結論を得るための論理思考 と データの基礎

1
章
ロ ジ カ ル シ ン キ ン グ
結論を得るための論理思考と
データの基礎
1章のポイント
◎
本書の目的は「論理的な思考法」と「経済学の基本論理」を身に
つけ、さらに初歩的なデータによる確認の方法を組み合わせること
で、一見複雑でとらえどころのない日本経済に挑む体験をしてもら
うところにあります。
この一連の流れの中でなんと言っても「本書のすべての出発点」
であり、経済問題に限らず「どんな問題にも応用できる」基礎が本
章で学ぶ「論理的思考の方法」です。
そこで本章では「論理的に語る必要性」と「論理の基本ルール」
の2点を中心に考えていくことにしましょう。
1 そもそも「議論」とは何か
議論とはそもそも何なのでしょうか? 私は言語学者でも哲学者でも
ないためその深遠な意味はわかりません。そこで本書ではより実践的な
定義を下してから進みましょう。思考を深め、討論することで「問題解
決に役立つ」ならばそれを「議論」と呼び、そうでないものはいかに難
しい単語が出てきても「議論ではない」として先に進みましょう。
「議論」においては(上の定義により)「正解」、少なくとも「正解であ
る可能性の高い」ものを浮かび上がらせることが可能です。より良い答
えを得るためには論理的に語る・議論する必要があります。そのために
も「経済学思考の基本ルール①論理的に語らなければならない」のです。
日常・ビジネスでの話し合いから、TV・雑誌上の討論に至るまで話
の筋を混乱させるのは「語り得る対象(=議論可能な話題)」と「語り
得ない対象(=議論不可能な話題)」の混同です。さらに、論理的に持
論を展開している論敵を攻撃するために、答えようがない問いを「ふっ
かける」といった戦法も多用されていて、混乱に拍車をかけます。
そこで、本編を開始するにあたり「語り得る条件」を簡潔にまとめて
おきましょう。
「議論可能な話題」の条件=語り得る条件
1.定義がはっきりした対象を取り扱う
2.現象の間に論理的なつながりがある(あり得る)
3.ある人の導いた結論の理由づけを、他の人がたどることができる
「1.定義がはっきりした対象を取り扱う」が満たされていない論争は、
少なくありません。現在の経済論戦において「構造問題」という言葉が
非常に多く用いられますが、「構造」が何なのかについて明確な定義を
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1章◎結論を得るための論理思考とデータの基礎
与えながら展開される論考は極めて少ないと言ってよいでしょう。何か
について話し合う際、論争の当事者間で念頭にあるものが異なるならば、
言うまでもなく、実のある議論など行いようがありません。
したがって、議論の際には、
❖ 定義不能な対象については取り扱わない
❖ 対象に明確な定義を与えた上で議論を開始する
といった注意が必要になるでしょう。
「2.現象の間に論理的なつながりがある(あり得る)」は、明確な定義
を持つ対象へ、論理的にアプローチするための条件です。
もちろん、考え始める前からその論理的な関係がわかっているという
ことはほとんどないでしょう。しかし、論理的なつながりをなかなか発
見できない場合には「本当に語り得る対象なのか?」と反省する必要が
あります。
また、より広い意味では論理的につながりを持つものの、それを知っ
たところで「どうにもならない」ならば、やはり議論・思考の対象から
ははずしたほうが無難かもしれません。
「3.ある人の導いた結論の理由づけを、他の人がたどることができる」
は「論証の再生性」についての条件です。
感情の赴くままに考えを巡らせた時には、必ず「論理のジャンプ」や
「理由にならない理由」が行間に潜みます。このように「ジャンプがあ
る」時には考えた当人以外には(時には当人にも!)結論にたどり着い
た理由がわからないため、それを建設的・論理的に批評することは不可
能です。
以上が語り得るための最低限の条件です。したがって「語り得ない条
件」はこれらを満たしていないことということになります。
さらに、「語り得ない条件」にはもうひとつ追加事項があります。こ
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れは論争というよりは自分自身で考えを進める際に多く陥る罠なのです
が、結論が決まっているならば、深く考えても(議論しなくても)同じ
ことであるという点です。
占いや人生相談などでよくある質問に「彼氏が非常に暴力的で酷い男
で別れようと思うが、時折見せる優しさにほだされてしまい別れられな
い……どうしたらよいでしょうか?」といったものがあるそうです。こ
の人が彼氏と別れる法的手段を聞いているのなら弁護士などが適切なア
ドバイスをくれるでしょうが……おそらくそうではないケースが大半で
しょう。この種の悩みは論理的に解決できませんから「論理的に考え」
たとしても無駄なことです。
2 議論可能な話題かどうか判断する
前節では、「論理的に語り得る条件」を欠く話題について、議論を進
めても意味がないということを学びました。たとえ、その話題自体が論
理的に語り得る条件を備えていたとしても、それを深く考えていく際に
論理性を欠いてしまえば、結果として導かれた結論は当初の「感情・感
