FGひろば157号 クリエイターズ・アイ Web Special Version 詩人 谷川 俊太郎氏 1931年東京生まれ。1952年第一詩集『二十億光年の孤独』を 刊行。 1962年「月火水木金土日の歌」で第四回日本レコード大 賞作詞賞、 1975年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、 1982年『日々の地図』で第34回読売文学賞、 1993年『世間知 ラズ』で第1回萩原朔太郎賞、 2010年『トロムソコラージュ』で 第1回鮎川信夫賞など、受賞・著書多数。デビューからつねに第 一線で活躍し続ける。 60年も続けたら、若い頃よりずっと気軽に書けるように なってきた。 「言葉」も、まんざら捨てたもんじゃない。 とを始めてからも、相手にウケることばかりを考えて曲づくり ついつい敬遠してしまうけれど 詩はとても幅広く親しみやすいもの をしていました。それで人に褒められても、何か虚しいんです 編 谷川さんの作品との出会いは、 まず昭和30年代、鉄腕 い人生(笑)。自分の中の、密かな劣等感の一つなんです。 アトム主題歌の歌詞ですね。そのあと41年、小学校に上 谷川 ウケ狙いだって必要ですよ。現代詩にはウケ狙いがな がってすぐの夏休みに読書感想文の宿題が出たんですが、 さすぎるという欠点があるんです。あなたの場合、 ウケ狙い 課題図書というのが決められていて、僕はたまたま谷川さん に偏りすぎたから虚しくなってしまうんだろうけど (笑)。つくり の『けんはへっちゃら』 を選んだんです。詩ではなく絵本の原 たいものと、 うまく融合できればよかったんでしょうね。 作でした。 編 看護学校の文化祭に呼ばれれば、医学事典で調べて、 谷川 はい。絵は、和田誠さんね。 意外な病名を歌詞に入れたコミックソングをつくったり (笑)。 編 生まれ初めて書いた感想文が、 いきなり表彰されちゃっ 谷川 そういうことは、実は凄く重要なんですよ。僕だって看 たんです。 しかも区の審査を突破し、東京都のコンクールで。 護士のために詩を書くとなったら、看護士に伝わるようにつ ね。 『けんはへっちゃら』の感想文がきっかけになったウケ狙 谷川 そりゃ、凄い (笑)。 編 ところがそれで母親や先生が大喜びして、 喜びが多大な 期待に変わり、次は詩のコンクールで入賞しちゃったものだ から、親戚中が「凄い凄い、将来は詩人か作家だな」 と (笑)。 谷川 いいじゃないですか、みんなに期待されて。 編 いや、子供ながらに、期待がプレッシャーになってしまっ て、 それ以来、自分が本当に書きたいことではなく、大人が 喜びそうなこと、審査員にウケそうなことばかりを狙って書く、 ひねた子供になってしまったんですね。 谷川 ウケ狙いね (笑)。 編 中学から70年代フォークに感化され作詞・作曲のまねご けんはへっちゃら (あかね書房) 1 FGひろば157号/CREATOR'S EYE 谷川俊太郎氏 ロング・インタビュー くるわけだから。完 全にウケ狙いですよ。だって、ウケなけ りゃ意味がないんだから。相手とのコミュニケーションが成 立しないわけですからね。 編 谷川さんからそういう言葉を聞くと、 何だか、 ウケ狙い人 生に対する長年のコンプレックスが少し軽くなりました (笑)。 コンプレックスと言えば、自分は学 生 時 代に作 詞・作 曲な んかに没 頭していたわりに現 代 詩を鑑 賞する力がないと、 ずっとコンプレックスを持っていたんですが、 あるとき書店で 『 詩ってなんだろう』 という本を見つけたんですね、谷川さん の。そうだよな、詩ってそもそも何なんだろうなと思い早速読 詩ってなんだろう (ちくま文庫) んでみたら、 これが、詩の書き方とか鑑賞の手引きじゃなく、 いきなり最初のページに「いない いない ばあ」が(笑)。 谷川 赤ちゃんをあやす、 わらべうたね。 「ガリ版で雑誌をつくるから君も何か書いてみないか」 と誘 編 え〜?