八幡市観光基本計画

6
八幡市観光基本計画
〔 平成 26 年度~平成 30 年度 〕
と
が奏でる
やわた
0
6
八
幡
市
平成 26 年 3 月改訂
表紙の写真について
石清水八幡宮
背割堤桜並木
松花堂庭園
流れ橋
はじめに
多くの方々のご協力により、このたび八幡市観光基本計画を改訂す
ることができました。
この計画は、平成15年3月策定の前計画を基礎とし、第4次八幡
市総合計画の目標とする将来都市像「自然と歴史文化が調和し
輝く
やすらぎの生活都市
人が
~自立と協働による個性あふれるまちづ
くり~」の実現に向け、観光面で取り組む内容を示しています。
今後、行政、観光協会、市民、事業者などが一体となり、市民一人
ひとりがおもてなしの心を持つことにより、
「ときめきとものがたりが
奏でる
ふれあいのまち
やわた」を目指し、本市の観光振興を図っ
て参りますので、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
計画の改訂にあたりまして八幡市観光基本計画検討懇談会委員の皆
様をはじめ、多くの方々から貴重なご意見、ご提言をいただきました
ことに、心から厚くお礼申し上げます。
平成26年3月
八幡市長
八幡市観光基本計画
- 目
第1章
次 -
計画の目的と期間 ············································ 1
1.計画策定の背景と目的 ·········································· 1
2.計画の期間 ···················································· 1
3.計画の構成 ···················································· 2
第2章
観光を取り巻く状況·········································· 3
1.国内の観光動向 ················································ 3
2.外国人観光客の動向 ············································ 5
3.京都府下の観光動向 ············································ 6
4.八幡市の観光資源と広域交通網の状況 ···························· 9
5.ヒアリング調査結果 ··········································· 23
第3章
観光振興に関する課題整理 ·································· 25
第4章
観光の基本方針と基本施策 ·································· 29
1.基本理念 ····················································· 29
2.計画のねらい ················································· 30
3.指標の設定 ··················································· 31
4.計画の基本方針(八つのはた)と基本施策 ······················· 32
第5章
計画の実現に向けて········································· 46
1.計画の見直しのしくみづくり ··································· 46
2.迅速かつ総合的な計画推進ができる体制づくり ··················· 47
第1章 計画の目的と期間
1.計画策定の背景と目的
「八幡市観光基本計画」
が平成 15 年 3 月に策定されてから平成 25 年で 10 年が経過す
ることから、観光動向の変化や広域交通ネットワークの整備状況等を踏まえた計画の見
直しの必要性が高まってきました。
近年の観光の動向としては、個々の興味や関心を探求する多様な旅行へ細分化してき
ています。名所旧跡などの与えられた「モノ」を見るだけの「物見型観光」から、観光
地が織りなす「物語」の中に入り込み、その世界を体感、遊び、学ぶことで精神の高揚
や癒し、感動を得る「体験型観光」や観光客を受け入れる側の地域(着地)側がその地
域でおすすめの観光資源を基にした旅行商品や体験プログラムを企画・提供する「着地
型観光」が注目を集めています。
そのなかで、本市ではさらに特色を打ち出すため、歴史文化・人物等の観光資源を最
大限に活かし「観光行動」を「ものがたり」として構築する「ものがたり観光」の取組
みを進めていくことが求められています。
また、訪日する外国人観光客は増加傾向にあり、本市においても大きなイベント開催
時には外国人観光客の姿が見られます。加えて、平成 32 年(2020 年)には東京オリン
ピックが開催され、その際には京都・大阪へも多くの外国人観光客が訪れることが予測
されます。本市においても、今後、外国人観光客を呼び込む方策や環境整備を検討し、
進めていくことが必要です。
さらには、歴史街道推進協議会や乙訓・八幡広域観光連絡協議会、宇治・八幡・京田
辺広域観光連携研究会、淀川三川合流域地域づくり推進協議会などの広域連携団体との
連携を強めていくとともに周辺自治体や鉄道沿線自治体との広域連携を進めていくこと
が求められています。
そこで、前計画の検証を行うとともに本市の豊かな歴史文化資源や自然環境およびま
すます広がりつつある広域幹線道路網の活用を図り、さらなる観光振興を促進するため
「八幡市観光基本計画」の改訂を行いました。
2.計画の期間
本基本計画は、平成 26 年度から平成 30 年度までの 5 年間とし、5 年後に社会情勢の
変化や進捗状況等を踏まえて見直しを行います。
あわせて作成する実施計画は、各年度の進捗状況や社会情勢の変化並びに市の財政状
況等を勘案して、年度ごとに見直すこととします。
1
3.計画の構成
本計画は、観光振興の方向を示す基本となる計画であり、「基本計画」と「実施計画」
で構成し、実施計画は毎年度見直しを行います。
平成 26 年度
平成 27 年度
平成 28 年度
平成 29 年度
平成 30 年度
基 本 計 画
▲
見直し
実施計画
実施計画
▲
見直し
実施計画
実施計画
▲
見直し
▲
見直し
2
実施計画
▲
見直し
第2章 観光を取り巻く状況
1.国内の観光動向
①観光・レクリエーションの国内旅行者数
国内旅行のうち観光・レクリエーションの延べ旅行者数は、全国では平成 23 年に東日
本大震災の発生により減少したものの、その後は「日帰り」
「宿泊」とも増加傾向にあり
ます。
近畿を訪問する延べ旅行者数は、平成 23 年には東日本への旅行が控えられた影響で増
加しましたが、平成 24 年は減少しています。平成 25 年は「日帰り」は増加に転じてい
ますが、「宿泊」は減少傾向にあります。
(万人)
国内旅行(観光・レクリエーション)旅行者数の推移
25,000
20,557
22,417
19,282
19,511
17,145
16,668
17,175
5,000
3,118
3,388
3,196
0
2,410
2,543
2,281
2,267
平成22年
平成23年
平成24年
平成25年
20,000
15,000
18,856
10,000
日帰り(全国)
宿泊(全国)
日帰り(近畿訪問)
宿泊(近畿訪問)
4,244
資料:観光庁「旅行・観光消費動向調査」
(平成 25 年値は推計値)
②宿泊旅行
平成 24 年における国民 1 人当たりの国内宿泊観光旅行回数は 1.40 回、国内宿泊観光
旅行宿泊数は 2.24 泊と、それぞれ平成 23 年から増加に転じています。
宿泊旅行の推移
(泊、回)
2.5
2
2.38
2.08
2.09
2.24
1人当たり宿泊数
1.5
1
1.46
1.32
1.30
1.40
平成22年
平成23年
平成24年
1人当たり回数
0.5
0
平成21年
資料:観光庁「旅行・観光消費動向調査」
3
③年代別観光・レクリエーション旅行者数
平成 24 年における国内旅行のうち観光・レクリエーションの年代別旅行者数は、日帰
りでは 60 代が 3,417 万人と最も多く、次いで 40 代、30 代の順となっています。宿泊で
も 60 代が 2,877 万人と最も多く、次いで 30 代、40 代の順となっています。
年代別観光・レクリエーション旅行者数(平成 24 年)
10歳未満
0
10代
20代
30代
5,000
40代
50代
60代
10,000
70代
80代以上
15,000
20,000
(万人)
1,229
2,080
1,847
日帰り(全国)
495
2,886
2,963
2,607
3,417
1,496
1,414
宿泊(全国)
1,986
合計19,511
550
2,078
2,273
2,450
2,085
2,877
1,953
合計17,175
資料:観光庁「旅行・観光消費動向調査」
④男女別観光・レクリエーション旅行者数
平成 24 年における国内旅行のうち観光・レクリエーションの男女別旅行者数は、日帰
りでは女性が 9,857 万人(50.6%)
、男性が 9,644 万人(49.4%)と、女性が多くなって
いますが、おおむね半々の比率です。宿泊でも女性が 8,841 万人(51.5%)
、男性が 8,334
万人(48.5%)と、女性が多くなっています。
男女別観光・レクリエーション旅行者数(平成 24 年)
男
0
日帰り(全国)
宿泊(全国)
女
5,000
10,000
15,000
9,867
9,644
8,334
8,841
20,000
(万人)
合計19,511
合計17,175
資料:観光庁「旅行・観光消費動向調査」
4
2.外国人観光客の動向
日本を訪れる外国人旅行者(観光客、商用客、その他客)は、増減しながらも平成 25
年には 1,000 万人を突破しました。そのうち「観光客」は 7 割強を占め、平成 24 年は
604 万人、平成 25 年はさらに増加の見込みです。
そして、平成 32 年(2020 年)の東京オリンピック開催に向けて、外国人観光客のさ
らなる増加が見込まれます。
また、観光・レジャー目的の京都府への訪問率は、平成 24 年 23.4%であり、141 万人
と推計されます。主には京都市への観光客と考えられますが、そこから八幡市への誘引
策が課題とされます。
外国人旅行者・観光客の推移
