姫の土人形

姫の土人形
○土人形の始まり
土人形は江戸時代の頃より節句物、縁起物として全国各地で作ら
れ、数多くの作品が誕生しました。
土人形の種類は、約 150 種で、一品物と組み物(2 体組)に分かれ
ており、素朴な味わいのある顔立ちが特徴です。
1 品物・・・ダルマ、福助、天神、桃太郎、清正、政岡、乃木大将等
組み物・・・内裏、高砂、恵比寿、大黒 等
○姫の土人形
可児では、明治の初めに、広見の高田伊兵衛氏が、犬山の人形職
人から技術を習い伝えたのが始まりで、その孫弟子にあたる下切の
故渡辺一夫氏(昭和 62 年没)により製作されてきました。マスコミ等
でも取り上げられたことにより「姫の土人形」は全国的にも知られ
るようになりました。そして、昭和 47 年には、故渡辺氏が可児町(現
可児市)無形文化財第一号に指定されました。
人形の中で特に需要が多かった物は、小内裏、鎧武者、立達磨な
どで、故渡辺氏は、生涯に 2 万体以上を製作されました。
昭和 40 年代以降は、年間 1 釜(200 体)程度の製作となりました
が、最盛期(昭和 20~30 年代)には、年間 4~5 窯(800~1,000
体)程度作られていたとのことです。
土人形は、子供の祝い品として用いられましたが、可児地区では、
5 月の端午の節句には鯉のぼりを贈る風習があったため、3 月の桃
の節句に贈られるのに用いられました(昭和 30 年代前半頃まで)。桃
の節句とはいっても、女の子だけに限らず、男の子にも贈られてい
ました。
贈られた人形の裏や底には、贈られた子供や贈り主の名前、贈ら
れた年などが記入されていました。更には、人形の名前、祈願、買
った時の状況までもが記入されているものもありました。
こうした土人形は、一般の内裏雛などとともに飾られ、男女を問わ
ず桃の節句を祝います。また、土人形が壊れたり、新しい物を買っ
たりすると、節句の後に川に流したということです。
○土人形の作り方
姫の土人形は、以下の方法で作られました。
生地作り(秋 10 月頃の収穫前まで)
①液状の白粘土(今地区で産出されたものを使用)を裏・表合わせの石
膏型に流し込み、10~20 分後に不要な粘土を流し出し薄物とす
る。
石膏型
②型抜き後、乾燥させる。
③筒窯で素焼きする。(700~800 度で 7 時間)
上絵付け(1~3 月頃)
泥絵の具を膠(にかわ)で溶かしながら極彩色する。
~土人形に関わる四方山話~
私の家にも昭和 40 年頃までは、煤けた大きな箱に 30 体前後の
土人形があり、ひな祭りや節句に飾り付けるのが子供の仕事であり、
楽しい思い出として残っている。
昨年、長野県中野市にある「日本人形資料館」を訪れた折、資料
展示の中に「姫土人形」を発見し大変驚いた。見知らぬ遠くの地で、
貴重な資料として展示公開されていることに感動した。
私の小学校時代も集団登下校であったが、帰りはほとんど野放し
であり、現在は可児工業団地となってしまった山々の道なき道を縦
横無尽に駆け巡りながら帰ったものである。そのコースの一つに、
土人形製作者故渡辺一夫氏宅の「工房通り抜けコース」があった。
型から取り出したばかりの各種の人形が天日干しされている風景や、
絵付けや素焼き作業を見学した記憶が今も鮮やかに残っている。
現在、市内には土人形を作られる方もなく大変残念であるが、地
域に残る貴重な歴史資料として是非伝え残していきたいと考えてい
る。
姫治公民館長
太田勝康
作品協力
企画制作
渡辺要二
姫治公民館
※本資料は、第 34 回姫治公民館まつり(H22.11.6)で展示した、
「姫の土人形」の内
容を基に作成したものです。