明治前期におけるテンペラ受容についての一考察 ―西洋古典技法とその描法分析を中心に― 美術教育専修 2512028 斉藤美香子 研究の目的と方法 12 世紀頃~15 世紀ルネサンスまで,西洋絵画の主要な画材・技法だったテンペラは, 明治期に日本へ輸入されるものの広く普及することはなかった。西洋と日本でのテンペラ の歴史からその理由を考察するとともに,ルネサンス当時の古典的な技法を確認すること で,テンペラによる表現の多様性ならびに現代の絵画制作における可能性を明らかにした い。 方法としては,文献・論文の精読,美術館等の実地調査を通して研究を進める。 はじめに 西洋において,卵を主な媒材とするテンペラ画の技法は,油絵が普及するまでの間,絵 画における主要な技法の一つであった。 テンペラは主として祭壇板絵に使用され,その様式や技法が発展する背景には,イタリ アのフィレンツェを中心とするトスカーナ地方で重視された「ディゼーニョ(素描) 」とい う考え方がある。これには,輪郭線を決定してから彩色するのが効率的であるというテン ペラの絵具としての特質も関連している。線描が絵画の重要な要素となっていることや, テンペラならではの明るい色彩,金箔を用いた絢爛な表現,強い耐久性は今日でも当時の ままに残された作品にみることができる。 油絵の普及により少数派とはなったものの,これらの特徴を備えたテンペラ技法は,錆 びれた古典技法ではなく現代でも十分に使用でき,むしろ他の絵具・技法にも比肩しうる 優れた特徴をもつものではないかと考える。 しかし,イタリア人アントニオ・フォンタネージ(Antonio Fontanesi 1818~1882)に よって明治期の日本にテンペラがもたらされた際,テンペラはフォンタネージの周囲の一 部の人々にしか広まらなかった様子がうかがわれる。その理由として,筆者はフォンタネ ージが授業及び日本滞在中の制作に用いたテンペラ技法が,中世~ルネサンス期の古典的 なものではなく,16 世紀のフランドルに端を発する油彩の下地に使用する用途としてのテ ンペラだったためではないかと考える。 それを明らかにするために,本論では西洋におけるテンペラの歴史と描法の特徴を概観 したのち,明治のテンペラ黎明期にどのようにテンペラが受容されたかを確認したい。ま た,各技法書や文献を通して,フォンタネージの時代には日本に伝えられることがなかっ た古典的なテンペラ技法を確認し,現代絵画に見られるようにテンペラ技法は多様な表現 が可能であり,更に筆者の制作にも取り入れることで,現代でも有用な画材・技法である ことを論証していく。 第Ⅰ章 テンペラの定義と西洋におけるテンペラ テンペラとは,エマルジョン(乳濁液)の性質をもつ媒材と顔料を混ぜ合わせた絵具, またはそれを用いた技法を指す。描画材としての特徴は「指触乾燥が早いこと」 「乾いた明 るい色であること」 「絵具の伸びがよく,ハッチングで描くのに適していること」などが挙 げられる。 テンペラは主として祭壇画の板絵に用いられ,その表現はルネサンスのより自然で現実 的な空間の描写へ近づいていくことになるが,その繊細な表現のためには透視図法の発見 とともに,ディゼーニョ(素描)の重視,素描の際に用いられる線描,テンペラの輪郭線 およびハッチングの発展も関わっていた。こうした中,ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone c.1267~1337)からサンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli 1445~1510) に至るまで,テンペラは最盛期を迎える。 テンペラの成熟の一方で,15 世紀フランドルではヒューベルト・ファン・エイク(Hubert van Eyck 1358-90~1426)およびヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck c.1395~1441)兄 弟によって油彩画の技術が確立される。このフランドル派の絵画は,テンペラを用いた下 塗りの上に,透明な油彩を重ねる技法であるために,ディゼーニョ(素描)は依然重視さ れていた。 ところがヴェネツィアでは,フランドルよりも固く不透明で被覆性の高い油絵具を用い ることで塗りつぶしや修正が容易になった。下描きに制限されることなく自由な表現が可 能になったことで,ディゼーニョ(素描)よりもコロリート(色彩)が重視されるように なる。 このような背景の中,絵画の主流はテンペラではなく油彩へと移り変わった。一部の画 家には混合技法として使用されているものの,19 世紀にテンペラ・リバイバルが起こるま でテンペラの技術はほとんど忘れられたものになった。 第Ⅱ章 日本におけるテンペラの受容史 日本におけるテンペラ画に関する初めての教育は,日本初の公的な美術教育機関である 工部美術学校で,フォンタネージによって行なわれたが,フォンタネージのもたらした技 法は彼の周囲の一部の画家により実践されるにとどまり,広く普及することはなかった。 その要因として,フォンタネージの在任期間が 2 年と短かったこと,日本美術を重視する 国粋化の運動,印象派に影響を受けた新派(外光派)の台頭が挙げられる。