2011年3月 「戦国武将のリーダーシップ」 有名な例えで 織田信長「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」 豊臣秀吉「泣かぬなら泣かしてみせようホトトギス」 徳川家康「泣かぬなら泣くまで待とうホトトギス」 昔日本史を習っている際にこの時代の 3 大武将の性格を表現するために言い伝えられてい るこの話は日本人ならば誰でも知るところでしょう この 3 氏は今日現在に至るまでの 400 年以上も語り継げられている人物達です。 歴史に精通しているわけではない私ですが、小学生か中学生の頃だったでしょうか、少な くてもこの 3 人のタイプのうち「誰が好きか?」 「自分はこのタイプ」といった具合に当て はめた人はたくさん居るのではないでしょうか? ちなみに私は「家康」でした! この表現を持ってしてそれぞれひと言で、信長は「短気」、秀吉は「わがまま」、家康は「気 長」 これだけを勘案すると最も家康が“人がいい” 、そんな自分で居たいという願望も込めて自 分に当てはめたいたような気がします。 さて、それから数十年経過した今、社長である自分、ある意味リーダーとしての資質を問 われる立場になっている自分を持ってして、果たしてこの 3 氏に当てはめると私はどれに 該当するのだろうかと・・・ 自分のことが一番客観的に見られないというのが悲しい性(さが)ですが、どの性格もそ れぞれ一面内包しているのではないかと自覚している次第です この戦国時代はまさに勢力争い、天下獲り、国獲り合戦のような乱世です “戦争から天下泰平はない”というのが日本では第二次世界大戦以降多くの国民が理解し ているのでしょうけど、それでも世界を見回すと今でも、中東からエジプトなどまであち こちで権力争い、勢力争いなどが絶えず起こっています 昔と明らかに違うのは「情報の容量」です その分、現代では武力以上の情報武装の質により戦いを決することが多いような気がしま す しかしいずれにせよ、どんな時代にもリーダーの資質がその集団、その組織、その国の行 方を決定づけていくように思います。 この 3 氏について歴史ドラマなどを通じてみていると、今の私たちにとって言うならば「情 け」はありません。 正確に言うと「大義のために情けは無用」といったところでしょうか? 命を絶つこともさながら、身内、肉親でさえ大義のためには犠牲にすることが当然視され ていました またそれが「武士道の精神」として潔い生き方として紹介もされています 経営をしていると本当に迷うことが毎日のように直面します 「私心」と「大義」の区別が出来なくなることはしょっちゅうです。 「小善大悪に似たり、大善は非情に似たり」 この言葉に共感を覚えることはしょっちゅうです! 嵐にさらされた大海原に 100 人乗りの救命ボートが一台、そこに居るのは 101 人 ひとりを犠牲にすれば100人助かる局面、全員を助けようとすると全員が遭難する そんな時にどんな決断をするか・・・そのリーダーの資質です 実際にその局面に立ったときに、 「正解を当てること」 がリーダーの役割ではないのだと思います ましてや「正解」など誰にもわかりません 遭難しかかった直後にいきなり波が引くかもしれません もしかして 101 人乗っても何とか助かるかもしれません 断腸の思いでひとりを犠牲にして、100 人船に乗せたとして輸送中に大津波が来て結果誰も 助からなくなるかもしれない 何が起きるか、自然界をコントロールすることも出来ませんし、時間をコントロールする ことも出来ません そこで出てくる本性がその人のリーダーとしての資質・・・ 「決断力」すなわち「決定する力」 そして 「決めたこと」を「正解に導く」こと そこに大いなる決意と覚悟を持てるかどうか そこに大義を持って行動できるかどうか、それが「リーダーとしての質の高さ」なのだと 思います 昔日本史の授業などで勉強していると、江戸時代、家康後 3 代将軍家光が鎖国を実施した 話しが出てきます その後 200 年余り日本国は世界から大きく取り残されたといわれています。 