1月|兄弟-ぼくと兄の場合

 平成27年1月発行 発行責任者 辻村 一彦 【兄弟 -ぼくと兄の場合-】 「お兄ちゃん、出かけるよ。」 これで何回目の声かけだろう。当の兄は、家中の部屋の電気が消えているかを確認し、
すべての窓とドアが閉まっているかをチェックしてまわっている。そして、やっと玄関ま
で来たと思ったら今度はトイレだ。出かける前には、必ずトイレに行くと小さい頃から決
まっている。トイレを済ませ、丁寧に手を洗い終えてようやく玄関まで来たと思ったら、
今度はおもむろに玄関のくつをそろえはじめるのだ。これを全部すませて兄は、安心して
外出することができる。 ぼくの兄は、自閉症という傷害を抱えて生まれてきた。外見からは、障害を抱えている
ということが分からないから、ぼくの両親も兄が二歳になるくらいまでは、兄の障害に気
がつかなかったようだ。しかし、赤ちゃんの頃から眠りが浅く神経質で、何か気にいらな
いことがあれば泣きわめくし、歩くようになると恐いもの知らずでどこまでも行ってしま
う兄にほとほと手を焼いていたようだ。そして、3歳違いで弟のぼくが生まれると、すや
すやとよく眠り、歩くようになってもどこかへ行ってしまうことなく、ちゃんと後ろから
ついて来るぼくを見て、この子はなんて育てやすいのかと感動すらしたそうだ。 兄は、言葉を話すようになるのはとても遅かった。ぼくは1歳になる頃には、「マンマ。
マンマ。」と言っていたようだが、兄がはじめて言葉を話したのは5歳で、その言葉もパパ
やママではなく、つぶやくように「プリン」だった。驚いた母は、冷蔵庫に猛ダッシュし
てプリンをつかむと兄にプリンを渡した。母も兄の唐突なプリンという言葉に驚いたが、
プリンとつぶやいた途端、手にプリンを持たされた兄も驚いて目をまん丸にしていた。し
かし、このことをきっかけに兄は、少しずつだが言葉を話すようになった。言葉を話すよ
うになるまでの兄は、カードや音の出る「あいうえおボード」を使って意思表示していた
のだが、この出来事のおかげで言葉で伝えた方が早くて便利だということに気がついたの
かもしれない。 兄は絵本が大好きだ。それ以外にもポケモンやドラえもんやジブリの映画、劇団四季の
ミュージカル、動物園や水族館に遊園地、温泉に行くことも乗り物に乗って旅行すること
も大好きだ。ただ、外出して困ることもある。例えば、トイレが混雑していると列には並
んでいても自分の順番のタイミングが分からず、どんどん抜かされてしまうのだ。そんな
時は、「お兄ちゃん、次。」と声をかける。一言声をかけるだけで理解できるのにこんなさ
さいなことでも兄は、戸惑ってしまうのだ。 兄は、公共の場所で他の人に迷惑をかけないため、そして何より兄自身が気持ちよく過
ごせるように外出先では、大きな声で話さないことや急に走ったり立ち止まったりしない
などのルールを決めて守っている。時々、小さい声でブツブツ言っていることもあるが、
兄なりに周囲に合わせようとがんばっていると思う。 ぼくと兄の関係は、少し変わっているのかもしれない。ぼくは、弟でもあり、時には保
護者のような役割をすることもある。友だちの兄弟の話を聞いてうらやましいと思ったこ
とは、一度や二度ではない。兄とサッカーやキャッチボールをしてみたかったし、兄弟げ
んかもしてみたかった。そんなことには、まったく興味を示さない兄だが、それでもやは
り、ぼくは兄のことが大切だし大好きだ。ぼくには夢がある。ぼくが大学生になったら兄
と二人で旅行に行ってみたい。ぼくが運転する車の助手席に兄を乗せて、水族館やサファ
リパークに行き、温泉にのんびりつかっておいしい料理を食べる。部屋にもどると兄はき
っと大人になっても今と同様に DVDを見て、はしゃいで喜んでいるだろう。兄が安心し
てぼくと旅行に行こうと思えるような強くて優しい大人になること、それが今のぼくの目
標だ。 (「心の輪を広げる体験作文」、最優秀賞の中学1年生の文、一部省略)