。子どもにとっては。やっと俺は一 人前になったといううれしさなんですね。是非に自然の中へ子どもを放りこんでいただき たいと思います。どうも長いあいだありがとうございました。
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