これも詩?とびっくりする間もなく、 次から次へ、 いろ われて、書いてみたら何となく詩みたいなものができたんで、 はうたから、 なぞなぞから、 しりとりから、 もちろん有名な詩も珍 ちょっと面白くなってね。。 しい詩も、分野を超えて時代を超えて詩の一族が大集合、 と 編 そんなに遅かったんですか、 詩を書き始めたのは。 いう内容なんですね。詩とは何かという問いに、詩そのもので 谷川 小学校の綴り方の授業で書かされた以外では、 そのと 答えていく展開が、 とにかく面白い。詩に対する先入観が吹 きが初めてでしたね。それから友人と一緒に詩を書いて、少 き飛びました。子供の頃こんなふうに授業で教えてもらえれ しずつノートに書きためていって。 ば、 もっと自由に詩の世界に飛び込めたのかもしれません。 編 高校卒業後も? 谷川 学校教育の中での詩の教え方への疑問というのが、 谷川 はい。僕は学校が嫌いで嫌いで、高校を出ても大学に まずありますよね。その前に国語の教科書に対する疑問と 行きたくないとブラブラしていたんですが、哲学者であり文 いうのがあって、僕は以前、仲間と一緒に『にほんご』 という、 芸評論家でもあった父親が業を煮やして「お前、 これからど 絶対に検定は通らないような国語の教科書をつくったこと うするつもりなんだ」みたいなことを言ってきたわけです。答 があるんです。そのとき、詩に関してはあまりやらなかったか えようがないので「実はこんなものを書いています」 と。それ ら、いつか詩についても 『にほんご』 と同じように何かやって しか見せるものがなかったから。そうしたら父親が、 その詩作 やろうと思ったのが、 この本を書いたきっかけです。 ノートを、知り合いの詩人・三好達治さんにわざわざ見せに 編 「子供は風の子」 とか「なまむぎ・なまごめ・なまたまご」 と いってくれたのね。親ばか半分で (笑)。それを、三好さんが か、諺や早口言葉までもが詩の一種なんだと思えると、詩が 商業的な文芸誌に紹介してくれた、 というのが始まりなんで 一気に身近に感じられて、何だか嬉しくなります。 すよ。 谷川 何を詩と呼ぶかということに対して、普通の人は難解 編 知り合いの息子だったからではなく、 三好達治さんは谷 な現代詩のイメージが強いと思うんですよ。僕はよく山の比 川さんの感性、才能を一目で見抜いたんでしょうね。 喩を使うんですね。富士山の山頂のところには、宮沢賢治 谷川 最初の詩集『 二十億光年の孤独 』に、素晴らしい序 だとか萩原朔太郎がいるんだろうけど、ずっと裾野をひいて 詞を書いてくださいましたから、感心してくれたんだろうなとは きたところには、 わらべうたとか民謡の歌詞とか、 そういうもの 思いますけどね。 もある。詩っていうのは本当はとても幅が広いもんなんだと。 編 それにしても、友人に誘われて何となく書き始めた詩が、 それをこの本では書きたかったのね。詩なんて、 そんなに難 あれよあれよという間に文芸誌に載り、詩集が出版され、詩 解なもんじゃないんです。ついつい、みんな敬遠してしまいま 人としてデビューすることになってしまったわけですから、人 すけどね。 生というのはわからないものです。翌年にはすぐに第二詩集 の『 62のソネット』が刊行されていますが、 この時期、次から 原稿料をもらった瞬間から はっきりと社会的な責任を感じた 次へと言葉があふれ出てきたそうですね。 谷川 そうそう、不思議でしたね、 あれは。あまりにも詩があふ 編 そうおっしゃる谷川さん自身は子供の頃から詩に親しん れてくるから、 ズラズラと垂れ流しみたいになるのが嫌で、 あ でいたのですか? えて14行に切ったんですよ。 谷川 もともと詩にはぜんぜん興味がなくて、最初に自分で 編 14行の定型詩、 いわゆるソネットですね。 詩を書いたのは17歳の頃かな。