想」を超える内容を持つことはありません。
しかし、新聞・TV等のマスコミの情報はもちろん、会議や日常的な
話し合いの席でも、議論の当初から「非論理的に語ろう」「無意味な議
論をしよう」と考えているということはあまりないでしょう。これは、
❖ 一見論理的に見えるのだが、実は論理的でない議論がある
ということです。ここでは、論理のいくつかの典型的なパターンを学ぶ
ことで、
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1章◎結論を得るための論理思考とデータの基礎
❖ 議論の相手の発言が本当に論理的に認めてもよい内容なのか
❖ 自分の考えがこのような「エセ論理」にはまっていないか
をチェックする能力を身につけましょう。
論理のルール自体の解説に先立って、「論理的でない」考えを見分け
るところから始めたいと思います。
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【無意味な議論①】虚飾のみで内容がない
実は最も多いのが、この第1のパターンです。これは内容の論理性以
前に「何も言っていない」のですから当然議論すること自体不可能です
(もっとたちが悪いことに、反論も困難です)。まずは、例を挙げて考え
てみましょう。
無意味な議論①Z「虚飾のみで内容がない」の例
日本経済の状況を考える時に最も重要なのが、現代のグローバル環境
でのメガコンペティションの進展である。トランスナショナルなビジネ
スの台頭は、従来型の思考の限界を明らかにしつつある。
このようなポスト・モダン時代に的確な判断を行うためには、脱工業
経済・脱構造の視点から組織をリストラクチュアリングしていかなけれ
ばならない。
これは私が作った文例なのですが、自分で書いていても何がなんだか
全くわかりません。横文字・新語が並んでいて趣旨としてはなんとなく
「改革が必要だ」というような「風情」があるのみです。これは虚飾の
みの文章・発表の共通の特徴ですが、前節で挙げた語り得る条件の
「1.定義がはっきりした対象を取り扱う」を決定的に欠いています。
ビジネスの世界ではさまざまな新語・横文字が、論説の世界では難解
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な学術用語がこのような「虚飾中心」の文章を作るために多用されます。
そこで使われる単語の正しい意味・定義を知っていれば騙されることは
ないのでしょう。
しかし、このような文章では元々意味のはっきりしない、定義の曖昧
な単語が羅列されるため、
❖ 自分の知らない話をしている
→ 知らないのは自分だけかも?
→ とりあえず納得したふりをしておこう
}
→ いつの間にか本当に納得してしまう
という不思議なプロセスで納得してしまうことも少なくないようです。
もちろん、こんなばかなものに騙されるわけはない……という方も多
いでしょう。しかし、立派な風貌の人が自信満々に言及していたり、こ
れが高名な経営者や有名大学教授の口から発せられていたりしたらどう
でしょう? やはり「もしかして、わからないのは自分だけでは?」と
いう心理が働き、ついつい「納得しなくてはいけない」と感じてしまう
かもしれません。特に、講演会・雑誌の短い文章などでは時間・〆切な
どの関係からついつい「虚飾中心」になってしまうという人もいるよう
です。
また、「誰々の発言だから正しい」という「属人論法」は非常に危険
です。発言・文章の内容でその是非を論じなければなりません(でない
と、すべての論争は「偉い人」の勝ちということになってしまいます)。
仲間内で新奇な用語を使った「一見」難解・深淵そうな主張をする人
がいたならば、考え込む前に各単語の意味・定義について「正確にはそ
れはどういう意味ですか?」と質問してみるとよいでしょう。
2 -2
【無意味な議論②】比喩を使った議論の危うさ
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1章◎結論を得るための論理思考とデータの基礎
次に、説明・説得を行う際にしばしば用いられる手法――「比喩」
「例え話」について考えてみましょう。込み入った数理モデルや難解な
概念が中心になっている議論では、
❖「ぶっちゃけた話○○みたいなことです」
❖「例えて言えば××ということです」
といったまとめは理解を進める上で非常に有用です。また、自分自身の
頭の中で理屈を組み立てている時にも、このようなまとめによって
「
(自分自身で)腑に落ちる」ということも多いでしょう。
しかし、比喩を用いた議論には大きな欠点があります。
❖ 比喩は論理をまとめる「助け」にはなっても、論理の「代わり」には
ならない
のです。
比喩は十分に論理的な説明が行われた後の“coffee break”として重要
なだけで、比喩が稚拙(または全くなし)でも正しい論理は正しいし、
正しくないものは正しくありません。
ところが、今日の複雑化した政治・経済を一般誌・ニュースなどで語
る時は、専門知識やゴリゴリの論理で語るわけにはいきません。したが
って、必然的にこれらメディアでは「比喩のみ」による説明がなされる
こととなります。また、歴史的な逸話・故事成語、ことわざ、格言など
