クロアチア経済と日本のビジネス展開の展望 駐クロアチア日本国特命全権大使 井出敬二 (本稿は,一般社団法人日本在外企業協会(日外協)の機関誌「月刊グローバル経営」の 2014年10月号に掲載されたものの概要である。同誌編集部のご了解を得て,ここに 転載するものである。 ) 良好な関係にあるクロアチアと日本 クロアチアは日本でも人気観光地として知られ,年数万人が日本から訪れている。人々 はとてもフレンドリーであり,東日本大震災ではクロアチアの官民から多額の支援をいた だき,被災地の子供達をクロアチアにも招いていただいた。 クロアチアはかつての共産主義ユーゴスラビアの一部であり,1991年以降ユーゴス ラビアの分裂の結果,独立国となった。91年から95年にかけて戦争も経験した。NA TO(2009年)とEU(2013年)に加盟し名実とも西側の一員となった。08年 のリーマンショック後,GDP成長率はゼロないしマイナスである。失業率も15%以上 とEU内でスペイン,ギリシャと共にワースト3である。 過去クロアチアが苦しい時代に日本から行った様々な支援は今でも高く評価されている。 本年5月にクロアチア東部は大洪水の被害を受けたが,その際日本政府及び日本企業から 支援を行った。このように日本とクロアチアは非常に良好な関係にある。 本稿では,日本ではあまり紹介されないクロアチア経済の現状を紹介し,戦争の傷跡を 乗り越えて体制移行することの困難に立ち向かっているクロアチアの努力について説明し た上で,日本とのビジネス関係の発展を展望する。 好調な日本製品 クロアチアは親日的であり,日本製品にも良い印象を持っている。クロアチアの要人達 は是非日本企業に投資してほしいと常に述べている。クロアチアに住む日本人は約120 名である。個人で開業したり観光業で働く日本人は若干いるが,日本企業から派遣されて いる常駐日本人はゼロである。クロアチアで製品開発をしている日本企業は1社あるが(詳 細後述),製造している日本企業はゼロである。 ポーランド,チェコ,ハンガリー,ルーマニアなどには日本の製造業が数十社進出し, 数万人が現地雇用されているのに比べ,クロアチアは大きく出遅れた。但し,日本の自動 車,電気・光学・事務・医療機器等の販売代理店等はあり,クロアチア人スタッフ達が日 本製品をしっかり売っている。筆者も大使公邸で日本製品のプロモーション活動を彼らと 共に行っている。 クロアチアから日本にはクロマグロが輸出されている。地中海マグロを2年半程度アド 1 リア海で畜養し,脂がのった12月に何千トンも収獲して日本に輸出する。筆者は,収獲 の際に日本から来る漁船団の皆さんとお目にかかれるのを楽しみにしている。 残る旧共産主義体制と戦争の影響 ~欧州と歴史の中でのクロアチア経済の位置付け クロアチアは28番目のEU加盟国であり,EUの東南方向への拡大の最前線に位置す る。加盟に際して約600本の法令,約1500本の政令などを改正したという。独立後 3度の政権交代を経て民主主義も定着し,腐敗の問題にも取り組み,大きな成果を挙げて いる。本来もっと早くEU加盟が実現してよかったのだが,戦争等に由来する様々な問題 のために加盟が遅れた。EU加盟により,諸制度もEUと共通のものになっている。 隣国とはかつてのユーゴスラビア時代の経済関係が崩れたが,右をどう再構築できるか。 戦火を交え複雑な関係にある隣国セルビアやボスニア・ヘルツェゴビナとの関係は近年改 善しているが,クロアチアはEU加盟に伴い,CEFTA(中央ヨーロッパ自由貿易地域) からは脱退した。EUも経済困難にある中,クロアチアはこれらの隣国との経済関係を発 展させない限り,経済発展は望めない。 経済体制変革の困難さ,戦争の後遺症の大きさと,それらの克服のための大きな努力な ど,クロアチアの経済構造には,いまだに独特な共産主義体制と戦争に由来する困難さが 垣間見れる。制度と運用の乖離,国民のメンタリティーの問題がある。 クロアチア経済の8つの特徴 1. まず,クロアチアは観光業が突出して強く,GDPの2割以上が観光関連収入で ある。観光の目玉は,7つある世界遺産(ドゥブロヴニク,スプリット,プリトヴィツェ 国立公園等)と共に美しいアドリア海での海水浴・日光浴である。ドイツ,チェコ,ポー ランド,ハンガリーといった国から夏の海でバカンスを過ごす客が車で押し寄せ,自慢の 高速道路も料金所等で混雑する。