詩が好きだった同級生に 谷川 どんどん出てくるので、 そういう定型の器に入れてしま 2 FGひろば157号/CREATOR'S EYE 谷川俊太郎氏 ロング・インタビュー わないと、何か不安だったんですね。 ず性別を問わず本当に幅広い世代に親しまれていますよね。 編 そうした、 詩が湧き出てくるような状態というのは、 自分の こんな詩人は、今後二度と現われてこないと思うんですが、 中に意図してつくれるものなんですか? 60年以上も第一線で注目されてきたのは、 なぜなんでしょう。 谷川 意図的にはつくれませんね。要するにイタコと同じです 谷川 生活費をそれで稼いできたんだから、 しょうがない。やめ よ。インスピレーション。普通はインスピレーションである程 たら食えなくなっちゃうんだから (笑)。 度書けたとしても、推敲というのが凄く大事になってくるんだ 編 しょうがないけど食えなくなる詩人もたくさんいると思いま けれども『 62のソネット』のときはほとんど推敲もしなかった す。でも谷川さんは、時代の波に呑み込まれもせず投げ出さ んじゃないかな。書きっぱなしみたいなもんで。 れもせず、波の上を滑るように時代と共に進んできました。 編 モーツアルトは、 一瞬にして頭の中で曲を完成させ、 それ 谷川 何か無意識に、時代と反応しているみたいですね。時 を譜面に起こしていったのだろうと言う人もいますが、 まさに 代と共感しているというのか、接触しているというのか。 そんな感覚だったのかもしれませんね。 編 べったりつきすぎると時代に染まってしまう。 谷川 その当時はね、 もしかしたらね。でも100以上書いた中 谷川 そうですね。 から62を選んだのだから、 まあ、 いい悪いはあったわけですが。 編 離れすぎると、 一人よがりになる。 編 そうして詩人としてスタートを切ってみて、 実際、 どうだっ 谷川 そうね、時代錯誤みたいになるしね。 たんでしょうか。言葉に値段がつくという感覚は。 編 その絶妙な距離感がいいんですかね。 谷川 最初に文学界というところに載ったとき原稿料をもらっ 谷川 距離感を保つにしても、 あまり計算して意識的にやら て、そのときからもの凄い責任を感じるようになったんです ないからいいんじゃないかと思いますよ。 ね。つまり、 自分が書いたものがお金に変わると。これは社会 編 無意識の意識、 暗黙知みたいなものでしょうか。 の中で、 自分が、詩が、 ある位置を占めたわけだから、社会に 谷川 そうそう。意識下のものって、僕は凄く大事だと思って 対する責任があるのだと。それこそ “ウケ狙い” の始まりだよね るんです。潜在意識にあるものっていうのは、言語化できな (笑)。ちゃんと伝わるものをつくらなけりゃならないぞと。 いものだからね。 編 『詩ってなんだろう』 の中で「詩人は詩を書いてお金を稼 編 「言語化できないもの」 を、 あえて自分の言葉で表現する ぐけれど、お金のために詩を書くのではない」 という一節がと のが詩なのではないですか?詩人たちの自己表現で。 ても印象的だったんですが、稼ぐからには責任があると。 谷川 学校教育なんかでは、詩っていうのは「自己表現」 とい 谷川 お金によってチェックされるというのかな。つまらなかっ うふうに持っていきますよね。自分がいいと思うものを書け。 たら売れないわけで、売れるということは、 ある程度受け入れ 自分の気持ちを正直に書けみたいな。だからどうしても詩は られたということだから。 自己表現だという先入観を持っている人が多いんだけれど 編 原稿料がなければ、 自分の作品が社会にどう影響したの も、僕は言葉っていうのは自分だけのものじゃないと思って か判断しにくく、結果として自己満足に陥りかねませんね。 いるんですね。赤ん坊として生まれたら、言葉の海に生まれ 谷川 でも、 そういうふうにお金と詩の関係を考える人は、当 出るわけでしょ?大人たちが周りでいろいろ喋っているのを、 時ほとんどいませんでしたよ。