が用いられることも多いでしょう。その影響なのか、会議などの席上で
は、多少戯画的ではありますが、次のような会話が交わされることも少
なくないかもしれません。
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無意味な議論②Z「比喩を使った議論の危うさ」の例
営業部員:……というわけで新時代のマーケティングではウェブサイト
を使ったリサーチが必須です。この流れの中で我が社の発展
のためには他社を先んじての投資が必要です。「先手必勝」と
いうではないですか
営業部長:しかし、「急いてはことをし損じる」というではないか
経理部長:確かに。まずは「足元を固める」ことから着手しなければ
これでは小学校のことわざの時間です。両部長は「やりたくない」
「投資する金はない」という話を、わかりにくく伝えているだけです。
このような上滑りの議論から良案が生まれることは決してありません。
比喩・ことわざ・故事で議論することの欠点は、
1. 自分の主張に都合の良い比喩・故事は探せばどこかにはある
2.全く反対の意味を持つ比喩・故事の組み合わせは多い
3.全く同じ比喩・故事から逆の結論を導くことも容易
と、まとめられるでしょう。
つまり、比喩を用いた議論は「何でもあり」の世界なのです。論理的
に思考するのは世の中にあふれる膨大な選択肢の中から、自分にとって
「重要なもの」「役に立つもの」を探し出すためです。比喩・故事はこの
ような絞り込みのためには何の役にも立ちません。
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【無意味な議論③】感情に流されない
前節での語り得るための条件や、上述の2点の「論理的でない論理」
について、「当たり前のこと」ではないかと思う人は多いかもしれませ
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1章◎結論を得るための論理思考とデータの基礎
ん。……本書の中では繰り返し誰もが「当然だ」としか感じないような
事柄について、詳しく言及します。極論を恐れずに言うならば、私は、
❖ 論理的に考えるというのは「当然のこと」を突き詰め・整理すること
ではないか?
とすら感じています。
過去のデータからも支持されるような仮定を用い、当然あるべき因果
の筋道を論理のルールに従ってまとめていく……これ以上の「論理的思
考」はないのではないかと思います。しかし、私たちはこのような「ま
っとうな思考」の途からしばしば逸脱します。……その原因が感情・先
入観です。
「ある方法論が正しい」「○○先生が言っていることは当てにならない」
などの先入観を持ってさまざまな論争を眺めると、自分の初めから持っ
ている結論に都合の良い主張は耳に入り、その一方で都合の悪い情報は
聞き流すことになってしまいます。さらに、自分に都合の悪い情報すら
無意識的に「都合良く」解釈し、自身の誤りの訂正が行われないという
こともあるでしょう。
ただし、人間は機械ではありませんので完全に感情・先入観抜きで問
題に対処することなどできないでしょう。私自身も人からそのような
「結論の先取り」を批判されることも少なくありません。したがってこ
の「感情・先入観を排して」というのはあくまで努力目標です。時とし
て自分の議論を振り返る時、また他人の意見を聞く時、それが彼の感
情・先入観を中心として導かれたものではないか(もしそうであるなら
その信憑性は薄い)と批判的に観察する道具として、頭の片隅に置いて
おいてください。
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2 -4
【無意味な議論④】議論を拡散させない
最後に、「意味がない」とまでは言えませんが非常に「下手な」議論
の仕方を紹介しておきましょう。それが「多岐にわたる」問題を同時に
考えようとするというものです。これは、自分自身で考える時にも、多
人数で論戦・論争を行う場合にもよく見られる傾向です。
例えば、「自社の経理システムを簡略化するプロジェクト案」につい
て考える時、「効率化によって生じる余剰人員」「これまでのシステムで
培われてきたノウハウが放棄される」といった問題を同時に考えても、
決して実りあるプロジェクト案は思いつかないでしょう。もちろん最終
的にはこれらの問題も考えていく必要があることは言うまでもありませ
ん。しかし、
❖ すべての問題を同時に考えていてはきりがない
のです。したがって、
❖ 複雑かつ重要な問題ほど、分割し! 整理し! 判断する!
ことが必要です。
問題をいくつかのパーツに分け、それぞれのパーツ内部では「他の事
情を一定」として結論までの論理を組み上げてしまうほうが賢いでしょ
う。そして各パーツができ上がり、その各結論を整理してから、各事項
間の関連等を含めた判断を行えばよいのです。
本書後半で主に取り扱うのは、経済政策上の問題です。一国のマクロ
経済に対する判断を行う際には、言うまでもなく、さまざまな点に考慮
した判断が必要とされます。個別の意思決定に比べると、これははるか
に複雑で多岐にわたる問題です。しかし、そのように「複雑」「多様」
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