(万人)
1200
1000
1,002
861
835
800
679
600
400
836
全体
622
観光客
636
604
465
406
345
200
0
平成20年
平成21年
平成22年
平成23年
平成24年
平成25年
資料:日本政府観光局(JNTO)
「年別訪日外国人旅行者数の推移」「訪日外客数」
外国人観光客の観光・レジャー目的の都道府県別訪問率(平成 24 年)
観光・レジャー目的の
訪問率(複数回答)
平成 24 年の推計客数
(604 万人に対して)
東京都
50.5%
305 万人
大阪府
30.1%
182 万人
京都府
23.4%
141 万人
兵庫県
6.0%
36 万人
奈良県
4.4%
27 万人
資料:観光庁「訪日外国人消費動向調査」
観光庁による平成 23 年調査では、外国人が日本で感じる不便さについて「無料公衆無
線LANの環境」や英語など「コミュニケーション」の不足、「交通の経路情報の入手」
が上位にあげられています。
5
3.京都府下の観光動向
①観光入込客数
京都市以外の京都府下の観光入込客数は、平成 20 年をピークに減少傾向にあります。
八幡市も同様に減少傾向にありますが、平成 24 年は若干増加しています。
また、近年、観光入込客数の山城地域に占める八幡市の比率は、16~17%程度で推移
しています。
京都府下の観光入込客数の推移
(人)
60,000,000
50,000,000
49,445,000
50,210,000
46,896,000
49,555,000
40,000,000
30,000,000
京都市
25,175,334
27,781,314
27,182,412
27,186,221
京都府(京都市以外)
26,325,200
26,207,991
山城地域
八幡市
20,000,000
10,696,848
11,960,654
11,271,410
10,920,645
10,578,991
10,377,032
1,921,395
1,952,937
1,951,304
1,830,970
1,728,363
1,774,053
平成19年
平成20年
平成21年
平成22年
平成23年
10,000,000
0
(注:京都市の平成 23 年・24 年値は記載なし)
平成24年
資料:京都府観光入込客数調査
②観光消費額
京都市以外の京都府下の観光消費額も、平成 20 年をピークに減少傾向にあります。八
幡市も同様に減少傾向にありますが、平成 24 年は若干増加しています。
また、近年、観光消費額の山城地域に占める八幡市の比率は、3%程度で推移していま
すが、観光入込客数の比率に比べかなり低く、八幡市内で消費があまりされていないこ
とが伺えます。
京都府下の観光消費額の推移
(百万円)
60,000
50,000
47,879
50,105
46,931
47,195
45,487
45,260
40,000
京都府(京都市以外)
山城地域
30,000
20,000
14,542
16,625
八幡市
14,235
13,874
13,463
13,592
10,000
460
441
439
405
393
395
平成19年
平成20年
平成21年
平成22年
平成23年
平成24年
0
資料:京都府観光入込客数調査
6
③八幡市の日帰り・宿泊別状況
八幡市の観光入込客数の「日帰客」と「宿泊客」の別にみると、
「日帰客」がほとんど
であります。
八幡市観光入込客数の日帰り・宿泊別推移
(人)
2,000,000
11,761
9,487
10,665
1,500,000
宿泊客
1,000,000
日帰客
1,819,209
1,717,698
1,764,566
平成22年
平成23年
平成24年
500,000
0
資料:京都府観光入込客数調査
④八幡市の観光施設別状況
石清水八幡宮が全体の約6割を占め微減傾向にあり、淀川河川公園(背割堤地区)が
全体の1割強を占めていることから、その他の観光資源への集客の拡大が課題とされま
す。
2,000,000
主な観光施設別入込客数の推移
(人)
477,470
509,888
1,500,000
275,467
291,416
439,990
290,980
1,000,000
482,763
502,712
205,600
221,341
その他
淀川河川公園
石清水八幡宮
500,000
1,200,000
1,150,000
1,100,000
平成20年
平成21年
平成22年
1,040,000
1,050,000
0
平成23年
平成24年
資料:京都府観光入込客数調査
7
⑤八幡市の月別観光入込客数
八幡市の月別観光入込客数は、1月が特に多く、次いで4月に多く集中しています。
1月は石清水八幡宮への初詣、4月は淀川河川公園(背割堤地区)の桜見物であり、ほ
かの月での集客の拡大が課題とされます。
八幡市の月別観光入込客数(平成 24 年)
500,000
(人)
491,865
400,000
305,711
300,000
235,756
200,000
94,814
100,000
103,472
85,223
66,996 57,907
89,943 87,219 96,819
58,328
0
1月
2月
3月
4月
5月
観光フォトコンテスト 2013
6月
7月
8月
9月
10月
入賞作品:理事長賞(桜まつり 背割堤にて)
8
11月
12月
4.八幡市の観光資源と広域交通網の状況
①年間行事等
八幡市での観光客を集める社寺や各種団体等の年間行事や定例の祭等について、月別
に整理すると以下のものがあげられます。
行事(共催含む)
社寺の定例祭
4月
・八幡桜まつり 背割堤地区
上旬(観光協会)
・石清水八幡宮男山桜まつり
3 月下旬~4 月下旬
・八幡まちかど雛まつり
上旬(東高野街道八幡まち
かど博物館協議会)
・松花堂 つばき展 上旬
・円福寺 万人講 20 日
(松花堂庭園・美術館)
・正法寺 特別公開 上旬
・京都非公開文化財特別公開
(春季)4 月下旬~5 月上旬
・飛行神社 年次祭 29 日
(京都古文化保存協会)
5月
・正法寺
八幡桜まつり
特別公開 中旬
6月
松花堂 つばき展
・正法寺
特別公開 中旬
・石清水八幡宮 水無月大祓
30 日
7月
・高良社祭 宵宮・本宮
17・18 日
・太鼓まつり 中旬
8月
・なし狩り 中旬~9 月下旬
・淀川三川ふれあい交流七夕
まつり(七夕まつり等ふれ
あい交流実行委員会)
9月
・ぶどう狩り 上旬~下旬
・石清水八幡宮
・正法寺 観月の夕べ 中旬
15 日
特別公開
下旬
ぶどう狩り
石清水祭
石清水祭
月
・松花堂 忌茶会 第 2 日曜日
(松花堂月釜会/松花堂 ・御園神社 ずいきみこし
上旬
庭園・美術館)
10
・円福寺 万人講 20 日
・正法寺 特別公開 下旬
・石清水八幡宮 エジソン碑 ・狩尾社祭 25 日
前祭 中旬
月
・京都非公開文化財特別公開
(秋季)上旬
11
(京都古文化保存協会)
・正法寺 特別公開 下旬
観光フォトコンテスト 2013 入賞作品
(ずいきみこし)
9
行事(共催含む)
社寺の定例祭
月
12 ・いちご狩り
上旬~5 月下旬
・石清水八幡宮
年越大祓・除夜祭 31 日
1月
・石清水八幡宮
・松花堂 初釜会 第 2 日曜日
歳旦祭 1 日
(松花堂庭園・美術館)
青山祭 18 日
厄除大祭焼納神事 19 日
2月
・石清水八幡宮
エジソン生誕祭
観光フォトコンテスト 2013 入賞作品
(石清水八幡宮 鬼やらい神事)
・石清水八幡宮
鬼やらい神事(節分前の
日曜日)
湯立て神事 1・3 日
中旬
3月
○月例行事
松花堂
月釜会(松花堂月釜会/松花堂庭園・美術館)
1・8・10 月除く各月第 2 日曜日
松花堂
日曜茶席(松花堂月釜会/松花堂庭園・美術館)
3~6 月、9~11 月の各日曜日
松花堂 月釜会(茶室 松隠)
茶室
松隠(松花堂庭園)
茶室 竹隠(松花堂庭園)
松花堂 日曜茶席(茶室 竹隠)
○毎週定例行事
松花堂ふれあい市(昭乗広場)
毎週土曜日
流れ橋ふれあい市(四季彩館)
毎週日曜日
松花堂ふれあい市
流れ橋ふれあい市
10
②物語
八幡市には、多くの歴史・文化資源や自然環境資源、物語等の観光資源が存在してい
ます。それらの中で、
「物語」に関するものを整理すると、次のようになります。
(各物語の出典等は、一覧表の末尾に記載)
タイトル
物語の概要
平安時代の貞観元年(859年)、奈良大安寺の僧行教が九州の宇佐八幡
宮に参拝したところ、八幡大菩薩が行教の修善に感応し、近都に移座し
まんさん
国家を鎮護しようと託宣
(石清水八幡宮)
した。そこで京に上がろ
うとして、まず山崎の地
に至り一泊する。ここで
再び八幡神が示現して
男山に移座することを
宣した。そこで八幡神の
勧請を朝廷に奏請し、天
皇は六宇の神殿を造営
させ、翌2年遷座したの
である。
1.やわたのはち
石清水八幡宮
2.男山四十八坊
石清水八幡宮は、かつて神仏習合の神社であり、江戸時代中期の古図
「八幡山上山下惣絵図」には43の坊を見ることができるように、40前後
が常に男山にあったようだ。その坊も明治の廃仏毀釈直前には23の坊に
なっていたという。
松花堂昭乗が住んでいた「瀧本坊」や、赤穂の大石内蔵助の実弟専貞
がいた「太西坊」などがあり、うち30程は宿坊として石清水八幡宮を参
拝する旅人を泊める宿泊施設にもなっていた。
八幡山上山下惣絵図(赤色が宿坊を示す):八幡市立図書館提供
11
タイトル
物語の概要
3.高良神社
高良神社の有名な逸話として、兼好法師が著した「徒然草」第52段に
記されている。ある日、仁和寺の僧が石清水八幡宮参詣に来たとき、本
殿が山頂にあることを知らずに麓
の高良神社に詣でたのである。僧
は「うわさ通りに素晴らしい社だ」
と思って帰ってしまった。後にな
って僧は自分がまちがって詣でた
ことを知り、
「少しのことでも案内
人がほしいものだ」と残念がった
高良神社
ということである。
4.南北朝時代の
南北朝時代、足利尊氏軍と戦うため、延元3年・
暦応元年(1338年)北畠顕家に呼応した北畠顕信
の軍は男山に立て籠もった。
正平7年・文和元年(1352年)後村上天皇が八幡
宮を行宮とし、男山にて南朝軍として足利軍が戦
った。現在、八幡垣内山に「後村上天皇行宮跡碑」
が建てられている。
後村上天皇行宮跡碑
男山
5.楠木正成必勝
祈願の楠
『洛陽名所集』によると、「楠木正
成が戦勝軍利を祈り、楠千本を八幡山
にうえけり」とあり、楠木正成が建武
元年(1334年)石清水八幡宮に必勝祈
願参拝の折に奉納したとされる樹齢
700年に迫る大木がある。
楠木正成公必勝祈願参拝の際奉納の大楠