詩人はお金の話なんてするも だんだん幼児になって、口まねしながら言葉を覚えていく。 も んじゃない、 という感じだったし、 そもそも出版社も原稿料を ともとは他人のものなんだから、自分のものだと思ってはい 前もって提示してくれませんでしたからね。ただ「書いてくださ けないと。他人の言葉を、 自分の経験を通して定義し直して い」みたいな (笑)。こちらから 「いくらで?」なんて聞くものも いく中で自分の言葉になっていくんだと思うんです。だから 憚られるような雰囲気で (笑)。 詩を書く場合なんかも、 自分の言葉だと思って書くと自分勝 編 時代背景として、 ですかね。 谷川 時代もそうだったし、 日本文学というのは、 もともと、 そう いう商取引としての面はあまり考えないようにやってきてい る、 ということなんじゃないですかね。 言葉は自分だけのものじゃない。 他人と分かち合うもの 編 確かに、 現代詩人というと、つい「どうやって食べていっ ているんだろう」 と不思議になるときがあるんですが、谷川さ んの場合、いつの時代もつねに表舞台で活躍し続けてきま した。 しかも子供や学生たちからお年寄りまで、年齢を問わ 二十億光年の孤独 (集英社文庫) 3 62のソネット (講談社プラスアルファ文庫) FGひろば157号/CREATOR'S EYE 谷川俊太郎氏 ロング・インタビュー 生きる 写真・松本美枝子 (ナナロク社) 細かいかき氷を食べさせてやろうと高性能な電動かき氷器 を買ってきて、病室でつくってあげました。そうしたら喜んで 喜んで。おいしい、おいしいと。明日死んでしまうかもわから ない中、傷口の激痛と戦いながら。その様子が不憫で、僕 は自宅に戻っても苦しくて耐えられないわけですね。あるとき、 ふと本棚から宮沢賢治の詩集を取り出してページを開くと、 「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」 という言葉が目に飛び込ん できたんです。 手な自己中な言葉になりやすいんだけれど、他人と分かち合 谷川 永訣の朝、ね。 う言葉だと思えば、他人にわかってもらわなければ困るとい 編 はい。死の間際にある最愛の妹から、 お碗にみぞれを う、 それこそウケ狙いで (笑)、伝わりやすい詩になっていくの 取ってきてほしいと頼まれた賢治は、鉄砲玉のように外に飛 だと思いますね。 び出て、真っ白な雪を前にして、妹が自分を思いやる純真 編 谷川さんの詩というのは、 出版社から見ると、売りやすい な気持ちに気づき、感謝して、 とし子の幸いを祈るんですね。 詩だと思うんです。売りやすいとは、つまり、伝わりやすいと。 昔、教科書で読んだときは、古い名作なんだなぐらいにしか ただ、谷川さんの場合は、写真家やイラストレーターとのコラ 思っていなかったんですが、 その瞬間、僕は賢治の眼で雪を ボも含め、非常にたくさんの書籍がコンスタントに刊行され 見て、賢治の耳でとし子の声を聴いた気がしたんです。交感 ていますが、詩集全体としてはどうなんでしょうか。 とでも言うんでしょうか。母の前ではこぼせない涙があとから 谷川 減っていますね。何で小説はこんなに盛んで詩は売れ あとから止まらず、でも、 なぜかそれまでの苦しみから解放さ ないのかっていつも疑問に思ってるんですけどね。人間は、 れ、心が急に軽くなったのを覚えています。詩に助けられた やっぱり物語性というものを求めているんでしょうね。 初めての体験でした。 谷川 なるほどね。 人生の非常時には 瞬間的に心に訴える詩の力 編 そういう、 命の深い部分に一番近いのは、詩なんじゃない かと、個人的には思っているんです。 編 でも、 人間の生とか死とかに深くつながっているのは、小 谷川 僕の友だちで、 「 詩はすぐに読めて何度でも読める」 と 説よりも詩だと思いますよ。私事なんですが、母が何年か前 いう名言を吐いたやつがいるんですが、確かにそうなんです に亡くなりまして。