第5号 Sr加藤美紀「ヨセフと夢」

 ヨセフ と 夢
二〇一三年十月三日
バイブル サ
・ ービス
紀
皆さんは、昨夜ご覧になった夢を覚えていらっしゃるでしょうか 。加
人
え
ていな くて
も一晩に五つから六つ
間は覚 藤
美
は夢をみているそうです。映画一本分のストーリーをみているともいいます。ある計算によれば、私たちが睡眠中
に夢を見ている時間は、人生の十分の一に相当するそうです。このように貴重な人生の時間の多くを割いて見てい
る夢が、全く無意味に生じているとは考えにくいことです。聖書にもたくさんの夢の話が出てきます。幸いを告げ
るいい夢の話も、悪い予兆を告げる、いわゆる夢見の悪い話も出てきます。確かに私たちは、夢の続きが見たいと
思うような夢を見ることもたまにはありますが、朝目覚めたとき「あー、これが夢でよかったあー」と思うような
夢を見ることもあります。聖書にも、とても気がかりな夢を見たのだけれども、夢の意味が分からず不安になり、
預言者に夢解きをしてもらう王様の話が出てきます。
たとえば、旧約聖書に出てくる預言者ダニエルは、大変能力が優れていたといわれますが、面白いことに、ここ
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でいう「能力」とは、勉強ができるとか仕事ができるとかいうことではなくて、夢を解釈する能力のことです。バ
ビロン捕囚の時代、当時のネブカドネツァル王は不吉な夢を見て非常な不安にかられ、国中のあらゆる博士や賢者、
ヨセフと夢
占星術師、魔術師などを集めて、夢を解いた者には褒美を約束しますが、誰一人、王の夢を解釈することができま
せん。そこで捕囚の民であるダニエルが呼ばれますが、彼は、王の見た難解な夢を見事に解釈して、王位が揺るぎ
ないものになるという幸いを告げます。このためにダニエルは異教徒であるにもかかわらず、多大な栄誉と褒美を
王から賜ります。このときダニエルは「夢を解釈したのは人間の知恵によるのではなく、神から授けられた知恵に
よるのだ」と明言することによって、自らの信仰を宣言してもいます。
このように旧約時代の中近東では、夢を解釈することが普通に行われていたようですが、夢の解釈は天から授け
られる特殊な能力によるのであり、夢はあだやおろそかにしてはならない、神意が告げられる神秘的な現象として
重視されていたことをうかがわせます。
聖書の夢の話で最も有名なのは、旧約聖書のヨセフ物語でしょう。ヨセフ物語のなかで夢は非常に重要な役割を
果たします。ヨセフは、夢の意味を解き明かす不思議な知恵を活かして、どのような知恵者も及ばないような見事
な知恵を発揮して、エジプト王の夢を解釈し、国難からエジプト民族を救うのみならず、近隣諸国の民族の命まで
も救い出します。その功績が報いられて、ヨセフは、牢獄の囚人から一気に最高位の大臣へとのぼりつめました。
子供時代のヨセフは印象的な夢を何度も見ては、それを無邪気に家族に話してしまい、意地悪な兄たちに「夢見る
お方」とからかわれていましたが、それらの夢がすべて、大人になってから実現したというわけです。
奇しくも同じ名前をもつ聖母マリアの夫ヨセフも、夢に導かれた人生を歩んだ人でした。新約聖書には、聖ヨセ
フが見た夢が四つ出てきます。お手元のプリントにその四つの箇所を載せましたが、これを読みたいと思います。
まず、新約聖書のなかで、ヨセフが最初に見た夢は、マリアを妻として迎えるように、そしてマリアから生まれる
男の子にイエスと名付けるよう「主の天使」が命じる、という夢です。二番目に記されているヨセフの夢は、ヘロ
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デ大王の魔の手から逃れて、妻のマリアと赤ちゃんのイエスと一緒に三人でエジプトに避難するように、やはり「主
の天使」が命じる夢です。三番目にヨセフが見た夢は、エジプトからイスラエルの地に戻るように、同じく「主の
天使」が命じる夢です。続いて記されているのは、ガリラヤのナザレに住むようにという「夢のお告げ」でした。
このようにヨセフは人生の重大な決断をすべて、夢の導きに従って決めています。ヨセフの見た夢はすべて、ヨ
セフ個人の人生にのみ関わることではなく、イエスとマリアを護るためであり、つまりは人類の救済全体に関わる
ことでした。このようにも重大な決定をすべて導いているのが夢なのです。ヨセフの人生はいわば、夢を実現させ
る人生だったといっても過言ではありません。
闇と光の対比を好んで描いた十七世紀フランスの画家ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールは、ルーブル美術館に所
蔵され、二〇〇九年には上野の国立西洋美術館をはじめ、日本にもやってきた「大工聖ヨセフ」の絵で特に有名だ
と思いますが、「聖ヨセフの夢」という絵も描いています。こちらの方は直接見たことがありませんが、フランス
のナント美術館に所蔵されているようです。大工ヨセフの絵では、画面右側に立つ少年イエスが灯すろうそくのあ
かりを頼りに、左側の老人ヨセフが大工仕事に励む、という構図でした。「聖ヨセフの夢」では、ろうそくは机の
上に置かれ、画面左側に立つ子供の姿をした天使が、右側に座っている夢うつつのような表情の老人ヨセフに何か
を告げているような絵になっています。解説を読むと、かつてこの絵は、「若い娘に起こされる老人」と呼ばれて
いたそうですが、二十世紀に入ってラ・トゥールの研究が進むにつれてヨセフの夢枕に立った天使の絵だと判断さ