よって世界遺産に関心のある日本人観光客は,混雑する 夏は避けた方が良い。 欧州企業が土地を購入し,ホテル等建設の試みもされている。しかし,土地所有権を巡 るトラブルが多発している。観光業で既に民族資本が強いので,外国競争者の参入が妨害 される面もある。クロアチア独立後,土地所有権に関して,共産主義化する前(つまり戦 前)の所有者に土地を返還する方針がとられたが,いまだに土地所有権が確立していない 面もある。 土地登記簿も完全に整備されていない。そのため不動産課税が不十分である。家屋使用 に対する共益費を地方自治体などが徴収しているが,土地に対する固定資産税は無い。固 定資産税が導入されないもう一つの理由は,ユーゴスラビア時代に国民達による家の取得 が進んだため,現在多くの国民が家を持っており,彼らは総じて固定資産税導入に反対す る。 2 2.ユーゴスラビア時代からの技術も活かし,ニッチな市場で奮闘・成功しているクロア チア企業はある。地雷除去装置のDOK-ing社は世界市場で大きなシェアを持つ。ウ リャニック造船所は浚渫船等で好調である。 3.起業に際しての負担が大きい。許認可取得に時間がかかる。給料の内の半分しか手取 りで残らず,残りの半分は税金と社会保障費で取られる。消費税は25%もある。経営・ 雇用者にとりビジネス展開で多くのコストがかかる。全てのクロアチア企業がこのコスト を支払っている訳ではなく,手取りの給料は何とか支払っているが,税金と社会保障費を 支払っていない企業もある。給料支払いが3ヶ月程度遅れることもよくある。多くの場合 国営・公営企業であり,雇用不安を防ぐために存続させている。支払い遅延については, 国営病院に機材を納入しても直ぐに代金を支払ってくれないこともある。 4.約430万人の人口の内,年金受給者は約120万人,勤労者は約140万人,それ 以外に失業者が約30万人と,働いている者と働いてない者の比率が殆ど同じである。 年金受給者には,経済体制移行に適応できないが故の早期退職者,退役軍人の年金受給 者(約7万人)も含まれる。働いている者が,働いていない者を支えるための社会保障費 等負担が高額になる訳である。加えて固定資産税も利子課税も無いので,更に勤労者,ビ ジネスに対する課税が高くなる。 (注:本稿脱稿・掲載後,利子・配当・キャピタルゲイン 課税が将来導入される方向で議論が進んでいることがクロアチア国内でも報道されてい る。)なお,勤労者140万人の内,約39万人が官公庁・国営企・公的サービス部門で働 いており,また私企業についても国が株を保有している例もあり,要するに経済に占める 国公営セクターの比重が非常に大きいのだ。 5.クロアチアの1人当たり平均所得は日本人の約3分の一だが,生活実感では物価は日 本と同じである。(不動産価格は日本よりは安い。)1つの原因は通貨クーナが高めに維持 されていることがある。クーナを切り下げられない理由は以下のように説明される。第1 にユーゴスラビア時代のハイパー・インフレーションの悪い思い出があり,通貨切り下げ はクーナに対する国民の信任を損なう,第2に輸入インフレを助長する,第3にユーロ建 ての借金を抱える企業・国民が非常に多く,彼らがクーナ切り下げに反対する。いずれに せよ,今後クーナが大きく切り下げられる見通しが無いことは,クロアチアで製品を製造 しても,それを国外に販売する上で不利となるのだ。 6.クロアチアでは国公営セクターが大きいことに加え,民間では民族資本が一部業種(流 通,農業)で非常に強い。クロアチアの民族資本の流通販売チェーンの店頭で,外国製品 の並び方が少ないことと関係がある。クロアチアには「ケイレツ」が存在するのだ。 7.経済困難の中、クロアチア人の一般国民はどうやって生きているのだろうか。家族が 支え合いの大きな意義を指摘できる。ユーゴスラビア時代の達成として,個人が家を所有 しており,固定資産税も無いので,家に住む点では問題が少ないと言える。日本よりは大 きな一軒家に,両親,子供,孫たちが一緒に住んでいる例が多い。 8.クロアチア政府が経済苦境をどのように脱出しようとしているのか,よく戦略が見え 3 ない。この点クロアチアの経済ジャーナリスト達は筆者に対して, 「日本のアベノミクスは, 日本が経済戦略を立てて実行しているという点で素晴らしい。クロアチアは,日本とは異 なる状況なので,当然異なるやり方であるべきだが,アベノミクスのような戦略を立てる ことができない。」と述べる。