医師の見落としで末期癌になるまで発見 よね。小説はそうはいかないけれど。 できず、無謀な手術によって縫合不全を起こしてしまい、腸 編 東日本大震災のときも、 金子みすずさんの『こだまでしょ の傷口が塞がらなくなってしまったんですね。口からはまった うか』 が大反響を呼んだじゃないですか。 く食事が摂れず点滴だけで無理やり生かされていた。中心 谷川 だから3.11以後の動きを見て、僕はびっくりしましたも 静脈点滴という…。 ん。ユーチューブなんかで、有名な俳優さんが僕の詩を朗読 谷川 はい、 わかります。 してくれたりしているわけでしょ。 編 人間って最期の最期まで、 やっぱり食べたいわけです 編 とくに多かったのが 『生きる』 ですね。名作中の名作です よ。でも水以外はいっさいダメで。かき氷なら、食べた気分を よね。 「いま・ここ」 を大切にする生き方を、 あの詩で再認識 味わえるからと母が主治医に頼み込み、 だったら最高にキメ したという人がたくさんいるそうですよ。 4 FGひろば157号/CREATOR'S EYE 谷川俊太郎氏 ロング・インタビュー 谷川 僕は詩がそういう形で役立つとは、ぜんぜん思ってい たりる なかった人間だから、本当に意外だったんですよ。でも考え てみると、僕の詩で「何だか勇気づけられた」 とかいう手紙を かけたかつじは よくもらうし、やっぱりそういうときには、人生の非常時なんか には、長い物語ではなくて、 わりと瞬間的に短く心に訴える てにひろわれて ものの方がいいんだろうなとは思いますね、確かに。 足りない活字をどう組むか 制約があればあるほど燃えてくる あらたなかみに 編 震 災 関 連で言えば 、最 近とても印 象 的だったのが 、 2013年の秋に開催された『足りない活字のためのことば』 わがみをゆだね ことばのはかげに 展です。ぎりぎり最終日に会場に行ってみたんですが、 あま りの人の多さに、びっくりしました。 ひとをいこわせ 谷川 新聞で取り上げられましたしね。 編 被災した釜石市の印刷工場にボランティアとして出向 あしたをうたう いた女性が、散乱し廃棄されそうになっていた活字を発見し て、 その一部を譲り受けたと。それが銅版画家やギャラリー ほんをゆめみる 主宰者のもとを巡り巡って、最後は詩人たちに託されたわけ ですね。不揃いの活字を組み合わせ、言葉を紡ぎ出してほ しいと。詩作の依頼があったとき、 どうだったんですか? 編 最後は 「ほんをゆめみる」 と、拾われた活字の想いまで掬 谷川 僕は、足りないっていうのが好きなんですよ。制約があ い取っていますよね。活字が足りないばかりか、使用した印 るのが好きなのね。 『 62のソネット』のときと同じです。垂れ 刷機の関係で、16字×22行が文字数の最大限度という制 流しにならないように、限られた器に入れるっていう発想。今 約もあって、詩の体裁にするだけでも大変なのに「いい詩」 回も、足りないことに燃えましたね。足りない活字でも絶対 をつくってしまうのですから、詩人というのは凄いもんですね。 に足らしてやるぞと、やってみたら足りちゃって (笑)。 谷川 60年以上やっているプロだから (笑)。 編 だから題は 『たりる』 なんですね。制約の中でどんな詩に 編 大勢の詩人や俳人、 歌人の競作というかコラボというか。 なったのか、読者の皆さんにご紹介したいと思います。 皆さん気合が入ってましたね。負けねえぞ、みたいな (笑)。 5 FGひろば157号/CREATOR'S EYE 谷川俊太郎氏 ロング・インタビュー 谷川 そうそう。おもしろい詩や短歌ができていたもんね。 編 詩の内容にも感動したんですが、 いまさらながら、活版の 仕上がりのインパクト、文字のキレにはびっくりしました。 谷川 僕はあまりこだわらないんだけれど、写植になったとき、 多くの詩人たちが、やっぱり活字の方がいいと言ってました よ。エッジとか、 そういうもんなんでしょうね。