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「ここが変だよ日本の投資信託」
世界初の投資信託は、明治元年にあたる 1868 年に設定された英国のフォーリン・アンド・
コロニアル・インベストメント・トラストといわれている。サイトでは、現在も継続して
運用中とあるから、驚きであるが、かの地ではしごく当たり前らしい。投信はその後、米
国に渡り大いに発展した。
日本では、戦後の銀証分離政策から、投信は証券の分野となり、証券会社が販売を、そ
の子会社たる投信会社が運用を担うという形で発展していった。バブル崩壊までは、右肩
上がりの相場もあって、運用実績はマズマズだったが、崩壊後は、惨憺(さんたん)たる
結果となっているのは御存じの通り。それだけなら相場の話で済むのだが、そうでないの
が日本の投信だ。
タコ配が花盛り
結論をまず最初に言う。日本の投信は一体誰のためのものか。
投資家のためではない。売り手である証券、銀行のためのものだ。
投資家の手元に残ったのは膨大な運用損であり、証券会社には相場の浮き沈みとは無関
係に膨大な手数料が転がり込んできた。銀証分離は既に修正され、銀行窓販もあるから、
証券会社だけではないのだが、本来、新規参入があれば必ず生じる価格(手数料)競争も
ほとんどなく、供給者側の膨大な手数料収益源となっているのが日本の投信だ。
実際、この 10 年間で目立って残高が増えた金融資産は投信で、なかでも株式投信につい
ては、15 兆円が 50 兆円と3倍以上にもなっている。外貨建て資産の拡大が大きく、分配型
の投信が大半を占めている。運用益の範囲内で分配金が支払われているのであればいいの
だが、資産を取り崩して分配するタコ足配当が実は多い。この 10 年間で株式投信への資金
純流入額は約 60 兆円だが、運用損益のマイナス分と分配金の合計、すなわち目減り分は 25
兆円になる。内訳は分からないが、仮に分配金が全てであっても、手数料を払った上で、
投資したお金を自ら引き出していたことになる。
投信の運用成績というのはプロフェッショナルの力量の問題であり、そこが本質論であ
るべきだ。分配という単なる技術論が、この本質を覆い隠すとなれば、プロの腕も鈍るの
は道理である。そして、そのツケは顧客が払うことになる。料理だってそうだ。うまい料
理人は客が育てる。その客の舌はやはりうまい料理が育てるのだ。
投信手数料は横並び
投信の運用成績は、販売会社と運用会社が徴収する手数料水準が大きく関わってくる。
ところがこの 10 年間、これが下がるどころかむしろ上がっている。金融自由化で 40 分の
1と劇的に低下した株式の委託売買手数料と比較すると、対照的である。そもそも投信の
販売手数料は当初から自由化されていたが、投信協会の業務規程で販売手数料の値引きを
禁じられていた。当社が金融自由化前に、「独占禁止法違反ではないか」と強く主張したの
を受けて、1998 年3月にその規程は変更された。これにより、証券各社が自由に販売手数
料水準を決められるようになったはずであったが、商品を卸すかどうかは運用会社の胸三
寸であり、実質上、証券会社に販売手数料決定権はなかった。
というより、お互い手数料引き下げ競争をしていては証券会社の主要収益源が崩壊する
から、系列の投信会社に暗黙の圧力をかけていたというのが実態だろう。まるでカルテル
だ。投信協会の規程変更を受けて、純然たる独立系中小証券として、ほぼ全ての投信会社
と付き合っていた当社は、それまで2~3%だった販売手数料を一律1%とし、信託報酬
も運用会社に一部返すか顧客に戻す方針を発表した。ところが、「そんなことをされたら他
の販売会社が困り、ウチの投信の販売を誰も引き受けなくなってしまう」と言われ、投信
会社の商品供給が見事に途絶えてしまった。
カルテル破りは干されるのが世の道理である。結局当社は断腸の思いで投信の販売自体
を諦めることにした。社員には投信を購入してくれたお客さんのところにおわび行脚をし
てもらい、泣く泣く他社を紹介した。300 本近い投信を扱っていたが、2年かけて移管した
後、投信の販売はドル建てMMF(マネー・マーケット・ファンド)などを除き、一切や
っていない。「なぜ松井さんは、こんなに儲かる投信を扱わないのか」とよく聞かれるが、
私には私の矜持(きょうじ)がある。自由競争ができるような環境が整ったら、いずれ再
開したい。
サラリーマンが運用する日本の投信
そもそも資産運用とは高度な専門性が要求されるものであり、組織力よりもファンド・