6.川口天満宮
宇治に住む公卿がある時、男山付近から現れた光が空を照らしたのを
発見し、その原因を調べていくと川口村に至った。村の南東300mほど
のところに池があり、夜中に池の中から光を発して天神六体の像を創っ
た。これを聞いた一条天皇は深く感銘を受けて大社創建の命を下し、長
徳元年(995年)に建立された。
7.航海記念塔
石清水八幡宮の宮寺だった旧極楽寺の境内に建立されたものである
が、寺は廃寺となって、この石塔だけが残されている。
八幡神を九州の宇佐八幡宮から勧請し
た大安寺の僧行教の墓だといわれている
が、口碑によれば平安時代末期に摂津国、
尼崎の豪商が入宋貿易帰途の海上で大シ
ケにあい、石清水八幡宮に祈り無事に帰国
できたことを感謝し、承安年間(1171~11
74年)に建立したものと伝えられている。
以後、船乗りたちが航海の無事を祈願に訪
れるようになったことから「航海記念塔」
と呼ばれるようになった。
また、文永の役(1274年)と弘安の役
(1281年)の蒙古襲来に際して西大寺の
僧叡尊が石清水八幡宮で祈ったところ、
神風が吹いて 元軍が敗れ去り、叡尊は彼
等の供養をするため建立したともいう。
航海記念塔
12
タイトル
物語の概要
峠の名を天下に知らしめたのは、天正10年(1582年)6月13日の明智
光秀と羽柴秀吉の山崎合戦である。巷説によれば、大和郡山の城主筒井
順慶は、光秀に組するような顔をして洞ヶ峠に出陣し、一方では秀吉の
もとに使者を送ってあらかじめ工作を施し、山崎の合戦が秀吉方に有利
に展開すると見るや秀吉軍に加わったとのことである。ここから、日和
見することを「洞ヶ峠を決め込む」と言うようになった。
実際には、順慶は光秀のために軍を山城・近江に動かし、河内へも出
陣することになっていたが、6月9日に至ってにわかに河内出陣を延期し
た。そして、6月10日秀吉が近く上京すると聞いた順慶は、山城へ出し
た軍を引き揚げた。11日、光秀の使者に同心しないことを伝えている。
また、順慶がはたして山崎合戦の当日、参加したかどうかは疑わしい。
信用のおける史料によれば、織田信孝は6月13日付で書を順慶に与えて、
兵を上山城口に出して光秀を討つことを命じ、順慶は6月15日の朝、自
身で千人を引き連れて出陣し、醍醐に陣取っていることが分かる。
そこには、統一されていく過程の戦国小諸侯の悩み、いかに進退すべ
きかの迷慮が示されている。
ほらがとうげ
8.洞ヶ峠
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ゆ だくさんちゃ く
9.湯沢山茶久
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れんじ
蓮寺(橋本)
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10.エジソンと
八幡の竹
山崎合戦の際に、豊臣秀吉方と明智光秀方の両方から使いの者がやっ
て来て、
「戦が済んだら弁当を食べるので、茶をわかしておいてくれ」
と言われた。お寺はどちらの頼みを聞けばよいのか迷い、仕方なくお湯
だけを沸かしておいた。戦が終わり、勝った秀吉の軍勢が大勢やって来
た。お寺は茶を用意していない。「お湯を飲んで下され」と申し訳なさ
そうに差し出すと、秀吉は「この寺はお湯をたくさんくれて、お茶をく
れん。これからは湯沢山茶久蓮寺とするが良い」と言ったという。
現在、寺はないが、跡地に石碑が残っている。
石清水八幡宮境内にエジソン記念碑が建っている。これは、発明王エ
ジソンが八幡の竹を使って白熱電球の実用化に成功したことを記念し、
建立されたものである。
エジソン記念碑
明治13年(1880年)夏、エジソンの特命を受け、日本にやって来た助
手のムーアによって男山付近で採取された真竹がエジソンの元へ送ら
れた。結果は、約1,000時間も明かりを灯し続け驚くべきものであった。
以来、男山の竹はセルロースのフィラメントにとってかわる1894年まで
の約10年間「八幡竹(はちまんだけ)」の名で、エジソン電灯会社に輸
出され、何百万個の馬蹄型フィラメントの白熱電球が作られ、全世界に
明かりを灯し続けたのである。
13
タイトル
物語の概要
航空界のパイオニア二宮忠八は、明治20年(1887年)丸亀歩兵連隊に入
隊。四国山岳地帯で演習中、烏が残飯を求め滑空する姿に興味を示し、
空を飛ぶ機械の発明に大きなヒントとなった。以後、研究を重ねて明治
24年(1891年)日本人初のゴム動力による「カラス型飛行器」の飛行に
成功。次に人の乗れる玉虫型飛行器を考案に着手。明治26年(1893年)
に設計を完了し、軍で研究開発してもらおうと願い出たが却下され、独
力完成を決意。資金を貯え、自力で飛行機開発の条件が整った明治33
年(1900年)
、京都府八幡町に土地を求め、開発に努力していたところ、
明治36年(1903年)12月17日、ライト兄弟が飛行機を完成させ、飛行に成
功したとの報を聞くことになった。
忠八は無念の涙を流し「飛行機を作っ
たとしても真似という評価しか受け
ない」と製作を断念したという。
老いた忠八は世界中で飛行機事故
が絶えないことに胸を痛め、自宅に飛
行神社を建立し、自ら神主の資格を取
飛行神社
り、飛行機事故殉難者の霊を祀った。
ちゅうはち
11. 忠 八の夢
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(飛行神社)
江戸時代初期の寛永年間を中心に、文化の形成に大きな役割を果たし
しょうかどうしょうじょう
12.松花堂 昭 乗 たのが、社僧・松花堂昭乗(1582~1639 年:
「中沼家譜」より)であり、
この時代の超一流の文化人であった。
(※注:別説-1584~1639 年:
「松
花堂行状記」より)
我が国では、明治維新まで神と仏を併せて祀る神仏習合で、石清水八
幡宮の境内には最盛期約 60 近い坊(寺)があり、社僧が住んでいた。
昭乗は 10 代半ばで石清水八幡宮の社僧となり、瀧本坊の阿闍梨実乗を
師として修行に励み、真言密教を極め、後に僧として最高の位である阿
闍梨となった。
昭乗は、書において松花堂流または瀧本流という書風を確立し、近衛
信尹、本阿弥光悦と共に「寛永の三筆」と称せられた。昭乗の生み出し
た書流は、江戸時代を通して、書の手本として命脈を保ち続けた。
また、画は人物画、花鳥画、山水画において当代随一と高い評価を得
た。そして、茶の湯をよくした昭乗の茶会には、寛永時代を代表する文
化人が集った。昭乗は、小堀遠州を始めとする武家、近衛信尋などの公
家、沢庵和尚・江月和尚や石川丈山、淀屋个庵など僧俗に及ぶ綺羅星の
ような人達と交友を持っていた。昭乗が所持し、当時瀧本坊に伝わって
いた茶道具類は「八幡名物」として、今も珍重されている。
寛永 14 年(1637 年)、昭乗はそれまで住職であった瀧本坊を弟子に
譲り、泉坊に「松花堂」と名付けた方丈を建て、侘び住いの境地に入り、
寛永 16 年(1639 年)に生涯を閉じた。
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史跡 松花堂跡地(男山)
14
草庵「松花堂」(松花堂庭園)
タイトル
物語の概要
今はもう跡形もないが、橋本に「山崎橋」という橋が架かっていた。
(橋本の山崎橋) この橋を架けた人は、諸国を行脚する行基さんであった。行基さんは、
あらゆる人が安心してこの川を渡れるよう、我を忘れて、日夜、一生懸
命に橋づくりに精を出したそうだ。人々はこの行基さんの姿に心を打た
れ、行基さんを助けて皆の力で立派な橋を造りあげたとのことである。
男山に住む小野頼風を慕う京の女性が、頼風に女房がいることを知り
おみなえし
14.女郎花
恨みとあまりの悲しみのために泪川に身を投げてしまった。
やがて、彼女が脱ぎ捨てた衣から女郎花が咲いた。頼風がこの花のも
とに寄ると、花は恨んだ風情をたたえながら頼風を嫌うようになびくの
で、頼風は「こんなにも私を恨んで死んだのか」と自責の念にかられ、
放生川に身を投げた。人々はこれを哀
れみ、二人の塚を築いたという。
頼風塚の周りに生い茂っている葦は
「片葉の葦」と呼ばれ、女郎花塚の方
にしか葉がついておらず、その葉が女
郎花塚に向かい今も「恋しい、恋しい」
となびいているのだという。
女郎花塚(松花堂庭園)
13.行基さん
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15.お亀さん
慶長年中(1596~1610年)、宗清の娘亀女(号=相応院)が徳川家康の
側室となった。それには、こんなエピソードが今に伝わっている。
お亀さんが子どもを行水させていると家康の行列が通った。お亀さん
は慌てて子どもをタライに入れたまま家の中へ。これを見た家康は「こ
の人なら元気な子どもを生んでくれるに違いない」と見初めたという。
お亀さんは、尾張藩主となる義直を産んだ。寺は同藩の庇護を受け、
八幡領が検地を免除され、守護不入の特権を得られたのは、彼女の働き
によるところが大きかった。
水月庵は、もと阿弥陀堂と称し、その後尼僧の禅道場として全国に流
布し、盛時には50~60人の雲水が集まったとある。また、徳川将軍家茂
のお話
に降嫁した皇女和宮の深い悩みをおもんばかった側女の一人が、彼女の
(水月庵)
死後この庵で出家して和宮の菩提を弔らったというエピソードがある。
なお、側女が賜った和宮愛用の打掛けが寺宝として保管されている。
東高野街道を八幡市民図書館から南へ300mほど行くと、左に入る道
じゅんけんみち
17. 巡 検 道と寝 の角に「巡検道」と刻まれた道標が建っている。巡検道はここを起点と
し、幅3mに満たない道が曲がりくねり、東へと延びている。神原町に
物語
は寝物語古蹟国分橋の碑が建つ。
この寝物語国分橋というのは、その昔、郡や村の境を決める際、両方の
村から同時に出発し、出会った場所をその境界としたという。しかし、
「出発までにはまだ時間があるから、もう少し休もう」とそのまま寝込
んでしまい、出発の時刻を過ぎてしまった。そのために領域が減ってし
まったというものだ。その碑の前にかかる「かへらずの橋」
(国分橋の
こと)とともに江戸時代以前からの伝承にちなんでつけられたものであ
ると思われる。
このような事の重大さを後々に伝えるために、今でも「寝物語古蹟国
分橋」の碑がこの土橋の横に立てられている。
16.和宮ゆかり
A E
E AE
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18.鯉ものがたり
(放生川)
昔、親おもいの優しい息子がいた。ある日のこと、母が重い病に倒れ