写植って押して いないじゃないですか。活字は押してますから。 編 文字が立体的に見えます。 谷川 そうそう、詩人たちもそれを感じているんでしょうね、意 タラマイカ偽書残闕 (書肆山田) 識はしなくても。 編 谷川さんの詩も、 他の方の短歌や俳句も、印刷されたも か、 いろいろやっているわけですね。 のなのに、一点物のアートのように見えました。 編 詩を釣るiPhoneアプリの 『谷川』 なんていうのもあるそう 谷川 うん、見えるよね。そう言えば、僕は以前、活字の空押 ですね。あとは、 メルマガで配信する 『ポエメール』 とか。 しだけで詩集をつくっているんだけど、 それが凄い豪華版で 谷川 でもね、基本は紙ですよ。我々にとって、作品は紙に ね。 『タラマイカ偽 書残闕 』 っていう長い詩で、 それを出して 印刷するもの、紙が故郷っていう感じがありますね。 くれることになった書 肆山田という出版社から 「この詩は難 編 帰るべき故郷があるから、 いろんな場所で冒険できる。 解で売れないだろうから、先に豪華版をつくって儲けておい 谷川 そうそう。いくら電子メディアが発達してもね、詩集は紙 て、 それを資金に普及版をつくろう」みたいな話があってね。 で出したいという気持ちは強いですね。 編 豪華版の方が売りやすいんですか。 編 いつだったかラジオを聴いていたら、 左官職人の挾 土秀 谷川 限定版のコレクターっていうのがいるんですよ。少部 平さんが「土の凄さ」について面白い話をしていて、木は土 数で豪華だと、多少価格が高くても、結構、売れるんですね。 が伸びたもの、花も土が咲いたものだと。土壁がいいと人は ぎしょざんけつ し ょ し や ま だ (活字の空押しでつくった現物の詩集を拝見しながら) は さ ど 言うけれど、普通は「呼吸するから」 ぐらいの認識ですよね。 編 こっちが上ですかね。 谷川 調湿作用ですね。 谷川 それは逆。いや合っているかな (笑)。何しろ読みにくい 編 確かにそれもあるのだけれど、 挾土さんによると、土壁は、 んですよ、斜めにして光を当てないと (笑)。 空気だけでなく光も熱も、一度自分の中に取り込んで柔らか 編 表紙周りのエンボス加工は珍しくありませんが、 作品であ く戻してくれるらしい。だから、体にいいのはあたりまえで、心 る詩そのものがすべて空押しなんて、初めて見ました。 にいい、精神にいいんだとおっしゃるんです。 谷川 これをつくるとき、経年で空押しが消えていって最後は 谷川 なるほどね。そうかもしれないね。 見えなくなると、確か出版社の人が言ってたんですよ (笑)。 編 それでふと思ったんですが、 紙はほとんどが木材パルプ 編 だんだん消えていくなんて儚くていいじゃないですか (笑)。 からつくられています。挾土さん流に言えば、 だから目にやさ 谷川 そうだよね、何となく詩にふさわしいよね (笑)。30年以 しいだけじゃなく、紙の印刷物は心にもやさしいんじゃないで 上経っても、 まだ意外にしぶとく残ってるけど (笑)。 しょうか。ディスプレイと違って、紙は、 ある意味生命体です。 土の話は紙の話にも通じているような気がしませんか。 いくら電子メディアが発達しても 詩にとって紙は永遠の故郷 谷川 通じていますね。 編 長年、 印刷物に関わる仕事をしているせいで、 どうしても 編 こうしたユニークな加工も含めて、 詩というのは、やっぱり 紙のことになると熱く語ってしまうんですが(笑)、源氏物語 紙媒体が一番しっくりくると個人的には思っているのですが、 が生まれた11世紀、物語の器として和紙が使われ、千年の 谷川さんはそんな常識にとらわれず、実に自由な取り組みを 長い年月を経たいまも美しい紙肌が保たれているわけです。 続けていらっしゃいますよね。 千年生きる紙と、千年読み継がれてきた物語。作品とその 谷川 凄く早い時期に、 コップに詩を印刷して出したりしたこ 器としての紙・本というものは一心同体なんでしょうね。