全ての構造改革は痛みを伴うが,痛みを極力避けたいという 点では与野党が共通しており,その意味で与野党の経済政策にあまり違いが無いようだ。 市場経済体制への移行の挑戦 クロアチアの経験を一般化して,体制移行の際の教訓を引き出してみたい。 1. 共産主義体制下では良い面,経済的に達成した面もある。しかし体制移行後,そ れらの達成が断片化し,一部に残っていてもシステムとして全体的にチグハグな状況があ る。クロアチアで個人の持ち家が多いことは,過去の達成である。このことが社会不安の 醸成を抑止している。他方,固定資産税導入の障害となっており,土地・不動産の効果的 利用を妨げている。自分(親)の持家から離れられないため,社会の流動性,効果的な労 働力配分も妨げている。 2.ユーゴスラビア時代には,国内の経済分業に加え,非同盟運動の盟主として,経済的 にも中東,中央アジア等で様々な経済プロジェクトを手がけていた。しかしユーゴスラビ ア崩壊後,分業体制も崩壊してしまった。造船業や機械製造業で,クロアチア国内でまだ その伝統の残滓を見ることもできるものの,世界的なビジネス展開はかなり縮減されてし まった。 3.共産主義の悪い面は,体制移行後もすぐには直らない。非効率な規制・許認可の運用, 労働を忌避し学生生活を長く続けたり安易に早期退職する態度(クロアチアでは早期年金 受給が可能だがEUは右を改めるように指摘している),労働者保護と競争への対応のバラ ンスを取る事の難しさ,国公営企業に依存し民間企業育成を怠っていること,市場経済の スピード感の欠如などが挙げられる。 3つのビジネス・チャンス 以上から,低賃金で労働者を雇用し,製品を製造して国外に売るというモデルでは,ク ロアチアはうまくいかなず,他のモデルで,チャンスを狙う必要がある。たとえば, 1.クロアチアにはユーゴスラビア時代から工業先進国だった伝統がある。教育水準の高 い良質な技術者(英語堪能)等は,たとえばドイツに比べて安い賃金で確保できる。 そのような労働力を確保して成功している日本企業は,自動車部品メーカーの矢崎総業 がある。首都ザグレブ市内に研究・開発センターを設置した矢崎総業は,ワイヤハーネス の開発にクロアチア人技術者が従事している。現在約90名の技術者(全てクロアチア人 で日本人常駐者はゼロ)が勤めている。クロアチア人技術者が作った設計図を基に,欧州 域内にある矢崎総業の工場で製品が製造される。 また高度技能者という点で船長などの高級船員が日本の船会社大手3社(日本郵船,商 4 船三井,K-LINE)により雇用されている。3社合計で6~7百名位になると見込ま れる。クロアチアでは多くの大学に海洋学部があり,卒業生達は更に日本の船会社で働き たいと希望している。 2.クロアチアが進める火力発電所建設プロジェクトに対する外国企業の協力と投資を求 めている。同プロジェクトには丸紅が応札しているが同社が落札すれば,日本・クロアチ ア経済関係にとり画期的な例となる。またウクライナ危機後,南東欧諸国のエネルギー情 勢に懸念がある中,この地域のエネルギー安全保障強化のための日本からの目に見える具 体的協力と位置づけられる。 3.クロアチアは今後EU資金も利用したインフラ整備の事業を計画している。EUのプ ロジェクトのため,日本企業がクロアチア企業やEU企業と連合することができれば,プ ロジェクトに参入できる可能性が皆無という訳ではない。具体的にはクルク島というアド リア海の島に,LNGターミナルを建設して,海外からLNGを輸入し,それを中東欧に 輸送する構想がある。 西バルカン諸国の運輸インフラを整備するためのハイウェー構想(クロアチアから南下 してモンテネグロ,アルバニア,ギリシャに達する),鉄道近代化構想(ミュンヘンからイ スタンブール迄をつなぐ)が提案されており,ドイツのメルケル首相はこれらの構想に積 極的な姿勢を表明している。その他各都市の水道設備の近代化などもある。クロアチア国 内には鉄道車両製造メーカーがいくつかあり,それらの社長達は筆者に対して,日本企業 との協力を望むと述べていた。 クロアチアは,これまでの出遅れを取り戻して日本企業との関係強化が進むことを期待 している。筆者もそのために尽力するつもりである。 (本文中の意見にわたる部分は筆者の私見である。 ) (了) 5
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