寝込んでしまった。ほとほと困り果てていると、
「鯉の生き血を飲ませ
ると重い病が良くなる」という噂を聞いた。村では昔から「殺生禁断」、
生き物を捕ってはならない。しかし、母を見殺しには出来ず、息子は放
15
タイトル
物語の概要
鯉ものがたり 生川に入り緋鯉をつかみ、その生き血を母親に飲ませた。母親は見る見
(放生川) る元気になったが、息子は殺生禁断の法を破った。喜んで罰を受けよう
と、お役人の前に出たが、そのけなげさに心を打たれたお役人は罰する
ことをしなかったとのことだ。
長患いの時に、生きた鯉の代わりに紙で作った真鯉と緋鯉を枕の下に
敷くと、病が治るという言い伝えが残った。この風習はいつの間にか床
ずれが治るという言い伝えに変わり、石清水八幡宮のおみやげの一つと
して売られている。
昔、もみじ寺には、とても小柄な豆狸のような庵主さんがいた。また、
19.庵主さんと
どろ松ちゃん 近くの祠にはイタズラ好きの狸が住み着いていた。ある日、イタズラで
こっぴどく痛めつけられたこの狸を、庵主さんはお寺に連れて帰り、手
厚く看病したそうだ。狸のどろ松はすっかり庵主さんになつき、一緒に
お祈りをするまでになった。どろ松が亡くなると、庵主さんは御霊を祀
り、朝夕拝んだそうだ。すると庵主さんにはどろ松の霊力が乗り移り、
占がピタリと当たるようになった。噂は京や大阪に広まり、
「どろ松様
のお狸さま」と呼ばれて「どろ松大明神」の社と鳥居が奉納された。
今でも自由にお参りができ、「どろ松大明神さま」と一心不乱にお祈
りすると、願いが叶うと言われている。
昔、恐いもの知らずのこえもんというお百姓がいた。父親と連れだっ
20.地獄をみた
こえもんさん た月一度のお寺参りで、極楽浄土の話しや地獄の話しを聴いていた。あ
る時、流行病にかかり、こえもんさんは亡くなってしまった。その晩、
通夜が取り行われた。
その頃、こえもんさんは死への旅路に向かっていたが、辿り着いたと
ころは何と地獄の底だった。お寺でみてきた地獄図そのままで、思わず
一心不乱に「南無阿弥陀仏」を唱えた。すると「娑婆に帰してやれ」と
いう声が響き、お地蔵さんの指先でつままれ、背中に娑婆へ戻る印がつ
けられた。通夜でこえもんさんの体をお湯で拭いていると、突然「熱い、
熱い」と言って息を吹き返し、背中には不思議な梵字が書かれていた。
下奈良の墓地に、西面に地獄の体験談や戒めがびっしりと書かれた道
標が残っている。
昔、田の作業には牛が使われていた。そして、一軒で牛を持つのでは
21.牛まわし
なく、三、四軒で一頭の牛を飼っていた。旧の端午の節句には、お宮参
りで牛の無病息災を祈り、牛を着飾って、古宮神社の松の木の下に集ま
り、それぞれの組が牛を競い合った。この牛まわしが終わると、田植え
で急に忙しくなる。仕事をし、たくさん草を食べた牛は、見る見る立派
に成長する。この肥えた牛は肉牛として高い値段で売られ、かわりに博
労から若い牛が連れてこられたそうだ。
昔、岩田は綿の産地だった。ある時、たくさんのお供を従えた女性の
22.岩田帯
方が岩田を通られた。その際、急に産気づいた。村人は近くの小屋を用
意し、上等の綿を敷き詰めて寝かせた。その結果、大変元気な赤子が生
まれた。珍しいほど安産だったそうだ。こんなことがあって以来、岩田
では縁起を担ぎ、取れた綿を紡いで布を織り、お宮さんの鈴に結わえら
れたり、この布を身ごもった人のお腹に巻いたとのことである。
「やわた文学碑」の第3基目「蘆刈」碑が、昭和61年(1986年)男山
23.「蘆刈」と
橋本の渡し
展望台に設置された。
谷崎潤一郎作の小説『蘆刈』の中で、川舟に乗り、橋本の渡しの「悠
長なおもむき」をほめている。この渡しが作品の重要な役割を果たして
いる。橋本の渡しは、この『蘆刈』によって全国的に一躍有名になった。
16
タイトル
24.太鼓まつり
物語の概要
八幡の初夏の風物詩「太鼓まつり」は、
文政年間(1818〜1830年)頃太鼓をのせ
た大きな「屋形御輿」が町内ごとに作ら
れ、勇壮な祭りへと発展していった。現
在では市内4地区で男衆約150人が、約1.5
〜2.0トンもある御輿を担ぎ、
「よっさー、
よっさー」のかけ声も勇ましく、太鼓を
太鼓まつり
打ち鳴らしながら町内に繰り出す。
太鼓まつりの最大の見どころは、海の日の前日、午後6時30分頃、男
山の麓、高良神社に各御輿が一堂に集まる「宮入り」で、参道を練り歩
くその姿は迫力満点である。また、高良神社例祭の提灯献灯は、天明
3年(1783年)頃、高良神社社頭に提灯を掲げることから始まったが、
明治維新の混乱で中断。明治12年(1879年)頃になって復活し、同16
年(1883年)、新暦7月18日を祭日とした。その後、再び提灯献灯が途絶
えたが昭和62年(1987年)に石清水八幡宮青年会と地元神縁者により復
興、例祭当日までの七日間、毎夜点灯される。
こ う ら じんじゃ
(高良神社)
石清水八幡宮の現社殿は、細部
はちまんぐう め ぬ き
25. 八幡宮 目貫 にわたって極彩色の華麗な桃山風
透かし彫りが多数施されており、
の猿
その数は152点にも及ぶという。そ
のほとんどは花鳥などをモチーフ
にしたものであるが、とくに西門
上にある蟇股(かえるまた)と呼
ばれる部分の彫刻には、猿の彫刻
を見ることができる。これは左甚
五郎作といわれる彫刻で、「目貫
目貫の猿
の猿」と呼ばれている、それは、
この彫刻が余りにも見事なため、生命が宿り、夜な夜な社殿を抜け出し
ては里へ繰り出し、いたずらをしたという。
そこで、これを封じるために右目に細い竹釘を刺して、逃げ出さない
ようにした。「目貫の猿」の伝説が生まれた。後世、八幡宮社殿改修の
折、竹釘が抜かれていたこともあるそうだが、現在も刺さっている。竹
釘が抜かれている間、八幡の里で起こる猿のいたずらは、この猿の仕業
という新たな噂があったほどである。
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26.天下の豪商
淀屋辰五郎
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江戸時代を代表する天下の豪商、二代目淀屋言当は、松花堂昭乗とと
もに文化サロンの一員であった。 五代目淀屋辰五郎はその贅沢を咎め
られ、闕所となりお家が取りつぶされ財産は没収された。その辰五郎は
神應寺の墓地に眠っている。「潜龍軒咄哉个庵居士」の戒名は、辰五郎
の反骨の思いが伝わってくる。闕所の顛末は近松門左衛門の『淀鯉出世
滝徳』として発表され、続いて辰五郎の娘にかかる事件を題材に浄瑠璃
『難波丸金鶏』が作られた。
27.ドンドの辻
淀屋辰五郎が住まいした八幡柴座(現在の八幡山柴)に淀屋辰五郎の
と砧の手水鉢 邸宅があった。その庭には淀屋寵愛の「手水鉢」があった。この手水鉢
は「砧の手水鉢」と呼ばれ、神應寺に近い谷水が筧を使ってこれに運ば
れた。今、その手水鉢が松花堂庭園内に残る。また、筧の中を流れる水
の音が「ドンド ドンド」と聞こえたらしく、筧が埋設された小径は
「ドンドの辻」と呼ばれた。
17
タイトル
物語の概要
28.講田寺の笑
橋本講田寺に安置されている「笑地蔵」には、柔和な笑みのなかに人
地蔵と人柱伝 柱伝説の悲劇が伝えられている。
説
その昔、淀川に橋が架けられた。しかし、出水のたびに流れてしまう
ので、ついに人柱が立てられ、そのためか、橋は流れなくなった。この
人柱になった男に一人の娘がいて、娘は父の死を深く嘆き悲しみ、もの
を言わない人になった。
やがて娘は、父の菩提を弔うために尼となっ
て対岸の山崎に庵を結んだ。
それから歳月を重ね、あるとき、朽ちた
橋の杭が水底から姿を現し、尼となった娘はそれに地蔵尊を彫って供養
をした。人々はこの地蔵を「笑地蔵」と呼び、水難除け、交通安全、安
産などの御利益があるとして信仰を集めるところになった。
やわた ま
29.八幡巻き
その昔、石清水八幡宮山麓に流れる
放生川の土をあげ栽培されたゴボウ
は、その周囲が23cmもあるスのない見
事なものだった(※1)ようで、「八幡
とは牛蒡のことなり」(※2)と称され
るほどであった。そのゴボウをウナギ
やドジョウで巻いたものが八幡の郷土
料理「八幡巻き」であるが、古老に聞
くと、その作り方が逆で、ドジョウや
八幡巻き
ウナギをゴボウで巻いたという。
石清水八幡宮が鎮座する八幡は、古くから殺生禁断の地であった。そ
のために考え出されたのがこの八幡巻きではなかったのかと推測され
る。
30.富くじにご
利益のある
大扉稲荷社
石清水八幡宮が鎮座する男山中腹の分岐点左側にある朱塗りの鳥居
をもつ社が「大扉稲荷社」である。その昔、このあたりには狐の住む穴が
あって、柴草を刈りに来る人々にいたずらをするので、小祠を建てて崇
めたという伝説が残っている。当時、今に言う宝くじが流行していた。
この稲荷社に祈った人が、その霊験によって富を得たことが伝わると信
者を増やし、その信者の寄進で建立になった。しかし、その祭神の名を
知る人がなく、古記にも伝えられておらず、そこで当時京都七条の高瀬
川傍で稲荷を信仰し、神降しや吉凶占いなど神告を業としていた石井巳
之助という人によって、
「我は相槌稲荷の子、名を登毘良明神と申す」
とのお告げを受け、その神の名を知ることになった。 こうして下京に
はこの大扉稲荷社を信仰する人が多く、詣る人が多かったと「男山考古
録」は伝えている。
31.お百度の起
点となった
一つ石
男山山上の「三ノ鳥居」がまたぐ参道敷石のほぼ中央に自然石がはめ
込まれている。その形は長方形に近く、長辺は約 90cm、短辺は約 60cm。
周りの敷石から最大 5cm ほど盛り上がっている。この石は、通称「一つ
石」
。かつて南総門の真下にあった「五つ石」に対する呼称であった。
お百度の起点にもなっていて、蒙古襲来の時には人々がこの石と本殿前
を往復し,
「道俗千度参」を奉修した。
「下の駒留石」とも言われ、走馬
(そうめ)
・競馬(くらべうま)の際の出発点となっていた。
言い伝えによると、江戸時代、本殿参拝を終えた参詣人が、この「一
つ石」の前で再び本殿に向き直って拝礼するという習わしがあった。そ
こでこの石の上に菊坊によって大きな賽銭箱が置かれた。当時、賽銭の
収納などの雑役を担当していた仕丁座との間で争論となり、神社の上層
部が中に入って賽銭箱の撤去をしたという。
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AE
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18
タイトル
物語の概要
32.放生会時の
男山麓の二ノ鳥居をくぐり、約100mほど行くと、山側の岩壁が深く