現在 ともあったんですよ。ガラス、 いや陶器だったかな。 でも、100年遺る本をつくるのだという気概のある装幀家が 編 ちょっと進みすぎていましたね (笑)。 いますが、電子書籍を100年残すことは、 まず難しいでしょう。 谷川 そうそう、いまと時代が違うから全然売れなかったけど フォーマットも変わっていくでしょうし。でも紙なら充分に可能 (笑)。昔から、紙じゃないメディアをどうにかしたいとずっと ですよね。紙媒体の魅力は、作品と一体になり、人の眼にも 考えていて、 その延長として、電光掲示板で詩を流す『ポエ 心にもやさしく、時を超えて生き続けられることではないかと ツリー』 とか、極小文字の詩を顕微鏡で読む『ポエミクロ』 と 思っています。 6 FGひろば157号/CREATOR'S EYE 谷川俊太郎氏 ロング・インタビュー 歳をとるとどんどん自由になる 欲も見栄もなくなっていく とは言うものの君ら抜きの未来は明るい 編 源氏物語は千年も生き続けていますが、 一個の人間は、 長生きしてもせいぜい100年ちょっと。生まれてきたからには、 必ず死ななければなりません。谷川さんの作品には、 『 生き る』や『生まれてきたよ ぼく』 など生死をテーマにした素晴ら もう私は私に未練がないから 迷わずに私を忘れて 泥に溶けよう空に消えよう しい詩がたくさんあるんですが、比較的最近のもので、 かなり ストレートに死をうたった『さようなら』 という作品がありますよ 言葉なきものたちの仲間になろう ね。個人的に大好きな詩なので紹介させていただきます。 「さようなら」 編 コミカルなのに妙にリアルで、 最後はしんみりと心に滲み てきます。これはやはりご本人の実感なんですか? 私の肝臓さんよ さようならだ 谷川 部分的にはね。 編 いま80歳を超えて 「死」 をどのように感じていますか? 腎臓さん膵臓さんともお別れだ 谷川 僕は若い頃から、死っていう言葉はよく使っていたんで す。死んでいくのは故郷だ、みたいな言い方もしているし。で 私はこれから死ぬところだが も、 その頃は、人の死を聞いたり本で読んだりしても、いまみ たいにリアルには感じていなかったと思うんですね。それが かたわらに誰もいないから 最近は、 とくに今年(2013年) は天候不順だったせいか、 も の凄く多いんですよ、同世代の死が。そうするとやっぱり昔 君らに挨拶する と違って、 どう言えばいいのかな、切実にというのかな、でも 切実なんだけれどこの歳なんだからあたりまえ、みたいな感じ で。だから若い頃といまとでは死の感覚も違ってきています 長きにわたって私のために働いてくれたが よね。死ぬってことのリアリティが。20代で「肝臓さんよさよ うなら」なんて、絶対に書けなかったと思うんですよ (笑)。 これでもう君らは自由だ 編 最後の「言葉なきものたちの仲間に」 という表現に、言 どこへなりと立ち去るがいい ですが。 葉から解放されることへの憧れみたいなものが感じられるの 谷川 最初から僕は、言葉というものをあまり信用しないで書 君らと別れて私もすっかり身軽になる いてきた、 っていうところがあるんですよ。 編 詩人なのに、 自己表現としての言葉を信用しないとは、 ど 魂だけのすっぴんだ ういうことなんですか? 谷川 自己表現だけじゃなくて、言語そのものを過大評価しな 心臓さんよ どきどきはらはら迷惑かけたな 脳髄さんよ よしないことを考えさせた 目耳口にもちんちんさんにも苦労をかけた みんなみんな悪く思うな 君らあっての私だったのだから トロムソコラージュ (新潮文庫) 7 ぼくはこうやって詩を書いてきた (ナナロク社) FGひろば157号/CREATOR'S EYE 谷川俊太郎氏 ロング・インタビュー い、 ということね。我々はつねに自分の体ぐるみで現実を生 谷川 それは凄い!有名な人なの? きているわけだけれど、言葉は、我々がつかみ取っている現 編 いや無名の人のお墓らしいですよ。 