れるようになったそうです。この絵の場面が、聖母マリアの懐妊を告げる場面なのか、エジプトへの避難をすすめ
る場面なのかは不明です。また、神の使いである天使の姿は、少年とも少女ともつかない姿で描かれています。
私の知る限りでは、ヨセフの夢の場面を描いた絵はこれ以外に思い浮かびませんし、宗教画として人々に広く好
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ヨセフと夢
まれる題材だったとは思えませんが、新約聖書で聖ヨセフに関する記述はとてもわずかなのに、そのわずかな部分
のほとんどが夢に関わる場面であることは大変興味深く感じられます。ちなみに、聖ヨセフはシャルトル聖パウロ
修道女会では、使徒職の保護聖人となっており、毎晩寝る前の修道院共同の祈りの最後は「聖ヨセフにご保護を求
める祈り」を唱えて締めくくるという習慣があります。私もヨセフは大好きな聖人ですが、聖書を読む限り、ヨセ
フが夢に導かれる人生を送っていたことを伺わせるのは、ヨセフを理解するうえで見逃せない事実だと思います。
このように聖書の中で夢は、その人に対する神様のご計画が示されたり、神様からのメッセージが告げられる重
要な印として扱われています。ただし、私たちが夢の解釈をするには、フロイトやユングなどが開拓した夢分析の
知識が必要なこともあるでしょう。たとえば、ユング派の河合隼雄さんが紹介している十三世紀の鎌倉時代の僧侶、
明恵上人が少年時代から晩年に至るまで生涯綴っていた夢日記は、河合さんの分析にかかると見事にその意味が解
き明かされているように思われます。なかなか素人的に自分の毎晩見る夢を解釈することは難しい気もしますが、
それについては、この大学に来てから面白いことがありました。
私は、修道会に入会する日、初めての修道誓願を立てる日、そして終生誓願を立てる日にちが決まった日の三回
とも、同じモチーフの夢を見ました。ですが、その夢は素人ながらに考えても、とても吉夢といえるような内容で
はありませんでした。細かいストーリーは省きますが、三つの夢の共通点は、最後には放射能が降ってきて、逃げ
る場所がなくなる、という不吉な夢です。夢を見た私も、夢の中で追い詰められたような大変怖い思いを味わいま
した。人生の大事な日によりによってこのような嫌な夢を見てしまい、気がかりでもあった私は、これまでに、夢
を専門に勉強している人がいれば、その夢の解釈を尋ねたり、自分でも本でいろいろ調べたりもしましたが、いず
れもピンとこないものばかりでした。ところが、去年、この大学のある先生がフロイトの夢分析に詳しいことを伺
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い、試しにこの夢についてお話してみました。すると、これまで聞いたなかでは最も合点がゆく解釈をしていただ
くことができました。そのことがあってから、夢解釈はやはり馬鹿にならないということをますます確信するよう
になりました。
そのため、一年生対象のキリスト教学で夢の話をしたりもしましたが、授業の後に学生に書いてもらうリアク
ション・ペーパーを読むと、
「今日の夢占いの話、すごく面白かったです」とか「私もよくケータイの夢占いサイ
トをみてます」という感想が多く、夢解釈は夢占いと簡単に混同されることに気づきました。確かに、夢を解釈す
るといっても、その解釈が妥当かどうか科学的に実証する手立てはないので、占いに近いものに思われても仕方な
いのかもしれません。私も夢のすべてが人生へのメッセージだとは思いません。しかし日常は気づいていない自分
のもう半分の側面や、無意識の願望を知らせてくれたり、不満を解消してくれたり、時には危険を予防してくれた
り、意識のレベルでは理解できないことを夢を見ることによって腑に落ちる形にしてくれたり、混沌としたものを
整理してくれたり、睡眠中にはいろいろと重大な働きが行われているのは事実だと思います。また実際に、睡眠中
に見る夢が、私たちの将来実現したい夢と意外な関連があることは見逃せません。夢は、日々の生活で見失ってい
る自分本来の望みや人生に対する熱い憧れを呼び覚ましてくれることもあるのでしょう。
これも河合隼雄さんが紹介している話ですが、マライ半島に住むセノイ族はゆうべ見た夢を翌日、酋長に話すと
いう習慣があり、そのためにこの村では数世紀にもわたって精神病院と監獄が必要なかったのだといいます。
「夢
を見ること」そして、「夢を語ること」が人々の健康的な自己実現に役立っているからだと考えられています。そ
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の意味では、夢を語ることは夢を実現する第一歩になるといえそうです。聖書には、人との付き合いは広いほうが
いいが、相談相手は千人に一人に限りなさい、という勧めがあります。旧約聖書のヨセフは夢を語る相手を間違え
ヨセフと夢
たために兄たちから馬鹿にされましたが、新約聖書のヨセフは夢をマリアにしか語りませんでした。夢を語る相手
を見極めて、睡眠中の夢と現実の夢をつなげる道を模索しながら、本心かなえたい夢を実現することは、私たちが
幸せになるための秘訣かもしれません。聖書には、私たちが幸せに生きるためのさまざまな知恵が散りばめられて
いるようです。
(カトリック研究所所長)
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