みに架けられ 削れて細い谷となり、谷水が流れている。この谷筋に架かる石橋が「神
た神幸橋
幸橋」(長さ約2.8m、幅約3m)と呼ばれている。
神幸橋は江戸時代、石清水放生会が催される前後の数日間のみ、木橋
を架けて神が渡られるようにした橋で、当時、参詣者は二ノ鳥居をくぐ
らずに、山裾にあった長福寺の門前を通り「相槌稲荷社」横にある登り
口から上っていた。普段は神幸橋が架かっていないので、参詣者が谷に
落ち、怪我をする人が時々あり、明和年間(1764~1772年)に紺座町に
住む石清水社士、小寺壽庵らが相談して石橋を架けようと申し出たが、
旅籠や茶店を構えていた商人たちから「橋ができると客の流れが変わり
商売に難渋する」と反対があったため、計画は取りやめになったという。
33.浅井周斎と
浅井周斎は、短賢・鳳州園と号し、八幡の地に生まれた幻の焼き物
南山焼
「南山焼(なんざんやき)」を創始した人である。
徳川吉宗の時代、享保5年(1720年)に生まれた周斎は、大坂で鉄を扱
う商人として2万両ともいわれる財をなしたが、晩年にこの家業を捨て、
男山の麓に居を構えた。八幡での彼の生活は、法華経を唱えて修行し、
その他茶の湯、詩吟にも通じていたという。特に彼が没頭したのは作陶
活動で、八幡南山に窯を作り焼いた陶器は、「南山焼(なんざんやき)」
といわれ、
「高雅にして韻致あり、陶業界に一機軸を顕し…」と高く評
された。
その人物像も、きわめて清
廉、欲がなく、財産は作陶活
動や貧しい人の救済に当てら
れ、また、円福寺の建立にあ
たって3万坪の土地を寄進。寛
政12年(1800年)、80歳で亡く
なったときの所持金は300文
にも満たなかったという。
円福寺
34.三宅安兵衛
と道しるべ
八幡市内の道標は三宅安兵衛氏銘が多数を占める。この「京都三宅安
兵衛依遺志建之」と碑文にある三宅安兵衛氏は、若狭小浜で生れ、幕末
の京都へ奉公の後、京都で帯織物業を営み、一代で財をなした。大正9
年 (1920年)、享年79で死亡したが、その前年、家業を継いでいた長男
清治郎氏を呼び、金1万円(今の値打ちにして5000万円)を渡して「公
利公益に使え。用途は一任する」と遺言したと伝えられている。遺言に
よって、清治郎氏は旧蹟案内と道標の建
碑を決め、大正12年(1913年)から昭和5
年 (1930年)の8年間にわたって、南山城
一帯を中心に、当時京都帝国大学の考古
学講座担当教授で
あった浜田青陵博
士の協力を得て、
全数約400基にお
よぶ建碑を実行し
た。費用総額は2
万円(現在の価値
にすると約1億円)
に達した。
19
タイトル
物語の概要
35.切り下げら
江戸時代の放生川には、今よりも多くの橋が架けられており、川上か
れた高橋の橋 ら「五位橋」
「安居橋」
「六位橋」「高橋」という順番に架かっていた。
脚
安居橋の名の由来は、康正3年(1457年)の後に架けられたため、
「相五
位橋」と呼ばれ、後に変化して「安居橋」になったのではないかと「男
山考古録」は記している。また、その当時の安居橋は平坦な橋で、反り
橋は約50mほど川下にあった高橋であった。
近くには男山四十八坊のひとつ、高坊があり、同坊の板敷と高橋の高
さが同じだった。高坊は行幸御幸の際の宿坊であったため、天喜2年(1
054年)
、
「橋が高いのは恐れ多いことだ」として、高橋の橋脚が3尺切り
下げられたという。
36.松花堂弁当
お弁当の代名詞といえる「松花堂弁当」の名前の由来は、石清水八幡
宮にあった瀧本坊の住職を務めた昭乗が好んだ「四つ切り箱」が器の基
になっていることによる。
昭乗が、農家の種入れとして使われていた内側を十字に仕切った器を
ヒントに、茶会で使用する煙草盆や絵の具箱、小物入れとして使用した
ようで、江戸時代に瀧本坊で催された茶会の茶会記に、「瀧本の墨絵」
のある春慶塗の器が「瀧本好」の煙草盆として使用されていたと記され
ている。
とき
大正時代以降、昭乗の菩提寺である泰勝寺では、同様の器が「お斎」
の器として使われている。
昭和の初め、日本料理店「吉兆」の創始者が松花堂の地を訪れ、昭乗の
好んだ「四つ切り箱」を見そめ、器の寸法をやや縮め、縁を高くして、
料理がおいしそうに、美しく盛りつけできるように工夫を重ね、蓋をか
ぶせて、懐石料理を凝縮した弁当として茶会の点心等に使用した。
器が十字に仕切られていることがポイントで、煮物、焼き物、お造り、
ご飯などの食材同士の味や彩りが混ざらないため、それぞれのお料理が
おいしくいただけるとともに美しく盛り付けすることができる機能を
併せ持つ弁当は、
「四つ切り箱」を好んだ昭乗に敬意をはらって「松花
堂弁当」と名付けられた。
400年も前に昭乗のアイデ
アによって利用された器が、
現在も全国で利用されてい
ることで、昭乗の多彩な才能
が、後世の人々も引きつける
発想力と美意識を備えてい
たことが窺える。
松花堂弁当
注)上記物語は、
『男山考古録』
、
『八幡史蹟』、
『八幡市誌』、
『八幡町誌』、
『洛陽名所集』、
『山城・綴喜郡誌』、
『八幡の昔ばなし』、
『八幡の民話』、
『講田寺栞』
、
『やわた散策』
、
『八幡の道しるべ』、
『徒然草』、『料理名由来考』
、
『木の下陰』
、
『八幡の歴史を探る』、
『元正間記』、
『淀鯉出世滝徳』、
『ものと人間の文化史 50 燈用植物』、松花堂庭園・美術館資料
から引用されています。
※1 『料理名由来考』
※2 『明治東京逸文史』
20
③各種観光資源の分布と広域交通網
八幡市にある各種観光資源の分布並びに広域交通網の状況を図に示すと、次頁のよう
になります。
広域交通網(左後方:第二京阪道路、手前:名神高速道路につながる京都第二外環状道路)
21
船着場整備
八幡桜まつり
背割堤桜並木
かわきた自然運動公園
三川合流部
講田寺
洞ヶ峠
交流資源及び施設
祭・イベントなどの資源
物語などの資源
歴史文化資源
自然環境資源
万人講
円福寺
きんめい近隣公園
新名神高速道路
銘菓(美濃どら)
若宮八幡宮
やわたのなし狩り
川口天満宮
石田神社
岩田帯
JR片
町線(学
研都市
線)
0
500
1,000m
SCALE=1/25,000
田辺IC
石田神社
八幡市民スポーツ公園
四季彩館
レンタルサイクル
流れ橋ふれあい市
流れ橋
石田神社
茶栽培
伊佐家住宅
(城陽JCT~八幡JCT 平成28年度完成予定)
京田辺松井IC
八幡JCT・IC
内神社
いちご狩り
八幡東IC
ずいきみこし
御園神社
茶(福翠園)
久御山
JCT
パス
バイ
滋
京
久御山南IC
流橋焼・紅茶
久御山IC
サイクリングロード
京都第二外環状道路
JA京都やましろ
八幡市支店
防賀川(水辺環境)
銘菓(八幡八景)
観光ぶどう園
防賀川
大谷川(水辺環境)
巡検道と寝物語
山手幹線
凡 例
水月寺
和宮ゆかりのお話
生涯学習センター
くすのき近隣公園
松花堂つばき展
松花堂ふれあい市
女郎花
久御山淀IC
川口市民公園
ふるさと学習館
松花堂庭園美術館・レンタルサイクル
泥松稲荷社
東高野街道(歴史街道)
銘菓(福禄梅)
薬薗寺
市民文化センター
銘菓(石清水)
世音寺
善法律寺
市役所
念仏寺
泰勝寺
本妙寺
石清水祭・男山桜まつり
頼風塚
銘菓(ういろ)
西車塚古墳・
(史跡)八角堂
正法寺
さくら近隣公園
こども動物園
足立寺史跡公園
和気神社 さつき近隣公園
サービスセンター
(平成28年度完成予定)
観光案内所・レンタルサイクル
鯉ものがたり
飛行神社
忠八の夢
放生の景 単伝庵
安居橋 銘菓(むぎ饅頭)
大山崎JCT・IC
銘菓(走井餅)
神応寺
男山
航海記念塔
高良神社
行基さん
狩尾神社
太鼓まつり
西遊寺
仁和寺の法師
湯沢山茶久蓮寺
(史跡)石清水八幡宮
男山レクリエー
ションセンター
エジソン記念碑
あらかし近隣公園
エジソンと八幡の竹
やわたの八幡さん
石清水研修センター
散策路
京街道(歴史街道)
橋本の渡し
速道
高
名神
京
阪
本
線
路
■観光資源の分布と広域交通網図
ࣝ࢝勖
⏨ᒣࢣ勖ࣈ
号
1
道
国
八幡市駅
大谷川
京奈
和自
動車
道
松井山手駅
第二京阪道路
橋本駅
22
5.ヒアリング調査結果
平成 25 年 10 月から 11 月にかけて、45 の各種団体・企業等に直接伺い、観光に関す
るヒアリングを実施しました。その結果から、要点を以下に整理します。
①八幡市観光の「強み」と「弱み」について
ヒアリング結果について、八幡市外にある団体・企業等の「市外からの視点」と八幡
市内にある団体・企業等の「市内からの視点」に分けて整理すると、以下のようになり
ます。
市外からの視点
強み
弱み
・石清水八幡宮は景観的にもすぐれ、セー
ルスポイントとなる。
・石清水八幡宮、松花堂庭園・美術館、三
川合流部、流れ橋は名の通った資源であ
る。
・歴史や物語に関心を持っている人にとっ
て、楽しめるものが多い。
・道路のアクセスが良く、遠方からも訪れ
やすい。
・観光資源はあるが、食事する場所や買物
する所が少ない。
・ご当地グルメがない。
・回遊性がない。歩いて回れるような環境
整備が不十分である。
・大型バスの駐車場所が少ない。
・バスツアーを組むには、八幡市だけでは
むずかしい。
市内からの視点
・駅近くに石清水八幡宮という核がある。・観光資源の知名度が低く、活用が不十分
・歴史と自然がセールスポイントであり、 である。
観光資源がたくさんある。
・資源が点在しており、ストーリー性が弱
・歴史あるまちであり、歴史・文化資源が
い。
集積している。
・観光客の滞留時間が短い。
・エジソンや二宮忠八などの科学・発明分 ・食事処、土産物・土産物屋、宿泊施設、
野は、特徴的な資源と言える。
交通、観光案内等が不十分で、地元での
・自然が残っていて四季感があり、のどか
消費額が少ない。
で緑があるなかで、安らぎながら交流・ ・八幡市駅周辺に魅力がなく、発信力が弱
観光できる。
い。
・男山、三川合流部、まちなみ等の景観資 ・文化財が多いが、子どもたちが来て楽し
源がある。駅に大きな緑が迫る景色は京
いところとは言えない。
阪沿線でも他にはない。
・常時公開されている寺が少ない。
・サイクリング客にとって“オアシス”の ・東高野街道沿道の建替えが進み、新しい
ような所である。
家と古い家が混在する家並みとなって
・市民の文化活動が盛んである。
いる。
・八幡市を拠点にして、大山崎町、長岡京 ・市内の道路・交通条件に問題がある。
市、京田辺市を観光して回れる。
(東高野街道の交通量が多く、歩道がな
・京都・奈良・大阪の中心にあり、神戸、
いため歩くのに危険。バスの本数が少
和歌山からも高速道路など自動車での
ない。など)
アクセスが便利である。
・京都、大阪に近いものの、鉄道を乗り換