この切れ味には、適 実、感じたり考えたりしていることの100分の1も表現できて わないですよね。誰がお墓の前に立っても、 ドキっとしますよ いなんじゃないかと、 ずっと思ってきたんですよ。 ね。谷川さんもどうですか、 いまのうちに凄い墓碑銘を (笑)。 編 その思いが、 歳をとって、 ますます強くなってきたと。 谷川 最後のウケ狙いで? (笑) 谷川 いや、 それがそうでもなくて (笑)。60年も書いてくると、 編 密かに期待しています (笑)。でも、 その日が来るギリギリ 書くことが凄く面白くなってくるんですね。若い頃よりかずっ まで、元気一杯、 たくさんの人の心に届く名作をつくり続けて と気軽に書けるようになって、言葉もまんざら捨てたもんじゃ ください。本日は長時間にわたり、 ありがとうございました。 ないぞという気持ちになってきています。 谷川 どうも、お疲れさまでした。 編 やり続けると、 いいことがあるんですね。 谷川 ありますね。 もちろん飽きちゃうこともあるんですが。 編 「飽きる」 を超えてしまえば、 こっちのもんでしょう。 谷川 歳をとると、何だか自由になるんですよ。いろんな欲が [取材終了後] なくなるし、見栄もだんだんなくなる。僕は子供の頃からクル 谷川 いろいろ話が飛んじゃって、 まとめるの大変でしょう (笑)。 マが大好きで、最初に買ってから次々と買い換えてきたんだ 編 すみません、 自分もつい喋りすぎてしまったから…。 けれど、いまは、いいクルマを持ちたいなんてまったく思いま 谷川 あなたが言ったこともちゃんと載せておいてくださいよ。 せんからね。それから、食事も、基本的には一日に一食。一 編 いやいや、 そんな、 とんでもありません。 日一回だと何でもおいしく感じるから得ですよ (笑)。 谷川 その方がつながりが自然になるんだから。 編 食事の時間も節約できますね。 あと食費も (笑)。 編 では、Web版の方で。 谷川 一食で充分だと言う人もいれば、 それでは死んでしまう 谷川 そうそうロングバージョンの方でね。 と言う人もいる。だから僕、一日一食を続けて死んでしまうか 編 何とか、 がんばってみます。 もしれないですけどね (笑)。 編 谷川さんが死んだら、 やはりお墓にかっこいいひと言を刻 んだりするんですか? 僕の好きな 『詩人の墓』 という作品の 最後には、墓のかたわらに娘が立っていて、空が青くて「墓 には言葉なにひとつ刻まれていなかった」 とありますが。 谷川 刻むも何も、 そもそも僕はお墓なんかなくていいと思っ ている人間なんですよね。でも、詩を読んでくれた人たちが 何となくお墓参りをしたくなることもあるだろうから (笑)、お墓 はあった方がいいと言われてね。それもそうかって。だいぶ前 に、鎌倉に墓地を買ってはあるんですよ。 編 谷川さんの 『 詩人の墓 』 を読んで、ふと、外国の詩人は 自分の墓にどんな墓碑銘を刻んでいるんだろうと、調べてみ たことがあったんですが、向こうの人は、一般の人も墓石に いろいろと言葉を刻んでいるんです。日本ではあまり見かけ ませんが、木の文化と石の文化の差なんでしょうか。 谷川 それはあるかもしれないね。 編 たとえばシェイクスピアは 「ここに埋められた遺骸をあばく なよ」みたいな内容で、 リルケはやっぱり 「バラよ、おお純粋 なる矛盾」みたいな (笑)。 谷川 そういう言葉が本人のお墓に彫ってあるの? 編 そうらしいんですね。中には、 けちん坊の墓なんていうの もあって「ここに眠る男は薬代をけちって命を失った。 もう一 度生き返ったら葬式代をけちるだろう」 とか (笑)。 どんどん調 べていったら、みごとな墓碑銘を発見したんですよ。 くどくどと 言葉を並べず、 ただひと言、 『 次はお前だ』 ( 笑)。 8
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