マネジャー個人の力量、技量が成否を分ける。世界的に著名なファンド・マネジャーとい
えば、ジョージ・ソロス、ウォーレン・バフェット、ジム・ロジャーズ、スタンレー・ド
ラッケンミラーなど、みな外国人だ。一方、日本では、ファンドのほとんどが、誰の運用
か表に出てこず、販売会社名と運用会社名の両看板で販売されている。製販分離というの
は名ばかりで、販売主体という世界でも珍しい日本投信の構図がある。
もっとも、名が出ずとも、ファンド・マネジャーの成果主義が徹底していれば、「所詮は
他人のカネだ」という意識にはならないはずだ。成功と失敗には相応の褒美と罰がつくも
のだが、日本のサラリーマン・ファンド・マネジャーには、聞いたらのけぞるような高額
報酬もなければ、冷酷無情な首切りもない。そこにプロ意識など育つはずはなく、投資家
には、大手銀行の信用力だけを頼りに預金するのとなんら変わらないメニューしか渡され
ない。
優秀なファンド・マネジャーなら、そんな状況に嫌気して独立するか、成果主義の徹底
されているブティック系に転職するだろうが、販売主体の世界では、そういったいわば命
がけの投信が売れるとは限らない。先述した欧米の著名ファンド・マネジャーは、独立し
て運用しているオーナーであり、運用の成否が自分の人生をも変えてしまうような厳しい
状況に我が身を置いている。
使い捨て投信
「貯蓄から投資へ」というスローガンの対象は投信だったはずだ。教科書的には長期投
資の本命とされている。ところが、日本ではそんなことになっていない。どんな商品にも
流行りすたりはあるが、長期保有を訴える投信において、人気商品が、まるで回転木馬の
ように短期間で入れ替わるのは、明らかにおかしい。投資家は乗り換えるごとに多大なコ
ストを強いられる。実際、5年前に残高上位であった投信がそのままなのは稀である。投
信の先進国である米国ではそんなことはない。人気のある商品は不動の地位を得ており、
それを維持すること、すなわち良好な実績を残すことに、運用者は命がけになっている。
なぜこのような短期での乗り換えが日本では起きるのか。販売会社からすれば、残高に
対して受け取る手数料の信託報酬(0.5~0.8%)よりも、販売金額に対して受け取る販売手
数料(2~3%)の方が大きいから、乗り換えをお客さんに勧める。まるで使い捨て投信
だ。私はプロの報酬としての運用手数料は、その実績に応じて多くても構わないし、そも
そも、販売会社優位の報酬体系を疑問に思っている。顧客に本当にうまい料理を提供する
のではなく、何か違った味を提供することにいそしむ。顧客も違った味に飛び付く。そん
な状況では本当にうまい料理など育たないと断言できる。
ガラパゴス化した投信の終焉
いずれ、デフレが終焉(しゅうえん)してインフレに変われば、「貯蓄から投資へ」の時
代が到来するだろう。それは投信時代の幕開けでもある。現在の、世界に通用しない日本
独自の投信は、日本のガラパゴス化の典型例だ。こんなに手数料が高く、日替わりメニュ
ーのオンパレードで、誇るべき実績も乏しい、この三拍子そろった商品が世間に受け入れ
られるはずもない。これを放置しておけば、手数料もはるかに安く、株と同様に毎日値が
付き、証券会社を通じていつでも売り買いできる、指数に連動した上場投信(ETF)が
一世を風靡しよう。
日本では上場できないアクティブ投信、すなわち、プロの腕次第の味で勝負、といった
商品は、投資家保護を徹底した上で、コンサルティングを伴う対面型販売会社による競争
手数料の下で扱うか、可能なら運用会社の直販でやればよいと思っている。シェフ直営の
レストランだ。ETFとそうした投信の併存がこれからの時代の要請だと思っている。
投信の製販分離が最初の一歩
当社の外人持ち株比率は浮動株の約3分の1に達しており、海外のファンド・マネジャ
ーに常時ウオッチされている。そこで年に1度は海外の投資家を私自身が訪問している。
彼らと議論をして感じるのは、日本のファンド・マネジャーとは違った本気度だ。こちら
も当然本気になり、興奮して口角泡を飛ばすこともしょっちゅうだ。成果主義が徹底して
いるからこその本気度であり、出資者と同じ船に乗っているのだ。そうした連中とやり合
うのは実に勉強になる。他人のお金ではなく、自分のお金という意識でなければこうはな
らない。
日本の投信が発展するためには、製販分離、すなわち製造(運用)を担う投信会社の真
の独立をはかった上で、販売会社の論理に振り回されず、他人のお金を運用するプロとし
て、投資家による信賞必罰を伴う実績競争をさせることが、何よりも求められている。