えてのアクセスとなる。
・関係団体の連携・協力やまち全体として
の戦略、および盛り上げる人や全体をま
とめるコーディネーターが必要。
23
②核となる有力な観光資源について
ヒアリング結果から核となる有力な観光資源についての主な意見を整理すると、以下
のようになります。
1)石清水八幡宮を核とした神應寺、正法寺、善法律寺などの神社仏閣と保管している
豊富な文化財
2) 松花堂庭園・美術館、お茶と松花堂弁当
3) 三川合流部、背割堤
4) 流れ橋
5) エジソン、二宮忠八に象徴される科学・発明分野
6) 八幡の竹
7) ハイキングロード
8)舟運
松花堂美術館
流れ橋
男山散策路をハイキング
東高野街道をハイキング
24
第3章 観光振興に関する課題整理
観光の新たな動向や八幡市の現状および多様な団体・機関・企業等へのヒアリングの
結果を踏まえ、八幡市の観光振興に関する課題を整理すると、以下のようになります。
1.観光の新たな動向への対応
①新たな「ものがたり観光」の展開
近年の観光の動向としては、個々の興味や関心を探求する多様な旅行へ細分化して
きています。名所旧跡などの与えられた「モノ」を見るだけの「物見型観光」から、
観光地が織りなす「物語」の中に入り込みその世界を体感、遊び、学ぶことで精神の
高揚や癒し、感動を得る「体験型観光」や、観光客を受け入れる側の地域(着地)側
がその地域でおすすめの観光資源を基にした旅行商品や体験プログラムを企画・提供
する「着地型観光」が注目を集めています。
そのなかで、本市ではさらに特色を打ち出すため、歴史文化・人物等の観光資源を
最大限に生かし「観光行動」を「ものがたり」として構築する「ものがたり観光」の
取組みを進めていくことが求められています。
②増加する訪日外国人観光客の誘引
訪日する外国人観光客は増加傾向にあり、本市においても大きなイベント開催時に
は外国人観光客の姿が見られます。また、平成 32 年(2020 年)の東京オリンピック
の開催時には、京都・大阪に多くの外国人観光客が訪れることが予測されます。した
がって、本市においても、今後、外国人観光客を強力に呼び込む方策や環境整備を検
討し、進めていくことが必要です。
2.観光資源の発掘・見直しと活用
①三川合流部の保全と活用
木津川、宇治川、桂川の三川合流部については、背割堤の桜や緑の保全とともに船
着場や地域交流拠点となるサービスセンター(整備予定)および舟運等の活用を図り
ながら、広域レクリエーションゾーンとして展開していくことが必要です。
②石清水八幡宮のブランド力向上とすべての社寺の連携強化
全国的ブランドの格式高い石清水八幡宮については、多彩な取組みやインターネッ
ト等による多面的な情報発信の強化によりブランド力を一層高めるとともにすべての
社寺が連携して一般公開等を進めることにより、観光客への魅力を高めるとともに八
幡市内への波及効果を拡大することが必要です。
③豊富な地域資源のネットワーク化と「ものがたり観光」の推進
八幡市内の観光資源は点在した状態にあるとともに単発的(1~2箇所のみ訪れて
帰る)観光が中心で滞在時間が短いことから、豊富な資源のネットワーク化を進める
とともに、
「ものがたり観光」の推進に向けて魅力あるテーマとストーリーづくりが求
25
められます。
④既存行事の魅力向上と多彩なイベントの開催促進
既存の祭りや伝統行事等についてPRの拡大と魅力の向上を図るとともに、社寺や
各種団体等が主体となって多彩なイベントを開催することが必要です。
⑤市民への地域資源の価値の認識拡大
八幡市民の多くが地域資源の存在やその価値をあまり知らないことから、
「ものがた
り観光」を進めるには、市民に地域資源の価値を認識いただくよう文化講演会、文化
財説明会等を拡充することが必要です。
3.広域交通網の活用と広域連携の強化
①高速道路網の拡充に伴う遠方からのアクセス性向上を活かした対応
第二京阪、京滋バイパス、京都第二外環状道路の開通により大阪府南部や滋賀県、
京都府北部からのアクセスが格段と便利になり、さらには新名神高速道路の城陽~八
幡間が平成 28 年末開通予定となっており、京都府南部や奈良県北部が時間的にさらに
近くなることから、これらを活かしたPRや受け入れ方法の検討が必要です。
②京都・大阪からの鉄道でのアクセス性の良さを活かした対応
八幡市は京都・大阪の大都市近郊にあり、鉄道でのアクセスは便利で短時間で来ら
れることから、沿線自治体や住民に対してアクセス性の良さをPRするとともに、鉄
道沿線における連携を強化することが必要です。
③周辺地域との広域連携の強化
八幡独自の観光力を高めるのはもちろんのこと、さらに周辺の地域や観光資源等と
連携した広域的なPRや取組みを進めることが必要です。
4.情報発信の多様化と多言語化への対応
①インターネットなどを利用した情報発信の強化
ホームページでの観光情報の充実をはじめ、スマートフォンやフェイスブック等の
多様なツールを利用した情報発信力の強化が必要です。
また、国や京都府をはじめ関係機関等の多数のホームページへの情報記載に取り組
むことも必要です。
②マスコミや海外ガイドブックの活用等による情報発信の多様化
テレビや情報雑誌等の活用を広げるとともに海外ガイドブックへの情報掲載にも取
り組むことが必要です。
③外国人観光客の増加を見通した多言語化への対応
今後、増えてくることが予想される外国人観光客がここちよく訪れられるよう、各
種ホームページや案内看板等において多言語化への対応が必要です。
26
5.‘おもてなし文化’の育成と「ものがたり観光」推進の体制づくり
①‘おもてなし文化’の育成
観光客を居心地よく受け入れるためには、市民も八幡市の歴史・文化や人物等につ
いて十分に知ることがまず必要であり、さらには‘おもてなし’を八幡市民の文化と
して育むことが重要です。
②「ものがたり観光」推進の協力体制づくり
上記の‘おもてなし文化’の育成を踏まえ、
「ものがたり観光」を推進していくため
には、関係機関や社寺、各種ボランティア団体等が一緒に協力していく体制づくりが
必要です。
6.観光客をもてなす受け入れ環境づくり
①安全で快適な歩行環境や移動環境の確保
観光客に楽しんでもらうため、東高野街道などの交通量が多く、危険が感じられる
箇所については、安全で快適に散策できるような歩行環境の確保が必要です。
また、ムダな時間がなく観光資源が見て回れるよう、スムーズに移動できる環境や
駐車場の充実が必要です。
②飲食・商業施設の集積拡大
観光客にとって不足していると感じる飲食施設や特産品等を販売する店舗等の集積
を図り拡大していくことが必要です。また、宿泊施設についても検討が必要です。
③八幡市駅前のイメージアップ
八幡観光の玄関口として、また石清水八幡宮の門前として、八幡市駅前のイメージ
や印象の向上が望まれており、そのための整備の検討が必要です。
7.まちなかや地元の活性化
①まちなかをはじめ地元の活性化
多様なイベントの開催や観光振興により、まちなかへ観光客を誘引することによる
活性化や地元の活性化に寄与することが求められています。
8.施策推進のしくみづくりと計画見直しシステムの構築
①観光施策推進のしくみづくり
今回、本計画に掲げた観光施策を着実にかつ計画的に推進するためのしくみづくり
が必要です。
②観光客調査の定期的な実施
観光施策の確実な進捗を図るため、本市を訪れる観光客について属性やニーズを把
握するため、観光客調査の定期的な実施が必要です。
27
③観光支援制度や誘導施策の検討
本市の観光振興を図るため、観光イベントを実施する団体等への財政的な支援や人
材支援並びに誘導施策についての検討が必要です。
④計画見直しシステムの構築
本計画に掲げた観光施策の進捗を正確に把握するとともに、それを的確に反映させ
るための見直しシステムの構築が必要です。
28
第4章 観光の基本方針と基本施策
1.基本理念
と
が奏でる
やわた
これからの観光は、旅行者のニーズが多様化・成熟化し、名所旧跡などの
与えられた「モノ」を見るだけの「物見型観光」から、観光地が織りなす「物
語」の中に入り込み、その世界を体感、遊び、学ぶことで精神の高揚や癒し、
感動を得る「体験型観光」や観光客を受け入れる側の地域(着地)側がその
地域ならではの観光資源を活用した旅行商品や体験プログラムを企画・提供
する「着地型観光」が求められています。
本市では、木津川、宇治川、桂川が合流する雄大な自然、石清水八幡宮・
松花堂などの豊かな歴史・文化並びに魅力ある人物等の観光資源を最大限に
活かした「観光行動」を「ものがたり」として構築する“ものがたり観光”
の取組みを進めていくことにより、来訪者と市民がともに感動し“ときめき”
を奏でるとともに、お互いの“ふれあい”がまちなかにあふれる観光のまち
づくりを実現していくため、
「ときめき と ものがたりが奏でる ふれあいの
まち
やわた」を基本理念とします。
29
2.計画のねらい
観光振興の課題を踏まえて、市民、事業者、行政がともに観光のまちづくりを進める
ために、三つの「ねらい」を掲げます。
<1> 豊かな自然と歴史文化を活かした魅力ある「ものがたり観光」づくり
木津川、宇治川、桂川の三川合流部をはじめ豊かな自然と多彩な歴史、文化、
広域交通網の活用や来訪者への情報の発信を強化しながら、行ってみたい、見て
みたい、体験してみたいと思うような、魅力ある「ものがたり観光」を創ります。
<2> 観光を通じた地域(生活・産業)の輝きづくり
今までの観光産業の枠を超えて、より多くの事業者が観光振興に視点をおきな
がら知恵と工夫を発揮して、地域産業の活性化=「輝き」をつくり出します。ま
た、市民や地域も多彩な取組みを通じて、いつまでも住み続けたいと思う充実感
=「輝き」を生み出します。
<3>市民も楽しみ愛着のもてる‘おもてなし’のまちづくり
市民、事業者、行政がともに来訪者を心から温かく迎える‘おもてなし’のま
ちづくりを進めます。来訪者との交流を通じて、地域のすばらしさや楽しみを味
わうことによって愛着のもてるまちづくりを進めます。
30
3.指標の設定
本計画の最終年度(平成 30 年度)において達成をめざす指標(数値目標)を、次のよ
うに設定します。
指標の項目
①観光入込客数(年間)
(京都府統計による)
②観光消費額(年間)
(京都府統計による)
現状値(平成 25 年度)※
目標値(平成 30 年度)
1,774,053 人
2,250,000 人
394,906,000 円
530,000,000 円
※平成 25 年度の数値は平成 24 年 1 月から 12 月の集計による。
【参考データ】八幡市の観光入込客数・観光消費額の推移
平成 19 年
年間観光入込客数(人)
年間観光消費額(円)