それに加え, フォンタネージがもたらした技法がテンペラの上に透明な油彩を重ねるフランドル流の技 法だったためではないかと考えられる。印象派および外光派のルーツをたどると,色彩重 視で自由に絵具を重ねるヴェネツィア派にたどり着く。それに対して,旧派と呼ばれるフ ォンタネージやその学生たちの作品は,絵具の用い方や技法重視という点においてフラン ドル派と共通する。旧派は技法重視で外光派は様式重視であった。 外光派の台頭後,日本の洋画界は外光派一色となった。しかし,外光派の求めた明るい 色彩はテンペラの古典技法によく見ることができ,もしフォンタネージによってルネサン スのテンペラがもたらされていたならば,その後の美術界もまた違ったものになっていた のではないだろうか。 第Ⅲ章 テンペラ古典技法と現代における応用 テンペラが最も使用された後期ゴシック~初期ルネサンスの古典技法をみてみると,明 るい色彩や堅牢な画面,テンペラならではの技法など,油彩にも比肩し得る特徴があるこ とが分かる。ハッチングによってもたらされる色彩の効果には,後期印象派のゴーギャン やスーラなどに通じるものがある。ハッチングではくカンヴァスの凸部を利用したマンテ ーニャの新たなぼかし表現はハッチングからの脱却とも言えるだろう。また,黄金背景テ ンペラは彩色と金箔が融合することで,神秘的・装飾的な画面をつくり出す。 これらの古典技法は,日本には 1970 年代にはじめてもたらされた。それは大学での教 育や,書籍,展覧会などにより少しずつ普及され,現代の日本で古典技法を用いる田口安 男(1930~)や有元利夫(1946~1985)といった画家たちは,単なる古典技法に留まるこ となく,自分の表現の中にうまく取り入れている。 筆者自身も制作に取り入れることで,画面への面白い効果を得ると共に古典技法への理 解が深まった。現代において,テンペラに触れることで,絵画制作の新しい可能性が開け るのではないだろうか。 第Ⅳ章 テンペラがもつ可能性 テンペラはそのエマルジョンの性質から,水性絵具と油性絵具をつなぐものであり,テ ンペラを用いて制作することで,両方の絵具についての理解が深まる。そして,テンペラ は素描を生かした連続性のある制作を望む場合に有効な手段である。油彩を用いて,堅牢 な画面に仕上げるためには,描き進める段階で時間を空けなければならないが,テンペラ の場合は指触乾燥が早く,日々の制作に耐え得るためである。また,藤田嗣治(1886~1968) は墨と面相筆による輪郭線という日本的な要素を取り入れ,ルネサンス絵画への回帰を見 せたが,我々がテンペラと深く関連する輪郭線や線描について考えるとき,藤田とは反対 に西洋から東洋へのつながりを見ることができるのではないだろうか。さらに,黄金背景 テンペラの金箔に目を向けることで,絵画に装飾性がもたらされるだろう。 筆者は自身の制作体験を通して,現代においてテンペラを使用すること,テンペラを学 ぶことでもたらされる可能性の中で 「技法への関心」が最も大きいのではないかと考える。 テンペラ画の手間のかかる工程を知ることで,テンペラ以外の絵画,例えば油彩やアクリ ルや日本画においても,その技法や支持体,媒材,顔料などに目を向けるきっかけとなっ たためである。 明治のテンペラ黎明期にフランドル派のテンペラの用い方に加えて,ルネサンス期の技 法も教授されていたならば,様式重視の外光派にも技法への関心がもたらされていたかも しれない。 第Ⅴ章 考察 西洋で古くから使用されていた絵具であるテンペラは,明治前期にフォンタネージによ ってもたらされたものの,その後テンペラ画として花開くことはなかった。その要因は, 彼がもたらしたテンペラは油彩によるグレーズの下層にのみ使用されたためである。下塗 りから仕上げまで全てテンペラを使用するルネサンス期の古典的なテンペラ技法はおそら く教授されなかった。 そして,研究を進める中で明治のテンペラ黎明期につまずいてしまった理由の背景とし て,ルネサンス期のフランドル派とヴェネツィア派,明治の旧派と新派の絵具や描き方の 相違が影響していることが明らかになった。 外光派(新派)が影響を受けた印象派は,ヴェネツィア派の派生の一つであるが,自由 な描画と引き換えに画面の耐久性を弱めた。反対の性質をもつ旧派と新派は対立するのは 当然だったのかもしれない。後に新派が主導権を得て,旧派は茶色のグレーズによって「ヤ ニ派」と呼ばれたがそのヤニ色の下には,元来明るい色彩を持つテンペラが隠れていた。 テンペラ最盛期であったルネサンス期の作品を見ると,実に明るい色彩を持っている。そ の色彩は,新派が求めた明るい光の色彩と共通するものがあるのではないだろうか。 テンペラと油彩を比較すると,それぞれ長所短所があるが,テンペラならではの技法や 表現はとても魅力的である。テンペラに関する技法,特にイタリア・ルネサンス期の古典 技法に眼を向けることで得たものは多かった。ルネサンス期のテンペラは古典技法であり ながら,現代の制作に取り入れることで,かえって新しい要素をもたらしてくれるのでは ないだろうか。
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