それは開国後明治維新になる、(最近話題の)坂本龍馬の時代の頃にどれだけ「海外から取 り残された、遅れていた」かが明白になりました しかし、では鎖国をしていなかったらどうなっていたか、多くの確率で植民地化されてい たのではないかとも言われています するとよいか悪いか別にして、今の私たちの生活とは全く別の世界があったかもしれませ ん。 時代の変化は目まぐるしく激しく富んでいるといわれます 一方で、歴史は繰り返すといわれます ビスマルクの言葉で 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」といわれます 歴史はいわゆる先人達からの学び、いわゆる事例集であり、もっと言えば原理原則に近い 方程式のようなものです それは歴史書や本、またそれを通じた映像などからしか学べません つまり賢者は本を読んでいる、または賢者になるには本を読むことが必須であるともいえ るのでしょう 経験に学ぶ愚者、 経験はあくまでも自分だけの経験、つまり「自分の器」、自分だけに体感、体験だけの世界 観です 自分自身のビジョン、価値感、世界観を築くこと、磨き上げることはとても大事なことで すが、そのためのツール(道具)は多いことにこしたことはありません。 今放映中のNHK大河ドラマ「江(ごう) この戦国武将浅井長政の娘 3 姉妹に内のひとり「江」が主人公ですが、その母「お市」は 織田信長の実妹、 信長はその肉親を天下統一のための政略として浅井長政と結婚させながらも袂を分かれ、 戦においていわゆる義弟長政を自害に追い込ませ、やがて本能寺の変で自ら伏す。 後、信長が重用していた家臣柴田勝家の妻となるお市だが、もっとも信長を敬愛する家臣 秀吉によって勝家は討たれる、そんな憎き秀吉の側室に市の娘、茶々に・・・ そんな現代では到底想像しがたい人間模様が展開されていた時代がかつてあった そんな世界観から・・・どう今の自分や自分達、今の生活、これからの世代、時代を築い ていくのか・・・様々なヒントが歴史から学ぶことは無限大にありそうです。 自分の経験則で判断する世界ではいけない 池の中で水遊びをする人生か・・・確かに岸の向こうに何か(ゴール?)が見えているほ うが安全かつ安心です 一方大海原に出ると、岸は見えません、怖いです、経験則だけで判断していては必ず遭難 します しかし何かを成し遂げようとするためには、また大きな夢や志を持って生きていくには、 見えない岸に向かう覚悟が要るのだと思います ましてや企業や組織でいえば、そこに人を巻き込まなければなりません 社員です、また社員の家族、またその関係する人たち その責任を担って進むためには大義が必要です 私心のない志も必要なのだと思います そのためには自分の経験則だけは全く不充分です だから歴史に学ぶこと、つまり自分だけの器で何とかしようとする発想を排除しなくては いけません そのためには「小善」を捨てなくてはいけない局面もあるのかもしれません 「小さな善意は大悪」を招く場合があります いい人とやさしい人とは違うように・・・(いい風の人と本質的にやさしい人という意味で は全く表面上は逆に見えるかもしれません) また「大善を求める」場合「非情な選択や決断」を要する場合もあるかもしれません そんな決断を迫られる準備をするために歴史から学ぶことは重要なのだと思います 歴史は年譜を覚えることとは違います(当たり前ですが) 歴史の中で展開されたその時の事態の背景、またそれを決断したリーダーの思考や行動を 研究することから歴史観は育まれるのだと思います 400 年経って朽ちないこの 3 氏のリーダーシップは大変興味深いものがあると思った今日 この頃でもあります 今の日本は混乱しているといわれています そういった意味では乱世、人によっては産業革命以来の大革命時代とも言われています。 それを情報革命という大きな歴史的変革期という人もいます 大きな革命期ではありますが、しかし、命まで奪われることはありません! 本気の覚悟でこれからの時代を創っていく志を持っていく人にとっては大きなチャンスの 時代なのかもしれません
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