平成 20 年
平成 21 年
平成 22 年
平成 23 年
1,921,395
1,952,937
1,951,304
1,830,970
1,728,363
460,498,000
441,315,000
439,087,000
404,795,000
393,082,000
31
4.計画の基本方針(八つのはた)と基本施策
計画のねらいを実現していくために、計画の基本方針として、八幡市の名称にちなんで
八つのはたを掲げます。
基本方針 一のはた 水と緑を活かしたやすらぎと潤いの回廊づくり
●基本施策①〔三川合流部の雄大な自然を味わう場づくり ~親水から歓水へ~〕
木津川、宇治川、桂川の三川合流部は、京都・大阪の大都市圏における雄大な自然空
間であり、その貴重な自然環境を保全するとともに、市民や来訪者のリフレッシュ空間
として、また自然災害の学習や災害時の拠点施設として、これまでの「水に親しむ」と
いう‘親水’から、
「水とともにたわむれ、自然を味わいよろこぶ」‘歓水’という考え
方で取り組みます。
〔具体施策〕
○雄大な自然を活かす整備の促進
三川合流部の雄大な自然環境を活かし、桜並木の維持をはじめリフレッシュ空間
としての整備を促進します。
○船着場の活用と舟運の復活
古くから水上交通の重要なルートであった淀川における、渡し船や三十石船など
の復活や船着場の活用を進めます。
○サービスセンターの整備促進
広域的なサイクリングや地域情報の発信、地域間の交流拠点として、また先人の
取組みや自然災害の学習、また災害時の拠点施設となるよう整備を促進します。
淀川三川合流部
観光フォトコンテスト 2013 入賞作品
(背割堤 桜まつり)
32
●基本施策②〔大谷川(放生川)
、防賀川の再生と散策ルートの整備〕
市内を流れる大谷川(放生川)
、防賀川について、水量の確保とともに水質の改善に努
め、市民の声を反映させた水辺に近づき親しめる、潤いのある川づくりと河川敷を活用
した散策路によって市内の観光拠点を結ぶ回廊づくりを進めます。
〔具体施策〕
○水量確保と水質改善
大谷川(放生川)
、防賀川の水量の確保と水質の改善に努めます。
○水辺の多自然川づくり
河川を利用した行事等に向けた多自然川づくりによる環境整備を進め、水辺に近
づき、水とふれあい水に親しめる環境づくりを進めます。
○放生池の再生
放生池の再生および活用について、関係者と検討を進めます。
○散策路の整備
河川敷などを活用した散策路の整備を進め、やすらぎと潤いのある回廊づくりを
進めます。
●基本施策③〔男山などの緑や田園風景の保全と活用〕
市内には、郷土のシンボルである男山をはじめ緑豊かな田園風景が存在しています。
風格のある、ふところの深いまちであるために、これらの積極的な保全と活用を進めま
す。
〔具体施策〕
○男山の緑の保全と散策路の整備
石清水八幡宮との連携を強化するとともに、男山の緑の保全と散策路(こもれび
ルート、ひだまりルート、せせらぎルート)の整備を進めます。
○田園風景とふるさとの森の保全と活用
地域の自然と歴史、文化をかたちづくる田園やふるさとの森の保全と、緑の探訪
ルートや周遊ルートなどの設定を進めます。
33
基本方針 二のはた
歴史文化を活かした「ものがたり観光」づくり
●基本施策①〔社寺等の一般公開などによる‘にぎわい’づくり〕
市内には国や府、市が指定する文化財などを保有する石清水八幡宮をはじめ数多くの
社寺等がありますが、幅広い社寺等の公開を進めるとともに、多彩な歴史、文化の情報
を発信して、まちの‘にぎわい’づくりを進めます。
〔具体施策〕
○石清水八幡宮の催事などによる集客力の向上
石清水八幡宮が執り行っている催事などについて、より多くの方々に観て楽しん
でいただき、広域的な集客力の向上を図るために、ホームページやスマートフォン
等での情報発信を強化・充実するとともに多言語化への対応を図ります。
また、ライトアップについて、適切な実施方法を検討のうえ継続的な実施を図り
ます。
○社寺等の一般公開の促進
社寺の一般公開をボランティア等と連携して積極的に進めるとともに、社寺相互
の連携を進め共同の行事などの開催に取り組みます。
○松花堂庭園・美術館の集客の拡大と周辺整備
松花堂庭園・美術館では、庭園整備や展示・行事等の充実により集客の拡大に取
り組むとともに、昭乗広場と連携した文化交流型施設としての整備を進めます。
観光フォトコンテスト 2013 入賞作品
(石清水八幡宮のライトアップ)
観光フォトコンテスト 2013 応募作品
(松花堂庭園 お茶会へ)
)
石清水八幡宮の「石清水灯燎華」で献灯
正法寺の一般公開(案内ボランティアによる説明)
34
●基本施策②〔歩いて楽しむまちなか観光などの振興〕
東高野街道を「歴史の道」として整備をするとともに、沿道に残る町家やまちなみを
活かし、散策しながら楽しむ「まちなか観光」の振興を進めます。また、東部の田園地
帯についても、ハイキングや散策などで楽しめる環境整備を進めます。
〔具体施策〕
○東高野街道の再生とまちなか観光の振興
東高野街道の歴史的な景観を再生して、探訪・散策型のまちなか観光を進めます。
そのために、人と車が共存する道路として、安全に散策できるまちなか観光を進め
ます。
○男山などの自然と文化の魅力づくり
散策の魅力を向上させるために、男山散策路を楽しめるよう環境整備を進めま
す。
東高野街を巡る八幡まちかど雛まつり
東高野街道の古社寺を巡るイベント
東高野街道にある銘菓店
35
●基本施策③〔豊かな歴史・文化・人物やコンテンツ等を活かした「ものがたり観光」づ
くり〕
由緒ある社寺や松花堂昭乗、二宮忠八、エジソンなどの豊かな歴史・文化・人物やコ
ンテンツ等を活かし、市民や市民団体等と協働して歴史とロマンの「ものがたり観光」
づくりに取り組みます。
〔具体施策〕
○豊かな歴史・文化・人物やコンテンツ等を活かした「ものがたり観光」の創出
由緒ある社寺や松花堂昭乗、二宮忠八、エジソンなどの豊かな歴史・文化や人物
等を活かし、市民や市民団体と協働して「ものがたり観光」の創出に取り組みます。
○「ものがたり観光」の活用
「ものがたり観光」については、市民や市民団体等と協働して活用を検討してい
きます。
草庵「松花堂」(松花堂庭園)
松花堂昭乗自画像写(部分)細合半斎筆
松花堂美術館蔵
松花堂好 四つ切塗箱 松花堂美術館蔵
(松花堂弁当の名の由来となったもの)
二宮忠八が作成したカラス型飛行器
草庵「松花堂」室内
(松花堂庭園)
二宮忠八
二宮忠八が考案した人の乗れる玉虫型飛行器
36
基本方針 三のはた
地域産業を活かした観光づくり
●基本施策①〔農業体験型観光の振興〕
都市と農村との交流人口の増大を図ることによって魅力あるまちづくりを進めるため
に、農業体験型観光を進めます。
〔具体施策〕
○流れ橋や四季彩館の活用
東部地域の交流拠点である流れ橋や四季彩館を舞台にして、多彩なイベントの開
催とそば打ちなどの体験型観光の展開を進めます。
○農業体験型観光の振興
なし狩りやぶどう狩り、いちご狩り、農産物直売など農業とふれあう体験型観光
を進めます。そのために、観光客が必要な情報を得られるよう体験型観光に関する
情報集約や情報発行に取り組みます。
○タケノコオーナー制度等の検討
男山の竹林等を活用し、観光モデル竹林の整備やタケノコオーナー制度等につい
て検討します。
観光フォトコンテスト 2013
入賞作品(流れ橋)
四季彩館
流れ橋での映画撮影風景
37
●基本施策②〔工場観光の推進〕
市内の特色ある工場の見学を紹介し、工場観光を進めます。
〔具体施策〕
○工場観光の紹介と総合学習との連携
市内の特色ある工場について、見学の紹介を行うとともに、総合学習との連携を
進めます。
●基本施策③〔銘菓や農産物などの特産品づくりと販売拡充〕
銘菓や地元の農産物などの地域資源を活かした特産品づくりと販売拡充を進めます。
〔具体施策〕
○お茶を活かした商品の提供
お茶を活かした商品の開発およびお菓子店やレストラン等に対する提供の取組
みを進めます。
○竹を活かした商品の提供
八幡市の特産である竹を活かした、生活用品や竹炭そして旬のたけのこ料理など
の提供を進めます。
○その他の地域資源を活かした商品づくり
八幡市商工会や八幡市工業会、農家などと連携して商品づくりを進めます。
○銘菓などの特産品の販売拡充
八幡市が誇る銘菓などの特産品の販売拡充を進めます。
38
基本方針 四のはた 祭や行事などを活かしたイベントづくり
●基本施策①〔祭やイベントなどの企画・支援・促進〕
市民や事業者とともに、祭や催事などの魅力アップと、市内の自然や歴史文化などを
活かした新たな祭や行事、イベントなどの企画の立案や実施の支援・促進に取り組みま
す。
〔具体施策〕
○祭や催事などの魅力づくり
市民や関係者と連携をとり、市内の祭や催事などについてより一層の魅力づくり
を進めます。
○三川合流部の舟運の復活
三川合流部における各種行事の開催と
橋本~山崎間の渡し船や三十石船などの
舟運の復活に向けた関係機関との連携等
を進めます。
八幡桜まつりでのお花見船運航
○河川敷等を活用したイベント開催
河川敷等の地域資源を活かしたイベントの開催を進めます。
松花堂 忌茶会
はちまんいち(手づくり門前市)
たいこ橋さざなみフェスト(河川敷の灯りを眺める)
たいこ橋さざなみフェスト(放生川河川敷)
39
基本方針
五のはた
ネットワーク化のしくみづくり
●基本施策①〔多彩な資源を結ぶネットワークの形成〕
市内に点在する観光資源を有機的に結びつけるネットワークの形成と中継拠点の整備
を進めます。
〔具体施策〕
○観光拠点を結ぶネットワークづくり
石清水八幡宮や男山、松花堂庭園・美術館、流れ橋・四季彩館などの観光拠点を
核に、その周辺に点在する観光資源を有機的に結びつけるネットワークづくりを進
めます。
○季節を感じる周遊ルートの設定
四季折々の季節を味わい楽しむ周遊ルートの設定と、市民による‘おもてなし’
などによって「ほのぼの」とした雰囲気を楽しめるソフトづくりを進めます。
●基本施策②〔移動手段の充実〕
観光拠点相互のスムーズな移動と、ゆったりと八幡の風を味わいながら楽しめるバス
やレンタルサイクルなどの移動手段の充実を進めます。
〔具体施策〕
○拠点間のバスの運行
観光拠点の移動をしやすくするために、拠点間を結ぶバス運行の要請を進めま
す。
○サイクリングロードの整備・活用
市内へのネットワークの拡大のため、木津川沿いのサイクリングロードの安全確
保および活用を進めます。
○レンタルサイクルの充実
観光客の利便性を向上させるために、レンタルサイクルの充実を進めます。
サイクリングロードをレンタルサイクルで走行
レンタルサイクルで巡る東高野街道
40
●基本施策③〔広域連携の強化〕
周辺市町村や広域圏における連携を強化し、広域イベントなどの開催に取り組みます。
〔具体施策〕
○広域連携団体などとの連携強化
歴史街道推進協議会や乙訓・八幡広域観光連絡協議会、宇治・八幡・京田辺広域
観光連携研究会、淀川三川合流域地域づくり推進協議会などとの連携をより一層進
めます。
○広域イベントの開催
第二京阪道路や京都第二外環状道路などの交通の利便性を最大限に活用して、広
域的な観光イベントなどの開催に取り組みます。
○鉄道および沿線自治体との連携
鉄道会社および沿線自治体と連携し、沿線イベントの開催などネットワークづく
りを進めます。
○サービスセンターを拠点とした連携活動の展開
淀川三川合流域に広域的なサイクリングや地域情報の発信、地域間の交流拠点と
もなるサービスセンターの整備後、木津川沿い、宇治川沿い、桂川沿い、淀川沿い
を走る広域サイクリングロードの基地としても活用します。
淀川三川ふれあい交流 七夕まつり(背割堤)
41
基本方針
六のはた
温かく‘もてなす’しくみづくり
●基本施策①〔ボランティアガイドなどの人材育成と連携の強化〕
来訪者を温かく迎えるまちづくりを進めるために、ボランティアガイドなど‘おもて
なし’の主役となる人材の育成と連携の強化を進めます。
〔具体施策〕
○ボランティアガイドなどの人材育成と組織の拡充
来訪者を心から温かく迎えるボランティアガイドやNPOなどの人材の育成と
ともに、連携の強化を進めます。
○社寺の一般公開時におけるボランティア支援
社寺の一般公開に向けて、事前の準備作業等についてボランティアによる支援に
取り組みます。
八幡桜まつりでの案内ガイド
松花堂庭園の案内ガイド
松花堂庭園の案内ガイド
やわた観光ガイド協会による社寺案内イベント
42
●基本施策②〔‘おもてなし’の啓発と連携の強化〕
市民一人ひとりが主人公として、来訪者をもてなす啓発を進めるとともに、社寺や観
光関係団体などとの連携を進めます。
〔具体施策〕
○市民講座などの開催
‘おもてなし’の心をはじめ市内の豊かな自然や歴史、文化などについて八幡の
魅力を紹介できるよう、市民講座などの開催に取り組みます。
○八幡の歴史・物語の学習
小・中学生に八幡の特色ある歴史や物語などを学習する場を設け、八幡への関心
と愛着を育みます。
○社寺や観光関係団体などとの連携の強化
社寺や関連団体などとの連携の強化に取り組みます。
八幡の歴史文化を学ぶ講演会
●基本施策③〔関係団体等の協力体制の構築〕
八幡市の観光に関わる関係団体等が一体となり、観光振興をめざした協力体制の構築
に取り組みます。
〔具体施策〕
○関係団体等の一体となった協力体制の構築
市や観光協会、観光施設、社寺、ボランティア団体、八幡商工会等が、観光振興
のために一体となり協力して進める体制を構築します。
43
基本方針 七のはた
情報の受発信機能づくり
●基本施策①〔インターネットなどを利用した観光情報発信の機能強化〕
観光施設の紹介や行事、イベント、交通情報などをインターネットなどを利用して情
報の発信を進めます。
〔具体施策〕
○インターネットによる情報提供の強化と多言語化への対応
八幡の魅力をホームページですばやく提供できるように強化を進めるとともに、
スマートフォンや外国人観光客への多言語化への対応を進めます。
○他機関等のホームページへのイベント情報の掲載依頼
国や京都府をはじめ関係機関等の多くのホームページにおけるイベント情報掲
載コーナーに対し、八幡市の情報掲載の依頼に取り組み、幅広い広報や情報提供を
進めます。
●基本施策②〔マスコミや海外観光ガイドブックなどの情報媒体の活用〕
テレビやラジオ、新聞、雑誌、ガイドブックなどの国内マスメディアを活用するとと
もに海外の観光ガイドブックへの情報掲載を図り、自然や歴史、文化、物語などの八幡
の魅力の発信に取り組みます。
〔具体施策〕
○マスコミや各種情報誌などへの情報提供
テレビやラジオ、CATV、新聞、雑誌、ガイドブックなどに、自然や歴史、文
化、物語などの情報の提供に取り組みます。
○海外観光ガイドブックやネット情報などへの情報掲載の取組み
外国人観光客が日本の観光情報収集によく利用する海外観光ガイドブックやネ
ット情報に対して、八幡市の情報が掲載されるよう取り組みます。
●基本施策③〔観光客のニーズ把握と情報の集約〕
観光客の多様なニーズや変化に対応するために、情報の把握と集約に取り組みます。
〔具体施策〕
○観光客のニーズの的確な把握
恒常的に観光の量(観光客数)や質(観光意向)、内容などを把握するために、
実態調査やアンケート調査に取り組むとともに、外国人観光客の動向についても適
宜把握します。
○全市的な情報の一元化
市内の社寺や関係団体などの情報の集約とともにデータベース化に取り組み、情
報の一元化を進めます。
44
基本方針
八のはた
受入環境の整備と統一イメージづくり
●基本施策①〔サインなどの統一〕
市のイメージアップを図るために、観光案内板などのサインのデザインの統一を進め
ます。
〔具体施策〕
○サインなどのデザインの統一と整備
標識や観光案内板などのデザインの統一と整備を進めます。
●基本施策②〔外国人観光客にわかりやすい案内板等の整備〕
外国人観光客の増大をにらみ、多言語を使用した観光案内板等の整備を進めます。
〔具体施策〕
○多様な外国人観光客にわかりやすい案内板等の整備
多様な外国人観光客にも観光情報が伝わるよう、多言語を使用した観光案内板等
の整備を進めます。
●基本施策③〔安全で快適な環境整備〕
来訪者が安全で快適に過ごせるよう、環境の整備を進めます。
〔具体施策〕
○高齢者などにやさしいバリアフリー化の推進
公共施設などのバリアフリー化を進めます。
○飲食店等の情報提供の充実
観光施設周辺や観光ルートにおいて、飲食店等についての情報提供の充実を図り
ます。
○八幡市駅周辺の整備
京阪八幡市駅周辺を市の玄関口にふさわしい広域交流拠点として整備を進めま
す。
○橋本駅周辺の整備
京阪橋本駅周辺を市の西部の観光の基点として整備を進めます。
45
第5章 計画の実現に向けて
これまで述べてきた計画の内容を実施していくにあたり、以下の検討を加えながら計
画的かつ総合的に進めていきます。
1.計画の見直しのしくみづくり
観光を取り巻く状況は、今後も変化することが予想されます。そのため、本計画につ
いては、観光客等のニーズや課題等を把握したなかで、進捗状況の検証等を行い、定期
的な見直しを行うという「計画の見直しシステム」を確立することが重要です。
よって、基本計画および実施計画については、以下のような「PDCAサイクル」に
基づき、施策を実施し、評価、見直しを行うことにより、八幡市の観光振興を進めてい
くものとします。
<PDCAサイクル>
Action (見直し)
Plan (計画)
●意見・評価等を踏まえた
●ニーズ・課題の把握
実施計画の見直し
●改善策の検討
●基本方針・基本施策およ
び実施計画の策定
●目標値の設定 等
課題を反映した
目標の設定
評価を計画に
反映
八幡市
庁内推進委員会
施策・実施
計画の実施
で実施
Do (実施)
達成度の評価
Check (評価)
●観光調査の実施
●進捗状況の評価
●目標値の達成状況の検証
46
●計画に基づく施策および
実施計画等の実施
●広報活動等
2.迅速かつ総合的な計画推進ができる体制づくり
計画の基本施策で示した多様な具体施策は、観光担当部署にとどまらず、全庁的な
内容および国や府もかかわる内容、また市民や事業者と協働して取り組むべき内容な
ど関係機関・団体等が多岐にわたっているため、それぞれの施策ごとに実施主体の部
署、関係機関、団体等を明記にするとともに、総合的な取り組みが推進できる体制づ
くりを進めます。
47
観光フォトコンテスト 2013 応募作品
(石清水八幡宮ライトアップ)
観光フォトコンテスト 2013
応募作品(桜を眺めて走る男山ケーブル)
48
附属資料
1.計画策定の経緯 ············································ 49
2.八幡市観光基本計画検討懇談会委員名簿 ······················ 50
3.八幡市観光基本計画庁内推進委員会委員名簿 ·················· 51
1.計画策定の経緯
日
程
平成 25 年 9 月 3 日
平成 25 年 10 月上旬~
11 月下旬
内 容
第1回八幡市観光基本計画庁内推進委員会開催
各種機関・団体等へのヒアリング実施
平成 25 年 10 月 28 日
第1回八幡市観光基本計画検討懇談会開催
平成 25 年 12 月 3 日
第2回八幡市観光基本計画庁内推進委員会開催
平成 26 年 1 月 14 日
第3回八幡市観光基本計画庁内推進委員会開催
平成 26 年 2 月 1 日~
2 月 20 日
パブリックコメントの実施
平成 26 年 3 月 5 日
第2回八幡市観光基本計画検討懇談会開催
平成 26 年 3 月 14 日
第4回八幡市観光基本計画庁内推進委員会開催
49
2.八幡市観光基本計画検討懇談会委員名簿
役職
氏
名
団体名
長
加藤
晃規
関西学院大学
教授
副会長
佐波
近尚
宗教法人石清水八幡宮
権禰宜/事業広報課長
委
員
西脇
居則
一般社団法人八幡市観光協会
専務理事
委
員
岡田
洋
委
員
植松
光隆
八幡市商工会
事務局長
委
員
井口
良温
JTB西日本団体旅行京都支店
営業課長
委
員
長弓
龍夫
松花堂庭園・美術館
副館長
委
員
友田
享
委
員
田村
敬次
八幡市郷土史会
副会長
委
員
土井
三郎
八幡の歴史を探究する会
事務局長
会
京阪電気鉄道株式会社
経営統括室事業推進担当 課長
東高野街道八幡まちかど博物館協議会
代表
50
3.八幡市観光基本計画庁内推進委員会委員名簿
役職
所属部署
氏
名
委 員 長
環境経済部長
井上
種三
副委員長
商工観光課長
西川
茂男
委
員
政策推進課長
塚脇
則之
委
員
まちづくり推進課長
東
睦
委
員
管理・交通課長
河原
豊
委
員
道路河川課長
岸本
洪一
委
員
社会教育課長
南本
晃
委
員
文化財保護課長
吉岡
昭和
委
員
農業振興課長
西川
佳徳
一般社団法人八幡市観光協会
専務理事
西脇
居則
オブザーバー
51
2
3
八幡市観光基本計画
平成26年3月改訂
■発行/八幡市環境経済部商工観光課
〒614-8501 京都府八幡市八幡園内75
〔TEL〕075-983-1111(代表)
〔URL〕http://www.city.yawata.kyoto.jp/
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